はてなキーワード: 冬ソナとは
というのもモーニングショーで特集組まれてて韓国では高身長が凄いステータスらしくてわざわざ子供の頃から身長を伸ばす促進剤とか訓練を各家庭で課してて
韓国の男性アイドルを見渡すと皆幼い顔付きなのに180センチとか190センチが結構いてアンバランスだなと感じた
日本でジャニーズが大人気なのって見た目が凄い幼くて成人女性と同じ程度の身長だからなのに韓国って何か凄い国だね
それこそ高収入・高学歴・高身長とバブル期に流行した結婚相手の条件って事で通称「3高」と呼ばれる。
それが今何故か韓国で大流行してるって番組で指摘されてて韓国は日本から30年か40年も遅れてトレンドになってないかってなる
00年代初頭に流行った冬ソナだってその20年位前バブル期に日本で流行ったトレンディドラマが韓国を通してリバイバルヒットした感じだったのに
出口政策を理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長は日本のデフレ脱出に、エガートソンとウッドフォードの経済学モデルを援用して、インフレ目標政策と物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキ『リフレと金融政策』日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードのモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさらに現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。
いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造をもつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学のミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学のプログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場の自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択も最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているときは政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアンの立場であろう。
バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計(消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策を担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済のマクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである。
まず消費者は自分の効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化(スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマスで家族や恋人にプレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計の所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップの存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。
この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。
さらに家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者は現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約や耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。
ニューケインジアンの経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(New IS曲線)と表現して現在の所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。
次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業の価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格の粘着性という現象が一般的であると主張している。この価格の粘着性を説明するためにケインズ経済学は企業の代表的なイメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場の典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格をシグナルとして販売・購入活動を行っている。価格が資源配分を有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場の価格をコントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。
しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌が販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社が独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由にビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。
このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍、映画、パソコンソフト、レストラン、コンビニ、ケーキ、車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業が存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客を相手に競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品を供給している。これを製品の差別化という。また同時に参入・退出が自由である。
完全競争市場では市場で決まった価格で販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業が価格をコントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである。経済学ではこの「限界」的な単位で消費者や企業の選択を判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときのコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。
例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売が可能になるということである。限界費用と価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業は製品の差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業は製品の差別化をはかり消費者の需要を喚起し、その有効な手段とし広告やブランド戦略などを展開しているのである。
ところで独占的競争企業は価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコスト(メニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格を修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格の粘着性が広く観察される。また価格を改訂する企業が増加するにしたがって、この価格の粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要が供給よりも多いと考えられるならば企業は価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記のマークアップは名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業の価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率に依存している。経済全体でみれば現在のインフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係を表現したのがニューフイリップス曲線という。
さらに中央銀行の金融政策ルールをテイラールールの形で導入するのが一般的である。ジョン・テイラーはグリーンスパン率いるFRBの金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものである。テイラールールのもっとも古典的な形式は産出量ギャップとインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。
名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ率
である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールはグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。
ところで中央銀行は経済にふりかかるさまざまなショックから国民の経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民の経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民の経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行は国民の経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである。
このとき中央銀行の経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。
(a)New IS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する
(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率に依存する
(c) 中央銀行は目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。
ところで上の意味での最適な中央銀行の金融政策を考える上で重要なものが「コミットメント」である。これは中央銀行の金融政策の目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済で活動するさまざまな主体(家計や企業や市場関係者)の予想に影響を与える。
例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利に依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。
「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得、企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業の利益が中央銀行の現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。
このような将来が現在を規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキングな経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントがいかに重要になるかが分かるであろう。
●出口条件を考える
さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努・岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである。現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート(財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデルを採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメントに誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである。
いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレで流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠をバーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済が回復しているとする。このとき渡辺・岩村の仮設
冬ソナが放送されてたとき母ちゃんがめちゃくちゃハマってヨン様グッズ買い漁ってたんだけど全然理解出来なかった。高校時代役のジュンサンは普通にかっこいいかもしれないが大人になったジュンサンへの魅力が一才分からなくて、よく母さんに「超きもいじゃん、好きになる意味が分からない」とdisっていた。ドラマの内容も全然面白くなくてなんでこんなに母ちゃん世代のおばさま方に人気を得ているのか本気で理解が出来なかった。
数日前急に冬ソナの存在を思い出したんだ。今なら自分も大人になったし子供だった頃には分からなかったドラマの内容も理解できるのかな、見ているうちにヨン様の魅力も分かるのかなと気になって再生したのよ。
高校時代のエピソードまでは結構おもしろいかも?と思って見てた。だけどその後が全部無理。気持ち悪い。なんで好きだった人いたのに片想いされてた男と中出しセックスしたん?そのくせして産まれてきた子供は好きだった男と出来た子と思い込んで育てたっていうのが1番キモい。理解が出来ない。リアルに吐き気した。
サンヒョクもストーカー気質だしモラハラだし終始キモい。脇役は結構いい味出してて好感持てるキャラだけど主要人物は全員キモい。
途中で見るのやめようと思ったけど最後まで見たらなんか変わるかなと思ったけど全く面白くない。時間の無駄すぎて最後まで見たの後悔してる。
タイトルでも言ったけどなんでこんなんが流行ったの?なんで母ちゃんどハマりしてたの?
何も分かってないなあ・・・
連載中であるかどうかなんて読者にはどうでもいいんだよ。
現役の音楽はビートルズと比較されるし、JPRGはFF6と比較されるんだよ。
ホワルバ2や冬ソナみたいな伝説的作品と比較された上で「人類史上何番目」を評価されるわけ。
もちろんコレは古典作品もまた「当時はすごかった」という下駄を履かされた評価なんて誰も認めないってことね。
時代によって合う合わないで再評価されることもあれば、時代が合わなくなってまた評価が下がることだってある。
ファッションと同じなのよ。
「明日、渋谷にその服を着ていったらダサイか?」こそが評価の絶対的な基準であり、「昭和の頃はこの格好が流行っていた」なんてのは今や何の価値もないわけ。
勘違いしないように一応言っておくけど、リバイバルファッションみたいな「今の時代には昔はやったこの格好が合いそう」はアリだからね。
そういう観点で言わせてもらうが、君の挙げた作品は「人類史上で描かれた全てのラブコメを、今時の人間に読ませたときのランキングで上から5位まで」になってはないよね。
それは「現環境で最強」とは言わないの。
映画もだしそうじゃないのも。
でも実車の方は邦画が評価されているのは見てもドラマが褒められているの見たことねえなって。
冬ソナが日本のドラマのパクリだーってイキってたキモい時期はあった気がするけど、結局あれだって昔からある王道ドラマが流行する時期がどの国にもあるってだけだと思うわけ。
邦画が賞を取ることが今でもあるのは知ってるけど、基本的にはクロサワの時代が過去の栄光で飛び道具以外は箸にも棒にもかからない感じよな。
まあアニメも世界的な賞を取れるのはジブリぐらいだけど、テレビアニメも草の根的な評価は普通に受けているし、映画テレビ問わずにドラゴンボールや鬼滅は世界中のガキからジジイまで楽しまれている。
邦ドラにそういうのってあるの?
俺が聞いたことないだけかな?
洋ドラは日本でも一時期めっちゃ流行って色々言われてるじゃん。
やれゲーム・オブ・スローンズが面白いだの、最近のゲーム・オブ・スローンズはクソだの、半分だけ見て残りは原作でいいだの、もう原作も読まなくていいから面白い時期だけ2回見ろだの。
日本のコンテンツ産業の中でドラマって相当レベル低いよなやっぱ
お笑い・アニメ・漫画・小説・ポップ音楽・クラシック・ゲームといった他の産業と比較してもダントツにしょーもないと思う。
ごくごくたまに映画がチラっと評価されることはあってもテレビドラマが評価されているのなんてもう完全に見かけない。
ずっと昔に冬ソナが流行って「昔の日本のドラマのパクリだね」とキャッキャッしてたけど、その頃にはもう日本のドラマはズブズブに腐り果てて半沢直樹みたいなとりあえず叫んでいれば名台詞扱いで受けるような作品が人気の超低IQ向けの産業に成り果てた。
テレビ業界が頭の悪い人向けの番組を安く仕上げて適当に流すのに慣れきるのに合わせて、テレビで放映されるドラマもドンドン酷くなっていく一方だったよ。
アニメはまだ海外に輸出するっていう意識があったから国外でも通用するようなコンテンツを作ろうとしてたけど(つうかまあ日本のオタクの財布の総量がアニメ業界を支えるには弱すぎたんだけど)、ドラマ業界は芸能事務所とズブってそこから金を引っ張ることを選んで内に閉じてった。
そんで見事に駄目駄目になったドラマをだらだらと見続けてハードルの下がりまくった視聴者が「虎に翼は伝説的なドラマになる」とか抜かしてるわけですよ?
えー嘘だーと思っちゃうね。
アレもよくよく歌詞を聞いてみれば「朝ドラとか見てるやつって結局恋愛脳なんだろ?女性の社会進出について語ってるようなドラマでも顔の良い俳優の色恋沙汰にしか興味ないんだろ?悲しいね。結局お前らは性欲まみれなんだね。男女平等とか言ってるけど、そもそもの根底に男か女かで世界を見てしまうのは、お前らが結局性欲でばかり世界を見てるからだよね。哀れだね」みたいなこと言ってめっちゃ煽られてるぞ?
・日本では霊感商法で悪名高い統一教会、でも韓国では政財界への影響力凄い
・合同結婚式の様子。日本の信者も4日前知り合った人と結婚。親の代から統一信者。
・中には英語話せないのにイギリス人女性と結婚することになった日本人も。「電子辞書で会話しますw」
・文鮮明(92)にスポット。反共思想がものすごいけど、北朝鮮との関係は深いよ
・統一教会系の企業が自動車会社「平和」を北朝鮮と合弁で作った。
・文鮮明の三男へのインタビュー「北朝鮮への支援は北朝鮮国民が将来奴隷的扱いを受けないようにするため」
・日本での活動について。日韓トンネル事業は統一教会の悲願。日韓ハイウェイ協会
・100億かけて九州で試掘しているが、お金が足りずストップしている。100億円は日本の70万人近くの信者の寄付。
・トンネル事業に福岡県も市も関わっておらず、統一教会独自の活動。
・霊感商法について、日本の統一教会支部の渉外担当にインタビュー「今では脅して金取ることやってない」
・しかし2009年にも裁判で統一教会が負けたばかり。やっぱり怪しい宗教だ・・・・
統一教会と日本の政治家との関係が一切出て来なかったので何だか消化不良…。日韓トンネル事業って国会議員が動いてなかったっけ?もう少しお金の流れについて知りたかった。
タイトルの通り。現在実家に帰省しているのだが、珍しく母が「なんか良いアニメとかない?」って聞いてきた。しかし俺は母が好みそうなアニメをあんまり知らなくて困っている。
母は韓流ドラマが好きだ。
うちの実家は四国の山中の田舎町にある。母は昔よく車で往復1時間くらいかけて、山のふもとの町にあるTSUTAYAで韓流ドラマのDVDを片っ端から借りてきて、休みの日にずっと見ていた。
そんな母を見て、俺は4、5年くらい前にAmazonのFire Stickを買ってきて、家のテレビでネトフリとアマプラを見られるようにした。もうわざわざ遠くのTSUTAYAに行く必要もなくなったから、母にとって革命だったらしい。
しかし最近、そこにある韓流ドラマはほぼ全て鑑賞し終わり、見たい韓流ドラマが枯渇してしまったという。本当に見るものがなくなって、最近はスマホでYouTubeやTikTokの動物動画ばかり見てる。ネトフリは特にアニメ作品がホーム画面に表示されることも多いが、ウチの母にはあんまりハマらないらしい。俺はアニメはその年の有名どころを1、2本かいつまんで見るだけだから、あんまり詳しくない。
母からは「面白いアニメはないか?」と聞かれているが、実際はドラマでも良いと思う。とにかく、ネトフリやアマプラで観られる、母がハマりそうな作品を探している。ここなら有識者(?)が多いだろうから、もし詳しい人が見ているなら教えてもらえるとありがたい。
少し長くなるけど、ウチの母の好みをざっと書いておく。
ウチの母は田舎の病院に勤める看護師だ。普段から、大けがして血だらけで運ばれてくる人の手当とか、終末期になってもだれも看取りにこない老人の世話とかしてる。だからアニメといっても、残酷な描写が多いやつはNGだ。流行りの進撃の巨人や鬼滅がネトフリのトップに上がってても、母は「見ててつらい」って言ってる。
当たり前だが、看護師のシフトは交代制で夜勤もある。夜勤明けの母はヘロヘロになって帰ってくる。だからストーリーが難解だったり、特殊な教養が必要な作品は「何言ってるか分からん」って言って視聴をすぐに止める。少し疲れてる脳みそで見ても分かりやすいストーリーだとありがたい。
母は趣味嗜好はいたって普通の50代後半の女性だから、女の子よりイケメンを頼む。
これはなぜかは分からない。例えば、実家でBig Bang Theoryを観ていて、父や弟たちはゲラゲラ笑っていたものの、母は「ノリについていけない」と言って視聴拒否していた。
母は冬ソナで韓流にハマった人なので、最近流行りのイカゲームとかじゃなくて、時代劇の純愛モノがとにかく好き。トンイとか太陽を抱く月とか。
なぜだか分からないが、母が好きなアニメは犬夜叉。これは俺が小学生の時に家族で一緒に見ていたからだと思う。そして最近母がネトフリで唯一ハマったアニメはうしおととら。「なんか犬夜叉っぽい」と言いながら、最終回まで完走した。
増田に投稿するのは初めてだけど、普段離れて暮らす母にしてあげられることは少ないし、こういうときくらいちょっとは役に立つ息子でありたいから、もし何か良い作品を知ってたら教えてくれないだろうか。
追記:
たった一日でこれだけ反応があってちょっとびびった。みんな本当にありがとう。とりあえず母には爽やかスポーツ系(ハイキュー!!、弱虫ペダルとか)と少女マンガ系(夏目友人帳、ちはやふるとか)から2、3選んで薦めておきます。半妖の夜叉姫のことすっかり忘れてたから、それは激推ししておくわ。ネトフリでこういう作品をいくつか見たら、あとは母の好みに合う作品をネトフリが勝手にオススメしてくれるから、それに任せようと思う。
あと俺自身は酒飲みながら電脳コイルを見て号泣した人間だから、地球外少年少女には結構期待してる。みんながオススメしてくれた中にも気になったものがいくつかあるからちゃんと見ておくよ。
私が料理を始めたきっかけは、母親の料理がまずいと感じたからだ。
大人になった今は、母親と味の好みが合わないというだけで、母親の料理がまずかったわけじゃないと思うのだが、当時はそれが分からず「まずいから自分で作りたい」と言ったら、母親が激怒してしまった。「お前の分はもう作らない!」と宣告されたので、それから自分で作るようになったのがきっかけだ。
作り方が分からなかったので、テレビのきょうの料理のレシピをそれどおり作ってみたら、美味しい料理が魔法のようにできた。
「もっと美味しいものを食べたい」という欲が高まった私は、テレビで美味しそうなレシピが紹介されたらホームページをチェックし、レシピを作ってみた。特に美味しかったのは、当時フジテレビで土曜か日曜にやっていた、マツケンが出ているバラエティ番組のレシピだった。あれはたぶん、マツケンがプライベートで食べたお店(しかも高級な)の料理を自分で再現するのが趣味で、それを番組でやってくれたのだと思う。凝っているが、再現不可能まではいかず、わかりやすい解説で、どれも本当に美味しい、素晴らしい企画だった。高級料理系としては、当時スマスマのビストロスマップもあったが、あれは完全にプロの料理だったので、食材も手法も再現不可能だった。
このころ、私の味覚は決まったと思われる。以下は今でもこの人なら何食べても美味い料理人(をする人)だけど、年代が当時に集中してる。そして「きょうの料理」率高め。
・松平健(なんでも)
・笠原 将弘(和食中心)
本当は、韓国の高級料理にも興味あったんだよなぁ。冬ソナ全盛時代で、セブンイレブンのヨン様プロデュース弁当2000円が、中華と和食の間の味がして面白くてさぁ…今からやってみようかな。
味覚が合わなかったレシピもあるけど、合わないって思った理由は、当時若かったせいもありめっちゃくだらなくて、味付けが脂っこくて濃いと清潔感がなくてムリと思ったし、調味料がマヨネーズ、ポン酢、バター、柚子胡椒の人もダメ、和食なのに洋食の調味料を混ぜる人もイヤだった。
一時期良く見ていた。
アニメとかもそう。自分にはないテンション、キャラでとても新鮮に見えるのだ。
キャラの喜怒哀楽がハッキリしているし、子どものように怒ったり泣いたりする。
近くにいたら面倒だろうとは思うものの、遠巻きに見るのはとても楽しい。
それがドラマとなっているのだ。人の不幸は蜜の味。楽しいと思えるだろう。
1番面白いと思うのは、大体の韓国ドラマで「記憶喪失」になること。
お涙頂戴には必ず必要な記憶喪失ネタ。冬ソナも序盤で記憶喪失になったような気がする。
男を好きになって良いのか?みたいな葛藤と、でも好き!という感じがたまらないらしい。
需要があるかどうかは微妙な所だなぁ。AKB49とかそんな感じの内容だったよね。
試しに気になった人は、韓国ドラマ見てみてね。
『愛の不時着』が界隈でスゴイことになっている感じ。特に女性の間での共感が
ハンパない。だいたい20代~40代くらい?『冬のソナタ』よりは若干年齢層は
もちろん、全話見ました。で、感じたのは、物語の筋はめちゃくちゃベタな
恋愛話。
惹かれ合ってはならないとロジックとしては分かっている男女が
感情的には惹かれ合わずにいられない状況になり、ジレンマに陥る様相が
ひたすら最終話まで続くという展開。
つまり、
交わってはならない社会環境の中に放り込まれたソウルメイトの話。
この社会的断絶というのが今回の場合は国家的なイデオロギーの対立に
基づくという点がカギ。これは、さすがに現代日本が舞台では絶対に作れない。
台湾と大陸は可能かもしれないが、分断という意味では距離が離れているし
香港と大陸だと、一国二制度(今後は分からんが)なので、分断という
わけでは無い。
ここまで環境が特殊だと、ストーリーテリングが王道でも斬新に感じる
という点が多くの人の共感を生んだのでは?
ただ、こういったストーリーテリングがなぜこうにも女性のみが共感するのかは
『ベルサイユのばら』も一部はそうかも。
『ロミオとジュリエット』あたりが、元祖?ただ本作は女性のみに支持されている
わけではないか。