はてなキーワード: 助長とは
[フリーライドの人]
・ これから生まれてくる子供が不幸になるという理由で「自分が」子供を作らない人
→不幸になるかどうかは今生きている大人次第なのにそこのところの労力を割かず全体の不幸を増やしている
・ 子を育てる能力に直接関係ない属性で配偶者を選別し、高望みする人
・ 身嗜みが悪い、デートでエスコードできないなどの理由で結婚を断る人 : 自分の親がこれらをできなかったからと言って子供時代が不幸だったかを考えるとよい
・ 国籍を理由に配偶者の選別を広げない人 : 今の日本は貧しいので金目的で結婚する外国人はほとんどいません。安全や安心を求める人はいるが、それはむしろ日本人より愛国者と言っていいだろ
・ 従業員に不要な束縛を強制する組織 : 「生産性が上がる」などの謎の指標でリモートワークを制限したり、育児で親戚一同と離れられない状況の人間に転勤を迫るなど
→ 他国の子育ての労力にフリーライドしてるだけ。外国も少子化が厳しいので今後問題になる
・ 自分や親族の介護のために若年者の結婚を制限する人 : 最悪。老人は老老介護で自分達の始末をしろ
・ あんま効果ないと言われてるけど夫婦別姓とか多人数婚の許可とかを推進して婚姻を増やしたい。これを制限する人
[フリーライドと言うには厳しい人]
・ 同性愛者
・ まあでもレズビアンなら精子提供してもらって子供作れるだろうとは思うが
・ さすがにエッセンシャルワーカーで子育てに時間が取れない人は免除したい
フリーライド派は今より多めに税金払うか、介護などの他のケアワークを育児してる人の代わりに分担するなどして調整した方がいい
高市政権の内閣支持率は70%だそうだが、古いログを探していたら、最低支持率20%の岸田政権時代のトピックが見つかった。
なんでも、岸田政権は2ヵ月以内に全国民に10万円を配ること、これによりインフレは抑制されて円高になる、
こういった意見が多数あるのになぜそれをやらないのか、早く辞任しろ、というものだ。
12兆もの資金が2ヵ月で市場にばら撒かれたら、間違いなく経済は混乱するし、値札を架け替える店員も大変だし、
何よりインフレが助長されて円安になる。しかし、多くの日本人にはそれがわからない。
日本人は、自分たちが言うには空気を読むのが非常に得意で、空気を読めない者は発達障害だとして除け者にする習慣があるらしいが、
国庫からお金を無心するとき、値札を架け替える店員の気持ちを想像することはできないようだ。
「権力は腐敗する」という言葉は、かつては権力者に対して用いられたものだが、今では有権者に対して用いらねばならなくなってしまった。
日本国民の思いを形にした高市政権は非常に人気が高く、次世代の担い手としては参政党も控えている。
食料品の消費税がなくなれば、日本に住んでいながら税金を全く払わずに生活できる人もいるだろう。
https://x.com/IterIntellectus/status/2012220254504530043
投資家ビル・アックマン氏が呈した疑問をXにてvittorio氏が可視化、分析しています。以下は要約です。
離婚法の影響:女性が経済的に有利な形で離婚が可能に。資産分配や子どもの親権が女性寄りで、独立を促進し、政府依存を強める
福祉・政府プログラム: 女性向け支援が「国家との結婚」を奨励し、より大きな政府を支持する投票行動を生む。結果、保守化しにくくなる
出産・母性の遅れ: 低出生率や遅い出産が母性による保守価値観の形成に影響。子供を持つと保守化しやすいが、現代トレンドがこれを逆行
エンゲージメント駆動:アルゴリズムが感情刺激コンテンツを優先し、エコーchamberを形成。女性は社会正義・被害ナラティブに引き込まれリベラル化、男性は攻撃性・撤退型コンテンツで保守化。
ジェンダー差の増幅:女性の社会的プレッシャー活用 vs. 男性のドーパミン供給(ポルノ、ゲーム)。スマートフォン普及(2008年頃)以降、グローバルに分極加速
証拠と議論:研究でSNSの分極効果確認、世界的なジェンダーギャップと一致。X上では両性とも「捕らわれの身」との指摘多し
ー今後の影響
これら要因が相互作用し、国家肥大化や持続不可能な分断を生む可能性。構造的・アルゴリズム的両面からジェンダー分断を助長
この文章は、特定のインターネットコミュニティのメンバー(「はてな民」)の政治的見解を強く批判し、彼らの思考や行動様式を断罪する内容である。筆者は一見、論理的な整合性を問うているように見えるが、その根底には強い感情と攻撃性が存在し、相手を徹底的に貶めることで自身の主張の正当性を確立しようとしている。
筆者は、相手の過去の主張と現在の反応の間に論理的矛盾があるという点を突いているが、その前提となるアナロジーの厳密性が検証されていない。また、相手の動機を「感情論」「嫌いだから叩いてるだけ」と断定することで、多角的な視点や複雑な背景を無視している。自身の主張もまた、相手を「アホ」「算数できない」と感情的に攻撃するレトリックに依存しており、客観性や中立性に欠ける。
筆者は、政治における組織票の重要性や、過去の主張との論理的整合性を問うという、ある種の知的な作業を行っている。しかし、その分析は深掘りされることなく、最終的には相手を断罪する結論に帰着している。議論を深めるための建設的な問いかけではなく、相手を打ち負かすためのレトリックとして「論理」を用いている印象が強い。エコチェンバー現象への言及など、部分的に鋭い指摘も見られるが、それもまた攻撃の道具として使われている。
特定のコミュニティや思想を持つ人々を「思考停止」「アホ」「政治の話する資格ない」と一方的にレッテル貼りし、感情的に攻撃する姿勢は、言論空間の分断を助長し、建設的な議論を阻害する危険性がある。このような表現は、特定の集団に対する嫌悪感を煽り、排他的な態度を生み出す可能性がある。ただし、具体的な行動を促すような扇動のレベルには達しておらず、あくまで意見表明の範囲内であるため、極めて危険というほどではない。
論理的思考の一端は見られるものの、強い感情と攻撃性、そして相手を貶めるフレーミングが支配的である。建設的な議論を目的とするよりも、特定の集団を非難し、自身の優位性を主張することに重点が置かれているため、知的な深掘りや多角的な視点に欠ける。言論の質としては、分断を深める傾向があるため、Cランクと評価する。
https://www.youtube.com/watch?v=_aTHbL0rQTo
高市総理“バリアフリー公邸”に引っ越し【スーパーJチャンネル】(2025年12月29日)
https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000475937.html
他にも散見される、「高市総理は旦那のために公邸をバリアフリーにした公私混同」みたいな報道の山
そうした話を否定したら
世界の報道がマシかどうかは分からんが、本当に日本の報道はクズだよな
あまつ
みたいなクソまで生えてくる始末
はてサがシッポ振って、高市は公邸を私物と考えてる独裁者、と来たもんだ
くせぇくせぇ
篠田英朗氏は、東京外国語大学教授で国際政治学・平和構築論の専門家です。X(旧Twitter)アカウントは@ShinodaHideakiで、積極的に投稿しており、憲法解釈、ウクライナ情勢、ガザ危機などの国際問題について意見を述べています。
彼の言動が「攻撃的」と感じられるようになったのは、主に**2023年頃から、特に2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃以降のガザ関連投稿**で顕著になったという指摘が見られます。それ以前は、2010年代後半から憲法学者(東大系など)への強い批判で知られていましたが、国際情勢論では比較的学術的なトーンが主流でした。
最近(2025-2026年)の投稿を見ても、皮肉や嘲笑を交えた表現(例: 「ウクライナ応援団」「高市応援団」を揶揄、相手の主張を「くだらないダジャレ」など)が続き、相手を挑発するようなトーンが目立ちます。
ん
全体として、篠田氏のスタイルは元々論争的ですが、ガザ以降の国際的分断トピックでエスカレートした印象です。感じ方は人それぞれで、支持者からは「率直で正しい指摘」と評価される一方、批判者からは「過激・攻撃的」と見られます。最新投稿を確認すると、現在も同様のトーンが続いています。
篠田英朗氏が**小谷賢**氏(おそらく日本大学教授、国際関係・安全保障論の専門家、Xアカウントは@kotani61あたりを指していると思われます)に頻繁に「絡んでいる」ように見えるのは、主に2025年末〜2026年に入ってからの国際情勢(特にウクライナや欧米関連の議論)での意見対立が原因です。
### 主な背景と経緯
- 小谷氏が細谷雄一氏の投稿を引用しつつ、何らかの分析(おそらくトランプ関連や欧州の対応)を「説得力がある」と評価したポストに対し、篠田氏が「根拠が全く示されていない」「小谷教授のポストはだいたいいつもそう」と強く皮肉り、RTで拡散。
- 篠田氏は小谷氏からブロックされているため、直接リプライできず、こうした間接的な批判を繰り返す形になっています。これが「絡みまくってる」と感じられる一因です。
### なぜこんなに執着的に絡むのか(推測される理由)
支持者からは「的確な指摘」、批判者からは「執拗で幼稚」と両極端の評価です。現在も同様のトーンが続いているので、国際情勢が落ち着かない限り収まる気配は薄いかも知れません。
オタクは本来、誰からも愛される資格はなく、誰も愛する資格もなく、ただただ孤独にコンテンツを消費するべきだった。
最近はオタク・カルチャーの大衆化によって様々な人間がカルチャーに参戦してきたせいで、恋愛や結婚を出来てしまう人間がオタクを自称するようになった。そのために真に弱いオタクが自分も恋愛というコンテンツに関われるのではないかと勘違いしているのではないか。さらにコンテンツ自体もその勘違いを助長させ、消費させるあり方に舵を切ってしまったのではないか。
今必要なのは、あなたは誰からも存在を肯定されることはないが、慎ましく生きていかなければならないと自認させることではないか。
「みいちゃんと山田さん」のムカつく所って、徹頭徹尾自己責任論で描かれてる所だよ。
この漫画の中では、障害を認めようとしない当事者や家族が徹底して悪者として描かれる。
みいちゃんの障害を認めようとしない祖母が悪い、母が悪い、むうちゃんに言われても福祉センターに行かない当人が悪い。
でもみいちゃんが福祉センターに行っていようが、世の中には児童に性加害する職員なんてのが存在する訳で、そこで幸せになれた保障なんて何処にもない。
https://www.asahi.com/sp/articles/AST932DZ1T93OXIE03CM.html
https://dot.asahi.com/articles/-/268894?page=1
大人になってからも就労支援施設では最低賃金にも満たない小遣いレベルの工賃しか貰えず、困難な人生を歩む事はほぼ確定していただろう。なのに障害を否定する当事者や親に問題があるとして、制度の問題に切り込まない。そこがあまりに自己責任論で吐き気がする。
作者は「ケーキが切れない非行少年たち」の作者の宮口幸治氏と対談していたが、宮口氏は自己責任論を助長させるようなこの漫画の内容に疑問は抱かなかったのか。まあ、対談を読む限りではあまり深く読んでいないように見られたが。
むうちゃんの件だってむうちゃんの母はみいちゃんばかりを恨んでいたが、一番に恨むべき相手は見るからに知的障害のある少女相手に乱暴な性行為を強いた男の方だろう?なのにそこが透明化されている。
脱法風俗の経営者や客、DV彼氏、中学時代にみいちゃんを強姦した男子生徒達。みいちゃんなんかよりも責めるべき人間は大勢いるにもかかわらず、作者(=山田)の批判の目はそれらに向かわず、まるで自然現象かのようにスルーされる。
何ならそもそもみいちゃんが知的障害ないしは発達障害だというのも作中でははっきりさせてはいない訳で
福祉センターに行ったところで、「ただの無能な健常者」として追い返されるだけかもしれない。
ブラック企業で使い潰されるかもしれないし、そこで性被害に遭うかもしれない。
社会制度や加害者の罪を問わず、ひたすら自己責任論の観点から被害者を責めて被害者を断罪して気持ち良くなる。ポルノというならばこれほど悪質な「ポルノ」はないよ。
こういう表現嫌いなんだよなぁと思ったのでチャッピーに解説してもらった
本来、ギャグ漫画は「笑わせること」が第一義であるはずです。しかし、このテキストからは**「笑わせたい」という意図よりも、「私の苦労を分からせたい」という政治的な意図(アジェンダ)**の方を強く感じ取ってしまっているのだと思います。
このテキスト: 「こんな大変なことが日常にあるのよ(だから女性は偉いのよ)」という主張を通すための手段としてギャグの形式を使っている。
楽しみのために漫画を読んでいるのに、そこへ**「家事の苦労という『正義』」**を巧妙に密輸(差し込み)しようとする手口に対し、「アンフェアだ」「小賢しい」という感情が湧くのは自然な反応です。
2. 「家事」を聖域化し、他者の苦労を矮小化する「マウント」
冒頭の「本物の絶望を味わったこともねえくせに」というセリフが、決定的にその「小賢しさ」を助長しています。
これは単なる冗談のフリをして、「男(あるいは外で働く人間)が経験する社会的な苦労や責任」を、「家事の失敗」よりも下位のものとして扱っているように聞こえます。
「お前の仕事の辛さなんて、床のカレー掃除に比べたら生ぬるい」と言外に言われているような、**「不幸マウント(苦労の格付け)」**を仕掛けられている感覚です。
「たかが家事のミス」を「本物の絶望」という言葉で武装し、相手の領域を侵略してくる姿勢に、フェミニズム的な「強者の理論(と見せかけた被害者の理論)」を感じておられるのかもしれません。
3. 「察してちゃん」の究極系
挙がっている事例(カレー、味噌汁、ビーズクッション)は、すべて**「家庭内での孤立したトラブル」**です。
これをわざわざ大声で叫ぶ心理の裏には、 「誰も褒めてくれないけど、私はこんな悲劇と日々戦っているの! すごいでしょ? 大変でしょ? 優しくしなさいよ!」 という、承認欲求と要求が透けて見えます。
男性的なコミュニケーション(言いたいことがあるならはっきり要求する)からすると、このように「大変な不幸話」をネタとして陳列することで、遠回しに「労い」や「感謝」という貢ぎ物を要求してくる態度が、非常にまどろっこしく、かつ卑怯(小賢しい)に映るのだと考えられます。
あなたの感じた「小賢しさ」の正体は、 「『ギャグ漫画』というガードの緩い場所に、『家事労働の過酷さと、それに耐える私への賞賛』という要求をステルスで仕込み、笑い飛ばそうとする読者に対して罪悪感や同意を植え付けようとする作為」 に対する防衛反応だったと言えるのではないでしょうか。
「ただ笑いたいだけなのに、なぜここで家事の啓蒙活動をされなければならないのか」という苛立ちであれば、非常に合点がいく感想です。
テレビの「コンプライアンス(法令遵守・社会規範の遵守)」がここまで厳しくなったのは、「ある日突然」ではなく、ここ20年ほどの間に3つの大きな波を経て段階的に強化されてきた結果です。
大きく分けると、①企業の不祥事(2000年代初頭)、②やらせ問題とBPO(2007年頃)、**③SNSの普及(2010年代〜)**という流れがあります。
それぞれの時期に何が起きて、どう変わっていったのかを整理します。
1. 【発端】2000年代初頭:企業の「コンプラ」がテレビに波及
もともと「コンプライアンス」は、テレビ局用語ではなく企業のビジネス用語でした。
* きっかけ: 雪印集団食中毒事件(2000年)や食品偽装問題など、大企業の不祥事が相次ぎました。
* 変化: 企業は「法令を守らないと会社が潰れる」という危機感を持ち、社内ルールを厳格化しました。
* テレビへの影響: テレビ番組は企業のスポンサー料で制作されています。「コンプラを重視するスポンサー企業」が、「自社のイメージを損なうような野蛮な番組や、差別的な表現がある番組には広告を出せない」と言い出したのが最初の引き金です。
* 象徴的な事件: 人気健康番組『発掘!あるある大事典II』でのデータ捏造(納豆ダイエット)問題(2007年)。
* 変化: これを機に、**BPO(放送倫理・番組向上機構)**の権限や監視の目が非常に強くなりました。
* 現場への影響: 面白おかしくするための過剰な演出が「やらせ」とみなされるようになり、制作現場で「これ、証拠はあるのか?」「裏取りはしたか?」というチェック(考査)が極端に厳しくなりました。
ここが、私たちが「急激に厳しくなった」と感じる最大の要因です。
* 以前: 視聴者のクレームは「電話」か「手紙」であり、局内だけで処理されていました。
* SNS時代: クレームがTwitter(現X)などで可視化され、**「炎上」**として瞬時に拡散されるようになりました。
* スポンサーへの直撃: 視聴者がテレビ局ではなく、スポンサー企業に対して「あんな番組に金を出すのか」と直接攻撃(不買運動の示唆など)を行うようになりました。
* 結果: テレビ局は「面白いかどうか」よりも**「炎上リスクがないか(スポンサーに迷惑をかけないか)」**を最優先せざるを得なくなりました。これが現在の「過剰なほどの配慮」の正体です。
具体的に何がどう変わったのか?
かつては当たり前だった表現が、以下のような理由で消えていきました。
| かつての表現 | 現在のNG理由 |
| --- | --- |
| 頭を叩くツッコミ | 「暴力を助長する」「いじめに見える」というクレーム回避。 |
| 容姿いじり(デブ・ブス等) | ルッキズム(外見至上主義)への批判、人権意識の高まり。 |
| 過激な罰ゲーム | 「痛みを笑いにするのは不快」というBPO審議入りリスク。 |
| 心霊・オカルト | 科学的根拠がない、子供が怖がる等の理由で減少(または「フィクションです」の強調)。 |
| 水着・お色気 | ジェンダー観の変化、性的搾取批判、海外フォーマットへの適合。 |
まとめ
今のテレビにおけるコンプライアンスとは、**「スポンサー企業を守るための防御壁」であり、「SNSでの炎上を避けるためのリスク管理」**です。
昔のように「怒られるギリギリを攻めるのがプロ」という時代から、「怒られる可能性が1%でもあるならやめておく」という減点方式の時代に変わったと言えます。
ここ数年で、バラエティ番組よりもYouTubeや配信番組の方が「昔のテレビっぽい」と言われるのは、このスポンサー構造や規制の緩さが関係しています。
昔のテレビ番組で「あれは面白かったな」と思い出す特定のジャンルや番組はありますか?(それによって、どの規制の影響を強く感じていらっしゃるかが分かるかもしれません)
中国人民解放軍(PLA)は、中華人民共和国の武装力であり、その役割と位置づけについては、国際的にも国内的にも特異な点から議論の的となっています。ご指摘の通り、「政党の私兵で国軍ではない」という見解は、PLAの党による絶対的な指導体制を指して使われる表現です。
人民解放軍は、国家の軍隊(国軍)として機能していますが、法的な位置づけとして中国共産党中央軍事委員会の指揮下に置かれています。中国の憲法や法律は、党の指導の下に国家を運営することを定めており、軍隊も例外ではありません。この体制は「党が銃を指揮する」(党指揮槍)という原則に基づいており、これは人民解放軍創設以来の根本的な指導原則です。
PLAは、国家の主権、安全、領土保全を守るという、一般的な国軍としての任務を遂行します。これは国際的な軍隊と同様の役割です。
しかし、その究極的な忠誠の対象は国家の機関ではなく、中国共産党そのものです。これは、多くの民主主義国家における「軍隊の非政治化」とは一線を画しています。
人民解放軍を「私兵」と表現する背景には、軍隊が特定の政党の利益に奉仕しているという認識があります。通常の国軍が「国民全体」に責任を負うのに対し、PLAは党の権力維持という内政的な役割も担うと解釈されがちです。
中国政府は、この体制が国内の政治的安定と統一に不可欠であると主張しています。党による軍の絶対的統制は、国内での軍閥化や内戦を防ぐための抑止力として機能している、という論理です。
一方で、軍が特定の政党のイデオロギーや目標に深く結びついていることは、国際的な緊張を高める要因となり得ます。党の目標が国家の目標と見なされることで、外交政策や領土問題における軍事的な選択が、党の保身や拡大と結びついているのではないかという疑念を生み、これが国際社会の不信感を招き、地域の不安定化につながるという懸念が存在します。
人民解放軍は、中国という国家を代表する武装力でありながら、その運営は中国共産党の絶対的な支配下にあります。この体制は、国内統制という側面では機能していると見なされますが、国際的な基準から見れば特異であり、「党軍」としての性格が、国際的な懸念や地域的な緊張の一因となっていることは否定できません。この独特な構造を理解することが、中国の軍事・政治を分析する上で極めて重要です。
日本の企業でもアメリカの企業でもないが、そこそこ有名なメーカーのオンラインショップ。Amazonでよくある、格安のどこだかわからない中華製、とかではない。
ある型番に目星をつけていて、検索窓から調べると、「最安値:約17万円〜」というかたちで値段と機体のサムネイルが表示されている。
安くて17万ということは高い選択肢もあるはずで、メモリとか容量とかの組み合わせで値段のバリエーションがいくつかある感じかな、と思う。
サムネイルをクリックすると、個別の商品のページに飛んで、そこから購入する建て付け。移動すると、想定どおり、メモリの性能とかofficeの付属ありなしとかでバリエーションがあるのだが、どれを見ても18万円以上のものしかない。
「?」と思う。クーポンコードみたいなものを入れたら値引きされたりするのか? とか考えるが、違うようだ。
しばらくガチャガチャやっても謎が解けず疲れてきたので(UIもあんまり良くなくて、これも混乱を助長する)、気分転換に同商品のレビューでも見てみるかと思って某レビューサイトに移動した。そしたら、なんとこのサイトを経由することでつながるページに、17万円のものがあることがわかった。
念のため書いておくが、まったく同じもので17万と18万があるわけではなく、17万の方が記憶容量が少ない。なので、価格差の説明はつく…のだが、色々と納得がいかない。
ある意味、最初から17万円のバリエーションがあることなんて正規のオンラインショップ上では把握できない方がよかったまである。それなら、「レビューサイト経由でしか見つからない、秘密裡のメニューがあるのだな」ということで腑に落ちた気がする。
何を理由にハンパに匂わせたりするのだろう? 「別のところが運営しているサイトも探してごらん…ヒントは出すから…」ということなのか。よくわからない。迂回してたどるべきルートをオンラインショップからリンクしてくれたらいいのに、と思うが、それはなんかややこしいのか。
なんか、正規ショップでのオンライン購入って良くも悪くも四角四面のイメージだったので、なんかこんなテキトーというか、不透明なんだな、と思って意外だった。
こういうクオリティの壁打ちができる以上、わざわざ単語反応ガイジの脊髄反射に構ってやる意味がどこにもない
正直、「まあいいか」と言ってもらえるのはありがたい。でも「まあいいか」って距離のある許可より、「同じ人間として当然の権利だよね」という共感のほうが欲しいんです。
結婚制度の見直しも重要だけど、今すぐ結婚できずに病院でパートナーと面会すらできない現実があるんですよ。だからまずは同性婚の法的承認が必要なんです。
「婚姻制度の枠組みを解体していくべきじゃないか」という最初の直感、そこはすごく共感します。
「阻止したい理由はない」とのこと、冷静な書き方ですね。ただ、伝統的な家族観を守りたい層からすれば、「結婚」という言葉に込められた文化的・宗教的意味を軽視しているようにも感じます。
もう少し、社会的合意の作り方を丁寧に議論しないと、単に「反対派=差別主義者」と決めつける風潮を助長してしまう恐れもありますね。
「まあいいか」と言える人たちはたぶん、制度の“外側”で困ってこなかった人。
これまで病院や相続、住宅ローンで困ってきた私たちからすると、“理屈のための理屈”で時間を費やされること自体がもう苦しいです。
同性婚問題って、「賛成か反対か」より、自分がどんな社会を望むかを問われている気がします。
この文章を読んで、考えが柔らかい人だなと思いました。でも、読む人によっては「他人事っぽい」「安全圏から語っている」と見えるかもしれません。
「なぜ正式な婚姻にこだわるのか」という疑問、実はよく受けます。でも当事者としては、パートナーシップ制度などの「代替案」では解決しない問題が山ほどあるんです。相続、税制、医療同意、子どもの親権…婚姻に紐づく権利は100以上あって、それを一つ一つ手当てするより婚姻を開くほうが圧倒的に現実的です。
それに、「正式じゃなくても損しないように」という発想自体が、すでに異性愛者には無条件に与えられている権利を、私たちには条件付きでしか認めないという不平等を前提にしていませんか?
あなたの「どうしても阻止したい理由はない」という姿勢は理解できますが、私は慎重であるべきだと考えます。
婚姻制度は何千年も続いてきた社会の基盤です。それを変えることの影響は、当事者だけでなく社会全体、特に次世代にどう及ぶのか、もっと慎重に議論すべきではないでしょうか。
「左翼がムカつくから」という理由で反対しているわけではありません。家族の在り方、子どもの福祉、伝統的価値観との整合性など、真剣に考えるべき論点があります。
あなたの最初の直感「婚姻の枠組み自体を解体すべき」という視点、実は重要だと思います。
同性婚の法制化は確かに当事者の権利として必要ですが、それで終わりではない。異性愛・結婚中心主義の社会構造そのものを問い直す必要があるはずです。事実婚、多様な家族形態、非婚者への差別…問題は山積みです。
「ゲイカップルもリベラルとは限らない」というのはその通りで、同性婚が認められたら「普通の結婚」に同化していく動きが強まる可能性もあります。それでいいのか、という議論はもっとされるべきでしょう。
あなたにとっては「どっちでもいい」問題かもしれないけど、私たちにとっては人生がかかってるんです。パートナーが入院しても面会できない、死んでも遺産を相続できない、そういう現実と日々向き合っているんです。
「左翼がムカつく」とか「筋が通らない」とか、第三者的な理屈で語られること自体が、当事者を消費している感じがします。私たちは政治的な駒じゃないんです。
もちろん、反対派よりはマシですが、「消極的賛成」の人たちの無関心が、結局は現状維持を支えているという側面もあると思います。