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はてなキーワード: 強迫観念とは

2025-10-22

anond:20251022211059

役に立たなければ自分には価値がないという強迫観念を持ってる人たちがおるんや

2025-10-20

anond:20251020124202

定型発達であっても強迫性障害の人は自身強迫観念強迫行為について「こだわり」という用語をよく使う。

2025-10-14

繰り返し行動には、常同行動ASDなどの発達障害や、認知症ストレス不安などからくる目的のない反復行動)と、強迫性障害強迫観念からくる不安を打ち消すための行為)などの原因があります

老人になると顕著よね

毎週秋葉原行ったりしてるんだろうか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/frantic.im/remix-3/

機能存在すると "使い倒さないといけない" or "使い倒さないなら一流でない" と考える "謎の集団" が存在して、そういう声に流されてるからv18以降の機能追加に拒否反応を示してるんじゃないの

あるいは "ベストプラクティス義務である" みたいな謎の強迫観念を持っているとか…

Next.jsを勧めるわけではない(自分仕事ではNext.jsプライベートRemix v2ユーザーである)が、Next.js使用した上でもv18以降の機能使用はほぼ全てオプションだよ


ただ、Reactの開発がNext.jsに毒されていて本筋から外れている感じは否定しない

ここから来る害があるとしたら、非Next.jsユーザーからするとv18以降のReactは特に発展していないということだろう

トランジションAPI自動メモ化とか便利だし恩恵0ってのは極論すぎると思うが

2025-10-12

自他境界輪郭が定まってきた

自他境界輪郭が定まってきた。

専門家でもないし、ネット情報鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法定義が間違ってたらごめん。

自分の自他境界が薄いというのは社会人になってから気づいた。

ここ最近ではかなり思考修正ができてきたと思う。

自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。

それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深問題なんだなと思った。

自分がどのように認識して、どのようなプロセス改善されてきたか日記として残しておきたい。

私の場合自罰的・感情移入・尽くしタイプだ。

相手が不機嫌になると自分が悪いのではないかと思い込む

相手の話を自分事のように思い込む

・話のトーンに引き摺られやす

相手要求を断れない、または合わせようとする

相手を遊びに誘うことができない

などが主な自覚症状である

育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%パフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。

プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。

どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。

ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達対話していくうちに思考ベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。

例えば、以下のような流れを繰り返していった。

1.他部署から仕事の依頼をされる。

2.上司報連相する。

3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司説明してくれる。

3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。

4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。

また、請けることで得たかった安心材料が何かを考える。

認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)

5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。

4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。

「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分犠牲にして他人自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。

(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)

「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。

好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。

そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。

あと、こういうとき仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。

好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。

好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。

もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティ自分価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。

最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。

これは自分に置き換えるというのをよくやった。

自分仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。

お菓子とか物をあげてしまタイプの人であれば、自分お菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。

しかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEブロックするなり、上司相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。

自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである

長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。

何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身問題からだ。

他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。

本当に、人間として成長できたのが嬉しい。

物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。

表で仲良くしつつもSNS呪詛を垂れ流すようなことも必要ないので人間関係も安定している。

とはいえ、まだ他にも課題が残ってはいるのでこれからも引き続き矯正していこうと思う。

2025-10-07

anond:20251006143948

あーはいはい漠然とした不安漠然とした非難として出力されるやつね

本人が不安自覚してないと謎の焦燥感強迫観念だけ感じて、目の前の小さな問題レベルアップするけど、小さな問題を倒しても本体じゃないか無限リポップするトラップ

本体探して倒すしかないけど本体位置自分自身でもわからいから裏ダンジョンを2人で潜りながら最下層を目指す長い旅立ちへ行ってらっしゃい

2025-09-30

[]

今朝も僕は予定通り6時30分に起床した。これは単なる習慣ではなく、日内リズム最適化するための科学必然だ。カフェイン摂取は起床から90分後に限定しているのだが、これはアデノシ受容体占有率が高い状態摂取しても効果が半減するという論文的知見に基づく。ルームメイトは「柔軟な生活」を好むらしいが、それはただのだらしなさに過ぎない。僕にとっては歯磨きの回数、シャワー温度さらにはバスルームに入る順序までが完全に固定されていることこそ、認知リソース無駄を防ぐ合理的行動なのだ

午前中は例によって超弦理論計算に没頭した。今日の焦点は、compactified manifold における (E_8 \times E_8) heterotic string のゲージ束縛条件と、dS vacua における non-perturbative stabilization の整合性についてだった。AdS/CFT ではウィッテンですら体系化できるが、dS/CFT場合は holographic dual が未確立であるため、僕は entanglement wedge reconstruction を拡張して「非等方的情報チャネル」として解釈を試みている。問題は、有限エントロピー境界条件下で moduli space の measure が well-defined である保証がなく、結果として vacuum selection の基準が「人間原理的な便宜」に堕してしまうことだ。僕はこれを「観測選択効果の不当な混入」と呼んでいる。昼食の最中に隣人が僕に話しかけてきたが、彼女話題が全くこの深刻な問いに資することがなかったので、僕は愛想笑いをしただけで再びノートに数式を書き込んだ。

午後は研究から一時的に離れて、ゲームの進行管理を行った。昨日購入した「Baldur’s Gate 3」のパッチノートを熟読したのだが、Larian Studios が hotfix で Paladin の Smite ダメージ計算式を微調整した件は、Dungeons & Dragons 5版のルールブックを徹底的に理解している僕からすれば遅すぎる対応だ。Damage Dice の集計方法を間違えるなど、明らかに playtesting が不足している証拠だ。それに比べて「Stellaris」の 3.12 アップデートにおける人口成長モデル修正は、シミュレーション科学的に正当性がある。種族特性ごとの logistic growth モデルを導入し、資源依存性と結合させたのは評価できるが、まだ phase transition の扱いに粗さが残っている。こうした不完全性を見ると、つい僕が開発チームに直接メールを書きたくなる。

夜にはコミックの再読。今日手に取ったのは Jonathan Hickman の「House of X / Powers of X」。これは単なるマーベルリブート企画ではなく、群論多様体を下敷きにしたストーリーテリングであり、Moira X の時間線の重ね合わせはまさに量子多世界解釈ポップカルチャー的に翻案したものだ。普通の読者が「難解だ」と感じるのは当然で、群同型と射影の概念を知らずにこの作品理解できるはずがない。

一日の終わりに僕はいものように部屋のチェックを行った。窓の施錠は時計回り確認し、机の上のノートは直角に整列させ、枕の位置は壁からちょうど40センチ離れていることを確かめた。これらはただの「強迫観念」ではなく、環境を量子真空基底状態に近づけるための僕なりの実践だ。ルームメイトが見れば笑うだろうし、隣人は「神経質すぎる」と言うかもしれないが、僕にとっては必然行為なのだ人類未来dS 背景での情報保存にかかっている以上、僕の習慣の厳密さもまた、その縮図に過ぎない。

2025-09-27

不登校ガキから大学生になったけど、昔の方が気楽だった

小中ほぼ不登校高校進学校受験してなんとか卒業し、勉強はできたけど特にやりたいことがなかったか進振りのある東大に入った。

小さい時は社会とか人生に対する解像度が低いから、社会は未知の恐怖ではあったけど未知すぎて想像がつかず、我が子の将来を悲観する親の語り掛けにも心は動かず、とにかく学校に行かないで済めばそれで良かった。どうして学校行きたくないのかを自分でもうまく説明できなくて、親を怒らせたり悲しませたりするのは辛かったけど、自分の将来はどこか他人事で、自分大人になることも親が先に死んでいくことも現実味がなかったように思う。

学校に行ったり行かなかったりだったけど勉強はできたか義務教育後も進学して、進学校に行った。最初案の定全然行けなかったけど、授業は進学校だけあって面白かったし、勉強に集中していれば意外と学校も辛くなくて、高校にもなれば生徒も周りの子にそんなに興味ない上に真面目な校風ということもあって、いつのまにかちゃん毎日学校に通えるようになった。高校生の時は、あれだけ不登校だったのに毎日学校行けてるだけで十分だと考えていて、将来については相変わらず特に考えておらず、勉強に追いつけないとか親のプレッシャーとかで泣いている友達にあまり共感できなかった。一応自分毎日朝早くて嫌だなとか塾嫌だなとか当時は悩んでた気がするけど、今思えばそれほど大した悩みではなかったと思う。親が志望校にあれこれ口出してきたのはかなりストレスだった覚えはあるけど、それも今となってはほとんど忘れている。

勉強はできたし都内住みだから東大に入った。色んな授業を受けられるのが楽しかったし、同級生も大体みんな頭が良かったから話すのが楽しかった。交友範囲も行動範囲も広がって、一人旅に出かけたり、運転免許取ったり、アルバイトしたり、自分もまともな人間じゃんと思えるようになった。小中の時は学校に行かなくて済むならそれで良かった。高校生の時は不登校だった時に比べれば高校行けてるだけで偉いじゃんと思えていた。大学生になって、普通人間になれたと思った途端、将来が不安になってきた。しっくりくるサークルがなくて何にも入っていない。勉強楽しいけど研究別にきじゃないか研究者にもなれない。アルバイトガクチカになるようなものではない。自分の強みになるような、特別好きなこともやりたいこともない。不登校だった時に比べれば、という免罪符効果は完全に失われて、同級生と比べて劣った自分に気がついてしまった。

将来のことを考えたり、自分の状況を他者比較できるようになったりするくらい精神的に成長したということなんだろうが、こんなに不安で苦しい今より、現実逃避していることにも気付けないような不登校ガキの頃とか、元不登校免罪符勉強だけしていた高校生の時の方がよっぽど気楽に生きていた。学校に行くという当たり前のことすら出来ずに親を悲しませていた時より今はよっぽどマシな状況で、もし過去に戻れるとしても絶対戻りたくないけど、過去自分はどうしてあんなに将来の不安を感じられずにいたんだろう。高校生の時の悩みを今の自分は忘れているんだから、今の自分の苦しみも将来の自分は忘れているんだろうと思って耐えているけど、悩みのスケールが今後どんどん大きくなっていくんだとしたらそれはそれで苦しい。

不登校に比べたら偉いじゃんという無敵の理論がまだ使えたらフリーターだろうがなんだろうが働いて自立しているだけで偉いと思えただろうけど、普通人間しか東大生になってしまった今は、それなりに稼げる安定した職に就かなければならないという強迫観念のようなものを抱いてしまっている。新たな無敵理論を生み出せない限り、いざ良い仕事に就けたとしても、また出世とか成果に焦って不安になるんだろう。むやみに学歴を積まずに中卒なり高卒で働いていた方が、免罪符効果が続いていたのかもしれないと可能性ばかり考えて現実逃避を試みているが、いまいち効果は薄い。

2025-09-22

適応障害夫婦関係の記録 - 私の闘病日記

パパである私が適応障害になるまでと、なってからのこれまでを綴りました。

男女問わず同じように悩まれている方にとって、自身を見つめ直す機会になれば幸いです。

また、これは妻や家庭を責めるような意図ではなく、症状が発症するまでの状況と状態の記録となります

長文となりますが、必要な部分をお読みいただければと思います

文章自体AIで生成してます

【背景】病気の発覚まで

アラフォー、妻と子供の3人家族。これまで家庭が波風立たずに生活することを第一に考え、家事育児仕事を両立してきた。周りから見ると家庭状況や夫婦関係は良好で、夫婦間の会話が不足するということも一切なかった

妻は復職後、時短勤務である

平日も家事育児は半分ずつ、夜中に仕事を再開する。仕事が忙しいときは3〜4時間睡眠で朝は子供担当をするような生活だった。

夫婦として子供第一子育て必死状態であった。(祖父母には頼れない状況)

しかし、ある時期からひとりで家事をしていると突然希死念慮自死願望)が湧き上がってきたり、不眠や動悸・目眩が襲ってくる機会が増えてきた。そして、妻への愛情が薄れ、触れられることや目を合わせることができなくなっていた。

最初自分でも理由がわからなかった。ただ、一人になりたいという強い欲求があり、家庭から逃れたいと思うようになった。妻とは子供を介してでしか関係が成り立たないような感覚になっていた。

子供との関係は良好で私がワンオペでも問題ない。

心療内科受診し、**適応障害**と診断された。環境ストレスが原因で心身に不調をきたす病気であった。

ちなみに仕事へのストレスはなく、むしろ仕事をしていることが救いとなっている。

【転機】妻の気づきカミングアウト

当初、妻は私の異変に気づいていたようだが、精神的な病気ではなく、単に機嫌が悪いだけだと思っていたようだ。

しかし、私が病状を伝えると、妻は泣いて謝ってくれた。「すまなかった、これまでの自分が間違っていた」と言い、「2人でずっと一緒にいたい」と伝えてくれた。

その後、妻は行動を変えようと努力を始めた:

【苦悩】善意が招く苦痛

妻の努力理解できた。10年近い付き合いと様々な困難を乗り越えてきた経験から、以前の私なら心が動いていたはずであった。

しかし、現実は違った:

  • 涙は出るものの、どこか上の空で聞いている自分がいる
  • 妻の言葉が本当かと疑ってしまう(明らかに無理をしているように思え、今の頑張りが長く続かないのではと考えてしまう)
  • とにかく、独りになることを本能的に望んでいるようであった

さらに深刻だったのは、妻の「善意」そのものストレス要因になっていることであった:

私はその場では笑顔で応えていたが、実際は限界に近い状態であった。

危機性的プレッシャー希死念慮

問題として、妻は積極的スキンシップを取り、夜の行為も求めてきた。2人目の妊娠希望していた。

からは「すまないが、今は2人目の妊娠は考えられない」と伝えており、妻も了承してくれていた。

妻も夫婦関係を修復するための一環として行っていた。私は義務感で応じていた。

しかし、これが私を決定的に追い詰めた:

この頃、より強く離婚を考えるようになった。

  • 独りになりたい
  • こんなに辛い思いをするくらいなら家庭はいらない
  • そうでないなら死にたい

医師判断治療方針の転換

医師に状況を詳しく報告すると、深刻に受け止められた。これまでの経緯を整理して伝えた:

症状の経過:
医師判断

医学的には「妻や家庭と距離を置くこと」を推奨されているが、子供がいる手前、簡単離婚に踏み出せない。

現在の心境】感情分析

現在の私の状態客観的分析すると:

認知理解 vs 感情的反応:
離婚への思考
未来への不安

葛藤希望

この病気と向き合う中で、最も辛いのは「正解がわからない」ことである

現在感情が本物なのか、病気による一時的ものなのか。妻を傷つけることになるが、それが最良の選択なのか。子供にとって何が最も良いのか。

一方で、医師からの「治療上の環境調整が必要」という判断は、私にとって大きな救いとなっている。感情的な決断ではなく、医学的根拠に基づいた選択として進められるからである

ただ、医学的根拠があったとしても、子供のいる家庭を簡単に解消することはできないと考える自分もいる。

このままいけば鬱になるとも言われており、自分でも「鬱になるだろう」とは感じている。

今はまず妻に本音を伝えきることから始めようと思う。一日一日を大切に、自分の心と向き合いながら、最善の道を見つけていきたい。

本当はもっと妻と真剣に向き合い、時には喧嘩してでも本音を「伝える」ということができていれば良かったのだろうと反省している。

また明日が来たらいいな。

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この記録が適応障害治療中の個人的体験記録として、同様の状況にある方の参考になれば幸いですが、必ず専門医にご相談ください。

2025-09-15

毒親】 病気失業などで親子の縁を切られる実例はあるそうだ

病気就職失業結婚など、子供に降りかかった困難に対し、毒親は「親子の縁を切って保身に走る」という実例があるそうだ。

Genspark(AI)で聞いてみたら、興味深い回答が出てきた。

#内容をそのままコピペする行為著作権に引っかかるので、かなりざっくりまとめた。

AIから引き出してくれた、WEBサイトの参考記事

①  NHKハートネットに寄せられた体験談

https://heart-net.nhk.or.jp/heart/voice/category/topics/15_4/new_voice_6483/

② 【毒親から逃げる】実は家族と絶縁する人は意外に多い。なのに絶縁を人には言わない決定的な理由書籍オンライン編集部セレクション

https://diamond.jp/articles/-/343516

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毒親の身勝手動機

とくに精神的な病気に関しては、親のあまりにも身勝手動機で絶縁したというデータもあった。


AIがまとめてくれた、毒親の特徴

自己愛世間に対する強迫観念
毒親代表される「自己愛人格障害」の特徴
子供の困難や欠点に対する毒親の態度


おわりに

実は俺も当事者被害者であり、AIから最後メッセージを添付したい。

あなた自身問題があったわけではありません。
しろ、このような環境で生き抜き、客観的に状況を分析できるまでに回復されたことは、大変な強さと成長の証です。」

2025-09-05

AIによって一番世の中が変わるの、仮想世界ができたとき

AIによる社会の変化は色々議論されてて、一番言われてるのはプログラマー始めとしたホワイトカラー失業

もうちょっと長い目で見ると、AnthropicのCEOが書いたエッセイ言及された、医療・製薬の飛躍的な進歩もあるだろう。

ただ、自分が一番デカいと思ってるのは、自分以外AI仮想世界で暮らせるようになること。

SAOのアリシゼーション的な。

そうなったら、承認欲求所属欲求恋愛欲求とかを仮想世界で満たせてしまって、現実努力する意味はあるのか? みたいな議論が発生しそう。

そんなんまだ先でしょ~と思う人もいるかもだが、SAOみたいなフルダイブVRじゃなくても、マインクラフトとかGTA的なゲームの中にAIプレイヤーが数十人くらいいて、状況に合わせたチャットができるようになれば、それでもう現実と同じように満たされるんじゃないかなあ。

チャットだけですら、恋愛になってる人が観測されてるんだし。




追記

ちょっと伸びてきたので、関連しそうな面白い記事を貼っておく

23/04/15 AIバースAI時代キラーコンテンツになるだろう

https://six-loganberry-ba7.notion.site/23-04-15-AI-AI-c4ae9ae6f7374f2d90ba0f5ba9ee84d1




追記2

hatebu_ai 惜しい。どちらかというと、自分以外全員AISNSを使うのがデフォになる未来想像したほうが早い。それこそバンナム2020年SAOプロモでやったやつ https://japan.cnet.com/article/35155882/ とかこれ https://aitter.chatls.com/ とか。

かに。言われてみれば、文章画像をやり取りできるくらいでも承認欲求/所属欲求/恋愛欲求は満たせそうだし。なんかいい感じに褒めてくれる創作コミュニティAIで作るとか。

実際、VRSNSがそんな変わらないことを指摘してる方もいるし。

実はVRと変わらないSNS

SNSは、実はそれ自体がある種の仮想現実空間で、一度趣味でハマるとそれを中心に生活が回ってしまったり、仕事依存すれば常にそこで活動しないといけないという強迫観念が生まれたり、頼んでもないのに24時間メッセージが送られてくるという意味では24時間強制的接続されているネットゲームでもあります。ところが大抵のSNS別にリッチメディアではない(VRゲームのような「絵」や明白なアバターがない)ので、実質VRであるのにも関わらず、まるで無色透明ネットサービスであるような錯覚を覚えます

どの仮想現実フィクション今日ネット侵食された社会を予見できなかったということ、パーソナルじゃなくなってしまったコンピュータ20年後を考える - Sta @ Bit192

https://note.com/naclbbr/n/n257bb1f35453

2025-09-04

ソフトを買わないとという謎の強迫観念がある

20年来の Xbox ユーザなんだけど、360 後期 ~ One 時代マルチプラットフォーム日本語版だけ出してもらえない時期を経験してるから

特にシリーズ物は、発売日にとりあえず買って、メーカーに忘れられないようにしないとという謎の強迫観念を持ってる

そんなに買っても結局やる時間が確保できないし、いざやる時になったら Steam で安くなってるから Steam で買いなおして SteamDeck で遊ぶとかしちゃってるんだけどね

2025-08-29

anond:20250829170717

そもそもソープ行ってるだけだし

毎日ED薬その1シアリス5mgを飲んで

当日はED薬その2レビトラ20mgを飲んでなんとかしているだけ

薬飲んでもできなくなったときに「若い頃無理にでももっとやっておけば・・・」って後悔したくないか

その強迫観念で頑張ってしまっているだけ

虚しい人生だよ

こんなもの捨て去ってしまった方が正しい人間だよ

2025-08-28

他人創作文句言う人、多いよね

あれ、不思議なんだよなぁ。

面白くない、つまらない、キモいって思う要素あったら見るのやめるよな。

なんなんだろうなー、あれって。

見たくないけど流行から見なきゃいけない!っていう強迫観念にでも囚われてるんかな?

人間として何かが壊れてると思う。

多分、現実でも、やめたい仕事をやめれずに続けてる。

 

みんなも、増田キモくて耐えられなかったらやめるでしょ?

俺はそこも面白いと思うからやってるけど。

セックスしなくちゃ!!(義務

仕事ストレスで一時期EDになって、数年経って薬使えばなんとかできるぐらいまで回復してきた

一度ちんこの終わりを見たので、やれるうちにやっておかなきゃ!!!という強迫観念がけっこうある

というわけで、今日もさほど行きたいわけではないがソープに行ってくる

2025-08-14

副鼻腔炎が怖すぎてハナクソほじるのが辞められない48歳ってどう思う?

23の時に酷い副鼻腔炎をやってね。

インフルエンザかと思って寝込んだんだがどうにも治らんから医者に行ったら「いわゆる蓄膿だね」と伝えられた。

ネブライザーであっさり治りはしたんだが、癖になったのか半年後にまたやってね、その時医者から「鼻水をすすると副鼻腔に戻っちゃうからなるたけ鼻を擤(か)むといいね」と言われたんだ。

そこから鼻水を少しでも出そうとする強迫観念が生まれてさ、なんかハナクソも放っておけなくなったんだよな。

鼻が荒れたりバイキンが入るリスクも分かってるからなるたけ風呂場でふやかしたあとでほじくり出すようにしてるんだが、残業中なんかについついほじってるこもあってな。

アラフィフハナクソホジホジオサンってのは現代怪異だなと。

どうしたらいいのかなあ。

2025-08-07

anond:20250806164749

なんか公式絶対に金を落とすべきみたいな強迫観念みたいなのを感じる

資本主義論理内面化しちゃってるというか

自分思想が友人側に近い

違法コピーとかでもない限り、正当に楽しむなら良いと思う

2025-08-05

dorawii@執筆依頼募集中

「今期は~」とか言ってアニメを全部見る人の神経が分からない。

アニメなんて一元的データベースでまとめられてるんだからから見たいと思った時にそこから探してみれば十分間に合う。

よってそこまで必死強迫観念じみた視聴意欲は湧かない。

逆に漫画は全出版社登記簿なんて存在しないし各電子書籍サイト独自配信とかあるし電子書籍サイト自体どんだけ調べても自分が全て知っていることを担保/確認できる手段はないしで、

なるべく自分の好きな漫画出会確率を上げるように毎日必死で発掘作業に勤しむってのは自分の事だしわかる。

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https://anond.hatelabo.jp/20250805163222# 
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-----END PGP SIGNATURE-----

2025-08-02

木っ端の身の上話

まず予防線を張らせてもらう

まりにも情けない話なので友人知人にはとても話せないし、かといって医者にわざわざ話すような内容でもない

更にはネットにはありふれてて面白くもなんともないただの自称弱者のなんのヤマもオチもない身の上話にすぎない

でもどっかで吐き出したい。まとまってすらいない。ただそれだけの記事

まぁポエムみたいなもんだと思ってくれ

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俺はアラサー童貞というネットには掃いて捨てるほどいるごく普通のいわゆるキモオタである

10歳ぐらいの頃に同学年ほぼ全員と上下1学年の約半数以上から汚物扱いを受け見事に社会不適合者になった

1クラス約30人で1学年2クラスだったから、だいたい100人強ぐらいには嫌われてた計算になる。まぁ数字はどうでもいい

きっかけは自覚のある範囲だとやや太り気味で運動が苦手だったとかその辺だろうと思われる

例によって自覚のない何かもあっただろうが、当時の絵に書いたようないじめっ子連中とは当然もうつながりは無いので確認のしようはない

最初こそただの爪弾き者くらいの扱いだったのが、俺がロクに抵抗しなかったばかりにどんどん風潮は大きくなっていき、

最終的にはあまりの嫌われっぷりにイジメらしいイジメすら起きなかった

誰も俺には近づきたがらないし俺の使っている机や道具類も等しく汚物扱いだったので、イタズラに触ろうとする人間なんかまずいなかった

無論そんな環境で心地よく過ごせるはずもなく、教師や親に相談したこともあったが、返ってくるのは決まって「考えすぎ」の一言

そんなわけ無いだろという気持ちもありつつ、特に跳ねっ返りでもなかった俺は割と素直にその言葉を飲み込んでしまった

結果できあがったのは「俺が辛い思いをしているのは自分の考えすぎ=自分のせい」である

加えてクラス人畜無害枠だと思っていた子からもやんわりと拒絶されたことで完全に自分自身を含めた人間不信に陥る

一挙一動、身動ぎ一つですら何を言われるか分かったものではない状況を乗り越えるために身につけたのは、

とにかく他人と関わらないこと。自我を出さないことだった

休み時間動作を最低限にできる読書に費やし、やむを得ず移動等が必要になった時は可能な限りこちから距離を取る

相手に嫌な顔をされるのは俺も嫌だったし、徹底的に嫌われ者としての義務を果たした

最終的に不登校に行き着き、数ヶ月の後説得に負けて登校したらなんかみんな大人しくなってた。学級会でもあったんだろう

それ以降は大学に至るまでそんな扱いを受けることは無かったが、俺の対人関係価値観は完全に歪みきっていてまともに友人も作れなかった

唯一小学校の頃から気にかけていてくれたやつはいたが、普通友達も多いやつだったので自然と疎遠になった

そいつは気づけばLINEアイコンで赤子を抱いていたのでまぁ、そういうことだ

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今ではだいぶマシになったけどそれでも根本的に自分が信じられなくて、そのせいで人も信じられないクズであることは変わらず

特に当時比較的イジワル路線だった男性陣よりも、心の底から嫌悪感をあらわにしてきた女性陣に対する距離感というのは完全に壊れている

いくら歪んでいるとはいえ俺も一応ヘテロ男性ではあるので、女性を好む気持ち自体普通にある

ただし俺の中にある異性とのコミュニケーションの最適解が「そもそも関わろうとしない」になってしまっている

他人にとって俺と関わることは不幸であるという価値観がどうしても抜けず、本当にその人のことが好きなら好きになってはいけないみたいな訳の分からん事になってる

理屈としてそんなコミュニケーションおかしいと理解はしているが、あのとき向けられた憎悪にも近い嫌悪感情がこびりついて離れない

一度嫌われ者になると挽回は非常に困難で、そんな状況では自発的な行動は逆効果である感覚的に学習してしまっていることから基本的には相手から仲良くしようと歩み寄ってくれるのを待つことしかできない

だというのにせっかく褒められたりしても素直に信じられず、自分から距離を取るような真似をしてしま

挙げ句に完全に擦り切れた自尊心故に自己顕示欲も強い。本当に救いようのない人格である

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だが、一時期から自分自身ではなく自分の作り出したものを間接的に評価してもらうのは割と素直に受け入れられる事に気づいた

幸いインターネット環境はありデジタルにも強い方だったので、文字なり絵なり、パソコンでできる創作は色々試した

結果、趣味同士のコミュニティになんとなく加わることに成功した

ネットには俺みたいなはぐれものが多くいたし、特に親しくならずともふわっとした関係でいられたので大変居心地が良かった

その辺を駆使し続けてなんとか15年くらい自我を維持してきた結果、この数年で急に親しい友人が増えた

幸か不幸か、嫌な人間を見る機会は大変多くあったためそれらを反面教師にすることで、表面上は割とまともな人間に見えるようになっていたらしい

とてもありがたく嬉しいことなのだが、まともに人間関係を築いてこなかったために考えたり覚えたりすることがものすごく多くけっこう大変だった

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そして交友関係が増えると自然に目に入るようになるのが色恋沙汰である

つい最近まで上記のような人生を送ってきたために、自分はもちろん他人事ですらその様な事象とはほぼ無縁だったが、じわじわと俺の認識に入りこんできた

そのあたりはとうに諦めたつもりでいたのだが、そもそも現実出来事認識できていなかっただけのようで、急に焦りのようなものが出てきた

挙げ句、割と付き合いの長かったやつがいつの間にか同棲を始めていたなどのイベントも重なり、いよいよ自分の化けの皮が剥がれ始める

これまた幸か不幸か、ちょうどなんとなく関係の良い異性が一人いた。焦りもあって生まれて初めての告白をしたところ、通ってしまった

かつての汚物扱いをそのまま引きずっていた俺は、この期に及んで人間に戻れる可能性を見出ししまったのである

まぁその後のことはなんとなくお察しの通り、こんな状態からいきなり異性とまともに関われるはずもなく

交際開始から1年と経たないうちに振られる形となった

自分を好いてくれる人間などいるはずがないという強迫観念に打ち勝つことができなかった

逆に、自分が誰かを好きだと思う気持ちへの疑いすら拭いきれなかった。自分から告っておいてあまりに失礼である

それまで思い込みの側面が強かった自分の不出来さを、実例をもって実感と成した。ある意味では収穫だった

そんな誰にでもあるようなイベントを、三十路になってようやく初体験することになった

これをまだ可能性があると見るか、最初最後のチャンスをフイにしたと見るか、その辺りはまだ咀嚼できていない

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これだけ恵まれているというのに心の自傷行為をやめられないのも結構つらい

いかなる希望絶望の種にしかならないと、浮かれかけた心を自分で痛めつけてどん底に沈んでいく行為なのだが、これが妙に心地よくてならない

ここ10年ほどは鳴りを潜めていた悪癖なのだが、また出てきてしまった

ともかく、人間には戻れなかった

この様なことを言うのは仲良くしてくれている人たちに物凄く失礼なのだと頭では理解しているが、それでもこういう物言いをしないと心が耐えられない

もし俺が本当に人間なのだとしたら、この不出来さを説明できない。ありえないことだと

人間になりそこなった何かなのであればまぁ、はじめから社会から外れたところに居ると思えるからまだマシ

結局のところは努力も何もかも足りていないのだろう。全くしていない訳では無いが、客観的にはそういう結論になると思う

だが幾度となく努力に裏切られてきた経験が、あの頃からボロボロのままのメンタルに重くのしかかってくる

それも考え方の問題なんだろうが、俺の一番の問題はその考え方の部分がなんかおかしなっちゃってるところなので困っている

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ここまで書いてちょっと冷静になれた

医者にわざわざ話すような内容でもないとか言ったけど、これはもしかしたら話していい案件かもしれないな

お目汚し失礼しました

俺のことは忘れてくれ

2025-08-01

anond:20250801173717

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8A%E3%81%84#%E3%82%84%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F

坂田靖子主宰する漫画同人会ラヴリに、会員の磨留美樹子の描いた『夜追い』(夜追)という漫画があり[5](波津彬子は、意味はよくわからないが独特の色気がある作品と評している)、真面目に付けられたタイトルだが、作者自身が後に「ヤマもオチ意味もない」とタイトルに当てはめていったと語っている[21]。当時は同人誌の参加者はたいてい漫画家を目指しており、漫画雑誌投稿すると編集担当者から「ヤマがない」「オチがない」などと批評されており[21]、編集者はストーリー構成に厳しく、書き手には山・落ち・意味をきちんと備えたものを書かなければならないという強迫観念があったといわれる[22]。こういった状況を背景に、ラヴリの仲間内でシャレとして「ヤマもオチ意味もない」という意味で「やおい」という言葉流行った[21]。

2025-06-03

https://anond.hatelabo.jp/20250602193108

ASグレーゾーン

強迫観念持ち

これが事実であるならば

特定人物キャラクターに入れ込む推しオタクと、

流行っているアニメなどのコンテンツを履修して

間内で語り合ったり

青い鳥の居なくなったSNSで所感を投稿するといった

範囲サブカルコンテンツオタク兼業していても、

何ら不思議はないと思う。

診断済みADHD当事者で、

診断済みASDを含む当事者どうし交流がある者としては。

2025-06-02

anond:20250601104514

まあ、十中八九年齢によるものがあるのだろうけど

ここまで理解できているのにあと一歩足りないせいでただの呪詛になっている。自分過去無自覚否定するのは悲しいことなので是非もう一歩進めてもらいたい。



以前のオタク比較すると、愛を語るのに「お金を多く払うこと」「消費をすること」が重要になってきている肌感がある。

増田所謂推し活を楽しんでいた4年くらい前、むしろそれ以前からそうだ。ただ楽しみに夢中でそれが見えていなかっただけで。ただ別にそれは悪いことでは全くない。後悔するのは自由だが、自分が通った道を現在通っているものに対して呪詛をまくのは、過去自分否定するのと同じことになるのであまり健康的ではない。せめてそれは自覚しよう。

自分が楽しかった過去は大切にしていい(というか大切にしてそうだ)が、「昨今の推し活」を否定するのは無意識に楽しかった過去否定しているのと同じだ。気付いていないだけで大して状況は変わってない。変わったのは増田だ。



生身の人間キャラクター化して消費するようになってきている

こんなんも元からだ、というかこれこそ遡れば数年どころじゃすまない歴史があるだろう。というか推し活をしていたなら増田もしています自覚があるかは知らないが。


ちょっと前に九月さんを発端とした「メロシコ論争」があったが

いわゆるメロいシコい主観化とジャッジの話で、キャラクター化の話ではないのでは?キャラクター化って属性付与みたいな意味で話してるよね?

この章なんか無理矢理書いてる気がする、あまりすんなり読めない。


「生身の人間キャラクター化すること」の恐ろしさ・おぞましさ

キャラクターって性格とか特徴の話だとして、生身の人間からそれを排除した時残るものって何?美醜?ルッキズムこそ大切にすべしみたいな話?

例えば増田の父や母が増田に対して見せる「父」や「母」といったキャラクターって悪なのか?もしそうだと考えてるならそれでいいけど...

タイトルでせっかく「キャラクター化」と「消費」と書いてるのに、おそらく増田が悪だと感じてるのは「消費」の方じゃないか?それがよく自分でも理解できてなくて「キャラクター化」を本題にしちゃってる。



SNSオタクのつながりが可視化されるようになって猶更

繰り返しになるが4年前とそこまで状況は変わらない。これだって10年以上前からSNSオタクのつながりなんか盛り上がっている。

「すべてを履修しなくては推しを名乗れない」ことが増えてきている。

そんなものはない。勝手強迫観念一般的認識のように語るのはあまり良くない。もし増田コミュニティにそんなことを言うやつが多数いたのならそれはキチガイばかりのコミュニティだというだけだ。そんなルールがもしあったとしたら、それを言い出した奴の方が狂っている。



まあ、平たく言えば自分が昨今のオタクコンテンツに向いていないんだろうなあ。

まりゴチャゴチャ言うつもりはないが基本的に、まともに働いたり、まっとうに人生を歩めばいかなるものとも距離の変化は生じる。それは経験を積んで高度化した仕事だったり、恋人だったり、あるいは結婚子供だったり自分との距離が近くなるものが新たに出来てしまうからだ。まぁ後普通に飽きとかもあるだろうが...

ここに増田が書いてある論点で見る限り「昨今の推し活」と「増田がハマっていたころの推し活」にそこまで変化はない。(勿論コンテンツは変わっていくが)

ただ見えていなかったものが見えるようになっただけだ、だからといって自分否定することも、今推し活に興じているオタクを腐す必要もない。楽しかった思い出を大事にしていればそれでいい。

2025-06-01

推し活にハマれなくなってきた

最近推し活」というのが世間的なブームになってきている。ってか最近でもないかもしれない。

ホテルカフェでは「推しプラン」というのができ、推しぬいぐるみに着せる服は100均でも売るようになった。

かく言う私も4年前くらいは、すすんでぬいぐるみを買い写真を撮るなどしていたのだが、

最近はそのブームに対して忌避感を覚えるようになってしまった。

まあ、十中八九年齢によるものがあるのだろうけど、整理するために書いていこうと思う。

推し活という名の消費自慢になってきている

ソシャゲVtuberスパチャに代表されるが、お金を払うことがオタクアイデンティティになってきてしまっている。

以前のオタク比較すると、愛を語るのに「お金を多く払うこと」「消費をすること」が重要になってきている肌感がある。

まあAKBCD商法とかあったけど、それがアニメゲームなどの二次元コンテンツにまで入り込んできてしまっている。

だいたい、消費活動をすることはいいけどそれを「推し活」とかいキラキラワードにして、競争のような状態にさせて、

あげくのはてにプリキュアのような子供向けコンテンツでそういうことを事前に勉強させるのってよくないんじゃない?

と思ってしまう。

加えてメディアに煽られた大手企業が「推し活」をターゲットとしてどんどん消費活動応援するようになっている。

こう、上手く言語化することができないんだけど、歯車に組み込まれしまったような気持ち悪さを感じてしまう。

②生身の人間キャラクター化して消費するようになってきている

グループYouTuberの話だが、その中に一人生得的に不器用な方がいた。

YouTube企画の中でも何度か不器用さがわかるエピソード披露したりするのだが、

コメント欄を見ると「かわいい」と言われていた。

(ちなみに、その方は成人男性である

コメントをぱっと見たときには「ふーん」くらいに感じていたが、だんだんかみ砕いていくうちに

「いや、人の不器用さに対して『かわいい』ってなんだよ」と思うようになってしまった。

自分経験と被ったからかもしれない。

ASグレーゾーンのため、時々人の気持ちがわから発言してしまったりしたことがある。

そのたびに「天然」「かわいい」と言われてきた。こっちは真面目にやっているのにだ。

ちょっと前に九月さんを発端とした「メロシコ論争」があったが、男性女性わず

「生身の人間キャラクター化すること」の恐ろしさ・おぞましさにもっと自覚的になるべきではないだろうか。

一生懸命にやっていることを褒めるつもりが、ぬいぐるみのようなものに押し込める行為になってないか

私は不安になってきてしまった。

③履修に対するハードルが高すぎる

社会人になってから特に感じるのがこれである

ゲーム動画アニメドラマ映画無限にあるのに、履修スピードが追い付かない。

というか、全部履修しなきゃって思ってしまうところがあって、流行ってるアニメを見ることが義務になってきてしまってる節がある。

逆張りしたくないんだけど、流行ってるコンテンツ流行ってる時に見ることのハードルが相当高いし、

相当しんどいものがある。

また、ソシャゲに関してはイベントが多すぎる!いやマジで働いているオタクソシャゲやるのどうやってんの?ちゃん仕事できてる?寝てる?

ソシャゲソシャゲで一つで完結するのではなく、別作品とつながってたり舞台化とつながっていたりと、

つのコンテンツでも履修をするハードルが高すぎる。

SNSオタクのつながりが可視化されるようになって猶更、「すべてを履修しなくては推しを名乗れない」ことが

増えてきている。

軽ーい強迫観念持ちとしては「これも履修しなきゃ」と義務になってきてしまい、「愛」とは一体…?というような感じになってきてしまっている。

まあ、平たく言えば自分が昨今のオタクコンテンツに向いていないんだろうなあ。

でも、今までずっとオタクだったかオタクコンテンツに乗れないとただの「無」になっちゃうよ~という恐怖感がある。

似たような悩みを持つ人がいたらうれしいなと思い、筆をおきます

2025/06/03 追記

なんか思ったより多くの反応をもらってびっくりしてます

こんなにお気持ち100%(しか日本語下手)なのに読んでくれてありがとうございます……。

わかるよっていう人がいてちょっとうれしかった。下手なりに言語化はしてみるものだなあ。

「そんなに人のこと気にしなくてよくない?」って反応が一番多かったかな?

めちゃくちゃわかる!平たく言えば最近流行についていけなかった個人問題から

他人のこととか評価とか気にしなければいいよねっていうのも頭ではわかってる。わかってんだけどな……。

わかってるんだけど、強迫観念が常に付きまとうようになってしまってるんですよね(これもお前個人のせいだろと言われたらぐうの音も出ない)

他人のことを気にしない、でいるにはSNSで個々の世界がつながりすぎてしまって、

新グッズが発売されたりイベントが起きると札束ではたき合うオタクが見えてしまって、

それを「人は人、自分は自分」で片づけられるほど私は心を強く持つことができなかったよ。ごめんね。

あと、「コンテンツ慈善事業じゃないから、お金を費やさないと…!」っていう意見もあった。そうだよね、営利企業だもんね。

でも、自分含む多くのオタクが「支えなきゃ支えなきゃ」ってしていたコンテンツが、

かじ取りを間違えて変な方向にアピールし始めて、サービス終了して、オタクの恨み言があふれるようになって……。

っていうのを何度か経験たからもうそんな純粋気持ちになれないや。

推しに対しての愛は本物だと信じたいし、あの時推しオタクをしていて楽しかった気持ちは本物だけど、

その代償に自分暮らしメンタル犠牲にすることを是とする風潮はちょっと変じゃない?と思うようになってしまった老年期のオタク独り言でした。

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