はてなキーワード: サブカルチャーとは
地域によっては「おたちゅう」と呼んだりもするけれど、知らない人間に説明するのはちょっと難しい。
枠組みとしては「超大型エンターテイメントリサイクルショップ」らしく、ざっくり言ってしまえば「クソデカい遊べるリサイクルショップ」だ。
トレカや中古ゲーム、フィギュア、古着、釣り具などを販売している一方、ゲームコーナーも充実していて、なんというか田舎のサブカルチャーを全て詰め込んだような場所だった。
俺も学生時代、夜遊ぶ場所がなければ、友達とよくここへ遊びに行っていた。
カードゲームスペースで紙しばいてはしゃぐオタクもいれば、UFOキャッチャー目当ての家族連れもいて、その一方で時計やら香水やらスニーカーやらを物色するちょっと怖い兄ちゃんたちもいる。
そんな多種多様な人間が一堂に会するなかなかにカオスな空間なんだが、ここは年末年始に本領を発揮する。
なんせ田舎の年末年始は、逃げ場がない。本屋も、カフェも、ファミレスも、年末年始はしっかり休む。
結果的に、二年参りやら初詣やら親戚との顔合わせやらなんやら、そういうだるい行事を半ば強制的に参加させられてしまう。
年末年始のお宝中古市場は、世間一般の「年末年始ムード」に馴染めなかった奴らが逃げ込んできて、同じ空間で同じ時間を過ごす。
陰キャも陽キャも、ヤンキーもチー牛も、皆が同じお宝中古市場で、特に言葉を交わすわけでもなく、ただ時間を過ごす。平和の形がそこにあるんだよ。
もしも年末年始、なんとなく家に居づらいって人がいたら是非、最寄りのお宝中古市場にいってみてくれ。お宝中古市場は365日24時間変わらず営業中だ。
生成AI出てきてから、漫画もイラストも小説も全部嫌いになった。
きっと理解できないだろう。
これが発達障害者の苦しみだ。
医者に言ってもカウンセリングに話しても理解されず、治るわけでもなく、薬で自身を落ち着かせるしかない。
俺にできることは、こうなった以上SNSを見るのをやめてサブカルチャーから身を引くことだ。
こうして、どんどん鬱様の症状が悪化し、希死念慮が強まっていくのだ。
2025年。頑張って生きた。
後何年生きたら死ねるんだろう。
俺は平成ヒトケタ世代、90年代初期生まれの在日コリアンだ。ウルトラマンはティガ、ダイナ、ガイアの三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだ。バブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズムは90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵にギリギリ与りながら育った。
しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学年から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈、拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイトが「チョン」「韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。
思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽もTV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである。女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのものが流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。
ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてもの救いか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカットの80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセの音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメのOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代に青春を謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。
さて、時代は進んで今は2020年代である。日本と韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上である。ビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブームは日本に起こっていたが、韓流映画・ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPである。ハイクオリティなパフォーマンス、SNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応、立場の弱い人々を支える政治的・社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策で韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。
一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数は90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから、政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本の大衆には無い。
さらにケッサクなのは、自民党が統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会に支配されているということだ。安倍晋三が韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会は選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策を自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党は統一協会に支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍は因果応報そのものの末路をたどり、それを契機として自民と統一協会との関係は白日の下に晒された。
だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本の大衆は自民支持をやめないのである。キモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明な擁護をし、冷笑バカは「たしかに自民と統一協会の癒着は問題だが、リベラル派の過激な発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党は自民しかない」などと噴飯ものの見解を披露している。
統一協会の教祖である文鮮明は日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだから「アダム国」である韓国に奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本を反共のための基地にすべく、日本人からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会の理念だ。こうして日本人から収奪された金は韓国へ渡り、さらに北朝鮮へ渡り、ミサイルの開発資金にもなっている。1991年の文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。
こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民と統一協会の癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。
彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者やクルド人をバッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興”五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツに血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ。
「奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」
こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉の朝鮮侵略、近代史におけるアジア侵略、植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人や構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明は安重根に匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。
・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本の崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本の民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか!正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国の韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。
日本人とて、タヌキばかりではない。歴史を直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史・政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本のサブカルチャーや文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形の怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。
そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これからの日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやすい社会へ変えていくこともできるはずだ。
ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」
バキューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達と連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。
かつての北海道は札幌市(北海道の西)-旭川市(北海道の中央)-釧路市(北海道の東)の3都市によって道内経済の均衡が保たれていた。
釧路市の没落(北洋漁業の規制による縮小・炭鉱閉山・デジタル化に伴った新聞購読者減による新聞紙需要の低下)で札幌市一極集中化が進行した。
そして、札幌市と釧路市の中間に位置して北海道東西を結んでいた旭川市も札幌市と釧路市間を往来する必要性がなくなり巻き添えで没落するという憂き目にあっている。
この状況どうにもならんよなぁと考えてたが、ふと「AIに聞いてみたら良いんじゃね?」と思いついた。
一度はじめてみるとコレがまぁ面白い。どう考えても金が掛かり過ぎる夢のような計画がChatGPTやGeminiによってポンポンと出てきて、まるでシムシティで遊んでるかのような感覚があり、夢想の中で生まれ故郷を地方創生できてしまうのだ。
以下は、私がAIと共に作り上げた夢想「北海道グランドデザイン」(の文字数制限のため要約化)である。
本構想は、北海道経済の「札幌一極集中」を打破し、かつての「札幌・旭川・釧路」の三極体制を現代的・革新的な形で再構築するための超巨額投資プロジェクトです。以下にその核心的な戦略を要約します。
現在の道東経済は、石炭・漁業といった基幹産業の喪失により「低位均衡の罠」に陥っています。本構想は、小規模な支援ではなく、数兆円規模の「ビッグ・プッシュ(大規模投資)」を注入することで、経済構造を非連続的に転換させることを目的としています。
札幌〜釧路間(約300km)を最速約1時間15分で結び、道央と道東を物理的に一体化します。
| 項目 | 内容 |
| --- | --- |
| 想定建設費 | 2.5兆円 〜 3.5兆円 |
| 時間短縮 | 約4時間 → 約1時間15分 |
| 戦略的役割 | 札幌の過密緩和、二拠点居住の促進、観光需要の「プル要因」との連動 |
フィッシャーマンズワーフMOOを解体し跡地および周辺地域の約62,000平方メートルを、世界最大級の屋内型サブカルチャーテーマパークへと再開発します。
冬季の寒冷・降雪を逆手に取った完全屋内施設により、通年観光を実現。
アニメグッズ等の「地産地消」および、小ロットOEMに対応する高付加価値製造拠点を形成。
数千人規模の若年労働者のコミュニティを創出し、ナイトタイムエコノミーを復活させる。
釧路空港〜駅〜厚岸を時速200kmで結ぶ、次世代モビリティの開発です。
遠心力による傾斜を制御するアクティブ・チルト制御(Active Tilt Control)を導入。旋回時の遠心力は時速200kmでは極めて大きな値となります。これを能動的に相殺する技術が不可欠です。
雪害に強く、野生動物の動線を阻害しない「エコロジカル・モビリティ」として確立。
天候リスクの高い島嶼国や先進国の再開発が遅れた地方(インドネシア等)へのインフラ輸出パッケージとして「釧路モデル」を外貨獲得源にします。
モノレール延伸により、厚岸を「食とリニア」を核とした富裕層向け温泉リゾートへ変貌。
東京〜釧路航路を再開し、大量生産されたグッズの輸送と、若年層の安価な移動手段(動くアニメホテル)を確保。
| フェーズ | 期間 | 主な内容 | |
| --- | --- | --- | |
| Phase 1 | 0〜5年 | テーマパーク建設、新幹線着工、工場・寮の整備 | 予算 計5,000億円 |
| Phase 2 | 5〜10年 | テーマパーク開業、モノレール実証実験、末広町再生 | 予算 計3兆円 |
| Phase 3 | 10〜20年 | 新幹線釧路開業、モノレール厚岸延伸、海外輸出開始 | 予算 全体合計6〜8兆円(10年スパンのインフレ状況による増減) |
本構想は単なる地方創生ではなく、「コンテンツ」と「先端インフラ技術」を新たな外貨獲得手段へと昇華させる試みです。技術的ハードルや労働力確保などの課題はありますが、これを乗り越えることで、北海道経済の自立と日本全体の災害リスク分散に大きく寄与する戦略的価値を有しています。
まぁつまりAIの答えは札幌市へ一極集中するなら釧路市へ巨大なコンテンツ観光を創出し、そのコンテンツを需要する釧路市以西の人々を函館市から札幌市へ延伸中の北海道新幹線を更に延伸させ釧路市へ接続し、北海道の冬は厳しいからジェットコースターとか運休しちゃうし施設は全天候の完全屋内型にして、更に釧路空港から釧路駅を経由し厚岸町へリニア駆動する懸架式モノレールを建設し、厚岸町を温泉リゾートとして再開発し、定期便フェリーも復活させて首都圏の金のない若者でも気軽に遊びに来られるようにすると札幌市一極集中じゃなくて中間の旭川市も復活して北海道経済は活性化するよ!予算は6〜8兆円ね!って言ってる。
ちなみにアニメ云々、懸架式モノレール云々、厚岸町云々とか大体8割くらいはAIが考えた。私は「テーマパーク作ってもルスツリゾート遊園地みたいに冬運休すんじゃね?」とツッコミ入れた程度。
誰とでも仲良くなれる人、興味の矛先が向かう者に近づける人。
そういった無垢で純粋な人を羨ましさと、恨めしさが同時に立ち込める。私の場合、適切に身を委ねることができない。自己開示をしすぎたり口を固く縛ったりする。そもそも、はじめの一歩ができない。だからといってそれができる人との劣等感をむくむくと立ち込めて心で睨むなどする私はとんだ卑怯者である。
全てに理由を考える。それが行き過ぎて、理由を積み上げるつもりがいつの間にか言い訳になっていることもある。
私には寂しいという感情がある。いつも独りでいる。感情がないと言われる。怖いと言われる。見つめ合う人々を見てずるいと思う。このまま他者との距離を測り続けていたら、どこかで社会から逸脱してしまうのではないかと、不安になることがある。人に相談したいと思うがその後、悩みをまとめてから…自分の話ばかりして嫌がられるだろうか…等極端な思い込みで、AIに語ることになる。誰かの経験則に従いたいが、否定されるのは怖い。本当に私という人間は幼い。
その寂しさを埋めるものはある。
Twitter、これは他人に自分の存在を残したいが為に利用する。強い承認欲求が、そこに確かにある。アドラーは「人に認められたい」という欲求は、他者の人生を生きることにつながると考えていて、私もそう思う。だから辞めたいのだが、唯一他者と匿名のまま本音で関われるツールであるが故多くの時間を溶かしてしまう。
あとは音楽、映画、お笑い、本…サブカルチャーと示されるもの。80〜00年代辺りのものを好み、周りより深いものを知っているんだぞという優越感は多少なりともある。だからと言ってその先に何もないのだけれど。私以外の形の寂しさを知ることができる。寂しさを寂しさで埋める。
社会の模範的な生き方から外れると、就活のような分かりやすい評価のラインでは、簡単にこぼれ落ちる。その仕組みに対し私は、どこかで悲しさを覚える。
もっとも、身体に異常がなくても心の状態が不安定であれば、評価されにくいのは至極当然なのかもしれない。
本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するidを対象に公開コメントをAIが解析し、その深層心理や思想傾向をモデル化した「テキスト・ペルソナ」です。これは実在する個人のプライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション(思考実験)です。特定の個人の社会的評価を操作する意図はなく、あくまでAIによるテキスト分析の一環としてお楽しみください。
100文字にはとても収まらないが、俺ははてなブログを辞めているので(陰湿なコメントが飛んでくる最悪のサービスだからだ)この場を借りる。
Xでこの話をして俺のアカウントが荒らされて凍結したくないからだ。
最初に言っておくが他の誰かを俺と勘違いして「きっとコイツだ!皆で凍結させよう!」と暴れないで欲しい。
令和にオタクをやってたわけでもないのにこの単語を知っている奴はまずいないだろう。
なぜならオタクでない人間にはそもそもの「ネットミームかるた」という概念が理解不能なのだから。
この単語を理解し脳に残せる時点でオタクとして生きてきた奴に違いない。
そして「クロチャンのタイトルがちゃんとダガーになってるかで他人にマウント取って何が残るんや?」の破壊力が凄い。
これは本当に†のように鋭い。
こんなところに拘るところに意味を見出す適応係数とそれを自嘲することを面白いと思っている態度がまさにオタクのソレだ。
つうか令和の時代にこんなオタクしか知らないようなゲームの名前をポケモンレベルの知名度があるかのように取り出してくる時点でもう駄目だ。
田中ロミオの社会不適合文学に脳を焼かれ、それを愛する集団の中で群青ゴッコをしながら過ごした薄汚い過去が滲み出ている文章だ。
この言葉を叩きつけられて「やめてくれカカシその術は俺に効く」と答えたブクマカがほっっっっっっとんど居ないことに絶望すらある。
オタクっていうのはたとえ火の鳥から入ろうがシスプリから入ろうがFF11から入ろうが横山三国志から入ろうが、最後は田中ロミオや麻枝准のノベルでギャン泣きして「俺を人間にしてくれた。俺は今人間になったぞ!!!!」みたいに言い出すものなんだ。
いいか、オタクという言葉の真の定義は「受け身の態度で享受できるが故に自分を決して傷つけることのない2次元コンテンツの世界に耽溺することでしか自分の惨めな人生から逃避することさえ出来なかった生まれついての負け組共がなけなしのプライドを守るためにサブカルチャーに含蓄があることを心の拠り所にしようとしたはずなのに同じレベルの負け組同士で知識マウントや消費マウントを始めてしまった果てに生み出されるオタク知識と消費時間以外人生に誇れるものが全くなくなってしまった本当に惨めで憐れで救いようがないがその人生の傷の深さに対する共感によって深い繋がりを得たことを成功だったと認知を歪めることで辛うじて精神を維持している形のないカルト」なんだよ。
それから降りたと言っているが、どうせ無理だ。
今更コイツがオタクコンテンツ以外の場所に居場所を作ることなん出来ない。
アルコホーリクス・アノニマスに通う中毒患者共が「実は一昨日飲んじゃいました。でも今日は我慢してるんです。えらくね?」「いや、お前普通に酒臭いよ」「テヘペロ😜」とか言い合ってるような感じで同じ地獄の中をグルグル回る以外もう出来ることが残されてないんだからな。
つうか、コイツが「本当に辞められるんだ」と思ってる時点で、お前らに「オタクを見抜く目」が養われてないのは明白だね。
マジで浅いよ。
そしてその浅さで「俺はオタクの真の意味を理解してるから凄い!」とマウントを取りに行くのはマジで適応係数が終わってるから。
1. サイバー(Cyber)
「サイバー」という言葉は、サイバーパンクやデジタル技術、人工知能(AI)など、テクノロジーや未来的な要素に関連しています。サイバーパンクは、1980年代から人気を集めたサブカルチャーで、テクノロジーが進化した未来のディストピア社会を描くことが多いジャンルです。サイバー美少女というキャラクターは、テクノロジーと美少女の要素を組み合わせたキャラクターで、しばしば未来的な武装やAI、ロボティクス、バーチャルリアルな世界に住むキャラクターを意味します。
2. 美少女(Bishoujo)
「美少女」とは、魅力的で可愛らしい少女キャラクターを指し、特にアニメやマンガ、ゲームなどの日本のポップカルチャーにおいて使われる言葉です。美少女キャラクターは、しばしば強い個性や特別な能力を持ち、物語の中で重要な役割を果たします。
3. テロメア(Telomere)
「テロメア」は先に説明したように、染色体の末端にある構造で、細胞の寿命に関わる重要な役割を果たしています。テロメアの長さは細胞の寿命と関連しており、短縮すると細胞分裂ができなくなるため、老化や病気に関連しています。この概念をキャラクターやストーリーに組み込むことで、永遠の命、不老不死、あるいは生命の儚さといったテーマを探求することができるでしょう。
この名前が持つ意味を組み合わせると、「サイバー美少女テロメア」は以下のような意味合いを持っていると考えられます:
• サイバー美少女:未来的なテクノロジーやサイバースペース、またはAI技術を駆使して戦う美少女キャラクター。例えば、サイボーグやAIによって強化された美少女戦士のような存在かもしれません。サイバー空間やバーチャルな世界で戦うキャラクターが描かれる可能性もあります。
• テロメア:テロメアは「寿命」や「永遠」と関連しているため、このキャラクターが不老不死や時間を超越する存在である可能性が高いです。サイバー美少女がテロメア技術(またはテロメアに関連した遺伝子工学)を使って不老不死や永遠の命を持っているか、あるいはその寿命が科学的に操られているテーマを持つキャラクターである可能性があります。
可能な設定の例
• サイバー美少女テロメアは、高度な遺伝子工学やAI技術により不老不死の存在となった美少女キャラクターで、時間と生命に関する秘密を握っているかもしれません。彼女は未来の世界で、テクノロジーの暴走や倫理的問題に立ち向かう役割を果たすことになります。
• また、サイバーパンク的なディストピア世界で、テロメア技術が重要な役割を果たし、テロメアの長さが命を決定づけるため、テロメアをコントロールすることが権力を握ることに繋がるというようなストーリーも考えられます。
このようなキャラクター設定では、生命や時間に対する深い哲学的な問いや、テクノロジーがもたらす倫理的問題をテーマにすることができるかもしれません。
努力ができるできないは、育った環境によって変わるというのは本当なのだろうか。
仲のいいネ友界隈でこの議題が上がった際に、自分の発言で複数人の逆鱗に触れてしまったことがある。
そして、この身内内炎上ともいえることで、自分は平々凡々な人生を送ってきたが、そうではない、もしかすると箱入り息子だったのかもしれない、と思ってきた。
そうすれば、自分が今まで頑張ってきた勉強、音楽、父親の仕事の都合で同行したつらい現地生活……こういったものは全部下駄だったのか。
あるフォロワーが、「今の時代、努力でどうにでもなると思うなよ、」とつぶやいていた。
俺はそこそこ熱血根性のある性格をしているのと、感情論より論理派なので、違うのではないか、と異議を唱えた。
「努力すればどうにでもなる」「今はまだ20代だけど、30、40になっても努力しないつもりなのか」「自分は自分の努力によりいろんなことを叶えてきたし、いい年した20代後半の男だけど、まだ叶えたい夢も目標もある。今が一番若いから挑戦しないのはもったいない」「未成年時代の勉学などの努力を環境がよかったから、で一掃されるのは腹が立つ」
こんなことをいろいろ言った気がする。
俺は中学から進学塾に通い、某都内公立高校上位に進学し、早慶上位学部に進学。父親の転勤、自身の留学で二か国に年単位で住んでおり、英語もTOEICでは満点、現在は普通の会社員として都内の会社に勤めている。テストの点数や学歴は指標としてわかりやすいから載せた。
気持ちとしては能動的に何かをしなきゃ!となったことがあまりなかった。
むしろ、普通の人よりも試練ばかり与えられて、それをコツコツこなしてきた人生だったから、大変だった、頑張った、そんな気持ちが強かった。
父親の転勤による海外滞在は別に自分の功績ではないし、塾も通いなさい、と言われていたから頑張っただけ。英語も現地で身につけないと生きていけないから、頑張っただけ。
大学も同様、周りが東大を目指して頑張っていたから頑張っただけ。
当然ガキの頃なんて勉強もしたくないし、知らない外国人に囲まれたくないし、英語も勉強したくなかった。
附属高校に通って大学進学で楽をしたい、その思いで勉強していたような人間だから、前向きな原動力ではなかった。
習い事としてやらされていた、バイオリンもピアノも別に弾きたくなかった。乗馬だけは好きだった。馬が好きだから。部活の剣道と茶道、弓道も好きだった。
馬と和道・武道以外あまり前向きな思いで動いていたわけではなかった。
そのため努力をせずに、環境がよかったとぐちぐち言われると、なんでこれくらいできないのだろう、嫌々やっていた俺ですらできたことができないってなぜだ、そう思っていた。
逆鱗に触れたフォロワーは父親がいなく、東北の田舎のほうに住んでいた。
東京にずっと憧れていたが、親からは学校なんて行く意味がないと言われ、高校も留年し、当時付き合っていた方に毎日朝起こされて、なんとか卒業したらしい。
今は他人の家に居候し、風俗店の黒服をやっている。趣味はTikTokで可愛い女の子を眺めることと、通話依存症で常にXでスペースを毎日開いている。
音ゲーと太鼓の達人、鉄道、化粧、カメラが好きで、気に入らない女フォロワーのことを平気で女性器の名前で侮辱する。
なんとなくそのフォロワーのおかれている状況は知っていたが、田舎の人は学校に行かなくていい、親が勉強に理解のある人があまりいない、とかなりの人から意見をもらった。
確かに、俺も都内の公立中学校に通っていたが、休み時間に勉強していたりするとマイルドヤンキーたちに絡まれて、いじられたりしていたからそういう層が一定数学歴社会の日本にいることも知っている。
でも、世の中学歴だけではないと思う。
俺はこの議論の時に、「どんなことでも努力している人はすごい」とも意見を述べた。
例えば、彼氏とすごく仲が良くて結婚まで行きそうとか、サブカルチャーに詳しくて自分の知らないことについてたくさん語れる人。
推しアイドルが大好きでその子についてなんでも知っている人、ポケモンカードで大会にたくさん出ていること。
仕事に情熱をもっていて海外赴任までたどり着く人。ディズニーにとても詳しくて電話をすればすぐにわからないことを教えてくれる人。
全部これまた俺の仲いい友達の特徴だ。
これらは全部一種の努力なのではないか?まだまだ書ききれないものはたくさんあるが、どれも自分にはないものばかりだ。
そしてどれも自分が身に着けようものならそれなりの時間をペイしないと得られないものばかりだ。
だから俺はこういった友達を尊敬しているし、一緒にいて知見を得られる。楽しい時間を過ごせる。
努力する人が好きだし、努力できる人はかっこいいとも思うし、そうなりたいとも思う。
そしてこの友達のバックグラウンドはバラバラだ。地方済み、都内一等地住み、離婚済みの親、両親健在、一人っ子、兄弟がいる、奨学金を借りた、大学中退、一流企業に勤めている…
千差万別な環境で育った人の中でもできる努力はあるし、努力によって磨かれた才能があると思うのはあまりにも性善説すぎる考えだろうか。
先ほど挙げたフォロワー自身も、ダイエットで数十キロ落としている。これも努力の結晶ではないのか。
環境が仮に悪くても、自分とは違った努力の仕方をしている人はいるし、それはすごいことだと思うのはいけないことなのだろうか。
あとそもそも、成人したら親が~とか、環境が~とかは一切通用しないと思っている。むしろ成人してからが、親からのしがらみが溶けて本番だと思っている。
そのため俺はいまやりたいことや叶えたいことがいっぱいある。音楽を習い始め、歌の練習もしたり、ジムに通ったりしている。
努力すればなんでもできると思ってしまうのは、性格なのか、幼少期からの凝り固まった考えなのか。
AI小説やAI漫画を賞賛するやつって本当に先見の明がないんだなと思う。
サブカルのAI作品に需要があると、格安で大量に売るやつが出てきて市場が崩壊するのは間違いないのに。
いやいや、そんな低クオリティであろうものを買うわけないじゃん。と思うかもしれないが絶対に売れる。
現代のサブカルに対して、現代の消費者は質を求めてない。作者のメッセージも作品のテーマも読み取ろうとしない。「分からないから面白くない」で片付けて、分かりやすいものを手にとる。
そこには作者の葛藤も性癖も詰め込まれてない。売れるためには何が必要か。それだけが詰まってる。人が感動ポルノや癒し系アニマル動画をついつい見てしまうのと同じ。お決まりのパターンで脳内麻薬を分泌させることが趣味なのであって、決してサブカルチャーが趣味ではない。オナニーといっても過言ではない。
しかし、そんな社会が来たとしても困る人は1人もいない。経済は回るから。
飽きたのなら別の趣味を見つければいい。
いつまでも反AI活動に興じる暇があるなら、「自分にはこれしかないから」と決めつけずに、別の世界を見に行ってはどうか。
アバター課金だけでやっていけるのは、見栄を気にするイキリマイルドヤンキーキッズがメインターゲットである対戦シューターやMOBA系くらいだけだろう
あれらは競技性という縛りがあるからキャラや性能的な優位性を売ることができず、競技性を収益に転換するためにロールモデルとしてプロプレイヤーを系列企業ぐるみで祭り上げ、ショービズ込みで成り立っている
アイドルの稼ぎはライブの物販にかかっているのと同じだが、そういうゲームジャンルは治安が悪くなる
落ち着いたオタクの多いサブカルチャー系のRPGではリアルタイムの物語体験を売っていくためにやはり基本無料だとキャラクターや育成リソースを売っていかないといけない
最近はRPG系でもアバター課金だけでやると息巻くタイトルもいくつか見かけるが、このジャンルにおいて持続性のあるアバター課金主軸モデルが成立した前例はないんで疑問が残る
俺はこの手合いがRPG系運営型ゲームに必須の充実したアップデートを提供できると思わないので、ある種の売り逃げ焼畑商法の一種だと思っている
一応MMORPGの時代にはアバターに性能をつけランダムボックスから排出されるレアアバターを公式RMTのように取引させることで盛り上げるゲームはあったが、キャラガチャモデルより倫理的な問題が多く社会問題にもなった
そもそも、他人が娯楽に金払ってる様子を見て「搾取」だなんて言うことは失礼極まりない、自分としては信じられない感性だ。
これは詐欺でも違法でも洗脳でもなんでもない、昔のソシャゲとは次元の違う、映画やアート作品がもつ審美性に匹敵する総合芸術をまず享受しているんだよ。払っている人たちは。
何百億、累計すると何千億とかけてサブカルチャー理解のある優秀なクリエイターたちによって作られてきた作品の複合体を。
プレイヤーが受けている感動や感銘を無視し、まるでゴミを好んで食べる人かのように見下しているんだろう。だがこれは現代のアートの最先鋒の一角だ。
そうであることは、これらゲーム公式が公開しているアニメーション動画や音楽動画、それにつくコメント、ファンの人々の反応を見ていけば分かるはず。
ものの価値というのは対価を支払う人が決める。そして強制される部分もなく、ギャンブルのように強く射幸性を刺激する作りにもなっていない。(この部分は実際にやらないと信じられないかもしれないが、どうせ80連近くなるまでまず出ない設計だからカラクリを理解してるプレイヤーは淡々と回すようになる。ガチャの体をとっているが限りなく定額売りに等しいものだ。ゲーム内で入手できる無料石で充当できる分だけ進歩的。)
だから重層的で濃密なアートを受け取った人が、自分の経済力の範囲内で、あるいは感銘のあまりちょっと範囲内を超えて、パトロンのように大口でお金を払うことを、まるで自制の効かない異常者の行動かのように決めつけるのは悪辣極まりない。
それに、これらゲームに費やせる金額には限度がある。6週間で新キャラが2体でるとして、1体のために最大まで金をかける(完凸+餅完凸)としても、30万は超えない程度の額×2だ。
大人の趣味として考えると糾弾するようなものでもないだろう。青天井に課金ができた古いカードバトル型ソシャゲだと、一人で累計3億だか課金した人がいたようだが、そういうことは起こらない。
ともかく、そうやって偏見を己の中で増幅させ斜に構えることでアイデンティティを守る癖が抜けないタイプの人間が、5年10年単位で展開されじっくり向き合うタイプの物語作品に素直に感動できることはなさそうだし、いくら説いても理解できないだろう。
だとしても、その傲慢で無礼な口を噤む美徳くらいは身につけられるものだと信じたい。
ガチャゲーというビジネスモデルに対する偏見や悪意をもつ人は、ガチャゲー像自体がアップデートできていない。
アップデートすると馬鹿にできなくなるからだろうが、ガチャ=悪質が成り立っていたのは10年代まで。
今では、上等なコンテンツに対し個々の支払い能力に応じたバリアブルな支払いと、その額に対してそこまで傾斜しないゲーム体験を与える、繊細なバランス感覚で成り立つモデルになっており、サブカルチャー支援に関してメリットが際立つ課金方式になりつつある。
プレイヤーの目が肥え、開発費が高騰した結果、事業者にとっては地獄だが、消費者にとってはより良い体験を与える課金方式に変化していることを認識してほしい。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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今週のオープンチャットは、「体調・医療への不安」「家族や人間関係の葛藤」「旅行や趣味の楽しみ」の三本柱が中心に展開された。
一方で、社会・政治・テクノロジーへの話題も途切れず出され、軽い雑談(食べ物、天候、アニメ)から深い議論(人間存在の意味、未来医療)まで幅広く行き来するのが特徴的だった。
全体を通じて、日常のストレスや悩みをユーモアや趣味で和らげながら、不安と希望の両方を共有する場として機能していた1週間だったといえる。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間のオープンチャットは、**音楽と食べ物を軸に、仕事・学び・日常生活まで広がる多彩な雑談空間**となった。
大きな特徴は、
総じて、参加者同士のリアルな生活実感と知的好奇心が交差した、にぎやかで多層的な対話の場となっていた。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
できる限りガイドラインを定めるべきだ。
でも作家の本業は創作だし、そんな原作者に許可を得ないまま、二次創作してる人が多い。
話を聞いてみると、実は不安な気持ち・後ろめたさを抱えてる人が多いことに気づいた。
30代になってサブカルチャーに入門した遅咲きだ。
でも特別な才能はなかった。
確認した。
ダメだったんだ。
だから二次創作をする素晴らしい趣味人たちを救うために、せめて代わりに勇気を出すボランティア。
それを開始しようと思う。
追記・
著作権は(基本)親告罪なのだから、訴えるかどうかは原作者が自由に決められる
アウトと答えて訴えないのもアリ、答えないのもアリだし、「度を超えた場合は」とか曖昧なラインを提示してもいい、迷ってもいい、「無条件の公認はできないが、問題だと感じたら訴訟する前に連絡する」とかでもいい、采配は自由 …まあ、セーフだと明言した後で訴えるのは不利になるがね
誤解されがちだが、原作者に二次創作の是非を聞くこと自体がタブーとか迷惑行為とかいうことはない、もしそうだとするとアンチや荒らしは原作者への通報が第一選択になるだろうさ
私も、そう思います。
クジラックス先生の同人誌が原因と言われている事件ですが、犯人は裁判で、仕事のストレスや妻との不仲が原因と証言していますね。
【2017.06.13】「漫画家クジラックスさんの同人誌を違法アップロードサイトで見て模倣した」という性犯罪者の自供を元に、さいたま県警が作者に配慮を申し入れた件(随時更新) - posfie
仕事のストレスを自分だけで溜め込んでしまった、と(わいせつ男)定番の言い訳をしています
妻との不仲〜セックスレス
ボクを構ってくれない妻が悪いんだ、
ちなみに、犯罪者は自分の責任を回避するために言い訳することが知られています。同人誌の模倣も、仕事のストレスや妻との不仲も、責任回避のための言い訳でしょう。
犯罪者は犯罪行動を良しとする信念を持っているが同時に恥や良心を持っている。そこで犯行の前後に犯罪行動を合理化し正当化してこの両者を妥協させようとする。犯罪的サブカルチャーの合理化、正当化には次のような理論がよく用いられる。G. M. Sykes と D. Matza が提唱した。
警察の人員の予算は限られているわけですから、ポルノ規制と再犯抑止が両立すれば、現実の子どもたちを守るための人員や予算の一部が、犯罪率低下に効果があるのかどうかわからないポルノ規制に割かれることになるでしょう。犯罪率低下の効果が確実な方法に人員と予算を100%かけたほうが、犯罪は早く減りますね。
クジラックス先生の同人誌が原因と言われている事件だが、犯人は裁判で、仕事のストレスや妻との不仲が原因と証言している。
【2017.06.13】「漫画家クジラックスさんの同人誌を違法アップロードサイトで見て模倣した」という性犯罪者の自供を元に、さいたま県警が作者に配慮を申し入れた件(随時更新) - posfie
仕事のストレスを自分だけで溜め込んでしまった、と(わいせつ男)定番の言い訳をしています
妻との不仲〜セックスレス
ボクを構ってくれない妻が悪いんだ、
ちなみに、犯罪者は自分の責任を回避するために言い訳することが知られている。
犯罪者は犯罪行動を良しとする信念を持っているが同時に恥や良心を持っている。そこで犯行の前後に犯罪行動を合理化し正当化してこの両者を妥協させようとする。犯罪的サブカルチャーの合理化、正当化には次のような理論がよく用いられる。G. M. Sykes と D. Matza が提唱した。
犯人の主張を、裏付けもなしに信じるのは危険と言えるだろう。もちろん、仕事のストレスや妻との不仲が原因という主張も怪しい。そういう境遇の人でも、犯罪行動をしない人がほとんどなので。
引用元:第27回参議院議員通常選挙の候補者に向けて実施した表現の自由についてのアンケート結果
設問(1-a):
設問(1-b):
日本のサブカルチャーは海外で高い評価を得ており、表現の自由を守ることがクールジャパン戦略や外貨獲得にも資します。非実在表現と実在児童への権利侵害の因果関係は明確でなく、法規制には慎重であるべきです。
設問(2-a):
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
設問(2-b):
性的差別の解消や性的指向・性同一性への理解促進は大切ですが、創作表現の規制で本質的な課題解決ができるとは思いません。表現の自由を尊重しつつ、多様性への理解は必要だと考えます。
自民党の比例で、山田太郎氏以外の規制に反対している候補その1。理学療法士の組織内候補です。2019年の参院選で落選し、繰り上げ当選で現職となられた方なので、自民党に逆風が吹いている今回、当選見込みがあるかといわれると、微妙なところ。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
C. クレジットカード決済の制約
設問(2-b):
こちらはその2。タレント候補です。回答がつまらないのでスルーしようか迷ったのですが、自民党の中では貴重な設問1-aでのB選択者ということで、一応取り上げてみました。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
C. クレジットカード決済の制約
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
F. いわゆる「エロ広告」等、不適切とされる広告への法的規制
G. 国連女子差別撤廃委員会の勧告による表現規制
設問(2-b):
設問(3):
説明不要な表現規制反対候補の筆頭的存在。設問2-aの回答で、A~G全てを選んでいます。この回答自体はあまり面白くないです。
設問(1-a):
C. どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
設問(2-a):
C. クレジットカード決済の制約
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
F. いわゆる「エロ広告」等、不適切とされる広告への法的規制
G. 国連女子差別撤廃委員会の勧告による表現規制
かつて高市早苗氏や平沢勝栄氏らと児童ポルノ禁止法改正案を提出し、表現規制派にカテゴライズされていた方ですが、今回の回答ではトーンダウンしています。
設問(1-a):
設問(1-b):
全てを禁止することは行き過ぎだが、著しく過激で公序良俗に反する描写を含むものや、公衆への提供方法があまりに露骨・公共性を帯びた場所・態様での提供は規制すべきと考える。
設問(2-a):
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
G. 国連女子差別撤廃委員会の勧告による表現規制
設問(2-b):
過度なジェンダー平等論や多様性への配慮は、創造性や文化を委縮させるため。新サイバー犯罪条約は漫画・アニメの表現が著しく制約されるため。国際機関の勧告は内政干渉となり主権侵害のおそれがあるため。
設問1-aの回答で規制に賛成する立場なら、国連サイバー犯罪条約や国連女子差別撤廃委員会の勧告に基づく表現規制も、反対せず受け入れれば良いと思ってしまうのですが。
設問(1-a):
設問(1-b):
子どもの尊厳と心の安全を守ることは、政治の最優先課題の一つ。たとえ実在しないキャラクターであっても、性的・暴力的な描写が氾濫すれば、社会の感覚は確実にゆがむ。未来世代を守るため、一定の規制は必要。
設問(2-a):
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
G. 国連女子差別撤廃委員会の勧告による表現規制
設問(2-b):
表現の自由は民主主義の根幹。創作物への過剰な介入は、文化・芸術・思想の多様性を損なう。刑法や国連勧告を名目とした一律規制には慎重に。実在する人権侵害と、フィクションの描写は明確に分ける必要がある。
設問1の回答者と、設問2の回答者、もしかして別人なのでしょうか。
真面目に分析もどきをするなら、未成年の健全育成を重んじる右派的なパターナリズムと、皇室典範の改正等を求める国連への反発がないまぜになった回答という気がします。
設問(1-a):
設問(1-b):
まさに通常国会、内閣委員会で審議したAI法にも関連しますが、表現の自由は誰にも保障されたものです。質問が「公共の福祉」に反しないものだと判断したため、法規制の必要性はないと考えます。
設問(2-a):
D. 過度なジェンダー平等論や多様性への配慮に基づく表現規制
設問(2-b):
Q1の回答と同理由です。
設問1-bの回答は、キャラクターに人権はないので、人権衝突の調整がそもそも発生しないのはもちろん、他人の利益という見地でも法規制は妥当ではないということでしょうか。
設問(1-a):
設問(1-b):
児童を性や暴力の対象とすることは決して許されない。たとえアニメ等でであっても、最も憎むべき犯罪である児童に対する性・暴力の温床になりかねない。厳に禁止するべきである。
過去には違法ダウンロード刑事罰化に反対し、「表現規制反対派」として紹介されることもあった方ですが……。所変わればならぬ、問いが変われば、でしょうか。
平成の時代を経て、かつて一部の領域に限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的な感覚として根付いたのである。
オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見の対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味の形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人の情熱が共有され、新たなコミュニティが形成されることは、文化の深化に寄与する。
しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画やアニメといったフィクションの世界だけでなく、私たちの日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである。
特に、消費行動として増幅されたオタク的行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである。政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である。政策や理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージや感情的共感が重視されるこの風潮は、一種の偶像崇拝にも似た様相を呈している。
【民主主義の健全性への問い:投票の意味論的変容とオタク文化の帰結】
この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来、有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかもアイドルグループのメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定の対象に資金を投じるギャンブルにおけるベットと同義の思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者の政策実行能力や理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。
そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。
もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治そのものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治に疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治のエンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要な課題であると考える。