はてなキーワード: 政治不信とは
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3. ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5. 過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷 韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷 トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷 イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある 日本、英国、サウジなど 比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた 韓国、イラン、バルカン諸国など 記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強い ラテンアメリカ、バルカン、東欧 王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある 韓国→日本、イラン→湾岸諸国など 政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→ 国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国 日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国 日本、タイなど 高い(主に歴史もの) 清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イラン サウジ、ヨルダンなど 中〜高 イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコ ヨルダン、湾岸諸国 中 オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカン スペイン、英国、モナコなど 中 王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
参政党、神谷宗幣の本質は、反移民として語られる排外主義よりもっと根深いものであると思う
そう思った根拠を書いていきたい
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
ぼくらが、はてなで面白おかしくワイワイ手斧を投げていられるのも日本国憲法のおかげ
自主的な検閲などはあるものの、国家権力は今の所、静観している
なんと言っても憲法に定められている権利だから、国家とは言え易々と制限は出来ない
すべて国民は、主体的に生きる自由を有する(包括的な自由権との解釈である)
権利には義務が伴い、自由には責任が伴う、権利及び自由は、乱用してはならない
(日本国憲法では権利や自由は、原則として公共の福祉(公益)による制約があるとされた。
本憲法においても、権利や自由は、本憲法が定める公益と適合する範囲に限られ、乱用を禁止する趣旨である)
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第二章 国家
前項の公益は、次の二章及びこの憲法全体を通じ、国民生活の基盤確保及び国まもりを目的として規定される。
日本国憲法で、公共の福祉は第三章の国民の権利及び義務の中で定められるが
新日本国憲法では第二章の国家の中で国まもりを害しない範囲と定められている
では、参政党の言う国まもりとはというと
神谷宗幣の令和7年8月1日の「共産主義及び文化的マルクス主義の浸透と国家制度への影響に関する質問主意書」が参考になる
この質問書において神谷は、ジェンダー平等やダイバーシティ、多文化共生などは共産主義及び文化的マルクス主義が仕掛けている攻撃とみなしている
政府として、自由民主主義体制を守る観点から、共産主義思想やその文化的変種(文化的マルクス主義)による国家秩序の内側からの転覆に対して
彼は国まもりのためには表現の弾圧、思想の強制なども厭わないことが予想される
今、参政党はアニメなどの日本のコンテンツの輸出を促進すると言っているが
最強の矛が国まもりであり、全ての表現は身を守る盾を持っていないのだから
VISAの問題であれだけ吹きあがるネットが、はてなが、これで吹きあがらないのが、ただ不思議でならない
確かにVISAと違い今、起こっていることではないが、起こった時のダメージはVISAとは比べ物にならない程大きい
参政党を移民問題と絡めて排外主義などというがそれは、些細なこと
参政党、神谷宗幣が目指すのは、彼が妄想する古き良き日本・強い日本であり、その障害になるものは全て排除する
民間企業がビジネスを盾に検閲を行えば怒り狂い、首相に酷い野次を飛ばした人間を制したら怒り狂う
この表現の自由を愛する日本において、最も強力な表現の弾圧を行う可能性がある参政党、神谷宗幣が大きな支持を集める
ここまでにポリコレや経済、政治不信、外国人、色んな問題が絡まり合った結果だと思うが
最近のホームタウン騒動を見てなんかモヤモヤが溜まって、参政党に投票する人たちの気持ちがちょっと分かった、という話
最初はなんだかネットで燃えてるなぁーって感じで、遠巻きに見てた。まあ、いつものSNSの炎上だろくらいに思ってスルーしてたけど、昨日になってNHKとかが否定したニュースを見てようやく詳しく知ったという経緯
報道見てると「またSNSによる悪質なデマで移民推進という誤解が広がってる」みたいな感じでまとめられてる。政府側が「そんな計画はない」って否定してるんだからデマだって流れ
でも、それおかしくね? って疑問が湧いた。だって、ナイジェリア政府の公式発表や現地メディア、BBCなんかが「移住用の特別ビザが発行される」とか言ってるんでしょ?(これはNHKの記事の中でも一応触れられてる)
誤解してるなら自国民じゃなくて向こうの政府側では? トランプ関税みたいに合意文書作らずに解釈食い違っちゃったんじゃないの? って、不信感がジワジワ出てきた
で、さらに追い打ちをかけたのが、いわゆる「良識派」の人たちの言動。
「こんなデマに躍らされる情弱が〜」って揶揄して「ゆる自民」とかいう非公式応援アカウント(なんだそれ)が、丁寧に画像まで作って「あなたたちは不安ビジネスに踊らされてるんです!」って張り出してる
「石破さんや外務大臣が頑張ってるのに、デマのせいで外交が台無しに〜」「ただの姉妹都市みたいなものなのに、国益損ねてるのはお前らだぞ!」みたいなさ
いや待て待て、デマならそれを公式に発表してたナイジェリア政府のほうがよっぽど外交問題だろ? なに内弁慶でキレてんねんって思っちゃう
要するに、いつもの「SNSの悪質なデマ」っていう構図に持っていこうとしてるんだろうな。これも、悪意があるわけじゃなくて、ただの熱心な自民党支持の推し活が行き過ぎただけなんだと思う。(推しを擁護をしようと、ついこういう言動しちゃう全肯定ファンを腐るほど見てきた。それの政治版か)
アカウント見ると、自民箱推しみたいな界隈で、今の「良識的」自民を応援してる人たちみたいだし。
決定打になったのは、「ホームタウンで騒いでたのは外国勢力の介入だー」って言い出したこと。根拠が「あんなマイナーな国や自治体の話で騒ぎになるのは不自然」「日本政府の外交を邪魔して得するのは中露だから」みたいなさ
え、それこそ陰謀論じゃねーの? 点と点を無理やり線でつなげてるだけじゃん。一応、向こうの政府の公式発表っていうソースをもとに懸念してた人たちより、根拠ゼロのそっちのほうがデマだろ
あぁ、これは政治不信になるわな、って実感したよ。こういう経緯でマスコミや政府の言うこと、「ファクトチェック」が恣意的だって思った人が、参政党支持に流れるんだろうな
共産党みたいに万年野党で支持率2%くらいなら、俺も抗議の意思表示として参政党に一票入れてたかもしれない。今はもう支持率的には野党第一党だし、抗議票にならない可能性が高いからやめとくけど
良識派さんたちは本当に「デマを信じる愚かな人」を減らしたいならもう少し振る舞い考え直したほうがいいよ、というのが俺の感想です
先日話題になっていた「『就職氷河期世代』 問題の本質とは何か?を読んで感想」の増田。元ネタの対談記事の内容も濃く、増田の文章も長いので、時間がない人向けにポイントをシンプルにまとめてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20240513185348(←元増田)
この増田は、対談記事を読み解きながら、自身の経験も交えて現代日本の構造的な問題を論じている。要点は以下の通り。
結論として、この増田は「対談記事の統計的分析は認めるが、政治的な視点が抜け落ちた『御用学者』的な内容。鵜呑みにせず、多角的な視点を持つべき」と主張している。
この投稿に対して考えられる、さまざまな角度からの意見をまとめた。
以下の投稿ははてな匿名ダイアリーの投稿です。
これを、冒頭にある話題の元となった対談記事を考慮した上で、過不足なくシンプルに要約した上で、肯定的な意見、否定的な意見、中立的な意見でまとめてください。
結果ははてな匿名ダイアリーに投稿できるような形で成形し、はてな匿名ダイアリーのユーザを想定して読みやすくしてください。
他にも設定がはいっていたり、俺の過去投稿の影響を受けているのでこれを入れても同じにはならないと思う。
Chat GPT に要約させたのはこっち → anond:20250812094756
尖ってる度ならChat GPTだけど、Geminiは実用的って意見があるが、そんな結果が出てきたな。要約としてはこっちの方が優秀。
ここでも、AIが指摘している否定的な意見は、元増田はわかってて敢えて書いてるだろうなってニュアンスを感じるんだけど、そこまではAIは読めてない感じがするね。
その気持ちも凄くよく分かるんだけど、もうちょっと調べてくと、実は社会学も、なんなら化学も工学もこの世界の事なんて全然分かって無いって事が見えてくるから、学問への捉え方が変わるよ。(数学は別)
特にこの話は、現状をつぶさに調べてこうだ、と予測して、今日の延長線上に明日があると仮定して外挿しているに過ぎないので「どうしようもない」と言うことを確定的に捉えるのはあんまりよろしくない。
たぶんこの人達がITバブルの頃に活躍してたら今後ITは伸び続けると言っただろうし、リーマンショックも予想出来なかったと思う。習近平が法を変えてまで独裁を続ける事も、オバマ→トランプ→バイデン→トランプの流れも、安倍元総理の殺害とその後の政治不信も予想できてなかった。
で、今はたぶん、情報・工学系の専門家が言っているAIとロボティクスによる革命を織り込めてない。
でもそれはここでは有るべき姿として求められてないから、問題ではなくて。この人達は既存の政策を評価することが専門だから、そこは専門外なんだよ。だから素人に毛が生えたぐらい。
元のサイトはそう言う事を暗黙の前提にしている感じがあって、それを分かっているから対談されている先生お二人ともこんな感じなんじゃないかと。
Q.
ある政治家が対立する政治家について 「(内面も)醜く奇妙な生き物」 と評価したことが議論を呼んでいます。 発言した政治家は 「外見のことを言ったのではない。行動が醜く奇妙だと評価しており、政治家への批判として妥当な表現だ」 と補足したのですが、この主張についてどう思いますか?
A.
この政治家の発言とそれに伴う主張について、いくつかの観点から考察します。 発言そのものの問題点 まず、「醜く奇妙な生き物」という表現自体が、たとえ内面を指していると弁明したとしても、多くの問題を含んでいます。 非人間化(Dehumanization)のリスク: 相手を「生き物」と表現することは、相手から人間性を剥奪し、議論の対象ではなく破壊や排斥の対象と見なす非人間化のレトリックに繋がりかねません。これは、健全な民主主義の基盤である、相手を対等な議論のパートナーとして尊重する姿勢とは相容れないものです。歴史上、このような言葉が深刻な対立や暴力を助長した例は少なくありません。 言葉の多義性と意図: 「醜い」という言葉は、外見と内面の両方を指しうる多義的な言葉です。発言者が「内面のことだ」と限定しても、聞き手が外見への侮辱と受け取る可能性を排除できません。特に「(内面も)」という補足は、「外見が醜いのは当然として、内面もそうだ」という含意だと解釈される余地を大きく残しています。本当に内面だけを批判したいのであれば、誤解を招くこのような表現を避けるべきでした。 「政治家への批判として妥当」という主張について 次に、発言者が「政治家への批判として妥当な表現だ」と主張している点について考察します。 批判の自由と品位: 民主主義社会において、政治家の行動、政策、資質に対する厳しい批判は、国民の知る権利に応えるものであり、広く認められるべきです。しかし、その批判が単なる人格攻撃や罵詈雑言に終始する場合、それは建設的な議論とは言えません。公人である政治家には、その影響力の大きさに鑑み、一定の品位と節度が求められます。 議論の質の低下: このような感情的で侮蔑的な表現は、政策や理念といった本来議論されるべき本質から人々の目をそらし、不毛な人格攻撃の応酬に終始させる危険性があります。これは、政治不信を助長し、社会全体の議論の質を低下させることに繋がります。 結論として 発言者が「内面の行動を評価したものだ」と主張したとしても、「醜く奇妙な生き物」という表現は、以下の理由から政治家への批判として妥当とは言いがたいと考えられます。 相手の人間性を否定する表現であり、健全な議論の前提を破壊する危険性があること。 外見への侮辱と受け取られる可能性が極めて高く、意図がどうであれ、結果として人格攻撃になっていること。 建設的な政策論争を阻害し、社会に不必要な分断や対立を煽る可能性があること。 政治家への批判は、その行動や政策に対して、具体的かつ論理的に行うべきです。今回の表現は、たとえ発言者にそのつもりがなかったとしても、表現の選択として著しく不適切であり、批判の妥当性を大きく損なうものと言えるでしょう。
現代の政治的対立の根源を探ると、「Woke」「アイデンティティ・ポリティクス」といった左派ポピュリズムが社会の分断を深刻化させた側面が浮かび上がります。
一般的にポピュリズムは弱い立場の人々の味方としてエリートや既得権益層に対抗する運動として現れますが、近年注目される「Woke(ウォーク)」に代表される動きは、その人種・性別・性的志向によって既得権益層を一方的に認定し徹底批判する急進性から新たな対立軸を生み出しました。
この動きは、人種やジェンダーなどの問題に対する正義を追求する一方で、その基準に合わない意見を「キャンセルカルチャー」のように排除する傾向を見せました。こうした排他的な姿勢は、自らの正義を絶対視する一種の「集団的利己主義」と見なされ、多くの人々の間に強い反発や嫌悪感を引き起こしました。結果として社会は対話や妥協の余地を失い、感情的な亀裂が深まることになりました。
このような左派の先鋭化に対するカウンターとして、日本では参政党のような右派ポピュリズムが勢力を拡大しました。参政党の躍進は単なる政治不信だけでなく、「左翼ヘゲモニー」とも表現される既存の言論空間やメディア、エリート層への強い反発をエネルギー源にしています。
参政党の思想的特徴は、「反知性主義」あるいは「エリート嫌悪」と評されます。彼らは既存のエリートに代わり「子育て中の母親」や「現場の農家」といった“当事者”の感覚こそ真実であると訴え、多くの共感を呼びました。
この「既存エリート層への不満と憎悪」が過激な変革を求めるエネルギーとなる構図は、ポル・ポト政権を誕生させたカンボジアの状況と不気味なほど酷似しています。
1975年、プノンペン市民は腐敗した旧体制への不満から、解放軍として現れたクメール・ルージュを大いに歓迎しました。しかし、その先に待っていたのは、ポル・ポトという高学歴のエリートが主導する、人類史上最も極端な反知性主義政策でした。通貨や学校、病院は廃止され、「組織(オンカー)」の決定が絶対とされました。これは、民衆が自らの思考や自由を権力者に明け渡した結果であり、その代償はあまりにも大きなものでした。クメール・ルージュの政策は、外国の干渉を排した純粋な農業国家の建設という、一見すると民衆のためであるかのような理想を掲げていました。しかしその実態は、権力者の利己的な支配欲を満たすための暴力装置でした。国民は強制労働、飢餓、虐殺によって、1975年から1979年のわずか4年間で、当時の人口の約4分の1にあたる150万~200万人が命を落としたとされています。
カンボジアの悲劇は、民衆の素朴な不満や正義感が、利己的な指導者によって利用された時、国全体を破滅に導きかねないという歴史的教訓を示しています。
この負の連鎖を断ち切るためには、まず、左派側に内省と自浄作用が求められます。排他的で独善的になりがちな急進的な動きと一線を画し、より幅広い人々との対話を可能にする穏健な路線への自己改革が必要です。
その上で、台頭する右派ポピュリズムや反知性主義に対しては、「参政党の支持者は境界知能」などの差別的で感情的なレッテル貼りで応酬するのではなく、データやファクトに基づいた冷静なアプローチが不可欠です。しかし、現代はAIによって精巧なフェイク情報が容易に生成され、陰謀論が拡散しやすい「ポスト・トゥルース時代」でもあります。そのため、単にデータを提示するだけでなく、そのデータが信頼できるものであることを示し、対立する相手とも共有できる客観的な土台を粘り強く構築していく努力が求められます。
健全な民主主義は、多様な意見の衝突の中から、熟議を通じて合意を見出すプロセスそのものです。左派ポピュリズムの独善性を乗り越え、データという共通言語を用いて反知性主義と向き合うこと。それこそが、分断の連鎖を断ち切り、社会を破滅的な結末から守るための唯一の道筋ではないでしょうか。
皆さんご存じの通り、先の参議院選挙は与党の負け(戦後初めて衆参両院で少数与党に転落)、野党の勝ち(中でも国民民主党、参政党の躍進)という結果が出ました。
私が投じた選挙区票と比例代表票はどちらも、今回においては(珍しく)投じた側の勝利に役立ったのでそれは良かったと思います。
しかしながら、その後の石破総理大臣の続投宣言は正直いただけませんでした。
過去に安倍総理や麻生総理が選挙で敗北したときに退陣を促した言動と不一致なこと。これがまず不快でした。
さらには仮定の話である「震災」をダシにした正当化も、かつて震災の被害を受けた人間としては眉をひそめるものがありました。
衆議院選、都議会選、そして今回の参議院選と、三度連続で大きな選挙で敗北したのに、結果を出せなかった責任を感じてなさそうな態度も癇にさわりました。(負けたのは石破のせいじゃないと言う人もいますが、少なくとも衆議院選では解散総選挙をやると決めてやった以上、総理に責任はないということはありえません)
そして、石破続投について取り上げたこの記事で、人気を集めているコメントを見て残念な思いになりました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/904442
大まかに言えば、「高市(や他の人間)が取って代わるよりは石破のほうがマシなので仕方ない」というところでしょうか。
私とて高市早苗にはかなり問題があると思います。(特に取り巻きの質は、議員、民間人ともにろくでもない人格の持ち主ばかりと言っても過言ではないでしょう)
他に政治家として任せられそうな人材がいないという意見にも、一理はあると思います。(そんなことを言い出せば、極端な話、国会議事堂に隕石でも落ちて衆参両院の議員が全滅したら日本が為す術なく国家崩壊するに任せると言ってるような変な話だとも思いますが)
ですが、だから石破続投は仕方ないんだと言っていいのでしょうか。「仕方ない」のではなく「私が不愉快になるような葛藤から逃げたい」という自分の気持ちを甘やかすためだけの思考放棄ではないでしょうか。
一度、「石破」とか「高市」とか「野田」「神谷」とか、あるいは「自民党」とか「立憲民主党」とか「参政党」「れいわ新撰組」とかなんだとかいった固有名詞を脇に置いて考えてほしいのです。
「○○はXXよりマシだ、だから○○は選挙で負けたとしても、責任も取らず政権の座に居座っていいんだ」
「XX党が権力を握ったら日本はより悪くなる。だから選挙で○○党が半分以上の票が取れなくても何も変わらなくていいんだ」
こんなレトリックがまかり通るなら、民主主義国家の国民である私やあなたやその他の人は何のために投票所に行くのしょうか?
普段は政治に対する見識の薄いかもしれない人たちが、それでも投票日に腰を上げ、私やあなたに不利益や不愉快をもたらす候補や政党の名前を一枚の投票用紙に書いて中身の見えない投票箱に入れる。その行為は「○○よりマシだから」蔑ろにしていいものなのですか?
選挙で負けるという民意が示されても政治家がその苦しい現実から目をそらす。これが政治不信の種をまく行為でなくて何だというのでしょうか? それとも私やあなたにとって好ましい政治家に限ってはそれが「仕方ない」と許容される特権がいつの間にか与えられたのですか?
少し想像力が飛躍するかも知れませんが、「プーチンが辞めると、さらにろくでもない奴が来る」「習近平が~」「ネタニヤフが~」と、今回の石破総理の続投擁護は、地続きなのではないですか?
Xで目に入った『アフリカのとある国では、選挙で選ばれたリーダーが100歳まで権力維持を目指している』という馬鹿馬鹿しさが、未来の日本のイメージの一例としてまさしく今この瞬間、現実味を帯びてしまったのではないですか?
なるほど石破総理は、大方の人間が好ましく感じる『良識』を持っているのかも知れません。ですが、今後現れる可能性のある、民主主義国家の手続きで選ばれた「ろくでもない指導者」が、選挙に負けるという民意を示されたときに石破続投という前例を悪用しない保証がどこにあるのですか? もしそうなったときに人々は有効で正当な対抗手段を持ち合わせているでしょうか? それとも「制度上は何の問題もない」といういかにも政治家めいた物言いで等閑視されるのですか?
皆さんは、上記に書いたことなどとっくの昔に考慮済みで「スリーアウトなんて野球じゃないんだから」「隠れ高市ファン」「現実離れした綺麗事を弄んで衆愚を正当化」そんな風に私を笑われるでしょうか?
三度も敗北という民意を示された石破総理は退陣されるべきだと私は強く思います。仮にその先にあるものが失政だろうと混乱だろうと停滞だろうとです。それは石破アンチを喜ばせるためではない。石破の政策や人格の善し悪しの問題を超え、一人一人が政治に責任を持つ小さな王様であるという、民主主義国家が私やあなたや他の人にもたらしてきた利益を守りたいため、こう言うのです。
参院選、自民党の大敗。まあ、当然の結果だ。国民を舐めきった政治を続けてきたんだからな。問題はここからだ。
石破首相は「続投する」なんて言ってるが、水面下ではとっくに「石破降ろし」が始まってる。責任のなすりつけ合い、派閥の延命しか頭にない連中の醜い権力闘争。国民が一番うんざりしてるのが、まさにソレなんだよ。
このまま内ゲバが続けば、いずれ不信任案が出されるだろう。そうなった時、追い詰められた石破がヤケクソで解散ボタンを押す可能性は十分にある。いわゆる「破れかぶれ解散」だ。
そうなったら、もう目も当てられない。自民党がまた大敗するのは確実。だが、問題は自民党が失った議席の受け皿だ。まともな野党が育っていない現状で、その席に座るのは誰か?
一番の悪夢は、この混乱と政治不信を養分にして、参政党が衆院でも議席を大幅に伸ばすことだ。考えるだけで反吐が出る。
彼らの主張は、耳障りのいい言葉で塗り固められている。「日本人ファースト」「食の安全」。だが、その化けの皮を一枚剥げば、出てくるのは「発達障害は存在しない」といった科学的根拠のない暴論や、差別を煽るような排外的な思想、そして陰謀論のオンパレードだ。
デマを指摘されても「メディアの陰謀」「レッテル貼り」と逆ギレ。この狂信的で排他的な態度は、あまりにも危険すぎる。
もちろん、いつかは化けの皮が剥がれる。国政という現実の壁にぶち当たれば、彼らのメッキなどすぐに剥がれ落ちるだろう。
だが、問題はタイミングだ。自民党の自爆解散という最悪の形で、彼らに議席と影響力を与えてしまった後では遅い。日本の政治が、このカルト的な集団に引きずり回される未来だけは、絶対に避けなければならない。
自民党の体たらくが生み出した、最悪のモンスター。それが参政党だ。彼らの化けの皮が完全に剥がれ落ちるまで、解散総選挙だけは勘弁してほしい。
君の脳みそでは読んでも内容を理解しきれないかもしれないけど、一応、AIの回答を貼っておくね。
Q. 君の回答に対して以下のような返答がついたよ。
現在のアメリカが民主主義の危機に瀕していることを、小学生でもよく分かるように主要な事例を複数挙げて説明してあげて。
現在のアメリカが民主主義の危機に瀕していることについて、小学生でもわかるように主要な事例を説明します。
## 具体的な事例
2021年1月6日に、トランプ前大統領の支持者らが「2020年のアメリカ合衆国大統領選挙で選挙不正があった」として、アメリカ合衆国議会が開かれていた議事堂を襲撃した。議事堂では、前年の大統領選挙に基づく各州の選挙人の投票結果を認定し、選挙に勝利したジョー・バイデンが次期大統領に就任することを正式に確定しようとしていた最中であった。
これは民主主義の基本ルールである「選挙結果を受け入れる」という原則が破られた例です。
トランプ氏は20年の大統領選挙結果に対する否定的見解を自身の政権1期目以降のアイデンティティーの中核に据えた。根拠のない選挙不正の主張が続けられており、これは民主主義の根幹である選挙の信頼性を損なっています。
### 3. 政治的分断の深刻化
アメリカの分断が言われて久しい。両党の争いは存亡をかけた闘いの様相を呈し、もはや異なる政治的見解を持つ人々が対話できない状況になっています。
現在のアメリカ政治はこういった構造的な少数派を守るための制度と、合衆国設立当時は想定外だった幾つもの戦略や事態を突いた政治戦略によって「少数派による過半数の弾圧」の状態となっている。
これらの事例は、トランプ氏が選挙に勝ったから問題なのではなく、民主主義の基本的なルールや制度そのものが機能しなくなっていることを示しています。民主主義は「誰が勝つか」ではなく「どのようにルールに従って政治が行われるか」が重要なのです。
Q. 実際のところ、格差のエスカレートを放置したことが、そうした民主主義の危機を招いた一因となったの?
はい、格差の拡大が民主主義の危機を招いた重要な一因になったことは、研究や事実によって裏付けられています。
### 1. 政治不信の拡大
現代の政治は、人口減少や所得格差、社会の分断などの課題解決と、グローバル化やIT化への対応が求められている。経済格差の拡大は、既存の政治システムへの不信を高め、「既得権益層」対「取り残された人々」という構図を作り出しました。
多くのアメリカ人、特に中西部や南部に住む大卒でない人々は、『自分たちの土地に住むよそ者』のように感じるようになった。これは経済格差によって取り残された層が、政治的にも疎外感を抱くようになった典型例です。
### 3. ポピュリズムの土壌
格差が拡大傾向にあるにもかかわらず、その是正を担う所得移転政策への支持が広がらないことだったという状況で、従来の政治では解決されない不満が蓄積し、ポピュリズム的な政治家への支持につながりました。
### 4. 社会の分断
アメリカでは、1980年前後から、富裕層(上位10%)、とりわけ上位1%の超富裕層のみが突出して所得を増加させており、超富裕層とそれ以外の間で所得格差が拡大している。この格差は単なる経済問題ではなく、社会全体の分断を生み出しています。
## 具体的なメカニズム
2. **社会移動の困難** → 「システムは不公正」という認識
## 結論
格差のエスカレートは確実に民主主義の危機の一因となっています。ただし、これは格差「だけ」が原因ではなく、制度的問題、政治文化、メディア環境なども複合的に作用した結果です。しかし、経済格差が政治不信と社会分断を深め、民主主義の基盤を侵食したことは間違いありません。
つまり、元の掲示板でのBさんの「格差のエスカレートを放置した結果が今のアメリカの民主主義の危機」という指摘は、学術的にも実証的にも妥当性の高い分析だったということです。
ワイ
ある調査では、イスラエルに好意的な人の割合は、日本はイスラム教国(トルコ、インドネシア)を除けばもっとも悪かった。なぜ?
とても興味深い観点ですね。この調査結果、つまり「日本人の対イスラエル感情が、イスラム教国を除けば世界でも特に悪い」という点には、いくつかの複合的な背景が考えられます。以下、主な理由を分析してみます:
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日本は中東ともユダヤ教・キリスト教文化とも歴史的な接点がほとんどありません。欧米諸国のようにイスラエル建国やユダヤ人迫害の歴史と関わりがないため、「イスラエル=同情や歴史的な負債」という認識が薄いです。
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日本人は、歴史的に「弱者」や「被害者」に感情移入しやすい傾向があるとされます。ニュース映像で繰り返し流されるガザ地区の破壊、パレスチナ人の犠牲者などは、イスラエルの側を「加害者」と印象づけやすい。特に近年の空爆映像や子どもの死が報道されると、日本の一般視聴者の感情は一気にパレスチナ側へ傾きがちです。
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日本の報道機関(NHKや大手新聞など)は、比較的「中立」を装いつつも、実際にはパレスチナ側の被害を強調する傾向が強いです。イスラエルのロジックや軍事的判断の背景が深く報道されることは少なく、「強大な軍隊が民間人を攻撃している」という印象が強調されやすい。
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日本には一部「欧米で称賛されているものに対して冷淡になる」心理もあります。欧米メディアがイスラエルを支持し、ユダヤ系ロビーが影響力を持っているという認識が一部で根強く、それに対する警戒や冷笑的視線があるのも確かです。いわば、逆張り的なスタンス。
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ネットでは「ユダヤ資本」や「世界を操るエリート」などの陰謀論が根強く広がっており、イスラエルへの感情にネガティブなバイアスをかけています。陰謀論的世界観は日本語ネット界隈でも多く見られ、特に政治不信や社会不安と結びつくと、「イスラエル=搾取する側」と見られがち。
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自衛隊すら「軍隊」と明確に呼べない国・日本にとって、「徴兵制を敷き、周囲を敵国に囲まれ、先制攻撃も辞さない国」というイスラエルの姿は非常に異質に映ります。防衛の論理よりも、軍事力そのものへのアレルギー反応が出やすい。
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このように、文化的距離感、報道スタイル、共感の向かう先、ネット文化と陰謀論、軍事アレルギーといった要素が複合的に絡み合い、日本でのイスラエル評価が低くなっていると考えられます。
自民党を叩けば全部説明できるっていう、“思考停止の一括処理”になってませんか?
まず申し上げたいのは、「事実らしき羅列」と「根拠に基づいた批判」は違うということです。
たとえば、「中国人が医療制度をタダ乗りしている」と言いながら、具体的な制度名も、件数も、財政への影響も出ていない。
「不起訴にされた」と言ってますが、その不起訴の理由や事件概要すら説明されていない。
要するに、あなたは“感情を根拠にして”、制度や政策を断罪している。
しかし、政治において必要なのは、「敵を設定して怒ること」ではなく、「問題の構造を理解して改善策を提示すること」ではありませんか?
また、「夫婦別姓が中国の制度だから売国」と言っていますが、これは論理が飛躍しています。
制度の出自がどこであれ、それを導入するかどうかは日本の文脈で議論すべきです。
「中国で使われている」→「日本で使うな」という論法は、思考の切断です。
それならば、どの事業で・どの予算が・誰に流れて・何が中抜きされたのか、具体的に提示してください。
そうでなければ、ただのレッテル貼りです。
結局、あなたの主張には、「証明」ではなく「断定」が並び、「データ」ではなく「怒り」が根拠になっている。
そのやり方では、「政治を変える」のではなく、「政治不信を再生産する」だけです。
「勉強してなくてもわかる」と言いながら、判断することを放棄しないでください。
怒りを“分析”に変え、批判を“政策提案”に進化させたとき、政治は前に進みます。
それが、政治に参加するということです。
自民党を叩けば全部説明できるっていう、“思考停止の一括処理”になってませんか?
まず申し上げたいのは、「事実らしき羅列」と「根拠に基づいた批判」は違うということです。
たとえば、「中国人が医療制度をタダ乗りしている」と言いながら、具体的な制度名も、件数も、財政への影響も出ていない。
「不起訴にされた」と言ってますが、その不起訴の理由や事件概要すら説明されていない。
要するに、あなたは“感情を根拠にして”、制度や政策を断罪している。
しかし、政治において必要なのは、「敵を設定して怒ること」ではなく、「問題の構造を理解して改善策を提示すること」ではありませんか?
また、「夫婦別姓が中国の制度だから売国」と言っていますが、これは論理が飛躍しています。
制度の出自がどこであれ、それを導入するかどうかは日本の文脈で議論すべきです。
「中国で使われている」→「日本で使うな」という論法は、思考の切断です。
それならば、どの事業で・どの予算が・誰に流れて・何が中抜きされたのか、具体的に提示してください。
そうでなければ、ただのレッテル貼りです。
結局、あなたの主張には、「証明」ではなく「断定」が並び、「データ」ではなく「怒り」が根拠になっている。
そのやり方では、「政治を変える」のではなく、「政治不信を再生産する」だけです。
「勉強してなくてもわかる」と言いながら、判断することを放棄しないでください。
怒りを“分析”に変え、批判を“政策提案”に進化させたとき、政治は前に進みます。
それが、政治に参加するということです。
この結果だけ見て「再生の道は終わった」と笑う人もいるかもしれません。でも、忘れてはいけないのは、これは“既得権益に切り込んだ者が必ず通る道”だということ。
石丸氏は、あえて「中央が政策を与えない」スタイルで、候補者一人ひとりの意思と能力を信じた。これは日本の画一的な政党政治に対する強烈なアンチテーゼだったし、何よりも「党議拘束なし」「任期制限あり」など、日本の政治の病根にメスを入れるビジョンを明確に示していた。
そして今回もNHKは、結果が確定する前に冷笑的な報道を繰り返し、まるで「失敗ありき」で中継に臨んでいたように感じるのは私だけでしょうか。ああいう“予断を持った報道姿勢”こそが政治不信を生む最大の要因では?
この落選が「終わり」ではなく「始まり」になることを願います。志を折るには早すぎるし、こういう真っ当な異端がいなければ、政治は永久に閉塞したままです。
WP構築するからちょっとはphpも触れるけど、DBやサーバのことはさっぱりわからん。
平場はコーダー・デザイナー・ディレクターが全部で10人ちょっとくらいの小規模会社。
社長と副社長がいるけど、最近のあいつらが経理以外の何をしてるのかは不明。
長年社長のコネをメインにいろんな会社のオフィシャルサイトのリニューアルやリクルートサイトの新設で食い繋いできたけど、
もうレスポンシブ対応バブルもとっくに弾けたなあ。って感じ。受注は年々減っていて、去年は過去最大の赤字を計上した。
社長も営業活動に飽きたようで、最近はディレクターが営業を兼ねてるのか、クライアントの紹介を頼ったり、安く買い叩いてくる広告代理店の下請けをやったりしているが、売り上げはコロナ禍以降低迷している。
だけど個人的にはこんな安月給では仕様通りに動くコードを打つくらいのことしかやれないんだよな。
「中小企業だからこそ社員一人一人が企画力を持って自社の商品を作っていかないと今の時代戦えない」とか、
経営者のエゴとしてはわかるけど、誰が旨味もないのにお前に都合よく動くと思うか?という。
わざわざこんな安月給で開発しようと思うか?って話でしょ。
安月給で中小企業に来てくれる上に当たる企画のアイデアがあって開発力もある、そんな宝くじみたいな人材の応募をただ口開けて待ってるだけのクソ雑魚経営者のところにそんな人材来ないでしょ。
今時首都圏の大企業の案件も地方の個人が受けられる時代に、よくそんな能天気なこと言ってられるな、と。
DX化で受注も発注も納税もネットで完結する。個人事業主になってフリーランスとしてやってくことのハードルはどんどん下がってる。政治不信で社会保障も厚生年金も当てにならない時代。一般人にとって会社員をするメリットは逆に何だと思ってるの?
「成果を出したら給料上げるよ」ってそんな当たり前のことに釣られて熱意上がると思うか?どうせ当たらなきゃ上がりがないならフリーランスでやるのと同じじゃん。って誰でも思うんじゃないかな。
って気づかない経営者、終わってるだろ。
会社にできることは「先に給料を上げるから成果を出せ」なんじゃないの?
でも確かにもしディレクター陣がメチャクチャ優秀で有能なら、「自分の企画のディレクションはこの人たちに任せたいからこの会社でやろう」って思うかもな。
しかし弊社のディレクターたち吐き気を催すほど無能なんだよな。「当たる企画」があったとして、それが仮に「技術的に可能」でも、大規模な企画はそもそも進行ができないと思う。
Web制作会社なのにWebの知識が全くない、とか最新情報をキャッチアップできていない、なんてのは可愛い方で、
顧客が投げてきた改修指示書を1週間も手元に抱えて、結果クライアントがaunに書いて依頼してくれたことを、サイトの出力に赤ペンで丸写しして渡してきただけ。なんのために??結局、確認しないと進まないことわんさか出てくるので着手ができず戻り。それを洗い出すのはコーダー。だったら最初からaunのデータを渡してよ。お前があっためてた1週間なんだったの?ディレクター要らねえよ。
小規模会社なのだから、もっとチームで連携したい!とほざくババアディレクター。
仲良しこよしでやれたらいいだろうけど。そもそも不信感がある。ディレクターは全員ババアなんだけど、みんな「女の悪いところ」を遺憾無く発揮してくるタイプなんだよな。
質問したら「責められている」と思いこんで、頼んでもない弁明や、ひどいと逆ギレ、他責をしてくる。
クライアントの動きが遅いがケツはずらせないということで見切り発車で開発スタートしたWebサイト、デザインが上がったところから構築していって、途中でガンガン機能追加されてイライラしていたのはそうなのだが、
終盤に上がってきた絵が最初の仕様じゃ対応しきれなさそうな具合だったので、
「今回のサイトはカスタムフィールドも多いし計算も多いので事前に要求定義→要求定義をしてデザインの前にDBだけは固めておけばよかったですね」って言ったら
「それは気づいたとき言って欲しかった!!なんで気づいてすぐ言わないのか!!スケジュールがまた戻っちゃう!!」とかほざき始めた。
今気づいたから今言ったんだよ。てかずっと言ってたわ。「この絵だけ見てできるかできないか判断しろというなら「できます」と言えますが、この通りにならない画面がでてきたらできません」って言ってただろ。何回も。絵だけで判断させようとするからそうなるんだよこんな解釈の余地しかない仕様があるか。っつってんだよ。なんでわたしが責められないといけないの????
って感じで、自分が間違っていたとか、自分のやり方じゃ足りなかった、って気付かされるのがとにかくイヤみたいなんだよねこのババアたち。
まっっっっっっったくこの老害ババアたちとチームワークを取ろうと思えない。
あと、受注増やせ増やせ言ってるけど肝心のディレクターが「忙しい」を言い訳にしたら自分がボトルネックであることを正当化してるのよ常に。
実際デザイナーとコーダーは手が空きまくってるし、ここ数ヶ月、ディレクター以外で残業している人を見ていないから、ディレクター以外には確かにキャパが余ってるんだけど。
それでディレクターが言い始めたのは、「今後はサイトの構成や仕様の設定はデザイナーが担うように」らしい。
それはいいよ。でもさだったらお前らの給料下げてデザイナーの給料上げろよ。なにしれっと人に自分の仕事押し付けようとしてるんだアホか。
デザイナーたちは優秀だと思う。今まで弱小3社くらい渡り歩いたけど一緒にやってきたデザイナーの中ではかなり上澄みだと思う。
彼らとはまた仕事をしたいかもしれない。私が企画を出すなら彼らに絵を作って欲しいかもしれない。しかしディレクター陣が無能すぎる。
優秀なディレクターってどんな人だろ。作業していて「あれ?これどうすんだ?」って思わないで済む進行をしてくれるのがいいディレクターだろうか。
戻りがなくて、詰まりがなくて、遅れがない。そんなディレクターに私は出会いたい。クライアント次第なところがあるのはわかるけども。こちらでいくらでもフォローできたやろそれ・・・みたいなのが多すぎて辟易する。
まぁなんにせよとんでもない閉塞感の弊社。
他のところは、他の人は、どうしてるんだろって思う。売り上げってどうやったら上がるの?優秀な人材ってどこにいるの?企画って誰がするの?
安月給もらって、見合う程度に頑張って、これ以上は頑張れない。
これ以上頑張らせたいならせめてフルリモートにしてほしい。
じゃなきゃ、もっと頑張るなら、フリーランスになった方がマシだなって思う。馬鹿な役員とディレクター食わせるために頑張るのは本懐じゃない。
同業者の知人が1人、フリーランスになって独立した。賃貸の審査が通らない以外の不便はないってさ。わたしも持ち家だからそれはべつにいいんだよ。高い買い物する予定もないから、ローンもくまないし。
30歳をとうに過ぎた今日この頃、思うところがある。
それは…それは…。
むしろそんなしょうもない人生にこそ、喜びや幸せが満ち溢れているのだ。
日常の中で感じられる幸せというのは、ひどく小さく、非刺激的である。
酒やギャンブルに身を委ねたり、性的衝動によって得られる快楽なんかとは比べものにならない。
地位や名声を得て他者を優越したり、SNSで自分の投稿をバズらせた時に得られるような
承認欲求的な欲求から発生する刺激と比べても、ひどく非刺激的である。
こんなしょうもない日常や人生に、どう幸せを見出そうと思うのか?
長年の謎であった。
しかし、齢30にして思うのだ。
月並みではあるが、日常の些細というものは、当たり前ではないのだ。
衣食住事足りているのも世の人間の絶え間ない営みのおかげである。
こうしてインターネットでくだらないやりとりをできているのも、この世の中が
今日もインターネットの片隅では、フェミニズムや男女論が語られ、政治・政策への
非建設的な不満が渦を巻いている。
しかし考えてもみて欲しい。
それらが形成されているのは、いや、それらの形成が許されているのは、
今日も日本が平和だからである。平和であるからこそ、そんな非生産的なことが
許されるのだ。
インターネットに入り浸って、男女格差や政治不信について語っているのも
そんな話を、しようじゃないか。
日常の些細な話、目の前にある小さな喜びを拾い集め、今一度自分の
人生を振り返ってみよう。
悲しいことが起きるかもしれない。でも、きっと大丈夫だ。
全てが落ち着いたら、自分達はきっとこの日常にまた戻ってくる。
最大限好意的に見ても、やはり厳しい結論になりますね。とはいえ、公平に「石丸氏の強み」を活かせる可能性がある職業を考えてみます。
1. 発信力がある → SNSやメディアでの影響力を持っている
3. 逆境でも自分の意見を曲げない → 強い自己主張ができる
4. 政治不信層にアピールする力がある → 既存政治に対するカウンターとして機能する可能性
• 発信力はあるが、実行力がない → 言うだけで行動が伴わない
• 問題提起はするが、解決策を示さない → 結果を出せない政治家は意味がない
• 自己主張が強すぎて、対話や交渉ができない → 政治の世界では致命的
• 支持層を維持できず、徐々に関心が薄れる → 一時的なブームで終わる可能性大
では、何の職業なら向いているのか?
• 実際に政治を動かすのではなく、「政治の問題点を指摘する」ポジションなら成立するかも
• ただし、実行力を示せなければ支援者が離れる
• 発信力を活かして、論客・インフルエンサーとしてなら可能性あり
つまり、「政治家としては向いていないが、政治を語る立場なら生き残れる可能性がある」というのが、最大限好意的に見た場合の結論ですね。
良い点
• 発信力が強い:SNSやYouTubeを活用し、政治に関心のない層にもリーチできる
• 行動力がある:都知事選後すぐに政治団体を立ち上げるなど、スピード感がある
• 既存政治への不満を代弁できる:政治不信層を取り込む力がある
• 政策がない:「再生の道」も具体的な政策やビジョンが不明確
• 実働がない:政治塾の実態が不透明で、都議選に向けた動きも見えにくい
• 短期的な話題作りが中心:長期的な政治のビジョンが示されていない
石丸氏は発信力と話題性はあるものの、政治を実際に動かす力や具体的な成果がないのが最大の課題。都議選で候補者を出し、実際に当選・活動できるかどうかが、単なる「話題の人」から「実際に政治を動かせる人物」になれるかの分かれ目になりそうです。
じゃあ「当選請負人」とかいうジジイはどううやって飯食ってんだよ!?
→つまり選挙コンサルとはその名の通り事前に知恵つけてやる人なんだな。
大っぴらに選挙運動を仕切るようなマネするわけないと。公選法というルールブックに書いてあると。
それをキラキラは全く知らんかったと。
斉藤もようわかってなかったと。
俺もそこの線引きはよぅ知らんかったで!
ほんでそこを突かれて「いやぁ〜ポスターのデザイン頼んだだけっすよぉ〜?」ってそれはツラいわw
でもまあそれは俺はどうでもいい
なんかまた維新の小物が公選法違反で挙げられてる。といってもウグイス嬢の日当15000円ルール破ったんだと。
あんなそこそこハードで専門技能が必要なスポット仕事、日当15kで集まるわけないやん。
だから守れもしない綺麗事ルール押し付けてもいかにズルするか勝負になって逆にモラル崩壊するだけなんだよ。
んだよ
実際は人も金も動くし動かさなければ勝負にならないのに、「選挙にお金がかかるのはいけませーん」「ボランティアでーす」みたいな建前をそのまま法制化しているから
耳障りの良い潔癖ルールや、ウグイス嬢の日当はいくらまではOKでいくらからはアウトみたいな弥縫的泥縄ルールがこれだけの弊害を生む。
レギュレーションと審判がしっかりしてない試合がグダグダになるのはあたりまえだ。
むしろ各勢力が堂々と広報のプロ雇ってガチンコでプロパガンダ合戦しますよ、それを承知で主権者として選挙に参加しましょうねという方が遥かに健全だ。