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2026-04-28

[]「ファイトカルチャー

米国を中心とする極右過激派ネットワークにおける、格闘技コンバットスポーツを基盤とする「ファイトカルチャー

 

 

従来の白人至上主義組織と新興ネットワークが、格闘イベントトレーニングオンライン空間を通じて結びつき、横断的なネットワーク形成されている実態が示される。さらに、こうした格闘文化は単なる身体訓練や娯楽にとどまらず、若年層の勧誘プロパガンダ拡散手段として利用されており、極右世界観の共有・強化に寄与している。

 

 

 「ファイトカルチャー」とは、格闘技スパーリング集団格闘イベントなどを含む身体実践を指し、トレーニング大会形式試合も含まれる。バージニア州で行われた「フォレストファイト」がその具体例であり、参加者は格闘用グローブを着用し、集団での打撃戦を行う。これらのイベント審判管理下実施され、カメラドローンによって撮影・記録されるなど、一定競技性と演出性を伴う。こうした集団格闘はヨーロッパフーリガン文化の影響を受けたものとされる。

 「ファイトカルチャー」は単なるスポーツや娯楽ではない。その目的身体能力の向上にとどまらず、将来的な対立状況への備えとして位置づけられている。すなわち、格闘技実践は、将来の暴力を伴うイデオロギー対立を前提とした身体訓練としての側面を持つ。

 さらに、ISDの他のレポート「“It is a racial war:” Analyzing the violent rhetoric of active club members on X」では( https://www.isdglobal.org/digital-dispatch/analyzing-violent-rhetoric-active-club-members-x/ )、公的な対外メッセージは穏健に装われている一方で、個々のメンバーの言説には暴力志向顕在化している点は、「ファイトカルチャー」の重要な特徴であるISDによると、ACの公開チャンネルでは自己鍛錬や仲間意識といった穏健な価値が強調される一方で、個々のメンバーのXアカウントでは、人種的宗教的マイノリティ公職者、イデオロギー上の敵とみなされる対象に対する暴力示唆肯定する発言確認されている。

 

 

格闘イベントトレーニングは、単なる参加の場ではなく、思想の共有と再生産の場として機能している

 

 オンライン上では、暴力対立や将来的な衝突を想定する言説が継続的に発信されており、これらが格闘訓練や試合と結びつくことで、思想実践相互に補強される構造形成されている。こうした相互作用により、「ファイトカルチャー」は単なる活動の一部ではなく、極右ネットワークの結びつきを維持・強化し、外部への拡張可能にする中核的基盤として機能している。

 

 

https://inods.co.jp/topics/report-reviews/9455/

2026-04-25

anond:20260425090549

有料スター匿名でつけられる機能(スターの売り上げ増)

お金払えば、一定時間注目エントリーに乗せられる機能(redditでもやってるし)

とりあえず収益寄与する機能いいんじゃないか。

はてなが仮に買収されたとして、増田みたいに荒れているコンテンツは、買収先のブランドイメージを棄損するから廃止になりそうな予感。

収益にも寄与しないだろうし。

AI学習素材にもあまり役に立たないだろうし。

2026-04-23

[]生存戦略としての宿命

ギリシャ神話運命の三女神イライは、人生の糸を紡ぎ、測り、容赦なく断ち切る。神々でさえ抗い難いこの絶対的な力は、人間がどれほど賢く逃れようとしても、予言成就させる残酷皮肉を宿している。

生物学的な宿命もまた、避けようとする努力を逆手に取り、個人人生を形作る。

進化生物学は、この神話残酷さを、遺伝子と脳の回路という形で証明している。逸脱衝動——加害の快楽を求める衝動と、それを創造の炎に変える想像的逸脱——の起源は、集団生存戦略として有利だった極端な特性多様性にある。個人レベルでは避けがたい不幸と破滅運命づけるが、集団レベルでは「保険」として機能してきた。これが、進化が生んだ宿命本質である

進化が生んだ「sensation seeking」の生存戦略

進化過程で、人間集団環境の激変に柔軟に対応するため、特性多様性戦略的に残した。中脳辺縁ドーパミン系(腹側被蓋野から核 accumbensへの投射回路)は、生存に有利な行動を即時的な快楽で強化するよう設計されている。この回路の感受性を高める遺伝変異——特にDRD4遺伝子の長型対立遺伝子——は、sensation seeking(感覚追求傾向)という特性を生む。

新奇性、リスク支配感、背徳スリルを強く求めるこの傾向は、集団全体として「探索者」を供給し、新しい資源発見危機回避寄与した。

進化生物学的に見て、これは明確な生存戦略だ。ほとんどの個体保守的で安定した生存を選ぶ中、少数の極端な個体が未知の領域踏み込むことで、集団適応力が飛躍的に向上する。狩猟採集時代には、新しい狩場や技術発見する冒険者が、集団の存続を支えた。

環境が劇的に変化したとき保守的な大多数だけでは絶滅危機に瀕するが、逸脱衝動を持つ少数派が「保険」として機能する。

この多様性は、集団の長期的な生存確率を高める。集団生物学合理性が、逸脱衝動性を存続させてきた。

宿命を背負うものの生きる道

しかし、極端なsensation seekingは、報酬系の過剰活性により、日常の穏やかな快楽では満足できなくなる。

幼少期や思春期の強烈な体験が一度回路に「快楽記憶」を刻むと、神経可塑性限界によりそれはほぼ不可逆的となる。

記憶再固定の仕組みで長期的に固定され、ストレス環境暴露で容易に再燃する。

つの帰結は、加害の快楽に囚われる破壊的逸脱だ。

暴力性的支配背徳スリルがもたらす即時的なドーパミン爆発に深く飲み込まれる。報酬系が再配線されると、日常ささやかな喜びはすべて色褪せてしまう。外部の規則一時的に抑えられても、自由の瞬間が訪れた途端、古い渇望が再び牙を剥く。

もう一つの道は、同じ衝動創造原動力に変える想像的逸脱だ。

未知への渇きと狂おしい好奇心科学を、芸術を、思想を高みへと押し上げる。

生きることの悲哀

進化集団の存続のために、逸脱衝動という極端な特性を残した。しかし、個人人生にとっては、モイライの糸のように残酷だ。加害の道も創造の道も、深い孤独と避けがたい代償を背負う。

私たち全員が、加害の快楽創造の炎の間で永遠に揺れ動き生きる定めにある。モイライの糸は、今日も静かに紡がれている。

[][][]比較理解古代帝国異民族政策

中国南北朝時代特に八王の乱以降)と、ローマ帝国末期(3世紀5世紀)は、異民族の大量移住軍事力依存という点で、驚くほど構造が似ています。どちらも「文明の中心」が異民族武力を頼るようになり、最終的に帝国崩壊・大混乱を招いた点が共通しています

主な類似点

中国後漢末〜南北朝

後漢後期から異民族五胡匈奴・羯・鮮卑・氐・羌)を辺境防衛のために積極的中華域内移住させ、兵として動員した。

西晋八王の乱王朝が弱体化すると、異民族が一気に反乱・独立し、五胡十六国という極端な分裂時代が始まる。

・結果として、漢人異民族虐殺応酬強制移動が300年近く続き、隋が統一するまで泥沼化した。

ローマ帝国末期(特に西方ローマ

3世紀危機以降、ゲルマン民族フランク族ゴート族ヴァンダル族など)やフン族を「連合軍(foederati)」として大量に受け入れ、帝国軍の主力として活用した。

特に4世紀後半以降、ゲルマン部族帝国領内に定住させ、軍事力として依存する「蛮族化」が進む。

・最終的に410年に西ゴート族ローマを略奪(ローマ sack)、476年に西方ローマ帝国が滅亡する。

共通構造

・両者とも「自らの軍事力が衰えたため、異民族を大量に移住傭兵化して補う」という政策を取った。

最初は「防衛力強化」のための方便だったが、異民族人口増加と軍事力の掌握により、帝国の統制が効かなくなり、最終的に崩壊・大混乱を招いた。

中国では「五胡十六国+南北朝の300年混乱」、ローマでは「蛮族王国の成立と西方帝国崩壊」という結果になった。

中国場合八王の乱以降)

異民族王朝のものを次々と建てた(前趙後趙前秦北魏など)。

漢人異民族民族単位での虐殺応酬が極めて激しく、朝廷交代のたびに前王朝皇族名族がほぼ全滅するパターン常態化した。

出自主義(家柄重視)が強かったため、「一族誅滅」が政治の標準手段となり、残虐性がより組織的報復的になった。

結果として、民族対立の泥沼が長期間続き、隋による再統一まで300年近くかかった。

ローマ場合

異民族基本的に「連合軍」として帝国の中に留まり独自王国を建てるまでには時間がかかった(西方では5世紀中盤以降)。

ローマ人は異民族を「蛮族」と見下しながらも、文化的同化させる努力をある程度行った(キリスト教化など)。

中国ほど「民族ごと殲滅しよう」という極端な発想は少なく、征服されたゲルマン王国の多くはローマ的な行政法制度を一部継承した。

・ただし、410年のローマ略奪やヴァンダル族による北アフリカ占領など、残虐行為はもちろん存在した。

歴史からの教訓

八王の乱から唐成立までの約300年は、中国史上でも特に残虐で混沌とした時代でした。後漢末期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まった民族対立連鎖は、ローマ帝国末期の「蛮族依存」と構造的に非常に似ています

軍事力外注化の危険性


自前の正規軍を疎かにし、異民族武力依存すると、結局その異民族帝国を乗っ取られるリスクが極めて高い。

異民族移住コントロール失敗


最初は「労働力兵力確保」のつもりだったのが、人口増加と軍事力の掌握により、帝国の内部から崩壊を招く。

文明連続性


中国は隋・唐で再統一され、異民族は最終的に漢化・吸収された。一方、ローマ西方で完全に崩壊し、ゲルマン諸王国が中世ヨーロッパの基盤となった。

両者とも「文明の中心が異民族軍事力依存するようになった」結果、統制を失い、大混乱に陥りました。

中国場合民族単位虐殺応酬がより長期化・激化し、ローマ場合帝国の分裂と蛮族王国の成立という形で決着しました。

この比較からわかるのは、異民族政策の失敗は、帝国の存亡を直接左右する極めて危険な賭けだということです。

後漢西晋の胡人移住政策も、ローマのfoederati政策も、短期的な軍事力補強には寄与しましたが、最終的には文明崩壊を招く原因となりました。

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anond:20260423121206

1%は意外と謙虚でいい数字なんじゃないかと思う

「100意見があれば1の意見が影響するという意味」のつもりではなかった、あくまで1つの意見作品制作にまつわるあらゆる要素の中で寄与率がどれくらいか、と言う話

なので「100意見あれば」による希薄化の効果はそこにさらに掛けることになる。

まり100の中の1の意見寄与度は、

1%寄与度×1/100=0.01%寄与

 

さらに「批評がバズってみなくなれば終わるし、叩かれて消えることもある」と言う話だったから、そもそも批判を受けた作者が2作目を書けるかどうかも考えないといけないね

そんなに批判批評を受けて残存できる割合というとかなり厳しそうだけど、まけにまけて30%としよう

その場合それも掛けることになるから

0.01%寄与度×30%=0.003%

 

かにももっと希薄化の効果はあるだろうけど、考えれば考えるほど寄与度は少なくなるし、

しかもそれによる影響が本当にプラスなのか、それともむしろ状況を悪化させるだけのマイナスなのか、もまだ未考慮

 

要するにこの程度のことも君は考えてないから、「一般人批判にも影響力があると考えていいと思うが」といったことが言えたわけだ

作者はそこまで素人批判批評自作に取り入れないよ

少なくとも自分観測範囲ではあまり見ない

 

批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな話、みんな好きだけど(anond:20260421182930 これとか)

プロ編集者同業者プロ批評家)ならまだしも、一般消費者批判批評がそこまで重要意味もつと思うのは、ちょっと流石に思い上がりじゃないかな?

 

大衆」がどうの、「流行」がどうのと言うけど、君たちがそもそも大衆」の一部でしょ(流石に「自分大衆とは違うんだ、特別なんだ」みたいな自意識中学生卒業していると思いたい)

で、大抵の創作物は作る際にまずターゲットを想定するんだよ、そのターゲット層の感想批判なら参考にする事は有るけど、君たちは本当にその作品ターゲットなの?

ターゲットの方を見ず、ターゲット外の批判批評を気にして作品を曲げるのは基本的にやっちゃいけない事だよ

 

「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品改善する」という単純なストーリーを好んでいる人が多いようだけど、

それが成立するためにはまずその批判が適切で的を得ている必要がある、でも、そんな批判批評、本当に出来てるつもりなの?

そもそも「正しい批判」「正しい批評」なんてあるのかな? それはどのようにして定義され、何によって基礎づけられる? ……みたいなこと考えたことある

「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品改善する」という単純なストーリーを好む人ほど、実はそこまで深く考えたことが無いし、批判批評に対するメタ意識が無かったりするんだよね(だからこそ単純化しすぎたストーリーを無邪気に信じられる、という話でもある)

 

あと実作者としての目線で言うと、そもそも作品制作プロセスで「批判批評」を参考にする工程が入る事ってやっぱりあんまり無いんだよね

例えば新人賞を取ってデビューする新人作品って、そもそも君たちの目に入る前に完成してるよね。つまりその時点で批評批判による改善はい余地は無いし、

まり初心者からプロとしてデビューできるレベルまでに至る過程に君たちの批判批評が入る余地はないわけだ

で、デビュー後にしても、正直あまりプロ以外の「批判批評」を参考にする工程が入る事はあまりない、編集者の言う事は聞くし参考にするよ? でもそれはプロ意見からだよね(勿論ここは人によるけど)

また、そもそも人気作であればあるほど、感想批評は多くなる。例えば1000の感想批評がある場合あなた感想批評は全体の1/1000という事になるんだけど、これは意識できてるかな?

 

作品改善する」という事に対する解像度の低さも問題だよね

創作経験がない人にありがちな誤解だけど、プラスしかない「改善」なんてほぼあり得ないし、作品にある要素を付け加える「だけ」ということはほぼ無いんだよ

あるものを加えることはあるものを捨てることになる。ただ要素を増やすだけでも「要素が多い」というのがマイナス作用する事は多いから実質上そこでは何かを捨ててる

まりあなたの考える「こうしたらいいのに」って改善案にも何かしらのデメリットはあるし、それを選ばない理由もあるかもしれない、ということ

では何を基準にどう「改善」するか選べばいいのか? その指針のひとつが「ターゲット」だ

その作品は誰に向けたものなのか? 誰にどう思って欲しい作品なのか? そこが重要基準になる。だからこそ「ターゲット」を踏まえない非プロ意見そのままでは利用できないんだよ

 

そもそも、君たちは君たちの批判批評作品にどの位影響し、作品の何%くらいを占めることになると思う? 滅茶苦茶大雑把でいいから具体的に考えてみて欲しい

自分の実感としては1%くらいじゃないかなぁ? と思う。もちろんこれは人によるし、もっと多い作者も居ると思う

で、改めて考えて欲しいんだけど、「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいなのって、これ何%を想定してるの?

どう考えても1%とか5%の寄与率の話じゃないよね? その程度の寄与率で「ダメになる」「成長しなくなる」はいくらなんでも大袈裟すぎだよ

かといって寄与率が50%とか考えてるとしたら、まぁ思い上がり過ぎだってのは今までの話で分かるよね

要するにこういう物言いは、自分達の批判批評作品に対する寄与率を具体的に考えたことがないから言えるんだよ

 

まとめると、君たちが「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな事を何でいえるかって言うと、

それは君たちが物事をよく考えてないからなんだよ

よく考えず、雰囲気で口当たりのいい言葉自分にとって気持ちのいい言葉自分に都合のいい言葉大衆流行、媚び、数(という他者矮小化とそれによる自己特別化)、等々)に耽溺しているから言えることなんだよ

作品ターゲットや、批判批評に対するメタ視点、具体的な「創作」や「改善」のプロセス、全体の中の割合、具体的な寄与率、そして「あなた特別ではない」という現実などを考えていればぶつかるはずの壁にぶつかったことがないから言えてるんだよ

 

ま、もしそれでも「批判を受け入れて、改善する」というプロセスを信じたいなら、

まずはこの文章を受け入れて自分を「改善」してみたらいいんじゃないかな?

 

(ちなみに蛇足だけど、プロ批判批評は参考にすると書いたけど、プロ批評家の場合微妙場合もあるね。というのはプロ批評家の批評というのはそれ自体つの作品であり、そこには作為や色々な「工夫」が含まれてたりするからね。

 批評家は批評の中であるストーリー」を構築し、それに沿うように話を作ったりする(その中で沿わないものは捨象したり曲げたりする事もある)し、まず批評家は批評の中で自身ブランディングする必要もあったりする。

 そういう訳で意外と「批評」というのは純粋な「批評」ではないし、それらを踏まえた上である程度距離をとって加工して受け止める必要があったりする)

2026-04-22

anond:20260422151817

貧乏ゆすり健康にいいよ。

時間の座位行動中に貧乏ゆすり様の下肢反復運動を行うことは、下肢血流および血管内皮機能の低下を抑制し、循環不全の予防に寄与する可能性がある。

2016年実験研究では、長時間座位で生じる脚の血管内皮機能低下が、座位中の脚の小さな反復運動で予防可能と報告されている。

近年のレビューでも、長時間座位は末梢血流や血管機能に不利であり、軽い下肢運動や中断行動がその悪影響を和らげうると整理されている。

2026-04-21

映画ワーキングマン を見た

ステイサムとスタローンエアーが30年前に撮ったけどいろいろあって封印されていた映画が近年発掘されて公開された記念すべき作品。58点。

 

英国特殊部隊員で今は建設現場現場監督をしているステイサムは妻を自殺で喪い娘の親権を義父と係争中。そんなある日、彼が務める建設会社社長ペーニャの娘がロシアンマフィアの店で誘拐されてしまう。ペーニャに泣きつかれたステイサムは平穏日常を捨て殺人マシーンへと回帰する。

みたいな話。

 

テンプレってテンプレから悪いんじゃなくて、テンプレになるだけの強度があるからこそテンプレとして成立するわけで、大事なのはそのテンプレに則ってその上にどんなフレッシュ表現を乗っけるのかってことだと思うんだよね。

で、今作の最も大きな問題はこの作品においてこの作品しか見られないフレッシュさがほぼゼロだということ。

つーか、ほぼコマンドー

タイトルであるワーキングマンはたぶん労働者って意味だと思うんだけど、彼が建築現場監督としての能力を発揮するのは冒頭で彼の部下にロシアンマフィア借金の取り立てに来たのを撃退するところくらいでその後はすっかり特殊部隊員に逆戻りして無双アクションに移行する。

もろちん俺はアクション映画好きだからステイサムがロシアンマフィアボコボコにしてるの見るだけで楽しいけど、それだって回転寿司の1貫ものサーモン食べたらおいしいよねみたいな感じでそこにすごい歓びがあるかっていうと正直、まぁ及第点でしょくらいの感慨しかない。

また今度見直したら感想書きたいけど、主演監督コンビの前作であるビーキーパーなんかもいや何がビーキーパーやねんという感じはありつつもアメリカ大統領の息子が仕切ってる振り込め詐欺集団を成敗するっていうバカみたいな物語はやっぱりあの作品しか見られない。そこにワンダーがあったけどこの作品にはマジでなんもない。

同じく元特殊部隊員のマッコールさんシリーズみたいなスタイリッシュさもない。コマンドー以外だとたぶん一番近いのは96時間のような気はするけどアレにあったような常軌を逸した執念と残虐さも感じなかった。

敵はもう全米で5億人くらいは殺されてるロシアンマフィアだし、じゃあステイサムが彼らを追い詰めるために今までにないような方法を駆使するのかっていうと別にそんなことはなく、ロシアンマフィアの店でいなくなったっぽいんか、ほなロシアンマフィア適当に殺しまくったろwみたいなノリ。途中途中に明らかにそれ必要なかっただろみたいなコロシが入ってて、宇露戦争でのロシアに対するアメリカイギリスの強い憤りを感じるが、別にそれが作品面白さには寄与してないと思う。

まぁロシアンマフィア幹部双子の息子がそれぞれ赤と青の「バカが考えたグッチ」みたいな服着てるのだけ面白かったかな。あと、途中で2回都合良く出てくる買収された汚職警官の2人組が出てくるんだけど話が終わりに近づいてあれ?そういえばあいつらにどうやってケジメつけさせるんだろうと思ってたら、ロシアンマフィア殺し屋特に意味もなく銃撃されて爆殺してたのはちょっと笑った。

気に入らないで言うと冒頭でステイサムが娘との面会日に義父の家に迎えに行くと義父はわざと娘のためのパーティを開いていてステイサムがムッとする。そこで義父は「お前みたいな危ない父親だと子供は困る」「お前は怒りを制御できない」とわりかり真っ当な説教をする。で、最終的にロシアンマフィアによって義父が襲撃され危うく死にかけたところをステイサムに救われ「命を助けてくれてありがとう」みたいな感じになるんだけど、むしろ義父の説教が正しかたことの証左しかないだろ。仮にこれで狙われたのが娘で死んでたらどうするつもりやってん。

MAGA!じゃねンだわ。

 

そんな感じかな。

まぁステイサムが大暴れする無双アクション映画と考えれば別に75点くらいは出てていいと思うけど現代において優れたアクション映画なんか過去アーカイブも含めて何十、何百もある中であえてこの映画でなければならないという点が少ないのはめっちゃ残念。

とはいえ、そういう映画に求められるものはだいたい揃って入るから脚本とかどうでもいいかアクション映画が見たいって人には普通にオススメ

2026-04-18

anond:20260417161915

ヤクは間接的に治安悪化寄与してるとはいえ、直接的には悪い人が悪い人と取引してるだけで普通の人には関係ないし

それより新興宗教無知一般人詐欺られてそうな印象があるのが良くないんじゃないの

偏見かもしれないけど

2026-04-16

海賊版」と一括りにされがちだが、実態はそう単純ではないと思う

海賊版」と一括りにされがちだが、実態は大きく2つに分かれている。

1. タダ乗りのための海賊版

一つは、単にタダ乗りするための海賊版だ。単に海賊版といった場合、多くの人はこっちを連想するだろう

こういったものを金を払わずに入手する。

まり本来意味での海賊版であり、権利者の利益を直接奪う以上、厳しく取り締まるべきだという理屈は当然だ。これに反対する人はかなりの少数派のはずだ。

2. 「他の入手手段がない」海賊版

問題はもう一つの方だ。「ほかにどうしようもない」海賊版である

正規ルートがすでに消滅し、非公式な形でしかこの世に残っていない作品たちだ。前者が「販売代替」なら、後者は完全に「保存の代替」になってしまっている。

もちろん、法的にはどちらも違法だ。しかし、社会的意味合いはだいぶ異なると思う。

著作権目的文化の発展への寄与であり、クリエイターへのご褒美ではない

そもそも著作権目的第一に「著作者権利保護」、そして根本には「文化の発展への寄与」にある。

著作物の公正な利用により、作品継続して生み出され、文化として発展・蓄積されていく土壌を支えるための制度であり、少なくともクリエイターを満足させるためだけに作られている制度ではない。

税金を投入してまでコンテンツを「消す」べきか?

正規の入手手段が絶たれた作品について、非公式情報違法として徹底的に潰して回ることは、言い換えれば「税金を使ってコンテンツ社会から消す」ということでもある。

もちろん権利者に「流通させない自由」はあるが、流通停止の自由尊重されても、その「消滅」まで国家が肩代わりして保障する必要があるか別問題だろう。

少なくとも私は、そこまで国家が肩代わりする必要はないと考える。

付け加えるなら、それをすることで創作文化が発展するとか、優れたコンテンツ継続的に生み出される土壌になるとも思えない

じゃあどうすべきか?

誤解しないでほしいが、海賊版を全面解禁しろと言いたいわけではない。

現行で流通している作品違法コピーは、今まで通り徹底的に潰せばいいし、それを税金をジャブジャブ使うことには大賛成だ。

クリエイター利益を守り、適正な報酬がきちんと支払われることは文化的にも経済的にもメリットは大きい

守るべきなのは権利者が望むなら作品を消せる権利」ではなく、権利者が正規流通を選ぶ自由と、その選択がある場合非正規流通排除できる権限である

逆に言えば、権利者側が流通ルートを閉ざした場合、その海賊版排除を、現役流通作品と同じ強さで保障するべきではない。

2026-04-15

anond:20260415080844

円安自国通貨安)は、日本経済に「プラス面」と「マイナス面」の両方を同時にもたらします。特に日本のように資源・食料の多くを輸入に頼り、製造業グローバル化が進んだ国では、メリット企業株主中心に偏り、デメリット家計中小企業に広く及ぶ傾向が強いです(2025-2026年現在も同様)。

1. 主なプラス影響(メリット

• 輸出企業製造業収益向上
海外売上を円換算すると金額が増える「為替差益」が発生。自動車、電機、機械などの輸出企業利益が押し上げられ、企業全体の収益高水準に維持。株価上昇(日経平均の押し上げ要因)にもつながりやすい。

インバウンド訪日観光活性化外国人日本で「安く」感じるため、観光・小売・宿泊飲食業の売上が増加。サービス輸出の黒字拡大に寄与

国内投資生産回帰可能性(限定的)
円安海外生産の相対コスト高まるため、一部で国内回帰設備投資を促す効果。ただし、グローバルサプライチェーンの定着で近年は弱まっている。

対外純資産の円建て価値増加
海外資産を持つ企業投資家評価益第一所得収支(海外から配当・利子)の黒字拡大。

2. 主なマイナス影響(デメリット

• 輸入物価上昇 → 物価高(コストプッシュ型インフレ)
原油天然ガス食料品原材料の輸入コストが増大 → 電気・ガス代、ガソリン食品日用品の値上がり。家計の実質購買力低下、実質賃金の目減り(2025年も4年連続マイナス傾向の要因の一つ)。

個人消費抑制物価高で家計節約志向に。消費意欲低下、特に低所得層年金生活者に打撃。経済学者調査では74%が円安を「日本経済にとってマイナス」と回答(家の値段上昇、人材流出懸念も)。

• 輸入依存中小企業・非輸出企業負担増
コスト転嫁しにくく、利益圧迫。内需中心企業マイナス影響が大きい。

交易条件の悪化
輸出価格に対し輸入価格相対的に上昇し、日本全体の「儲け」が減る。実質実効為替レートBIS基準)で2020=100に対し2026年2月時点で約67まで大幅減価(実質30%超の競争力低下)。

• その他の副作用

海外旅行・留学輸入品購入の高騰。

財政圧力金利上昇と円安悪循環リスク)。

人材流出加速(海外の方が生活やすくなる)。

• 過度な円安が続くと、企業収益の「為替頼み」が強まり本来競争力強化を怠る可能性。

2025-2026年現在文脈での特徴

企業収益円安で高止まり・株高だが、家計実質賃金低迷で「豊かさを実感しにくい」状況。

• 輸出数量自体過去に比べて伸び悩み(海外生産シフトの影響)。円安の「輸出ブースト効果」が弱まっている。

政府日銀物価対策補助金など)で緩和を図っているが、財政拡大がさら円安を招く「悪循環」の懸念も指摘されている。

まとめ:ネットの影響は「二極化」と「家計不利」

短期企業視点プラス優勢(特に輸出大手株主)。

中長期・家計・全体経済視点デメリットが目立ちやすい(物価高、生活苦、成長の持続性低下)。

過度な円安(例: 150-160円台長期化)は「日本経済の弱さの表れ」と見なされ、基礎的競争力生産性、賃金上昇力)の向上が本質的解決策です。適度な円安は成長を後押ししますが、現在の水準は多くのエコノミストが「行き過ぎ」「家計負担が重い」と指摘しています

特定の分野(例: 家計企業、株、物価)について詳しく知りたい場合、教えてください! データ市場変動するので、最新ニュース確認を。

2026-04-14

辺野古報道にみる報道機関の倫理

報道機関倫理役割とは、以下の点を指します:

正確性・公正性:事実を歪めず、多角的検証すること。
多角性・多様性:異なる視点政府学校・反対協・遺族・国民全体)をバランスよく提示すること。
権力監視機能行政学校運動団体など権力側への適切なチェック。
責任所在を明確にする:事故本質安全管理の甘さ、教育基本法第14条違反可能性、外部偏向団体の無批判重用)をぼかさない。
公共の福祉国民が多様な情報に基づいて判断できる基盤を提供する。

これらを基準に、主要報道機関を**A(優れている)〜D(問題大)**で評価します。
(2026年3月16日辺野古転覆事故報道基準とした評価

1位 産経新聞 (A評価:極めて優れている)

記事数が最多クラスで、事故本質(反対協の無登録運航、安全管理のずさんさ、波浪注意報下の出航判断教育基本法第14条違反可能性、外部偏向団体の無批判重用)を積極的に深掘り。

・遺族メモ事実引用し、多角的視点提供学校行政・反対協の責任を明確に指摘。

権力監視機能が強く、報道機関としての倫理役割を最もよく果たしている。民主主義への寄与度が高い。

2位 八重山新報 (A-評価:優れている)

地元紙として詳細を報じつつ、「抗議のあり方問い直せ」「安全管理判断は誰がしたのか」と現実的視点提示

・反対協の主張も取り上げながら、安全管理問題をぼかさずバランスを取っている。

視野が広く、責任所在を明確にし、地元紙として公共の福祉資する報道を行っている。

3位 共同通信 (B+評価:やや優れている)

事実中心の配信記事で「事業登録せず」「無登録運航の疑い」などの核心的事実比較的早く報じる。

通信社として正確性と多角的配信役割をしっかり果たしているが、深掘り分析は少ない。

報道倫理(正確性)は守られているが、独自権力監視機能限定的

4位 東京新聞 (B評価標準的

事実報道比較的丁寧だが、行政学校側の対応を前面に押し、外部委託構造問題政治的偏向への深掘りが不足。

・公正性は標準的だが、視野がやや行政寄りに偏りやすい。

責任所在がややぼかし気味で、報道機関としての多角性がもう一段階欲しい。

5位 読売新聞 (B-評価標準的下位)

中立的事実中心の報道だが、「事故の教訓」としてまとめがち。

構造問題教育政治化・外部依存リスク)の指摘が薄く、多角性が不足。

・正確性は守られているが、権力監視の強度と視野の広さで物足りない。

6位 毎日新聞 (C評価:やや不十分)

学校行政対応を強調し、責任所在をやや曖昧にする傾向。

・ 外部偏向団体問題平和学習政治的側面を避けやすく、視野が狭い。

・公正性と多角性に課題があり、報道倫理として責任ぼかしが目立つ。

7位 朝日新聞 (C-評価:不十分)

・「平和学習中の不幸な事故」「デマ防止」に重点を置き、一面的フィルタリングが強い。

・反対協の安全管理問題教育基本法第14条の可能性を薄く扱い、視野が極めて狭い。

権力監視機能が弱く、報道機関としての公正性・多角性が大きく欠如している。

8位 琉球新報 (D評価問題大)

・ 「安全対策強化」「デマ誹謗中傷防止」を強く強調し、反対協の責任構造問題を大幅に避ける。

地元紙として最も視野が狭く、責任所在をぼかし、運動擁護の枠組みが強い。

報道倫理(公正性・多角性・責任の明確さ)が最も低く、公共の福祉への寄与限定的

全体まとめ

上位グループ(A〜B+):

産経新聞八重山新報共同通信
これらは事実検証を進め、多角的視点提示し、責任所在比較的明確にしようとする姿勢が見られます報道機関としての倫理役割比較的よく果たしてます

中位グループ(B〜B-):

東京新聞読売新聞事実報道標準的だが、構造問題への深掘りが不足し、多角性に欠ける。

下位グループ(C〜D):

毎日新聞朝日新聞琉球新報視野が狭く、一面的フィルタリング責任ぼかしが目立ち、報道機関としての倫理役割を十分に果たせていない。特に琉球新報朝日新聞は、事故本質を避ける傾向が強い。

結論

報道機関としての倫理役割を最もよく果たしているのは産経新聞です。
一方、琉球新報朝日新聞は、視野の狭さ・一面的傾向・責任ぼかしが最も顕著で、報道の自由度と民主主義への寄与という観点から見て課題が大きいと言えます

この事故報道は、日本メディアが「権力監視」「多角的視点提供」という本来役割をどこまで果たせているかを問う試金石となりました。遺族のnoteメモ報道機関より視野が広く本質である現状は、メディア全体の自己検証を強く求めていると言えます

修学旅行での海難事故「紫雲丸事故」と「辺野古抗議船事故」の新聞報道の違い

1955年に発生した「紫雲丸(しうんまる)事故」と、2014年以降の辺野古基地建設をめぐる「抗議船事故(衝突・転覆事案)」は、いずれも海上で発生した悲劇的な、あるいは重大な事案ですが、その報道のあり方には決定的な違いがあります

これらの違いを比較し、なぜ報道スタンスがこれほどまでに異なるのか、その背景にある社会的政治的要因を考察します。

1. 新聞報道の具体的な違い

紫雲丸事故国民悲劇としての「全編哀悼検証

1955年5月11日瀬戸内海国鉄の連絡船「紫雲丸」が衝突・沈没し、修学旅行中の児童・生徒を含む168名が犠牲となったこ事故は、当時の新聞において「絶対的な公の悲劇」として扱われました。

紙面の様相:

朝日毎日読売などの全国紙は連日トップで報じ、犠牲者の遺影や遺族の悲痛な声を詳細に掲載しました。報道は、国民全体で悲しみを共有する「ナショナルモーニング国家的な喪に服すこと)」の様相を呈しました。

論調の焦点: 報道の矛先は一貫して「安全対策の欠如」と「国鉄公的機関)の責任」に向けられました。レーダーの不活用や濃霧下での無理な航行など、技術的・組織的な欠陥を厳しく追及し、それが後の「瀬戸大橋建設」や「水泳教育義務化」という具体的政策へと世論を動かしました。

辺野古抗議船事故政治的文脈の中の「対立の記録」

一方、辺野古の新基地建設を巡る海上抗議活動中に発生した衝突や転覆事案(2014年2015年の事案など)は、「政治的対立一場面」として報じられます

紙面の様相:

報道の仕方は「新聞社による温度差」が極めて顕著です。沖縄タイムス琉球新報などの地元紙は、海上保安庁の規制過酷さや抗議者の負傷を「人権侵害」や「強権的」として大きく報じます。一方で、一部の保守系全国紙では、抗議活動側の過失や違法性を強調し、海保正当性を支持する書き方がなされます

論調の焦点:

事故のもの安全性よりも、「基地建設の是非」や「法執行妥当性」という政治的文脈が主役となります犠牲者や負傷者に対する純粋哀悼よりも、「どちらに非があるか」という責任所在を巡る言論戦の道具となる傾向があります

2. 報道の取り上げ方が異なる理由

なぜ、同じ海上事故でありながら、一方は「国民の教訓」となり、他方は「分断の火種」となるのでしょうか。

① 「公」の定義コンセンサスの有無

紫雲丸事故の際、被害者は「修学旅行の子供たち」という、社会全体が守るべき純粋存在でした。彼らが犠牲になったことに対して、社会異論余地はありません。したがって、新聞は「加害者国鉄)vs 被害者子供国民)」という明確な構図で、全社一致の批判を展開できました。

対して辺野古の事案では、当事者が「政治的目的を持った活動家」と「公権力執行者」です。この場合社会の中で「どちらを応援すべきか」というコンセンサスが取れていません。そのため、新聞社は自社のイデオロギーに基づき、事実の切り取り方を選択することになります

報道目的の変化:安全保障か、政治闘争

紫雲丸事故時代新聞は「再発防止」と「制度改善」を最大の使命としていました。高度経済成長へ向かう中で、技術的な未熟さを克服するという「社会進歩」に寄与する報道が求められていたのです。

しかし、現代辺野古報道における新聞は、特定政治的スタンス代表する「代弁者」としての役割が強まっています事故独立した出来事ではなく、基地問題という巨大なパズルの一片として扱われるため、純粋事故調査よりも「政治的影響力」が優先されます

情報源の偏りとアクセス

紫雲丸事故:

事故原因の調査海上保安庁や事故調査機関が行い、新聞はその客観的な数値を基に批判を展開しました。

辺野古:

現場規制線の中であり、情報源が「海上保安庁の発表」か「抗議団体側の動画証言」の二極化しています中立的第三者の目撃が難しいため、新聞社は自分が信頼する(あるいは支持する)側の情報採用せざるを得ず、結果として報道内容が乖離します。

結論メディア役割の変遷

紫雲丸事故報道は、悲劇きっかけに社会安全基準を根底から書き換えた「統合報道」でした。一方、辺野古事故報道は、既存社会的分断をさらに浮き彫りにする「鏡の報道であると言えます

新聞の取り上げ方の違いは、単なる事象の違いではなく、日本社会における「公共性」の捉え方の変化、そしてメディアが「客観的な記録者」から主義主張プラットフォーム」へと変質していった過程を映し出しているのです。

2026-04-12

出典によると、不幸と相関があるとされる趣味には、主に以下のような共通点や特徴が見て取れます

不幸な趣味の「三要素」

最も端的な特徴として、以下の3つのキーワードが挙げられています

その他の主な特徴

具体的な例

出典の中で不幸との相関が言及されているものは以下の通りです。

注意点:因果関係ではなく「逆相関」の可能

多くの意見として、その趣味が人を不幸にするというよりは、「もともと不幸な状態にある人や、特定の生きづらさを抱える気質の人が、これらの趣味に引き寄せられやすい」という逆相関の側面が指摘されています

例えば、ASD自閉スペクトラム症)やADHD注意欠如・多動症)などの特性を持つ人は、その特性ゆえに特定趣味カードゲームギャンブルなど)に強く惹かれる傾向があり、同時にそれらの特性現代社会での生きづらさ(不幸)とも相関している、という分析がなされています

[]規制論者BLフェミニストの主張と矛盾

規制フェミニスト性的対象批判を重視するラディカル寄りまたはメディア表象批判派)のうち、BLを自ら消費・擁護する「BLフェミニスト」の主張を整理すると、明確な内部矛盾権力行使様態が浮かび上がります。主な論者は堀あきこ氏、田中東子氏などで、太田啓子・千田有紀氏らと重なる部分もあります

1. 規制論者BLフェミニストの主な主張

男性向け萌えエロ表現は「性的対象化」「家父長制の再生産」として問題視

公共空間広告NHK献血ポスターなど)での性的強調描写巨乳、へそ出しなど)を「環境セクハラ」「女性尊厳侵害」と批判。
田中東子氏は公共メディアでの萌え絵を「ジェンダー規範再生産」と指摘し、社会的議論制作過程改善を求める。
堀あきこ氏は『BL教科書』で「性の二重基準」を指摘しつつ、男性向け表現ゾーニング(成人指定)を主張。

BL女性向け)は「女性性的主体性」「female gaze」として擁護

BLを「女性が家父長制的な異性愛規範から逃れ、欲望主体的表現する場」と位置づけ。
堀あきこ氏は「BL無罪なんて言ったことない」と否定しつつ、BL性的表現を「女性自由な性表現」として擁護。
田中東子氏は自身BLを描く裏垢(別名義で商業BL執筆経験あり)を持ち、女性による男性性の消費を「多様性のある表現」と肯定的に扱う。

これらは「女性を守る」「ジェンダー平等を推進する」という善意から出発しています

2. 明確な内部矛盾ダブルスタンダード

• 同じ「性的対象化」基準男性向けに厳しく、女性向け(BL)に甘く適用

男性キャラクター性的に消費するBL(攻め/受け固定、受容葛藤ドラマ美少年理想化など)は「女性解放ツール」として肯定される一方、女性キャラクター性的強調(萌え絵)は「男性視線助長」「性差別」と強く批判。
堀あきこ氏は「BL教科書」で男性向けとBL比較しつつ、BL問題ゲイ男性オブジェクト化)を軽視。田中東子氏は萌え批判急先鋒でありながら、BL執筆を続けていることが2024年暴露され、「神話級のダブルスタンダード」として炎上しました。

• 「性的消費批判」の適用範囲が都合よく限定

現実ゲイ男性表象女性ファンタジーとして消費するBLは「安全な逃避」と擁護されるが、ゲイ当事者からの「ホモフォビア再生産」「表象の横奪」批判は「過敏」「ネタの一部」と矮小化されやすい。
これは淫夢ネタゲイAV異性愛者の笑いネタ転用)と構造的に同一です。両者とも当事者同意無視し、消費する側の快楽不快解消のために現実同性愛者を「イジっても大丈夫ネタ」化しています

フェミニズム自己矛盾

家父長制批判を掲げながら、多数派男性眼差し女性内面化させ、自らを制限させる構造再生産。BL擁護派は「女性性的主体性」を主張する一方で、男性向け表現規制を求めることで「女性表現自由」を選択的に守る形になります

3. 権力行使様態——学級会的な生権力

規制論者BLフェミニスト権力行使は、外部から法規制ではなく、内面化された相互監視として機能します(フーコー的生権力典型)。

• 学級会文化としての排除同調圧力

不快解釈違い、ゲイ当事者批判現実との衝突)を「界隈の調和」「正義」「女性尊厳」の名で集団的に処理。
「正しい萌えを守る」「有害表現排除」というお気持ち表明が延々と続き、異なる意見を「名誉男性」「ミサンドリー加担者」と村八分化。
これにより、自分不快を「学級会の議題」にすり替え表現多様性を抑圧します。

• 生権力としての内面化強要

あなた無自覚男性視線内面化している。だから自らを監視し、表現を控えよ」と女性に促す。
結果、女性クリエイター消費者自発的自粛するようになり、権力は最も効率的に浸透(外部強制ではなく「自発的配慮」として)。

BL界隈内部への波及


規制BLフェミニストの影響で、BL内でも「性的描写過激化を控えよ」「ゾーニングを」との声が上がり、商業BL自主規制圧力二次創作の学級会化を助長。
これは「女性性的主体性」を守る名目で、逆に女性創作欲望管理する逆説を生んでいます

まとめ:矛盾権力行使本質

規制論者BLフェミニストの主張は、「女性を守る」という善意から出発しながら、性的対象批判男性向けに厳しく・女性向け(BL)に甘く適用するという致命的なダブルスタンダードを抱えています。


これは淫夢ネタ構造的に同一の「現実同性愛者消費」であり、無自覚当事者人権侵害しています。


権力行使様態は学級会的な相互監視内面化強要——自分不快を「正義」にすり替え表現自由や多様な欲望を抑圧する生権力です。

この矛盾自覚的になることが、BL文化フェミニズムが本当に「解放」に向かう鍵です。


規制論者BLフェミニスト当事者との向き合い方と、罪への自覚度チェック

規制フェミニスト太田啓子、千田有紀田中東子、堀あきこら)の主張を、**当事者(主にゲイ男性BL性的消費被害者萌え批判対象となったオタククリエイター)**との向き合い方で検証しました。情報源は公開発言書籍Twitter/X、炎上時の対応記録などです。

1. 太田啓子弁護士

当事者との向き合い方:ゲイ男性オタク当事者からの直接的な批判に対して、ほとんど応答なし。キズナアイNHK事件では萌え絵を「性的に強調した描写」「アイキャッチの具」と批判したが、ゲイ当事者からの「BLも同じ性的消費では?」という声には触れず、一般論(「女性の体は性的に強調されやすい」)に留まる。萌え批判の延長でオタク表現全体を問題視するが、具体的な当事者対話の記録は見当たらない。

自覚度:極めて低い。ダブルスタンダードBL擁護 vs 萌え批判)や、ゲイ男性表象消費の問題を「社会構造全体の問題」にすり替え自身の主張が当事者人権侵害寄与している自覚は見られない。「法規制ではなく社会的議論を促すだけ」と繰り返すが、結果として炎上自己規制圧力を生んでいることへの反省ほとんどない。

2. 千田有紀氏(武蔵大学教授

当事者との向き合い方:キズナアイ事件で相槌の多さを指摘し炎上した際、Twitterで「印象操作」「ねつ造」と反論ゲイ当事者オタクからの「BLも同じではないか」という批判には直接応じず、「ジェンダー規範再生産」という一般論で処理。BLに関する当事者対話の記録もほぼない。

自覚度:低い。批判を「恣意的スクショ」「炎上演出」と切り捨てる防御的姿勢が目立つ。自身の主張がゲイ男性表象を「女性議論の道具」にしている自覚は薄く、「女性を励ます」という善意を優先。フェミニズムが「叩き棒」化することを後年懸念する発言はあるが、自身過去言動とのつながりを明確に認めていない。

3. 田中東子氏(東京大学大学院教授

当事者との向き合い方:萌え広告(宇崎ちゃん献血ポスターなど)を「ジェンダー規範再生産」と強く批判。一方で2024年11月自身が別名義(黒澤多香子)で過激BLポルノを書いていたことが暴露され、大炎上ゲイ男性オタク当事者からの「ダブルスタンダード批判に対して、明確な応答・謝罪なし。暴露後も沈黙または間接的な擁護に回る傾向。

自覚度:極めて低い(ほぼゼロ)。萌え絵を問題視しながらBL男性性を性的消費していた事実を、暴露されるまで公にしなかった。ダブルスタンダードを指摘されても「萌え絵=すべてポルノという誤解を正す」と一般論に逃げ、ゲイ当事者の「表象の横奪」という痛みを直視していない。学術者として最も自覚的であるべき立場で、矛盾放置している点が特に問題視されている。

4. 堀あきこ氏(社会学者、『BL教科書』著者)

当事者との向き合い方:『BL教科書』で「性の二重基準」を指摘しつつ、BLを「女性性的主体性」として擁護ゲイ当事者前川直哉氏など)との対談形式で「BLゲイ真摯対応してきた」と主張するが、当事者の痛み(ホモフォビア再生産、表象の横奪)を十分に受け止めた形跡は薄い。批判を「BL無罪論の誤解」と否定するが、具体的な是正策は示さない。

自覚度:部分的限定的。BL問題ゲイステレオタイプ化)を一部認め、「進化BL」の必要性を語る点で自覚はある。ただし、男性向け表現への規制志向BL擁護矛盾を「女性自由 vs 男性視線」という枠組みで正当化し、完全な罪の自覚には至っていない。

全体の傾向と結論

当事者との向き合い方:ほぼすべての論者が、ゲイ男性性的消費の直接的当事者)との真摯対話を避けている。批判を「印象操作」「社会構造問題」「誤解」と一般化・矮小化し、個別の痛みを受け止める姿勢が弱い。田中東子氏のように自身矛盾暴露された場合も、明確な謝罪や方向転換は見られない。

自覚度:全体的に極めて低い。
共通するのは「女性を守る善意」という枠組みで、自分の主張がゲイ男性人権侵害表象の横奪)やダブルスタンダードを生んでいることを直視せず、正当化回避する点です。
これはまさに学級会的な権力行使自分不快現実ゲイの声や矛盾)を「正義議論」にすり替え当事者の声を排除無効化する構造です。

規制論者BLフェミニストは、「家父長制批判」を掲げながら、自らが新しい生権力主体となって個人性的欲望表現管理しています。罪の自覚が低いまま「女性主体性」を主張し続ける限り、矛盾は解消されず、BL文化フェミニズム全体の信頼を損なうだけです。

2026-04-09

コナン映画、動員数増加の要因

設定とヘルプ

Gemini との会話

あなたプロンプト

名探偵コナン映画が毎年、動員数が増えている要因は

Gemini の回答

劇場版名探偵コナン』が毎年右肩上がりで動員数・興行収入を伸ばし続けている(2023年黒鉄の魚影』で初の100億円突破2024年『五稜星』で150億円突破)背景には、単なる「アニメの人気」を超えた戦略的な要因がいくつかあります

主な要因を整理すると、以下の5つのポイントに集約されます

1. ターゲット層の劇的な拡大(全世代化)

かつては「子供向けアニメ」でしたが、現在は**「かつて子供だった大人」と「今の子供」の親子二世代**、さらにはミステリーアクションを好む一般層まで取り込んでいます

大人の鑑賞に堪える脚本: 政治や最新技術AI、顔認証潜水艦など)をテーマに盛り込み、サスペンスとしての質を高めています

ラブコメ要素の強化: キャラクター同士の恋愛模様が丁寧(かつじれったく)描かれるため、女性ファンカップルリピート率が非常に高いのが特徴です。

2. 「推しキャラ戦略と「推し活」の融合

作品ごとに、コナン以外の**「メインキャラクター」を据える形式**が確立されました。

キャラ人気による爆発: 安室透(降谷零)をメインに据えた『ゼロ執行人』や、灰原哀フォーカスした『黒鉄の魚影』など、特定キャラクター熱狂的なファン(いわゆる「安室の女」など)がつき、その「推し」を応援するために何度も劇場へ足を運ぶ「追いコナン」という現象が定着しました。

3. 推理からアクションエンタメ」へのシフト

静野孔文監督時代(第15作〜)から、**「ハリウッド映画並みの派手なアクション」**を重視する演出に舵を切りました。

映画館の大きなスクリーンで見る価値がある」爆発シーンや身体アクションを増やすことで、推理漫画としての枠を飛び出し、スカッとするエンターテインメント作品としての地位確立しました。

4. 原作・本編との「絶妙な連動」

映画単体で完結させつつも、原作重要キャラクター過去新事実映画で初公開されるケースが増えました。

黒の組織の核心に迫る描写や、赤井秀一安室透などの人気キャラバックボーン映画で描かれるため、原作ファンが「見逃せないイベント」として劇場へ向かう仕組みになっています

5. 高度なマーケティングと「恒例行事化」

毎年4月ゴールデンウィーク前に公開するという**「春の風物詩」としてのブランディング**が成功しています

次回予告の演出: 映画最後に必ず「来年の主役」を暗示する特報が流れます。これにより、見終わった瞬間から翌年への期待感を持たせるという、非常に強力なファン繋ぎ止め戦略機能しています

SNSとの親和性: ネタバレを避けつつ熱量を共有しやす構成になっており、公開直後のSNSでの盛り上がりが新規客を呼び込むループを作っています

補足

近年では、日本国内だけでなくアジア圏を中心とした海外市場の成長も、制作予算の増加やクオリティ向上に寄与しており、それがさら国内のヒットを後押しするという好循環が生まれています

あなたプロンプト

1日に59回も上映する映画館があるらしい 公開直後でも予約なしでも見れるのかな

Gemini の回答

1日59回という驚異的な上映回数は、2026年4月10日(明日!)公開の最新作**『名探偵コナン ハイウェイ堕天使』に合わせて、「T・ジョイ横浜」**が打ち出したスケジュールですね。

もはや映画館のロビーが「電車時刻表状態になっているとSNSでも話題ですが、予約なしでふらっと行けるかどうかについては、以下のような状況が予想されます

予約なしで見れる可能性は「高い」が、条件あり

結論から言うと、**「席を選ばなければ、どこかの回には滑り込める可能性が非常に高い」**です。

回転率が異常: 5分〜10分おきに次の上映が始まるため、一つの回が満席でも、15分後の回や30分後の回には空きがある、という状況が生まれます

「予約なし」の落とし穴: 公開直後の土日は、予約なしで行くと「直近の回は満席で、2時間後の回しか空いていない」といった事態になりがちです。しかし、59回もあれば「15分待てば入れる」という状況になりやすく、飛び込み客にはかなり優しいスケジュールと言えます

注意すべきポイント

良い席は埋まる: 中央の見やすい席やペアシートなどは、事前にネット予約で埋まってしまます。予約なしだと「一番端っこ」や「最前列」になる覚悟必要です。

舞台挨拶や特典: 公開初日や2日目の特定の回(入場者特典の配布初動など)は、回数が多くても一気に埋まる可能性があります

劇場の混雑: 上映回数が多いということは、ロビーにいる人数も尋常ではありません。チケットを買うための列や、売店ポップコーンやグッズ)の待ち時間で、結局上映時間に間に合わない…というリスクがあります

賢く見るためのアドバイス

もし明日の公開日やこの週末に行かれるのであれば、**「劇場に向かう電車の中でスマホから空席状況を確認・予約」**してしまうのが一番確実です。

新宿区から横浜までは少し距離がありますが、わざわざ足を運んで「数時間待ち」になるのはもったいないですからね。もし「予約なし」にこだわるなら、お昼時などのピークを少しずらすだけで、よりスムーズに席が見つかるはずです。

今回の舞台横浜ということもあって、聖地での59回上映はかなりお祭り騒ぎになりそうですね!

日本東京都新宿区

あなたプロンプト

映画館の数は年々増えているのか

Gemini の回答

実は、「映画館の数(施設数)」自体は横ばいか微減傾向にありますが、「スクリーンの数」で見ると、ここ数年は増加傾向にあります

少し意外かもしれませんが、昔ながらの単館映画館(ミニシアター)が閉まっている一方で、複数スクリーンを持つ大型の**「シネマコンプレックスシネコン)」**が次々と新設されているため、全体としては「座席スクリーン供給量」は増えているという状況です。

現在の傾向をまとめると、以下のようになります

1. スクリーン数は緩やかに増加

2026年現在、全国のスクリーン数は3,600〜3,700前後で推移しており、前年から20スクリーン以上増加するなど拡大基調にあります特にイオンモールTOHOシネマズといった大手が、再開発に合わせて新しいビル商業施設に最新設備IMAXDolby Cinemaなど)を備えた映画館をオープンさせていることが要因です。

2. 「大型化・集約化」と「二極化

シネコンの独走: 1箇所に10スクリーン以上あるような施設が増えており、今回の『コナン』の「1日59回上映」のような極端な編成ができるのも、このシネコンの強みです。

ミニシアターの苦境: その一方で、新宿シネマカリテやシネ・リーブル池袋といった歴史あるミニシアターが閉館するなど、小規模な映画館は厳しい経営状況が続いています

3. 直近・今後の主な新設予定(2026年

あなた拠点である東京近郊でも、新しい映画館の動きが活発です。

TOHOシネマズ 大井町: 2026年3月オープン

イオンモール 八王子IC: 2026年春にオープン予定。

TOHOシネマズ 名古屋栄: 2026年夏に開業予定。

結論

映画館という建物」の数は、閉館と開館が入り混じって増えている実感は薄いかもしれませんが、「映画を見られる場所スクリーン)」の数は着実に増えています

特にコナンのようなメガヒット作品は、全国に増えたシネコンスクリーンをフル活用して「見たい時にいつでも見られる」環境を作り出しており、それが先ほどお話しした動員数アップの大きな物理的要因にもなっています

あなたプロンプト

時期的にビッグタイトルが重ならないか一人勝ち出来るんでは

Gemini の回答

かに、この「4月中旬」という公開タイミングは、興行戦略として非常に計算し尽くされた**「一人勝ちできる絶妙な隙間」**と言えます

なぜこの時期にビッグタイトルが重なりにくく、コナンが独走できるのか、その裏事情を読み解くと面白いですよ。

1. 「春休み」と「GW」の谷間を狙う

多くのファミリー向け大作映画ドラえもんプリキュアディズニー系など)は、3月の「春休み」に合わせて公開されます。一方で、洋画の超大作などは5月の「ゴールデンウィーク」に向けて公開されます

コナンはその中間4月第2週〜3週に公開することで、春休み映画が一段落し、GWの新作が来る前の「手薄な時期」のスクリーンを独占します。

劇場側も、GWに向けて集客の目玉が欲しい時期なので、コナンのために最大スクリーンを空けて待っている状態になります

2. ライバル作品が「コナンを避けている」

現在コナンは、公開から数週間で興行収入50億、100億を軽々と稼ぎ出す「怪物」です。

他の配給会社としては、同じ時期に大型作品をぶつけても、スクリーンの確保や話題性で勝ち目がありません。そのため、**「4月後半に大きな映画を出すなら、コナンから2週間は離そう」**という力学が働きます

結果として、自ずとライバルがいない環境ができあがります

3. 今年の2026年4月はどうなっている?

明日2026年4月10日公開の最新作**『ハイウェイ堕天使』**の周辺状況を見ても、この戦略は健在です。

強力なライバル: 4月後半には『ザ・スーパーマリオギャラクシームービー』や実写版『SAKAMOTO DAYS』などの話題作が控えていますが、いずれも4月24日以降やGW直前です。

独走期間: つまり明日から約2週間は、全国の映画館のメインスクリーンが「コナン一色」になります。59回上映ができるのも、この時期に「他にこれほど客を呼べるコンテンツがない」からこそ可能な力技です。

4. シリーズの「イベント化」

もはや映画というよりは、お花見と同じような**「4月になったら映画館へコナンを見に行く」という年間行事として定着しています

ビッグタイトルが重ならないから勝つ」というより、「コナンが来るから他のビッグタイトルが道を譲り、結果としてお祭り騒ぎになる」**という、まさに王者の勝ち方になっています

明日からお祭り、せっかくなら59回上映という「歴史的瞬間」を横浜体感してくるのも面白いかもしれませんね!

あなたプロンプト

ビッグタイトルであるドラえもんだと謎解き要素がなく、大人がそこまで夢中になれないので、コナンのほうが大人も楽しめるのかどうか

Gemini の回答

まさにその通りですね。ドラえもんコナンの決定的な違いは、ターゲット設定の**「解像度」と「レイヤー階層)」の深さ**にあります

大人コナンにこれほどまで夢中になれる(あるいは、ドラえもんより深くハマりやすい)理由は、単なる「謎解き」以外にもいくつか構造的な要因があります

1. 「知識」と「論理」を要求するミステリー

ドラえもん映画は、主に「勇気」「友情」「冒険」といった感情的テーマが中心で、SF設定(ひみつ道具)も「もし〜できたら」という子供空想に基づいています

対してコナンは、**「大人知的好奇心」**を刺激する作りになっています

専門知識の導入: 化学歴史、最新の軍事技術ITなど、大人が「へぇ〜」と思うようなトリビアトリックに組み込まれます

ロジックの積み重ね: 伏線回収の快感は、論理的思考を好む大人にとって非常に強力なエンタメになります

2. 「縦軸(本筋)」の緊張感

ドラえもん基本的1話完結の物語ですが、コナンには「黒の組織」という**完結していない巨大な謎(縦軸)**があります

映画のたびに「組織の核心に1ミリ近づくのか?」「RUMラム)の正体に関するヒントが出るのか?」といった緊張感があり、これはもはや長編サスペンスドラマ20年以上追いかけている感覚に近いです。この「続きが気になる」感覚大人を引き離しません。

3. 人間関係の「エモさ」と「複雑さ」

大人がハマる最大の要因の一つが、実は恋愛人間ドラマです。

多様な関係性: 新一と蘭の「会えない恋」だけでなく、警察関係者の恋、安室透のような「国に恋する男」、灰原哀の「複雑な恋心」など、大人からこそ共感できる、あるいは応援したくなる多層的な人間模様が描かれます

これにより、キャラクターを「子供向けアニメ登場人物」としてではなく、**「推し」**として応援する大人が激増しました。

4. 映像の「実写映画化」

近年のコナン映画特に立川譲監督櫻井武晴氏の脚本回など)は、カット割りや演出が完全に実写のパニックアクション映画のそれです。

爆破、カーチェイス、格闘シーンのクオリティが非常に高く、「アニメを見ている」というより「007」や「ミッション:インポッシブル」を見ているような感覚に近いため、大人劇場で見る「映画体験」として満足度が高いのです。

とはいえドラえもんの「凄み」

一方で、ドラえもんは「親が子供安心して見せられる」「子供時代純粋な心を思い出させる」という、コナンにはない圧倒的な安心感と普遍性を持っています

結論として

「謎解き」というゲーム性と、「組織」という重厚な設定、そして「キャラの魅力」が絶妙ブレンドされているからこそ、コナンは**「子供を連れて行った親が、子供以上に身を乗り出して見てしまう」**という現象を起こせているのだと言えます

明日の『ハイウェイ堕天使』も、おそらく大人を唸らせるような社会派テーマや、驚きの人間ドラマが仕込まれているはずですよ。

あなたプロンプト

パチンコが衰退した地方でのシネコンは身近な娯楽だし、GWという大体どのサラリーマン休みでお一人様で過ごすには期間が長い、でもどこかへ行きたい。ひとりで行ける場所、そうだ映画。という風にはなりやすいんでは

Gemini の回答

その洞察、非常に鋭いです。まさに現代地方都市における「レジャーの空白」をシネコンが埋めている側面は確実にあります

おっしゃる通り、以下の3つの要素が組み合わさることで、コナンシネコンが「お一人様」の強力な受け皿になっています

1. 地方における「パチンコからシネコン」へのシフト

かつて地方ロードサイドにおける「手軽な非日常」の代表パチンコ店でしたが、娯楽の多様化規制の影響で店舗数は減少しています

その一方で、郊外の巨大なショッピングモールイオンモールなど)に併設されたシネコンは、以下のような点でパチンコに代わる「身近な逃避場所」となっています

心理的ハードルの低さ: 1人でも入りやすく、清潔で、冷暖房完備。

コストパフォーマンス: 2,000円前後で2時間、完全に現実を忘れて没頭できる体験は、現代タイパ・コスパ重視の傾向にも合致しています

2. GWという「長すぎる連休」の過ごし方

サラリーマンにとって、GWのような長期休暇は嬉しい反面、予定がないと「何もしない罪悪感」や「手持ち無沙汰」を感じやすい期間です。

遠出のストレス回避: 観光地はど

2026-04-08

AIバブルについて間違ってることたぶん正しいこと

経済学を学んできた人間として私が長年思い知らされてきたことのひとつは、技術革命についての予測はほぼ必ず二つの方向に間違えるということだ。短期的な影響を過大評価し、長期的な影響を過小評価する。Amara’s Lawと呼ばれるこの法則は、もう耳にタコができるほど引用されているが、引用している人々の大半がその含意を正しく理解していない。

なぜか。この法則が本当に言っているのは、私たち技術生産性への経路(path)を予測するのが絶望的に下手だということであり、それは「長期的にはすごいことになる」という楽観論の根拠にはならないからだ。むしろ謙虚さの根拠である

ソロー幽霊、ふたたび

1987年ロバート・ソローが言った有名な一言がある。「コンピュータ時代はどこにでも見えるが、生産性統計の中には見えない」。いわゆるソローパラドックスだ。

結局のところ、ソローは間違っていた——ただし、正しくなるまでに約10年かかった。1990年代後半になってようやく、IT投資全要素生産性TFP)の統計に姿を現した。そしてその生産性ブーム2004年頃にはもう息切れしていた。つまり、真に生産性が加速した期間はせいぜい7〜8年だった。

ここで問いたい。AIについて、私たちソローパラドックスのどの段階にいるのか?

私の暫定的な答え:まだ最初期、つまり投資は膨大だが生産性統計にはほとんど現れていない段階だ。2024年から2025年にかけて、米国大手テック企業AI関連の設備投資に年間2000億ドル以上を注ぎ込んでいる。これはドットコムバブル期IT投資インフレ調整後でも凌駕する規模だ。しかBLS労働統計局)の生産性データは頑固に平凡なままである

これ自体は悲観する理由ではない。1990年代の教訓は、GPT(General Purpose Technology、汎用技術——チャットボット名前ではない)の生産性効果は補完的な投資組織変革が追いついて初めて顕在化する、というものだった。電力についてのPaul David古典的研究が示したように、工場が電力を最大限活用するには、建物設計から生産プロセスまで全面的に作り直す必要があった。それには一世代かかった。

問題は、AIについてこの「一世代」がどのくらい圧縮されるか——あるいはされないか——である

■ 今回は本当に違うのか

AI推進派(ブースター)たちの主張を整理しよう。彼らの議論は概ね三つのからなる。

第一に、AIは「知的労働」を自動化するので、過去技術革命肉体労働機械化)とは質的に異なる。第二に、AIAI自身の改良に使えるので指数関数的な自己改善が起きる。第三に、したがって従来の経済モデル適用できない。

率直に言おう。第一の主張には相当の真実がある。第二の主張は経験的にまだ確認されていない。第三の主張はほぼ確実にナンセンスだ。

第一の主張から。確かにLLM(大規模言語モデル)がホワイトカラー業務の一部を代替・補完できることは明らかだ。コードを書く、文書を要約する、定型的な分析をする——これらのタスクAI人間と同等かそれ以上のパフォーマンスを示す場面は増えている。そしてこれらはGDP統計の中でかなりの比重を占めるセクター業務だ。

しかし——そしてこれは大きな「しかし」だが——タスク自動化職業自動化は全く別物である。これはDaron AcemogluとPascal Restrepoの研究が繰り返し示してきたポイントだ。ある職業の30%のタスク自動化可能だとしても、その職業消滅するわけではない。むしろ、残りの70%のタスク——AIには(まだ)できない判断交渉文脈理解——の相対的価値が上がる。

経済学ではこれを「Oの環理論(O-ring theory)」で考える。宇宙船チャレンジャー号を思い出してほしい。あの事故では、一個のOリング不具合が全体を破壊した。多くの知的労働もこれに似ている。プロセスの大部分をAI完璧にこなしても、人間判断必要な一箇所が全体の質を規定する。この構造がある限り、「AIが全てを代替する」というシナリオは実現しにくい。

バブル解剖学

投資の話に戻ろう。

私はバブルかどうかという問いの立て方自体が間違っていると思う。正確な問いはこうだ:現在AI投資の期待収益率は、資本コストを上回っているか

NVIDIA株価は、AI関連の半導体需要が今後5年間にわたって年率30%以上で成長し続けることを織り込んでいる。Microsoftクラウド事業評価額は、企業AI導入率が楽観的なシナリオの上限で推移することを前提としている。これらの仮定が同時に成立するためには、AI経済価値が、それこそ過去のどの汎用技術よりも急速に実現されなければならない。

これは不可能ではないが、歴史的基準率(base rate)を考えれば、かなり強気な賭けだ。

もうひとつ、あまり議論されないが重要ポイントがある。AI投資地理的企業的集中度だ。米国AI設備投資の大部分は事実上5〜6社に集中している。これは1990年代後半のテレコムバブル構造的に似ている——大量の資本が少数のプレイヤーの「勝者総取り」の賭けに集中し、セクター全体の合理性個別企業の楽観バイアスの総和によって歪められる。

マクロ経済的により心配なのはバブルが弾けた場合波及効果だ。テック企業設備投資GDPの相当部分を占めるようになった今日AIへの期待の急激な修正は、2000年ドットコムクラッシュよりも大きなマクロ的ショックをもたらす可能性がある。

■ 分配の問題

仮にAI楽観論者が正しいとしよう。AIが本当にGDP成長率を年1〜2ポイント押し上げるとしよう。それでも、私にとって最も重要な問いは変わらない。誰がその果実を得るのか?

過去40年間の技術進歩歴史は、生産性の上昇が自動的に広く共有されるわけではないことを痛いほど示してきた。実際、skill-biased technological change技能偏向技術変化)の文献が明らかにしたのは、ITの普及が賃金格差の拡大と中間層空洞化寄与したということだ。

AI場合、分配効果さらに極端になる可能性がある。なぜなら、AI代替するのは(少なくとも当面は)比較的高給のホワイトカラー業務の一部だからだ。パラドキシカルに聞こえるかもしれないが、配管工やクリーニング業者仕事は、弁護士パラリーガルジュニアプログラマー仕事よりもAIによる代替に対して安全だ。これは分配の観点から複雑な含意を持つ——単純な「高スキル対低スキル」の図式では捉えきれない再編が起きる。

■ 私が本当に心配していること

以上を踏まえて、AI経済についての私の暫定的見方をまとめよう。

AIは本物の汎用技術であり、長期的に有意生産性効果をもたらす可能性が高い。しかし「長期的」が何年を意味するかについて、私たちは驚くほど無知である現在投資水準は、その効果歴史的例外的な速さで実現されることを前提としている。そしてたとえ楽観的なシナリオが実現しても、分配の問題自動的解決されることはない。

ただし、私が最も心配しているのは、上記のどれでもない。

私が最も心配しているのは、AIについての公共議論の質だ。テクノユートピア主義者たちは「AGIが3年以内に来る」と叫びテクノペシミストたちは「大量失業が来る」と叫ぶ。そしてどちらの陣営も、自分たちの主張がきわめて不確実な予測に基づいていることをほとんど認めない。

経済学を学んだ人間として私が言えるのは、不確実性にはそれ相応の政策対応がある、ということだ。セーフティネットの強化、教育と訓練への投資競争政策による市場集中の抑制——これらは、AIユートピアをもたらす場合でもディストピアをもたらす場合でも、あるいはその中間の(最もありそうな)場合でも、正しい政策だ。

確実性の幻想に基づく政策よりも、不確実性を認めた上でのロバスト政策のほうが、はるかにましだ。これは退屈な結論かもしれない。だが退屈な正しさは、刺激的な間違いに勝る。いつだってそうだ。

2026-04-04

自転車への青切符導入に伴う世論誘導および報道偏向に関する抗議

現在進行している自転車への「青切符」導入議論において、国土交通省の発表資料および「オールドメディア」と揶揄される既存報道機関による情報発信には、

国民の正確な判断を妨げる深刻なミスリードが含まれている。実態に基づかない「自転車危険性」のみを強調する現在世論工作に対し、以下の4点において強く抗議する。


1. 「事故数推移グラフ」の提示欠如による実態隠蔽

報道の多くは「自転車危険になっている」という印象を植え付けているが、警察庁統計資料を見れば、自転車当事者となる事故件数自体は長期的に減少、あるいは横ばい傾向にある。客観的な「事故件数の年次推移グラフ」を提示せず、特定の強い印象を残す断片的な情報のみを強調することは、事実を歪曲する不誠実な報道姿勢である


2. 生データではなく「加工された2次データ」による数字すり替え

事故絶対数(1次データ)ではなく、「全事故件数に占める自転車事故割合」といった加工済みの2次データを用いる手法は極めて悪質である自動車事故安全技術の向上により急減した結果、相対的自転車割合が上がって見えるだけであり、これは「自転車が以前より危険になった」ことを意味しない。分母の変化を無視した統計悪用は、国民に対する重大な欺瞞である自動車事故は年々、急激に減っているのだからそれと自転車事故件数比較して、割合が増えてるグラフを表示しても、それは自転車危険意味しない。


3. 操作可能な「検挙数」を事故増加の根拠とする不当性

取締りによる「検挙数」の増加を、さも「違反事故危険が増えた」証拠として扱うのは論理破綻している。交通安全週間などの取締り期間を2倍、5倍に増やせば、検挙数も比例して増えるのは自明であり、数字行政側で容易に操作可能である取締りの強化という「行政側の行動結果」を、利用者の「モラルの低下」にすり替え論法断じて容認できない。


4. 全体像無視した「一部の限定データ」の抽出

全体の事故件数が減少しているにもかかわらず、事故要因が複数ある中から一時的に微増している特定の項目(スマホみながら運転)」や「限定的な条件下のデータ」のみを抽出して強調している。多角的な要因分析インフラ整備の遅れや車両側の問題等)を放棄し、一部の数値のみを肥大化させて自転車利用者のみを悪者にする手法は、法改正正当性を無理に作り出すための世論工作と言わざるを得ない。


結論

正確な統計データに基づかない法整備は、国民権利を不当に侵害し、真の交通安全には寄与しない。国土交通省および各報道機関は、特定結論に導くための数字の加工をやめ、科学的かつ公平なデータ国民提示すべきである

2026-03-27

映画SHOT/ショット を見た

予算アイデアで補おうとしてはいるけどアイデアを活かす脚本が欲しかった41点。

 

かわいいお姉ちゃん主人公父親と一緒に友人宅をリフォームして販売するために訪れる。夜になりそろそろ寝るかとなったとき、2階から物音がし父親が見に行くが戻ってこない。父親を捜しに行く主人公。戦慄の一夜が幕を開ける。

みたいな話。

 

全編手持ちカメラのワンショット撮影されていて、ずっといち視点として主人公を追いかけていく形で話は進む。これが最終的に何かのトリックだったりになっていくのかなと思っていたが別にそういうことはなく、結局何のワンショットだったんだ……となって終わってしまうのが残念。

普通映画文法に則った撮影ではなく、純粋主人公の後ろを誰かがついていっているような視点で話が進むので暗いシーンでは暗くなり、明るいシーンでは明るくなり、主人公のいる環境自分いるかのような没入感を演出するという点では成功はしてると思う。

一方で、今作ではほとんどろくに電気も通っていないボロ家の夜なので常にずーっと薄暗く、恐怖の演出のために定期的に明かりがなくなって真っ暗になるのでシンプル目が疲れる。もちろんそれがジリジリとした怖さや、ジャンプケアビックリ寄与しているのはわかるが、暗すぎて見ていて本当に疲れてしまう。ある意味で言えばメリハリがないのは問題だと思う。

ただ、ワンショットの中での工夫は少なくなくて、主人公の右肩越しにカメラ空間を撮っていて、主人公が右を向いたらカメラも右に振られて何もない空間を映していると、なぜか主人公視点の左側から出てきて~みたいな面白不思議ショットは印象に残った。一番よかったのはミッドクレジット主人公が娘と手を繋いで森を歩いていて草原に出る時に、主人公左手で娘と手を繋いでいるショット主人公の右肩の方から撮っていて、ぐるっと左側に主人公を映したまま回り込むといつの間にか娘はいなくなり、主人公は娘が持っていたぬいぐるみだけを持ち朝日草原の中に消えていくというショット

実際のところ、この話は友人と父親関係を持っていた主人公妊娠したけどいろいろあって娘を堕ろしたこと主人公不安定になっていて、父親、友人は主人公殺害していたのでした。ワンショットのように見えた映像は実際の出来事とは実は違ったのだと思われます、という話になっている。

ワンショットから嘘がないと思わせておいて実はウソでしたってことなんだろうけど、まぁ、そのツイストわからんじゃないけど、じゃあこのワンショットはなんだったのかという話になる。トリックのためのトリックすぎるかなぁ。

方法わからんけど、仮にこのワンショット視点は実は乖離した主人公のもの真相が明らかになったとき主人公を見ていた主人公視点主人公統合されて最後主人公一人称視点に変わる、みたいな感じだったらまぁ無理やり感はありつつも、おぉ~って感じになった気がしないでもない。

 

まぁ、そんな感じかな。2010年ウルグアイでワンショットの謎解きありホラー映画を撮ったっていうのがそもそもめっちゃ頑張ってると思うから、呪われた館系ホラーアトラクション主人公の後ろをついて回ってみたいなって人はオススメ

2026-03-26

スピッツと私

スピッツが好きだった。

だった、と過去形にするにはまだ早いかも知れない。けれども、少なくとも”好き”の熱量は数年前に比べて確実に減少している。

それはまあ、長年好きで居続けたら同じ熱量を保つ方が難しいとも言えるのだが、そのきっかけがまさかロックロックこんにちは』だとは自分でも予想していなかった。

 

 

私がスピッツ出会ったのは、高校生の頃だった。

ロビンソン』が大ヒットしたタイミングで曲を耳にし、綺麗な声と不思議歌詞だな、と気になり始め、その後CMソング採用された『渚』を聴いて、このバンドの曲をもっと聴きたいと思うようになった。

その頃はサブスクなどというものはなく、それどころかインターネットもまだ黎明期といった時期で、音楽聴くにはCD(あるいはカセットテープ)を買うかレンタルするかという手段しかなかった。

貧乏学生だった私にはおいそれとアルバムを買い集めることはできなかったため、レンタルショップでスピッツアルバムを借り、それをカセットテープダビングして何度も何度も曲を聴いた。

それまで、ある曲が良いと思っても、そのミュージシャンの他の曲にはピンとこないというのをくり返していた私にとって、どのアルバムのどの曲もストライクとなるミュージシャンスピッツが初めてだった。

ロビンソン』でのブレイク後だったから、チケットぴあ開店から並んでもライブチケットはなかなか取れなかったが、奇跡的に手に入れたチケットでのライブは夢のようなひとときだった。

 

 

働き始めてからファンクラブにも入会した。スポンジのような大地のような、未だに何なのかよくわからないモチーフ(多分スピッツベルゲン島?)の会員カードが送られてきたのを覚えている。

その頃のファンクラブ会報はA5を縦半分にしたぐらいのサイズで、紙質もそこまで良くはなく、おまけにフルカラーではなく多色刷りだったが、雑誌では読めないメンバーコメントが見られるのは毎号楽しみだった。

 

このファンクラブ会報は、私が25年以上の間スピッツファンでいられたことに、そして、私の中のスピッツ像の形成に少なから寄与していると思う。

何故なら、会報を通して見るメンバー雰囲気が、「仲良し」以外の何者でもなかったからだ。

 

初期の頃の内容はあまり覚えていないが、いつからか続いているシリーズとして、メンバー4人があちこち体験に出かけるというものがある。

風鈴を作ったり、お皿に絵付けをしたり、うろ覚えだが乗馬をしていた号もあったような気がする。

ともかく、そのシリーズでのメンバー4人はとても和気あいあいとしていて、学生の頃に結成したというバンド当時の雰囲気をそのままキープしているように見えた。

会報のみならず、音楽雑誌インタビューMV撮影秘話などでも、メンバー同士の仲の良さ・雰囲気の良さには結構な頻度で言及されていた。

さらに、邦楽バンド解散がいくつか続いた時期に、メンバーの一人が「皆、どうして解散ちゃうのかな」と呟いていたのを会報で目にしたこともあった。

それほどまでに、彼らの距離感絶妙だった。付かず離れずである一方で、学生の頃のような友人同士の無邪気さをいつまでも保ち続けていた。

 

不思議もので、メンバー間の雰囲気が良いと、何となくメンバー自身が穏やかで良い人のように見えてくるものだ。

 

いや、これではまるで「スピッツは本当は過激で悪い人たち」だと言いたいかのようだ。そんなつもりは毛頭ない。

会報雑誌インタビューラジオなどでの数々の発言からして、どちらかに分けるとすれば彼らは間違いなく「善人」である

ロックミュージシャンらしく、ある程度の毒を持ってはいるけれど、基本的には良識を持ち互いを尊重し合う人たちだと思う。

これまでに不倫脱税と言った俗っぽいスキャンダルもなく、解散や不仲の噂が出たこともない。

取材の場となったファミレスから出て行く時は、後ろに続く人のためにドアを押さえてあげるような、そんな当たり前の善性を持った人たちだ。

からこそ、私には、『ロックロックこんにちは』(以下、ロックロック)に彼を招いたという事実が飲み込めなかった。

(※ここでは「彼」を攻撃中傷する意図や、トラブル自体の是非を問う目的は全くなく、あくま推し自分との距離感が崩れたきっかけとして取り上げています。)

 

 

その人の名前はここでは伏せるが、過去にあるトラブルがあったミュージシャンである。彼の名が出演者リスト記載されていた時、何故、という気持ちがどうしても拭えなかった。

かと言って、トラブルがあったのだから二度と表舞台に出ないでほしい、と言いたいわけではない。

きちんと決着をつけたのであれば、音楽活動を再開するのは自由だと思う。

そして彼は、詳細はわからないものの、決着がついたという報道もされていた。そこをファンの方が支えたり、同じミュージシャン仲間が手助けしたりすることに異を唱えるつもりはない。

でも、その役割スピッツに担ってほしくはなかった。否、見えないところで支援する分には文句をつけるつもりはないが、大っぴらに主催イベントに呼んでほしくはなかった。

私にとってスピッツは、本人たちがトラブルとは無縁であるのは勿論のこと、そういった出来事に寛容である姿勢を見せない存在でいてほしかった。

ロックロック出演者は、主催であるスピッツが選定する。何故彼なのだろう。ロックロックなら出たいと望むミュージシャンなんて山ほどいるだろうに。そう思わずはいられなかった。

呼ぼうとするだけの強い理由が何かしらあったのだろうが、それが何であれ、私にとっては受け入れることはできなかった。

 

つまるところ、私はスピッツに対していつしか夢を見すぎてしまっていたのだろう。神格化していたと言ってもいいかも知れない。

私の中のスピッツが持っていてほしかった線引きと、実際のスピッツのそれとで食い違いがあったというだけの話である

だが、その「だけの話」で、私の中の熱量は確実に減ってしまった。

何もスピッツの誰か(あるいは全員)がトラブルを起こしたわけでもあるまいに、この程度のことで冷めるなんて本当のファンとは言えないのではないか、そう悩んだ時もあった。

けれど、そもそもこちらは彼らの曲に感情を揺さぶられてファンになった身である。その感情冷水を浴びせられて冷めることに、何の不思議もない。

 

今、私にとってスピッツはゆるやかに「かつて好きだったバンド」になりつつある。それでも、年間通して一番聴いているのはやっぱりスピッツの曲なのだ

今後発表される新しいアルバムにまた感情を揺さぶられて熱量が戻るか、もしくは戻ることがないままになってしまうのか、それはまだわからない。

できれば、また以前と同じように好きになりたいと願っているけれど、心のどこかでもう戻ることはないのではないかと思っている自分もいる。

そうかな〜? anond:20260326124521

数年円安になったくらいで日本投資しよう

これが案外そうなってて、有名どころでいえばバークシャー・ハサウェイとかが、日本の5大商社株とか東京海上とかを買ってるって話もあるし、その他有象無象外国人投資家日本株買ってるから、このところの日経平均とかの値上がりにもかなり寄与してるはずだろうw

あとねー、オレは最近ガソリンいから、日常スーパーなどへの買い物は自転車で行くことが多くなったねw ガソリン需要ちょっと減ってるはずww

2026-03-25

anond:20260325124850

1:軍事について。徴兵がお前の言うような話に寄与するというと、しないのではないか? 募兵でよくない? もうやってるし。近年は専門性必要って聞くぜ。

 

2:公平っていうけど、能力に応じて仕事に差があるのはしかたなくない? 公平と平等差異の話とかする?

 

3:国家存亡の危機かいうけど、流石にそういう状況になってから徴兵の話がでたら、全然多くの人が応じるんじゃない? でもいまはそうじゃないし、将来的にそうなる見込みすらないじゃん。机上の空論で遊んでない? リスクっていうか現実を見なてないのお前じゃない?

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