はてなキーワード: バラードとは
ある本を読んでいたら、「学生時代」という歌をペギー葉山さんが歌っていた、ということが書かれていた。
私の中でペギー葉山と言えばウルトラの母だったので、ペギー葉山さんの歌だったのかと驚いた。
Wikipediaを読むと「学生時代」は1964年の歌。私が生まれるより前の歌だ。
自分がなぜこの歌を知っているのかと言えば、小学校の音楽の時間に習ったからだ。
私が小学校に通っていたのは1970年代だが、そのころはこういった歌謡曲も学校の授業で合唱していたのだ。
(ほかにも「虹と雪のバラード」とか「クロネコのタンゴ」などを歌った記憶がある)
読んでいて、確かにこんな歌詞だったな、続きは何だったか…そうだ「枯葉の散る窓辺 学生時代」と続くんだった、とメロディーとともに思い出した。
小学生だった当時はここで歌われているような情景は知るはずもなく、この歌詞が何を意味しているのかも分からないまま歌っていた。
蔦の絡まるチャペルが何なのか、懐かしい友の顔が浮かぶのはなぜなのか、歌詞の意味を考えもせずただ歌っていた。
何十年もたったのに今でも歌詞を覚えている。雀百まで踊り忘れずというが、歌の力というのはすごいのだなと感心する。
そんなことを考えていてふと気が付いた。
いまならこの歌詞の意味が分かる。大学生の頃の思い出をたどれば、確かに懐かしい友の顔が浮かんでくる。
図書館の日々も、枯れ葉が散る秋も、自分の学生時代として我が事として思い出せる。
学生の頃にはそんなことは気にもとめず、何十年もたった今になってそのことを発見した。
とても不思議な感じだ。ノスタルジーとは違う、疑似タイムリープとでもいうのか…。うまく言えない。
子供時代と学生時代、そして老年に差し掛かった今が「学生時代」という私が生まれる前の曲でつながっている。
自分もずいぶんと長いこと生きてきたのだなと不思議な実感がある。
本を読んでいると書かれている内容にハッとしたりワクワクしたりすることは多い。
しかし今回のように、本の内容と全く関係のない事柄、それも自分の人生と深くかかわるような気付きを与えてくれるようなことはめったにない。
こういうことがあるから本を読むのはやめられない。
※ もとの本に書かれていたのは「図書館はいいよね、独特の匂いがあるよね、「学生時代」という歌を思い出すんだよね」という内容だった。
少し話題になってから原書で読んだんだけど(英語はものすごく簡単で読み易かった)、世間の評判ほど面白くなかった。イージーに読めてわかりやすい話だから人気は出るだろうなあとは思ったし、「火星の人」っぽくわかりやすい映画にできそうということもよくわかった。だがそれ以上ではないというか、ネタになってるサイエンスもかなり単純だし、意外性もあまりないし、何より人類が存亡の危機に瀕するとか、あるいは異星人と個人のレベルで遭遇し意思を通じるという、いってみれば個人としても集団としても実存にかかわる事件が起こっているわりには何も起こらないのだなあという感想だった。
だがこれほど評判になって、いまだにおもしろいといっている人が多いのはさすがに何かあるのだろうという気もするので、できればどこがどんな風におもしろいのか、自分が気がついていないことを教えてほしい。
なお自分の傾向について書いとくと、もともとSF読みではなく、SFでいえばどちらかといえばバラードとかフィリップ・K・ディックとかの方面を読んできたので、求めるものが違ったのかもしれないという気はしている。SFといえるものでわりと最近読んだのはジェフ・ヴァンダミアの『全滅領域』だが、『プロジェクト……』とどっちが面白いかといわれるとこっちの方がまだ面白かったように思う。どこが?といわれても難しいが(そもそもアレックス・ガーランドの映画が面白かったので読んでみたという経緯)。あとウェルベックの『ある島の可能性』あたりもSFといっていいと思うが、これも『プロジェクト……』よりは十分に面白かった……気がしている。
そこで繰り広げられる激しい言葉の応酬、いわゆるレスバトルに終止符を打つことをテーマにした、しっとりとしたバラードを紡ぎます。
(Verse 1)
夜の帳(とばり)が降りて 静けさが包む部屋
蛍光灯の淡い光 ただ一人見つめている
剥き出しの言葉たちが 傷つけ合う悲しみ
(Chorus)
分かり合えないと 嘆くよりも
温もり探して そっと手を伸ばそう
(Verse 2)
それぞれの想いを 秘めたまま彷徨い
言葉の刃(やいば)で 鎧(よろい)をまとう
本当は誰もが 孤独を抱えているのに
なぜ傷つけ合うの? 届かない叫び
(Chorus)
違う意見も 受け止めて
ゆっくりと語り合える日が来るように
(Bridge)
デジタルな壁の向こう側には
同じように悩み 苦しむ人がいる
顔の見えない相手に ぶつける怒り
いつか後悔の雨に 濡れてしまうだろう
(Chorus)
疲れた心を 優しく包み込み
(Outro)
静かに流れ出す 涙の跡を辿り
いつか安らぎの光 見つけられると信じて
増田の夜に 別れを告げよう
『映画 ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』を見た。当方古のおたく(おっさん)。
ヒプマイは木村昴くんが主人公でラップでバトルするアニメ、くらいの予備知識だったが、劇場でリアルタイム投票でストーリーが分岐するというのを体験したく、同じく予備知識のない職場の同僚と連れ立って行ってきた。
レイトショーなのに割引もなく2500円。「金をドブに捨てるつもり」などと冷やかし気分で行ったわけだが、2時間後には全員「もう一回見たい」となっていて笑った。
映画の冒頭は、6ディビジョン18人のキャラ紹介パート。ショートムービーだが効率よくキャラの属性や性格を叩き込まれる。
18人にわかりやすいキャラ設定があり、わかりやすく「立っている」のだ。軍人、小説家、パチンカス、社畜、と一言で言い表せるわかりやすい属性に、キャラを引き立てるための設定や演出が丁寧に積み重ねられていくため、初見でも映画を見終わる頃には何となく各ディビジョンやキャラについて理解が深まっている。なんなら推しも決まりそうだ。
ラップバトルが始まると、持っているマイク(これがヒプノシスマイク)がキャラに合わせて変化する。社畜ならガラケー、軍人ならトランシーバー、芸人ならセンターマイク、とわかりやすい。
さらに、演者の背後にはキャラの特徴を表したスタンドかペルソナのようなスピーカー?が浮かび上がる。服装、話し方、マイクやスピーカー、掛け合い、ラップの歌詞、と丹念にわかりやすくキャラクターが描かれる。
本編のラップバトルは3回だ。1回戦は6ディビジョンの1対1の戦いが3試合、2回戦は1回戦を勝ち抜いた3ディビジョンが順に歌いどれかに投票する。ファイナルは勝ち残った組の最終決戦でどちらかに投票する。
つまり 2^3 (8) * 3 * 2 = 48 パターンだ。エンディングは6ディビジョン+中王区のどれかの勝利エンドで7パターン。
白眉は1回戦。各ディビジョンは3人組で構成されるが、センターのメインキャラ同士の因縁があるようで(元は同じチームだった、とか)、単にラップで戦うだけでなく、戦いの前の掛け合いからキャラの関係性や各キャラの立ち位置、何のために戦うのか、などが初見でもおぼろげに見えてくる。
ラップバトルは3vs3で、3人と3人の掛け合いが、戦いの前と後に丁寧に描かれる。戦う前には挑発しあったり、後には健闘を称え合ったり。見ながら、これはあれに似ているぞ、と強く思った。3vs3でのバトル、個性の立ったキャラとその掛け合い、そこから見えてくる関係性、そう、これは格闘ゲームだ、『キング・オブ・ファイターズ』だ。
さて当方、以前に格ゲーのキャラの掛け合いが好きなんだがを書いたおたくなのだが、初めて見るヒプマイのディビジョンバトルとその掛け合い、演出は格闘ゲームを意識したものだと感じた。キャラ同士の掛け合いから、キャラ同士の関係性や物語の背景が浮かび上がってくる感じが大変心地よかった。限定された情報から想像を掻き立てられるのもまた楽しいものだ。
まだ映画を一回しか見ていないが、48パターンという掛け合わせから、1回戦の3試合の組み合わせは固定だと推測できる。1回戦の掛け合いがめちゃくちゃ面白かったので、これを全パターン見せてくれ。6ディビジョンだから総当り数は15なわけで、まだたった3つしか見せてもらってない。あと12個を頼む……。
初見の興奮のせいもあろうが、アニメーションは全編高品質に感じた。バトルシーンはほぼCG?その他のシーンは手描きもいくらかあったようだが(違ってたらごめん)、両者は違和感なく溶け込んでいた。
バトルの演出は、繰り返すが格闘ゲームの必殺技のような派手なものが多く楽しく見れた。本物のラップバトルよろしく超接近で殴り合うような距離でDISりあったり、長射程の飛び道具?による攻撃などもあって多彩。
曲、歌詞、ラップも各ディビジョンやキャラの特徴をうまく捉えていて、バラエティもありどの曲も飽きずに楽しく見れた。テンポよいラップもバラードのようにしっとりしたものも。ラップバトルの1試合は単なる歌詞のぶつけ合いではなく、2つのディビジョンで1つの曲を一緒に完成させるようなもので、交互にラップをする部分もあるが、全体としては一つの曲を一緒に歌っている。これも不思議な高揚感があり良かった。
毎回異なる展開が楽しめるこの映画、なんと全国の劇場での全ての上映の投票結果が公式サイトに公開されているのだ。
例えばこれはTOHOシネマズ梅田の結果一覧。やはりオオサカ・ディビジョンの「どついたれ本舗」が強い。
https://hypnosismic-movie.com/voting-status/cinema/#N9C6B006CA68C
自分の見た上映結果をあとで見返して「ここでこちらに投票していたら…」と想像するのも楽しいし、各地方でどのディビジョンが強いのか眺めるだけでも楽しい。これは発明だと思う。
見る前は「金をドブに捨てるつもり」などと言っていたが、今は次いつ見に行くか考えている。できれば、1回戦は全部別のディビジョンが勝ったパターンを見たいし、ファイナルの結果も別パターンを見たい。新しい扉をくぐる体験はいくつになっても楽しい。
その感情が今までのジャンプバトル作品にある「俺がTSUEEEE!」じゃないところ。
むしろ鬼側が「俺がTSUEEEEE!だから好きなようにぶっ〇してやるぜ!」やってて、それを悪だと否定してくるところ。
その感情とは誰かを大事に思う気持ち。人間を肯定したい気持ちなんだけど、
「人間が好き」がメインの作品は今までにもあったけど、爆発し続けたまま最後まで走り抜いたのはちょっとほかに覚えがない。
だいたいバラード的抒情的なのんびりした流れでそれはそれの良さがあるが、爆発・疾走感はない。
あとは余計な軋轢も入れ過ぎて苦みばしったり、バランスが悪い。
人間の底知れない悪意、悪意すら自覚していない邪悪さがガザやウクライナで発揮されているのを見ると、
推しの名前をGoogleで検索すると、検索結果のいくつかに、記事のタイトルは推しの名前が含まれているのに、見知らぬ中年男性がサムネイルのネットニュースが表示された。先月の話だ。サムネイルは、見知らぬ中年男性、とんねるずの石橋貴明氏を経て、今は高校野球になっている。推しはまったく関係ない。
そのネットニュースは、スポーツブルという会社が配信していている。スポーツブルは「芸能人がインスタグラムを投稿して、ファンが反応した」系のニュースをよく書いている。こういうこと言いたくないけど、記事を書いたのは人間ではなくてAIじゃないかと疑っている。
私の推しはちょっと伏せさせてもらって、人気グループのSnow Manを例に挙げてみる。
Snow Man 向井康二 ファンへ感謝!「名古屋ありがと」 | 話題の投稿 | スポーツブル (スポブル)
バラードも明るい曲も完璧!Snowman・渡辺翔太の歌声に癒されるファン続出 | 話題の投稿 | スポーツブル (スポブル)
という構成になっている。「あたりさわりのない情報」がネックだ。他社が配信する「芸能人がインスタグラムを投稿して、ファンが反応した」系ネットニュースだと、その位置にインスタグラムの内容を補足する情報やちょっとしたエピソードを書いて、その芸能人のことをよく知らない人が読んでも理解できやすいようにする。だが、スポーツブルはそこが不十分だ。
先ほどのSnow Manの例1つ目だと、インスタグラムは「RAYS」の名古屋公演について書いているのだが、記事は「RAYS」がSnow Manのドームツアー「「Snow Man Dome Tour 2024 RAYS」の略だという説明がないので、その知識がない人が読むと「わからん…」となる。
例2つ目は、何かの曲を歌っている渡辺翔太さんに「オトノナルホウヘ」という言葉が添えられている投稿だが、「オトノナルホウヘ」がSnow Manのベストアルバム「THE BEST 2020 – 2025」に収録されている渡辺さんのソロ曲という説明がないので、やっぱり「わからん…」となる。グループ名も「Snowman」ではなくて正しくは「Snow Man」だ。
インスタグラムが「(雑誌名)が発売されました。見てね」のときは、何月何日にどこの出版社から発売されたのかを書かないし、「(テレビ番組名)に出演しました。ありがとうございました」と共演者と一緒の写真が投稿されたときは、何月何日放送か、写真の左から何番目がご本人か、共演者はどれがどの人なのか書かない。共演者がグループ所属の人だった場合にグループ名も書かない。記事にはインスタグラムのキャプションとファンのコメントから得られる情報しか無いのだ。
「これ、芸能人がもっとキャプションをわかりやすく書く必要があるんじゃない?」って思うかもしれないけど、芸能人側が詳細に書いてスポーツブルの記事の精度があがるというのは本ッッッ当にありえないから、芸能人はそのままでいてください。
ググったときに表示されるサムネイルの問題もある。他社だと記事の始まりに意味のない画像(芸能人の名前のデカ文字とか)を貼って、Googleのサムネイルにはその画像が表示されるようにしている。
スポーツブルはそういう対策していないので、サムネイルは芸能人がインスタグラムに投稿した画像か、記事の後ろに貼ってあるスポーツ動画のキャプチャーになる(その動画に、見知らぬ中年男性や石橋貴明氏が出演している)。記事によっては、例に出したSnow Manの記事2つ目のように、インスタグラムに投稿された画像を加工して冒頭に貼り付けている。当然、Googleのサムネイルはその画像になる。自分の所のアクセス数を増やすために、芸能人がインスタグラムに投稿した写真を使うなよ!本ッッッッッ当にありえんわ!!!
インスタグラムの埋込機能を使ってニュース記事にすることは著作権侵害にはあたらないらしいけど(参考:「Instagramの埋め込みは著作権侵害に当たらずInstagramはその責任を負わない」という判決が下る - GIGAZINE)、埋込機能じゃなくて普通に画像貼っちゃってるのは著作権OKなんですか?
Snow Manは日々多くのネットニュース社で記事が配信されるけど、推しはそれほどじゃない。スポーツブルは記事の更新頻度がすさまじい上に、gooニュースとかdメニューニュースとか様々なサイトにも提供されている。Googleはご丁寧に、たくさんその記事を拾ってくる。Googleのフィードバックで「質の低いコンテンツ」って報告してるけど、全然効果ない。こんな記事より、ライターが芸能人に直接会って書いた記事の方を検索上位にしてほしいのに。
ずっとメロディーみたいな、サビどこ?みたいな歌、バラードって言えば近いけどもっと全般にキャッチーじゃない歌
人並みみたいな、でも習ってたりしないから凡人みたいな、そこらへん
そんな自分が好きになる音楽って、やっぱ大衆受けするキャッチーなメロディなんだよね
覚えやすい、耳に残るやつ
でも年取ってきて、音楽やってる人とか音楽の感度高い人とカラオケいくと、その薄味な歌歌うわけよ
それが妙にかっこよくてさ、なんか自分の好みが「お菓子好き」みたいな子供っぽいものに感じられて
これって、薄味ってのは凡人が言う悪口で、感度高い人には自分が思ってる以上の味が感じられてると思うんだよね
例えば音程以外の、声の質だとか、表現とか、楽器の音色とか、歌詞だとか、だからその人はそれが良いと思ってるんだと予想してるんだよね
自分は昔から、早口だったり高かったり派手だったりする曲が好きで、まあそれは基本売れ線なわけで、その感性はいいんだけど
薄味も楽しみたいと思うんだ
でも覚えてカラオケで歌ってみるとまーー覚えてない、上がるのか下がるのかわからん、記憶に定着してない
やだねえ
歌謡曲のときは、みんなが聞こえるようにわかりやすいメロディ使ってたけど、最近容赦ないじゃん
分かりてーな
つじあやのと奥華子は、日本のシンガーソングライターで、それぞれ異なる音楽スタイルや背景を持つアーティストです。以下は彼女たちの区別ポイントです:
### つじあやの
### 奥華子
これらの違いを理解することで、彼女たちの音楽やパーソナリティーをより楽しむことができるでしょう。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A5%25A5%25E8%258F%25AF%25E5%25AD%2590)(https://en.wikipedia.org/wiki/Hanako_Oku)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2581%25A4%25E3%2581%2598%25E3%2581%2582%25E3%2582%2584%25E3%2581%25AE)(https://en.wikipedia.org/wiki/Ayano_Tsuji)
これをたまたま見かける識者がいるとは思ってないけど、一応きいてみる
アルバム『BPM 150 MAX』に収録されたこの曲なんだけど、
扱いが「ボーナストラック」ってことになっているのが謎
ちなみにボーナストラック曲はもう一曲あって、そっちは『RHYTHM EMOTION』のバラードアレンジなので、まあこっちはわかる
X'MAS DREAMSのほうは、そういったアレンジでもない曲なのに、ボーナストラック扱い
当時のファンサイトの掲示板でも聞いたんだけど、TWO-MIXとは関係ないイベントへの提供曲だ、以上の情報は返ってこなかった
いま改めて調べても、ほんとに何の情報も出てこない
経緯を知っとるやつ、おる?
朝起きたら一番にKiroroを聴いてる
寝ながらKiroroを聴いてる
「Best Friend」を聴いて、
Kiroroってピアノ伴奏のバラードばっかりだと思ってたけど
ロック調のもあるし打ち込みっぽい曲もあるし
バラエティに富んでて飽きないし
声が好きだし
みんなもKiroro聴いてほしい
とりあえずサブスクとかでベストアルバムの「Kiroroのいちばんイイ歌あつめました」を聴いてみてほしい
なんていうか、勇気をもらえるし
ポップなのにオルタナっぽい感じすらある
もしよければ、是非聴いてみてほしい
元増田ですが、自分が言いたいのは「恋愛を軸にしたロマンチックなシチュエーションを歌詞の世界で紡ぎ出すことに突出したセンスを持っており強烈な訴求力を発揮していたからこそ、時代とは逆行する側面がある」です。
「僕はこの瞳で嘘をつく」はもろに浮気の歌だし、「僕は僕なりの」はスローテンポなバラードなのに歌詞から伺わせる恋愛像はぎょっとするほど不実。それが逆に独特の世界観を生み出している。そういう歌詞を書く人だと思っています。
歌の歌詞が大事なのかそれとも副次的なものなのかという考え方は人それぞれですが、レコード会社に書かされただけとか、当時の一般的な感性に迎合しただけというような言い方は逆にあんまりではないでしょうか?