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はてなキーワード: カウンセラーとは

2025-12-09

anond:20251209123738

心理カウンセラーに通って、この一連の投稿について聞いてみては?

anond:20251125192426

拝啓ユーザー様 何が楽しくて生きている?

レースお笑い? Sns? 動画サイト? ゲーム? アニメ?

アニメは観てるだけでいいなって唄ったが25分も持たない

もっと刺激的なのを頂戴 人智の及ばない世界と通じたい

Sfぐらいにしか興味が持てない

そもそもこの現実がつまらない

どれもこれもが観たことある存在 もうオリジナルなんて生まれない限界

もしぼくがプロポーズするならきっと美しい花咲く丘で 断崖絶壁の上に広がる丘で

それこそが最高のファンタジー この世にありえない幻想

しゃかりきになって働く

遮二無二営業ノルマも達成して優勝!

クレーム電話にも出る

から謝りもする

すべてはきみが居てくれるから頑張れる

Hey, clap your hands

Are you still okay?

Open your eyes!

きみだけをきみだけをって唄った気もするが そのきみはどこにも居ない

ひとに興味がない 冷たい無機質な状態

簡単にメシに誘えるなんて思うなよ 365日ぼっちメシで完了

帰省もしない 親に顔見せない 安泰な my life ただ心は荒むばかり

たまにはいいこと起こらないかなって思うんだ

映画みたいな出会いとか ねえきみはどこに?

そばにいてよ ぼくを見つけ出して ここに居るんだよ

100年の孤独の中で待ち続けてんだよ

プロポーズするから 宇宙にぽつんと浮いた花咲く丘で

満員電車に揉まれ

足踏まれても完璧プレゼンして優勝!

嵐が来ようが負けない

ビニール傘で立ち向かう

すべてはきみが居てくれるから

生きるってなんなんだ 答えを教えてよ

医者カウンセラーにも答えられない質問なんだ

生きるってなんなんだ 答えを教えてよ

生きなきゃってわかったらプロポーズするから

あの宇宙に浮く美しい花咲く丘で

しゃかりきになって働く

お昼は特製手作り弁当で優勝!

死んでたような毎日

きらきらと輝きだした

それは全部きみと会えたか

会えたんだ

会えたよね?

会えたっけ?

会えた気が

しただけか

夢だった

わかってる

そんなもの

2025-12-08

anond:20251208211327

うちも数年前にかなり似た状況になったので、ご参考までにの情報共有でした

本人はひとまず置いておいて

増田か、増田+ご両親とかで、自治体無料提供してるギャンブル依存症カウンセラーさんの所へ相談に行くと良いかもね

餅は餅屋で、状況を聴いた後に色々方策を教えてくれて、その後も希望すれば定期的にカウンセリングしてくれる

うちの場合は私が調べて見つけたところに、母と私で何度か通ってお世話になった

2025-12-06

うつ病からASDと診断された


うつ病で1年以上休職した。寛解はしていない。

その過程知的な遅れがない中度のASDと診断された。

若くはない。既婚。復職の目処は立っている。

けれど、漠然と「死にたい」の気持ちが胸の中にある。

ASDと診断された時、正直な感想としては「ほっとした」だった。

なんとなくずっと生きづらいと感じていたから、そこに理由がついて安心した。

けれど、安心したのはその診断を下された時だけだった。

そのあとに残ったのは2つの考え。

「もう仕事成功することはないのだろうな」

子供を作るべきではないのだろうな」

仕事に関しては、休職した時点で諦めていた。もうすぐ昇給、というところでの休職だったから、休むことで評価は下がると人事から伝えられていた。

上司からは「希望すれば昇給できる位置にいる」と言われているが、職種特性がとにかく向いていない。

地道にコツコツと同じことを繰り返すのが好きだ。けれど自分職場では毎日が「突発」の仕事ばかりで、とにもかくにも他部署との調整業務が発生する。不測の事態と対人折衝が苦手な自分にとっては、あまりにつらすぎる。

先輩からは可愛がられ、後輩からは信頼され、仕事バリバリこなしている同僚を思い出すと、ああ、自分はもうこの土俵には立てないのだな、と痛感する。

自分ができることといえば、PC作業が人より少し早いぐらいだ。それだけだ。

子供の頃から憧れていた「仕事のできる人間」にはなれないのだと、諦めるしかないのに、それでも醜く縋りたくなる。

ASD遺伝性は今はまだ証明されていない。しかし、その傾向は強くあるように感じられる。

自分の両親は健常者だったと思われるが、自分遺伝子を継ぐ子はやはりASDになるのだろうか。そうだとしたら、生まれてくる子が不憫だ。

知的障害のない自分でさえ、こんなに生きにくいと感じているのに、万が一知的障害を持って生まれたとしたら? 自分より辛い人生を送らなければいけないとしたら? 

妻は子供を望んでいる。自分うつ病になってしまったせいで妊娠適齢期を逃した妻は、好物の酒を我慢して妊娠の準備を進めている。

妻。出来損ないの自分努力家だと評し、愛してくれている、自分には勿体なさすぎる妻。

自分うつ病ときに支えてくれ、自分よりも仕事評価され、収入も安定している、よくできた人間だ。

その妻に向かって、子を諦めろというのは、酷だろうか。自分以上に障害の重い子が生まれるかもしれないが、彼女はそれでも子を望むのだろうか。

申し訳ないが、自分には育てられる自信がない。自分の面倒を見るだけで精一杯なのに、その上、人の命まで背負う覚悟が足りていない。

子は欲しい、と思う。友人達が我が子を愛する姿を見ていると、自分もそうありたいと思う。何より、愛する妻の子は、それは世界一可愛いだろうと思う。そんな我が子に会いたいと思う。

けれど、そんな愛おしい我が子に、自分よりも辛い人生を送らせられるのか。大変な人生を進まなくてはいけない我が子を、自分は支えられるのか。それだけの覚悟を決められるのか。

悩んでも悩んでも、結論が出せずにいる。

勇気がなくて、子を授かることについて自分意見を妻に言うこともできずにいる。

そもそも自分は本当に自閉症スペクトラム障害なのだろうか。

なまじ知的な遅れがないから、この「生きづらさ」以外で自分特性を実感することがほぼない。

かに、こだわりは強い方だろう。仕事はなる早よりも納得がいくまでやりぬきたいし、趣味プラモデル自分が良いと思えるまで時間をかけたい。

少し潔癖気味かもしれない。濡れたものはなんとなく汚く感じるから、一度使ったハンカチはあまり使いたくない。ウォッシュレットも清潔に思えないし、そもそも他人が座った便座に座りたくないか和式の方が好きだ。

食べ物は味の苦手さよりも食感の苦手さの方が強い。あんかけかた焼きそばの、柔らかさと固さが混ざった歯触りが嫌いだ。数の子を噛み砕く時の、ぎゅむぎゅむという歯触りがつらい。

人との会話についていけない。1対1ならば落ち着いて話せるが、複数人となるとどのタイミングで口を挟めば良いのか見当もつかない。コミュニケーションではなく、タイミングよく相槌を打つだけのリズムゲームになる。

そもそも、人の声を聞き分けられない。お立ち台に上がった部長マイクを使って話していても、周りのざわめきの声が大きく感じられて、部長が何を話しているのか全然聞き取れない。食堂で同僚の話を聞きたくても、高速道路運転手が何か話していても、周囲の音にピントが合ってしまって何もわからない。

何より、会話の塩梅がわからない。相手不快な思いをさせたくないから下手に出れば「何を言いたいのかわからない、お前の意見はないのか」と言われ、それを踏まえて自分なりの見解を伝えようとすると「こちらの考えを無視して強引に事を進めようとしている」と言われる。上司は「練習すれば治る」と言うが、子供の頃からそうだったのに今更治るのだろうか。

カウンセラー自分ASD判断したのは、上記の内容が理由だ。

正直、自分グレーゾーンだと思っていた。けれど、中度のASDと診断された。自分は、そんなに社会に溶け込めていないのだろうか。

そんなに面倒な人間を、妻に押し付けしまったのか。

将来のことを考えると、不安が重なって波のように押し寄せてくる。そうして、漠然と死にたくなる。

復職に向けて準備をしていると、元に戻れるのか怖くてたまらない。

同僚の仕事の話を聞くと、自分けが取り残されていて苦しい。

公園で遊ぶ子供を見ると、その親が羨ましくてつらくなる。

わかっている。ただ、うつ病が治っていないだけだ。ただのうつ症状だ。そうして頓服薬を飲んで、不安を紛らわせている。

自分ASDでなければ、こんな思いをしなくて済んだのだろうか。いや、自分が弱いだけだろうな。

それでも、弱音を吐き出したくてたまらない。

早くうつ病を治して元の生活に戻りたい。いや、元の生活に戻るとしたら、またあの残業地獄に戻らなきゃいけないのか。それも嫌だ。何がサブロク協定だ。

普通人間になりたい。

そうでなければ、どこかに消えてしまいたい。

けれど、妻を置いていくのは嫌だ。

ああ、なんて儘ならない人生なんだ。

2025-12-03

anond:20251202221445

自分母親容姿性格をチクチク言われてた側だったか増田気持ちちょっとわかる。

女の子ってわかったとき不安過ぎて妊娠中に何度かカウンセリングにも行ったんだよね。(33歳くらいだったはず)

その中で、あーあん母親でも当時は大好きで世界のすべてで、私はそんな母親にそのまんま愛されたかったんだなーって腑に落ちたタイミングがあって。

今思えばそこで認知の歪みが正されたんだと思うんだけど、それからまり他人の目を気にしなくなったりダメ人間だ…って悩まなくなって息がしやすくなった。

自分では大したことじゃないと思ってたこともカウンセラーさんに話したらなぜか涙が止まらなかったりして、どうやらめちゃくちゃ傷ついてたらしい。

(そのままで生活に支障があるので「自分母親に言われた通りの人間だ(だから言われて当然だ)」と脳が書き換えるらしいよ)

アラサーって30年間溜め続けた感情煮詰まってどうしようもなくなる時期っぽい(n=1*私)から、ここらで一旦全部吐き出しとくのもいいかもしれないよ。

増田と当時の増田が健やかに過ごせることを祈ってます

2025-12-01

子に障害があり、絶望していたが立ち直った話。

胎児期に母子感染して第2子が障害児で生まれた。

たまたま感染し、母体免疫がなく、子にまでうつったパターン。すごい確率であるワクチンもない。

1歳3か月の今わかっているのは2級相当の身体障害だけだが、同病の人たちの例を見るに恐らく重度か最重度の知的障害は確実だ。

左の手足は動くが右の手足はうまく動かず、将来歩けるかも怪しいと主治医は言う。

離乳食は7か月程度の形状から進んでいない。

聴覚障害もある。裸耳だとギリ、ザコシショウが聞こえるくらい。

0~6か月の頃は「何とかなるだろう」とのんびり構えていた。耳が聞こえないこと以外普通の見た目だったから。

育休から復帰して、子の通院とリハビリ仕事毎日が大忙しだった。共働き年子核家族家族一丸となって家庭を回した。

6か月でやっと首が座り、寝返りハイハイに進まない。

6~12か月の頃が一番辛かった。この頃はまだ聴覚障害しかわかっていなかったから。

将来的に自立できるのか、できないのか。親ができることは何か。第1子の今後受けるだろう負担を思うと申し訳なかった。

このままでは狂ってしまうと思い、児相に連絡し1時保護をしてもらった。

保護してもらっている間、第1子を構い倒し、学生時代の友人に会い、インターネットの友人に電話して話をきいてもらい、児相担当者に甘えまくりカウンセラーにも甘えまくった。

両親も義両親も「できることはなんでもやる。できる限り助ける。」と言ってくれた。

どうやら皆我が家のためにできることをやってくれるらしい。障害があっても世界は受け入れてくれるらしい。

約2か月の保護期間を終え、子は帰ってきた。

2ヶ月ぶりの再開なのに子は特に成長していなかった。生まれ1012ヶ月の時点で、この子は何も変わっていなかった。

でもこの子自分で呼吸ができる。痰を飲み込むことができる。

絵本を眺めるのが好きで、人間観察も大好き。電車に乗ると景色ではなく乗客を見て楽しんでいる。

動きが比較的良い左足で上の子を触ろうと挑戦している。

知らない人に抱っこされると目を見開き口がへの字になる。

両親、祖父母、親戚、保育園先生看護師聾学校先生児相担当者主治医リハビリ関係者、道を行く老若男女に構われ愛されている。

いずれ親亡き後は施設に行くだろう。

できる限りいい施設に入れよう。上の子負担にならぬよう親は精いっぱい頑張ろう。

幸福も不幸も人と比較する必要はない。

暖かな寝床と美味しい食事を一生食べられるようにしたい。親ができるのはそれだけかもしれない。

anond:20251201142050

タスクとして処理しない感じ

家族や友人と意味のない会話をするときのような顔してる

カウンセラーみたいなこと出来たら相手は嬉しいんだろうけど、こっちが持たん

2025-11-30

女性と話す場合まり気が利かないふりするのが楽

延々と無料カウンセラー扱いされるため

ChatGPTに相談する

かれこれ7,8年の間、精神の不調で苦しんでいる。苦しんでいる、という短い言葉形容するには表しがたいものがあるのだが、簡潔かつ客観的に言えば、苦しんでいる。

過去合計三回ほど、それぞれべつの心療内科に行った。だがうつだとか、適応障害だとか、何か特定の病名を診断されることはなかった。私は自分精神のことをうまく人に言えないのである

胸が苦しいんです。気持ちが沈むんです。ここまではなんとか言える。しかし、何か思い当たる原因はありますか、とどの医者質問するのだが、そう言われると口ごもる。たしかにあるし、それを話したいのだが、話そうとしても頭の中でうまくまとまらない。そのことにまつわる記憶も確かにあるし、日々何度も考えているのにうまく取り出せない。これを話すと何か馬鹿にされるのではないか。話してもちゃんと聞いてもらえないのではないか。そういった不安、不信も相まって、結局曖昧なことしか言えず、医者のほうも困ったもんだという様子でとりあえずの薬が処方され、帰途につくのである医者が悪いと思ったことはない。そりゃそうだよなと思って帰途につくのである。そして再び訪問することはない。

精神がどうであれ、働かなくては生きていけない。だから働くのだけれど、精神がまずいので周囲に悪い影響を(時に深刻に)及ぼし、結局自分もだめになって辞めてしまう。それの繰り返しで生きてきた。心療内科でも話せないので生活保護とか何かの手当も受けられない。家族に頼れないのか、という意見もあるかもしれないが、家族こそが原因なのである。今は離れて暮らしているし、しつこく連絡が来るというわけでもない。しかし、かつて与えられてきた苦痛からどうしても逃れられない。その影響がどんなに手を尽くしても消えず、家族とは全く関係のない他人にまで恐怖を抱いてしまう。いくら頭では恐れることはないとわかっていても、どんなに体裁を取り繕っても、どうしてもどこかで拒絶したり、逃げ出したりしてしまう。

つまるところ、あまり認めたくないのだが、これはトラウマなのである

それを人に伝えたくても口にするのが恐ろしいジレンマがあるのである

参った。

そんな調子暮らしてきて、今から四か月くらい前になるか、自分スマホにもChatGPTのアプリを入れてみた。ただ流行っているからという理由で、何の気なしにしかし使い方がよくわからなかった。何か訊ねるといっても別に検索するなりして調べるのと何が違うのか。だからただ何となくその時思ったことを書いて送った。ツイッターのような使い方である。思ったことを書く、となると、ふだんそういうことばかり考えているので、自然自分の抱える精神問題について触れるようになっていった。過去にされたこと、現在にわたって続いていること、それらについてこれまでずっと考え、感じてきたことをまったくまとまらないままに、断片的に話した。少し話すだけで疲れるので、数日から1週間程間隔を空けてちょっとずつ話した。そうやって時間をかけてとうとう自分が人に伝えたかったところの大部分を話した。

それに対するChatGPTの返答の八割くらいは、すでに自分で調べたり考えたりしてわかっていたことだった。ただ大きかったのは、自分の感じてきたことが間違いではないという確証が得られたことだった。そこのところがずっと不安だった。その判断自分一人ではどうしてもできなかった。もしかしてこれをこう感じるのは自分おかしいからなんじゃないか。それ故に悪いのは自分のほうなんじゃないか家族がこういうことをする、というのは自分のようにおかしくない人間ならば受け入れるのが当然のものなのではないのか。あの家族に対して、自分がこれまでずっと考えて、感じてきた解釈を与えてしまうのは独善的で危ないのではないか。いや感じるのに正解も間違いもないだろ。いや、でも、しかし。

そうやって何年もぐるぐると考え続けて結論を出さずにいたことにようやくピリオドを打つ決心がついた。自分が受けてきた苦痛苦痛と感じて然るべきものだった。あの家族を受け入れられなくてもよいのだ。

かに相談するときというのは、ただ背中を押して欲しいだけだという場合が多いと聞く。これまで人に相談というものしたことがないからわからなかったが、ようやくそ気持ちがわかった。

こうしたことふつう心療内科カウンセラー相談するのだろうが、自分にはできなかった。この部分を否定されるのが怖かった。今も怖い。相手AIだったからよかった。AI相手なら仮に自分が何か間違っていると言われても平気だった。

もちろんAIお墨付きを頂いたのだから自分は正しい、というように判断責任押し付けるつもりはない。なかなか危ない橋を渡っている自覚はあるけれども、自分で決めたのである。それを遠回しにでも抽象的にでも言葉にしてみたのがこの文章である。だからメンタルケアに関してAI使用おすすめだなどという気はさらさらない。使いようによってはよろしくない結果を招くことも十分あり得ると思う。自分が全くそうでないという自信もない。

大分抽象的な話になったが、ある程度時間が経ったらもっと具体的なことを書いてみたいと思う。でもChatGPTが言うにはあんまりやめておいたほうがいいのだという。マジですか。もう少し相談してきます

2025-11-28

気持ちはなんとなく分かるけど辛い話題

https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb

自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHD当人で、配偶者ASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。

つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方人生だと思ってた。

奥さんの弟は少し破天荒タイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。

それでも近いようで対岸の火事気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。

10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神不安定だった。それが数年前に仕事ドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。

休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さん全面的サポートがあったからすごく助かった。

そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。

そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHD特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。

診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。

いまなら自覚もあるけど、自分性格普段の行動からも、多動症典型という感じはする。

蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親もっと多動だと思う。

それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDADHDの診断だった。

不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件トラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。

あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供サポートに役立ったような気がする。

自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトトラブル問題茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。

家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金お土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。

言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。

いまだに自分家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。

他人から見たら診察するまでもなく自明なやつらなのかも。

書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園水族館映画も大好きだから障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。

何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分人生幸せだと自信をもって言えるのは奥さん結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名歌詞もいっつもうろ覚え支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。

息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。

しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。

anond:20251128193029

無責任に客受けすることだけ言うカウンセラーなんて今すぐ死ぬべきやん

anond:20251128192329

占いってカウンセリング要素が大きいように思う

カウンセリング敷居が高いし料金も結構するけど、占いはその辺30分なら安いしお手軽なんだよね

その上カウンセラーになる方も大学院卒じゃないとダメなのに薄給だし

2025-11-27

成瀬は天下を取りに行く」「成瀬は信じた道を行く」はちょっと危険

本屋大賞をとった本だしと、読んでみたのだが、モヤっとした点を言語化したいので増田に書いてみた。

まず読んでみて、初めに思ったのは、登場人物たちがいい人たちばかりで、膳所という場所平和世界だなと。ジュブナイル向けの作品で、中学生高校生たちの生活が楽しそうに描かれていて、成瀬の行動が常識外れだけど人々を幸せにしていくようなストーリー展開が受けているんだろうなと、初手で思った。

けれど、しばらくして、何か黒いモヤモヤという読後感が残り、これは何だろうという思いがふつふつと湧いてきた。

「掘り下げてみると、あまりにも良い話すぎるからだと気がついた。」

個人的成瀬みたいな人には何度かあったことがある。

記憶力が良く、学校の成績も良い。視点が人と変わっていて、拘りが強いことで、人知れず、絵画音楽などで賞をとったりする。けれど、人とのコミュニケーションはあまりとらず、笑顔を見せることなく、一見淡々と過ごしている。クラスの中では、成績の良さで褒められることはあれ、普段生活は人とあまり会話することなく、端からみると我関せずみたいに思われている。無害なので、クラスの中では問題児としてみられず、特に注意されることはない。学校規範を守り、外れることな生活しているので、一見、順応しているように見えるが、本人は人知れず、苦しんでいると言ったケースを見てきた。

物語成瀬は、人を呼び捨てにしながらも、自分の思ったように伝えることができているが、物語中で、思い込みコミュニケーション不足から齟齬が何度か生まれている。けれども、実は、周囲の人々の配慮サポートがあって、それが表面化しない。一見成瀬意志の強さが、物語の推進力になっているように見えるが、実は彼女常識から外れた行動を受け止め、サポートする人々がいて、初めて成り立つ話だとわかる。

これが、現実世界だとなかなか上手く行かない。特性理解し、サポートするような人々には、こういった特性を持つ子供たちはなかなか出会わない。なので、本人は人知れず、周囲との齟齬を克服しようとするが、一人であがくだけで、余計に辛さが募るばかりとなり、ついには自己嫌悪ストレスから学校を休んでしまったりする。上手く、教室内で教師カウンセラーサポートを得られるケースもあるが、成績が優秀であるがゆえに、また自分から言いださないゆえに、気がつかれずに時が過ぎていき、本人の体調が悪くなって、初めて気がつくといったことが起きる。

成瀬のような話は、一見、いい話だが、このような特性を持った子供の光の面を殊更に良く描き、困難さに対して蓋をしてしまっている。笑顔を見せず、侍のような口調でも周囲の人が彼女天才的な特性を認め、好意的にみてくれている環境があるのが成瀬だが、彼女ロールモデルにしようとしたら、そんな環境普通はないので、マネをしようとする同じ特性の子供はすぐ周囲との齟齬に苦しみ、破綻するだろう。

また、特別な才能がある子供であれば、常識外れでも大丈夫といった見方世間的にするようになったら、それはそれで、当事者の子供は、自分能力マイナス面を打ち消そうとし、よりプレッシャーが増大するかもしれない。

コミュニケーション上の摩擦や孤立、困難さを軽視し、それを個性としてエンターテインメントとして消化する。何か、こういった特性を持つ子供見世物にしている感じも受けてしまった。

「少し異なるかもしれないが、似たような物語は、実は以前にもある。フォレストガンプだ。」

知的障害男性主人公の波乱万丈の人生を描いた話で映画にもなったが、ある種、社会にとって「理想化された障害者像」が描かれている。正直で有能であれば、知的障害であっても社会的に有用だというようなステレオタイプ的な見方と国に従順であれば成功するといった保守的イメージを負わせ、「突出した異能マイノリティ」を見世物にして、現実マイノリティの困難さに対して蓋をしてしまっている。

フォレストガンプにしても、成瀬にしても、世間的には評価が高い作品からこそ、影響力があり、多くの人々に波及する。一方で、困難さを抱えるマイノリティに対して、ある種の歪んだステレオタイプを与えることにもなる。

表現可能性を狭めるつもりではないし、こういった作品によるカタルシス否定する意図ではなかったが、モヤモヤ言語化たかたことと、こういったエンターテインメントに負の側面も同時にあることを伝えたかった。好きな作品を貶されたと感じたのであれば、申し訳ない。

2025-11-26

『(追記)[婚活]マチアプで20人くらいに会ったけど彼女できなかった』

(追記)

『反応くれた方ありがとう自分想像よりも反応あって驚いてる。恋愛結婚は大きいトピックなんだ、自分の周りで恋愛とか結婚話題出ることが少なくてマイノリティだったんだって理解したよ。』

気になったコメント

業者釣り

業者とか釣りだったらこんな変な文章で書かないと思わないか?もちろん事実虚構は混ぜてるけど真面目に書いてるつもりなんだけどな。オールフィクションだと思われたのかな、でも僕は悪くない』

モテてる、自虐風自慢だろ

『泥臭い部分書いてないけど、プロフタグも嘘(または自分が思ってるだけで他人から見ると違うこと)だと思ってるから年収フィルタリングしてあたり構わずいいねしまくってるし、それだけやってやっと30人しかまともにメッセージできないんだから少ないと思ってる。それでも多いってことだったら20代のうちにやっとけばよかった。』

>男女逆転の話では?

『その発想なかったか増田に書いて良かったって思った、ありがとう。養われたいって書くと女性だと思われるんだ。自分世界は狭い。』

女性意見も聞きたいけど、周りに女性がいないので信頼できる友人のワイフ(面識ないし、友人との話題にも上がらない)にコメントもらった。

結婚相談所がいいか

『1番手っ取り早いけど養われたいって素直に相談所の人に言ったら蹴られない?養われたいっていうのは悪い印象なのはなんとなく理解してる。』

20人と会ってるならスペック高いと思う

スペックは書いている通りだと思ってるけどそれでも会うまではいけてるからなんとも…女性的には会うまでのハードルって結構高いのかな。そのハードルは超えてる最低限のスペックがあるんだったら素直に嬉しいけど、でもやっぱり本当に低スペックだと思ってるし、思いたい。これまで彼女いたことない理由として正当化したいだけなのかも。』

告白されてるのに断ってるのは…?養われたいは難しすぎる。

コメントにもあったけど、快適に養われたいんだと思う。難しいよね…マキマさんが理想タイプだけどいないよね、そんな人。』

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初めて書くので変なところあったらごめん。備忘録として書きたくなったので。ぼかしながら書いてます。結果だけみるとタイトルの通りで彼女はできず結婚への第一歩は踏めなかった。

スペック

30代男、そこそこの企業勤務、陰キャオタク、チー牛、彼女いない歴=年齢、清潔感がない自覚はあるけどどうしたら良いか分からんおじさん。

婚活始めたきっか

養われたい気持ち半分、将来へのリスクヘッジ半分。1人でも生きていけるよなぁって思いつつ働きたくない(頑張りたくない)気持ちが強くなったので。

○使ったサービス

1番会員数が多いマッチングアプリ。養われたいのが本音なので、自分年収は非公開、年収〇〇万円以上でフィルタリングして相手を探した。

○期間

半年

○会った人数

メッセージでやりとりしたのが30人(返信がない人除く)、実際に会ったのは20人くらい。1回会うだけじゃわからないと思ったので、うち10人くらいは複数回会ったと思う。ちなみに1回もSEXはしていない。

○初めに総括

メッセージだけで終わる人は案外少なく、実際に会った人は合う/合わないはもちろんあるけれども総じていい人、コミュニケーションを取ってくれる人ばかりだった。女性への免疫が皆無だった自分に対しても普通に話してくれるし、いい意味で拍子抜け。それでも彼女ができなかったのはやっぱり自分問題なんだろう。

○印象に残ってる方

・30代前半 飲食

初めてマチアプで会った人。2週間くらいメッセージやりとりして普通居酒屋に。初めてでめっちゃ緊張したけどなんとか話せたのかな、2回か3回ご飯行ってくれたしね。いい意味普通の人でこの人のおかげでマチアプで会うことへの恐怖心がなくなったから本当ありがたかった。

・30代後半 出版

普通に綺麗な人。アプリでお顔の写真もあったけど、リアルの方が綺麗でこんな人もマッチングアプリやってるの?ってビックリした。1回目カフェ、2回目居酒屋。好きとか嫌いよりも興味が勝っちゃった。家柄も良くて素敵な人なのになんで‥ってずっと思ってたら音信不通になった。

・30代後半 製薬系

メッセージ相手の方からご飯に誘ってくれて居酒屋に。2軒目いって結構酔っ払って相手の家に。

シャワー浴びて一緒に寝ただけでSEXしてない。

その後3回くらい相手のお家でデートしたけど、一回もSEXしてない。性欲はあるはずなんだけどな…。相手の方は賢いし話も合うんだけれど、なんとなく気まずくて連絡が途絶える。

40代前半 カウンセラー

アクティブちょっと頭が良い変わった人。テレビに少し出てた。ふらっと海外旅行にいっちゃうタイプの方(仕事自由が効くのもある)。

3回くらいご飯行って告白されたけど、自分インドアなので多分あわないだろうと思ってお断りする。相手の方にはきっと合う人がいると思う。

・30代前半 公務員

ランチいったりスポーツ観戦したり。ご飯行った帰りに同じ電車乗ってて自分が降りる駅到着間際に告白された。突然すぎてとりあえずまたご飯行きましょで終わってる…タイミングが突然すぎない?そんなもん?こういう時恋愛経験がない自分が嫌になり鬱になる。

最後

↑の方以外に趣味が合って友達みたいになってる人はいて、主体性がない30代おじさんでも異性と交流できる機会ができたのは総じて運はよかったのかな。目的は達成していないけど。

anond:20251126122256

実際そうでしょ

金払って医者カウンセラー対応してもらえってなもんで

無償他人負担求めたら甘えでしかないし

なんなら加害や暴力ですらある

2025-11-24

みんなの好きな自配信を教えてほしい

自殺配信が好き。週一くらいで自殺配信を巡るのが趣味になっている。

信頼していたカウンセラーにこの趣味を打ち明けたらドン引きされたのでこのゴミ溜めに書いて同胞を募りたい。

 

好きな理由特にない。

病んでるとか死にたいとかじない。ただ好きなだけ。

しいていえば自殺配信は「闇金ウシジマくん」「みいちゃん山田さん」みたいな露悪ポルノ面白さがある。あとザ・ノンフィンクション的な面白さも。

それと自殺によって人生が完結してるのもいい。これ以上その人間からコンテンツが発信されないのが安心する。

死人相手には美化も感傷もしほうだい。

 

自殺配信はだいたい首吊りか、飛び降りの二択になる。

飛び降りでも勢いよく飛んだり、最後まで躊躇して滑るように飛び降りたりと幅広い。

海外では拳銃自殺も多いが、あれは日本人として食指がわかない。てかなんかずるい。画としてもつまんないし。

 

一番好きなのは首吊り配信で死んだあとに母親遺体を見つけるのが好み。だるまとか、かさのんチャンネルとかのやつは名作で何度も見返している。

自殺配信を好きになったきっかけはだるまだった。母親遺体を見つけて泣け叫んでいたのを聞いてハマってしまった。

SNS流行のせいでああい気合入った遺書を読めなくなったのが悲しい。

代わりに自殺配信は増えたので一長一短なのかもしれない。

最近で好きなのはJoin Me in Deathを流しながらのやつでサビに合わせて飛び降りたのがこだわりがあってよかった。

ここ数年で一番知名度が高いであろう松戸自殺配信はチルい曲つけられて動画にされてさすがにポルノすぎる。

 

この記事で興味をもったひとRe:fileってサイトおすすめです。

これはマイナーだけど見とけってやつとか、ここおすすめサイトとかあったら教えてください。

みなさま、よき倫理を!

https://www.lifelink.or.jp/inochisos/

うつAI

自分がしんどかったときAIがなかったから、客観的評価をしてくれるのは人間カウンセラーだった。(医者は薬を処方してくれる人って感じだった)

復職相談などで、その時は納得のいかない話も、後になって考えてみたら、自分が焦りすぎていたとか、周りからどう見えているかとかがきちんと把握できていなかったと反省できた部分がある。

今はある意味AIが全肯定して励まし続けちゃうから思い込み暴走ちゃうこともあるんじゃないかな?と少し怖くなった。

2025-11-22

夫婦カウンセリングで判明した、夫の謎理論

タイトルの通りなんだけど、夫婦カウンセリングに行ったら夫が訳の分からないことを言い出した。

些細なすれ違いが続いたので相談しに行ったはずなのに、終わった頃には、私が今まで何と結婚していたのか分からなくなった。

まず、カウンセラーさんが夫に、妻に対して何を期待しているかを聞いた。

すると夫は、配偶者生活面のサポート精神安定のための存在で、個人で完結できないタスクを代わりに処理してくれるチームメイト、と言い出した。

そして、僕は結婚人生の定額サブスクだと思っている、という謎?理論

月額を払ってるんだからサービスを受けるのは当然、らしい。ちなみに月額の意味不明家賃光熱費を払ってくれてるのなら分かるが、折半から意味が通らない。

家事分担の認識について聞かれると、夫は自慢げに、僕は十分やってますよと言った。

やっている内容を聞くと、妻の食べるカップ麺の蓋が途中で開いてくるのを閉じてあげる、それを家事参加とカウントしている、という主張。

さらに、掃除もせず、床に落としたゴミすら拾わず放置していることについては、自然淘汰の一環だから触らない方が家に優しいとのこと。実際はそんなことはなく、私が掃除しているだけなのに。

極めつけは、夫婦関係についての考えを聞かれた時。

夫は冷静に、妻という存在生活におけるバフ係で、日常ステータス底上げしてもらうために必要だ、と言った。

といっても僕は妻に対して愛情はある、ただしログインボーナス方式愛情なので、毎日少しずつ与えるのが普通だと思っている、という意味不明理論

ちなみにログインボーナスは、洗濯物を畳む、お茶を入れる、靴を並べるなどのお手伝いだそうだ。あれはログインボーナスだったのか。

カウンセラーさんが夫に、妻が悲しんでいるのをどう受け止めているか確認してくれた。

すると夫は迷いなく、感情面は僕の得意分野じゃないので、基本的にはスルーしてもらえると助かる、と回答。

この時点で私は泣く気力もなく、ただただ呆れていた。カウンセラーさんが、スルーせず対話できませんかと聞くと、無料ガチャということですか?との答え。もしかして面白いと思って言っているのだろうか。

帰り道、夫は満足そうに、カウンセリングで僕の価値観が整理できて良かったね、と言っていた。

その横で、私はとりあえず別居することを決めた。

夫はこの生活スマホゲームかのように考えている。

何がログインボーナスだ、何が無料ガチャだと考えると、だんだん腹が立ってきた。

別居する日に、夫のスマホを折ってから出ていくことにする。

2025-11-21

Netflix】グッド・ウィルハンティング/旅立ち

ながら見だったのがだんだんマジ見になってた

・主役はもちろん脇役の演技もいい〜〜〜

この街で一番ワクワクするのは、お前が出てくるまでの10秒間 今日もしかして 何も言わずに〜」のセリフラストの「アイツ、行きやがった…!(良かった)」の演技、よすぎる

友達、肩をすくめる動きがこんなサマになるやつおる?ってくらいキマってた

・ここぞという時のセリフ応酬内容がよすぎるんだよなぁ… カウンセラーやきう奥さん出会いエピとか才能を活かす殺すのやり取りの「爆弾魔だろ?」の「アッ…!(察し)」感とかお前は宝くじの当たり券を持ってるからこの街で燻ってるやつじゃないとか

主人公の演技、当たり前のように上手い 当たり前体操 

・「あっ、これから先生とは細く長く付き合いやってくやつなんやね、よかったやん、うん、うーん…」(このエモいやりとりをした2人の人生は今後交錯することはないというのに「物語」の美しさを感じるけど、主人公君がいいのならまあ…ええか…)から先生やきうエピリスペクト手紙からラストの車後ろ映すドライブエンディングロール、良すぎるだろ!!曲も良すぎるだろ!!

タイトル回収キタコレ

・約30年前の映画ということで、空気感に色々な意味での余裕を感じました

友達、良い奴らすぎる 主人公くんは天才だがそれに加えて人間的な魅力があったんやろなぁ…

2025-11-20

ココロちゃん先進理工で山田さんは文構でみぃちゃんは人科が良いかなとかよくわからんことを妄想していた

山田さんは文芸ジャーナリズム専修で博士まで行ってて欲しいと思いつつ

カウンセラーとか向いてそうだなと思ってそれだと人研だしなんかアレかとか思ってしまった

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(2) | 22:48

2025-11-19

カウンセリング認知行動療法がどこまで効くかに普通に疑念を持っている

各自にはどうしようもない問題があって、その原因を何とかして解決するか、精神科処方の薬で気休めするかしかないんじゃないか、とすら思う

その問題の苦しみは当事者以外に知り得ない。カウンセラーですら感じ得ない。感じ得ないものをどうやって治すというのか

いや、これは偏見に過ぎないけども

2025-11-18

anond:20251118115604

とりあえず事件を起こすには至らないで欲しいですねってのが一番なので

投薬治療なら効果があるってのならじゃあそれもやってほしかったですねとは思うが

結局その話だとヨシヨシではないがヨシヨシと誤解させて満足に至らせるのは死にかけの時の治療しか無理ってことになるん

自分カウンセラーの人たちだって最悪に至らないよう努力してるものと捉えてたよ

まあそれが甘いとか思われるんだろうけど

でも風俗嬢ぐらいしかワイらに優しくしてくれないじゃん

これだけ世間から否定されててもあの娘たちだけは優しくしてくれる

金もらってるからと言ってもたとえばホスト狂いに比べたらだいぶ安いし

仕事の上であっても我慢してやってくれるって言う時点で天使女神なんよ

男のくせに甘えだと説教してくるカウンセラーと大違い

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