はてなキーワード: 意味合いとは
詳細
「日常的に必ず」は、毎日のように繰り返されるさまやふだん通りであるさまを意味する「日常的」と、可能性の強い状態を表す「必ず」を組み合わせた表現です。
「日常的」は、通常生活においてみられたり必要とされたりするさまを意味します。たとえば、「散歩は日常的に行っている」のように表現できます。
「必ず」は、可能性の強い状態を表す言葉で、「きっと」と似た意味合いを持ちます。「必ず」のほうが確率的により高い場合に使う言葉です。
ここに書かれている1人目が恐らく私だ。全て身に覚えがある。なぜこんなことを書かれねばならないのか憤りを隠せない。
しかし勘違いしないでほしい。被害者ヅラしてまるで私が悪い事をしたかのようにあれこれ羅列しているが、悪いのは彼女の方だ。彼女が人を悪者扱いする姑息な女だということを理解してほしい。
まず服にダメ出ししたとのことだが、そのようなことはしていない。確かに彼女の服装は気に入るものではなかったが、貶すような言い方はしていない。やんわりと"その服は好みではないですよ"と伝えるために「もっと可愛い服はもってないんですか?次は可愛い服を着てきてください」と言ったのだ。それをダメ出しと受け取るなど、被害妄想も甚だしい。
相合傘をしようとしたのは彼女の折り畳み傘を濡らさないためだ。そもそも相合傘を悪い事だと思っているのが理解に苦しむ。これから結婚するかもしれない相手に対して警戒しすぎなのでは?人の親切は素直に受け取るべきだ。7人目に素直な方がいいと言われていることから分かるように、素直さに欠けているのだろう。
ファミレスに行ったのは食事時を過ぎていて軽くお茶するには丁度いいと思ったからだ。昼食は食べたと言っていたし、どうせオシャレなレストランに連れて行ってあげたとしても何も食べられないだろう。ファミレスくらいが丁度いいと考えてのことだ。
体重を聞いたのは会話のきっかけに過ぎない。太っているならば答えにくい質問ではあるが、痩せているから聞いても問題はないだろうと判断しての事だ。
年齢詐称については大学生くらいに見えますと言った上でのことだ。老けているという意味合いではないのにそこを書かずに一部の発言を切り取るのは悪意を感じる。
エロ漫画は持っていても気にしないかとの確認のために聞いたのだ。自慢ではない。
逆ギレはしていない。アニメを見ることは悪いことではないのに上から目線で責めてきたから「あなたが怒られるのが怖いだけですよね」と図星を指したまでだ。
子供が欲しいから若い女性と結婚したいことと、年下を子供扱いしてしまうことは矛盾していないのでは?子供扱いしていても結婚はできる。
奢りはしたがドヤ顔はしていない。年上が奢るものというのも間違いではないだろう。彼女が気にして支払おうとするから気にしなくていいと彼女のために言ったまでだ。
「常識的にするべきことができていません」と言ったのは彼女も完璧な人間ではないのだからいちいち偉そうに上から目線で説教できる立場ではない、アニメの件について腹が立ちはしたが私は広い心であなたのことも受け入れます、ということが言いたかったのだ。
結婚を視野に入れて会っているのに腕を組むのも頭を撫でるのも気色悪いと言うなんて本当に結婚する気があったのか疑問だ。冷やかしで婚活しているならやめて欲しい。
しかしよく考えてみれば彼女は本当に結婚する気はなかったのだと思う。このように匿名で悪口を書き込んで男性を馬鹿にして楽しんでいるだけなのではないか?
私は高収入で節約上手で貯金が多いこと、一人暮らしが長く家事が得意なことなど散々アピールしてきたのに、マイナスな面しか目に入らないのはそのためだろう。
anond:20241209190903 の表題が混乱を招いたので解説
元増田表題は後述するように広義の山梨県下は富士五湖周辺などで観光経験があること、および甲府市内限定で巡ったわけでもないことから、
山梨県の中心部の(山エリアではない)市内観光という意味合いを手抜き的にまとめた結果
諸般の事情でブチっとなって中央線に飛び乗ってから泊まれる安宿を検索した
ブチっと泊ったはいいがどうしたものかと考えあぐねた末、上記スーパー銭湯での欲求の不充足を埋めるべく
ゆるキャンの地に行くことにした
電車で最寄り駅まで移動したあと黙々と歩いて到着
一人で浸かって、なんか色々と落ちるものが落ちた
終始、見晴らしがいい上に一度登ってしまえばひたすら下るだけなので
展望台のレストランはカロリー消費後なこともあり、とても美味しい
上記1回目は山梨を全く意識しておらず、観光目的でもないためノーカン
この公園なら高低差があるため紅葉が見れる帯域があるのではと川口湖畔から強行
結果は外れ
当初は箱根で紅葉狩り予定だったものがズルズルと足を伸ばしたものなため
笛吹川フルーツ公園に対する家族の印象が良くないものに終わったことに懸念を抱き
長野旅行に行く途中でほったらかし温泉の来迎を組み込んでのイメージアップ作戦を図る
そこそこ成功
長野旅行の立ち寄りという体裁のため山梨観光という認識がなくノーカン
観光目的で立ち寄ったという認識からことごとく外れているという結果だった
今後軌道修正を図っていきたい
ロシア軍の損害が「とんでもない水準」に? 死傷者が “最高記録”更新か 英国防省が要因を指摘
https://trafficnews.jp/post/136615
ブコメページ
マジでトップコメが何故トップコメになっているのか理解できてないコメントがはてブ以外にもXやらブルスカやら色んなSNSで散見するので解説する
結局、以前から言われていた通りに「露軍の目標は宇領土、宇軍の目標は露軍」という話で、露軍は獲得した宇領土を保持するため露軍を駐留させなければならないが、駐留している露軍は宇軍の目標なので露軍は被害拡大
このトップコメは端的にウクライナ軍、というかウクライナ人の攻撃目標を実によく表現していて、はっきりと言ってしまえばウクライナという国家が主権を喪ってウクライナという国家が消滅してもウクライナ人の攻撃目標はロシア軍であり続けるという意味だ
そうつまり、ウクライナ人からするとロシア軍(ロシア連邦)がウクライナ領土(主権喪失後は元ウクライナ地域)から撤退さえしたら「我が故郷の土地」は返ってくるので、別に現時点リアルタイム正に今この瞬間でウクライナ領土を奪還する必要性は薄いんだよ
ウクライナ人の現時点リアルタイム正に今この瞬間の攻撃目標はロシア軍であり、過去のベトナムなどの戦史を振り返っているからこそロシア連邦は北朝鮮など外国人傭兵の運用を始めたんだ
ウクライナ人はウクライナ領土の奪還よりもロシア軍への攻撃を主目的としていて、「ウクライナは領土を諦めつつある」というのは別に「ロシア軍への攻撃を諦めつつある」わけじゃねーんだわ
それをわかっているからこそウクライナへ味方する西側諸国はロシア軍の人的損耗を執拗にも大々的に発表しロシア連邦政府により多くの人的リソースを吐き出させようと仕向けているし、ゼレンスキー大統領は爆撃などでロシア軍兵を一網打尽にできる二次元的な面制圧性能を持った兵器を求めている
ウクライナ軍は領土を奪還するためロシア軍へ攻撃してるんじゃなく、ロシア軍兵士を殺傷するためロシア軍へ攻撃してるんだよ意味合いが全く違うんだよ
つまり、ウクライナ軍はロシア軍兵士をより多く殺傷できるのであれば後退や退却すらも戦術オプションとしていて、ウクライナ国内の支配地域がウクライナに傾こうがロシアに傾こうが、ウクライナにとって大事なのはロシア軍兵士の殺傷率(数)なんだ
ウクライナ国内の支配地域の面積にこだわっているのは最初から最後までロシア側であって「ウクライナが領土を喪ってるから終わった」みたいな主張は全く以て見当違いも甚だしい
示された内容は「イスラム教の基本」として述べられていますが、同様の主張を支持する宗教的な原典(クルアーン、ハディース)や、正統なイスラム法学(フィクフ)の立場を示す学術的・公的な資料は確認できません。イスラム教学、イスラーム研究の専門書、または信頼できる解説書・学者による解説を確認しても、そのような言説は見当たりません。
イスラム教学上の実際:
イスラム法やイスラム社会において、女性が単独で外出したり、髪や肌が見える場合、それが「売春婦」と見なされるといった一般的・正統的な主張は存在しません。また、「男性が自由に取って食って良い」というような表現はイスラム法の価値観や倫理に強く反するものであり、そのような解釈を正当化する根拠は全くありません。
ネット上や差別的な風評の文脈で、この種の根拠なき主張が流布されることがあります。これらはイスラム教、またはムスリム社会への偏見や敵意から生まれた誤情報である可能性が高く、宗教研究者や公的機関からの正式な出典は存在しないと考えられます。
結論:
ご提示の内容は、イスラム教の正統的な教えや文献に裏付けられたものではなく、正式な出典は見つかりません。むしろ、誤ったイメージやデマ情報の一例であると判断されます。
ご提示のような主張に対し、「拡大解釈されているとすれば、どのような原典や元ネタがあるのか」という問いは、以下のように考えられます。
イスラム教徒(特にスンナ派主流)においては、クルアーンやハディース、及びそれに基づくイスラーム法学(フィクフ)の中で、男女問わず服装や行動の端正さ、貞潔さが繰り返し強調されています。具体的には、「女性は公の場で体の特定部分を隠す(アウラを覆う)べきである」、「長距離の旅行にはマフラム(近親の男性家族)を伴うべき」などの規定が存在します。しかし、これらはあくまで宗教的・倫理的な推奨や規制であり、違反したからといって「売春婦」と同一視したり、男性が自由に女性を凌辱して良いといった発想につながるものではありません。
クルアーンやハディース内で女性の服装規範(ヒジャーブやアウラ覆い)について述べられている箇所
女性の安全確保や社会秩序のために女性が家族男性(マフラム)と行動することを推奨する伝統的解釈
これらの規定は「女性は慎ましくあれ」「安全を考慮しろ」といった、道徳的・社会的秩序維持の趣旨であり、決して「一人で外を歩く女性は売春婦」だとか「男は自由に襲ってよい」といった極端な結論を導くものではありません。
あくまで「女性の外出行動や服装に一定の制限や推奨事項がある」という原点的教えが、悪意的・偏見的な誇張や切り出しによって、「髪や肌を露出して外出=売春婦と同義」という過激な誤解に転化されていると考えられます。
イスラームの教えそのものではなく、一部地域的な文化・慣習で「不貞な女」「身持ちが悪い女」と見なされる行動規範が存在していた可能性はあります。これらの地域的偏見や差別的な見解が、イスラーム全体の教えであるかのように誤解され、または意図的に紛れ込まされた場合、上記のような主張になってしまうことがあります。
ヨーロッパやアメリカ、あるいは他の非イスラーム社会圏などで、反イスラーム的風潮を喚起するためにイスラームに関わる規範を歪曲したプロパガンダが出回ることがあります。このような情報の中には、イスラム教の教えを断片的に取り出し、極端に拡大解釈したり、正反対の意味合いにねじ曲げて伝えることで、反感や恐怖心を煽るものが存在します。
まとめ:
原典的な元は、イスラム教の基本文献(クルアーン、ハディース)中の「女性の貞潔や行動に対する規定」あるいは「安全確保のための同行推奨」などの正当な教えが、極端な拡大解釈・歪曲によって生み出された可能性が高いです。
それに加え、一部地域の文化的偏見や反イスラーム的プロパガンダが混ざり込み、本来の教えにはない過激な結論(「単独で肌を見せて歩く女性=売春婦」など)を導き出してしまっていると考えられます。
一見すると無個性な人でも、よく見れば7つくらいの癖はある、といった意味。
続く言葉に「有って四十八癖」というのもあり、合わせて「無くて七癖、有って四十八癖」といったように用いられる。
この文は少し冗談や言葉遊びが含まれているように見えます。「部長が社食の券売機で温泉卵を買い占めていた」という部分は、文字通り「部長が会社の食堂の券売機で温泉卵の食券を大量に購入していた」ことを示しています。
一方、「食券卵用」という表現には、以下のような可能性が考えられます:
1. 言葉遊び
「食券卵用(しょっけんたまごよう)」は、「食券」と「卵用」をかけた冗談の可能性があります。つまり、部長が「温泉卵を買うための食券を多く購入した」という行動をコミカルに強調しているのでしょう。
2. 意味の補足
「卵用」とは、文字通り温泉卵のために購入されたことを指しているか、単に買い占めを強調するためのユーモア的な追加表現かもしれません。
文全体は、部長の少しおかしな行動を面白おかしく伝える軽い話題として使われているように感じます。特に「買い占めていた」という表現が、部長の行動を過剰に描写してユーモラスにしているのではないでしょうか。
温泉卵(やわらかくゆでた卵)を
大量に(買い占めるほど)購入していた
「食券卵用」の部分は、食券で買える卵という意味合いと、「食べる用」という意味が混ざっているように見えます。
おそらくこの状況には、以下のようなニュアンスがあるでしょう:
それが何らかの不適切な行為や面白いエピソードとして語られている
文脈によって、より正確な意味は変わってきますが、基本的には「部長が食堂の食券で温泉卵を大量に買っていた」という状況を描写しています。
これは「職権乱用(しょっけんらんよう)」という言葉をもじったダジャレ表現です。
元々の文脈は、部長が会社の食堂の券売機で温泉卵の食券を買い占めていた、つまり「職権を乱用している(職権乱用)」状況を、似た読みの「食券卵用」と書き換えることでユーモラスに表現しています。「職権乱用」を「食券卵用」に置き換えることで、「食券(しょっけん)」と「職権(しょっけん)」、さらに「乱用(らんよう)」と「卵用(たまごよう)」をかけ、部長が温泉卵を大量購入する行為を笑いに変えています。
要するに、部長が温泉卵を独り占めする行為を「職権乱用」ならぬ「食券卵用」と言い換えて、ちょっとしたシャレとして表しているのです。
すごい。
どうせマヨネーズとは名ばかりの甘いジュースかと思ったら違った。全然甘くない。そして、酸っぱさと油っぽさがあって、まさしくマヨネーズの味だ。でも、塩辛い。1本200mL中、食塩相当量1.6gなのはかなりの塩分量だ。もう少し塩分量が少なくても良かったのでは?
とはいえ、マヨネーズには塩気が必要という考えも、わからなくもない。食塩が少なければ、ぼやけた味わいになってしまいマヨネーズらしさが失われてしまうだろう。それと、夏の暑い時期なら発汗で失った塩分補給に適していたのになぁとも思った。
しかしながら、この飲むマヨはどういう時に飲めばおいしく味わうことができるのだろうか? と考えてみた。唐揚げやサラダなどマヨネーズを付けて食べる食品と一緒に飲むことが想起されるが、これは相性が良くなさそうだ。なぜなら、普通にマヨネーズを付けて食べた方がおいしいに決まっているからだ。
逆に、お菓子やデザートなどの甘い物と一緒に飲むマヨを飲むのが向いているように私は感じた。洋菓子ならば紅茶やコーヒーを和菓子ならばほうじ茶や緑茶をといった具合に、菓子の甘さを引き立てるのは甘さとは対極である苦みや渋みをもつ飲み物が適しているからだ。飲むマヨの酸味が甘さを引き立てるであろうことはもちろん、多量に含まれている塩分もまた甘さを引き立てるのに役立つだろう。
和菓子には塩分を多く含まれる物が多数ある。せんべい、みたらし団子、カンロ飴にはしょう油が含まれているのでもちろん塩分が多いし、しょう油でなくとも塩を含む和菓子は多い。和菓子にはあんこがつきものだがあんこの甘味を引き立てるのは塩であるし、スイカやトマトに塩を振りかけて食べることもある。このように和菓子などの日本の間食に塩を含ませる文化は、日本の夏の高温多湿な気候によって発汗で失う塩分を補わせる意味合いが強いのだろう。
対して、洋菓子には塩分を含む物が無いように感じる。ここに、飲むマヨの需要があるだろう。
油気も塩気も少なくあっさりとした味わいの洋菓子に対しては、飲むマヨが合うのではないだろうか。例えば、ゼリー・ジュレ・ジャム・シャーベットである。あるいは、酸味の少ない果物でも飲むマヨが合うかもしれない。バナナやマンゴーやスイカやカキといったもともと酸味の無い果物はもちろん、近年は品種改良でイチゴやブドウでも酸味のない品種が生まれているので、飲むマヨで酸味を補えば果物の甘さを引き立てることだろう。
昨今の気温上昇は日本に限ったものではないので、海外でも発汗によって塩分補給の需要は高まっているだろう。そこで、塩分の乏しい洋菓子に対して、飲むマヨの需要が生まれることは想像に難くない。
このようにして、飲むマヨには将来性があると考えられる。飲むマヨはテスト販売中とのことだが、ただの一過性のテストで終わってしまってはもったいない。
まずそれが分からない
性の商品化と同じでいいんですか?
あとは異性を惹きつけるための広告とか、サービスシーンか? *2
直接的にはポルノじゃないけどカッコいい男や可愛い女の子を広告に使うのは男性性、女性性を利用して顧客を誘引してるよね
最近のドラマで「あのクズを殴ってやりたいんだ」ってのがあって唐突に男のシャワーシーンが出てきたけどああいうのも性的消費?
イケメンとか女優出すだけで性的消費だと大分意味合い変わってきそうだけど、原則的には性的消費?
これが一番性的消費って感じがする。
で、何が悪いんだっけ?
いや昔ながらの倫理観で「はしたない!」「不潔!」「性は神聖なものであって商品化されるべきではない」「公序良俗に反する」とかなら分かるよ
金払ってねえんだから
金払えよって話
でも買ってんならいいんじゃないの?
女も男を性的消費してんじゃん、とかはさ
いや、それを悪いとする価値観はもちろん昔ながらのアレであるんですけど
男女平等という観点からは性的消費そのものを悪とすることにはつながらないよね
そのほうがしっくりくるね
じゃあ悪い性的消費ってなんだろう?
これは悪かな?
じゃっかん悪よりだよね
でもこれは悪よりだけど許されると思う
じゃあ表現することは?これはかなりアウトに近いと思う
昔、中学生のころBL好きの友達が男の子と喧嘩したとき「あいつを〇〇とかけ算してやろうかと思った藁」みたいなことホムペで書いてた
あとは言葉だけでなくコラだのAIだので性的画像を作るともうアウトでしょ
自分の性的なことがらというのはその人の尊厳や名誉にかかわることであって、これを他人が勝手にあれこれするのは悪い事だ
これは全然セーフでしょ
③男→女の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
④女→男の直接違法的性的消費(↑の違法利用、セクハラ、レイプ)
⑤男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、可愛い女の子による広告など)
⑥男→女の間接合法的性的消費(サービスシーン、イケメンによる広告など)
でも明らかに男の方が女を求める数が多いので、数が平等ではない
これは主に性欲に起因する違いと思われる
①に関して、風俗で働かざるを得ない状況を維持するものとして批判することができそうかな?
そうすると人類の存続は非倫理的なものみたいな過激思想になって都合が悪いので性欲そのものは悪くないってことにしておくね)
問題は③だよな
これがなくなればいいんじゃない?大体満足なんじゃない
とくにポルノの違法的利用、セクハラ、痴漢、レイプは公正な取引や人間の尊厳を毀損するものなので悪いことです
よってこれらが行われないように対策をしていきましょう
当たり前じゃねえか!もうええわ
「托卵」という言葉は、元来生物学的な用語として知られています。
その学術的な意味は、ある動物が自分の卵を他の動物の巣に預け、その動物に育てさせる行動を指します。この現象は主に鳥類で見られ、たとえばカッコウが代表的な例です。英語では brood parasitism と表現されます。
しかし近年、日本語では「托卵」という言葉が学術的な文脈を離れ、比喩的かつネガティブな意味で使用されるケースが増えているように感じます。たとえば、人間関係や家庭において、子どもの父親が実際の夫ではない状況を指す言葉として、「托卵」が使われることがあります。この場合、「托卵」はいわば下世話な比喩として用いられ、その学術的な意味や本来の文脈が忘れられてしまっているのです。
こうした使い方に私は違和感を覚えます。学術的な背景を持つ言葉が、軽率にネガティブな意味合いで使われることで、本来の意義が失われることを懸念します。たしかに、「托卵」は家庭や人間関係の問題を説明する際にインパクトのある表現かもしれません。しかし、こうした状況はそもそも生物学的な行動ではなく、倫理的・法律的な問題です。つまり、この場合の問題の本質は「父性の詐欺」、すなわち英語で言う paternity fraud に近いものです。
本来、こうした行為は社会的・道徳的な観点から「詐欺」として厳しく非難されるべきです。「托卵」という言葉を使うことで問題の本質がぼやけ、「仕方のないこと」「面白おかしい話」として扱われてしまう危険性があります。学術的な言葉を使って社会的な問題を語るのは便利かもしれませんが、それによって問題の深刻さや正当な批判が軽視されるべきではないと考えます。
結論として、私は「托卵」という言葉の比喩的な使われ方に慎重になるべきだと思います。その背景にある学術的な意味を忘れることなく、もしこのような家庭や人間関係の問題を語るなら、英語の **paternity fraud** に倣い、「詐欺」という適切な言葉を用いて表現するべきです。
パートナーシップとは、「協力関係」や「共同」を意味する言葉である。
同性の友人と生活を一緒にするにあたり、パートナーシップについて調べていたところ、「協力関係」や「共同」の意味合いよりも「同性との恋愛」の意味合いを強く感じる。
日本各地パートナーシップを導入しているところは増えてきている。東京都や神奈川県のパートナーシップ制度の要綱や同意書を眺めていたのだが、対象者の欄に「一方または双方が性的マイノリティであり」とあり、恋愛を含まない共同生活にはまだ名前をつけるのが難しいのだなあと思った。
たとえば、同性・友人であることを加味すると子どもは望めない。けれど、子どもを作る予定はないが結婚している男女はいると思う。一緒にいたいからだったり、経済的な要因であったり、理由はそれぞれだろうけれど、「一緒に生きていく」と決めたことは共通している。
友人と一緒に生きていこうと思うとき、恋愛を含まないことはそんなにもおかしいことだろうか。ただ一緒に生きようと思った人に、恋をしなかっただけ。結婚したいひと/パートナーシップ制度を使いたいひとの好きになった人が異性/同性であったこと、それがただの要素であるのと同じで、恋をしなかっただけ。異性であれば婚姻制度を使えるな、と思う。
名前をつけていくと安心を得られることもあり、名前がつかなかった部分が見えにくくなることもあって、ままなならないなあと思う。
パートナーシップとは、「協力関係」や「共同」を意味する言葉である。
同性の友人と生活を一緒にするにあたり、パートナーシップについて調べていたところ、「協力関係」や「共同」の意味合いよりも「同性との恋愛」の意味合いを強く感じる。
日本各地パートナーシップを導入しているところは増えてきている。東京都や神奈川県のパートナーシップ制度の要綱や同意書を眺めていたのだが、対象者の欄に「一方または双方が性的マイノリティであり」とあり、恋愛を含まない共同生活にはまだ名前をつけるのが難しいのだなあと思った。
たとえば、同性・友人であることを加味すると子どもは望めない。けれど、子どもを作る予定はないが結婚している男女はいると思う。一緒にいたいからだったり、経済的な要因であったり、理由はそれぞれだろうけれど、「一緒に生きていく」と決めたことは共通している。
友人と一緒に生きていこうと思うとき、恋愛を含まないことはそんなにもおかしいことだろうか。ただ一緒に生きようと思った人に、恋をしなかっただけ。結婚したいひと/パートナーシップ制度を使いたいひとの好きになった人が異性/同性であったこと、それがただの要素であるのと同じで、恋をしなかっただけ。異性であれば婚姻制度を使えるな、と思う。
名前をつけていくと安心を得られることもあり、名前がつかなかった部分が見えにくくなることもあって、ままなならないなあと思う。
パートナーシップとは、「協力関係」や「共同」を意味する言葉である。
同性の友人と生活を一緒にするにあたり、パートナーシップについて調べていたところ、「協力関係」や「共同」の意味合いよりも「同性との恋愛」の意味合いを強く感じる。
日本各地パートナーシップを導入しているところは増えてきている。東京都や神奈川県のパートナーシップ制度の要綱や同意書を眺めていたのだが、対象者の欄に「一方または双方が性的マイノリティであり」とあり、恋愛を含まない共同生活にはまだ名前をつけるのが難しいのだなあと思った。
たとえば、同性・友人であることを加味すると子どもは望めない。けれど、子どもを作る予定はないが結婚している男女はいると思う。一緒にいたいからだったり、経済的な要因であったり、理由はそれぞれだろうけれど、「一緒に生きていく」と決めたことは共通している。
友人と一緒に生きていこうと思うとき、恋愛を含まないことはそんなにもおかしいことだろうか。ただ一緒に生きようと思った人に、恋をしなかっただけ。結婚したいひと/パートナーシップ制度を使いたいひとの好きになった人が異性/同性であったこと、それがただの要素であるのと同じで、恋をしなかっただけ。異性であれば婚姻制度を使えるな、と思う。
名前をつけていくと安心を得られることもあり、名前がつかなかった部分が見えにくくなることもあって、ままなならないなあと思う。
以下はSNSでよくあるタイプの喧嘩から、海外ジャンルでよくあるいじめに変わった瞬間の記録です。
だいぶくだらない内容ですが、に「そんなに怖くない」という事を伝える為に書きました。
・ヤバそうな発言をしている人はフォローしない、変だなと思ったらブロックやミュートをして関わらないようにする。
一応、関連する前提としてこの辺
日本のオタクに知って欲しい、西洋のオタクスラング「Proship」という単語の意味と「Proshipper」という概念
去年に海外アニメで創作活動を始め、久々の海外ジャンルというのもあり上の記事が回ってきてそういう世界がある事を知る。
該当ジャンルでは他人×他人に萌えていたので、私はかなり気楽に構えていた。
しかし、今年の3月辺りで近親相姦がメインのジャンルにハマり、その当事者になって以来「海外の文化を建前に、なんか言われたくない。」と思いながら過ごしてきた。
今回、初めて明確ないじめの一部始終を観測したので、その記録を残す。
「海外文化よくわからん!だけど嫌がらせもされたくない!」という似たような日本人は傾向と対策ができると思います。でも結論は一番最初に書いた通りです。
「プロシッパー」「近親相姦創作をする人」「それらをいいねする人」「フォローする人」全てをアンチする人達の事。また、明確に嫌がらせをする人達。
幸いにも私のジャンルではブロックリストを共有したり、スクショで晒したり、たまに愚痴をこぼす程度で、明確に個人攻撃されるのは公式の関係者くらい。
ブルスカではお互いにブロックリストに入れてブロックし合うから、たぶんTwitterよりもさらに軋轢が生みにくいし、衝突もしない。
「近親相姦の創作するやつらもキモいけど、かといってアンチも目くじらたててヤバいよね…」くらいの認識。コロナ以降に増えた事もあり、若い子が多いとされている。
お断り的な意味。該当する属性の人から関わられる事を拒否する。
だいたいプロフに書いてるので、フォローやいいね等をする前に確認しましょう。
そのお断りしている相手への攻撃性が高いので、この文字を見たら該当する場合はブロックかミュートをオススメします。
固定ツイのツリーの中に埋もれてる場合がある。海外では固定ツイに長々と自分の取り扱い説明書を書く文化があるっぽい。
成人向けの投稿をするから未成年者お断りとか、プロシッパーだからアンチお断りとかでその人がどういう属性の人かわかるようになっている。
レイプの事。同意があるかわからない、和姦寄りの場合はdub-conとなる。
日本だとわりとナチュラルに「創作では過激な事言うけど、現実ではそういうの否定的だよね。」みたいな雰囲気がありますが、海外だとそれを明記して主張する必要があります。
人と人は明確に文字にしてコミュニケーションをしないとわかりあえない、という前提があるからです。
だから「どういう主義で何を主張しているか」を、普段から明確にする傾向があります。
近親相姦の事。
日本や韓国では緩い傾向にありますが、欧米では創作物であっても許されない、とする勢力が近年急増したらしい。
緩い方がおかしいといわれたらそれまでですが、向こうでは公式関係者に「まるで兄弟のような関係」「まるで従弟のような関係」と語られた関係性も近親としてカウントし、カップリングをさせる人をいじめたりするので、おそらく想定するより近親の範囲が広いので注意が必要。
比較的ファンの年齢層が低いジャンルでは近親相姦創作が原因のいじめがよく起きる。
いいねをしたり、創作をする人をフォローしていても攻撃やブロックの対象になる。中立の立場でも攻撃対象のため、どちらの立場か表明するように強要されたりする。
スクリーンショットや文字、Googleドライブなどで共有される。
ブルースカイはリストを共有する事で一括でブロックやミュートすることができる。
海外のオタクは慣れっこなのか、ブロックリスト入りする事で立派な近親創作者だと認められた、とするノリもある。
ブルースカイでは特定の単語を登録する事で、好みの投稿を集める事ができるフィードという機能がある。
このフィードという機能のおかげで、いろんな人をフォローしなくても自分の見たいジャンルの投稿をいっぱい見られます。
そのフィードには、とあるキャラAをレイプする事を生きがいにしている人がいました。レイプ萌えオタクです。
ある日、レイプ萌えオタクは「Aを激しくレイプしないといけない(要約)」という内容の投稿をした。
とあるレイプ反対オタクが、その投稿に対して「レイプジョークを言うのはよくないよ~(要約)」と指摘をしてしましました。
これがよくなかった。
「不特定多数の見える場所で、実際の被害者の目に入る形でレイプを軽視するようなジョークは良くない。」というのが、反対派の主張でした。
そのような指摘をされたレイプ萌えのオタクは「あなたは近親相姦のゲイセックスを創作している。それも現実にあってはいけないのではないか?それらを支持しているのか?」と、論点をすり替えました。
さらに「アンチのように他人の趣味に対してあれこれ指図することは許されない。」と続けます。
論点をすり替えられ、イライラしたレイプ反対派は「ゲイの近親相姦は問題はない。」という主張で返してしまいます。
この時、レイプ反対派もレイプ萌えオタクを「トランプ支持者の子供。」などと言ってるので喧嘩両成敗だな、と個人的には思います。
しかし、レイプ萌えオタクは「この人は現実の近親相姦を支持している。」という文章と共にそのスクリーンショットをあげました。
そして、フォロワーに対して相手をブロックするように扇動をしました。
それに対して顛末を知らないフォロワーたちは「現実の近親相姦を支持するのは酷い」「その口でレイプ被害者の話をするのは理屈が通らない」という反応をしています
一方的なレッテルを貼り、ブロックを扇動する明確ないじめに発展してしまいました。
頭を冷やしたレイプ反対派は「最初から指摘などしないで、ブロックをして前に進めばよかった。」と語ります。
そして、「頭にきて皮肉で返してしまったけど、現実の近親相姦を支持しているわけではない。」とも。
レイプ萌えオタクは、レイプ反対派と対話して誤解を解いたり、お互いの和解を望むと返す相手をブロックしました。
一日経った後でも、レイプ萌えオタクの話を鵜吞みにした人達は未だにそのことについて批判をする投稿をしています。
レイプ反対派は、自身の対応がよくなかった事を自覚し沈黙をしている為、その風評被害を払しょくする事はできません。
私は、他人が何か言うのも違うと思いブルースカイでは静観をしています。
近親相姦創作用のアカウントがないTwitterの方ではレイプ萌えオタクと、その界隈を軒並みブロックすることで関わらないようにしました。
気に食わない相手の言葉尻を捕らえてレッテルを貼る人と関わりたくないためです。
なんかヤバそうな事を言ってるタイプのオタクには近づかないようにしよう。
「アンチみたいに」「現実の近親相姦を支持している」と、あらゆる角度で相手にレッテルを貼ろうとしました。
相手を「トランプ支持者」「子供」と書きました。どちらも事実かは関係ない、ただの暴言です。
しかし、それをフォロワーに晒し、ブロックを扇動し、自分の気に食わない意見を書く相手をブロックするのはただのいじめです。
傍から物事を分けてみると日本の喧嘩とあんまり変わらないですが、言葉が通じない相手からいきなりレッテルを貼られたりしたら、だいたいの日本人は対応できないと思います。
私も他人事だからこういう反応なだけで、実際にやられた時は適切な対応ができないでしょう。
今回は「親切心から注意をしたせいで逆鱗にふれ、曲解されたスクショによってレッテルを貼られる」という事例でした。
相手からいきなり喧嘩をふっかけられたりする場合は避けられませんが、今回の場合は最初から「ヤバいやつだ…ブロック(ミュート)しよう。」というマインドであれば起きませんでした。
どこにでもあるただの喧嘩から、海外のオタクがよくやるいじめの一例になりました。
日本人同士でもよっぽど仲が良い相手じゃないとある程度嫌な思いをされたりするので、あまり指摘しないとは思います。
私は、変な事してたら教えて欲しいし、このまま放置してたら相手が困るだろうと思って指摘します。自分が他人に何かを指摘する時はどこかで「まあ、これで嫌われても良いや。」とは思ってます。
いろんな人がいるので「他人に恥をかかされた」「他人から自分の趣味についてとやかく言われた」という点で怒る人もいます。
それでなんらかのレッテルを貼ってブロックを扇動するというパターンは日本人同士の同人界隈でのSNSの運用で想定しないパターンなので今回、記録に残しました。
また、今回の事例で「人間の考え方自体は特に変わらないから、海外の文化だろうが不用意に怯える事は無い。」という事も感じました。
もちろん、全てのタブーや文化、マナーなどを知れたわけではないので、ある程度の敬意を持つべきです。
だけど、親指を立てることが侮辱的な意味合いがある国が存在します。
日本人がご飯に執着していることを、海外の人には理解できない事でしょう。
外国語に慣れてない日本人からしたら、外国語で投稿している人間のヤバさなどはあんまりわからないです。
しかし、普段から鍵もかけずにレイプに萌えているような投稿を繰り返してるオタクがまともじゃないのは日本でも海外でも変わらないと思います。
今回の選挙の後の自分の周りの反応がいつもと異なっており、純粋に疑問を抱いたため考えをまとめる意味合いと、複数の意見を聞ければいいと思い文章にまとめている。関連の記事を読んで、自分も考えてみるかとなった。
これに尽きる。いつも意見合う友人だったから今回は真逆でびっくりした。
仲良くしたいから直接は聞けないけど、何でかは気になるからここに書いてる。理由は詳細版に書いてるが割愛。
空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないかと。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?
そもそも実際の政策に満足した層だっているはずなのに、ポピュリズムで括られてしまうのってどうなんだろうな。
ようするに、政治に関心はあるが詳しくない一般人であるということだけ理解して欲しい。そんな訳で意見などあれば、わかりやすく教えてくれると助かる。
最初にニュースを見た時のことはあまり覚えていないが、パワハラで人が亡くなってしまったということで、痛ましいなと思った。
その後、報道が多かったからか名前を見かける度に今どうなっているんだろうと経緯をネットニュースなどで調べたりしていた。そして調べる度に進捗がさしてないなと思っていたところ、辞められたので驚いたし、調査結果出たのかなと思ったら、出ていなかったので更に驚いた。
正直、公務員周りの仕組みや政治についての知識が乏しすぎるので、それが適正なのかどうか自分には判断ができなかった。
会社員の端くれとして、結果がわからないのに解雇されるようなものだと思うと何でだよと思っても許されるんじゃなかろうか。
そして知事選やるのかあと思っていたら、斎藤氏は辞めてもう一度選挙に出るるらしいし、稲村氏という票集めに強い人が担ぎ出されていたりした。まあ稲村氏が当選するんだろうなと、結局疑惑はうやむやにされてわからずじまいだろうなと考えていて、しばらく特に追うこともなくなった。
自分は毎回選挙に行ってるが、段々と生活が苦しくなる実感だけが肌に積もっていくのを感じながら、もうどうにもならないんだろうなと、世間の大多数の人同様、諦めに似た気持ちだった。
若年層でもっと投票率を上げるしかないとは思っていたが、もう難しいんだろうなと自分の昔を振り返ったりもしていた。
もっと教育に組込んで欲しいが、政治を動かしている政治家達は投票率が上がったら都合が悪いだろうから、絶対にやらないだろうなと。そして家庭内で行うには両親に依存しすぎだし、全体で見ると格差が酷く歪になるだろう。自分もそうだが、様々な理由で親から教育されないものが取りこぼされるし、そういった人々こそ選挙には行くべきだと思っている。
いつも選挙の時、票を投じたい人や政党など1つとしてなく、まさしく断腸の思いで投票するも、多数派には入れないのでいつもささやかな意思表示のみに留まっていた。
その選び方も、個人的最低を除外した後から選ぶのだが、その判断基準が選挙の度に酷くなっているなと自分でも思っている。年寄りよりは若い方がまだマシだろうお前もまだ数十年生きるんだらかな、といった具合なのでお察しだろう。
ここ数年は特にしんどくて、これ海外だったらもっと暴動起きてるんじゃないのか?と思いながら、でも自分自身も暴動を起こそうとは思えないので、他責がすぎるわけだが、思考の中でぐらい許してくれよと言い訳しながら、それでも何かある度に溜息と共に考えていた。
そうして選挙戦が始まり、投票日も近いしそろそろ情報収集するかと思ったところ、予想外に斎藤氏が善戦していて何があったんだ?というところから始まった。
知事選とは思えないぐらい、色んな情報が飛び交っていて、正直自分のレベルでは真偽が付けられなくて本当に困った。
公約などそのあたりを見るのはともかく、SNSを覗いたら先日の衆議院選よりもかなり過激な内容が飛び交っていたように感じた。事の発端を考えればそりゃそうかと思いつつも驚いた記憶がある。
もし過去に政治家や企業よりも国民のための政策を乱打してくれた実績があるなら自分の票をその人にいれるだろう。
全員そんな実績もなく、選挙の時だけ発動するお綺麗で薄っぺらい公約を掲げているだけなら、経験がなくても具体的でパワフルな公約を出してくれる人に入れる。
政策については短くキャッチーにまとめた方がわかりやすいというのはわかる。でも今はインターネットがあるんだから、アクセスしたい気持ちのある人に、わかりやすく伝える努力ぐらいはして欲しいし、実績ももっと掲載して欲しいよな、何回も当選されて、貢献したという自負があるなら華々しく載せて欲しいもんだ。
でも今回は政策や過去の実績についての言及というよりも、ヘイトスピーチにしても雑すぎないか?というようなものをたくさん見た気がする。気分が良くなかった。
だからといって発端の斎藤氏の件についても真偽が何1つわからなかった気がする。随分と盛り返しているので何か新しい事実か決定的なことでも出たのかなと思ったけど、おそらく出ていない。何かあったとしても情報の海に溺れてしまった自分にはわからなかった。
斎藤氏については事実は知り得ないが、最初の印象が最悪すぎた中、行ってきた政策の着手率が凄く高く、そこは好印象だったので無実でテコ入れしてくれたらいいなと市民として軽く考えていたぐらいだった。
無実ではなかったとしても、市民に良い政策、良い政治として還元してくれるなら正直構わないと個人的には思っている。
政治家に潔癖性を求めるには政治に対して疲弊しすぎているのだ、共に働く役所の方には申し訳ないが。今回の騒動は大きかったため、さすがに抑止力や監視力などがかなり働くと思うので、結局再当選した斎藤知事には本当に本当に気をつけてほしい。
あちこちで見聞きする裏金問題のことを考えれば、ここだけ切り取って好感を持っても許されるのでは?とすら思ってしまう。
そんなことでと思うなら、政治家の皆様はわかりやすく報酬をカットしたらいいんじゃないだろうか。その分、裏金が捗るというなら、どうしようもないが、いい加減その辺りは厳罰と返金を必須にするなどして欲しい。そこについても色々問題が、と言われても一般国民は難しいことはわからないのでは?というよりそれは国民が考える問題ではないでしょうよと思ってしまう。
他人の物を奪うなって当たり前すぎて子供でもわかることなのになと。
SNSで繋がっている友人知人は思考が似ている奴等が多く、選挙の度に見かけるツイートも共感するものが多かった。
ところが、今回はそうではなかったのだ。
斎藤氏が当選し、自分としては総合的には良かったなと思ったが、何人かの友人はそうではなかった(考えが違って当たり前なのは理解した上で、いつもより強めの乖離があるため気になったのだ)
特に①については若年層が今後投票に行く後押しになれるんじゃないかと思ってかなり嬉しかった。
②は①を起こすために必須なのでやっぱり嬉しい。
しかし先に述べていた友人の幾人かは、結果について激しい落胆だけを述べていたり、中身もなく煽られたポピュリズムのクソ結果じゃないかと、アメリカ大統領選と絡めてそんなことを言ったりしていた。
彼は自分よりも結果を重視するタイプだと思っていたので、驚いて、多分少しショックで、今こんな長々と書いてるんだろう。
勝手に落胆しているので悪いのはこちら側であるし、本人と揉めたい訳ではないので、不特定多数への問いかけという手法を取っているだけということは理解して欲しい。
新旧メディアの対決のように言われていて、最終的に形の掴みにくい「既得権益者達」と「ハメられた斎藤氏」という、権力に切り込もうとして虐げられた者という日本人の好きそうな構図に合致してしまったなとは思うが、先にも述べた通り斎藤氏自身の報酬のカットや学校関連の予算増額など、目に見えた恩恵を受けた県民だっているのだ。
面と向かってディベートできず匿名で文章を書いている自分は狡いとわかっているが、じゃあ今回はポピュリズムを嘆いている人達はどうしたら良かったと思うんだろう、今後どう政治を見ていけばいいのか教えてくれよと、そういうメッセージを投じたかった。
感情論も入った文章になっている自覚はあるが、自分と違う意見を非難したり馬鹿にしたいわけじゃなくて、自分の意見すらままならず、自分の思いもよらない考えの過程に思考が至らないだけなので、教えて欲しい。あと、あんまり怖いことや難しいこと言われると泣いてしまうので、なるべく優しく頼みたい。
その点、政治家はプロだ。そんな政治家の行ったことを、生きて暮らしている中で自分が感じた気持ちを投じて是非とするのが選挙だ。
期待されて当確した政治家がパッとしなかったら、次回はAを落としてBにする。それでいいと思うんだが、そんなに悪いことなんだろうか。ここ数年はどんなに否と叫ぶ人々がいてもその変更すらままならなかったと思うんだが。
そういう意味では空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないか。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?と期待したくなる。
前回の選挙で石丸氏に投票した若者がSNSで批判されまくってた時の気持ちに似てるのかなと思わなくはない。考えた末に鼻で笑われるとかたまったもんじゃない。わからなくても詳しくなくても知りたい気持ちはあるのだ。
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。