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はてなキーワード: 物語とは

2025-10-28

ヨックルショイプめいたアトモスフィアイエエエ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251024/1761231600


自分にとって好ましい表現の自由は守り、

そうでないものは締め付ける、という発想は、

トータルしたらトントンとは全くならない。

自由範囲恣意的判断しようとする人物

表現の自由の味方には決してならない。


◎(表現規制の点で)手放しで応援していい人物じゃないよな。


スパイ防止法に反対するのはスパイ、の一言

表現の自由について何も考えてないに等しい、

踏み越えることに躊躇がない人だとは思うけどね


オタクであることと、自分の嫌いな表現も守る価値観を持っていることはイコールではない。

自由(リベラル)の思想を改心して強く持ってほしいと願う。

圧力自由を最大化させる方向にかけて欲しいと願う。報道もね。


絵や写真物語への仕打ち実行ぞらが何て?

ヨイショに奔る法華狼もだ!なお http://tenreeren.rentafree.net/entry/1032075

たかだかナケナシのロンクハラライスを「管理」してなんぼ程度の世界線御座候だよおおお

隗より始められていれば今頃あるいはもっと…が…

[]10月27日

ご飯

朝:カシューナッツ。昼:ラーメン麻婆豆腐。夜:人参玉ねぎ白菜キノコスープうどん目玉焼き。ギョニソ。バナナヨーグルト。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事は歓談の方はそつなく終わったが、普通に業務の方がうまくいかず苦戦してる。

金曜日会議議事録が変だから指摘したんだけど、僕の記憶の方が間違ってると多数決で押されてしまった。

ただ、前後のやり取りから考えると僕の意見の方が妥当だと思うので、うーむと悩んでる。

こういう時、発言者に聞けば良いじゃん、と出来ない距離感なのが、色々諸々の根幹にあるこの業務ダメな所なんだよなあ……

グランブルーファンタジー

戦記を10周ほど周回。アイテム交換しきれてないので、もう少し遊びたい。

ポケットモンスターダイヤ(ゴーストタイプポケモンの旅2周目)

ロトムヨマワルユキワラシギラティナを連れての2周目。

ギラティナ以外はたまご孵化なので親がプレイヤーキャラだが、ギラティナは親違いなので後半までは温存。

ヨマワルはRSのゴースト旅、ユキワラシはDPのメスのみ

旅でそれぞれ使ってるのでロトムを中心に据えて遊びたいところだ。

今日ヒョウタを倒して、ソノオに到着するところまで遊んだ

週刊少年ジャンプ2025年10月27日発売の感想

ワンピース

ロックバレー編。イム様との対決も佳境。

悪魔の実を食べたてだから技名が思いつかず「”龍“〜〜〜」だけ言うカイドウ可愛い

先代の悪魔の実能力者(ボムボムとジキジキ)も出てくる傍の対決もあり面白い

ロックスも闇落ちしちゃったけど、この闇落ちと息子である黒髭がヤミヤミを求めてたのは関連あるのかしら。

ピングポング

最終決戦決着、そして物語も終わりそう。

「残り100万なんて私があげれば良かったのにな…」が示す通り、お金で始まった物語がそうでない所に落ちるのが短いながら感慨深い。

地球自体を大きなピンポン球に例える渾身の見開きも決まっており、文句なし面白い漫画だった。

おそらく来週で終わるのだろうけど、間違いなく爪痕は残せたと思う。

(これでしれっと新章突入で続いたら椅子から転げ落ちて驚こう)

ゴンロン・エッグ(新連載)

種族奴隷のように扱われていた人間主人公が、その異種族の卵を拾うことから始まるファンタジーバトルもの

主人公達の特殊能力が毒ってのは結構珍し目かしら。

連載陣的に異種族バディものが多い気がするが、おそらく同性(ヌエ、カエデガミは異性)、協力的(魔男は対立的)と、被らないようにはしているのかな。

好きな題材なのでみんな仲良く売れて欲しいが、魔男がもうすっかり看板ポジションなので打ち切りレース行方にも注目だ。

家の中で横になっているだけでは何の物語も始まらないということに気づくのに何十年もかかっちゃった

2025-10-27

「青の純度」はおそらく原田氏の研究を参照していないんじゃないか

記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。

さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現剽窃が無いこと)は原田自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。

ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的ネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。

 

原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である

悪徳商法と切り離して美術評価検討するという視点自分が言い出したことである

②「インテリアアート」という用語自分たちが世に出したものである

日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである

④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセン2023年ハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分発見した事実酷似している。

 

このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前からインテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語重要小道具であり、2023年火災エピローグで軽く触れられていることなから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。

重要なのは①のラッセンの再評価という視点である

そして、この点でも、以下の理由から原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。

なおこの先には物語重要ネタバレを含みます

 

まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。

それでは原田氏らの研究ラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。

1.美術界がラッセン無視した理由純粋美術ラッセンの属するインテリアアートを一段と下に見ていた。アートの美意識理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家自己投影がない「空っぽ」の作品としてラッセン排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治岡本太郎草間彌生バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。

2.ラッセン作品への評価マークマッカイやロバートネルソンなどのマリンアート模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカクジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚である。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである

3.日本人ラッセンを愛した理由バブル期に豊かになった市民百貨店で自宅の装飾用に絵画インテリアアートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタラッセン展示会を地方都市巡回して売りまくる素地となった。ラッセン作品は、過剰であり、大衆であるリアルで過剰な演出バブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。

4.ラッセンプライベートハワイ工房100人従業員を雇って作品制作している。公式サイトでの肩書き画家詩人作家音楽家ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーであるしかし、自作を装っているところにラッセンという人物本質が窺える。

これに対し作中の偽ラッセン作品評価や背景は次のようなものである

絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由画家日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代日系人と在ハワイ日本人物語なのだ

そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家ラッセン評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。

原田自身が、「青の純度」と自身研究類似性研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか

高市早苗さんが首相になってからはてなを見る機会が減った

前までは毎日のようにはてなをチェックして、意見を書いたりもしていた。

特に夫婦別姓とかのジェンダー問題には強い関心があって、「これは女性生き方問題だ」と思っていた。

けれど、高市早苗さんが首相になってから、なぜかその熱がすっと冷めてしまった。

自分でも不思議だった。

だって女性首相になるなんて、それ自体は喜ばしいことのはずなのに。

けれど彼女夫婦別姓に反対しているし、私が「戦ってきた相手」の側にいる人でもある。

それでも彼女トップに立った瞬間、私は何も言えなくなった。

今までずっと、

自民党保守男性中心社会」と思っていた。

そしてその男社会女性たちが抵抗しているのだと、どこかで信じていた。

でも高市さんが首相になったことで、その構図が急に崩れた。

敵も味方も、白か黒かも、わからなくなった。

からニュースを見ても何も書けなくなった。

ただ、政治に興味を失ったわけじゃなくて、

多分、自分の中の物語が終わってしまったんだと思う。

民衆いかに無力化し、観客として飼い慣らすか

無力感制度化 ― 民衆を観察者に変える条件

無力感自然発生しない。制度文化心理の三層構造で精密に設計される。

以下の条件が揃ったとき民衆は自ら行動を放棄し、支配に従う観察者となる。

制度的条件 ― 「選択しても変わらない」構造固定化

投票請願・抗議などの政治行動が、結果に直結しないことを繰り返し体験させる。

政策決定過程を複雑化・専門化し、「誰が責任者か分からない」状態意図的に作る。

官僚委員会審議会を盾として前面に出し、政治家も国民責任回避する構造にする。

民衆は次第にこう思う。「努力しても意味がない」。

このとき、行動のコスト期待値を上回り、最適戦略は何もしないことになる。

文化的条件 ― 逸脱を恐れる社会規範の強化

空気を読む」「和を乱さない」といった規範教育メディア再生産する。

異論者を敵ではなく変人として扱う。社会的排除暴力よりも効果的だ。

成功適応の結果」「不満は努力不足」という道徳を浸透させ、構造批判個人の失敗に変換する。

→ この段階で民衆は自らを検閲し、互いを監視する。支配者は沈黙群衆を得る。

心理的条件 ― 希望断片化感情の消費

メディア問題を連日報じながら、解決物語を決して提示しない。

SNSが怒りを即時発散させ、組織化を阻む。怒りは行動に変わらず、ただ消費される。

エンタメ化された政治は、抵抗を観賞に変える。人々は現実を変えるより、実況することを選ぶ。

民衆自分生活を「誰かの物語」として眺める。これが観察者化の完成段階である

支配完成の瞬間 ― 三つの基準

無力化が極まった時、支配者は血を流さずに国家支配できる。

その瞬間を測る基準は次の三つだ。

基準1】

大衆が不満を語りながら、原因を自らに帰すとき

例:「政治が悪いが、俺たちが努力してないから仕方ない」。

支配の言説が自己責任の形で内面化された瞬間、抵抗消滅する。

基準2】

監視同調自動化され、権力が介入せずとも秩序が保たれるとき

警察が要らずとも群衆群衆を取り締まる。

権力可視性が消え、支配空気になるこれこそ究極の統治

基準3】

人々が「自由」を恐れ始めたとき

行動の自由より、安定・安全同調を選ぶ。

自らの鎖を秩序と呼び、その枷を守るようになった時、支配完了する。

結論支配とは、もはや強制ではなく自己同意である

無力感制度化とは、力の外的行使ではなく、意志の内的従属化だ。

民衆が「自分意思で動かない」と信じた瞬間、支配は完成する。

もはや命令脅迫不要。彼らは進んで沈黙を選ぶ。

「青の純度」はラッセンモデル小説ではない(読書感想文

篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンモデルしたこと否認しているという誤解が広まっているようだ。

「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンモデル小説では無い。

なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚読書家の感想からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。

私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。

ラッセンに着想を得たがラッセンモデル小説ではない、とはどういう意味か。

そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。

モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナル定義だが、日本語場合はある実在人物テーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者意味である

モデル小説テーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものからだ。

篠田氏がラッセンモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセン人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。

なお、作中の登場人物実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙アントニオ猪木モデル漫画ではない。

これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。

 

バブル後に一世を風靡し、印刷物限定品と称して高値で売るエウリアン悪徳商法問題となって消えた偽ラッセン

出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセン風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。

そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセン印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である

しかし偽ラッセンの絵は、当時を知らない若者にも好評らしい。

出版社勤めの主人公ラッセン大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島暮らしているという偽ラッセン訪問すべくハワイ島に飛んだ。

しかしそこで、偽ラッセン10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。

 

と、ここまでがいわば出題編である

10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。

 

現実ラッセンは存命だし、近年の再評価2012年ラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである

10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。

したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ

 

ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品作家を切り分け、その販売手法言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品のものを取り上げ、そこにある芸術大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画ハワイに渡った。

しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアート巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。

また、偽ラッセン絵画原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。

そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。

結局のところ、主人公ハワイ渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。

したがって、偽ラッセンラッセンモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。

ケントゥリア

いいヤツほど死んだり酷い目に合ったりするので、あん物語に期待しない方が良いですよ。最初ゴッツイ女戦士が死んだ時に離脱したけど最新見たら本当にそんな感じだった

配信が長過ぎの増田素真ノギスが長ん恣意マナ回文

おはようございます

長かったわ生配信

今度もうすぐNIKKEが3周年ということで

それら情報インターネッツで生配信があったの。

その長さ5時間

長すぎない?

いや私はさすがにNIKKE好きで終始濃い内容にも飽きることはなかったけれど、

それにしても長すぎてさすがに長かったわ。

予定空けていて良かったー。

ほぼもう実質半日ぐらいな勢いじゃない?

ずーっと見続けるのにちょっと疲れたけれど、

なかなか待ち遠しい情報ばかりで、

私が楽しみにしているのはクラウン王国っていうのがNIKKEの中にあって、

その執事チャイム実装されるということと、

レッドフードっていう強いニケも特別募集がされるっぽいので、

レッドフードゲットしたいわ。

あとついに

物語が大きく動きそうなチャプターも追加とのことで、

これから先のストーリーも楽しみだわ。

そんで、

まり難易度が高すぎて進めない時の場合に、

報酬はもらえない代わりに比較的低難易度ストーリーモードってのが追加されて、

物語だけを追う分にはかなり追いやすくなってアップデートされるみたいよ。

だって

もうさ

一向に強くて倒せなくて先に進めない倒せないボス

私が最近で覚えているといえば巨鯨

あの巨鯨!めちゃ強くてしばらくずーっとキャンペーンのいわゆるストーリーは進められなかった苦い思いをしているだけに、

サクサクストーリーを進められるのはいいわね。

あと、

ストーリー追加されて遂に

ラプチャーって言う地上に蔓延っている人類の敵の根源みたいなボスも登場するって言うんだけど、

その名前が「クイーン001」って、

ナンバーがついている時点で次まだいるんでしょ?って思わざるを得ないのよね。

あと、

アップデートに追加されるベータ版だけど

ヘクスの6マスのリアルタイムシミュレーションゲームみたいなものも登場!って言ってるけれど、

これまたデイリーミッションの負荷の負担が増えるのかしら?って

楽しそうだけれど

やることが多くなることの懸念が生まれるわ。

私が一番気にして見たかったSHIFT-UP陣営制作インタビュー

5時間配信枠では端折られてるじゃない!

本編はフルバージョン公開されているとはいえ

まりにも配信全体の内容が長すぎて

制作インタビューは別動画ってことみたい。

うわーもうやっぱり5時間って長すぎるわよね。

あとでも楽しくて盛り上がったのが、

会場に来ている指揮官をアトランダムに選んで行う10ガチャ

盛り上がったわ。

でもあの場でSSR当てるとかやっぱり運がいいわよね。

何人かの人がつーかほとんどの人がSSR1機は当ててたので凄い運の持ち主なのかしらね?ってそう思ったわ。

私も真似て貯まっているガチャ20枚あったので、

回してみたけれど渋い結果に終わってしまって私は運がなかったみたい。

でもステラブレイドコラボ企画で遂に登場したイヴ10ガチャは1発目で引き当て招き入れられたあの熱い思い出は忘れないわ。

あれは正に奇跡よ!

また改めて言うけれど生配信5時間って。

長すぎない?

いや全部見たけれど

あれリアルタイムでその時のションテンで観れたからよかったものの、

から見る後追い配信でってのだと5時間私見たかしら?って

リアルタイムで辛うじて見れたことの幸せを感じたわ。

にしても長過ぎよ!

もう最後出演者も疲れの色が出てる感じがしてクタクタになってるじゃない?ってところもありで

見る方もまあそこそこに疲れちゃったわ。

みんな頑張りました!

あと

私は見逃してはならない、

制作陣のインタビュー動画はまた見なくちゃな!って思ったの。

それが心残りね。

あともうすぐシャインポストイベントあんので

それも楽しみすぎるわ!

いつだってもうライブビューモードでよかったんだけど

実際そう言うの観てみたらどうなるのかしら?って

そこもワクワクよ。

さすがにそれ5時間ってワケではなさそうなので、

まあとにかく楽しみだわ。

イベント目白押しね!

見逃さないようにしなくちゃ!

うふふ。


今日朝ご飯

ヒーコーにミルクたっぷり入れたのにしました。

うーん、

だんだん冷たいもの容赦なく冷たい気がするので

ホッツが出てくる頃私のヒーコーもホッツに変えたいところかしら。

とは言いつつ昨日立ち寄った喫茶店ではアイスのヒーコーを頼んでいたわ。

でも11月も目前よ!

まだアイスが美味しいだなんて。

デトックスウォーター

そうねだからホッツ白湯ウォーラー存在をすっかりまだ忘れている季節よね。

コーン茶ウォーラー茶が冷たくて美味しいごくごく飲んじゃったわ。

急に寒くはなってきたとはいえ

まだ冷えているものを求めているのよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20251025145633

今更🍛のことだと気付いたわ…🥄😟

自分課税と言えば、バイストン・ウェル物語課税の翼、が連想されたわ…

子供の頃は、オーラバトラーが出てこないリーンの翼とかクソつまんね、と思ってたけど、

今は逆転したというか、まあダンバインも好きなんだけどさ…

富野監督には戦艦大和だか卑弥呼だかを頑張って欲しいところ

anond:20251027001721

司馬遼太郎風 改稿

人間というものは、しばしば自分青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。

それは他人に奪われるものではない。むしろ他人のせいにできぬ種類の「敗北」である

この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。

たまたま彼が自衛隊という特殊組織いたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。

だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。

人は、自分過去呪い始めたとき、もうそ呪いから逃れることはできない。

世間言葉は、たいてい残酷である

「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。

人は他人挫折を見て、自分の安定を確かめる。

から善意言葉の裏には、かすかな優越感が必ず潜む。

三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である

だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。

現代という時代は、人を子供のまま生かす。

精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。

したがって、彼のような男は、社会という大人世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。

自衛隊という社会は、ある種の聖域である

そこでは規律があり、秩序があり、何よりも“所属”がある。

しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。

それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。

そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。

友を断つことは、己を断つことに等しい。

プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。

古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。

だが、戦場の死はまだ潔い。

現代人の孤独死は、もっと陰惨である

それは「戦わぬまま死ぬ」死である

いまの時代ネットの中には多くの“慰め屋”がいる。

彼らは言葉の上では優しく、現実では誰も助けぬ。

人の転落を肴に、同じ絶望の中でぬるま湯を分かち合う。

そうした場所に長く身を置けば、人間の魂は必ず鈍る。

自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。

彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。

それは決して容易なことではない。

だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。

人の生は、けっして理想や信念では支えられない。

支えてくれるのは、結局のところ「誰か」の存在である

この国の男たちは、しばしば“孤高”を美徳勘違いする。

だが、孤高と孤独似て非なるものだ。

孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。

前者には誇りがあり、後者には怠惰がある。

あなたが歩むべきは、前者の道だ。

世間は冷たい。

だが、冷たさの中にも温もりがある。

その温もりを見失わぬ者だけが、長い人生の冬を越えていける。

2025-10-26

IT信仰とMAGAとセカイ系

最近IT系とか趣味アニメミリタリー分野で中国フォーラム報道社の記事コラム面白いので読んでる。

IT系技術特にAI系統に関して面白い話があって、アメリカとは違ったIT技術が発展してて興味深かったりする。

んで、今よく使ってるのは「知乎专栏」って中国大手サイトなんだが、これはてなニュースサイト合わせた感じなんだが

その中で「IT信仰やMAGAというかオルトライトポリコレだとかのネットで喚いてる人たちの思想の根っこは、日本の昔のセカイ系ベース」みたいなニュース記事があった

吹いてしまったのは、真面目に中国外交筋のニュース乗っけてるようなところで専門家が書いてる記事だったところ。

・物凄い狭い世界観認知中の人関係(ネットSNS、身近なスーパーの品物の値段等)で完結して勝手世界を憎んだり呪ったり怒り狂ったりする閉鎖的な精神構造

・「ありもしない美しい景色過去の(主に学生時代の)脳内で作り上げた綺麗な青春時代恋愛の思い出」への病的な郷愁と執着

・異様なまでの精神ナルシシズム自己憐憫他責思想

・男女ともに恋愛結婚には固執するが、本質的には男性なら激烈なミソジニー女性なら激烈なミサンドリー、まとめるのであれば「世界人間そもそも嫌い」。しかし、同時に現実存在するはずがない様な、自分のすべてを受け入れてくれる理想の異性との運命出会いシンデレラ願望を強烈に持っている。

本質的自分たちが理解できない高度技術への信仰(ITハイテク軍事等)、「自分たちの惨めな人生を、100日糞詰まりを起こしていても飲めば溜まった糞をすべて排便できる毒掃丸の様な短絡的な特効薬解決方法があるとカルトの様な信仰心をもっている」と形容されていた

自分は選ばれた存在であり、自分人生が惨めなのは世界を牛耳る悪意ある存在や巨大な秘密組織による陰謀だとうっすら考えているところ。また、高度技術を手に入れればそれらに対抗出来て、気軽に人生を逆転できると考えている。

そのうえで、「2000年代日本オタク産業流行った物語構造セカイ系世界観で、この近未来時代を生きてる憐れな人たち」とか括られてて、妙な納得感を覚えてしまった。

シリコンバレー俯瞰してみれば、かつては金融工学(フィンテック)を、15年前はドローン組み込み技術を、そして今はAI自分の惨めな人生全てを逆転して、昔の日本セカイ系ゲームの様な美しく蒼い(※)世界と、そこで待つ美しい異性たちとの運命出会いまで引き上げてくれていると、旧西側IT技術者たちはうっすら考えている節がある」とも

(※)中国では桃源郷は蒼い世界表現する古語表現があるらしい

こんな記事が出るくらいなのだからあの国ホントよくいろんな国のこと観察してんだなって思う

ちなみに落ちは、貴方がこんな状態になったら、政治のせいにしないで精神科へ行こう、だった。

anond:20251026121359

サトシね、お前の世界にはポケモンマスターを目指す人しかいないわけじゃないのよ

お前の世界ではポケモンマスターを目指す冒険者しかスポットライトを当ててはいけないの?

都会で探偵として生きる人のポケモンとの物語は許されないの?

サトシ、お前の生活は色んな人に支えられているんだよ

そして、その人たち一人ひとりに物語はある

忘れないでくれ

世の中の常識は変わる、ということが理解できないと意識アップデートは出来ない。

絶対的普遍価値観「っぽい」もの存在するけれど、

それ以外の価値観は、もうユルユルなんですよね。

10年・20年・30年・50年・100年と物差しスケールを切り替えればそれはわかること。

そのへんの歴史的俯瞰視点があれば、意識なんて簡単アップデートできるんですけどねえ。

はてな界隈には、

葬送のフリーレンとか銀河英雄伝説とか、

俯瞰的な視線優越感に浸るタイプ物語を、

好きな人が多い。

その割には、実際の自分価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。

最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単理解できることのはずなんだけどな。

どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。

あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。

なんだかなあ、、、と思う。

世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議

俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。

そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの

でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。

自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?

とはいえ未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。

価値観アップデート反動みたいなものが来ることだってありえるから

トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観アップデートダウングレードさせる方向へと持ってく可能だってある。

それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。

いけないんじゃないですかね。

anond:20251026065249

思わせぶりな演出がしたかっただけで物語としてのテレビアニメとしては卑怯な失敗作🙂‍↔️

風呂敷を畳むとは言うが

その風呂敷はどこを指しているのかは読者に委ねられる。物語が一応着地しても「あそこは何だったの?」「結局○○は?」と感じてしまえばそれは風呂敷を畳めていない事になってしまう。これは物語だけでなく世界観も含まれる。

世界観は厄介な存在世界観という土台の上に本題の物語があるはずなのに、時にその土台の方にばかり目が行く場合がある。そうなると作品がぼやけ始める。

例を挙げると私の中では甲鉄城のカバネリ代表格の一つになる。人物描写が薄いなど良し悪しの問題はあれど物語としては終わってる。でも、引っかかりのような物を覚えてしまう。そこに世界観が関わってる。

ざっくり言うなら終末ゾンビ物になるのだがその部分は本質的ではなく解決とはならずあまり重要ではない。舞台なだけでそれ以上でも以下でもない。なのにそっちばっか目が行っちゃう

続いてくこの作品世界の一部、仮に世界の全てを10だとして3-4辺りを描いた場合そう感じるのだろう。まあ、カバネリが本来描きたかった部分が拙かったとも言えるが、この不満に近い感情は結局読者の問題

この話題の発端になったエヴァTVアニメ版)をこの前初めて見た。確かに謎は多かった。人類補完計画を筆頭に挙げればキリが無いけど、そこを描ききる事が果たして風呂敷を畳む事なのかと問われると何とも言えない。こんなのは単に答えが欲しい、フワフワした状態から地に足が着いた感覚が欲しいだけに過ぎない。エヴァ碇シンジ物語であって彼にはちゃんフォーカスが当たってるもの

これで碇シンジの心象に比重を置かず、エヴァ乗って戦って終わりなら分かるんだ。でも、エヴァは嫌ってほど碇シンジさらけ出す。1話で逃げちゃダメ連呼して決意をしたのに結果何度も逃げ出す。そして、最後「おめでとう」「ありがとう」に繋がる。それが新世紀エヴァンゲリオンって作品なんじゃないか。結局エヴァの話になっちゃったよ。

anond:20251026040630

泉が微笑みながら私を見つめ、土を指でなぞる。

私たち二人だけの世界か…いい響きだね。だったら、この世界を最高の味で満たそうよ」

泉はそう言って、バッグからさな瓶を取り出した。それは、あの「卵の素」と白濁液が混ざり、光を放った瞬間に生成された、不思議調味料だった。見た目はマヨネーズに近いが、僅かに虹色に輝いている。私たちはそれを「エイリアンソース」と呼んでいた。

「昨日、試しにキュウリにつけてみたんだけど、びっくりするほど美味しかったの。ただのマヨネーズとは違う、生命力に満ちた味がする」

私と泉は、この世界を覆った「膜」のおかげで、もはや誰も立ち入れない裏庭の秘密基地で、マヨネーズグルメ実験を始めた。まず、私は焼いたトーストエイリアンソースを塗り、一口食べて言葉を失った。濃厚な卵のコクと油の旨味の中に、植物由来の白濁液の持つ、甘く爽やかな酸味が爆発する。それは、単なる調味料ではなく、食べた者の生命力を高め、幸福感を極限まで引き上げる、まさに「魔法の味」だった。

「これがあれば、どんなジャンクフード世界最高のディナーになる。ね、試してみようよ」

泉は目を輝かせ、私の顔をじっと見つめる。彼女の瞳の中には、世界を閉じ込めた「膜」と、私への特別感情、そして最高のグルメへの探求心が渦巻いていた。世界が止まろうと、私たちはこの愛の調味料を使い、二人だけの楽園を作るのだ。私たちの愛とグルメ、そして世界を巡る秘密物語が、今、始まった。第一弾のメニューは、妹の部屋からくすねてきたポテトチップスに、このエイリアンソースディップすることに決まった。

2025-10-25

育児ってさ⋯

育児を親が不幸と解釈するか幸せ解釈するかで人生観変わってくるよな

育児って18年間続くながーい親の趣味から

育児終わってから、「育児つまんなかった」「子供作るんじゃなかった」って思う親にはなりたくねえ

子供からしたら「てめぇが勝手に始めた物語(子育て)だろ。勝手に始めておいて勝手にガッカリして絶望してんじゃねえクソ親が。健康に生まれ子育て体験させてやっただけでも感謝しろよ」って話なんだよな

育児するんじゃなかったと後悔してる親にはなりたくねえけど育児という趣味苦痛があまりにも大きい

100均でじっくり時間かけて6歳の子供のオヤツ選んで買ってそれをベビーカーの上で(6歳だけど色々問題山積みでベビーカー乗ってる)食べさせて、その後本屋に寄ったんだけど

私が売り場の本をじーっと見て物色してたら

子供が「ねぇ、なんで本ずっと見てんの?退屈退屈」と言い出し、早々に本屋を去ることにした。お菓子食べさせてるけど退屈って言われちゃうんだなって思った。まぁ、今月本買いすぎたからさすがにもう本は買えないなって状況だったか

でも、本屋にどういう本があるのかチェックしときたかったんだけど

家の近所には品揃えの悪い駅ナカ書店しかなくて、本格的な本屋にはなかなか行けない

子供って自分が興味ないもんに付き合ってくれないんだよ。無理やり付き合わせるのも子供に悪いし

こういうとき育児ってなんでこんなにつらいんでしょうね。親の自由を奪うんだろうねって思う

まぁ、私が勝手に始めた物語で、18年間続くながーい趣味なんだけど

痴漢をつかまえた日

もう10年くらい前のこと。

ツイッター痴漢を取り押さえてる映像を見て思い出したので書く。

混雑した電車内で駅に着く直前、「この人、痴漢です!!」っていう女性の声が聞こえて、

私の隣りにいた女性(連れではない)が、そのさら隣の女性と一人の男を捕まえようとしてたので、流れに身を任せるように私(男)もそれに参加。

駅に着いてドアが開くとともに、男が逃げようとしたのを女性2名(被害者隣の女性)と私とで捕まえたが、私が荷物をいくつか腕にぶら下げていたのと貧弱だったのとで逃げようと抵抗する男を私と女性二人で捕獲し続けるのが難しい状況。

駅には他にも人はいて、見た目サンボマスターボーカルのような私と女性×2が男を取り押さえてるというよくわからない状況を遠巻きに見ている。

どちらの女性か覚えていないが「この人痴漢なんです!駅員さん呼んで!」みたいなこと叫んだら近くで見ていた女性がハッとした感じで駅員さんを探しに行ってくれて、他の女性も捕物に参加してくれた。

一番欲しいのは「パワー」であるにもかかわらず男性がたくさんいるのに参加してくれない。

初めての状況、体力的にもきつい、腕にかけている袋のお菓子ステラおばさんのクッキー)がいくつか割れただろうと感じた。

意地でも男に参加してほしいという思いか

「ああああああなた痴漢グルですか?!」

そばにいた男の人の目を見て叫んだ。

もっと吃ってたと思うし、声もちょっと裏返ってたと思う。

AED講習で目を見て指示を出すという話を聞いてたのでそうしたが、本来ここではグルですか?!ではなく、取り押さえるのを手伝ってくださいと言うべきであった。

目を合わせた男性と別の男性がすぐに参加してくれて犯人を床に倒しながら捕獲、引き渡しとなった。

被害者の方と参加していた女性たちから感謝され、電車男の物語を思い出すなどしたが、その後電車男のような展開はなかった。

ただ、「取り押さえないのはグルからか、と言ってくれてありがとうございます。」と涙流して言われた。

助けてほしいと言ってるのに、それを無視したら、痴漢を野放しにしてるし、いじめ傍観者と同じでたしかグルみたいなもんだなって思った。慌てていて何も考えてなかったけどそのときその行動ができてよかったなって思った。

ツイッターで出回った映像、捕物に参加してるのは女の人ばかりだったのでふと思い出してしまった。(捕物に参加されてる男性もいた)

あそこに私もいたのだ、助けたのだと思ったし、

あそこに参加しなくてはととにかく体を動かせた自分を褒めようと思った。

それと、去年わたしスーパー駐車場で縁石につまづいて転倒して頭から出血したときに駆け寄って声をかけてくれた母親くらいの年齢の女性と近くに停めていた車から降りて救急車を呼んでくれた若い男性を思い出すなどした。


助け合って生きていきたい。

作者の真似がいくらでもできるじゃんと思った作品

たとえばドラコンボールはとよたろうが描いた(ストーリーはギャクセンス含め)ものは見る人が見れば明らかに鳥山とは別物じゃんってなってるという。

比べてクレヨンしんちゃんは作者が死のうがアニメ映画も健在。

そして作者が死んだあとと前でなんか物語雰囲気が変わったかといわれば微妙なところ含め全くよくわからない。

臼井が描いたクレヨンしんちゃんなるもの他人でも「臼井」のクレヨンしんちゃんの「作り方」を完全に模倣できるってことなのか。

ドラえもんもそうかな?

この違いはなにか。他に作者が死んだあとで変化がわかる作品とかそうでない作品の例ってある。

dorawiiより

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子供達に絶望を語るなとかネガティブでなくポジティブ物語が素晴らしいとか言う人達

少子化が進んで人口が減ったので環境悪化が食い止められて環境問題も解決したよ!少人数の子供達は快適な環境で暮らせてハッピー!って方向性の「ポジティブ」は認めないんだろうな

とにかく産めよ増やせよ思想をやめようとはしないのが、ナタリストに支配された世界から

がっかりドッグこそ至高のスタメシ

ああ、等々力競技場。その名は、Jリーグファンにとってある種の聖地であり、また、アウェイサポーターにとっては試練の場でもある。 中でも、ホーム側の熱狂的な応援に比べ、アウェイ側の静けさと、そして——あの「がっかりドッグ」の存在は、ある種の伝説となっていた。

物語は、等々力競技場のゴール裏アウェイスタンドの、日陰の片隅から始まる。

主人公は、増田首都圏から遠く離れた街をホームとするJ1クラブの熱心なサポーターだ。等々力での試合は、年に一度の大遠征。朝早くから新幹線に飛び乗り、高揚感と少しの緊張を抱えながら競技場にたどり着いた。

しかし、アウェイ側のグルメブースはいつも寂しい。 ホーム側が華やかなケータリングカーで賑わうのに対し、アウェイ側はひっそりとした売店が一つ。そこで売られている「ホットドッグ」は、サポーターの間でいつしかがっかりドッグ」と呼ばれていた。

その名の通り、フランクフルトは細く、パンは水分が抜けて少しパサつき、キャベツの千切りとケチャップマスタード申し訳程度にかかっている。シンプル、というよりは、簡素

「今年も来たかがっかりドッグ…」

増田はため息をつきながら、500円玉差し出した。 売り子の女性は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔ドッグを渡してくれた。

それが、アヤとの出会いだった。

アヤは、その売店で働く、短大生のアルバイト彼女ホームであるフロンターレサポーターではない。ただ、近所に住んでいるという理由で、週末の試合のたびにこの「アウェイ売店」に立っていた。

「あの…いつも、ありがとうございます」 アヤは、申し訳なさそうに言った。

増田:「いや、こちらこそ。でも、このドッグ…本当に名前の通り『がっかり』ですよね。ホーム側はすごく美味しそうなのに。」

アヤは少し肩を落とし、苦笑いをした。 アヤ:「知ってます。私も正直、そう思います。でも、ここはアウェイ側ですから。お店の人も、『遠くから来た人たちに、最低限のエネルギーを』って言ってて…華やかさよりシンプルさを追求してるんです、一応。」

増田は、彼女の真面目な受け答えに、少し意地悪な気持ちになった。 増田:「最低限のエネルギー、ですか。でも、このパサパサのパンと細いソーセージ…これを食べたら、逆に力が抜ける気がしますけどね。」

アヤは、増田の鋭い言葉にひるむことなく、逆にまっすぐ彼の目を見つめた。 アヤ:「それでも、遠くから来て、ホームの熱気に圧倒されながら応援する皆さんの姿を見ていると…このドッグが、少しでも心の支えになればって、いつも思ってるんです。」

その瞬間、増田の胸に、今まで感じたことのない何かがこみ上げてきた。 それは、試合勝敗とは無関係の、一種の切なさ、そして、共感だった。

がっかりドッグ。それは、華やかさとは無縁の、アウェイサポーター孤独と、ちょっとした惨めさを象徴しているかのようだった。しかし、その簡素さが、かえって彼らの純粋な「応援」の原点に立ち返らせる。

増田は、ベンチに戻り、ドッグ一口食べた。 パサつくパン、細いソーセージ…だが、ケチャップの味が、いつになく甘く感じられた。

それ以来、増田等々力での試合を心待ちにするようになった。 がっかりドッグを食べることが、彼のルーティンになった。

増田:「…やっぱり、がっかりドッグですね」 アヤ:「…はい

そんなやり取りが、年に一度、二度、繰り返された。 いつしか増田はアヤに、自分のチームのこと、遠征の苦労、そして何よりも「がっかりドッグ」への複雑な感情を話すようになっていった。

増田:「初めて食べたときは、本当にがっかりしました。でも、今は…このドッグこそ、俺たちの等々力での勲章みたいに思えてきたんです。ホーム側の豪華なグルメは、俺たちには関係ない。この寂しさが、俺たちの闘志を燃やす。」

アヤは、そんな増田言葉を、静かに受け止めていた。彼女眼差しは、ただのアルバイトのそれではなく、アウェイ側の厳しい環境理解を示す、一人の人間としての温かさがあった。

やがて、二人は連絡先を交換し、試合のない日もメッセージを交わすようになった。 アヤは増田に、「今度、等々力ホームグルメ、一緒に食べませんか?」と誘った。

増田:「いや、それは遠慮します。俺が食べるべきは、がっかりドッグですから。でも、もし良かったら…試合がない日に、君が『がっかりドッグ』を作ってくれないか?」

アヤは笑った。心からの、明るい笑顔だった。 アヤ:「いいですよ。とびきりがっかりな、最高のホットドッグを。」

そして、次の等々力での試合の日。 増田は、再びアウェイ側の売店に立った。

増田:「がっかりドッグ、一つ」 アヤ:「はい今日のは、特別に力を抜いて作りました

アヤは、彼にドッグ差し出す際、そっと付け加えた。 アヤ:「ねえ、増田さん。このがっかりドッグ、食べ終わったら、少しだけ、私に時間をくれませんか?その…競技場を出たところで待っています。」

増田心臓が、ゴールが決まったときよりも激しく高鳴った。 彼はドッグを掴み、その場で一口、大きくかぶりついた。

パサパサのパン。細いソーセージ申し訳程度のキャベツしかし、その簡素さの中に、二人の間で育まれた、誰にも理解できない、純粋で、ひたむきな「愛情」の味がした。

増田確信した。 この「がっかりドッグ」こそ、等々力競技場がアウェイサポーターに贈る、最高の、そして一番の「ご馳走」なのだと。

そして、増田は、スタンド喧騒を背に、最高のエネルギーを胸に、アヤの待つ競技場の外へと歩き出した。彼の手に残ったのは、最後ケチャップの甘い名残と、新しい未来への期待だった。

2025-10-24

コンテンツ消費者欲望社会正義すり替えるべきではない

一部のファン作品の結末に不満を抱いた際、

異性愛規範強要

「LGBTQ+を弾圧する表現

といった社会正義言葉を用いて、制作者の決定を非難する例が見られる。

ここで問題となるのは、その主張が

性的マイノリティ当事者現実的要求に基づくものか?

それとも自らの消費者としての希望が叶わなかった怒りを正当化するための装飾なのか?

という点である

ポリティカルコレクトネス(以下PC)は、権利が抑圧されている当事者を守るための概念だ。

しかし、もし作品の男女カップリング成立を「表現規制すべき」とまで言い募るのであれば、それはPC政治的倫理的重みを私的欲望の道具として転用している危険がある。

作り手は、読者に媚びずに物語を構築する創作自由を持つ。読者は、気に入らなければ読まない自由を持つ。

しかしその関係が崩れ、「私の望む展開以外は差別から規制せよ」と要求し始めれば、表現のもの危機に陥る。

消費者個人的な不満を社会構造批判偽装することは、マイノリティ当事者の声をノイズとして埋没させる行為にもなる。

同性愛表現は、当事者尊厳を担う社会的な再現と、非当事者向けフィクションとしての性的な消費の二層を含んでいる。

この線引きが曖昧なまま、「消費者としての願望が叶わない=当事者権利侵害」と短絡すれば、結果として当事者性の“奪取”が起こりうる。

LGBTQ+を扱った表現尊重するのであれば、自らの要求社会権利の主張とは異なる次元にあることを自覚しなければならない。

少年漫画という媒体には、もともとターゲットとなる主読者層が存在する。

作品本来設計思想対象読者の多様性否定してはならない。

作品を愛し、楽しむ自由は誰にでもある。しかし 「自分の好きな読み方だけが正しい」 とし始めた時、ファン文化排他的な力へと変質する。

 

結論

PC社会的に不利な立場にある当事者のための倫理概念であり、消費者欲望正当化する武器ではない。

個人的な「推しカップリング願望」を理由表現規制しようとするのは危険

2010年以降の大ヒットアニメ映画(50億円以上)まとめ

タイトル興行収入(億円)公開年
借りぐらしのアリエッティ92.62010年
ONE PIECE FILM Z68.72012年
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q532012年
風立ちぬ120.22013年
STAND BY ME ドラえもん83.82014年
映画 妖怪ウォッチ 誕生秘密だニャン!782014年
バケモノの子58.52015年
映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!55.32015年
君の名は。251.72016年
名探偵コナン 純黒の悪夢63.32016年
ONE PIECE FILM GOLD51.82016年
名探偵コナン から紅の恋歌68.92017年
名探偵コナン ゼロの執行人91.82018年
映画ドラえもん のび太の宝島53.72018年
天気の子142.32019年
名探偵コナン 紺青の拳93.72019年
ONE PIECE STAMPEDE55.52019年
映画ドラえもん のび太の月面探査記50.22019年
劇場版鬼滅の刃無限列車407.52020年
劇場版 呪術廻戦 01382021年
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇102.82021年
名探偵コナン 緋色弾丸76.52021年
竜とそばかすの姫662021年
ONE PIECE FILM RED203.32022年
THE FIRST SLAM DUNK164.82022年
すずめの戸締まり149.42022年
名探偵コナン ハロウィン花嫁97.82022年
名探偵コナン 黒鉄の魚影138.82023年
君たちはどう生きるか942023年
劇場版 SPY×FAMILY CODE: White63.22023年
名探偵コナン 100万ドルの五稜星1582024年
劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦116.42024年
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM53.82024年
劇場版鬼滅の刃無限城編 第一章 猗窩座再来367.72025年
名探偵コナン 隻眼の残像146.72025年
劇場版 チェンソーマン レゼ篇572025年

思うところがあって、ガチ底辺web小説調べてたんだけど、何言ってるか分からんけども個性はあって面白く感じる…みたいなもの出会うこと多いな。

流し読みだから全容は把握してないし、キャラクターの心情描写物語論理破綻してるし、何を言いたいのか本当に分からないんだけど、1%くらい面白い部分がある。

世に売り出されてる作品(の原作にあたるweb小説)なんて、心情描写論理破綻してないのに、「テンプレ」というだけで最初から最後までクソだと思うのに、不思議だな感覚だ。

それで気付いたんだけど、王道とかテンプレはともかく、個性ありながらも出版にまでこぎつけてるやつって、奇跡みたいな存在なんだろうな。

俺、本当に好きな作家が1人だけいるから、その人のことはちゃん応援しようと思った。俺が死ぬまでに完結させてくれるか謎だけどな。

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