はてなキーワード: シュートとは
オレオレFCはアウェーでサンフレッチェ広島に0-1で敗れて、今季初黒星を喫した。後半7分、FWジャーメイン良のシュートがDFに当たってコースが変わる不運な失点を喫すると、攻撃陣もシュート僅か6本で開幕2試合連続無得点に終わった。
優勝候補相手に厳しい現実を突きつけられた。開幕2試合連続の無得点で今季初黒星。イレブンはスタンドのサポーターに深々と頭を下げた。試合後、MF鈴木潤主将は「完敗ですね」と声を落とし、加藤宗平監督も「スコア以上の完敗。良いゲームができた、惜しかったという内容じゃない。自分達が準備してきたものを出し切れなかった」と悔しさを口にした。
1―1で引き分けた開幕・神戸戦(15日)からDF石川を今季初スタメンで起用し、広島と同じ3バックで臨んだ。序盤からボールは握ったが、効果的な攻め手がなく、FWギラン・サントス、鈴木潤が孤立。選手交代も効果はなく、シュート僅か6本に終わるなど、広島との完成度の差が如実に表れた。MF瀬尾は「距離感が遠く、修正出来なかった。もっと冷静な試合運びが必要だったと思う」と課題を口にした。
次節は26日に中3日で浦和レッズとのホーム開幕戦。3月1日の町田ゼルビア戦とホーム連戦となる。指揮官は「結果を受け止めて、浦和戦に向かう」。鈴木潤も「ホームでやり返したい」と力を込めた。
だからほっといても円高になるって言っいたじゃん、不況になれば超円高、これは序章に過ぎない。
2021年と比較するとドル円は46%変動したが、他国通貨に対しては10-20%の変動幅に収まる。つまり異常なドルが正常化すれば2021年比+10-20%程度、1ドル114-125円あたりまでは勝手に戻るというだけの話。
嫁が投資信託やってるんだが円安!と騒がれてる時に担当者が「ああ大丈夫ですよ、すぐ元に戻りますから心配しないで放っておいてください」と笑いながら断言してたが、やっぱああいう大企業はスゲえなあとつくづく。
ドル高円安の本質は、米国が高インフレの制御に手こずっていたことだが、日本国内では極論に基づいて円安を懸念する論者やメディアの声が強まり、円安が自己実現的に進んでオーバーシュート、そして収束した。
FRBが早ければ年内にも利上げを停止する(予想ほど米金利が上がらない)というのが大きい。というか春先からの円安に狼狽していたメディア(特に朝日、毎日、東京新聞)は扇動を目的に報道しているのか?
この円安が、金利差と戦争による一過性のものでしかないのは解りきってたことじゃん。俺は常にそう書いてきた。日本の国力がー!とかほざいてたバカ共は、今度は円高で国内産業が!と真逆の主張始めるんだろ?
32年ぶりの円安と大騒ぎしていたidはこういう時どこに行ってるんだろうな…ほとんどがアベガーだけど。
スピリチュアル厨は「望んだことが起こる!引き寄せ!」と発狂しているが、そもそも「望んだことが必ずしも起こらない」ということに、制御工学的な意味があるのではないか
「望みの即時実現は非現実的」という認識は、制御工学の不確実性概念に通じる
完全予測不可能な状況下で、目標と現実のギャップがフィードバック制御を機能させ、システムの安定性を保つ
予期せぬ外乱への適応や、不完全結果による継続的改善も促進される
願望の即時非実現が努力・学習機会を生み、不確実性対処能力向上が社会のレジリエンスを高める
制御工学的視点では、「望みの非即時実現」はシステムの安定性・適応性・継続的改善を促す重要要素であり、単純な「引き寄せ」思考より現実世界の複雑性を適切に反映している
この主張をユダヤ教の視点から見ると、ある意味で深い共鳴を感じる部分がある
なぜなら、ユダヤ教も「願いが即座に叶うこと」よりも、「試練、努力、成長を通じて得られる結果」に重きを置くからである
「引き寄せの法則」は、強く願えば宇宙がその願いを叶えるという考え方だが、ユダヤ教はそのような「魔法的な思考」を支持しない
代わりに、ビトゥル(ביטול)という概念が大切にされ、これは、自分の意志を神の意志に「明け渡す」姿勢を意味する
祈り(תפילה - Tefillah)は大切だが、それは「欲しいものを手に入れる」ためではなく、神(HaShem)とのつながりを深め、自分をより良く成長させるために行うものである
この主張が述べている「願いがすぐに叶わないことがシステムの安定性や成長につながる」という考え方は、実はユダヤ教の教えとよく合致する
これは試練を意味し、アブラハムやヨセフが経験したように、人生の困難や遅延は人間の成長と信仰の深化のために与えられるとされる
例えば、モーセが約束の地に入れなかったことも、単なる罰ではなく、リーダーとしての成長や人間性の成熟を促す試練と見ることができる
ユダヤ教におけるエムナー(信仰)とは、「全てが計画通りに進む」と信じることではなく、むしろ、予測不能な状況でも神への信頼を持ち続けることが信仰の本質である
制御工学で言う「不確実性への適応力」は、ユダヤ教におけるイットカフヤ(התכפיה)、つまり自制と努力の精神に通じる
思い通りにならない現実をどう受け入れ、どう成長につなげるかが重要である
ユダヤ教では、ヒスハドシュート(革新・再生)の精神も大切である
新年(ロシュ・ハシャナ)やテシュバ(悔い改め)の概念は、理想と現実のギャップに気づき、それを改善するための内省と行動を促す
この点でも、制御工学の「継続的改善」という考え方と通じる部分が多い
この議論は、人間の成長、試練、努力、そして信仰というユダヤ教の核心的な価値観としっかりと響き合っている
ユダヤ教では、奇跡さえも、努力と信仰を通じて訪れるものとされている
だからこそ、単なる「引き寄せ」よりも、責任ある行動(Achrayut - אחריות)と神への信頼(Bitachon - ביטחון)が、人生における真の安定と成長をもたらす
オレオレFCは15日の開幕節でアウェーで2連覇中の神戸と対戦し、0―0で引き分けた。初陣を昨年王者からの白星を挙げられなかった加藤宗平監督は「悔しいですね」と唇を噛み締めた。
後半37分にMF鈴木潤の左CKがクロスバーに弾かれたが、こぼれ球をFWギラン・サントスが押し込み、先制点……かと思われたが、VARで直前のハンドで取り消された。シュート14本打ちながら無得点に鈴木潤主将は「今日みたいな試合を勝ちに繋げないと」と唇をかんだ。
2年連続の開幕戦白星スタートとはならなかったが、明るい材料もあった。昨年リーグワースト84失点と苦しんだ守備は無失点。GK小林の好セーブや激しいプレスでボールを奪ってチャンスを構築するなど、今季目指す攻撃スタイルを昨年王者に見せた。加藤監督は「悲観する内容ではなかった。奪うことはできていたので、決めることが課題。シュートの質を高めていきたいと思います」と振り返った。
次節は22日、アウェーで昨年2位のサンフレッチェ広島と対戦。昨年王者との対戦から得た教訓を糧に新生ロイブル軍団が再出発した。
○…初の開幕スタメンとなったMF内田が神戸戦で、才能の片鱗を見せつけた。トップ下で先発に大抜てきされると、前半から得意のドリブルで果敢に仕掛け、後半17分までピッチに立ち、3本のシュートを記録した。それでも本人は「勝てなかったし、勝たせる仕事も出来なかった」と厳しかった。
同学年のDF山田、MF小川も後半28分からデビュー。加藤監督は「3人とも実力で勝ち取ったからね。良さもあったので、今後に生かして欲しい」と期待。内田は「山田や小川のデビューは刺激になる。次もスタメンなら勝たせるプレーを」と貢献を誓った。
やっぱ自分が一番好きな曲なのかな?
でもそれを自分の技名につけるか?
どういうテンションなの?
もし俺に能力が身についたとして「名前が無いと不便だな……今からコイツを『Gymnopedie No.1』と呼ぶことにしよう」ってなるか?
まあ俺はかめはめ波も出せたこと無いからそういう感覚自体がわからねえんだけどさあ。
スポーツとかやってたら必殺シュートに『Gの閃光』とかつけたてのか?
でもなんか嫌じゃないから作戦会議中に「お前がここで『バンバード』を仕掛ける。そこからワンテンポ置いて俺の『ブルー・ホライゾン』でいこう」とか口にするのか?
学生時代はゲームプログラミング組んだりゲームやってただけだからそういう会話するようなシチュを知らねえだけなのかな。
どういうノリなの本当に?
二十代の頃から、焼酎のソーダ割が好きです。そこに梅干しをシュートして、潰して飲むのが至高です。
しかし……若い頃はどの梅干しがいいのか全然わからず、コンビニやスーパーで買った既製品の梅干しを使っていました。
そんな梅干しがおいしいはずがなく、せっかくソーダ割を作っても、数時間後には梅干しの化学成分が溶け出して凄まじいマズさに変化します。
もういい年齢になるので、梅干しはどの会社のどの銘柄がいいとかわかるのですが、若い人にとっては厳しいのでは……と感じて日記を書きました。
ダイレクトマーケティングになりますが、梅干しは……Amazonだと、うめ海鮮の紀州南高梅がいいです。できれば5月~6月に買いましょう。昔ながらの通信販売会社だと『熊平の梅』になります。製品ブランドだと『しらら』といったところでしょうか。
卯月氏がブコメで個人情報の一部を公開されたのには驚きました。
仕事において、人格と能力のどちらが大事なのか? が気になりました。皆さまのご意見をうかがいたいと思いました。今では、どちらも欠かしてはならぬ両輪であり、比較自体が間違っているというものです。
日系企業の場合は、人格や人柄がいいと、能力不足でも生き残りやすいのは確かです。職場に居るだけで周囲にいい影響を与える、というのが理由です。
モデル人物や解説などを期待していた方、誠に申し訳ございません。
自分のことを取り上げました。
さりとて栄養を摂る必要があったため、朝一番でスーパーに行きました。体はだるく、何を買おうか相当迷ったのですが、お刺身&うどんを買いました。
それが……いつも食べている夜の割引ものと比べると、比較にならないレベルでした。凄まじい旨さです。
この時の感動を日記にしたいと思って筆を取りました。
熱はありましたが、布団の中でスマホをポチポチとやって投稿しました。
こちらはけっこう重たいです。
私が未成年の頃にあった出来事です。京都市の北の方にある実家に住んでいたのですが、近くのコンビニに寄っては立ち読みをしていました。
しかし、ある日の夜……私の隣の立ち読み客に、警察官が声を掛けたのです! 最初は「私かな?」と思って大変驚きました。
そのうち、そのお客さんですが……店内で職務質問をされて、パトカーに連れて行かれて、また店内に戻って、最後は店長らしき人から出入り禁止を告げられていました。
その時、下世話にも私は、最後まで状況が知りたくて聞き耳を立てていたのです。
日記の内容は、概ねそんなところです。
未成年ながらに、世の中にはいろんな人がいるものだと感じました(小並感)
昔ガラケーがあったと思います。通信速度は今より遅めで、世代に言うと2Gでしょうか。
まだ大学生~若手社会人だった当時、いろんなブロガーの日記を読み漁っていました。この投稿時は、それらの思い出をどうにかして絞り出し、好きだった書き手を紹介しようと思いました。
若かりし日の自分が好きだったブロガーでも、年月を経るごとに作風が変わっていき、段々と様子がおかしくなり、仕舞いには引退してしまいます。
または、自分自身が年を経るごとに成長しすぎた問題も出てきます。
子どもの頃に見ていたアニメ・漫画を今読むと違う感動があるといった具合で、自分が社会に出て成長したことで、好きだったブログの価値観を卒業(超越)している、ということがあります。
当時よく読んでいたブログの作者様一人ひとりに対し、感謝(ブログの供養)の念を込めて日記を書きました。
いきなり余談ですが、私の投稿日時が偏っているのは理由があります。
例えば偶数月に日記を作り、奇数月に投稿するルールを採用している年だと、このように特定の月に投稿が偏ることになります。
さて、こちらの日記ですが、私はこれまで数多くの官公庁を廻ってきました。
国家も地方も、役場の文化はある程度わかります。この日記は、そのうちの出向制度について思ったことを書きました。
私が役場を退職する前年のことです。ある1人の同期職員が退職しました。総務省に長年出向していた職員です。
普通、国機関への出向というのは1~2年ですが、彼は4年目を迎えようとしていました。
地方自治体→国への出向というのは形式上は立派かもしれませんが、実態は違います。
国機関の中でも、総務省や厚生労働省、文部科学省その他の忙しい省庁の場合、地方自治体の出向者のことを、無料で使える臨時職員として見ています。霞が関では、長時間労働でストレスのある日々を送ることになります。
詳しくは日記をお読みくださいとしか言えないのですが、地方自治体の方も、自分達がそのように利用されていることを知ってか知らずか――あえて不要な職員を送り出して、長期働かせるようなことをしています。派遣職員について、能力は普通以上で、性格や人柄に難がある人が多いです。
「別に辞めてくれてもいいよ、東京なら職がいっぱいあるでしょう」みたいな感じです。
本当に大事な職員は、1年間しか霞が関に送りません。長くても2年が限度です。または、2年間に分けて4人(半年×4)といったペースで送り出します。
「不毛だな」と、当時30過ぎだった頃の私は悲哀を感じました。日記で取り上げられている彼は、本当に不憫でした。
学生時代は、多くのアルバイトをこなしていました。最終的には2つまで絞ったのですが、そのうちのひとつがマクドナルドです。
繁華街のマクドだったので、多様な学生が働いてました。日記に出てくる彼は、私のアルバイト仲間です。年齢は一緒で、学年は彼が一つ下でした。
京都大学法学部に籍を置いていたのですが……いわゆる発達障害というものでした。2000年代前半にその概念は流行っていません。早くても数年後です。
エピソードには事欠かないのですが……彼の名誉のためにやめておきます。
彼は、人間関係では苦労することが多かったのですが、一生懸命に働いていました。私も彼を応援していた1人です。
京都銀行の内定をもらったと聞いた時は、彼に居酒屋で御馳走してあげました。数年後に先斗町でばったり会って、「やめたんだ……」と聞いた時も、やはりレストランで御馳走してあげました。
彼の話を聞いているうち、私の方まで悲しくなってきました。彼の幸せを今でも願っています。願うことしかできないのですが。またどこかで会ったら、食事か飲みに行きたいです。
あの頃は、本当に懐かしい思い出です。彼は頑張り屋です。きっといい就職先が見つかっていると信じています。
『監獄の誕生』という書籍を読むことがありました。ミシェル・フーコーのいわゆる名著です。
読了後に、それらの概念をテーマにした日記を書いてみようと思い立ちました。
内容的には、世の中の残酷な仕組みを取り上げつつ、『監獄の誕生』に出てくる場面で結論にもっていくという流れです。
実際、世の中のルールに従うか逆らうかは、当人に委ねられています。
学校教育では、社会についての基礎基本を教わりはします。しかし、それらを受け入れるかどうかは、あくまで自分で決めないといけません。
私が思うに、成熟した社会というのは、法律に反することまで含めて織り込んでいるのではないかと感じます。
法律や常識に反するのは、よくないことかもしれません。しかし、無秩序もまた秩序のひとつなのでは? と、日記を書いている最中に感じたのです。
ルールに反する行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定のひとつにほかなりません。そんな考えを抱いている時点で、私が公務員に向いていなかったのは間違いありません笑
(最後に)
これで終わりです。
ここまでお読みいただいたあなたには、心の中で感謝のスターを上程いたします。
またお会いすることがありましたら、その時は何卒よろしくお願いします。
来年の幸運を願って、20:20(午後8時)に投稿します。余りの20分はスルーしてください…
角川春樹78歳、子どもは7歳、ボクシングは週2 超人的能力に「俺は一体何者なんだ」 林真理子
角川:...ry...ただ、コロナに関しては、話すと長いから結論だけ言うと、前に林君も行った明日香宮(北軽井沢)で、...ry...3回神事をやって、5月7日に終息させてしまったんだ。
角川:うん。それは確信を持ったね。コロナとセットになって、実は地震もあるんだ。
林:えっ、地震が来るんですか?(はあああああ?)
角川:...ry...これもとめなきゃいけない。だから今年は一年中働かされるなと思ってるんだ。
林:社長、よろしくお願いしますよ。ちょっと信じがたいお話ですけど。(こんな基○○に付き合ってらんねえ)
角川:勝手なことをマスコミだとか医者が言ってるけど、一つも当たってないわけだよね。オーバーシュートも都市封鎖も医療崩壊もなかった。それは、そうさせないために自分はやってきたと思ってるわけ。
林:ふーむ……。(どうすんのこれ....)
角川:自分で、俺は一体何者なんだろうと思う。...ry...自分が好きでもないのに、70億以上の人間が地球上にいる中で、自分だけがそういう能力を持ってしまった。一体なぜだろうと思う。「今年、オリンピックはない」ということは、1月の段階で社員に言ってたし。
林:ほぉ……。ところで、次回作はもう決まってるんですか。(はいはい、オジイちゃん次行きましょうね)
...ry...
角川:...ry...一時は剣術に行ったんだよね。2・5キロの木剣を3万3100回振るわけ。
林:月にですか。(まーた、与太話が始まったよ)
角川:いや、一日に。トイレに行くのとごはんを食べる以外は振りっ放しなんだ。3万3100回振るなんて、人間としてあり得ないんだよ。だから過去の剣術家と戦ったとしても負けるとは思えないし、いま現役の剣術家とか剣道家と戦って、負けるとはまったく思わないね。日本で最強の剣術家だと思う。
林:ゴルフとか、ふつうの趣味は持たないんですか。(クスリでもやっとんちゃうか?)
...ry...
角川:...ry...もう一つは「龍天に昇る映画といふ麻薬」。
林:ほォ~、麻薬ですか。(オイオイオイオイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ)
角川:映画とか小説は、私にとって麻薬だと思ってる。そこから離れられないというか。
2020年にコロナ収束してないし、2024年の能登地震は予測できんかったんか?
林真理子のスルー力がすごくて角川春樹の○タオカ発言をうまくかわしてるけど、日大アメフト問題でも最初からこういうスキルを発揮すればよかったのにね
オレオレFCは未消化分のアウェイで鹿島とスコアレスドロー。勝ち点を53に伸ばし、J1残留へ半歩前進した。前半から鹿島に支配され防戦一方だったが、右膝靭帯損傷から18試合ぶりに復帰したGK望月を中心に耐えしのいだ。8試合未勝利だが、9月21日磐田戦以来の無失点に収えた。次節、12月1日のアウェイ広島戦で引き分け以上なら7年連続のJ1残留が決まる可能性がある。
勝てなかったが、負けなかった。8試合未勝利だが、勝ち点1をつかみ、18位・大分との勝ち点差を6に広げた。試合後の多良初徳会長兼監督は「今は勝ち点1も大事なもの。ポジティブに受け止めたいと思います」と話した言葉には充実感も見えた。
前半から勝たなければ優勝が無くなる鹿島の圧力に押され、サンドバッグ状態で猛攻を許した。前半のシュート数は1―16。MF鈴木潤主将は「セカンドボール、寄せが早くて修正できずズルズルいってしまった。失点は時間の問題だと思った」と言うほどで、後半も立ち上がりから好き放題やられた。
それでも立ちはだかったのは18試合ぶりに復帰したGK望月だった。前半27分の樋口のシュート、後半のシュートを全てセーブした。チーム最年長の32歳は5月に右膝靭帯を損傷。全治半年と診断されながら、驚異の回復力で前節からベンチ入りし、今節から復帰した。「まだ感覚が戻ってない部分もある」というが、鹿島の中後雅喜監督代行は「今日は相手のGKにやられた」と言わしめるほどのパフォーマンス。鈴木潤主将も「今日は望月さんに助けられた」と感謝した。
勝ち点1は得たが、攻撃面ではシュート僅か3本に終わった。多良監督は守備陣の頑張りに「失点が多かっただけに、無失点は自信にしてほしい」としながらも「ポジショニングの悪さもあった。点を獲らないと勝てないので、課題として2週間で修正していきます」と話した。
残りは12月1日のアウェイ広島戦と最終節のホーム横浜FM戦(12月8日)のみ。オレオレFCは次節、勝利なら無条件で、引き分け以下でも大分、千葉、柏が引き分け以下なら、残留が決まる。GK望月は「これをスタンダードにしないといけない」。鈴木潤主将は「次は僕達が助ける番」と奮起を誓う。2週間でやれるだけの準備を整え、残り2試合に全力を尽くす。
◆オレオレFCの残留決定 勝ち点を53に伸ばしたオレオレFCの残留が12月1日の広島戦で決定するのは以下の3パターン。〈1〉オレオレFCが勝利〈2〉オレオレFCが引き分けで、大分、千葉、柏が引き分け以下。〈3〉オレオレFC敗戦。柏が22日、30日の2試合で勝ち点2以下、大分、千葉が引き分け以下。
これで行けないなんてことある?ってぐらい100%行けるだろと思ってたのに振られました。
サッカーで例えるならゴールど真ん前、ディフェンダーどころかゴールキーパーもいない絶好のシュートタイミングで外したみたいなもんです。割と納得がいきません。
元々は親友同士でした。留学先で知り合った男の子です。普通に友達になり、共通の友達もいたことからすごく仲良くなりました。
学校内でよくご飯を食べますし、寮のリビングで一緒に2人きりでくつろぐ事もあります。
知り合って一年程ですが意識し始めたのはここ数週間のことでした。
共通の友達と遊んでた時に、増田の理想の彼氏になるのも近いかも?と冗談を飛ばした彼に
帰り途中、友達俺らが付き合うんじゃないかって思ってたよね?って言ってきたので冗談混じりに付き合ってみる?と答えました。
冗談言うなってって流されたものの、こちらもまだ気持ちがハッキリしてなかったので冗談だよと言いました。
冷静に考えてみれば、半年前、彼に彼女ができたとき親友を取られるのが寂しくて嫌な気持ちになっていた事から多分薄らと好きだったんだと思います。これが自分の初恋でした。20うん年間人を好きになったことがなかったので
自分は人を好きになることができないアセクシャルなんじゃないかと思ってた矢先の初恋でした。
過去を振り返った時にもしかしてあの人のこと好きだったのかも?あの感情が好きってことなのかな?とか思ってたものですが全然違いました。
彼がどこにいてもすぐ見つけられますし、そばにいるとドキドキします。一緒にいたくて学校の中を探すようになりました。
自分には釣り合わないと思うほど彼はいい人です。優しいし頭がいいし趣味がたくさんあって一緒にいて楽しいです。子供のようなところもあって笑うと可愛いのに、車を直したり家具を修理したりするところは男らしいです。自分の気持ちに正直で思った事はまっすぐ伝えてくれます。悩んだ時いつも助けになってくれました。人を褒めるのも上手です。嬉しい時には笑い悲しい時には泣くそんな彼のことが本気で好きです。
友達との話の後に、距離が急激に縮まりました。指相撲をするのがお互いのルーティンなので良く手を握り合うのですがその頻度が増えたり、今まではさよならと慰めの時くらいしかしなかったバグの量が増えたり
何もなくとも肩をぐっと引き寄せられたり
ふざけて泣き真似をすると腕の中に閉じ込めてきたり背中を摩ったり、ひたすらくすぐってきたり、そう言う事を頻繁にしてくるようになりました。その頻度と質が毎日毎日エスカレートしていきました。
こっちも肩を組んだり寄っかかったり背中に触れたりと
まぁ言っちゃなんですが割といちゃついてたと思います。
おでこと鼻同士をくっつけてきました。いや友達ともした事ない距離!!!!
これは両片思いなのでは?って思っても仕方ないと思うんですよ。
彼はチャラチャラしたタイプではありません。遊ばれてるって事は絶対にありません。
騙されてるとかそう言うわけではなく、本当に誰とでも寝るとか女の子を落として遊ぶとかそう言うタイプの男ではありません。
ここまでイチャついてくるのは自分だけでしたし、彼は何かあるごとに、彼女が〜彼氏が〜ってに話を持ってきました。
とか
ある日、
と聞いてきたので
好きになって欲しい?と言ったところ
他の彼女のように君を失いたくないからいいかな。と言われました。
元々、恋人とかそう言うのに興味がなかった上にその話はしていたので向こうも関係を壊したくないんだろう。だからこう言う試し行動をするのかなと思ってました。
先日、ひたすら20分ほどくすぐられた後に
話の流れで
なに?俺に彼氏になって欲しいの?
って言ってきたので
なって欲しいよ。好きだよと伝えました。
そしたら、わからない。君を失いたくないから躊躇ってしまうと言われました。
最初はそのうち考えを出して恋人になってくれるんだろうと思ってポジティブに受け取ってたのですが
冷静に考えてみるとこれって体のいい断り文句ですよね。
じゃあ彼が別の女と付き合ったとして、
その女は失っていい存在なのかって言うと絶対違うじゃないですか。
え?これマジでフラれたんじゃね?って思って今更ながら大ショックを受けてます。
彼の初めての彼女もその次の彼女のことも知っていますし別れた時は彼のことを慰めたり相談に乗ったりしていました。そう言う彼なのでセフレにしようだとかそう言う事は絶対にありえないです。
2人で会って
いつも通りふざけて殴りかかるフリしたら
なにー。俺が君の好きな人だからパンチするの?昨日は告白してきたのにー
的な感じでチャカされたんです。いや、行けると思いません?ちょうどお互い忙しい時期でとある発表会が近かったのでそれ終わったら好きって言ってくれるかなとか思って楽天的だったんですけど
これ完全にフラれてますよね。
え?こんな状況でフラれることあります?いやフラれてるんですけど。多分
私が避けなければ。好きなので今までと同じ距離感でいたいとは思います。男として好きな以前に親友として大好きなので。
でも、これで彼に彼女ができたら受け入れられる気がしません。友達ではいたいんです。でも、好きにもなって欲しいんです。
でもそれが無理ならこの気持ちを忘れたいと思うんです。
好きだって言ったけど、この関係が壊れるのは嫌だ。気持ちに答えてくれなくてもいいから友達ではいたい。明日から避けないで欲しいと言ったのは自分ですし、その責任は取りたいと思っています。親友を失いたくないですし。
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
関西弁に書き換えてみた。
ほな、行くで~!
おつかれさん!
ESってほんま大変やんな~!
わいから見たらな、ちょっと考えすぎちゃうか?wwwって思うねん。
会社が欲しがってる人材って、言うたら自我のないロボットやねん。
そのロボットに、自己PRで自我出せって言うてくるの、不思議すぎひん?
これ、罠やで。
たとえばな、ナオン(女の子)を口説くときに、「俺、下心ありまくりやでwww」って言わへんやろ?
下心ないやつは、下心あるともないとも言わへんもんや。
でもな、あんまり大人しすぎるとヌイペニ現象(空気読めへん感じ)になるから、微妙なバランスが大事やねん。
あるかないかって言うたら、ギリギリない方に近い「あり」を見せるねん。
ほんでやな、ホテル行ったら「ありよりのあり」を求められるやろ?
ほんまに自我のないロボットみたいなやつは、なぜか採用されへん!
せやけど、自我マシマシでクリエイティブの獣みたいなんも、採用されへん!
出題者の意図を汲み取って、先回りして答える、これがコツや。
2割は自分を出すねん。
ちなみに、2割自我出そうとしたら、せいぜい1割しか入らんねんけどな。
それでええねん!
とりあえず提出してまえ!
読むほうも毎日ES読みすぎて壊れかけとるから、評価基準なんか揺れまくっとるんや。
その上振れしたとこに、自我1割を入れたらどうなる?
2割に見えるねん!!
動いた先に先回りしてシュートや!
これが極意やねん。
「いやいや、ゴールがどっちに動くか分からんやん」って思うやろ?
その通りや。
上下左右どっちにブレるか分からんゴールポストやけど、ブレ方にはパターンがあるんやで。
それは、しっちゃかめっちゃかにブレるっちゅうことや!
そのしっちゃかめっちゃかを集計したら、ガウス分布になるねん。
これ、分かるか?
つまり、こっちがどう頑張っても完全にコントロールできんっちゅうことや!
飛び込み営業行ったら、たまたまムード最悪で追い払われるとか。
そういうときどうする?諦めるんか?
否!!!
撃ちまくれ!!!
これやねん。
どこにゴールがあるか分からんかったら、撃ちようもないけど、自己PRに2割自我を入れるってのが分かってたら、ゴールは見えたんや!
あとは、その方向に撃ちまくればええだけや!
そしたら、運が向いてきたら勝ちやで。
絶対に勝てるで!
切り替えていかんと落ちるで。
でもええねん。切り替えさえすれば、問題を「分かってる」ことを示せたらそれでええんや。
自我2割以上ならなんでもええねん!
近所の神社に行って、手水の作法から二拍一礼一拍まで覚えて、「なんかいけそう」な気分を手に入れるんが一丁目一番地や。
グッドラックやで~!