はてなキーワード: 自伝とは
川崎順平氏は、とにかく人を楽しませようとする意識(ギャグも個人的にツボ)と謙虚さや他者に対する配慮はすげぇってなるが、
大学とアルバイトで燻ってた時と親になんたらのエピソードは共感できないっていうか人生のスタート値が高い人はこれだから・・・ってなる
まぁ氏の意識の高さ(人を楽しませようとする意識と謙虚さや他者に対する配慮)でワイの中では共感/肯定できないエピは無かったことにできる
明智抄氏/江川達也氏は好きな作家だけどエッセイは読みたくない
ジュリアン・ムーア(64)がおよそ20年前に発表した児童書が、トランプ政権により発禁処分となったという。『フレックルフェイス・ストロベリー』が国防総省の運営する学校で禁止となったことに、ジュリアンは驚きを表している。
自身も国防総省下の学校出身で、ベトナム戦争も経験した軍人の父を持つジュリアンはインスタグラムにこう綴っている。「私の処女作『フレックルフェイス・ストロベリー』が、トランプ政権によって国防総省の運営する学校で禁止とされたことに大きなショックを受けています。『フレックルフェイス・ストロベリー』は、自分のそばかすが大嫌いで仕方のない7歳の少女が、人はそれぞれ違うのだということに気づき、受け入れていく姿を描いた半自伝的物語です」「これは誰もが苦しむことはあるけど、人間性とコミュニティによって結束しているということを私の子供や他の子供たちに思い出してもらうために書いた本です」「私は当時国防省が運営していたドイツのフランクフルトにあるフランクフルト・アメリカン・ハイスクールの誇り高き卒業者なので、今回のことになおさら驚いています。私はベトナム戦争を経験し、米軍にずっと従事していた父の元育ちました。父と母国への父の貢献はこれ以上ないほどに誇りに思っています」「軍人の親の元で育って国防省の学校に通う私のような子供たちが、同じような経験をした人物による著作を手にすることが許されないということはとても悔しいことです」
これまで多くの作品をはてな匿名ダイアリーに投稿してきました。
今回、このようなまとめ記事を書こうと思ったのは、よい区切りだと思ったからです。
例えば、学校というのは、概ね三年程度で卒業するのが一般的です。
私も投稿開始から約四年が経った頃、2023年の秋頃からでしょうか。ある程度のまとめを綴ってみたいと思い立ちました。が、会社員生活や副業で忙しく、時間が取れませんでした。
まとめを綴るよりも、思いついた作品を書いてみたいという本能の方が強く、書けずじまいでした。
読まれる人にとっても、到底読み切れない量であるのも悩みの種でした。
この度は、日常生活の区切りとなる出来事が間近に控えていること、今回を逃したらいい時期がさらに遠のいていくこと、皆さまにとっても時間が取りやすい年末年始ということで、いわゆる増田作品のまとめを寄稿します。
1. 作者(私)にとって"思い入れのある"作品とする。ブクマやコメント数は関係なし
3. 投稿本数は、計48本+α
4. 作品紹介文は、概ね600字以内とする
作品紹介に入る直前に、今回のまとめの一番最初のきっかけです。
【ロマンシング サ・ガ2】のsteam版です(リベンジオブザセブン)。
ここに始まるは、遥かなる戦いの詩。偉大な帝国と麗しきアバロンの詩。
そして、代々の皇帝とその仲間達の詩。
この詩をうたい終えられるよう、精霊よ、我に力を与えよ!
元々はスーファミソフト(1993)です。今年10月にリメイク。
序盤をプレイしていたところ、私にとっての『詩』と、詩人の言う『精霊』が何なのかを考えることがありました。今しか機会はないだろう、と決心しました。
作成は12月に入ってからです。年末投稿に間に合うように大急ぎで作りました。
至らない点は多々あります。飛ばし飛ばしでも、興味のある方はお読みいただけると幸いです。
(以下本文です)
なぜ、はてな匿名ダイアリー(以下「増田」とする。)に投稿しようとしたのか。
私がまだ二十代の若かりし頃、その同僚の女性が苦しんでいました。
同じ部署であり、間近で見ていたのですが、何もできませんでした。結果は悲惨でした。
その頃の後悔を、どうしても文字にして表現したい思いがありました。
結局、その子は社会人三年目で辞めました。本人にとってはよい選択だったと信じています。
でも、あの子が不幸な目に遭うのを目の当たりにして、私にも実はできたことがあって、あの子には別の道もあったのではないか、と小太りの下級管理職(ロワーマネジメント)おじさんになった今でも夢に見るのです。
この作品以外にも、彼女がモデルになっているものがいくつかあります。
この頃は精神が病んでおり、精神病質的な日記を書くことがありました。
こちらはその一つです。
私の日記のスタイルとして、実在の人物について、この目で直接見た言動を記述するというのがあります。
今回、まとめた作品のうち、他者を題材としたものはすべてそうです。
稀に完全創作もありますが、基本はノンフィクションです。私自身がその人に成り代わって書く、というやり方――私が幽霊になって、その人に乗り移って日記を書いてるイメージです。
この手法を、私は勝手にゴーストライド(Ghost Ride)と呼んでいます。
さて、この日記について。私が二十代後半の頃、京都市内にある役場に勤めていました。中途採用。
最初に配属されたのは府税事務所です。新卒世代の子と一緒に税務の仕事をしていました。
其処には善き人もいれば、反対にそうでない人もいました。
この日記で取り上げたのは、公務員人生で最初の先輩です。年は離れていましたが、公的なメンターとして指導をいただきました。
若い頃に市町村役場に採用されたのが公務員人生のスタートらしいです。公務職場で現場の仕事をしてきた経験が、その後の事務職としての府税徴収の仕事に反映されてました。
一方、はっちゃけた性格の方で、何度か処分歴があったのも事実です。彼自身から、飲み屋で何度も処分を受けた時の思い出を聞きました。本人いはく、信念に基づいた結果としての処分は……勲章らしいです笑
私が民間企業に居た頃は、公務員というのはキレイにまとまった方ばかりだと思っていました。
この先輩のことは、今でも思い出すことがあります。
こちらは、コロナウイルスが流行り始めた時期に、もし私がまだ地方公務員で、あの仕事をしていたとしたら……? という想定で書きました。
かつて、新型プリウスが流行った折に、国民全員に定額給付金10万円がもらえることがあったと思います。今から四年前とは信じられません。もっと最近だった気がします。
すでに公務員を辞めて民間に転職していた私ですが、交付事務が「失敗する」ことを予想していました。
というのも、このレベルの事務というのはエクセルなどではなく、それ専用のシステムで管理しています。
経験上、システムの運用においては、申請手順のわかりやすさとか、申請用紙の書きやすさとか、そういう点が不十分です。住民や企業の登録情報が誤っていることすらあります。
交付事務で多くの失敗が出た地方自治体というのは、国が推奨するシステムを使い、電子申請をするやり方をメインに採っていました。
旧来通りの紙申請を推していた地方自治体は、まだキズが小さかった記憶があります。
民間企業でも公務職場でも、いくら上が推奨するからといって、何が正しいか考える姿勢を忘れてはいけません。
こちらに出てくるのは、私が公務員を辞めた後、次の転職先企業で出会った『すごくモテる男性』です。
彼を主人公に据えた増田作品は、これ以外に少なくとも三点あります。それくらい特徴的な人でした。
彼は、私の数コ上の先輩でした。同じ職場の。あまり喋らないキャラでしたが、必要な場面では冗舌でした。
普段は寡黙なのですが、いざ喋り始めてみると、超然としつつもクールキャラで、堂々としているのですが……自分の話にすら興味がないのが伝わってきます。
ところで、見た目のよい方でした。藤木直人や福山雅治、山崎賢人、中村倫也、その他ジャニーズの有名どころと肩を並べても……見劣りはしないでしょう。見劣りしたとしても、ほんの僅かです。
同じ会社の事務員♀の方々からも人気でした。しかし、そっち方面の噂は聞きません。
この人と一緒に仕事をしているうち、実は猫を飼っていることがわかりました。
本人は「チンチラも飼ってみたい。山を歩いてるけど、野生のチンチラ見つからないよ」と、同じ車内で冗談を言ってました。
今では職場が離れましたが、まだ同じ会社に勤めています。未だに結婚はしていないようです。飲み会を利用して女子社員を紹介したこともあるのですが、あまり興味なしでした笑
この頃は、精神的に不安定な症状が落ち着いていました。今もなんとか。
私には子どもの時の引っ越しの関係で、地元と呼べる市区町村が複数あります。そのうちひとつが広島県福山市でした。
祖父は新卒から定年まで福山市役所で勤め上げた人間で、まさにチャキチャキの地方公務員です。
私が高校生の頃、祖父が住んでいる田舎の一軒家で、夜に食卓でくつろいでいました。すると、隣にいた祖父がいつの間にか酔っぱらっていました。管を巻くというやつです。私の実父が諫めている様子でした。
「福山はのう、採用試験を受けに来た人間をのう、個人情報をひとりひとり調べとったんよ。生まれた場所も育ちも。そのほかも。それで合否を決めとったんよ。それを、それを松永の分をのう、わしにやらせとったんよ」
「悔しかったのう。悔しいよお。なんでそぎゃあなことを、せないかんのんじゃ」
「でも上からの命令じゃけのお。当時のワシはのう、さからえんかったんよ。情けないんじゃ!! 殺してくれ」
こんな具合のことを、お酒に酔って管を巻きながら、ずっと喋っていました。
当時の私はそれを聞いていて、可哀想とか、情けないとか、みっともないとか、そういう気持ちになりました。
社会的によくない行為でも、組織の中では是となっていることがあります。ましてやそれをやりたくなかったのであれば、相当無念だったと思うのです。
その本の中で、創作でやってはいけないことがいくつか挙げられていました。
実社会のコンテンツについて、政治思想アピールとか、人権軽視とか、人間同士が傷つけあうとか、そういう方向性は受けないのだと私は認識しました。
「あ~、だから近年のプリキュア(※2019前後を意識)はネットの意見が割れているのか」と実感した記憶があります。
自分がこれまで観てきた、読んできたコンテンツで、そういった『精神的に不健康な』作品群について考察してみたいと考えて日記を書きました。マズローの『完全なる経営』を底本としています。
Twitterで、公務員試験の面接に受からなかった人が歎いていました。
公務員試験関係のネット掲示板でも、どうしても面接に受からない人がボヤキを続けています。
官民問わず、面接試験で見られていることは同じです。ありていに言うと、
「私たちの仲間になれそうか?」
ということです。自分を正直に出して、そのうえで不採用だったのであれば、お互いにwinwinということです。
しかし、どうしても入りたい組織があるなら、重点対策をするのもその人にとって大事なことです。そんな人に向けて、公務員試験の面接で重視されていることを述べました。
「構造化面接」や「試験全体の標準化」というのが長年続くトレンドのひとつです。
地方公務員試験の面接官というのは、皆素人です。一次面接だと、各部署の責任者クラスが選ばれて実施しますが、何年も面接官をやっている人は稀です。
そこで素人感をカバーするため、彼らは専門のコンサルから研修を受けます。受験者を公平・中立・平等に選考するコツを会得するために。
ということは、採点表が概ねどんなものかを知っていれば、対策は可能ということです。
「この程度のことで悩む必要はないと思う。悩んでいる人がいるなら救いたい」という思いがあって、日記をしたためました。
私が通っていた大学の同期で、任天堂株式会社の内定を取った人がいました。
彼は、特別な何かを持っているタイプではありませんでした。本当に普通の子でした。
しいて言えば、大学1回生の頃から熱中していることがありました。音楽イベントサークルの運営だったはずです。
それだけでなく、ニガテな教科やゼミ活動があったとしても、ひるまずに、毎日シコシコと学びを続けて試練を突破するような、そういうタイプの人でした。
社会人になって約二十年が経ちますが、今では地道に努力ができる人が会社員に一番向いているのだと理解できます。
その人は、任天堂を途中で退職したのですが、今は自分にとって健やかに過ごせる環境で働いています(はず)。最後に会ったのは五年以上前になりますが、幸せであることを祈っています。
当時、おたまじゃくしの人が私の日記をよくブックマークしていました。ほかの常連さんは少なめでした。
今回の増田まとめですが、Meryというテキストエディタに打ち込み始めるまでに、対象期間の日記をまとめ読みしました。コメントもすべてです。実時間で24時間以上使いました。
その中で、ブクマコメントをいただいた方々に、できるだけスターを付けて回りました。緑スターと赤スターを多めにしました。
話は逸れましたが、作品紹介に入ります。まだ学生だった頃の思い出です。道路を自転車で走っていると、二車線の車道を横断しようとするカマキリがいて、それを見守っていて……という流れです。
カマキリが車に轢かれると物凄い音がするとか、ハリガネムシが自動車にカマキリごと轢かれても死なないとか、いくつもの学びがありました。
舞台となった出来事は日記を書く約一年前。民間企業に転職してそんなに時間が経っていません。
都内の環境に慣れてきた頃、いわゆる異業種交流会に参加しました。商売メインじゃないやつです。
多くの業界の方が参加されていたのですが、その中で仲良くなった人にメルカリの方がいました。
今でこそ業界の一流ですが、当時はまだ混沌とした面があったようです。マスク転売事件の裏顛末を恨めしそうにぼやいていました。
その人と一緒に、マッチングアプリの運営会社の方もおられて、いろいろ話をすることがありました。
一次会でも二次会でも、その人達と一緒にお店を周らせてもらい、楽しい思い出になりました。
その日の夜に居酒屋でお酒に酔って、はっちゃけた人々がした話を、日記に書き留めたのです。マッチングアプリの人の話が一番記憶に残ってました。
今でも楽しい思い出です。Kさん、Tさん。その節はどうもありがとうございました。
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先ほど述べたとおり、この目で直接目撃できた(追記:または本人が喋っていた)エピソードを主に描写します。
本人特定の危険アリ、と判断したら本質に影響しない程度のフェイクを入れます。
読者である貴方が日記で読んだ人は、この世界に確かに存在しています。
※本人が書いているという設定なので、コメント返信も行います。
なぜこうなのかと言われると、「矜持」です。
オリジナル小説だと、私よりも世間一般の小説家の方が上手です。おそらく敵わないでしょう。
だとしたら、自分の立ち位置を定めて向き合いたい思いがあります。
自分の天性にあったやり方が一番正しいやり方を。
純粋に、増田の利用者やブクマカに喜んでもらいたい気持ちもあります。
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コピペで引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ
1964年「うず潮」
1966年「おはなはん」
林謙一「おはなはん」
1977年「いちばん星」
1978年「おていちゃん」
1979年「マー姉ちゃん」
1981年「本日も晴天なり」
1984年「心はいつもラムネ色」
1986年「はね駒」
1987年「チョッちゃん」
1990年「凛凛と」
1994年「春よ、来い」
最愛の夫を見送るまでが描かれている。
1997年「あぐり」
2000年「オードリー」
DVD未発売。
2003年「てるてる家族」
2006年「芋たこなんきん」
ソフト化されていない。
2010年「ゲゲゲの女房」
2011年「カーネーション」
ファッションデザイナー「コシノ三姉妹」の母、
2014年「花子とアン」
2014年「マッサン」
2015年「あさが来た」
2016年「とと姉ちゃん」
2016年「べっぴんさん」
2017年「わろてんか」
2018年「まんぷく」
2019年「なつぞら」
「漫画映画漂流記 おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一」
2019年「スカーレット」
2020年「エール」
古関著書「鐘よ鳴り響け」
2020年「おちょやん」
2023年「らんまん」
2024年「ブギウギ」
2024年「虎に翼」
三淵嘉子関連書籍
2025年「あんぱん」
2025年「ばけばけ」
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https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Sjp9AZDPmNI]
藤子不二雄が高校三年生の時分に富山から手塚治虫の家に持ち込んだ生原稿がチラッと見られるぞ。
手塚治虫が死の前年に大友を褒めちぎる「カミソリ感覚」という題名のよく知られた寄稿文。
(「カミソリ感覚」ユリイカ1988年8月臨時増刊号 総特集=大友克洋)
胸が熱くなるぞ。
劇画の始祖である辰巳ヨシヒロが手塚治虫を褒めちぎりながら人生を語る自伝小説。
「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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