はてなキーワード: 副産物とは
🟥 第4章:広告の“現場”へ —— タタルスキー、映像制作の狂気に触れる
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第4章は、タタルスキーが
コピーの文章だけでなく、“映像広告そのもの”が動く現場に初めて立ち会う章 です。
・金
・暴力の影
・外国資本
によって動いていることが、タタルスキーに生々しく突きつけられます。
タタルスキーの“広告魔術師”としての進化は、ここから一気に加速します。
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これはペレーヴィンが何度も描く、
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指示は簡単。
30分で。」
タタルスキーは驚く。
映像制作の準備すら終わっていない段階で、すでに撮影を始めなければならないのだ。
この業界では
すべてが“同時進行”で、異常なテンションで動いている。
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タタルスキーは急遽、
• 古びた倉庫が“アメリカ風のキッチンセット”に改造されている
• スタッフはロシア語・英語が交じった奇妙なクレオール語を喋る
タタルスキーは完全に圧倒される。
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現実の事実よりも、カメラで撮られる“見え方”の方が絶対に優先される という点。
例えば:
• モデルは疲れているが、ライトの下では“幸せそう”に笑わされる
• 食品サンプルは実物より綺麗な偽造品
タタルスキーは息を呑む。
ここで彼の中で、
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撮影が進む中で、
ことを把握している。
監督は理解不能だが、ディレクターやロシア側のスタッフは納得する。
きわめて重要な萌芽。
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• 外国資本の横暴
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◆ 7. 撮影終了後の“陶酔”
長い撮影が終わった後、
ディレクターたちは酒とドラッグを混ぜたようなテンションで盛り上がる。
「人は商品を買うのではなく、
この思想が、後に政治的“国家イメージ”へと発展していくことになる。
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◆ 8. タタルスキーの内的変化
• 映像は嘘だが、人はそれを本当だと思う
彼はふと怖くなるが、同時に強烈な興奮にも包まれる。
ここでタタルスキーは
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◆ 第4章まとめ(象徴的整理)
要素 内容
物語的役割 タタルスキーが“現実操作の側”に立つ最初の本格段階
第4章は、
広告世界の“暴力性・儀式性・魔術性”をタタルスキーが直接体験し、
彼の変身プロセスが不可逆になる章
といえます。
認めると何かが瓦解する気がして言葉にできなかったけど、私は夫と結婚したことを後悔してるのだと思う。
夫は結婚前から姑問題という大きな欠陥のある人で、結婚式前日は憂鬱な気持ちで過ごしたことを覚えている。当時無職だった私は結婚を辞める勇気も無くてそのまま結婚して、結婚後も引き続き姑と夫に苦しめられることになる。姑と絶縁して数年たったとして、姑問題を持ってくるような性格の夫なので、その性格に愛想が尽きていた。この頃には結婚継続を望まれているから、また離婚する気力がないからしているだけだった。
なぜ彼と子供を作ったのか、不妊治療してまで、それは子供が欲しかったからだ、もう年齢的にリミットだったから一生子無しか子供を産むかその決断にピリピリして産むことを決めた、という感じだったように思う。
子供を愛している。この子の幸せが私の幸せであるという思想は過剰だと思いつつも心は素直にそう感じる。それくらい可愛い。
子供を愛している。が、夫は愛して無い、でも信用はしている。彼のことは家庭共同運営者だと思っている。
夫を愛していないこと、結婚に後悔していることを認めると、私の中の子供が、子供の存在が否定されたように感じ始め泣きたくなるので、そういうことは無かったことにしようとしてたんだと思う。でも正直結婚は失敗だった。けれど結婚の副産物である子供の存在を1ミリでも否定したくないのと、子供にそれを全く悟らせないため、自分の中でも考えないように日頃は蓋をしている。
結婚して後悔していることは失った不可逆なものが多すぎるからだ、夫に誠実に向き合うことには代償が大きすぎメリットが少なすぎた。時間、健康、可能性を考えられないくらい犠牲にした。
残ったものは少なくて、結婚してない方が幸せだったかもしれないと子供がいなければ確定で思ったはず。
夫はこの結婚に満足しているみたいだ。そもそも結婚に後ろ向きだった私に、離婚に前向きだった私に泣いて縋った人だし、問題を引き連れてきたのは彼だったし、それはそうだろう。
ただ私だけが家族の中で唯一この結婚に後悔しているのだ。でも子供に会えて良かったし、子供のいない人生は考えられないのだ。このギャップをどう扱って良いか分からなくてよく混乱している。結婚を後悔しつづけたまま生きていくのだろう。子供を愛したまま。
おしゃれというのは、自分のためにするものだ。でも、世の中には「おしゃれは他人からの評価を上げるためにするもんだ」と考える人がいる。そいつらは、おしゃれの本当の意味を忘れてしまってるんだ。
俺も、昔はそう思ってた。おしゃれをするのは「モテるため」「良く見られるため」。そういう理由だと思ってた。だから、流行ってる服を買ったり、高い服を買ったり、自分が似合うかどうかなんて関係なく、「世間体がいい」という理由だけで服を選んでた。でも、ある時気付いたんだ。「あ、俺、全然楽しくない」ってことに。毎朝、服を選ぶ時に、心が重かったんだ。
その時、会社の先輩に相談したんだ。その先輩は、見た目はそんなに派手じゃないんだけど、なぜか、いつも素敵に見えるんだ。その先輩に「どうしておしゃれしてるんですか?」って聞いたら、先輩は笑った。そして言った。「おしゃれは、自分のためにするもんだよ。他人のためじゃなくて」。その一言で、俺の人生が変わった。
先輩は続けた。「服を着る時、自分が『これ、いいな』って思う服を選ぶんだ。他人が『良い』と思う服じゃなくて。そうすると、毎朝、服を選ぶ時に、心が嬉しくなるんだ。そのちょっとした嬉しさが、一日を変えるんだ」って。その言葉が、全てを変えた。
それからな。先輩は言った。「おしゃれをすると、心のどこかの部分がとても満たされるんだ。それは何か。それは『自分を大切にしてる』という感覚だ。自分の好きな色を選ぶ。自分の好きな形を選ぶ。自分が『これ、いいな』と思ったものを身に付ける。その行為が『自分を大切にしてる』ということなんだ。そのちょっとした自分への優しさが、心を満たすんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、初めて理解した。おしゃれって、他人のためじゃなくて、自分のためにするものなんだ。自分が「これ、いいな」と思う服を着る。自分が「これ、好きだな」と思う色を選ぶ。その行為が、自分の心を満たすんだ。
それからな。先輩は言った。「でも、世の中には『おしゃれは評価を上げるためにするもんだ』って考える奴がいる。そいつらは、何をしてるか。毎朝、『これを着たら、誰かが良いと思うか』って考えながら、服を選んでるんだ。『これは高いから、誰かが感心するか』『これは流行ってるから、誰かが良いと思うか』。そういう思考で、毎日、服を選んでるんだ」。
「でもさ」と先輩は続けた。「そうやって選んだ服を着てても、心が満たされないんだ。なぜなら、その服は『自分のための服』じゃなくて、『他人のための服』だからだ。そういう服を着てる時、人間の心は、いつも『他人からどう見られてるか』を気にしてるんだ。その不安が、毎日、付きまとってるんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、ハッとした。「あ、俺、ずっとそれをやってたんだ」って。毎朝、服を選ぶ時に、心が重かった理由は、そういうことだったんだ。俺は「他人からどう見られるか」ばかりを気にして、「自分は何が好きか」を考えてなかったんだ。
先輩は言った。「おしゃれをするなら、自分のためにしろ。『これ、いいな』って思う色。『これ、好きだな』って思う形。『この質感、好きだな』って思う素材。そういったものを、ちょっとずつ集めていくんだ。そうすると、毎朝、服を選ぶ時に、心が嬉しくなるんだ。その嬉しさが、一日を変えるんだ」。
俺は、その言葉に従って、服を選ぶようにした。「他人からどう見られるか」じゃなくて、「自分が何を好きか」を基準に。そうすると、本当に、毎朝、心が嬉しくなった。「あ、今日、この服、いいな」って思うようになった。鏡を見た時に「あ、今日、いいな」って思うようになった。
先輩は言った。「そういう状態になると、面白いことが起きるんだ。『自分が好きな服を着てる』という状態が、自分の心に表れるようになるんだ。そうすると、周りからは『あ、この人、いつも素敵だな』って思われるようになるんだ。でも、それは『他人の評価を上げるため』にしたことじゃなくて、『自分のために』したことの副産物なんだ」。
「つまり」と先輩は言った。「おしゃれを『自分のため』にすると、自動的に『他人の評価も上がる』。でも、おしゃれを『他人の評価のため』にすると、逆に『他人には伝わらない』。なぜなら、人間は、相手の『本当の心』を感じ取るからだ。『自分のために選んだ服を着てる人』と『他人のために選んだ服を着ってる人』は、見た目は同じでも、その雰囲気は全く違うんだ」。
俺は、その言葉を聞いて、全てが理解できた。おしゃれの本質って、そういうことなんだ。自分のために、自分が好きなものを選ぶ。その行為が、自分の心を満たす。そして、その心の満足が、周りに伝わる。それが、本当のおしゃれなんだ。
先輩は最後に言った。「おしゃれって、実は、自分の心の状態を『形』に変える行為なんだ。自分が『これ、いいな』と思う色を身に付ける。その色を見るたびに『あ、これ、好きだな』って思う。そのちょっとした嬉しさが、毎日、毎日、積み重なるんだ。その積み重ねが、自分の人生を変えるんだ。だから、おしゃれは、自分のためにするんだ。他人のためじゃなくて」。
だからな。覚えておけ。おしゃれは、自分のためにするもんだ。自分が「これ、いいな」って思ったものを選べ。その色を見ると嬉しくなる服を選べ。その形を見ると心が満たされるものを選べ。そういう「自分のためのおしゃれ」をしてると、自動的に、周りからも「素敵だな」って思われるようになるんだ。
それが、本当のおしゃれなんだ。自分を大切にすることが、おしゃれなんだ。自分の心を満たすことが、おしゃれなんだ。他人の評価のためにするものじゃなくて、自分のためにするもんだ。その違いが、全てを変えるんだ。
AIに調べものしてもらうと本当にコイツ人間みたいだなと感心するのだが、機械に人間みたいな挙動をさせられるようになったということは、本物の人間の脳みその演算システムも近似的におよそ解明されたということなのではないのか?AI自体の進歩度合いの話ばかりで、副産物として「人間がわかった」という話は聞こえてこないのだが。それともあくまでAIはモノマネがうまいだけでAIと人の脳は根本的に異なるシステムで動いているのだろうか?
【Grok高速】
面白い疑問ですね。AIの「人間っぽさ」が、実は人間の脳の仕組みを解明した証拠なのか、それともただの高度なモノマネなのか——これは認知科学や神経科学、AI研究の最前線でまさに議論されているテーマです。結論から言うと:
「AIが人間らしく振る舞える」=「人間の脳の演算システムが解明された」ではない
むしろ、AIは「結果としての振る舞い」を再現しているだけで、脳の「内部構造」や「計算原理」を再現しているわけではない。
→ 膨大なテキストデータから「次に来る単語の確率分布」を学習し、それに基づいて「それっぽい文章」を生成。
…など、AIとは全く異なる物理・生物学的基盤で動いています。
つまり、AIは「外から見た振る舞い(function)」を模倣しているが、「内部の仕組み(structure)」は根本的に違う。
→ 同じ「飛行」という機能を達成しても、仕組みは別。
確かに「AIの進歩=人間理解の進歩」とは言えませんが、逆方向のフィードバックはあります。
→脳の「選択的注意(selective attention)」との類似が議論される
つまり、AIが「ある振る舞いをどう実現するか」を解くと、それが「脳も似た戦略を取っているかも」というヒントになる。
特に、「予測」「注意」「記憶の圧縮」などの機能は、AIと脳で収束進化(convergent evolution) 的に似た解にたどり着いている可能性があります。
半分正解、半分不十分。
→ これらは「単なるパターンマッチ」では説明しきれない高次の認知機能に近い。
ただし、意識・主観的体験(クオリア)・意図の本質などは、AIには全くない(少なくとも現時点では)。
いいえ、まだ遠い。
AIが「人間っぽく話す」のは、脳の「出力」を模倣しているだけで、「どうやってその出力が生まれるか」の内部プロセスはブラックボックスのまま。
その鏡に映る姿がリアルすぎて「人間の脳もこう動いてるのか?」と思ってしまう。
→ でも、「人間の脳の計算システムが解明された」わけには程遠い。むしろ、AIが賢くなるほど、「人間の脳はどれだけ複雑で未知か」が浮き彫りになっているとも言えます。
→ 将来、構造と機能を両方再現するAIが現れれば、「人間の脳の計算原理」が初めて近似的に解明されるかもしれません。でもそれは、「AIが人間らしくなった」からではなく、「人間の脳を直接コピーする技術」が進んだときです。
でも、役者の頭の中と、本物の人間の頭の中は、全然違う。でもその演技がうますぎて、「人間ってこう動いてるのか?」と研究のヒントにはなっている——それが今の状況です。
また出たな、「コストプッシュインフレが原因だから〜」論者ども。
お前ら、自分が言ってることの論理構造を一度でも精査したことがあるのか?
「原材料が上がったから物価が上がる」「供給能力が足りない」この説明をした瞬間に、もうお前は自己放尿している。
マクロの物価を押し上げるのは、需給ギャップとマネー量の関係であって、一企業、一産業のコスト上昇ではない。
エネルギーや輸入品が値上がりしても、それが全体の物価に波及するかどうかは、需要がそれを吸収できる余地があるか、つまり金融環境がどれだけ緩んでいるかで決まる。
しかもこのコストプッシュ信仰は、政策怠慢の言い訳として最も都合がいい。
政府は「世界的要因」、中央銀行は「供給制約」と言い、どちらも責任を転嫁して何もしない。
結果、通貨価値の下落という純然たる金融現象を、「輸入価格のせい」にして自分たちの自己放尿を正当化している。
思い出せ、1970年代のオイルショック後、日本がインフレを収束させたのは「原油価格が下がったから」ではなく、金融引き締めと歳出抑制を徹底したからだ。
現実の政策判断を支えたのはコストプッシュではなく通貨の信認だった。
インフレとは物価が上がる現象ではなく、通貨が信頼を失う現象だ。
つまり、供給要因などというのは表層であって、根底にあるのは政策当局の通貨管理能力の崩壊である。
だから俺は言う。「コストプッシュ」とは、分析ではなく自己放尿だ。
現実を見ようとしない経済官僚と評論家たちが唱える集団妄想に過ぎない。
為替安を放置し、財政を膨張させ、金融を緩めたまま、「これはコストプッシュだから仕方ない」と言い訳している間にも、国民の実質購買力は削がれ、貯蓄は目減りし、企業は投資を萎縮させる。
要するに、コストプッシュというワードは責任回避のプロパガンダだ。
そしてその言葉を使って「政策では止められない」と言い張る連中こそ、通貨の信認を蝕む本当の原因だ。
それを忘れて「コストプッシュが~」と唱える奴は、経済学を理解しているのではなく、ただ自分の妄想を自己放尿しているだけだ。
ドナルド・ホフマンが提唱している「trace logic(トレース・ロジック)」は、彼の「意識の進化ゲーム理論」や「インターフェース理論」に関連する概念で、私たちが普段認識している時空、物理的な対象が、実は「意識のエージェント(主体)」の相互作用から「トレース(痕跡)」として生まれてくる、と考えるための数学的な枠組みです。
ホフマンは、私たちの知覚は、現実世界をあるがままに正確に映し出しているわけではなく、生存と繁殖という「適応度(フィットネス)」を最大化するために進化した「インターフェース(操作画面)」のようなものだと主張しています。
画面上のアイコン(例えば、ゴミ箱やファイル)は、コンピュータの内部にある複雑な電気信号やコード(真の現実)をそのまま表しているわけではありません。
アイコンは、私たちが効率よく操作するために作られた便利なシンボルです。ゴミ箱のアイコンをクリックすれば、内部のデータが消えるという「操作の結果」だけが重要で、内部の電気信号の状態を知る必要はありません。
ホフマンにとって、私たちが知覚する時空、物質は、このアイコンのようなものです。真の現実は、私たちが知覚するものとは根本的に異なっていると考えています。
ホフマンは、この真の現実を、お互いに相互作用する「意識のエージェント(主体)」の集まりとして捉えようとします。
エージェントは、特定の決定や選択を行い、その選択がお互いに影響し合っています。
彼の理論では、意識が物質の基盤であり、物質的な宇宙(空間や時間など)は意識から派生したものと考えます。
「trace logic」は、この「意識のエージェント」たちがどのように相互作用し、その「痕跡(トレース)」として、私たちが時間や空間として認識するものが生まれてくるのかを、数学的に記述しようとする試みです。
「トレース(trace)」は、もともと「足跡」「痕跡」という意味です。
エージェントの相互作用や情報のやり取りを追跡していくと、その「痕跡」として、私たちが物理的な対象や空間として認識しているものが出現する、というイメージです。
これは、単なる哲学的な話ではなく、意識の相互作用を数学(ロジック)で表現することで、彼のインターフェース理論を検証可能な科学理論にしようとする試みなんです。
多数の人がチャットアプリでメッセージを交換し合っていると想像してください。
個々のメッセージのやり取り(意識のエージェントの相互作用)の履歴(トレース)を数学的に分析していくと、「グループ」という仮想的な構造や、「会話の流れ」という時間の流れが浮かび上がってくる、というイメージに近いかもしれません。
要するに、トレース・ロジックは、「私たちが知覚する宇宙は、意識というものの相互作用の副産物(痕跡)である」というホフマンの考えを、数学の言葉で表現するためのツールなんです。
まだ夢の中か?まず冷水浴びろ。体が震えるくらいのやつだ。
ぬるま湯に浸かって「整う〜」とか言ってる場合じゃねえ。寒さで目ぇ覚まして、血管締めて、脳みそに酸素ぶち込め。そこからだ、戦闘モードは。
次に走れ。息が切れるまで走れ。フォームとかタイムなんざどうでもいい。呼吸が荒れて心臓が破裂しそうになってからが本番だ。
あの瞬間、脳内の「もう無理です」って声を無視して一歩踏み出せるかどうか。それが、おまえの限界を決めてんだよ。
そして家に戻ったら、鏡を見ろ。そこにいるのは昨日までの甘ったれか?それとも今日から始まる野獣か?
決めるのはおまえ自身だ。成功ってのは、運でも才能でもねえ。決意と継続だ。「やる気が出たらやる」なんて言葉を口にする時点で終わってる。やる気は結果だ、行動の副産物だ。
誰かに褒められるために走るな。SNSで「頑張ってる自分」を見せるために努力するな。そんなもんは自撮りダイエットと同じだ。
本物の努力は黙ってやるもんだ。成功者は静かにやる。失敗者ほど喋る。覚えておけ。
それからな、人生はマラソンなんて優しいもんじゃねえ。殴り合いだ。しかもルールなし。
油断した瞬間、誰かが殴ってくる。休んでる間にライバルは100歩先にいる。いいか、休むなとは言わねえ。だが、立ち止まるな。「一歩進む」だけで勝てる奴が大半だ。
今日も動け。汗をかけ。苦しめ。誰も見てなくても全力でやれ。そうすりゃ、数ヶ月後には、怠けてる連中が「どうやったの?」って聞いてくる。そのとき、おまえは笑ってこう言えばいい。
「おまえが寝てる間に、俺は走ってたんだよ」
さあ、立て。水を浴びろ。今日が変わる日だ。
っていかなぜ俺を作った
親はなぜうんだ 得するため
この世の説明
人間やれってか
川の石みたいに転がれってか
なにしてもいい
ゲームだったら楽だった
仕事だったら楽だった
まあでも動物の森だったら おれ なにすればいいんだろってなってるかも
マリオだったら まあ 死ぬのが怖いから それを避けるためになんかやるのか
なにしてもいいっていうけど
いーや 死んだら終わりだから どうでもいいだろ
気分が落ちるのは副産物
脱意味化
答えがあると信じてるのは洗脳
前提で
白い世界 いったら なにもしなくなる
結局はなにやってもいいにたどり着く どれも
洗濯めんどい → 負担がでかい → 負担を減らす 全部やらなくていい
昔立てた目標をしぶしぶやってる しぶしぶ やる気ない
タマがぶつかり合う いろんな模様 ようまた会ったな それだけ
神のファーストショットのせい そっから流れるように動いてるだけ
まあやりたいことで来てるかって言われたら まあでも動いてるだけ
正解不正解ないけど 問題はとく やりたいから選んでるだけ 書いてるだけ
間違えるっていうか ただその選択を書きたいだけなんだよな
相互尊重義務を負うてもええどって宣誓を伴わないで始まる権利の主張が求めてるのは権利ではなく特権というやつなんだよ ヴェイユの場合誰にも尊重されてない状態を仮定したらそこには権利なんて存在できてないだろという理屈やが 基本的人権も義務から権利が生じるものや 人権は誰かが守ろうと思って初めて意味がある みんなが守ろうと思っているために強大な力をもつわけやが、守ろうとするやつがひとりだけでも意味自体はある ところがこの人数がゼロになった場合、権利は存在してないものと見做せる。誰も認めていない権利は権利としての効力がない 権利は認められて初めて権利足り得る よって認めろ、という義務がいるわけや 義務は権利に先立って存在するなんてのはとくに目新しい理論ではない いちばん名前が通っているのはカントかな 義務は権利のためにあるのでさえなくて義務として独立して存在する。権利は義務を果たした場合の論理的帰結としてしか存在しないんやカントのなかでは シモーヌ・ヴェイユはご覧の通りやし、ハンナ・アーレントは迫害を受けた実体験から存在するだけの権利には権利としての性質がなく「共同体に属する義務」が権利(行使できる権利)の前提だと主張しとる 果たすべき義務はひとによりマチマチやけどな 権利として存在するだけの権利には権利としての性質(行使でき、主張でき、保護され、尊重されることbyワシ)がないんじゃないか? というのはだいたい共通しとる 権利は効力を得たその時に生じる、という権利観や カント倫理学はハイパー難しくてよくわからんが、権利は義務から生まれる副産物であり、しかも義務は権利を生じさせるためにあるわけではないという修行僧みたいな義務観で喋るのはわかる が、天賦人権論よりは権利の生成過程を論じるにつきよほど科学的に説明しているといえよう 義務が権利を生むという世界観においては誰かから与えられないかぎりはあらゆる権利を人は持たない 世の中のほとんどの国はこの義務先行説、おれが保証して初めておまえらに人権あり、という制度的人権保証システムで回っとる 明示的に人権とは神から与えられし恩寵と認定してるのは合衆国憲法くらいのもんや。あとはみな不可侵性の強調などで人権の由来をボカしているが、憲法以前、あるいは憲法より上位の規範に人権が存在しない以上は国家が法により権利を具体的に保護するまで権利は存在し得ないわけや 天賦人権論ってワシにはオカルトトークにしか見えんのよね 概念は法により定義されてはじめて存在するようになるというケルゼン法学的な考えのほうが好きじゃわ
「火垂るの墓」を観た感想として「幼いふたりの死は清太が判断ミスを重ねた結果で自業自得だ」というものがあるそうだ。そのことについて朝日新聞が「自己責任論の蔓延によるものだ」として憂慮する論説を出している。
https://www.asahi.com/sp/articles/AST9C0SCRT9CULLI00QM.html
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「清太はバカだ!」「清太のミスで節子も死んだ!」とかいうリアクションが出てくるのは、物語に真剣に入り込んでるからよ。
鬼滅に夢中な子供の横で母ちゃんも付き合いで観てても必ずしもちゃんと話追ってない。ざっくりと、悪者を倒すんでしょくらいの解像度で観てる(もちろん夢中になってる親もいるが)
何やってんだそこで◯◯の呼吸使えよ善逸のバカ!って騒いで見てる子は怒ってるんじゃなくてしっかり楽しんでるよね。
そういう「物語の力」を、反戦思想に資するものとしてわれわれは(ということにしておこう)無警戒に利用してきた。おもしろい物語にすることでこぼれ落ちるものや、生まれてしまう副産物に何の注意も払わずに戦争の物語化カルチャーを営々と積み重ねてきた。
「ある戦災孤児の死」の物語を鬼滅と同じノリで消費してしまうバカガキどもを「自己責任主義の蔓延のせいだ」とはずいぶん安直な言い訳があったものだ。
一貫してそうなるように教育してきたんじゃないか。現実の歴史を勧善懲悪やお涙頂戴の物語にすり替えて「正しい解釈」を植え付けるという「反戦教育」が順当に実を結んだだけ。
殊に「愚かで邪悪な指導者がその愚かさと邪悪さのゆえに無辜の民衆を煽動して戦争に引きずり込んだ」「昔の人は無知だから簡単に騙された」という戦争観は、後知恵の万能感によって現実の戦争という巨大なカオス的事象を平坦に塗りつぶすものであり、「自己責任論」という便利な悪役に責任をなすりつけて事足れりとしているのは言うまでもなくその延長線上にある。
問題の「清太がミスったのが悪い」なる浅薄な感想は、かくのごとき幼稚な言論文化の正嫡と言えるだろう。
今目の前でウクライナやパレスチナで起きている戦争はとても分かりにくい。戦争について全てわかっているふうに語ってきた伝統的左翼は頭バグってロシアプロパガンダに絡め取られたりしている。
火垂るの墓にはリアリティを感じられない世代の人も、ガザで起きていることの不条理さは肌で感じている。左翼の陳腐なおどりが完全に賞味期限切れになったのを危ぶむ必要も嘆く必要もない。
ジョジョ7部のアニメがNetflixで全世界配信決定のツイートを見かけた
正直予想はしていたが案の定リプライや引用には独占配信か否かで騒ぎ出す層が跋扈していた
自分は彼らの感情が一切理解できないのだがアニメでは一定層そういった意見が散見されるのも事実だ
よって今回はそんな方々が何故現れるのかを自分なりに考察してみたのでまとめようと思う。反論は受け付ける
ビジネスにおいて「値段を上げるとクレームや悪質なユーザーが減る」という法則があるのは有名な話だが、まさにそれと同じことがアニメでも起こってるというのが大多数であると思われる
言葉は強いが、端金も出せない貧乏人風情が平然と娯楽を享受したいというのがおこがましいのである
払いたくないのは勝手だが文句を言ったり苦言を呈したりするのはあまりに傲慢じゃないかと思う
というかそもそも独占配信とは言えどリアタイ放送はやってあくまで配信では独占のケースや独占配信からしばらく経ったら他のプラットフォームや地上波解禁もあるパターンも多いので焦らず待てばいいじゃんとは感じる
まあこれはアニメに限った話ではなく昔からどこにでも現れるものなのである程度仕方ないのかなとも思っている
独占配信の話題で尽きない話題として「トレンドに載らないから盛り上がりに欠ける」「地上波に放送されないと周りに進めずらい」などの意見がよく見られる
あわよくば「ニコニコでコメントでワイワイしてないと見れない」とかほざく連中までいる
確かに世間での盛り上がりや周りとの共有が視聴体験の楽しさに大きく影響しているのは認めよう(5chの実況チャンネルは今昔どのジャンルも一定の人気があるし)
しかしそれはあくまで副産物的な楽しみであり自身で作品を視聴し、咀嚼し、考察し、気に入れば関連作品に手を伸ばす
そもそも一体感(笑)や話題性(笑)のようなフワフワした実態性のないワードを根拠に理論を展開するのが滑稽であるということに気づかないのだろうか?
かつては一部の愛好家のみが周りからの侮蔑の眼差しに耐えながらそれでも己の好きを追求していた
「推し活」なる承認欲求と自己愛に塗れたふざけた行動の大衆化や、SNSにアクスタやぬいぐるみと写真をアップしてアクセスを稼ぎたがる連中の増加
だいぶ私怨が入ったがこれにより「お客様精神」の肥大化が進行して図々しいオタクが増えたものと思われる
もちろん金を多く払った方が偉いなどと言う気は無いがかと言って無料で提供しろと文句を言うことに正当性は全くないだろう
まとめると要は「無料で気軽に楽しめるものでみんなとワイワイ盛り上がりたいから」というあまりに自分勝手な理由でしかないことが伺える
じゃあいっそそのくらい開き直ってキレてくれればまだ笑えるが、あろうことか「伝統の実況文化が〜」「コンテンツの衰退が〜」とかそれらしい理由をつけて批判を正当化したがる愚か者のなんと多いことか
別に名作はいつ見ようが一気見しようが毎週見ようが名作だし、リアルタイムで見れなかったからといってその作品にハマらないなんてことは無い
もっと周りに流されず自分の意思でアニメを楽しんでみてはいかがでしょうか
ところで独占配信と言えどアマプラならドキュメンタルやバチェラー、ネトフリでも全裸監督や地面師など話題になる作品はかなり見かける印象なのだがアニメだとなぜこうはならないのだろうか?
一説として実況文化の有無が大きいと言うがそれだけでそんなに変わるものだろうか?
よかったら意見を聞かせてください
最近韓国のpixiv的な同人2次創作サイトをよく閲覧している。絵も投稿できるサイトだが小説の方が多い。Google翻訳ではわからなさすぎるのでわざわざdeeplで翻訳して読んでいる。
ポルノに厳しいお国柄からか、日本のpixivのガバガバな年齢確認とは異なり成人向けコンテンツを見るには電話番号or身分証を用いた本人確認が必要。
そして案の定「年齢確認を突破する方法」「親の身分証で年齢登録する方法」みたいな文章が溢れかえっている。(中にはワザップみたいな明らかにおかしい情報もある)
R18(韓国だとR19)を読みたいキッズと読ませられない運営の攻防って日韓共通なんだなあ(白目)
外国人は自国の成人年齢に達していることに同意すれば基本的に本人確認なしで成人向け作品を読めるが、韓国人はどうやら海外VPNを使っても無理らしい。
面白いのはシステムが韓国年齢の基準で運用されており「19歳になる年の1月1日から成人認証が可能になる」というところ。例えば2006年生まれなら誕生日が1月1日でも12月31日でも関係なく2025年1月1日から成人認証ができる。
だから「1月1日にはみんなで成人認証!」なるキャンペーンがあり、我慢し続けてきた元キッズたちは一斉にそこで本人確認をするらしい。
しかしあのサイトには名文が多くて抜け出せない。2次創作でさえなければこの設定で映画1本撮れるんじゃね?というものも多数。
元の記事を書いた者です。
今はスターのような扱いを受け憧れの対象になるような方も増えてきていますが、それはAV業界が存続するための工夫の結果の副産物で「AVに出たら大金が手に入るよ!キラキラな世界だよ!かわいくなれるよ!」と、本来は忌避される業界に自ら入ってきてくれる女性を増やすために特別待遇を取ってきたからに過ぎないと思っています。
「そういう甘い誘いに軽薄に乗っかっちゃった女性なんだな」と哀れむ感情というのもどこかにあり、自らAV女優であることを選んだその人の自尊心の無さに、同性としてうっすらと軽蔑だとか何かしらネガティブなイメージを抱いている女性が多いように感じています。男性で言い換えるとホストみたいな職業がそうかもしれません。
まったくそう思わない価値観の方もいるかもしれないので全員がそう感じているとは言わないです。舐めてる、と言われればシンプルにそうかもしれません。
>持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
下記の理由で女児向けのマナー本に関心を持たない・手に取る機会がない子もいるわけだけどそういう子は「ステキじゃない」と……
・女児向けのマナー本の表紙のような少女漫画絵に魅力を感じない、それより小説や少年漫画の方が好き
・発達障害でよく物を無くしてしまうので極力持ち物を減らしている
・女の子らしくおしとやかに振る舞ったりヘアゴムやスカートで着飾るのが苦手、ボーイッシュな格好をするのが好き
・貧困家庭だったり虐待で親が子どもに物を買い与えない家庭で育っている
女児向けのマナー本って「オシャレ、モテ」といった言葉が使われていることも多いから教育の現場に向かないとみなされほとんどの小学校の図書館には置いてなくて(少なくともウチの地域にはなかった)、各家庭で買う形になるだろうけど、こうして定期的に女児向けマナー本の存在がバズることでより格差が広がっていくんだろうなと思う
女児にマナー本を推し進めるのは女児村の掟を強めるだけで、それに背く上記のタイプの「ステキじゃない女児」をより迫害し、生き辛くするだけ
逆に言うとマナー本を喜んで読み、それに迎合できるタイプの女児は「芋女」をいじめる強者女性側になれるだろうから、いじめられない子に育てるためにおすすめするのは正解なのかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20250804224139
の増田の言う「こんなゴミみたいなことより嘘をつかない、卑怯な真似をしない、貸し借りは綺麗にするといった根源的躾を学んだ方が良い」というのは深く同意するんだけど、
実際は中途半端なスペックの人間が女子コミュニティーで人間的に正しく生きているとキラキラ女子にいいように利用され尊厳を踏みにじられいじめられるだけなのが悲しいところ
「眉毛を整えられない女は頭がおかしいから近寄らない方が良い」 「服装が芋臭い、仕事できなさそう」 「この人髪の毛がパサパサしてるし、知的障害があるんじゃない?」とか、大人でもずっとやってるし
オンナのマナーを守れないのは社会の迷惑者として糾弾して良いものとしているからね
最近はアニメや漫画、アイドルオタクの間でも、「容姿や持ち物を美しく保たないのは推しに失礼で推しに迷惑をかけようとしている」とみなされて芋ブス女はむしろオタクの資格がないらしいから大変だよ
男児に「クッション言葉を使え、絆創膏を常備しろ、俺じゃなくて僕と言え」なんて「マナー」を推し進めたところで……
ママは息子がそんな風に育ったら子どものうちは「ボクちゃんステキよ!」ってご満悦だろうけど
女児村の掟を仕込まれた男の子なんて将来ただの弱者男性まっしぐらだからどうなの?と思う、ここは男女逆なの面白いよね
ただまあ社会はどんどん不寛容になっていってるからマナー本を買い与えるのがより当たり前になっていくのかな
私や私の友達は一番上に書いたような「ステキじゃない女子」グループだったので、ブリブリの少女漫画絵じゃない、むしろ男児向けのものが増えてくれると助かるのはそう
もし「図書館の定番」になるくらいの男児向けのマナー本を作るとしたら
・パズル、迷路、クイズ、間違い探しなどゲーム要素を入れ、その副産物としてマナーを学べるようにする
とかそんな感じになるのかな
子どもの頃にそんな本があったら「どこに行っても女児村になじめず女性に嫌われていじめられて無職ひきこもりになる」っていう今みたいなことになってなかったんだろうか
路上で活動を始めて1カ月が経過した。回数にして20回くらいだと思う。1回につきだいたい2時間程度活動する。
最初の頃は通行人の目が怖くて怖くて仕方なかったのだが、ある時宗教勧誘に遭い、それを機に「むしろもう何でも来い」という気になった。今では歩いている人にこちらからコミュニケーションを取ることも出来るようになった。
ただ、1カ月とは言うが、実際に活動が出来るようになるまで3年かかった。それまでは「やろうやろう」と思って、出来ない日が続いた。今思えばとてももったいない。
路上で活動をしていると「自分のことを気に入ってくれる人は気に入ってくれればいいし、嫌いな人は嫌いでよい」という、よくある自己啓発的な考え方がリアルタイムで経験出来る。
これは思わぬ副産物だった。
実際わたしに興味を持ってくれる人は近寄ってくるし、興味を示さない人は、まるで私がここにいないかのように、スルーして歩いて行ってしまう。
当初、私は街行く人が自分に、攻撃をしてくるものだと思っていた。バカにしてくるものだと思っていたが、現実は違った。誰も攻撃して来ないし、だれもバカにして来ない。
たまに笑ってくる人はいるし、上から見下してくる人もいるが、それはそういう人なのだろう。路上の友達が出来た事も大きい。
通行人として、路上販売者を見るときの視点と、路上販売者として通行人を見るときの世界は180℃以上違う。一度体験してみるといい。
路上に座っていると、通行人はみな同じような人間に見えてしまう。街を歩いている人は、社会的地位のある人もいれば、金のある人、学歴のある人、才能のある人もいるのだろうが、ただ歩いている姿を見る限りでは、みんな同じ人間である。
それが世の真実なのかもしれない。
創作は作者の中にあるものを外へ表現する手段の一つであり、それ以上でも以下でもない。
が、私たち人間には心があるので、人によっては創作物に「希望」や「不快感」など様々な感情を抱く。
しかし、それはあくまで副産物。本来、創作は生物が生命活動を維持するにあたり、不必要で意味のないものだ。
それが創作である限り、どんな内容だろうが、そこにあるのはただの虚構だ。
例えば、駅のサイネージにドスケベ交尾や生首切断のイラストが掲載されていたら、それは不適切だ。
公共の場所に親や子供に堂々と見せられない創作物を置くのはふさわしくないだろう。
(これに対して、現状イラストだって性的だ!と言い出す人がいる。私としては「お気持ちは分かったが、広告主が金を出し、駅施設から認可されている以上、いいだろ…」と思っているが、この話は論点がズレるので、おいておいてください)
しかし、今回は違う。
自分の意思で見たインターネットで、たまたま目についた創作物概要が「私の」不快表現だったので「不快な作品です〜!」と大声で発信する。
バカすぎ。
「Not for meだ」と感じた時点で静かにミュートすればいいだけだろ。
自分にとって不快なものを一切見たくないのであれば、今すぐインターネットをやめろ。
概要だけ見て理解した気になって批判をしている自分が、最も愚かであることに早く気がつけ。
現代日本において創作物を販売する以上、審査があり、不適切であると見なされれば年齢指定が付く。
法的に問題があれば、しかるべき対処がされる。それだけのことだ。
いくらお前がゴチャゴチャ言っても、審査機関はいつものように判断を下すだけだ。
創作物をどう感じるかは個人の自由だし、内容によっては不快に感じる人が居るのは理解できる。
お金を払ってゲームを、漫画を、映画をみた上で、レビューに「私には合わなかった」と書き込む。それでいいじゃないか。
ゲームを購入してもいない、作者のファンでもない、金を落とす気もない部外者がわざわざ騒ぎ立て、創作者ををわざわざ公衆の面前に引っ張り出し、「私が不快なものを創っています〜!どうなんですかねぇ?w」と大声をあげている。
非常に憤りを感じる。
私は人間なので、創作物を発信する人たち全てに敬意をはらっている。
それがどんな内容であろうと、自分の中にある感情や想いを、きちんとかたちにして発信できるというのは本当に素晴らしいことだ。
作者さんは概要だけでとやかく言われている現状に、さぞ混乱しているだろう。
大丈夫。あなたの創作(そして全ての創作)は素晴らしい。その輝く価値が分かる人は、きっと居る。
…と言いつつ、私も自らの意思で見たインターネットでムカついたことに対して「私が不快です〜!」と声を上げているので、本質的には上記で批判した人間と同じ行為をしている。ブーメランだ。
動物が好きですか?
はっきりさせておきましょう...動物虐待の99%は、普通の人々がそれに対してお金を払うために起こります。
人間は草食動物であっても全く問題ありません。代替品は年々良くなっているので、ビーガンのライフスタイルに切り替えるのは簡単だよ。21世紀になった今、人、動物、そして地球に対する残酷さは大幅に減らすことができます。
畜産は原因となっています:すべてのパンデミックの1/3、温室効果ガス排出量の15%、アマゾンの森林の約2エーカーが毎秒台無しにされ、世界中に輸出される動物飼料を育て、昼夜を問わず1種全体が絶滅しています。
畜産は、世界の全淡水消費量の20%〜33%を占めており、さらに一部を汚染しています。
畜産と水産養殖は131,000トン、または世界の抗生物質使用量の76%を占めています。
米国における抗生物質の80%は、病気の治療のためではなく、成長を最大化し、ストレスを軽減するための家畜用です。
WHOは、「抗生物質耐性は、今日の世界の健康、食料安全保障、開発に対する最大の脅威の1つです。(...)人間や動物における抗生物質の誤用が、そのプロセスを加速させています」
人間が動物性食品を食べる栄養は必要ありません。乳幼児や子供であっても、私たちの食事のニーズはすべて、動物を含まない食事によって最もよく供給されます。
世界の主要な健康問題は、カーニズムによって引き起こされています。
2,500頭の牛を飼育する農場は、人口411,000人の都市と同じ量の廃棄物を生み出します。
2,500ポンドの牛肉を生産するには、1ガロンの水が必要です。
畜産は、乱獲、汚染、気候変動により海洋生態系を壊滅させているため、海のデッドゾーンを引き起こしています。
毎年約30万頭のイルカ、クジラ、ネズミイルカが漁業によって殺されています。
漁具(年間640,000トン)を投棄することは、海洋プラスチックの致命的な形態です。ストローを小さくします。
350億ドルの補助金が世界中の漁業に向けられ、大型船、より多くの燃料、漁業免許、さらに多くの海洋生物の捕獲に支払われています。
世界的には、畜産に対する農業補助金が毎年5,000億ドルあります。さらに、それは同じかそれ以上のダメージや、値段をつけられないものを引き起こしています。
動物は痛みを感じますか?YouTubeで「ドミニオン、残酷な警告」をご覧ください:それは「放し飼い」や「人道的な虐殺」など、プレートに何が載っているかを示しています。
卵を食べると、雄のひよこを生きたままミンチにするためにお金を払うことになりますが、それらは力で繁殖する雌鶏の副産物です。
牛乳を飲むと、雄の子牛は出生時に屠殺され、雌の赤ちゃんは「あなたの」牛乳を飲まないように連れ去られます。「ハッピーミール」や子供向けのアイスクリームは、その痛みを抑えています。牛は何日も悲しみ、より長い時間忘れることはできません。オーツ麦ミルクは奇妙すぎるので、彼らのミルクをコーヒーに入れます。
ビーガンの代替品は棚にあり、あなたの決定が残酷さを救うのはたった1つです。
牛は、4つの胃からメタン(CO2の25倍の強力な温室効果ガス)を生成します。強制再生産(人間に強姦)された牛が10億頭もいます。牛はすべての畜産動物の温室効果ガス排出量の1/3を排出し、畜産はすべての人為的排出量の15%を生み出します。
肉食動物の食事療法は個人的な好みではありません。それはすべての人々、動物、そして地球に害を及ぼしています。
ビーガンであることはあなたをカットしますr カーボンフットプリントを半分に。
ビーガンは毎日1,100ガロン(4100リットル)の水を節約します。
ビーガンは毎日45ポンド(20kg)の穀物を節約しています。
非常に多くの世界の問題は、次に買い物をするときに棚から植物ベースの製品に手を伸ばすことで解決されます。
ヴィーガニズムは私たちの消化器系にとって自然なものです。3,000万人がヴィーガンを選択しました+5,000万人がヴィーガンに近い人です。ミス・ユニバースとドイツ最強の男はビーガンです。
動物の1/3は、馬、サイ、バイソン、ゴリラ、ゾウなどの草食動物です。
「いつの日か、他の動物の奴隷制に対する人間のほぼ普遍的な信念の不条理さが明らかになるでしょう。そうすれば、私たちは自分たちの魂を発見し、この惑星を彼らと分かち合うにふさわしいものになるでしょう。」