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はてなキーワード: 日の出とは

2025-03-03

夢の国疲れた経験

嫁の提案で、夢の国へ行った。

ちなみに俺は40代で初めてのディズニー参加。

都内に転勤で住んだ経験はあるが、街歩きや旅行が好きで、ディズニーには行かなかった。

そもそも自分から遊園地に行こう…と思うことが普段ないのだけど。


2泊3日で、1日目はランド、2日目はシー、3日目は横浜中華街に行った。

実際、ランドもシーも楽しかった。

アトラクションは待つし、歩くけど、人の多さを不快に感じず、レストランもごった返していない。

人のコントロール上手いんだろうな。知らんけど。

誰かと一緒に遊ぶというのは、こんなにも楽しいことなんだ。


でも、なんで疲れたんやろ。

歩き疲れたのは事実デスクワークなので普段は体を動かさない。対して嫁は経ちっぱなしの体を動かす仕事から疲れはしたけど、心地良い疲れだったらしい。僕は疲労困憊。ぶっちゃけ、疲れのほうが勝った。


あと、最近仕事結構しかった。事前にどのアトラクションに行くか下調べは何もしてなかった。予約や下調べは全部嫁がしてくれた。友人に好きな人が何人もいるらしい。多忙な中での2泊3日動き回る旅行だった。それもあるやろな。精神的にも余裕が全然なかった。


セックスできなかったからだろうか。でも、不妊治療中で、嫁の体質的に今はセックスはしないほうがいいと医師から言われているらしく、理性で抑えている。あと、もともと嫁ちゃんセックスが苦手な体質(刺激が入ると生理が不順になったりする)。でも、僕を配慮して頑張って応じてくれる。無理な時は無理と言われるが、仕方ない。ていうか、旅行中は嫁ちゃん生理中だった。


「合わせてくれていたから、疲れたんだと思う」と嫁には言われた。…意外な意見だ。確かに自分は人に合わせる性格だと思う。自宅の選定も嫁に合わせたし(俺に好みがないからだが)、今回のディズニー旅行も嫁の提案。でも、行ったことないから行きたかったのは事実なんだ。


貯金結構減った。ていうか、月の収支が最近支出超過で赤字になってる。挙式、新婚旅行年末旅行に行ったし、デジカメ(フルサイズ一眼)買ったし、今回のディズニー旅行宿泊オフィシャルホテルだったし。問題は忙しく余裕がなさすぎて収支管理にまで余裕が避けなくなっている。年末旅行オフィシャルホテル選定も嫁の提案だけど、金に余裕がないならそう言えばよかったし(それは嫁に言われた)、だけど、一生に一度だし、嫁の行きたいところは叶えてあげたい気持ちがあったし。

ただ、ちょっと怖い。年収は嫁ちゃんのほうが100万円ほど多いのだが、自分質素生活に慣れていることで、嫁に見限られたりしないだろうか。俺のことを物足りないと思わないだろうか。その気持ちを読めに伝えたことはある。嫁は「私は自分ほしいものは自分で何とかするし、相手に求めることはしない」と。


シーを歩いてる時だったか、3日目に中華街歩いてる時だったか、「この結婚はいつか終わるんじゃないかな」という、ふとした思いを感じた。一番怖かった。嫁は優しくて、旅行疲れた翌日、体調不良で僕が休んだら出勤前に食事を買ってきてくれた。でも、自分が求めているのは、こういう生活なんだろうか。分からない。


疲れすぎて翌日の出勤日、僕は仕事を休んだ。疲れて休んだのは久しぶりだな。一日中、寝ていた。

2回目のディズニーはないんじゃないかな。疲れて嫁ちゃん心配かけたことが申し訳ない。

2025-02-28

映画メモ

リボルバー東京 TOHOシネマズ日比谷 050-6868-5068

日本語字幕09:10 / 12:55 / 21:45 〜 終23:50

東京 TOHOシネマズ新宿 050-6868-5063

日本語字幕14:45 / 17:25 / 21:20 〜 終23:25

東京 TOHOシネマズ池袋 050-6868-5070

日本語字幕08:30 / 16:30 / 21:50 〜 終24:00

シンパシーフォー・ザ・デビル

東京TOHOシネマズ 日比谷 050-6868-5068 2025/2/28 -

東京TOHOシネマズ 新宿 050-6868-5063 2025/2/28 -

東京池袋HUMAXシネマズ 03-5979-1660 2025/2/28 -

東京イオンシネマ板橋 03-3937-1551 2025/2/28 -

東京イオンシネマ日の出 042-588-0722 2025/2/28 -

東京イオンシネマむさし村山 042-567-8717 2025/2/28 -

『アノーラ

封神・妖姫とキングダムの動乱』

メカバース

2025-02-19

雑談ネタを作るためにしていること

トーク力が無いので、増田に書いて反応を見てから人に話せるネタか確かめている。

方法

  1. 1日の出来事をChatGPTに入力し、ネタになりそうなものタイトルを5つ出す。
  2. それらを増田に書いて投稿
  3. トラバ3もしくはブクマ3を獲得したら雑談ネタ認定

現在問題点

話す人がいない。

2025-02-12

年を取るごとに時間が進むのが長くなってるような・・・

1年があっという間って言うけど

なんか、昨日の出来事が先週みたいに感じるんだよね

2025-02-08

起きろ馬鹿野郎休日だろうと怠けるな!太陽が昇ってるのが見えねえのか!貴様人生日の出と共にスタートさせろ!

まずは水を飲んでランニング行ってこい! 目を覚ませ!体中の細胞叩き起こしてこい! ハムスターみてえに家でゴロゴロしてんじゃねえぞ!貴様もっと動けるはずだ!

帰ってきたら水浴びだコラ! 汗と脂と怠惰を洗い流してこい!気合い入れてこい!

その後飯を食って 脳みそ栄養を与えろ!

今日は一日、貴様人生を見つめ直す日にする。 今のままじゃ、貴様はただの酸素を浪費するだけの存在だ!

から勉強でもしろ!TOEIC900点、統計検定1級、全部取ってこい! 資格武器だ! いくつあっても困らねえ!

夕方からプログラミング勉強だ!AI仕事奪われたくなければ、AI使いこなせるようになれ!時代に取り残されるな!

夜は自己分析だ! 貴様の強みと弱みを徹底的に洗い出せ!そして、弱みを克服する方法を考えろ! 寝るな! 考えるんだ!

いか貴様もっとできる! 俺はそう信じてるぞ! だからこそ、厳しくするんだ!

さあ、今すぐ行動開始だ! グズグズしてたら承知しねえぞ!

今日も夜に起きてゲーム配信を見ながら日の出を迎える一日だった

2025-01-14

看護師の妻と結婚して11年目

・少し前に「看護師結婚して10年目」というタイトル匿名ダイアリー(すぐに削除されたので内容は読めなかった…残念)があり、タイトルに親近感を覚えたので、触発されて書いてみようと思った。

・これを書いてるのはとある地方都市部の端っこに住むアラフォーおっさん公務員(閑職)

看護師の妻と小学生の子もの4人家族

・今の生活に満足

・みんな幸せに暮らせるといいな


昨日(もう一昨日か)、地元成人式があった。地方だと成人の日(月曜日)ではなく日曜日成人式を行うところもあるのだ。東京とかから帰省し、旧交を温めてまた戻っていく若者達への配慮だろう。

自分の住んでいる地域は、都市部だが辺境ということもあってか、まだ小学校単位成人式を行えるような人口規模を保てていて、こぢんまりとしているが、その分アットホームな感じの成人式だ。


少し前に運命のいたずらで地元自治会メンバーになってしまい、今年の成人式にも参列することになったが、やっぱり40代から見る二十歳の若者というのは本当にまぶしい。エネルギーに満ち溢れている。

小学校卒業して8年しか経っていないはずなのに、こんなに大きくなるもんなんだな…自分の子もも、あと10年もすればこうなるのだろうか。今から晴着姿が楽しみだ。


さて、結婚して10年が過ぎて、11年目に入った。

妻とはマッチングアプリ出会ったが、当時はまだマッチングアプリ出会って結婚、というのがそれほど普及していなかった。職場でも「どこで知り合ったの?」と聞かれるとマッチングアプリで…とは言いづらかったので、合コンで知り合ったということにしていた。


看護師といっても診療科や勤務先(病院・クリニック・訪看etc.)によって勤務形態も大きく異なる。当たり前だけれども。詳細は伏せるが、妻は深夜勤はないが夜勤が週に1~2回のナースだ。

妻が夜勤の日以外は、家族全員で夕食を食べているのだが、それが一日で一番楽しい時間だ。家族みんなで、その日の出来事を、あーだこーだいいながら晩御飯を食べるのだ。

今日学校給食がおいしくておかわりした」だとか「いつもはぶっきらぼうなあの患者今日はなんか機嫌がよさそうだった」だとか、本当にとりとめもない話ばかりだ。


私は数年前に仕事精神的に追い込まれて心身に異常をきたした。

だが早期にそれを察知した妻が、すぐに受診できる心療内科を探し、予約してくれたおかげで、比較短期間で復職することができた。

そのことがなかったとしても、妻のことが大好きで心から愛していることには変わりないと思うが、その経験があったからこそ、家族の何気ない時間のかけがえのなさに気付くことができたとしみじみ思う。


ちなみに婚活マッチングアプリについて言うなら、私はアプリ登録してかなり早期に今の妻と出会ったので、いわゆる婚活の大変さをほぼ経験しなかったのであまり参考にならないかもしれないが、

あえて言うとすれば「この人とは、肩ひじ張らず自然体の自分でいられるなあ」と3回目くらいのデート確信したので、あとはそのまま機会を捉えて告白婚約結婚という感じだった。

現在婚活をしている人たちはいろいろな要素で悩む部分はあると思うが、そういう直感大事かなと思う。


仕事では、完全に出世ルートを外れてしまって幾星霜だが、「この組織に貢献したい」という思いは変わらず持ち続けているので、この先どんなところに飛ばされたとしても、それなりにやりがいを見つけてやっていけるんじゃないかな、と思っている。

給料世間一般で見ればよい水準だし、もう十分なのかなと思う。

かつては大好きで独身の頃に休日は一日中やっていたゲームも、もういいか…という気分になってきた。というか土曜日子ども習い事への送り迎えがあるし、日曜日は何かしら地域活動が入っていたりで、趣味に打ち込める時間は正直ない。でも別にそれでいい。加齢とともに感受性は落ちてくるものなのだコンテンツまっさら気持ちで楽しめないとでも言おうか。


そんな私が今思うのは、自分の子ども世代大人になったときに、幸せを感じられる世の中であってほしい、ということだ。

少子化に歯止めがかからず、日本全体がシュリンクしていくのは確定している。

残念だが、子どもを産み・育てていくことが、コストとしてばかり捉えられてしまっている。まあ経済合理性から判断すれば至極当然だが、とても残念だ。


それでも。

少しでも多くの人が、希望を持って、幸せを感じて生きていける世の中、世界になってほしい。

匿名ダイアリーに集う皆様も幸せを感じられますように。

2025-01-12

私のパートナーはてな匿名ダイアリーユーザだった

 普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉かいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。

 今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトSNSには決して書けないような本音愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。

 だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネーム存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリー投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族恋人への隠された感情職場内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。

 あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるかからない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。

 それから数週間後、わたしパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手プライベートフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要作業だけを終わらせるつもりだった。

 ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしものすごく迷った。

 たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手プライベート踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。

 結局、数秒だけ躊躇して、わたしマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人意見が合わない」とあった。

 胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活リズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感にわかった。

 しかし、そこに綴られていた文章想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしか気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。

 もちろん、エントリ匿名で書かれているから、わたし名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女わたしだということは、少なくとも当事者わたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。

 わたしはそのエントリ最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情わたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。

 苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。

 ところが、それで終わるはずがなかった。わたし自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホからはてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。

 翌日、仕事が終わってからわたし勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。

 その直後、わたし仕事家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトル文章雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事愚痴家族問題ゲーム攻略メモのようなものから恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。

 ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。

 それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリー投稿しようとした。

 ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。

 そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様感情匿名自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為のものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感アドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。

 そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこ自体を責めるよりも、むしろもっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいかわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたし勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。

 わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」

 その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事ストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安ネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離もっと開いていたのではないかと思う。

 匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名場所からこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。

 いまでも、彼がどんなエントリ投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから

 それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたし言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。

 もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリ出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身気持ち」を、誰かのコメントスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。

 そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリー投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。

 そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名つぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。

2025-01-11

毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた

 実家を出たときのことを、今でもはっきりと思い出す。僕は兄で、妹とは四つ違い。いつも穏やかで優しい妹が、自分の親に対して泣き叫ぶ姿を見るなんて、想像もしなかった。だけど、あのとき妹は限界だったんだと思う。むしろ、僕も同じように限界だったのだ。子どもの頃から毒親」と呼ばれる環境の中で育った僕たちは、お互いが互いを気遣い合いながら、なんとか生きてきた。

 僕たちの両親は世間体を気にしすぎるタイプだった。外から見れば、「教育熱心で厳格な家」という印象だったかもしれない。でも、その内側は違った。どんな小さなミスでも、親にとって“都合の悪いこと”になれば、怒鳴られたり、無視されたり、ひどいときには暴力まがいのこともあった。宿題をやっていないときは「怠け者」、テストで思うような点が取れないときは「努力が足りない」。どれだけ勉強しても「もっと上を目指せ」と追い詰められる。休みの日に友達と遊びに行けば「そんな暇があるなら勉強しろ」と怒鳴られる。僕も妹も、いつしか心の底から親の顔色を伺うようになった。

 中でもつらかったのは、「進路」をめぐってだった。僕が高校に進学するとき、両親は有名進学校合格するよう強く迫ってきた。そのプレッシャーに耐えられず、実は僕は一度だけ家出をしようとしたことがある。しかし、妹を置いていくわけにはいかないと思い直し、結局断念した。でも、そのとき妹はまだ中学生で、家に残るしかなかった。そんな妹が「お兄ちゃんと一緒にいたい」と僕に打ち明けたとき、何もしてやれない自分が情けなくて仕方がなかった。

 その後、僕はなんとか高校卒業し、アルバイト派遣仕事を掛け持ちして過ごすようになった。大学に行く気力はなかったというのが正直なところだ。親は「大学に行けないのなら家を出ろ」と言い放ったが、いざ出て行こうとすると「親不孝者が」と怒鳴る。言うこととやることが矛盾している。だけど、その矛盾に気づいたところで僕にはどうすることもできなかった。やがて妹も高校へ進学。成績は良く、周りからは「優等生」と見られていたが、その裏で妹は必死に呼吸をするように親の目を気にしていた。

 妹が高校二年になった頃、ある深夜のことだった。バイトから帰ってきた僕は、リビングで一人泣き崩れている妹を見つけた。理由を聞くと、学校で一度だけテストの点が下がったことをきっかけに、親からひどく責め立てられたらしい。妹は「こんな家、もう嫌だ。お兄ちゃん、一緒に出て行こう」と震える声で言った。その言葉を聞いたとき、僕はある意味覚悟”ができた。「もう逃げよう。二人でここを出よう」と。夜明けが来る前に、僕と妹は荷物をまとめはじめた。最低限の服や通帳、学校教科書などをリュックに詰め込んで、親に見つかる前に家を出た。

 両親には当然「勝手なことをするな」と言われると思ったが、そのときはもう恐れよりも先に「自由になりたい」という気持ちが勝っていた。妹が通う高校相談してみると、事情をある程度汲み取ってくれて、転校という形で新しい学校を紹介してくれることになった。あまり詳しい事情は言えなかったものの、「家の事情で逃げたい」という妹の言葉が切実に聞こえたようで、比較スムーズに話が進んだ。僕も収入不安定だったが、とにかく二人で暮らすために、急いで安いアパートを探し始めた。物件情報を見て回り、実際に不動産屋をいくつもまわる。田舎の方へ移っても良かったが、妹が通う高校への距離を考え、都心からは少し離れた町のアパートを選んだ。

 そうして、妹と二人暮らしを始めることになった。間取りは1DK。狭いけれど、二人で暮らすにはどうにかなる広さ。壁は少し薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてくることもあったが、実家にいた頃の息が詰まるような苦しさに比べれば、天国のように感じた。お互いに遠慮はいらないはずなのに、最初はそれでも気を使い合った。お風呂の順番、寝る場所、部屋の整理整頓。兄妹とはいえ、二人暮らしルールを決めるのは思った以上に大変だった。だけど、自由空気がそこにあるだけで、胸の中にぽっかりと温かい火が灯ったように感じられた。

 僕は早朝からコンビニバイトし、昼間は派遣倉庫作業に行くことが多かった。妹は平日は学校、土日は単発のバイトを探して働くことを始めた。毒親の元では許されなかった「アルバイト」だったが、今は誰からも怒られない。いつか二人で、もう少し広い部屋に引っ越したいと夢見ながら、僕たちは少しずつ貯金を始めた。最初は本当にギリギリ生活だったけれど、安心して眠れる空間自由に会話ができる空間が何よりも大切だと感じた。

 そんなある日のこと。妹が学校から帰る途中、カフェアルバイト募集張り紙を見つけてきた。時給はそこまで高くないが、交通費支給シフトの融通など条件は悪くなさそうだ。「お兄ちゃん、私、ここで働いてみたい」と目を輝かせる妹を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。毒親のもとにいたら許されなかったことを、いま妹は自分意思で選び、そして始めようとしている。その一歩が、僕にはとても大きく見えた。

 実際に妹がカフェ面接を受けに行くことになり、僕は帰りが夜遅くなるかもしれない妹のことが気がかりで、一緒に最寄り駅まで迎えに行くことにした。面接は上々だったらしく、店長もとても優しそうな人だったようだ。「採用されたら頑張るね!」と妹は嬉しそうに言う。その笑顔を見て、僕も心から「よかったな」と思った。

 駅からアパートへ向かう夜道は、人通りが少ない。僕は自然と妹の少し前を歩き、周囲を気にしながら帰宅する。すると、近所の商店街にある個人経営らしい居酒屋の前で、通りすがり中年男性に声をかけられた。「こんな夜遅くに、仲いいなあ、新婚さん?」と言うのだ。妹と顔を見合わせて、思わず吹き出ししまった。「いえ、兄妹なんです」と答えると、「そうなの? いや、雰囲気がいいからてっきり夫婦かと思ったよ」と笑われた。妹は「全然違うのにね」と顔を赤らめていたが、その後「でも、夫婦みたいだなんて、ちょっと面白いよね」とクスクス笑っていた。

 実は、こうやって夫婦カップルと間違えられることは、これが初めてではない。引っ越しときにも、不動産屋の担当者に「同棲ですか?」と何度か確認されたり、スーパーで買い物をしているときに「ご夫婦ですか? 新婚さん向けフェアの案内ですが……」と声をかけられたりした。僕としては妹を守る立場でもあるし、多少の誤解は軽く受け流しているつもりだけれど、妹のほうは毎回、「兄妹なんですけど……」ときちんと訂正してしまう。それでも、今となってはこの勘違いもほほえましく感じられるようになった。実家にいるときには考えられなかった、なんでもない日常の一コマ。僕たちには、そういう穏やかな時間がなかったのだと思う。

 それから少し経って、妹はカフェでのバイト正式に決まり、僕たちの生活さらに忙しくなった。ただ、不思議と疲れよりも充実感のほうが大きい。帰ってきてからリビングに二人で座り、一日の出来事をおしゃべりする。妹はカフェでの接客経験したちょっとしたトラブルや、お客さんとの面白いやり取りを楽しそうに話してくれる。「昔はこんなふうに話をしても、どうせ親に全部ダメ出しされるんだろうなって思ってたけど、今は好きなだけ話せるから、すっごく楽しい」と笑う妹。その様子を見ていると、あのとき家を出た選択は間違いじゃなかったと心から思える。

 もちろん、二人暮らしを始めてから問題はたくさんある。親からの連絡は「許さない」という罵倒や、一方的な怒りのメッセージばかりで、話し合いができる状況ではない。時折、僕たちの住まいを突き止めようとしたのか、知人から連絡が入ることもある。「両親が連絡先を知りたがっている」とか「お前たちがわがままを言っているんじゃないのか」とか。だけど、僕はもう振り回されるのはやめようと決めた。妹も「返事しなくていいよ」と、毅然とした態度をとってくれている。親と離れても、今は生きているだけでありがたいと心から思えるのだから

 そんな僕たちだけれど、将来のことを考えないわけにはいかない。妹はあと一年ちょっと高校卒業する。大学に行きたいと言う気持ちもあるらしいが、学費をどうするか、奨学金は借りられるのか、僕の収入だけで妹を支えられるのか……問題はいくらでも出てくる。でも、妹が「やりたいことがあるなら挑戦したい」と言うなら、僕は全力で応援しようと思う。自分大学進学の夢を諦めたのは僕自身判断だった。あの頃はそれしかできなかったのかもしれないけれど、妹には後悔してほしくない。正直、不安は尽きない。それでも、毒親支配から離れた今、僕たちにはお互いを思い合う時間と心の余裕がある。まずは二人でしっかり話し合い、可能性を探っていこうと思っている。

 夜遅く、妹がアルバイトから帰ってくると、決まってキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。僕が先に帰っている日は、ごく簡単料理だけど、妹の分の夕飯を用意するようにしているのだ。チャーハンとか、野菜炒め程度だけど、「ただいま」と玄関を開ける妹の「いい匂い……」という一言を聞くと、やってよかったと思う。妹も翌日が休みときなどは、代わりに僕のためにパスタを作ってくれたりもする。兄妹が同じ食卓で笑いながらご飯を食べる姿は、誰がどう見ても“家族”のはずなのに、不思議と「本当の家族」という実感が生まれてくるのは、ここ最近のことだ。

 妹の存在は、僕にとって唯一無二の支えになっている。たとえ夫婦恋人勘違いされたっていい。僕にとって妹は妹であり、しかし同時にかけがえのない同居人でもある。実家にいた頃は、僕たちの間にいつも両親という“大きな壁”があった。それが今はなくなり、ようやく素直に向き合えるようになった気がする。僕たちはお互い助け合い、励まし合いながら生きていく。親の呪縛にとらわれることなく、自分たちの人生を、自分たちなりに歩んでいこうと思っている。

 時には外食をして、隣りの席のカップルと間違えられることもあるだろう。時には夜道で「まさか兄妹じゃないよね?」なんて声をかけられるかもしれない。だけど、もうそれは構わない。二人暮らしを始めてから知ったのだけれど、人は他人生活結構なペースで勘違いしてくるものらしい。誤解されても、二人でいれば楽しいし、互いに隣にいられる安心感がある。それが分かるだけで、昔のように人の目を気にして呼吸を浅くすることはなくなった。

 この先、僕たちが歩む道に何が待っているのかは分からない。経済的にもまだまだ不安定だし、妹がこれからやりたいことを見つけたとしても、すぐに実現できるかどうかは定かではない。それでも、「あの家に帰るよりずっとマシだ」という気持ちは揺るがない。毒親との関係を絶ったことで、ようやく手に入れた自由と、そして兄妹だけの小さな生活を、僕は何より大切にしていきたいと思っている。

 考えてみれば、僕と妹がこうして一緒に暮らすということ自体実家では到底許されなかったはずだ。親にとっては「恥」だったのかもしれない。長男が家を出るなんて、妹まで連れ出すなんて、とんでもないと。だけど、そんな言葉にはもう縛られない。妹と二人で暮らすことは、僕たちにとって自由希望を取り戻す第一歩だったのだ。

 ときどき思い出す。リビングの机にしがみつきながら、両親に泣き叫んでいた妹の姿を。あの光景は僕のなかで、いつまで経っても消えないかもしれない。でも、あの瞬間こそが僕たちに“逃げ出す勇気”をくれたのだ。だから今は、その記憶を大切に噛みしめている。もし同じように苦しんでいる人がいたら、声を大にして伝えたい。「逃げてもいい」と。誰だって自分人生自分のために生きる権利があるのだと。

 帰宅した妹の「ただいま」の声。台所から漂う料理匂い。二人でテーブルを囲むときの、なんでもない会話と、小さな笑い声。そんな当たり前の生活の一つひとつが、僕たちにとっては宝物みたいに尊い。これから先もきっと悩むこと、苦しむことはたくさんあるだろう。だけど、どんなに傷つくことがあっても、もうあの家には戻らない。僕たち兄妹は、お互いを支え合いながら、一歩ずつ前に進んでいく。その道の途中で、夫婦恋人勘違いされることがあったって、それは微笑ましいエピソードとして受け止めていくつもりだ。

 「毒親から逃げ出すために妹と二人暮らしを始めた」というこの事実は、僕たちが生きていくうえでの大きな分岐点だった。親の期待や束縛、暴言に押しつぶされそうになっていた僕たちが、やっと呼吸できるようになった場所。それが今のこの狭い1DKのアパートだ。床は古くて所々ミシミシと音がするし、壁は薄いし、エアコン調子いまいちなことがあるけれど、それでもここは僕と妹の大切な居場所だ。誰にも邪魔されない、僕たちだけの“小さな世界”。そして、この世界で、僕はずっと妹と一緒に笑っていたいと思う。あの家ではできなかったことを、少しずつ取り戻すように、毎日を噛みしめながら過ごしていこう。

 「もうすぐご飯できるよ!」とキッチンから妹が声をかけてくる。僕はテーブルに箸とお皿を並べながら、その声に返事をする。この空間が、僕たちにとっての本当の“家”だ。例えどんなに些細なことでも、ここでの出来事はきっと僕たちの思い出になる。毒親から逃げ出すために始めた二人暮らしは、逃避行なんかじゃない。僕たち兄妹が「生きる」ということを取り戻すための、そして笑顔で日々を送るための、新しいスタートラインなのだ

昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い。

私はまだ、ほんの少し前までそばにいたあの子が、もうこの世界にいないという現実を受け止められずにいる。心に空いた大きな穴は、埋めようとしても容易には塞がらない。ほんの些細な物音や影を見たときに、「もしかしての子じゃないか」と思ってしま自分がいて、そのたびに「もういないんだ」と改めて知らされる瞬間が苦しく、胸の奥が強く締めつけられる。私の中では、まだあの子と過ごした日々のぬくもりや匂いが鮮明に残っており、振り向けばそこにいるような錯覚に襲われる。数えてみると、一緒に過ごした時間はけっして短くはなかったはずなのに、それでも「もっと一緒にいたかった」という想いは尽きることがない。

の子我が家にやってきたのは、ちょうど私が仕事で大きな壁にぶつかっていた時期だった。あれは偶然だったのかもしれないし、何か大きな運命の流れに導かれていたのかもしれない。知り合いの紹介で、生まれたばかりの子猫の里親募集しているという話を聞き、なんとなく心が惹かれて足を運んだ先にあの子がいた。まだ掌にすっぽりと収まるくらい小さな体で、か細い声で「にゃあ」と鳴いた瞬間、一気に胸が熱くなったのを覚えている。あの小さな命自分たちが守りたい、この子にできる限りの愛情を注いであげたいという、言葉では説明できない衝動にも似た強い感情が湧いたのだ。

それから生活はあの子中心になった。私が外から帰れば、ちょこちょこと短い足を動かして玄関まで迎えに来てくれていた。仕事で帰りが遅くなっても、しっぽをピンと立てて待っていてくれる姿にほっとしたり、疲れきった体をソファに投げ出す私の胸に丸くなってくれる瞬間に癒やされたり。そういう何気ない毎日の積み重ねは、あの子がいてこそ得られる温かな喜びであり、私にとってかけがえのない生きる活力になっていた。

私が悲しんだり落ち込んだりすると、あの子言葉をかけられなくても不思議と察してくれたのだろう。そっとそばに座り、私の顔を見上げたり、小さな肉球でちょこんと手を触れてきたりしてくれた。その存在感がどれほど大きなものであったかは、今になって改めて思い知る。猫という生き物は気まぐれで、飼い主にべったりなイメージが少ないとされることもある。しかしあの子は、人間言語を超えたコミュニケーション能力こちらの状態を感じ取ってくれていたように思う。

そんなあの子も、年齢を重ねるにつれ体調を崩すことが増えた。最初のうちはちょっとした食欲不振風邪程度だったから、「大丈夫だよ、すぐ元気になるよ」と気軽に考えていたけれど、数年前から少しずつ通院する回数が増えていったのを今でもはっきりと覚えている。医師から慢性的な疾患が進行している」と告げられたときの、あの胸がざわつくような感覚はたまらなかった。いつまでも元気で一緒にいられるはずはないと頭ではわかっていても、いざそう言葉にされると痛烈に心が軋んだ。

それでもあの子は懸命に生きてくれていた。投薬や定期的な点滴、フード選びなど、できる限りのケアをしながら一日一日を大切に過ごしていった。私たち愛情と、あの子の生きようとする力、そのどちらが欠けてもきっと難しかったのだろう。あの子にとって、私たち家族と過ごす時間は心地よかったのだろうか。私はいつも「ありがとう、まだまだ一緒にいたいよ」と話しかけていた。言葉は通じなくとも、あの子の大きな瞳を見つめると「大丈夫だよ」「一緒にいてくれてありがとう」と伝わってくるような気がした。

けれど、どんなに願っても避けられない別れのときはやってくる。ここ数週間は特に体調の波が激しくなり、食事をとる量もかなり減っていた。病院での検査結果は思わしくなく、医師からは「もう長くはないかもしれない」と言われていた。頭では理解していても、どうしようもない不安と悲しみが私の胸を覆っていた。あの子が苦しくないように、できるだけ穏やかに過ごせるようにと祈る日々が続いた。

そして昨日の朝、あの子は静かに息を引き取った。私が部屋に入ったとき、すでに瞳は薄く開いたままで、最期の呼吸をしたかしないかという、まるで眠りについたかのような姿だった。信じられなくて、何度も何度も名前を呼んだけれど、もう二度と返事は返ってこない。心のどこかで「せめて最後は苦しまずに逝ってくれたのなら」と思う気持ちもあれば、「もっと私ができることがあったのではないか」と自責の念に駆られる自分もいる。あの子限界まで頑張ったのだろう。苦しみから解放されて、今頃は虹の橋で元気に走り回っているのだと信じたい。

亡くなったあの子を見つめながら、ふと最初に会った日のことを思い出した。まだあんなに小さく頼りなく、私の両手の中ですやすやと眠っていたあの子。目が合うたびに、愛しさと不思議な縁を感じたのを思い出す。私はこの子を守りたかったし、一緒に幸せになりたかった。成長するにつれ、やんちゃになってカーテンによじ登ったり、部屋の棚をひっかいて落としたりしては、こちらが叱ってもどこ吹く風で、まっすぐな瞳で見上げてきたことを微笑ましく思い返す。そんな小さな思い出の数々が、今となっては宝物だ。

この喪失感は、私がこれまで味わったどの悲しみとも違う。あの子ペットという言葉でくくるにはあまり家族の一員であり、私の心の支えでもあった。私は今、泣きたくなるほど辛い気持ちでいっぱいだけれど、それでも後悔よりは感謝を伝えたい。あの子がいてくれたから、私はどれだけの笑顔と温もりを手にしただろう。あの子との暮らしの中で学んだことや与えてもらった癒しは、数えきれないほどに大きい。

今、部屋にはまだあの子が使っていたベッドやおもちゃ、餌皿などがそのまま残っている。片付けようと思うたびに、喉が詰まってしまうほどの寂しさが込み上げて、手が止まってしまう。もう一度でいいから、あの子のあたたかい体温や毛並みを感じたいと思ってしまう。理屈ではわかっていても、心がついていかない。きっとこの状態を乗り越えるのには、まだ時間がかかるだろう。

動物病院獣医師からペットロス」について説明を受けることがあったが、まさか自分がこんなに苦しむとは想像していなかった。もちろん最初から、いつかはお別れが来ることをわかっていたつもりだった。猫の寿命人間よりはるかに短い。だからこそ、今を大切に一緒に暮らしていたつもりでも、いざ失ってみると自分の一部がもぎ取られたような、そんな気持ちになっている。感情が予想以上に揺さぶられて、しばらくは自分生活すらままならないほどのダメージが襲ってきている。

人に話しても「気持ちはわかるけど、そんなに落ち込まなくても…」と言われることがあるかもしれない。けれど、飼い主にとってはペットという存在がどれほど特別でかけがえのないものだったかは、言葉簡単には説明できない。日々の暮らしの中で、どんなシーンにもあの子がいて、私のそばで息づいていた。生きる喜びや孤独感の紛らわし方など、あの子から教わったことは数え切れない。

私は、今あの子がいない現実を受け入れるのに精一杯だし、涙が枯れることなく溢れてくる。でも、きっとこれから少しずつ時間をかけて、この悲しみは形を変えていくのだろう。それは単に「忘れる」ということではなく、あの子がくれた思い出を大切に抱きながら、新たな日常を歩んでいくための道のりなのだと思う。私が前を向いて生きていくことこそが、あの子に対する最大の感謝と愛なのかもしれない。

虹の橋」という言葉を、あの子が亡くなってから初めて深く意識した。天国と地上の間に架かる虹の橋のたもとで、亡くなったペットたちが元気に走り回り、飼い主を待っているという話。いつか私がそちらに行くとき、あの子は大喜びで飛びついてきてくれるのだろうか。そんな想像をすると、少しだけ心が軽くなる。いつか再会できるかもしれない。その日まで、私にできることは、あの子と過ごした時間を忘れず、あの子が好きだった温もりを周囲に分け与えながら精一杯生きることだ。

でも、もう少しだけ時間がほしい。まだ昨日の今日なので、とてもじゃないけれど立ち直れない。どこを見渡してもあの子の思い出ばかりが溢れていて、うっかり笑ってしまうような楽しい思い出も、今はまだ鋭い棘のように胸を刺してくる。きっとしばらくは泣いたり笑ったりを繰り返して、感情の波が激しくなるだろう。だけど、そんな揺れ動く心のままに過ごすことが必要なのだと思う。悲しみを否定せず、泣きたいときは思い切り泣いて、思い出して笑えるときには素直に笑おう。

家族や友人からは、励ましの言葉や優しいメッセージをもらう。みんな、私がどれほどあの子を大切に思っていたかを知っているからこそ、かけてくれる言葉には温かさがある。そのたびに涙がこぼれるけれど、あの子への想いを共有できる人がいることは、本当にありがたいことだと感じる。私は一人じゃない。あの子の命が私たちに繋いでくれた縁を大事にしていきたい。

これから先、あの子との思い出をどのように受け止め、生活の糧にしていくかは私自身にかかっている。写真動画を見返すのはまだ少し辛いけれど、いつかきっとあんなこともあったね、楽しかったね」と微笑みながら思い出話ができる日が来ると信じている。あの子いたことが、私の人生を彩る大きな要素の一つであることに間違いはない。だからこそ、あの子を失った悲しみは、それだけあの子が私の心を満たしてくれていた証でもあるはずだ。

今はまだ、「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」という事実に打ちひしがれている。寂しさや喪失感がこれほどまでに心をかき乱すものなのかと、自分自身でも驚いている。ただ、一方で不思議と安らぎにも似た気持ちがほんの少しだけある。それは、「あの子はきっと幸せだっただろう」と言い切れる何かが、私の胸の奥底に確かに存在しているからかもしれない。苦しい治療を乗り越えながらも、最後まで私と一緒に生きようと頑張ってくれたあの子の姿は、絶対に私の中から消えることはない。

の子と共に過ごした時間は、たった一度きりの人生の中で、私にとって何よりも尊い経験となった。ありがとう言葉にならないほどの感謝を伝えたい。うまく言葉にできないけれど、あの子がいてくれたからこそ私の人生は豊かになったと胸を張って言える。そして、これから先の人生で、もし新たに猫や他のペットを迎え入れることがあるとしても、あの子存在が私の根底を支えてくれるに違いない。悲しみを教えてくれたのもあの子だけれど、それ以上に愛や喜び、そして生きる力を与えてくれたのもまたあの子だったのだ。

虹の橋を渡ったあの子。今はきっと、何も痛みを感じることなく、自由に駆け回っているに違いない。私と過ごした日々をどんな風に覚えてくれているのだろうか。あの子はもう、こちらの世界の苦しみや不安とは無縁の場所にいる。それでも、私がこうして想いを馳せている限り、あの子は私の心の中で生き続ける。そう信じることで、今日を何とか乗り切る勇気を得ることができる。

そしていつの日か、私もあの子のもとへ旅立つ時がくるだろう。その時は迷わずの子を探して、思いきり抱きしめたい。そして「ありがとう」「おかえり」と、お互いを慈しみ合えたらどれほど嬉しいだろう。今はまだ遠い先のことかもしれないけれど、そう思うだけで少しだけ心が救われる気がする。目には見えない存在になってしまったけれど、私があの子を想う気持ちがある限り、私たちの繋がりは断ち切れることはない。

「昨日、家の猫が虹の橋を渡った。辛い」――その一言では言い表せないほどに、胸が痛む。けれど、この悲しみは同時に、私が確かにの子を深く愛していた証拠だと思う。きっとこの先も、ふとした瞬間に涙が零れ落ちることがあるだろう。それでも、その涙が乾いたあとには、あの子と過ごした幸せが心を温めてくれるはずだ。何より、あの子が私の人生の一部だったことは永遠に変わることがない。

からこそ、この悲しみを抱えたままでも、生き続けなければならない。あの子が私に残してくれたものは、飼い主として受け止める責任があると感じる。こんなにも愛おしい存在を失ってしまたからこそ、これから先の人生の中で、誰かの痛みや悲しみに寄り添うことができるかもしれない。あの子の代わりに私ができることを探していきたい。この涙を無駄にしたくない。

思い出は消えない。あの子との時間が私の中で生き続ける限り、私はきっと大丈夫だ。少しずつ、少しずつではあるけれど、また笑顔を取り戻せる日が来ることを信じている。そのときには、きっとあの子の姿が私の心の中で優しく微笑んでくれているだろう。あの子に恥じないような生き方をしていきたい。そして、いつか虹の橋の向こうで再会したとき、「あなたと暮らせて幸せだったよ」と思ってもらえるように、これからも前を向いて歩んでいくと誓う。

日の出来事は、私にとってまだ痛烈に生々しい傷であり、立ち直るにはきっと長い時間必要だ。それでも、あの子と過ごしたかけがえのない年月を、私の人生の宝物として大切にしていきたい。そしてこの悲しみの先に、きっとあの子が残してくれた愛が続いていると信じる。その愛は消えず、私のこれから毎日に温かい光を届けてくれるだろう。あの子のために、私のために、今日も私は生きる。虹の橋の向こう側で、また会える日を夢見ながら。

2025-01-07

日の出を嫌うかの民族

そんな民族の国に日が昇ることはないだろう。

永遠に地の底にでも這いつくばっていればいい。

2025-01-06

JCが怪しいキモヲタに襲われた話

春の夕暮れ、中学三年生の私は塾からの帰り道を急いでいた。部活引退してからは、志望校合格に向けて塾通いの日々。日が長くなったとはいえ、薄暗くなり始めるこの時間は、少し心細くなる。

いつもの帰り道、公園の脇を通ると、ベンチに座っている男の人が目に入った。年は30代くらいだろうか。黒縁の眼鏡をかけ、チェックのシャツリュックという、いわゆる「オタク」と呼ばれる部類の服装だった。特に気にも留めず通り過ぎようとした時、その男の人がこちらをじっと見ていることに気づいた。

気持ち悪い…)

そう思った瞬間、背筋がゾッとした。男の目は、まるで獲物を狙うかのようにギラギラと光っていた。私は早足でその場を離れようとした。

「あの…」

背後から声が聞こえた。無視して歩き続けようとしたが、男は追いかけてきた。

ちょっとだけ、話を聞いてくれないかな?」

男はそう言いながら、ニヤニヤと笑った。その笑顔が、私にはどうしても不気味に思えた。

すみません、急いでいるので…」

そう言って足早に立ち去ろうとしたが、男は私の腕を掴んだ。

「痛っ!」

咄嗟に振り払おうとしたが、男の力は強く、振りほどけない。恐怖で心臓がドキドキと高鳴った。

「お願い、ほんの少しでいいんだ。君に話したいことがあるんだ」

男は必死な様子でそう言った。その目は異様なほどに興奮していた。

「離してください!」

私は大声で叫んだ。幸い、近くの家から犬の吠える声が聞こえた。男は一瞬怯んだように手を離した。私はその隙に走り出した。

後ろから男の足音が聞こえたが、必死で走った。息が切れ、足がもつれそうになったが、なんとか大通りまでたどり着いた。人通りが多くなり、男も追いかけるのを諦めたようだった。

家に帰り着くと、私は震えが止まらなかった。母親事情を話すと、母親は顔色を変えて警察に連絡してくれた。

警察官が家に来て、事情聴取を受けた。男の特徴や服装、遭遇した場所などを詳しく説明した。警察官は真剣な表情で話を聞き、パトロールを強化すると言ってくれた。

その夜は、恐怖でなかなか眠れなかった。男の顔が頭から離れず、何度も目が覚めた。

次の日、学校に行くと、友達に昨日の出来事を話した。友達心配してくれ、一緒に帰ろうと言ってくれた。

それから数日間は、一人で歩くのが怖かった。常に周囲を警戒し、後ろを振り返りながら歩いた。塾の帰りも、母親が迎えに来てくれるようになった。

数日後、警察から連絡があった。似たような不審者情報が他にも寄せられており、警察が警戒を強めているとのことだった。しかし、まだ犯人特定できていないという。

その後、数週間が経ち、私は少しずつ普段生活を取り戻していった。しかし、あの男のことは、今でも鮮明に覚えている。あの時の恐怖は、決して忘れることはないだろう。

この経験を通して、私は改めて警戒心を持つことの大切さを学んだ。見知らぬ人に話しかけられた時は、安易に信用してはいけない。危険を感じたら、すぐに逃げる、大声を出す、周りの人に助けを求めるなどの行動を取ることが重要だ。

また、この出来事きっかけに、地域の防犯活動にも関心を持つようになった。地域パトロールに参加したり、防犯ブザーを持ち歩くようにしたりするなど、自分自身でできる防犯対策を講じるようになった。

後日談として、数ヶ月後、近所のスーパーで買い物をしていると、警察官が数人の男を囲んでいるのを見かけた。その中に、あの時の男がいた。遠くからだったので顔ははっきりとは見えなかったが、服装や体型から、あの男だと確信した。

後で警察に問い合わせたところ、やはりあの男だったとのことだった。他の女子中学生に対する声かけやつきまとい行為逮捕されたらしい。

逮捕の知らせを聞いた時、安堵感とともに、改めて恐怖が蘇ってきた。もしあの時、私が逃げ遅れていたら…そう考えると、ゾッとした。

この経験は、私にとって大きなトラウマとなったが、同時に、自分の身を守るための大切な教訓を与えてくれた。私はこの経験を忘れず、常に警戒心を持ち、安全に過ごしていきたいと思う。そして、同じような被害に遭う人が一人でも減るように、この経験を周りの人に伝えていきたい。

2025-01-04

食べ物の恨みは深いってのは本当なのか普段ネットにその日の出来事とか書かないんだけど

飲食店でこんなことありましたっていうのだけはなぜか書きたくなっちゃうんだよな

別にその店を制裁とかそういうつもりもまったくないんだけど

2025-01-03

初日の出を見に行ったら性被害に遭った

真っ暗な中を友達と山に登ったが、日の出までまだまだ時間があって寒い寒いと言い合っていた

すると、話し声を聞きつけたらしいおっさん二人が「テントあったかいし入ってく?」と声をかけてきた

視界に入っていなかったがテントがあり、おっさんは前日から待機していたらしい、お言葉に甘えた

テント内ではこういう位置だった

    出口

   お 友

   お 俺

出口方向を向きながら二列で座っていた

おっさんたちは毎年初日の出を見に来るらしい

何歳とかなんの仕事をしているかとか雑談が盛り上がった

隣のおっさんがやたら体をさわってきた

スキンシップの多い陽気なおっさんだと思っていたら、次第にふとももばかりをなでてきた

ちょっと気持ち悪いなと感じるうちに、おっさんは俺のちんこをさすりだした

手をはたくなりすればよかったが、なにも言えなかったし出来なかった

もう一人のおっさんと友は特になにもせず普通に話していたし、隣のおっさんちんこをさすりながら普通に会話を続けていた

おっさんのさすりかたはずっと弱々しく、半勃ちはしたが全勃ちはしない程度だった

でも至ってしまうかと怖くって気を張っていた

誰かがそろそろだと言って外に出て初日の出を見てそのままおっさんたちとは別れた

明るくなってきても怖くておっさんの方は見られず顔もわからない

2025-01-01

anond:20250101081037

もう初詣を終えて解散してこの増田を書いたの?

それとも派遣おっさんと一緒にいながら、おっさん無視してスマホいじってこの増田書いたの?

まだ日の出から1時間程度しか経ってないのに元旦から忙しいな

そんなことよりも単合ってなんすか?

2024-12-31

初詣に行かないとか日の出を見ないとか

そういうイベントに無関心を決め込む心がお前が結婚できない理由だぞ

2024-12-19

anond:20241219025748

そのままで作れるはずやで

 

2024年12月19日

今日も一日が始まったけど、マジでダルすぎる。目覚ましが鳴った瞬間、「あぁ、また今日も生きなきゃいけないのか」って感じで、すごい憂鬱。起き上がる気力もないから、何度もスマホを見て、時間が過ぎるのを待ってたけど、結局起きなきゃダメで。しんどい

 

顔がむくんでるし、鏡の前で「あぁ、もう、ダメだ」って思う。目の下のクマやばいし、もう何週間もちゃんと寝れてない気がする。夜中に何度も起きちゃって、気づいたら朝だもん。毎日ホントに生きてる意味あるのかなって思う。

 

ご飯食べるのも、もうめんどくさくて、適当パン食べて「行かなきゃ…」って気持ち仕事に向かう。電車に揺られてる間、何も考えたくないけど、結局思っちゃうんだよね。「なんでこんな生活してるんだろ」って。

 

仕事場に着いても、周りの人たちは忙しそうにしてるけど、私はただその場にいるだけ。何のためにここにいるのか、よくわからない。ただ、時間が過ぎるのを待ってるだけって感じ。正直、何も意味ない気がしてきてる。何しても報われないし、何かすごいことやりたいわけでもないし。結局、同じ日々が繰り返されるだけ。

 

休み、みんなでランチとかしてるけど、私はひとりで食べてる。正直、誰とも話す気しないし、周りの会話聞いてると、「あー、こんな風に生きてる人たちもいるんだな」って、ちょっと遠く感じる。自分のこと、誰も本当に気にしてないだろうなって思うし。

 

仕事終わって家に帰ると、テレビの音だけが響く。誰とも話さないし、ただスマホいじって時間けが過ぎていく。寝る前も結局、ネットサーフィンして無駄情報ばっかり入れて、眠くなるのを待ってる。寝ても、またすぐに目が覚めるんだろうなって思って、寝るのが怖い。

 

このまま、ずっとこんな感じで生きていくのかな。自分が何をしたいのかもわからないし、何が正解かもわからない。まぁ、何も変わらないんだろうけど。

 

とりあえず、今日も生き延びた。明日もまた、同じことを繰り返すだけなんだろうけど。

2024年12月19日

朝が来るのが怖い。目を開けた瞬間に、昨日の出来事がどこからか押し寄せてくる。その瞬間、体が重くて動かない。どうして私はこんなにも無力なのだろうか?毎日が過ぎるたびに、無意味さが増していく。何もかもが面倒くさい。今日もまた、無駄に過ごす一日が始まる。

 

鏡を見ても、そこに映るのは誰だかわからない。顔色は悪く、目の下には深いクマが刻まれている。もう、何ヶ月もまともに寝ていない。心の中にはいつも、重い何かが引っかかっていて、深呼吸をしてもそれは消えない。

 

仕事に行かなければならない。朝食を急いでかきこんで、鞄を肩にかけ、ドアを開ける。外の冷たい空気が一気に肺に入ってきて、それが私の体を覚醒させる。けれど、覚醒したところで、何も変わらない。歩きながら、私は今日もまた、無意味なことをして過ごすのだろうな、と思う。誰も私を必要としていない気がする。誰かが私を必要としていたら、こんなにも孤独を感じることはないだろう。

 

仕事場に着いても、相変わらず周囲の人々は忙しそうに動き回っている。その中で私は、ただひたすらに机に向かい、与えられた仕事をこなすだけ。でもその仕事が、何かに繋がっているわけでもなく、ただの生産的な時間潰しに過ぎないことはわかっている。

 

休み、誰かと会話を交わすこともなく、ひとりでランチを取る。周りの笑い声が耳に入ってきて、どこか他人世界のように感じる。私はその場にいても、心がどこか遠くにいるようだ。何を話すべきかすらわからなくて、ただ黙々と食事をしている。

 

夕方になると、もう帰る時間が近づいてくる。その瞬間、少しだけ安堵する自分がいる。仕事が終わったら、また同じ部屋でひとりぼっちの夜が待っているけれど、それでも外の喧騒から解放されることに一瞬の安心を感じる。家に帰ると、テレビの音が空っぽに響く。誰かと話すわけでもなく、ただ無駄時間を過ごす。

  

眠れない夜がまたやってくる。スマホをいじって、時間無駄にするだけ。眠れないことが、逆に怖くなってきた。眠ったら、また明日が来る。その恐怖が胸を締め付ける。

 

私はただ、誰かに必要とされたいのだろうか。それとも、ただ静かな場所で、何も感じずに過ごしたいだけなのか。どちらにせよ、今の私には何も満たされるものがない。

 

ただ、この先、どうしても変わらない気がする。未来には何も期待できない。ただ、日々が過ぎ去るのを待っているだけ。それだけが、今の私の現実

 

2024-12-17

日の出日の入りがある系のオープンワールドゲーって朝6時にはもう日が出てて夜9時ぐらいまで明るいよな

意図を感じる

2024-12-09

上司新年抱負を社内誌に投稿して」

上司「ワクワクする感じでお願い。若者意見を取り入れられる我が北国支店独自の取り組みを活用して、楽しく若手の元気を感じられるような楽しいものを期待するよ」

担当「わかりました。」

担当「ということで若手のみなさまに匿名アンケート送ります。我が支店抱負お願いします。」

俺「(毎年、けっこう適当抱負載ってるよな。つまんないものもあればふふってくるものもある。ワクワクするっていったら笑えるものかな、そして元気なもの、かぁ……よし)」

俺「①

朝日浴びる瞬間 決意固める快感

朝に起きる習慣 初から始める名案 yo

雪かきしてたら間に合わない 後悔 

こんなもんじゃまらない そうさ

早起きしなきゃ始まらない

新年 ya さぁ 始めよう

HAYAOKI ウェイクアップピープル yo yo

②LLMを駆使し業務効率向上に繋げたい所存です。ちなみにGeminiに"新年抱負とかけましてウェカピポと解きます、その心は?"と尋ねたら"そのようなものは成立しません"と返ってきました。しょんぼり

俺「(元気といったらウェカピポ、ウェイクアップといったら起きる、新年と言ったら初日の出日の出見るには起きなきゃいけない、早起き抱負になるな、北国らしく雪かき遅刻しそうになるやついるし業務改善ラップだぜ、最近流行りのLLMにも繋げて、笑いと抱負を掛けれたかな?へへっ匿名投稿らしい無責任無秩序な感じ、5分で書けたぜ)」

数日後

上司「🤬💢」

俺「すみません……(初めて怒られた……今までの緩い雰囲気もう無くなったかな……)」

担当「よしっ抱負まりました。じゃあこんな感じで投稿します。

"弊社としては若手の意見を取り入れられる独自の取組をしておりまして、抱負につきましても若手のみなさまにいただきました。〜云々〜弊支店として皆さまへ向け宣言いたしま

"アンケート抱負"

(弊社はこれから地域に根ざして貢献して参ります)

(支店歴史に刻まれるようがんばります)

("既製品"の達人から、"新製品"の達人へ!)

(ウェカピポ……)

引き続き弊社は地域の皆さまへの貢献を伴う取り組みを〜結びといたします"

AI?使えるのって俺くんくらいだよね^^

このメールを持って上司への報告といたします。

よろしくお願いします。」




今日仕事休んじゃった。

2024-12-02

ごちゃまぜという意味の「ちゃんぽん」と料理の「チャンポン」は関係があるのか?

以下、ごちゃまぜという意味言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。

まず辞書では、

ちゃん‐ぽん[名・形動]《「攙和」の中国からか》

1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒ウイスキーちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」

2 肉・野菜などをいため、小麦粉に唐灰汁を加えて作った中華風の麺と一緒にスープで煮た長崎名物料理

ちゃんぽん(チャンポン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。

しかWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。

なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。

ざっと検索たかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。

結論から言ってしまうと、「ちゃんぽん」のほうが先である

ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸事典』や、

ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。

非人一「そんならお志は附けたり」非人三「女の詮議半分」中間「両方掛ければ、これがちゃんぽん」(南北、独道中五十三駅)

前田勇『江戸語大辞典』にも掲載されている。

ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志 二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」


この「ちゃんぽん」の語源説は主に二つある。

ただ、前者は「鉦」が中国楽器、「鼓」が日本楽器から、という説明がくっつくことがある。

また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。

一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。

長崎明治32年創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国留学生向けに作ったというのが定説である

ちゃんぽんルーツ福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽんである

今日では缶詰冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物蒲鉾竹輪イカ、うちかき(小ガキ)、小エビもやしキャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。

ちゃんぽんの由来 | 中華料理 四海樓

ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。

四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。

以下、チャンポン支那うどんに関する、明治から大正にかけての記述を並べてみる。

明治40年『長崎紀要』では「チヤポン」が紹介されている。

「チヤポン」(書生の好物)

今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり

チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。

明治41年『中學文壇』では「支那うどんチャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。

支那ウドン 長崎只一の固有の名物長崎では「ちやんぽん」と言つて居る


明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどんチャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?

長崎名物 一、チヤンポン 支那うどん、俗にチヤンポンと云ふ、東京だッてこんなうまいものはめッたにありやしない


大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩元祖三角亭だ」と書かれている。

支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた

大波止三角亭は大正年間に「支那うどん元祖大波止三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年四海樓と同じ。

大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである

長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどん異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物であるエビ豚、牛肉蒲鉾ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く

また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。

しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料料理法が違ふ。


ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎丸山で、支那饂飩ちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年長崎談叢』がソースらしい。

チャンポン濫觴明治の初年我が長崎本吉某が丸山にて支那饂飩チャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポン支那饂飩固有名詞となり了りぬ。


総合して、

といったあたりが気になる。

さて、料理の「チャンポン」の主だった語源説をまとめる。

いずれも確証はなく「発音が似ているか関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。

吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである

以上。

ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。

Wikipedia説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである

2024-11-26

anond:20241126225229

このような状況について真面目にお答えします。

まず、後輩が「おっぱいを押し当ててくる」という行動が意図的ものか、あるいは無意識であるかを慎重に判断する必要があります。それに応じて、対応も変わるからです。

1. 意図的でない場合

後輩が無意識に近づきすぎたり、距離感が近いだけであれば、単純にコミュニケーション距離感がわかっていない可能性があります。この場合、穏やかに距離感意識してもらうような環境を作るのが良いでしょう。

仕事の仕方を工夫する

例えば、「チェックするときは、隣に座るか、書類を置いてもらうと助かる」と提案する。これにより、自然物理的な距離を保てるようになります

書類を一緒に見る方法を変える

自分の席で作業するのではなく、別のスペース(例えば会議室や共有のデスク)を提案することで、少し距離を取る状況を作ることが可能です。

2. 意図的である場合

もし後輩が意図的に近づいていると感じた場合、それがどういった意図なのかを慎重に観察する必要があります

• 後輩の態度をよく観察する

あなたに対する特別感情があるのか、それとも単に「親しい先輩」として甘えているのかを見極めることが重要です。ただし、この段階では何か直接的な指摘や質問をするのではなく、冷静に接することを心がけてください。

曖昧な態度を取らない

後輩が意図的距離を縮めてきている可能性がある場合あなたの側で曖昧な態度を取ると、相手が誤解する可能性がありますあくまで「仕事上司と部下」という立場を明確に示しましょう。

3. 職場リスク考慮する

現代職場では、誤解やトラブルを避けるためにも慎重に行動することが求められます

第三者を交える

可能であれば、同僚やチーム内の他のメンバーにも書類のチェックを依頼する形を取り、後輩と二人きりで長時間話す状況を避けるようにする。

• 記録を残す

何か気になることがあった場合、その日の出来事や状況を簡単メモしておくと、万一のトラブル時に役立ちます

結論

あなたが恐怖や混乱を感じていることは自然な反応です。相手意図がわからない以上、無理に結論を出す必要はありません。まずは自分の行動を見直し、後輩との接触の仕方を少し工夫してみることをおすすめします。それでも状況が変わらない場合問題が続く場合には、信頼できる上司人事部相談することも検討してください。

2024-11-24

anond:20241124083950

私にとってはつい昨日の出来事だが、君たちにとってはたぶん明日出来事

2024-11-16

深夜の公園で遭遇した「強制種付け宇宙人」の話

こんばんは、29歳独身女です。普段は夜の散歩が好きで、仕事帰りに近所の公園をぶらぶらするのが日課なんですけど、先日の出来事があまりに衝撃的で、ここに書かずにはいられなくて…。

その日もいつものように公園を歩いていたんです。時間は夜の11時ごろ、平日だし人も少なくて静かで、風も心地よくて「ああ、いい時間だな」って思ってました。そしたら、広場の方に見慣れない光があって。

最初は街灯の故障かな?って思ったんですけど、だんだん近づいていくと、なんか妙な形の物体が見えてきたんですよ。まるで映画に出てくるUFOみたいな。それだけでも怖いのに、突然その近くから「ズリッ…ズリッ…」って音がして、暗がりから出てきたのが…そう、「強制種付け宇宙人」。

身長は2メートル近くあって、頭は不気味に細長く、目は黒く光ってる。なんか変な粘液をまとってて、手足が異常に長いんです。思わず固まってしまったんですけど、次の瞬間、その宇宙人が低い声で「繁殖…」とか言いながら近づいてきて!

とにかく逃げなきゃと思ってダッシュしたんですけど、振り返ると足が異常に速い! しかも腕を奇妙に広げて、まるで捕まえる気満々。幸いなことに途中で別の方向に曲がってくれたんですけど、追いかけられてる間の恐怖は本当に忘れられない…。

帰ってからネットで調べたら、「強制種付け宇宙人」の目撃談って意外とあるみたいで、なんか「人類危機」とか書かれてました。そんなの冗談だと思ってたけど、実際に遭遇すると笑えないです。

この話、みんな信じてくれるかわからないけど、夜の公園って本当に危ないんだなって思いました。もし似たような体験したことがある人がいたら、ぜひ教えてください…。

読んでくれてありがとう

近所のスーパーで見かけた「なんちゃってあいみょん」にモヤモヤした話

こんばんは、29歳独身女です。昨日の出来事なんですが、どうしてもモヤモヤが収まらなくて、ここに書かせてもらいます共感してくれる人がいたらいいな、と思って。

近所のスーパーで買い物してたんですよ。平日の夜でちょっと空いてる時間帯。野菜売り場でサラダ用のトマトを選んでたら、なんかすごい目立つ人がいて。

例えるなら「なんちゃってあいみょん」って感じの女性黒髪のボサボサヘアにオーバーサイズTシャツ、ダボっとしたパンツ。なんか雰囲気だけは出てるけど、どこか無理してる感じの人でした。

最初別に気にしてなかったんですけど、彼女が一緒にいた男性と話しながら、商品を片っ端から手に取っては戻してるんですよ。それも、かなり雑に。

トマトをガシャガシャ触ってから戻したり(私、買いたかったのに…)、パンコーナーでは袋ごとぎゅっと押して「これ、柔らかくないねー」とか言って戻してたり。正直、めちゃくちゃ迷惑

挙句の果てに、惣菜コーナーで買わない商品を手に持ったまま店内をウロウロして、棚に戻さずその辺に置きっぱなし。これ、店員さんが片付けるんですよね? なんか、そういう人を見ると本当に悲しくなる。

見た目や雰囲気にこだわるのは別にいいけど、最低限のマナーは守ってほしいなって思っちゃいました。

「おしゃれで個性的な私」アピールするなら、他人迷惑かけない範囲でやってほしい。スーパーはみんなの場所なんだから

…書いてたらまたムカついてきた(笑)

似たような体験したことある人、いませんか? なんか「わかる!」って言ってくれるだけで、ちょっと救われる気がします。

読んでくれてありがとう

2024-11-12

anond:20241112215620

まあそういわずガンガレ

あのリュウジニキだっていっぱいそういう失敗しとるはずやで

実家日の出食堂小学生から手伝いしてるとかでないんなら一年目は失敗するのもそんなもんやろ

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