はてなキーワード: アスペルガーとは
女やけどまあそういう女はアスペルガーとか何か入ってるんだと思う
女性でコミュ力があって明るくて誰とでも話せるんだけど、誰とでも話せるのはアスペルガーだったからって診断されてからわかる例もある
横だが、論理的に言えば君がすべき質問は「なぜ倫理観のない人に対して言うのは、かわいそうではないことになるのか」だよ
でもアスペじゃないなら「間違った行動をする人に対しては、馬鹿という言葉が叱責に該当するから」とかそういう理由を一瞬で推測できるよね
この文章がなぜ頭に入らないのかを考える。
・私はそもそも質問などしてないのですべき質問を提案している意味がわからないし、アスペの証明としているのも謎である。
・論理的と書いているが倫理のない人間を馬鹿と呼ぶことの是非以前の話をしていたのだから話が飛んでいるし、その飛ばした話のさらに先の話をしている。
・”なぜ倫理観のない人に対して言うのは、かわいそうではないことになるのか”
は文脈的には”馬鹿”が入るのだろうけど何を言うのか書かれておらず、先も書いたとおり話が飛んでおり脈絡がないせいで理解が困難になっている。
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
アスペルガーは自己中といわれやすく、女性の場合、以下の特徴に当てはまることが多い
・同性の友達がいない
・いつも同じ服を着る
・騒音などに耐性がない
・家事ができない
思い当たる節とかあったりしない?
田舎に戻って後悔した。
帰ってこなきゃよかった。
無事公務員になれたが、もう嫌だ。
親と縁を切ってでも帰らなきゃよかった。もしくはもっと時間をかけて仕事を選ぶべきだった。
ふとAさんが頭に浮かぶ。
Aさんとは公務員試験で再会した。
Aさんは中学校が同じで高校は別だった。メンタルを壊して?で高校をやめてバイトをしながら通信制で高校を卒業したらしい。そして、放送大学を卒業して「いちおう大卒」らしい。
Aさんは落ちた。それが自分ごとのように感じてすごく落ち込んだ。
Aさんは地味でモテなさそうな人だったけど、真面目で賢かった。
「やっぱりまともに学校行ってないからね〜」と言う顔が忘れられない。
なんだか申し訳なくなって、Aさんとは連絡を取っていない。地元の工場で働いているらしい。
「まあ、考えたいかな」と返された。
非正規は違ったんだろう。
採用辞退の人もいたし、私もそうすればよかった。
Aさんの話は関係無いかもしれないけど、田舎で昔の知り合いがほとんどいなくなった私にとっては少ないつながりだったから、思い出深い。というか、まともな人は出てるわこんなところ。
とにかく田舎を出たい。学生のときにそう決心して出たはずなのに忘れていた。
お金はもう諦めるしかないとして、休日が年100日以下なのが一番嫌かも。肉体労働もできればしたくない。親からも大学出たんなら高卒の仕事はやめとけよと言われている。
とにかくもう嫌だ。
続・理解のある彼くんに振られた
https://anond.hatelabo.jp/20230213021705 からもう1年以上経つらしい。つまり最初の「理解のある彼くん」に振られてからはもう3年以上経つわけだ。当時はまだ大学1回生だったが、今はもう3回生になってしまった。(躁鬱なので普通に休学という名の留年をしたよ)
おさらいすると私は発達障害(アスペルガー・ADHD)持ち躁鬱芸大生で、16歳から付き合った「理解のある彼くん」に(私からの精神的DVに耐えかねて)19歳の時に振られてしまうが、新しい彼くんを見つけてまたヨシヨシしてもらう生活を続けて、22歳の現在に至るよ。
16歳で異性と恋愛し始めてそれから振られたり付き合ったり色々して、考えたこととか気付いたことをまとめてみることにした。今回はかなり個人的な話が多い上に大した不幸話みたいなのもないから、すごくつまらないと感じる、何ならちょっとムカついちゃうかもしれない。読んでくれる人だけでも読んでくれると嬉しいな。
まず「続」に綴っている理系国公立大学生についてだが、なんとまだ付き合っている。最初の彼くんよりも長い、まさかの2年10ヶ月(24年11月現在)。彼くんは歳上なので、もう先に就職して現在はハウスメーカーで設計の仕事をしている社会人になった。正直面白みには少し欠けるくらい真面目な人だが、私の障害や病気に付き合ってくれる優しい?人だ。私の弱ヒスや鬱と向き合えるくらい精神力が強いが、私の病気に対して良くも悪くもあんまり何も思ってないんだろうなとは思う。「俺はお医者さんじゃないから増田の病気や症状については何も言えないし、先生の言うことをよく聞いて自分で実行してね。」というのが彼なりのアドバイスらしい。以前書いた通り差別意識のない彼くんは一度も「発達障害」や「躁鬱」といったフィルターを通して私を見たことがない。なんていうか、私という人物を最初に通して見てくれている気がする。それが良いのか悪いのかは分からないが、両親は「増田という人をちゃんと見ていてくれているね」と言ってくれるし、実際私もそう思っている。正直付き合ってしばらくの間は初めの彼くんのことをチラチラ考えてしまっていたが、今となってはこんな風に私と一生懸命向き合ってくれる現在の彼くんのことが大好きだ。
しかしどうしても腑に落ちないことがある。彼くんのスペックや内面的にも私みたいな病気女と付き合う意味や理由なんてどこにもないということだ。彼くんは国公立大卒で大手に就職するくらいしっかりした人で、いわゆるチー牛みたいなタイプでもないし、友人からも「普通にかっこいいよね」とよく言われる。実際話を聞く感じかなりモテたらしいし、学生時代の元カノを特定してみたら普通に可愛かった。しかしそういう話を一度も自分からはしないあたり余裕を感じる。多分彼女なんて選ぼうと思えば普通に選べるくらいの立場だし、私みたいな障害女と付き合わないといけないような人ではないっぽいのである。裏があってもおかしくないと本気で悩み、以前素直に「私みたいな障害のある女と付き合い続けるのはどうしてか」と聞いてみたころがある。すると「障害云々はちょっと分からないけど、明るくて素直で嘘がつけなくて、夢中でお喋りする姿が可愛くて好きだから」と言われてびっくりしてしまった。それって、発達障害者の特徴では?と思ったのだ。明るくて、とは楽観的で発達が遅れているってことだし、素直で嘘がつけないのは顔に出やすい上に本当に嘘が下手すぎるからだし、夢中でお喋りに関してはアスペオタク早口ってことじゃないか。発達障害に生まれて22年間、ずっと自分が嫌だと苦しんでいたのはチャームポイントになるのかとかなり衝撃的だった。少し話は変わるが、日本人男性がいわゆる「幼児的な可愛さ」を女性の可愛さに直結させてて気持ち悪い!みたいな言説を良く見る。自分が発達障害でありながらもここまで溺愛してくる彼氏がいること、そもそも彼氏が途切れないのは自分の幼稚な部分、つまり発達障害がアドバンテージになっていた可能性が低くはないということに最近気が付いた。そういえばうちの母親も確実にADHDで、空気の読めない発言やそもそもの頭の悪さでしょっちゅう怒られている気がするし父親以外まともな友人は一人もいないが、そもそも美人な上に「発達障害っぽい可愛さ(母親の場合は本当によく笑う)」で父親(母親の旦那)に超溺愛されている。発達障害とは(少なくとも日本の)恋愛市場においてはかなりアドバンテージなのかもしれない・・・と薄々感じ始めた。
この手の話をすると必ず「発達障害の女なんてまともな男性は選ばない!ハイスペ男性は自立した健常者の美人を選ぶ!何とかの何とかさんが良い例だ!」みたいなことを言う人が男女問わず現れるけど、正直周りや自分自身のパターンを見てても結局「男性は相当大きな問題が無い限り、明るくて素直で可愛い人を選ぶ」気がする。ハイスペとかも正直あんまり関係ないと思うし、実際先述した父親も会社を一代で築き上げたやり手だ。私の地元はそういうエリート?な父親が多かったが、大体のお母さんは別にバリキャリみたいなタイプではなくて、ただ美人な人は多かった。私が今の彼くんと結婚するかどうかとかは分からないし、ここまでベラベラ良い気になって話してても浮気されるかもしれないし、それは分からない。確かに昨今の「女だから恋愛が出来る!男だったら今頃〜」的なのは賛同するが、それでも発達障害女性って顔とかが可愛い場合につきまあまあモテるのではと最近考え始めた。モテる層がどんな人とかはわからないし、それも年齢とかで変わってくるんだろうけど。
また以前は「女はセックス以外価値がないから、セックスさえさせてくれて多少可愛ければ男性と付き合える」「中身より外見が好みじゃないと付き合ってもらえない」と思っていたが、やっぱり周りを見ていると結局中身は死ぬほど重要だということが分かった。どれだけ可愛くても、エロくても、最終的には中身だ。これだけは断言できる。主に夜職系のアカウントで「外見は大事だし外見さえ良ければ何でも許してくれるし何でも買ってもらえる」みたいなことを自慢げに書いてらっしゃる方々を散見するが、成人してまでそんなことを本気で思っているのならば早急に考えを改めて、これまで自分がしてきた恋愛についてもっと反省するべきだと思う。結局恋愛なんて人間関係に性を含めて延長させたものなんだから、中身が伴ってないと駄目に決まっているのだ。
まあ偉そうにいっぱい書いたけど、どれだけ自分を正当化させるように思想を固めたところで結局は「まあ女だからね」になってしまう。実際そうなのだとも思う。大昔、友人に言われた「お前本当に女に生まれて良かったな」という一言が忘れなくて今もずっと心にこべりついたままだ。自分の魅力は結局性別なのかもしれない。分からないのだ。
文章なんて久々に書いたせいでまとめ方が分からないな。大した大学に通ってないから、書き方が合っているのかも分からないし。なんか、不幸な結末を期待して読んだ人がいたらごめんね。まあ安心して、いつか不幸になるかもしれないから。その時はまた「理解のある彼くんに振られた」って、匿名はてな書くから。
読み取れないお前がアスペ()
(…自分がアスペって事実は何も変わらないので虚しい煽りだわ)
以下もともと書いてた事
やめとけやめとけやめとけ
相手はほぼ確実にアスペルガーだ。あなたは確実にカサンドラ症候群になる。ググってください。今後その彼氏にも、周りに彼の奇行を話してもあなたの感じた不満や違和感は永遠に共感されない。自分だけが抱えることになる。辛いぞ。自分の考えだけど、もしADHDだけなら人の心は持ってるが、アスペは人間とは脳が別の生き物だと思ってる。
生き物が違うから人間の話が伝わらないし、もし万が一努力して人間界への適応頑張ってるアスペだったとしても限界があるんだ。
定型発達なら普通に備わってて生まれた時からオートで働いてる人としてのセンサーがいくつも元々ぶっ壊れてるんだ。もともと無いんだ。
例えば、人との適切な距離感とか。心の機微を感じ取る能力とか。
「知って」「意識してその感覚を培っていこう」と努力しないと身に付かないし、
そしてまだ気付いてない常人が普通に持ちえる感覚が何百とある。
もともとその感覚は無いから。真似して「多分こんな感じだろう」と想像するしかないんだ。
>どうも女は自分に嫌な思いをさせたアイツはモテない奴だと思いたがる習性があるようであり、モテる奴に迷惑をかけられたと考えることは耐えられないみたいなのである。
他称弱者男性=生まれたときからどこか悪かった、育った環境が悪かった、入った会社が悪かった、そのせいでハンデがある、税金で救うべき層
自称弱者男性=モテない俺は可哀想、という妄想で金もあるし病気でもないのに卑屈さ/攻撃性のどちらかを必ず抱えたヤバい人
こういう感覚でおりますし、多分殆どの女性がそうだと思うんだけど、違うのだろうか。
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自分は自称彼女いたことない同僚と気軽に話すし気軽に飯にもいくけど
私の知ってる「モテない人」って割と善人なんだよね、だからいやなイメージもなかった。
彼らは本当にただのモテない人。
真面目に働いて貯金なり親孝行なりしてて、温和で、会話も成立して、同僚からも信頼の厚い、弱者ってわけじゃない人。
でもネットだけみてると、俺に媚びない女はゴミ、って誰かに親切にするでもなく、ただそれだけ本気で繰り返してる人がたくさんいて、増田にもたくさんいて、あれと自分の知ってる非モテがどうしても繋がらなかった。
私の思う「非モテ」は「単純に恋人ができたことがない、それ以外普通の人」。もちろん非モテなことに卑屈な発言もしない。
「弱者男性」はもうほんとなんか年収3~800万あっても彼女いないから俺は恵まれてないんだって言い出す「頭のおかしい人」。身近にはいない。現実生活で見たことがない。怖い。
今ならアスペルガーとかASDとかの文脈の方で回収されている層=生活貧困者は「気の毒な人」、月に10万稼げない層というか、多分働けない疾患だか事情があるから仕事に打ち込めないんだろう…、本来の弱者男性なんだけど、非モテな俺は可哀想っていう↑のアホに居場所を乗っ取られてしまった人ってかんじ。友達の親戚とかの範囲でちょいちょい現実にいる。心配。
私は2000年台、まだSNSができる前、小谷野敦が「モテない男」を出版し、本田透が「電波男」で二次元嫁の存在を説き、ネットで喪男、喪女という単語ができたときから、今でいう「非モテ」と「弱者男性」に関する議論を見てきた。
そこで共通していたのは、モテないやつを「悪い奴じゃないんだけど、なんかコミュニケーションが苦手だったりブサイクだったりしてモテない、かわいそうな奴」のように捉えていたことだ。
別に特段いい奴というわけではないが、決して悪人ではなく、でもなんか外見なり様子なりどこかしら気持ち悪いからモテないみたいなの。
2chの喪男板とか、モテないどころか友達すらいない奴も多かったと思う。
多分、今ならアスペルガーとかASDとかの文脈の方で回収されている層が「モテない」というカテゴリに入れられていた。
つまり「かわいそうなヤツ」だったわけだ。
それは現在、男が(特に同類の男が)弱者男性について語るときも、そんなに変わっていないと思う。視覚化するとしたら、ちょいブサイクな男が暗い部屋の中で一人で動画見てゲームしてるような情景が非モテという単語からは思い浮かぶ。
その後、非モテ論ははてなで盛り上がったりして、今では「弱者男性」論が盛んだが、一つだけ大きな違いは「女が男の非モテについて語りだした」こと。
昔だって上野千鶴子が宮台真司との対談でそういう男は「ギャルゲーしながら死んでくれればいい」とか言ったとかあったが、やはり同性の、斬れば血の出る問題だけに異性が下手な言及は避けていたのだと思う。男の非モテは男が語るのが定番だったと思う。
ところが、女がこの問題に口を突っ込むようになって、「弱者男性論」になった今ではそれは普通になったが、彼女らの書く文章を読んでいるとどうしても違和感があるのだ。なんか根本的に違うものを見ているような、こっちはタヌキについて語ってるのにキツネに関する文章を読まされているような、妙なズレた感じが消えなかった。
どこでそれが生じているかに気づいたので書く、
女は「モテない奴」を「悪い奴」だと思っていること。もっと言うと「過去に自分に迷惑をかけたアイツみたいな奴」へのレッテルとして「非モテ」とか「弱者男性」という単語を使っていることだ。
女「過去に付き合ったことのある非モテにひどい目に合わされた!やっぱり非モテはダメ」とか言い出す女を何度見たことか知らない。
こっちの感覚としては、付き合ってる時点で非モテではない。データ上でも童貞30歳なんて珍しくもない時代である。そいつは「モテている」奴である。
女「マッチングアプリで出会った弱者男性がとんでもなく粗暴でした。やっぱり弱者男性は人間性も終わってますね」
それは弱者男性じゃないだろう、としか思わない。どちらかというとDQNとか言うのでは?
どうも女は自分に嫌な思いをさせたアイツはモテない奴だと思いたがる習性があるようであり、モテる奴に迷惑をかけられたと考えることは耐えられないみたいなのである。
で、「その時のそいつ」が心象内の「非モテ」のモデルになっていき、そいつに向かっていいたいことを世にいる「非モテ」とか「弱者男性」にぶつけるわけである。
だからこっちが「なんかかわいそうなヤツ」だと思っている非モテ像とまるで合致しない。話のズレの正体はここにあった。
それだけの記事なので、だからなんだと言われたら困るが別に「モテない」というのは単に性的魅力が足りてないというだけのことなんだから、あんまり否定的な意味を付け足すのは良くないと思う。
私は女で、女性を生涯の伴侶としている。
その後初めて顔を合わせ、交際から2か月程度で同居が始まった。
住んでいる地域にはパートナーシップ制度がないため、養子縁組をして家族になった。
異常だなと思いたいが、私自身が惚れっぽい上にメンヘラなので強引に愛してくれる彼女の行動がとても嬉しかった。
こういった長文を記した経験がないので、乱文になることをご容赦いただきたい。
今はアスペルガーとは言わずいろいろまとめてASDというらしい。
検査を受けるお金がないため、「かもしれない」としか言えず、かつ私は白に近いグレーだろうと見ている。
ASD関連の書籍を見ていると、当事者へ向けたものは少なく、私が受けた印象としては「周囲の人が慣れましょう」というものが多かった。
今までは、彼女の余計な一言やTPOをわきまえない言動に対して、私が「あれはよくなかったね」と伝え、彼女も「分かった。気を付ける」と言ってくれていた。
しかし、実のところ、彼女自身は、なぜ、なにが、どう良くないのか、ということを理解できていないので状況や言葉を変えて同じような問題を起こすということが度々あった。
彼女との大まかなコミュニケーションは他の人と変わらないように思う。インターネット上でよく遊んでいたグループの中でも、彼女は知的で空気の読める人だと感じていた。
話を聞いていると職場での人間関係は良好そうで、年齢や性別、部署関係なくいろんな人と関わっていて、「先週の日曜日は営業の○○さんの娘さんの運動会で~」などプライベートのことも話しているようだ。
しかし私との会話や生活においてはすれ違いが生じることが多かった。
彼女が他の人と何が違うのかと言えば、相手の気持ちを量れず、パターン化されていない会話ができない点だと私は思う。
彼女がだいたいのコミュニティでうまくやれているのは、過去20数年の人生のコミュニケーションでミスをする度にその状況にあった言葉や行動を記憶しているからというわけだ。
ASDの特性の一つに記憶力がいいというものがあるが、確かに彼女は一度読んだWikipediaの記事の内容を覚えている。
職場の人とはこういう受け答えをする、友人とはこういうコミュニケーションをする、ということをパターンで学んでいるため、「妻とのコミュニケーション」という新しいものに対応できていないのだと私は考えている。
私が何かを学習するときは、「なぜそうなのか」を積極的に知ろうとする。
だから私が嫌だと感じたことや、彼女の言動で違和感を感じたことについては「なぜ」から始めるのだが、これは意味がないということに先日気がついた。
彼女にとって感情は想像も知ることもできないもので、自分の知識にないコミュニケーションはただただ分からないものだからだ。
「相手はどう感じたか想像して発言しよう」というのができない、私が当たり前にできることができない。これが障害なのか。
してほしいこと、してほしくないこと、したいこと、したくないこと。
何故なのか?を話しても彼女には「そうなんだ」で終わってしまう話なのである。
家族として、内心を話せないのはあまりにもドライではないかと少し悲しくなるが、彼女と私の安寧の為には必要なことなのだと割り切るしかない。