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ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

年忘れ!上司の言葉をまとめてみたよ2025

一年ぶりにかつて食品会社で共に働いた亡きトンデモ上司の言葉をまとめてみました。昨年に続き、入門者にもわかりやすい「オールタイムベスト」と、手帳に記録されたものからセレクトした「発掘品」で構成。混迷極める現代を生き抜くヒントになりそうな…気がしたのは錯覚でした。

【オールタイムベスト】
「刺身が生なんだが……」刺身に対する熱いクレーム。
「妻の配偶者が死んだ……」斬新な欠勤理由。人間て想定外の事態に遭遇したとき「お前や」のひとことが出ないものですね。その後無事に離婚されました。
「俺はチャンスをピンチに変える男だ…」やめてくれ
「腹を切って話し合いましょうや」本音で話そうの意らしい。
「強いていえば、人間の業…ですかね…」クライアントからトラブルの原因を質問されたときのひとこと。汎用性高すぎ。
「最後に…私事になりますが、先日一年間別居しておりました妻との協議離婚が無事成立いたしましたことを皆様にお伝えして、これを新郎新婦へのお祝いの言葉に代えさせていただきます」僕の結婚パーティーでのスピーチ。呪詛。
「結婚生活には三つの袋がございます。一つめは給料袋、二つめは堪忍袋、三つめは、えっと、玉袋だったか…まあ、いいでしょうそんなつまらん話は」結婚パーティーでのスピーチ。股間に手を触れる細かい芸付き。
「新潟県がある金沢にいたイトコでハトコが亡くなった…今日告別式で明日お通夜なので山梨県にいかなければならない」10数年経った今でもどこにいたのか、意味不明です。
「今日みたいな空が荒れているときに…アポなしで会うと客の心がつかめる……」という営業ワンダー理論を持ち出して洪水警報の出ている地域に出向き、「近くまで来たものですから」「偶然通りかかったので」などと悪天候で自宅待機中の担当者に執拗に電話をかけまくるクソムーブをかまして無事に出入り禁止。
「出入り禁止になってからが本当の勝負よ……」謎のポジティブシンキング
「次に会うときは……客だ…」定年退職時の諦念のお言葉。

 

【2025年発掘編】
「仕事納めの日では居留守も使えませんなー!」/面談出来なかったターゲットを捕まえる秘技を披露してアポなしで突撃した部長。めでたく即日出入り禁止に。
「スーパーマリオもキノコを食べて大きくなりました…」試食会で【きのこ入り煮込みハンバーグ】を出したときの決め台詞。
「SHINE・SYOKUDOU」 社内会議にて上司が打ち出した重要案件のコンセプト案。取締役からの「社員食堂と輝け食堂をかけているのですね。いいコンセプトですね」という感想に対して「いえ、従来の食堂への死刑宣告つもりです……」で死にかけた。

「ファクシミリを使用した高速連絡網で業界をリードしております……」/コンペで緊急時体制を質問されたときの対応。「ファックスですか」という担当者の呆れ反応を「相手の心に響いていたようだ…」と前向きにとらえられる精神力がストロングポイント。
「勝負に負けて、コンペも負ける」/名言のようで何も言っていない。
「息子が女房を選んだ。厳しくやりすぎた。仕事バカの悪い癖が出てしまった……」/離婚時の敗戦の弁。仕事バカではなくただのバカではないだろうか。なお愛犬ノルマも奥様を選択。
「部下は潰しても生えてくる」/旧ソ連の「兵士は畑から生えてくる」みたいだ。
「俺が営業を選んだのではなく、営業が俺を選んだ……」/総務畑から飛ばされてきた男の味わい深いお言葉。
「プレゼンのスタートをはじめさせていただきます。あー!資料冒頭13ページ分は蛇足なので最初に14ページをお開きください。なお頁数は記されておりませんので各自13回ページをめくってくださいね…」/社内プレゼンの冒頭でのお言葉。
10「部下を活かすも殺すもその部下次第。血の繋がっていない奴らを俺が面倒をみる筋合いはない……」/家族に見捨てられた男の言葉は深い。
11「俺は戦力にならない奴の名前は口にしない」/老化現象で部下の名前を忘れたときの回避法。なお、客の名前を忘れたときは「お顔がインパクトありすぎてお名前を失念しました」で回避…できませんでした。
12「俺に依存すんな……」/部下から「部の年度方針を決めてほしい」と請われても突き放す獅子の親スタンス。
13「最初に言っておきますがカスハラはやめてくださいよ……カスハラをする奴はカスですよ」/客先へのクレーム対応(謝罪)の初っ端でワンダーな強気を見せつける上司。謝罪は失敗。
14「アッポー」/IPHONEのこと。
15「肝心なことは心に刻んでいるからメモは取らねえ……」/そして取引先との予定を忘れる。
16「機密事項は秘密保持のために読めない字で書いている。職業病でやりすぎてしまった。誰か読める奴はいるか……」/自分の書いた字が読めなくなったサラリーマン晩年。
17「入札金額以外で合理的な失注理由を聞かせていただきたい…」/競争入札で入札金額以外に裏の力があると思い込んでいる上司。
18「失注理由が私の納得できないものだったら泣き寝入りしますがよろしいか…」/理想の参加業者スタンスを体現。そんな上司の口ぐせは「泣き言は聞きたくねえ…」。シュール!
19「私には私のために犬死にする覚悟をもった十人の部下がいる……」/僕もその一人にカウントされていて愕然。真田十勇士を妄想する自由は上司にもある。
20「失注をつきつけてきた奴らを一族郎党全員吊るしてえ……」/振り返ると上司は失注への耐性がなかったように思える。
21「ご安心ください、消費税の率は競合他社と同じです」/某コンペで「最後にアピールポイントをどうぞ」とうながされての渾身のギャグ殺し文句。「はいっ!ではありがとうございましたー」とスルーされたのがきっつー。
22「あんたさ、ベトナム戦争前から営業やってる俺様をコンサルティンできると思ってんの……?」/コンサルからの説明に対して不満を表明する上司。
23「俺レベルになると頼まなくても部下が結果を差し出してくる。断るのも悪いから受け取っているが……」/部下から数字を強奪してのひとこと。
24「今日は雑談に来ましたっ!」/見込み客の重役のスケジュールを押さえて面談した際の暴力的な言葉。それがその見込み客との最後の面談になりました。
25「再軍備キメろってことか……」/定年退職して野に放たれたときの強がり。
26「俺は生涯賃金で勝負する……」/大学時代の同期との格差を見せつけられた直後の決意表明。なお、生涯賃金でも敗北した模様。
27「みなさん『またの機会に』と安易におっしゃりますが、私の経験上『またの機会』が来た試しがないのですが……その場しのぎの薄っぺらい言葉はやめていただけますかね……」/バカがときどき真実を突いてしまう例。失注の連絡の際の社交辞令がお気に召さなかったご様子の上司。
28「誰も肯定してくれないから自分で自分を肯定するんだろ……当たり前だろ……」/深い意味がありそうだが、評価されるようなことをやっていないだけともいえる。
29「後進を育てても自分の首を絞めるだけだろ」/下剋上を恐れつづけた悲しき人生でありました。
30「ご安心ください。私たちが本店を置く神奈川県と秋田県は海で繋がっております!」/秋田の見込み客から本社との距離感を埋める方策を質問されたときの上司の対応。イッツアスモールワールド。(所要時間35分)

はてなダイアリーで知り合った友人が亡くなった。

友人の訃報が届いた。亡くなったのは、はてなダイアリーで知り合ったmk君(id:Geheimagent)だ。ご遺族のSNS投稿で彼の死を知った。最後に連絡を取ったのは今年の9月で、僕の著作を彼の自宅へ送ったときのやりとりが最後になった。彼を知ったのは2008年。当時、運営していたはてなダイアリー(「石版!」)に実家の犬小屋をアップしていて(はてな親父が作った犬小屋出し - sekibang 1.0)「変な人がいるものだなー」と認識したのがファーストコンタクトのはず。その後、はてなダイアリーを通じたやりとりを経て実際に新宿で会ったのがその年の初夏だった。なので彼とは18年の付き合いになる。mk君は、ネットで知り合ってから、18年間、やりとりを継続していた数少ない友人の一人である。第一印象は、勉強家であり、知識が豊富で、くだらないことにも興味を持つ、はっきりした口調で話す、ちょっと風変りな青年。当時、彼は就職して1〜2年の若者で、11歳も年下の若い友人が出来て新鮮で嬉しかった。

今、振り返ってみると2000年代に、ブログを書いていたからこそ、知り合うことができた関係だと思う。もし2020年代だったら確実にすれちがっていた。ネットでの出会いも変わった。今はより多くの人と知り合い、気軽にネットを飛び越えて実際に会うようになったのではないか。2007年前後で、はてなダイアリーのようなブログで文章を書いている人は、バズを求めたり、多くの人に知ってもらいたい、というよりは「自分のことを分かってくれる人たちと出会いたい」という感じだったのではないか。ブログで、リアルな知人に見せているものとは異なる顔、より深く、趣味や癖みたいなものを見せ合ってから会うのだ。「映え」のような見た目ではなく。いってみれば互いに局部を見せ合ったあとに知り合うような…そういう関係。ある意味では、リアルな知り合いよりもわかり合えてた仲間だった。

いろいろ馬鹿なこともやった。バンドを組んでライブもやった。2回ほど。バンドの練習のたびに毎週末会って、スタジオを借りてそのたびにベロベロになるまで飲んだ。そういえばライブもベロベロの状態で演奏していた。同人誌も何冊か作った。僕は寄稿しただけだけども。蒲田で開催していた頃の文学フリマにも何回か参加した。Web上で小説を一緒に書いたこともある。レディオヘッドのライブにも一緒に行った。ライブ前に数時間、埼玉アリーナ近くの「庄や」でべろべろになるまで飲んだ。飲みながら彼が「レディへには思い入れがない」と言っているのを思い出した。でもライブでは楽しそうだった。レディへのライブ前にプリンスと富野ガンダム、それと清原の引退について語った。サシで何回か酒を飲んだ。最後に飲んだのは数年前、営業中の彼とばったり会って「今度飲もう」と約束して桜木町と野毛ではしごしてベロベロになるまで飲んだ。話題は「プリンスは死んでも不滅」「富野ガンダムは最高」「ヤクルトスワローズが弱い」。そう、お互いにプリンスが大好きだった。で、酒でベロベロになるまで飲んだ。新宿でベロベロになるまで飲んで、牛丼屋で僕がぶっ倒れて前歯を追って出血したときに起こしてくれたのも彼だった。バカなことばかりやってた。彼の自宅でロブスターも食べた。彼の結婚式の二次会にも出席した。

残念ながらここ数年は会っていなかったけれど、ときどき、メールでやり取りはしていた。突然、思い立ったように10年前のライブの動画データをくれたり、書き上げた短編小説を送ってきたりした。小説は、サラリーマンの2人がどこかの地方都市に行って、風俗で遊ぶという、どうでもいい話なんだけれども、それを真面目なタッチでおかしく書いていた。勉強家で豊富な知識を持っていたけれども、本来の彼はそういうくだらないダジャレみたいなものが好きだったんじゃないだろうか。蓄積した知識でいつか超大作を書くのではないかと期待していた。今はもうブログなんて斜陽で、18年前のようなブームというか熱みたいなものは二度と来ないだろう、けれども、あの頃のあの場所が熱かったのは間違いないし、今でもその熱はまだまだ残っている。バズりたいのではなく。有名になりたいのでもなく。自分の好きなものについて、少なくていいから分かってくれる人と知り合ってみたい、ちょっと寂しがり屋で、僕らみたいな、分からない人たちはバカだよね、センスないよね、つって少し周りを見下しているプライドが高く、めんどくさい人間にとって、はてなダイアリーは天国だった。そういう場所で知り合ったから、11歳も年齢差があっても、気兼ねなく話すことができた。僕みたいなおじさんと遊んでくれてありがとう。

最近は忙しそうで、SNSを見る限りは忙しそうで、ブログも全然書かなくなっていた。もっと語りたかったんじゃないかな。小難しい本をもっと読みたかったんじゃないかな。後悔といえば、はっきり約束したわけではないけど、最後に飲んだときに「また音楽をやろう」「バンド組みたいね」という約束をした気がする。それも叶わなくなってしまった。ヤクルトスワローズの試合観戦もタイミングが合わなくて叶わなかった。僕は故人の分も生きなきゃダメだとか、叶えらなかった夢を叶えようというのは大嫌いなので、叶えられなかった約束はそのまま苦い後悔として取っておきたい。

こんなセンチメンタルな文章は書くつもりはなかったけれども、ここに書き残しておくのが、ブログやネットが好きだった彼への弔いになると考えている。あと、彼がネット上に残した膨大なレビューに触れた誰かが「どういう人なんだろう?」と気になったときに、ここに辿り着いてくれればわかるんじゃないかな、とも。僕ももう若くないので、一緒に馬鹿なことをしてくれる彼みたいな人間との出会いは今後ないだろう。30代前半から50歳まで、いちばんお金と体力と煩悩に溢れた頃に会えて、本当に良かった。それにしても頭の良い彼にしては僕と亡くなる順番を間違えるなんて、困るよね。ロックバンドも僕の知らないところでメンバー間の音楽性の違いで解散して、困るよね。うーん、よく考えたら振り回されてばっかりだった気もするが、僕の人生のうち、20年弱を楽しませてくれたのは感謝しかないな。もし彼がいなかったらブログをこそこそと書き続ける陰気なおじさんで終わっていただろう。「落ち着いたら」とか「そのうち」と言って、会ったり、遊んだりするのを未来に繰り越してはいけない。未来は信用できない。未来はときどきこうやって残酷な仕打ちをするものだ。ここまで書いて彼のSNS (X)を眺めていたら、時々、僕の名前を出して言及していたことに気が付いてしまって涙腺崩壊しかけた。

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会っておけばよかったな。いつか、プリンスのシャツを着て線香をあげにいきますね。さようなら。また。(所要時間60分)

地方自治体から絶対に手を出してはいけない案件への参加を求められた。

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某地方自治体から給食事業の問い合わせを受けた。内容は、とある施設の給食業務に参加しませんか?入札方式はプロポーザルです、というものだった。ちょっと調べてみたら内容が大ありだった。被害をこうむっているわけではないので、本文で固有名詞は謳わない。ただ、そういうやり方をしていると、良い方向には動かないよ、とだけは言っておきたい。

今件はこの夏にプロポーザル方式で業者選定を行っている。内容は、地方自治体が運営している施設の食事提供業務だ。これまでは運営母体の地方自治体が直接、食事提供業務、いわゆる給食を運営していた。もろもろの問題(これがネックになる)により施設自体の運営を地方自治体から独立行政法人に移行する計画で、それにあわせて給食も委託化に動いたのだ。夏の段階のプロポーザルには参加しなかった。既存事業で人員不足となっていて、余力がなかったのだ。検討もせず、話はそれきりで終わっていた。同業他社がやるだろうと思っていた。

ところが今月の頭にふたたび地方自治体の方から問い合わせがあった。前回(夏)の業者選定は、参加業者がゼロで成立しなかったと担当者は教えてくれた。「なんとか参加の方向性で検討をお願いします」といわれ、提供された施設の概要と資料を確認したら、準備期間が短いという問題はあるけれども、採算は十分に見込め、現スタッフの移籍さえ可能なら人員もなんとかなるからだ。

公的な施設で直接、国や自治体が給食を運営しているケースでは、民間では信じられない工程と予算をかけていることがある。そのほとんどが、給食の規模に見合わない労務体制の設定だ。僕の知っている案件では、民間なら正社員3人とパートスタッフで回せる現場を、正社員10名+パート数名を抱えているものもあった。それで「食堂運営コストを削らなけれなならない」と担当者が言い出すのだからどうにもならない。おそらく、民間とちがってシビアなコスト意識が欠落している。それと民間がどう運営しているのか研究不足なのだ。今回の話にもどすと、施設は正社員8〜9名+パートスタッフをかかえていた。せいぜい正社員3〜4名で回せる規模なので、予算的には余裕で運営できる。利益も見込める。

担当者は「いまのところ手をあげてくれる業者さんはいません」と訴えてきた。不思議だ。ヒトとカネに問題がないのなら、業者は手をあげるものだ。いやな予感がして、ネットで検索したら施設の運営自体に問題があり、自治体の改善のための介入もうまくいっていない。むしろ悪化させている。これでは手をあげられない。検索結果を見てくれ→検索結果 - Yahoo!検索 施設利用者への職員の虐待が頻発、施設利用者への脅迫、地方自治体が改善のために送り込んだアドバイザーによる施設職員へのパワハラ、つい先日も個別支援計画作成で不適切対応、また施設を出た利用者が家族に〇〇されるという事件まで起きているなどなど問題のオンパレードである。

なお、当たり前だが、給食の仕様書には委託化の要件しか記されていない。施設の状況についての説明はゼロ。わざわざ大炎上しているところに乗り込む業者などいるはずがなく、どの業者も適当な言い訳を見つけて参加を見送っているというのが実態だろう。当社も不参加を決めた。担当者から理由を求められたので、そもそも公募に対して応募しないという判断をくだしただけなので、理由を求められる筋合いはないのだけれども、「採算は取れるけど、条件が悪い」と回答した。条件とは施設自体の状況を意味している。担当者はよーく知っているはずだ。つかそういう大事なことを隠すなよ。わざわざ大炎上している施設を受託して大事な社員を危険な目に遭わせられますか、環境を整備してからプロポーザルを実施しましょうね、という意味である。給食事業はローリスクなのが唯一の長所だ。相当アホなことをやらない限り潰れない。そのかわりローリターンだけれどね。今回の施設はハイリスクすぎて給食事業の良さを打ち消している。やる意味がないのだ。

さらに驚いたのは不参加を表明した翌々日に担当者から連絡があって、仕様書に記載されている年間の事業予算を、年ベースで、具体的な数字はいえないけれども一千万以上上げられそうです、と金額の問題に落とし込んでいたこと。だから金の問題じゃないと言っているのに。問題の根本が分かっていない。給食事業でさえこの認識だから、施設全体の運営はより酷いことになっているだろう。報道を見るかぎりでは改善策もパワハラで終わっている。改善への道が見えない。ローリスクを愛する給食会社がわざわざそんな火中の栗型超強力爆弾を拾うわけがないのだ。(所要時間24分)

厳しい会議はプライドを武器に乗り越えよう。

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最近は減ってきたけれども、参加者が資料を順番に唱和するような、無意味で無駄な会議がまだまだ多いように思われる。会議や打合せは最小限にして、その労力を本業に向けるべきだ。僕が勤めているような余裕のない中小企業ならなおさらだ。だが、なくならない。理由はいくつかあるけれども、会議を仕事にしている重役の存在が最も大きな要因だろう。見かけないだろうか?予定表に「会議」しか記入していない取締役。会議に命をかけている重役。会議のための打ち合わせ。先日、会社上層部に重要案件の最終見積の決裁をもらおうとしたら「会議の資料を作るから後にしてくれ」と言われ、「思想の違いだよね」と受け流したのだけど、当該資料に「スピーディーな意志決定の徹底が生き残りの鍵」と書かれていて脱糞しかけたものである。

当社の場合、上層部は金融機関から、出向を経て現職に就いている。業界の経験も知識もない。業界のコネクションもない。そんな彼らが存在感を出せる場は会議しかない。同じような状況の企業は少なくないはずだ。だが、最高幹部会議と幹部会議と部長会議、同じメンバーの会議が名を変えて開催されるアホで会議好きな会社はウチくらいだろう。残念ながら僕は、最高幹部会議と幹部会議と部長会議のメンバーだ。どうやってこの無意味な会議を乗り切れるかをずっと考えてきた。試行錯誤の結果、会社上層部のプライドの高さを利用するという攻略法を編み出したのである。

会社の上層部は、失点しないように生きている。比較的年齢も高いので失脚したらジ・エンド。会議で爪痕を残したいが責任は取りたくない。能力と知識不足はバレたくない。そんな人たち。そしてプライドは高い。彼らのための爪痕残し会議にまともに付き合っていると消耗するので、相手のプライドを利用してやりすごすようになったのである。

たとえば会社上層部の方々に少し難易度の高い話を真正面からすると、彼らはプライドを毀損されたように感じるらしく、聞く耳を持たなかったり、プライドを守るために非実在素人第三者を創造して、「素人にもわかるように説明しなければダメだ!」と声を荒げたりする。素人が取締役として座っているのがおかしいのだけれど…。この説明に必要な時間と労力は馬鹿にならない。というわけで、会社上層部のプライドの高さを利用して「優秀な皆さんはすでにご存じだと思いますので説明は省略させていただきますが」と前置きすることにした。

するとなんということでしょう。主導権を握り、打合せをこちらの進めたい方向に持って行けるようになったのである。彼らは「まあそうだな」的な顔をしていたけど、たぶん1ミリも理解できていない。だが、ここで何かを言ったら「チーム優秀」のメンバーではないことを自白することになる。そして「俺たちの優秀さをよくわかっているじゃないか」みたいにプライドをくすぐられてスルーしてくれるのである。かわいいよね。

爪痕を残したい人たちの中には「どうでもいいまとめ」をする者もいる。まとめると主導権を取れると思っているのだ。かわいいよね。たとえば「この提案でコストを5%削減できます」と僕が言うと「その提案でコストを5%削減できるパターンか」とまとめるのである。復唱である。何がパターンなのか。このまま主導権を握られてわけのわからない時空に引き込まれるのは時間の無駄である。このようなときは「確認の意味で繰り返してくれてありがとうございます。続けさせていただきます」とあえて感謝をあらわして、主導権を渡さないようにする。すると上層部のなかで「道理が分かっているね」みたいな空気が醸成されて次に進められるのである。

まともな感性を持っている人間ならこのようなことを続けているとアホらしくなる。そして会社上層部が馬鹿みたいな発言をしていると、つい「なんでこんなに馬鹿なのだろう…」と口に出してしまう。その瞬間、会社上層部たちは「馬鹿って聞こえたけどもしかして私のこと?」とでも言うような表情をする。そのようなときは「私はなんてバカなんだ!」と大袈裟に言ってリカバリーするといい。頭を抱える仕草を加えるとさらに効果的。「そんな視点があるとは!バカな私には一万年かかっても気付けない」というニュアンスである。目の前で馬鹿と言われても自身を指していないと信じ切っているプライドの高さを利用するのだ。このテクニックにより堂々と会社上層部にバカと言える。そしてくだらないことに付き合わされているストレスを軽減できるのである。「馬鹿だなあ!……私は馬鹿だ!」は効果的なのでぜひ使ってほしい。

ポイントは「……」の長さである。短すぎると相手に「もしかして私?」という戸惑いを与えられなくなり、長すぎると怒り出して離島へ左遷されるので、注意してもらいたい。このようなことに我々のクリエイティビティを浪費するのは本当にもったいないけれども、くだらない会議で時間と労力を無駄にしないため、心身の健康を損なわないため、生き残るためには、一時的にプライドを捨てて、真人間であることを諦めるのも必要なのである。(所要時間26分)お仕事エッセイ本を出しました→

 

 

喪中はがきが届いた。

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年賀はがきのやりとりを何年かかけて縮小している。やりとりをしているのは、古くからの友人、年に数回会うかどうか、あるいは全く合わない知人に限られている。年始の挨拶というよりは、生存確認の意味合いが強い。12月上旬になると少なくなったやりとりの中で喪中はがきが何枚か届く。同じようなモノトーンのデザインだ。どの喪中はがきも内容は一緒で、近い家族が亡くなったと言うもの。亡くなった人に面識はないので、僕は差し出し人を確認して、年賀状を出さないリストに入れるだけだ。20数年前、今の業界に入った数年間、お世話になった先輩からも喪中はがきが届いた。先輩からは昨年も喪中はがきが送られてきたので、2年連続だ。連続喪中はがきはめずらしくない。僕と僕に関係する人たちがそういう年齢に差し掛かったことの証だ。

20歳上の先輩と過ごした時期は暗黒の時代だった。僕が転職してきた数か月後に、先輩は後から中途で入ってきた。先輩からは業界の知識や、協会特有の営業のやり方について教えてもらった。だが、彼のために僕が動いた方がどう考えても多いので、お世話になったという気持ちも幾分控えめになってしまう。先輩は一匹狼だった。「営業は孤独だぞ。一人で戦えなくてはダメだぞ」とよく言っていた。先輩は、契約を取ること、数字を追い求めることに特化していた。数字を積み上げて目標を達成するという点では優秀だった。

ただし、その代償として周囲との争いも絶えなかった。関係部署との調整不足や条件のゴリ押しが原因。「仕事を取ってきているのだからいいだろう」といって先輩は気にしていなかったけれど、周囲からの攻撃は、先輩と行動している若い僕への風当たりの強さへと形を変えた。先輩が承諾なく隣の部署の資料を持ち出したときなどは、なぜか僕が怒鳴られた。「お前の師匠がメチャクチャなことをやっている。お前が抑えないからだ」と。
こんなふうに何度も先輩のせいで酷い目に遭った。それに対して、先輩から教えてもらったものは大変さと釣り合うものではなかった。当たり前すぎて、退屈で、奇跡的な方法や圧倒的な成果を求める若く血気盛んな僕には物足りなかったのだ。「見込み客へのこまめなアプローチ」「アプローチがうまくいってもいかなくてもフォローを欠かさない」「提案は一晩寝かせて客目線から見直す」等々。どれも当たり前の基礎だ。それを毎日、朝昼晩、くどくどしつこく言われるのだ。わかっているよ、しつこい、と頭に来る。僕は「言われなくなるまでやってやるよ!クソが!」と毒を吐いて地道に営業の基礎を繰り返した。

気がつくと先輩は何も言わなくなり、僕も意識しなくても基本を忠実に繰り返す営業マシーンになっていた。教える側になったとき、僕は、地味で面白みのない基礎を教えることの難しさに直面した。先輩のように、くどくどしつこく教えるのは教える側もしんどいのだ。それをやってくれたのだ。嫌われても。疎まれても。先輩は。若いときにはわからなくても、年齢を重ねてはじめて分かることがある。「あ、こういうことなのだ」と。ずいぶんと時間が経ったあとに先輩のやってくれたことの意味がわかって、感謝できるようになったのだ。

先輩は「営業はクソみたいにつまらない仕事だから相手と自分自身にサプライズを時々入れるといい」とも教えてくれた。先輩は商談が煮詰まってくると、突然「アッと驚く為五郎!」と大きな声で叫んだり、「これは見なかったことにしてください」と僕が苦労して作った企画書を客から奪ってビリビリと破いたりした。そういうアクションをした帰り道、先輩は「営業はつまらない仕事だから自分から面白くしていかないとやっていられなくなるぞ」と言った。まったく面白くない。「為五郎に営業開発上の効果はあるのですか?」という僕の問いに「ない。ゼロだ」と爽やかに先輩は答えたのだった。100%マイナスの効果しかなかったと思う。

営業という仕事はとことん地味に地道であること、目標に向かって毎日一歩一歩進めていくこと、ときどきバカをやって自分で楽しむようにすること、今でも僕が続けていることは先輩からくどくど言われ続けた日々にカタチ作られたものだ。あの頃の先輩のように、部下や若手に嫌われようともウザがられてようとも気にせず構わず、僕は教えているだろうか。わからない。ただ嫌われているようにも見える。わからないことだらけだけれども、為五郎と叫ぶ勇気が僕にはまだ備わっていないことだけは確かだ。

妙な胸騒ぎがして先輩からの喪中はがきを確認した。「私は永眠いたしました。生前のご厚情を感謝いたします」、先輩の喪中はがきは先輩自身が亡くなったことを知らせるものだった。差出人も先輩の名だった。サプライズ。相変わらず面白くないサプライズ。僕は先輩の言葉を思い出した。「営業は孤独。ひとりで戦えなくてはダメだぞ」。先輩は言葉どおり一人の営業マンとしてやりきったのだ。まだ70歳。一日二箱の煙草と、ストレスの多い生き方が命を縮めたのだろうか。

先輩と過ごした数年間は、お世辞にも楽しいものではなかった。あの頃の僕は常に先輩にムカついていた。苦しかった。つまらなかった。イライラしていた。いつかやり返してやろうと誓っていた。でも、長い月日を経て、僕の手の中にある喪中はがきのような、あのモノトーンの時代の記憶に少しずつ色が差しはじめている気がする。人生を彩る絵の具は薄すぎて染めるのに時間がかかってしまうのだ。あの頃の記憶も、きっと僕が引退する頃にはフルカラーになっているだろう。(所要時間26分)