はてなキーワード: 必要悪とは
海賊船上で全キャラが一斉に踊る!ルフィがゴムゴムの腕を使ってみんなをリードする中、ゾロとサンジが「踊るな!」と小競り合いしつつもしっかりキメる。曲名は「Yo Ho Ho and a Bottle of Chai」。
---
原作で「サメに食われた」なんて地味な話じゃ済まない。サメが火を吹き、雷が落ち、最後にシャンクスが「これが友のためだ!」と叫びながら自ら腕を引きちぎる熱血展開。
---
ベルメールとの過去やアーロンへの復讐は泣きポイントのオンパレードに。ナミがダンスを交えながら「この村のために!」と歌い上げ、観客がハンカチ片手に号泣。
---
インド映画の「必要悪」担当!鼻を赤く塗られるシーンが村人総出の儀式に変更され、バギーの手下たちがターバン姿で謎のタップダンスを披露。
---
エネルがインドの雷神インドラに変わり、ルフィがその化身として降臨。「雷神対ゴムの戦い」というキャッチコピーで、映画中盤の大見せ場に。
---
ピンクの羽根コートをさらに豪華にし、部下全員がバックダンサーに。彼の「パラサイト」で操られた民衆が踊りながら戦う狂気のシーン。
---
キッチンで踊りながら「これはガラムマサラ、これが俺の必殺技だ!」と叫び、悪党たちに熱々カレーをぶちまける。ついでにスパイス市場での大乱闘も挿入される。
---
「歴史の本文」を読んで歌う場面が完全にミュージカル化。古代文字が空中に浮かび、バックコーラスはインド神話風の衣装をまとった歌手たち。
---
「俺は巨人を100体倒したんだ!」という話が映画中で本当に映像化される。さらに巨大なトリを召喚して一緒にダンスするカオス展開。
---
海賊旗を掲げて「私たちは家族だ!」と大合唱。ビビや白ひげ海賊団まで駆けつけ、全キャストで泣きながらダンス。エンドロールも延々と踊り続ける。
これほど真剣になっても、やはり人は「正しそうという属性」で選ぶ。
エヴィデンスとか合理性で選んだりはしない(できない)。
おーい、俺をバカにしたやつ、見てるかー?
兵庫県知事選で斎藤元知事が再選したが、もっともな結果だと頷ける内容でもある。兵庫県の県民性としてパワハラは必要悪であり、権力を持てば多少の我儘は当然と考えている節がある。
私は全国に支店を展開している中小企業で部長職を務めているが、最近、職場のパワハラ気質が非常に深刻になってきた。その問題の根源を探る中で、兵庫県出身者の採用を控えるという決断に至った。決して偏見に基づいた判断ではないが、職場環境を守るためには避けて通れない選択だと感じている。
我が社は全国に支店を展開しており、多様な地域出身の社員が働いている。その中でも、兵庫県出身の社員が抱える特定のパワハラ的な傾向が、近年顕著に見られるようになった。具体的には、上司として部下に対して強圧的な態度を取る、または指導の名の下で精神的に追い詰めるといった行動が目立つようになったのだ。このような行動は、社員間の信頼関係を損なうだけでなく、職場全体の士気を低下させる原因となる。
もちろん、兵庫県民全体がこのような行動を取っているわけではなく、個々の社員によって異なる。しかし、職場での行動パターンにおいて、兵庫県出身者に特有の傾向が強く見られることが多く、これが問題視されている。結果として、職場内でのトラブルや不満が積み重なり、改善が求められる状況に至った。
このような状況を受けて、私は一時的に兵庫県民の採用を控える決断をした。これは、問題を根本的に解決するための一歩であり、単なる地域差別や偏見からくるものではない。現時点での職場環境を守り、全ての社員が平等で尊重される空間を提供するためには、こうした対応が必要だと考えたからである。
もちろん、この決断が最終的なものではない。今後、社員教育やリーダーシップ研修を強化し、パワハラの問題を根絶するための取り組みを進めていく予定だ。兵庫県民の採用再開に向けた条件が整い次第、改めて採用を再開するつもりだが、まずは職場環境の改善を最優先に進める必要がある。
私が目指すのは、地域に関係なく、全ての社員が安心して働ける職場である。そのためには、どの地域から来た社員でも、共通の価値観と行動基準を共有し、互いに尊重し合うことが不可欠だ。この取り組みを通じて、より良い職場環境を築いていきたいと考えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fc128f44df81ce1d9d588bb9ec60db3d4ad5f06
私が大学時代に入っていた大学の鉄道研究会でも、イベントで借りたことがある。
女性専用車両とかいう明らかな性差別だが必要悪であるとされているので
男性専用車両も用意して欲しい、という当たり前の要求ですら「ミソジニー」扱いされるのかよ。
他の男を生贄に差し出して、フェミ臭い女からの称賛(笑)を欲しがるチンコ野郎。
そんなのが「女性に優しい正しい存在の男性」として扱われてるのか。
まさに欺瞞。ふざけてる。さすがに腹がたったわ。
男から見たら似ているもの、それは女と公営ギャンブルである。見方によってはこれに酒も入る。
成功すれば得られるものも多いからこそ酒場や職場でおじさんがよく話題にするが、これがひとたび失敗すれば依存症でもない限りまた挑もうとはならないものだ。
たとえば、
成功するとまた繰り返したくなる、失敗するとしばらく関わりを避けたくなる、しばらくしてそれを忘れてまたやってまた痛い目に遭う、楽しむのに多額の金がかかる、失敗してもいわゆるフィードバックがない、精神をすり減らして予想、予想しても裏切られる…などなど。
一方で悪い面が目立つからと公営ギャンブルや女を絶滅させるわけにもいかないので、男から見たら女も公営ギャンブルも社会の必要悪なのだろう。
「偏差値が高い高校ほど校則がゆるい」とよく言われる。実際、都立のある一番校では、制服なし、校則もほとんどなしだが、風紀は荒れていない。偏差値だけが理由かどうかは疑問(家族状況、経済状態もあるだろうし、私立の高偏差値高校で薬物が蔓延っていたりもする)だが、決まりなどなくて済むのであれば、敢えて決まりをつくらないほうがその社会の構成員に無用なストレスを与えない、というのは事実だろう。押さえつけなければ反発心も起こらないのだ。
究極的に人間は、互いの生まれながらの尊厳を認め合い、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という最低限の倫理を身につけていれば、法律などなくとも平和に共存し得る。その理想が実現できないから、仕方なく法で自らを縛る必要があるのだ。
『虎に翼』最終回をで主人公が死んだ後、娘に「お母さんは法律そのものだった」的なことを言われて、幽霊状態の主人公が喜んでいたのは、私にとってはグロテスクなシーンだった。娘から必要悪、と言われていながら、満面の笑顔を浮かべる母。
あれだけ法が取りこぼしてしまった人間たちを見てきながら、まだ法に全幅の信頼をおいている主人公がそもそも理解できなかったのだが、彼女は最後まで法はアプリオリに人類に必要なもの、という認識でいたようだ。
新潟で出会った少女の「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、直ちに答えることができなかったのも当然だ。彼女には「自然法」という観点が欠如している。「人間が生まれながらにして平等で、それぞれに尊厳をもっている」ということが、“憲法によって与えられている”と考えているのだ。(正しくは“憲法によって保証されている“であり、尊厳自体はアプリオリに存在する;憲法停止したら人権が失われるとでも思っているのか)
しかしこの逆転、このグロテスクさこそが、今のリベラルを象徴しているとも言えよう。
グローバリズムと多様性というお題目で、共感できる背景を共有しない者同士の共存を進めていけば、明文化された決まり=法律だけが、“相互理解”を増進するためのツールにならざるを得ない。そしてその法律が力を持ち、万能なツールとして必要以上に神格化されていく(あとはカネだけが共有可能な価値となる)。それと同時に、それまでの社会を構成していた重要な要素である感情的・非論理的・物語的(説話的/神話的)な共感背景は無価値化されていく。
私個人的には、尊属殺の重罰化は違憲だと思うが、家族は共に扶助すべきという民法の一文は意味があると考えている。「家族」というものが結局はフィクショナルなものだとしても、その“物語”を社会である程度守っていくことに価値はあると思うのだ。
上記の新潟の女生徒からの重大な投げかけの解決法にも心底がっかりした。
女生徒は死に、ダウングレードした娘に、主人公が何か感情的なおためごかしを言って、解決してしまったのだ。まぁ上のような法への認識でいる主人公だから仕方ない。その後彼女は少年法改正についての委員会で「愛でしょ愛」などとまた感情的なことを言っていた。
真のリベラルからすれば彼女のモデルが「家裁の母」と呼ばれていることに怒りを覚えるはずだが(なぜ“母”なのか、性差は意味がないはず)、ここでの主人公の描かれ方は、まさしく保守的な「お母さん」像であった。
もはやこのドラマの立ち位置がわからなくなるほどの倒錯が起こっているように感じたが、実際こうでもしないとまとめることができなかったのだろう。そもそも彼女は法への姿勢という最初の立ち位置から間違えているのだから。
最初から最後までいわゆる「上級国民」しか登場しないドラマであったが(上野の浮浪児くらいだろうか)、その恵まれた位置にいながら、たまに(ポーズのように)反省して見せるだけで、根本的なところでは法の無謬性を疑わなかった。原爆裁判を経て、主人公が変わるかと期待したが、結局はそのままだった。
残念なドラマではあったが、その時代には絶対にそういう発言をしていなかったであろうLGBTを描き始めたところで、ああこれはポリコレ好きのためのポルノなのねと諦めはじめていたので、最後の方は期待感も薄かった。
必ずほぼ一定の確率で交通事故が起こるし、必ず自動車事故で人が死ぬんだよ
銃と同じで、自動車は凶器だと言って差し支えないわけだけど、でも、自動車がなかったら、言わずもがな、近所のコンビニやスーパーにトラックは来ない、俺は飢えて死ぬ
自動車のメリットの方がデメリットを上回っているので、自動車で多少の人が亡くなるのは仕方がない、という考え方で世の中は回ってるんだよ
だから、自動車を運転している人は、凶器を運転しているという意識を持て、ということ
そして、それを成立させるためには、結局は人間をお金で換算することになる、自動車保険である
結局、最後の最後は、亡くなった人は生きてればこれくらいの収入を得ただろう、とか、それを数学的確率的に考える頭いい人たちが保険会社とか銀行とかにいるわけだ
それで人が一定確率で自動車で亡くなってしまっても問題ないということになっている
同様に、自動運転で事故る確率とか、そういうのを頭いい人たちが考えて、自動運転で事故が起こって亡くなった人がでたら、それをお金で換算して処理する
何も普段の生活と変わらない、危険なことには保険をかけ、いざというとき、仮に人が亡くなってもお金で済ますということだ
中国はどうやってるのかよく分からないけど、都市部のみで自動運転が実用化しているのは確かだ
日本は、自動運転で過疎地域を救おう、とか訳の分からないことまでやってしまっていて、それも良くない気がする
ただ、自動運転のデメリットがメリットを上回る、ということが証明できるなら、それは自動運転をやるべきではない、となる
例の知事もそうだけど、パワハラしてる人って大体この思想を拗らせてる。
他人に対しての暴力性を「必要悪としての厳しさ」として正当化し、他人に対してのあらゆる要求を「生ぬるい忖度をしない優しさ」として変換していく。
威圧的な物言い→伝えるべきことはハッキリと言葉にする厳しくも優しい俺
やたらと狭い了見→直すべき所をちゃんと指摘する厳しくも優しい俺
勘違いからの開き直り→伝わりにくいということをちゃんと教えてあげる厳しくも優しい俺
↓
結論:相手の今後を考え「ここが分かりにくくて勘違いする人が続出していたかも知れませんよ」を逆ギレされるリスクを恐れることなくハッキリとした口調で伝えてあげる厳しくも優しい俺
上位者への忖度要求→ポイントを稼げる時に稼ぐことの大切さを教育
↓
結論:自分のことを知ってもらいつつポイントを稼ぐことも出来るお土産チャンスを逃してはいけないことをより多くの領民に伝えるために日夜頑張る教育熱心な俺
そもそもなんでこんな勘違いをするのかと言えば、そもそもコイツらの異常行動を正当化出来る謎の常套句がすでにあるのが良くないんだよね。
長になる人に求められる考え方は「厳しくも優しい俺様マジカッコイイ」ではない。
「厳しいというのは、どんな理由があっても厳しいなんですよね」
「優しいというのは、相手がそれに感謝して初めて優しいなんですよね」
こういった考え方が出来るような、フラットな考え方の人がこれからの時代を引っ張っていくべき。
よく分からん理屈をこねくり回して「つまり、俺は正しいし賢いし素晴らしいし人格者なんだ!」と言い張ろうとすると屁理屈モンスターではない。
女性専用車両のはなしも年金のはなしもそうだけど、差別なのか差別じゃないかの二分で話してるから対立するし先進まないんだよなぁ。そのへんのゾーンの話は「確かに差別ではあるんだけど、現在の社会構造や他の制度とのバランスを考えて現在この運用でやってます。差別だけど必要悪なんでみんな妥協してます。もちろん悪ではあるんで、改善できるような余剰リソースが生まれしだい改善してゆく方針です」みたいな領域だと思うぞ。
女性専用車両なんてまさにそれで、そもそもの話、ラッシュ時でも全員座れるとかパーソナルスペースが十分に護られる環境(=十分な空間リソース)だったら、女性専用車両なんて必要なかったわけでさ。
秩父鉄道とか上毛鉄道なんて1両あたり客一人とかあるもんげ。さすが群馬だ。
まぁ脱線したんだけど(鉄道だけに)、「現在時点で完璧じゃないとド許せぬ」っていう狭量さがリベラル原理主義の宿痾って気がするよ。