はてなキーワード: アンビバレントとは
場所は令和の川崎。工場夜景がマジでエモいエリアの、とある高スペック自作PCが並ぶガレージ。そこに、ボサボサ頭で目がバキバキのイケメン(中身はガチの天才発明家)が、最新のRadeonとかRyzenのパーツに囲まれて、なんかヤバそうな液体を調合してたわけ。
「…9,999回失敗した。だが、それは『上手くいかない方法』を見つけただけだ。次は必ず、引力を超越(超え)てみせる!」
そこに「お疲れ~!」って、特大のスタバ持って現れたのが、川崎を拠点に活動する爆走ポジティブギャル、ゆあにゃん!
「エジソン様、また徹夜!?マジ顔色ぴえんなんだけど!それより、その怪しい緑の液体、何!?香水!?香水ならもっと映えるボトルにしなきゃ詰むよ?」
こうして、努力の天才・エジソンと、令和のコミュ力お化け・ゆあにゃんの、世界を揺らす「最強香水伝説」が幕を開けたんだわ!
ゆあにゃんに連れられて、エジソンは初めて令和のデパコス(デパートコスメ)コーナーを体験。キラキラした香水瓶を見て「美しい…だが、脆弱(よわ)すぎる!」ってマジギレ。
「ゆあにゃんよ、見てみろ。この華奢なボトルを。ちょっと手が当たっただけで倒れ、中身がこぼれ、絨毯を台無しにする。これではユーザーのQOLがダダ下がりではないか!わしが発明するのは、どんな衝撃にも耐え、重力に抗い、絶対に倒れない、不屈のフレグランスである!」
ゆあにゃんは「え、倒れない香水…? おきあがりこぼし的な? 意外とシュールじゃない?」って笑ってたんだけど、エジソンの脳内はもうフル回転。
「ジャイロセンサー、磁気浮上、そして液体の粘性…全てを計算し尽くした『絶対安定(アンブレイカブル)』の美を追求するのだ!」
かつて電球で世界を明るくした男の情熱が、今度は「絶対にこぼれない香水瓶」と「脳に直接届くアゲな香り」に向かっちゃったわけ!
そこからエジソンのガチなR&D(研究開発)がスタート。
「香料のベースには、伝統的な和漢植物と、最新の化学合成香料を配合する! 落ち着くのにブチ上がる、二律背反(アンビバレント)な香りを生み出すのだ!」
「ボトルデザインは、最新のメカニカルな美学を取り入れろ! 4歳の子供が投げ飛ばしても、ルンバに衝突されても、絶対に垂直を保つジャイロ構造だ!」
ゆあにゃんもプロデューサーとして、「ロゴはもっとネオンっぽく! 匂いも『初恋の雷(いなずま)』みたいなエモい名前にしようよ!」ってアドバイス。
そうして完成したのが、伝説の「EDISON 01 - GRAVITY KILLER -(グラヴィティ・キラー)」!
ボトルはまるで精密なクロノグラフか、ガンダムのコア・ファイターみたいなメカメカしい外観。なのに、中の香水は透明感あふれるオレンジゴールド。
デスクに置いて指で弾いても、スマホのバイブで揺れても、魔法みたいにスッと真上を向く。マジで重力を無視してるレベル!
「これ、マジでヤバい…! 語彙力消えるんだけど! 動画撮ったら絶対バズる!」って、ゆあにゃんも大絶賛。
「#絶対倒れない香水」「#エジソン転生」「#重力仕事しろ」っていうハッシュタグがトレンド1位を独占。
「プロモーションは、渋谷のスクランブル交差点で行う! 雑踏こそが、わしの発明品の真価を問う場所だ!」
エジソンはゆあにゃんを引き連れて、渋谷に特設ステージ「THE LAB - MENLO PARK TOKYO -」をオープン。
ライバルは、フランスの超有名ブランドが作った「超高級・限定クリスタルボトル」。あっちのボトルはちょっと風が吹いただけで倒れそうなくらい繊細。
でも、エジソンは動じない。
ステージでエジソンが、巨大な扇風機や、ラジコンカーを香水瓶にぶつけるパフォーマンスを始めたら、渋谷のギャルやインフルエンサーたちが「待って、マジで倒れないw」「物理法則バグってるんだけどw」って大熱狂。
有名ブランドのデザイナーが「あんなの、ただの機械じゃないか!」ってディスってきたけど、エジソンはニヤリと笑ってこう言った。
「天才とは、1%の閃きと、99%の…『倒れないための努力』だ。お前の香水は、倒れた時にユーザーの悲しみを生む。わしの香水は、どんな時もユーザーの味方(立ち上がる者)である!」
その瞬間、香水を一吹きされた客たちが一斉に「…いい匂い。マジでアガる。」「なんか、これ持ってるだけで自信つく」「絶対に折れない心を手に入れた気分」って、メンタルまで強くなっちゃう状態に突入!
結果、エジソンのフレグランスは、全世界のビューティーアワードを総なめ。
「電球」で夜を消した男は、令和の日本で「倒れない香水」によって「不安」という闇を消し去っちゃったんだよね。
今やエジソンは、テック業界からもファッション業界からも引っ張りだこ。
「ニコラ・テスラ、見ておるか…わしはついに、引力さえも手なずけたぞ。この小さなボトルの中でな!」
ゆあにゃんも「エジソン様マジ卍! 次は宇宙で倒れないパフェとか作っちゃう!?」って、月面旅行のチケットを予約中。
こうして、かつての発明王・エジソンは、令和の日本で「フレグランス界の頂点」に君臨した。
絶対に倒れないそのボトルは、迷える現代人の心を垂直に保ち、今日も誰かのデスクでキラキラと「発明の光」を放ち続けてるんだって!
セルフ・サービング・バイアス: 特集記事がヒットすれば「編集部の洞察力の勝利」、部数が減れば「国民のリテラシー低下」のせいにする。
行為者-観察者バイアス: 自社の誤報は「情報源の混乱」という状況のせいにし、政治家の言い間違いは「隠れた本音」という性格のせいにする。
透明性の錯覚: スタジオの「お通夜状態」な空気感が、日本中のリビングに共有されていると確信する。
基本的な帰属のエラー: 行政のミスをシステムの欠陥ではなく、担当大臣の「冷酷なキャラクター」に帰結させる。
バーナム効果: 「格差社会に不安を持つあなたへ」という、全人類共通の悩みを自分たちだけの専売特許のように語る。
ハロー効果: 著名なノーベル賞学者が専門外の憲法論を語っても、あたかも「絶対的真理」であるかのようにトップニュースで扱う。
外集団同質性効果: ネット上で批判してくる人々を、一人一人の背景を見ず「冷笑系」という一言で片づける。
内集団バイアス: 自社主催のイベントや、思想の近いNGOの活動は、宣伝に近いレベルで手厚く報じる。
楽観性バイアス: 「これほど正義を訴えている我々が、視聴者に完全に見捨てられるはずがない」という根拠なき自信。
知識の呪縛: 官僚用語や左派系専門用語を多用し、一般市民が理解できないのは「勉強不足」だと切り捨てる。
平均以上効果: 「我々報道局員は、SNSの有象無象よりも公正で、正確で、知的な存在だ」と内面で信じ切る。
第三者効果: 「一般人は週刊誌のゴシップに流されるが、我々インテリ層は本質を見抜いている」と傲慢に構える。
ダニング=クルーガー効果: 社会部記者が、数日の取材で「防衛政策のすべてを理解した」つもりになり、専門家を論破しようとする。
貢献度の過大視: 「我々が連日報じたからこそ、この法案は修正された」と、実際には無関係な要因まで自社の手柄にする。
ナイーブ・リアリズム: 「我々の編集方針こそが『中立』であり、これに異を唱える者はすべて右翼的偏向である」という信念。
ナイーブ・シニシズム: 政府の子供家庭庁創設を、子供のためではなく「天下り先確保だ」と最初から悪意を前提に分析する。
スポットライト効果: 番組内の一言への批判ツイートが数件あっただけで、「全国的な不買運動が起きる」と過剰に怯える。
フォールス・コンセンサス: スタジオのコメンテーター全員が同じ意見なのに「これが国民の総意です」と締めくくる。
被害者非難: (リベラル的正義に反する場合)不法滞在で摘発された者を支援する際、法を守る側の住民を「不寛容だ」と責める。
敵意的メディア認知: 公共放送が少しでも政府統計を肯定的に報じると、「放送法違反の政権広報だ」と牙を剥く。
システム正当化: 部数減少に喘いでも「紙の新聞こそが知の砦」という、自分たちの既存システムを絶対視する。
ステレオタイプ: 「若者は政治に無関心で、利己的な消費しかしない」という前提で企画を立てる。
アンビバレント・ステレオタイプ: 専業主婦を「家庭を守る尊い存在だが、社会的には無力(好ましいが無能)」とテンプレート化する。
ピグマリオン効果: 「庶民派」とレッテルを貼った野党候補者が、期待通りに食堂でカレーを食べるシーンを熱心に撮る。
予言の自己成就: 「今年の冬は電力不足になる」と煽ることで買いだめや過度な節電を招き、経済を停滞させる。
非対称な洞察の錯覚: 「我々は権力者の嘘を見抜いているが、権力者は我々のジャーナリズムの深淵を分かっていない」。
モラル・ライセンシング: 「平和憲法を守る」という大義名分があるから、反対派への強引な街頭インタビューも許される。
権威バイアス: 「ノーベル賞受賞者」のコメントを、政治・経済・人生相談すべての領域で「正解」として採用する。
文脈効果: 与党の減税は「選挙対策」、野党の減税案は「国民への寄り添い」というテロップを出す。
利用可能性ヒューリスティック: 街で起きた一例のヘイトスピーチを連日報じ、「日本中に差別が蔓延している」と印象づける。
アンカリング: 最初に「100兆円の無駄」という巨額の数字を提示し、その後の微細な予算修正を無意味に感じさせる。
現状維持バイアス: デジタル化による合理化よりも、「手書きの取材メモと紙の編集」という伝統に固執する。
フレーミング効果: 「成功率90%の医療改革」を、「10%が失敗する危険な改革」と報じて不安を煽る。
確証バイアス: 「地球温暖化で冬がなくなる」という仮説に合う、局地的な猛暑ニュースだけを収集する。
真実性の錯覚: 「アベノミクスは失敗だった」と全番組で毎日繰り返すことで、検証なしにそれを「真実」として定着させる。
計画錯誤: 新番組の準備期間を短く見積もり、結局過去の映像の使い回しで番組を構成する。
代表性ヒューリスティック: 「眼鏡をかけた大人しい青年」が事件を起こすと、すぐに「アニメやゲームの影響」と決めつける。
基準率の無視: 副反応の確率が極めて低いワクチンに対し、一件の重症例だけを大きく報じて「危険な薬」と断じる。
利用可能性カスケード: 一人の芸能人の不倫を全メディアが追うことで、それが国家存亡の危機より重要な問題だという空気を醸成する。
シミュレーション・ヒューリスティック: 「もしあの時、別の政権だったら」という、あり得たかもしれない理想をリアリティを持って語る。
サンプルサイズの無視: 渋谷の若者3人へのインタビューだけで「今の若者はこう考えている」と結論づける。
保有効果: 自分たちの「新聞記者」という肩書きの社会的価値を、世間一般の評価よりも遥かに高く見積もる。
ギャンブラー錯誤: 「これだけ政権批判を続けたのだから、次は必ず支持率が下がるはずだ」と期待する。
不作為バイアス: 改革によるリスクを報じて「何もしないこと(不作為)」を推奨し、社会の停滞を正当化する。
インパクト・バイアス: 「この法案が通れば日本は終わりだ」と、将来の不幸を過大に予言する。
回帰の誤謬: 経済が自然に持ち直しただけなのに、「我々の批判報道で政府が動いた結果だ」と解釈する。
正常性バイアス: 若者のテレビ離れが致命的なレベルに達しても「まだうちはブランドがあるから大丈夫」と平然とする。
曖昧さ回避: 複雑で結論の出ない議論を避け、「どちらが悪いか」がはっきりした単純な二項対立のニュースを好む。
サンクコスト効果: 視聴率の取れない老舗討論番組を、「伝統があるから」と赤字を出しながら継続する。
現在志向バイアス: 10年後のメディアのあり方を考えるより、明日の朝のワイドショーのネタ選びを優先する。
損失回避: 「新しい自由」を得ることのメリットより、「古い特権」を失うことの恐怖を強調して報じる。
誤帰属: 取材対象への個人的な好意を、「国民的な人気」だと勘違いして報じる。
コントロールの錯覚: 街頭アンケートの結果を操作的な質問で誘導し、世論を自分たちがコントロールしていると感じる。
バックファイア効果: 「偏向報道だ」という視聴者の声に対し、反省するどころか「表現の自由への弾圧だ」と反発し、さらに偏向を強める。
バンドワゴン効果: 「今、このスイーツが大流行!」と捏造に近い流行を作り出し、行列を演出する。
おとり効果: 極端な右派の意見を「おとり」として紹介し、自分たちの偏った意見を「中立で妥当なもの」に見せる。
合理化: 誤報を出した後、「あれは権力への警鐘として必要なプロセスだった」と後付けで正当化する。
対比効果: 非常に高圧的な政治家を映した後に、穏やかに話す野党議員を映すことで、後者を聖人のように見せる。
デフォルト効果: 記者クラブから提供されたレクチャー資料を、そのまま記事の構成(デフォルト)として採用する。
ホーソン効果: カメラが入っている時だけ、熱心に活動する政治家の姿を「日常の風景」として映す。
連言錯誤: 「環境活動家」よりも「環境活動家で、かつベジタリアンで、政府を批判している女性」の方が、いかにも存在しそうだと報じる。
フォーカシング・イリュージョン: 「消費税さえ上がらなければ、国民は幸せになれる」と、一点の要素を強調しすぎる。
機能的固着: スマートフォンを「SNSによる分断の道具」としてしか見られず、新しい民主主義の可能性を無視する。
身元のわかる犠牲者効果: 震災の数万人の犠牲者数よりも、一匹の「飼い主を待つ犬」の物語に番組の半分を割く。
区別バイアス: A案とB案の微差を「決定的な思想の違い」として、必要以上に激しく対立させる。
信念バイアス: どんなに論理的な経済学者の意見でも、それが「増税容認」であれば、最初から間違っていると断じる。
妥当性の錯覚: 取材で得た数人の「いい話」を、日本社会全体の妥当な姿だと確信する。
リスク補償: 放送倫理規定が厳しくなると、逆に「倫理の範囲内なら何をしてもいい」と過激な演出に走る。
偽薬効果: 「この薬(政策)は毒だ」と報じ続けることで、実際に国民に心理的な不調(ノセボ効果)を引き起こす。
単純接触効果: 特定のタレントを毎日ワイドショーに出すことで、視聴者に無意識の親近感を抱かせ、選挙で有利にする。
確実性効果: 99%成功する未来の投資より、100%維持される現在の少額の年金を死守するよう高齢者を煽る。
ゼロサム・バイアス: 「富裕層が儲けることは、貧困層から奪うことだ」という構図で、常に経済を語る。
単位バイアス: 「1日あたりわずか100円の負担増」という表現を、政府批判の際は「年間3万6千円もの重税」と言い換える。
ナンセンスな数式効果: 内容はスカスカでも、画面に複雑な「シミュレーションのグラフ」を出すことで、情報の信憑性を演出する。
心理的リアクタンス: 政府が「国民の皆さん、協力してください」と言うと、反射的に「自由への侵害だ」と反発を煽る。
選択肢過多効果: 複雑な年金プランをすべて紹介し、「結局どれも分かりにくい、政府が悪い」と結論づける。
希少性バイアス: 「独自入手」「スクープ」というラベルを貼り、他社が報じないような瑣末な情報を重要視させる。
イケア効果: 苦労して1年かけた調査報道が、実はネットの二番煎じであっても、自分たちの苦労ゆえに「最高傑作」と呼ぶ。
オーストリッチ効果: 自社の部数激減や、若者の新聞離れを示すデータが出ても、それを見なかったことにして「紙の未来」を語る。
メンタル・アカウンティング: 「復興予算」なら1兆円の無駄を許すが、「議員の出張費」の1万円の無駄は執拗に叩く。
虚記憶: 「昭和の日本は、誰もが隣人を助け合う理想郷だった」という、実在しなかった記憶をノスタルジーとして捏造する。
気分一致効果: 政権支持率が落ちている時期は、街の風景まで暗く見えるようなカメラワークにする。
事後情報効果: 事件の翌日に出た憶測情報を、さも「事件当夜から知っていた」かのように上書きして解説する。
一貫性バイアス: かつて自分たちが賛成していた政策でも、今は反対なら「我々は昔から一貫して反対していた」と思い込む。
バラ色の回顧: 「昔のテレビはもっと自由で、活気があった」と、当時の不祥事や低俗さを忘れて美化する。
ツァイガルニック効果: 結論の出ないスキャンダルを「疑惑は深まった」と未完のまま引き伸ばし、視聴者の関心を繋ぎ止める。
後知恵バイアス: 災害が起きた後、「我々は以前からこの危険性を指摘していた(実際は一行触れただけ)」と主張する。
イマジネーション膨張: 「もし核戦争が起きたら」という空想を繰り返すうちに、明日にもそれが起きるかのような恐怖に支配される。
有名性効果: 昔の名前が売れているだけの政治家を、「重鎮」として重要局面で必ずコメントを求める。
ピーク・エンドの法則: 2時間の特別番組が退屈でも、最後の5分で感動的な音楽とポエムを流せば「名番組」だったと記憶される。
ネガティビティ・バイアス: 99人が幸福でも、1人の不満の声を「社会の断末魔」としてトップで報じる。
錯誤相関: 「サンマが獲れないのは地球温暖化のせいだ(実際は海流や漁獲規制の問題)」と、何でも環境問題に結びつける。
レミニセンス・バンプ: 編集幹部が青春を過ごした「1970年代の学生運動」の価値観を、現代のニュースの判断基準にし続ける。
ラベリング効果: 「改革派」とラベルを貼った市長が、強権的な手法をとっても「スピード感ある決断」と好意的に解釈する。
自己関連付け効果: 自社が過去に関わった事件や裁判を、あたかも日本史の最重要転換点であるかのように毎年特集する。
皮肉なリバウンド効果: 「特定の政党を利してはいけない」と意識するあまり、逆にその政党のネガティブな話題ばかりが頭に浮かび、報じてしまう。
圧縮効果: 10年前の自民党の不祥事を、まるで昨日のことのように持ち出して「体質は変わっていない」と攻める。
グーグル効果: 「ネットで調べれば済む」情報をニュースで流し、記者が自ら現場で一次情報を確認する足腰を失う。
テヘランで生まれた同世代の友人たちと話すと、いつも同じところに行き着く。
「俺たちの人生には、王様はいなかった。でも“王様の時代”は、ずっとテーブルの上に置かれている」——パーレビ王朝ってのは、そういう存在だ。
1979年の革命を、自分の目で見たイラン人は、もうだいぶ年配だ。
今のイランの平均年齢は30代前半、人口の大半は革命後に生まれている。革命を「体験した」世代は、もはや社会の少数派になりつつある。
つまり、今日のイラン人にとってパーレビ王朝は、「生々しい記憶」じゃなくて「語り継がれた物語」と「SNSに流れてくる古い写真」の世界なんだ。
王朝の時代を経験した親や祖父母の話を聞くと、まず出てくるのは「近代化」のイメージだ。
識字率が上がり、道路や鉄道が整備され、テヘランは中東有数の大都会になっていく。
洋楽が流れ、ミニスカートの写真がアルバムの中に残り、酒もクラブも普通にあった——多くの家族の記憶では、あの頃は「世界とつながっていた時代」だ。
でも、同じ口からこうも出てくる。
「サヴァクの名前を口にするな」「政治の話は家の外でするな」、そして友人や親戚が突然いなくなる話。
パーレビの時代は、「未来がある」という興奮と、「いつ踏み潰されるかわからない」という恐怖が同居した時代だった、という証言は本当に多い。
そのアンビバレントな記憶が、いまの若い世代にそのままコピーされているわけじゃない。
「昔は仕事があった」「昔は世界から孤立してなかった」「昔はこんなに貧しくなかった」。
こういう言い方で、パーレビ期は「今の地獄」を照らすためのライトみたいに使われている。
イラン国内とディアスポラの議論を長く追っていると、面白い癖が一つ見えてくる。
パーレビを持ち上げる声の多くは、「王制が最高だった」というより、「今よりはマシだった」という相対評価で語る。
これは、社会学の論文でも「現在への絶望と過去への理想化がセットで動く“ノスタルジー装置”」として分析されている。
彼らはサヴァクも革命前の不平等も、身体で覚えていない世代だ。
だから、王政の暗部は教科書と政権のプロパガンダで聞いただけ。
一方で、パーレビ期の写真や動画には、「髪を出して笑っている女性」「酒場」「西洋ブランド」があふれている。
このギャップが、「俺たちが知らない、もう一つのイラン」を想像させる。
友人の一人はこう言った。
「パーレビを恋しがっているんじゃない。俺たちの国が“普通の国”だった時代を恋しがってるだけだ」
この一文が、今のイラン人にとって旧王朝がどういう存在かをよく物語っていると思う。
長年ロサンゼルスやロンドンのイラン人コミュニティをウォッチしていると、亡命皇太子レザー・パーレビの扱い方の微妙さがよくわかる。
国際機関や欧米メディアとのネットワークも長く、英語もフランス語も堪能で、「外向けのブランド」としては完璧に設計されている。
でも、内向きの話になると、空気は一気に変わる。
王党派の集会では「プリンス・レザー」と持ち上げられる一方で、左派や世俗共和派からは「西側が好む記号」「イランの現実から何十年も離れた亡命貴族」とバッサリ切られる。
SNS上での支持の多くは、ディアスポラと匿名アカウントに偏っていて、「オンラインの人気」と「国内での本当の影響力」のギャップを指摘する研究も出てきている。
要するに、レザー・パーレビは「実働部隊」ではなく、「象徴」として機能している。
彼の名前が街で叫ばれるとき、それは必ずしも「王政を返せ」という直球の要求じゃない。
むしろ「この体制には未来がない」「別の選択肢があるはずだ」という、否定形の叫びが先にあって、そのスクリーンとして王家の名が投影されている。
ここにトランプが登場すると、話は一気にアメリカ政治のロジックに引き寄せられる。
彼にとってイランは、「悪役の坊主政権」「人質事件」「核」「イスラエル」「石油」、このあたりのキーワードで構成された舞台装置だ。
そこに「追放されたプリンス」「自由を求める若者たち」というストーリーを足せば、テレビ的には最高のコンテンツになる。
すでにトランプの側近がレザー・パーレビと極秘に会い、「体制崩壊後の移行シナリオ」を擦り合わせているという報道も出ている。
トランプ本人も、彼を評価しつつ「国内支持がどこまであるかは疑問だ」と含みを持たせている。
この距離感は非常にトランプ的で、「全力で担ぐ」ほどの覚悟は見せないが、「使えるカードとしてポケットには入れておく」というスタンスだ。
アメリカ大統領としてのトランプは、 ideology より「絵になるか」「勝ち筋があるか」を優先する。
もしイラン政権が本格的に崩れ、街頭でレザー・パーレビの名前が自然発生的に盛り上がる局面が来れば、彼は迷わず「自由を求めるイラン人とそのリーダー」として全力で担ぎ出すだろう。
逆に、国内世論調査や情報機関の分析で「王政カードは重すぎる」と出れば、「イラン人自身が決めるべきだ」と一歩引いた位置から、別の世俗派・軍部エリートに乗り換える可能性もある。
つまり、トランプにとってのレザー・パーレビは、「固定された盟友」ではなく、「コストの安いオプション株」だ。
支援表明や会談の写真を出すだけで、イラン政権を刺激し、西側メディアに“わかりやすい対立軸”を提供できる。
それでいて、本当にイランの将来を彼に委ねる気があるかどうかは、また別の話だ。
事情通として長くこの問題を追っていると、結局いつも同じところに戻る。
パーレビ王朝は、いまのイラン人にとって「選択肢」というより「鏡」なんだ。
その鏡の前で、イラン社会は自分にこう問いかけているように見える。
「俺たちは、どの失敗から目をそらし、どの失敗を認めるのか?」
トランプがどれだけ王子の肩を持ち上げても、最終的に決めるのは、革命を“知らない世代”が多数派になったイラン社会だ。
明日の通貨レート、就職口、ネットの検閲、街頭での暴力——その全てに対して、「あの時代よりマシか?」と、パーレビの亡霊をものさしにしている。
日本アニメ史上に燦然と輝く大傑作みたいな感じの映画だと思ってたのでちょっとハードル上げすぎちゃったのが良くなかったけど普通によくできた面白い映画だったので73点。
相手の意識下(夢)に侵入できる装置DCミニを利用して刑事のトラウマ克服に勤しむパプリカこと千葉が所属する研究所からDCミニが盗まれてしまう。それと同時に研究所のメンバーが次々精神に異常をきたし始める。犯人をDCミニを盗み出した同僚でBOØWYのボーカル氷室であると考えた千葉は同じく同僚のデブの天才時田とともに捜査を始めるが実は氷室もDCミニの被害者であることがわかり、ついには増大した夢が現実の壁を破り世界は夢と現実が混ざり合った混沌とした空間になってしまう。千葉と彼女の分身であるパプリカは世界を救えるのか。
みたいな話だったよね?
とりあえず言えるのは、アニメ映画としての鑑賞の楽しさはめっちゃあった。冒頭の粉川の夢の中のシーンからもう絵的にも面白いし(一瞬めっちゃインセプションで草)、そこからタイトルバックのパプリカ帰宅シーンでパプリカが静的動的、二次元三次元問わず次々といろんなメディアをジャンプしながら移動するアイデアの多彩さ、動きの楽しさは流石に圧巻。様々な夢が混ざり合ったカオスなパレードは平沢進の音楽の不穏さと完全にマッチして「音楽を映像化する」という課題があれば100点中1000点つけちゃう(映像を音楽化したのかもしんないけども)。
夢をテーマにした作品として夢の荒唐無稽さ突飛さサイケデリックな感じといった言葉では表しにくい様々な情景をかなり直感的に映像化できていて、おぉ~すごいなぁ~って感じだった。
とはいえ公開から20年以上経った今見ると「パプリカ」を下地に作られた演出を取り込んだ映像作品は(例にも出したけどインセプションとか)多数出てきているのでこれどっかで見たことある奴だな、みたいな感じがするシーンもけっこう多くてめちゃくちゃ前のめりになって見入ってしまうみたいな感じではなかった。公開当時見たかったかな。
見終わった後ふと思うのは、粉川こんないい役もらうような感じだったっけ?ってこと。彼は刑事なんだけど本筋であるはずのDCミニ盗難事件には基本的には一切関わらないが、この作品を経て最も成長するのはおそらく彼(と主人公の千葉かな?)である。
未解決事件という表向きのトラウマを抱えながら、実はそれは「中途半端に放り投げた自分の夢と友人」という拭い去れない過去への後悔と根っこは同じであることがわかり、彼は夢の中で夢の中だからこそそれを"物理的に"破りトラウマを克服し、本当の敵を文字通り撃つ。
作中で様々な夢に囚われた人間が出てくるがほとんどの面々は夢に逃げ込む、夢を隠れ蓑にするというネガティブな方法に利用するのに対して、夢を通じて成長、克服、前進する役割は粉川に託されている。
個人的に粉川パートで好きだったのは元映画監督志望だった粉川が「イマジナリーライン」「パンフォーカス」の説明をするシーンで「カメラと被写体の間の線をカメラが越えると世界が反転し繋がらなくなる」「ピント絞ることで画面全体にフォーカスを合わせる」という映画の技術論と同時に人間関係であったり社会や人生の捉え方であったりの話をしてるシーン。
たぶん夢と現実の映画であるパプリカは同時に、現実と映画(虚構)の映画でもあるんだろうな。だから粉川は第二の主人公なんだろう。知らんけど。
一方で千葉は理知的で事務的、心の奥底で同僚の時田に思いを寄せながらも天才で天才がゆえに子供っぽく逃避癖のある時田にヤキモキしている。一方で他人を治療する際にはそんな自分の空を脱ぎ捨ててパプリカとして自由奔放に感情豊かに文字通り世界を飛び回る。パプリカは現実世界でも千葉の本能として危険を察知してそれを知らせる役割を果たしており、理性と本能がそれぞれ同時に存在するアンビバレントな人間らしさを表している。
そして最終決戦では自身の願望に乗っ取られた大悪役の理事に対して、夢の中に取り込まれた時田を現実世界と同じように支えたことで自身の思いを受け入れ時田と同化、さらにパプリカという自分の中の欲望、本能も受け入れ時田の中からパーフェクト千葉として爆誕し、現実に溢れ出した夢を理事ごと全て吸い尽くして世界を平定する。
パプリカという自分自身、時田という他人を受け入れ同化しそこから赤ん坊が生まれて夢を吸って成長し、最後には悪夢まで吸って大人になり消える。夢を自分の私腹を肥やすために使おうとした老人の理事とそれすら吸い尽くす次世代の千葉という構図はよくできてるな~と思った。
他にも犯人だと思われていた氷室は実はゲイで夢の中では「貞淑な女らしさの象徴」である日本人形に擬態していて、彼が思いを寄せていた時田は彼の夢の中ではロボットという男らしさの象徴をしているってのもなんか哀しい。千葉に思いを寄せ時田の才能を内心では憎んでいる小山内はその復讐に自分の身体を氷室や理事に売ってポジションを守ろうと必死で、悪役ながらも悲しい奴だなってなるし。みんな自分を押し殺して生きていて、だからこそ夢の中ではたやすく狂ってしまう。
夢が現実に溢れ出した時に様々な人間はそれぞれの中に秘めた欲に次々と変身していくさまは滑稽でもあるしそのビジュアルイメージの多彩さは舌を巻く。そして、これは作中で度々登場する"インターネット"でも同じだし、増田なんかその極致であるとも言える。
声優に関しては千葉とパプリカを完全に演じ分けていた林原めぐみは流石だなと思うと同時に、林原めぐみレベルになるとなにやっててもこいつ林原めぐみだなってなっちゃって、個人的にはちょっとノイズ。特に今回は絵柄がいわゆるアニメって感じよりはリアルに寄せてるので余計にキャラとは別に林原めぐみがいるって感じで気になっちゃった。粉川の大塚明夫ももそうだし、時田の今は亡き古谷徹もキャラより声の方が立ってる感じがちょっと苦手だった。
キムタクとビートたけし主演の映画みたいな感じ。宮崎駿が晩年、声優らしい声優を主役に起用しなくなったのはそういうことだったのかもしれないしそうじゃないかもしれない。
なんでこの作品が80点以上じゃないのかっていうと単に俺の好みとはちょっと外れてたってだけなので、この作品に80点以上、90点以上つける人がいたとしても別におかしくはないなって思う程度には強度の高い作品だとは思いました。あとはアレだな、欠点をあげるとしたらなぜその人たちがそうなのかが作中であんま示されないことが不満。脇役はともかく、なぜ千葉はああなのか、時田は理事はというバックボーンはほとんど示されないのは個人的な好みから外れるなって思った。
そんなこんなで俺は初見だったけど今見るとちょっと古臭く感じる部分はありつつもストーリーに関しては普遍性がある話を丁寧に描いているし、むしろインターネットという他人の欲望や夢をダイレクトに浴び続けられる時代全盛期である今見たほうが話としてはむしろ分かりやすいかもしれないって意味では、今見直してみるのは意外とオススメなのかもしれない。
妻に対し、月の中頃に「あんたの所に行ってもいいか?」と打診があったそうだ。
年末年始等であれば、本来こちらが実家へご挨拶に伺うのが筋であろう。
ただ、妻の実家は訪問することが非常に難しい土地柄であり、それを言い訳に訪問をサボれている。
当方の実家は距離的には非常に近いのだが、仏壇に線香あげる程度で、ほぼ接点はなく妻にも「我が実家はキ〇ガイが多いため近づくべからず」と伝えている。
関係なく近づいている様子ではあるが。
と言うことで、両実家や親戚等とはあまり接触することなく日々過ごしている。
前回は、近隣のホテルを予約してそこで一席設けて、お義母さんはホテルに宿泊してはどうか?と妻に提案してみた。
と言うのも、我が家は共有部が極端に少なく、客間どころか、玄関開けたらすぐリビングレベルである。
妻の「我が家には訪問客は現れない」という思想からそのような設計になっており、人が泊まれるスペースがないのである。
あと、来られるのがダルかったから。こちらがメインであることはご賢察ください。
妻母親から「〇〇のスペースあるじゃん、そこでいい」と、ホテル宿泊の提案は一蹴された。
妻はと言うと、仲は悪くないが来られるのは若干めんどくさい、しかし親孝行もせねばならぬ、といったアンビバレントな面持ち。
っていうかさ、俺がおかしいのかもしれんが、そもそも、元日に嫁ぎ先に泊まりに行くってなんかすごくねえか?すごくねえのか?
元日じゃねえけど、そういや妻兄弟の嫁ぎ先にも泊まり行ってたな。
これ、正月の決まりごとにしようとしてねえか?別に死ぬほど来てほしくねえとか行きたくねえって程のもんじゃないけど、なんか、ちょっぴりイヤじゃねえか?
妻は「まぁまぁ、(義父は逝去したため)寂しいんじゃない?たまにはいいじゃん。」、テンプレ回答、おっしゃる通りです。
私も妻母親とは仲はいいと思うんですけど、何て言えばいいんでしょうか。
正月よ?365日分の1よ?そんなん言ったら全ての日が365分の1だけれども。
俺の自身の実家への感覚が異常とも思えることに起因している気もするが、やっぱなんかイヤなんだよねえ。
妻の事を考えて、イヤって思う事も多分ダメなんだろうねえ。
めんどくせえなあ。
そこで国家として正式登録されてなかったら武力侵攻されてても一切関わってはいけないという決まりが存在すると、
まあAIに書いてもらっただけで書き込んだ当人は読んでもない可能性が高いが。
実際には台湾は国家の要件を完全に満たしている。そのうえで国連非加盟であったり日本と正式な国交を結んでないのはわざわざ言うまでもなく中国への配慮のため。
つまり「国じゃないから一切国扱いしちゃダメ!」などというアホでも覚えられる一言では最初から説明のつかないイレギュラーな存在なのだ。(それで全て割り切れると思ってるアホは、例えば台湾人が台湾の旅券でふつうに来日できてることをどう思うんだ?)
日中共同声明はイレギュラーな状況をイレギュラーなままに追認している。「中国の立場は理解しますよ」その上で「話し合いで平和的に解決するといいですね」と。
「武力侵攻しようと見て見ぬふりします!だって国じゃないから!」などとは一言も言ってない。
シーレーン上で武力衝突が起きれば日本は早晩干上がることになる。また中国/台湾と日本とは直接国境を接しており、あまつさえ領土紛争まで抱えている。
そういう場所で“力による現状変更”が行われていたとして、日本に何ができるか。
自衛隊が友邦台湾の独立を死守いたします!なんて言わないし、できない。しかしそうかといって「国じゃないから」何も起きてないことにしなければならない! なんていう決まりもどこにもない。
憲法の制約があるからどうせ場当たり的対応しかできないが無反応でもいられないというグレーでアンビバレントな状態が、まさに「存立危機事態」である。
どういう状態を存立危機事態と言うとか言わないとかいうのは、つまりどこまでも内輪の便宜的な話なのだ。
一方、台湾を正式に国家承認するとかしないとかいうのは内輪の話ではない。
台湾の旅券を認め、事務所と称して公使館を置き と、どんなに現実と矛盾していても「台湾を国家承認してない」という公式な立場は動かない。
内輪で台湾を便宜上、国“みたいに”扱うと、台湾を国家承認してないという公式な見解を変更したことになる
6巻まではもう読んだ。
7巻以降の感想、ツイッターの表アカがないからここにツイートみたく書き散らかすぞ🎶
自己紹介:
最終巻まで読んだけど詳細は微妙に覚えてない。記憶力が危うい。理解が浅い。
以下感想
ファンが好きすぎた頃はファンにしか目がいってなかったから安野雲のあたりとか寝ぼけながら読んでたけど、今読むと激アツだ 昨夜6巻のそのへん読んでて目頭熱くなった
ジュイスかっこいいなあ
ファンってどうやって移動してんの?全部雲?飛行機乗れば?シャチには乗ってたか 乗ってたつか呑まれてたけど ベチャベチャなるのやだ あの服何着持ってんの?次元の帽子みたいにいっぱいあんの?
おっ!千本夢小説があったっていい男、テラーが登場 実際どうなん やっぱあんまない?探したことある可能性もあるが、忘れた ええやつやなとは思っとるけどそこまでモエたりはしてない
ヴィクジュイ 爆モエの可能性
ファン 強いのとたたかいたいな〜ってだけでサマーにエサやりして なんなんこいつ
びっくりしてるとこもかわいらしいね
「独断で向かったようです」←うける
ファン喋ったー!
ビリーがその通信でファンに向かって喋ってるのは何語?あ、あれか ネクタイあるから?ん?ないか? てかファンさ英語わかるよねたぶん わかるけど頑なに喋らんだけよね 中国語じゃなきゃ返事しませんけど?の姿勢なだけでわかってはいるだろうと…
サマー編=ファン大活躍!!!ってはしゃぐ頭になってるからサマーって文字見るとファンに読み替えかねないほど強固に結び付いてる
「そっちの小さいの」呼ばわり笑
ファンどんな気持ちだったんか……台湾で会うまでにシェンがユニオンおるとか知ってたんか知らんかったんか 実際会ってどんなやったか ねー 青いな…つって 会えてうれしい?花いちもんめ?
シェンは目がよすぎる
ファン(ジジイ)かっけえなあ その喋り方もうしないの?いつ変えたん?なんでやめちゃったん?キャラ変したかった?イメチェン?
真八極?ってこのループで言ってたっけ?名前付けたんはシェンと別れたあとか?
初めて読んだ時の私は「ファン出てきた!!♡♡♡」「ファン顔かわい〜〜〜〜」しか言ってなくて神経図太すぎる モエ以外の感度が極度に低い
今のわたくしといたしましては、イカれてんだろコイツと思います
このループと次のループで不老の発現時期ちがうんなんでやっけ?なんか理由あった?
ファンがいっぱい喋ってうれしい♡
ファンは求道者ですか?バトルジャンキーですか?なんなんですか?何が動機?
忘れたし、そもそも全然ファンのこと理解できとらん。2パターンあるし。むずい。
体軟らか〜い そのチャイナっぽい靴、バレエシューズみたいなやつ
「自分の強さを知るために強者を育て強者を殺す」ですか 迷惑 大迷惑
「血の噴射で加速した近接だぞ 何故当たんねえ」
アンディの疑問の答え全部「武の達人なだけです」なのがちうける 能力バトルものでただひたすら素で強いだけのやつ おもろくてしゃーないの
ここで戦闘に関係ないのに老いの話わざわざ出してきたのは自分と関係あることだから?
この強さは…
あと左下のコマの顔かわいっ
わざわざ技の名前口に出して教えてくれる。
「今からでも学ぶか? 我が真八極を」←名前いつ付けたん?最近?
すぐ教えたがる。すぐ武を加えたがる。武マニア。
そういえば最強になりたいんだったっけファンは 最強最強言いよったわ
絶招だ!↓↘→P?
ジェイミーの絶招は214Pだけどユン・ヤンの絶招は236Pで合ってる?わかりづらい。エアプ。
最強に興味がない→腰抜け、怠慢 なんだ😂
すぐ人を殺すのやめた方がいいですよ 自分が殺されたらどう思うんですか? 強いから殺されないからって。殺されたいんかね…死に場所探しよんかね……自分を越えてほしいんかね……降りたいのか、最強の座から どうなんだ
どうなんだっけ?次ループでは孤独に焦点が当てられてたと思うけどこっちはどうだったっけ?全てがあやふや
このイカレ笑顔じゃなくてふつうに笑ってるとこが見てみたいなあ
好きです……(告白)
サマー編かっこいい場面多いいけどアニメの作画大変かなあ……めっちゃ立体的な動きするし
けどまじでアニメ化してくれ
てかさあのお前もつまらん所で降りるんか?じゃあ不運殺すが?のとこずっと腕アンディの内臓に突っ込んだままやったんね。だいぶ長いこと喋りよったけどね。
「一人で強くなったってむなしいだけだ」おっしゃる通りで
7巻の色青と黄色かわいくて好き
不気味な同僚がいる。
私は彼より少しだけ年上。
彼の振る舞いから察するに、どうやら私に対して好意と嫌悪が入り混じったような、アンビバレントな感情を抱いているらしい。
私の業務には、彼が処理した書類をレビューしたり、彼の手元で滞留しているメールの進捗を確認したりすることが含まれている。
そうすると、彼は露骨に不機嫌になる。
ミスを指摘したり、些細な依頼をすると、まず「は?」と返される。
その後、数十分から長い時で1時間以上、腹の底から響くような「グッグッ」としか表現できない奇妙な咳払いをし続ける。
ため息。舌打ち。強烈な貧乏ゆすり。机を指でイライラと叩き続ける。壁にかかったカレンダーを揺さぶる。小声でブツブツ文句をつぶやき続ける。
豚の鳴き声のようだ、と聞くたびに思う。
不可解なのは、こんな態度を取る一方で、私のことをある種「お気に入り」だと思っている節があることだ。
私が休憩室にいると、他にも空いた席がたくさんあるにも関わらずわざわざ近くの席に腰掛けてきたり、飲みの席では気付けば隣に彼がいる。
これが何よりも気持ち悪い。
自分で言うのも烏滸がましいが、私は少々まとまった容姿をしている。
彼は自らの楽しみとして、私を視界に入れて観察しようとしている、ように感じる。
例えば、常に私を避ける、徹底的に嫌うなど態度が一貫していればまだ理解の余地があった。
威嚇や不機嫌ハラスメントを行う一方で、休憩時間にすり寄ってくる。
その矛盾した態度に、気が狂いそうなぐらいの嫌悪感を覚えるようになってしまった。
かれこれもう1年近く、こんな状態が続いている。
彼と視線が合うだけで、脳みそに芋虫が這っているようなゾワゾワした気持ちになる。
業務に支障が発生するレベルだと上長にも相談しているが、男性の上司にはこの苦痛が深刻な問題として受け止められないようで、何の対応もしてくれない。
そんなに気にすることか、と周りは言うだろう。
そう言う人たちは、あんなにブヒブヒと雑音を奏で続けられたことがないから楽観的なことが言えるんだと思う。
彼が参加すると思うと、会社のどんな会合にも出席をためらうようになってしまった。
ああ気持ちわるい。心を無にして働けるようになりたい。
【追記】
数日前にホッテントリ入りしてたブログに書かれていた税率高い方が格差は縮まるってデータとか完全に無視されてるよね
よく日本の給与所得は欧米と比べて上がっていなかったって話題あるけど、それらの国の給与所得とインフレ率をプロットしたら日本の給与所得が上がらなかったのもしょうがないとわかるだろうけど、やっぱり無視される
ちょっと前にXで見かけんだけど、「chatGPTも消費税は下げた方がいい!」って書いてスクショを貼っていたんだけど、そのスクショでは結論として消費税を上げて財政健全化を目指すべきって書いてあったんだよね
仮に消費税を下げたらこうなりますとは書いてあるけど、結論を無視して消費税を下げた時に受けるメリットだけしか読んでいないのか、その人が考えてることしか受け入れられなくて頭に入ってこないのか、どうしてそうなるのかわからないけど
Xでアホほど見つけられるミソジニーがおっぱいをリポストしてたりして意味がわからない
アンビバレントみたいな感覚がなくなっちゃのかなって気がするけど、そもそも最近はアンビバレントなんて言葉も見かけないしね
そのくせマチュは好きそうだし
A:占いを擁護する立場。占いは人類の知の蓄積によって成り立っていて、一種の統計学であると主張する。
B:デーテサイエンティスト。統計学の定義に基づき明確に否定するが、さらに踏み込んで統計と占いの違いについて考察を深める。
ーーーー
A:
占いって、私は統計学の一種だと思ってる。根拠のない迷信じゃなくて、何千年も続く人類の観察の記録なんだよ。未来を占うっていうといかにもスピリチュアルだけれど、やっていることは記録に基づいた未来の予測だと思うんだ。
B:
“統計学”という言葉を使う以上、定義をはっきりさせたい。統計とは、収集されたデータに対して分析手法を適用し、仮説の妥当性を数量的に評価する科学だ。それに照らして、どこが一致してる?
A:
たとえば、古代メソポタミアの粘土板。占星術の記録がびっしり刻まれてる。
中国でも『推背図』とか『麻衣神相』のような人相・手相の書物がある。顔や掌の特徴と性格・運命の関係を記録し続けてきた。
これって、何世代にもわたる「人間観察のデータベース」じゃない?
B:
なるほど。記録があったというのは事実として受け止めるよ。でも、そこに統計的手法が適用されていたかどうかは別問題じゃないかな。
観察を重ねて記録しただけでは、まだ統計とは言えない。記録と分析の間には大きな壁がある。
A:
でも、現代のビッグデータだって、まずはログの蓄積から始まるでしょう?
誰かが「この特徴のある人はこういう傾向がある」と気づいて記録し、それが繰り返されていくことで、パターンが浮かび上がる。
占いも、記録、観察、分類の繰り返しのなかで体系化されてきた。
それって、人類が自然言語のまま統計を使っていたとも言えるんじゃない?
B:
うーん、そうだね。でもそれは「分類体系の構築」であって、「統計的検定」ではないよね。
現代の統計では、偏りを排除するために無作為抽出をし、仮説を立てて、有意性を評価し、モデルを検証するプロセスがある。
そこまでの枠組みがなければ、観察に基づいた民間知以上のものではないよ。
A:
でも、仮説と検証という意味では、「こういう手相の人は金運が強い」という記述があって、それが社会的に広まり、また観察と照合されていく。
たとえば江戸時代の占い師は、町民の情報を口伝と記録で積み上げて、実地で確かめながら修正していた。経験に基づいたフィードバックループはあったはず。
B:
その修正は、科学的方法というよりは職人的直感の調整だと思う。
それを統計と言ってしまうと、統計学の原則――とくに再現性と定量評価という根幹を見失う。
繰り返すけど、分類・記録・経験知は尊重されるべきだけど、統計学とは異なるものだね。
でも、たとえば――職業的な占い師のなかには、次の占いに活かすために、過去の顧客の情報を残していた可能性もあるよね。
具体的には、顧客の年齢、性別、相談内容、それに対する占いや後日の結果などを、ある種の指標――もっと言えば、数的データとして記録していたのかもしれない。
もちろん、「定量性」や「再現性」なんて言葉は使われていなかっただろうけど、職業的な技能の向上を目的として、定量的なパターン化や、再び同じ条件のときに同じ判断を下すための記録――つまり再現性の確保――といった実践があったとは考えられないかな?
B:
仮にそうだとしても、やはりその段階では統計的実践“のようなもの”にとどまってる。
というのも、統計には「個人の洗練された技能」ではなく、「誰が再現しても同じ結果が導ける仕組み」が要求される。
つまり、個人のノートではなく、手法が公にされていて初めて科学的統計となるんだ。プロセスの一部を似た形で持っていても、方法論の体系性、透明性、客観性がなければ、統計には至らない。
A:
でも、もしその記録が複数の占い師のあいだで共有されていたとしたら?
たとえば、ある手相を“成功線”と呼び、似た傾向があることが何人もの観察によって確認された。
彼らは言語化や体系化は未熟だったかもしれないけど、実地に基づいて知識を交換し、反復性を探っていたとすれば?
B:
でもそこで重要なのは、知識が主観や共同体内の物語からどれだけ離れたかなんだ。
再現性や定量性の基準が“信頼”や“経験”ではなく、誰でも検証可能な数値とロジックに移行したとき、初めて統計学になる。
A:
逆に言えば、検証可能な数値と論理構造が整っていれば、占いが統計に近づくことは可能だということだね?
B:
理屈としてはそうだ。ただし、それはもう“占い”と呼べるのかは別問題になる。
“出世確率85%”という言い方は、もはや占いの言語体系とは異なるよね。
そこにはあるのは、“未来の文脈を語るストーリー”ではなく、“数値による予測モデル”だ。
もしそこまで洗練されたなら、それは予測分析や意思決定支援システムであって、“占い”ではなくなる。
A:
なるほど。つまり、方法論を厳密化すればするほど、占いは占いでなくなる――そういう逆説かな。
B:
そう。占いが人を惹きつけてきたのは、“定量評価”ではなく、“意味づけの多義性”だと思う。
統計モデルには、曖昧さを排除するための規律がある。でも、占いはあえて曖昧さを許容することで、文脈に寄り添ってきた。
A:
“予測の精度”ではなく“受容の文脈”が優先された、ということだね。じゃあ占いって一体なんなんだろう?
B:
それは、統計でも科学でもないけれど――人間が不確実性に意味を与えようとする文化的な装置だと、だと考えたらどうかな。
占いは「何が起こるか」を当てるというより、「どう向き合えばいいか」を導くための解釈のフレームワークなんじゃないかな。
A:
うん……それは確かに実感としてある。
誰かに未来を言い当てられるというより、「こういう傾向があるかも」と言われて、自分の中で“腑に落ちる”瞬間がある。
たぶんその“腑に落ちる”構造のなかに、神秘的な偶然性以上の根拠を持ちたいとか、パターンに基づく意味づけをしたいという人間の欲求がありそうだね。
B:
そうだね。統計モデルは「正解に近づく」ための道具だけど、占いは「意味に近づく」ための儀式だと言ってみようか。
A:
なるほど、私が「占いは統計だ」と言いたかったのは、私自身も納得が必要だったからなのかもしれないね。
とくに人生の節目とか、選択に迷ったときって、ただ確率を言われるより、何かに“意味づけ”された言葉のほうが、なぜか前に進む力になるんだよね。
B:
統計が提供するのは「最も起こりやすいこと」かもしれないけど、占いは「今のあなたに必要な意味」を差し出そうとする。
人間って、ランダムな出来事や曖昧な未来に、何かしらの秩序や法則を見出したい生き物だから
科学や統計だけじゃなく、物語や象徴の体系――つまり占いのような営みも必要とされてきたんだろうね。
A:
でも、占いも統計も、不確かな未来を生きるため、人間の考え出した営みであることは変わりはないよね。
B:
どちらも「未来に対する不安」を前にして、人が手にした道具なんだと思う。
A:
なるほどね。
B:
……その答えは、やっぱりノーだと思う。占いは統計学ではない。
A:
そして、「人間にとって統計と占いのどちらが役に立つか?」という問いには、
たぶん――両方だね。
B:
そのとおり。
理性で世界を測ることと、感情で世界を抱きしめること。その両方があって、やっと人間はバランスを保てるんだと思うよ。
A:
数学の問題を解きながら、同時にラジオから流れてくる音楽に耳を傾ける。
そんなふうにして世界を感じ取るのは、たしかにアンビバレントな営みかもしれない。でも、だからこそ――私たちは人間なんだね。
「まともな生き方」をしてない人に限ってそのまともを内面化しているのか、やたらとライフステージがさァ!みたいな事言ってんの変
いや変わりたいなら変わろうとすればいいし、変わる気がないならそんな思いを持ったって苦しむだけじゃん
世間の相場的感覚としての「まともさ」を自分もしっかり持ち合わせていますよ(ただ実践が追いついていないだけで……)、というエスクキューズのつもりなのかもしれないけど
変わる気もないのにそんなものを持った所で「まとも」ではないだろって思う
まあSNSのヒネた連中同士で言ってるようなのやつは、まるっきり本気で言ってるかと言えばそうでもないんだろけど、といってその「ユーモア」もどこかでそのアンビバレントを実際に感じてないと成立しない気がする
とまで思った所で、コレ漠然と漫画家になりて〜とかロックバンドやりて〜とか思ったりしつつ何をする訳でもない、さりとて憧れを捨てる訳でもない気持ちと一緒じゃんと気が付いた
いやまあ構造が似ていたとて、具体的発現としての「まとも」への想いにはまるで共感出来ないけど、ちょっとは分かったかたも
そんな狭間の気持ちを「どっちかにしろ」とか偉そうに言われても、外野は黙っとけ死ねって思うしな
まあでも変
https://togetter.com/li/2478569
このブコメみてて思うけど、ブクマカは昔から変わらずに社会民主主義が好きそうなのに政党としてはその真逆みたいなのが好きだよね
昔から比べると共産党支持ブクマカは明らかに減っているけど、それ以上に小さい政府志向が増えているのは間違いないよね
ちょっと前までは新自由主義を叩くのが当たり前だったのに、どうして流れが変わったのだろうか
ブクマカは一人ひとり違うとか総体じゃないとか言いたくなるんだろうけど、1週間くらい追いかけると支離滅裂なブコメを残してるIDがいくつも見つけられるよね
そのIDを挙げると運営に怒られるからしないし、支離滅裂ではなくアンビバレントと表現すべきかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20240826173020
これを読んで、昔はてブで良く見かけた人って今何してるのかなぁって気になったので調べる。明日から三連休だし、みんなも協力してね(仕事がある人ごめんなさい)
他に思いつく人います?
今から15年くらい前に「はてなアイドル」って呼ばれてた女性達のことをふと思い出したんだけど、今どうされているのか気になったので、ちょっとだけ調べてみた。
この方は当時から既婚者だったが、2020年に離婚したらしい。
現在は、3人の子どものシングルマザーで、小さな会社を経営しているとのこと。
https://note.com/asami81/n/nad1f4eacac43
はてなブログもXアカウントも消滅していて、現在、表立った活動はされていないようだ。
どうも結婚して息子がいたみたいなんだけど、その後、離婚したみたいで、けど2021年に、ゆーすけべーさんと再婚したらしい。
ゆーすけべーさんは、今でもたまに技術系の記事がホッテントリに上がってくるので、ご存じの方も多いだろう。
近年は宝塚関係のポストしかしていないので、それ以外のことについては不明。
※他にもはてなアイドルって大勢いたような気がするんだけど、もうあんまり思い出せません。
もし気になる人がいたらブクマで教えて下さい。調べて追記していきます。
ブコメで、有村悠・青二才という人物の名前を挙げている人が多いけど、増田にはあまり馴染みがないですね。
他にも「誰だそれ?」っていう名前が結構挙がっていたりして、同じはてなユーザーでも見えてる世界が全く違うというのは、それはそうだと思います。
なんの人だったかなーと必死になって思い出してみたんだけど、おちゅーんとアナルセックスの人か。
あの後、FXで一千万溶かしたり、大学行って不倫してたりと、まぁアイドルと言うには程遠い素行状態だった。
https://mememememiti.blogspot.com/
現在は、同棲中の男性がいるらしく、多額の借金を抱えながらバイト生活中。
はてなブログやXは今でも更新されているので、そちらを参照してみて欲しい。
この人は非常に素行の良い人だったと思う。
『オッペンハイマー』観た。
元カノが死んでから自分を責めたり、実験の爆発を目の当たりにしてから水爆反対への心変わりに向かっていったりと、オッペンハイマーには自分のやってる事への当事者意識の薄さみたいなのがあるのかなって感じがした。
「絶対悪」のナチスドイツなき後にもまだ(瀕死の)日本がいるじゃないかと研究を続けて、いざ実験が成功して投下した後になってから果てしない核軍拡競争への憂いで気持ちが揺れ始める。赤狩りの時代が強調されてはいたとはいえ、水爆はソ連への牽制だという言い分にもあまり強く言い返せない。
ストローズの「奴は瓶から出した原爆の魔神を元に戻そうとしてる」みたいな台詞は、オッペンハイマー憎しで出た言葉かもしれないけど彼のふわふわした感じを端的に表していたような気がした。トルーマンに腰抜けと一蹴されたのも。
学生時代に病んでたのは、物理学なんかやってると唯物論的な方面で実存的不安を抱えるようになるんだろうか。ピカソやストラヴィンスキーに触れるシーンでそう思った。それに対してセックス不足だろと言われてたのも、そういう抽象的な事ばかり考えずに地に足つけて生活したら、的な意味だったんだろうか。共産主義と唯物論は結び付けられて語られるようだけど、活動に傾倒していったのもそういう事なんだろうか。
日本にまつわる描写が淡白だっていう感想もあるらしいけど、自分は投下後に言われていた「国内で抗議が"起こらない"のが心配だ」みたいな台詞が結構印象的だった。
劇中で何度も鳴り響くオッペンハイマーの功績を称える足音は軍靴の音に重なるものがあった。
実験シーンで爆破音を大分遅らせる演出は、まあそうなるだろうなあと思わせる猶予になってしまったけど、それを補って余りある ほどにオッペンハイマーが抱いたであろうアンビバレントな感情を思わせられた。
「ほぼ0%」だからまあ大丈夫だろうと研究を続けたり、爆破の直前に賭けをしてたり、防護服を着る事もなく目視で爆発を眺めたり、実験が成功すれば無邪気に熱狂する辺り、研究者達からはどこか呑気さを感じる。
それはしばしばハリウッド映画で非難されていた核兵器への認識の無頓着さへによるものではなく、むしろそういったものに関して意識的に描いているんだと思う。思いたい。核兵器が実戦投入される以前の出来事を描いたシーンでもあるし。
ローレンスやラビは出会いからの関係が比較的重点的に描かれてたけど、他にも色々と博士や政府の人間が出てくる中で、それ誰だっけって人名が飛び交ったりして分かり辛い部分も多かった。
証人に呼ばれたローレンスと廊下で鉢合わせて、結局彼が来なかったシーンもいまいち意味が分からなかった。冒頭の1. 核融合 2. 核分裂も何か象徴的な事を言っているのだろうけどいまいちよく分からなかった。
ただ3つのパートが徐々に絡み合っていってオッペンハイマーの人生が語られる感じは、テネットとかインセプションに比べたら大分と分かりやすかった気がした。
プロジェクトX、よりは粛々と進むマンハッタン計画、胃が痛くなるような小部屋の尋問、ストローズの閣僚入りに向けた公聴会、というそれぞれのシーンの要点を抑えた上で2度目に観たら前半の印象も大分鮮明になってより分かりやすくなった。
今の所世界は滅んでないけど核兵器も滅んでいないらしいし、これからどうなんでしょうねえ。この手の作品を観て大量破壊兵器はよろしくないですねえ、平和は個々人の意識によって作られるものですよねえ、というポーズを取りつつ、まあ言うても別にボーッと生きてたって自分の生きてる間くらいは大丈夫っしょ……って思ってる自分がいますねえ。