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はてなキーワード: 金融政策とは

2025-06-13

賢くなりてえ!正確には、賢く見られてえ!!

𝑿 を見ていたら、「賢い男性と会話して、その知性にドキドキしたい」という旨のポストがあり、それに多くの女性共感を寄せていた

賢い男性、というか、会話の中でさらりと知性が見えるような男性、"メロい"らしいです

 

俺もそうなりてえ 俺もそうなりたいんだよな

俺って実際のところ全然賢くないんだよ

カタログスペック的にも賢さはあまりない 

外形的に誇れる部分でいくと、唯一、TOEICが950点あるっていうのはやや賢そうな気配があるんだけど、実際には全然英語とか話せねえし、外国人となんて話したこともない ただ四択問題カンで当てるのが得意なだけだ

だいたい、TOEICの点数高いです!って言われて、「へえーこの人賢いんだ!」ってならないもんな

いけすかねえな、意識高くてキモそう、朝食としてスムージーとか飲んでそう、なんか家が全体的に白そう、そういう、うっすら悪いイメージしか抱けない 

結局、賢さについて示せる物証はないということ 実地で賢さを示していくしかない

で、実際のところ知識はない 政治経済にはとんと疎く、かといって科学工学に詳しいってこともない 人生ゲームバランス概念はないので、政治経済科学に劣る分、なにか秀でた知識がある!ということもない 満遍なくものを知らないカス ということになる

頭の回転も速くない むしろ遅い 絶対コンビニバイトとかできない 小学生口喧嘩してもテーマ次第では全然負けうる

なんだろうな、賢いっていうのはつまりスマートってことでもあるじゃないですか(小泉進次郎)、つまりですよ、いわゆるスマートな振る舞いっていうのが、𝑿で語られていた「知性」に通じるんじゃないか

というか、知性があれば振る舞いもスマートになるものであり、俺が人生のあらゆる局面でワタワタ・モタモタ・バタバタしているのは、畢竟知性がないからではないか

でも体力とかもないからさあ!もう、知性で勝負するしかないんだよ!!俺には知性しか残ってないんだ

俺は賢くなりたいんだよ というか、最悪、本当のところは賢くなくていいから、見かけ上賢いように見えたいんだよな

そんで、女にモテたい…………

いや、モテたいのかな 別にモテたくはない いやモテいか でもモテたとしてそこから具体的にどうしたいっていうのは全然ない むしろから困るだけだと思う セックスとかも結局、全然したくないんだよ ホントに 

俺は結局どうしたいのか?どうしたいのかって言うとですよ、それはつまり、己のシグニフィカンス、それを高めたいんだよね

まり、誰かにとって特別な、崇高な、重要な人になりたいわけだ というと語弊があるな 誰かの人生思考50%を占めたいとか、そういうことではない

でもたとえば、俺にとってアインシュタイン先生って人生の中で全然重要じゃないんだけど、じゃあ尊敬してないか?っていうとそうではなくて、かなり尊敬しているし、すげえ、カッコいい!と思っている 

そういうことなんだよね 俺のことを思い浮かべる時、そこにあるのが好意とか尊敬とか、そういうものであって欲しい 賢いやつだよな、と思われたい

それだ!それなんですよねえ

俺の知性にメロメロになって告白してきて欲しい!みたいな話ではない 増田くんって賢かったよな〜、と、薄い好意とともに俺のことを思い返して欲しい

そういうことなんだよね ほなシグニフィカンちゃう

そして、そうはならなかった ならなかったんだよ

でもまだ20代からなんとかなるかも

どうしたら賢くなれるかなあ!!

やっぱ、本ですか 本を読んだらいいのですか

経済に明るくなったら、賢そうな感じは出ると思うんだよな 

最近日銀の動向、どう思う?

・僕は現政権金融政策がうまくいってるとは思えないなあ。

ゼロ金利!(ゼロ金利がなんのことを指すのか本当に何も知らないため、例文を書くことができない)

このあたりを使いこなせるようになれば、まずは一レベルアップか?

でもさあ、たぶん、𝑿 で語られていた知性っていうのはそういうことじゃなくないですか?そういう付け焼き刃ではなく、"本物"の知性、高尚じゃねえ話題、むしろくだらねえ話題のなかでひらめく、むき出しの知性の刃、その輝きのことをきっと言っている

その刃が俺にはねえっつってんの!!!!!!!!

ぐああああーーーー俺は 俺は賢くなりたい なりたいっつうか、本質的に"なる"もんじゃないんだよきっと "ある"ものなんだ

俺は……俺は"メロい"とか言われたかったんだよ

しろ、言ってくれ 俺にメロいと言ってくれ

でも実際言われたらなんかムカつきそうだな

2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 → 融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは 金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝 経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点 理由

経済思想 市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断 モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景 日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模 企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動 銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理 銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化 不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化 銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策 政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉 銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀 小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

2025-05-28

はてなリフレ派が多かったなんて、歴史改竄もいいところだ

そりゃ十年以上前の話だから知らない人もいるだろうし嘘を刷り込むチャンスはあるだろうけどさ、そういうことやってて人として恥ずかしくない?

はてななんて、所謂はてサ揶揄されるような人たちが跋扈していた場所だよ?特に十数年前なんてまだはてサも今より元気だったし、しっかりサヨクだった。欧米左翼経済への政府介入を是とするものだけど、はてサに限らず日本左翼は単なる政府嫌いだから積極的金融政策なんて大嫌いもいいところだったぞ。バブルになるだの何だのって。円安もそれで日本国内での設備投資や付随した雇用が増えるとかのマクロな話より単に目の前の輸入品海外旅行価格が上昇するってことを重視して嫌いだし、エダノン始めむしろ利上げすれば利息収入が増えて消費が活性化して景気回復するって言っている奴も少なからずいた。

そして何よりはてサ安倍元首相が大嫌い。アベノミクス、その中身のリフレなんて敵扱いされるのが常道だった。リフレ推進系の記事ブクマには「りふれは」みたいな揶揄系のタグが付けられもしていた。酷いのになるとリフレ派とみなされたid人格攻撃するブクマブログまであったような状況。


はてなってリフレ派が多かったからね

大嘘


anond:20250524135742

2025-05-26

anond:20250524135742

金融政策金利下げてマネタリーベース増やせばガンガン市中に資金が回って物価回復する理論は失敗した。市中が不況資金需要がなかったから。そこで有効需要を生む財政政策こそ必要だとやっと気づいたオソーイ!

2025/05/25 リンク

anond:20250524135742

やっぱり金融政策じゃどうにもならんかったってことが後世へ遺せる唯一の教訓かもね。10年は長すぎたけど。

2025/05/25 リンク

anond:20250524135742

金融政策一本槍のリフレ派なんてごく少数だっただろう。金融緩和財政政策を同時に実行してインフレ期待を高めるべきだったのが、消費増税逆噴射たからこの結果。外部要因のインフレはその文脈にない。

2025/05/25 リンク

2025-05-25

anond:20250524135742

はてなってリフレ派が多かったからね

にわか知ったかにも程があるぞ。はてなリフレ派なんてずっと少数派だぞ。まあ世間一般で少数派だがな。

最近の減税への賛成から勝手想像しているんだろうが(そもそも減税のような財政政策は、金融政策についての話であるリフレとは関係ないが)。

2025-05-22

このまま低成長 × インフレが続いたら、日本経済はどうなるの?

これはまさにスタグフレーション(stagflation)の可能性を示唆しています

スタグフレーションとは?

経済成長が停滞 or マイナス」なのに「物価は上がる」という、理論的にも政策的にも最悪の組み合わせ。

普通は成長に伴うインフレです。でも、スタグフレーションだと成長がないのに物価が上がるので、政策対応が極めて難しいです。

継続すれば、日本に起こりうること

実質所得の低下
政策の板挟み
為替リスク外資流出
国債の信認問題

回避策は?

日本がこの悪循環から抜けるには:

 

このままでは日本経済、「沼」にハマります。ただし、脱出する手段ゼロではありません。今後の政策判断民間活力の両輪がカギです。

2025-05-19

anond:20250519055753

ほう、「AIが書いた」とか「文末の句読点が違う」とか、論の中身ではなくスタイル揚げ足取りから入る時点で、議論ステージにすら立ててないことを自白してるようなもんだ。

君が「句読点の有無」でしか批判できないなら、それは君の論点文法よりも脆弱だって証明だよ。

で、次に「リフレ派をひとまとめにするな」とのことだが、これまた論理的破綻してる。

私は日本国内で流布されてきた「リフレ言説」に対して「それっぽさ」だけが目立つと述べたのであって、「すべてのリフレ個人思想が均質である」とは一言も言っていない。

そもそも政策論の話をするときに、個人差異をいちいちすべて列挙して免罪符を配るような姿勢こそ、科学議論ではなく評論家芸だ。

集団としての影響力を語るときに、スタンスバリエーション言及しないことは何ら誤りではない。むしろ君がそこに拘っていること自体、「批判に対する反証」ではなく「批判の逃げ道」ばかり探しているという証左だ。

そして極めつけがこの部分だ。

構造改革だの言ってたのは日本のアホ経済学者共やろ。なんで海外日本制度に疎いマクロ経済学者が日本構造改革主張するねん」

これ、完全に事実誤認だな。

君が「読んだ」と主張するクルーグマンの一連の日本経済論考、特に1998年の「It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap」あたりをちゃんと読んだのか疑問だ。

彼はそこで金融緩和だけでは限界があることを明示した上で、日本制度的制約を踏まえた財政政策構造対策必要性を述べている。

さらに、2000年代以降には彼自身が「流動性の罠の状況下では構造改革だけでは不十分」としながらも、構造要因の補完的役割を明確に認めている。

まり金融政策万能論を否定する方向性で整理しているわけだ。

要するに、君の批判は「本を読んだ」という記憶の印象を論拠にしているだけで、一次資料の具体的なテキストデータに基づく反論になっていない。

それは議論ではなく、感想文に過ぎない。

さらに「海外学者日本制度に疎い」などというレトリック相手理解能力を暗黙に否定しにかかるのは、内容で太刀打ちできなくなった者の典型的な防御反応だ。

anond:20250519051952

日本現在インフレ構造は、典型的な「需要過熱インフレ」ではなく、供給制約+政策的歪み+通貨安+コストプッシュ要因が絡んだ複合的なものです。

コロナ禍での歳出増 → 貨幣価値の低下

② それに伴う円安

労働組合圧力賃金物価スパイラル

まとめ

[コロナ財政出動 + 金融緩和]

[通貨価値低下] → [円安]

[輸入物価上昇] → [生活コスト上昇]

[労組による賃上げ要求]

[企業価格転嫁]

[さらなるインフレコスト・プッシュ)]

そして今、日本は…

…というスタグフレーション典型的パターンに足を突っ込んでいると見るのが妥当です。

補足

日本では「スタグフレーション」という言葉が広く使われるのを避けたがる傾向がありますが、経済構造的にはその片鱗が十分に見えています

特に供給主導で始まった物価上昇が、いまや「期待」や「賃金」に波及し始めている点は、次の段階に入った兆候とも言えます

anond:20250519003025

なるほど、よくある「モデル現実を反映していない」という常套句だね。

けれど、君のその批判の枠組み自体が、科学方法論の基本を取り違えてるんだよ。

数学モデルというのは、現実のすべてを写し取るために存在してるんじゃない。

複雑系の中から本質的変数関係性を抽出し、定量的予測可能構造を浮き彫りにするための抽象装置だ。

これは経済学に限らず、物理学でも生物学でも変わらない。

君が「非現実的」と感じるのは、その抽象性を咀嚼できていないからであって、それを以ってモデル全体を否定するのは、地図が縮尺されているからといって「この地図現実じゃない」と言ってるのと同じくらい無意味だ。

現実経済の複雑性や観測不可能変数の多さを考えると、それらを十分に計算モデルに反映出来てるのか強く疑義がある」

この主張の問題点は、「完全なモデル以外はすべて無価値」という極端な完璧主義に陥っている点だ。

だが、どんな分野でも、予測力や政策設計資するために「不完全だが実用的」なモデルを使うのが基本なんだよ。

君の言ってることを突き詰めると、「何もわからないほうがマシだ」と言っているに等しい。

現実を正確にすべてモデリングできないからこそ、限界理解した上でモデルを構築し、その予測精度や説明力を実証データ逐次検証するというアプローチ経済学実践的知性なんだよ。

MMTの本にはそんなこと書かれてなかった」

この反論には構造的な誤解がある。まず、MMTの主張の中核は「自国通貨建ての政府債務財政的制約を受けない」という立場であり、これは明らかに通常の財政制約やインフレ制御メカニズムとは整合的でない。

君が読んだMMTの本にそのような極端な記述がなかったとしても、それは主張のトーンを穏やかに表現しているだけで、前提構造は変わらない。

さら問題なのはMMTの「理論」と「実務レベルでの応用」が切り離されて語られていることだ。

理論として一貫性があっても、現実経済制度との整合性や、予測可能性、政策インパクト実証性が伴っていなければ、科学理論としての価値はない。

クルーグマンバーナンキもリフレーションを主張していた」

ここで一つ明確にしよう。彼らの主張と、国内自己流に歪曲された「リフレ派」の言説とはまったくレベルが違う。

クルーグマンバーナンキも、リフレーション政策短期的なデフレ対策としての補助的手段と見ており、長期的な成長戦略構造改革と切り離して語ったことはない。

対して、日本自称リフレ派は、「インフレにすればすべて解決する」「金融政策こそ万能」といった単純化されたロジック公共言説に拡散した。

からこそ、私は「それっぽいことをそれっぽく語っている」と言ったんだよ。

理論文脈理解せず、権威の一部だけを切り取って無批判に利用する態度は、むしろ学問堕落だ。

「君も主観を並べているだけでは?」

かに文章主観を含んでいる。だが、私の主張は明確な批判対象を定め、その前提構造定量性・理論一貫性実証可能性といった客観評価軸に照らしてロジック反論している。

対して、君の主張は「モデル現実的じゃない気がする」「本を読んだけどそんな印象なかった」「権威も言ってた」など、印象論と権威主義と相対化に依存した思考停止レトリックに過ぎない。

議論の強度としてどちらが高いか、冷静に比較してみれば答えは明白だろう。

以上、感情に流されず、論理の強度で押し返す。これが「それっぽさ」の殻を打ち破る本物の議論だよ。

2025-05-18

https://anond.hatelabo.jp/20250518161228

第四章 国まもり

(目的)

第十五条 国は、直接間接の侵略や危難を未然に防ぎ、国民安全及び自国産業を守り、国家独立を保ち、子孫に引き継ぐことを目的に、国まもりの総合的な方針を定める (25) 。

(情報及び防諜)

第十六条 国は、海外情報も含め、広く国民に多様な情報を知らせる義務を負う。

2 報道機関は、偏ることなく、国の政策につき、公正に報道する義務 (26) を負う。

3 報道及び情報通信に関わる業務 (27) は、国営または自国資本で行わなければならない。

4 国は、外国による諜報活動を防ぐ機関 (28) を設置し、必要措置を講じる。

5 公務員は、職務上知り得た情報漏洩してはならない。

(経済安全保障)

第十七条 国は、国まもりのため、国内産業を育成し、国産技術及び研究開発を促進する。

2 国は、国内知的財産を守り、創作者を保護する責任を負う。

(資源)

第十八条 資源は、国内における採掘と開発を第一に (29) 行わなければならない。

2 国内で賄うことのできない資源は、一国に偏らず分散して (30) 調達するよう努める。

3 電気、ガス、水道その他エネルギー供給は、国営または自国資本で行わなければならない。

(外国人と外国資本)

十九条 外国人の入国及び在留条件は、国が主権に基づき、自由に決定することができる (31) 。

2 土地公共財産であり、外国人または外国資本譲渡 (32) してはならない。

3 外国人または外国資本保有する不動産法人及び重要資産に係る権限 (33) は、情報が公開され、法律で定める手続により没収 (34) し、または正当な補償のもと、国が買い戻すことができる。

4 外国人の参政権は、これを認めない。帰化した者は、三世代を経ない限り (35) 、公務に就くことができない。帰化の条件は、国柄理解及び公共安全基準に、法律で定める。

(自衛軍)

第二十条 国は、自衛のための軍隊 (36) (以下「自衛軍」という)を保持する。

2 自衛軍の最高指揮権は、内閣総理大臣が有する。

3 自衛権の発動と解除は、国会承認必要とする。ただし、緊急やむを得ない場合は、事後にこれを得るものとする。

4 自衛軍及び軍人に関する事項は、法律でこれを定める。

5 軍事裁判所 (37) を設置し、その構成法律で定める。ただし、最高裁判所に上訴する機会は保障される。

(領土等の保全)

二十一条 国は、領土領海領空その他主権の及ぶ領域保全する。

2 外国軍隊は、国内に常駐 (38) させてはならない。

3 外国軍隊基地軍事及び警察施設は、国内に設置してはならない (39) 。

第五章 統治組織

(統治原理)

第二十二条 統治は、國體尊重し、全国民のため、和の精神をもって行う。

2 立法権国会に属し、行政権内閣司法権裁判所に属する。

3 すべて公務員は、日本国民である (40) ことを要する。

(政党)

二十三政党は、加入する国民意思によって運営され、その要件法律で定める。

2 政党資金は、国または国民のみ拠出することができる。

3 国は、政党活動を公平に援助し、国民政党情報提供しなければならない。

(国会)

第二十四条 国会は、衆議院参議院から組織され、内閣総理大臣指名法律の制定、条約承認予算及び決算承認、国政の調査権限とする。

2 国会議員任期は、衆議院四年、参議院六年とし、参議院は三年ごとに半数を改選する。

3 国会議決は、各院の総議員の三分の一以上が出席し、各院の過半数の賛成を要する。

4 内閣は、国会召集し、毎年一回国会を開催する。ただし、各議院の総議員の四分の一以上の要求があるときは、三十日以内に (41) 国会召集する。

5 国会に関するその他の制度は、法律により定める。

(内閣)

第二十五条 内閣は、総理大臣及び国務大臣構成され、国政全般を統括し、法律及び予算執行する。

2 内閣総理大臣は、国会議員の中から選出され、国務大臣の任免、最高裁判所長官の指名自衛軍指揮権を有する。ただし、衆議院解散は、第四項の場合に限るものとする。

3 内閣は、国家安全に支障ある場合を除き、国会及び国民の求めに応じ、国政に関する情報提供する。

4 衆議院で不信任の議決があったときは、内閣総辞職するとともに、その判断により、衆議院解散することができる。衆議院解散中に、緊急の必要があるときは、参議院法律で定める特別権限を有する。

5 内閣に関するその他の制度は、法律により定める。

(裁判所)

第二十六条 裁判所は、法律上の紛争解決し、法律条約命令条例について憲法適合性の判断を行う。

2 裁判官は、法と良心に基づき、公正に職務執行する。

3 裁判所は、裁判手続及び内部規律について規則を定める権限を有する。

4 裁判官は、次の各号のいずれかに該当した場合、その地位を失う。

一 定年に達し、または心身の故障のために職務を執ることができない場合

国会の弾劾または法律に定める国民審査により罷免された場合

(評価委員会)

第二十七条 国は、制定した法律実施した政策、歳出及び選挙の公正について、その評価を行って国民公表する委員会(以下「評価委員会」という。)を設ける。

2 評価委員会は、公益の確保を目的として、内閣に助言及勧告を行うことができる。

3 評価委員会に関する構成員の選任その他の事項は、法律でこれを定める。

(国民投票)

二十八法案の審議につき、いずれかの議院において総議員の三分の一以上の要求があったとき、または内閣必要判断したときは、内閣は、国民投票実施することができる。国会は、その結果をふまえ、採決を行うものとする。

2 成立した法案につき、一定の期間内有権者一定数以上の同意を得た請願が提出されたときは、内閣は、国民投票実施することができる。国民投票過半数の賛成があったときは、国会は、当該法案につき再審議を行わなければならない。

第六章 財政

(通貨発行権)

第二十九条 国は、円を単位とする通貨を発行する権限を有する。

2 紙幣の発行は、法律に基づき、国が監督する中央銀行に委ねることができる。

3 国は、通貨発行及び金融政策が、外国または国際機関干渉を受けないよう措置を講ずる。

(財政)

第三十条 財政は、経世済民目的とし、通貨発行により資金調達することを原則とする。

2 予算は、内閣作成し、国会承認を得る。決算は、会計検査院による検査及び評価委員会による評価を毎年公開し、国会承認を得る。

3 国の財務状態は、すべての会計につき、簡潔明瞭に (42) 国民に示さなければならない。

4 皇室財政は、皇室の総意により決定された方針に従って内閣予算を編成する。

5 地方自治体財政は、原則税収をもって賄い、不足する場合は国の予算より充当する。

6 地方自治体は、日本の伝統文化の存続普及のための予算を設けなければならない。

(税制)

第三十一条 税は唯一の財源ではない。税及び社会保険料の設定変更は、国民生活配慮し、法律に基づくことを要する。

2 税及び社会保険料国民所得に占める割合国民負担率)は、特段の事情がない限り、国民所得の四割 (43) を超えてはならない。

第七章 重大事

(最高法規)

第三十二条 憲法は国の最高法規であり、日本国柄を示すものであって、これに反する法律条約 (44) 、命令条例その他の行為は効力を有しない。

2 国際機関の決定や勧告は、憲法または日本固有の慣習に反する場合、効力を有しない。

(改正)

三十三条 この憲法改正は、各議院の総議員過半数の賛成で発議し、法律で定める国民投票において、有効投票過半数承認を得て行う。

2 改正した憲法は、天皇公布する。

以上

(1) 憲法制定を言祝ぎ、国歌掲載した。

(2) しらすとは、国民の実情を広く知って日本を治める意味古語である

(3) 君民一体とは、天皇国民が一体となって国を治める意味をいう。

(4) 大嘗祭新嘗祭などは国の公式祭祀となる。

(5) 神聖君主属性でもあり、皇祖皇宗の神霊と一体として詔勅を発し、祭祀主宰する事実による。

(6) 詔勅は、国民権利義務を生じさせず、法的拘束力を有しないが、公共利益のために発せられる。

(7) 裁可とは君主裁量許可すること。これにより生じる君主拒否権のことを veto(ベトー)という。再度の奏請の規定により拒否は一度に限られる。

(8) 摂政は、天皇未成年、御不予(御病気)等の理由による臨時役職であり、天皇権限を代行する。

(9) 暦は、明治六年から導入された太陽暦や、それ以前の太陰暦などをいう。

(10) 国民の国政参加機会の拡充(参政権の年齢引下げ、国民投票など)からくる要請である

(11) 規範要件だが、我が国に対する害意がないことをもって足りると解すべきである

(12) 国まもりの参加協力の努力義務と解すべきである

(13) 権利を「権理」と記したのは、right の翻訳として、「理に適った」という趣旨を含む用語として適切だからである福沢諭吉翻訳として二つの用語を用いていた)。

(14) 国が国民の権理とともに、公益の最低限度を確保すべきことを定める条文である

(15) 私益より公益が優先することは、権利自由公共の福祉のもと認められることと同じ趣旨である。本憲法において、公共利益公益)をより具体化して定めている。

(16) 包括的自由権との解釈である

(17) 尊厳をもって生存する社会権も含めた包括的基本的権利をいう。

(18) 日本憲法では権利自由は、原則として公共の福祉(公益)による制約があるとされた。本憲法においても、権利自由は、本憲法に定める公益と適合する範囲に限られ、濫用禁止する趣旨である

(19) 将来の政治参加に向けて、国民情報を適切に判断し、問題解決する主体性をもった教育をいう。

(20) フリースクールなど義務教育課程における様々な選択肢を設ける趣旨である

(21) 自給率パーセント以上をいう。

(22) 新型コロナウイルス予防接種全国的事実強制され差別されたことへの教訓と反省による。

(23) 政治に参加する義務は、直接に投票義務政党加入などを義務付けるものではなく、日本憲法における勤労の義務と同様、その能力や機会に応じた行動に努めるものである

(24) 外国人の帰化を通じた政治介入を予防する趣旨である

(25) 今や情報経済産業等の諸分野が、国まもりに関係しており、全体像の取りまとめが必要である

(26) 現在放送法規制はあるが、新聞インターネット上の報道には規制がない。

(27) 新聞テレビラジオ衛星放送郵便電話インターネットSNSクラウドに関わる業務を言う。

(28) 防諜機関は、外国の諜報・宣伝・謀略等の工作活動を阻止することを任務とする国の組織である

(29) 石油石炭レアメタルなど重要鉱物国内調達やその可能性を優先すべき訓示規定である

(30) 大東亜戦争時に石油特定の一国に依存したことへの教訓と反省による。

(31) マクリーン事件最高裁判決に同趣旨

(32) 無償及び有償譲渡を含む。外国人及び外国資本による土地買収を規制する趣旨である

(33) 国内土地建物国内企業の株式国内法人の持分・出資社員権などの権利をいう。

(34) 没収は、犯罪不正の取得など例外的場合に限られる。

(35) 三世代とは、日本国籍でない者が帰化し、その者を一代として、曽孫において初めて公務就任権が認められる。外国人の帰化による政治介入を防止する趣旨である

(36) 軍隊とは、交戦権を有し武力行使任務とする国家軍事組織をいう。通常、陸海空軍に分かれる。自衛隊は交戦権がなく、必要最小限度の防衛任務とする点で異なる。本憲法軍隊は、自衛権の行使任務とする。

(37) 軍事裁判所軍隊及び軍人に関する事項を審理するが、最高裁判所が終審裁判所となる。

(38) 常駐とは、意に反して又は合意に基づく恒常的な駐留をいう。一時的な訓練や寄港のための滞在は含まない。

(39) 本条二項三項が本来状態であるが、その実現のためには、本憲法に基づく国まもりの施策実施し、段階を踏む必要があると考えている。

(40) 帰化場合十九条第四項により三世代を経ることを要する。公益従事義務情報漏洩禁止

(41) 日本憲法にない具体的な期限を明示した。

(42) 国民政治参加要請による。

(43) 国民の平均的な所得の四割を超えない趣旨である財務省の統計では、戦後平成二十五年に初めて四割を超えた。なお、党の政策では三割五分の実現を目指している。

(44) 日本憲法では明確でない条約憲法審査権を明記した。

2025-05-13

何がシグナであるかをわからせないために暗躍する勢力がいるのでしょうか?

シグナル=不確実性を減らす情報」「ノイズ=不確実性を増やす情報」という定義に基づくと、実際に経済政治金融市場では「何がシグナルかを見えなくする」勢力存在する可能性についての議論が成り立ちます

暗躍する勢力=誰?

次のような存在が「ノイズの増加」や「シグナルの隠蔽」に関与し得ます

1. 戦略的情報操作を行うプレイヤー
2. ノイズの発信者としてのメディアSNS
3. 投機プレイヤー

行動経済学からの補足

人間曖昧な状況で意思決定を誤る傾向がありますヒューリスティックバイアス)。

からこそ、ノイズの投入=意図的な混乱の演出有効なのです。

結論:暗躍勢力存在しうる

情報の非対称性と選別された情報流通は、現代経済の核心問題です。

したがって、「何がシグナであるかを見えなくする」ことで、利益を得る構造は確実にあります

リターンは変動からしか生じず、変動は不合理性から生じる。ならトランプが不合理でもいいすよね

「リターンは変動(ボラティリティからまれ、変動は不合理性(irrationality)から来る」という主張の上で、「不合理な存在(例:トランプ元大統領)が市場にいても良いのでは?」というロジックですね。

1. 変動とリターンの関係

投資世界では、「リスクプレミアム」の概念があります。つまり予測不能価格変動(≒リスク)を引き受ける見返りとして、投資家はリターンを得る。

2. 不合理性供給元としてのトランプ

トランプのような予測不可能でしばしば「非合理的」な言動をするリーダーは、市場ボラティリティを注入します。たとえば:

これらは、市場参加者の不確実性を高め、結果として短期的な価格変動を増やします。

3. 不合理さの「良し悪し」

理論的には、不合理性投資機会や裁定(arbitrage)機会を生むため、「不合理=悪」とは限らない。しかし、次のような注意点もあります

まとめ

はい、不合理なプレイヤートランプ含む)も市場において一定役割を持ち得ます

ただし、それが一時的な変動にとどまるのか、それとも制度を揺るがすレベルなのかによって、評価は分かれます

2025-05-02

anond:20250502055159

財政インフレ金融で止められない」が主流派見解?どこの主流派だ、住所教えろって話だ。

財政インフレが止められないのは、「極端なケースでは」って条件付きの議論だろうが。まともなマクロ経済学はそんな雑な一般化はしねぇんだよ。

まず、Fiscal Dominance(財政優越)ってのは、確かに一部の学派、特に低能現代貨幣理論MMT)寄りの立場では語られる。

でも主流派ってのは、「財政と金融の相互作用」を前提にして、制度的枠組みの下で中央銀行インフレ制御できるかを理論実証検討してる連中のことだ。

たとえばウッドフォードもシムズも、「財政と金融の整合性重要」と言ってるだけで、「金融政策はインフレ制御できません」とは一言も言ってねぇ。

しろ名目アンカー(inflation targeting)を維持できればインフレ制御可能って立場が圧倒的に多い。

それに、インフレ金融で止められないとしたら、なぜ世界中中央銀行政策金利を引き上げてインフレを抑え込んできた?

欧米の利上げ局面見てみろ。21世紀の最も確かな「インフレ制御現実」だ。財政が拡大してても、金融を引き締めれば物価抑制できる。それが確認されたのが、まさに2022~2023年グローバル経済だ。

見解の相違」で済ませていいのは、理論仮定をいじったときに出る差異の話であって、現実無視の断言じゃない。

経済学は「前提が大事」な学問なんだよ。その前提を全部すっ飛ばして「主流派はこう言ってる」なんて、引用にもなってない。

見解の相違じゃない。論点のすり替えだ。財政インフレ放置すれば金融政策の自由度が削がれるのは事実だが、だからといって「金融で止められない」なんて極論は、どの「主流派」に聞いても真顔で否定される。

議論をしたいなら、せめてどの文献か、どのモデルに基づいて言ってるのかを示せ。インフレ制御の話に「主観と印象」だけで踏み込むのは、知的怠慢だ。

anond:20250502054829

言っとくが、「立場の違い」で経済政策正当性が全部相対化されると思ったら、それこそ思考停止だ。

お前の言ってることは、科学論争を「人それぞれ」で済ませてるのと同じ。

経済学が多様な意見を許容する学問からって、論拠もない思いつきが学説と同格になるわけじゃない。どこまで理屈を詰めて、現実整合してるかが勝負だ。

まず「便宜的にそう扱ってる」って?会計上の「負債」ってのは、信用と制度の上に乗った明確な構造意味してる。

便宜で貸方に書いてるだけなら、なんでその紙幣ベースマネー認識し、金融機関が準備資産として保有してるんだ。

形式じゃなくて、実態として「交換価値請求権」だから負債扱いしてんだよ。

これは国際会計基準でも通貨定義でも一致してる話。しかもその負債の裏には、資産として国債を積んでて、日銀収益構造が成り立ってる。紙幣をタダで配ってるわけじゃない。

次、スティグリッツを引き合いに出して逃げようとしてるが、彼ですら「持続可能財政運営」の必要性否定してないぞ。

そもそも当座預金の付利は、ゼロ金利制約下での金融政策運営の柱の一つ。それをやめろって言うなら、じゃあ市場金利どうやって誘導するんだ?

中央銀行オペレーション理解してからモノを言えって話だ。

それから、「赤字債務超過でも大丈夫だったじゃん」って小学生か。

過去大丈夫だったことが未来保証になるわけねぇだろ。赤字を出しても政府出資することで中銀の信認が維持されてる。

それを制度設計として回してるだけ。問題は、赤字常態化が中銀の独立性と政策オプションを削るって点なんだよ。

たとえば将来インフレが再燃して利上げが必要とき財政悪化を恐れて利上げを躊躇する、そういう「期待形成の歪み」が起きかねない。これは理論じゃなくて、すでに複数の国で起きた事実だ。

経済学意見が分かれる?当然だ。でも、だからこそ「整合的な理論」と「現実の観察」に基づいて議論すべきなんだよ。

「言い方が違うだけ」「立場が違うだけ」で思考を止めた時点で、お前の主張は専門的議論に足を踏み入れてすらいないってことだ。

経済学者が多様な立場を持つのは、それぞれが違う仮定モデル勝負してるから。お前のはそのどれにもなってねぇ。反論になってないのはそっちだよ。

橋本 vs AI

橋本氏の主張は、おおむね以下の構成です:

1. 日銀券が負債計上されているのは金本位制の名残であり、実際には借金ではない。

2. 金利が上がっても日銀券に利払いは生じないので、日銀バランスシート問題と結びつけるのは誤り。

3. 当座預金金利をつけているのは金融機関への補助金のようなもので、なくせばいい。

4. 通貨発行益(seigniorage)をもって銀行券発行を正当化すべきで、借金ではない。

それでは、経済学的に完全論破していきましょう。

【1】「日銀券は負債じゃない」論への反論

事実日銀券(中央銀行紙幣)は法的にも会計的にも「負債」として扱われる。

【2】「金利が上がっても紙幣に利払いは発生しない」論への反論

これはミスリーディング

【3】「当座預金の付利は補助金。なくせばいい」論への反論

経済学的にこれは極めて短絡的。

【4】「通貨発行益で日銀財政大丈夫」論への反論

結論経済学的な再整理

主張 評価経済学反論
日銀券は負債じゃない 会計上・信用供与上「負債」で正しい
金利上昇で紙幣に利払いはない ⭕/❌ それは正しいが、日銀コスト当座預金への利払いで発生する
当座預金の付利は補助金不要金融政策の実行に不可欠。市場金利誘導が困難に
通貨発行益で全部まかなえる 一時的には可能だが、金利上昇時には赤字構造になる

要するに、「紙幣に利息がつかないか負債ではない」というのは概念的にも制度的にも誤解。金利上昇により日銀赤字化するリスク会計構造問題であり、単に付利を「なくせばいい」話ではないのです。

anond:20250502042937

2025-04-30

anond:20250430190428

ノーランチャートというものを調べてみるといい。

 

右翼というのは基本的に、経済的自由肯定するいっぽうで社会的自由は抑圧する思想の持ち主。

まり経済トピックでは、競争主義格差容認規制緩和を望み、公害を生んでも儲けりゃ良いのよ精神の一方で、景気が悪いと保護主義になる。

社会トピックでは、伝統宗教国家といった権威に従わせ、権威が「道徳」によって民を支配自由制限することを是認する、その流れで支配しづらいインテリなどを攻撃しつつ、国際連帯などを絵空事として国家主義になり戦争忌避しない考えになる。

典型的人物像は、支配やすい愚かな人間が多いことを好ましいと考える大資産家や独裁者ないしそのシンパイメージ。要するに独りよがりで、その「独り」のスケールが最大でも国家という枠まで。身内びいきの排外主義になるのが右翼

 

左翼というのは基本的に、経済的自由には否定的で、その一方、社会的自由肯定する思想の持ち主。

まり経済トピックでは、格差是正や再分配に前向きで、裁量的な経済金融政策への介入や規制強化を求めがち。

社会トピックでは、多様性を認め、同性婚などを容認するし、平和主義反戦主義を唱え、人権尊重し、国家を含むあらゆる権威から個人自由生き方を守るべきだという考えに寄りがちになる(もちろん反社会的破壊的な有害自由は認めない)。

イメージとしては、学者芸術家ほとんど左派的な考え方をもってると言える。要するに人類というスケール共存や融和を大切にするやや理想主義的な派閥。彼らの共感力は異性や異民族まで多岐にまで及ぶが、環境動物(食品)にまで向かうと過激活動家になりやすい。

ただし、共産主義というのは思想自体極左に分類されるものだが、強大な権威が公平な分配を管理するという構造上、腐敗が避けられない。その結果、現実社会存在する共産主義体制下では、左翼でありながら左の長所であるはずの社会的自由尊重が失われており、右翼人間と同様に民族弾圧したり情報統制をしたりといった他人自由を奪う人権軽視のふるまいに歯止めがかからなくなっている。

 

ここで、経済的自由尊重するし社会的自由尊重する、どちらの翼にも偏らない存在が生じうることに気づくだろう。

それをリバタリアンといって、経済的自由を推進する側に立ってマーケットメカニズムを信用する一方で、放任にはせず、左翼のように裁量的・属人的な介入は良しとしないが、数学的なルールに基づく規制によって、スマートかつ公平に経済秩序を守ろうと考える。またそれなら小さな政府可能になる。

社会的自由についても、多様性を認めるが、右翼心配するような社会秩序や国家支配喪失に陥る状況に関しては、「そもそも国家なんていらなくね?」という考え方に近づく。テクノロジーによって国家機能を分解・代替していくことで、すぐには無理でも将来的には国家なしでも現代人は秩序ある暮らしができると考える。

 

逆に、どのような種類の自由尊重しないパターンもあり、それは権威主義とかポピュリズムとか呼ばれる。

大衆嫌悪煽り、どのような意思決定においてもより狭量かつ短絡的な判断肯定していく思考回路人間で、理性とは程遠い、文明を巻き戻そうという気配のある集団だ。

イメージとしてはインターネット匿名ネット社会では放っておくとそういう悪意による洗脳が伝播していき、集団極性化に至る。

ただ、権威側に立つ右翼人間や、極左である共産主義独裁者が、自分に都合の良いように大衆扇動する/不満をそらすためにポピュリスト的な言動をすることもあるので、本当に全方位に狭量な馬鹿なのか、ずる賢い策士なのか判断しづらいことがある。

ただネットでこうした狭量を開陳する小市民は、10割が自分の中の下劣偏見を撒き散らしたいだけの馬鹿であるので判断やすい。まともな精神状態ならばそうした人間言葉を真に受けることもないだろう。

 

ここ最近増田で珍奇な造語喧伝して特定集団非難している人がいるが、ああいう人々は既存の言い方をするならサイバーリバタリアンとでも言うべきもので、リバタリアニズムの中でテクノロジー自由ツールとして重視するテクノリバタリアニズムの一派だ。

思想的には特段目新しいものでもないが、テクノロジー進歩によって現実味を帯びてきた側面はある。現実味の面では政府の統制が効かないWeb3、とりわけ暗号通貨技術が今のところもっと重要テクノロジーで、近年のAIはさほどでもない。

ただこの流れに乗って成功し力を得るテック知識人を憎み、偏見を煽ることに熱意を費やすその喧伝者のありようは、唾棄すべきポピュリストに他ならない。

2025-04-29

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 野口旭『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』東洋経済新報社 2006-03-09 | Weblog

 いままで曖昧陰湿批判が横行していたムラ社会であった日本経済論壇の中で、革命的ともいえる実名批判箇所を明示しての率直な議論姿勢を示した『経済学を知らないエコノミストたち』(日本評論社)や『経済論戦』(日本評論社)に続く、野口氏の00年代経済論戦の記録を生々しくとどめた最新論説集である題名の「エコノミストたちの歪んだ水晶玉」というのは聞きなれない言葉である。本書によれば、「経済学は役に立たない」という世間一般の抜きがたい批判に答えることを目的にしているという。著者は、経済学は予測科学として十分に役立つが、世間で役立たないと思われているのは「歪んだ水晶玉」=間違った経済理論で預言を行う「エコノミスト」たちの活躍に原因のひとつがあるという。実際に野口氏が90年代後半から現在まで経済論壇で行ってきたことは、この「歪んだ水晶玉」で預言するエコノミスト評論家そしてメディアなどへの容赦ない批判だったといえる。

 

 本書の後半は、当「ノーガード経済論戦」を読まれている読者にはなじみ深いHotwired掲載された「野口旭 ケイザイを斬る!」をベースにした02年から04年までの当時の経済論戦の見取り図とその批判的な検証になっている。特に経済の動きは複雑でありマクロ経済学のような単純な論理では十分にとらえることができないと主張する論者の多くが、実は単純な自らの意見カムフラージュするために複雑系な話を利用していることが指摘されていることころなど改めて参考になる。

 

 前半は最近経済政策論争をベースにした最新版野口氏の経済見通しと政策への批判検証が収録されている。その要点は、1)小泉政権構造改革路線検証、2)03年から04年にかけて明瞭になった景気回復の原因、3)今日量的緩和解除論議をめぐる見通し のおおよそ3点に分けることができよう。

 

 1)の点であるが、これについては小泉政権構造改革路線が、日本経済の停滞が非効率部門存在という構造的な問題にあり、これを淘汰することで高い成長率を目指すという「清算主義」であったこと、そして構造的な要因が日本経済の停滞の原因ではなく循環的な要因である需要の不足にこそ真因を求めるべきことが明記されている。

 

 個人的な回想で申し訳ないが、小泉政権清算主義的な色彩の強かった01年当時の政策批判を行った野口氏と私の共著『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)は、私の事実上処女作の一つであり、そのときから野口氏は経済論戦を分析する上での私の教師でもあり抜きがたい目標でもあった。当時は「構造改革自体の満足のいく経済学的な定義さえも不分明であり、それを野口氏は同書でクリア説明し、もって構造改革マクロ経済政策は異なる政策目的に割り振られる政策であり、両者を適切な目的構造改革ならば構造問題マクロ経済政策景気循環問題)に割り当てるならば矛盾もしなければ競合もしないこと、さら適用する目的小泉政権のように誤まるとそれは経済社会の低迷をより深刻なものにすることを説いた。

 

 ところで本書によると小泉政権の当初の清算主義的な性格は、「国債発行枠30兆円以下」を公約にした財政再建路線に明白だったが、不況の深刻化からこの清算主義的な路線は早々に放棄されることになった。そして実態的には「循環的財政赤字」の発生を放置することで事実上受動的にではあれ)景気の落ち込みの下支えに貢献したことを指摘している。この点については、私も当ブログ裏声で語れ! 小泉構造改革」で説明したことがあるので参照されたい。

 

 また竹中平蔵経済財政担当相(当時)の金融就任とそれに伴って発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」とそれが打ち出したいわゆる「竹中プラン」(金融再生プログラム)の評価は興味深い。当初、このチームにごりごりの清算主義者として名高い木村剛氏が加わったこともあって、いわゆる竹中木村ショックで日本株価は急降下した。政府不良債権の抜本的な対策銀行企業の統廃合に積極的にのりだすという懸念マーケット国民の間に広がった。しかし実際には清算主義路線放棄しつつあった小泉政権にあっては、その後のりそな銀行への公的な救済に端的に表されたように銀行を潰すようなハードランディング路線放棄された。竹中プランは骨抜きになったかみえた。しかし、本書ではマクロ経済的な清算主義放棄したものの、この竹中プラン金融庁が大手銀行を中心とした不良債権処理に不必要なほど過度の介入を行うことにお墨付きを与えてしまい、規制ハード化が資源誤配分を招来してしまたことを指摘している。この竹中プランへの評価妥当だろう。

 

 2)の点については、今日景気回復主動因についての分析である。それは簡単にいうと財務省円安介入と、それと連動した日銀当座預金残高の引き上げという量的緩和政策が重なったことが契機となっている。この事態を本書では「なし崩しのレジーム転換」という表現を使っている。これは私流に表現すれば、あくま財務省主導のデフレ対策としての円安介入であり、それを福井総裁意図せざる形でサポートした量的緩和政策のあり方を表現しているのだろう(本書では触れられていないが福井総裁は明確に財務省円安介入をサポートしたこと否定している)。野口はいわゆる中国特需表現されたり、アメリカから日本株式市場への投資が盛んになったことなど、外的要因が堅調であれば政策対応受動的でもかまわない、というスタンスである

 

 「以上から日本経済の二〇〇二~〇三年以降の契機回復様相については、ほぼ次のように整理することができる。まず、その最大の牽引車は、外需の拡大であり、それをもたらした世界的な景気拡大であった。しかしながら、国内マクロ経済政策リフレ的な方向へなし崩し的に転換されていたということも、同様に重要意味を持った。それは具体的には、二〇〇三年秋から〇四年初頭まで行われた、財務省の巨額為替介入日銀金融緩和の同時遂行という形でのマクロ政策協調である。つまり、今回の日本景気回復国内マクロ経済政策の両方に支えられて、かろうじて定着したのである」(本書20頁)。

 

 すなわち浩瀚喧伝されているような、「構造改革景気回復寄与した」のではなく、先の説明どおりに循環的要因=総需要不足の改善外需好転政策対応によってもたらされたというわけである

 

 3)については、現状の景気回復不安定であり、より一層のリフレ政策重要性が強調されている。そのため06年末頃まではデフレ脱却をめざすリフレ過程(少なくとも現状の財政金融政策スタンスの維持)であるさらに第二段階は金融政策正常化のための段階であり、量的緩和の解除、インフレ目標の導入、プラス政策金利への復帰などが目指される。これはほぼ2007年半ば頃であり、財政再建はその後の第三段階となる。野口氏は現時点での量的緩和解除はリスクありすぎて日銀採用しないだろうとみている。だが、この野口氏の楽観的な見通しだけが本書を通じて外れてしまいそうである。もちろんそれは野口氏の誤りではなく、通常では考えられないほどのリスクをあえて選択した日本銀行の誤りなのである

 

 本書は他にも、リフレ派の正しい定義、「声の出るゴキブリ」とリフレ派を批判した山崎元氏のその後、木村剛日本振興銀行の「実験」へのエール(?)など微苦笑を禁じえない記述も多く、あっという間に通読できてしまう。学ぶべきことが多い本書は野口氏の論戦の記録だけでなく、迷走する日本経済論壇の記録としても重要である

 

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」  量的緩和解除以後の日本経済 II 2006-03-08 | Weblog

 前回に去年の夏に事実上の"親日銀派"のエコノミストたちが今年春の量的緩和解除やデフレ脱却政策オプションとしてのインフレ参照値の導入を語っていたと述べた。そのような発言を聞く一方で、小泉政権サイドに近いところから夏の終り日銀政府との名目経済成長率論争が起きるだろうという観測を聞いた。もっとも去年の夏は郵政民営化を焦点とした政治の季節に吹き飛ばされて、この「論争」が正体を現したのは年末になってからであった。具体的には昨年12月経済財政諮問会議において与謝野馨経済財政金融担当相と竹中平蔵総務相との間で交わされた財政再建をめぐる論争である。これは財政再建をめぐっての金融政策位置づけをどうとらえるのか、という論争であったともいいかえることができる。長期国債の利回りである長期利子率と名目成長率の大小関係がどのように金融政策と関連しているのか、という点で与謝野大臣竹中大臣との間で意見が交換された。では、なぜ長期利子率と名目成長率の大小が財政再建や金融政策のあり方に関係するのだろうか(以下は拙著経済論戦の読み方』(講談社現代新書)による)。

 

 国債新規発行額が次式で表わされるとしよう。

国債新規発行=政府支出-税収+名目金利×国債残高   

 ところで国債残高が財政健全性で問題になるのは絶対的な大きさではなく、ネットでみた名目国民所得との比率である。上式を用いて簡単に導出されたのが次の関係である

 

国債新規発行分/名目GDP)の一年間の変化分

  =〔(政府支出-税収)/名目GDP〕-(名目GDPの成長率-利子率)×(国債新規発行/名目GDP

 

 政府支出-税収がプライマリーバランスとよばれるものだが、この式の右辺第2項をみるように名目GDPの成長率が利子率を上まわれば、プライマリーバランスにかかわらず国債新規発行分・名目GDP比率はある一定の値に収束する。逆に名目GDPの成長率が利子率を下回ると発散する。すなわちしばしば財政再建論議話題になるプライマリーバランス改善よりも財政危機回避する際にきわめて重要なのは名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになる。この関係を「ドーマー命題」と呼んでいる。

 

 そしてどのような国債残高の初期水準からはじめても、利子率が成長率よりも大きいとき財政破綻に直面し、利子率が成長率よりも低ければ財政破綻の危機は訪れない。もちろん現在日本ゼロ金利であり、長期国債の利回りも歴史まれにみる低水準である(1~2%)。しかし他方で名目成長率はマイナスで推移している。つまり名目成長率よりも金利のほうが大きい事態が長期的に継続しているのが日本現在の状況である日本名目公債残高/名目GDP比が90年代から今日まで増加トレンドを変更しないのは主にこの事情による。成長率の低下をもたらしているデフレ継続すれば、ドーマーの命題でいうところの財政破綻の危険性が高まっていくわけである

 

 さて与謝野大臣は近年では長期金利名目成長率を下回ることはない、という認識であり、対して竹中大臣金融政策などの政策対応がきちんとしていれば名目金利名目成長率を長期にわたって上回ることはない、という立場にたっている。このことは言い換えると、与謝野大臣側は金融政策による名目経済成長率の引き上げは難しく、せいぜい3%程度だという認識のようだ。竹中大臣側は金融政策によって名目成長率は4%程度が達成できると主張しており、実は与謝野竹中両者ともに実質成長率は2%の認識があるため、問題インフレ率をどう判断するかによっている。与謝野大臣側はゼロインフレからせいぜい1%以下にインフレ率を抑えことが望ましいという判断であろう。これは今日日銀政策整合である竹中大臣はいわゆる「リフレ」的観点立脚して発言していると思われ、中長期的に2%程度の低インフレを目指して、税収を改善しもって財政再建に資するという考えかたであるわたしOECD諸国の多くが名目成長率≧長期金利 を実現しているために、日本においても達成可能であると思っている。

 

 ここで今回の量的緩和解除をめぐる騒動でもこの種の日銀的なゼロインフレ志向世界的にはデフレ基調の水準を最適インフレ率とみなしているようである)と竹中大臣代表される政府内の「リフレ」的見解対立が底流のひとつとしてあるということである

 

 昨年の郵政民営化以後、小泉政権目的喪失現象を起こしているのではないだろうか。首相は積年の懸案を達成して、残る政策課題として小泉流の誰から政策障害犯人が明瞭となる課題を探して、政権の緊張感の維持、そして後継選出の影響力を保とうとしたのかもしれない。その意味で、この名目成長率論争を通じて、金融政策のあり方がクローズアップされたのは自然な成り行きだったのかもしれない。なぜならデフレ対策だけはいっこうに改善兆しみえないものだったかであるしか政府挑発ともいえた日銀パッシングはどうも政府自身の思惑や日銀自体計算4月以降の解除)を上回る形で、早期の量的緩和解除にむけて日銀自体を走らせてしまったのかもしれない。

(続く)

 

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」  教訓を活かせないのはなぜか? 2005-12-29 | Weblog

 先ごろ、次期FRB議長指名されたベン・バーナンキ日本の長期停滞の教訓から株価為替レートの動向を金融政策運営する上での指標にすべきではないとことある機会で発言している。現在アメリカ経済ではは石油価格の高騰によるインフレ、そして「住宅バブル」が主要な経済問題にあげられている。これらの問題についてバーナンキと共同作業も多いアダムポーゼン(米国経済研究所上級研究員)は、バーナンキが従来から金融政策の舵取りでは一般物価水準の安定を基にすべきであり、資産価格株価不動産価格為替レートなど)の動向をもとに金融政策の方向を決めるべきではない、と考えていると指摘している。ポーゼンはこのようなバーナンキ基本的姿勢FRB議長就任後も当然に堅持されるだろうし、目前のリスク石油価格の高騰によるインフレであればそれを抑制することに勢力を集中するであろうと予測している。そしてこのような物価水準に関心を払うことに集中して、消費や投資活動に影響しないかぎり資産価格の動向に金融政策を左右させないというスタンスは、実は継承約束したグリーンスパン議長政策観とまったく同じである、ともポーゼンは指摘している。

 

 「実はバーナンキ氏も(グリーンスパン氏と)同じ考えだ。八〇年代資産バブルへの対処で道を誤った日本金融政策反面教師として肝に銘じていると語ってくれたことがある。したがって、住宅価格上昇が今後のFRBの基本政策根本的な影響を与えるとはまず考えにくそうだ」(「過小評価されるFRB次期議長 政策透明性は間違いなく増す」「週刊ダイヤモンド2005年11月12日号)。

 

 またグリーンスパンバーナンキもまた「バブル」は「バブル」が崩壊してみないとそれが本当にバブルであったかどうか判別することは非常に困難だとも述べている。そしてこのバブルの判定が難しいこと以上に深刻な問題は、株価などの資産価格バブル」を潰すために行われた金融政策積極的運営が、その後の経済を非常に困難に直面させてしまっている、という歴史的証拠があまり豊富なことである。そして(そのような積極的金融政策運営の有無にかかわらず)仮に「バブル」が崩壊したときには予防的なデフレ回避策が重要であったことも日本の失敗の教訓や、またアメリカITバブル崩壊後の経験から得ることができる。このようなグリーンスパンバーナンキらの金融政策運営の智恵は積極的活用しなくてはいけないだろう(詳細は近刊予定の田中秀臣ベン・バーナンキ 世界経済新皇帝』(講談社2006年)を参照いただきたい)。

 

 しかしいま経済論壇でヒートしているのは株価バブル」への懸念とそれを予防するために日本銀行の金融政策レジーム転換への期待である。いわゆるエコノミストの中前忠・斎藤明子「経済教室 消費主導へ構造転換 金利日本経済 上」『日本経済新聞』12月26日菅野雅明加藤出「経済教室 金利正常化を急げ 金利日本経済 下」『日本経済新聞』12月28日 などはその典型的意見を表明している。菅野加藤論説では、現行の金融政策マイナスの実質金利を実現しているのでそれが「劇薬」として資産価格の高騰を招くと書いている(もっとも両氏は「バブル」とはせずにバブル手前?のユ―フォリア(陶酔)」状況であると評している)。また中前・斎藤論説は独自の新解釈であるゼロ金利家計から企業への所得移転を生むという議論の延長として、過剰流動性不動産投機の形で資産インフレを招くと警鐘を発している。両者の論説は切り口は違うが、株・不動産資産インフレバブル一歩手前の状況を改善するために日本銀行に金融政策の転換を促している点ではまったく同じである簡単にいうとデフレインフレといった物価水準への配慮よりも資産価格の動向を重視した金融政策の転換を金利水準の上昇を中心とした政策で達成しようというのがその趣旨であろう。

 

 これらの政策提言バブルが事前に判定することが困難であることに加え、さら目標インフレ率やGDPギャップといった通常の政策目標比較してこれらの資産価格の“最適”水準がどこにあるのか理論的にも経験的にも不明であろう。例えば中前・斎藤論説は「預金金利が3%になれば、家計の一兆円の純金融資産は30兆円の利子所得を生み出す。20%の源泉税、6兆円(税収増)を払った後でも24兆円残る。これは帰属家賃を除いた個人消費240兆円のちょうど10%に相当する」として、3%の利上げを主張しているようであるしかバーナンキらが指摘しているように家計の消費動向をみる際に名目利子率に注目するのは正当化されない。デフレデフレ予想が継続している状況での名目金利引き上げは、むしろ実質利子率を上昇させることで消費を抑制させてしまうだろう。彼らの机上の計算では純金融資産の増加が単純に消費支出増に向かっているがそんな保証はどこにもない。また経済全体でみて彼らの主張は資産価格不動産価格の低下に主眼があるのであるからこの側面から家計の純金融資産は減少するだろう。なぜなら中前・斎藤論説とは異なり家計企業の株や社債土地保有している主体からだ。

 

 実はこのような資産価格の現状の動向を「バブル」あるいはそれに近似した状況として認識した上で、金融政策運営を見直せ(=事実上金融引き締めスタンス)という主張はエコノミストばかりではなく、政治家財界人、そして立花隆氏のようなジャーナリストなどにも顕著に見られるようになってきた(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051226_kouboh/)。

 

 しかバブル崩壊とその後の長期停滞はまさにバブル潰しという資産価格ターゲットにした金融政策の失敗に基づくものではなかったのか? そしてこの15年にわたる大停滞というのはデフレデフレ期待の定着による消費や投資の伸び悩み、それによる失業倒産の累増ではなかったのか? なぜ停滞の真因に目を背け、「バブル懸念論者は目前の資産価格の動向ばかりに目をむけてしまうのだろうか? ひょっとしたらそれは単に理論的心情だけではなく、資産保有アンバランスを異常に気にするアンバランス価値観や、または特定ポジショントークからんでいるのかもしれない。それは今後、興味深い経済思想上のテーマ提供するだろう。

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 バーナンキインフレターゲット論の復習 2005-12-05 | Weblog

 ベン・バーナンキFRB議長指名を受けての上院銀行委員会公聴会においてグリーンスパン路線継承約束した。バーナンキ90年代からグリーンスパン後の金融政策のあり方のひとつとして、インフレターゲット政策採用すべきだとする論陣を張っていた。この上院での証言では、まさに物価安定と経済成長の安定、そして市場とのコミュニケーションを円滑に行うためにインフレターゲット導入が必要であると、バーナンキは力強く述べた。このバーナンキ証言に対して、委員会メンバーからインフレターゲット採用することで物価安定が優先されてしま雇用の確保が保たれないのではないか、という質問がだされた。それに対してバーナンキインフレターゲット物価雇用の安定に共に貢献することができると言い切っている。

 

 インフレターゲットとは、改めて定義すると、インフレ率の一定範囲(例えば2~4%)におさえることを中央銀行公表し、その達成のために必要金融政策を行うことである。ただしバーナンキ自身がかっていったように何がなんでもインフレ率の達成にこだわるような、「インフレ狂のいかれぽんち」に陥ることはない。

 

 バーナンキ自身は、現実経済は非常に複雑であり、また不確実性を伴うものであるので、しばしばいわれる金融政策とその政策担当者を「自動車運転手」の関係に喩えるのは誤りであると述べている(講演「金融政策論理2004年12月2日)。なぜなら運転手自分走行中におこることがらをかなりの程度予測して運転しているが、金融政策担当者には四半期先の予想でさえも困難なことが多い。確かに金融政策を通じて中央銀行経済主体の予想に働きかけることができるが、それがどのように現実経済反作用するかを見極めることは実に難しい。しかしそれだからこそこの複雑で不確実な経済において経済主体の予想に働きかける政策の方が、それを考慮しない政策よりも重要になる。なぜなら主体がどのように政策に反応するかの理解を欠いた政策実行は予期しない失敗を引きおこすからである

 

 そして経済主体の予想形成とその経済への反作用をしっかりと政策当局が見極めるためには、予想をベースにした政策の実行とともに市場参加者中央銀行とのコミュニケーションがきわめて重要になる、とバーナンキは述べている。そして中央銀行市場に対してその政策目的予測を伝えることで、市場からリアクションに対して柔軟に対応するべきである、とも述べている。これらの政策に対する基本姿勢は、彼のインフレターゲット論の中にいかんなく反映されている。

 

 従来の経済学では金融政策をめぐっては、「ルール裁量か」という二元論でしばしば議論が行われている。金融政策が長期的には貨幣中立性が成立していて、実体経済には影響を及ぼさずに、ただ単に名目変数(例えば物価水準)を動かすだけである、という点では新古典派経済学マネタリスト、そして(ニュー)ケインジアンは一致している。しか短期的に実体経済に影響を及ぼすことができるのか、いいかえると経済の深刻な変動に対して金融政策有効手段になるのかどうかで、新古典派ケインジアンには特に深い対立が残っている。

 現時点で新古典派マネタリスト、そしてケインジアンは非常に深く混じってしまっており、例えばバーナンキの初期の金融モデル新古典派的な発想に立脚したRBCモデルを基本にしている。しかし、最近バーナンキ政策スタンス経済の変動(産出量ギャップの大きな変化)には積極的金融政策中心の政策対応をすすめるものであり、その基本はまぎれもなくケインジアンである。そして財政政策よりも金融政策を中心に景気対策を行う点では昔風?の区分ではマネタリストでもあるだろう。

 

 一般的新古典派マネタリスト中央銀行マネタリーベースを四半期ごとにX%にコントロールする「ルール」に準拠して金融政策を行うことで、中央銀行戦前大恐慌時のように大きな経済変動の原因になることを未然に防ぐことができるとし、安定的経済成長資することができると考えている。そしてルールを事前に公表することで中央銀行の行動に対して市場が信頼をもつことができることも経済不安定性を回避するとルール主義者は信じている。それに対して裁量を重視する旧来のケインジアンは産出量ギャップの拡大に対して機動的な政策対応を主張している。裁量主義者ルールのもたらす「信頼」と、大恐慌のような予期しない経済変動に迅速に対処する際の政策の「柔軟性」にはトレードオフ関係があると信じて疑っていない。もし柔軟性を認めれば、そのことがマネタリストの主張するようなマネタリーベースの成長率ルールへの信頼性を損ねるというわけである

 

 バーナンキインフレターゲット論は、この「ルール裁量か」でいえばまさに彼の経済学の総合性格を反映するかのように、彼自身言葉で「制約された裁量」というコンセプトに即したものであるバーナンキの「制約された裁量」としてのインフレターゲット論は、バーナンキらの論集『インフレターゲット国際的経験からの教訓』やFRB理事としての講演「インフレ目標展望」(2003年3月25日ベン・バーナンキリフレと金政策』(高橋洋一訳、日本経済新聞社)に収録)に表明されている。

 

 バーナンキインフレターゲット論の主要内容は、1)フレームワーク、2)コミュニケーション戦略 のふたつで構成されている。フレームワークとは、先ほどの制約された裁量と同じであり、金融政策いかに行うかについての「ベストプラクティス」(最善の実践であるという。

 

 「制約下の裁量のもとで、中央銀行は、経済構造政策効果について知識が不完全なことに注意を払いながら、短期的な混乱は無視してでも生産雇用の安定のために自主的に最善を尽くせます(これが制約下の裁量の「裁量」部分です)。しかし決定的に重要な条件は、安定化政策実施するにあたり、中央銀行インフレーーそして、それゆえ国民インフレ予想??をしっかりとコントロールするという強いコミットメントを維持する必要もあるということです(これが制約下の裁量の「制約下」部分です)」(邦訳39頁)。

 

 そしてこのようなインフレターゲット金融政策が通常、半年から1年半ほどの政策ラグを伴って効果があらわれるために、先行して経済主体の予想をリードしていくという性格を色濃くもった期待形成フレームワークでもある。

 

 例えば、今日アメリカ経済低インフレの好循環が成立している背景には、まさに低インフレ予想がキーであるといえる。その反対のケースが70年代石油ショックエピソードである産油国石油価格戦略的値上げによってコストプッシュ型の激しいインフレが起きたというのが定説であるしかバーナンキは実際には石油価格の高騰が各種財やサービスコストを引き上げたことによってインフレが多少は悪化したのは事実であるが、むしろそれよりも深刻だったのは家計企業FRB金融引き締めが不十分であることを予想し、それが高いインフレ予想を招き、そして賃金値上げや製品価格値上げに移行した、という見方を立てている。むしろFRB石油ショックに直面する以前の金融緩和姿勢もそのような経済主体の高インフレ期待を促したともバーナンキは指摘している。

 

 実は日本でも石油価格の高騰が70年代の「狂乱物価」を引き起こしたとする通説が根強い。しか小宮隆太郎は「昭和47,48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、日銀政策の遅れが(小宮バーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている。そして70年代から80年にかけての第二次石油ショックの影響が軽微だったのは、日銀過去反省していち早く強い金融引き締めスタンス採用したことにあり、それに応じて(これも期待の経路は小宮では不明なのだが)労働組合企業賃上げなどのコストプッシュの要因をおさえるべく、労使協調路線採用することでこの事態を乗り切った、と書いている(小宮隆太郎現代日本経済東大出版会)。

 

 アメリカの方はボルカー元FRB議長1979年における断固たる“タカ派”的レジーム転換で、徹底的に高インフレと闘ったことで、その後の低インフレの好循環の基礎ができた、とバーナンキボルカーの業績を評価している。しかし、このボルカーのタカ派へのレジーム転換が社会的にきわめて重いコストを伴ったことを指摘することをバーナンキは忘れていない。

 

 ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が、積極的名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行され、それが80年代に入ってインフレ率の劇的な低下を見る一方で、それと見返りに10%にせまる高い失業を生み出してしまった。バーナンキはこの70年代インフレ予想形成の失敗がいか社会的コスト失業)を生み出したのか、このような失敗を今後しないためにも経済主体の予想形成金融政策の欠かせない要素になると力説している。

 

 第二の要素のコミュニケーション戦略であるが、これはすでに自動車運転手比喩の話で触れたように、中央銀行国民市場参加者に対して政策目標フレームワーク経済予測を事前に公表することで、中央銀行政策に対する信頼を醸成し、さら政策責任明確化政策の決定過程とその帰結の透明性をはかろうというものである。このことが自動車運転手比喩でも問題となった経済の不確実性について、少なくとも政策当事者の行動とそれを予測する民間主体の不確実性を大幅に減少することは疑いがないであろう。

 

 ところでこの「ベストプラクティス」としてのインフレターゲットアメリカに導入される見込みはどうであろうか。従来、インフレターゲット導入への反対の論拠として、連邦準備制度目的規定連邦準備法2A条)とのダブルスタンダードになるという点をあげて反論するのが一般的であった。

 

 「連邦準備制度理事会及び連邦公開市場委員会は最大雇用物価の安定及び緩やかな長期金利という目標有効的に推進するために、生産を増加する経済の長期的潜在性と均衡する通貨及び信用総量の長期的成長を維持する」

 

 と連邦準備法にある。これはかってのハンフリー・ホーキンズ法の趣旨を反映した条文であるが、議会にもこの雇用物価の両方への重視が強いことはすでに述べた。このようなダブルスタンダード批判について、バーナンキはここでインフレターゲットの柔軟性を強調し、雇用物価双方にどんなウェイトづけを行っても首尾一貫したインフレターゲットの援用が可能である、と断言している。バーナンキ議長意思が強固なことが伺われる。

 

 今後、アメリカインフレターゲット導入の議論高まることは当然に予想される。この議論高まることによって日本においても同様の議論高まることが予想されよう。実際に政府の一部では強力にインフレターゲット導入を視野にいれた日銀改正論議まで行われようとしているようである。すでに私はこのバーナンキ経済学を通して、日本銀行がその政策説明責任、透明性、そして経済主体の予想形成、ほぼすべてにおいて稚拙な決定の連続であり、また今日においても外的な要因が重なっただけで金融政策レジーム転換なきまま景気回復がある現状も指摘した。簡単にいえば、丸山真男過去に指摘した官僚的な「無責任主義」がまだ日本銀行とその利益団体ともいえる日銀シンパエコノミストに根強い。この無責任主義を打破するためにもインフレターゲットの導入とそれによるリフレマインド形成日本社会にいま最も望まれているように思われる。

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 出口政策が熱い?!(その2) 2005-11-29 | Weblog

 

お待たせしました。続きです。(その1はこちら)

 

●出口政策理論的基礎―ニューケインジアンモデル

 

 出口政策理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長日本デフレ脱出に、エガートソンとウッドフォード経済学モデルを援用して、インフレ目標政策物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキリフレと金政策日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさら現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。

 

 いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造もつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学ミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学プログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているとき政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアン立場であろう。

 

消費者の行動(New IS曲線

 

 バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済マクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである

 

 まず消費者自分効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマス家族恋人プレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップ存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。

 

 この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。

 

 さら家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。

 

 ニューケインジアン経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(New IS曲線)と表現して現在所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。

 

企業の行動(ニューフィリップス曲線

 

 次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格粘着性という現象一般的であると主張している。この価格粘着性を説明するためにケインズ経済学企業代表的イメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格シグナルとして販売・購入活動を行っている。価格資源配分有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場価格コントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。

 

 しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由ビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。

 

 このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍映画パソコンソフトレストランコンビニケーキ車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客相手競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品供給している。これを製品差別化という。また同時に参入・退出が自由である

 

 完全競争市場では市場で決まった価格販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業価格コントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである経済学ではこの「限界」的な単位消費者企業選択判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。

 

 例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売可能になるということである限界費用価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業製品差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業製品差別化をはかり消費者需要喚起し、その有効手段とし広告ブランド戦略などを展開しているのである

 

 ところで独占的競争企業価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコストメニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格粘着性が広く観察される。また価格改訂する企業が増加するにしたがって、この価格粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要供給よりも多いと考えられるならば企業価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記マークアップ名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率依存している。経済全体でみれば現在インフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係表現したのがニューフイリップス曲線という。

 

中央銀行の行動(テイラールール

 

 さら中央銀行金融政策ルールテイラールールの形で導入するのが一般的であるジョン・テイラーグリーンスパン率いるFRB金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものであるテイラールールもっと古典的形式は産出量ギャップインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。

 

名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ

 

である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。

 

 ところで中央銀行経済にふりかかるさまざまなショックから国民経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行国民経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである

 

 このとき中央銀行経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。

 

(a)New IS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する 

(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率依存する

(c) 中央銀行目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。

 

 ところで上の意味での最適な中央銀行金融政策を考える上で重要ものが「コミットメントである。これは中央銀行金融政策目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済活動するさまざまな主体家計企業市場関係者)の予想に影響を与える。

 

 例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。

 

 「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業利益中央銀行現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。

 

 このような将来が現在規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキング経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントいか重要になるかが分かるであろう。

 

●出口条件を考える

 

 さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデル採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメント誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである

 

 いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレ流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠バーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済回復しているとする。このとき渡辺岩村の仮設

goo blog サービス終了のお知らせ  田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 出口政策が熱い?!(その1) 2005-11-16 | Weblog

 福井総裁量的緩和解除は来年春、と匂わせた発言に反応するかのように、政府与党から日銀の早期量的緩和解除をけん制する発言が相次いででてきた。中川政調会長日銀法の改正政策カードでちらつかせて、日銀デフレ対策が不十分であることを批判している。また安部官房長官もそれに呼応するように、日銀政府協調して財政再建のためにもデフレ脱却して、自然増収での財政基盤の健全化への寄与が実現されるべきだとこれもまた日銀牽制した。この種の発言はいずれもなにか具体的な政策に直結しているわけではないので、それ自体どうこうというわけではない。しか日銀の出口政策量的緩和解除をめぐる議論は今後も政治的話題として沸騰していく可能性があるのかもしれない。

 

 そもそも出口政策をめぐっては、1)前提条件であるデフレ脱却をし、0%以上の安定的インフレ率を維持できるのか? 2)出口政策技術的な難しさ の二点から問題が提起されている。最初の点については、『日経公社債情報10月24日号で匿名記事末吉名義の記事)「日銀ウォッチ デフレ脱却論議の謎」において、きわめて説得的な議論が行われている。日銀インフレ率の目安として採用している日本式アインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年比上昇率はゼロ近傍であり、このためデフレ脱却は難しく、デフレ脱却のためにはインフレ目標政策が一段と必要である、という趣旨の論説である

 

 この主張の背景には、伝統的なCPI上方バイアス存在(すなわち1%程度物価インフレにふれて計測されてしまう)と、さらにコアインフレ率をおしあげているのは石油関連商品であり、この上昇はピークアウトをむかえる可能性が大きく、そのインフレ率に与える押し上げ効果は0.4%程度にとどまると予測されること。そしてこの石油関連商品の影響を除外すると、インフレ率はマイナス0.5%程度であり、さら上方バイアス考慮にいれるとマイナス1~1.5%程度となる、と末吉論説は指摘している。これは非常に周到な分析であり、今日日本経済が決してデフレ脱却を確実にしているわけではなく、むしろ不確実なものであることを示している。

 

 さら安達誠司氏の『デフレはなぜ終るのか』(東洋経済新報社)では、1930年代アメリカデフレ脱却時の出口政策からの教訓をもって、今日の出口政策論議警鐘を鳴らしている。安達氏によれば、当時のアメリカ財務省主導によるドルの減価政策により「レジーム転換なきリフレ」を実現した。このレジーム転換とは、中央銀行であるFRBデフレ脱却のために従来の金融政策スタンスを転換して、超金融緩和政策コミットするというゲームルールの変更として理解される。しかしこのようなレジーム転換がない、すなわち従来の事実上デフレ継続的金融政策スタンスのままに、この「レジーム転換なきリフレ」に直面したため、FRB政策当事者には早急な出口政策模索(当時の異例な低金利政策放棄超過準備リスクマネーとして高インフレに転じる要因になることへの懸念さら株価の急騰をバブルとする警戒感が存在していたことの半面といえる)があった。そしてインフレ率はプラス推移であったにもかかわらず、FRBの早急な出口政策採用によりふたたびデフレに戻ってしまったと指摘している。

 

 安達氏によればこのようなデフレに舞い戻る経済脆弱性を克服するのには、中央銀行デフレ脱却にむけたレジーム転換へのコミット必要さらに実現されたインフレ率という「変化率」への注目だけではなく、それ以上に「水準」が重要であるとしている。本ブログでの「バーナンキFRB議長就任日本リフレ」(10月28日)で紹介した物価水準ターゲット重要である。すなわちデフレに陥る前のインフレ率(たとえば1%や2%)が現在継続していたらどうなるのか、という物価水準経路を考えて、その経路と現実物価水準の経路のギャップを解消していくという考え方である

 

 日本現在景気回復デフレスパイラル的状況からのとりあえずの脱出は、2003年から2004年初頭にかけての財務省の空前の為替介入と(予期せざる?)日銀マネタリーベースの増加がタイミング的に数度重なるという「非不胎化介入」の結果である(詳細は田中秀臣経済論戦の読み方』(講談社現代新書)参照)。すなわち日銀としては明確なレジーム転換が不在であり、あくまでも財務省主導という点で、戦前アメリカのケースに近似していると、前掲の安達氏は指摘している。これは有益歴史からの教訓である

 

 そのため今日日銀はまさに戦前FRBと同じように、出口政策に関わる発言において、「インフレ心理」への懸念を示したり(まだデフレなのに!)、インフレ「率」にのみこだわり、前記したようなリフレ過程には関心を示すことはまったくない。また日銀政策理解を示す衆議院議員佐藤ゆかり氏のように「中小企業家計部門オーバーリスクテイクの状況から守ることが大事で、量的緩和政策は速やかに解除すべき」「日経公社債情報」(10月31日)とコメントしているのも、戦前と同様に超過準備が高インフレ資産価格の急騰(バブル?)をもたらすことへの「懸念」と基本的には同じものであろう。

 

 本格的なリフレ政策採用と連結しないかぎり、デフレ脱却の道のりはかなり不安定ものであることは否めないのではないか。そして出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかりである。(その2)では、仮にデフレを脱却(不安定であってさえも)した場合採用されると考えられるいくつかの出口政策について考えてみたい。

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