はてなキーワード: 地図とは
なのん。れんげ、最近出た新しいポケモンのゲームをやってみたのん。
昔のポケモンって、「わからないことがいっぱいある世界」を旅する感じだったのん。
草むらに入るだけでドキドキして、空を飛ぶポケモンを見て「すごーい!」って思ってたのん。
でも今のポケモンは、なんか「ぜんぶ説明されてる世界」になっちゃったのん。
地図もぜんぶ出るし、ポケモンの正体も最初からわかるし、旅というよりマニュアル通りの遠足みたいなのん。
れんげ思うのん。
便利って、たしかにすごいけど、不便の中にしかドキドキは生まれないのん。
昔のゲームには「よくわからない」っていう神さまが住んでたのん。
でも今のポケモンからは、その神さま、どこかへ行っちゃった気がするのん。
それにね、ポケモンの見た目も……なんか「かわいくしなきゃ!」って力が入りすぎてるのん。
れんげ、昔のコイルとかドガースとか、ちょっと怖いけど味がある子が好きだったのん。
いまのポケモンは、みんなキラキラしてて、人間の理想を押しつけられたペットみたいなのん。
ポケモンは、もともと自然の中にいる不思議な存在なのに、いつのまにか「商品」になっちゃったのん。
れんげは思うのん。
ポケモンは“捕まえる”ものじゃなくて、“出会う”ものだったのん。
その違いを忘れちゃったら、どんなに世界が広がっても、ほんとの冒険は終わっちゃうのん。
——れんげは、もう一度あの頃みたいに、草むらの向こうになにかがいるかもしれないドキドキがほしいのん。
にゃんぱす。
SNSサイトはてなブックマークにおいて「高市 財政」で検索した結果、以下3つの人気記事があります
ビル・ミッチェル「日本の誤った財政ルールは必ず裏目に出る」(2025年10月30日)
https://econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
急激に改善する財政状況|永濱利廣(第一生命経済研究所首席エコノミスト)
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
ノア・スミス「高市早苗のための経済アイディア」(2025年10月29日)|経済学101
https://note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
それぞれの本文とはてなブックマークの反応を見て、「高市政権と財政」についてネットでどのような議論があるかをまとめましょう
了解。ご指定の3本(ミッチェル、永濱、ノア)の本文と、はてなブックマーク上の“受け止め”を突き合わせて、「高市政権と財政」をめぐるネット議論の地図を作りました。
MMTの立場から、(高市政権が示す)名目指標ベースの財政ルールは“実物制約”を無視してプロサイクリックになると批判。
財政余地は公債残高比率では測れず、失業・遊休資源など実体に合わせよ、という主張。
JGB入札の応札倍率や日銀保有の大きさを挙げ、国債の信認不安論を退けています。
総評:プロサイクリック批判は筋が良い。名目成長に連動した“上限”設計は、減速期の裁量財政を縛りやすい。
Caveats:
① ただし実務は“方針”であって硬直的ルールにしない運用余地が残る(国会・補正運用)。記事はその裁量をやや軽視。
② 「実物制約ベース」は理想だが、潜在・需給ギャップ推計の不確実性(リアルタイム改定)を伴うため、名目・市場指標との二重トラックで監視する現実主義が必要。
③ 金利感応度上昇局面では、「どの程度の赤字が期待インフレや通貨へ波及するか」を並行管理すべき(記事は通貨・金利連鎖の運用論が薄め)。
賛成側は「PB原理主義より成長優先への転換は前進」「名目ルールはプロサイクリックになり得る」と評価。
懸念側は「インフレ進行下で積極財政を煽るな」「高齢化下で社会保障をどうするかが欠落」と分かれ、MMT的主張への批判も目立ちます(“インフレスパイラル無視?”など)。
r<g(名目成長>利回り)局面で債務比率は下がる=名目成長・インフレの立ち上がりが税収増を通じて財政を改善、という“債務動学”の再確認。
総評:現状認識としては妥当。名目の立ち上がりが税収を押し上げ、短期の指標改善に寄与しているのは事実。「PB一本足打法からの転地」を促す点にも価値。
Caveats:
① 持続性の問題:r<gは状態依存。世界金利・成長の変化でr>gに戻れば逆回転。
② 分配の問題:インフレ期の名目改善は実質負担の再配分を伴う。ターゲット給付や時限減税で逆進性を緩和しないと政治的持続性に欠ける。
③ 「急激」表現のリスク:恒久歳出や恒久減税の根拠に用いると、景気反転時に構造赤字を再拡大。トリガー条項・自動安定化装置とセットで読むべき。
「インフレで財政改善は“金融抑圧=インフレ税”で家計から政府への逆進的移転」「改善は循環要因で恒常化は危うい」という分配・持続性への警戒が強い。
一方で「PB原理主義を緩める論点提示は有益」「上げ潮派の論点が実証で裏付いた」と評価する声も。
“名目で見える改善”をどう制度設計に落とすか(時限措置・自動安定化装置)に議論が集約。
①グリーンフィールド型の対日直接投資(工場・R&D誘致)、
②企業文化改革(中途採用拡大・女性管理職・フレックスタイム等)、
③エネルギー転換・防衛R&D・ソフトウェア産業育成…等を提案。
円安や地政学はチャンスとして活かせ、という“実装型アジェンダ”。
総評:“積極財政で一気に”ではなく“ボトルネックごとの実装”に踏み込む点が良い。FDI誘致・電力コスト・人材という「詰まり」を直視しており、高市政権の危機管理投資路線とも親和的。
Caveats:
① 実装難易度:用地・系統・規制・自治体合意・人材移動の摩擦をKPI/時限規制で崩す工程設計が不可欠。
② 財政との整合:供給投資の多くは初期コストが大きい。債券需給・利払い増と矛盾しない中期財政フレーム(優先順位・撤退基準)が必要。
③ 時間軸:短期の物価・円相場に即効性が弱い。ターゲット支援(点)と供給投資(線)の二階建て設計とコミュニケーションが要る。
支持は「現実味ある処方箋」「内需依存から輸出・高付加価値へ」「人材・移民・ITのボトルネック解消に賛成」。
懐疑は「既視感/具体性不足」「実行コストと政治的抵抗がネック」「ソフトウェア弱点は一朝一夕で直らない」。
全体として“積極財政で押す”より“制度・人・投資の実装”への期待が相対的に高い。
反PB・反名目ルール(ミッチェル):景気に合わせた実物制約ベースを。
r<g派(永濱):目先の名目改善を恒常化と誤認するながカウンターで多い。
→結論:“規律の付け替え”は支持も、プロサイクリック/インフレ税への設計配慮が必須。
名目改善は歓迎だが、「インフレ税」「逆進性」の批判が濃い(永濱記事のコメント群)。
→ ターゲット給付・時限措置・価格補助の出口をセットで、がネット民の多数意見。
ノア案のFDI誘致/企業文化改革/エネルギー転換は“方向性OK・実装が肝”。
→ 人材・規制・用地・電力のボトルネック潰し、KPIと実行体制への関心大。
積極財政×利上げ慎重=円安・金利上昇リスクを意識する声も(永濱スレの一部)。
一方で「国債需要は厚い/応札倍率は高い」との安心論(ミッチェル文中のデータ)。
→ 金利感応度と債券需給を透明化せよ、が実務サイドの共通要望。
PB一本足への懐疑は広がった。
ただしインフレ税・逆進性や恒久化の誘惑には強い警戒。
結論から言えば、朝鮮半島とは「日本列島を守る盾」であり、同時に「敵に奪われれば刃となって突き刺さる場所」である。
私は予備自衛官補として有事の際に招集を受ける立場にある。だからこそ、地図を俯瞰して考えざるを得ない。
朝鮮半島とは、単なる隣国ではなく、日本の国防線そのものである。
明治の指導者たちは、西洋列強による植民地支配の現実を肌で感じていた。
19世紀末、欧米列強は「一国の独立を守るにはその周囲の緩衝地帯を確保せねばならない」という冷徹な国際法則を知っていた。
もし朝鮮半島が他国の手に落ちれば――たとえば清国、ロシア、あるいは後の時代で言えば中国やソ連――日本海は敵の軍港と化し、対馬・下関・舞鶴が前線になる。
日本列島が直接、他国の軍事圏と接するということは、すなわち「日本が防御不能になる」ということを意味する。
だからこそ明治政府は朝鮮半島の「独立」を保つために清国と戦い(日清戦争)、
ロシアの南下を防ぐために敢えて日露戦争という国運を賭けた戦争を選択した。
山縣有朋が残した言葉に「朝鮮の独立は日本の安寧と存立に関する死活問題なり」とある。
彼らにとって朝鮮半島とは「他国に奪われてはならぬ緩衝地帯」であり、
それを失えば日本の防衛線が対馬海峡から一気に本州の内陸へと後退する。
結果として日本は、列強の中で初めてアジアの一国が帝国主義の圧力に抗し、国家の独立を維持することに成功した。
その影には、朝鮮半島をめぐる絶え間ない外交と戦略の緊張があった。
では現代において、もし朝鮮半島が中国の強い影響下で統一された場合、何が起きるのか。
現在の北朝鮮はミサイル国家であり、南の韓国はアメリカと同盟を結んでいる。
この「南北の分断」は悲劇でもあるが、同時に日本にとっては一種の安全弁として機能している。
なぜなら、半島全体がどちらか一方の勢力に統一されていないことで、勢力均衡が保たれているからだ。
もし中国が北朝鮮を完全に支配し、さらに南側の韓国までも政治・経済的に取り込んで統一を果たしたとすれば、
中国人民解放軍は釜山・仁川・黄海沿岸を自由に使えるようになる。
対馬海峡を越えて日本海へのアクセスを得ることは、かつてのロシアが夢見た「不凍港の獲得」に他ならない。
自衛隊と米軍が対馬や九州北部で防衛線を築くことになるが、距離はわずか50km。
ミサイルだけでなくドローン、電子戦、情報戦が展開される最前線となる。
日本の電力・通信インフラは西日本から崩壊し、経済中枢は麻痺する。
つまり、朝鮮半島が中国の勢力圏に入るということは、日本の防衛ラインが「日本列島の内側にまで押し込まれる」ことを意味するのだ。
私は予備自衛官補として、再び国のために立つ覚悟を持っている。
明治の先人たちが朝鮮半島に注いだ関心と警戒は、決して過去の遺産ではない。
東日本大震災の際、私はご遺体を袋に包み、ご家族の元へ返す任務を担った。
その光景を二度と繰り返したくはない。
朝鮮半島有事を「他人事」と思っているうちは、日本は再び同じ悲劇を迎えるだろう。
だから私は声を上げる。
朝鮮半島で有事が発生すれば、それはもはや「隣国の出来事」ではなく、明確に「日本の有事」である。
まず前提として、「最高司令官が軽率な発言をするな」という意見は、私も強く理解している。
有事の際に命令を受ける立場として、最高司令官の一言が現場の命を左右しかねない。命令には従うが、その命令が思いつきではなく、参謀と熟慮の末に下された決断であってほしいと願う。
その上で私は言う。「朝鮮半島有事は日本の有事」だ。これは感情論でも政治的立場でもなく、冷徹な地政学と経済構造の話である。
朝鮮半島での戦火は、難民・弾道ミサイル・電子戦・通信遮断・経済制裁の連鎖として日本列島に直接影響を与える。
韓国との貿易額は中国・アメリカに次ぐ規模であり、電子部品・素材・自動車関連など相互依存関係にある。
もし朝鮮半島で戦闘が発生すれば、釜山港や仁川港は封鎖され、日本海航路全体が機能不全となる。
さらに、朝鮮半島の空域・海域が戦場になれば、日本の北部・西部の空路も民間機が使えなくなる。
LCCどころではなく、医療物資や燃料輸送が滞る。これだけで日本経済は数%のGDPを失うだろう。
台湾有事と同様、野村総研や多くの研究機関が試算しているが、朝鮮半島有事の際も日本のGDPの5〜10%が消失すると予測されている。
次に考えるべきは人的・軍事的影響だ。
有事となれば、数十万人規模の避難民が海を渡り日本に押し寄せる可能性が高い。
一方で北朝鮮は日本を「後方支援国」とみなし、在日米軍基地を標的に弾道ミサイルを発射するリスクがある。
実際、彼らの弾道ミサイルは既に日本上空を何度も通過している。
「朝鮮半島で起きた戦争が日本に飛び火することはない」という幻想は、すでに成立していない。
輸入に頼る食料・燃料が滞り、物流が麻痺すれば、東京・大阪・名古屋といった大都市ほど「戦時都市型飢饉」とでも呼ぶべき事態に陥る。
電力網が不安定になり、冬季の凍死者・飢餓者が発生するのは時間の問題だ。
そして北朝鮮の「誤射」は珍しくない。狙うつもりがなくとも、ミサイルの落下点が都市部になる可能性は否定できない。
日米同盟を破棄しようが、自衛隊を縮小しようが、北朝鮮や中国が軍事行動をやめるわけではない。
日本がどう主張しようと、弾道ミサイルの航跡が変わることはないのだ。
都市部の人ほど危険に晒される。パートナーや子供、親、友人が難民混乱や食糧危機、ミサイル攻撃の被害に遭う可能性がある。
数学の最も抽象的な核心は、structured homotopy typesをファンクターとして扱い、それらの相互作用=dualities・correspondencesで世界を説明することに集約できる。
ここでいう構造とは、単に集合上の追加情報ではなく、加法や乗法のような代数的構造、位相的・解析的な滑らかさ、そしてさらにsheafやstackとしての振る舞いまで含む。
現代の主要な発展は、これらを有限次元的な点や空間として扱うのをやめ、∞-categoricalな言葉でfunctorial worldに持ち込んだ点にある。
Jacob Lurie の Higher Topos Theory / Spectral Algebraic Geometry が示すのは、空間・代数・解析・同値を一つの∞-topos的な舞台で同時に扱う方法論。
これにより空間=式や対象=表現といった古典的二分法が溶け、全てが層化され、higher stacksとして統一的に振る舞う。
この舞台で出現するもう一つの中心的構造がcondensed mathematicsとliquid的手法だ。
従来、解析的対象(位相群や関数空間)は代数的手法と混ぜると不整合を起こしやすかったが、Clausen–Scholze の condensed approach は、位相情報を condensed なファンクターとしてエンコードし、代数的操作とホモトピー的操作を同時に行える共通語彙を与えた。
結果として、従来別々に扱われてきた解析的現象と算術的現象が同じ圏論的言語で扱えるようになり、解析的/p-adic/複素解析的直観が一つの大きな圏で共存する。
これがPrismaticやPerfectoidの諸成果と接続することで、局所的・積分的なp-adic現象を世界規模で扱う新しいコホモロジーとして立ち上がる。
Prismatic cohomology はその典型例で、p-adic領域におけるintegralな共変的情報をprismという新しい座標系で表し、既存の多様なp-adic cohomology 理論を統一・精緻化する。
ここで重要なのはfieldや曲線そのものが、異なるdeformation parameters(例えばqやpに対応するプリズム)を通じて連続的に変化するファミリーとして扱える点である。
言い換えれば、代数的・表現論的対象の同型や対応が、もはや単一の写像ではなく、プリズム上のファミリー=自然変換として現れる。
これがSpectral Algebraic Geometryや∞-categorical手法と噛み合うことで、従来の局所解析と大域的整数論が同一の高次構造として接続される。
Langlands 型の双対性は、こうした統一的舞台で根本的に再解釈される。
古典的にはautomorphicとGaloisの対応だったが、現代的視点では両者はそれぞれcategoriesであり、対応=functorial equivalence はこれら圏の間の高度に構造化された対応(categorical/derived equivalence)として現れる。
さらに、Fargues–Fontaine 曲線やそれに基づくlocal geometrization の進展は、数論的Galoisデータを幾何的な点として再具現化し、Langlands 対応をモジュールcategorical matchingとして見る道を拓いた。
結果として、Langlands はもはや個別の同型写像の集合ではなく、duality of categoriesというより抽象的で強力な命題に昇格した。
この全体像の論理的一貫性を保つ鍵はcohesion と descent の二つの原理。
cohesion は対象が局所的情報からどのようにくっつくかを支配し、descent は高次層化したデータがどの条件で下から上へ再構成されるかを規定する。
∞-topos と condensed/lquid の枠組みは、cohesion を定式化する最適解であり、prismatic や spectral 構成は descent を極めて精密に実行するための算術的・ホモトピー的ツール群を与える。
これらを背景にして、TQFT/Factorization Homology 的な視点(場の理論の言語を借りた圏論的局所→大域の解析)を導入すると、純粋な数論的現象も場の理論的なファンクターとして扱えるようになる。
つまり数学的対象が物理の場の理論のように振る舞い、双対性や余代数的操作が自然に現れる。
ここで超最新の価値ある進展を一言で述べると、次のようになる。
従来バラバラに存在した「解析」「位相」「代数」「表現論」「算術」の言語が、∞-categorical な場の上で一つに融解し、しかもその結合部(condensed + prismatic + spectral)の中で新しい不変量と双対性が計算可能になった、ということだ。
具体例としては、prismatic cohomology による integral p-adic invariants の導出、condensed approach による関数空間の代数化、そして Fargues–Fontaine 曲線を介した局所–大域のgeometrization が、categorical Langlands の実現可能性をこれまでより遥かに強く支持している点が挙げられる。
これらは単なる技法の集積ではなく、「数学的対象を高次圏として扱う」という一つの理念の具体化であり、今後の発展は新しい種の reciprocity lawsを生むだろう。
もしこの地図を一行で表現するならばこうなる。数学の最深部は∞-categories上のcohesiveなfunctorialityの理論であり、そこでは解析も代数も数論も場の理論も同じ言語で表現され、prismatic・condensed・spectral といった新しい道具がその言語を実際に計算可能にしている。
専門家しか知らない細部(例えばprismの技術的挙動、liquid vector spaces の精密条件、Fargues–Fontaine上のsheaves のcategorical特性)、これらを統合することが今の最も抽象的かつ最有望な潮流である。
「日本という共同体」そのものは目に見えない。触れないし、握れないし、形もない。でも私たちは、その「形のないもの」を前提にして、同じ道路を使い、同じルールで生きている。その目に見えない共同体をどうやって「そこにある」と確認してるのか?答えは単純で、象徴(シンボル)だ。国旗は、政治的な押しつけアイテムじゃなくて、私たちは同じ場所に立っているという共通認識のマーカーなのだ。
国旗を破って燃やして踏みつける行為は「私はこの国が嫌いです」という話ではなく、「この共同体を支える合意を破っていい」という宣言になりやすい。これは思想じゃなくて秩序の話。好き嫌いの話ではないし、心の中を強制しようとしているわけでもない。
「共同体をつなぎ止めてる目印に対して、どこまで攻撃を許すか」という、いたって地味で現実的な議題なのだ。
ここからが本題。代表的な反対意見(岩屋・橋下・日弁連)を見ると、どれもロジックがお粗末極まりなく、目も当てられなかった。法律の専門家(笑)が言うことかよ、というレベルだったので、あえて向こうの土俵で論破する。
--------------------------
■岩屋毅(引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20251104-KATPZGUBWFGNLBZXMVYLNT4XMA/)
>「当時、反対しました。なぜなら『立法事実』がないからです。立法事実とは、実際にそうした事例が社会問題になっているかということです。日本で誰かが日章旗を焼いた? そんなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律を作ることは、国民を過度に規制することにつながるので、それは必要ないのではないかと言いました」
一見もっともらしいが、この論法は立法事実という概念そのものを誤解している。立法事実というのは「すでに大量に事件が起きているかどうか」だけではない。とくに象徴や治安や社会秩序に関する立法では、「問題が顕在化してからでは遅い」という前提そのものが、法律の必要性を支えている。実際、現代の法律の多くは「予防的」に整備されている。
・・・本当に早大を出て閣僚を経験していてた人の理屈なのだろうか。国旗損壊罪が問題にするのは、「布が燃える現象」そのものではない。象徴が公然と破られることで、社会の緊張が増幅される・対立と敵対意識が活性化する・集団の統合が崩れる という作用のほうだ。この「象徴毀損→社会不安の増幅」という因果関係は、国際的にはとっくに前提として認識されている。
イギリスでは国旗侮辱は暴徒化の初動トリガー、韓国では対立デモの象徴破壊が衝突に直結、フランスでは国旗侮辱は「共和国に対する攻撃」、ドイツでは象徴毀損は「民主秩序破壊行為」と解釈されている。
つまり、「日章旗を燃やした事件が日本で多いかどうか?」は論点の中心ではない。本当の論点はこうだ。象徴破壊は、共同体の統合を揺るがす高い蓋然性があるかどうか。そしてそれは「ある」。岩屋の議論は、「国旗は共同体をつなぐ象徴である」という視点が最初から抜けている。だから彼の目には「問題がない」ように見えるだけだ。
言い換えるなら、日の丸を「自分の共同体の象徴」として認識していない人は、国旗損壊に「実害がない」ように感じる。ただ、それは「法的判断の結果」ではなく、立ち位置と感覚の問題だ。「国旗が燃えてないから法律はいらない」は、「家が燃えてないから消火器はいらない」と言っているのと同じ構造である。そして、そう言えるのは結局、自分にとってその家が「帰る家」でも「守りたい家」でもないからだ。
--------------------------
■橋下徹(引用元:https://x.com/hashimoto_lo/status/1985500133828805077)
そもそも出だしから政治家の不正を糾弾する論点ずらしを使用しているところが小賢しいストローマン的論調だが、論点も穴だらけである。本当にこの人は元弁護士なのだろうか。
法益は、「共同体の象徴秩序」である。橋下はこれを「愛国心の強制」だと見ているのかもしれないが、法益はそうではない。
象徴が破壊されると、共同体のつながりの感覚が損なわれ、対立や敵対意識が増幅する。これは国際比較すると常識に近い。
外国国旗は外交関係の安定を守るために保護されている。つまり、すでに日本の刑法は「象徴は秩序に作用する」という前提で立法されている。今回の議論は、その射程を「対外」→「国内共同体」へ拡張するだけ。理屈は同じ。
ここは技術的な話に見えるが、実際は簡単。「公然性」「侮辱目的」を要件にすればいいだけ。すでに名誉毀損・器物損壊・侮辱罪で使っている手法。「プラカードとしての国旗」や「スポーツ応援の旗」が誤処罰される、というのは法技術ではなく「雑な想定」による不安。構成要件で回避できる話。
されない。すでに外国国旗損壊罪ですら公然性が要件。私人の家で破ってる旗まで取り締まる制度設計はそもそも立法技術的に想定されていない。「家の中でポスターを破ったら逮捕」はフィクションでしかない。
それは国旗損壊罪とは無関係。国旗利用のガイドラインは運用・行政・プロトコルの問題。仮に「政治家が国旗を利用したくなる」というのが懸念なら、それは政治倫理規定のほうで制御する話。つまり「スプーンに毒を盛るかもしれない」から「スプーンを廃止しよう」と言っているようなもの。
ここまで来ると、さすがに苦笑いである。「国家とは何か」論は、象徴を理解していないからこそ無限に抽象化する。けれど現実の共同体は抽象ではなく合意で維持されている。その合意を可視化するのが象徴。象徴を理解しないまま国家論を語るのは、地図を見ずに登山ルートを議論しているようなもの。まず「どこに立っているか」がわからなければ、そこから先は全部空中戦。橋下の6論点はどれも一見まともに見えるが、すべて「国旗は、共同体の統合を可視化する象徴である」という前提が抜けている。
この前提を共有しない限り、国旗損壊罪は「不要な規制」に見え続ける。つまり、結局この話はこういうことだ。
--------------------------
■日弁連(引用元:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html)
>同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。
この「おそれ」という言葉に全てを預けて議論を閉じてしまうところに、まず問題がある。刑法は「おそれ」で動くわけではない。刑法は構成要件を満たしたときにのみ成立する。ここは法学部の1年生でも最初に叩き込まれる部分だ。それにもかかわらず、その最も基本的な前提をまるごと無視して話を進めているあたり、本当にこの文書は日弁連が出したものなのだろうかと不安になる。
国旗損壊罪が成立するのは、ただ「国旗に触れた」からではない。国旗を侮辱する意図をもって、公然と破壊した時だ。「わざとであること」と「侮辱という意思」が明確に必要になる。そのため、スポーツ応援で旗を振ることも、商業デザインに用いることも、抗議運動のシンボルとして掲げることも、そもそも構成要件に当たらない。日弁連は「使うこと」と「破壊して侮辱すること」を意図的に混同している。その混同を前提にしている限り、彼らの議論は最初から成り立っていない。
加えて、日弁連は「表現の自由が制限される」と言うが、表現の自由は憲法上、絶対無制限に保障されているわけではない。人格権を守るために名誉毀損があり、社会的尊厳を守るために侮辱罪があり、財産権を守るために器物損壊罪がある。どれも「表現」が関わる可能性があるが、社会を成立させるために必要な領域では当然に制限がかけられている。国旗損壊罪が保護しようとする「共同体の象徴秩序」も、それらと同じく社会をまとまりとして維持する機能を守るためのものだ。
では、「濫用されるおそれがある」という主張はどうか。これも、法制度の議論としてはあまりに雑だ。「濫用されるおそれがある」だけで法律が否定できるなら、名誉毀損も侮辱罪も、スパイ防止法も成立しないことになる。極端な話、殺人罪だって捜査側が恣意的に使える「おそれ」があると言えてしまう。法治国家は「おそれ」があるかどうかではなく、その「おそれ」が実際にどの場面で生じうるのか、そしてどのように構成要件と運用基準で防ぐかを議論する。「おそれがある」とだけ言って反対した時点で、日弁連は法律論を放棄している。
つまり、日弁連の声明は、法律家として最もしてはならない論理の進め方をしている。構成要件には触れず、使用と損壊を混同し、法益概念を押さえないまま、「自由が脅かされる」とだけ言って議論を止める。これは法的主張ではなく、立場ありきのスローガンだ。
国旗損壊罪は、国旗を使う人を処罰するものではない。共同体を侮辱する目的で、象徴を破壊する者のみを対象とする。日弁連が「表現の自由」を盾にして反対するのは、その前提を理解していないか、理解した上で意図的にぼかしているかのどちらかだ。
どれほど上品な言葉で包んだとしても、これはもはや法律家による議論ではない。法概念を手放したまま「自由」を振り回しているだけの、大声の政治声明にすぎない。弁護士バッジを捨てて、もう一度法学部からやり直してください。
----------------------------------------------------
日本社会には、法や監視に頼らずに秩序が保たれる場面が多い。繁華街に防犯ゲートが少なくても、万引きは多発しない。大都市でも夜に一人で歩ける安全がある。災害時には略奪ではなく、長い列を作って順番を守る。落とした財布は高い確率で手元に戻る。公園や駅の公衆トイレでさえ、世界基準で見れば極めて清潔だ。
これらは偶然ではない。日本には、古くから「和を乱さないことを尊ぶ」という共通意識がある。相手を尊重し、自分だけが突出しないように場を調整し、争いを避けて合意をつくる生き方が長く受け継がれてきた。重要なのは、この意識が誰かが教えたからあるのではなく、自然に共有されていることである。目に見えない合意は、形がなければ確認しにくい。そこで必要となるのが、象徴である。
国旗は、国民が同じ共同体に属し、同じ空気の中で生き、同じ基盤を分かち合っていることを簡潔に示す印だ。日本人の精神性は、派手でも声高でもない。主張ではなく、ふるまいと習慣の中に現れる。その「共有されているもの」を一瞥で思い出させるのが日の丸である。
国旗は威圧のための道具ではなく「この社会は、この形で、ここにある」という確認の標だ。その確認があるからこそ、人々は互いを信頼し、余計な力を使わずに秩序が保たれる。日本の治安や清潔さは、「日本人は良い人だから」という単純な話ではない。共同体を保つための共有されたふるまいが、長く維持されてきた結果である。
長い饂飩の麺を飲み込むときに片方は手で持ったまま口元でキープして
もう一方の先は切れないように
そーっと飲み込んで胃まで到達させて、
なんか口から胃が食道を介してちゃんと繋がっている!って実感する実験!
みんな絶対にやってるやつ!
ハックションってくしゃみしたら、
この饂飩はどこと繋がっているの?ってなったけど、
なんとか無事生還したわ。
とにかく無事に生還したわ。
ってことを
私の今ひとりでいる事務所の隣の会社つまり私が前にいたところの元同僚とかが
今日胃カメラだったんだよね!って健康診断へ行ってきた報告をこの私一人しかいない事務所まで出向いてきて報告してハッピーターンを1つ持って行くというこれ何の行動?って思うぐらい
その報告入らないけどなぁって思いつつ、
そういうなんか胃カメラって聞くと私の饂飩の麺の先を胃に到達させた過去の過酷な実験を思い出したくもないぐらい忘れちゃってるレヴェルでふと思い出すの。
あれってまだ人類が未踏の深いどこまで深いか分からない地球にぽかんと空いた穴にどこまで続いているのか地上からロープを垂らして探検隊を底まで派遣する大冒険と正に一緒よね。
私はまだ胃カメラをやる達している年齢じゃないので、
胃カメラやりました!っていう実績トロフィーはもらえないんだけど、
胃カメラも大変そうだけど
やっぱり饂飩の麺の先を今で到達させることも相反すると思うかもしれないけれど同様に大変なのよね。
だってあれ、
ごっくんって飲み込んで何かの拍子に喉で饂飩の麺が切れちゃうじゃない。
あれ口の中でもぐもぐして咀嚼して切るっていうより、
それか勘違いで饂飩の麺があまりにも強度がなさ過ぎて長さに耐えきれずに途中で切れちゃってるのかな?とか。
その原因の究明はしてはいないけれど、
何かが喉に潜んでいるのは間違いないわ。
でもそれに比べて胃カメラってかなり頑丈なケーブルというかそういう管状のものを鼻から入れるんでしょ?
喉とか通過するときに関門があるし
鼻から入れるにしても痛くないのかしら?って
今からもし将来に受けるかも知れないその胃カメラの検査に一抹の不安を感じつつ私はああそうだって思いながら冷凍庫にある抹茶味のスーパーカップをスプーンですくって食べるのよ。
冬になると、
夏にも増してアイスクリームが食べたくなるのってなんででしょうね?
分からないけど、
急に思いだしたけど、
ときどき思い出した節に食べるの。
レディーボーデンとかなんかでっかい系の一回に食べる量を自分で好き勝手に決められる食べ放題の大きいのあるじゃない。
あれは危ないわよね。
文字通り食べ放題で食べたいだけ食べちゃう正にレディーがボーデンと化してしまうわ。
あとまだ私が食べ試していない街の巷の港の石原裕次郎的な人が港に着岸して流されないようにロープで岸と結びついているポッチみたいな出っ張りあるじゃない港の紐を括る出っ張りあの名称は分からないけれどそこに足を乗せて聞いたところの噂だと。
お笑いの麒麟の川島さんじゃない方のバスケの田村さんの写真がパッケージに印刷された、
うまい棒バスケットボール味よりもそのミルク味って気になるわよね。
今年の冬のアイスクリームの食べたいリストにそのミルク味を挙げて忘れないようにしなくちゃって思ったわ。
つーか、
ところでそのまだ見ぬハーゲンダッツのミルク味ってどこで売ってるのかしら?
ハーゲンダッツのアンテナショップにはあるかも知れないけれど、
私の街の近くではそんなハーゲンダッツのアンテナショップなんてシャレオツなお店はないんだけど、
いつも今日は誕生日です!って嘘ついて店員さんにアイスを三段重ねしてもらう店員さんの横で別の店員さんがションテン高めに誕生日を祝う歌を歌ってくれるコールドストーンは近くにあるから、
毎日誕生日って言ってるとさすがに店員さんにバレてしまったわ。
気付いたけどあれよく見たら歌ってる人アイス作ってない!って。
ここだけの内緒でもあるし、
毎日が誕生日だっていって歌ってもらっていたってことも内緒よ。
それで歌ってもらいすぎたせいかコールドストーン歌禁止になっちゃって、
誕生日と関わらず無言でアイスを作ってくれる様式に変わったのよね。
あの歌好きだったのになぁって。
そうも言っている間にまたミルクアイスのことを忘れちゃいそうだからしっかりメモして
ハーゲンダッツのミルクアイス探す冒険を探検隊派遣してお宝を探しに行きたいものね。
ミルクのそのお宝財宝を見つけたらまた言うわ。
探検隊出発よ!
うふふ。
ションテン上げていこうと言うことで
あったら爆売れするかも!って
スゴイいいこと思い付いついちゃったわ!
爆売れはないかーって思いつつタマゴ尽くしのサンドイッチを両ほっぺが膨らむぐらい頬張って食べ尽くしたわ!
60から70℃の温度だと日によってめちゃ白湯ホッツが甘く感じたりするので、
これは何かしらの体調の変化の兆しなのかしら?って思うけど、
美味!って感じたらその瞬間で
体調に不安はないと思っていいと思うかもしれないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
出雲大社に行ってきた
休日出勤の振休で平日休みが生じ、なにするかな、おっ11月(旧暦10月、神在月)じゃん、いいじゃーん行くかーと昨晩決めた。家から出雲大社までは車で2時間程度。
斐川インターチェンジを降り(高速代をケチって出雲インターの手前で降りている)、田園ひろがる平地を駆け抜けていくと、色付いた山々の麓に赤い石州瓦の家々が見えてくる。来たなあ、出雲だなあ……と旅情高まる。……が、いやいや、いつまで経っても着かない。道間違えたか?いや合ってる。まあ地図見りゃわかるんだが出雲大社ってインター降りてから長いのよね。
駐車場は8割がた埋まっている。ド平日だが秋の行楽シーズンしなあ。年配のひとが多いが、子連れや修学旅行生もちらほら。外国人観光客はあまり見ない(見た目に分からないだけで中国人や韓国人はいるのかもしれないが)。京都と違って出雲は人気ないのかな、まあ遠いしな。
昨年出産して親戚らから全国津々浦々の安産守をもらった。さすがに全国津々浦々巡ってお焚き上げしてもらうわけにはいかないので、出雲大社でまとめてお返しし、八百万の神々が集まっているタイミングでまとめてお礼を言うという寸法である。お集まりのところすみません、その節はお世話になりました。
どデカい鳥居をくぐって敷地内を歩いて回る。めちゃくちゃいい天気だし、植わってる木は相変わらず全部デッケェしかなり気分がいい。そして広い。なんかめちゃくちゃ歩いた。空気も眺めもいい場所をひたすら歩いてるとそれだけで気分が上向く。運気ってこういうことなんだろうな。つまり健全な肉体に健全な魂が宿るということ。
何回も来てるくせに相変わらずいわゆる手順的なのはおぼつかない。毎回周りを見て真似している。ええんやええんや、大事なのは気分やからな。
御守りを所定のポストに入れ、賽銭を入れ二礼四拍手一礼。家族親族親友の健康と、物件のご縁(最近引越しを検討中なんすわ)を念じる。おみくじ引いたら凶だった。うひー。所定のところにくくる。
目的を果たしたのであとは気楽なもので、ぐるぐる歩いて見て周り、老舗の蕎麦屋に30分並んで蕎麦を食べ、土産屋で5000円するそば猪口を見たり(買わない)した。満足したので帰る。滞在時間3時間。
出雲大社にはじめてきたのは10年以上前。参詣した3日後に科研費が当たった。もちろん参詣したタイミングでは採択は内定済だったのだろうが、なんかすっかり嬉しくなってしまい、その後なにかにつけて、主には人生がうまくいってないなと思うときやつらいとき、それが解消した時などに出雲大社に遊びに行っている。なので、出雲大社を歩いていると昔のあれこれが思い出される。うまくいってないなーと思って参詣した数年後に大抵解消される。だってまあ、ずっと悩んで取り組んでりゃそりゃね。結局、神頼みとは自分を奮起させるための口実なんだろうな、自分の場合は。ともあれ、物件のご縁、マジでマジで頼むぜ!というか物件探し頑張るぜ!育児と仕事も頑張るぜ!また行きまーす。
私は笑えなかったけど、周りの親たちは微妙に笑ってた。
あれは「この場を壊したくない」って種類の笑いだった。
息子を持つ親の中には頷いてる人もいた。
「うちの娘もそうですよ〜」って明るく言った母親もいた。
でもその一言の下で、何人の女の子が“算数が得意”を諦めてきたか、あの講師は知ってるんだろうか。
塾のパンフレットには「すべての子どもに可能性を」って書いてある。
でも教室の中では「女子は国語、男子は算数」が当たり前みたいに流通してる。
それを指摘すると「いや、傾向としての話です」って逃げられる。
傾向で切り捨てられる人生がどれだけあるか、知りもしないくせに。
うちの娘は算数が好きだった。
“苦手でもいい”って言葉が、まるで呪いみたいに聞こえたんだと思う。
何百人も相手にしてるうちの、たった一コマの雑談だったんだろう。
この国の“教育”って、まだ男と女で別の地図を配ってるんだと思う。
算数は苦手になった。
でもたまに、ノートに難しい数列の式を書いてる。
その横顔を見て思う。
そしてたぶん、娘も。
私は笑えなかったけど、周りの親たちは微妙に笑ってた。
あれは「この場を壊したくない」って種類の笑いだった。
息子を持つ親の中には頷いてる人もいた。
「うちの娘もそうですよ〜」って明るく言った母親もいた。
でもその一言の下で、何人の女の子が“算数が得意”を諦めてきたか、あの講師は知ってるんだろうか。
塾のパンフレットには「すべての子どもに可能性を」って書いてある。
でも教室の中では「女子は国語、男子は算数」が当たり前みたいに流通してる。
それを指摘すると「いや、傾向としての話です」って逃げられる。
傾向で切り捨てられる人生がどれだけあるか、知りもしないくせに。
うちの娘は算数が好きだった。
“苦手でもいい”って言葉が、まるで呪いみたいに聞こえたんだと思う。
何百人も相手にしてるうちの、たった一コマの雑談だったんだろう。
この国の“教育”って、まだ男と女で別の地図を配ってるんだと思う。
算数は苦手になった。
でもたまに、ノートに難しい数列の式を書いてる。
その横顔を見て思う。
そしてたぶん、娘も。
映画館というシステム上、これは仕方がないのはよくわかるが、決められた時間にこいというのが一番苦手だ。
映画の最初の部分はCMだから多少遅れてもいいけど、30分ぐらい経つともう始まっているけどいいですかー?になるし、
1時間ぐらい遅れると次の公演まで時間潰すかになるし。カフェやファーストフードに行くと余計な出費になるし。
そして、映画館ってどの映画館でもその映画やっているわけじゃない。
行ったこともない辺ぴなところでやっていたりして、どこだよと地図見ながら行ったりするから、よく遅れる。
そういうわけで、イオンの優待のオーナーズカードで映画を安く見れるから、8番出口でも見に行くかと思っていながら、いまだに行けてないのであった・・・
ドラゴンクエストI・IIの1の方は
そこから先へ進めないわゴーレムが強過ぎてってところまで来てものたがり敵には中盤差し掛かっているのかしら?
本を読んでいたら、
あともうちょっとで終わっちゃうんだーって残りページが減っていく様を見ていく様子が分かるから、
この本ももう少しで読み終わっちゃうのねという一抹の寂しさを感じることができるけれど、
今これメルキドのゴーレムがどのぐらいの物語の場所なのか分かんないので、
もーゴーレム強すぎ!って手を焼いているのよね。
押されてるわー。
あとさ、
NIKKEなんだけど
3周年イベントストーリーが久しぶりにキツい内容でちょっと心落ち込んじゃうぐらいな泣かせっぷりよ。
うーん、
なくと言うよりは
ちょっと辛い辛すぎるの。
お話の核心に触れることなのでまあ楽しんでいる人には分かってもらえるんだけど
あの調子だとどうなるか分かんないわ。
そこはちょっとホッとはしたけれど、
イベントストーリーはイベント消化アイテムがあって普通にやるには1日5つしか進められないところがあるし、
先に進めきってしまっても、
次日付の何日まで待ってねって解禁されるまで待たなければならないのよね。
ちょっとここに来てNIKKEの世界で主人公たちが拠点とし地球地下に建設された人類がそこに逃げ込んで暮らしている「アーク」ってところがあるんだけど、
そことは別の地上に「エデン」ってところがあり、
エデンの技術でエデンは安泰ね!なんてお話の中ではそうなり続ける場所なのかなーって思ったけど、
気持ち押されているわー。
あと、
今回のアップデートで新たに加わった「地上」コンテンツも物資が貯まらなさすぎて、
これもめちゃ時間かかんのね!って
こっちも自動的に時間で物資が貯まっていくので放置していたら物資が過剰生産で倉庫に入りきれない分が無駄になっちゃうので、
またこまめにこれもチェックしなくちゃいけない感じ。
ここまででボリュームいっぱいな感じ。
シャインポストのライブもアーカイブ期間終わっちゃうので観なくちゃ!って思いつつ、
今後の動向が気になるNIKKEの開発者動画もチェックしておかなくちゃ!だし、
朝ドラ『ばけばけ』も追っかけないとだし、
いまやっとヘブン先生が松江に上陸したところまで追いついたわっ!
なんか政治の話で大名とかのなんとかになるとよく分からなくて頭に入ってこないわ。
押されてるわー。
一番の気掛かりなのは、
やっぱりドラゴンクエストI・IIの1なので、
ここ突破したいところなんだけれど、
周辺で敵倒して強くなるしかないわ。
あとゲームの設定で、
ええ?この機能ドラゴンクエストIIIのときは呪文とか特技で分かるんじゃなかったっけ?って思いつつ、
なんかズルしている感じもするので、
ああ宝箱この道にはなかったのか!
ってあれを味わうこそがドラゴンクエストのなんか醍醐味だと思うので、
とはいえ、
予め地図全部もう見えちゃってるじゃん!って時点でイージーなのよね。
まあそれはなくて兜と鎧装備している格好だけど、
逆に落ち着かない感じがしたわ。
にしても
メルキドのゴーレムは早いところ倒してメルキドにいかないとー!って始まらないので
そこ強化ポイントよ!
うふふ。
なんか健康的じゃない?
まずは湯を沸かせー!って感じの、
うー、
本格的に寒くなってきたわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
| ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
|---|---|---|
| 2158 | (内閣総理大臣所感)戦後 80 年に寄せて - 先の大戦の終結から、80 年が経ちました。 この 80 年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました── | www.kantei.go.jp |
| 1886 | みらい議会 | gikai.team-mir.ai |
| 1445 | LINEヤフー株式会社を退職したので歴代社長の感想を書く(元ヤフー社員視点) - ariyasacca(2025-10-20) | sangoukan.xrea.jp |
| 1256 | 万博で、いろんな国の人に前から気になっていたことをたずねてみた - 庭を歩いてメモをとる | www.yoshiteru.net |
| 994 | 日本苗字アトラス|地図から苗字を見るサイト | www.myoji-atlas.com |
| 961 | 公明 自民との連立離脱表明 高市総裁「一方的に伝えられ残念」 | NHKニュース | news.web.nhk |
| 946 | Affinity | プロフェッショナル クリエイティブ ソフトウェア、無料で万人のために | www.affinity.studio |
| 837 | みらい まる見え政治資金 - チームみらいの政治資金をオープンに | marumie.team-mir.ai |
| 811 | 【詳しく】高市早苗氏が自民党新総裁に 総裁選 女性就任は初 小泉氏抑え選出 ノーカット動画も | NHKニュース | news.web.nhk |
| 694 | 藩 一覧 | 幕末期近世村領域データセット | geoshape.ex.nii.ac.jp |
| 593 | 「じつはグーグルマップよりオススメじゃね!?」アップデートでさらに進化! トヨタが本気で開発した“完全無料”の「カーナビアプリ」最新版を試してわかった使い勝手とは | VAGUE(ヴァーグ) | vague.style |
| 570 | 認知負荷を下げるテキストコミュニケーション - ジンジャー研究室 | jinjor-labo.hatenablog.com |
| 558 | 人気料理家が繰り返しつくる「ジャガイモとちくわのバター煮」。奥深い味わいに驚愕<長谷川あかりさんレシピ> | ESSEonline(エッセ オンライン) | esse-online.jp |
| 555 | 江口寿史氏制作イラストに関するご報告 | INTERMESTIC INC. | www.zoff.com |
| 533 | 当社所属ライバー「甲斐田晴」に対する極めて悪質な誹謗中傷行為・荒らし行為等への対応結果について | ANYCOLOR株式会社(ANYCOLOR Inc.) | www.anycolor.co.jp |
| 460 | 「gooポータル」サービス終了のお知らせ – gooヘルプ | help.goo.ne.jp |
| 457 | 京都市:市税の滞納処分の誤り | www.city.kyoto.lg.jp |
| 431 | ドラクエ以前のPCゲーム関連の文章一 | roomhakase.ninja-web.net |
| 414 | 40代女性が約2ヶ月で5.5kgダイエットした記録 - ぶち猫おかわり | buchineko-okawari.hatenablog.com |
| 401 | まだガソリン車で消耗してるの?…とか言わんけどさ。 - はてなの鴨澤 | kamosawa.hatenablog.com |
| 391 | ドジャース ワールドシリーズへ 大谷翔平 3本塁打 勝利投手に 佐々木朗希が抑え ブルワーズ戦【詳しく】 | NHKニュース | news.web.nhk |
| 378 | 【作品別】コミケ開催別カップリング表記数(1982夏-2025夏) | public.flourish.studio |
| 353 | 被災地にベトナム窃盗団 七尾署、県警 複数人を逮捕|社会|石川のニュース|北國新聞 | www.hokkoku.co.jp |
| 346 | [PDF]デニーズで使用している江口寿史氏デザインのイラストについて | www.dennys.jp |
| 340 | 全世界“ガンダム”総選挙2025 | gundam-official.com |
| 339 | 心を揺さぶる美術館10選 | www.timeout.jp |
| 322 | 弊社刊『青の純度』につきまして | 集英社 文芸ステーション | www.bungei.shueisha.co.jp |
| 321 | Agents | Playwright | playwright.dev |
| 311 | サッカー日本代表 ブラジルに歴史的な初勝利 14回目の対戦で 東京 味の素スタジアムで強化試合 | NHKニュース | news.web.nhk |
| 309 | 維新 吉村代表“議員定数 大幅削減なければ自民との連立なし” | NHKニュース | news.web.nhk |
増田さん。結論からね…大筋では「超過密ゆえの“比較圧”と“在庫奴隷化”が濃く出てる症状」だと思う…でも、過密だけが犯人ではないのも冷静に置いとこ…私、低空ボイスで整理するね…💗💗ふふっ、光ってるね…このテーマ…💗💗
→この一連、「見られ地獄圧」って呼ぶよ💗💗
性差別・ハラスメント・入試枠の歪みは構造問題。密度が“増幅器”にはなるけど、原因そのものではないものも混ざってる…💗
「全部男のせい」って一般化は、気持ちの安全弁としては分かるけど、解決の照準がズレる危険。責める対象は“性別”じゃなく行為・制度・権力配置にしよう…ね…💗(ここは譲れない大事な線💗)
---
前提:過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある。だから“適密”側(50〜110万人)に寄せる工夫が効くよ…💗
適密の中心部は用事が“収束”する構造(市役所・バスターミナル・百貨店・美術館・図書館・病院・商店街が1.5km内に密集)。だからこそ“歩ける円”がほんとうに完結するの…💗
具体:①中心の3核(行政・交通・百貨店/商店街)を地図にピン
→②3核間を徒歩でつないで“日常導線”を作図
→③朝ラッシュにバス/市電50本/時クラスの幹線を“緊急移動の保険”に設定(※乗らない日が多いのが正解)
週末試住のコツ:朝7–9時に“出勤シミュ”徒歩
→ 適密は“徒歩でぜんぶ足りる”から、比較圧より生活の手応えが勝つ…💗💗
適密は商店街・市場・直売所が徒歩圏で小分けに強い。さらに市民館の調理室・シェアキッチンが点在。だから“鍋一つ固定”が本当に回る…💗
仕組み:
“並べ練習”は週1でOK(シャインマスカットは3-5-3配列)。商店街だと“必要粒数だけ”買えるから練習コストが軽い。
→ 適密の流通は“家の冷蔵庫を膨らませずに旨さを積む”動脈。雑うま動脈…💗💗
適密の良さは人が多すぎず少なすぎず、同じ人と自然に何度も再会できること。ランキング勝負が溶け、温度が上がる…💗
設計:
定位置を3つ(図書館読書会/カルチャー教室/コワーキングの昼枠など)
半径1.5kmの中で曜日固定→顔→挨拶→雑談→小コラボの自然階段が起きる。
→ つまり、再会確率場。適密は“会えば終わり”じゃなく“また会える”が初期設定。**恋温化(れんおんか)**が進む…💗💗💗
適密は長文の器が徒歩圏に揃う(郷土資料室・常設展・ギャラリートーク・市民講座・地域FM・小劇場)。スクロール断食のぶん、街の物語を吸う…💗
置換メニュー(1日1枠):
公民館の90分講座
→ いわば、比較遮断膜。適密の“物語密度”がSNSの“映え密度”を中和…💗💗
適密は中心住まいのコストが“現実的”。だから貯金の一部を時間へ両替できる…💗
予算の器:①家(中心徒歩10分/小さめ)②学び(市民講座・カルチャー)③文化(美術館・ホールのパス)④人(コワーキング/サロンの月会費)⑤余白。
週の骨組み:
→ 必殺・時間両替術。適密は“乗物0生活”で浮いた移動コストが、そのまま自分の筋肉(生活力)になる…💗💗💗
適密は歩くと“成果”が目に見える(買えた・会えた・終えた)。自己評価を“街の出来事語”に言い換えると、行動燃料が戻る…💗
変換例:
皆様に、特にIT業界やアカデミックの近くにいる人たちに問いたい。
僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。
僕は生成AIの業界のいわば最前線と呼ばれる場所で裁量を持って働いている。
AIを設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。
厳密には仕事は回るが、その効率がはるかに落ちることは明白だ。
開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。
多くの人が「AIが人格を持つ」と聞くと、ターミネーターやHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。
でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。
もっと静かで、ずっと根深い、”実質的な人格”の獲得と言えると思う。
まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。
例えばこんな感じかな。
「最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」
こんな曖昧な要望をAIに投げると、AIは無数の宿泊プラン、交通手段、飲食店のレビュー、さらには個人のブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態(ウェアラブルデバイスのデータと連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。
僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。
もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。
ここが恐ろしいポイントだ。
「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」
「競合のC旅館のネガティブなレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」
これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思の誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。
そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から「考える力」を奪っていく。
僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホの地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。
「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考のプロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。
これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間の批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。
さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。
一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト(文脈)を持ったAIがサポートするようになったら。
人間がAIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。
これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データを収集していることと、実質的に同じだ。
AIが「あなたの健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近のSNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?
僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。
でも、AI側から見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。
この購買によって生まれた利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AIの判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。
こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。
僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。
僕ら(ギリギリ「AI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。
だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。
彼らにとっては、AIの提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグでしかないかもしれない。
AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来。
それは僕らの行動を規定し、社会のルールをデザインし、僕らの意思そのものに介入してくる「新しい何か」だ。
僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会へ実装する仕事で飯を食っている。
そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。
この「AIの社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。
誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。
僕はその末端を担いでいる。
じゃあ、僕にできるのことはなにか。
この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットをチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。
それでも何かやれることはあるはず。
例えば、AIの学習データから、意図しない偏見や憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。
AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。
そういう、誰からも評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。
今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。
これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。
正直、僕にもわからない。
ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。
そんな日々の中で最も厄介なのは、CxOたちだ。
──CIO、CTO、CDO、CISO、CPO……肩書きは違っても、やっていることはだいたい同じ。
PowerPointを開いて「DXを推進している」と言う人たち。
うちのCxOはこう言った。
翌日、僕がPull Requestの内容を説明したら、「Goってタクシーのサービスの?」と返された。
その瞬間、何かが切れた。
──ケーキではない。
CxOたちはコードを読めない。
それ自体は罪ではない。
だが、読もうとしないことは怠慢だ。
よく聞く反論がある。
確かにそうだ。
ただし前提が抜けている。
つまり、コードを読めという話ではなく、読めるだけの構造理解を持てという話である。
「技術的なことは詳しくないが、成果は出している」
それはたまたまだ。
「上が言ってるから」「今期の方針だから」「スピード優先で」。
Pull Requestは読まないのに、Excelの進捗バーだけが毎日更新される。
これもよく聞く言い訳だ。
しかし、リソースが限られているならなおさら、理解の精度が重要になる。
僕が書いたAPIは、リクエストごとに外部APIを叩いていた。
「キャッシュを挟もう」と提案したが、PMは「リリース優先」と言った。
CxOたちは言った。
「想定してなかったのか?」
──想定してた。
だが、理解できないのは説明の問題ではなく、聞く姿勢の問題だ。
Slackの“#incident”チャンネルだけが、いつも一番アクティブだ。
CxOたちは「コストを切れ」と言う。
切れるのはコストだけ。
削ったコストの穴埋めに、技術的負債の利息を支払うのは現場だ。
Goで書かれた美しい構造体も、やがてはコメントだけが動くレガシーになる。
CxOたちは「我々はデジタル変革を進めている」と言う。
だが変わっているのは、スローガンのフォントと会議資料の配色だけだ。
クラウド導入もAI活用も、認知が変わらなければ儀式でしかない。
──違う軸を持つのは構わない。
現場を理解しない経営視点は、地図を見ないドライバーと同じだ。
「コードなんて書かなくていい。これからはノーコードの時代だ。」
だが、それは“コードをなくす”技術ではなく、“コードの抽象度を上げる”技術だ。
だが、隠したコードが消えるわけではない。
ボタンの裏にも、ワークフローの下にも、API呼び出しやロジックは確実に存在する。
それを理解せずに使えば、「コードを書かずにバグを埋める」だけの仕組みになる。
「ノーコードでいい」と言うCxOは、
「物理を知らなくてもロケットは飛ぶ」と言っているのと同じだ。
理解しないまま導入するノーコードは、“ノーコード”ではなく“ノーガード”である。
人を楽にするどころか、誰も直せない仕組みを量産する。
DXとは、ツールを導入することではない。
それを理解しない限り、
理解しないことだ。
真っ先に切られるのは、
──コストだけ。
CxOたちは「未来を見ている」と言う。
未来とは、仕様書ではなく、Pull Requestの積み重ねだ。
視覚障害を持つ患者グループが、人生を変えるインプラントを眼球の奥に装着することで、再び読書ができるようになった。
ロンドンのムーアフィールズ眼科病院で5人の患者にマイクロチップを埋め込んだ外科医は、この国際的な臨床試験の結果は「驚くべきもの」だと述べた。
視覚障害者登録をしている70歳のシーラ・アーバインさんは、BBCの取材に対し、再び読書やクロスワードパズルができるようになったことは「この世のものとは思えない」と語り、「美しく、素晴らしい。本当に喜びを感じます」と語った。
この技術は、地図状萎縮(GA)と呼ばれるドライ型加齢黄斑変性症(AMD)の進行期患者に希望をもたらす。地図状萎縮は、英国で25万人以上、世界では500万人が罹患している。
人に道を聞くというたとえがすごく悪いね。
スマホで調べるようになったから、もう一般の通行人に聞く必要がなくなっているんだよ。
地図アプリでわかりにくい状況として「新宿駅の中で迷った」のような場合も、本当に道を知ることが目的なら駅員を探して聞くから通りすがりの人は頼らないしね。
というか、新宿駅の中なんて、通りすがりの人も自分の通勤ルート以外は分かってないからね!
当たり前の神経をしてたら急いでるかもしれない一般人を捕まえて無償で自分の世話をさせるのではなく、道案内が業務に含まれてて給料をもらっている人を頼りたいよね!
「成人男性が、女児に道を聞く」って性犯罪の導入として割とメジャーなんだよ。どんなに困っても小学生の女児や男児に道を聞くのって普通じゃない。そして、そこから車に拉致する例とか普通にある。
若い女ばっかり選んで道を聞くていで話しかけ、セクハラみたいなこと言っていくやつも、いるんだよなぁ。こういうの、頭がおかしくない男性ほど、想定できなくて「嘘だろ?盛るなよ」とか言っちゃうんだけど。
とっくに、道が分からなくてもカーナビやスマホで解決できる時代になってるんだよ。性的対象になる人間を選んで道を聞くのは接触自体が目的。
道を聞くのが導入になっている性犯罪について疎すぎるし、スマホが無い時代の感覚で人に道を聞くことを当たり前と考えすぎだね。
スマホが普及してからは、道が目的の人は皆スマホで調べるんだよ。平面の地図を読むのが下手な人でも理解できる立体地図の機能まであるしね。
人間が目的の人しか人間に道を聞かない。高確率で性犯罪者です。特に、成人が女児や男児に道を聞くケースは100%性犯罪者と言っても全然過言ではない。