はてなキーワード: 小説とは
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。したがって「全集」ものをリファレンスに指定することが難しい。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強だから、単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンによるものが世評が高い)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山幸雄に至っては、二回、ショパン全作品の(文字通り)連続演奏会を開いている(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない。リストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせてCD99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。ただ、優れたピアニストであるハワードでも、短期間に大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ちなみに膨大な量のハワードのCDを一巻ずつ紹介している古いサイトがあり、これまた頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのものだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。ちなみにパガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。ちなみにペトロフの映像は中々手元を写してくれないので、「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
森奈津子また敗訴したんか
10年ぐらいもう新作出せてないし、それで下半身不随の旦那養いながら食っていくにはカスみたいなことやるしかないんだろうけど
学研がラノベ業界から撤退しなければ、異性と普通に結婚したからとセクマイ業界が森を遠ざけなければ、夫が障害者にならなければ、森奈津子は今みたいにならなかったのに
森奈津子が主人公の小説シリーズまで出してた西澤保彦は彼女の現状をどう思ってるんだろうな
西澤保彦はフェミニストかつセクマイ系が好きでその手の題材をよく取り扱っており、そういう部分で森奈津子と共鳴した点は多かったんだろうけど、今はもう遠く離れすぎた
男性向けコンテンツが表現規制されようとした時、私は声をあげなかった。私は男性ではなかったから。
夢日記になる
米津の架空の曲の元ネタがあることを知る→NARUTOの架空の序盤SF→スポットキャラ同士のカップリングの話をリアルで知る
この流れだった気がするけどつなぎ部分がかなり曖昧なので一度整理しようかと思ったけど無理だったのでそのまま書いていく。
NARUTOの作者が前半でSFを書いていたことをふとおもいだした。
前半のNARUTOはかなり迷走しており、主人公たちは巡洋艦 、なんかナディアのNノーチラスみたいなやつの護衛をしてた。
どうやらペーペーの任務みたいらしくて主人公以外の人たちもシミュレーションっぽいことしてて
そこには偉そうなおじいさんがいてシミュレーションで撃墜されまくってたことに皮肉つきの苦言を言ってた。
その後、ロボットたちが演習している場面へと移る。
その世界は割と荒廃してるのか知らんが、ロボットの残骸が残っていたみたいで、そこの中に修理したのかわざわざ紛れ込ませたのか知らないが動く機体があって、
その残骸付近で演習中に潜んでいた奴らが暴れだした。ミサイルを演習中のロボットに向けて発射してた。あたってはなかった気がする。
さて、ここまで書いてわかるとおり
NARUTOといったが、どうやら主人公たちガン無視の話らしい。なんでNARUTO?
ここからはさらに章限定のキャラ2人(+2)たちに焦点があたっているようだ。
つなぎがおかしいけどもう知らん
米津のPVでラブコメしてて、どちらが先かわからんが小説が存在してた。
後ほど20巻まででていることを知るので多分NARUTOの作者が原作だろう。
そして突然リアルに戻って、私はNARUTOの記憶はあるがその序盤の話がその後どうなったかを知りたくなった。
20巻まであるそうで何故か私は20巻からネタバレを見ていった。
20巻では序盤のカップルの片割れが別キャラとセットで紹介されて、もう片割れはさらに別キャラと結婚してるみたいなこと書いてた
あれ?
19巻は覚えてない
それも鬱っぽい感じで
なんとも言えない気持ちで起床したワイは
「岸本 米津」
とググって夢だったことを知るのだった
なんやこれ
ビアンの自覚持ってから大体の少女漫画が受け付けなくなり友人に腐女子がいたのもありBLに行ったものの、BLも大体受け攻めあるし基本は異性愛者向けのものだと気づき百合を嗜みたいのに入口で迷子になっている。男性向けじゃなくて女性向けの百合作品を知りたい。漫画でもゲームでも小説でも何でも。恋愛要素があるやつ。出来れば疑似恋愛コンテンツ。誰かおすすめがあれば教えて欲しい
へえ、そんなにいうならここで試しに書いてみな?
なろう小説やばかった
【完結】「オタクはキモいから無理」と恋人に浮気され振られた夜、オタクに優しいギャルと付き合うことになった〜実は優良物件だったと今更気づいても遅い、清楚系美人となった趣...
読む気も無いけど タイトルとこの文章だけでだいたい内容が想像できてしまう
へえ、そんなにいうならここで試しに書いてみな?
【完結】「オタクはキモいから無理」と恋人に浮気され振られた夜、オタクに優しいギャルと付き合うことになった〜実は優良物件だったと今更気づいても遅い、清楚系美人となった趣味の合う元ギャルとラブラブです
これのざまぁ回が↓
https://ncode.syosetu.com/n3918hk/160/
ドン引きしたわこれ
同ジャンルの人たちが急に気持ち悪くなってしまって、pixivを退会してSNSでも見なくなった。今のところとても快適で、二次創作再開したい、見たいという欲も湧かない。
もともと年を重ねてきて何でもかんでも恋愛に結びつけることに辟易としてたんだと思う。原作の関係が至高で、それは原作読んでれば満たされるし。
CP物に限らず二次創作はそもそも公式に見逃してもらってるだけでれっきとした犯罪だし人に言える趣味じゃない。人様の作ったキャラを使って人形遊びしてるだけだよ。それなのにクリエイターのようなふるまいをできることが不思議で仕方ない。
自分の創作物を「作品」と呼ぶことに違和感があるし、見る専の人のことを「消費者」と呼んでるのを見かけた時は何様だよと呆れた。二次創作してようがしてなかろうが同じオタクだし、むしろ二次創作なんてしてないほうがいいのに。同人誌は赤字になるように値段設定するのが当たり前で、webで頒布とかもう意味がわからない。「自分の絵を守るため」にウォーターマーク入れるのも二次創作やってる分際で?と思う。
でもこういう考えは二次創作やってる人の中では少数派なんだろうなとずっと思ってた。絵や文章は好きでもそのへんの考えが合わない人が多すぎて、好きなCPも見れなくなって、自分の書いたものにすら興味がなくなった。
これから先二次創作することも、ファンアートを見ることはあれど漫画や小説などのストーリー系の創作物を見ることももうないと思う。オタクであることには変わりないけど、ただ原作を読んで楽しむだけの今が嬉しい。
胡桃沢耕史という小説家の『キャンパス秘密探偵団』という小説には、その計画の一端が描かれている。
CIA工作員として勧誘された大学生が、処女をエプスタインみたいな男にささげた挙句、エプスタイン島みたいなところで訓練を受け、ハニトラした後に、ウクライナに送り込まれ、東ドイツの権力者たち専用の地下都市みたいな場所で飼われて、ソ連の高官の愛人にされる。
こうしたプロットは、昔のポルノ小説によくある陰謀論的な設定だが、現実において、エプスタイン島はあったし、アゾフスタリ地下製鉄所には、ソ連が作った巨大な地下施設が存在した。
要するに、勧誘されたハニトラ工作員は、こういう施設に送られて、監禁、レイプ、処分されるわけだ。
そうした行為は、彼女らが、無実の一般人男性に罪をかぶせ、薬を盛り、破滅させた裁きとして実行される。
大手かと言われると全くそんなことはないが、弱小と言うほどでもないレベル。
ジャンルを何度か移動しつつ書き続けているが、どのジャンルでも必ず起こることがある。
それが、小説の送り付け。
マシュマロ、XのDM、pixivのメッセージ、様々なツールから飛んでくる。
仲良くしている友人や相互フォローの相手ではなく、こちらを一方的にフォローしている人から。(マシュマロの場合は不明)
アカウントを複数運用しているが、何故かどのアカウントでも起こる。それぞれのアカウントは連携していないため、同じ相手からの嫌がらせ等ではないのは明らかだ。
送られてくるのはたいてい、お世辞にも上手いとは言えない小説。
言葉は悪いが書き始めたばかりの中学生のような文体で、たまに黒歴史が掘り起こされる表現もある。
(ニコッ)とか、(ビクッ)とか、…/////とか。
あの頃を思い出して全身が痒くなる。怖い。
流石に逆カプはないけど、このカプもどうですかという布教のようなものもある。
私がABを書いているとしたらCBとか。CB布教したいならpixivに投稿しなよ。
そこそこの年数書いているが、私の二次創作内の交友関係は狭い。ジャンル内での友人は数えられる程度。
また、カップリング解釈にこだわりがあるため、はたから見ても取っ付きやすいタイプではないはず。
何故、私に送ってくるのか。
読んでくれそうだと思われている?
それとも、該当カプの書き手全員に送っているのか。
一番分からないのが、私に何をしてほしいのかということ。
読んだと言えば満足するのか。
ありがとうと言えばいいのか。ありがとうなんて思ってないけど。
それとも感想を求めているのか。
感想を求めるならpixivに投稿するか友人にでも送ればいいのに、何故一人に送ってくるのだろう。
私はプロでもないし赤ペン先生でもないし貴方のファンでもない。
突然「書きました!」とテロのようにぶつけられるのも迷惑だが、「読んでもらってもいいですか?」と一度打診を挟まれるのも困る。
嫌です、と言ったら送ってこないのだろうが、その後どんな行動に出るか分からないから安易に断れない。
結局上手いことおだててpixivに誘導し、投稿させるというレールを敷いてやる羽目になる。
何故私が。貴方のお母さんじゃないんだけど。
私が落ち込んでいるとき、「元気になってくれればと思って送ります!」というのも意味が分からない。
何故仲良くもない貴方の小説で私が元気になると思った? 想像力も配慮も欠けすぎている。
私の小説を読んでSNSも見ているなら、私が女々しい受けが嫌いなことくらい分かるだろう。せめて解釈合致の小説を書き上げてこい。
周囲は、知らない人から小説を送り付けられた経験はないらしい。
たまたま私の周りにいないだけなのか。それとも珍しいことなのか。
何にせよ、本当に迷惑している。
強い言葉で断ってこないからと言って、相手が喜んでいると思ったら大間違いだ。
どうしても送り付けたいなら、まずある程度の仲になるまで関係性構築のほうを頑張ってくれ。
自アカウントで言えない代わりにここへ書かせてもらった。
戒厳令で国会だけでなく選管に軍や警察が突入していたという件から、xではまた陰謀論的な物語が撒き散らされている。
野党が行った「不正選挙」の証拠を押さえるために選管に軍や警察突入させていて、国会は囮だっただの、野党議員は「不正選挙」により得た地位で国政を混乱させていたので尹大統領の発した戒厳令は正しかっただの。
「悪者として虐げられた人が本当は善で、それがひょんなことから判明する」みたいな物語が好きな奴らがこれに飛びついている。
まるで兵庫県知事選挙の焼き直しを見ているようだ。
前世ではパッとしないが転生すると無敵、だの、パーティで役立たずだと思われていたが実は秘めたる力でパーティを守護していた、だの。
石丸とか国民民主党の玉木とか、はたまた安倍晋三もこういう構図で支持されていると思うと、結構しっくりくる。
結局のところ、こういう奴らはファクトも何も関係なく、物語として面白くなるほうに肩入れしているだけなのかもしれない。