はてなキーワード: 田村とは
金の有無や環境の良し悪しを問わず、優れたオスがいたならばその遺伝子を受け入れたい、子供を産みたいとなるのが女性。
これは「子供が欲しいかどうか」とか「自分が子供が好きかどうか」や「子供を幸せにしてあげられるか」とかそういうものじゃない。
学歴とかキャリアとかそういったものも一切ストッパーにはならない。
「優れたオスの子供を産め」と。
この男性バージョンが「とにかくたくさんのメスに子供を産ませろ」になる。
そこまで言えば、巷でよく聞く「子供欲しい彼氏/夫」と「子供欲しくない彼女/妻」の意味がわかるだろう。
やっとytv漫才新人賞決定戦を見た。どうしても粗品の評価を中心に見てしまったわ
op曲が島爺で先ず笑う。良いチョイス
粗品の評(弛さ無し)が会場を尚の事ヒリつかせる(居るだけでヒリつくのに。談志師匠か)
ぐろうは今ひとつ(去年の方が良かったか。別に昨年の勝者空前メテオ面白いとは思わなかったし。それはまあ好き嫌いの問題…なのか?)
タチマチのネタは見るの二度目だけど笑える。私の中では割り引かれてない
ほんで評価を受けている人間から「自分が思ってたことと一文字もズレてない評価だった」と言われるってのはつまり「自分で分かってる生徒にアドバイスしている」状態か
でも「俺はこういう基準で評価しました」ということなのだろうから正当か
マーメイドの田村が粗品の評を聞く時の顔笑った(しゃらくせえわ感凄すぎる。久馬さんの評を聞く時の顔と比べてみて欲しい)
彗星チークダンスのネタも見るの二度目だけど一度目も古典的だなーと思った程度だったので粗品の割と良い評価が謎
マーティの評のとこで粗品とりんご姐さんに挟まれた久馬さんがヤメテエエエエ!ってなるの笑った
ここんちの審査員は心優しい人達ばかりなので、異分子が混じると肝が冷える笑
フースーヤのネタは霜降り明星のネタと被る部分もあるからシンパシーを感じるのか。ここまで一番の得点
(あっ。一番シンパシー感じてるのザコシだった)
オーパスツーも同じネタだな。予選ROUNDと同程度の笑いの量。落ち着いてるなー。松竹
そして、フースーヤの場合もう有名になり過ぎてる感があるので「ここからだ」という感じは無いな
既に一旦大きく売れたし。その後も続けているという感覚がある。しかも頑なにあのスタイル
それはともかく、粗品の審査員ぷりが前のめり過ぎて…それこそM-1・R-1の方が向いてるだろ。The SECONDやThe Wの審査にはちょっと不向きかな
喫茶店の時計が三時を指す瞬間、ドアのベルが鳴る。彼が傘を振り子のように揺らしながら入ってくる。白いブラウスの裾がデニムの上で波打つ。今日も女装だ。
「遅れました?」
声は意図的に高めている。喉仏が上下するたび、戦時中の暗号文を解読するような気分になる。彼の本名を知らない。お互いに必要のない情報だ。
コーヒーカップの縁に口紅が付く度、高校時代の書道部顧問・田村先生を思い出す。あの先生も朱墨で半紙に俳句を書いていた。「男女の別は紅葉の踏み分け道」。今ならその意味がわかる気がする。
地下鉄のホームで別れる時、彼は必ず逆向きのエスカレーターを使う。上昇する階段を下りながら手を振る姿は、古いSF映画の逆再生シーンのようだ。この関係が永遠にループするのか、それとも──。
昨夜妻が風呂場で歌っていた童謡が耳に残る。「ずいずいずっころばし」。メロディーに乗せて「倫理倫理ずっころばし」と脳内で変換していた自分に気付く。湯船の水面がゆれる。
新宿御苑のベンチに置き忘れたパラソルが心配だ。あの柄は江戸切子の紋様に似ていた。次回会う時までに雨が降らなければよいが。いや、むしろ降って欲しい。濡れた黒髪が彼の頬に張り付く様を見たいから。
これは男同士でも行われてるけどやり方が若干違うから気づかない男も多い
男同士だと綺麗な女の人と結婚したりするとトロフィーワイフと言って自慢できるよね
これは女にもあるよ
女の場合は社会的地位の高い男の人と結婚するとトロフィーハズバンドと言って自慢できる
「こんなすごい男が私の旦那なんだよ!」っていうのが女バージョンだね
医者弁護士上場企業社員とかと結婚するといっぱいマウントできるよ
でも結婚できない女の人が増えてきた最近ではこれが流行るとやめちゃう女の人も多いから制限しようと言う動きもあるよ
その一つが夫婦別姓だね
「田村アンダーソン梨菜」みたいに日本人なのに真ん中にイギリス姓が入ってたりすると名前でマウントできるからね
イギリスみたいに夫婦別姓で名前変える必要ないのにわざわざ変えてマウンティングしている女の人も多いね
女同士だとそう言うの気づいてピキッってすると思うんだけど不思議だねー
最初に気づいたのは、うちの部署の古株である田村さんだった。昼休みにコンビニで弁当を買って戻ってくるなり、「あの子、なんか売ってるよ」と言う。何を売っているのかと訊ねると、「糠漬けらしい」とのことだった。
昼休みが終わる頃、俺も喫煙所の帰りに覗いてみた。給湯室の前で、鈴木がタッパーを手にして立っている。タッパーの中には、瑞々しい緑色のきゅうりが綺麗に並んでいた。「1袋500円です」と書かれた手書きのメモが、デスクの端に置かれている。
正直、意味がわからなかった。新入社員が、自作の漬物を会社で売る。そんな話、聞いたことがない。
「鈴木、それ何?」
「糠漬けです。私、家で漬けてるんですけど、たくさんできるので……」
「それを、売ってるの?」
「はい。無農薬のきゅうりを使っていて、無添加です。市販のものより美味しいと思います」
彼女は営業部の新人で、今年の春に入社したばかり。目立つタイプではなく、普段はおとなしくしている。そんな彼女が、自家製の糠漬けを売り出しているという事実が、どうにも俺の理解を超えていた。
「へえ……売れてるの?」
「ええ、おかげさまで」
信じがたいことに、昼休みが終わる頃には、タッパーの中は空になっていた。
***
翌日、俺は試しに一袋買ってみた。家に帰り、晩酌のつまみにしてみると、これが意外と旨い。浅漬けで、ほどよく塩気が効いている。糠の香ばしさも強すぎず、歯応えもいい。コンビニの漬物とは比べものにならないほど美味かった。
翌週には、彼女の糠漬けは社内でちょっとした評判になっていた。「あの糠漬け、結構いけるぞ」「500円なら、まあありかな」「最近、スーパーの漬物も高いしな」などと話しているのを耳にする。
そう言い出したのは、人事の課長だった。ある日、昼休みが終わる直前に、彼が給湯室の前で鈴木に声をかけているのを見かけた。「ここで個人的な売買をするのは、職場の秩序を乱す行為じゃないか」と、そんな趣旨のことを言っているようだった。
俺は内心ヒヤヒヤしたが、鈴木は意外にも動じなかった。
「社内販売は禁止されていないと認識しています。それに、上司の皆さんも買ってくださっていますし、問題があるようなら正式に許可を取ります」
課長は少し驚いたような顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
***
それからしばらくして、鈴木の糠漬けはさらに進化した。新たに「ニンジン」と「ナス」のバリエーションが加わり、まとめ買い割引まで導入されたのだ。「3袋で1200円」というシステムらしい。俺も試しにニンジンを買ってみたが、これがまた絶妙だった。
「最近、あれがないと寂しいんだよな」
「うちの嫁がハマっちゃってさ、毎週頼まれるんだよ」
と、社内の中年男性陣からも支持を集めていた。もはや彼女の漬物は社内文化の一部になりつつあった。
だが、それは長くは続かなかった。
***
「けど、なんか妙じゃないか?」
俺は気になって鈴木に聞いてみた。「どうして辞めたのか」と。すると、彼女は少し苦笑いしながら言った。
「は?」
「毎週3袋、家まで届けてほしいって言われて。でも、奥さんの要求がどんどんエスカレートして……それで、なんだか怖くなって」
俺は思わず笑いそうになったが、鈴木の顔を見ると、あまり冗談ではなさそうだった。
「それで、販売中止?」
「はい……これ以上、仕事と関係ないことで問題を起こすのも嫌なので」
それ以来、鈴木の糠漬けは社内から姿を消した。しかし、俺の舌は未だにあの味を覚えている。会社帰りにスーパーの漬物を手に取ってみるが、どれも物足りなく感じる。
結局、俺は自分で糠床を買い、漬物を作り始めた。鈴木の糠漬けには及ばないが、それでも、あの味を思い出しながら、今日も俺は糠を混ぜる。
@nipponichi8
家族で姓が異なれば
「おう鈴木、今行く」などと
互いを姓で呼び合うのかな
まわわ
@DTodoku
@nana77rey1
…「レストランの名前書く時に両方の名字書かないとだから、嫌だけど改姓しようっと」
@tamura20230106
※イケメン俳優の田村は、夫婦同姓強制派かつ斎藤元彦支持者かつ暇空茜支持者
@saya_fairyland
@tamura20230106
結婚記念日は夫婦同姓のもと、その姓で予約取るもんなの。だから「記念日」なんだよ。
あなたは既婚者?ならわかるよね、この慣わし。
@nana77rey1
@tamura20230106
いやあの…
Ritter
@Ohcrazyldp
家族の絆とかなんとか言っている割に随分とうっすい絆ですこと
@enomoto48
「代表名で」予約しないで、どうやってレストランに予約入れてますか?
後学の為に教えて戴けませんか?
@m8448922584311
@ticwaHAnpen
代表名で.....レストラン....予約するよね.....???
この人は違うんだろうけど多分大半は代表名だぞ.....。
確かこれが初めて読んだビートニック文学の一つだった。車でアメリカ大陸の各地を巡っては行き当たりばったりの旅をする話で終わりも尻切れトンボ、「なんだこりゃ」とひっくり返りながら読んだ。だが、こいつら一生そのまま放浪するんだろうなという感じがあっていい。ちなみに、これ以降も細部には触れないとはいえネタバレをガンガンかましてくので嫌な人は読まないでほしい。あと、この文章は半ばが自分語りというか、酔っ払いが管を巻いているようなものだと思っていただきたい。そもそもこの感想だってほとんどが曖昧な記憶と印象を頼りに書いているのであり、いたっていい加減なものだ。そもそも、僕は正規の文学教育を受けていない、一介の理系のアラフォーのおっさん、文学少年崩れに過ぎないのである。
ところで、これを薦めてくれた友人は「ブローティガンを読むといい」と教えてくれた。文学サークルで村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の幻想パートをもとにした小説を書いていた僕に、その元ネタの一つだと言って手渡してくれたのが「西瓜糖の日々」だった。妙な世界なんだけれども向こうは完全に常識だと思っている語りがすごく好きだし、こちらの世界に存在する物事がいくつか欠落しているのもなんだかいい。
なお、厳密には池澤夏樹の文学全集ではなく文庫版で読んだのだけれど、訳者が同じだったのでここに記載する。そもそも全部順番に読んだわけじゃないしね。
年端もいかない少女と同棲したり酒を飲んでだらしない生活をしたりするゴーギャンとその祖母の過激派フェミニストの二人を主役に据えたお話。この二人が現実に同じ一族から出ているのがまず面白いのだが、自分が生きたいように生きたというかそういう風にしか生きられなかった点ではよく似ている。型どおりに生きられないのよね。
このゴーギャンの祖母フローラ・トリスタンは、作中ではどこにでも出かけては結婚制度の有害さで一席をぶったり、関係ないときにも社会改革の話をしたり、貴族の子弟が幼い少女の性を慰み者にしたと突然告発したりと、かなりアグレッシブな人のようにも書かれているのだが、当時の人権状況はそれ以上にヤバかったってのは頭の中に入れて置かないといけないし、彼女のキャラは作中の誇張もあるだろう。余談だけど作中で言及されるフーリエの空想的社会主義って輪廻転生や数万年後の未来史を含んでいて結構オカルトっぽいのね。
タイトルがまずかっこいい。
プラハの春・ソ連侵攻前後のチェコを舞台にした四角関係小説なんだけれど、いろんな人の現実に向き合う態度が批評されている。その中で全体主義に埋もれてしまう人間の弱点を指摘しているのだけれども、真摯というよりもどこか軽やかというかシニカルだ。ドイツのことわざにいわく、「一回やっただけではやったことにならない」。しかし、人生は一度きり。さて、それでは本当に生きることってできるのか? 屁理屈のようだが、深刻な問いだ。
時系列が入り組んでいるし、作者がちょくちょく顔を出してスターリンの収容所で死んだ息子とか関係なさそうな話をするもんだからちょっとややこしいんだけれど、浮気者の外科医が政治の嵐で一介の窓ふき職人として暮らしているっていう設定の恋愛劇、面白そうでしょ?
ちょくちょく出てくる作者の言葉、これは政治批判というよりも、人間の弱さや神の不在に対する諦念に近い。でも、例えば美しい理念に酔って自己満足に浸る「キッチュ」な態度をはじめとして、クンデラの作品でうまく言語化されていることは多い。個人的に純文学は基礎研究だと思っていて、みんな知っているけれども名づけていない(しばしば望ましくない)感情に名前を与えることがその役割の一つだ(余談だが、僕は政治的にはかなり左寄りなんだが、リベラルの人が正しさ競争というか、自分がどれだけアンテナと意識が高いかを鼻にかけてしまう瞬間に気づくことがあり、そんなときにたいそう居心地が悪いし、無数の人が実際に正しいかどうか自分の中で検討せずに「価値観をアップデート」していくのがプロパガンダみたいですごく怖い。まず自分の価値観・内面をどうするかは完全に個人の問題なのに、価値観や思想にまで触れてこようとするのが見知らぬ他人のベタベタした手がどこからともなく伸びてくるみたいだし、何も考えずにアップデートした人たちはバックラッシュが起きたときに結局それに流されて、下手すりゃ前よりも悪化してしまうだろう。たぶんリベラリズムが好きでもリベラリストはそうでもないんだ。閑話休題)。
作者の顔が割と見えるというか、虚構が虚構であると割り切っているところがあるのがクンデラのメタフィクション風の長編なのだけれど、芥川龍之介の「煙草と悪魔」を読んで以来、こういう語り口がすごく好きなのだ。そういうわけで、某創作講座でメタフィクションを書いたら「言い訳しながら小説を書くな」「このままでは一生成功はおぼつかない」とボロクソに貶されたことがある。悲しい。
あとは、登場人物が普通にモテるので、そういうのが気に食わない人にはあまりお勧めしない(というか、クンデラの小説のキャラってときおり人生における性的快楽の総量を最大化しようと行動している節がある)。僕がテレビドラマを見ないのもそれが理由だ。自分よりも顔のいい男がモテているのを、労働ですり減って帰って来たあとに見る気にはなれないし、ではモテていなければどうなるかと言えば、自分の不器用な振る舞いを指差して笑っていると感じるのである笑。
それはさておいてクンデラは面白かったので何冊か買ったし、再読もした。
これは読むタイミングがあまりよくなかったなと感じている。というのも、この本を読んでから数年後に、経済的には困っていないか、経済的には困っているのだけれども事態を解決しようとしない自堕落な貴族や金持ちの話を読むのが猛烈に好きになった時期があるのだ。たぶん金に困らない奴がうだうだする話が好きになったのはプルースト「失われた時を求めて」以来だ。「人間は暇になると恋愛遊戯に走るか、虚飾にまみれた儀礼を作るか、格付けや番付を作り始める」という趣旨の磯田道史「殿さまの通信簿」か何かの記述を思い出す。あらすじを調べると、上の感想とはかなり懸け離れてるのだが、読んだ内容と心に残していくものは若干ずれているものだ。
この話は基本的には悪魔が魔術・幻術で社会をひっかきまわすドタバタなのだが、冒頭の首ちょんぱがお好きならハマる。背景のイエス・キリストの実在とか彼の処刑にかかわったピラトの救済とか(を描いた劇中劇)はわからなくてもいい。勢いがすごい。ブルガーコフはこういうドタバタが多い。強烈なのは「犬の心臓」で、これは犬を手術で人間にしたらガラの悪い野郎になって人間の権利を侵害するようになるんだが、これはどう見ても革命に乗じてやりたい放題やっているならず者の風刺である。「運命の卵」は確か放射線かなんかを当てた卵からかえった動物が巨大化して街を襲う怪獣大行進である。
自分は悪魔の話が好きだ。ゲーテ「ファウスト」のように際限なく願いを叶えるのも好きだし、アシモフ「小悪魔アザゼル18の物語」のように、悪魔が契約を忠実に守るが穴があり、うまくいかず皮肉な結果になったりするのも好きだ。こういうアイロニーというか、破滅の運命を避けようとして逆にドツボにハマるのは、ギリシア神話やシェイクスピア「マクベス」なんかでも見られ、好物だ。
昨今の情勢からロシア文学が好きだとは言いづらいのだが、自分はまちがいなくロシア文学に命を救われている。ドストエフスキーの、激重感情で身が今にもはち切れそうな人々や、自分の狂気を強烈な理性で押さえつけてはいるものの今にもバランスを崩してしまいそうな人々の存在が、自分のことを受け入れることのできなかった二十代の自分を救ってくれていた。世界に平和が訪れたら、サンクトペテルブルクを流れる白夜のネヴァ川沿いを歩いてみたい。……とここまで書いて気づいたのだが、ブルガーコフはキーウ出身でゴーゴリと同じくウクライナ文学に分類されるじゃないか! 知識が古いままだとうかつなことが言えない。
残雪「暗夜」はカフカが好きな僕は楽しんだ。基本的に何かが欠落したよくわからない世界で、よくわからない理由で翻弄される人間の話が好きだ。これは偏見だが、共産圏は映画を含めてこういう不条理な作品がひたすらうまい。現実が同じくらい不条理だからかもしれない。それが理由で、共産主義時代の東欧文学や映画にハマった時期がある。当時は自分の周りのあらゆることが不条理に感じられていたのだ。とはいえ、カフカのところでも述べるが、これだけ人が苦しんだということは胸が痛い。当時の僕は自分の悩みと痛みのことしか考えられず、不条理なものを求めて東欧に接近していたのである。
バオ・ニン「戦争の悲しみ」はよくわからなかった。これを読んだのが二十歳を迎えるかどうかの頃で、戦争で傷ついた女性がなぜ相手かまわず性交渉を行うようになるかが作品から読み取れなかった。ただ、自分が文学から女性の性について学ぼうとし始めた遠因かもしれない。なんで文学から学ぶんだよというツッコミはしないでほしい。他に学ぶルートが無かった。だから偏ったサンプルばかりで、ある程度バランスの取れた、ハッピーな性生活を送っている人はどうなのかが全然わからない。だって極端な人じゃないとフィクションにするのって難しいからね。
続く。
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺は最近まで熱心な共産党支持者だった。共産主義の理想を信じていたし、マルクス・エンゲルス式の共産主義の理想を先進国で最初に実現できるのは日本共産党だと思っていた。
多くの馬鹿ウヨ・ネトウヨが勘違いしているが、現在のロシア連邦共和国は全く共産主義でも社会主義でもない。与党はプーチン率いる「統一ロシア」であり、ロシア共産党は野党である。プーチン政権のロシアはむしろ右派権威主義体制であり、全く共産主義と関係はない。
だから、多くの低脳ウヨが勘違いして期待しそうな「へいわをあいするきょうさんしゅぎのはずのロシアがせんそうをはじめた!うわーんそんなはずない!」とかいう話ではないよ。問題はそこではないんだわ。
ロシアがウクライナとの国境に軍隊を集結し始めた頃、これはあくまでもウクライナに対する「圧力」であり、実際に軍事的侵攻はしないだろうと多くの人々は考えていた。もちろん、シリアなど中東の開発途上国に軍事的関与をすることは以前からあった。アメリカもそういう事は以前からやっていた。
しかしウクライナといえば東欧の、つまりヨーロッパの一国である。
そんな国を実際にロシアは侵略しちゃったんだわ。そして一時は首都キーウの目前まで迫り、キーウ近郊のブチャで一般市民に対する虐殺を行なっている。
しかしウクライナはその後、西側諸国から武器弾薬、燃料、戦車、軍用機、各種ミサイルの大量支援を受けてロシア軍を押し返した。
ここで痛感したことは、21世紀の現在でも想定外の被侵略はあり得るということであり、日本においても一定の国防力は必要だという事である。
ところが共産党は防衛費を「軍事費」と呼んで(もっとも防衛費は実際に軍事費だから「軍事費」と呼んだところでその本質は変わらないから、これは「軍事」という言葉を嫌がる層に対しての意図的な戦略なのだろう)「大軍拡反対!大軍拡反対!」と選挙カーや街頭演説で呼びかけ続けた。
そんなことで一般の人々の支持を得られるはずが無い。
この点は社民党も同じだ。欧州の社民党は必要な軍事力は認めているのに、日本の社民党は今だに日本共産党と同様に「大軍拡反対!」みたいな主張をしている。
もちろん俺も本当の「大軍拡」には反対だ。しかしロシアは日本の隣国であり、プーチンがウクライナ侵攻に埒があかずとち狂ったら北海道侵攻とか可能性ゼロじゃないだろう。可能性が低くても万が一に備えるのは地震対策でも同じことだ。
朝鮮民主主義人民共和国はミサイルを日本海に落としたり太平洋に落としたりしている。朝鮮民主主義人民共和国の標的は米帝であるが、同時に朝鮮民主主義人民共和国はその気になれば何時でも日本の東京や大阪や名古屋や、日本海沿岸の原発にミサイルを落とせるということだ。
イージスアショアを秋田と山口に置くのは実は米帝を守るためであったことは既に喝破されているが、我が国を朝鮮民主主義人民共和国から守るためには日本海にイージス艦を複数、交代しながら常駐させておくのが有効である。
そういう現実を理解せずに昔ながらの無防備平和主義に立脚して「大軍拡反対!大軍拡反対!」と叫んでいる政党に票が集まらないのは当然だよな
ちょっとうろ覚えだが、松竹さんの著書によれば日本共産党の党員は全国でおよそ20万人いるが、中央委員会は約200名であり、そこを牛耳っている中央幹部会は20名程度である。
有名な共産党員議員、党首の田村さんのほか、小池さんとかがいる訳だが、結局は20名程度の党幹部が決めた方針や政策を20万人近い党員たちが「赤旗」を通じて学習し、忖度して礼賛するのが日本共産党であり、慣例に反して「党首選挙を行うべき」と主張した松竹さんは袋叩きにあって除名された。
この経緯から推察されるのは、日本共産党もソ連共産党や中国共産党と同じ全体主義・スターリニズムの傾向が濃厚に残っているということである。
マルクス・エンゲルス式の共産主義社会が実現できなそうであることも現代では知れ渡っている。
「共産党宣言」で書かれたような、「個人の自由な発展が、そのまま社会の発展となるような、完全に自由な個人の集まりであるような社会」が実現するならもちろん素晴らしいが、マルクス・エンゲルス式の方法ではそれは実現できないことがもはや明らかとなっている。
エンゲルスは生産手段の社会化によって共産主義社会が実現したなら国家は自然と死滅し、人々は法律がなくとも自然と調和し労働に勤しみ犯罪もなくなるであろうと説いた。
しかし釈迦は紀元前に、人間は煩悩に塗れた存在であることを指摘している。他人より楽をしたい、他人より上の立場になって威張りたい、他人から承認され賞賛されたい、という欲求は修行によって悟りを開かなければ消えないだろう。
凡夫たる人民が修行もせずに煩悩を消し去ることは不可能であり、「生産手段の社会化」によって資本主義が消え去ったとしても、犯罪や不正が無くなることはあり得ず、法律と、それを執行する国家が消えることはあり得ないことは現代の人間にとっては自明である。
マックス・ヴェーバーは「生産手段の社会化」自体が極めて困難であることを指摘しているし、それが単なる「共産主義国家による国有化」であれば結果的に国家により権力が集中するであろうし、そうでない場合でも、生産を管理する団体の官僚に権力が集中し、資本主義よりもより強大な官僚権力による支配が起きるであろうことを既に20世紀初頭に予見していた。
そして現実に、マルクス・エンゲルス式の共産主義を目指した国家は大半は全体主義国家へと変容していった。
日本共産党はいまだにマルクス、エンゲンルス、レーニンに基づいた理想の共産主義国家を目指しているが、それが不可能なことは明白である。そんな政党に投票しようとする人が減っていくのは当然である。
皆さんご存じの通り、れいわ新選組は中核派と呼ばれる一派から生まれた政党、公然活動団体である。
元々の出自が戦前からの日本共産党のやり方に不満…もっと暴力などを含む急進的な革命を望む層が分離し、内ゲバ(≒暴力を伴う内乱)を繰り返した末に残ったのがこの中核派。
なので、同一視されることが多いが、日本共産党とこの中核派は、公明党と共産党ぐらい仲が悪いのである。
そして今回の選挙。なんと共産党が8議席、中核派の公然活動団体れいわ新選組が10議席と、なんと議席で逆転してしまった。
共産党の傀儡委員長田村が、インタビューで何を聞かれてもひたすら「非公認の候補にも2000万円を暴いたのは我が共産党だから過半数割れを引きおこしたから実質勝利」と発言する人口無能botみたいな勝ち組を演じていて滑稽だったが、それよりも、お前中核派にまけてや~んの、やーいやーいばーかばーか、と言う方が響いているのではないかと思われる。
真面目に分析すると、潜在的な極左支持層が支持する可能性がある政党は、社会民主党、日本共産党、れいわ新選組の三つがある。
組織のでかさで言うと日本共産党が圧倒的で、その後社会民主党が細々とあり、れいわ新選組が続く。
政策は似たり寄ったりであると言え、最近はどんどんフェミニスト政策、表現規制推進(不快なものは掲示するな)と言う方向に傾いて言っているのは間違い無いのだが、それでもれいわ新選組はその中で比較的脱臭に成功している・・・逆に言うとまだ知られていないと言う感じがあり、それで潜在的極左の票を取り込んだのではないかと思われる。
さて、振り返って共産党であるが、結局田村が日和って地方組織を抑えきれなかったことと、勝ち戦を想定できず戦略を間違えたと言う事の二つに尽きる。
前回の選挙は大敗したものの、数字を分析すると野党共闘は比較的成果を出していたと言えた。しかし、数字ではなくイメージで責任逃れを図る国民民主玉木らによるスケープゴートにされ、今回は野党共闘路線をとれなかった。
それに対して今回である。
田村も日和ってしまい地方組織を抑えきれず、60台後半の自民党現職に70台のおじいちゃん共産党支部長を候補としてぶつけた結果、若手の立民候補と共に落選とか地獄の様な状況がいくつも見られている。
立民の言う事を聞いていれば良いと言うことではない。これは何かと言うと、今回勝てると思って戦略を立てていなかったという事だ。
勝てると思ってもう少し現実的に選挙戦略を立てて、政策を整えて、マスに切り込める戦略を立てられていたら勝てていた。例えば週休3日制の導入を目指すというのはなかなかに良かったが、その周辺がカスカスでさっぱりだっただろう。労働問題にフォーカスし、労働貴族連合とは別の道を示す事ができていれば、つまり、まっとうに社会主義革命と言う「手段」によって何を得ようとしていたか?と言う所の本懐に立ち戻って、政策を立て直すべきだったのである。
そうすれば、手段目的化の権化であるれいわ新選組に負けることはなかったのではないだろうか。
ということで、共産党はこの敗退を認め、それを名目に早く腐ったジジイ共を切り捨て、何をするべきかやらないといくらやっても中核派に勝てないし、下手すりゃ乗っ取られるという事を認識してほしい。
個人的に目に留まった回答をピックアップしてみました。今回もAFEEに感謝。
引用元:第50回衆議院議員総選挙の候補者に向けて実施した表現の自由についてのアンケート結果
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会にしていく必要があります。そのための自主的な取り組みを促進していく必要があります。
共産党のテンプレ回答。引用は現委員長。ざっくり50人くらいが採用しており、2024年衆院選公約を踏襲した内容です。「子どもポルノ(非実在児童ポルノ)」の法規制には反対する一方で、党公約では国連を引き合いに出していることから、「子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない」には「子どもポルノ」も含むと解釈するのが妥当です。つまり「『子どもポルノ』の法規制には反対するが、それ以外の手段で社会から排除されることを目指す」という立場になります。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由を最大限尊重し、マンガ・アニメ・ゲームなどの内容に行政が過度に干渉しないコンテンツ産業支援を目指すべきである。現行法規の遵守を徹底したい。
維新のテンプレ回答。引用は現代表。10数人が採用。こちらも共産党と同じく、党公約を踏襲しています。設問1-bで「現行法規の遵守徹底」を謳いつつ、設問1-aの回答が「どちらともいえない、答えない」という齟齬が気になります(一応、2名が「法令で規制するべきではない」を選んでいます)が、基本的には現状維持なのかと思われます。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
立憲のテンプレ回答。引用は前代表。10数人が採用。法規制すら否定していないので、共産党以上に規制寄りと言えそうです。
ちなみに立憲の2024年衆院選公約には以下の文言があります。
メディアにおける性・暴力表現について、子ども、女性、高齢者、障がい者をはじめとする人の命と尊厳を守る見地から、人々の心理・行動に与える影響について調査を進めるとともに、情報通信等の技術の進展および普及のスピードに対応した対策を推進します。
設問(1-a):
設問(1-b):
インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能な環境となっている。フィクションとノンフィクションの判断が曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである。
設問(2-a):
設問(1-a):
設問(1-b):
インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能な環境となっている。フィクションとノンフィクションの判断が曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである。
設問(2-a):
テンプレというほど数は多くありませんが、完全に同一な回答のお二人。
設問(1-a):
設問(1-b):
日本のサブカルチャーは海外で高い評価を受けており、クールジャパン戦略で日本のファンが増えれば世界平和に繋がるし外貨獲得にもなる。非実在ポルノと児童の権利を侵害する行為の関連性も明らかになっていない。
争点を理解した規制反対理由だと思ったら、過去山田太郎氏と対談しており、2021年衆院選でも氏が支援している候補者でした。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制
設問(2-b):
設問(3):
好きなアニメ・漫画は「進撃の巨人」、「鬼滅の刃、「スパイファミリー」、「キングダム」、「推しの子」です!みんなの「推しメン政治家」になりますので、推し活よろしくお願いします!^^ 好きなゲームは、「ゼルダの伝説」、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」など、主にRPGが好きです♪仲間と一緒にやる盛り上がるゲームも大好きです!
設問3の回答がやけに軽いので目に留まりました。設問1-aで選んでいるのは「法令で規制すべき」ですが。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由に配慮し、規制のあり方について議論を進めていく必要があると考えています。
設問(2-a):
内容自体は正直虚無で、敢えて取り沙汰するまでもないですが、自民党の派閥領袖クラスが回答しているのは珍しいと思います。無内容なのでスタッフが作成し、最後にOKを出しただけかもしれませんが。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
かつての児童ポルノ禁止法改正反対の旗手が、実にそっけない内容。一方、その枝野幸男氏と国会でやり合い、表現規制派と目されていた葉梨康弘氏もトーンダウン。結果、同じ回答に。
設問(1-a):
設問(1-b):
現行の児童ポルノ禁止法が、保護法益の曖昧な悪法であることは、同法に長けた奥村徹弁護士も指摘するところで、簡潔にして当を得た規制反対理由だと思います。
設問(1-a):
設問(1-b):
実在しないキャラクターであるから芸術ないしは表現形体の一種と考えるべきである。自主規制の組織を作り、そこで規制すべきで、法律による規制には反対。
東京都の青少年健全育成条例(以下都条例)改正の昔から、一貫して規制に反対されていてブレないです。ただ「自主規制の組織」は、個人的には首肯し難いです(CEROを思い浮かべながら)。
設問(1-a):
設問(1-b):
創作表現は実在の人権を直接害さず、その影響も科学的に未立証だ。感情論や印象論のみで規制すれば表現の自由を不当に制限する。送り手・受け手の権利も尊重すべきであり、法による規制は不適切である。
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制
設問(2-b):
これらの規制は、創作や表現の自由を様々な形で制限する可能性がある。法的規制や社会的圧力により、芸術や言論の萎縮を招き、多様な表現を抑制する恐れがある。表現の自由は民主社会の基盤であり、慎重に扱うべき。
表現規制反対派らしく、争点を踏まえた規制反対理由だと思います。ろくな候補者がいない選挙区の在住者からすると贅沢な悩みかもしれませんが、東京1区の投票先は悩ましいですね。
設問(1-a):
設問(1-b):
かつて都知事選に出馬した際、不健全図書指定の基準明確化を謳っており、「語れる」人だと思うのですが、そっけない回答なのが残念。
設問(1-a):
設問(1-b):
表現の自由の範疇で最大限保障される。人権制約原理たる公共の福祉は他人の人権との調整機能である。これらを踏まえると、他人の権利を侵害しない非実在キャラクターの表現に対する規制は最大限抑制的であるべき。
設問(1-a):
設問(1-b):
実在する人物に実害が及ぶという明確なエビデンスが無い段階で、単に過激な性的・暴力的表現を含むことをもって安易に法令で規制をかけることは、憲法が保障する表現の自由を損なうと考えるから。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
憲法が保障する権利である表現の自由は平和や平等と同じくらい重要なものであり、いずれも規制する権力側が嫌悪感や倫理観等の曖昧な基準で規制することは避けるべき
かつて成人向けゲームの販売規制の請願紹介議員となり、表現規制派と目されていた方ですが、数年前から規制反対を公言しています。以前の認識のままの方は、是非この機会に情報のアップデートを。
設問(1-a):
設問(1-b):
児童ポルノ禁止法が所持や提供や製造を禁止しているのは、実在する児童を性暴力・性搾取の被害から守るためです。「何か影響や関係があるかも」という理由で規制の対象を広げるべきではないと考えます。
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制, 政府等が何らかの表現の制約をする時は常に。
設問(2-b):
表現を規制する際は、仮に正しい目的のためにどうしても必要に見えても、どこかに問題が隠れているかもしれないという視点に立ち、その目的と手段が本当に適切かどうか、慎重に確認し続けることが大切だと思います。
外国人参政権関連で右派から批判されていましたが、都条例改正から一貫して、表現規制反対を主張されています。反対理由も明快です。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(1-a):
設問(1-b):
実在しないとはいえ、児童を対象とした過激な性的・暴力等はそもそも適法ではなく、また、当該表現に影響されて犯罪を惹起する可能性があること、等から所持・提供・製造を認める積極的理由がないから。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象にすることを許さない社会にしていく必要があります。そのための議論と合意への自主的な取り組みが重要です。
規制派、規制派、できの悪いテンプレと、この中から選ばないといけない東京20区にお住まいの有権者には同情したくなります。
設問(1-a):
設問(1-b):
マンガ、アニメ、ゲームについても、表現の自由(憲法21条)として保障されるものであり、それを制限るには、他の人権との調整であることが必要と考えられます。非実在児童の場合には被侵害利益がありません。
都条例改正から一貫して表現規制に反対されています。バキを彷彿とさせる脱字を除いては、規制反対理由も模範的で、こういう方を大切にしたいです。
設問(1-a):
設問(1-b):
かつては都条例改正にも児童ポルノ禁止法改正にも反対されていたのですが、こちらはどうも、宗旨替えされたようです。
設問(1-a):
設問(1-b):
様々な性癖を持つ人々が創作物を通じて情欲を解消できる環境を整えることは重要です。これにより、犯罪や被害者を減少させることができるなら、適切なゾーニングのもとで自由を認めるべきです。
古株かつ筋金入りの表現規制反対派。セクシュアリティの尊重を規制反対理由としている唯一の方(見落としていたらすみません)です。
「金融政策の正常化の際には段階的な利上げというプロセスを経ることが適当である」
「基本的には緩和的な金融環境を維持しつつ、極めて緩慢なペースで政策金利を引き上げていく」
https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/data/ko241016a1.pdf
安達 誠司(あだち せいじ、1965年7月4日 - )は、日本のエコノミスト。
2003年、『平成大停滞と昭和恐慌〜プラクティカル経済学入門』(共著:田中秀臣)
2005年、『脱デフレの歴史分析―「政策レジーム」転換でたどる近代日本』により第一回「河上肇賞」を受賞。
2010年、『恐慌脱出―危機克服は歴史に学べ』により第一回「政策分析ネットワーク賞(シンクタンク賞)」を受賞。
2013年、『リフレが日本経済を復活させる』(編著:岩田規久男、浜田宏一、原田泰)
2015年、『世界が日本経済をうらやむ日』(編著:浜田宏一)
2018年、『デフレと戦う――金融政策の有効性 レジーム転換の実証分析』(編著:飯田泰之)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL28HG8_Y0A120C2000000/
政府は28日午前、3月25日に任期満了を迎える日銀の原田泰審議委員の後任に丸三証券の安達誠司氏を充てる人事を国会に提示した。
積極緩和の効果に自信をみせてきた「リフレ派」の代表格の後も、「リフレ派」の安達氏となった。
https://mainichi.jp/articles/20200128/k00/00m/020/296000c
政府は28日、3月25日で任期満了を迎える原田泰・日銀審議委員の後任に、丸三証券経済調査部長の安達誠司氏(54)を充てる人事案を国会に提示した。
安達氏は原田氏同様、金融緩和に積極的な「リフレ派」として知られる。
アベノミクスの柱である日銀の大規模緩和を継続してほしいとの意向を示した形だ。
金融市場調節方針の変更および長期国債買入れの減額計画の決定について
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_2024/k240731a.pdf
日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を、以下のとおりとすることを決定した(賛成7反対2)
賛成:植田委員、氷見野委員、内田委員、安達委員、中川委員、高田委員、田村委員
260~280も打てるのがおるんか・・・
佐藤 23歳 382打席 (333-96) 4HR (.288/.366/.729)
田村 21歳 236打席 (214-60) 5HR (.280/.343/.754)
韮澤 23歳 345打席 (300-78) 2HR (.260/.324/.644)
西川の抜けた穴は最後まで埋まらなかったし、今年も扇風機タイプの外国人助っ人を獲ってやはりほとんど役に立たなかった。
若手野手については、以下が主な若手の成績。
内田20歳 366打席 (340-79) 4HR (.232/.271/.589)
佐藤 23歳 382打席 (333-96) 4HR (.288/.366/.729)
田村 21歳 236打席 (214-60) 5HR (.280/.343/.754)
「あの女は君にほれているのか」
二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。
「よくわからない」
「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」
三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。
「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。
「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」
「知らん」と言った。三四郎は黙っている。
「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。
「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。
三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、
「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。
手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。
二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。
表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。
三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。
「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」
「そう、お遊びに?」
「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」
「いいえ、私も御用なの」
両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。
「どうして御存じ」
三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。
「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」
三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。
二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。
三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。
きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。
「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。
三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。
「そうか」
「うれしいでしょう。うれしくなくって?」
野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。
「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。
「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」
三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。
「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」
「里見さんといっしょに行ったらよかろう」
「御用があるんですって」
「お前も行くのか」
「むろんだわ」
野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、
「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、
「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。
「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。
「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。
「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。
「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。
「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。
「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」
三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。
「ええ」
よし子はまた大きな声を出して笑った。
「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」
三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。
「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。
「よくってよ」と妹が拒絶した。
「よくはないよ」
「よくってよ。知らないわ」
兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。
人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。
下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。
三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。
ソロゲーは話題作を年数本程度やるが、基本はオンライン対戦ゲーばっかりやってる。過去にハマったのはスプラ、スマブラ、VALORANTあたり
たまにDiscordのコミュニティでネットのフレンドと通話しながら遊ぶが、ゲーム界隈は平均年齢が低くプライベートな話題が合わないことが多く、リアルで会うような付き合いには発展してない
近くのボードゲームカフェの社会人サークルで月1~2回程度集まって遊ぶ
いい人ばかりで楽しいけどサークルメンバーが9割男性なのとナンパ厳禁なので結婚にはつながらなさそう
3年前に中型免許取った
基本一人で飯屋巡りすることが多いが、年数回Xやジモティーでメンバー募ってツーリングする(これもほぼ男性のみ)
あんまカスタムとか高級車には興味ないから金のかかり方は知れてるけど、一回くらい大型乗りたいなーとは思ってる
同じチームのファン繋がりでXで仲良くしてる人もいるけどリアルの人間関係にはつながってない
自分の応援するサッカーチームの一次情報を得たいと思ったのがきっかけでもう5年くらいコツコツやってる
年に何回か賞レースの予選とか吉本の劇場に見に行くくらいの感じ
こう書き出してみると平凡どころか低スペ寄りなのに割と甘えたこと言ってんなとは思う
この状況から35歳までに相手を見つけたいのですが、皆さんだったらどのように行動しますか?あるいは潔く諦めるのが妥当でしょうか?忌憚なき意見お願いします