はてなキーワード: 拙速とは
はてな匿名ダイアリーで、前回の兵庫県知事選挙(令和6年度兵庫県知事選挙)について記録を残したものとして、雑感を残しておきたいと思う。
あまりにネガティブだと感じて一度は投稿せずに消したが、根強くキャンペーンが続くので、多少なりとも意味があるだろうと再度書き直した。
まず最初にスタンスを示しておくが、自分は新聞をはじめとするマスメディアは、社会の公器として、社会をより良くするために責任を持って欲しいと思っている。
明確に、社会の鏡ではなく、社会の鑑であるべきであると思っている。読者が快哉を叫ぶような記事を書くべきではなく、煙たがられても正論を説き、批判されても実利をとってほしい。
そのため、「アンケートで、辞任すべきであるという声が多い」として、辞任を迫るのは明確に誤りであると、きちんと解説記事を書くことこそが必要なのではないか。
責任の取り方というのは辞めることではなく、起こってならないことは再発しないように整えることだ。
安易にあいまいな定義の単語を使うべきではない。それはレッテル貼りや印象操作にしかならず、思い込みを強化するだけだ。
(おそらく善意もしくは悪意なく行なっているだろうことから個別具体例は挙げないが)そういったカルト呼ばわりするポストの延長線上に立花孝志がいることは忘れないで欲しい。
あれだけの騒ぎになって行われた兵庫県知事選挙の投票率55.65%が示すものは、「大半の有権者は無関心だった」であり、本質的には「日本人は選挙に関心が無い」ということくらいしか言えない。
まず少しだけ選挙について解説が必要になる。結論だけ言えば「選挙は概ね始まった時には終わっており、風が吹くのは例外である」となる。
日本の選挙においては、組織票(支持団体や業界団体など)と、地盤(後援会や地域でのネットワーク)とが、必要条件であり、これ無しにはスタートラインにすらつけない。
選挙について漠然と高校の文化祭の出し物を決めるような、その場で手を挙げて多数決で最多得票数を得たものが選ばれるというイメージが語られることがあるが、正しくない。
イメージとしては、出し物を決める投票を行う遥か前から、文化部派と運動部派と委員長派に分かれており、よほどのことがない限り、最も大きい派閥の提案が通る。
提案そのものはさほど重要ではなく、組織化されているか、地盤があるかが重要であって、最後にその提案の魅力で浮動票が動く。この浮動票の動向を選挙用語で、「風」と呼ぶ。
さて、その意味で前回の知事選挙は、概ね順当な結果に落ち着いたと言える。
つまり、離反者が出るほどの情報は出揃っていない段階での選挙なので、斉藤陣営は組織票も地盤も手堅く持っており、あとは浮動票だけであった。
翻って対抗とされていた稲村陣営は、野党系の支持を受けてはいたが、一本化されておらず、どこまで浮動票を取り込めるか、という点であった。
最終的な開票結果が斉藤陣営111万票に対して、稲村陣営98万票というのは、言っては悪いが、善戦した方ではないかと思う。
アンケート調査方法に問題があり恣意的だから、と書くと身もふたもないので少し解説をする。
例えば、該当アンケートであなたが「パワハラは容認できますか?」と聞かれれば「容認できない、不支持だ」とするだろう。
同様に「パワハラを認定された斉藤知事は辞職すべきですか?」と聞かれれば「辞職した方が良い」と回答する人も多いと思う。
いわば、属している組織や後援会を裏切る(離反する)決断を取れるかどうか、というのが投票行動の変化である。
そして、一番最初の「大半の日本国民にとって選挙には関心がない」というのも思い出して欲しい。
無作為なアンケートをとると、その概ね半分以上(通常の知事選挙は40%程度の投票率しかない)は、選挙に行かない。無関心である。
これらが組み合わさると、「投票には行かないが憤る人」や「アンケートでは憤るが実際には支持(投票)する人」が生まれる。
アンケートが恣意的と書いたのは、「では斉藤知事は責任をとって、給与返上をすべきですか?」と聞いていないからだ。
問題を起こした人物がいる、その人物は責任取るべきである、辞任 or 継続 という形式だと、人は辞任を選ぶ。
組織票が割れた場合、地盤が弱い場合、突発的に浮動票の得票率が高くなった場合に、風が吹いて盤面がひっくり返ることがある。
ただ、そうした場合でも概ね10%程度の変動であり、強固な地盤がある場合にこれを覆すのは容易なことではない。
私が最初に「マスメディアは社会の鑑であって欲しい」と書いたのはこのためで、兵庫県内の状況を冷静に見ると、もはや辞任を迫るフェーズは終わってしまった。
そのため、このマスメディアによるネガティブキャンペーンは、社会の鏡として、読者のニーズに応えているにすぎない。端的に言えばニュースバリューがあるだけである。
今後、パワーハラスメントを再発させないためにどのようなことが行われると表明されており、それがどう実行されているのか、どう確認できるかを監視するのが重要であり、
また、公益者通報保護制度はどのように運用されるのか、その信頼が失われたとして、如何にして信頼を取り戻していくのかを監視して報道するのが社会の公器としてのあり方ではないか。
まさに前回報道合戦を繰り広げたために起きた、拙速と言うしかない不信任決議がどのような結果を招いたのか、思い出して欲しい。
(前回の選挙後の雑感にも書いたが、内部告発文書の裏どりと解説を行い、議会に結論を待つ様に諌める姿勢を取るべきではなかったのか思う)
そうした地味な報道はニュースバリューとしては読者のニーズに乏しいのかもしれないが、スキャンダラスな報道をするのは週刊誌だけで良い。
長々と書いてお前は斉藤支持者なのだろうと言われるかもしれないが、前回の投票先は記載しない。
全ての選挙における秘密はこれを侵してはならないと憲法にも記載されている。防衛的な文章を書くためだけに使用して良いような軽いものではない。
私は、兵庫県知事が公約達成率を公表しているのは支持するが、達成度合いが曖昧なのは問題だと感じている。
若者の支援を打ち出しているのは支持できるが、では井戸県政と比べてどうかと言われれば、まだ進捗は芳しくないと思う。
詰まるところ、支持不支持や辞任続投というのは大雑把にすぎるのだ。給与を返上したから禊が済んだとも思わないし、複雑な物事を単純に解決しようとしすぎるのは良くない。
マスメディアは、もっと真剣に、握りつぶされない内部通報や告発者をどうすれば守れるのかを徹底的に調査報道して欲しい。
そして一番重要なのだが、もしここまで読んでくれたのだとしたら、あなたの住んでいる街はどうだろうか?
都内に住んでいるのだとするなら、都知事が今月何をしたか知っているだろうか?市に住んでいるとして、今月の市議会は何を話していただろうか?
斉藤支持者はカルトだという投稿にいいねをつける前に、兵庫県民は変わらないと書く前に、あなたの住む街について無関心ではないだろうか?
「XX県の人間は、YYという問題を認識できない愚か者だ」と急に指摘された時、知らなかったでは政治に無関心すぎる。
兵庫県政を憂いてくれるのはありがたいが、スナック感覚でスキャンダルをつまむだけなら止めた方が良い。
スキャンダラスな民意で誰かが動くと、同じ理屈で先鋭化した集団がどこかに向かうのを止められなくなる。
どの陣営にとっても必要なのは再発防止であって、魔女狩りではないはずだ。
繰り返しになるが、選挙は概ね始まった時には終わっているのだ。報道次第でどうにでもなる風だと思われているのには、理由がある。
投票したい候補がいないのかもしれないが、ここは理想の楽園ではなく、現実の日本で、出されたカードから選ぶことしかできない。
棄権しても良いが、白紙委任状を提出していることは忘れないで欲しい。
自分がカードとして打って出る権利は存在するが、地盤看板鞄が無ければ実質的には意味を持たない。
同じように白票を投票所に入れにいく権利はあるが、現実の選挙戦では、システムを理解していない表明にしかならない。
今日から自分の住む地域の推し政党を決めろとは言わないから、せめて自分の暮らす地方自治体が何をしているか、何を課題と感じているかは、知っておいて欲しい。
他山の石として欲しい。
テレビの話をしよう。私が子どもの頃テレビを見るのは禁じられていた。だから今でも蠱惑的なイメージを持つ。ちなみに私にあったのはアニメチャンネルのケーブルテレビとビデオテープだった。つまり禁じられていたのは地上波という訳だが──わが家ではニュース番組も新聞紙もなく、例えば殺人事件の話題でさえ私の前では禁句だったのだ。それはすべて母の意向だ。「子どもの頃だけは美しいものだけを見せたい」──つまりスヌーピーやピンクパンサー、パワーパフガールズ、もしくはクラシックなディズニーアニメたちがそれだった。私はまったくの無菌室で育ったのだ。
もちろん母は私にマザー・グースを、ピーター・ラビットの手のひらに乗るような絵本を与えた。そして教会に通わせた。母は西洋趣味で、チェリーパイやスコーンを私に食べさせたがった。朝には紅茶を飲むことを義務付けられていた。その半面で私の眠っている間に両親は大喧嘩し、朝私が目覚めると台所の床に醤油が一面に広がって硝子が割れていた。
今になって分かる、母は分相応という言葉を知らず──後年明らかになるがこれは文字通りの意味だ──贅沢好みで、工場勤務する父の安月給をたびたびなじっていたのだ。
なぜ彼らが結婚したのか私は知らない。彼らは出会って恋に落ちてお互いに“音楽”の趣味が合い、私にそれに基づいた名を付けた。父はドラムとベースを趣味としていた。母はピアノとバイオリンとギターを弾いた。そういった音楽的素養は私の身に付かなかった。私自身唯一自分の取り柄と言っていいのは「金離れの良さ」だ。私は母に似て散財家だ。だから私はいつも一文無しで、夢を見ている。もっと素敵なお洋服を、もっと美しい家具調度を──。そしてVOGUEやファッション・ウィークなどと聞くとじたばたとその場でのたうち回るのだ。
もちろん私は冗談を言っている。これは真実の告白ではない──当然嘘でもない。私は己の混沌とした人生を言葉とフィクションによって整理し、美化したいのだ。それだけだ。しかしそのそれだけが恐い。自分の無能さと直面するのを何より恐れる。
結局父母の博愛精神は私に受け継がれず──私は自分を守るためにあくせくし、こうした駄文を書くに至ったのだ。
だが私はここで気付く。「自分の心を守るため」それ以外のどんな情動で人が動くというのだろう?父は笑ってこう言うだろう。お前は何もかも突き詰めて考え過ぎる、頭でっかちだと──。
結局母は我々の許を去った。早い死だった。これを書く私はまだ二十代だ。母方の女たちはつねづねこう言い合っていた、しみじみとしてからっとしてすべて諦めたような調子で──「Y家の滅亡」このタイトルで我々一族の年代記が書けるね──と。
そうだ、私の父母はそれぞれ金満家の子として生まれ育ち、しかしそれぞれ家族関係を悪化させ、孤独のうちで拙速な恋愛関係を取り結んだ、少なくとも私はそう捉えている。
そして私が生まれ──貧困と不幸の道を歩むことになったのだ。つまりこれを書く私は両親と同じ「できちゃった結婚」をしスピード離婚してひとり親家庭になり──私の場合は生活保護受給に至った。何故なら私はうつ病者で発達障害だからだ。彼らのような生活力は私になかった。私はくたびれていた、生きることに、日々同じことを繰り返し飽きもせず飲み食いし「家」と呼ばれる一処に毎日寝起きすることに──もし私が裕福であったなら、私は一切の人間関係をなげうち旅に出るだろう。賃貸の安アパートも引き払ってチープな家具類も捨て去りアンティークの革の旅行鞄一つ持って飛び立つ、目的地はない、煩わしい何もかもにさよなら、だ。そしてそれには息子も含まれる。実の母親にも望まれずこの世に生を受け幾年かを経た哀れな一人息子──老いと死に包囲された老年者に特に喜びをもたらしたわが子を離れて、遠く、遠く、遠くへ行くのだ、私一人、一人、一人だけで──。
齢50にしてオンラインデートアプリを使った話。離婚して1年以上経ったしねって思ってちょっと楽な気分で始めた。嬉しい事も悲しい事もあった。何処かに吐き出したくなったので書き殴っておく。オンラインデートアプリは射幸性がある。お金を払ってちょいちょいとカードを引いて、取捨選択するわけだ。自分の年齢の5歳前後で引いてみる。軽い気分だった。
その人Rさんは写真を見るに50代半ばとは見えない美貌の方だった。お互いLikeがマッチした。チャットウィンドウが開き、互いにあいさつをする。
プロフィールを確認する。先方、Rさんは私の住んでいる所より車で一時間の距離、お子さん男の子X人既に成人済み。など。お互い、子供の構成がよく似ていた。そういう共通した話はIce breaker になりやすい。独立して暮らしている子供を気に掛ける気持ちはお互い同じだなぁとおもう。私は末っ子と二人暮らしだけど、Rさんはお一人なんだとか。子育てが落ち着いた方が閑散期に安く子供に会いに旅行が出来るのは前から羨ましい。お子さんが一人、大変なお仕事をされている、出身地やお互い若い頃住んでいた東京の話など。
晩ご飯の話で盛り上がる。この日は私は時間がある。お互いの子供が普段何を食べているのかと案じるとか、末っ子は甘え上手だよねって話から始まって、私の末っ子と作ったオムライスの写真で「末っ子世にはばかる」とは良く言ったものだと納得し合ったり。
邦楽、音楽の話で盛り上がった事もあった。Rさんは尾崎豊、私はブルーハーツ。80,90年代が邦楽の黄金期だったと思うのはその頃多感な青春を過ごした記憶がそうさせるのか。
お互いの子供のうち、一人が同じ大学に通っていた事が分かる。私の住む街から車で、三時間ほどの所にあるすこし小さい大学町。
私のsoftware engineer という職業もRさんには好ましいようだ。エンジニアリングは誇り。ファインマン教授は私の憧れ。そういった気持ちを共有した事のない、むしろ蔑むけらいのあった元妻とあまりにも違う。
なんなんだ。ワシはテキストでチャットしているだけの人にどうして惹かれるんだ??
普通に考えて、二、三日で提案するのは拙速すぎる、でもどうしても会って喋りたいと思った。Rさんがボットや他意があってオンラインデートアプリを使っている業者とは思えない。
18日に会うことになった。二週間ほど先のGood Friday。フワフワとした心地はとても懐かしくもあり、嬉しくて。
毎晩、チャットをして過ごすのが楽しい。いろんな事をテキストした。Rさんの作った料理の写真も見せて頂いた。お子さんが帰省されているRさんに邪魔にならないよう、でも何をされているかなとやっぱり気になる。Does the One exist? Yes, \(^^)/ってね…有頂天だった。
一日の終わりにチャットウィンドウを開けた。もうそろそろ18日に会う際の段取りを相談しようとか思って。何かもっさりとした動作のあとRさんがチャットから退出されたログが表示された。前日のおやすみなさいの挨拶とRさんとのチャットが楽しいですとの書き込みの次の行、Rさんからの私も楽しいですとおやすみなさいのメッセージ、その次にログとinactive なRさんのアイコンが残っている。
チャットからの退出はいわゆるterminal state だ。もう何も起こらない。
で、今日が18日なんだよね。世間的には平和な金曜日。末っ子は高校とその後は元妻と過ごす予定。私にとってはGood Friday 。こんなはずじゃなかったのに、青空の気持ち良い春の日、キッチンで一人、コーヒーを飲んでいる。
末っ子にはオンラインデートアプリってそんなもんだと言われ、「お父さんがそうやって引きずるって珍しい」とも言われ。
確かにこれまでオンラインデートアプリでいい出会いもあり、楽しい時を過ごす事もあった。ワシは引きずらない、そんな思いは二度とごめんだと思ってきた。ましてや会ったことも無い、もしかしたら本人ではないかもしれないRさんの写真とテキストメッセージ。だけど、どうしても整理が付けられない。けりをつけなければ。成仏させねば。
まず、読んでくれた方に、おしなべてお礼を。
時は令和、都の東、深川の地に、一風変わった男がいた。その名は柿沢未途(かきさわみと)。齢五十を重ねた男は、政界の荒波にもまれ、なおも己の信念を貫かんとする、いわば孤高の侠客(きょうかく)であった。
柿沢、その男、折しも行われる補欠選挙にて、己が後援者たちにカレーを振る舞うという。されど、このカレー、只のカレーにあらず。選挙の買収にあたるのではないかと、世間の耳目を集めることとなった。
「ふん、愚かな。この柿沢が、そのような卑劣な真似をすると思うのか!」
柿沢は、泰然自若としていた。しかし、その内心は、嵐のように激しく揺れ動いていた。
「ならば、この柿沢、己の信念を貫き通すまでよ!」
柿沢は、覚悟を決めた。
一方、世間の人々は、このカレー事件を面白おかしく見物していた。
「されど、選挙は神聖なるもの。カレーで汚すとは、許しがたい」
様々な声が飛び交う中、柿沢は、ただひたすらに、己の信じる道を突き進んだ。
やがて、選挙の結果が出た。柿沢、その男、見事に当選を果たした。
「柿沢、よくやった!」
後援者たちは、歓喜の声を上げた。
「されど、この勝利、決して拙速ではない。己の信念を貫き通した結果である!」
柿沢は、静かに語った。
と言っても
【ディレクターレター】「達成済みのマスターミッションの報酬が再度受け取れてしまう不具合」の対応について
これと
【追記・更新】ミッション報酬不具合の調査および対応のための臨時メンテナンス終了のご報告(12/27 2:00実施)
これの下から順番に見れば大体わかるが
【追記】【ディレクターレター】アペンドスキルの今後の対応について
2024年夏に発表された新規の要素としてアペンドスキルがさらに追加された
アペンドスキルというのはキャラクター固有のスキルではなく大体共通した強化内容なのだが、普通のスキルと違って開放するのにサーヴァントコインというのが必要になる。
このサーヴァントコインはイベントで配布されるキャラなどを除くと「ガチャで排出された際に貰う」か「絆レベルが上昇(そのキャラを長く利用)すると貰う」のどちらかしかない。
後者には現状上限があるので、好きなキャラを完全に仕上げたい廃課金者はガチャを回さざるを得ないわけだ。
このコインの仕様はもともとかなり足元を見ていて、それまでFGOでは同じキャラクターは5体引ければ宝具(必殺技)のレベルがマックスになるからそこがゴールだったのだが、
なんと最高レアのキャラは5体引いても全開放にはコインが足りなかった。
しかしそこはやりたい人が勝手にやればいいよねという受け入れ方だったのか、アペンドスキルの実装自体はそんな炎上という話にはならなかった。
(私が知らないだけかも)
どのキャラにも使える共通のコインとか実装して配れよとは言われまくったし、なんなら今でも言われてるけど。
しかし、2024年夏、アペンドスキルは3つから5つに増えた。コインの消費量は据え置き、配布量も据え置きで。
そもそもコインには他にも使い道があって、ひとつはレベル上限のさらなる開放(レベル100から120まで)、
もうひとつは余ったコインを破棄して聖杯という希少なアイテムを手に入れること。
それまでアペンドスキルを3つ開放してコインが余ったプレイヤーは心置きなくレベル上限開放に使い、それでも余ったら聖杯を手に入れるために破棄してきたのに、
後から新しいコインの使い方を実装した挙げ句、消費量も配布量も変えなかった。
これで新しく増えたアペンドスキルが死ぬほど弱かったらまだ良かったのだが、どっちもかなり強力だった。
それで、ざっくり言うとコイン配布量のほうを調整したり、今まで破棄したコインは返却される形で対応すると約束することになった。
そして、その対応がようやく完了したのが12月11日、バグ発生の日だ。
ぶっちゃけバグについて知ったのは後述の緊急メンテナンスが始まってからだったので、体験したわけではない。
マスターミッションというのはゲームの進行やキャラクターの育成を進めるとガチャ用アイテムや育成素材がもらえるボーナスみたいなもので、
今までことあるごとにミッションが増えていったため、全部合わせると結構な量になる。
それがこの12月11日のアップデートで、どういう理屈なのか不明だが、一度報酬を受け取ったものが再度復活するというバグが発生した。
人によってはこの復活現象が複数回起きることもあったらしいが、体験してないのでわからない。
育成素材については割愛するが、ガチャ用アイテムに関して言えば、最大で1746個(らしい)、ガチャ回数で換算すると600回分を超える個数になる。
といってもミッションをすべてやってるプレイヤーなど数が限られているだろうから、実際にはそこまで受け取ったユーザーはかなり少ないとは思う。
ちらほら「バグ利用しなかったユーザーにも石配ったら?」という意見があるが、最大10万円相当のアイテムを全員に配布はかなり無理な相談じゃないだろうか。
育成素材についてもかなり希少なものも一部含まれていて、「真面目にイベント攻略するよりバグを待ったほうが効率的」みたいな皮肉も目にした。
すぐに気付ければ良かったのだが、このことにFGO運営が気付いて緊急メンテナンスに入ったのが12月12日の深夜1時20分だった。
それからリンク先を見ればわかるように、数時間おきに慌ただしく経過報告(ほぼテンプレ)が追記されいった。
個人的に、どんな対応をするにしても影響範囲的に時間がかかってもおかしくないなと考えていて、
24時間以内にメンテナンスが終わるとは思っていなかったため、一体どんな魔法を使ったのか不思議だったのを覚えている。
このときの運営の対応は「バグで取得したアイテムは全部回収する。
ただしガチャやキャラ育成で使ってしまって回収しきれない分はそのまま。
これだけ。
この時仮に受け取ったガチャアイテムで600回ガチャを回して、最高レアリティのキャラを引きまくったとしても、そのキャラクターも回収されないし、石は0個未満にはならない。
この対応をみたユーザーの反応を受けて、X(旧Twitter)では「もん勝ち」というキーワードがトレンド入りした。
「(ガチャを回した)もん勝ち」「(バグを利用した)もん勝ち」という意味でまず間違いないだろう。
あとこれは半分笑い話で、いわゆる企業系Wiki攻略サイトが「バグ利用は不正扱いになるかもしれないから触らないほうが良い」というひどく真っ当な意見を出していたのだが、
「もん勝ち」の事態になったことで「使ってしまったほうが得だったみたいでごめんなさい」とツイートで謝罪していた。
FGOの運営が企業系Wikiにすら劣るコンプライアンス意識だったのは笑えないが。
あまりに不公正な対応にXも騒ぎになるし意見要望に直接メッセージを送ったユーザーもいたのか、
これじゃどうやらまずいらしいと気付いて引き続き対応をしていく旨を告知したのが夜10時。
そして2024年8月に炎上した際に出したディレクターレターが半年待たずに再び出されてしまった。
メンテナンス状況に書かれていた文言や、このディレクターレターの文言を見ると、方針変更とか拙速と書いてあって、
実は最初からこういう対応するつもりだったとかは一切無くなく、最初の対応で終わらせるつもりだったのが恐ろしいところ。
使った分も含めて全部回収、という方針が決まって、それが大体完了したのが12月27日。
これは完全に私怨なのだが、Fate/GrandOrderじゃなくて月姫/GrandOrderに改名しろ。
その対応が完了したと同時にバグが発生して人によってはガチャアイテムが1000個以上手に入った。
バグ対応のメンテナンスが終わったと思ったらバグ利用し得だと判明して炎上した。
方針撤回してガチャアイテムをマイナスまで減らすことになった。
現場で直接問題に対応した人達には尊敬の念しかないけど、運営としてはかなり最悪の対応だった。
炎上してから慌てて対応しはじめるのも信用が下がる。しかも二度目だ。
今回のバグのメンテナンスで12日の深夜1時頃から夜7時頃までユーザーはアクセスできなかったのだが、
実は12日の12時終了のラスプーチンのピックアップがあった。
今のFGOには俗に言うおはガチャ(一日一回だけ有償ガチャアイテム1個で1回ガチャが回せる、普通は3個1回だから3倍得)と他のスマホゲーで言うところの天井があるので、
「ガチャ最終日までおはガチャで粘ったりしつつ、それで駄目だったらガチャ資源のある限り、もしくは天井まで回す」という人がいてもおかしくないのだが、
具体的な例は覚えてないのだが、今までのFGOでも緊急メンテがピックアップの終了日に被ることはあって、
それはガチャの延長で対応していたのに、どういう訳か今回はそれができていなかった。
運営としてもいわゆる駆け込み需要を逃すことになるのだから、損でしか無い…のだが
その後もしばらく音沙汰なく、27日にようやくピックアップの再開催が通知された。
史上最大級のバグに直面してパニックになり素で忘れてたのかもしれないし、単純に死ぬほど忙しくなってやってる暇がなかったのかもしれない。
ワイ兵庫県民
不信任出す前くらいは県議会の拙速とマスコミの異常な報道に嫌気がさして斎藤擁護派やったやで
その後、立花孝志がやってきて斎藤がそれを受け入れてしまったのを見てからは完全な斎藤アンチやけど
今でも県議会が拙かったのが悪いと思っとるやで
不信任案に賛成した議員もマスコミと世論の圧力に負けて拙速に不信任を出してしまったと言うておったな
今回の結果は面白おかしく悪者を作り出してリンチショーをしたがる県外マスコミへの拒絶反応ってのも大きいだろうけど、県外から煽っていた連中は自分たちへのNOだとは決して認めないし、認識もできないんだろうな
地方自治体の独裁者
独裁者が存在するのは必ずしも国家だけではなく、地方公共団体等国の内部の組織でも独裁者ないしはそれに準じる権力者が出現する事例も存在する。例えば近年では日本の兵庫県の知事である斎藤元彦はしばしば独裁者であると批判される。斎藤は以前からパワハラ等で批判され、内部告発を受けて彼に対する百条委員会が設置される等議会との対立を深めていたが、当人は告発内容が事実ではないとして受け入れず、告発した者を停職3ヶ月の懲戒処分を下すといった強権的な手法で応じた。しかし本来は公益通報者保護法で告発者への不利益な扱いは禁じられており、同時に真実と信じるに足りる相当の理由等がある場合には報道機関等外部への通報も保護の対象となる。そのような事を踏まえ、斎藤のこの対応は事実を確かめない拙速過ぎるものであり、独裁者が反対者を粛清するのと同じ、や、斎藤にとって耳の痛い都合の悪い話でも告発者を責めず、利害関係のない第三者や有識者による精査を行うべきだった、またそもそも告発文書には前述のように法的に保護されるべき公益通報が含まれている可能性があり、それを一部だけ取り上げて否定した斎藤やその政権高官らの対応は公益通報者保護法に違反している、といったように批判され、自分への告発者を「公務員失格」等と呼んだ事はいわば公開パワハラであるとの意見もある[9]。なおこのような事例は決して日本や斎藤に限った事ではなく、内部告発をされた側が告発者に対して示す反応の一つの典型的なパターンである。その内容としては特に本質的で重要な不正を告発した告発者に対して一部虚偽や誇張を織り交ぜた人格攻撃を加え、同人を悪魔化して悲惨な末路を押し付け、見せしめにするのである。これはまさに独裁者に立ち向かう事は自身の破滅に繋がるという運命をでっち上げる事で告発を抑止する典型的な恐怖政治であり、これは前述したように独裁者の粛清の構図であり[10]、実際に斎藤を告発した職員が2人自殺に追い込まれており、これらも斎藤のパワハラが原因だと言われているためこれが事実ならば彼らは斎藤によって粛清されたに等しい[11]。
結局斎藤は百条委員会の不信任決議により失職。しかしその後の2024年兵庫県知事選挙では再当選を果たした。その理由としてはSNSでの斎藤の人気があげられ、兵庫県議会への敵意を煽る斎藤の主張が拡散され、街頭演説では斎藤支持者による「斎藤」コールも発生。その中には自殺した告発者を非難する発言や、斎藤は議会に嵌められた、斎藤の対立候補であった稲村和美は外国人参政権を推進している等と言った陰謀論も数多く存在した[12]。このように対立者や外国人・他民族をスケープゴートにして敵意を煽り、権力者の独裁を確固たるものとする手法はかつてのナチス・ドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーが用いた手法と同じである[13]。また斎藤当選後には涙を流して喜ぶ高校生等の有権者もおり[14]、これは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の独裁者金正日が死亡した時に同国国民が号泣したのと似ており、個人崇拝が行われている事を示している[15]。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
チャイナ服で出迎えてくれた。
最初は確信が持てなくて話を聞いてると、向こうからそれっぽい話題を時折ぶつけてきて足場を固めてくる。
3割ほど経過した時計を気にしつつ、相槌を打ちつつ思考を巡らせる。
身を寄せたり手を腰に回したりして催促する選択肢もあった。
しかし、「(本来トーク時間を無駄に伸ばすのは地雷だし…もしや…!?)」と感じ、拙速な行動を抑制した。
「友達、お兄さんに似てるんですよ〜〜」
残りの時間は昔話をしたり近況を共有した。
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昔、彼女は私の心を救ってくれた。
当時の私は元カノに振られ、飯も喉を通らず無理やり身体を動かして生きてる状態だった。
どうにかして状況を改善しないとと思い、多種多様なコミュニティに参加し人との交流を増やして、新たな道をもがきながら模索していた。
彼女は当時みんなのために色々してくれて、今も連綿と続く伝統的な活動として確立している。
私は活動としては初心者だったが、今では私の心の支えとなっている活動だ。
まだ私の心は辛い状況にあるが、様々な出会いと機会をもたらしてくれる活動だ。
出会えてよかったと今でも思う。
当時の彼氏は何か嘆くツイート後しばらくして音信不通になったので、消息を聞けるような雰囲気じゃかった。
Twitterで追跡できなくもないが、友達以上の関係でもないし、色々あった状況の中での彼女の選択に口を出す気もなかったので、自然と忘れていった。
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昔話の中で私が知らなかった事情など赤裸々に語ってくれた。
「またね」と言って見送られた。
最後に彼女に対して感謝を伝えたかった。彼女が続けてくれたからこの活動に出会えたこと。
しかし、相手が気にもしてない感謝を一方的に伝える行為は、相手を困惑させてしまうと思いやめた。
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しない理由は色々ある。
1つは世間体。
1つは性癖。
舌で上から下まで愛撫しまくるつもりで行ったから、流石に性癖丸出しになれなかった。
昼に会う機会はあるから自分に内在する性癖を知人に知られる恥ずかしさを気にした。
1つは時間。
色々な思いが入り乱れて、しない選択肢をした。
「孫子の兵法(そんしのへいほう)」言うたら、昔の中国の戦略書やねん。戦い方やけど、単なるケンカや戦争の話ちゃうで。ビジネスでも勉強でも役に立つ考え方やから、知っといて損はないんや!
勝つための基本の考え方
1. 戦わんでも勝つのが一番ええ
孫子は「戦わんでも相手に勝つんが一番賢い」言うてるねん。たとえば、クラスの友達とケンカになりそうなとき、話し合ってお互い納得して解決できたら、それが一番やろ?無駄なエネルギー使わんと済むし、相手との関係も壊れへん。
「自分を知り、相手を知れば百戦危うからず」っちゅう言葉があるんや。これは、自分の強みも弱みも、相手のこともよう知っとくことが大事やってことや。たとえばテストのとき、自分がどこが得意でどこが苦手か知って、そこをどうカバーするか考えることが大事やね。相手が難しい問題ばっか出す先生やったら、それに備えて勉強の作戦を立てるんや。
3. 準備はちゃんとしとく
「兵は拙速を聞かず、巧遅を聞く」とか言うけど、これは準備をちゃんとしとかなあかんってことや。たとえば、部活の試合でも、ちゃんと練習してへんといざって時に力が出えへんやろ?準備不足やと、ほんまに勝つのは難しい。
戦う場所を選べ!
「地の利を得る者は勝つ」言うて、戦う場所とかタイミングがめっちゃ大事やねん。たとえば、走るのが得意な子がかけっこで勝ちやすい場所を選ぶんは賢いやろ?逆に、自分が不利な場所で勝負せなあかん時は、無理して戦わん方がええかもしれへん。
チームワークも大事や!
「一丸となって戦うことが重要」ってのも、孫子の教えや。たとえば、クラスの発表会とか、みんながバラバラに動いたらうまくいかへんやん?でも、みんなで力合わせて作戦練ったら、いい結果が出やすいんよ。
まとめ
孫子の兵法は、単に戦争で勝つためのもんちゃうねん。日常のいろんな場面でも使える考え方や!「無駄な争いは避けて」「自分も相手もちゃんと理解して」「準備はしっかりして」「タイミングと場所を見極めて」「チームワークを大事にする」――これさえ頭に入れとけば、きっと学校生活や友達関係でもうまくいくで!
https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877
駒澤大学の森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由の第一は、主として海外の情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃や脅迫と暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定、ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者はトランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体的性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界のトランス活動家と左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである。
注目すべきはアメリカのリベラル新聞『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスの左派系新聞『がーディアン』などが相次いで、子供の拙速な性別移行措置に対する強い懸念を示す記事を掲載したことである。ローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。
トランスジェンダリズムには、「生物学的性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン(自治体や国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者、トランス活動家など)がある。
ハードバージョンは「身体の性別」すなわち「生物学的性別」の存在そのものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対の性別決定要因であるとみなす。トランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである。
クビー著『グローバル性革命』によれば、2007年にインドネシアのジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則の活動家のガイド』ハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題の目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。
同序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
【緊急声明】 新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために
要約
一般社団法人日本看護倫理学会は、次世代型mRNAワクチンとして、世界で唯一日本のみで認可され、2024年10月1日から定期接種を開始するとされている自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)の安全性および倫理性に関する懸念を表明します。
はじめに
新型コロナウイルス感染症に対する予防手段として遺伝子操作型ワクチンであるmRNAワクチンが導入され、多くの国民が接種しました。
いままでのワクチンが、ウイルスや細菌などの病原体を弱毒化したものやその成分を抗原として接種しヒトの免疫応答を誘導するのに対し、遺伝子操作型ワクチンは、当該抗原(スパイクタンパク質)をヒトの細胞内の遺伝機構を用いて作らせる点が大きく異なります。
そして、昨年11月28日に、自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)が世界に先駆けて日本で認可され(CSL, 2023; Sheridan, 2024)、以来日本は世界で唯一の認可国となっています。
認可されたレプリコンワクチンは米国の Arcturus Therapeutics が開発し、ベトナムでの大規模な治験(第I~第III相臨床試験)(Ho et al., 2024)を経て、製造と販売を日本のMeiji Seikaファルマが行なうものです。
レプリコンワクチンは、これまでのmRNAワクチンの抗原産生機能に加え自分自身を複製する機能があるため、少量の接種で長期間スパイクタンパク質を産生します。
このレプリコンワクチンは2024年10月1日をめどに定期接種を開始する(読売新聞, 2024)とされていますが、本学会は以下の通り、このワクチンの安全性・倫理性に関する懸念を表明します。
1. レプリコンワクチンが開発国や先行治験国で認可されていないという問題
日本がレプリコンワクチンを認可してから 8 ヶ月が経過していますが、開発国である米国や大規模治験を実施したベトナムをはじめとする世界各国で未だにレプリコンワクチンが認可されていないのはなぜでしょうか。
この状況は、海外で認可が取り消された薬剤を日本で使い続けた結果、多くの健康被害をもたらした薬害事件を思い起こさせます。
COVID19 パンデミックのときのような緊急時を除き、本来、薬剤は安全性が認められるまで世の中に出回ることはありません。
海外で未認可であるということは何らかの安全上の懸念があるのではないかと疑わざるを得ません。
2. シェディングの問題
レプリコンワクチンが「自己複製するmRNA」であるために、レプリコンワクチン自体が接種者から非接種者に感染(シェディング)するのではないかとの懸念があります(Seneff & Nigh, 2021)。
すなわちそれは、望まない人にワクチンの成分が取り込まれてしまうという倫理的問題をはらんでいます。
これは医療において最も重要で最も基本的な倫理原則である「危害を与えない」ことへの重大な侵害といえます。
レプリコンワクチンは、感染性を持たせないように設計されている(Ricardo-Lax et al., 2021)とのことですが、そのことは臨床研究によって実証されなければなりません。
しかし、現在までに当該レプリコンワクチンにおけるシェディングに関する臨床研究は皆無(岸田, 2024; 厚生労働省, 2024)です。
レプリコンワクチンが、望まない人にワクチンの成分が取り込まれてしまうという倫理的問題をはらんでいることに加え、10月からの定期接種が、シェディングの有無を確認するための実証研究になってはいけないと考えます。
3. 将来の安全性に関する問題
遺伝子操作型mRNAワクチンは、人体の細胞内の遺伝機構を利用し抗原タンパク質を生み出す技術であることから、人間の遺伝情報や遺伝機構に及ぼす影響、とくに後世への影響についての懸念が強く存在します。
mRNAベースのワクチンはヒトのDNAを変化させないという根強い主張がありますが、それを裏付ける研究は欠如しており、出所のはっきりしない仮定である(Domazet-Lošo, 2022)ことが明らかになっています。
最近の研究では、ファイザー・ビオンテック製のmRNAワクチンの塩基配列がヒトの肝細胞のDNAに逆転写されたと報告されており(Aldén et al., 2022)、ヒトの遺伝情報に影響しないという言説は
このような問題が解決されていない以上、定期接種によって広範囲かつ継続的にmRNAワクチンを使用することは問題があると考えます。
4. インフォームドコンセントの問題
従来のmRNAワクチンで指摘されていた重篤な副作用については、臨床試験の段階においても(Cardozo & Veazey, 2021)、実際に接種が開始されてからも(Slawotsky, 2023)、被接種者に十分な説明が行われてこなかったことが示されており、インフォームドコンセントを基盤とする医療のあり方を揺るがしかねない事態に私どもは強い懸念をもっています。
従来のmRNAワクチンでも指摘されていた心筋炎(Hviid et al., 2024)やアナフィラキシー(Barta et al., 2024)等に加え、上述したシェディングの可能性など、接種の時点で判明している有害事象のリスクを、被接種者に十分に説明し、理解をしてもらうことが重要です。
そのうえで被接種者本人が自発的に承諾するという基本的なインフォームドコンセントのプロセスを経る必要性があると考えます。
5. 接種勧奨と同調圧力の問題
従来のmRNAワクチン接種の事例を鑑みますと、ひとたびレプリコンワクチンが定期接種化されれば、医療従事者は率先して接種すべきであるとの世論や医療機関の方針が打ち出されることは想像するに難くありません。
患者を守るために医療従事者が感染経路とならないようにするという大義名分のもと、医療従事者自身の主体的な自己決定権が脅かされることがあってはなりません。
また、レプリコンワクチンは、自分のみならず、非接種者の家族や周囲の人々にまで影響を与える可能性がある中で、接種しなければならない状況に追い込まれることは絶対にあってはならないことだと考えます。
結論
一般社団法人日本看護倫理学会は、レプリコンワクチンの導入に関してはさらなる研究と長期的な安全性データの収集が必要であり、十分なインフォームドコンセントの確保と、接種に関する勧奨と同調圧力の排除が求められると考えます。
われわれは、安全かつ倫理的に適切なワクチンの開発と普及を強く支持するものではありますが、そのいずれも担保されていない現段階において拙速にレプリコンワクチンを導入することには深刻な懸念を表明します。
引用元:https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf
Xでは1万近くシェアされてるのに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/72dcf13fe005d1057d4d739e656824f86cd8e691
なんで、みんな、これにはだんまりなの?
リベラルって、都合の悪いこともフェアに向き合うからリベラルなんじゃないの?
どうしたの?みんな。
【緊急声明】 新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために
要約
一般社団法人日本看護倫理学会は、次世代型mRNAワクチンとして、世界で唯一日本のみで認可され、2024年10月1日から定期接種を開始するとされている自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)の安全性および倫理性に関する懸念を表明します。
はじめに
新型コロナウイルス感染症に対する予防手段として遺伝子操作型ワクチンであるmRNAワクチンが導入され、多くの国民が接種しました。
いままでのワクチンが、ウイルスや細菌などの病原体を弱毒化したものやその成分を抗原として接種しヒトの免疫応答を誘導するのに対し、遺伝子操作型ワクチンは、当該抗原(スパイクタンパク質)をヒトの細胞内の遺伝機構を用いて作らせる点が大きく異なります。
そして、昨年11月28日に、自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)が世界に先駆けて日本で認可され(CSL, 2023; Sheridan, 2024)、以来日本は世界で唯一の認可国となっています。
認可されたレプリコンワクチンは米国の Arcturus Therapeutics が開発し、ベトナムでの大規模な治験(第I~第III相臨床試験)(Ho et al., 2024)を経て、製造と販売を日本のMeiji Seikaファルマが行なうものです。
レプリコンワクチンは、これまでのmRNAワクチンの抗原産生機能に加え自分自身を複製する機能があるため、少量の接種で長期間スパイクタンパク質を産生します。
このレプリコンワクチンは2024年10月1日をめどに定期接種を開始する(読売新聞, 2024)とされていますが、本学会は以下の通り、このワクチンの安全性・倫理性に関する懸念を表明します。
1. レプリコンワクチンが開発国や先行治験国で認可されていないという問題
日本がレプリコンワクチンを認可してから 8 ヶ月が経過していますが、開発国である米国や大規模治験を実施したベトナムをはじめとする世界各国で未だにレプリコンワクチンが認可されていないのはなぜでしょうか。
この状況は、海外で認可が取り消された薬剤を日本で使い続けた結果、多くの健康被害をもたらした薬害事件を思い起こさせます。
COVID19 パンデミックのときのような緊急時を除き、本来、薬剤は安全性が認められるまで世の中に出回ることはありません。
海外で未認可であるということは何らかの安全上の懸念があるのではないかと疑わざるを得ません。
2. シェディングの問題
レプリコンワクチンが「自己複製するmRNA」であるために、レプリコンワクチン自体が接種者から非接種者に感染(シェディング)するのではないかとの懸念があります(Seneff & Nigh, 2021)。
すなわちそれは、望まない人にワクチンの成分が取り込まれてしまうという倫理的問題をはらんでいます。
これは医療において最も重要で最も基本的な倫理原則である「危害を与えない」ことへの重大な侵害といえます。
レプリコンワクチンは、感染性を持たせないように設計されている(Ricardo-Lax et al., 2021)とのことですが、そのことは臨床研究によって実証されなければなりません。
しかし、現在までに当該レプリコンワクチンにおけるシェディングに関する臨床研究は皆無(岸田, 2024; 厚生労働省, 2024)です。
レプリコンワクチンが、望まない人にワクチンの成分が取り込まれてしまうという倫理的問題をはらんでいることに加え、10月からの定期接種が、シェディングの有無を確認するための実証研究になってはいけないと考えます。
3. 将来の安全性に関する問題
遺伝子操作型mRNAワクチンは、人体の細胞内の遺伝機構を利用し抗原タンパク質を生み出す技術であることから、人間の遺伝情報や遺伝機構に及ぼす影響、とくに後世への影響についての懸念が強く存在します。
mRNAベースのワクチンはヒトのDNAを変化させないという根強い主張がありますが、それを裏付ける研究は欠如しており、出所のはっきりしない仮定である(Domazet-Lošo, 2022)ことが明らかになっています。
最近の研究では、ファイザー・ビオンテック製のmRNAワクチンの塩基配列がヒトの肝細胞のDNAに逆転写されたと報告されており(Aldén et al., 2022)、ヒトの遺伝情報に影響しないという言説は
このような問題が解決されていない以上、定期接種によって広範囲かつ継続的にmRNAワクチンを使用することは問題があると考えます。
4. インフォームドコンセントの問題
従来のmRNAワクチンで指摘されていた重篤な副作用については、臨床試験の段階においても(Cardozo & Veazey, 2021)、実際に接種が開始されてからも(Slawotsky, 2023)、被接種者に十分な説明が行われてこなかったことが示されており、インフォームドコンセントを基盤とする医療のあり方を揺るがしかねない事態に私どもは強い懸念をもっています。
従来のmRNAワクチンでも指摘されていた心筋炎(Hviid et al., 2024)やアナフィラキシー(Barta et al., 2024)等に加え、上述したシェディングの可能性など、接種の時点で判明している有害事象のリスクを、被接種者に十分に説明し、理解をしてもらうことが重要です。
そのうえで被接種者本人が自発的に承諾するという基本的なインフォームドコンセントのプロセスを経る必要性があると考えます。
5. 接種勧奨と同調圧力の問題
従来のmRNAワクチン接種の事例を鑑みますと、ひとたびレプリコンワクチンが定期接種化されれば、医療従事者は率先して接種すべきであるとの世論や医療機関の方針が打ち出されることは想像するに難くありません。
患者を守るために医療従事者が感染経路とならないようにするという大義名分のもと、医療従事者自身の主体的な自己決定権が脅かされることがあってはなりません。
また、レプリコンワクチンは、自分のみならず、非接種者の家族や周囲の人々にまで影響を与える可能性がある中で、接種しなければならない状況に追い込まれることは絶対にあってはならないことだと考えます。
結論
一般社団法人日本看護倫理学会は、レプリコンワクチンの導入に関してはさらなる研究と長期的な安全性データの収集が必要であり、十分なインフォームドコンセントの確保と、接種に関する勧奨と同調圧力の排除が求められると考えます。
われわれは、安全かつ倫理的に適切なワクチンの開発と普及を強く支持するものではありますが、そのいずれも担保されていない現段階において拙速にレプリコンワクチンを導入することには深刻な懸念を表明します。
引用元:https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf
レプリコンは9月中って話もあるけど、10月1日からなんだね。
それにしても、この声明を出すの遅すぎじゃね?
子曰く、「兵は拙速を聞くも、未だ巧久を見ざるなり」(武力行使は拙劣でも迅速であるべきで、巧妙だが長引く戦争は見たことがない)。
転職サイトの利用は、迅速に自身のマーケット価値を確かめ、多くの企業と接触するための一つの手段にすぎません。
しかし、企業の特定のポジションが転職サイトに載せられていない場合も多々あり、直接応募はそのような隠れた機会を捉えるための迅速な行動となり得ます。
例えば、リクルートエージェントやdoda、ビズリーチ、LinkedInなどの大手転職サイトも、それ自体は非常に有用な情報源であり、大量の求人情報を手に入れることが可能ですが、彼らが扱っていない企業の採用情報を見逃さないためには、増田自身の見識と迅速な行動が鍵となるでしょう。
孫子の「上兵は謀を伐つ」という言葉を胸に、まずはしっかりと情報収集と戦略を練ることが大切です。
謀を伐つ、つまり計略を破るには、徹底した準備が必要です。転職サイトだけでなく、企業の公式サイトやネットワーキングを通じて直接応募することで、他の求職者と差別化を図ることが求められます。
経験談としては、転職サイトと直応募の両方を組み合わせたアプローチが成功する例が多く見られます。どちらの方法も取り入れつつ、柔軟で迅速な行動が最終的な勝利をもたらすことでしょう。