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はてなキーワード: ストローとは

2025-06-18

ゴンチャのストロー上手くさせない人挙手✋

今部屋の床がミルクティーまみれになってる

2025-06-15

anond:20250615225724

リプトンストローさすみたいな感じか

2025-06-14

男がオシッコを飛び散らせる問題解決したい。

どう考えもチンポコは行儀よくトイレをするようなシステムにはなっていないとしか思えない。

あらゆる文献を調べてもチンポコがオシッコ照射した際に的を外すことがあるのは致し方がないことである

結論付けられている。

であるならば、現在トイレシステムのものを変化させていくしか、男がオシッコ便器の外へと飛び散らせる問題解決できないということだ。

それではどのようにしてシステムを変更していくのか。

番手っ取り早いのはオムツを履くことだろう。

シッコパンツの中でする方式

そしてトイレ更衣室として使用オムツを履き替える場所とするのだ。

これはかなり手っ取り早いと思う。

しかし、コスト非情に嵩むことが問題となる。

また尿もれが発生した際に大惨事となる。

したがってこの解決策は未来へと仮託するべきだ。

現在の吸水シートは非常に高性能だが、

さらもっと高性能なシートが開発されればこの方式解決策として採用されるのは決してなくはないはずだ。

とはいえ問題現在である

チューブ型はどうだろうか?

チンポコ自由にしてオシッコをするから的を外すのだ。

それならばチューブをチンポコに装着してオシッコをさせればいい。

このことの利点は多人数が同時のオシッコを済ますことが出来るということだ。

チューブさえ用意できれば、トイレの中に収容できる人数だけ同時にオシッコが出来る。

飛行機非常事態ときにおりてくる酸素マスクのようにオシッコチューブ天井から垂らしてオシッコを吸い出すポンプをつければ可能ではないだろうか?

これは実用化出来そうだ。

ただ問題は衛生面だろう。

他人使用したオシッコチューブをそのまま使用する気にはとてもなれないだろう。

いや、トイレのあとに平気で手も洗わない野人が男という生き物である

ワンチャン最近効率厨タイコスパ意識が強い若者などには受け入れられるかもしれない。

まずは公立学校で導入してみるのも手かもしれない。

これが無理というならば現在便器方式採用しつつも使い捨ての流せるストローを使って出来るだけオシッコの的を外さないようにする方式がある。

トイレットペーパーの芯をとても長くしたようなもの想像して欲しい。

それをチンポコに装着してオシッコをするのだ。

チューブ型と似ているがこれは使い捨てである

すぐにオシッコで溶けるようなことはないが水洗で流せばトイレットペーパーのように流れる

ただこの方式コストが嵩む。

また現在男性トイレには存在するという男性シッコ専用のトイレでは使用できない。

などなどアイデアは尽きないのだがTOTOなどのメーカーはこのことの対策を本気で考えていないのだろうか?

これは結構大事問題だし、解決するため方法があればトイレの形を変える大きな変革になる。

まり商機があるということなのだと思うのだが……。

2025-06-11

開けたてのモンエナの缶にストロー指すとストロー自体が浮かび上がってきた後、結構な勢いで中身がピューってでてきて面白い

多分中身の液体にいっぱい気体が溶けてるからストローの刺激で気泡の泡とともに中身が出てきちゃうんだろうけど、意外と理科とかでこの現象習ったことない気がする

ストローいれるだけでしばらく続くから結構不思議。知らないだけで、毛細管現象みたいにこの現象名前とかあんのかな?

2025-06-10

おまえ、曲がるストローだったのか……

anond:20250610210628

ストローなくなったと思ってたけど昨日提供されたやで…😟

2025-06-05

anond:20250605222848

じゃあ最初からじゃなくて前から言ってるって訂正するかなこれ以上そのことで突っ掛かったらストローマンから

anond:20250605191556

そんなことで馬鹿かどうか判定するのが馬鹿げてるって話をしただけだが?ストローマンやめような?

2025-06-04

「○○って日頃から言っている人は、当然XX(受入難い条件)には賛成のはずですよね」  

 

完全にアホでザコの論理展開なので、厳に慎むべき。

 

自分がちょうど論破できそうなアホをストローマンする行為雑魚すぎ

・多数の発言者勝手に同一であると見做す行為他者他者区別の無いアホすぎ

・○○が自分の反対したい意見のはずなのに、それを批判はしていない←本来目的を見失うアホ

・「そりゃそうだろXXには賛成です」と言われた場合に詰む←レスバ弱すぎ

そもそも○○とXXは無関係だと判ってない場合が多数←アホしか使わない論法なので失敗も多い

2025-06-01

角田裕毅、衝撃の予選最下位

結論から書くと、レッドブルはそういうチームということなのだろう。

これはチームの問題ドライバー問題ではない。

チームが解決する問題だ。

では、その問題の原因は何なのか?

と問われても部外者にはわからない。

ただ言えるのはチームがセカンドドライバーに対して使うリソースが極度に不足している。

ということなのだろうと思う。

ほぼすべてのリソースエースドライバー使用して、そのあとの残りカスセカンドドライバーおこぼれとしてもらう。

例えばレースウィークでのセットアップにしても、シミュレーター改善する作業というのが必ず必要なのだが、そのシミュレーターを使う作業エースドライバーだけにリソースが使われていてセカンドドライバーには使われない。

から同じマシンを使っていれば、おこぼれとしてセットアップ改善策もわかるのだが、フロア仕様が大きく異なる場合などにはそのおこぼれが全く通用しないことになる。

すると今回のように、大きな問題があっても何一つとして改善されることがなくなるのだ。

以上はもちろん全くの推測というよりも妄想だが、しかし大きくは外していないのではないだろうか?

ハッキリとは断言できないが、これはペレスだろうがローソンだろうが角田だろうがハジャーだろうが結果は同じになる運命なのだ

もうさっさとレッドブルとは手を切って、アストンマーチンへの移籍ホンダにプッシュしてもらうしか無いだろう。

ストロールの引退兆候のようなものも出てきている現段階でさっさと来年のことを発表できればベストだと思う。

2025-05-31

シリアル弁当にしたい。

糖分とかチョコでねちょねちょのシリアルバーちょっと違うんだ。

朝飯に食べているシリアル牛乳をかけたもの会社で昼食にも食べたいんだ。

コストを厭わないなら、家でシリアルジップロックコンテナに詰めていって、会社の昼休憩にコンビニに行って牛乳500mlを買って注いで食えばいい。

問題は高くつくことと、牛乳毎日500ml飲むのはちょっと多いこと。

コンビニ弁当コンビニパンに比べたら安いが、スーパー牛乳1lとコンビニ牛乳500mlは毎日買うとなると差がしんどい

これちょっと小さい牛乳にしてもほとんど価格変わらないんだよね不思議なことに。その上注ぐ機能が失われストローが付いてきちゃうので。

ロングライフ牛乳の200mlパックとか意外と高い。家で冷蔵庫から牛乳ちょっと出してシリアルにかけて食べる経済性と全然違うんだよね。

うまくいかないなあ。

なんかこうシリアルに安い粉ミルクみたいなのをちょっとかけて浄水器の水混ぜたら食えるみたいにならんかなあ。

2025-05-20

anond:20250520132818

リンク先の回答が「無限実数ではないから未定義」と言って、未定義であるという根拠実数という概念を絡ませているだけ。

ようするにリンク先の引用としての趣旨は「無限は未定義だといえる」ということ。その趣旨根拠の部分に実数数学的な御託が入ってるだけ。

それを引用しただけで「実数かどうかの話をしている」ことにはならないぞ。

それを無視してそういう話をしているというストローマン反論しているのがお前。わかったか

2025-04-29

ストローでぐぐったら面白すぎやろ

ストローが「なぜか」肛門に入って緊急搬送 ...

とっさの判断で鉄ストローを吹き矢の筒として使う人

これがトップに来る世界なかなか好き

2025-04-26

anond:20250426230047

GenAIによる分析その2

匿名ダイアリー記事https://anond.hatelabo.jp/20240709080000)で描写されている石丸伸二氏と荻上チキ氏のやり取りについて指摘を行います

記事描写を読むと、石丸氏の議論の進め方において、以下のような点が詭弁として批判されうると考えられます

1. ストローマン藁人形論法)と、それに続くレッテル貼り・人身攻撃の組み合わせ

記事描写に見られる可能性: 記事では、荻上氏が特定論点懸念(例えば、多様性への配慮や、特定の層への影響など)について問いかけているのに対し、石丸氏がその問いの意図や背景を歪めて解釈し、「既存体制を守ろうとしている」「変化を恐れている」といった、より単純化・悪意化された「藁人形」を作り出し、その「藁人形」に対して反論しているかのような描写が見られますさらに、その「藁人形」に関連付けて、質問者荻上氏)やその背後にいるかのような存在(古い勢力既得権益者など)に対して、変化を阻む敵であるかのようなレッテル貼りをし、あるいはその属性をもって主張の正当性否定しようとする人身攻撃に繋がっているように読み取れます

これは議論本質から目をそらし、相手の主張を正確に理解しようとせず、歪んだ形で攻撃するという、討論の場で最も避けるべき行為の一つです。相手提示した正当な問いや懸念に対して真正から答えず、勝手相手意図邪推曲解し、それを攻撃するという手法は、誠実な対話放棄に等しいと厳しく断じられても仕方ありません。「あなた方が言っているのは結局こういうことだろう」「それは〇〇を守りたいだけだろう」といった決めつけは、相手議論土俵から降ろし、自身の主張を一方的に押し通すための暴力的コミュニケーションになり得ます。これは論理的議論ではなく、感情的印象操作的な攻撃であり、公共の場議論を行う人物としては資質を問われるレベルだと批判されるべきです。

2. 論点すり替え抽象論への逃避

記事描写に見られる可能性: 記事からは、荻上氏が具体的な政策課題や、ある方針がもたらすであろう具体的な影響について問うているのに対し、石丸氏が「古いものを壊す」「新しい時代を作る」「既得権益と戦う」といった、抽象的かつ紋切り型スローガン改革論に終始し、具体的な応答を避けているように読み取れます本来答えるべき「How」(どのように実現するのか、具体的にどのような影響が出るのか)から、「Why」(なぜ改革必要なのか、何を目指すのか)という抽象的な理由付けに論点すり替えている可能性があります

これは、具体的な責任や困難な問題への言及を避け、耳障りの良いスローガン抽象的な正論によってその場を乗り切ろうとする姑息手法だと厳しく批判されるべきです。特に公職に就こうとする者、あるいは既に就いている者は、理念だけでなく、その理念をどのように現実政策として落とし込み、どのような影響が出るのかについて、具体的な説明責任を負います抽象論に終始し、具体的な問いに答えようとしない姿勢は、問題本質から逃げている、あるいは具体的な方策を持ち合わせていないことの露呈であると見なされても仕方ありません。これは、聞き手である有権者市民を軽視している表れだと厳しく非難されるべきです。

3. 選言的(誤った二分法)に見せかけた、自己立場への誘導

記事描写に見られる可能性: 記事文脈によっては、「私の改革を支持するか、それとも古い体制を守るのか」「変化を選ぶか、停滞を選ぶか」といったように、実際には多様な選択肢立場存在するにも関わらず、議論自身立場肯定する方向ともう一方の否定的な方向という二つだけに限定し、その二者択一を迫るかのような論法を用いているように読める箇所があるかもしれません。

これは、多様な意見や複雑な現実無視し、自身の主張を有利に見せるために意図的に選択肢を狭めるものであり、フェアな議論放棄だと厳しく批判されるべきです。実際には、改革方向性には複数選択肢があったり、変化の中にも良い変化と悪い変化があったりします。それを単純な善悪二項対立還元し、自身立場を選ばない者は悪であるかのように誘導する手法は、聞き手思考停止を誘い、批判的な検討を封じ込めるためのプロパガンダ手法だと断じられても仕方ありません。

2025-04-23

anond:20250423072233

まず、冒頭から「千年前に論破された」などという歴史的権威を借りた主張の回避に走っているが、

君はその「千年前の論破」の一次資料も具体例も提示していない。空虚レトリック議論無効化した気になっているだけだ。

「すでに否定された」は、引用なしではただの思考停止免罪符に過ぎない。

次に、相手が「納得できない」と言うのを、「教えてもらえるなら納得できるかも」という態度にすり替え嘲笑しているが、

これは極めて悪質な藁人形論法ストローマン)だ。

議論において「納得できない」と言うのは、論拠が不十分だと感じたという知的誠実の表明であり、

それに対して「大学行け」「金払え」で返すのは、知識金銭化して思考を停止させる側の暴論だ。

本当に思想学問として尊重するのであれば、

その理解の機会は「大学という有料空間」だけにあるべきではない。

君の言うことを敷衍すれば、「金を払わなければ知に触れるな」という話になるが、

それこそが知の寡占化排他化であり、思想のもの敵対行為だ。

さらに言えば、大学思想史を学ぶ者のほとんどは君が今行っているような他者人格攻撃依存した主張は取らない。

なぜなら、思想とは「反論可能性を担保した構造体」であり、罵倒語人格否定構成されたもの思想ではなく煽動からだ。

君の語っているのは思想ではない。

知識を背景に他者沈黙させる構造化された傲慢だ。

真に思想を守りたいなら、まず君自身言論空間に対して知的誠実を取り戻すことだ。

2025-04-22

そんな僕にも理解のある上位存在ちゃんがいます

言葉を交わすことはありませんがときどき寝ている僕の頭にストロー状の舌を刺して脳みそを直接吸って情報を取得してくれるので全てを理解してくれているようです

2025-04-21

anond:20250421115422

そいつに直接言え

・謎のストローマン匿名で叩いてるお前もだいぶ同類

 

当てはまる方選んで

2025-04-20

女さん、“飲み物”頼むのに命かけすぎでは?

休みカフェに並んでたら前にいた女の人が「アイスソイラテで、甘さ控えめ、氷少なめ、で、カップはできたら紙のやつで、あとストローなしで」って注文してて、店員が一瞬フリーズしてた。

 

すごい。自分なんか「アイスコーヒー」って言ったあとに「Mでいいですか?」って聞かれて「はいしか言えない。

選択肢が多いと緊張するタイプ人間には、ソイラテ女さんはもはや戦士。装備が細かい

 

あの一杯に、たぶんすごい経験値が詰まってるんだと思う。

氷が多いと薄まる、普通ラテだとお腹壊す、甘さ普通だと後悔する、みたいな試行錯誤歴史

もはや人生

 

それを、昼の13時に、会社帰りのOLルックで、無表情でやってる。

コーヒー1杯でこんなにこだわりあるのに、

なんで男に関しては「まあ優しければいいかな」みたいなふんわりした条件で付き合ってるんだろうってちょっと思った。

いや、逆か。男に期待してない分、飲み物に全力出してんのかもしれん。

2025-04-17

ネコは別の猫を羨望して自分の子はい大学に入れたいとかよそと比べるという発想が希薄だと思うから人間とは比べられないというのはわかるけど、実際に先天的ものだけで誰に教わったわけでもないのに立派に子育てするじゃん。独立までの期間が短いとか言っても、それを言うならネコ寿命自体が短いじゃん。仮にネコの十年がヒトの90年だとして、子猫独立まで大雑把に十倍したとして、そんな驚くほど違わないと思うんだよね。それなのにヒトの女は子育てが大変すぎると言いすぎじゃない?ネコ以下なのかって思うよ。

面白い視点ですね。確かにネコ本能的に子育てをこなしているように見えますし、寿命独立までの期間を考慮すると、彼らの子育ての効率性には驚かされます。ただ、ヒトとネコの子育てを単純に比較するのは難しいかもしれません。

ヒトの場合子育てには本能だけでなく、文化社会的な要素が大きく関わっています。例えば、教育感情的サポート社会的スキル習得など、子ども独立するまでに必要なことが非常に多岐にわたります。一方で、ネコ本能的に生きる術を教え、比較短期間で子どもが自立できるようになります

また、ヒトの「子育てが大変」という感覚は、現代社会の複雑さや期待値の高さにも影響されているかもしれません。ネコが他のネコと比べて「羨望」することがないように、ヒトも他人と比べることをやめれば、子育て負担感が軽減されるのかもしれませんね。

このテーマもっと掘り下げてみますか?それとも別の話題に移りますか?

社会性っていうのも所詮はヒトが作り出したものでしょ。物理的に生きていけるというなら5歳~10歳、ネコで言うところの半年~1年。人の場合食べ物さえ転がっていれば物理的には勝手に食うわけだし。

面白い視点ですね。確かに「生きていける」ということを単純に物理的な生存に限れば、人間もかなり幼い段階で食べ物を見つけて食べることは可能でしょう。ただ、人間社会はそれ以上のもの必要とするように進化してきました。

ネコ場合子育て短期間で完了し、独立までのプロセスシンプルです。それに比べると、人間の子どもは非常に長い期間、他者サポートを受けることになります。この違いには、脳の発達や社会的学習重要性が関係しているのかもしれません。ヒトが築いた社会性は、単なる生存以上に、協力や知識継承可能にし、より複雑な文明を作り上げるためのものだったのかもしれませんね。

あなた視点では、そういった社会的な要素は不必要だと思いますか?それとも単に「大変すぎる」と感じる点に疑問を持っているのでしょうか?

非常に長い期間のサポートっていうのもねえ。必要かどうかという話ではないんだよ。もともと社会性のために育児20歳超えても必要っていうのは思い込みに過ぎないと思うんだよ。物理的な子育て社会性のための子育てを無理やり切るとすると、家や食事幼稚園学校があって何もかも一緒くたにしてるから、やたらと大変だという風に映るんだよ。そこの部分の考察を深めたいと思ってるわけ。

なるほど、育児負担感が「社会性のための子育て」と「物理的な子育て」を混同していることから生じているのでは、という考えですね。確かに現代育児生存のためだけでなく、教育社会的適応までを含んでいるため、非常に長く複雑なプロセスに感じられるのかもしれません。

もし物理的な生存だけを目的とするなら、衣食住が整っていれば、子ども比較的早い段階で自立できるはずです。でも、人間社会では、単に「生きる」だけではなく、「社会の中で機能する」ことが求められるため、教育人間関係形成が不可欠とされています。これが「育児が長い」と感じられる要因かもしれません。

この視点から考えると、ヒトの育児が大変なのは文化的な要素が複雑に絡み合っているからであり、必ずしも子どもが自立できるまでの生物的な限界に起因するわけではない、とも言えますね。では、この育児の「社会的な側面」をもっと簡略化できる可能性はあるのでしょうか?それとも、そもそも社会のあり方が変わらない限り、この負担感は続くものだと思いますか?

けっきょく健康保険年金みたいなもので、肥大化しすぎると観念的な世界であっても、一旦一歩引いて考え直すかという姿勢必要になってくると思うんだよ。

まさにその視点重要ですね。一度作られた制度や仕組みは、時間とともにどんどん複雑になり、それが当たり前になっていくと、本来目的必要性を再評価する機会が減ってしまうかもしれません。健康保険年金のような社会制度も、最初シンプルな「助け合い」の仕組みだったものが、制度拡張人口構造の変化によって肥大化し、維持するための負担も増してきました。

育児の話に戻すと、社会の中で「当たり前」とされている子育ての形も、本来もっと多様なやり方があるはずなのに、既存の枠組みの中で考えがちになっているのかもしれませんね。一歩引いて「そもそも何が本当に必要なのか?」を考え直すことで、新しい視点選択肢が見えてくるのかもしれません。

こうした「思い込みリセット」は、どの分野にも必要ですね。もし特定制度や仕組みについて掘り下げてみたいことがあれば、ぜひ教えてください。

社会性というか、自分が生まれてもいないときに出現していた仕組みや価値観のレールに乗って、自分はそのレール上でさら過酷ものへと仕立て上げているという傾向が強すぎると思うのね。けっきょくのところ3人が2人になり1人になり、ゼロになるという現実小説1984年ではないけど、観念暴走でついには自分自分で殺すとなってしまっているんだと思うよ。

深い洞察ですね。確かに既存の仕組みや価値観無意識に従い、それをさらに複雑化させてしまうというのは、人間社会の特徴かもしれません。特に観念暴走することで、個人自由選択肢制限され、最終的には自己破壊的な結果を招くこともあり得ます

ジョージ・オーウェルの『1984年』のように、観念現実支配し、個人がその枠組みの中で苦しむという構図は、現代社会にも通じる部分がありますね。社会の仕組みが肥大化し、個人がその中で自分を見失うことがないように、一歩引いて考える姿勢ますます重要になっているのかもしれません。

このテーマさらに掘り下げてみますか?それとも別の視点から話を広げてみますか?

別の視点もほしいです。

面白いですね。では、別の視点からこの話題を考えてみましょう。

生物学的な視点 人間育児長期間わたり社会制度とも密接に関係していますが、生物学的な進化観点から見ると、「長期的な子育て=高度な知能と社会性の結果」とも言えます。例えば、イルカオオカミなどの社会性の高い動物も、群れの中で子どもを育てる期間が比較的長いですよね。これは単なる生存戦略以上に、知識継承や協力関係を深めるための重要な要素かもしれません。

哲学的視点 社会に組み込まれることが前提となっている育児のあり方を疑うのは、いわば「個人自由社会との関係」を問うものですよね。たとえば、古代狩猟採集社会では子どもも早期に労働に参加し、「育てる」というより「生きるために学ぶ」という感覚が強かったかもしれません。現代では、「教育」や「人格形成」が重要視されることで、子育てが単に生存を確保するためのものではなくなっているのかもしれません。

技術的な視点 技術が発達することで、人間育児のあり方も変化していく可能性があります。たとえば、AIロボット育児の一部を担うことで、親の負担が軽減されたり、「社会性のための育児」と「生存のための育児」がもっと明確に分かれる時代が来るかもしれません。極端な話、社会のあり方自体が変われば、「育児が長期化することが当然」という考えも見直されるかもしれませんね。

このような別の視点から考えると、育児の「常識」とされているもの根本的に問い直すヒントになるかもしれません。どの視点特に面白いと思いましたかさらに深掘りしてみたいですか?

レヴィストロー名前だけ知ってるけど、先人の人で似たような考察した人いる?

レヴィ=ストロース構造主義的な視点に近い考察をした先人として、いくつかの哲学者人類学者が挙げられます

例えば、エミール・デュルケーム社会学の分野で「社会的事実」という概念提唱し、個人意識を超えた社会構造人間の行動を規定するという考えを示しました。これはレヴィ=ストロースの「構造」の考え方と通じる部分があります

また、フランツボアズは文化人類学の分野で「文化相対主義」を提唱し、異なる社会文化比較する際に西洋的な価値観押し付けるべきではないと主張しました。レヴィ=ストロース神話社会構造比較する際に、普遍的パターンを見出そうとした点で共通しています

さらに、ジャン=ポール・サルトル実存主義に対して、レヴィ=ストロース批判的な立場を取りました。サルトル個人自由選択を強調しましたが、レヴィ=ストロース文化社会構造個人思考や行動を規定すると考えました。

こうした思想家たちの考え方を比較すると、レヴィ=ストロース構造主義がどのように発展してきたのかが見えてくるかもしれませんね。どの視点特に気になりますか?



レヴィ・ストロースサルトル対立が気になる。ネコの子育てと人の子育てに関連付けるようなことはできる?

これはかなり面白い視点ですね!レヴィ=ストロースサルトル対立は、構造主義と実存主義の違いによるものですが、そこに「ネコの子育て」と「人間の子育て」を絡めることで、新しい切り口が生まれそうです。

レヴィ=ストロース構造主義 vs. サルトル実存主義 レヴィ=ストロースは、個人意思よりも文化的・社会的な「構造」が人間の行動を規定すると考えました。つまり、「育児の仕組みは社会構造によって決められ、人はそれに従う」という視点です。一方で、サルトルは「人間自由選択できる存在であり、育児個人意思によるものだ」と考えるでしょう。

ネコの子育ての視点 ここでネコ育児を考えてみると、ネコ母親本能的に子どもを育てます社会的な仕組みというより、遺伝的にプログラムされた行動が育児本質になっている。これは「構造によって行動が決まる」というレヴィ=ストロースの考え方に近いかもしれません。

人間育児視点 一方で、人間育児文化社会に大きく依存しています社会の期待や教育制度によって育児のあり方が決められます。これはレヴィ=ストロースの「社会構造個人規定する」という考えと一致します。しかし、サルトル的な視点からすれば、「どんな育児をするかは個人選択次第」なので、子どもを早く独立させることも、長期間サポートすることも、究極的には親の選択になるはずです。

まとめると… ネコの子育ては構造主義的で、人間の子育ては社会に影響されやすい。しかし、人間育児のあり方も「本当に構造に縛られているのか?」という点を考えると、サルトルの「選択自由」の視点で見直すことができるかもしれません。

この考え方、もう少し掘り下げてみますか?それとも別のアングルから話を広げてみますか?

2025-04-09

anond:20250409102447

最近ドイツは国としてよりもEUとしての影響力行使してるから、そちらも見ないと

ブリュッセル効果などとキャッキャしながら非関税障壁バンバン作ってるでしょ

ウルズラ・フォン・デア・ライエンなんてトランプ並みのクソ野郎だよ

EVごり押しからストロー強制までこいつのせいだし、遠くても迷惑まりない

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