はてなキーワード: 神事とは
角川春樹78歳、子どもは7歳、ボクシングは週2 超人的能力に「俺は一体何者なんだ」 林真理子
角川:...ry...ただ、コロナに関しては、話すと長いから結論だけ言うと、前に林君も行った明日香宮(北軽井沢)で、...ry...3回神事をやって、5月7日に終息させてしまったんだ。
角川:うん。それは確信を持ったね。コロナとセットになって、実は地震もあるんだ。
林:えっ、地震が来るんですか?(はあああああ?)
角川:...ry...これもとめなきゃいけない。だから今年は一年中働かされるなと思ってるんだ。
林:社長、よろしくお願いしますよ。ちょっと信じがたいお話ですけど。(こんな基○○に付き合ってらんねえ)
角川:勝手なことをマスコミだとか医者が言ってるけど、一つも当たってないわけだよね。オーバーシュートも都市封鎖も医療崩壊もなかった。それは、そうさせないために自分はやってきたと思ってるわけ。
林:ふーむ……。(どうすんのこれ....)
角川:自分で、俺は一体何者なんだろうと思う。...ry...自分が好きでもないのに、70億以上の人間が地球上にいる中で、自分だけがそういう能力を持ってしまった。一体なぜだろうと思う。「今年、オリンピックはない」ということは、1月の段階で社員に言ってたし。
林:ほぉ……。ところで、次回作はもう決まってるんですか。(はいはい、オジイちゃん次行きましょうね)
...ry...
角川:...ry...一時は剣術に行ったんだよね。2・5キロの木剣を3万3100回振るわけ。
林:月にですか。(まーた、与太話が始まったよ)
角川:いや、一日に。トイレに行くのとごはんを食べる以外は振りっ放しなんだ。3万3100回振るなんて、人間としてあり得ないんだよ。だから過去の剣術家と戦ったとしても負けるとは思えないし、いま現役の剣術家とか剣道家と戦って、負けるとはまったく思わないね。日本で最強の剣術家だと思う。
林:ゴルフとか、ふつうの趣味は持たないんですか。(クスリでもやっとんちゃうか?)
...ry...
角川:...ry...もう一つは「龍天に昇る映画といふ麻薬」。
林:ほォ~、麻薬ですか。(オイオイオイオイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイ)
角川:映画とか小説は、私にとって麻薬だと思ってる。そこから離れられないというか。
2020年にコロナ収束してないし、2024年の能登地震は予測できんかったんか?
林真理子のスルー力がすごくて角川春樹の○タオカ発言をうまくかわしてるけど、日大アメフト問題でも最初からこういうスキルを発揮すればよかったのにね
べつにー、初詣でに行ったりとか、節分に豆撒いたりとかしても災厄が避けられたり福が来たりしねーよって思ってるし、神に祈ったり感謝したりしなくても自然法則に従って農作物が豊作だったり海産物が大漁だったりそうでなかったりするだろーし、宮司さんが神妙な口ぶりで読み上げるノリトとか、ちゃんちゃらおかしー! って思ってるんだけど、「なり手がいなくて地域の伝統が守っていけなくて困るから」みたいに説得されて、某神社の氏子総代を仰せつかっているんだよねーw
本心を公言したら、いろいろ波風たって、ご近所さんから白眼視されちゃいそうなので、年に数回の神事の際は、スーツにネクタイで正装してじっと堪えてますよww
クイズ番組に出て来た賽子の読み方が解らなかった。
賽銭の賽と子でなんて読むんだろ、さいす?
答えはさいころ。
そう言えば賽は投げられたとか言うな。
でも賽銭、賽の河原、賽する、等々宗教的な使われ方の多い賽の中で、賽子はとても浮いている気がする。
漢字の意味を調べても、賽、神にむくいること、さいころ、と意味がちぐはぐに感じられる。
そこで調べてみたらさいころは元々投げた結果で吉凶を占う神事に使われていたらしい。
原始的な賽子では生け贄の動物のくるぶしの骨で作られていた物もあったとか。
宗教にぐっと近づいた。
賽ノ神、塞ノ神などと道祖神や、正月開けの焚き火行事を呼ぶ地域もあるらしい。西日本で言うところのどんど焼だ。
https://www.kanko-kubiki.jp/season/winter/sainokami/
このページによると名前の由来は
邪霊の侵入を防ぐ神→さえぎる神→さえの神→サイノカミ(賽の神)
遮=賽はなんだかとてもしっくりきた。
言われてみれば賽の河原はあの世とこの世を遮っている場所なので同じ由来かも知れない。
神も悪い物を遮ってくれるのと同時に、我々と神の間も遮られている。
さいころも成功と失敗の間をさえぎっていると言えるかも知れない。
しっくり来たのでこの辺で考えるのをやめた。
その能力者「手が届く者」とは、空中にシャボン玉のような球体を作り出し、その球体をぶつけられたモノは球体と同じサイズだけ消失する
つまり人間の頭に野球ボールサイズの球を投げつければ、野球ボールサイズの穴が空いて死ぬ
丸神町の者はこの能力を駆使して乱世では9人の能力者だけで数万の敵勢を返り討ちにした
現代では能力者は片手で数えられるほどしかおらず、非公開の神事で並べた石をバチンバチンと消すぐらいにしか能力を使っていない
能力を使うほどに能力者の容貌は変形して「鳥のような羽毛を持つエイリアン」みたいな顔になり、手指は1本追加で生えて6本になる
作中の推測では、まさに「エイリアン」がかつて丸神町に降り立って植民地か実験地にしようとして町民に能力を与えたと推測される
またエイリアンは能力だけでなく、町民を「窓を開いた者」にした
「窓を開いた者」は夜毎に「怖い夢」を見る
それは宇宙の果てか地の底のような場所で永劫の孤独を強いられ、苦しんでいると「エイリアン」のような存在だけが手を差し伸べてくれるというもの
町民はその夢によって、エイリアンを切望し隷属しなければいけないという衝動に駆られる
球はモノを消す際に強い光を放つ。山頂で石をバチンバチンする神事は派手な光を出すことで「エイリアンよ、私達はここにいるのでまた来て下さい」というメッセージが込められている
でもエイリアンは何故かもう何百年も現れず、町の人々にはただ超能力と怖い夢だけが残されている
丸神町では能力がなく夢も見ない普通の人間が最も多く、次に夢だけ見る者がけっこうな数いて、能力者はごくわずか
頼之さんは夢を見るし能力もある稀有な存在で、球のサイズも建物一つ飲み込めるほど大きくできる歴代最強の能力者
「10代の頃から神事を行う若き神官」と称されているので、多分まだ20代だろう
頼之さんは能力を使いすぎて容姿はもう人間離れして、見た目では年齢不詳
「エイリアンとのつながりを保たなければいけない」という怖い夢による強迫観念のもとで、頼之さんは神事の山を切り崩す開発工事を提案したヨソモノを能力で殺害してしまう
怖い夢に支配されている一方で、頼之さんは「何百年も前に我々を見捨てたエイリアンに縛られ続けるのはおかしい」「あんな山なんかぶっ壊して解放されるべきでは?」とも考えるようになった
町には「山里を守るためだけに能力を使え、外部に能力を知られるな、外部のために能力を使うな」という掟がある
頼之さんは、その掟を破って能力を外で派手に使いまくれば、掟を押し付けたであろうエイリアンが出てきて対峙できるのではと思い、町を飛び出して反社とつるんで船舶、飛行機、巨大ビル、著名な政治家らを次々と球で消去する
それでもエイリアンは現れない
頼之さんには幸子という同郷の幼馴染がいる
幸子は怖い夢は見るが能力はない
彼女は兄が能力者で、幼い兄は能力を遊び半分に使って小さな球を幸子の体に投げつけて背中にはえぐられた傷跡が大量にある
頼之さんはエイリアンのような容姿を隠すため常に覆面の怪しい人間として登場するが、幸子のことを「さっちゃん」と呼んで気さくに接する
怖い夢に縛られ兄からの虐待の過去にも苦しむ幸子は常に陰気なのだが、頼之さんは幸子の頬にそっと手で触れて「俺がいつか悪夢から解放する」と話す
そのために頼之さんが凶行を重ねていると知り、幸子はそっと涙を流す
幸子は怖い夢の中で手を差し伸べるエイリアンを見るうち、あれは本当は実在も定かではないエイリアンなどではなく、頼之さんじゃないのか、頼之さんがどん底の世界から救ってくれる人ではないかとうっすら考えている
この二人の関係は恋愛未満であるが、だいぶ恋愛に近いものだと思う
わけのわからない夢に縛られている、よそものにはわからない同郷者同世代同士で苦しみを分かち合う者
人間を球で消去しまくって大量殺人を重ねている頼之さんに呑気にラブコメする時間はなかったが、お互いに他の同郷者とは別格の思いを抱き合っている
ところがドラマ版では色々改変があり、まず頼之さんが幸子と同世代の若者ではない
頼之さんの俳優は40歳の山田孝之で、頼之さんはエイリアンみたいな姿なので特殊メイクしており役者の実年齢は関係ないと思いきや、
山田孝之は有名な俳優だ、せっかく起用するなら特殊メイクだけでなく顔を出させたいのは人情だろう
だが、数年前のシーンで幸子が子役を使う一方で頼之さんは40歳の山田孝之で、親子ぐらいに年の差が開いてる設定になった
頼之さんは幸子の母親と同世代で、幸子の母と恋仲だったがお家の事情で結婚できず、幸子母は他の男と結婚したという設定が生えた
幸子父は頼之さんとの関係に嫉妬して妻子を愛せず、幸子が兄から虐待を受けたのは、兄が父から虐待を受けておりそれが連鎖したという設定になった
原作と関係のない一つのドラマとして見ればシナリオにそんなに破綻はないし、球による人体破壊描写を容赦なくグロくしたりがんばってくれてはいるのだが、
頼之と幸子の関係が様変わりしたのはショックだった
山田孝之はずっと特殊メイクのまま20代の若者設定でいてほしかった
幸子の母と恋仲とかなんだよそれ
頼之さんは結局、暴れまわってもエイリアンが現れず、とうに人間たちは棄てられているのだろう、
なのに呪いのような怖い夢だけ残され、エイリアン降臨を待ちわびる神事をするのが馬鹿らしくなり、
最後には神事を行う山を巨大な球で破壊し自分もまたその球によって消えようとする
もしかしたらエイリアンはとっくに手を差し伸べてくれていたのではないか、球は「扉」であり、巨大な球に丸ごと体を飲み込ませればエイリアンのもとへ行けるのではないかという仮説を提唱し、
それが真実である根拠はなく、もしかしたら死ぬだけかもしれないのに巨大な球に触れようとする
幸子は自分も一緒に行きたい、自分にとって手を差し伸べてくれていたのは頼之さんであると述べて頼之さんに駆け寄ろうとする
結果的に死んでもいい、心中になってもいいというのが頼之さんと幸子の関係だ
これが幸子母に恋してた疑似親子みたいになるのはなー違うんだよなー
かくいう増田の家も街の端っこにある
家の裏は性悪な地主おじさんが雑に管理してる、木も生えてる竹藪なんだか竹も生えてる雑木林なんだか分からん敷地がある
近所の池のそばを通るとウシガエルが鳴いてる(子供の時は苦手だった)
季節によって麦畑とか綺麗な緑の田んぼとか黄金色の田んぼとかみかん畑とかが見える
雨の後は遠くの山の稜線が綺麗に見える
車で10分圏内ならスーパー6つ、ドラスト5つ、スタバが1つある
病院はよくある○○科なら大体ある
デカいレース?とかやる競馬場はある(そういう日は道がクソ混むのが嫌だけど街の道路整備とかに補助金みたいなの出してくれてるっぽいからあんまり文句言えない)
ファストフードとか丼もののお店とかファミレスとか、そういうよくあるチェーン店は割とある
個人経営の珈琲が美味しい喫茶店とか石窯のあるカフェとかインドカレーや中華以外の外国料理のお店もある(都心の飲食店ガチャで場所代マシマシみたいな値段と味のとこを引くよりは満足できる)
本屋はTSUTAYA系のやつができて他の店は駆逐された(他の店は品揃え悪かったから別にいいやって感じ)
いちおう跡地とか城趾はあるけど敷地?があるだけなのであまりランドマーク感はない
あと変な名前だと思ってた地名は江戸時代初期からあったものだったりする
同じ時期から残ってる市内の別の地名のついた神社にはちょっと危ない伝統神事みたいなのがある(住んでる場所から離れてるから増田は直接関わりを持ってないけど、その出身の人には神事経験者もいる。危ないのによくやるな〜すごいな〜って思ってる)
他にも○○街道で昔は宿場だったのかな?って感じの地名とかある
まあ、相撲とかお宮参りとか、神事から男女差別を無くそうっていうのはね・・・。
神さまに出産を報告して、ご祈祷をいただくために神社を訪れた。
両親とともにあやしていると、
神主に注意された。
「いえ、おばあさんかママが抱いてください」
とのこと。
え?
聞くところによると、お宮参りでは おばあさん が赤ちゃんを抱くらしい。
相撲を思い出す。
土俵で心臓が止まった力士を助けるために、いち早く駆け寄った女性のことを。
男たちは右往左往する中で、勇気を出して救命に向かったした彼女に向かってアナウンスが流された。
子どもに縁遠い人は知らないだろうね。
生まれて初めての外出がお宮参りだという家庭も多いそうだ。
令和5年師走の終わり、お宮参りとかいう日本の神事での男女差別に反対する——…個人的に、こういうのをスルーして黙認するのは良くないと思うから。
多度大社の上げ馬神事で馬を叩いたり、負傷や安楽死を招いていることに虐待との声が上がり、県が改善の要望を出すそうだ。諏訪大社では生きたカエルを串刺しにする神事があるなど儀式と動物、それに対する虐待の声は切っても切り離せない。
他方で殉葬に代わるものとして俑や埴輪が生まれたとも言われている。この説への異論もあるようだが、生者を物で代替する考えもまた切っても切り離せないだろう。
翻って私の地元の祭には駆け馬神事というものがある。円形に組まれた馬場に沿って走る馬に男が飛びついて共に走る(場合によっては引きずられる)というものだ。これも馬の扱いについて苦言を呈する話を時折耳にする。さて、この駆け馬神事を物に置き換えると何になるのだろう。
・円形の馬場
・馬が馬場に沿って環状に走る
・人が並走する
……つまりメリーゴーランドである。そんな未来が来るかはさておき、祭礼の日が近付くにつれて境内にメリーゴーランドが出来上がる様はそれはそれで面白くわくわくするかもしれない。
最後の方で急に思想強い文章が出てきて笑っちゃった。これが言いたかったんじゃないかまである。
動物虐待罪の保護法益は「動物愛護の良俗」とされているが、こんなものがまかり通るなら、「天皇を敬愛するという良俗」を保護対象にして、天皇の写真を焼くアートを取り締まる立法だって許されることになってしまう。多くの善良な日本人は日の丸をあえて損壊する行為に心理的抵抗を感じるだろうが、では日の丸を損壊する行為に刑事罰を科すことは妥当だろうか? 俺は天皇の写真を焼くようなパフォーマンスをする連中とは友達になりたくないが、そいつらが逮捕されることには断固として反対する。そして、動物虐待も同じだ。
動物愛護が美徳であることは否定しない。天皇や日の丸に敬意を払うのと同じくらいには市民の美徳だろう。だがある行為が美徳であることは、それを毀損した者に刑罰が科されるべきであることを意味しない。天皇の写真を焼き日の丸を破り捨てる行為がどれだけ腹立たしくとも合法であるべきであるように、犬を殴り、猫を焼き、馬にムチを入れレースで走らせたり神事で酷使したりする行為は、それがいかに嫌悪感を催すものであろうが、合法であるべきだ。動物虐待罪は市民の自由を奪う悪法である。一刻も早く動物愛護法を改正し虐待罪を削除すべきだ。
めちゃめちゃビックリした。
人間の都合で調教して人間の都合でムチ入れて人間の都合でレース走らせて人間の都合で屠殺する競技の関係者が、他人を「動物虐待」って言って責める資格あると思ってるんですね。すごいなぁ。
当たり前だけど、何千万もの募金集めてようやく十数頭の馬を救っても焼け石に水で、本当に馬の福利を考えるのであれば競馬を廃止するか、年の競走馬生産を計50頭以内に抑えるのが一番手っ取り早いからね。
ダービーの実況で「○千頭の頂点!」みたいに言われることがあるけど、それだけの馬を生産してることが動物愛護の観点からいえば異常なわけで。
20年ものあいだ、全体からみれば微々たる数の馬を救うことで満足し、競馬廃止運動などを繰り広げてこなかった団体なんだから、てっきり動物虐待に対する体系的な問題関心を持ってるわけじゃないと思ってたんだけど、見込み違いだったかな(体系的な問題関心を持ってないのは悪いことじゃないよ、念のため)。
増田は動物愛護には何の関心もないオタクなので、普通に競馬を楽しむし、ナイスネイチャバースデードネーションにも寄付したし、それと同様に上げ馬神事についても「まあ伝統の神事なんだから別にいいじゃん」と思うけど、競馬産業を放置してる団体が上げ馬神事をあげつらうのはおかしい。
たかが数頭の馬が伝統行事で酷使される程度のことに怒るならば、より身近で体系的な競馬とかいう動物虐待に対してもっと真摯に向かい合うべきだっただろう。競馬廃止の運動をするとか、競馬関係者を糾弾して社会的に非難される職業にするとか、競走馬を生産する牧場のボイコットを呼びかけるとかね。
ナイスネイチャバースデードネーションで俺も含む大勢の人が寄付したわけだし、そのパワーを競馬廃止運動や牧場ボイコット運動や騎手の吊し上げに向けてはいかが?
競馬に情熱を注ぎ込んできた人たちが大勢いるように、地域の伝統行事を大切にしてきた人たちも大勢いて、それはどちらも尊重すべき人間の文化の一部だと思う。片方を「たとえ伝統文化だとしてもダメ」と切り捨てるのであれば、当然、競馬にも同じ刃を向けるべきだし、これまで20年以上も競馬関係の業界にいながら競馬のシステムへの根本的な批判を行ってこなかった団体がいきなり伝統文化に口を出すのは、ちょっと受け入れがたいものがあるなぁ。五十歩百歩ってご存知?
ところで、動物虐待罪は悪法であり廃止されるべきである。動物は権利を享有する主体と見做されるべきではない。動物の所有者が(絶滅危惧種ではない)動物をどのように扱おうが、それは所有者の自由だ。動物虐待を行った者が友達を失くしたり近所の住民に軽蔑されたりするのは仕方ない(誰しも友達を選ぶ自由はある)けど、それは他人の権利を侵害しているわけではないのだから、刑罰を科すのは間違っている(他人の動物を虐待したら器物損壊で処罰すればよい)。
動物虐待罪の保護法益は「動物愛護の良俗」とされているが、こんなものがまかり通るなら、「天皇を敬愛するという良俗」を保護対象にして、天皇の写真を焼くアートを取り締まる立法だって許されることになってしまう。多くの善良な日本人は日の丸をあえて損壊する行為に心理的抵抗を感じるだろうが、では日の丸を損壊する行為に刑事罰を科すことは妥当だろうか? 俺は天皇の写真を焼くようなパフォーマンスをする連中とは友達になりたくないが、そいつらが逮捕されることには断固として反対する。そして、動物虐待も同じだ。
動物愛護が美徳であることは否定しない。天皇や日の丸に敬意を払うのと同じくらいには市民の美徳だろう。だがある行為が美徳であることは、それを毀損した者に刑罰が科されるべきであることを意味しない。天皇の写真を焼き日の丸を破り捨てる行為がどれだけ腹立たしくとも合法であるべきであるように、犬を殴り、猫を焼き、馬にムチを入れレースで走らせたり神事で酷使したりする行為は、それがいかに嫌悪感を催すものであろうが、合法であるべきだ。動物虐待罪は市民の自由を奪う悪法である。一刻も早く動物愛護法を改正し虐待罪を削除すべきだ。
動物愛護を本気で考えてる人が競馬を批判するならまあ理解できるが、「俺は動物愛護に反対だけどね」は醜悪だわ。動物愛護にもグラデーションはあって「そりゃそんな使い方したら死ぬだろ」っていうのはあるでしょ。
ですよねえ。数十キロの重り背負わせて高速で東京競馬場や阪神競馬場走らせたら、そりゃ死にますよねえ。「原因はわからないんじゃない、ないんだ!」って、いやいやどう考えてもそれが原因でしょっていうね。
上げ馬神事で馬死なせるのと沈黙の日曜日とで何が違う? 俺にはわからない。片方が起きるような環境を文化として擁護するならもう片方も擁護すべきだし、片方を嵩にかかって糾弾するならもう片方も追及しないとおかしい。これまで競馬に深く関わっておきながらダンマリだった連中が上げ馬神事に強い言葉で物申すのは醜悪だと思うよ。
不快なものは規制してよい論者だ! 論拠が素朴すぎて絶滅したと思ってたけどまだ生きてたんだ! すごい! 超レア! サインください!
俺も隣人が犬や猫をいたぶって遊んでたら嫌すぎるし、今後のお付き合いは考え直すだろうが、隣人が刑務所に送られたり罰金を払わされたりするのは間違ってると思うよ。