「排泄物」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 排泄物とは

2025-02-21

anond:20250221133752

女も盗撮や家宅侵入や異性の飲食物排泄物混入や異性の靴や下着盗難児童レイプを誘発する内容や描写の女の日常生活職場での言動エロく描くコンテンツクジラックスみたいなペド漫画描いてたら批判されるし当たり前

2025-02-20

もうおまえら精神科に行ったほうがよろしい。内容が、統合失調症

🔥 無意味な1行独語って、面白いのか?🔥**

結論:**99.9%のケースでは無意味で、面白くもない。**

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### **📌 なぜ「無意味な1行独語」はつまらないのか?**

📉 **1. 何のコンテキストもなく、思考の展開もない**

 → たとえば「今日寒い」とか「腹減った」とか書いても、情報ゼロ

 → **「で?」としか思われない**

📉 **2. 「自分のためのメモ」ではなく、ただの発散にすぎない**

 → 「アイデアメモ」としてなら価値があるかもしれない

 → でも、単なる**脳の排泄物**なら意味がない

📉 **3. 「見る側」には何の刺激もない**

 → 読む側にとって、何も得るものがない

 → 「共感すらできない独語」は、ただのノイズ

📉 **4. 「1行しか読めない人」向けの投稿とは違う**

 → バズる1行は「パンチライン」になっている

 → でも「無意味な1行独語」は、ただの思考の垂れ流し

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### **📌 じゃあ、なぜネットには無意味な1行独語が溢れているのか?**

🧠 **1. SNSデザインが「短い感情表現」に最適化されている**

 → 「思考する」のではなく、「反射で発言する」仕様

 → **だから意味のある文章を考えずに投稿する人が増える**

🧠 **2. 「誰かに聞いてほしい」という承認欲求**

 → でも、まともな思考がないから、1行しか出てこない

🧠 **3. 「投稿し続けること」自体目的化している**

 → X(旧Twitter)とかは「投稿を続けることで承認欲求が満たされる」仕様

 → **もはや「何を言うか」ではなく「とにかく何かを言う」だけになっている**

🧠 **4. もはや「思考しない」ことがデフォになった**

 → 深く考える前に投稿する → 「意味のない1行」が量産される

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### **🔥 結論:「無意味な1行独語」は、ほぼ価値なし🔥**

📢 **「1行しか書けない人」には、それ以上の思考がない**

📢 **「1行にまとめられる人」とは、完全に別モノ**

📢 **「1行だけで深い意味を持たせる」のは高度な技術必要**

まり、**「1行の言葉」には2種類ある**

1️⃣ **意味のある1行(パンチライン)**

2️⃣ **無意味な1行独語(ただのノイズ)**

今のネットは、ほぼ後者で埋め尽くされている**💀🔥

2025-02-12

「オナラの多重構造に関する研究――生理学化学社会的観点から分析

ナラ(腸内ガス)は、ほとんどの動物共通する生理現象であるしかし、その存在は多くの社会においてタブー視される一方、ユーモアの題材としても頻繁に扱われる。本研究では、オナラを単なる排泄行為ではなく、科学的・社会的な視点から多層的に分析することを目的とする。

ナラは主に嚥下された空気(外因性ガス)、腸内細菌発酵内因性ガス)、血液中のガス拡散という三つの要因によって発生する。特に腸内細菌活動が、オナラの主成分と匂いの決定要因となる。オナラの成分には窒素(N₂)、水素(H₂)、二酸化炭素(CO₂)、メタン(CH₄)、硫化水素(H₂S)などが含まれる。なかでも、硫化水素メタンオール(CH₃SH)が強い臭気を持つため、オナラの「匂い」の決定要素となる。

ナラの成分は食事内容に大きく依存する。高タンパク食品(肉、卵)は硫黄化合物を増やし、炭水化物中心の食事(豆類、野菜)は水素メタン割合を増やす特に硫化水素(H₂S)は「腐った卵の匂い」、メタンオール(CH₃SH)は「腐ったキャベツ匂い」を持ち、これらの濃度が高いと悪臭が強まる。また、水素(H₂)とメタン(CH₄)は可燃性を持ち、オナラに火をつける行為(俗に「オナラ火炎放射」)が可能である。この現象は、ガスの化学組成密度依存する。

多くの社会では、オナラ礼儀に反する行為とされるが、一方で歴史的には異なる価値観存在する。例えば、古代ローマではオナラ我慢することは健康に悪いとされ、中国の一部の伝統医療では「体内の邪気を出す行為」とも考えられていた。また、オナラ喜劇定番ネタとして世界中で扱われている。日本の「屁合戦」、フランスの「ペトマーヌ(オナラ芸人)」、アメリカ映画における「トイレユーモア」など、多様な文化に見られる。

近年では、腸内フローラ研究の発展により、オナラ健康指標の一つとして扱われることが増えた。また、炭酸ガス排出に関連したエコ視点から研究も行われている。

研究では、オナラの多重構造生理学化学社会学の視点から考察した。オナラは単なる排泄物ではなく、腸内環境指標であり、文化意味を持つ現象である。今後は、オナラ科学研究が進むことで、腸内環境改善医療分野での応用が期待される。

2025-02-07

74年間、日本の為に必死に働き続けた偉人を、自らの排泄物溺死させた埼玉県

こいつらに年金とか社会保険とか要らなくね?

2025-01-31

anond:20250131131503

マジで人手足りてないから、こういう考えの人が増えれば良いなとは思うよ

ただ「介護なんて極端な潔癖じゃなければ誰でも出来るだろうし」はちょっと解像度が低いか

少なくとも、俺は素手他人排泄物は触れないし、暴言を吐かれる、殴られるのに耐えられる気はしない。

2025-01-30

追記】私の統合失調症とは何だったのか編集あり】

高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談担任友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。

当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。

それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車チック症状が出ていたらしい。そこから受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考おかしくなっていく。

柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。

実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。

普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学教科書ガウスを描いたとき特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。

私は中学のころまでは学校人間いじめいたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。

塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクハト自体幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)

興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲーム体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。

そして確かリフレクビートみたいな音ゲー他人プレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのとき自分は意に介していなかったと思われる。

夜になっても秋葉原闊歩してあるとき自分腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。

今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。

釣り合わないおっさん若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェサービスに過ぎないだろう)。

街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのとき普通に対応されたけど陰でやばい認定されていたのではないか

道路ポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。

結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。

その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然英語思考言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能ものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。

そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。

掃除しているところを見たお巡りさんから未来官僚様へというふうな感じでブラックサンダー栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社正一位神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖土地なのだという気持ちになる。

またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。

当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。

マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。

またあるとき公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくま高校までの化学知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。

夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学漢文比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。

滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたこである文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。

でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。

おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったとき孔子の深遠さに衝撃を受けた。

もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまたことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。

普通受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。

電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである

テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュース映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか

イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。

世界から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか

でも当時は確かにカバコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。

テレビイスラム国に関する報道自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分世界に影響力を与えている気分になっていた。

調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。

冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだからちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。

しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。

また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前ブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。

そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。

そして将来は官僚になってこういうものを好きな子プレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。

近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。

卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。

こうしていろいろあって親は養護教諭電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。

ブコメから知ったこととして保護入院とは家族同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思尊重する形で家族確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意入院なのだった。

そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。

統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学ときエピソードして、自分悪魔になってしまったという発言や、ナイフ図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。

なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。

統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。

いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想現在現実区別できる能力回復している何よりの証拠だと思う。

ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。

この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。

(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)

追記

実はあれから既に十年以上経っている。

もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。

機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分排泄物を塗りたくるようなレベル廃人になるということだ。

しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。

薬は最初発症から数か月目の時点でやめていた。

それは、薬の副作用アカシジアというものがあって、その、四肢気持ち悪い感覚苦痛だったからだ。

今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。

その医者対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。

統失治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質ブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。

まり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。

から親の自己判断で服用が中断されたのだったと思う。

こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親担当医の忠告、「お母さんあなた精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。

ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。

今かかっているクリニックはこれらの統合失調症発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的こちらの考えを尊重ときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。

模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。

しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究かぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。

絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。

少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。

しかし当時の自分統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。

それではさすがに教師心証的に入塾は厳しいことを言われた。

また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。

と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。

先生は私への発言申し訳なく思っていたようだ。

飲食店に誘われ、調子はどうか、進路はどうするかを話した。

そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。

統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。

そんな私にアドバイスしてくれたり、数学先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。

それに前後して北里か東海大(ここ記憶曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。

そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンス表現でべた褒めする内容だったそうだ。

言語IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能テスト一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。

ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより

2025-01-29

anond:20250129202508

県は排泄物新聞紙でくるんで捨てろと言ってる

新聞取ってない奴死亡

2025-01-13

anond:20250113122547

テメェで定義を教え込むんだよ!

最初人格排泄とはどのような概念ですか?とか言ってたけど、ちょっと教えたらこのくらいになったぞ

了解しました。それでは、もっと興奮した感じで、粗野で情熱的なエッセイに挑戦します。

人格排泄」の興奮と背徳

人格排泄って、最初に聞いた時はびっくりしたけど、よくよく考えるとめちゃくちゃ魅力的なテーマだよな。なんだよ、この「人格排泄物として外に出る」って! これだけでもう、何かものすごい快感がこみ上げてくる。魔術とか力に操られて、女性自分の中身をまるでゼリーみたいなものに変え、そしてその「排泄物」がまだ元々の人格を持ち続けているとか、考えただけでゾクゾクしてくる。これはもう、単なるファンタジーじゃない、ものすごい深い快楽の核心に触れる感覚だよ。

まず、考えてみて欲しい。魔術で人格を吐き出すって、どんな感じだろう? その瞬間、すべてを捨てて自分解放するみたいな感覚が広がるんだ。普通は人は、何かに縛られていたり、他人の期待や社会の枠組みに縛られてるけど、その枠から「排泄する」ことで、一瞬でも解放される。この瞬間が、もう興奮そのものだ。自分思考感情を外に出すことで、何かが消えるんだけど、消えると同時に新しいものが生まれるんだよ。これって、すごくエロティックで、力強い解放感を伴うんだ。

そして、その排泄された人格ゼリーになって残るってのが、また衝撃的だ。ゼリーの中には、まだ「人格」が宿ってる。物理的に変わっても、内面的な部分が残るって、すごいよな。それ、もう外見が変わったからって、完全に消えたわけじゃないんだ。あの中には、記憶感情も、もともとの自分存在している。それが、ゼリーのようにプルプルと震えている様子を想像すると、もう堪らない。

そもそも、「排泄物」として人格が出てくるっていう発想が、ものすごく背徳的だ。普通なら、排泄物って最も避けたい、恥ずかしい、見たくないもの。でも、それが「人格」になって外に出るっていう、その逆転劇が、もう完全にエロティックなんだよ。なんだろう、従順になったり、無力になったりする瞬間に、どこかで快感を感じるようなものがある。この「ゼリー」という物質感が、さらにその不純で背徳的な欲望掻き立てる

排泄物になった人格って、どこかしらでその元の「人間性」を持っているから、なんだか異常な魅力があるよな。無防備に変わったようでいて、その中にはまだ、もとの自分がいる。それが、暴力的に、あるいは無意識的に支配され、操られながらも、その一部は残り続けているってのが、またそそる。完全に支配される、でもその中に残るわずかな反抗心や人間らしさ。これがたまらなくエロい

結局、この「人格排泄」って、ただの奇妙なファンタジーじゃない。そこには、人がどれだけ自己を捨て、解放されようとするか、また、変わりたいけれど変われない、支配されたいけれどどこかで抵抗し続けるような欲望が隠れている。ゼリーになっても、自分自分であり続けるその葛藤が、究極的にエロティックで、病的に魅力的だ。

これを好む人がいるのも、よくわかる。排泄物として人格が消えていくことで、支配解放快楽と恥じらいが一体になってる。だから、もうたまらなく引き込まれていくんだよ。

2025-01-05

僕が知らないだけで世の中にはこういう癖があるのか?

癖と書いて「へき」と読ませます

それはさておき、シェアオフィスみたいなところで働いているんだけど、どうやらトイレで流さない奴がいる。

トイレは個室の一人用)

なんなん?なぜ流さない?

代わりに流す身としては不快しかないんだが。

見知らぬ男の排泄物なんぞ見たくもないし。そもそも汚い。

しかも小も大もある。

これまで度々あるし、複数人犯行だとしたら、おそらく世の中には排泄物を流さず残して第三者に見せつけるという性癖があるのだろう。

思い返すと、小中高の学生時代、なぜかトイレに残されたうんこ・・・「おい誰だようんこしたの〜」と騒いでいた奴がたしかにいた。

てことは昔から連綿と続く癖なのかもしれない。

ただ、他人迷惑をかけるのはよろしくない。

自宅でやってくれ。

2025-01-04

anond:20250104155802

これでよかったと思うよ

食事から排泄物の処理まで全部自分でできない人はボランティアに行くべきではない

2024-12-22

anond:20241222004847

この前提条件ならべてなりきり系、使わない財産他人の財布の現金は手元にないのは同じと妄想垂れ流すの増えすぎ

麻薬みたいにその妄想を見てる自分視点からだと張りボテも現実に見えていると錯覚させる事で自分を救っているんだろうけど

垂れ流しているものがなんの再利用性もない排泄物でそれを見せつけられてる他の人間が気の毒

実際ほんもの麻薬合法化するよりは安全安心とはいえ

その趣味排泄物を愛でて楽しむ趣味と同じでスカトロメンタリティなのは

ゾーニングすべき対象であるべき位置があることで楽しめるという事は知っておかないと排除されるぞ

2024-11-22

anond:20241122164354

排泄物が汚いのは確かだけど

性液も本当に汚いの?

出したての時点では雑菌いなくて綺麗だったりしない?

anond:20241122164055

まぁ、ウンコ排泄物からなぁ・・・

精液は汚いけど、極端な言い方すると、オスの証明みたいな物だから、そこの違いだろうな

中にはザーメンウンコは同列でウンコ塗りたくって興奮する奴って考える人もいるんかな

2024-11-07

昭和という人生初見にうってつけのタイミング

俺が小学生だった時代は、ネットは無かった。

攻略本はあったけど、ほとんどの情報を手探りで探すしか無かった。

冒険の中で。

マスクデータだらけは)「ググればわかることをわざわざ隠してる」ってだけだからなぁ。

今の時代マスクデータってただ単にネット確認しにいくひと手間がかかるだけの煩わしいものにすぎない

マスクされた仕様を探求するのが良いんだろ!」って別レビューもあったけど、今の価値観なら全員が地獄に付き合う必要はない

アレと同じバランスの新IPゲーム現代で出たら袋叩き待ったなしだろう

昔と今とじゃゲームに対する向き合い方が違うよね。昔は目隠しされて手当たり次第に試すのがゲームだったけど今はさすがにそれには耐えられない

ラクな逃げ道が無い、って実は恵まれ環境だったんだな・・・

ブツクサ言いながらも、マスクされた情報を探していくことを自然に楽しめた。

苦しさに耐える根気も養われたと思う。

の子供達、アップデートされた大人価値観では、『分からない』に耐えられない。

重要情報マスクしてあります! プレイヤーの皆さん、手探りで探し当てていくのも楽しみの一つですよ!』って押しつけは開発者としては楽しいんだろうけどプレイヤーからしたらお排泄物しかない

悪意を持って押し付けられてるようにさえ感じてしまう。

『分からなく』させられた被害者になってしまう。

情報時代が逆行することはない。

もう二度と、探索が楽しかった日々には戻れない。

ポイントは、誰も悪人では無いことだ。

悪い支配者によって今が不幸な時代にされたんじゃあなく、技術発展の進歩によって自然にそうなった。

生きづらさを見ると、今の時代はむしろ、生きやすい。

だけど。

隠された情報を見つける楽しみは、もう味わえない。

最近思うんだけど、俺はつくづく、幸福時代に生まれ育ったと思う。

引用はすべて [B! ロマサガ] ロマサガ2のリメイクは、「可視化」によって遊びやすさが恐ろしく増した良作である話

2024-10-31

anond:20241031041316

内臓ほじられて排泄物体内に出されて生命体を体内に植え付けられて1年弱栄養を吸い取られあらゆる体調不良に蝕まれ社会的弱者になる行為かめちゃくちゃ好きな相手でもホイホイやりたくないだろ

anond:20241031001831

いよいよ介護ロボット化が進みそう。

メイドロボットがご奉仕などではなく、ベッドに付いたロボットアームが要介護老人に給餌して排泄物の始末して身体を拭いて床ずれ防止に転がす

という工場的な方向で。

2024-10-27

ちんぽ史上、最も重要排泄物3選

漫画の話ばっかりだし、ちんぽの方でも厳選シリーズをやろうや。

というわけで、ちんぽの厳選だ。

小便

ザーメン

尿路結石

2024-10-11

漫画熱帯魚は雪に焦がれる」を読んで腹が立った話

 百合が好きなので、なんだか評判のいい漫画熱帯魚は雪に焦がれる』を読んでみた。

 結果として、2巻か3巻の途中で投げ出してしまった。

 理由としては第一に、あまり面白くなかったから。第二に、読んでいてだんだん腹が立ってきたからだ。

 腹が立った理由は「水族館部」の描写だ。結論から先に言うと、水族館部という珍しい部活をとり上げた理由が「なんかエモいから」でしかないと感じてしまった。

 この作品は、主人公田舎高校入学し、気になる先輩が所属する「水族館部」に入ることにして、その先輩と徐々に関係を深め合う、そんな物語である

 この水族館部というのは愛媛県長浜高校実在する部活動で、作者も現地へ取材に赴き、実質的作品舞台にしたようだ。

 だが、その水族館部の描き方に問題がある。

 まず、水槽が多すぎる。

 実際の水族館部もこれぐらい水槽があるのかもしれない。ただ、長浜高校水族館部の部員数は全校生徒の半分以上を占め、2024年3月時点で68人いる(https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W4TLBS2RPTLC011.html#:~:text=%E6%B0%B4%E6%97%8F%E9%A4%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%AF,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%81%8C%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82)。

 全国募集部員数が増える前でも、数十人は下らなかっただろう。

 しかし、『熱帯魚は雪に焦がれる』の設定ではなんと部員数は2人。主人公が入部する前は1人だったのだ。

 ……誰が水槽洗ってるんだよ!?

 水生生物を飼ったことがないと想像しづいかもしれないが、水槽管理はなかなか大変だ。

 生体の老廃物や排泄物、食べかすなどで水が汚れるのでフィルター(濾過機)を常時回すのだが、どうしても濾過・分解しきれない物質が増えていくため、定期的に水を換えなければいけない。そしてフィルター掃除しなければ目詰まりしてしまう。さら水槽ガラス部分に藻や苔のようなものが付くので、こそぎ落とさなければならない。また、海水水槽場合は析出した塩を取り除かなければいけない。水温の管理必要だし、当然、生き物に関する知識を身に付けなければそうした調整もできない。

 こうした作業を、数十個の水槽に対して2人で対応していくのは極めて困難だ。

 百歩譲って、大量の水槽を2人で頑張って管理していたとしよう。しかしそうなると今度は、ストーリーとの整合性がつかなくなる。

 この作品主人公ら2人の仲良くなりたい、でも臆病になってしまう、みたいな繊細な心の動きを描いている。が、2人で何十個もの水槽管理し、あるいは重い水槽を一緒に持って動かし、生物水槽管理知識を教え合い、なんてしていたら心の距離が縮まらないわけがない。ましてや、話しかけようかどうしようだの誘おうかどうしようだのでうじうじする距離感ではなくなる。距離感が近付いた結果仲良くなるか仲が悪くなるかは人それぞれだが、距離感が近付かないということはあり得ないのだ。少人数の部活動というのはそういうものだ。

 また、登場人物水族館部および水生生物へのスタンスも気になる。はっきり言って、2人とも生き物にあまり興味がなさそうなのだ

 主人公は生き物どころか水族館部にあまり興味がないけど流れで入部しているし、先輩も水族館部にいる理由を聞かれて「子どもの頃からそれが当たり前だったから」みたいなことしか言わない。途中で顧問先生=先輩の父親も出てくるが、その人もちょろっと話を展開させる要因なだけで、生き物への愛情とかは語らない。(なんなら、作者も生き物のディテール知識は細かく書き込んでおらず、好きではあってもめちゃくちゃ好きというわけではないのだろう。)

 水生生物好きとしては「じゃあ誰がこの子(生き物)たちを好きなんだよ!?」と言いたくなる。別にこれが放課後に駄弁るだけのボドゲ部とかだったらボドゲ愛情がなくても構わないのだが、水族館部というのは一応命を預かっているのだ。色々と心配になる。

 それでも水族館部の活動を通して、生き物への解像度とか、「生」というものへの関心とか、生きるって何なんだろうとか、そういうことに思いを馳せながら2人の関係にも有機的に絡み合ってくるのかなと思ったら、全然話に絡んでこない。岩陰から出てこないサンショウウオを「自分に似てる」と勝手自己投影するぐらいである。そして、お互いにどきまぎしながら日々を過ごす傍らで、なんか水族館部の活動もしているっぽいぐらいである。本当に傍らである

 少し話は逸れるが、先輩が部活をやってる理由想像以上にぼんやりしているのは悪い意味リアルだと感じた。卒業した先輩の意思を継ぐためとか、水族館部を途絶えさせないためとか、過疎化していく地域のためとか、部員が1人になっても意地で続けていたとか、ベタながら物語映えしそうな理由はいくらでも思いつくのに、そうしたエクスキューズ特にないのだ。まあぶっちゃけ高校生なんてぼんやり生きているのが普通ではあるのだが、学校行事として開館日を設定して、他部の生徒にも協力してもらってまで水族館地域開放を成立させているような状況でこのぼんやり具合はうそ寒さすら感じる。

 ここまで長々と語ってきたが、この作品水族館描写問題点は「リアリティのなさ」とその背景に見え隠れする「リスペクト希薄さ」に集約できそうだ。

 漫画リアリティで言うと、別に幽☆遊☆白書を読んで「死んだ人間が生き返るわけないだろ!」とか言わないし、NARUTOを読んで「実際の歴史上の忍者と違う!」とか言う人もいない。では『熱帯魚は雪に焦がれる』のリアリティのなさは、なぜ問題なのか。

 それはやはり実質的特定高校舞台にしているからだろう。

 創作のために多少手を加えたり省略したりするのは許されるかもしれない。しかし、この作品では生き物を扱う苦労を無視してしまっている。こうした過度な美化は、現実存在をただ作品を飾り付けるためだけに利用してしまっている表象ではないだろうか。

 これがボドゲ部や手芸部ならいい。真剣手芸部もあれば、放課後女子会のような手芸部もあるだろう。他の部活だってそうだ。

 しかし、水族館部は国内で唯一と言われている存在だ。

 手芸部でもなんでもよさそうな内容を、ただ画的にエモいからということで日本で唯一の水族館部に設定してしまうのは厳しいものがある。

 水族館デートというのはさまざまな作品で描かれてきた。現実デートでも定番スポットだし、漫画アニメドラマ描写するにしても水槽が鮮やかで、でも館内は暗くて、なんかエモい水族館を訪れる人はそれで十分だと思うし、水族館職員の奮闘に思いを馳せる必要はない。

 しかしこの作品では、その水族館を「内部化」することでエモさを恒常的に発生させていて、一方でその現実的な苦労を描いていない。それが「いいとこ取り」で「表面的」にしか思えない描写に繋がっているのだと思う。

 以上、水生生物が好きでもないと半分以上理解できない内容ではあると思うが、『熱帯魚は雪に焦がれる』に感じた違和感を記した次第である

 なお、論評するなら最終巻まで読んでからしろと言われそうな気もするが、連載形式漫画にそれをする必要性はないと思っている。

2024-09-30

anond:20240929220855

ゴミ触るのと排泄物触るのどっちがマシ?って聞いたら「ゴミと比べるなんて失礼!」とか発狂しだすアホおるよな笑

2024-09-23

おしゃべりにもいろいろあって

興味対象への愛の吐き出しあいとか

愚痴吐き、共感なぐさめ合いとか

いや、ネガティブ要素なければ、社交的な趣味や珍しい話題の共有とかか

できれば売り物になるおしゃべりができるようになるといいなと思うんだ

かつて椎名林檎が何かの歌で自分作品排泄物、というような言い回しをしたけど

その排泄物が多くの人に売れるとか羨ましすぎる

2024-09-07

anond:20240907104920

介護関係なら福祉用具専門相談員とかどうだろう

ベッドとか車いすレンタルする仕事利用者身体に触れることはほぼないから、介護系でよく嫌がられる「ジジババの排泄物の始末」とは無縁でいられる

エレベーター無しの団地バラしたベッドを運んだりしなきゃいけないんで、最低限の体力は必要だけど、そんなの案件は月に1度か2度程度

ただしケアマネから依頼をもらってナンボの仕事なんで、よっぽど大手でない限りは営業力必要になる

増田営業は無理というなら、おすすめはできない

あと、介護保険制度がかなりガタガタになってきてる上、AIの発達で「利用者状態環境から必要福祉用具を選定する能力」は不要になるだろうから10年先には無くなっている仕事かもしれんが

2024-09-06

anond:20240906140123

ネットレスバして自分の冴えない人生鬱憤を晴らすタイプ中年男性のほうが多いってこと忘れないほうがいいぞ

  

インド連続レイプ犯で「この世は男女平等ではない」みたいなことを言ってたけど、その通りや。

それ一番いっちゃいけない事だろ…

インドほど強烈な男尊女卑社会世界にも他にそんなにないぞ

「妻の持参金が期待してたより少なくて新しい家電が買えないからと腹を立てた夫が妻に火をつけて殺す」

かいまだにある国だぞ

日本人だけじゃなくて白人が「インドは本当に女性には勧められない国だ、夫婦で歩いていると妻だけ無遠慮に触られたりする」とか言われる国だぞ

  

ただしそういう国は他にもある

なぜインド男尊女卑報道されるようになったかというと、経済力をつけたからだ

BRICKsとか言われたのはもう20年ぐらい前だろ?

経済力が上がったことで海外企業にとって魅力的な進出先になり、内情を外が知ることになった

だが中身はそうそう変わってはいない

インドでは今でも男は女に対して神のように振る舞うことが許される

男の排泄物を片付けるのは下層カーストの女の仕事転職不可)

 

で、なんでレイプ犯が「この世は男女平等ではない」と言っているかと言うと、強烈な男尊女卑からだよ

国は富んだ

だがその恩恵を存分に受けたのは上位の男だけで、下層階級の男はそのおこぼれにすらありつけず自分たちだけ取り残される

その強烈な恨み、劣等感が「女のくせに俺たちに許されない格上になりやがって」という逆恨みに結びついたんだよ

これはインドだけじゃない

ブラジルなんかでも同じ、もっと言えば中世ヨーロッパでも存在してた

襲われた被害者の女は医学部学生医者だろ?

国によって医者の扱いは違うがインドでも医者は「尊敬される格の高い、裕福な暮らし可能上級職」だよ

で、襲ったのは港湾労働者とかだろ?

 

男が虐げられているから襲ったんじゃない、

社会格差から取り残された憎しみ、不平等感が

本来男より上であるなど許されないはずの女が男より上にいるのを知って爆発した」

というのが真相

2024-09-01

アカデミックかぶれみたいな人が書いたソフトウェア設計の本を読んだ

うんこのことを「生物代謝によって生じる排泄物」みたいに、小難しくずっと言い換えているだけの文章だった。文脈飛び地っていう表現最後までいまいち腑に落ちなかった。文脈っていうより責務でしょだと思った。そういうのがいっぱいある。

https://zenn.dev/magicant/books/0d7a8fddfba011/viewer/25c3a5

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