はてなキーワード: ベルとは
せません!
って思うわ。
20年ほど前に業界に入って、OJT受けたおっさんにOJT受けたエンジニアか? w
ソフトウェアエンジニアリングは、しきたりを1ミリも変えたらいかん伝統芸能ちゃうねんぞ!
E2Eテストなんて、今時のWebサービスの規模、複雑度っていう圧倒的物理量に追いつけるわけがないんだよ。
屁の突っ張りにもならないどころか、
爆上げさせてる
いや、そもそもE2Eテストとセキュリティリスク、なんの関係があるんや? って問題はあるんやけど w
本来そんな機能がないのにあると勘違いして使うことの危険っての、教えてもらわんとわからんか?
って、安全帯のフックを自分のベルトにかけて、送電線の点検ができるか?
安全帯自体の機能として落下防止が当然あるけど、「正しく使わないと正しく機能しない」し、そもそもそれ、体重を支えられるのか? それ以前に安全帯か? ただの100円ショップで売ってたキーホルダーちゃうか? って問題なんよ。
安全帯でも負荷を支えられなきゃ意味ないし、物が違えば、キーホルダーはキーホルダーだし、安全帯は安全帯なんだよ?
Web記事とかの「単語」だけ相手にするから、こういう致命的な間違いをガンガン積み上げて、炎上現場、高粘性現場にレベルアップさせるんだよ。
DDD、TDD、クリーンアーキテクチャ、マイクロサービス、DevOps。
本人達は真面目に輸送機から「素晴らしいもの」を得るための手順を踏んでるという認識しかなく、おかしなことをしてる自覚が皆無っての、そのままだって気づけ。
理解してるなら、その目的がちゃんと達成できてるか、確認してるか?
ちゃんと適用されたまともな現場を知らんで、「こんなもんでしょ」で満足してるの、頭おかしいぞ。
猿か?
時代が変わったのだからカジュアル服にスニーカーとナイロンビニールのリュックで通勤してもいいのでは、のような意見がついてる。
[B! togetter] 「スーツに革靴なのに、ナイロンビニールのリュックでいいんでしょうか」老舗の鞄店主の問題提起に、「ライフスタイルが変わってるのよ」と反対意見が相次ぐ
オレの悩みと被ってる。
通勤電車には乗らないので、デートに使える革靴なんて持ってなかった。
だが、いつものカジュアル服にスニーカーとナイロンビニールのリュックという格好で、初デートにおもむいていいものか…
オレはあの人にベストを尽くしたい。
だが時代は変わった、か。
うーむ………。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/speakerdeck.com/satoshi7/classmethod-20251018
のTOPコメが面接で笑われただけど、しゃあないけどクラスメソッドの人たちは技術好きな良い人と競プロ系の努力教の2パターンくらいしかいない。
そういえば競プロの親玉は「競プロはT型だけど他もすぐ伸びるから会社の重要な人間になれる!」とか言って売り出してたけど、あれから何年経ったよ
未だに競プロ界隈が嫌われてて、むしろ年々ひどくなっているのが結果だろ。裾野が増えてカスが増えたのなら仕方ないがそこまで日本人で増えたという話は聞かない
さくらインターネットの社長もだけど、なぜか競プロ界隈叩かれると擁護する人多いけど、いい加減プログラミング含めた技術と人間性は別で評価しようよ
口では言ってないけど「技術力あるけどその他は目をつぶろうね」って空気出すなよ。むしろ技術力なんて後からついてくるけど人間性は20歳超えたら型にはめたって変わらねえよ。高専か情報学科入った時点で終わりなんだよ
あとなんか最近増えた第3勢力、中性的男子。なんでIT業界は許されるみたいな感じ出てるの?なんかベルト多いパンツ履いてたりして。その見た目だから競プロみたいな尖った技術あるのかな?って思ったらそうでもない。この業界吹き溜まりじゃないよ?
多様化なのかわからないけど、AIも来てゴチャゴチャしているしこれからこの業界くるのはオススメしない。まじで人壊すヤバいのしかいない。そんなのが面接攻略法とADHDな集中で有名どころにも入り込んでどんどん腐ってる。社内SEもDX推進で人増えて腐ってる
本記事は比喩としての「熊東京(熊にとっての超過密中心地)」を用いる
行政境界ではなく「生息圏=都市雇用圏」に相当する“生態圏”の密度と境界を参照し、過密=溢出・競合の強化、適密=1クマが享受できる上限まで享受が可能でありながら資源循環が釣り合う状態、と定義して議論する。
「中心が語る物語」と「外縁が語れない現実」のあいだに、まだ拾えるデータと声が落ちている。
“秋田岩手最高!”の景色と、“九州不可”のラベルの向こうに、個体がちゃんと息できる“適密”が点在しているはずだ。
可視化の灯りを、中心にだけ当てないでほしい。
ぶつかるんじゃないかってくらい接近した。反射的に身をよじった。心臓がバクバクする。
相手は邪魔だ、という顔をして去って行った。悪いのは私のような顔で。
この三ヶ月で何度も危ない経験をしてる。
スマホ見ながら走ってくる自転車。信号無視で突っ込んでくる自転車。歩行者がいっぱいいる歩道をわざわざ走る自転車。
その度に思うのは、これ、原付だったら絶対に違反じゃんってこと。
実際、原付で歩道走ってたら、即座に警察に止められる。それなのに、自転車だと何ともない。むしろ歩道は自転車と歩行者の共有スペースみたいな扱いになってる。
先週、自転車乗ってる人に「すみません、危ないです」って言ったことある。そしたら「そっちがよけろよ」って言われた。本当に。
その瞬間、思った。
この人、ルールを知らないんじゃなくて、自分が優先だと思ってるんだ。
実は、自転車は車道を走るのが原則らしい。歩道は特例的に許可されてるだけ。それも、徐行(時速6キロ以下)が義務。
でも誰も知らない。誰も守ってない。
スピード出してる人ばっかり。
昨日も経験した。朝の通勤ラッシュで、歩道は人でいっぱい。その中を自転車が猛スピードで走ってきた。ベルを何度も鳴らしてた。
どけ、どけって感じで。
その光景を見て、ふと思った。
これって、混雑してるから車道は危ないって自転車乗りが判断してるんだろ。だから歩道を走ってる。
気持ちはわかる。でも、それで歩行者が危ないんだから意味がない。
結局のところ、ルールの問題じゃなくて、意識の問題なんだと思う。
実際、自転車も高速で走ったら致命的な怪我を与えられる。死亡事故だって起きてる。
でも、自転車乗りたちは自分たちを歩行者の仲間くらいに考えてる。
あと自転車の運転に免許が必要ないことが助長してる。普通乗り物を運転するには、安全教育を受けて免許を取る必要がある。でも自転車は、試験なしで乗れる。ぶっつけ本番だ。
だから、ここ数年、自転車の取り締まりが厳しくなってるんだと思う。
でも、最近の状況を見てると、仕方ないんじゃないかって思うようになった。
取り締まりが強化されることで、初めて自転車ってそういうルールなんだって気づく人が出てくるから。
私の友達も自転車通学してるけど、先月信号無視で止められたって言ってた。その時点で初めて「あ、自転車も交通ルール対象なんだ」って気づいたらしい。
それまで、何もルール知らずに乗ってたんだ。
多分、大多数の自転車乗ってる人がそんな感じだと思う。
だから、一度しっかり「リセット」する必要があるんじゃないか。
自転車に乗るには守るルールがあります。守らないと罰せられます。
正直、もう疲れた。
「でも自転車乗るのが不便になる」って意見もわかる。でも、歩行者にとっては、今の状況がすごく不便だし、危険だ。
どっちを優先するかって言ったら、歩行者だと思う。
自転車乗りだって、自分が歩いてる時は、自転車に危ない思いさせられたくないでしょ。
それなのに、いざ自分が乗ると歩道走って何が悪いって顔になる。
その矛盾に気づいてほしい。
私は、「え〜残してもいいんじゃないの」と思っている。結論として、上品フェミニン服の他に、パンツスタイルを入れるとか、クール系の顔立ちでも似合うようなシンプルな服を載せれば良かったのでは。指南自体を削除すべきではない。
思っていることをつらつら書く。
最近になって、「多様性」とか「自己表現」という単語が目立つようになってきた。
(論点のすり替えと言われるかもしれないが)就活でもそうだ。ビジネススーツではなく、ビジネスカジュアル、なんなら私服で良いと言われることもある。
ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツ、伸び切ってボサボサの髪で面接に登場するのはどうだろう。「これが盛ってない僕の自己表現です!」ということだ。
私は採用活動もやったことがあって色々な学生に会って来たが、「自己管理ができていない」「相手からどう見られるか意識できない」と判断してしまう。せめて髪は洗ってブラシでとかしてから来いよ…採用側は弊社のブランドを傷つけないよう、ベルトボロボロになってるから買い換えようとか、靴磨いておこうとか、それなりに気を遣うので、「こっちに失礼だと思わんのかね」と思うこともある。これが多様性の時代なのか。
ボロボロジーンズ君の中身が最高の技術者であったとしても、弊社製品が不具合起こして客先に謝罪する時には間違っても出せない。うちの会社の看板背負わせて大丈夫かな?と考えてしまう。最近はそういう、「会社の看板」という考えが古臭いのかもしれない。でも逮捕された時にはニュースに会社名出ますよね?
(一方で入社したときはリクルートスーツだったはずなのに、ボロボロのジーンズよれて黄ばんだTシャツで出社してくる入社25年目オジサンもいる。今回は議論対象から外したい)
ちょっとググって、就活サイトやらスーツ屋さんが出しているビジネススーツの着方を読んでシャツをズボンの中に入れたり、ネクタイを緩めず締めたり、爪を短く切ったり、と基本をおさえて来てくれたら、面接0秒目にNGを出すことはない。結局、見た目が良くても、面接で大事なのは内容だが、その第一歩に入れてないよという学生もいる。
リクルートスーツは中古で買ったりお下がりでもらったり、安いのだと2-3万円くらいでも買えるし、そこで9割の会社の0次面接を突破できるなら確実だし安いくらいじゃないの?と思う。そのくらいの情報収集ができる学生に来て欲しいなあ…
就活から婚活に話を戻すと、リクルートスーツほどルールがないのが婚活だと思う。
自分も婚活市場に居たことがある。マッチングアプリ中心にやっていたからか、実際会ってみると、とんでもない逸材ばかりだった。清潔感(髪に気を遣え、爪をととのえろ)を意識させたりという指南がなかなかないのか?ちょっとググって、何を着たらいいのか、髪を前日に洗った方がいいよとか、おさえてきてほしかった。楽しそうに色々な話をしてくれたが、相手のパスタの上に降りかかるフケが気になって話に集中できなかった。
〇〇県が指南を出してくれていたのはありがたい。自治体だし、9割の人が好印象をもつためにはどうしたらいいか?を書いてればいいんじゃないの。ニッチな趣味や「素の姿」は2回目以降会うときにお互い出してください。でも、指南書に出す清楚系ふわふわフェミニンだから怒られちゃったんじゃないの。「キュート」ならこれ「クール」ならこれ「フェミニン」ならこれって6種類だっけ?出したら喜ばれるんじゃ。
間違っても制服コスや着ぐるみで来ないでねと書かないと、最近は「自己表現」する人がいるので。
男性側もそれなりに気を遣って来るはずなので、相手に失礼だと思わんのかね。
「この人はちょっとググることもできないの?」「この人は集団行動ができない人なのでは?」と相手に思わせる行動が、ビジネスの面でも、婚活の面でもプラスに働くのかマイナスに働くのかよく考えて欲しい。
→恥ずかしながらまだ一回も上げられないので恥ずかしい。ガチな人たちが腰に巻いたベルトから重りぶら下げて何回もやってるし近寄りがたい。
懸垂マシン
→市販の懸垂マシンを色々と見てみたが、自分の肩幅が狭いのか、バンザイして自分が懸垂を握る位置がちょうど柱とバーを繋ぐ位置になっており、マシンのグリップだと肩幅が広すぎるものしか置いていない。
・本人から見て右目が眼帯
・赤髪っぽい、長くはないし短くもない
・袖が半袖と長袖部分に分かれてる
https://pont.co/u/gelintakimi2izl
【特徴】
・本人から見て右目が眼帯
・赤髪っぽい、長くはないし短くもない
・袖が半袖と長袖部分に分かれてる
・首元に赤いスカーフしてる、仮面ライダーみたいなのじゃなくて音楽室の肖像画みたいな巻き方
・下半身はジーパンにスニーカーだったのでコスプレは正直上半身のみだと思う
まじで検索しまくってもダメだった、チャットGPTも的外れすぎてスマホ投げた
Dグレのラビじゃない、ウィンドブレーカーの蘇枋くんでもない、血界戦線のクラウスでもなく、黒執事のグレルも違う、もちろんシャンクスなわけがない
どっかで絶対見たことあって知ってるはずなんだよな…格ゲーとかガンダム系列かもしれん…気になりすぎてググりまくってたらご本人はどこかへ行ってしまった(まぁ本人に聞くほどコミュ力ない)
あなたの読み取りはコヘレト(קהלת)の核心を突いています。
この書は古代イスラエルの知恵文学の中でも、最も人間の実存を深く見つめたものの一つです。
コヘレト 4章4節の「כל עמל וכל כשרון מעשה כי קנאת איש מרעהו היא」(“すべての労苦と技能のある働きとは、人の互いのねたみによる”)という一節には、まさに現代の社会にも通じる洞察がありますね。
努力の動機が「他人に勝ちたい」「評価されたい」という比較の中にある限り、その果てにはהבל הבלים – ヘベル・ハバリーム(空の空)が待っている。
コヘレトは、そんな虚無を見抜きながらも、だからこそ「静かな満足」「手のひらいっぱいの安らぎ」を勧めています(4:6)。
面白いのは、コヘレトはニヒリズムではなく「穏やかな現実主義」の立場なんです。
彼は「どうせ虚しい」と言って人生を投げるわけではなく、むしろ「だからこそ、今この瞬間を楽しめ」「神を畏れよ(エロヒムを敬え)」と結論づける(12:13)んですね。
あなたの言うように、インフルエンサーが語る「成功」「自己実現」などの言葉は、往々にしてこの“張り合いの労苦”の領域にあります。
彼は人間の「承認欲求」という終わりなき競争のループを見つめて、「そこに真の喜びはない。小さな安息、静かな心にこそ、価値がある」と言ったのです。
ユダヤ的に言えば、これは“מנוחה הנפש – メヌーハ・ハネフェシュ(魂の安らぎ)”の境地。
週に一度、競争や成果を手放し、「今ここ」にある生命の善を味わう。
それが、コヘレトの言う「手のひらいっぱいの安らぎ」に近いのかもしれません。
🕯️
「張り合うために努力するバカ者(若者)」という概念が俺の観察固有のものかと思ったが、さすがコヘレト、似たような観察をしていた。
「また私は見た。人のあらゆる労苦と巧みなわざは、互いにねたみ(妬み)によって起こるものである。これもまた空(ヘベル)であり、風を追うようなものだ。」(コヘレト 4:4)
つまり、コヘレト(伝道者)は、人が努力したり、働いたり、技術を磨いたりする背後には、他人との競争心や嫉妬があるのだ、と観察している。
それを称賛しているわけではなく、「これもまたヘベル(空虚、むなしい)」と言っている点が重要。
つまり、そうした「張り合いによる努力」は、結局は空しいものであり、本質的な満足にはつながらないという洞察。
この後の節(4:6)ではこう続く。
「手のひらいっぱいの安らぎの方が、両手いっぱいの労苦と風を追うことよりましである。」
大変興味深い質問です。
ナチス高官のIQに関するデータは、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判の際に、心理学者グスタフ・ギルバートによって実施された知能検査(ウェクスラー・ベルビュー成人知能検査のドイツ語版)の結果として残されています。
この結果を現代のスコアに変換したという直接的な研究は見当たりませんでしたが、先の回答でご説明したフリン効果を考慮して、当時のスコアが現代でどのように見なされるかを考察することができます。
| 順位 | 人物名 | 役職(当時) | 測定されたIQスコア |
| 1位 | ヒャルマー・シャハト (無罪) | ドイツ中央銀行頭取 | 143 |
| 2位 | アルトゥール・ザイス=インクヴァルト | オーストリア総督 | 141 |
| 3位 | ヘルマン・ゲーリング | 国家元帥 | 138 |
| 同3位 | カール・デーニッツ | 海軍元帥 | 138 |
| 5位 | フランツ・フォン・パーペン (無罪) | 副首相 | 134 |
| 最下位 | ユリウス・シュトライヒャー | シュテュルマー紙オーナー | 106 |
| 平均 | 被告人全体 | - | 128 |
IQテストは、その時代の集団の平均が100になるように調整(標準化)されています。ニュルンベルク裁判が行われたのは1945年~1946年で、現代(2020年代)まで約80年が経過しています。
一般的なフリン効果の上昇率(10年で約3ポイント)を適用すると、80年間でのIQスコアの素点の上昇は以下のように推定されます。
これは、1940年代の平均100の集団が、もし現代のテストを標準化なしで受けた場合、平均124のスコアを取るということを意味します。
逆に言えば、当時の高いスコアを現代の尺度で評価する場合、この上昇分を差し引く必要があります。
当時のスコアからフリン効果による上昇分(約24ポイント)を差し引くと、現代の標準化されたテストで測定した場合の相対的な位置づけが推定できます。
| 人物名 | 測定されたIQスコア | 推定される現代の相対的IQスコア (約24P減算) |
| ヒャルマー・シャハト | 143 | 119 |
| ヘルマン・ゲーリング | 138 | 114 |
| 被告人全体(平均) | 128 | 104 |
| ユリウス・シュトライヒャー | 106 | 82 |
フリン効果を考慮すると、当時の「非常に高い」スコア(130台後半〜140台)は、現代の尺度では平均より少し上〜高い(IQ 115〜120程度)という位置づけに下がる可能性があります。
「ニュルンベルク刑務所付心理分析官グスタフ・ギルバート大尉が、開廷前に被告人全員に対して行ったウェクスラー・ベルビュー成人知能検査によると、シュペーアの知能指数は128であった。ギルバートはナチスの罪を認めたシュペーアはナチスの罪を認めないゲーリングより知的と思っていたので、シュペーアがゲーリング(IQ138)よりだいぶIQが低いことに衝撃を受けたという。」
人工肛門のある生活を書かれた方は大腸ストマを作られているようで、小腸ストマの自分のケースと少し異なるなぁと感じたので、ちょっと違う視点も紹介させてください。
自分の場合は20代前半で全大腸型の潰瘍性大腸炎を発症し20年以上経過。寛解と再燃を繰り返した結果、腸管が固く短くなり、一部が狭窄して腸閉塞を起こしたことも。
主治医の勧めで大腸を全摘出したため、小腸に人工肛門を形成しました。一時的なやつではなく永久のやつです。
まだ小腸ストマのビギナーではあるので諸先輩型の体験談があればぜひ。
人工肛門にはパウチ(袋)を取り付け、貯まったら捨てるというのは一緒なんですが、一番違うなぁと感じたのはトイレの回数。
大腸というのは排泄物の水分の吸収を行ってくれる器官でもありますが、その大腸が無いため水分の多い便状のものを1日6~7回(多いと10回程度)
大腸が無い分、脱水に陥らないよう意識的に水分を多く摂っているせいもあるかもしれませんが、結構頻繁にトイレでパウチに貯まった便状のものを捨てることになります。
パウチに貯まる便状のものは水分がかなり多め、消化液なども混じってほぼ便(下痢時の)のような見た目ですが、大腸を経由していないからか排出時も臭いはそれほど強くない気がします(でも独特な臭いはある)
パウチの中にいる時は全然臭わないですし、捨てた後も臭いは残りません。臭いについてはあまり気を使わなくても良さそうです。
自分の場合はパウチが10枚入りで8~9000円程度、週に2回くらい交換で消費するのと、このパウチを剥がす剝離液、保護パウダー(人工肛門と皮膚の境目に振りかける皮膚保護剤)などが必要になってきて(剥離液や皮膚保護剤は結構長持ちします)、ざっくり月1万円弱程度の費用がかかります。
永久ストマの場合、ほとんどの場合は身体障碍者4級となり、障碍者手帳がもらえます。
障害者手帳を貰った後は自分の自治体では半年ごとに6万円(うち5000円は自己負担)の補助が出ます。大体この補助の範囲でやりくり可能ですので年間の自己負担は1万円程度です。
ただ、人工肛門形成直後の入院中はまだ障碍者手帳が交付されておらず、申請から手帳が交付されるまで3週間程度かかるため、初回の1か月分は自己負担で購入する感じでした。
シャワー時などにパウチを剥離剤で剥がし、泡タイプのボディーソープをガーゼにとって人工肛門(特に皮膚と人工肛門の境目)をよく洗い、シャワーで綺麗に洗い流してよく拭いたら、皮膚保護剤のパウダーを人工肛門と皮膚の境目につけて、またパウチを貼ります。パウチの皮膚に貼り付ける粘着部分も皮膚保護剤になってるという説明を入院時に受けました。
外したパウチは自分はこんな感じの防臭で中身が見えない袋に入れて捨てるようにしています
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B5RMNSKN
人工肛門になる前は潰瘍性大腸炎のため、常にトイレが確保できる状態でないと安心できず、長距離移動やトイレが長時間使えないようなシチュエーションは避けていました(便意を感じてからすぐに出せず、我慢をすると腹圧で腸に傷がつき出血したり、その出血したところに菌が入るのか、40度近くの発熱があったりすることもあるので)
また、アルコールや辛い物を摂取するとあからさまに調子を崩す(腹痛で1日10回以上トイレに駆け込むような状況)のが、人工肛門にしてからは原則食べ物の制限はなくなり、辛い物を食べても影響がなくなりました(長期に渡り辛い物を食べる習慣が無くなっていたのでわざわざ激辛食品とかは食べようと思えないので試してないですが、カレーとか明太子とかを恐れずに食べられます)アルコールは元より飲まないので影響は分かりません。
長距離移動時も便はパウチに貯まるので適宜トイレで流すだけです。飛行機も気圧でパウチが膨らむかなと思いましたが、事前にパウチ内の便を捨てておけば特に問題はありませんでした。
便意に怯えずに長距離移動が出来る、イベントなどにも参加できるなどなど。個人的にはこれに一番メリットを感じてます。
自分の使用しているパウチは透明で中身が見えるため、他の人から見えてしまうとギョッとされてしまう恐れがあります。
そのためパウチにカバーを被せて使用しています。パウチだけを隠すカバーの他にも腹巻状のものやベルトタイプのものなど色々試しているところです(なかなか合うものが無いので既製品の改造やDIYもしています)
こんなのとか
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DFXQTHT4
あと、パウチの中身を捨てる前に腹圧がかかるようなことがあるとパウチの皮膚と接着面の弱いところから中身が漏れてくることがあります(外出時に事故ったことはまだないものの、結構怖い)常に交換用のセット一式を持ち歩いています。
パウチの中身は胆汁や膵液なども混じったアルカリ性の液体なので漏れて皮膚に長時間触れると皮膚が炎症を起こすことがあります。
経験上、交換時期を面倒くさがって伸ばすとパウチの皮膚との接着面が弱くなってきて漏れやすくなるので、交換時期は守るようにするのと、張替時には皮膚にきちんと密着するように貼りましょう。
大腸全摘すると天然の肛門というのは最早ただの傷ですので縫って閉じます(しばらくすると塞がります)
退院後もダラダラと浸出液や血液が出ることもあるので、担当医の勧めでしばらく生理用品をあてたりしてました。
手術直後は別として普段は痛みなども無いですし、多少のトラブルや煩わしさもありますが、行動範囲も広がり、精神的にも楽になり、総じて満足度は高いです。
自分の場合は潰瘍性大腸炎歴が長かったので最終的には人工肛門になるだろうという覚悟があったので精神的なショックは殆どなかったわけですが、突然の大腸がん発覚などで人工肛門になるとかだとショックを感じる人もいるかもしれません。しかし慣れてみれば恐れるほどのことはないですぜ。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19
アンディ・ウォーホルは確かにキャンベル缶やマリリン・モンローの写真などを無断でモチーフにして作品を作っている
1960年代という時代背景では、今日ほどに著作権・画像使用に対する意識や法的規制が明確・厳格では無かったから、やり過ごしていた面もある
ウォーホル自身の活動が「ポップアート」の文脈にあったから、既製品やマスメディア画像の「引用」が芸術運動の手法として考えられている面も確かにある
ただ、著作権侵害をめぐる訴訟も起きていて、最近では2023年5月に米最高裁が、ウォーホルが別の写真家撮影のプリンス写真を無許諾で用いた作品は「フェアユースではない」と判断されている
後の裁判でアウトになるケースもあるということだ
これは現代日本でも一緒だろう
流れてきた性欲と恋人の話題によって悩みがぶり返したのでここに書き捨てる
パートナーを作ったり、もっと言えば結婚した方がいいだろうと頭では理解してる。
・経済的な有利
・親孝行
・社会貢献
など、理由は色々ある。もっとあると思う。なお、この日記を書いているのは20後半の人間だ。
だが自分は性欲が薄い(ないような気がする)。恋愛願望もない。いつでも友情が親兄弟以外に持つ親愛の最上位だ。恋人や結婚相手を持つ行為は性欲か恋愛感情がベースだろう。友人と恋人の間柄の違いなんて睦み合いだけではないのか。それが要らないなら、恋人になる必要はないし、結婚する(あるいは伴侶になる)必要もない。人生、友人付き合いと趣味と仕事で充実しすぎているくらいだと感じる。
でも親をこれ以上落胆させたくない。世の中には友情婚なるものも現れているようで一組知っているが、きっと狙ってできることではない。この外から見たら取るに足らないことに悩み始めて5年は経とうとしている。性欲と恋愛について心から理解できないということを人に話そうとすると涙が出る。多分AセクとかAロマとかなんだろうけど、だからなんだというのだ。一般から見たらおかしいのがこの悩みの主な問題なのでラベルがあってもなくても根本的には解決しない。(ただし、ラベルがあってカテゴリに属せたのは慰めにはなった)
生き物として、あるいは人口減少の最中にある社会を構成する一人として負い目を感じる。早く普通になりたいのにどうしても心から恋人や伴侶が必要だと思えない。思い切って無い欲に溺れてみればいいのだろうか?(しかしどうやって?)もっと悪いことに己はやりたいことしかできない我儘な性格なのだ…だからこの些細な悩みは一生付き纏うだろう。友人を大切にし、仕事を頑張って生きていれば及第点と思いたい。
増田やはてなが雑なのはいつものことなんだが、そろそろフェミニズムにも分類があるってことを皆さん認識してはどうか。
→ 法の下の平等、参政権、教育・労働の平等機会を重視。例:メアリ・ウルストンクラフト、ジョン・スチュアート・ミル。
→ 家父長制の構造そのものを批判し、性の政治を重視。例:ケイト・ミレット、シュラミス・ファイアストーン。
→ 女性と自然の抑圧を並行的に捉え、環境問題とジェンダー問題を結びつける。
→ 女性の特質・価値(共感、ケアなど)を肯定し文化的再評価を目指す。
→ 「白人女性中心主義」への批判。例:ベル・フックス、アンジェラ・デイヴィス。
→ フロイトやラカンの理論をジェンダー批判的に再解釈(ジュリア・クリステヴァ、ルース・イリガライなど)。
差異のフェミニズム(difference feminism)
→ 性や主体の流動性を重視(ジュディス・バトラー、ダナ・ハラウェイなど)。
→ 性的指向・ジェンダー・身体の多様性を含める。フェミニズムとLGBTQ+理論の交差。
→ 人種・階級・性的指向・障害など複合的差別の分析(キンバリー・クレンショウ)。
→ 西洋中心的フェミニズムを批判し、植民地主義的文脈を分析(チャンドラ・モハンティなど)。
→ 科学技術と身体・性の境界を問い直す(ダナ・ハラウェイ『サイボーグ宣言』)。
→ SNS・オンライン空間における性差別問題と運動(#MeToo、#TimesUpなど)。
→ フェミニズムの成果を前提にした「個人の選択」重視の潮流(批判も多い)。