はてなキーワード: マクルーハンとは
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
https://blogs.itmedia.co.jp/doc-consul/2019/05/post_107.html
マクルーハン自身も英文学者でありメディア批評家であって認知学者ではなく、自分で実験をしたものではなくクルーグマンという広告研究者の研究をもとにしています。しかもマクルーハンは1980年に死去しているのでこの主張は40年以上前のものです。
40年以上前の「透過光」型デバイスは、解像度が絶望的に低いTVの他にはマイクロフィルムリーダーや映画のリアプロジェクション型スクリーンぐらいしかありません。これが現代の技術環境にそのまま通用するはずがないので、少なくともマクルーハンを根拠にこの話を語るべきではないのは明らかです。
表示媒体の違いが誤りを探す読みに与える影響(松山麻珠、池内淳)(情報処理学会研究報告2015)
"以上の結果より、「透過光ディスプレイより反射光ディスプレイのほうが作業効率・評価共に高い」という仮説は実証できなかった。"
まだうまく言えないのだけど、WIRED休刊に寄せる編集長の自作自演インタビューについて、やはりどうしても我慢ならないというか、こういう口ぶりがジャーナリズムとか言論の世界をここ30年間停滞させ、オーディエンスをうんざりさせてきたとしか思えず、2017年も末になりまだこんな口調を読まされるなんてとモヤモヤしている。
「機能するということは時代遅れであるということ」とインタビュー中にあるが、本人は雑誌という旧来の言論メディアを重視してた人。だからいきなり紙面だけなくなる訳で。
つまり随分前から自分自身時代遅れになっていたのでは?それに気づいてないのによくこんな長い捨て台詞を吐いて自分未来志向!とか言外にも思ってられるよなあ。
ここは80年代か?と。溢れるホモソーシャリズム感やポストモダン感に吐きそう。
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結局こういう社会学ぽい未来の話は最後はいつも「マクルーハンのいい言葉いくつ知ってるかな大会」みたいになる。それが本当嫌だ。
毎回飽きもせずこの現象もマクルーハンのアレだよね、あの現象もマクルーハンのアレだよねに集約されて終わるし、その言葉知ってる人たちしか巻き込めないというか、結局狭い小部屋のやりとりでしかないというのが伝わるというか。
一度でいいから偉人の言葉を引き合いに出さずに話終わらせてみてほしい。自分の言葉で話してないし、自分の癇癪で定期購読していた読者をいきなり切るみたいになってるのもわけわからない。わかりやすい話し口だと思うしその方が仕事にしやすい(何故なら前にも誰かが考えたことあるから。本当の本当に考え方が新しかったらそもそも旧来メディアでは予算がつかない。)考え方だから口調が古臭いのは仕方ないと思うけど、こういう人って仁義の薄さだけはいまふうなんだよな…。執筆陣にちゃんと仁義切ってるの?大丈夫?
あと編集長としてキャリアの区切りにこの文章が残っていくのって、アリなんですかね?
(↑いま「アリだ、むしろカッコイイ」って思えちゃうセンスのない人達が支配している社会だってわかってて言ったけど…)
そう思うと、結局毎回、言葉をオタクのおもちゃにしてるのが腹立ってる。これは活字ではない。言葉が死んでるよ。
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でもいま恐る恐るネットでの反応を調べたら、ネットではこういう言い方に「キモっ!」て言ってる人も多くてほんとホッとした。
そのことが、まさにこの文中にあるように「読者を侮ってはいけない」ということを皮肉にも証明してると思う。その微妙な差異はマクルーハン様ソクラテス様カント様スティーブ・ジョブズ様孔子様の言葉なんかでは捉え切れない。でもそれでいいんだ。
「蹴鞠おじさん」騒動あたりから勘違いしてるなって感じだったし、
炎上してはてブの信者が手のひら返し始めるのも時間の問題だなと思ってた。
あの騒動の時にヨッピーはマクルーハンっていうメディア論の基礎の基礎も知らないってことがわかったじゃん。
彼は「なんか自分が面白いってことやってそれを面白がってみんながバズればOKっしょ?」というぐらいの考えでやってることが露呈した。
かつWELQのような劣悪キュレーションが簡単に蔓延っちゃう脆さのある今のWEBで、
webライティングを牽引していくかもしれない人物の言動としてあれじゃ拙すぎるんじゃないかと思った。
それ以前に自分や自分と近しい人物が、知らない・理解し難いものを「旧来俄然として変革を妨げる悪」とし、
解ろうと努めることを放棄したり拒絶することを正当化するスタンスに幻滅だった。
そんなヨッピーを「高慢でインテリぶった業界人の鼻を折るヨッピーさん痺れる憧れる〜」と褒めそやす信者たちにも違和感を抱いた。
話は変わるけど、PR記事中心に活動をシフトしてからも自前のブログやツイッターをコンスタントに更新してたでしょあの人。
有名人がああいう個人的なメディア持っちゃうときな臭いトラブルに巻き込まれやすいんだから、
削除するまで出ないにせよ、更新は告知程度に留めておくべきなんだよ。
それが更新やめないどころか、特定の個人を揶揄するようなトーンでブログ論とかそういうのを増やしちゃうんだからさあ。
はてブは信者がたむろってるから確認できなかったけど、僕はここ最近になってアンチも結構増えてきたんじゃないかと感じてたわ。
なんか一人がデカイ声で「貴様は~~~!!だからtogetterで馬鹿に
されるというのだ~~~!!この~~~!」
ともう片方の首を絞めました。
絞められた方は「ぐええぇーー!読解簡単読解簡単!!」と十字を切っていた。
割と絞められているらしく、顔がドンドンピンクになっていった。
渋谷でもう一人、仲間らしい奴が乗り込んできてその二人に声をかけた。
「お!ガ島キッドさんとスケダチさん!マクルーハンについて教えてください!」 「おお!そういう君は****(聞き取れず。何かマッサージぽい名前)ではないか!僕にメディアの話させたら長くなりますよ?」
「蹴鞠!出た!蹴鞠出た!得意技!蹴鞠出た!蹴鞠!これ!蹴鞠出たよ~~!」
俺は限界だと思った。
初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。
広告業界のエラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすくしろよボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやすく説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。
なぜならばこの人達は世代的にも階層(広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴をカジュアルにツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然とツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすくしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます。
どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドでしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手に解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手の曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足を晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。
要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異を認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。
高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんのマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。
なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲームの手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものだからです」。デザインや文章といったアウトプットに対して、属人的価値を付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的な行為です。ちなみに、自分も広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為を自然にこなすので、自分が優越感を搾取し相手に不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります。
もちろん、これらの行為は批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。
また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界をダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます。
蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティをアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点は必要悪のようなものではとも思います。参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います。
ま、とはいえ蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマや優良誤認に加担した広告人からは資格を剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います。
僕個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。
しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネット系ライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的とはいえ職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。
ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミは臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンもしますけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
はてなブックマーク - テクノロジー - ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について - ヨッピーのブログ
マーシャルマクルーハンは「メディアはメッセージである」「人間の拡張」「メディアの法則」といった今日に至るメディア論の基礎となる理論を提唱した批評家、そして英文学者である。
彼の著作である「人間拡張の原理」「メディアの法則」は、ヴァルターベンヤミンの「複製技術時代の芸術」やウォルターリップマンの「世論」とならぶメディア論の重要文献であり、彼らはメディア研究に関する学部に所属する学生がまず初めに名前を拝見することとなる人物である。
知らずにメディアを語るのは恥ずかしいが知っていても決して自慢にはならない、マクルーハンはそんな存在である。
メディアというと僕らはついマスメディアを連想してしまうが、ここでいうメディアは「媒体」である。
マクルーハンのメディア論は媒体、つまり直接関係のない複数の事物を繋いで作用させるもの全般に関する論理なのだ。
それまでメディアは運送用ダンボールのようなものでそれ自体に意味はないとされていた。
メディアという容れ物に収められた内容にばかり注目していたのである。
しかしマクルーハンはメディアそのものから人は情報を読み取ることを指摘した。
中に入っているものが同じでもAmazonのダンボールかみかん箱かで印象が変わるように、
同じメッセージでも発信元が違えば意味合いが変わってきたりするということだ。
ざっくりいうと人間の五感や認知や運動の能力がメディアの力によって拡張されるということ。
例えば新幹線という交通媒体を使えば3時間半で東京から大阪まで移動できるし、
こうしてwebや増田を使えば駄文をとてつもない数の人々に晒すことができる。
それもこれも生身の人間だけでは不可能なことであり、メディアによって拡張されているからこそ為せる技なのだ。
しかし拡張をすれば元々使っていた身体機能が活動に関与する度合いが低くなり終いには身体機能を切断(抑圧)つまり麻痺させてしまうという所までがマクルーハンの持論。
拡充
そのメディアは、社会や人間の生活のどの側面を促進したり拡充するのか。
衰退
そのメディアの出現前に支持されていた(あるいは傑出していた)どの側面をかげらしたり衰退させたりするのか。
回復
そのメディアは何を衰退の影から回復させたり再び脚光を当てたりするのか。
逆転
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
老害高広とか自称ジャーナリスト気取りの藤代とか老害レベルがドヤってるけど、はっきり言って彼らは終わってる人間。
玉川っつーじいさんに至ってはまったく無名、あんた誰状態。老害がガタガタ言ってんなって感じ。
あ、ちなみに自分はJIAA加盟社の人間で広告PF関係者だけど、あのハンドブックが読みにくい文章なのは事実だろ。
あと現役のWeb広告屋でマクルーハンがーとかいう馬鹿はいない。この業界長い方だけど、正直聞いたことねーし。
保身のためなのか既得権を守りたいのか知らんけど、古いってだけで上から目線で語る老害は消えろ。
「広告・マーケティング業界って、どんどんレベルが低くなってきてる感じがするわ。」
って高広が言ってるけど、正直お前には言われたく無えよ。
いまどきのデザイン業界って知識も教養も基本デッサン力もなくて、
「コミュ力」で適当なことやって売れたらOKみたいなイメージある。
オリンピックのエンブレムとか、どうみても、墓標であり、落日であって、
昂揚感とか平和と繁栄とか飽くなき挑戦とか祝祭とかそんなイメージないよね。
佐野氏だけじゃなくて、
他の有名若手デザイナーの皆様の作品で立ち止まってにやにやする、みたいな
文原聡の低燃費少女とか醜悪だったし、佐藤可士和のウイダーinゼリーなんかもやっつけ感
半端なかった。
ここ20年位の悲劇は、デザインを裏打ちする哲学や大きな流れが貧困になっていることで、
愚民から100円ずつ携帯で掠め取るとか他人の作ったコンテンツを劣化再編して
アフィリエイト広告貼って楽して金儲けしたものが勝ちとか、そんな流れになっているなぁと思う。
安い仕事は下っ端にやらせてネットから切り貼りしてくていかに手をかけないかライフハックだ!
みたいな。
以前モダンだ、モジュールだ、システムだ、実存だ、ポストモダンだ、脱構築だ、ホリスティックだ、オーガニックだ、複雑系だ、
って言ってたのが
今はコミュ力だ、ネット拡散だ、みたいな安いものに劣化してる。
マクルーハンは、中世を合理化した近代はプリント・カルチャー(印刷文化)に集約された、と言っています。とにかく何でも印刷して分類して読み込まないと理解できない。中世の写本の時代には、その人特有の書き癖もあるし読み上げる声の力、聴き取る力が必要だった。そうした声による情報伝達が印刷文化に置き換わることで近代国家が生まれた。だが、近代になって一度は捨てられた中世的なものが、電子時代になると復活する、というのです。ポスト近代になれば、国家による中央集権はフラットな情報社会に置き換わり、国家が中心なのではなく個人が中心になる。天動説とガリレオ・ガリレイの地動説は再びひっくり返るのかもしれないし、例えば「ナルニア国物語」なんて、まさにそういう中世の世界観の復活のように読めなくもない。
http://anond.hatelabo.jp/20100807223223を書いた増田です。
書いてた時は、2、3人から「意味がわからない」といわれてオシマイだろうな、と思っていましたが、「ムチャクチャ」「浅い」「リア充死ね」などと、意外と反響があって、驚いています。
とっちらかっているのは、忙しくて時間が無くて上手くまとめられなかったから、ではなくて、夜になっても室温が30度以下にならなくて「もう嫌になった。テキトーに結論書いて終わらせよう」と思ったから、でもなくて、私の頭が悪いからです。いま読み返してみると、私が書いたものは、文章というより、メモを何も考えずに繋げたようなもの、ですね。というか、そんなに真に受けられても困る。釣った記憶も無いし。でも、それなのに、はてブを読んでいたら、私がなにを疑問としているかが、わかっている人がいるようで、凄いですね。エスパー?
補足はしません。議論もしません。保障もしません。そんなたいそうな物ではありません。以下、たらたらっと書いて、出直してきます。
・ドラえもんも鉄腕アトムも、会話で人間と意思の疎通ができるでしょ? そういうロボットは、殺りにくいんですよ。To Heartに出てきた、マルチもそう。もっとも、To Heartの主人公は、マルチを殺りはしなかったけど、犯りはしましたが(下品で失礼)。
・他者を殺してまで成し遂げたい事とは何か。他者を殺して何かを成し遂げる事とは、どういうことなのか。作り手のそれと、観客のそれの、ずれとは何か。私たちの社会では、人を殺してはいけないとことになっているけれど、ある条件をクリアすると、何故「可」になるのか。そういえば、「ヱヴァ破」でゲンドウも、そんな事をいっていたような、いないような。
・この名を出すと「古い!」といわれそうですが、M・マクルーハンと共同研究をしているE・カーペンターが、こういっています。
<<私たちがテレビを見るのではない。テレビが私たちを見るのである。テレビが私たちを案内するのである。新聞と雑誌はもはや「情報」を伝えないで、ものごとを見る方法を教えてくれる。雑誌、新聞はリアリズムをあまりにも容易なものとして放棄してしまった。雑誌、新聞はリアリズムの代わりになっている。ライフ誌全部が広告である。その記事は感情とアイディアを包装し売りこむ。広告主が金を払った広告が商品を売り込むように。
気が付けば、テレビが一家に一台から、ひとり一台でもおかしくない、そんな時代になりました。携帯電話でも、ネットにつながるように、なりました。私たちは、もう学校や親から、何かを学ぶという事が、できなくなりつつあります。親も、どうしても子供に伝えなければならない事が、減っています。どうしても子供に伝えなければならない物は、メディアが教えてくれます。ネットで検索して、検索結果を教えるだけ、という親が、これからますます増えていくでしょう。
アニメの場合、純粋な神話や民話でなくて、広告代理店やスポンサーも関係する、人造神話というようなもの、なのかもしれませんが、それが我々に何を教えるのか、教えてきたのか。どこへ導くのか。楽しくもあり、恐ろしくもあります。
・ロボットアニメというものは、スポンサーの都合とはいえ、かなり強引な作りをしています。(この例えを出したら、また色々いわれそうですが)「巨大人型ロボットが兵器」とか、ちょっと考えたら、いや考えなくても、おかしい、ありえない。おまけに主人公が10代で、ろくに訓練もしないうちから操縦できる。でも、そういうものの根っこにあるのは、作り手と観客の願望だと思のです。「こんな事があったらいいな」「あんな人がいたらいいのに」そういう事にリアリティをもたせようと、喜んでもらおうと、今まで延々やってきて、増築と改造を重ねて、なんだか訳がわからなくなって、ついには現在下火になりました。
ってkawangoが言ってたけど、同感。
別に昔から高くねぇよと言われればそれまでだが、これは新規参入者が増えたからってのが大きいんだろう。
あるいは2chのまとめサイトのためのクリップ代わりに使い始めたような奴。
大抵ひでぇなと思うコメントのアイコンはデフォルトのあの青いシャツに顔がついてる奴。
写真が登録されてれば自分の中でキャラ付けが出来て、こいつなんか変な奴なんだろうなで終わりだが
デフォルトのままだと、あの匿名性が強調されてひどいコメントがより目立つ。
どんどん2ch化していっている感じ、というかまんま2chのコメントが目に付く。
マクルーハン的に言えば、はてブってのはある記事に対してメタ化して感想を述べる構造になっていて、それが言論自体のスタイルも指し示していた。
ある意味ではメタ的に一段高見に立って物事を見るスタイル、一方では単に自分では高見に立ってるつもりになってるだけのスタイル。
こういうのに惹かれてるような人たちが多かったのが、今は単にベタな奴が余計に目立つ。
Twitterだとこういう奴らは観測対象に入らないしTwitterの方がおもしろいから、はてブは単に観測対象として扱われるようになった。
Twitterが面白がられている要素の中にはてブが持っていたものも幾つかあるように思えるが、Twitterの方が自由度が圧倒的に高い。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。