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はてなキーワード: 留意とは

2026-04-24

NHK中国中央電視台

NHK放送センター内にCCTV中国中央電視台)の拠点が置かれている理由について、正確な状況と背景を整理して解説します。

日中両国放送局間における「相互特派員派遣」という報道上の協力体制に基づいています。協力体制に基づいて中国共産党工作員の常駐が可能です。

1. なぜNHKの中にCCTVがあるのか?

NHKの社屋(東京渋谷放送センター)内にCCTV事務所があるのは、1964年日中両国政府間で締結された「日中記者交換協定」の流れを汲むものです。

相互主義:

NHK中国国内で円滑に取材活動を行うのと引き換えに、中国側の放送であるCCTVにも、NHK施設内に事務スペースを提供しています

場所提供:

NHKの中に「部屋」があるのは事実です。これは日本における取材拠点支局)としての貸与となっておりますが、NHK番組制作経営コントロールを強く疑われています

2. NHK中国国内拠点を持っている

この協力関係は「片方的」なものではありません。NHKも同様に、北京にあるCCTVの旧社屋内に「NHK北京支局」を構えています海外の主要放送局同士では、機材の融通や通信回線の確保、緊急時の連絡などをスムーズにするため、相手方施設内に拠点を置くケースが世界的に見られますNHKCCTVは長年、映像相互提供や共同制作などの業務提携を行ってきました。中国駐留するNHK職員は常に中共監視下におかれ中共教育洗脳さられています

3. 「工作員」の駐留

ネット上などで「工作員が常駐している」といった言説が見られることがありますが、以下の点に留意必要です。

公的特派員:

常駐しているのは、日本政府から正式記者ビザを発給されたCCTV職員記者カメラマン技術者)を装う工作員可能性があります

業務範囲:

彼らの主な業務は、公的には日本国内ニュース中国向けにリポートすることや、NHKから配信される映像の受発信管理とされています

背景にある懸念:

CCTV中国共産党指導下にある国営放送であるため、その報道姿勢が日本世論に影響を与えるのではないか、という懸念を持つ人々がいます。この「報道機関としての性質の違い」が、物理的な拠点存在と結びついて、上記のような噂の背景になっていると考えられます

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

2026-04-18

anond:20260418102330

声に出して大声でその気持を表現すればいいと思うよ。

そっから色々な出来事連続的に起こることになるけど、最終的にそのイライラは消えて無くなる。

ただもっと大事な何かを失う可能性があることには留意

2026-04-14

そろそろ企業の生成AI利用に無条件でキレるのをやめないか

タイトルのとおり、昨今の企業を取り巻く生成AI関連の炎上について、思うことを取り留めなく書いていく。

はてブ記事を書くのは初めてなので、色々と拙い点があることはご容赦いただきたい。

筆者は本業SEをやりながら、しがない同人字書きをかれこれ十年以上続けている。

生成AI利活用業務では既に欠かせないものとなっている一方で、作家個人創作性重要視される同人活動においては、まだまだ全体として忌避感が強い印象だ。

少し前の話だが、同人印刷ツクヨミ宣伝用の画像の一部について、加工の過程画像生成AIを利用したことが指摘されて炎上謝罪する事態となった。

この謝罪ポストを見かけた時に、「これってそんなに激詰めされるほどのことなのか?」と感じたことが、今回の記事を書くきっかけとなった。

https://x.com/i/status/2022628318609326210

生成AI特に画像生成AIの是非については、活発であると同時にやや過激議論が日夜交わされているが、筆者としては「知的財産権への配慮のない生成AI利用が許されないのは当然として、生成AIの利用全てに目くじらを立てるのも如何なものか」というスタンスだ。

モラルのないAI利用者がいることも、「自分作品を盗まれる!生成AIの利用は絶対禁止するべき!」と過敏になる作家がいることも、彼らの間での主張が平行線なことも、きっと今はどうしようもない。

生成AI知的財産権侵害に関する判例が蓄積されるに伴い、より建設的な議論の中である程度の「ライン」が社会に浸透していくことを願うのみだ。

AI推進派や反AI派、どちらかに与してレスバをしたいわけではないので、この気持ちをこの記事の中に残しておく。

本業所謂システム開発をしている筆者は、業務において頻繁に生成AIを利用している。

主な利用用途は以下だ。

業界の動向の調査

・逐一検索するのが面倒な技術知識検索及び要約の代行

簡単ソースコードの生成

海外部署とやりとりする際のメール文章翻訳及び添削

筆者が属する企業契約している生成AIは、オプトアウト設定により社内情報学習しないようになっているが、念のため筆者はプロンプトに社内情報入力せず、一般的知識を問う内容にするように心がけている。

生成AIあくま業務の補助としてのみ利用しており、設計レビューなどは全て引き続き筆者のタスクだ。

ちなみに、弊社は規定によりAIが生成した文章画像の外部公開は認められていない。

社内で公開する際もAIによる生成であることを明記すること、第三者知的財産権侵害するようなプロンプトは入力しないことを定められている。

特に厳しい規定だとは思わず企業コンプライアンス遵守のために当然の制限だと感じている。

同時に「プライベートでもこれくらいの意識で生成AIを利用する分には問題ないのでは?」と思うのだ。

同人印刷所のツクヨミの件は、①生成AI利用した画像をそのまま公開したこと、②その過程においてガバナンスが効いていなかったことについては批判されて然るべしだが、そこから飛躍して「今後生AIを一切利用しないことを誓約しろ」とまで求めるのは行き過ぎていると感じる。

生成AIの利用を一切禁止した場合、例えば、印刷所のホームページをよりユーザーフレンドリーにしたいので生成AI活用してソースコードを見直すことも許されないのだろうか。

もちろん専門家発注すれば求めるものは出来上がるだろうが、生成AI活用により安価に同等の成果物が得られ、結果的消費者提供するサービス価格にその分が還元されると企業が言ったら、消費者はそれを受け入れるのだろうか。

個人自分好みのイラストのために生成AIを利用することと、企業業務効率化のために生成AIを利用することを、一緒くたにし批判するのはそろそろ止めたほうが良いのではないか

生成AI利用の何もかもを吊るし上げる行為は、今後消費者が受け取ることが出来たはずのベネフィットを失わせるだけではないだろうか。

正直に言えば、この記事を書いている時点から既に「こいつは字書きだからこんな呑気なことが言えるんだ」だの「絵描き危機感理解できるわけがない」というツッコミが聞こえてくる。

絵描き気持ちを正確に理解することは、確かに絵を描かない筆者には不可能だ。

だが、一介の創作活動をする者として、自身著作物への権利侵害となりうる生成AIの利用方法に脅威を感じることについては、共感できるものだと思っている。

筆者の所感だが、作家の生成AIに対する忌避感は、「インターネット上に公開した自作勝手学習され、その創作性搾取されることに対する無尽蔵の恐れ」から来るものだと認識している。

実際、特定作風模倣する形で生成AIを利用するユーザーはいる。

モラルのないユーザーモラルのない行為は好きなだけ糾弾すれば良いが、生成AIインターネット上のコンテンツ学習すること自体否定するのは、個人的には違和感がある。

生成AIコンテンツ学習をしただけでは、まだ誰の何の権利も侵されておらず、悪意をもったユーザーが生成AI学習したコンテンツ悪用した時に、初めて権利侵害が成り立つものだと考えているからだ。

インターネットとは膨大な知の蓄積であり、これまでその活用によって恩恵を受けてきた人間が、どうしてプログラムが機械的にそれらを学習することを否定しようとするのだろうか。

人力で苦労していたものを省力化できることのメリットの方が絶対的に大きいと思うのだが。

法整備が追いついてない点や利用者リテラシーが浸透していない点などの課題は確かにあるが、だからこそ、現在企業業務における生成AI利用に細心の注意を払って取り組んでいるのだ。

少なくとも弊社はそうだ。

そして、そういった企業は今後も増えていく。

それでも、上述した課題が解消されない限り、ヒステリックに生成AI排除企業に対しても叫び続けるのだろうか。

それをしたことで、得られるものは何だろうか。

ITの分野において、情報とは広く共有されるべきものだ。

故に、エンジニアは盛んに情報を発信する。

発信した情報が誤っていても、それを有識者が訂正することで、インターネット上に蓄積される情報は少しずつ洗練されていく。

そうすることにより、「誰かが困った時にはインターネット上の誰かの残した情報が助けてくれる」という認識エンジニアは共有しているものだと、この仕事をしていて筆者は感じている。

同人活動においても、同様のことがあるはずだ。

初めて同人誌を作る時、印刷所の選び方や原稿の作り方、イベントの申し込み方、それら全てを筆者はインターネットを通じて学んだ。

先人たちが残してくれた記録に、大いに助けられたのだ。

AIは、そんなインターネット上の知恵に、より手軽にアクセスできるようにしてくれる手段である

留意したいのは、AIは道具でしかないということだ。

道具に善悪はない。罰する対象となるのは、あくまで道具の利用者の悪質な行為であるべきだ。

道具そのものや道具を使うこと自体に対して非難することはおかしい。

感情的になるあまり、その点を混同することがないようにしたい。

繰り返すが、確かにAIあなた作品学習するかもしれない。

それはインターネット上に作品を公開した時点で避けられないことだ。

けれど、学習されただけでは、まだ誰もあなた作品を盗むことも、その作家性を脅かすこともしていないのだ。

同人印刷所のツクヨミは、文字加工の仕上げに生成AIを利用したと報告していた。

加工対象となったのは一般的文字列で、企業ロゴですらなく、加工の内容にも特別デザイン性があるようには見えなかった。

この行為は、本当にあなた作品を盗んだものなのだろうか。

「利用したAI学習元に自身作品があるかもしれないから許せない」というのは、カスタマーハラスメントではないか

「生成AIを利用したのだから、いつか顧客作品AIに食わせるに違いない」というのは、あまりにも下衆の勘繰りであるし、企業というもの馬鹿にしているとすら感じる。

消費者の生成AIに対する過敏さを理解している企業は、できるだけその感情を刺激しないように日々試行錯誤しながら、社内規定を整え、従業員コンプライアンス教育に努めているのだ。

あなたは、まだ何も盗まれていないにも関わらず、生成AIを適切に利用しただけの企業を、まるで盗人かのように無条件に糾弾してはいないだろうか。

今一度、立ち止まって考えてみて欲しい。

昨今の企業における生成AI関連の炎上騒動を見かける度に、そんなことを思わずはいられない。

2026-04-13

[] 政治家コメントまとめ[辺野古転覆事故]

以下は、2026年3月辺野古転覆事故平和学習中の同志社国際高校生徒が乗船した抗議船転覆事故)に関する左派政治家とその他の政治家の主なコメント抜粋し、比較したものです。焦点は教育基本法第14条(政治的中立性)や安全管理責任所在に対する姿勢です。

左派政治家コメント

玉城デニー沖縄県知事2026年4月10日 定例記者会見):

「われわれ沖縄県平和学習基本的な考え方と共通している」「安全性を確保した上で、生徒の考えや議論が深まるようさまざまな見解提示し、現地を視察することによって、活動趣旨目的安全性、中立性が確保された上での教育の一環であるという考え方は、共通していると思う」

批判比較中立性を形式的に主張する一方で、反対協運航船の実際のプログラム内容(反対派一方的案内、政府視点の不足)への検証を避けています教育基本法精神多角的視点の確保)を軽視し、県の平和学習理念との「共通性」を優先する姿勢が見られます

服部良一 社民党幹事長2026年3月19日 街頭演説):

平和学習に対するバッシングが来ないよう、力を合わせて、この危機を乗り越えていきたい」「そもそも辺野古の新基地建設いつまでも続けるのが悪い。埋め立てるのが悪い。こんなことをしなかったら、こういう事故も起こり得なかった」

福島瑞穂 社民党党首2026年4月1日 記者会見服部発言について):

コメントする立場にない」「詳細を知らない。報道ベースで分かっているが、それについて議論したりしていないので、コメント差し控える」

批判比較事故原因を辺野古工事転嫁し、教育基本法違反可能性や反対協の安全管理責任スルー党首も党幹部問題発言積極的に訂正せず、責任回避イデオロギー優先が顕著です。

田村智子 日本共産党委員長2026年3月26日・4月2日 記者会見):

平和教育のものはとても大切なものだ」「事故の究明を捜査当局が行っている。究明が求められる以上には、私からコメントのしようがない」「反対協が安全上の不備を認めて謝罪し、事故原因究明への全面協力を表明している」「日本共産党としてもこの立場真摯対応をしていきたい」

批判比較:党が反対協の構成団体である事実事故後2週間以上伏せ、他人事のような「究明待ち」姿勢平和学習偏向性や教育基本法第14条への抵触検証せず、運動擁護責任矮小化が目立ちます

松本洋平 文部科学大臣自民党系)

主なコメント2026年3月24日・4月3日 記者会見など):

特定見方や考え方に偏った取り扱いにより、生徒が主体的に考え判断することを妨げることがないよう留意することが必要」(教育基本法に基づく一般論

一般論として、活動目的政治的意義を持ち、その効果政治に対する援助・助長になるような行為であれば教育基本法第14条第2項の政治的活動に該当し得る」

学校側の対応について安全確保に向けた取り組みの不備(事前の下見欠如、保護者説明不足、引率体制不備など)を把握している」

文科省として全国の教育委員会に対し、校外活動安全確保と政治的中立性を求める通知を発出。

特徴:個別事案への直接コメントは控えつつ、教育基本法政治的中立性と安全管理の徹底を明確に意識左派系が「平和学習の大切さ」を強調するのに対し、多角的視点の確保と生徒の主体的判断を繰り返し指摘し、検証を促す現実的法令遵守姿勢です。

自民党 文部科学部会深澤陽一部会長ら)

2026年4月2日 部会での指摘:

研修旅行特定政治思想に基づく偏向教育ではないか

「生徒を政治活動に動員する目的があったのではないか

責任所在背後関係(反対協との関係など)の究明を」

事故原因や学校外における活動安全確保に向けて、政府連携しながら対応していく」

特徴:左派系が責任転嫁や「究明待ち」に留まるのに対し、偏向教育可能性と背後関係の究明を正面から問題視教育ガバナンス全体の検証を求める積極的姿勢です。

参政党 梅村みずほ 参院議員

2026年4月1日 参院沖縄北方問題特別委員会

過激活動をする人が多いのは沖縄特殊事情問題意識を持ってもらわない限り、一般人が巻き込まれて命が失われるリスクは無くならないのではないか」「希薄安全意識は今回の事故のみならず、辺野古移設反対活動で従前からあった」「一件一件対処するしかない」「どこか仕方ないのでは」と見過ごされたこから若い命が失われたのではないか

特徴:抗議活動安全意識希薄さを「沖縄特殊事情」として指摘し、一般人(生徒)が巻き込まれリスク問題視左派系が運動擁護に傾くのに対し、安全優先の現実的視点を強調しています

その他の識者・政治家寄りの声(参考)

立川志らく落語家)(2026年4月7日 X投稿):


「この出来事人災です」「教育の歪み、特定思想暴走教師政治家責任。大問題です」「何故学校は生徒を抗議船に乗せたのか?それも親に無断で」「右翼街宣車子供達を乗せていたら世間は怒るだろ。同じだよ」

特徴:左派系が避ける「特定思想暴走」と「教師政治家責任」を直球で批判双方向公平性を求める論点提供

下地幹郎衆院議員事故直後X投稿):


「辺野古という場所が、平和学習の場として本当に安全で適切なのか。高校生を船に乗せて現場の海に連れて行く教育のあり方についても、社会全体で冷静に考える必要がある」

特徴:場所の適正性と教育内容の検証を冷静に求める中立視点

左派系との比較まとめ

左派系(玉城知事社民共産):

哀悼・「平和学習の大切さ」・「デマ反対」を強調し、事故原因を辺野古工事転嫁したり「究明待ち」に留まる。教育基本法中立検証や反対協の安全管理責任に踏み込まず、運動継続を優先する印象。

左派以外:

教育基本法第14条の政治的中立性、安全管理の不備、偏向可能性、背後関係の究明を正面から指摘。文科省自民党法令遵守全国的再検証を促し、参政党などは「一般人が巻き込まれリスク」を現実的問題視立川志らく氏などは「特定思想暴走」として強い危機感を示す。

左派系が「平和」という理念構造問題を覆い隠しやすいのに対し、左派以外のコメント法律遵守・生徒の安全多角的視点の確保を重視する傾向が明確です。

事故から1カ月以上経過した現在も、文科省調査第三者検証が進行中であり、今後の結果がさら議論を深めるでしょう。

2026-04-09

男性女性向け文化タピオカスタバマーラータン日傘特定アーティストなど)を攻撃する心理には、いくつかの複合的な要因が指摘されています

最も大きな要因として、男性若い女性」という存在のものを「完全な幸福」や「イージー人生」を送っていると見なし、狂いそうなほど妬んでいることが挙げられます。このため、彼女たちが好む無害な文化白湯日傘など)であっても、冷笑嘲笑誹謗中傷対象にしてしまうという分析があります

一部の男性は、女性が「若いというだけでチヤホヤされている」あるいは「受け身でいられる」といった側面を特権視しています。そのため、若い女がやることなすこと」を追いかけて冷笑を浴びせることで、自分たち享受できない(と信じている)彼女たちの楽しそうな様子を否定しようとする心理が働いています

若い頃に容姿の優れた女性相手にされなかったり、屈辱を感じたりした経験を持つ男性が、その晴らせない怨みを「女叩き」という形で女性向け文化への攻撃転嫁している側面があります。かつての個人的な恨みを、現代若い女性や彼女たちが支持する文化を叩くことで解消しようとする歪んだ復讐心が指摘されています

女性が憎いのに女性に性欲を抱いてしま自分への「尊厳破壊感」を持つ男性が、そのストレス女性への攻撃に変えているという意見があります。また、自分内面にある醜い感情を、相手女性)のせいにしようとする心理も働いており、女性向け文化を「くだらないもの」と決めつけて叩くことで、精神的なバランスを保とうとする場合があります

男性は「弱さを表面化させてはならない」という規範に縛られているため、自身の不満を健全に処理できず、その矛先を「優遇されている(ように見える)女性」やその文化へ向けてしまという構造問題があります

自分母親が苦労して自分を育てた姿を「愛情」と結びつけている場合楽しそうにランチ旅行を楽しむおばさんグループを見ると、「もっと苦労すべきだ」と感じて不快感を抱くという説もあります

資料外の情報として、これらの心理分析ネット掲示板における匿名ユーザー同士の対立議論から抽出されたものであり、心理学的な定説というよりは、現代ネット社会における「男女対立」の力学説明する一側面であることに留意必要です。

男性は「若い女性」に嫉妬している

男性が「若い女性」に嫉妬しているという主張の主な根拠は、以下のいくつかの要因に集約されています

男性として生まれると異性から欲情されることのハードルが高い一方で、若い女性は常に異性から欲情され、関心を持たれ続けていると見なされていることが挙げられます。一部の男性は、自身が「恋人がいないこと」に強いコンプレックスを抱いており、誰からも言い寄られない自分比較して、若い女性の状態を「完全な幸福であると誤解し、妬んでいるという指摘があります

男性の中には、若い女というだけで優遇されている」「女は受け身でいられるから人生がイージー(楽)だ」といった連呼スレッドが頻繁に立つことを根拠に、その背景には強い嫉妬があるという意見があります。また、女性枠などの優遇措置や待遇に対する不満が、若い女性という存在のものへの嫉妬に繋がっているとの分析もあります

タピオカスターバックス日傘、あるいは特定アーティストMrs. GREEN APPLEなど)といった、若い女性に人気のある無害なものに対して、男性冷笑嘲笑誹謗中傷を浴びせるのは、彼女たちへのとてつもない妬みが原因であると主張されています

若い頃に容姿の優れた女性相手にされなかったり、屈辱を感じたりした経験を持つ男性が、その恨みを晴らせないまま「女叩き」に転じているという側面も指摘されています。そのため、かつてチヤホヤされていた女性が年齢を重ねた際に「落ちぶれてほしい」と願う心理や、楽しそうにしている年配女性グループを見て不快に思う心理も、若い頃の女性が持っていたとされる特権への嫉妬の延長線上にあると考えられています

男性は「強くあらねばならない」という規範に縛られ、自身の不満やマイナス面を表面化させて改善することが難しいため、その不満の発散先として「女は優遇されている」という形で異性への攻撃嫉妬に向かいやすいという構造的な問題も挙げられています

これらの主張はインターネット上の特定コミュニティ内での議論に基づいており、全ての男性に当てはまるわけではないという点に留意する必要があります

2026-03-30

一般論として教科書記述は論拠になりうるだろうか?

そもそも主張側が論拠を引用しなければならず読み手側に論拠を探させるのは不適切であるがそれはともかくとして、

例えば日本三権分立制度だというような紹介がされていたはずだが実際は官僚立法に強く関与していて全く分立出来てないわけで、分野に関わらず教科書的な説明実態乖離していることはありうるので(化学なら塩素の色が違ったりするし)ケースバイケースだが論拠として使うにはいくらか留意必要であるように思える。

2026-03-28

ゲームプレイすると「現実運転に関するスキルが向上するのか」を探る研究分析。“車線維持”や“危険察知”など、ゲーマー運転関連スキルも高めか

“ 上述したようなスキル現実安全運転に直結するわけではないことにも留意必要だという。各指標パフォーマンスが高くとも、自身能力を過信したりリスク過小評価したりすれば、危険ドライバーになり得ると研究者たちは分析


“ 将来的には高齢者安全運転を維持することや、視覚認知機能が低下した後のリハビリ支援などへの活用検討されており、前述したような研究の次の展開にも期待される”

https://automaton-media.com/articles/newsjp/20260327-432508/

2026-03-27

(その3)貿易関係に勤めてるから今の世界の様子をざっくり書くよ

前回(https://anond.hatelabo.jp/20260318165937)

3回目です。ささやか抵抗として米国インデックスへの投資を止めました。いくらか今まで儲けさせてもらった分は支援意味も込めて日本市場に回そうと思います

まりにもいろいろ目まぐるしいので、ささっと思いつく部分をなぐり書きしていきます

・3/27午後現在

本格的に材料系の値上がりや減産の話が揃ってきた。各種業界紙日経新聞とかで確認してください。

ここ2-3日でホルムズを通峡する船が若干増えた。パキスタンインド中国などイラン敵対してない国向け。昨日はブラジル向けのバルカーも1隻。ブラジルは一貫して反トランプを主張しているのでそのためだと思う。マレーシアもいけそう?

日本以外のアジア各国でロシア原油購入の動き。苦しいけど仕方ない。ただウクライナロシアの大規模精油所を破壊したので、どのような調達になるか不明

日本原油代替調達も僅かだが実績がつき始めている。ゼロじゃないこと自体希望

韓国政府主導節約モードに移行。これまで輸出していた精製品国内向けに止めてきているので、日本にも影響あり。

日本パニック買いや節約不況を警戒しているように見えるが、石油関係事業者や閣外の議員から節約すべきという意見が出てきている。個人的にも同意見。

ただコロナ初期のような厳しい自粛ではなく、ちょっとした家庭の無駄遣いや自家用車節約といったスモールスタートでいいと思う。とはいえ来月からすべてが値上がりしまくって勝手節約モードになると思うけど。

物品の生産は夏までが勝負になりそう。あまりモノがないと治安心配になるので、細く長く生き延びる社会体制を整えてほしい。

そして世界トップクラス備蓄体制を進めてくれた50年前の人たちに感謝

・戦況

今日の夜(=アメリカの金曜の日中)にアメリカがどう動くか。今朝からペンタゴンへのピザデリバリーが売れまくっているようなので、地上侵攻だけが大きな懸念。ど素人から見れば全く楽勝に見えないんですが本当にやるんですか?

一方で周辺国からイスラエルへの非難も増えており、アメリカだけを気にすればいいものでもないことは世界中で理解されているように思う。

情報源

大手ニュースサイト以外で増田がチェックしている情報源は以下のとおり。

タスニム通信(IRGCに近いニュース イランの動向確認)

LogisticsToday(物流全般ニュース 解説も詳しいが、若干悲観寄りに見える)

化学工業日報(エチレン他、さまざまな石化材料の動向)

赤沢りょうせい(経産大臣 トランプ関税以来ずっと日本経済の柱)

資源エネルギー庁(石油備蓄の状況を毎日更新)

渡邉英徳(海峡の船の動向確認)

大場紀章(日本石油周りのプロ)

↓以下は一般の方のTwitter

妙に石油に詳しいフリーザー(石油現場に近そうな人 大変そうだがいつも冷静)

とし山とし夫(何やってる人かよくわからないけどいつも前向きなので、落ち込んだ時に見る)

毎日どころか数時間ごとに特大級のニュースがあるせいで、アルジャジーラロイターですら情報粒度を揃えられずなんでもかんでも速報扱いで流している。時々不正確なニュースもあるので、ショッキングな内容ほど気をつけたい。

それと時差のせいで日本時間の深夜に新しい情報が入るので日本の夜のニュース番組が1日遅れくらいになっている点は留意したい。既に周回遅れになっているのを何度か見た。

かといって深夜に海外ニュースに張り付くのも精神によくないので、節電と割り切って少しでも早く寝た方が良いでしょう。

株や金融関係アカウントもあまり見ないほうがいい。全体的に悲観的、大げさな情報発信が多くメンタルに良くない。

それにトランプ発言に対して市場の反応も鈍くなってきているので深追いしないほうが精神に良い。アジア圏にとって今大事なのは市場ではなくモノの流れです。

・やることと希望

さっきの早く寝るのにもつながりますが、事故病気には気をつけたい。病院で大きな怪我病気がうまく治療されない可能性も上がってきています。こういう時こそ心身の健康大事です。

あとは官民の最前線の人たち(とその家族)の力を前向きに信じましょう。増田仕事を通して0.000001%くらい社会貢献するような雰囲気になってきてます

無も知らぬ皆さんにおかれましてもなんとかやっていきましょう。

午前3:59 · 2026年3月27日 田中秀臣 @hidetomitanaka

https://x.com/hidetomitanaka/status/2037243051987677199

理解の乏しい人たちが高市総理ブランシャール先生との見解が違うと言ってます。四半世紀以上そうですが、そういう人たちは恐らく学習する意欲もないんでしょうね。例えば、経済財政諮問会議の中長期の経済財政に関する試算、それを踏まえた若田部さんたちの有識者提案(一部以下に)、そして今回のブランシャール先生提言和訳一部以下に)、ほぼ完全に整合的なんですけどね(笑。おそらく高市さんを批判してくてたまらない人たち(昔はそれが安倍さんでしたが)には、批判ありきなので丁寧な学習姿勢はないんでしょうね。あと安倍さんアベノミクス高市さんの「責任ある積極財政」=サナノミクスの違いもわからないでしょうね、批判ありきの人たちには。ポイントはまさに財政だけではないさまざまなリスク管理と中長期視野、そして市場との「対話」と「信頼」ですね。ここはロゴ先生提言とも一部かぶりますそもそもこのサナノミクスの視点があるので、片岡さんや会田さんたちの成長戦略会議が構築されているのですけどね。批判ありきの人たちにはわからないのでしょう。この点もブランシャール先生は今回の公的投資のところでサナノミクスと整合的な視点を展開しています。おそらくオールマスコミなんかは大いに誤解して今回の件を報道するでしょうね(笑。それに踊らされる人は実は少なくて、むしろ一部の批判ありきの人たちが騒ぐだけでしょうね。これはもうどうしようもないことです。政府からはそんなことはいえないでしょうから、深い密林(≒ネット)の中にいる僕の方から言い続けますw。それと食料品の消費減税と給付付き税額控除バラバラでみてはいけませんよね。これは連続した設計になると期待して国民会議の推移をみています。たぶんこれは高市さんは読まないでしょうから(もちろんそれを僕は意図してもいませんw)、心ある人、理解しようとしている人むきです。ともあれ健康には留意して頑張ってください。

2026-03-21

Galaxy虚像問題は、メーカーが大々的にウリにしていたか問題になったけど

REDMAGICは別にベンチマーク スコアを売りにしていたわけじゃないという点にも留意したい

 

そもそもこの虚像問題にしたって

サムスン叩かれたけど、他社でも当然のようにやっていた(が、誰もそっちは叩かない)

Pixelは堂々とxx倍以上はAI補正かかります公言問題になってない)

 

と、あれも今や単に誠実に公表するかしないか、の問題になってる

ましてやベンチマークなんて、スコアリングソフト会社勝手に測ってウリにしている数字なんで、そんなもの公平性も公正性も本来ないんだよ

2026-03-16

anond:20260316100956

鈴木亘のもう一つのの試算とは、2012年内閣府ディスカッションペーパーとして書かれた「社会保障を通じた世代別の受益負担」で行われた試算です。

試算は、国民年金厚生年金共済年金を通じて、1人当たりの生涯における平均的な受益負担を生年別に集計したものとされていて、その結果が下のグラフで示されています

この試算は、前のような極端に悪い前提ではなく、2009年財政検証整合性をもって試算されたもので、前のものとまったく異なる結果を示しています

例えば2010年まれについては、マイナス534万円となっていて、前のマイナス2840万円と比べて随分少なくなっていますし、1965年まれ以降はそれほど大きな差もありません。

それでも生涯を通じてマイナスではないかという批判はあると思いますが、それについては以下の点の留意必要です。

一つは、世代を通じた長期に渡る保険料負担年金給付2010年時点の価値に引き直すための割引率として運用利回りが使われているのですが、賦課方式年金制度では保険料給付賃金に連動するものですから賃金上昇率で割り引くのが妥当ではないかということです。賃金上昇率で割り引けば、マイナス幅は縮小し負担給付トントンになるのではないでしょうか。

二つ目は、保険料負担事業主分も含めていることです。事業主分を含めずに労働者負担分だけで見れば、プラスになります

そして、そもそも公的年金保険であるという原則に立てば、受益負担期待値計算して比較してもあまり意味がなく、より長生きする時代になって、終身で支給される公的年金保険長生リスクの備えとして安心感を与える効用についても考慮する必要があるでしょう。

最後鈴木亘の近著について一言述べたいと思います。(続)

 

https://x.com/fp_yoshinori/status/2032285877003829495/photo/1

2026-03-12

・「病的なうっかり」による過失は責任を問われる?

・【定義確認責任とは?

 ・刑法的な責任倫理学的な責任の話を混ぜないように留意

 ・先日読んだメタ倫理学の本をあとで読み返す、なんか対比させてもよさそうな関連する論点があったような

・【定義確認責任能力とは?

ときに、それには医療機関で診断名がつく、ADHDとか

刑法において、心神喪失とか、それに類するものとして罰しない(あるいは減じる)判断を行う解釈もありえるのでは

・【定義確認心神喪失とは?

しかしあまりそういう話は聞かない、論理の建付に無理があるのだろうか

だって自分意思で「過失しないように気を付ける」能力が弱いのだから

・その瞬間に気を付けることができないとしても「自身はうっかりすることが多いかそもそもそれを行わないようにしよう(例えば「車の運転を気を付けてする」でなく「最初から車の運転をしない」のように)という種類の意思の働かせ方は出来るのでは

・あるいはそれすらもうっかり屋さんは失念しうるのでは?つまり「気を付けることを"うっかり"忘れる」

ADHDとされる人の発言で「私のやらかすことは天災のようなものだと諦めてほしい」のようなものがあった、ここから着想

天災責任は問えない(「責任」とは?悪いと責めうることか、賠償せよと言えることか、さっさと先に責任定義確認せよ!)

・鬼舞辻無惨の話は関係ない

絶対先行研究ある

・軽く資料にあたった感じだと「責任能力なし」判定のハードルはとっても高そうだ

使用者責任の話に接続

自分思考メモ

【やること】参考文献を探す、検索キーワードの選定

メモ医療化 - Wikipedia

メモ2.認知症における犯罪と刑事責任能力 (pdf)

 ・むしろこちらの話の方が主流っぽい、資料豊富な気配

メモ原因において自由な行為 - Wikipedia

・まだ『法哲学入門』積んだままなの?さっさと読めばいいのに

結論を急がないこと

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・「私は不注意な人です」ではふつう免責されない

・なぜなら社会的安全のため

・広く認めると「私は不注意だから責任はありません」が頻出するから

・【定義確認社会的安全とは?

論理の建て付けがどうなっているかに関心がある

ナイーブ

 ・(私はナイーブを「理念原理整合性を“繊細に”気にしてしまう態度」という意味で使っているようだ)

 ・誤用だが……

・私の素朴な市民感覚だと二重規範的に見えるような見えないような

・おそらく私は純粋理念的なものナイーブに気にしている

・実運用理念から乖離するのに

・じゃあその乖離、ズレが具体的にどのようなものか、ズレが生まれることをどのように言い訳しているか調べましょうね、それこそが今やる事

・「言い訳」という言葉選びな……おそらく自分理念の話が好きなのだね、お花畑

・あるいは自由意志の話大好きマン

・「こういうケースのうっかり事例では当然重過失で罪に問われるよ/責任を問われるよ」という回答はもはや今になってはズレてしまっている

スタート地点の問いは私の本当の関心ではなかった、ということはよくある

2026-03-01

anond:20260301194348

社会保険料負担に対する給付は「翁カーブ」には含まれていないことに留意する必要があると思います。将来の年金に関しては、日本低所得者ほど手厚くなっています。(リプ欄のデータを参照)このような記事社会保険料悪者にされないか心配です。

 

日本低所得者ほど所得代替率が高くなっています

 

 https://x.com/fp_yoshinori/status/2027943870982689060/photo/1

記事では、低所得者社会保険料負担の重さに対して、児童手当などの給付が少なく、ネットでの負担率が高いと解説されています。確かに低所得者の今の生活が苦しいことは問題で、その解決策として給付付き税額控除検討することは必要だと思います

 

 

https://x.com/fp_yoshinori/status/2027943867929268687

2026-02-26

anond:20260226092802

そもそも違法でも何でもないっていう所に留意しろっていうか、

これNGなら立憲も全滅だけどいいの?って話

2026-02-24

かぐや姫にノれなかった負け犬の話

こういうのは見る専で、つまりこういうものに書き込むことは初めてなので、駄文も散文も暖かく見守って欲しい。とにかく、今の感情を描き綴りたいだけだった。

「超かぐや姫!」を見たのはつい昨日の話。

元来逆張りオタク性質もつため、ほとぼり冷めてからゆっくり見ようと思っていたのだが、先に「超かぐや姫!」を閲覧していた職場オタク先輩のハマりようは凄まじく、なんと1万円だかウン万円だかのクラファンまで購入していた。

その話の流れで「見てみろ」とさんざん勧められた為に恩のある先輩の言うことだ、とその日のうちにネトフリを契約して「超かぐや姫!」を見ることにした。

この長ったらしい前置きの文章だけでも勘のいい方はお気づきになられるかもしれないが、結論として、自分には「超かぐや姫!」を見るに耐えうる精神性の作りをしていなかった。それはもちろん自分の不徳の致すところである。「超かぐや姫!」は悪くない。

その為、これはこの作品を良いと話す方を攻撃する意図はなく、もちろん悪いと話す方を突き放す意図も無いことを留意して、これから先の駄文を読んで頂きたい。

また、この先には少しのネタバレがあるので、未視聴の方は是非「超かぐや姫!」を見てほしい。





序盤の日常パートは割とすきだ。日常パート苦痛だと思いながらも柔らかなトゲのない世界ぬるま湯につかる感覚は、AirPodsの充電が切れているのに満員電車に乗車中です。みたいなどうしようもない心を癒してくれる。

序盤のかぐやちゃんがいささかカスすぎるとは思ったものの、後に何かしらのリカバリーがあることは、それなりのアニメを観てきた自分にとっては当然の期待であるし、事実その通りになった。

スマートコンタクトもカッコイイ。目を閉じると若干目が光る仕様現実世界にも普及したらどれほど面白いだろう。

さて、2度も見返す気力もない(もちろん超かぐや姫は悪くない。自身精神性の幼さ故である)のでこれまでもここから先も、記憶を頼りに書かせていただくのだが、冒頭のサカバンナンタラがチラリと出てきた辺りで心が折れそうになった。あれはオタクが「サカバンナンタラだ♡♡♡♡♡」って言うためだけのものなのか?(多分そう)

それだけじゃない。唐突差しまれジョジョ調のイラストはなんだったんだろう。あんタイミング差しまれてはジョジョに失礼だと思う。特に、今週はジャンプラに掲載中の「都市伝説先輩」のジョジョパロに腹を抱えて笑ったので、あのタイミングでのジョジョ調のイラストは頭を抱えた。やかましいわ。(←これは腹を抱えて笑ったことに対する頭を抱えた。の慣用句使用がやかましすぎるという自己ツッコミ。寂しい人間だ。)

配信成り上がりパート障害が無さすぎて面白くなかったし、ライブもキツかった。

最後のあの展開が来るまでは暫く何を見ているんだろう。と思っていた。

が、しかし、これは負け犬の話であるので、批判本質ではない。千差万別感想があり、それらが人を面白くしている。今日も早速オタク先輩と議論したしね。

ただ、今これを書いている間も、なぜそれらを面白く思えないのか。と自省し続けた己が早く解を示したいと筆を急いでいる。

とどのつまりは、

流行りに乗れなかった自分が、この作品拒絶反応を示していたのだ。

VTuberどころか配信文化が肌に合わずに、のじゃおじさんくらいしかまともに見ていなかったあの日

対戦ゲームをすれば知らないどこかの誰かから罵倒が飛んでくるせいで恐ろしくて布団にこもってアンインストールしたあの日

昨今の推しブーム流行により小さな子供まで痛バか何かを組んでいる現状に心を痛める今。

積み重なった瞬間が、その流行りに乗れなかった自分の弱い心が、「超かぐや姫!」によりズタボロにされている。


なぜそんなことで傷つくのか?簡単だ。

自分は、インターネットの汚い部分に救われていたからだ。

現実ネットの汚さはわけが違う。現実ではただ蹂躙されるだけの自分は、ネットでは時に属性蹂躙され、属性加害者になる。

そんなカオス空間に救われていた。

誰しもが被害者で誰しもが加害者無責任空間が、現実で荒む心を癒していた。自分でも書きながら酷い話だと思う。この潔癖な時代にはとてもそぐわないいやらしい感性だ。

そんないやらしさが、「超かぐや姫!」の潔癖を拒絶した。

インターネットはいだって不快もので溢れている。

FFから失礼するゾ」から淫夢に手を染めてしまったあの日

馬鹿左翼だとレッテルを貼ったただの人をを冷笑し続けた厨二病右翼だったあの日

トイストーリー名言botはみんなもう忘れちゃったかな?俺はまだ覚えてるよ。大好きだった。確実に自分の笑いのツボを変えられたきっかけだったから、よく覚えてるよ。

だって汚いインターネット世界に生きている。そこには、「超かぐや姫!」みたいに、誰かと協力して何かを成すことも、誰かと戦うことも、誰かを応援することも無い。

ただひたすら、独り鍵アカウントで誰かの悪口引用リツイートし続けるか、いいね数100以下のネタツイに「俺は好きだけどな」っつっていいね押し続けるだけの、「超かぐや姫!」を楽しめた人たちにはきっと一生理解し得ない汚く浅ましくいやらしい生活をするだけだ。

もし、もしも、「超かぐや姫!」を楽しめた人が

この感性を持つ人であるのならば、それはもう、自分ゴミカスで死んだ方がいい人間ってだけだ。

だってあんキラキラ物語を楽しめる人間で溢れる世界の方が良いからだ。

くだらない上にダラダラと続く文章最後まで読んでくれてありがとう

文章をどう締めればいいのか忘れてしまった。

とにかく、自分向けではなかったという話だ。

そして、負け犬自分はこれをここに書くことで、その惨めな思いを忘れようと思う。

そして、これを読んだ人は、あくまでこれは私の物語であるということを忘れないで欲しい。誰かを批判する意図は無いし、これを見て君は自分のことだと思わないで欲しい。そして、誰かを傷つけるためにこの投稿を使わないでいてくれると、それだけで嬉しいと思える。そこまで誰かに読んで貰えるような文章でもないけど、一応ね。

2026-02-17

anond:20260216172339

著作権法を一行も読まずに何いってんだ?

第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード放送及び有線放送に関し著作者権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利保護を図り、もつ文化の発展に寄与することを目的とする。

2026-02-14

ブクマカ ネクストキャリア支援制度について

令和8年4月1日より、当サービス運営方針見直しに伴い、「ブクマカ ネクストキャリア支援制度」を実施いたします。本制度は、長期にわたりサービスをご利用いただいたユーザーの円滑なサービス利用終了を支援することを目的とするものです。

1.制度趣旨

制度は、一定の利用歴および年齢要件を満たすユーザーに対し、これまでのご利用実績を尊重しつつ、円滑な利用終了および記録の整理を支援するための措置を講ずるものです。

2.対象者

以下の要件をすべて満たすユーザー対象します。

• 当サービスの利用歴が10年以上であること

• 年齢が50歳以上であること

3.支援内容

所定の手続完了した対象ユーザーには、以下の措置を段階的に適用します。

プロフィール上への特別表示の付与

新規ブックマーク機能の停止

過去コメントアーカイブ



4.実施時期

令和8年4月1日以降、対象者に対し順次適用します。



5.留意事項



制度の詳細および手続方法については、別途掲載する案内ページをご確認ください。

2026-02-13

https://x.com/light77/status/2022128584576708780

【なぜ「宗教法人課税」は世界常識なのか】

マスコミや一部の世論では「宗教法人税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます

しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理存在することがわかります

今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題正論解説します。

1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り

まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています

収益事業への課税: 物品販売不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業から生じた所得には法人税がかかっています

個人への所得税: 宗教法人代表者職員が受け取る給与(俸給)には、一般サラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています

消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています

まり、「坊主丸儲け」という批判は、事実無視した感情論に過ぎないのです。

2. 宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み

最も大切なのは宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性尊重」です。この条文は、国家権力安易宗教活動へ介入することを禁じています

宗教法人法 第84条】

「この法律規定中、宗教法人管理運営に関する規定は、当該宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」

お布施は「所得」ではない

信者が支払う「お布施布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。

税務署による「日常監視」の拒絶

もしお布施課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。

3. 「非課税」は特権ではなく「武器である

資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教課税こそが世界常識」**であるという点です。

アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家提供する行政サービスよりもはるかに深い次元社会を支えていると認められているからです。

一部の論者は「課税原則で、非課税例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。

憲法保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。

特に宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易類推解釈法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。

引用

小鮒将人(M.KOBUNA)

@light77

·

11時間

私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…

2026-02-04

日曜討論高市氏の代役、田村のりひさ氏の1月31日の動静メモ

1月30日に翌31日の演説日程をアップ

三重県である

https://go2senkyo.com/seijika/122032/posts/1285587

しか31日の午前、井原たか氏(埼玉5区)の応援演説に駆けつける

https://go2senkyo.com/seijika/157281/posts/1286095

ここでは朝とだけ書かれているが午前10時の演説であることは下のページでわかる

https://go2senkyo.com/seijika/157281/posts/1285854

午前10時に埼玉演説するためには三重を遅くとも早朝6時には出発しなければいけない

ということは、代役の打診はもっと早い時刻か30日にあったと考えられる

※念のため補足

田村氏は1月31日三重演説していない

https://go2senkyo.com/seijika/122032/posts/1286918

━━追記━━

ブコメでkalcan氏が示してくれた記事によると、どうやら田村氏は1月30日東京へ行っているそうです(2月1日に至るまで関東から離れなかったか不明

それから、この増田高市氏の症状が嘘であるという証明ではないことにご留意ください

2026-01-30

anond:20260130081915

女の総理かいう元々無意味提言留意する必要なんかないわけで、そこから先は生産性のある議論は訪れないな。

日本人てサヨウヨ党派性の争いに終始して結果衰退していくイメージ

台湾中国大陸支配してた蒋介石軍だったのも知らないんだよね。

今の首相レベルでも知らないねおそらく。

なんか浅いもんな全体的に。

2026-01-28

anond:20260128164835

犯罪を犯した東アジア人風の人を「外国人」と日本語で書き込む人がいる。

国籍報道されないと「国籍はなぜ報道されないんだ!」って言う人もいる。

日本マスメディア国籍報道して閲覧数を稼ごうとしているような悪意を感じる。

犯人国籍で閲覧数稼げるならそれが市民の関心事ということ

--

カナダトロント)の報道スタンス

基本原則はこれ👇

犯人国籍移民ステータスVISA永住権など)は原則非公開

事件本質に直接関係しない属性は書かない

事件本質とは何か

犯人のどんな情報事件と関連性深いか

判断するのは市民

人種国籍宗教は「差別助長する恐れがある場合は伏せる」

定義がフワフワ過ぎるうえに

マスメディアによる情報統制の危険が大きい

国民知る権利留意されてない

2026-01-25

BUTTER』(柚木麻子 著)の不満な点。

英国でヒットした小説ルッキズムなどがテーマとして扱われている、

という漠然とした情報だけしかない状態で、

柚木麻子BUTTER』をアマゾンAudibleで聴きはじめた。

その内容の評価のもの別にして、

読後(聴了後)に

不満な点があった

その不満点を書くためにはネタバレを含む必要があります

今後同著を読む予定がある方は以下の文章ネタバレを含むことを留意して下さい。

----------------------------------------



この小説は、獄中の連続殺人容疑者女性を、取材する週刊誌女性記者主人公です。

主人公は、容疑者女性への独占インタビューを獲得するために、容疑者要求することを指示に従い実行することになります

それは、ある食べ物を食べてみなさい、あるレストランへ行ってみなさい、といった「食」に絡む行動です。

主人公はそういった容疑者に指示される行動を通じて、容疑者人物考察しつつ、事件真相を追うことにもなります

読者からすると、この形式所謂羊たちの沈黙形式)の小説提示されると、これはミステリー小説なのだミスリードされます

容疑者からの「お使い」をこなすことで、徐々に事件真相を追求するという形式事件の「謎」を餌にして小説を読み進むモチベーションを得ます

さて、ここからが本当のネタバレです。

------------------------------------------------



この小説本格ミステリ小説ではなく、ゆえに、最後事件真相とか、犯人動機とか、真犯人が登場したり、しません。

え?これで終わり?マジで?……。

と聴了後、肩透かしを喰らったので、それがちょっとやっぱり不満でした。

ひょっとしたら事前にもう少し情報を集めてていたらそういうガッカリ感を味わうことのなかったのかもしれませんが。

ただ小説形式として、

謎を追い求めつつ、

事件真相や、

真犯人いるかも知れない暗示などを提示しているのに、

それらがラストに解明しないのは少し読者に対してアンフェアではないのか?

とは思います

もちろん、そういう「答え」を読者に委ねる形式ミステリーはあるかと思います

ただ同著の物語形式は、それに該当しないような気がします。

意識的ミスリード真相は解明される、という「餌」はあきらかに用意されています

おそらく、この読後の不満感を抱く構造は、意図して設計されたものなのだとは思います

ただ、不満なものは不満です。

ただ、ただ、これは調べると2017年刊行小説ということです。

ひょっとしたら、そのときに私が、これを読んでいれば、もっと読後の感触は変わったかもしれません。

この小説テーマ、生きづらい世の中に生きることについて、という問題提起に対して「新しさ」を感じる時代性があればもっと違っていたかもしれません。

あえて、読後に読者にものを考えさせるがための「不満感」なのだろうな、とか。

ただ、現在、同様のテーマに新しさはなく、既知なものとして若干の食傷すら芽生え始めている時代のズレが、この小説意図的未消化感に対するスッキリしない感じを増幅しているのかもしれません。

2026-01-13

「あとで消す」は認めない anond:20260113084852

https://digital.asahi.com/articles/ASTBG22C1TBGUPQJ004M.html

失った構想力と想像力 高市総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?

構成 編集委員高橋純2025年10月15日 6時00分

新しい自民党総裁高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法政治歴史を専門とする3人が語り合った。

バックラッシュを経たうえでの「初の女性総裁

 杉田敦法政教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党連立離脱宣言し、政界は大混乱となっています自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性トップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えますしかし、日本政界では、極端に強硬女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。

 加藤陽子東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身女性トップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年社会委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。

 総裁選出時の「ワーク・ライフバランスを捨てる」発言問題視されましたが、これは軍隊中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性リーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。

 長谷部恭男早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争突っ込み国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本憲法は、企業体国家から広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。

 広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルール策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカ企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます

 杉田 広場個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギー価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本繁栄の道だという程度の想像力しか自民党とその周辺にはなかったということでは。

 今回、公明党から歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野しか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。

 長谷部 石破茂首相スケープゴート贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴート意味があります解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。

 杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまたから、従来の支持層参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金さらに増やせるのか。

 長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識調査を見ると、安倍政権時代2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます

 加藤 安倍さん岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しか高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女言葉定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカ靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本アジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。

一気に加速した外国人排斥的な流れ

 杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。

 加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサス意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任ポピュリズム」にくみした感があります

 長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標価値蒸発してしまっている。先の参院選議席を伸ばした小政党党首人気取りはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲーム面白くて、夢中になっている。しか政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。

 杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党メディア自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法原発などの政策完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党過大評価しているからでしょう。

 加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。

 しかし、政策統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮中国との戦争終結方針めぐり軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造美濃部達吉斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見日本対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益福祉にかなうものと思います

 杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツ哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在のものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年西ドイツワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話無視されたままの、他の罪が気になります

政治とは「可能性の芸術

 長谷部 ④を哲学者ハイデガー言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったか判断は結局、選挙依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書改ざんするし、国会うそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています

 杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツ思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)していますトランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めていますしかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります本来保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。

 加藤 ファイティングポーズを取ること自体否定しませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから

 長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実事実として認めるといったミニマム規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。

 杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能経済政策に加えて、この間の産業学術軍事化の流れが一層強まる心配があります高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関海外とつながりのある団体根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての Permalink | 記事への反応(0) | 08:55

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