「普通の人々」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 普通の人々とは

2026-05-03

要約

① 支持の核心は「喪失感

 トランプ支持者の根底には「何かを失った」という感覚がある

 人は「得る」よりも「失ったものを取り戻す」ことに強く動機づけられる(損失回避

トランプ感情操作している

 「誇りを取り戻そう」→「誇りは盗まれた」という語りに変化

 支持者の「恥」を「怒り」に変換し、政治的エネルギーにしている

③ 2つの重要概念

 感情の素地(predisposition):人々がもともと持っている感情喪失屈辱など)

 感情捕獲(emotional capture):政治家がそれを掴み動員するプロセス

④ 支持者は「特殊な人々」ではない

 素朴で普通の人々であり、悪魔化すべきではない

 なぜ彼らがそうなるのかを内在的に理解する必要がある

⑤ 今後のリスクコメント部分)

 AIなどによる雇用喪失で、同様の「喪失・恥」が広がる可能

 それが新たなポピュリズムを生む危険がある




一言でいうと

トランプ支持は理屈ではなく、“喪失と恥→怒り”という感情の変換によって成立している」という分析

anond:20260503070421

2026-04-17

[]エリートパニック

エリートパニック」(elite panic)とは、災害危機が発生した際に、権力を持つエリート層(政府行政企業上層部など) が「一般の人々がパニックを起こすに違いない」と過剰に恐れ、それ自体パニック状態に陥ってしま現象を指します。定義と特徴エリート層は、社会秩序崩壊大衆暴走を極度に懸念します。

その結果、情報隠蔽、遅延、強権的な統制、過剰な「命令・統制」(command and control)重視の対応を取ってしまう。

皮肉なことに、一般市民災害時に意外と冷静で、互いに助け合う「災害ユートピア」のような協力行動を示すことが多い一方、エリート側のこの過剰反応こそが、被害を拡大させたり、信頼を失わせたりする大きな要因になると指摘されています

imidas.jp

この概念は、米国災害社会学者キャスリーン・ティアニーや、リークラークカロンチェスらによって議論され、レベッカ・ソルニットの著書『災害ユートピア』(原題: A Paradise Built in Hell)で広く紹介されました。同書では、歴史的災害事例を通じて、普通の人々連帯する姿と、エリート側の恐怖心による誤った対応を対比的に描いています。なぜ起こるのか?エリート層は、自分たち権力正当性が、社会の混乱によって脅かされることを恐れます。具体的には:社会的混乱への恐怖

貧困層マイノリティ移民などへの偏見的な懸念

略奪や無秩序イメージ強迫観念

これが「パニック神話」(災害時に大衆が必ずパニックになるという誤った思い込み)を生み、情報開示をためらわせるのです。結果として、エリート自身パニックに陥り、状況を悪化させるという自己成就予言のような状態になります

en.wikipedia.org

具体例スリーマイル島原子力事故1979年):住民パニックを起こすのを恐れた当局が、原子炉危険性を十分に伝えず、避難指示が遅れた。

ハリケーンカトリーナ2005年):被災地での軍事的・強権的な対応が優先され、救援が遅れた。

東日本大震災福島原発事故SPEEDI放射能拡散予測情報)の公開が遅れ、住民避難に混乱が生じた事例が、エリートパニック典型として挙げられます

その他、1906年サンフランシスコ地震での「略奪者」への射殺命令など、歴史的に繰り返されてきたパターンです。

災害社会学の研究では、実際の災害現場で「大衆パニック」はほとんど確認されておらず、むしろエリート側の対応問題の核心だとされています最近文脈での使用日本では、災害時だけでなく、危機的な社会状況(例: 供給不足、感染症パンデミックなど)で「情報統制」や「不安を煽るな」という姿勢が、エリートパニックの表れとして批判的に使われることがあります一般市民情報を与えられれば冷静に対応できるのに、隠すことでかえって不信や混乱を招く、という指摘です。要するに、エリートパニックは「権力者こそがパニックを起こしやすく、それが社会全体に悪影響を及ぼす」という逆説的な洞察です。危機時には、透明性の高い情報共有と、市民自発的な協力力を信じることが重要、という教訓を含んでいます。この概念を知ると、ニュース行政対応を少し違う視点で見られるようになるかもしれません。関連する本として、ソルニットの『災害ユートピア』をおすすめします。

2026-04-10

アベノミクス下において、日本企業通貨安によって増えたその分の利益は、

https://x.com/Konekoutena/status/2042458567392034974

中国語から翻訳

アベノミクス下において、日本企業通貨安によって増えたその分の利益は、海外から来ているものではなく、海外からの支払い額は増えていません。

すべての利益は、日本国内のすべての住民賃金と貯蓄から来ています

財閥が所有しているのは、株式工場不動産といった資本財であり、これらの資本通貨安に伴い (水位が上がれば船の位置も高くなる→)よりどころとしているものがよくなれば自分もそれにつれて向上する,(値段など)基本的ものが上がれば他のものも高くなる.となり、何の影響も受けません。

被害者普通の国民だけです。アベノミクスは、どんな成長ももたらさず、単に資本による国内普通の人々への搾取を激化させるだけです。

政府のやっていることは、北欧福祉社会とは正反対で、逆方向の所得移転です。

から、長年日本人はどんどん貧しくなっているのです。

これらの金は、国内財閥自民党農協ウォール街、そして統一教会の懐に消えているのです。

2026-03-23

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発 2025年10月1日 7時30分  朝日新聞

 戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。

 

人々にとっての戦争の「魅力」

 ――なぜ、「日本戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。

 

 「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的歴史では、『軍部暴走し、国民戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」

 

 「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」

 

 ――魅力、ですか。

 

 「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」

 

 「日本戦争に突き進んだ理由は、当時の政治外交を追うだけでは捉えきれません。政治外交真空の中で行われたのではなく、時代磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々戦争全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」

 

 ――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。

 

 「多用したのは日記です。手紙新聞雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代あぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的パターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」

 

 「すると、戦争のものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防愛国論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」

 

「お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ」

 ――どんな断片でしょう。

 

 「例えば、正月日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹神奈川県青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」

 

 「東京小学校長を務めていた女性は、1931年座談会で振り返っています洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防論理批判できるようになったわけです」

 

 「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身青年は、若い頃の日記国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています

 

 「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社社長経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時論理可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛対象になりました」

 

解放時代」にくすぶった反発

 ――研究大正時代(1912~26年)までさかのぼっています

 

 「大正期は基本的に『解放時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートはいて、さっそうと街を歩けば、男性オールバックの長髪にして香水をつける。労働運動部落解放運動朝鮮人権利運動も活発になった」

 

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 

 「ここで重要なのは手段目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段未来戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人モダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」

 

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立助長するからです。この『機能不全』を戦争全体主義で克服しよう、競争対立、分断と格差疲弊した社会を立て直し、一体感調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」

 

人々は戦争に「巻き込まれた」のか?

 ――先ほどの個々の話は、日本戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。

 

 「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります

 

 「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行作用だけでないことが見えてきますそもそも国家社会から離れて存在するものではないからです」

 

政策決定者と人々の作用双方向

 「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本戦争への道を考える上でも、政治外交だけでなく、人々の願いが集合する社会検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用双方向だったのです」

 

 ――政策決定者が世論の影響を受けた、と。

 

 「当時、為政者国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本戦争に突き進んだことの理由の一つです」

 

 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部日本戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になりますしかし見落としがちなのは、これが『解放時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』から解放絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます

 

社会保守の機運が運動になった転換点

 「上海事変(32年)でも、3人の工兵爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾勇士』(現在事故可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾勇士ブームはむしろ20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的運動となった転換点と見るべきでしょう」

 

 「社会のなかの政策決定という点では、外相松岡洋右典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室会議しか言わない。南進論を支持する社会磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人意図はるかに超えて、南進論や対米強硬論過激化を呼び起こしてしまいました」

 

人々を受け身に描くことの問題点

 ――メディアの影響は。

 

 「極めて大きかったと思います。37年7月盧溝橋事件から12月南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」

 

 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 

 「人々が一枚岩犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要役割果たしていることに無自覚になる。それは他者責任転嫁する見方も強めます戦争への道は人為的ものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」

 

解放」と「引き締め」をめぐる「社会戦争

 ――「らしさ」から解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本経験普遍的現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々視野に入れて政治社会総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます

 

 ――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります

 

 「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います

 

 「歴史見方を変えると、現在見方も、未来見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去重要な転換期に、普通の人々翻弄(ほんろう)されるだけの受け身存在ではなかったことに気付けば、私たち現在未来への向き合い方も変わってくると思います

 

海外から日本近現代史研究する意義

 ――益田さんはシンガポール研究拠点です。

 

 「そのおかげで、欧米日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」

 

 「従来の冷戦史は、米国ソ連中国政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります

 

 「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」

 

歴史家の役割大きな物語提示

 ――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。

 

 「そもそも歴史学の原理アナリシス分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」

 

 「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治社会文化といった事柄本来分かれたものでもない。だからアナリシスの対になる概念シンセシス総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」

 

 「歴史家の役割大きな物語ナラティブ)を社会提示することだと考えています日本

2026-02-21

戦争悲惨さは学ぶのになぜ戦争が起きたかを教わらないのはなぜ?

戦争とは悲惨ものである

イデオロギー後ろ盾を得た暴力によって、人々の尊厳資産が侵されるおぞましい行為だ。

これを書いている正にこの瞬間もウクライナパレスチナスーダンミャンマーという世界の各地で憎しみの連鎖が続いている。

平成日本に生まれた僕はこの戦争悲惨さを学校で、家庭で、地域コミュニティで、機会があるごとに教わってきた。

留学していたアメリカでは軍隊や最新兵器を「coolだ」と考えるのが当たり前だったが、それとは対極にある暴力否定を訴え続けてきたことは戦後日本が獲得した誇るべき倫理観だと思う。

だがなぜだろう。

戦争が起こった地政学的な背景やその当時の日本集団心理を学ぶ機会は少なかった。

どうすれば先の大戦太平洋戦争回避できたのかをみんなで考える機会は少なかった。

歴史にifはないけれど、かつて人類が犯した過ちに向き合い「じゃあどうすれば別の未来に辿り着けたのか」を考えることが真の歴史教育の姿だと僕は思う

なぜ米英による経済制裁が起きたのか、なぜ日中戦争に踏み切ったのか、なぜ当時の国民ファシズム選択したのか、どのように特攻を美とする集団心理が浸透したのか。

そういった因果を解きほぐしていくことで初めて私たち身の回りに漂う負の兆候へのパターンマッチング可能になる。

戦争とは1人の独裁者が引き起こすものではなく、身の回り平和と安定を願う普通の人々集団心理の結実なのだから

そんなことを、戦争反対を叫びながら戦前全体主義をなぞるような行動様式で生きる一部の人たちを見ていて思いました。

2026-02-18

チームみらいが支持された「本当の理由」と言いつつ、本当の理由が書いてないな。

消費減税レースに背を向けたチームみらい 支持された本当の理由

https://mainichi.jp/articles/20260209/k00/00m/010/286000c

チームみらいが支持された理由として、まず

高齢者優遇という有りもしない脅威を煽り、現役世代高齢者対立という偽の対立軸を作り出したから。

が挙げられるが、この理由はさほど大きくないと思われる。何故ならばチームみらいの支持率高所得者層有意に高く、単に現役世代からの支持という理由では説明が付かないから。

より大きな理由としては、

貧乏人を見下し、自分所得は全て自分家族だけのものだと思い込み、納めた税金貧乏人に使われたくない高所得者ハートをがっちり掴んだから

があると思う。「本当の理由」はこっちだと思うよ。

まりXで声の大きい所得制限反対界隈。


この記事のズルい所は、記事に出ている取材対象者属性について、それとなく誘導している点だ。

記事に出てくる1人目は、「東京都新宿区に住む男子大学生20)」。どの大学学生なのか、上京組なのか実家住まいなのかも不明だ。

ここに「早稲田大学2年生。両親ともに開業医でタワマン住まい」という情報があったらどうだろう。印象は変わるのではないか

2人目の、「横浜市青葉区から駆けつけた主婦(30)」についても、「東大経済的部卒。MBA持ち。夫は大企業管理職。」だったら印象は変わるだろう。

個人属性について伏せる事で、あたかも何の特権も持たない普通の人々であるかのように印象操作し、それによってチームみらいの支持層についも誤認させようとしていると思われる。

もっとも、後者についてはこの共働き全盛期で主婦という時点で、ある程度の想像はできる。

前者についても、新宿区実家なのであれば金持ちボンボンなのではないか想像はつく。


これは「#ママ戦争止めてくるわ」と同じやり口である。単に「ママ」という単語を聞いた時、人は無意識20代くらいの、特に学歴職歴がある訳でもない普通若い女性を想像してしまう。

しかし「ママ」の発起人である清繭子さんの実態は、1982年まれの43歳で、早稲田政治経済学部大学卒業したエリートで、17年間の出版社勤務の経験があり、書籍を発行しているプロ作家である

実態を誤魔化して、「何の特権もない普通の人」かのようにイメージ操作する手法だ。

2025-12-22

■ 『上級国民/下級国民から6年。リベラルへの反動ポピュリズム

2019年橘玲が『上級国民/下級国民』を出したとき、俺たちはまだ「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という流れが不可避だと思っていた。

でもそれから6年。コロナ物価高、政治不信を経て、**リベラル理想のものが「敵」として見られ始めている**。

今、目の前で起きているのは単なる格差拡大じゃない。**「リベラルエリートvs普通の人々」という新しい分断**だ。

2010年代まで:「自由で開かれた知識社会」への信仰 **

2010年代、俺たちが信じていたのはこういう物語だった。

橘の『上級国民/下級国民』は、その理想の裏側で進行する**「上級」と「下級」への静かな分断**を描いた本だった。

でも、この本が前提にしていた「リベラル化の進行」という大前提が、2020年代に入って揺らぎ始める。 <h3>o- **</h3>

2020年代前半:前提が崩れた **
コロナ可視化した「画面越し組vs現場組」

2020年コロナ禍は、「誰がリモートで働けるか」をあからさまにした。


この分断は、橘が描いた「知識社会の勝者/敗者」をリアルタイム演出する舞台装置になった。

物価高が直撃した「中間層意識

2022年以降の物価高は、エネルギー食料品を中心に中間層生活を圧迫した。

統計上も、**所得分布全体が下方にシフト**し、「生活が苦しい」と答える層が増加している。

「真面目に働けば中流」という物語は完全に終わった。 <h3>o- **</h3>

リベラル理想が「プレッシャー」に変わった **

そしてここからが本題だ。

2010年代まで、「自分らしく生きる」「多様性尊重する」というリベラル価値観は、多くの人にとって**「解放約束」**だった。

でも、低成長と格差固定化が続く中で、それらの言葉は次第に別の意味を持ち始める。


リベラル価値は、「解放」ではなく「規範」になってしまった。**
<h3>o- **</h3>
◆ 「リベラル上級」という新しい敵 **

さらに、ネット上で可視化されたのは、**「リベラルを名乗る人たちの不寛容さ」**だった。


こうして、「リベラル=寛容」というイメージ崩壊し、**「リベラルマウント取ってくるエリート」**という新しいイメージに置き換わった。 <h3>o- **</h3>

データが示す「エリートへの不信」 **

政治意識調査を見ると、この変化は数字にもはっきり出ている。


もはや、「リベラル保守か」ではなく、**「誰も自分たちを見ていない」という疎外感**こそが核心になっている。 <h3>o- **</h3>

ポピュリズムは「感情の出口」として選ばれている **

この土壌の上で、ポピュリズムが再び息を吹き返す。

ポピュリズムとは、「純粋民衆 vs 腐敗したエリート」という単純な対立構造を描き、**政治家メディアリベラル知識人をまとめて「敵」に仕立てる言説**だ。

重要なのは、多くの人がポピュリズムを**「強固な右派イデオロギー」として選んでいるわけではない**という点。

それはむしろ、**「リベラル保守も信用できない」「生活感覚無視され続けてきた」という怒りの出口**として選ばれている。

からこそ、政策整合性より、**「はっきりものを言う」「既得権を叩いてくれそう」というスタイル**が支持される。 <h3>o- **</h3>

◆ 「上級国民」の意味も変わった **

この視点から見直すと、「上級国民/下級国民」というラベルも変質しているように見える。

2010年代まで、この言葉は主に**「事故を起こしても逮捕されない高齢官僚」**など、古典的既得権層への怒りを表していた。

しか2020年代には、**リベラル知識人都市部専門職さらにはSDGs多様性を掲げる企業メディア**までもが「上級国民」として揶揄されるようになった。

「リベラル知識人」はなぜ嫌われるのか?ノーベル賞作家が暴いた欺瞞とは | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン

上級国民」という蔑称は、「リベラルエリート」への嫌悪と結びついた。**
<h3>o- **</h3>
2010年代モデルに「2行」を書き足す **

こうした変化を精神史としてまとめるなら、2010年代までの「リベラル知識社会の内側に生じる上級/下級の分断」に、**次の2行を付け足す必要がある**。

1. リベラル理想のものへの疲れと反発**

自由平等多様性自分らしさ——これらは本来、多くの人を解放するはずの言葉だった。

だが、低成長と格差固定化が続く状況では、それらは**「達成できない理想」「できない自分を責める基準」**として働き、自分現実否定する言葉に変わっていった。

2. 「エリート vs みんな」というポピュリズム感情構造**

上級/下級という枠組みは、いまや収入学歴だけでなく、**「どちら側の言葉を話しているか」「どちら側の世界観を信じているか」**を区別する境界線にもなりつつある。

リベラル言葉を使う側は、自覚の有無にかかわらず「上級国民」として見られ、

それに違和感や怒りを覚える側は、**「自分たちを侮辱してきた世界」そのものから距離を取り、簡単感情に寄り添ってくれる語りへと引き寄せられていく。** <h3>o- **</h3>

◆ 「最新版精神史」を書くということ **

この2行が付け加わったとき、「上級/下級国民」という図式は、

であるだけでなく、

としても読み替えられる。 <h3>o- **</h3>

その意味で、「最新版精神史」を書くとは、

リベラル理想を前提にした時代の終わり**と、
その残骼の上で人々が選び直している新しい物語——「エリートに裏切られた普通の人々」という自己像**を、

どう捕らえ直すかを問う作業でもある。 <h3>o- **</h3>

2025-12-03

anond:20251203163716

家族皆んなが同じ名字・・・その幸せ感のイメージを、選択夫婦別姓家族が超えないとダメだと思う。別姓のほうが幸せ、とならないと高い関心を持たずに生きてる多くの普通の人々こころの中は修正できない。

2025-11-07

なぜ美容整形界隈の女性は「努力」と言いたがるのか

自身特定の成果について「努力した」という言葉はあまり使われず、因果がより明確な自らの工程に関する語彙になりやすい。

ホワイトカラーの人は「勉強」が多い。運動等をする人は「練習」「トレーニング」「稽古」「レッスン」、技能職は「修行」あたりだろうか。

時間をかけた成果物に対しては複雑な工程圧縮して単に「頑張った」のように言われることが多いと思う。

ではなぜ美容整形界隈の女性は「努力した」と言いたがるのか?おそらく理由は大きく分けて2つある。


1つは整形の自力性のなさをぼかすためだ。能動的な活動ではなく金銭を支払いサービスを受けただけなので、普通の人々のように自身が行った工程を表す語彙が存在しない。

また、費用を稼ぐ方法自体はおおよそ自力だが、多くの整形依存女性には収入源に関しても同様に誤魔化さなければならない強い動機がある。


もう1つは「努力」という言葉が徳と結びついており、自らの道徳性を主張するのに都合がいいからだ。

努力道徳の結びつきは明白で、文科省学習指導要領解説道徳編の指導内容において"希望勇気努力と強い意志"と書かれている。

稼得の手段が後ろめたい人間が多いからこそ徳をアピールする機会を逃さないという側面もあるだろう。

女性一般に自らが道徳であるという立場を手放したがらない傾向にあることは広く知られるようになったが、ここでもその性質が反映されていると言える。

2025-08-02

シネフィルになれない(なりたい?)

時間は有限で、人生は一度きり。

1度きりの人生映画とともに過ごそう、と人生の早い段階で誓って以来、観たい映画を観て、好きな映画を増やして、映画について考えて、様々な映画情報を得てきた。そのつもりであった。

結果、一人の濃いめの映画マニア誕生、とはならず、人並みの映画好きおじさんに落ち着いている。

ほんもの映画好き(ここではあえてシネフィル呼称する)たちは、水を飲むように映画を観る。映画館でも配信でも、映画を観なければ死んでしまうかのように。名作と言われる映画の中でも「パディントン2」とか、「辰巳」なんかの単館の邦画の意欲作も当たり前のように観ている。若きタランティーノのようなハードコア映画オタクというイメージ妥当かもしれないが、SNSを見るかぎりどうやら普通の人々のようだ。要するに見境がない映画マニア

かたやこちらは日々の仕事をこなし、週末の限られた時間映画館へ向かい、夜は疲れて眠るか、家族との時間を優先。ひとり夜ふかしして配信を観ようにも眠すぎるし次の日に響くので無理。ほな通勤電車でせめて1本、と思ってもだいたいはメンタル的にはてブやらマンガやらXやらを消費して映画など観れない。

映画館もほぼシネコンで大作、話題作中心。観たい映画がかかればラッキーで、名画座都心ミニシアターなどへ行くのは至難の業。封切り週を逃せばすぐに上映時間が都合にあわなくなり、新作がかかるオンデマンドプライベート映画館があればいいのに、と夢想してやまぬ。観たら観たで、ほっとくと内容や気になったシーンを忘れる。

かたやシネフィルたちは縦横無尽スクリーンを飛び回り、博覧強記知識を繰り広げ、自論を展開し、興味のままに配信映画を楽しんでいる。てかいつ寝てるの?

マジで、彼らはどうやってたくさんの映画を観ているのだろう。XやFILMARKSにいる彼らの視聴頻度は半端ではない。生活ほとんどを映画に捧げなければ得られないほどの鑑賞数に戦慄してしまう。年間100本なんて余裕である。本数なんて気にしたことない(Ⓒ邦キチ)のは真理なのである

それでいて感想批評も読ませるんだから降参するしかない。

コスパタイパなんて言い方をするずっと前、例えばレンタルビデオDVDを選ぶ時、上映時間が120分を超えた作品敬遠したり、どうしても観たい作品じゃなければもっと短い作品を選んだり、なんなら映画じゃなくてもっと高尚な時間の使い方、例えば脚本を書いたり本を読んだり?いろんなことに夢中になったり飽きたり?しなければ、と言い訳して結局借りずに過ごすなんてしょっちゅうだった。

どうせロクな時間を過ごさないくせに。映画の1本を観るよりも豊かな時間体験なんて滅多にないのはわかっているくせに。

結局、自分はそんな性分なのだシネフィルたちのように、映画を通じて世界に、他者に、翻って自己にすら興味を抱き続けられないのだ。他人に興味がなく、ただの一つの娯楽として映画を観ている普通の観客なのだ。そして、映画という人生を通じて好きなものにすら一貫した興味を持ち続けられないのだ、と自己憐憫している間に、彼らは今日映画を観ている。

俺のアイデンティティはもはやボロボロである

映画だけじゃなく、他の文化読書でも音楽でもマンガでも観劇でも、きっと同じように感じる自分のような人はいるのだろう。

マニア度の上を見たらキリがないけれど、せめて躊躇せず、好きな文化に飛び込んで触れていたい。

なのに好きと生活を両立させるのに精いっぱい。なまけものだと自嘲しながら、うらやむのだけは止められない。マニアフリーク、キチ○イへのルサンチマンを抱えた普通の人々

今日シネフィルになれない。ほんとうにそんなものになりたいのか?と自問しつつ。

どうやってそんなにたくさん映画観てるのか、ちょっとでいいから教えてほしい。

2025-07-22

リベラルが負け続ける理由説明しよう:そして彼らはどうすべきか

結論からいうと

リベラル派が圧倒的に負けている理由を端的に説明すると、

・「動画を作らなさすぎる」

・「動画コメントしなさすぎる」

・「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」

・「リッチコンテンツにこだわりすぎている」

・「手数が少なすぎる」

・「マジメすぎる」

これらが非常に大きな要因である


タイトルは少し煽りっぽいが、「リベラル責任を追求する」という内容ではないので、みなさんには落ち着いて読んでほしい。

ただ、リベラルが圧倒的に「認知戦(イズム布教)」において戦略不足(下手すぎ)なのは間違いない。

なぜ右派ポピュリズムの影響力が強く、リベラル戦略的に何が足りないのか、そしてどうすべきかを考える。

また、この記事では、それぞれの党派の正しさについては触れない。

例えば、「リベラル言説は現実性が無い」と言われたりするようなイズムそのもの評価は置いといて、ネット戦略認知戦)・伝え方のフォーマットに絞って話を進めたい。

保守派だって現実性がない主張は沢山ある)


まずなぜ参政党が勝ったのか

参政党が票を取った理由は、そもそも世の中全体で「ソフト右派」が大多数を占めていた(とっくにそうなっていた)からだ。

そのうえで、たまたま右派政党の中で参政党が選挙プレイヤーとして一番上手かっただけに過ぎない。


参政党はカルト性が強いから、カルト的な信者が集まった」とか「参政党=カルト」だという認識的外れだし、むしろ楽観的すぎる。

ごく普通の人々参政党の支持者になっていったのだ。

しかに彼らが右派政党の中でもっとプレイヤーとして優れていたのは間違いない。

しかしそれ以上に重要なのは、今の日本において中間層の「ソフト右派」が既に大多数を占めているという現実である

から「なぜ参政党が上手くやれたか」を追うよりも、「なぜ日本がここまで右傾化したのか」ということの原因がわからなければ、参政党が消えても別の右派政党が同じように票を取るだけなのである

残念ながら、参政党の圧勝日本民意が反映された結果である


から参政党だけを分析しても本質は見えてこない。

あくまで、「日本全体が右傾化している」という現実リベラル派は理解して戦略を立てなければならない。


てか、今のネットの仕組み、分かってる?

みなさん、「フィルターバブル」「アルゴリズム」といった言葉をご存じだろうか?


例えばYouTubeで新しいアカウントを作り、料理レシピを一度検索してみる。

すると、それ以降ホーム画面には料理レシピばかりが表示されるようになる。

こうして「自分が一度興味を示した情報ばかりが優先的に表示される」状態が、フィルターバブルだ。

そして、そのフィルターバブルを引き起こす「プラットフォームYouTubeに限らない)ごとの仕組み(=アルゴリズム)」がある。

今のインターネットでは「何が表示されるか」は人の意思ではなく、プラットフォームの「アルゴリズム」によって自動で選ばれる。

自分検索した」と思っても、その検索結果は既にアルゴリズムによってフィルターバブルが起きているのだ。


ちなみに、「エコーチェンバー」とフィルターバブルは異なる。

フィルターバブルは「仕組み(アルゴリズム)が作り出す偏った状態」で、エコーチェンバーは「人のコミュニティの中で生じる偏った状態である

(一旦ここではそこまで厳密に考えなくてもよいです)


アルゴリズム全然使いこなせていないリベラル

まず、YouTubeログアウトして(シークレットブラウザでもよい)初期状態まっさら状態ホーム画面を開いてほしい。

「まずは検索してみましょう」と表示されているはずだ。

この状態で、「参院選 党首討論」などと検索し、選挙前の党首討論番組動画を2~3個視聴してほしい。

党首平等に出演したテレビ公式チャンネル動画なので、この段階では特に党派性の偏りは無いはずだ。

しかしその状態で、再びYouTubeホーム画面に移動してほしい。

アルゴリズムによって動画がずらっと一覧表示されるのをスクロールしていくと…

驚くべきことに、リベラル派・左派動画コンテンツがまるっきり表示されないのである

あったとしてもせいぜい、れい新選組動画である

表示される動画の多くは、

参政党、国民民主党、といった政党の支持者たちが作ったと見られる動画

・「いかに石破総理ダメか」など面白おかしくまとめた動画

保守系切り抜き、ダイジェスト動画

・「高市早苗(他女性保守議員推し動画

・「マヌケな立憲議員論破されたw」のような動画

などである


普段そこまで政治に強い関心が無い若者が「そろそろ選挙だし調べてみるか…」と言って検索たらこの有り様なのである

政治関連で党派色の無いものニュース番組系の動画ぐらいだろうか。

とにかく、リベラル色のある動画コンテンツが皆無なのである

ホーム画面に表示されない見えない力が働いているというわけではなく、そもそもリベラル派が作った動画がないのだ。

本当に(れいわ以外)一つも無いレベルで流れてこないので、リベラルの皆さんは是非上記手順を試してほしい。

この現象YouTubeに限らずTikTokでも起きている。


まり動画コンテンツの物量でボロ負けしているのである

YouTubeしろTikTokしろ政党公式チャンネルだけやっていても意味がない。

リベラルは「動画コンテンツを作らなさすぎる」のである


リベラル動画コメントしなさすぎて草

YouTubeでは、政治ニュース動画コメント欄は、比較保守派の声で埋め尽くされている。

チェンネルにもよるが、全体的に見てもリベラルの声は、かき消されるほどに少ない。

兎にも角にも、リベラルを叩き、保守的な観念を叫ぶコメントばかりだ。

今回の参院選でも、選挙関連の動画には「参政党」支持者のコメントが溢れかえっていた。

他には、国民民主党などの支持者のコメントも多く見られた。


YouTubeでは、コメントした人のアイコンクリックすると、「その人がそのチャンネルで書いた他のコメント」が全部見られる(たしか、近年この仕様になった)。

参政党に賛同するコメントをしている人を見てみると、別の動画でも同じような参政党支持のコメントを何度も書いているのがわかる。

こういう人たちがたくさんいて、それぞれが一つの動画に一斉に書き込むからコメント欄が参政党支持のコメントで埋まってしまうのだ。

要するに、書き込んでいるのは、他の動画でも参政党を推し続けている特定の人たちで、そんなアカウント大勢いて一斉に押し寄せている。

参政党の支持者達は、ネット言論の中でかなり意識的に大量動員されている印象を受ける。


一方で、リベラル派は水を打ったかのように静まり返っている。

X(Twitter)では怒号と罵詈雑言応酬が続いているのに、一体どういうことなのか。

リベラルは「X(Twitter)に閉じこもりすぎている」のだろうか。

動画に対して大勢コメントするリソースが、リベラルにはあまりにも足りてないのかもしれない。

しかしそんなことを言ったところで「コメント合戦」は認知戦(イズム布教)には絶対に欠かせないのである

コメント欄というのは、認知戦の根幹をなす空間支配」の最前線だ。


まり動画コンテンツを作るのと同時に、コメント動員力をつけなければならないのである

自分たちの動画は大量の支持者達で埋め、他の動画にも支持者を総動員する。

リベラル政党議員が出演している動画コメント欄が、アンチだらけになっている現状は、無防備マヌケと言わざるを得ない。(特に立憲にありがち)


とにかく、リベラルは「動画コメントしなさすぎる」のだ。


リッチスローコンテンツ、視聴人口少ないですよ…

リッチスローな」コンテンツというのは、映画ドラマのことを指す。

これに対して、YouTubeショート動画は「チープでファストな」コンテンツといえる。

これまでリベラル価値観布教は、主に前者のフォーマットで行われてきたと言えよう。

しかし、どれだけ丁寧に予算をかけて作った映画ドラマよりも、無料かつ短時間で消費される「ポリコレうざすぎw」「うるさいフェミw」といった、チープでファストな「おもしろコンテンツ」の方が再生され、認知戦において大きな影響力を持ってしまうのである

下手したら映画興行収入よりも動画広告収入の方が上回る可能性すらあるかもしれない。


正直この私の投稿だって

とある増田投稿話題に」や「リベラル衰退の理由サヨク阿鼻叫喚😂」

と言ったコンテンツネタいくらでもさる可能性は十分ある。(もっとも、そもそも誰にも見向きもされない可能性の方が高いが)


さすがに上記のような苛烈冷笑揶揄ベクトルである必要はないし、そうしたトーンが認知戦のメインというわけでもない。


それでもやはり、リベラル側には「チープなコンテンツ」を作る作家が圧倒的に足りていない。

手数を打てる場所がX(Twitter)の中だけというのは、間違いなく弱い。

リベラル価値観共感する「匿名クリエイター」たちが「動画コンテンツ」を量産しなければ勝負にならない。

最低でも「物量で拮抗するところまで持っていって、ようやくスタートラインに立てる」といえるだろう。


現状のリベラルは「手数が少なすぎる」のだ。


そんなバカコンテンツは作りたくないって?

その気持ちは分かるし、必ずしも低俗冷笑フォーマットを真似する必要もない。

チープでファストなコンテンツの影響力に辟易している気持ち理解できる。


だが、リベラルが「こんなクソみたいな動画に影響を受けるな」と言ったところで大衆には通じない。

リベラルがX(Twitter)でポチポチレスバしている間にも、数百万回再生される「おもしろコンテンツ」が星の数ほど量産されていく。


人間は「みんながこう言っている」「みんなが賛同している」に、なんとなく正しさを感じてしまう生き物だ。

そこに、あたか政治色や党派性など無いかのように、笑いや煽りコーティングされた言葉があふれる。

そして大衆は、無意識のうちに染まっていく。


リベラルには良識があるといくら思っていても、自分達の声が適切に届かなければ意味がない。

そして「届ける」というのは、ただがむしゃらに発信することではない。

「どうすれば分かってもらえるか」「どうすれば世間に浸透するか」といった分析計画を持った施策必要なのである

それができないのであれば、少数の人達の中で世界が閉じていく未来しかなくなってしまう。


「ウケを狙いたくない」「揶揄はしたくない」「真剣に声を上げる」

それらが全く無意味な訳では無いが、それだけやっていても認知戦には勝てないのだ。

決して誰かを侮辱したり、笑い飛ばしたりするような露悪的な態度でなくても、一見落ち着いて中立的に見える動画という形で、バイアスを忍ばせつつ視聴者価値観を届けるという方法もある。

もっと言えば、必ずしも政治ジャンルである必要もないのである


特定政党を支持しているわけではないクリエイター配信者が、政治を前面に出したコンテンツを作っているわけでもないのに、ごく自然な会話や表現の中で保守的なイズムを発信していることがある。

彼ら自身布教だと意識していなくても、結果として保守的な価値観を広げる役割果たしているとも言える。

しかも、それらの発言は、前の段階の認知戦で定着した言説の影響を受けている場合も多い。

もはやリベラルは何手も遅れていると言わざるを得ない。


まあこんなのずっと前からそうだったけどね

もう何年も前から動画コンテンツ」が言論の強さを左右してきた。(政治じゃないトピックでもね)

動画見ただけで分かった気になるなんて情弱だな」と確かに思うが、現実には、多くの人が可処分時間ほとんどを無料で見られる動画に費やし、その影響を受ける。

からリベラルも物量で押し返さなければならない。


参院選投票先をみても、普段から動画を見ている10代・20代が軒並み保守化していることがよくわかる。

左派で、戦略的に支持を集めているのは、れい新選組のみと言ってよい。

共産党社民党支持層高齢化し、立憲民主党に至ってはブレーンがいるのかどうかも怪しい。

TikTokで新しく作ったサブアカウントで各政党名を検索してみると、立憲も共産社民ネガキャン動画だらけだった。

挙句の果てに「ぴろゆきが思う一番良い政党」などというオススメ検索ワードまで上位に出たときは、苦笑するしかなかった。


しかし「そんなもんに影響されるな」という潔癖さを捨てて、「チープ&ファストに影響されるのは前提」として、戦略を建てないと何も変わらない。

リベラルパッション叫び続けても、その声はリベラルエコーチェンバーの中で反響するだけで、外にはほとんど届かない。

一方で、保守派ネット空間戦場として正しく捉え、早く・多く・効率よく動いている。

リベラル派は動きが遅すぎるし、ギリギリだし、常に後手に回っている。

バズの構造フィルターバブルなど、アルゴリズム理解も浅すぎるし、組織的な動員力がほぼない。


テキストベースプラットフォームであるX(Twitter)を見る限り、リベラル派・左派人口自体は相当数いるように見える(左右で拮抗している可能性すらある)。

にもかかわらず、彼ら(左派)は他のプラットフォーム特に動画プラットフォーム)では全く動員されず、右派圧勝している。


もしリベラルが、今すぐに戦略を立てられなければ………そのとき核武装が待っている。

2025-07-16

はっきりさせておきましょう...動物虐待の99%は、普通の人々がそれに対

動物が好きですか?

はっきりさせておきましょう...動物虐待の99%は、普通の人々がそれに対してお金を払うために起こります

人間草食動物であっても全く問題ありません。代替品は年々良くなっているので、ビーガンライフスタイルに切り替えるのは簡単だよ。21世紀になった今、人、動物、そして地球に対する残酷さは大幅に減らすことができます

畜産は原因となっています:すべてのパンデミックの1/3、温室効果ガス排出量の15%、アマゾン森林の約2エーカーが毎秒台無しにされ、世界中に輸出される動物飼料を育て、昼夜を問わず1種全体が絶滅しています

畜産は、世界の全淡水消費量20%〜33%を占めており、さらに一部を汚染しています

畜産水産養殖は131,000トン、または世界抗生物質使用量の76%を占めています

米国における抗生物質の80%は、病気治療のためではなく、成長を最大化し、ストレスを軽減するための家畜用です。

WHOは、「抗生物質耐性は、今日世界健康、食料安全保障、開発に対する最大の脅威の1つです。(...)人間動物における抗生物質誤用が、そのプロセスを加速させています

人間動物食品を食べる栄養必要ありません。乳幼児子供であっても、私たち食事ニーズはすべて、動物を含まない食事によって最もよく供給されます

世界の主要な健康問題は、カーニズムによって引き起こされています

2,500頭の牛を飼育する農場は、人口411,000人の都市と同じ量の廃棄物を生み出します。

2,500ポンド牛肉生産するには、1ガロンの水が必要です。

アマゾン熱帯雨林破壊の最大91%畜産が占めています

畜産は、乱獲、汚染気候変動により海洋生態系を壊滅させているため、海のデッドゾーン引き起こしています

漁業世界の大型魚の90%を一掃しました。

毎年約30万頭のイルカクジラネズミイルカ漁業によって殺されています

釣りは毎時最大30,000匹のサメを殺します。

漁具(年間640,000トン)を投棄することは、海洋プラスチックの致命的な形態です。ストローを小さくします。

350億ドル補助金世界中漁業に向けられ、大型船、より多くの燃料、漁業免許さらに多くの海洋生物捕獲に支払われています

比較のために、NASA予算は220ドルです。

世界的には、畜産に対する農業補助金が毎年5,000億ドルありますさらに、それは同じかそれ以上のダメージや、値段をつけられないもの引き起こしています

動物は痛みを感じますか?YouTubeで「ドミニオン残酷な警告」をご覧ください:それは「放し飼い」や「人道的な虐殺」など、プレートに何が載っているかを示しています

卵を食べると、雄のひよこを生きたままミンチにするためにお金を払うことになりますが、それらは力で繁殖する雌鶏の副産物です。

牛乳を飲むと、雄の子牛は出生時に屠殺され、雌の赤ちゃんは「あなたの」牛乳を飲まないように連れ去られます。「ハッピーミール」や子供向けのアイスクリームは、その痛みを抑えています。牛は何日も悲しみ、より長い時間忘れることはできません。オーツ麦ミルクは奇妙すぎるので、彼らのミルクコーヒーに入れます

ビーガン代替品は棚にあり、あなたの決定が残酷さを救うのはたった1つです。

牛は、4つのからメタン(CO2の25倍の強力な温室効果ガス)を生成します。強制再生産(人間強姦)された牛が10億頭もいます。牛はすべての畜産動物温室効果ガス排出量の1/3を排出し、畜産はすべての人為的排出量の15%を生み出します。

肉食動物食事療法は個人的な好みではありません。それはすべての人々、動物、そして地球に害を及ぼしています

ビーガンであることはあなたカットしますr カーボンフットプリントを半分に。

ビーガン食は、EU農業排出量を70%削減します。

ビーガン毎日1,100ガロン(4100リットル)の水を節約します。

ビーガン毎日45ポンド(20kg)の穀物節約しています

ビーガンは毎月30匹の動物を救っています

非常に多くの世界問題は、次に買い物をするときに棚から植物ベース製品に手を伸ばすことで解決されます

ヴィーガニズム私たちの消化器系にとって自然ものです。3,000万人がヴィーガン選択しました+5,000万人がヴィーガンに近い人です。ミス・ユニバースドイツ最強の男はビーガンです。

動物の1/3は、馬、サイ、バイソンゴリラ、ゾウなどの草食動物です。

「いつの日か、他の動物奴隷制に対する人間のほぼ普遍的な信念の不条理さが明らかになるでしょう。そうすれば、私たち自分たちの魂を発見し、この惑星を彼らと分かち合うにふさわしいものになるでしょう。」

2025-06-21

anond:20250328034628

読者の中でも読解力が高い一部の人の中には全て読み取れてる人もいるんじゃないかな。

読解力増田じゃないけど、人の読解力ってピンからキリまである。

自分現代文そこそこ得意なほうだけど、それでも増田にいると他の人の読解力の高さに驚いて「自分は何も読み取れてなかった」と思うことがたまにあるよ。

それと、自分で書いた増田がごく稀に注目エントリや人気エントリに入ることがあるんだけど、こんな傾向がある。

トラバ

まともな返信が少ない。煽り目的での返信が非常に多い。本文と殆ど関係のない内容や本筋からズレた返信も多い。全体的に読解力が低いが、中には読解力の高い人もいる。驚くほど読解力の高い人も稀にいる。

ブコメ

まともなコメントが大多数。非常に少数ながら煽り目的や悪意を感じるコメントもある。人気ブクマカの中に稀にとんでもない誤読をする人がいる。無名ブクマカでも高い読解力と本筋に沿った鋭いコメントをする人がいる。

一般人にとっては自分が書いた文章を他の人にコメントしてもらう機会って滅多にないものだけれど、増田を書いていると、世の中の「普通の人々」の読解力が千差万別であることを実感する非常に良い機会になる。

それと話が逸れるのだけど、自分洋画とかも意味わからん事が多い。

あれ、自分もしかして若年性認知症なのかなって思うくらい意味わからんことがよくあって不安になる。

ストーリー最後まで見て、ようやく序盤や中盤の意味不明だったセリフ意味が分かったり。

「これ、皆ほんとうに全てのストーリー・シーン・セリフ意味分かってんのかな」っていうのは現在進行形でよく思ってる。

曖昧ものや分からないものに対する耐性がないだけなのか、単に自分の頭がバカなだけなのか、不安でござります!!!不安すぎてWAIS-IVを受けたけど「平均より上」の結果だった)

2024-12-24

カウンセリングにいってきたゾ カウンセリング受けている人の話聞きたいゾ

しかしたら普通の人々カウンセリングじゃなくて、バーとかキャバクラかにいってお悩みを打ち明けるのかもしれないけど、酒が壊滅的に飲めないことと夜はさっさと寝たいことからカウンセリングに金をかけることにしたゾ。

50分で7000円もかかるゾ。保険が効かない整体くらいの値段だゾ。

初回だったのでどういうこと悩んでるのかとか、仕事がどうだとか、家族のこととか聞かれたゾ。

7000円払ってもったいぶっても仕方ないので思考の癖ですぐに死にたくなっちゃうこと、放り投げちゃうこと、過呼吸みたいなのが出ること、上司仕事内容も合わないこと、兄弟自死がいること、頑張ってぶちまけたゾ。

7000円払う価値があったかはわかんないけど涙と鼻水がいっぱいでちゃったゾ。マスクしてたから鼻水はセーフだゾね。

カウンセラーカウンセリングをしていくにつれて、辛いこと、不安定になることとか絶対でてくるゾって脅してきたゾ。

自死した兄弟カウンセリング頑張っていたからそれは了承済だゾ。

もうずっとずっと死にたくてそんななか生きてくるだけでしんどかったから、カウンセリングで人が関わって辛いのは大丈夫だと思うゾ~。

結局一番自分を苦しめることができるのは自分ゾ。多分。

カウンセリングやりたいですっていって帰ってきたゾ。

カウンセリング受け続けている人がいたら、クソだったとかよかったとか聞きたいゾ。

増田まどマギ映画新作を見届けるまでは生きていたいゾね。できるんなら楽しく生きられたらいいゾ。高望みだゾ~。

2024-11-22

anond:20241122075853

いや結構モノクロ青春だっただろ、クラスに俺だけじゃなく数人はいたぜ、友だちゼロっぽい奴ら

社会の大部分の普通の人々問題視する気かい

2024-10-06

人々は会話にこだわりすぎ

面白さ」に対する考えに性差があるとか世の中の男さんはもっと工夫してくれとか言ってるが別に男女の性質の違いでは無い気がする。

会話で事実を述べるだけの人と、会話に見せかけて自分接待を受けたいタイプ(女に多い)の相性が悪いってだけじゃないか

こちらの望むコミュニケーションをして欲しい、と言うのは確かに女に多いかもれないが(いわゆる“察して”)、これって自分の話を聞いてくれる可愛い女を求めてコンカフェガルバ?とか行く男も心理は近いと思う。性差ではなく割と多くの人が持っている欲か何か。

映画の話をしようとか政治の話はしないでとか、特定テーマを話して欲しい/して欲しくないと言う内容の指定はまだ分かるが、その時の自分感情を交えて欲しいみたいな「話し方の注文」をしているのは意味が分からない。

まず全ての会話は広げるべきという発想が私には理解できないのだが、もしそう思うのならそれを望んでいる側が話を掘り下げる工夫をすれば良い。

「○○を食べた」と言われて雰囲気料理の特徴が知りたいのなら「どんなお店だった?」「何が一番美味しかった?」と返せばいいし、そうすればお望みの広がりのある会話になると思う。

私自事実しか話せないタイプなので、似たような人と話していて流石に一言二言で終わらせてはいけなそうな時はこういう風に広げている。

あいつは話が“おもんない”みたいなことを言う友人が居るが何をそんなに他人に期待しているのだろう、と思う。会話ってパフォーマンスじゃなくて、もっと自然発生的なコミュニケーションなのでそれに質を求めるくらいなら他の人にすれば?

別に共通趣味とかコミュニティとかこの人のこういう所は尊敬できるとかそういったものがあれば別に良くないか

これは最初に書くべきだったのかも知れないが、私は自閉傾向があり(知的障害境界知能を伴わないASD)そもそも他人との会話やコミュニケーションの質にあまり興味が無い。

割と普通の人々は話が“おもんない”(=自分の望む感情話題の共有ではない場合)ことをストレスとして捉えるようだが、私は殆ど気にならない。

あの時話が広がらなかった、というのを後から思い出して気に病むことがまずない。

コミュニケーションの質に興味が無い時点で私の方に問題があるような気もするが、普通の人々も何気ない会話をもっと何気ないものとして捉えるか会話の相性が良い人とだけ親密になればいいだけだと思う。

2024-08-21

SASUKE難易度ってすごく高いけどもっと上がっていくの?

今年もまたSASUKE放送される。

トンデモ難易度の肉体コンテンツもはたから見ている分には面白い

一見ではほぼ不可能な内容や練習装置自作前提の環境じゃないとステージクリア出来ない難易度は初出場の人はクリア出来ない事は分かるけど、生活をかけてまでやってしまうシャレにならないアクセル踏み込む人々が出ても驚かなくなったのはよくよく考えると普通の人々お断りなんだなと思う。

YouTuber炎上覚悟おかしな事をやるのと当たらずとも遠からずのような気さえしてきた。

キチンと肉体を鍛え上げてそれに賭けるという点は同一の例にするには失礼と思えるけど

難易度が肉体に自信がある程度では門前払いを受けるほどだと思うと別世界競技なのだろう。

完全制覇者が出たら難易度はまた上がるのだろうか。

2024-08-05

日本シリコンバレー深センが無い理由だと思う

技術力も勇気もない技術者たちが、嫉妬足を引っ張っている様子を見ていた。

実は、他人の足を引っ張ることにはポジティブ効果がある。

自分にも何か、できるかも知れない」

という可能性の選択肢を減らせるんだ。

敷かれたレールに乗ったままでいる現状を肯定して、目の前の現実に集中できるようになるのはデカい。

「生きるモチベーションをどこから得ればいい?」と質問している人がいた。

エンジニアだけじゃなく多くの普通の人々が、生きることに悩んでる。

おそらく、真っ直ぐ生きてるように見える人々は迷わないかモチベーションに困らないんだと思う。

スーパーマーケット赤ちゃんを抱き抱える夫婦を見た。

ポンポン商品をカゴに載せてく2人は、ゆっくり商品吟味してないように見えた。

しかすると単に裕福なのかもしれないけど、多分、節約理由だと思う。

多少割高な商品にカネを余分に出してでも、乳幼児の世話に使う注意力というコスト節約するのが合理的からだ。

まり知られていないが、注意力って限りある資源だ。選択に迷うのは注意力を消費する。

から自分から積極的人生オプションを消すことでラクになれる。

人々は無意識のうちに、そんなライフハックを使ってるんだと思う。

しか嫉妬理由に、有能な若者一方的に利用するのは、個人的には正しいことだとは思わない。

会社だったらハラスメントに当たるような暴言を受ければ、エンジニア心理的安全性は損なわれる。

『愛のある厳しい言葉でこそ人は育つ』と信じられていた時代は、とうの昔に過ぎ去ったはずだ。

職場だけでなく、体育の授業、スポーツ現場でも、淘汰されたと聞いている。

他人犠牲にして自分ラクになろうとするのは、それは、エゴだ。

嫉妬感情モヤモヤするのが嫌なら、ネット断ちすればいい。

もちろん情報孤立リスクは伴うけれど、他人迷惑を掛けず自己完結してる方がよっぽど好ましい。

クモの糸で登る他人の足を引っ張る国民性からこそ、日本にはシリコンバレー深センが生まれなかったのだと思う。

2024-07-30

アサクリ問題とは何だったのか、あるいは普通の人々陰謀論に引きずり込まれていく経緯。

アサクリ(及びその開発元のUBI)が公式トレーラーをアップする

  ↓

半畳畳が敷き詰められた部屋など、おかし描写が多いことが話題になる

  ↓

海外では黒人の侍が主人公であることが批判されているらしい」と話題になる

  ↓

海外ではロックリーという人物が弥助を神格化してあることないこと広めてるらしい」と話題になる

  ↓

ここでアサクリとロックリー史観が結び付けられてしまう(UBIはロックリー史観についてまったく言及していない)

  ↓

ロックリー史観を訂正するためにアサクリを批判しないと!」

  ↓

アサクリが悪いから殴る、ではなく、殴るためにアサクリの悪いところを探す、に移行する

  ↓

アサクリは歴史描写が正確だったはずなのに日本舞台になると不正なのはおかしい(実際には過去作でもおかしいところはあった)

アサクリの過去作では現地人が主人公だったのにシャドウズでは黒人主人公になるのはおかしい(実際には過去作でも現地人でない主人公はいた)

アサクリは暗殺者ゲームなのに目立つ格好をした黒人主人公にするのはおかしい(本作の弥助はステルスではなく近接戦闘向けのキャラだった / 過去作にもそういう主人公はいた)

  ↓

ロックリー史観を信じた開発陣による日本人差別だ!」「ポリコレの行き過ぎだ!」

  ↓

UBIの言動を洗い出してインタビューなどでの発言曲解していく

UBIの著作権法違反などを発見する

  ↓

「やっぱりUBIは悪い奴らなんだ!」(悪魔化)

  ↓

批判の中心がロックリーへと移行する

  ↓

ロックリー著作の「推測を膨らませた部分」を取り上げて「こんなデマを流している」と主張

  ↓

叩くことが目的になっているので次々に新たな問題を探していって論点がずれていく

途中で批判されても「それはもう論点ではない!」とゴールポストを動かして回避する

さな疑惑収集して誇張・曲解邪推することによって自分たち思い込みを強化していく

  ↓

海外アンチポリコレゲームオタクと合流して過激化していく

  ↓

ロックリーやUBIは日本人に奴隷制起源押し付け差別主義なのだ! こうした差別的史観欧米では蔓延しているのだ!」

  ↓

そして伝説へ…

2024-07-29

anond:20240728101244

この世から消えます

私も"Aさん"の1人です。

社会や、普通の人々が悪いとも思えない。

さようなら

2024-07-21

ジジェクコラム英語版

ジジェク韓国語コラム微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版微妙やんね

単に賞味期限切れだろこの人…

https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html

現在右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディア極左による暴力的強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去発言や行動が急に禁止され、どのルール自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別性差別がただの自分特性ではなく、自分存在のものに刻まれいるかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気効果的に生み出しているように見えるのです。

「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義圧力一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケルミラーマンによって最近提供されました。彼は最近YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルポッドキャストエピソード公開しました。彼自身立場の要約は以下の通りです。

『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後リベラル熱狂左翼反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治人間生活をよく理解するために必要重要なことも含まれています。』

また、ミラーマンポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性包摂原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教公然批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』

マリーヌ・ルペン彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全常識ファシズム混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものファシストなら、ファシズム普通だ。』

7月4日選挙労働党圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージリフォームUK党が400万票以上を獲得したこと過小評価すべきではありません(ただし、英国投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります

新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態もっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれ伝統的な人種差別還元されるものではありません。

したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心自分自身特定生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェル英国パブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心偏執的なねじれを与えることです。自分自身コミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています

いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性アイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています

それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初パラドックス出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント国家大企業メディア教育から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分レーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義基本的構造は手つかずのままです。

しかし、新しいポピュリスト右派抵抗する人々は、まず自分たち自身批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制押し付けています。彼らは(性的人種的経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場排除されるだけでなく、その議論自体排除され、排除に対する賛否両論対立排除されます

ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場排除し続けるだけです。このようにして、包摂多様性のための闘争は、いつあなたプライベート発言が公の場から排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑告発雰囲気を生み出します。

ここで、最後カニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。

新しいポピュリスト右派基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えますしかし、ポピュリストたちは支配的な既存生活様式を維持したいと考えていますが、今日現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています

したがって、二重のパラドックス結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派公然ユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体ユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」

このようにして、新しいポピュリスト右派ウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題回避する二つの方法なのです。どちらも、今日グローバル資本主義の核心に刻まれ対立無視しています

2024-07-14

ライブ】某ライブ

・すげえ!歌手の人が目の前に来た!!

1メートル前に!仕切りとか無しおる!!

しかハンドタッチは2回空振りして諦めた!

ラッキー!でもそこまで熱烈なファンって訳でも無いゆえに「えっえっ嘘嘘、あの憧れのアーティストが目の前に!?」という表情作るの頑張った

生で見るとスタイルええなあ〜

結構華奢な骨格しとるんやなあ

なんかお顔が宮野真守に似てるなあ〜

・「日時の都合が合いかつ2曲はSpotifyお気に入り曲あり ただバラード系は普通」くらいかツアー名的に「落ち着いた曲オンリーかな…?」と思ってたけどタイアップ後の激しい曲ラッシュで好きな曲も4フレーズ?位歌ってくれてありがてぇ〜にわかファンでもこんなに惹き込むプロ歌手ってすげえ〜

ってなった ほんま高いのびのびした歌声すご

提供曲は2年間歌ったらアカンのか…

・ほんまツアー名的に「舞台上にソファとかあって弾き語り半分トーク半分くらいの感じか…?」と思ったけど想像の50倍アクティブだったしソファはなかった 

・隣の席のハンドメイドマダム

話を聞けば聞くほどオハイソだぞ!

しかしインスタのフォロワー獲得には貪欲だぞ!

うっかりLINE交換しちゃったけど会話の切り上げ時が判らず若干引かれてLINEスタンプ会話終了されたけどすまんな!悪気はないんや!

・クソ無知にわかファンなのでマダムからアーティストの来歴を教えてもらい曲紹介部分で赤ペン先生状態になった

・「会場のみんな家族」とかそんな感じの言葉が頻出し、清く正しいjrockアーティスト枠を絶対的に外れない安定感…!と思ったら最後最後に「思想」出てきて少しビビった

ファンの傾向がこんなに無いライブ、初めててビビった

みんないい意味で「いい人そうな普通の人」達って感じで逆に全員が「市政の普通の人々のフリをしたアサシンか何か?」と疑いたくなるレベル普通の人々だった

女性ファンが6割?男性ファンが4割?位

年齢も20〜60代と広いし舞台上のアーティストに声掛けするのは男性ファンだけだし謎

ギターの交換回数が…回数が多い…!

・ここまでギター弾けて歌もうまかったら目茶苦茶楽しいだろうな

2024-06-17

郭の詐欺はアント・ギャングを苦しめるだけだ

#国文gui#ワシントンファーム

Guo Wengui 氏は、農場から XiCoin まで、一日中空に向かって自分無駄なことを宣伝しており、「HiCoin の暗号化機能と将来の支払い、そして将来の米ドルとの交換が歴史を作るでしょう。彼はその人です。」安定した通貨、変動する最新の暗号化された金融プラットフォームを備えているのは 1 つだけです。」 アント ギャングはだまされましたが、何十回も約束を破られた後、郭文貴は再びゲームプレイし始めました。そして何度も何度もアント ギャングプレイしましたが、郭はWenguiには不服従感覚はありませんでした。この老詐欺師は、仲間の福祉のためだと主張して、仲間を金持ちにしているふりをしましたが、実際には、それは新たな投資嫌がらせの波でした。彼は試みて失敗し、今またそれを行っています。その後、Xibaoがもう市場に出ていないことが明らかになりました。普通の人々の考えや反応によると、彼らは非常に動揺し、悲嘆に暮れているはずですが、Guo Wenguiは珍しくおしゃべりし、そのニュースを軽視し、後悔していませんでした。その代わり、カメラの前でペッパーチキンを食べました。美味しくて口の中が油でいっぱいです。 。なぜ?詐欺成功したので、Xicoinの上場時期や上場時期については? Guo Wenguiは冷酷で悪党に見え、手を広げ、知らないと主張しました。 Guo Wengui偽善簡単に暴かれますが、Guo の詐欺Ant Gang を罠にはめるための別の方法にすぎません。

2024-05-26

anond:20240526103033

IQ20違うと、の本的には低IQに低EQが多いって話やなかった?

高知能者の会話は主に「真理追究」「問題解決」のため。普通の人々は「共感」や「序列確認」のため。目的通信方式も全く違うため、話をするだけでトラブルになってしまう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん