はてなキーワード: マチズモとは
>こういう女は正しい、こういう女は間違ってる」みたいな枠を作りたがる
これはフェミニストではないと思う。
自分からセクシーになりにいく、エロかっこよさを追求すること自体は悪くない。そうでなければマドンナやビヨンセがあんなに女性に支持されることの説明がつかない。
問題は、端から見えるレゲエ、ヒップホップ界隈というのはめちゃくちゃマチズモで男性中心主義で、その文脈でかっこいいというのはどうしても男性中心の枠組みから出られないことだ。子どもならなおのこと、自分が考える「かっこよさ」とは関係なく消費され、搾取される。「自分はそれと戦える」って人はそれでいい、と思うかもしれないが、問題は男性中心のものの見方があたりまえ、いやよいやよも好きのうち、みたいな感覚が正しい世界が続くことにある。精神的にも身体的にも発達途上にある女の子たちにそれを背負わせていいのか?と思うよ。子どもが出演するダンスイベントにでかいカメラ抱えて来るおっさんとか一般的にキモいんだけど、主催者や親や周囲の大人はちゃんと対処してるのかな。
美しさとかかっこよさの基準って社会と切り離すことができないから、その界隈で認められる美しさかっこよさには必ず何らかの文脈がある。それを意識的に乗りこなすか、文脈を少しずつ変えるかで、いわゆる「フェミニスト」は後者なんだと思う。
Xの論客さん達が「リベラルは格差とインフレを見てなかった。だからトランプに負けたんだ」と主張しだしているようだ。
そもそもこの意見も周回遅れな感じが否めないが(前回前々回の選挙で言われてた事だし)、ぶっちゃけこれすらももう聞こえの良い敗北理由であり、リベラルにとってもっと絶望的な敗北理由の可能性から目を背けちゃいないか?
それは、リベラルの推し進めてきた「男女平等」 「移民やLGBTの権利保護」 「人工妊娠中絶の権利」 と言った理念が、選挙結果を左右するレベルで大多数のアメリカ人から拒絶されているという可能性である。 トランプ支持層を見れば、マチズモで、黒人とアジア人の差別主義者で、pro-Life派で、と言った人間が目立つわけだが、実はそういう人たちがリベラルが思うほど過激な少数派というわけでもなく、アメリカ国民の半数が根本的にそういう思想に賛同してるという可能性である。
格差とインフレが原因というのは、リベラル側は上記の絶望的な可能性を受け入れずに済む理由付けだし、トランプ支持者側もそういうことを公言するのを躊躇しない一部の過激派を除き、極めて表に出しやすい理由だ。 「本当は女性や移民を差別したくてしたくて仕方がないからトランプ支持をしたが、公言はできないし、格差とインフレのせいにしておこう」 そういう人達が実はもうとんでもなく多くなってるんじゃないかという気がしてならない。
まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事がドラクエのポリコレから繋がるのはよくわからんので自分は文盲かもしれない。
ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう。
クオータ制についての批判で「本来の評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感しやすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。
それは評価基準自体が差別的な結果を生みやすいものかちゃんと批判しているかということ。
この点において自分の意見として入試の点数評価と選挙の得票数評価はかなり平等な評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席が必要って話では妥当とは思う。あくまで選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的な手続きではないということです。
じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社や職場だと思う。理由は成果で評価する場合、フルタイムの男性労働者が最も有利な属性だから。経営者が労働者を評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。
毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分が管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。
この評価基準に最も合致する属性が健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康な男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理や妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性に押し付けられがちだが特有ではないため)
評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。
構造的に成果物で評価されるビジネスの場はマチズモに支配されやすいのは理解しやすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者が破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。
それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。
評価基準をよりハンディ持ちが不利にならない様にしたりそういった環境を用意するためにはそういった目線が必要だしそういった人たちが評価を作る側にいなければ話にならない。
ビジネスの効率は悪くなるしマッチョだろうが成果を上げるために頑張った人からしたら不満も当然のこと。
とはいえやらないと女性が不利な現状は変わらないと思うね……。
自分の職場でも、ある種のクオータ制で不遇を見た出来る後輩がいたよ。
作業着をきて汗だくの現場営業とスーツで大企業相手の花形法人営業。後輩は実際に抜群の成果を出したけど異動希望出しても通らず、女性営業を増やすためと女性新入社員を取るも現場は力仕事で不利だからと即法人営業。三年目で転職してたよ。誰が悪いわけでもない。強いて言うなら早くそんな会社に変えなかった経営陣が悪いんだろうな……。
まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事がドラクエのポリコレから繋がるのはよくわからんので自分は文盲かもしれない。
ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう。
クオータ制についての批判で「本来の評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感しやすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。
それは評価基準自体が差別的な結果を生みやすいものかちゃんと批判しているかということ。
この点において自分の意見として入試の点数評価と選挙の得票数評価はかなり平等な評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席が必要って話では妥当とは思う。あくまで選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的な手続きではないということです。
じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社や職場だと思う。理由は成果で評価する場合、フルタイムの男性労働者が最も有利な属性だから。経営者が労働者を評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。
毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分が管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。
この評価基準に最も合致する属性が健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康な男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理や妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性に押し付けられがちだが特有ではないため)
評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。
構造的に成果物で評価されるビジネスの場はマチズモに支配されやすいのは理解しやすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者が破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。
それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。
う〜んなんかどれもちょっと違うというか…
強いて言うなら共産主義なのかな?
もっと企業という存在の有害な側面や、企業労働がしばしば人の尊厳を踏みにじることについて、
例えば広告表現にまで踏み込んでプレゼンスを発揮してくれる団体があればいいなと思う。
そういう意味じゃ「今日の仕事は、楽しみですか」広告はもう少し頑張れたと思う。
理論や用語を整備して、問題を問題だと感じられるようにみんなに広めてほしい。
労働中なんてマイクロアグレッションだらけだし。共感の輪を広げて、ちゃんと許されないことだというのを広め伝えたい。
(追記:ごめん、文体がちょっとフランクすぎたので男性に見えるかもだけど女性が書いてます)
大丈夫だよー
ここで女がどうたら男がどうたらぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言ってる時点で
男からはもうとっくに降りられてるよ!
女どもが何言ってもじっと黙って耐えるのが男らしさだって言うんだから。
文句言いたいっしょ?
自分だってつらいんだそうやって責めてくる女なんかみんな死ねって言いたいでしょ?
いいんだよ。
これからは男も女も今自分が突き当たっている生きづらさは一体何が問題なのか?っていうのを正しく言語化できる能力と
どうすればいいのか?っていうことを落ち着いて話し合える能力を身につけていこうぜ。
そんで今気づいたんだけど
そういうことから男の人たちを解き放ってあげられるのは、やっぱり女の人なのかもしれないって思った。
何が問題だと思っているのか、お互いにちゃんと話そう?って言い出せるのは
まあでも多々覚えがあるけど、マチズモの呪いがかかってる男の人からそういう話を聞き出すのは難しい。
何に苦しんでるのか聞かせて?って言ってもマチズモ男性は口をつぐむ
違うんだよ、お互いどうしてもできないことがなぜできないのか
そういう言語化がとても苦手だったから無意識に避けてたのかな?って思うけど
そこをうまく聞き出すようなうまいやり方が
これ、擁護派が「性交は立場の非対称性を排して合意されるべき」というリベラル的な規範に引きずられて「松本はそんな無理矢理はしてない筈なので文春は偏向報道」と主張してる。だがもう無理筋。リベラルの価値観に引きずられてるんだから。更に「ホテルに行った時点で性行は予測できる」とか雑魚な主張。擁護派がすべきは「女は嫌がっても体は欲するもんだ」「多少乱暴なほうが気持ち良いもの」という伝統的マチズモな主張。これをしない時点で逃げてるし負けてる。現代においてこんな主張するのはアタオカに思われるリスクあるが、そういう価値観を主張すべきじゃないかな。今の流れはフェミやリベラル優勢への違和感だろ。