はてなキーワード: 及第点とは
ざっくばらんに書きすぎて誤解が生まれてる箇所があるようなので弁明と所感の補記。長くなった。
あとちらほら男性認定されてるから一応明記しておくと私は30代前半女。文章の書き方がおっさん臭いとは言われたことはある。
まず食費にお米は含んでない。ご実家から貰うらしい。調味料は元々あるけどちょこちょこ買い足したので微妙。
まとめ買いやらお勤め品やら駆使してお弁当は8品前後、食卓には一汁三菜並ぶように意識してるけどまあ2人なので何日か同じものが続くこともあるし、生野菜不足してる感はさすがにある。水菜高すぎ。
ものすごく切り詰めている訳ではなく、かと言ってノールックでシャウエッセンをカゴに入れるような買い方はしてないよというバランスの取り方に及第点はほしいなという程の意味。
日中の過ごし方については、色々述べたけどつまるところはご指摘の通りゴロゴロしてるだけ。家最高。あと掃除について言及があったけど、彼に「なんか家中がピカピカしてる…」と言わしめたので一応やってるということでいいと思う。ただ基本的には彼の家のため触られたくない所は自分でやってるようなので私がやってるのは蛇足な部分かも。
飼われてる発言の発端は、私から「飼い猫のようにしおらしく毎日あなたの帰りを待ってるよ」みたいなことを言い出したのに対し「猫?雌ライオンでしょ」という返しつきで彼が乗っかってきて、その後もふいに始まった不思議なこの共同生活を表現するときに「飼ってる・飼われてる」が使われるようになっただけでお互いに他意はないはず。
お弁当箱は自分で洗ってるし食後の皿洗いもやってくれる、いつもありがとうという文脈で外食に連れてってくれたこともあるので、今のところ2人の間にだけ伝わる愛のある冗談だと私は受け取ってる。
これはモラ夫のケがあるってことなのかな、それは避けたいけどどうしたら。
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彼の一存で私をどうにでも出来てしまう現状が不健全なのは自覚してる。私がいなくなったところで彼はまた一人暮らし仕様の生活水準に戻るだけで、私が彼を失うのに比べて彼が究極的に困ることはない。だからこそずっと愛されるように(="飼い"続ける価値がある)女性としての魅力を保つ努力をしたいと思っている。
本文含め私のスタンスをフェミ的な観点から問題視する向きもあるかもしれないけど、要は単純に好きな人からずっと好きと思われるためにお互いに努力したいよねってだけ。私も向こうには尽くすに値する素敵な男性でい続けてほしい。ちょっと言葉が乱暴だったのは申し訳ない。
経済的に立ち行かなくなった時、恋心が褪せた時、彼に依存しすぎて戻れなくなった時、要は現状の満足を構成する要素が欠けた時への備えについてのご指摘はまさに正視できないでいる点なのだけど、今は休ませてほしい。仕事をしたくない訳ではなく通勤電車と人間関係の維持に疲れたのです。とにかく家から出たくない…。
結論としては、好きな人とお互いを捧げ合って毎日一緒にいることで得られる安心感の素晴らしさを知ったということが言いたかった。
色々言及頂いて、現状や自分自身に対する客観的な認識を補えて有り難い気持ちになった。
人の世話を焼くことで自己肯定感の確認してるのではというのは確かにその通りかもと思った。子どもがいればそっちの特性はより活かせるかもしれないけど、ママ友とかPTAとかに参加することで、また延々人間関係という大縄跳びをやり続けないといけないと考えるとうんざりする。
あとは久しぶりに彼以外の人間の生の声を受け取った気がして、文章越しとは言え新鮮だった。ありがとうございます。以上。
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仕事辞めてから彼氏の家に転がり込んでみたところ、セルフネグレクト寄りだったはずの自分がきちんと主婦業できそうなことが分かった。
朝食を調えて駅まで送り日中は家事をして、夕方には夜ご飯の用意などしてから駅まで迎えに行く生活をして早数ヶ月経った。
駅まで送った帰宅後に何をしてるかと言えば家事とネットサーフィンたまに勉強、献立の検討。食事にこだわりがある彼に対し私が時間を割けるので、天ぷら大会やら魚を丸ごと買ってきてお刺身にするやら少し凝ったものを用意できるのが楽しい。彼も満足してくれているようなので、無償で与えられた住環境に対してせめて報いれるものがあるとするならばこちらも嬉しい。
食(材)費は 30,000円/月ほどでほぼ自炊で2人分の朝昼晩を賄えている。悪くない数字ではないか。
話は逸れるけど、人に食べさせる料理を毎食毎日作ることの一人暮らしとの大きな違いがこの共同生活の中で一番労力がかかってる部分かもしれない。
食べる人の好き嫌いやこだわりや気分、日ごと食事ごとに対してのジャンルと食材のバランス、ボリューム、食べ合わせ、彩り、衛生環境、ご家庭で食べるに見合った値段で、使い切れる量の買い出し、……
一人でいれば毎食冷凍うどんでいいやとほとんど作業と割り切ってる食事が誰かに差し出すとなると途端に検討要素と作業工程が倍増する。
これを絶え間なく、その他日常生活の運用に必要なプラスアルファを加味して何年もつつがなくこなすと考えると、世間で揶揄されるほど専業主婦は暇ではないなと実感してる。これに子育てが加わったら私には無理だな。
ただ社会人期間と比べてあまりにも人と会わなさすぎ(コミュニケーションがなさすぎ)るので人嫌いの自分もさすがにおやとなり、巷でよく聞く「寂しくて不倫」の機序はこういう心理の自覚から始まるのかもなとは想像がついた。
最近は彼の帰りが遅い上にちょっと大きめの言い争いがあったためぎくしゃくしてるのも相まって「他の人と会いたいなー」という気持ちもなくはないけど、人と関わっても結局面倒くさくなる自分の質も数十年人間やってみてよくわかったので、あえて外界に出ようという気は起こらない。
こと自分に関しては基本的に出不精だから日中もほとんど活動しない。この数ヶ月スーパーと家の往復だけ。たまに喫茶店に寄り道したり近所を散歩するくらい。
初期の頃はお昼寝タイムもあったけどここ最近はずっと起きてる。これで上述のように過ごしてると意外にも早く過ぎて夕方には翌日のお弁当と夕飯の準備を始める。すこぶる健康に過ご(させてもらって)る。
不安ごとがあるとするならば、今は完全に無収入で彼の生活にフリーライドしてるのでそれが少し申し訳ない。怖くて聞けないし向こうも言ってこないけど、光熱費とかすごいことになっているのではないか。
勤労意欲は沸かないけど目の前の人のためになにかしたい気持ちはある。まあそうなると今のグレードを維持した家事炊事は無理だろうが。
あとは自分で家事しなくて済んで時間が浮いたことにより付け上がった彼が仕事と嘘ついて外で女作ってきたらどうしようとか表情筋動かしていなさすぎるからか顔がデカくなってきた気がするとかか。
彼は「一人暮らしのやり方忘れた」と言い出し始め私のことを「飼ってる」などと笑うが、私も自分が食べ切れない料理を感想付き(ここ大事)で食べてくれて、必要以上に他人と関わらず、人権の欠片も感じられない地獄のようなあの通勤電車にも乗らないで済むこの生活を続けたいので割と冗談抜きでこのまま飼われたい。
仕事に打ち込むにあたって悪くない環境を提供できてると思うのでこのまま家事炊事送迎機能付きセックスができる長生きペットとして養ってくれないかな。
だらだら所感を述べたけどそれより何より一番の驚きは、こんな機会ないだろうし共同生活してみるか他人と毎日一緒なんて絶対飽きちゃうだろうけどな、という諦め込みの試みだったはすが(数ヶ月経った現時点で)楽しいと思っている自分がいること。
朝起きたら好きな人が隣で寝てて、朝も昼も夜も好きな人のために食事を用意して、夕食後の他愛もない時間を過ごして、また夜も隣で寝てくれる日の繰り返しに言い様のない安心感を覚えている。
他人と過ごすことに向いてないと自分が自分を理解したから家族からも離れて一人暮らししていたはずで、結婚生活なんてとても出来ないだろうと諦めていたのに、この感覚はなんなのだろう。
平凡な人生でも特に問題はないし、色々なことを卒なくこなせるオールラウンダーでもいいと思う反面、昨今のインフルエンサーらが競争してる土俵は、すこしの差で勝ち負けが決まるような世界で、中途半端な貧乏器用では何をやっても埋もれてしまうのが関の山なので、どこかで及第点のスキルどうしを掛け算して、最終的に何かしらで一番になれたらいいなとは思っています
死ぬまでに一度くらいは何かでバズってみたいなあ。
諦めというか達観というか。
少しだけ得意なことはあるけれど、どの道を選ぼうと純粋にその分野でトップを取れそうなものは何もない。
何事もいくらか練習をすれば、及第点は取れるようになるのだけれど、どの分野にもその道を極めた人間がいて、突出した才能も並外れた努力ができる訳でもない私がそれに太刀打ちできるわけなどない。
5段階評価でオール4を取って、総合点で一位になるような秀才型を目指すのは、それ以外の選択肢がないからであって、全てを犠牲にして才能が必要な一分野に注力したとしても、熾烈な競争が繰り広げられてる分野で一番になることはできないだろう。
諦観はダサいけれど、これは実際そうなのだから仕方がない。そして、ほとんどの人生はそうしたものになるのだから、いまさら言及することでもない。
先日、全部見終わったのでレビューを書いてみようかなと。
ゲームをプレイしたこともあるため、なるべく比較にならないようにしたつもりですが、ばっちり引きずられてます。
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前提として「龍が如く:アナザー」としてパラレルワールド的に話が構成されています。
設定についても流用された点が多く、ゲームファンからすると視聴前に期待が高まるのもうなずけます。
<ゲームと同じ設定>
・澤村由美も孤児院で過ごした仲間
・錦山には妹がいる
・桐生は"親殺し"をしたことで刑務所に入り、出所から物語がスタートする
・100億の行方を追うことになる
ただ、それらをつなぐパーツが少しずつ異なっているため、
ゲームファンからすると設定を"勘違い"させられる箇所が多数出てきます。
<異なっている設定>
・桐生は"龍の男"(地下格闘技のファイター)にあこがれており、
・桐生、錦山、由美、ミホ(錦の妹)は親しい兄弟姉妹のような関係で、悪友のような関係でもある
・若い時が1995年、出所後が2005年の設定であり、年代だけでなく桐生・錦山らの若者像も異なる
・その他、ゲームと同じ名前の人物が出てくるが、性格や設定が基本的に大きく異なる
ゲームそのままではないオリジナル要素の取入れについて、自分は抵抗はないですが、
元を知っているゆえに要所要所で勘違いをとがめられるような感覚がめんどくさくはあります。
▼わかりやすさ
ただ個人的には別展開として楽しんでいけるタイプなので、ここまでは許容範囲内です。
受け入れがたいのは大きく異なっている設定・背景の説明があっさりしすぎていること。
例えば子供のころに見た龍の男にあこがれる設定も、いつ、どういうきっかけで見たのか?
それがなぜ少年桐生ちゃんのハートをつかんだのかよくわからないのです。
その上でとある事件をきっかけに桐生は自分を堂島組に売り込むのですが、
計画的に売り込んだのか、それとも仲間を守るために売り込んだことにしたのかがイマイチわかりにくかったです。
(桐生自身が予想をしていなかった展開として進んでいるため、守るため…のように見えるのですが
憧れも口にするのでどっちやねん!となってました)
こういう重要な要素はゲームという別の設定に親しんだ人がたくさんいるからこそ、
丁寧に、わかりやすく、「ここが違うんですよ!」と示すべきだと思うのですが、どうもその辺が弱い。
それゆえに話が進んでいくごとに「あれ?どうだったっけ?」みたいなことがちょいちょい自分の中で発生してしまい、
ノイズと言えばもう一つ。
背景がゲームと異なることを説明する目的もあると思うのですが、映画は1995年と2005年を行き来する形で進みます。
過去がこんな風に違うから、現在のかれらもこんな風に違うんだよ~と説明する意味では
が!!
行き来が多い上に時代の違いをわかりやすく示すものが少ないため、
今はどっちの時代の話なのかわからなくなることが度々ありました。
画面としても片方が明るいとか、過去編はノイズを少し入れてるとか、
そういうわかりやすさがあってよかったのかなと。
で、最終的な解決に至るまでに、体感で過去:現在=7:3くらいの比率だったので、
よくよく考えたら重要であるはずの現在のエピソードが大したことないんじゃないか?って気がしてくるんです。
丁寧な説明が大事と書いておいてアレですが、流石に比率が寄りすぎててイマイチ。
「この話はどうなるんだろう?」ではなく
「どうだったんだろう?」という答え合わせばかりで進んでしまうため、
▼なんとなくの点数
ストーリー:50点
構成:40点
→もう少しやりようはあったと思う
演出:40点
→こっちも工夫できたんじゃないかなと
エンタメ:60点
→わりとワクワクして、次々見ちゃった
印象:70点
→ちょっとVシネっぽい雰囲気を感じたけど、まぁアリかな。よせすぎるとアウトレイジに勝てないし
出演者:65点
→線の細さは気になるけど、個人的には及第点。でも対戦相手がガチのムキムキすぎるので比較してしまうんだよな…
映像:50点
→まぁ普通かな
総合:55点
→あんまり高くない気がするけど、見れないほどじゃない。暇つぶしとしては十分。
こんな感じでした。
以下、にネタバレ分を含む内容も書きますので、視聴済みの方はどうぞ。
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狂犬だし、強いし、怖いし。十分すぎるくらいにゲームを再現していたかなと。
再現してるからこそ、なんであんなちょっとだけしか使わないのかが気になってしまうんです。
狂犬と呼ばれる武闘派で、東城会の会長も頼りにするような強い男なのに、
使われ方が完全ににぎやかしのソレ。
バトルジャンキーなら地下格闘技で対戦しかけたり、強さをアピールする描写が欲しかったし、
秘密兵器なら頼りになったり、狂気的な描写があってもよかった。
固有名詞で呼び出された上に乱闘でめちゃくちゃ活躍したのに、特に盛り上がることはなく、
何かわからんけど若桐生ちゃんとケンカしたことを覚えてて、空気を読めない軽い鉄砲玉…。
▼死の描写の不足
冴島大河とかアリスとか、重要な人物がめちゃくちゃあっさり死んでいくのがとても納得いかない。
尺の問題とか重要じゃないからとかわかるんだけど、だったらモブのままにしておくとか、アリスとエドガーは一緒にしてしまうとか、
やりようはあったんじゃないかなと…。
グロい描写を増やす必要はないけど、あっさりと死んだことにされすぎて、
あの人は何だったんだ???となってしまうのがとてももったいないと感じました。
▼錦山が重たい
ラストで桐生ちゃんがお姫様抱っこする錦山。なんでその運び方にしてしまったんだろうか…。
いや、もう、竹内涼真も重たくってプルプルしてるし、その運び方に意味があると思えないし…。
あと錦山が死んだのか、死んでないのかもはっきりしないままに終わるのはどうかと思います。
他にもいろいろあったけど、終わらないのでこの辺で。
最初はビジョンがないだの、新しい資本主義が曖昧だの言われていたが、数字で成果を出したよな。
GDP 株価 賃金 インフレ抑制(世界的に見たら大成功) どれも及第点どころか大成功。円安を抑えられなかったことだけが悔やまれる。逆に円安を解決できていたら憂なしだと言える。
「聞く力」に関しても安倍菅で繰り返された「増税して給付金バラマキ」を非難する世論に合わせて「住民税定額減税」という即効性のある方法をすぐやったフットワークの軽さ。
これに対し令和や共産等消費税減税論の支持者は、仮に消費税が半額になったとして実質便乗値上げが行われることは想像していないのか。ジュースが自販機で120円、牛丼が280円で食べられた時代は二度と来ないし、消費税が赤玉出ないのは明白。消費税減税万能論は短絡的すぎるのを見抜き控除で対応した岸田文雄は現実主義者として極めて有能であると言える。
統一教会問題の早期解決、ウクライナ侵攻や台湾危機に伴う防衛費改革と今までのタブーに真っ向から挑み、インフレに対して即座に公務員の待遇改善を行い上からの賃上げの流れを作った度量の大きさ。
裏金、統一、国葬、円安と逆境に翻弄されてきた中、ゆらりくらりと舵をとり決して逃げなかった人間としての素晴らしさ。
安倍や小泉は所詮「宣伝が得意なタレント」で「成果を出せなかった」。父の方の小泉と安倍はB層だのこんな人たちだの選民思考が見え隠れする独裁者気質があったが、岸田文雄にはそれがない。
岸田は魅せることこそ下手だが、「数字で結果を出した」。
山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙にアクセスが悪い。車も乗らないし。
日常の重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。
でも普段のおれの過ごし方も大概だ。
頭に浮かんだ単語を自分でこねくり回す事もせず、SNSの検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉で検索したりもする。
反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。
更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeとTVerとWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去の面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。
それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識の検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。
こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。
週末、ジャンガレへ向かう決意をした。
山岡屋もついでに行きたいが、微妙に場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。
と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。
結局山岡家は諦め、比較的アクセスのマシなジャンガレ新所沢店を目指す。
縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。
近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。
国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホを凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線とgoogleマップで現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。
西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。
都心に住んでる者には田舎、郊外に住む者には日常の光景、ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。
ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道と車道の曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。
コンビニかファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットでバカにされがちなあの光景。
中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。
晩飯までの時間制限はそのまま距離の制限になる。電車であっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。
歩行者がマイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識は自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。
小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式。
卵なしまぜそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。
店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。
別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。
何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。
そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。
すぐさま脳内で自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。
数m先のメニュー表を確認することなく、インターネットで無料トッピングの情報を探る。
ニンニク。入れた。
ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。
辛味。まあ初回だしいらんだろう。
あ、アブラを入れ忘れてた……
まあ致命的なミスはなかろう。
スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。
二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。
これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。
二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食いが美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。
ナイト・ホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。
時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。
呼び出しのブザーが鳴る。
ネットで確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。
受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上品ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。
と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。
席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。
他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。
一気に萎える。
シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。
最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。
まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。
道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。
完全に一服の口になってきたので、googleマップで喫煙所を探す。駅前にタバコ屋があるらしい。
喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリックな喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。
プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。
タバコ屋へに辿り着くと、分煙もへったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル。
くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。
駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。
このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタか高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。
乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。
車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけが浮かぶ。
なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験に所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。
これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。
帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。
後日山岡家も行った。
最寄りは箱根ヶ崎とかいう温泉街のパチモンみたいな名前しといて、実態は八高線の田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。
国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。
15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。
醤油大盛り
店内は金髪ツーブロの兄ちゃんと家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。
しばし待たされ着丼。
啜る。なんなシメの雑炊の出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい。
ニンニクとコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。
おれの人生から非日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。
2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常をバカにする気もあんまりなくなってきた。自分が楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。
まだそこまで人数こなしてないけど、自分が通した人がその後の面接も通って採用に至った人が初めて出てきた時は嬉しかったし、次の面接で落ちた人が出てきた時は申し訳なく思った。
「ウチは1次面接で7割落とす」と言われていて、意外と落ちるんだなあと思って臨み始めたが、いざやってみたら本当にそうだった。驚くほどNGポイントを志望者が丁寧に突いてくる。
というわけで、増田が見てきた「落とした例」を列挙するよ
列挙の前に書いておく。会社から「人柄重視で、スキルは足切りするか否かを見る程度で」と言われているのでそれに従っている。スキルは次の面接で深く見ることになっている。
今の会社を辞めようとしてる(もしくはもう辞めた)のだから、転職動機とかである程度他責の話が出てくるのはあまり問題なかったりする。
ただ、その他責に対して自身がどう立ち向かったか、自身に改善の余地はなかったのか、会社を辞める以外の選択肢は無かったのか、という前向きな話が全く出てこず、会社や人の悪口に終始してしまう人がたまにいる。
一番酷いケースでは、経歴質疑応答で出てきた人物全員をdisってた輩もいた。こんな人を採用したら現場が壊されてメンヘラ社員が大量生産されるのがオチ。
もちろん面接終了後は秒でNG連絡。この傾向は書類選考では見抜けないので、来てしまうのは仕方ないんだけどな…
基本的には書類選考で落ちるはずなのだが、たまに通ってしまうことがある。求人サイトのスカウトメールを起点とするケースで起きやすい。スカウトメールは経歴がキーワードでヒットしたらbotが送るというものでしかないのだが、体面上書類をある程度通さないといけないため、ジョブホッパー型の人が書類選考を通過してしまうことがある
この手の人は退職理由を複数社聞いてみると理由に一貫性がないのが常なので、「単に嫌なことが我慢できないだけなんだな」と判断し、落としている。なお上記1番に当てはまる人は高確率でここも当てはまる。
「サブリーダーやってました!」「何々管理の経験があります!」と経歴書、自己紹介とかで高らかに言ってくるも、具体的な局面でどう動いたかを聞くとしどろもどろになったり、リーダの指導の下、単なるメンバーとしての活動を答えてしまうケース。
スキル確認は足切り程度で良いとは言え、さすがに経歴書とミスマッチな人を「スキルを深く見る次の面接」に渡すわけには行かないので、落とす。
なお、エージェント経由の応募でこの傾向が目立つ。エージェントから経歴水増し指導されてるんだろな…。
面接のタブーとして最も知られているはず…なんだが、以外とやらかす人は居る。増田も昔はそうだったし、そうなりがちなのは話を誤解されないように配慮した結果だったりするので分からなくはないんだけど、初対面の人に仕事の背景を長々と話されても何も入ってこないんだよ…こちらには透視能力ないんだし…。
スポーツに例えたら、さすがに野球とサッカーくらいのミスマッチ例は見ないが、サッカーとフットサルくらいのずれがある志望動機を平気で言ってくる人がたまにいる。もちろん志望動機の時点でも足切りなのだが、面接内の質疑応答で応募者もミスマッチに気づくのかだんだん表情が曇りがちになってくるのがデフォ。話してて申し訳なく思ってくる。
こういう人を面接するのは互いに時間の無駄だから、書類選考で落とせよ…
HPの会社概要や求人ページを見ればすぐ分かるようなレベルの質問をしてくる人がたまにいる。休暇制度とか主要取引先とか。この時点で「この人弊社に興味ないんだな」とみなして落としている。それまでの質疑応答が及第点であっても。
HPの奥地にあって増田でも把握しきれてない記事に関する質問だったらプラス評価にするけどな。そこまで見てくれるのは有り難いし。
他にも足切り要件はあるが、増田の会社独自要件になるので割愛する。ここで挙げた例は、増田が他の会社で面接官やったとしても落とす事例だ。
俺もすっかり忘れてて昨日近所の映画館のスケジュール確認してて見つけたんだよね。
って感想だった。
アニメは劇場公開版だと恐ろしくクオリティが上がっていて、そんなものばかり見てたせいで「これが映画クオリティなんだ」ってラインを上げすぎてたな。
配信用ova用とかなら十分だけど映画館で見るにはちょっとキツい。後なんか背景とか演出にそこまで派手さが無い。「花とアリス殺人事件」みたいな映画。
徹頭徹尾藤本タツキに寄せようとして、派手なこと何もしてない。
チェンソーマンがある程度線を単純化して、派手さ優先してたのとは逆だね。
まあ、そこまで好きな漫画ではなかったが、映画は及第点ではないだろうか。特にアニメチェンソーマン嫌いは持ち上げるだろうな。前半のシーンは良かった。後半になるとそこまででもないんだけど。というか、やっぱり、漫画家にならなかった藤野のシーンが割と謎な気がする。原作では何かの奇跡で世界が分岐したのか?みたいな解釈も出来たけど、アニメだとその後の寒々しいシーンが凄くて、「ああ、京本助かったんだ」みたいな希望を「でもそうはならなかったんだよ」と叩きつけてきてて辛かったな。
個人的には「さよなら絵梨」の方が好きなんで、もしこれ興行収入良かったら続けてアニメ化してくれたらいいな
あともう気になったのが、作中の藤野は最中を見てこれからの決意みたいなのが見て取れたんだけど、
現実の藤本タツキは何で未だにチェンソーマン第二部をクソ詰まんないままダラダラ続けてるんだろう。
まあ、大半そんなんどうでも良いだろ現実とごっちゃにすんなって言うだろうけど、流石にあれ見た後だと二部は迷走してんなって言いたくなってしまう。
何やってんだよ藤本タツキ
まずlady-jokerさんが逃げずに応答したことに敬意を表したい。
これだけではてな民の中の最良の人であって、
人格的にも能力的にもはてブ民の代表選手と見なしてよいと思う。
またこれ以前から人格的にはてなの中では抜きん出た人だと感じている。
印象としては
及第点は7と言う感じ。
>「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?
上記に記した「非人間化」のプロセスが我々の内面に存在していることを知り、その危険性を認識することであろう。
このような思考を積み重ねることで、己の内面において非人間化が発生した場合にはそれを検知し自省する、
他者において発生した場合には、その思考を思いとどまらせるために働きかけるなど、行動面においても変化が起きれば尚良いだろう。
「虐殺の歴史の本から我々人類の内面のおぞましきプロセスを学んだことで、
己の内面にそれが現れた時は検知して自制し、
他者に現れた時はそれを制して変化を促す行動を起こせる。」
とのこと。
パッとみ大変立派な感じだが
残念ながらそのような思考の積み重ねで人間の頭や人格が良くなることはない。
(これは後で具体例とともに説明する)
まず我々自身の心の悪い動きはそんな本をいくら読んでも検知できるようにはならない。
行動面の良い変化についても期待できない。
「「コロンブスのコスプレMVをしたミュージシャン」というその問題とかけ離れた対象にぶつけている。
どう考えてもあのミュージシャンの内面にあなたの言うようなおぞましいプロセスは生じてねーだろ。
あれを見る視聴者にしても同様。
あなたはいま歴史上の虐殺について頑張って抽象化してみせたのに
その抽象化を目の前の現実に当てはめる努力か才能が全く足りてないために
人類普遍の良くない心の動きがあると本を読んでわかった!恐ろしい!我々に出来る抵抗と警戒は?
「同じような帽子をかぶってる奴」「同じような衣装をまとってる奴」「同じ名前の奴」をキャンセルする!
これはアホと言わず何と言えばよいのか。
その内容について頑張ったであろう抽象化を並べて、
そのアウトプットがこれなんだから、残念ながらあなたが読書にかけた期待は間違いだ。
全く違う。
ウイグル話法と言うのは簡潔に
・ 「日本の左派は中韓への批判は避ける」という前提(偏見?)に立ち
・ 日本の左派がどこかの虐殺を批判したら「でもあなた方は中国によるウイグル虐殺はスルーですよね?」と言って当て擦りをしよう
「なんでアメリカ大陸入植者のおぞましい歴史への憎悪や批判の気持ちを日本人コスプレMVに向けてるのですか?」
「どうしてもその憎悪で現代の人を裁きたいなら、アメリカの人や国土の方がまだそれにふさわしいのではないですか?」
「ていうかあのバンドがネイティブアメリカンにどんな虐殺や収奪をしたっつーの?」
というツッコミ。
見てわかるように、
lady_jokerさんは「ウイグル話法」と言う概念は仕入れたものの
その咀嚼や抽象化に失敗したため自分で使える道具になっておらず、
「「~なら先にこちらを批判しろ」のような末端の表象だけで話法を判別・検出している。
lady_jokerさんの知的レベルや認知のクオリティについての重要な手がかりだと思う。
(繰り返しになるが、この人ははてな民平均よりはだいぶ頭がいい。)
しかしその本で学んだことを目の前の現実に適用したいとなったとき、
虐殺の歴史のお勉強をして義憤によって現代の誰かを殴りたくなったとき、
その本来コンキスタドールへのものだったはずの憎悪と非難が向かうべき先としてより適切なのはどちらか?
順番なら2であって、
と言っている。
別に反米しようぜとかさあ2を殴ろうとか言ってるんではなくて、
「2すら殴ってないのに1を殴るあなたはなんかおかしくないですか、再検討をお願いします」と言っている。
日頃から2を殴りまくってる人が1すら許さんぞと襲い掛かっていくなら
やべー奴な気はするけど一貫した美しい狂人だと思う。
それはせいぜい思考の混乱しきった愚図か、殴りやすいものだけを狙う卑怯者ではないですか?
こんなツッコミは虐殺と虐殺をぶつけて相殺を狙うようなwhataboutismではないですよね。
「「あんたがたは頭悪いか卑怯もんかどっちかではないですか?」と指摘しているだけ。
これは良くも悪くも(多分悪い方向に)ウイグル話法と一ミリも関係ない。
また私は過去のブコメにおいて、繰り返し非人間化のプロセスを取り上げ、その文脈でコンキスタドールの入植についても言及している。
これはある意味で一番ひどい。
同じ0点でも上2問とは深刻度合いが違う。
増田の話
「過去の「おぞましい歴史」「暗部」に関連付けて現代の誰かを殴る行動は何の意味があるのか」
「どうしても殴りたいなら一番の関係者はアメ公であろう、コスプレMVなんかに八つ当たりしてんじゃあないよ」
本当に真剣にやってる誤読なのか故意の詭弁の遁辞なのかちょっと悩むが
これ国語の点数いくつだよ。
はてな民の中では頭がいい方であるlady-jokerさんですら
抽象化とか認知と言う能力について相当ヤベーという事を見てきた。
世間的には十分知的な方の人であって問題意識もって本を読んでる人だ。それでこれ。
誰かにまとめてもらったテキストから抽象化してなお現実への適用に失敗する。
何かの「悪」の概念を憎んで闘争しようと思っても、実装としては無関係な人間をリンチに掛けるぐらいしかできない。
これはあなた方の人格が悪いからでもなく、不真面目だからでもなく、能力的な限界なんだと思う。
MVを声高に批判した人達に「どこが問題なの?」と聞いても答えが返ってこない。
具体的な説明からも、MVの内容の批評からもひたすら逃走する。
代わりに言い返せることは
「コロンブス自体がタブーだから」「バッファローの骨はシンボルだから」「常識だから」
「アメリカでそう決まったから」「不勉強」「「そんなことに疑問を持つなんてこれだから〇〇は」
(ちょっとしつこく聞いてるとどんどん差別的な悪罵になっていく。)
これらが村の迷信深い古老の警句に酷似しているのは、脳の同じ部分を使ってるからだと思う。
ガバガバフィードバックで表象を吉兆凶兆として祝ったりリンチしたりすることしかできない。
コンキスタドールの侵略と征服に宗教が重要な役割を果たしたことは
本を読むことだけは得意な人なら大体知っていると思う。
その目にはたとえば異教のアイコンなんかはさぞ忌まわしく禍々しく映っただろう。
ネイティブインディアンのトーテムなんか見た時彼等がどんな感情に襲われたか。
「なんでそんなものを拝んでいるのか」
「常識として何が正しいかわかってるはずなのにトーテムと縁を切ろうとしない」
自分達の"常識的感覚"に疑義を呈されると不快でたまらなくなってしまう者、
こいつらどう見てもコンキスタドールと同じ脳波を出してるだろ。
な?出来てないだろ?
笑っちゃうんすよね。
以上から、
あなた方は論客ごっこをしなくてよろしいと思う。そんな能力はないから。
あなた方の直観やガバガバモラルなど社会に何の良い影響ももたらさないから。
それはあなた方の人格や姿勢が悪いんじゃなくて単に能力の問題だから、別に恥ずべきことでもない。
そういう出来もしない大それたことよりも、
そういうことがあなた方を社会に参加させるしあなた方を善良な人にすると思うよ。
そういう人を尊敬する。
結婚相談所のスタッフが、結婚できない女性たちに向けて「お礼を言え」と言っている。
その内容は、「相手のしてくれたことへの解像度を上げろ。自分の解像度が高いことを、相手に伝えろ」ということ。
単にざっくりと礼を言うだけではダメだ、ということも明言されている。
まして、どちらが上か下かなどという話ではまったくない。
冒頭で「結婚相談所は男性優位」というような話も出てくるが、それは単に「及第点の男を捉まえるためにはお前の競争力を上げる必要がある」と言っているだけで、特に意味の無い前説。
にもかかわらず、どいつもこいつも相手の話なんて聞かない。
自分の考える男女間の「お礼」について、言いたいことを言うだけ。
この間せっかくベタベタに汗かいて帰ったのにシャワーを浴びる暇もなく乾いてしまったのが悔しかったんで、わざわざ柄にもなくランニング(ジョギング?)をして汗をかき直した。
さっぱりとして寝たら翌朝えらい寝覚めが良かったんで、これはいいかもしれないと思った。
毎日やろう!と息巻くとどうせ飽きるから、まあやれたらいいよねくらいの感じで今日5回目くらいになった。
丁度近くに緑道公園があって早朝か夜に走ってるけど、健康野郎が多くてちょっと息苦しいしむさ苦しい。特に早朝がそうなんで夜走る方が好きだ。
googleマップ見たら4kmは走ってると思ってたけど、全然使いこなせてなかったスマートウォッチのスポーツ機能を使ったら3kmしかなかったっぽい。おれは3kmでヒイヒイ言ってたんかとちょっと悲しくなった。でも高校の1500m走で死にかけてた頃よりは健康なんだろうか。