はてなキーワード: 2010年とは
そろそろ折り返し時期なので自分用にメモ。今回も多いので3つに分けてる
星は個人的な好みを表したもの(私の好みであって作品への評価ではない 出来が凄いんだろうなあという作品も、自分が好きではなかったら星は少ない)テレビ放送中心。
好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。
声優とかアニメ制作会社とかよく知らないので間違ったこと書いてたらごめんなさい。
今回のアニメは「2倍2倍!」「飛びます飛びます」「ヒューヒューだぞー」など、見てる人のほとんどが分からんだろってくらい古いネタが使われてる気がする。
追記:好きを示す星は4段階。感覚的なものなので話が進むにつれてコロコロ変わることがあります。環境によっては☆も⭐️も⭐️に見えるのね 後で変更しておきます
スイカももう立派な科学者なんだよ。と、まだ前のシーズンのスイカの話をひきずって涙してる自分がいる。
巨大なラスボスはいるが、普通の敵はもういないので結構安心して見れる。
OPはASIAN KUNG-FU GENERATION。EDはBURNOUT SYNDROMES、やっぱりDr.STONEといえばこの人たちやね
SAIが加わったことで28話でEDが少し変わり、日本メンバーと合流した30話でまた変わる。
名前の通り、「嘘をつく力」と「嘘を見抜く力」で勝ち残っていくゲーム
実写ドラマや映画は戸田恵梨香と松田翔太で製作されており、韓国でもドラマ化されている人気作。
騙し、騙されで1億、10億と巨額のお金が動く展開に「おー、すげー」と感心していたところに、最近「はてな11億詐欺事件」の報道が飛び込んできて、現実に似たようなことが起こったもんだから戸惑っている自分がいる。
過去に大きな事故に遭い、一度死んだはずの菜花。家では謎の「物体X」を飲まされる変な日常を過ごしていた。
ある日、事故現場近くの商店街で妖怪だらけの世界に紛れ込んでしまう。
妖怪に襲われる菜花を助けたのは、刀を携えた若い男性・摩緒(マオ)だった。
女子高生と別世界の人間という関係性は、まさに『犬夜叉』のようなワールド。
ゲームが原作。メンタルがヘラってたり、OD・リスカをする子、そして狂信的なファンがつくほどの「超てんちゃん」というネットアイドルがいたり。
90年代のエヴァや、2000年代の物語シリーズのように、精神病者の精神描写の演出が過多、故に人を選ぶ作品だと思う。
私は嫌いじゃないけど好きじゃないよ。
あめちゃんがいかにして超てんちゃんになるかは3話で語られるが、まあ酷い過去ではあるけれど、よく見るやつなので。もっとこう、あそこまで神格化されるほどぶっとんだキャラになるのであれば、それと反比例するくらい重いのが欲しかった。
超てんちゃんのCVはクレジットに明記されていない、が、22/7の天城サリーかな。ナレーションはピエール瀧
OPは超てんちゃん、EDはキタニタツヤ。5話のEDは特殊な構成。
1年ぶり4期。どうやって終わったんだっけ。なんやすごい強敵揃いで大変な戦いだったのと「強欲」レグルスが最悪なやつだったことしか覚えてない。
ジャージではなくなったスバル。レム睡眠を救い出すことはできるのだろうか。
これからお付き合いくださる皆様
OPは鈴木このみ feat. Ashnikko、EDはMYTH & ROID feat. TK(凛として時雨)相変わらず流れる回数少ないけど
憧れの父が破門され、父から「落語」を奪われた。あかねは父の無念を晴らすべく、落語家として真打を目指す。
この作品が週刊少年ジャンプで連載開始した時、普段漫画を読まない私の耳にも「なんかスゴイのが始まった」と聞いた覚えがある。
単に女子高生が落語をするだけじゃなく、落語の世界そのものを描きつつ、そこに「友情・努力・勝利」の成分もあることからの人気なのかな。
3話までの話を通じて、落語噺だけでなく、社会人として教訓も感じるところがある。
落語のアニメといえば『昭和元禄落語心中』や『じょしらく』がよく話に出るが、『うちの師匠はしっぽがない』もぜひ思い出して欲しい。
5分アニメ。淫獄団地。タイトルからヤバそうな団地の管理人が主人公。
団地に住む人妻の元にスマートブレイン社のファイズギアボックスみたいなケースが届き、
中に入った卑猥で異常な衣装「リビドークロス」を着用した人妻たちが狂気に堕ち、管理人や団地の人々を襲う。
何となく私は見ないやつだろうと思ったけど、バカバカしくて見ちゃう。
モデルのようにクールな外見だが、実は主人公と同じ趣味を持つギャル(天音さん)。主人公の前の席に座り、いつも優しく接してくれるノリの軽いギャル(伊地知さん)。
王道ラブコメ好きだわ〜・・いや私じゃ無くて妹がね、妹がね!?
同じ趣味の天音が有利そうに思えるけど、伊地知の人の良さや健気なところにも応援したくなる。くぅ〜
3年ぶりの2期。1期で付き合うことになり、2期は付き合ったことを公にする。
今期はOPの歌詞にあるとおり「ただの惚気話」、背景にあるネグレクトのトラウマを忘れそうなくらい、ひたすらイチャイチャする様子を見るのかな・・と思ったののだけど。 主人公の周(あまね)の過去と向き合ったり、親友の父親に関する悩み事も浮上するなど、やはり深い話も出てくる。
OPはオーイシマサヨシ、EDはJ-POPのカバーソングという構成で、1期と同じパターン。
ED曲はドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」、5話ではジッタリンジンの「夏祭り」。
舞台は東京の府中市だが、里帰りシーンで静岡も登場する。 座席は主人公席。
エロギャグコメディ。暴食の悪魔 カナン様と高校生男子の羊司くん、言動や行動の勘違いが続き、なんやかんやで恋人関係に。
カナン様が羊司より優位に立とうとするのだが、羊司が直球ど真ん中のストレートな言動を繰り返すため、いつも結局撃沈してしまう。
そんなカナン様の可愛さも魅力だけど、羊司がいい感じに変態なので成り立っているのだと思う。
いろいろとSNSで話題になっている気がするが、単なるアニメ視聴者の私が特別な話に食いついても良い事なさそうなのでスルーしてます。
内気なゲイの中村くんは、入学式で同じクラスの男性生徒「廣瀬」を見て恋に落ちる。
コミュ障な中村は廣瀬とお近づきになるため、まずは友達になろうとするのだが、どうしても空回りしてしまう。まあ、BLです。
絵柄は80年代〜90年代のサンデー漫画っぽいレトロな雰囲気だが、スマホやLINEがある現代。
2021年にオーディオドラマが発売されており、その時のCVは今作アニメとは異なる。が、アニメ劇中に登場するBL漫画「ラブ弁」で、オーディオドラマ版の中村と廣瀬が声を担当している。
OPは岡村靖幸&中島健人。EDはなんとも懐かしい曲が流れて……
1話は村下孝蔵『初恋』、2話はバブルガム・ブラザーズ『WON'T BE LONG』、3話は今夜はブギー・バック(smooth rap ver.)など、懐かしの曲がそのまま選曲されている。
伝説の殺し屋が謎の蜂に刺されて若返り、所属組織の提案で中学校生活を送ることになる話。見ていてラーメンが食べたくなる。
姿を変えた殺し屋を主人公にしたジャンプ漫画ということで『サカモトデイズ』を連想してしまうが、私はこっちの方が好きです。
中学2年の秋、ロシアから来た二足歩行で長身の……鳥?の「クジマ」に出会い、一緒に暮らすことになる。
厚かましい態度のUMAみたいなのがホームステイに来たような感じのアニメ……と昔の友人に説明したら、「それアルフじゃん」と言われた。あー
兄の受験失敗で家族全体がどこか暗い雰囲気になっていたところ、クジマがいい意味でそれを掻き乱し、明るくしていく物語。
アニメの中でいろんな種類の(普通の)鳥が登場するけど、どれも丁寧に描かれているのが印象的。
学校内でも学校を離れたプライベートでも友達がおらず、ぼっちだった主人公の前原くん。
同じB級映画好きということで、クラスで2番目に人気のある女の子、朝凪海と仲良くなる。
1番人気の天海夕と海は親友だが、そこにも内緒で海と前原は金曜日の放課後に共に時間を過ごすようになる。
灰原くんの〜と思ったらお隣の天使様に〜になっていくラブコメ。
歌で戦うから『戦姫絶唱シンフォギア』的なものかと思ったら、過去の偉人が登場して戦う展開になったりする。
偉人?今期の他のアニメでも同じような要素があったような。最終的にはミュージカルのように歌い合う形になる。
いやー、見続けるかどうしようかなーと思いながら見ていたら、4話のようなオモシロ回もあるので困る。
ある意味話題作。「福岡地域の活性化とともに食の大切さや料理の楽しさを子どもたちに伝えたい」というコンセプトで、
これまでショートアニメや4コママンガ、ライトノベルが展開されてきた同プロジェクトのアニメ化作品。
なお、アニメ・漫画化を目指してクラウドファンディングを実施したものの、目標額の27%しか集められなかった経緯がある。
そんなアニメとしての出来は……ストライクゾーンが広めな私でも「これは結構キツイ」と思うかな。
低予算感がEDのクレジットからひしひしと伝わってくる。皆さん、おそらく別ジャンルとして楽しんでいるんじゃないでしょうか。
クソゲーをあえて縛りプレイしたくなるような上級者の琴線に触れているのか(失礼)、
深夜遅い時間の放送にもかかわらず、リアルタイムのネット実況が結構ワイワイしています。
2部構成になっており、本編アニメ(15分)の後に食育アニメのミニコーナーが続く形式。普通に勉強になる。
地球が怪獣に襲われる世界。コミュ障で人付き合いは苦手だが、ロボット操作だけは天才的な主人公。
宇宙での怪獣戦に敗れ地球へ帰還したものの、そこは全土が凍結し雪と氷に覆われた「スノーボールアース」となっていた。
私はそこまで・・。怪獣8号も私には刺さらなかったのだけれど、こういうSF物は私の好みと相性が悪いのかも
ブラックな会社に勤めながら、家でアニメ鑑賞をして癒される日々を過ごすOLが主人公。
マンションの横でいつも壁ドンしてくる住人は、主人公が崇拝する漫画の漫画家だった。
反対側の隣さんはとても親切で、いつも主人公を心配してくれるイケメン男性。
この3人の家の壁が漫画家によって破壊され、ついに空間が繋がってしまう。
主人公は漫画家に食事を提供するメシスタントになり、親切なお隣さんは彼氏という設定を作り、彼女を守ろうとしてくれる。
こうしてむちゃくちゃな展開だけれど、お隣さん同士3人共同生活が始まる。
本来は昨年放送予定だったが、制作のクオリティ向上を目的に延期され、この時期での放送となった。
それもあってか、非常に高いクオリティを感じる。特に第5話は繰り返し見てしまった。
魔法に憧れる女の子、どうやったら魔法が使えるのか分からない彼女は、ある日家に来た魔法使いの術をこっそり盗み見。
それを参考に、昔お祭りで手に入れた道具を使って魔法を発動。・・しかし、それは、我が家と母を巻き込む大事件を招くことになる。
かわいい、かっこいい、きれいを両立させるビジュアルに、映画のようなドキドキとワクワクを感じさせてくれる。
突然、人が巨大な怪物「鬼獣」になり、それとニワトリが戦うという異色の作品。
なんだこれw EDも含めて昭和〜平成初期のアニメの香りを感じる。
クソが付くくらい真面目だが学力は底辺な男性高校生と、「ポエム」という自分の名前にコンプレックスを抱いている女子高生のお話。
校長も含め、この学校の人たちは個性的で好感が持てるキャラが多く、結構好き。
悪の組織のやつらは「懲役1466年」や「懲役999年」などのぶっとんだ量刑が飛び出したり、警察が来ても銃火器で蹴散らしたりと、かなりむちゃくちゃな展開。
トリックや推理は二の次で、リリテアがかわいいから見てるのかも。
児ポ法改正の攻防を、警察・弁護士・研究者から取材した。その経験から断言する。
2010年と今では、CSAM捜査の精度が、構造的に変わっている。
英国の「VTuber逮捕」拡散の件、ここで一度きちんと書いておく。
何が変わったか。
NCMEC(米国・行方不明児童搾取児童センター)、IWF(英国インターネット監視財団)、Project VIC等が運用する既知CSAM画像ハッシュデータベースは、2010年代を通じて飛躍的に拡充された。
アップロードや所持の段階で、実在児童の被害画像が機械的に特定される。
FATF勧告、Visa/Mastercardのアクワイアラー監督、決済プラットフォームのコンプライアンス強化により、CSAM販売・購入の金銭的痕跡の追跡精度が劇的に上がった。
Apple、Google、Meta、Microsoftがクラウド・送信トラフィックでハッシュ照合を実行する。
実在児童の被害画像の検出から始まり、その捜査の過程で、被疑者のデバイス全体が押収・解析される結果として、漫画やイラストも証拠物件に含まれる。
だが2010年頃に比べれば、「漫画一枚で恣意的に逮捕」という事案の発生確率は、構造的に大きく下がっている。
なぜなら、警察が大量のリソースを投じて家宅捜索・デバイス押収・国際法務手続きを動かすには、事前に蓄積された具体的・客観的な手がかりが必要だからだ。
匿名通報や個人の好みだけでは、現代の警察は動かない。動けない。
リソース不足、手続き厳格化、人権訴訟リスクが、それを許さない。
私が2011年頃に取材したスウェーデンのシモン・ルンドストロム事件——
漫画翻訳家が、元妻の「彼はペドファイルだ」という通報を受けたスウェーデン警察に家宅捜索され
実在児童被害の証拠が一切出なかったにもかかわらず、所持していた日本の漫画を理由に起訴・有罪判決を受けた。
最終的に最高裁で無罪になったが、スウェーデン司法の汚点として記録される事案だ。
当時、私はこの事件を「警察の捜査着手判断が甘かった」「個人的怨恨による通報を裏取りなく受理した」と批判的に取材した。
この種の冤罪パターンは、2010年代前半までは確かに存在した。
(a) 実在児童被害コンテンツの捜査の過程で、漫画類が同時に発見・押収された(「漫画が逮捕の理由」ではなく、「漫画も押収物に含まれていた」)
(b) 商業的・継続的な大量制作販売活動の全体が捜査対象となり、その内訳に漫画類が含まれていた
(c) 拡散ナラティブそのものが、当事者または周辺アクターによって意図的に「漫画一枚で逮捕」と縮減されている
Coroners and Justice Act 2009 Section 62の運用も同様だ。
過去判例(2011年・約3,000点、2018年・約2,000点以上、2024年・大量)を見れば
だから、海外発「漫画が理由で逮捕」のニュースは、まず疑うのが現代のジャーナリスティックな基本動作だ。
これが認知の歪みだ。
そして、認知の歪みを構造的に増幅する装置が、今回の英国VTuber事件で複数稼働した。
第二の波:元都議のKら拡散者による「英国規制ディストピア」フレームの増幅(5月1日)
第三の波:「友人」を名乗るアカウントによる保釈書類公開(5月3日)。
第四の波:Kiwi Farms系コミュニティによる「実は本人がペドファイル系作品の長年の支援者だった」という対抗ナラティブ(5月5日)
にもかかわらず、それぞれの波が押し寄せるたびに、私たちは「これで真実がわかった」と錯覚する。
ここで、今回の拡散の主役の一人について明確に書いておく。
これは私の主観的評価ではない。事実関係としてそう判定できる根拠がある。
1:今回の件で、信憑性が確定していない段階の話を「事実」として拡散した。
一次情報は本人の自己申告のみで、英国警察の公式声明も主流メディアの裏取り報道もなかった。
2:作品実態(toddlercon=幼児的キャラのポルノを継続販売していた事実)への言及を完全に欠落させ「自分が描いたイラストを所持していたという理由で」と中立化して提示した。
3:これが最も重要だが、過去、不正確な情報を流布している点を指摘したフォロワーをブロックすることで対応してきた。
私自身、複数回にわたって彼の発信の事実誤認を指摘した結果、ブロックされて現在に至る。
検証可能な事実誤認の指摘に対して、議論ではなくブロックで応じる発信者はジャーナリスティックな批判検証のサイクルから自らを切り離している。
元都議という肩書がその発信に権威を与えるなら、その権威は誤用されている。
私が8月刊行予定の新著では、こうした認知の戦場の構造を扱う。
CSAM捜査の現代的精度、国際金融規制との連動、プラットフォームのスキャン体制、これらを正確に踏まえずに、海外の表現規制を語ることはできない。
正確に踏まえないままの拡散は、表現の自由を守るどころか、規制推進派に弾薬を提供し
規制レジームを強化する自滅的フィードバックループを生む。
最後に書いておく。
X現アルゴリズムは、検証された情報も検証されていない情報も、エンゲージメント効率だけで等価に拡散する。
むしろ感情を煽る未検証情報の方が、慎重な検証記事より速く遠くへ届く。
「英国は北朝鮮」「独裁政治そのもの」というフレーズが80万ビューを獲得する。
だから、規制推進派に「表現の自由派は児童保護にすら反対する連中」という弾薬が無償で供給される。
これは敵失ではない。自殺点だ。
誰がフレームを作り、誰がそれを増幅し、誰が結果として規制レジームを強化するのか。
これって典型的なチェリーピッキングで2005年までの数字しか出してないのがせこいよな
2005年~2010年で非正規雇用が123万増えたというならその時の派遣社員の数も併記すべきだろう
派遣社員は2005年106万で2010年96万で減ってるけどこれ書いたら説得力なくなるもんな(ミスリードしようとしてるんはお前や)
2003年改正で製造業務への派遣解禁と、26業務以外の派遣受入期間の1年から最長3年への延長が行われました。
問題は“ゼロから作ったかどうか”ではなく、派遣を常用代替に使いやすくする方向へ制度をさらに押し広げたことにあります。厚労省の整理でも、2004年3月の製造業務派遣解禁後、2000年から2005年にかけて「労働者派遣事業所の派遣社員」は73万人増となっています。
製造業は日本の基幹産業で、景気変動時の雇用調整の圧力が強い部門です。そこに派遣を本格導入したことで、工場現場の雇用を、直接雇用より切りやすい形へ制度的に開いたことが重要なのであって、「全体の人数では非製造業のほうが多い」というのは、影響の質を無視したミスリードです。実際、リーマンショック時には製造業派遣切りが社会問題化し、その脆弱性が露呈しました。
制度改革の影響は、単純な頭数だけでは測れません。派遣法改正は、派遣社員そのものの増加だけでなく、企業に対して“正社員以外を使うことは当たり前だ”という制度的シグナルを与えました。厚労省の労働経済分析でも、2000年から2005年にかけて派遣社員が73万人増え、2005年から2010年にかけても非正規雇用は123万人増と整理されています。つまり派遣は非正規化の“唯一の原因”ではないにせよ、非正規化を押し広げた重要な制度要因の一つです。
これは、火事の出火点が一部屋だから「家全体の延焼原因ではない」と言っているようなものです。非正規化は、パート、アルバイト、契約、嘱託、派遣など複数の形態が積み重なって進みましたが、派遣規制緩和はその中で、企業が直接雇用責任を薄めながら人を使うことを正当化した象徴的政策でした。だから批判され続けているのです。
日本基督教団(UCCJ)と部落解放同盟(解同)の公式連携は、1975年の「確認と糾弾」を契機に始まり、現在も継続しています。以下に公式サイトからの直接引用を示します。
(出典:日本基督教団部落解放センター公式「設立の経緯」ページ)
(出典:部落解放同盟機関紙「解放新聞」2010年7月5日号、教団側も公式に報告)
教団はこれを2年に1度の全国規模会議として定期的に共同開催しており、フィールドワークや講演なども共同で行っています。
日本基督教団が議長教団を務めた時期があり、部落解放同盟が主導する宗教者ネットワークの中心的な役割を果たしています。
部落差別撤廃を教団の宣教課題として明文化し、継続的な連携を位置づけています。
日本基督教団は公式に1975年の確認と糾弾を受け入れ、部落解放センターを設立して以降、部落解放同盟と共同会議・フィールドワーク・狭山事件支援などで組織的に連携しています。これは教団の社会派活動として公式に位置づけられたものです。
• 日本基督教団部落解放センター公式サイト https://blc-uccj.org/
• 設立の経緯(最も重要なページ) https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/
• 日本基督教団公式サイト内の言及 https://uccj.org/secretariat-publicationbureau-pensionbureau(事務局ページ)
(出典:https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/)
• 教団は部落解放全国会議を部落解放同盟とともに共同主催(2年に1度)。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」に参加・議長教団を務めた時期あり。
これらはすべて日本基督教団の公式ウェブサイトに掲載されている一次情報です。 特に「設立の経緯」ページは、1975年の確認と糾弾から部落解放センター設立までの経過が詳細に記述されており、最も信頼できる公式記録です。
かなりテキトーに書いてるので、もしこれを読む人がいてもあまり信用しないでください
・室町〜安土桃山の後半の大河ドラマラッシュは特に順番間違えてる可能性が高い
・魔性の子が1991年刊行なので魔性の子と月の影を平成に入れたけど、昭和の終わり頃の可能性もある。
・十二国記の小松尚隆は瀬戸内海に面した国の出身、六太は京都出身。東の海神では村上海賊が関わってくる。
忍たまの乱きりしんは摂津/摂津/堺の出身、土井半助は摂津の福原の辺りの出身。忍術学園は近畿地方のどこか。兵庫水軍のモデルは村上海賊らしい。
東の海神と忍たまってまあまあ時期と場所が近い…と言えなくもない。東の海神の少し後に忍たまって感じかな。忍たまは安土桃山より前なので、長く見積もって東の海神から100年以内。たぶん。
ちなみにどろろ(東の海神と同時期?)は北陸、能登半島の辺りが舞台。
・1783年、アイスランドではラキ火山が、日本では浅間山が噴火した。そのほかにも色々あって北半球が異常気象に見舞われた。この異常気象が、1787年の天明の大飢饉や、1789年に始まったフランス革命の要因の一つであるともいわれる。1789年は恋川春町の亡くなった年でもある。べらぼうとベルばらは割と時期が重なっている。
・スマホが普及している様子から、羅小黒戦記の映画1作目を2010年代以降と仮定する。藍渓鎮開始時点で清凝10歳?11歳?くらい。無限は清凝の8つ上なので18歳前後(18歳の無限は登場しないけど)。羅小黒戦記映画1作目で無限437歳。つまり映画1作目の419年ほど前に藍渓鎮開始。映画1作目を一旦2010年と仮定すると、2010−419=1591。計算に自信がないけど、藍渓鎮は1591年より後の話だと思う。とりあえず室町〜安土桃山に入れてみたけど江戸初期かもしれません。
チック・リット(英語: chick lit)は大衆小説のジャンルで、「個々の主人公の試練と苦難に焦点を当てた、ヒロイン中心の物語で構成されている」もののことを指す[1]。このジャンルは多くの場合、現代における「女性らしさ」の問題(恋愛関係や女性の友情、職場での問題など)をユーモラスで軽快な方法で取り扱っている[2]。
このジャンルが始まった当初、チック・リットの主人公は「独身、白人、異性愛者、イギリス人かアメリカ人の女性、20代後半から30代前半、大都市圏在住」である傾向が高かった[1]。このジャンルは1990年代後半に人気が出てきて、チック・リットの小説がベストセラーとなったり、チック・リットに特化した出版社ができたりした[3]。チック・リットの批評家の間では、チック・リットのジャンルの始まりはイギリスの作家キャサリン・アリオットのThe Old Girl Network(1994年)であり、チック・リットの「原典」として広く知られているヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)は、これにインスピレーションを受けたものであるということで合意している[4]。
"chick"は英語で「雛鳥」を意味し、転じてアメリカのスラングで「若い女性」を意味する。"lit"は"literature"(文学)の短縮形である。チック・リットの研究者は、この用語の初出は、1995年のクリス・マッツァ(英語版)とジェフリー・デシェルが編集したアンソロジーChick Lit: Postfeminist Fictionであるとしている。これは、マッツァとデシェルの「ポスト・フェミニストの作品を」という呼びかけに応えた22の短編小説を収録したものである[5]。1990年代半ばには、女性作家が女性読者のために書いたフィクションを指す言葉として、様々なメディアでこの言葉が使われるようになった。
この用語を、この用語が生まれる以前の同様の女性向け作品についても適用して、"chick lit in corsets"(コルセットを着たチック・リット)と呼ぶことがある[6]。また、このジャンルの要素と青春物語を組み合わせた、若い読者向けのチック・リットのことを"chick lit jr."(チック・リット・ジュニア)という[6]。
論争
チック・リットは、読者の間では非常に人気となったが、批評家の大半はこのジャンルを支持しなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評において、アレックス・クジンスキー(英語版)はフィールディングの小説を特に非難し、「ブリジットは男に狂わされた無力感に浸っている哀れな姿であり、彼女の愚かさは言い逃れできない」と書いた[7]。作家のドリス・レッシングはこのジャンルを「すぐに忘れられてしまう」とし、ベリル・ベインブリッジ(英語版)は「泡のようなもの」(a froth sort of thing)と呼んだ[8]。編集者エリザベス・メリック(英語版)は、2005年にアンソロジーThis Is Not Chick Lit(これはチック・リットではない)を出版した[9]。メリックはこの本の紹介文の中で「チック・リットのお決まりのパターンは我々の感覚を麻痺させる」と主張した[9]。編集者ローレン・バラッツ=ログステッドは、メリックの本に対抗して2006年にThis Is Chick Lit(これがチック・リットだ)[10]を出版し、このプロジェクトは「怒りから生まれたものである」と述べた[10]。
このジャンルの作家たちは、その弁護に乗り出した。チック・リット作家のジェニー・コルガン(英語版)は、すぐさまレッシングとベインブリッジに反撃した[11]。『グッド・イン・ベッド(英語版)』(2001年)や『イン・ハー・シューズ(英語版)』(2002年)など数多くのチック・リット小説を著したジェニファー・ウェイナー(英語版)は、常にチック・リットを擁護した[12]。『スレート』誌2013年5月22日号では、『ウーマン・アップステアーズ(英語版)』(2013年)の著者である小説家クレア・メスード(英語版)が、女性の小説と主人公の好感度について語ったコメントに対する、ウェイナーの記事を掲載した[13]。ウェイナーはその記事の中で、商業小説、特に女性の商業小説に存在する偏見に疑問を投げかけた。ウェイナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙に"The Snobs and Me"を執筆するなど、チック・リットに対する人々の認識に挑戦し続けている[14]。この記事では、自分の作品を軽視する文化的風土の中で、自分の作品を信じようとする彼女の個人的な葛藤が綴られている[15]。
ダイアン・シップリー[16]などの他の作家もこのジャンルを擁護している。特に、フェミニストのグロリア・スタイネムがウェイナーの意見に共鳴し、女性の文学に対する偏見に注目しながら、自分たちがこの言葉を使っていること、そしてこの言葉が女性や女性の小説について何を語っているのかを問うよう人々に求めた[17]。
その後の状況
出版社がこのジャンルをプッシュし続けているのは、売上が高い状態が続いているからである。作品の市場性を高めようとして、この用語の様々な派生語が造語されてきた。
『リファインリー29(英語版)』のライター、ローレン・ルヴァイン(Lauren Le Vine)は、2016年3月に"The Chick-Lit Books That Won't Destroy The Feminist Inside You"(あなたの中のフェミニストを破壊しないチック・リット本)と題して、女性が女性のために書いた8冊の本を紹介した[18]。ルヴァインは、女性を題材にした小説の文学的伝統には、時に、買い物に夢中になって夫とはぐれた女性が夫を探すという物語が含まれており、このような本はフェミニストの価値観と矛盾しているということを認識している。しかし、ルヴァインはヘレン・フィールディングの1996年の小説『ブリジット・ジョーンズの日記』を紹介する際に、「一人の女性が個人的な満足感(それは彼女にとって愛、キャリアの成功、身体の受容を意味する)を見つけようとすることにのみ焦点を当てた本であり、それはフェミニズム(どの波に乗っても)とは何かということである」と書いている[18]。
『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌の編集者であるサラ・ネルソン(英語版)は、2008年に、チック・リットというジャンルの中で考えられるものの定義が、より完成度が高く、「成長した」ものになってきていると示唆している[19]。
2000年、『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、女性読者を対象とした小説の新しいトレンドについて、次のように述べた。「ポスト・トーリー、ポスト・グランジの軽やかさの精神が、雑誌を読む女性やテレビを見る女性たちの間に広まっていった。この小説は、『チック小説』(chick fiction)または"chicfic"いう『出版現象』の誕生であり、主題、パッケージ、マーケティングによってすべてが統一されている。キャンディ・ブライトで、ピンクと蛍光色の重い表紙、『キャンディ・ブライト』なタイトルにより、簡単に消化しやすく、良い笑いを提供することをほのめかしている。そのような本は、雑誌の記事、小説や小説化されたもの、テレビと、自宅で一晩で消化できる快適な食べ物のハイブリッドとして市場に位置づけられている[20]。」
チック・リットは一般的に女性が主人公であり、プロットの中でその女性らしさが重要なテーマとなっている。ほとんどの場合で現代世界を舞台としているが、歴史上の時代を舞台とした作品もある。扱われている問題は、しばしば消費主義よりも深刻なものである。例えば、マリアン・キーズ(英語版)の『子持ちクレアの逆転勝利』(Watermelon)は、現代世界で母親であることに悩む主人公を描いている。宗教的なチック・リットの市場も成長している。他のタイプの大衆小説と同様に、著者や出版社は多くのニッチ市場をターゲットにしている[3]。主人公の民族、年齢、社会的地位、配偶者の地位、キャリア、宗教などは様々である。goodreadsでは、チック・リットは恋愛小説のサブジャンルとしては扱われていない。それは、チック・リットは、プロットに恋愛の要素が含まれていることもあるが、恋愛関係と同じくらいにヒロインの家族や友人との関係が重要であることが多いからである[21]。チック・リットのやや厳しいジャンルルールにより、チック・リットの作家が異なるジャンルに進出するのは難しくなっているが、チック・リットは歴史小説に結びつくこともできる。
女性作家の中には、自分の作品が「チック・リット」というレッテルを貼られるのを避けるために行動している人もいる。例えば、『ガーディアン』紙の2010年の記事によれば、ユーモア作家のD・J・コンネルは、自身の作品がチック・リットとされるのを避けるために、ペンネームを「ダイアン」から「D・J」というイニシャル表記に変更した[22]。コンネルは、女性名でユーモアを書くことは、自身の作品を危険にさらすことになり、チック・リットのレッテルが貼られた場合、その作品は真剣に受け取られないだろうと言った。別の例では、作家のルース・ギリガン(英語版)は、自身の作品がチック・リットとみなされることで、どのように一般の人々、エージェント、出版社から軽蔑されたかについて書いている[23]。ギリガンは、大学のキャンパスでの性的暴行についての小説で新しいスタイルを試したが、出版社は明るい花のような表紙を提示し、ギリガンはこれを失礼だと感じた。
18~19歳のうちに20~24歳女性を狙う、20~24歳のうちに25~29歳女性を狙うなどすれば、
少子化が進んでおり「上の年齢階級ほど人口が多い」という傾向を持つ現在、多くの女性から選ぶことができるのに、
その逆をやり(10代~30代をゲームとネットだけやって時間をドブに捨て、40代50代弱者男性になって焦って20代前半有職女性を急に狙いだす)、
10代~30代を怠けて時間をドブに捨てた40代50代余り物中年が、
なぜ20代前半女性(しかも可愛い・経済的自立している)に対して「イケる」と思えてしまうのか。
20~24歳女性は大人気なのに311万人(45~49歳男性の6割の人数)しかいない。
なぜこんなに減ったかというと、20~24歳は45~49歳の子供世代だからだ。
45~49歳のうち結婚して子供を作った人の割合が低かったから20~24歳はこれだけ減った。
余り物の45~49歳男性が、まともな20~24歳女性に選ばれるわけがない。父親の年齢だ。
しかも、35歳を過ぎた睾丸で生産された精子はメチル化が起きやすく、子供の発達障害(ASD)率を上げる。
理解婚(生活費)を求めているメンヘラ貧困層などではない、まともな個体なら、±3歳以内の同年代婚をする。
夫大幅年上の結婚の割合が激減し、同年代婚の割合が激増しているのは、統計に出ている。
※1943年の結婚は平均4.5歳男性年上→2010年の結婚は平均1.7歳男性年上と、年齢差が縮小。
※婚姻数全体に占める「同い年結婚」の割合は1970年10%→2015年21%と倍増。
※婚姻数全体に占める「±3歳婚」の割合は1970年50%→2015年80%。男性年上婚は半減した。
若い女性が同世代と結婚したがっている以上、余り物中年男性は、もう手遅れなのだ。
どうして余り物の低スぺ中年男性が、レオナルド・ディカプリオのように中年になっても20代前半女性ばかり狙って、
彼女を取り換え続けることが、「自分にもできる」と考えるのだろう。ディカプリオのあれこそ「強者の戦略」なのに。
よくもまあ、世界のイケメンとして一世を風靡した一流のハリウッド俳優の「行い」を、低スぺ中年のまま真似できると考えられるものだ。
スペックに自信のない人間こそ、若いうちに「比較的競争率が低い場所」を血眼になって探して、
速やかに動いて、結婚のような固定的な関係に繋げる戦略をとらなければならないのに。
責任のない不安定な関係で得をするのは強者だけ。弱者は責任のない不安定な関係に切り捨てられる側だというのに。
低スぺが一夫多妻に夢を見ることにも呆れるほかない。一夫多妻こそディカプリオが妻を5万人作る制度だ。
当初の嫌韓厨/ネトウヨは「在日に乗っ取られた政府やマスコミに立ち向かうマイノリティ」という自認だった。
まあ当時から「ネトウヨは日本会議・神社本庁・国際勝共連合などのネット工作員である」という指摘があったけどね。
大半の2ちゃんねらのあいだでも嫌韓厨は嫌われていた(なにせ「厨」と言われているくらいだから)。
しかし2000年代後半に広まった「まとめブログ」で嫌韓ネタを刷り込まれたオタクが増えていって、
そういうオタクたちが自民党を支持しはじめたのが2008年の麻生政権以降。
で、2010年以降は戦いの場がTwitterに移っていって、これまで混じり合わなかったクラスタ同士が接触して爆発。
2ちゃんねるの有料サービス「2ちゃんねるビューア(●)」の利用者の個人情報が流出した事件です。ねらーたちは流出したデータを独自に分析し、プロバイダ情報や書き込み履歴から、特定の政治家や法曹関係者が匿名で過激な書き込みをしていたことを次々と暴きました。
真犯人が他人のPCを遠隔操作して犯行予告を行った事件です。当初、警察は誤認逮捕を繰り返しましたが、ねらーたちは「真犯人が残した暗号」や「猫の首輪につけられたSDカード」に関するヒントをネット上で考察し、警察の捜査ミスを浮き彫りにさせるとともに、真犯人逮捕への議論を加速させました。
あるネットショップが高級キャビアを格安で販売していましたが、ねらーたちが「卵の形状や色が不自然」「輸入経路が不明」と指摘。自ら購入してDNA鑑定に出した猛者まで現れ、最終的にそれがランプフィッシュの卵であることが判明し、詐欺を暴きました。
2ちゃんねる掲示板に、自作の偽札画像をアップロードした人物が現れました。ねらーたちは画像に含まれていたEXIFデータ(位置情報や機種情報)や、背景に映り込んだわずかな情報から住所を特定。通報により、実際に偽造通貨行使の疑いで逮捕者が出ました。
札幌市内の商業施設などで爆発物が発見された際、掲示板に犯行を示唆する書き込みがありました。ねらーたちはその書き込みの文体や、投稿された写真の影の角度から撮影時間・場所を推定し、警察への情報提供に貢献しました。
掲示板に「私が三億円事件の犯人です」と告白するスレッドが立ち、大きな話題となりました。しかし、ねらーたちが当時の気象データ、信号機の設置時期、地理的矛盾を徹底的に突き合わせ、投稿者の話が創作であることを証明しました。
政府が非公開としていた衝突映像がYouTubeに流出した際、ねらーたちは即座に動画を保存・拡散。投稿者「sengoku38」が神戸海上保安庁の職員であることや、投稿に使用されたネットカフェの場所などを特定する動きを見せ、事件の社会的インパクトを決定づけました。
線路内に車で立ち入ったり、危険な運転動画をSNSに投稿したりする「炎上案件」において、ねらーたちは背景の看板、電柱の番号、車の写り込みから、数時間以内に大学名や氏名を特定。多くのケースで大学による処分や警察の捜査に繋がりました。
飲食店レビューサイトでの「やらせ投稿」が疑われた際、ねらーたちは不自然に高評価を繰り返すアカウントの共通点(投稿時間、IPアドレスの推測、語彙)を解析。ステマ業者の存在を世に知らしめ、運営側の対策を強化させました。
SNSや掲示板で家族が行方不明になったという書き込みに対し、ねらーたちが「目撃情報の集約」や「背景に映るわずかなヒントからの場所特定」を行い、実際に発見に結びついたケースが複数あります(※ただし、ストーカー行為に悪用されるリスクとの裏返しでもありました)。
2024年、世界が変わった。コードを書く速度が10倍になり、設計の壁打ちに人間の同僚が不要になり、ジュニアだった若手が異常なスピードで成長し始めた。
だが、彼——勤続20年のシニアエンジニア、田中(仮名)——は、その波をこう切り捨てた。
これが、終わりの始まりだった。
田中には輝かしい過去がある。オンプレ時代のインフラ構築、レガシーシステムの保守、障害対応の修羅場。彼の経験は本物だ。それは誰も否定しない。
問題は、その経験を「盾」ではなく「鈍器」として使い始めたことだ。
Slackで若手がCopilotの便利さを共有すると、即座にスレッドがつく。
誰も聞いていない「俺の時代」が始まる。メモリ4GBのサーバーを手作業でチューニングしていた武勇伝。vi以外のエディタを使う奴は信用しないという信仰告白。長い。とにかく長い。
若手はリアクションに「👀」をつけて、そっとスレッドを閉じる。
やがてSlackでの彼の発言には、既読はつくが返信がつかなくなった。
理由は立派だった。品質管理。著作権リスク。エンジニアの成長阻害。どれも2024年なら一理あった。
だが2025年、それは燃料タンクに穴が空いた飛行機で「俺は落ちない」と叫ぶのと同じだった。
隣のチームはAIを前提としたワークフローを組み、リリースサイクルを3分の1に短縮していた。
田中のチームは従来通りのペースを守り、「堅実」という言葉で自分たちを慰めた。
四半期レビューで数字が並ぶ。隣のチームのデプロイ頻度は週12回。田中のチームは週2回。バグ率はほぼ同じ。
入社2年目のエンジニアが、AIエージェントを使ったコードレビュー自動化の発表をした。デモは鮮やかだった。
PRの差分を読み取り、過去の指摘パターンを学習し、レビューコメントを自動生成する。精度は人間のシニアレビュアーと遜色なかった。
「で、それがエッジケースに対応できるの?本番で予想外の入力が来たときに、そのAIは責任取ってくれるの?」
会場が少し静まった。若手は丁寧に答えた。「もちろん最終判断は人間です。ただ、レビューの80%を占める定型的な指摘を自動化することで——」
田中は遮った。
「それは"レビューしてる風"なだけだよ。本質的なレビューっていうのはね——」
5分間の独演が始まった。誰も遮らなかった。遮る価値がなかったからだ。
発表後、若手エンジニアのところに人が集まった。田中のところには誰も来なかった。
廊下で後輩がひとり、小声でこう言ったのを田中は聞いていない。
田中は自分が対象になるとは思っていなかった。20年の勤続。数々の障害対応。後輩の育成。貢献は十分なはずだ。
「田中さんのスキルセットと、今後の事業方向性との間に、ギャップが生まれています。」
翻訳すると、こうだ。「あなたの代わりはAIと若手の組み合わせで十分です。」
求人票には「LLM活用経験」「AIエージェント開発経験」「コンテキストエンジニアリング」の文字が踊る。
田中の職務経歴書にあるのは「Perl」「オンプレミス」「ウォーターフォール」。2010年で時が止まっていた。
面接でこう聞かれた。
田中は正直に答えた。
「AIは嘘をつくので、私はAIに頼らない開発を信条としています。」
面接官は微笑んだ。それは敬意の微笑みではなかった。「お疲れ様でした」の微笑みだった。
「AI使ってる奴らは"エンジニア"じゃなくて"オペレーター"だろ」
「10年後、AIバブルが弾けたとき、本物の技術者だけが生き残る」
いいねがつく。同じ境遇の人間がいるのだ。リプ欄には「わかる」「その通り」「AI信者は目を覚ませ」と並ぶ。
だが現実は動いている。彼がツイートしている間に、同世代のエンジニアが黙ってAIを学び、新しいポジションを掴んでいた。声の大きい者が正しいのではない。黙って適応した者が生き残るのだ。
ここで分岐が起きる。
田中はある日、元部下からの何気ないメッセージを受け取る。「田中さん、ClaudeCodeっていうの、騙されたと思って使ってみてください。」
プライドが邪魔をする。3日間メッセージを既読のまま放置する。だが4日目、暇に負けて触ってみる。
そして気づく。AIは敵ではなかった。自分の20年の知識を、10倍のスピードで現実にする増幅器だった。
ドメイン知識は消えない。障害対応で養った勘は消えない。それをAIに伝え、AIが手足となって動く。田中の頭の中にあった「こうすべき」が、入力して数秒で形になる。
「……なんで、もっと早く使わなかったんだ。」
田中は「本物のエンジニアリングとは何か」を語るnoteを月2回更新するようになった。読者は固定の200人。コメント欄は同意で満たされ、彼は満足していた。
契約社員としてレガシーシステムの保守案件を受けた。単価は年々下がった。「経験者」が減っているのに単価が下がるのは、システムそのものが廃棄されていくからだ。
50歳を過ぎた頃、保守していたシステムがAIを使ったリプレースで完全に置き換えられた。
変化を拒絶することの代償についての話だ。
蒸気機関を拒んだ馬車職人。電卓を拒んだ算盤の達人。インターネットを拒んだ書店主。彼らの技術は本物だった。彼らの誇りは正当だった。だが市場は感傷で動かない。
AIを使わないことは個人の自由だ。だが「使わないこと」を誇りに変え、それを他人に強制し、変化から目を逸らし続けるなら——市場はあなたを静かに、しかし確実に、置いていく。
SNSの普及は、女性が結婚や出産に対して急速に悲観的かつ現実的な視点を持つようになる大きな要因となっています。
具体的には、以下のような影響が挙げられています。
これらの要因が重なり、2010年頃から女子の結婚志向は下がり始め、現在では男子よりも女子の方が結婚や出産に消極的になるという逆転現象が起きていることが示唆されています。
低予算をアイデアで補おうとしてはいるけどアイデアを活かす脚本が欲しかった41点。
かわいいいお姉ちゃんの主人公は父親と一緒に友人宅をリフォームして販売するために訪れる。夜になりそろそろ寝るかとなったとき、2階から物音がし父親が見に行くが戻ってこない。父親を捜しに行く主人公。戦慄の一夜が幕を開ける。
みたいな話。
全編手持ちカメラのワンショットで撮影されていて、ずっといち視点として主人公を追いかけていく形で話は進む。これが最終的に何かのトリックだったりになっていくのかなと思っていたが別にそういうことはなく、結局何のワンショットだったんだ……となって終わってしまうのが残念。
普通の映画文法に則った撮影ではなく、純粋に主人公の後ろを誰かがついていっているような視点で話が進むので暗いシーンでは暗くなり、明るいシーンでは明るくなり、主人公のいる環境に自分がいるかのような没入感を演出するという点では成功はしてると思う。
一方で、今作ではほとんどろくに電気も通っていないボロ家の夜なので常にずーっと薄暗く、恐怖の演出のために定期的に明かりがなくなって真っ暗になるのでシンプル目が疲れる。もちろんそれがジリジリとした怖さや、ジャンプスケアのビックリに寄与しているのはわかるが、暗すぎて見ていて本当に疲れてしまう。ある意味で言えばメリハリがないのは問題だと思う。
ただ、ワンショットの中での工夫は少なくなくて、主人公の右肩越しにカメラが空間を撮っていて、主人公が右を向いたらカメラも右に振られて何もない空間を映していると、なぜか主人公が視点の左側から出てきて~みたいな面白不思議ショットは印象に残った。一番よかったのはミッドクレジットで主人公が娘と手を繋いで森を歩いていて草原に出る時に、主人公が左手で娘と手を繋いでいるショットを主人公の右肩の方から撮っていて、ぐるっと左側に主人公を映したまま回り込むといつの間にか娘はいなくなり、主人公は娘が持っていたぬいぐるみだけを持ち朝日の草原の中に消えていくというショット。
実際のところ、この話は友人と父親と関係を持っていた主人公が妊娠したけどいろいろあって娘を堕ろしたことで主人公は不安定になっていて、父親、友人は主人公が殺害していたのでした。ワンショットのように見えた映像は実際の出来事とは実は違ったのだと思われます、という話になっている。
ワンショットだから嘘がないと思わせておいて実はウソでしたってことなんだろうけど、まぁ、そのツイストはわからんじゃないけど、じゃあこのワンショットはなんだったのかという話になる。トリックのためのトリックすぎるかなぁ。
方法はわからんけど、仮にこのワンショットの視点は実は乖離した主人公のもので真相が明らかになったときに主人公を見ていた主人公の視点が主人公に統合されて最後は主人公の一人称視点に変わる、みたいな感じだったらまぁ無理やり感はありつつも、おぉ~って感じになった気がしないでもない。
まぁ、そんな感じかな。2010年にウルグアイでワンショットの謎解きありのホラー映画を撮ったっていうのがそもそもめっちゃ頑張ってると思うから、呪われた館系ホラーアトラクションに主人公の後ろをついて回ってみたいなって人はオススメ。
OECDの主な調査(特に2014年のFederico Cinganoによる報告書「Trends in Income Inequality and its Impact on Economic Growth」および2015年の「In It Together: Why Less Inequality Benefits All」)では、所得格差の拡大が経済成長に負の影響を与えるという分析結果が出ています。
OECDの主な指摘OECD諸国で過去30年程度のデータを使った計量分析(GMMなど)で、所得格差(特にネット所得のGini係数)が高いほど、その後のGDP成長率が統計的に有意に低下する。
特に影響が大きいのは、上位層(例: richest 10%)が離れることではなく、下位層(特に下位40%や最貧困層)が取り残されること。
推定効果:Gini係数を1ポイント下げると、年間GDP成長率が約0.15ポイント上昇し、5年累積で0.8ポイント程度の成長押し上げ効果が見込まれる。1985〜2005年の格差拡大により、1990〜2010年の累積成長が約4.7〜10ポイント程度失われたと試算される国もある(例: 英国で約9ポイント)。
メカニズムのひとつとして人的資本蓄積の阻害を挙げています。低所得世帯の子供は教育投資(就学年数やスキル習得)が減少し、スキル格差が拡大。これが労働生産性や全体成長を押し下げる。一方、高所得層のスキルにはほとんど影響しない。
これらの結果は、従来の「格差はインセンティブを生み成長を促す」という見方とは対照的で、再分配政策(税・社会保障)や教育機会の平等化が成長を損なうどころか、むしろ持続的な成長を支える可能性を示唆しています。
oecd.org
財務省があり、日本経済の中心地である東京都千代田区大手町まで乗り換えなしで50分以内。
スペック上は「優良な通勤圏」に見える。しかし、ストリートビューが示す「2010年との差分」が真実を語っている。
集約と廃棄: 駅前のタワマンや大型モールへの「機能集約」は、それ以外のエリア(※商店街、個人商店)への「パッチ適用(再開発)」を諦めたことを意味する。
ビジネスの縮小: 信用金庫の統廃合や空きテナントの板張りは、そのリージョンの「経済トラフィック」が減少している明確なシグナルだ。
NPOや福祉施設への置き換え: 商業が成立しなくなった場所に福祉施設が入るのは、街が「生産フェーズ」から「ケア(終末)フェーズ」に移行した証拠だ。
クックパッドのレシピ保存機能が叩かれているのを見て、ああ完全に終わったなと思った。
あれは単なる機能の話ではなくてWebに対する前提の違いが露骨に出ている。
かつては違った。
2010年くらいまではWebに公開されたものは著作権法の範囲であれば自由に利用してよい、という了解があった。
リンクするのも引用するのも保存するのも全部その延長線上にあった。
公開するという行為そのものがある程度の自由な利用を受け入れるという意思表示でもあった。
Evernoteもごく当然に受け入れられた。
誰かの庭ではなく、全員が乗っている共通の地面だった。
だからこそ多少の無断利用や雑な扱いも込みで回っていたし、その代わりに広がりや再利用という恩恵があった。
それが今はどうか。
自分のサービスの外で使われることは損失であり、広告を見せられない行為は悪とみなされる。
コンテンツは囲い込むものになり、ユーザーはトラフィックとしてしか見られない。
理念の話が利益の話に置き換わった。アマチュアリズムは完全に駆逐された。
趣味で公開する人間よりもマネタイズの導線を最適化する仕組みのほうが優先される。
Webという言葉が指していたものはもうほとんど残っていない。
共通の地面は細かく分断され、それぞれが壁を立てている。
保存という行為すら許されないならもはや公開ではない。閲覧の許可を一時的にもらっているだけになる。
ここまで来ると昔の感覚のほうが異物なのだろうと思う。自由に使えるという前提でWebを見ている側が老害に成り下がった。
それでも俺はあの頃のほうが健全だったと信じる。
雑でも荒くても、誰でも参加できて勝手に広がっていくあの感じはもう戻らない。
「全財産の半分以上を寄付します」なんて、意識が高すぎて酸素が薄くなりそうな宣言をバフェットとゲイツがぶち上げたのが2010年。あれから十数年経って、ふと「で、結局どうなったの?」と斜め上から眺めてみると、なんというか、非常にもんやりとした苦笑いが止まらなくなる。
結論から言えば、The Giving Pledge(ギビング・プレッジ)は、世界一豪華な「言ったもん勝ち」の同好会にすぎない。
まず、この誓約には一切の法的拘束力がない。ここがミソだ。「半分寄付します」とサインしたところで、誰かが進捗を監査するわけでもなければ、達成できなかったときに違約金が発生するわけでもない。ただの「紳士協定」なのだ。しかも、その寄付の定義もガバガバである。自分の名前を冠したファミリー財団に資金を移すだけでも、帳簿上は「寄付完了」として扱われる。つまり、右のポケットから左のポケットに金を移しただけで、世間からは「なんて慈悲深い聖人なんだ」と喝采を浴びることができる。このシステムを考えた奴は、正直、金融の天才というよりは広報の天才だろう。
さらに皮肉なのは、彼らが「寄付する」と宣言した後の資産推移だ。バフェットもゲイツも、宣言時より現在の資産の方が圧倒的に増えている。皮肉な話だが、彼らがどれだけ気前よく「善行」に励んでも、資本主義という名の自動増殖マシンがそれを上回るスピードで富を吐き出し続けているのだ。結局、彼らは「半分出す」と言いながら、実際には「増えすぎた余剰分をちょっと削って、節税と名声を同時にゲットしている」だけにしか見えない。
そもそも、バフェットのような「賢い投資家」が、なぜこんな実効性の薄い仕組みに執着するのか。それは、これが究極の「免罪符」だからだろう。格差社会の象徴としてギロチン台にかけられる前に、「私たちは死ぬときには手放しますから」というポーズを見せておく。それだけで、現在の独占的な富の蓄積に対する批判を魔法のようにかわすことができる。
実効性がない、と切り捨てるのは簡単だ。しかし、彼らが本当に「きちんとしていない」のは、寄付の金額ではなく、その「仕組みの不透明さ」に対してだろう。慈善活動という名のパワーゲームに、私たちはただ「すごいですね」と拍手することを強要されている。
結局のところ、The Giving Pledgeは、超富裕層が自分たちの良心をなだめるための、世界で最も高価なセルフメンタルケアに過ぎないのではないか。
今日もまた、シアトルやオマハの豪華な書斎で、「あー、今日も良いことした」と呟きながら、彼らは減ることのない資産残高を眺めているに違いない。なんとも、乾いた笑いしか出てこない話である。
以上は
Rakuten
Copilot
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Gemini
プロンプト思いつくのも含めて五分足らずでこれだけ出されると
このたび、イオンカードのキャッシングサービスをご利用された一部のお客さまにおいて、・・・上限金利(年率15.0%)を超える金利で利息を計算していた期間があることが判明いたしました。
https://www.aeonbank.co.jp/news/2026/0313_02/
当社は当事案判明以降、利息制限法改正の2010年6月18日以降のお取引について、バックアップデータの復元等による調査を行い、調査が完了したお客さまより順次お詫び状を送付のうえ、キャッシング残高への返金額の充当およびお引落とし口座への振込みによる返金を行ってまいりました。
しかしながら、お引落としの銀行口座が解約、かつ住所や電話番号に変更があったお客さまについては現在もご連絡がつかず、返金ができておりません。
ようやっとる
たぶんこの68人はもう生きてなさそう