はてなキーワード: とどのつまりとは
なんで
原案が浮かんだら するかどうか悩む
やりたいことができた できなかった し終えた
したくないことはハッキリしている
やりたいことってなに なんで生きてるの 人生ってなに
たたみはなんでずっと分子を出し続けるんだ
垂れ目 仕事のロック トイレにいくとき右足からだしてえ お辞儀してえ
肘関節屈曲130度
肩関節90度外転
おれは人間関係に後悔はない
とどのつまり 永続的な損に後悔がある
お金を失いたいのか 失ってなんか買いたいのか
天秤
徳がしたいのか 損がしたいのか
おれがどういう人間か
妹に嫉妬した
損したくなかった 親に妹だけじゃなくて自分にも
なんでやめたかわかんないし
忘れる どういう気持ちの移り変わりだったのか
いま原案が浮かんできた
100円を捨ててスイカバーを買うか
https://anond.hatelabo.jp/20241002005552
一一
このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。
与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。
与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。
「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」
「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」
三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。
与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。
与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。
与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。
万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。
「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。
「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、
一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。
大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。
「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」
「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。
今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。
三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、
「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。
「君、これをどう思う」と言う。
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
与次郎はそれで腕組をした。
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」
与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。
夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。
暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。
通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。
門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。
学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。
この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。
長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、
「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。
「いいや」
「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。
与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。
三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。
三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。
The Truth Behind ‘How Are You?’ (Is it even a question?)
オーストラリアの自閉症当事者が当事者向けに"How are you?"の受け答えについて分析・解説している動画を偶然見た。
曰く、英語の"How are you?"(および"How's it going?"などの類似した表現)には複数の機能がある。
単独で挨拶である場合も、"I'm fine, thanks. And you?" "I'm also fine."と定型的やり取りを交わす社交辞令であることも、本当に相手の状態をたずねていることもある。最後の場合でも、ざっくりした無難な答えしか期待されていないときと、そうでもないときがある。
この切り分けは、相手との関係性や、会話の余裕がどれくらいありそうかといった状況から判断するしかない。
ただ会話はダイナミックなものなので、常に100%相手の期待に応えなくてもいい。おざなりな"I'm fine"が期待されているときに、「それがさあ、ちょっと聞いてよ」と本気の会話に持っていくことも、関係と状況によっては可能。
とどのつまり、俺達は何をすりゃいいんだ?
母親もよく精神を病んでいたからその影響も少なからず受けているゾ
弱者男性であるポッチャマは生を受けた時点でオスとして幸せになれないことが確定しているゾ
この遺伝子で生まれた時点で終身刑ゾ どれだけ足掻いても叫んでも抜け出すことはできないんだゾ
海外の大学を出て今は国の機関で働いているゾ フルマラソンだって走ったことあるんだゾ
でもそういう後天的な努力をしても、遺伝子が変わることはないんだゾ
多少稼いだ金で買春することくらいできるけど、買った女が見ているのはポッチャマではなく万札なんだゾ
一度くらい、「遺伝子を求められている!」と感じられるような体験がしてみたかったゾ
中高生の時点でその悦びを味わってる奴らもいるのにゾ
そもそも遺伝子というシステム自体、倫理性のかけらもないクソシステムだゾ
生命の尊さなんて欺瞞だゾ とどのつまり自己複製機能を持った分子がモゾモゾ動いてるだけゾ
一つ一つの動物個体には意識があるのに、遺伝子システムは個体がいくら苦しもうが知ったことじゃないゾ
ポッチャマが無限の苦しみを味わおうと、遺伝子システムからしたらいち淘汰でしかないんだゾ
子供じゃなくても、何かを教育する側というのは加害性を常にはらんでいるゾ
そういう加害性に無自覚なやつばっかり繁殖するせいで世の中からパワハラはなくならないんだゾ
ポッチャマには夢があるゾ
しばらくこのまま仕事をして、国の中央の動き方というのを観察するゾ
ある程度わかったら離職して、弱者に訴えかけるような教義の宗教団体を作るゾ
規模を拡大して、公明党よろしく国政に口を出せるようにするゾ 機をうかがって海外進出もするゾ
そしたらスパイを使って世界中の対立を煽りまくって、核戦争を起こして核の冬を到来させるゾ
生命全体は無理だったとしても、人類滅亡へのカウントダウンは一秒でも早く進めたいゾ
誰になんと言われようがやるゾ 当たり前だよなあ
身内がスパイウェアやって賢い主婦(激寒)主張してんのマジで恥ずかしい死にたい。
米国でスパイウェア扱いされてる云々知らないにしても、どう考えても怪しいだろ。あのCM見て「あらお得」って思わんだろ。
あのYouTubeとかで流れるクソウザいCMが最近はTVでも流れてる、って聞いてから「まさか」と思って姉にやってないか聞いてみたらビンゴだった。
以前からどこで調べたんだか分からない怪しい通販サイトで偽のブランドバッグ買ってたり、実家に通販会社からカタコト日本語電話が掛かってきたりしてたけど、やっぱりか…。
昔からネットリテラシーが低く、何かネット関連のトラブルがある度に教えろと電話をかけてくる。
以前は怪しい通販サイトから偽のブランド品の買い物をしたりしていた。
以前、「ネットがウィルスに掛かった」と言われてよくよく話を聞くと、広告で出るポップアップを踏んだだけ、ということもあった。
しかし何か起こるたびに教えてもこっちのことをオタク扱いするだけなので最近は辟易している。姉は決して調べるということをしない。
曰く「ネット詳しくてもキモイだけ」 「もっと大事なことが世の中にはたくさんある」んだそうな。(是非知りたいね。)
そんなんでも最近結婚して出産までしたので、流石に落ち着いたかなと思っていた。旦那もいるし。
先日、地元の知り合いの結婚式で帰省した際、姉と話す機会があった。
その中で、何となく心配だったので、「Temuやってないよね?」と聞いてみたところ「え?やってるよ」とアッサリ回答された。
流石に心配になったので、クレジットカードデータなどが不正に利用されたなどセキュリティ的に危ないこと、安物買いの銭失いであることを伝えたところ、ため息をつかれ、怒涛の既婚マウントが始まった。
…etc
※ちなみに姉が言う「個人でできるビジネス」とはとどのつまり転売ヤーの事らしい…。もうこの時点で私は説得を諦めた。呆れ通り越して大分恥ずかしかった。
私と姉が不毛な論争をしていたところ、騒ぎを聞きつけた両親がこれ幸いとばかりに介入してきた。ただし、姉の味方として。
どうやら両親の中では気難しい理屈をこねまわすネガティブ思考な私より、初孫を見せてくれた姉の方がカーストが上らしい。
…クソがよ。
→だろうね。お前のお友達Fラン以下の学歴、出来婚、バツありの低能ばっかだもんねw
→賢い主婦は不要な買い物はしませんwちゃんと必要なものを目利きしますw
→なんでもかんでもクレジット決済して出費管理してないからだろw
→ビジネス(激寒)将来考えてる人は貯金位出来るんだよね普通w
ていうかさ、いつ個人情報流出させるか分からない情弱が身内に居るのに結婚とかできるわけねぇだろw
こんな明らかASD、ADHDの疑いあるようなギリ健の身内と両親、人様に見せられんわww自分もギリ健製造機になるかもとか見られるやんw
クレジット情報抜かれるだけでもどえらいことなのに。将来的に子供作ったりしたときに、家族の個人情報が悪用されて進路ダメにされるとか考えられねぇのかなコイツら。
池沼が育てたガキはどんな育ち方すんのかなw姉のガキとか絶対将来厄介事持ってくるじゃんw
情弱のアホが身内に居るとホンマ大変やわぁw明らかハンディになる血縁切れるように政府はさっさと法整備しろよな。いやその前にスパイウェア野放しにすんなよな。
子どもが大きくなるにつれて家事分担を決めつつ、お互いのフリーな時間を設けて過ごしてきた。
朝子供の準備やご飯、家庭内のゴミ集めだし、仕事後の子どもの風呂、寝かしつけを経てフリータイム、
ただし曜日指定で、万が一子供が夜泣きなどしたら対応する担当を振り分け。
子どもが生まれた時に子づくりに発展するようなスキンシップは一切拒否、産後クライシスってやつだね。
もちろんそういう心象になったりってのは知ったし、尊重したいとは思う。
でもこっちも苦しい悲しいという気持ちを必死に伝えても、自分だってわからないと切り捨て、今は恋人というカテゴライズは消失したね。
今も本当に苦しい、でも変わる気も変える気も起こしてくれなかったキミを嫌いになりたくなかったから、趣味に没頭することで紛らわせてきたよ。
昔はなんでも一緒に行動していて楽しかったね、
昔は一緒に遊んだり過ごしたけど、産後クライシス以降、一緒の空間にいるだけで、
それぞれ好きなことやって、好きなタイミングで寝室一人で行くっていう、夫婦というよりルームシェアしてるような日々になったね。
そしてキミはいつもいつも気に食わないこと、父親とは~、父親はこうあるべき~という正論を盾にして色々文句いうよね。
子どもに対しての叱り方、接し方、時間の使い方、家庭環境の整備、日用品の使い方、全てにすぐルールを設け、まだ慣れずに忘れてしまったりできないと、「理由伝えたよね?理解できないの??大事なことだと思えないの?」と人格否定する勢いで大事にする。
自分の自由な時間に、自分の趣味に没頭することに対して、没頭の仕方、内容にケチつけられて時間制限、睡眠時間をしっかりとるのはもちろん大事だよね、正論だね。
たまに自分の自由時間を少し増やしたいがために、家事の分担を変わってもらう事に対して、ブラック企業に有給を申請するレベルでのお伺いレベルな気遣いとため息と嫌味、それくらいのエゴも許されないの?父親は自分の自由を全部捨てて家庭の中だけに活きるべきってこと?
毎日毎時内容にかかわらず妻の顔色をうかがう日々。
何なら口で手伝ってなど言わず、状況をみて判断しないと「なんで理解できないの?」とののしられる。
子どもにはこうすべき、生活はこうすべきという、そこから少しでも外れたり、提示したことができなかった時に烈火のごとく怒り罵詈雑言を飛ばす嫁。
そんな日々をもはや義務タスクとして淡々とこなすしか心を保てない気がしてるよ。
お風呂のカギをかけ忘れた時、お湯残ってて万が一子供が湯舟に落ちておぼれたらどうするの?その理由も理解してくれてないの?という
そうだね、風呂に鍵かけるって習慣が身につくまで時間かかってしまったね、その間何度も何度も怒られたね。
子どもにはこう伝えるべき、こうしてあげるべき、頭ごなしに否定するのはよくない。
そうだね、ものすごく丁寧に色々なたとえ話とかしながら伝えて理解させようとしているね、子どもが話長くて途中で飽きてたとしても。
すごい云ってること、やってることは立派だと思う、それはキミの理想の母親像なのかもしれない。
でもそれなら子供送り届けてから空いた時間に昼寝したり好きなテレビ見たりする時間があったら、
家の中掃除くらいしておいてもいいんじゃないかな?もう家中毛玉や埃がいっぱいあるよ?
キミの云うことは正論、じゃなくてただの理想の父親像を提唱し続けてるだけだよね。
今となっては、トイレの個室と夜の限られたフリー時間に自分の部屋に籠ってるときしか一息付けていない気がする。
そしていよいよ夜の限られたフリーな時間すらも、やることに干渉し始めてきたね。
異性と交流する機会がありそうだったからかな?浮気でもすると思ったのかな??
すごいね、そこだけとっくの昔に捨てた恋人像を出してくるのはずるくないかな??
ここのところずっと全ての行動に対してSNSでこき下ろしてるよね。
ごめんね、それが一番僕の中で傷ついたよ。
こっちは仕事を必死でこなして、家で愚痴ることもなく、酒もたばこもやらず、本当に少ない時間で溜まったストレスを押し込んで頑張ってる。
キミは金使いが荒いとかない、自分の欲しいものも僕と比べたら全然なくて、お小遣い使う頻度も少ない、もしかしたら僕みたいに没頭する趣味に集中できてたら違ったのかな?
キミの理想像通りの生活をして、好きなことも全部放棄して、妻と子供だけをサポートし家だけのことを考えて行動すれば満足なのかな??
もうキミを抱こうとする気も、だからって浮気する気も一切ない、とにかく自由が欲しいよ。
その自由を求める事ですら、エゴで、普通の父親ならしない、父親らしくない、というのであれば、
いっそ愛想つかしたということで終わりにしませんか??
専業主婦で、子供2人いる中、離婚する場合はそれ相応の慰謝料とか請求してくるんでしょうね。
子どもの前で僕のこと色々こき下ろすもんだから、子供らも僕のことなめてるからね、ママがいいパパは嫌、そうだね、ママがいいよね。
結婚するとき言ったよね、キミが一番そばにいてキミが一番味方になってほしいと。
雑にいえばいつまでもバカップルとまではいかないけど、仲のいい夫婦でいたかったよ。
産後クライシス時に「あぁ、それ無理だったわ、嘘だったわ」ってしれっといった一言、いまだに忘れてないよ。
自分の年収を揚げるために実力をつけていい会社にチャンスがあればどんどん転職していたことも、
「過去のクソ男みたく、簡単に仕事ポンポン変えるんじゃない」って言ってたよね。
キミは社会人経験すくないからわからないだろうけど、何も転職は悪い意味ばかりでするものではないんだよ?
もちろんその会社に対しての不満はあったけど、「ただ仕事がいやになってやめた」とか、その後何も展望もなしにいきなりやめたとか無責任なことも、家庭の収入維持に問題があることもしてないよ??
正直もう僕はキミとはやっていけない、金があればいいだけなら、さっさと手切れ金として離婚してもやぶさかではない。
でも僕のことで不機嫌になって、すべての家事や子供を無視して外に飛び出す癖くらいはやめなよ??
もしかしたら離婚したとしたら、子供らのことも捨てそうだよね、キミ。
あとくされなくって意味なら、いっそ、僕以外で車で買い物に行ったときとかに交通事故にでもあってくれてもいいと思ってるくらいだよ。
もう全てに絶望してる。キミも僕とこうなって後悔とかしてないかい?
そんな奴いないと思うけどね。
ーーーー再追記ーーー
ごめん、いっぱいコメント来るとは思わなくて感極まっちゃった。。
でも俺が一方的に俺被害者目線になるように見えるのもアレだから、ちょっとだけ俺の内容も追記。
子どもできて妻が突然産後クライシスになるまでは、趣味妻ってくらい一直線だった。
妻は母親に即ジョブチェンジして、俺は旦那から父親にジョブチェンジするのが遅いと思われたんだろうね。
そういう意味では俺も怒られることは多々あったと思う、取り決め守れない、習慣んをつい忘れてしまう。
命に係わることは絶対やってということに対する理解はもちろんある、でもつい、、としか言えなかった。
今や趣味のゲームやネットで知り合ったフレンドと遊ぶことだけがとても楽しい。
もちろん夜だけ、昼間は仕事、休日の昼間も寝かしつけるまでは家の事をこなす、淡々と。
いい父親ではないと思う、けど、周りでも自分の趣味の事を俺以上に時間使ってるのも見えてる。
なんで俺だけ??って、エゴを貫けてないんだろうって。
それだけやっても家の事もきっちりやってると見えないところのものを推測してもしょうがないけど。
子どもがかわいそう、父親なら責任取れ、ならなんで?とかもうね、今更。
これから自分殺して淡々とそつなく仮面かぶって過ごすしかないんだろうなって思うと苦痛しかない。
そう、大々的に言ってしまえば自由になりたい。無責任でエゴの塊でごめんね?でも本当に望むのはそれ。
多分このまま続いても絶対傷つけることになるだけだと思うんだよね。
ーーー再追記ーーー
もちろん嫁がこれだけ俺のことを詰めたのも俺が原因。
趣味の時間を何時までっていうのを厳密に守らず過ぎて、都度詰められて。
時間削られ、過ぎて削られ今に至る。
元々は睡眠時間の関連だったからそれなら同じ時間だけ早くから開始できれば留飲は下がったけど、
時間削られたのは俺が約束を守らなかったから、これまで守らなかった奴が何をいっても信用できないし、
最初に削られたときになんでやろうとしなかったのか、あのときの話し合いは意味がなかったし何も伝わらなかったのか、の一点張り。
そりゃあ時間超過はもう少しやりたい、開始時間が遅くなったからとかちょっとくらいなら~という俺の甘えな部分はあったのは間違いないけど、
じゃあその前に約束を守らなかったのは何故?
今のような制限かけられたのはお前が約束守らなかったからだろう?
とどのつまり、今までお前が散々やらかしてきたんだから何を言っても信用できない、そもそもお前が約束違えなかったらこんなことにはなってないんだぞ?お前の責任だぞ?と。
セックスレスになり、もはやパートナーとしては見られず、父親要素しか求められてないにもかかわらず、ゲームで異性とは遊ぶな、異性ばかりに声かけてるんだろ?(そんなことはないが、、比率は女性のが多い)と今更何を云ってるのかと。。
そういう異性絡みに関してだと必ず、それと同じことを私がやったらどう思うの?っていってくる。
それこそレスで浮気したら子供が悲しむというって視点じゃない、完全にパートナー目線。
俺だったら「もちろんヤダよ(愛しているもの)」それしかいえないよね。
そして鬼の首を取ったように、「自分がされて嫌なことをするな!」っていう流れ。。
でも妻は俺の事愛していないはずだろ?だったらレスにもならないし、スキンシップも気持ち悪いなんて言わないでほしかった。
下手気に嫉妬するくらいなら、もっと俺のことを大事にしておいてほしかったよ。
なんだかもう、色々とすれ違ってる気がするんだよね。
必ず今までの失敗を全部掘り起こして並べて、信用できない、どうせできないと思ってるくせに約束というルールを付ける。
そこを必死に我慢して守れてない俺も悪いけど、考えられないんだよね。
こんなに詰め寄られてるこいつは何だろうって、ちゃんとずっと愛してくれていたならそもそも趣味に没頭しまくることもなかった気がする。
セックスだけの話じゃなくて、もっとパートナーとして寄り添っていてほしかった。
先日親戚が亡くなって、その奥さんが棺桶に向かってものすごい泣き崩れて、「ありがとう、最高のパートナーだったよ」って言ってるのを思い出した。
俺がその立場になったら、果たして泣けるんだろうか、嫁がその立場だったら俺に対してなんて言ってくれるんだろうか。
今本当に胸のあたりが重い、虚無感がすごい。
話し合いってほど建設的ではないけど、結論として趣味をやめるか辞めないなら出ていくと言われました。
一番気に食わないのが、趣味を通して異性とやりとりしたり遊ぶのがイヤだとか。
こちら的には性別考えず遊んでくれる人と遊んでただけで、不貞を行う気は一切なし。
私と会話したり同じもの共有だけしていたかった、でも触れてくる、そういうのは気持ち悪い。そもそも触れるだけで気持ち悪い言われパートナーとして否定され続けてきて、友人とのやりとりをみて嫉妬して、そっちでは楽しそうに遊んでるのに我慢ならないと。
最初は確かに一緒に遊んでいた時もあった、でも遊び方の方向性とか好みのジャンル自体がそれて遊ぶ機会もへった。
今は気持ち悪いと否定され、嫁とのモヤモヤも含めて日々の仕事のストレスをゲームで発散するのが唯一になった。
ここに来て異性絡みを加えて唯一の趣味をやめろ、と。
一般論で考えたら嫁をとり、趣味をやめるべき、家庭に影響のない範疇でやるのが趣味。
趣味を押し通す甘え、というのもよくわかる。
昔から嫉妬深いところはあった、異性の友達とSNSで連絡したり、友達だからこその一歩踏み込んだ絡みにも不快だと反応して。
でも望む形がお互いずれてたままだった。
でもそうさせたのはお前が原因でもある。
趣味か嫁か。
嫁はこれまでと変わらず不機嫌に過ごしていくんだろうな、と考えると苦痛でしかない。
愛してくれた時に戻ってくれるわけでも絶対にない、なんなら今回怒らせたことをこの後もずるずる吊し上げる。
別れる場合は専業主婦で無職だから子供は置いていくみたいなことをしれっと言ってる。
子供のこと考えたり、家庭のこと考え、何より嫁さんのこと大事にして趣味をやめるべき、なのはわかるけど、趣味どうこうより、嫁が冷たくて窮屈なのはかわらないのに、それを忘れるべく逃げてた唯一の趣味潰したくないというワガママもある。
たかが、趣味、でもこれ以外何もないから日々のストレス調整できなくなりそう。
一般論で家庭より趣味を取る、結論だけまとめれば聞こえはすごい悪いし、子供いるなら子供のこと考えないみたいのはクソだと思う。
愛した嫁じゃない、実際は俺が原因でそうなったというのも理解してる。
それもお前が嫁を怒らせたからだとも言われるだろう。
でも、なんだと言われてもこれだけは絶対自分が潰れるってわかってる(なんなら嫁も取り上げたら潰れるって理解してる)
それでも趣味を続けたいって思うんだよね、もういっそ解放されたい。
サイコーと答えることにしたが、それがベストな回答というかしっくりくる回答だと未だに思えずにいる。
私は周りよりも比較的早く結婚したお陰で、そんな質問を話のとっかかりとしてされる。
オープン過ぎる質問は罪だなと思いつつ、これに対して、ほぇーと思われるような回答をしらっとしたいがために、一旦ここに自分の考えとか思いとかを書き殴って整理させていただきたい。
この質問する相手は、もちろん未婚の方々である。結婚をすでにしてる人は自分が経験しているわけだから、結婚ってどいうものなのかは、わかっているので質問はしないわけである。
そしてこれは結構自信があるが、結婚した人間はかなりの高確率で拍子抜けすると思う。なぜなら、婚約の紙をだして、氏名が変わる場合は各所のカード手続きを行い、ありとあらゆるところで新しい性を名乗る。言ってしまえば、ただそれだけのことだからだ。
何か新しい能力が備わり、社会から圧倒的に優遇されるわけでもなければ、パートナーと一緒にあるとき時のみ幸福度が20%アップ!とかがあるわけでもない。
そして当たり前のことではあるが、結婚なんて、その人その人によって変わってくるわけで、結婚してみたら相手がものすごく家庭的で、毎日が色鮮やかになることもあるだろうし、高圧的な態度で日々の生活に鬱憤が溜まることもあるだろう。ただ、どうなるかはしてみないとわからない。
質問者も結婚しようかなということを一度でも考えたことがあったから、結婚について質問をしてきているわけで。
とどのつまり、結婚なんてその時点で見えている情報で、相手と一緒にいたいかどうかにかかってくるわけで。やってみて見えてくるものがたくさんあるだろうにと思う。
そんなこと言ってしまったら、相手はほぇ~ともならんだろうし、一番の特効薬は、相手がどう思ってるか、を聞くことなのであるのは重々承知の上で話を進めて行きたい。
その次の段階として、一緒にいたいだけならば、別に結婚しなくても一緒に居れますよね理論への対策が必要になってくる。
そらそうだと返してしまえば、もうそこで試験終了QEDになってしまうので、ここでも会話を楽しむためにも他の言葉を紡ぐ可能性を探っていきたい。
そんな小生意気なことを言っちゃうやつらには、ずっと一緒に居たいと思っているのに、結婚しないのはなぜですかと問いたい。
うまいもんもまずいもんも、怖いことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいことも、一緒に体験してやるよって赤の他人が誓いを立ててやるよって言ってるのを、嬉しいと思わない人間がどこにいますかってはなし。
漫画でいう、僕だけはあなたの味方だからを書面で実現しちゃおうぜ、が結婚なわけよ。
結婚を相手と想像した時に心のそこから力が湧き出てくるような、感覚が生まれないのであれば、そら結婚じゃないかもねと思うわけ。
つまり、結婚ってどうなんですかの回答は、人生の主人公は自分だよって思わせてくれて、生きているということが、いかに感情の揺れ動くものであるかをより色鮮やかにさせてくれるものだよねってことだ。
ああ、じゃあ、端的に言ってサイコーで合ってるのかもしれないな。
これ系の話って結局のところホワイト企業に勤めてないアホの自己責任ってことで済まされるよな
きちんと制度化しない会社が悪い政治が悪いといくら言ったところで、その時その瞬間にそれで悩んでる人にはなんの解決にもなってないわけで
とどのつまり、まだ整備が追いついていない今この時代に転職もせずにそんな劣等企業に勤めてる己自身か悪いという話になる
愚痴ればこの増田よろしく私はそんなことありません勢がわらわらと湧いてきて、こうして平々凡々な私ですら問題なく過ごせてるのにどうしてあなたはそれが出来てないんですか?と無邪気に言うわけだ
出来ている人がいるという事実の表明が、出来てない人の不肖を暗に責め立てているのが、紛れもない今この時の現実だよ
法整備されてその運用が厳格化する未来は訪れるかもしれないが、今この時に悩める人はそれで直接的に救われることはなく、ただひたすらに自己責任を問われることになる
「一方的な愛情を向ける」というのが何を指しているのかというと、まあ端的に「自分と今後一切関わりを持つことがないであろう有名人」とか「2次元のキャラクター」だとか、そのあたりのことだ。
人から愛情を向けられるというのはとにかく恐ろしい。私は、自分というものを正しく認識することができるのは他の誰でもない「自分自身のみである」と思っていて、そこにひとを介入させること、それどころか私を解釈する余地を人に与えること自体がとにかく末恐ろしい行為だと思っている。
近日、「蛙化現象」という言葉があたかもミームのように流行った。流行ったそれ自体は誤用ではあったが、いっとき社会現象にまでなった。
あるとき自分を分析してみたら、単に自己肯定感がすこぶる低いだけという訳ではなく、その自己肯定感の低さの中に同じくらいの「自身の持つ気高さへの陶酔」を抱えていることに気づいた。
これが、適当な意味で使われた時の「蛙化現象」を自身が引き起こすときの根底にあるんだろう。
己のことを、何よりも愚かでおぞましくて汚いゴミみたいな人間だと本気で思っていて、だけどそれと同時に「そんな自分のことを理解し寄り添ってくれるのは自分だけ」だとも思っている。改めて文章に起こしてみるととんでもない自慰行為である。
だから、「自分のいちばん近くで自分を理解し寄り添ってくれる」、所謂恋人のような存在を作ることが怖い。
ここまで話した上で怖い、という言い方を今更しても自己保身でしかないので、言い換えると 「嫌」 なのである。紛れもなく。
だから、「私を瞳に映すことがない」「私の本性に介入することがない」「こちらもあなたを知ったような顔で語るつもりもなければ知るつもりもない」ような存在に陶酔することがいちばん心地よくなる。前述した「一方的な愛情を向ける」ということを長々と噛み砕いてみると、恐らくこんな感じ。
本題。
私は、ひとりの人間のことがすごく好きだ。 仮にAと置く。
特定されることは意図していないので、この記事を書く上で必要な最低限の要素だけ取り出して、尚且つ暈しを加えながらAのことを説明すると、主に言葉を書いているアーティストである。
ただ、私は自分のことをちゃんちゃら性善の擬人化のような人間であると思っていて、そうなるとここで既に矛盾が生じている。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」、凡その人が義務教育中には会得するだろう一般論である。性善の擬人化なので、勿論日頃からこれを踏まえた行いを心がけている、のに。
私は、なんの関わりも無ければ何も知らない他人に、Aに、心底惚れている。
世に出ているAの書いた言葉は辿れる限り辿った。特に好きなフレーズを自分の中に書き留めて、反芻してをひたすら繰り返していた。
そもそも私は頭のいい人が好きなのだが、それだとアバウトすぎるので最近は「素敵な言葉を紡げる人が好き」と形容している。
要は、私はAのことをきわめて頭のいい人間だと思っている。
だから凄く辛い。
「自身の尺度で他人の持つポテンシャルや性格を測る」ことって、きっと凄く馬鹿馬鹿しいことなのに。
なのに、私はAの持つ性格上の性質や口調、趣味、その趣味を持つにあたっての根本の考え方、友達への接し方とファンへの接し方の違い、それを産んでいるであろう根底の考え方、その全てが好きで、そんな自分の盲目さと当人への申し訳なさが、果てしなく苦しい。
Aが紡いでいる「言葉」というものをもう少し詳しく話すと、架空の人物の言葉の代弁だったり、まあカテゴライズするのであれば「詩」だろうな、というものが多数。
ただ、その中に、さながら自伝のようなものがチラホラと存在する。
とどのつまり、どうしてもその言葉を紡ぐに至った、その考え方に至った思考回路やバックグラウンドを空想してしまう。
まあ、ただ考察するくらいなら至って個人の自由だとも思う。ただそれを「Aのことが好きな理由」として自分の中でつらつらと並べている自分自身が恥ずかしくて苦しいのだ。
どの角度から見ても考えすぎである。これを書きながら自分自身でも「素直に好きって言えばいいじゃん」と思っている、が、プライドと自分の性質がそれを許してくれない。
薄々感じている方も居るだろうけれど、これだって「厄介ファン」だ。紛れもなく。
私がAの言葉を好きなことは事実で、それを産んだA自身のことが好きなのも事実だ。
だけど、「自分と関わりのない人に心酔することで得られる心地良さと安心感」を求めている節が、間違いなく存在している。
私は、自分が仮に有名な活動者だとして、自分の全く知らない人が水面下で自分に対してこんな感情を膨らませてつらつらと文章を書き連ねていたら、そりゃまあめちゃくちゃに恐ろしいなと思う。
拗らせ具合に対してもだが、やっぱり「例えその考察が事実であろうと、他人が私の秘めたる感情を時間をかけて推察している事実」に不快感を抱く。
自分を測られることへの不満や知った口を聞かれる不快感、「特定の誰かに宛てた言葉では無い」ということを全面に押し出すような書き方。
そんな書き方をしているのに、分かり易く示してくれているのに、その言葉を自分の中で大事に大事に仕舞っていることが極めて愚かであると感じる。
あくまでも自伝であるのに、その言葉に共感したり感銘を受けている私が。
だけど、好きなのである。どうしても。
人に測られたくないから、きっと私と同じような考え方を持っているAの言葉と性格に惹かれる。
けど、この「きっと」こそが人を測っているに他ならない。
だから、絶対にAに近寄りたくない。 答え合わせをしたくもない。 これはほんとうに仮の話だが、何かの縁でAと知り合いになり、友人になり、推察が上手いこといって、同じような考え方なんだね!なんてことになってしまったら。
私はこんなにも好きなAのことを好きなままでいられるのか、わからない。
乱雑でこんがらがったままだけれど、自分の感情を推察する余地を他人に与えられるようになるまで、きっと今後とも手の届くことの無い誰かにひたむきな好意を向け続けるのだろうなと思う。
最初の方に綴った通り、自身を高尚な人間だと奥底の方で謳っていることがこの現象の原因だと考えられるので、まずはその傲慢さを取り払わないことには私は一生ひとりぼっちである。
「他人に一方的にひたむきな愛情を向ける」ことは、すごく明瞭だ。ただ、そろそろ成長したい。ひとからの好意を受け入れたい。自身の根本を推察されることを拒絶したくない。
とにかく、この半ば依存のような好意をとやかく向ける行いはそのうち卒業する予定だ。
このジレンマから抜け出せて、しがらみが解けきったときに、私が至って健全な「好き」をAに向けることが出来ていたらすごく嬉しいなあ、と思います。
最近家でちゃんとご飯朝ご飯食べるような習慣を付けようと試みているところ第3回朝食は家でちゃんと食べる選手権3回連続3回目の出場ってなぐらいの腕前かしら?
でね、
お気に入りのパンに浸して食べたらおいしいでお馴染みの粉末のコーンポタージュスープってあんじゃない。
あれまあそれ系で有名で思い浮かぶメーカーと言えば?正解は!?
越後製菓!
これは定番で間違いない美味しさの美味さを爆発させるマグカップの中で綺麗に溶けきったらダマになってなくペキカンに溶けて完璧に仕上がったらとても美味しいのよね。
違いは何だろう?って
私のコーンポタージュスープ研究家へと誘われそうな感じだったけど
一瞬で答えが分かったの!
何だと思う?正解は?
越後製菓!
って違う違うそうじゃなくって、
各メーカー1袋当たりの粉の量が違うのよね
どのぐらいの湯量だと思う?正解は?
越後製菓!
ってもーいい加減いいって言われそうだけど
両メーカーとも同じ湯量なの。
そこで私は気付いたの!
クノールが多い粉の量に対して
でも逆に考えたらポッカのその1袋のクノールに比べて何グラムか少ない分、
少ないけれど
ここまで少なくてもコーンポタージュスープとして美味しくいただける限界点がポッカの1袋のコーンポタージュスープの粉末の重さなのよ。
ギリギリまでどこまでコーンポタージュスープの粉を少なくしていけばコーンポタージュスープとしての限界に挑戦しているチャレンジスピリッツを感じずにはいられなかったわ!
私の舌がどれだけコーンポタージュスープを感じられるかの勝負!
単純に量が少ないじゃん!って言いがちだけど
その裏側にはそう言ったプロジェクトエックス的な田口トモロヲさん的な人間がどこまでの薄さまで薄くして粉の量を減らしてもコーンポタージュスープとして感じるかってチャレンジ!
私は認めたいわ!
もちろんいや
決してコーンポタージュスープが濃いくて美味しいのがクノール薄いのがポッカって言っている訳の優劣を付けているわけではなく、
私が言いたいのはコーンポタージュスープを作るときの必要な湯量は同じなのに粉の量が違うって違いを発見したことに驚いたの!
まさに卵が先か鶏が先かじゃないけれど、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先か!って問題じゃない?
でもその両メーカーとも
作り方は粉末をカップに先に入れてからお湯を注いで下さい!手順は一緒のところが
これは各メーカーのコーンポタージュ研究では犯してはいけない作り方の間違いの手順なのかもしれないわ。
両メーカーとも先に粉を入れてね!ってところは合致しているから、
同時多発的に同じ結果の研究結果が発表される世の中の事象ってあるじゃない。
それだと思うの。
卵が先か鶏が先か問題の如く、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先かの問題は早々に結論がすでにもう出ていたのよ。
お湯も熱いけれど!
もうそれだけで泣ける!
ローソンのからあげクンのパッケージの鶏がおまえそれ鶏の肉自分の肉だぞ!ってなってるのに美味しいよ!ってアピールしているイラストが可愛いぐらい泣けるし!
牛さんとか豚さんとかがおまえ出荷される方の立場だぞ!ってなのに美味しいよ!って笑顔でシェフに見立てた帽子を豚さんが被ってフォークとナイフを持っている姿のイラストぐらい同じぐらい泣けるわ!
逆に言うとその豚さんシェフのコックの帽子を被っているのにもかかわらず、
手にはいや前足ではフォークとナイフを持っていてニッコリしているやつ。
奥が深いわ。
あれさー
意外とコーンポタージュスープ道ってのもあったら私!習いたいかも!
そんで流派とかあって
でも使うお湯の量は同量でそこは仲良くやってる!みたいな。
コーンポタージュスープにも茶道とのそれの「わびさび」があるはずよ。
熱くなっちゃったけれど。
いろんな流派のコーンポタージュスープを旅してみたいな!って思ったわ。
正解は越後製菓一つだけじゃないのよ。
一番恐ろしいのは実際に越後製菓がコーンポタージュスープを作ったらそれこそ正解が越後製菓になっちゃうって事実は1つなの!
そして、
ってーかあったけど。
それの真相を突き止めるために、
コーンポタージュスープの粉末をコナンくんが指につけていわゆるペロってした時に、
こ、これは越後製菓のコーンポタージュスープか?って一応はクノールのとかポッカのとかでどれなのかコナン君迷うの。
そんで、
他のキャラクターがコナンくん!一体全体全く正解はどうなの?って問われたら、
コナンくんは絶対「越後製菓!」って言うかはどうか分からないけど、
越後製菓がコーンポタージュスープに参入する参入障壁が低くなければきっとそんなことになると思うわ。
でね、
多分クルトン替りにクルトンが小さくクルトンと同じ大きさに切られたカリカリのいい焦げ目のついた気の利いたナイスな焼き餅が入っているのよ!
クルトンの替わりにお餅って本当にナイスでクールなアイデアじゃない?
それだけ上手にスプーンですくって窓から放り投げ捨てると思うわ。
そう言った意味ではポッカのコーンポタージュスープにはクルトンが入っていない粉末だけなので、
あとお湯にちゃんと全部コーンポタージュスープの粉末が溶けてくれるかも心配だけれど。
三択の女王の竹下景子さんはどれを選択し選ぶかしらね?三択よ三択。
私なら3000円賭けるわ!
でもさ、
何だかスープの色が白いものとかもあってメーカー同じでも流派の違ういろんなものがあって
私の知らないコーンポタージュスープがたくさんあって選択に困るわ。
こう安牌がポッカで決まっちゃうとコーンポタージュスープ大冒険ができなくなって真夏の大冒険とは真逆に、
利きコーンポタージュスープをやっても私は正確に言い当て答えられる自信はないわ。
とにかくすごい自信であることは間違いないのよ。
毎日お安くお手軽に美味しくいただけたら嬉しいポッカねってのが理由なのよ。
私には違いが分からないし。
でも利きコーンポタージュスープやってみると飲み比べてみると違いがあるかもしれないわ。
私はそれも試してみる価値があるわね!って
そして、
次回作を期待させるような
ふふふとそんな何かを目論む悪い女の表情をするのよ。
私はコーンポタージュスープを飲み終えてカップをテーブルに置いてその部屋から出て行ったの。
うふふ。
パンのなんていうのかしら?
丸いフランスパン的なものにハムとタマネギが挟まったタイプのパンでたまに買うんだけど美味しいのよね。
それと例のスープに。
だんだんと日が早くなってきている朝日じゃけん目覚めも無理なく起きれるようになった季節到来ね。
暖房もなくて平気な暖かさ。
食べて出掛けるわ。
洗うのが面倒よね。
急須を使わずにカップ2つで茶漉しだけを使うのとどう違うかと思うけど
やっぱり急須は洗いにくいわ。
そのぐらいの手間を惜しみたいものよね。
春だもん。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私には時間が無いと思い込んでいるだけかも知れないそれなんて不思議の国のアリス?って何か不可解な不思議なことが起こったらアリス!って叫んでおけば
あなたはイナズマのように~ってもうそれは青いイナズマの林田健司さんのSMAPさんが歌っていない方の人が歌っているバージョンの、
そんな私は本も読みたいシーズンの季節が到来中なの!
そんでさー
電子書籍は便利でいろんな本を何冊でも入れても1冊データ1グラム増えるぐらいでそんなに100冊入っていても100グラム増えるだけじゃない?
でも電子書籍出てない本だと、
リアルでフィジカルな本を持ち歩いて街中を歩かなくちゃいけないの。
なんか利口なお嬢さんっぽく見えて可愛くない?って違う違うそうじゃないの!ってマーチンも言いそうなぐらい、
私は本を抱えてお昼休みのランチの時間に日替わり定食冒険家としての活動もしつつ平らげたら本を読むの。
そうよ!
枕元で寝ている時に読める!って思いきや
それも寝る前の悪習慣で良くない理由の一つになっているの。
そして私はゲームに録画したテレビにラジオに本に恋に大忙しの中、
そうよ!
野球選手みたいに寝るのも仕事なの!って言いたいぐらい大谷翔平選手!
あー!
私忘れていたわ。
また確定申告の季節到来!
結局よく複雑極まりない税制度の改革なのかそれなんてインボイス制度って思うほどにそのこともよく分かっていない山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところ。
マジで。
これはちゃんと真面目に取り組まないと日中のパフォーマンスが影響をおよぼす可能性がある真面目さなので、
夜更かし気味が多かった今日この頃、
ちゃんと取り組まなくてはならない第一優先第一安全三大第一のあとひとつは?って思い出せないぐらい大事なことをついつい忘れがちなのよね。
昨日はなので早く早々に寝付けて、
メールチェックとかしていたらついつい他のアプリも開いちゃいまくりまくりすてぃーその悪習慣を断ち切って舘ひろし!タッチしないタブレットを克服したわ。
でも起きたとき頭が痛いの何でだろう何でだろう?ってテツアンドトモの節で歌いたいほどそんな寝起きよ。
1回言いスコアを叩き出すと、
ついつい続けたくなっちゃうんだけど、
睡眠測定デバイスも私はなんとなく睡眠得点より睡眠時間の質のグラフを見る方が納得がいくタチなので、
あれ?良く寝たのに60点!とか
オリンピック競技でもすごい睡眠スコアをだして入賞したい勢いの、
でもリアルに考えて睡眠をオリンピック競技にしたら面白くない?
だれしもプロのアスリート眠リーナになれるじゃん!って今思ったわ。
睡眠時間を質が良くなって総合的に日常のパフォーマンスが上がって
審判も大変じゃない?
ラグビー方式にしてみんな性善説で選手はプレイするってスタイルで審判なしでも
ある意味成立しうるのかもしれないわ。
たまに私の計っている睡眠デバイスでよい記録を叩き出したときは思わずヒーローインタビューを1人で行いたいけれど
良く寝た!って気持ちいいだけで、
競技を真っ当した良いプレイですね!って実感はないと思うのよ。
だからヒーローインタビューされても
はて?よく寝れて良かったです!って
お相撲さんの力士に立ち会いが終わった後直後にまだ息も整ってないままインタビューするあれハアハア言ってるのが臨場感あると思っているかも知れないけれど、
全然力士はしゃべれてなくて頑張るだけです!って言いがちじゃない。
そのぐらいのレヴェルで
ヒーローインタビューはなんて答えたら良いのかしら?って思うわ。
あとさー
チーム全体のスコアを総合得点としてチームで取り組めば皆よく寝れると思うわ。
基本的な競技時間のルール作りに整いを作らないとゲームとして成立しないかも知れないわ!
例えば日の入りから日の出までを競技時間の一応のルールとしてそこで競うって
観客も大変じゃない?
常に無観客試合なのかしら?
そうなるってーと
なかなか睡眠を競技化してオリンピックに出場するのは難しいのかしら?
まあとにかく
昨日の睡眠スコアのグラフはなかなか良かった実感がある私の競技睡眠の個人戦は勝てると思うので、
うふふ。
信じ合える喜びの方!
思いのほかボリュームがある食べ応えがあると思ったけど、
もうちょっとベーコンレタストマトサンドには食べ応えを求めている私が信じ合える喜びを得られなかった感は否めないわ。
でも美味しかったのには信じて良かったと思うの。
朝飲んでも夜飲んでも嬉しいホッツウォーラーの1つとして、
最近全然果物を買っていないことをつい思い出しちゃってしまう。
熱々なのもたまにはいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あと法律ってとどのつまりが解釈次第でその法律が適用されないとするのも解釈なら
首相のような公職に就いている人のことを報道した場合に簡単に名誉毀損罪が成立しては,報道の自由や知る権利が侵害され,報道機関は萎縮してしまいます。
そこで刑法では,首相など公務員について摘示された事実が真実であることの証明があったときは処罰されないと定めています(刑法第230条の2第3項)。
また,判例では,真実であることが証明できなくても,確実な資料や根拠に照らして真実だと信じた場合にも,名誉毀損罪は成立しないとされています(最高裁大法廷昭和44年6月25日判決など)。
ってこの法律や判例が適用されます!(ドーン)とか主張するのもまたひとつの解釈でしかないんだよ?
なんで自分の解釈は完全無欠で必ず尊重しなければならなくて相手の解釈は感想でしかないとかなっちゃうの?
ひとりよがり酷くない?
5年前のクリスマスに書いた文章がブログの下書きに眠っていたので、ここで供養します。
ということで、スタート↓
12月24日、クリスマスイブ。この記事を執筆している今現在、「性の6時間」という時間帯に差し掛かりました。12月24日の午後9時から翌25日の午前3時までの6時間、1年間で人類が最もセックスをする時間帯です。
私は時間を持て余しているので、これから「セックスがいかに変態的で倒錯的か」ということを書いていきたいと思います。
考えてみてください。生殖行為としてのセックスはいいとして、快楽性交というものはとどのつまり、もっぱら快感を味わうために、膣内に陰茎を出したり入れたりして粘膜接触による刺激を味わう行為です。そんなの童貞からしたらド変態の極みです。肛門にペニスバンドを挿入されて快感を味わってる人を変態呼ばわりするのに、膣内に陰茎を出し入れして快感を味わってる人間は変態扱いされないのは何故なのでしょう。
そもそも快楽性交としてのセックスは、生殖行為の動機づけとして神様から与えられた快感というインセンティブを、でかでかと「うす~い」とか「0.01mm」とか書いてある箱をコンビニで買うことによってタダ食いする行為です。身体にゴムを装着するというソフト人体改造まで施し、本来あるべき理を捻じ曲げてまでエロを味わっているなんて、倒錯的と言わざるを得ません。
「ムラムラする→生殖行為としてのセックスをする→人間という種が維持される」という、人類が 30万年前からDNAに刻み続けた種存続のためのシステムをハックし、ノーリスク・ノーコストでエロい快感だけを貪り食う。そんなのもう、性欲の無銭飲食です。
地球上に生物は何万種といますが、生殖としてではなく、快楽のためだけのセックスをする生物は人間以外だとイルカとボノボくらいです。ノアの箱舟では地球上のあらゆる生物をつがいにして舟に載せたわけですが、方舟で他の生物は生殖をして子供を生む中、人間・ボノボ・イルカの御三方だけは、出産を伴わない、純粋にエロだけを求めたセックスをヤりまくるわけです。他の動物や昆虫たちはもうドン引きです。間違いなくド変態扱いされています。箱舟から追放されてもおかしくありません。
この前見たドキュメンタリーでは、人間は子供の数の1000倍セックスをする生き物だと言っていました。基本的に生物は出産1に対してセックス1ですが、人間だけ出産1に対してセックス1000です。ボノボとイルカは知らん。生態系の頂点に君臨し、知性と理性を兼ね備えたはずの人間様は、実は他の野生動物の1000倍セックスしているわけです。快楽のためだけのセックスというものは、童貞視点だけでなく、地球上のあらゆる動物や昆虫から見ても変態的行為なのです。
キスだって変態的ですよ。だって、キスってお互いの舌を絡め舐め合うんですよね? 舌って物を舐めて味わうための器官ですよ。舐めるためのパーツをお互い舐めあい、味を感じる器官をお互い味わうとかもう倒錯的すぎです。鼻で例えると、互いに鼻の穴の匂いをかぎ合っているようなものです。そんなの、ド変態じゃん。
歴史的な街並みが残る地域だと、そこに存在する建物一つひとつにも歴史があり重要視されがちである。
歴史的建造物などの認定を受けているものであれば、所有者の一存だけで取り壊しを判断するのは難しいと思われるが、問題は「歴史はあるが認証を受けていない建物」である。
例え住民が深い思い入れをその建物に持っていたとしても「認証を受けていない」あるいはそういった制度が無い場合、建物や土地は所有者の一存で取り壊しや売却できてしまう。
よく使われなくなった行政施設の利活用として、少子化によって統廃合した小中学校の校舎が挙げられる。
ただテレビ番組で紹介されるような利活用が実際にどこの自治体でも可能かというと実はそうではない。
雨漏りや窓ガラスの破損など、経年劣化を一切放置し、入り口に不審者防止の警備システムを取り付けているだけであれば、利活用などほど遠い状況に置かれる。
人が手入れをしていない建物は、いろんな意味で「腐っていく」のだ。
では、廃校もまともに管理できない自治体に歴史的(な)建造物を管理することができるのだろうか。
4 行政がするべきこととは
維持管理やそれにかかわる財政支援などを期待できない自治体において一番安上がりなのは、その建物の歴史を「認める」という行為である。
言い方を変えれば、「金は出さないが認めてやる。」ということである。