はてなキーワード: 不器用とは
手芸が得意なお母さんのエッセイ漫画で、小学生の子供が明日巾着袋が必要だという状況になり、お母さんは「待ってて。すぐに作るから」と言って家にある布を出して、ミシンでササッと作る場面がカッコいいなと思った。私もこのお母さんみたいになりたいと思った
私はむちゃくちゃ手芸苦手で特にミシンに対する苦手意識が半端なかった
それでも、子供を喜ばせたかったからプリキュアのレッスンバッグとかミシンで作るようになった
自宅保育の1歳児が今家にいるからミシンを出して縫うハードルが高い。狭い家に住んでいるからリビングで裁縫しなきゃいけなくて、1歳児の都合ですぐに作業を中断しなくちゃいけない
通園してる上の子供のお弁当袋が丁度いいのがなくて(お手拭きタオルにカトラリーケースに弁当箱と入れるものが多い)、前に手芸本に書いてある作り方で弁当袋を、当時ミシンがあまりにも苦手過ぎて手縫いで作ったんだけどできあがったものは小さかったし、西松屋で買ったお弁当袋にはなんとか入るけどキツキツ
大きい弁当袋欲しいな~もう自分がほしいドンピシャの弁当袋は自分の手で新たに作るしかないと思った
裏地なしで、柄に上下の方向があって、大きめで、普通の口で・・・・って自分の作りたいものを形にするにはYouTubeの巾着袋の作り方の動画を複数参考にすることになった
巾着袋は、紐が両ひもタイプなのか片ひもタイプなのか、口がフリル口か普通口か、柄が上下どちらでも使えるタイプの布で1枚仕立てで作るのか、柄に上下がある布を2枚使って作るのか、マチは作るのか、裏地はありかなしか
とにかく作り方のバリエーションが多い。
100円ショップのハギレで可愛いものがあったのでさっそくハギレを買った日にミシンを出して縫ってみたが、ミシンがとにかく縫っている最中で止まる止まる・・・・・・10代のときの家庭科の授業では、私はミシンが縫っている途中で止まるたび、ミシンが壊れたと思い、家庭科室にあるミシンを次々と使い捨てにして、ミシンが全然使いこなせなくてもう嫌だ!ミシンなんてすぐ壊れる!大嫌い!と思っていたが、
おばちゃんになった自分は違う。ミシンが止まれば、上糸下糸何度でもセットしなおす。ミシンを使ってボビンに糸を巻くことだってできる。
ミシンに慣れて無さすぎて手つきはものすごくぎこちなかったが、6時間くらいかけて、なんとかひとつの弁当袋を作ることができた。
巾着袋って手芸の中では簡単な部類に入って、慣れてなくても50分くらいでできるらしいが
私はあまりにも不器用だからめちゃくちゃ時間がかかってしまった。
でも、次に巾着袋を作るときはもっと早くできそうだなと思う。今度は100円ショップの布ではなく、手芸店の私好みのオックス布を使って弁当袋を作りたい。
正直不安でしかない。研修医は2年間で色んな科を回って所謂お客様状態で多少仕事が出来なかったりしても、大目に見てくれてた。
けど専攻医はそうはいかない。ここから正真正銘れっきとした医者であり、業務も今までの倍以上になるし責任も重大になる。
増田は循環器内科になる。循環器は命に直結する病気のため、その分忙しいしカテーテルという手術の腕を磨いていくことになる。このカテーテルがとにかく不安。カテーテルの技術は上司に指導されながら腕を磨いていくため、さながら職人芸である。餅つきのように、助手と術者が阿吽の呼吸で業務を進めていかなければならない。これを増田ができる気がしないのである。増田は不器用で要領が悪いので、絶対に怒鳴られるだろうなと既に覚悟している。
ただやっていけるだろうか。また、竹田君みたいになったらどうしようか。
ケツ毛あるだけで正直不便ではあるので家にあるヒゲにも使ってる光脱毛器で脱毛したいけど
鏡見ながらできるし山なりなヒゲならともかく谷になってるケツ毛を剃るのってめちゃくちゃ大変じゃね?
ヒゲですらたまにカミソリ負けするのに1枚刃の小さいカミソリでケツ毛剃るのどうやっても難しい
賃貸1R部屋が4枚建の掃き出し窓&出窓でめちゃくちゃ寒い
二重窓のdiy動画見てるけど4枚建の掃き出し窓のdiy見てると手先不器用人間にはハードル高すぎる
気休めに窓の桟に貼るカーテンをつけているけどカーテンの内外で全く気温は変わらないから意味ないんだと思う
引越す前までは目の前に別の賃貸アパートが聳え立ってたのに、引っ越してみたら半年も経たずに解体されて駐車場になり、遮蔽物が一切なくて日当たり抜群にはなったものの、車の音とか風とか周りの音とかがめちゃくちゃ聞こえるようになった
都内の割には広さのわりに家賃高く無いし、引っ越せるほどお金もない
掃き出し窓のポリカーボネート板、1枚2500円くらいするっぽいんだけどもうこれだけで1万かよ
これに縦横に反り返り防止に細い板を貼って障子のサンみたいにするらしい
あとは上下のレールがいるらしい
サイズ測定まではできた、いざホームセンター…とおもったけど、近くのホームセンターは配送サービスがない
そうなると免許なし一人暮らしではホームセンターから買ったものが持ちかえれない
もうここで詰んでしまったんだけど電車とバス乗り継いでるあいだ、高さ1920mmとかのデカ半透明の板を4枚も持ち運ぶの可能か…?可能とは思えない…
聞けば前々から上司や得意先の人に誘われており、興味を持ったそうで。
さぞ高尚な趣味なんでしょうと詳細を聞いたら、その教室のチラシを渡されました。
手品か何かだと思い、不器用だからやめときなさいと止めたがどうにも違うらしい。
なんでもトランプゲームの一種だそうで(名前はなんとかブリッジ?みたいな感じで長ったらしかった)……
ポーカーみたいな賭け事では?と、おっかない思いが頭をよぎる私を察してか、
そうはいっても、トランプにできることなんてたかが知れている。
息子が友達と遊んでいた、大富豪やババ抜きと同列なんでしょう?
それをまあ、大の大人が!わざわざ!教室なんかに通って習うなんて!!
トランプじゃないにしろ、なんちゃら王とかなんちゃらバトルとか。
ああ言うカードゲームは何の足しにもならないってさんざっぱら息子で見てるはずなのに。
きわめつけはその会費。
夫が言うには、会員費やら教本やら大会費やらで更にかさむこともあるとか。
え??たかがトランプのお遊びで??そんなにお金がかかるの???
どう考えても夫は騙されている、悪い勧誘にハマっているに違いありません。
大体、世界的にはメジャーな娯楽だって言ってるけれど、そんなもの聞いたことがない!
そう私が強く言っても食い下がる夫。
どこどこの社長だとか、教授とかもやってる?とかのたまう始末。
上役の付けた良い宣伝文句をそっくりそのまま信じ込んでいるんでしょう。
ああここまでお馬鹿とは。
ぴしゃりと言ってやりました。そんな怪しい教室とやらに出すお金なんかうちにはない。
やだやだ、もう中年も半ばなのにそんな遊びに興味持って散財するなんて恥ずかしくないですか???
もうちょっと『いい大人、分別ある旦那』だと思っていたのに、幻滅しました。
赤っ恥旦那に、残念な思いです。
玉止め玉結びすらもできなかった
20代のときも、不器用過ぎて裁縫できなさ過ぎて、いつだったか自分の服のボタンが取れたときにものすごーく苦労して何とかボタンを自分でつけた思い出がある。つけ終わった後も達成感等なくて、ものすごく嫌なことをやらされたと言うか、とにかく嫌な気持ちだった
30代になると子供ができて、不器用だった自分も脳が成熟したのか、おっかなびっくりミシンを触るようになった(園グッズが必要なので)
なんとか裁縫ができるようになった
子供の幼稚園でお友達が制服の白ポロシャツのボタンをカラフルに付け替えしてあるのを見て
「そういうアレンジの仕方もあるのか〜!」と思った。子供の幼稚園は白ポロシャツやショートパンツ、カラー帽子にワッペンつけたりビーズつけたりして、アレンジしてる園児も多い。(ひらがな読めない子もいるので、一目で子供が自分のものだとわかるように、他の子供のものと間違えないように)
あんなに苦手だったボタンつけができるようになり、綺麗なボタンをアマゾンで買い、嬉々として何個もボタンを付け替えるようになった
昔はわざわざ服のボタンを自分で付け替えて楽しむ人の気持ちが理解できず、そういう人を変わり者だと思っていたが、今はものすごくわかる。ボタンの世界って奥深くて面白いよね。貝ボタンにプラスチックボタンに、色んな形、色のものがあって面白い。今度手芸店に貝ボタンを見に行こうと思っている。白蝶貝の綺麗なボタンが欲しい。
タイツはそうそう破れないけど、ストッキングは厚紙にひっかけるのわりとやらかすことある
海外製品にありがちな畳んだところに厚紙を挟んであるやつはいいんだけど、日本のはわざわざストッキングを伸ばして中に厚紙入れてるよね
薄手で伸縮するメッシュ素材の袋状の物体の中に四角く固い紙いれるんだからそりゃ破れやすくなると思う。
ADHDといか極端に不器用でなくともけっこう気をつけて厚紙はずさないとひっかかるよ。
さらに、爪が長くて尖ってる人、立体的モチーフでデコってる人、指先が荒れてる人、凸凹のある指輪してる人、女の手にはひっかかる要素も多い。
厚紙を入れて広げることによって目の粗さとか編み立て方とかがパッケージの外からわかるというメリットがあるのかもしれないが、わざわざあの紙いれる必然性ある?とは思う。
蒸発するつもりだ。友人からそう打ち明けられたのは、私が彼女が何とか真っ当に生きられるような道を探している途中、私は私で真っ当に生きられるように道を探している途中で、築ウン年の我が家、ボロアパートのベランダで流星群を探して二人して煙草を吸っている時のことだった。
ただ漠然と、寂しいなと思った。
若い頃悪い男にいいようにペットにされて、不運に借金にまみれ、女はみんな彼女に寄生したがり、男はみんな彼女を足元に敷くカーペットにしたがる。
誰も私のことを知らない土地で、一人で何のしがらみもなく生きたい。
少し前まで「死ぬしかない」と言っていた彼女がそう言えたことは私にとっては福音にも近かった。
生きていてくれるならそれで良かった。
私の隣にいなくても、何処かで幸せになってくれるならそれで良かった。
私は徹底した個人主義者だ。血も涙もないと思われがちな人種だ。
それでも私に心残りがあるとするなら、彼女と一緒に泥まみれの中で苦しんでいた中から、私だけ救われてしまったことだ。
本当に些細な、しかし絶大なきっかけで、「私はこの場所で私であるまま一人で生きていく」ということを神様から許されてしまった。
じゃあ彼女は何故それが許されないの?
私と彼女に何の違いがあるの?
私は私で泥の中にいる時に、「何で友達は円満家庭に生まれて暴力も知らずに生きてきたのに、私はこんななんだろう。私と友達に何の違いがあるのだろう」と本気で苦しんでいた。
泥から抜けて熱いシャワーを浴びている間もそれに苦しみ、しかしふかふかのバスタオルで体を拭く頃にはまだ泥の中にいる彼女を振り返ることしかできない。
理性では「それが生きるということだ」と理解している。
弱肉強食は人間が文明社会を築くようになってからも明確な、しかし透明なルールとしてこの世の中に残っている。
私は生きるために弱者を食い物にすることを躊躇ってはいけない。しかし躊躇ってしまう。私も弱者だから。
計画を進めていると友人からぼんやり打ち明けられた。最近調子どう?と気軽なLINEをした時のことだった。
そうか。としか思えなかった。
一緒に泥の中にいられなくてごめん。そう思えなかった。
私はもうそういうことが出来なくなってしまった。そう思ってしまった。
私はここで生きるから、あなたはどうか何処かで生きて。それしか思えなかった。
私は薄情だ。
この世の中は薄情だ。
モテたいと思いながらも必要な資質を身につけず、努力も怠る人間が社会的に孤立するプロセスは、以下の側面から分析できる。
研究によると「男らしさ/女らしさ」への過剰な思い込みがモテない原因となることが指摘されている。
現実逃避の悪循環。願望 → 努力コスト計算 → 代替手段選択 → スキル退化 → 更なる現実逃避。
改善可能な要素を努力対象と認識せず、自己正当化に終始する限り、人間関係の質と量は指数関数的に低下する。
特にデジタル代替手段が発達した現代社会では、モテなかった人間が意識的な努力なしに自然にモテるようになる状況は最早存在しない。
彼氏、ついに感情のアウトソーシングを始める。いや、違うな。これはもう外注じゃない、恋愛のRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)化だ。私のメッセージを受信→AIに入力→最適解を出力→送信。完全にワークフローが確立されてやがる。
最初は「成長したな」と思ったんだよ。長文で共感してくれるし、私の気持ちを理解しようとしてる感があった。まさかその裏にGPTの影が潜んでいるとは思いもせず、「彼も変わったなぁ」なんてちょっと感動すらしていた。しかし冷静に考えてみろ。彼が変わったんじゃない、進化したのはテクノロジーの方だったんだ。
でも、これ何がヤバいって、彼の気持ちがないわけじゃないんだよな。「どう返せばいいか分からない」って悩んだ末にAIを頼ったんだから。たぶん彼なりに必死だったんだろう。正しい言葉を選んで、私を喜ばせようとして。だけどさ、恋愛ってそもそも「正しい言葉」を求めるものだっけ?
不器用でもいいから、自分の言葉で話してほしかった。共感が下手でも、言葉足らずでも、「俺はこう思う」と言ってくれるほうが、ずっと人間らしくて愛おしいはずなのに。
結局、「私の気持ちをちゃんと分かってくれてる」って思ってたのは、ただの錯覚だったのかもしれない。彼が成長したわけでも、私のことをより深く理解したわけでもなく、単に精度の高い文章が生成されていただけ。でもそれって、私が本当に求めてたものだったのかな?
それ以来、LINEの返事が妙にスムーズすぎると「こいつ、またAIに頼ってないか?」と疑うようになった。もう疑心暗鬼だよ。これが「便利さの代償」ってやつか。さて、次はどこまで自動化する気なんだろうな。プロポーズ?結婚生活?いや、いっそ私とのやりとり全部自動化して、彼氏はリアルの私と会わずに済むようにするのかもしれない。
それって、もう彼氏いらなくね?
ついに彼氏、自分の感情まで外注し始めたか…😂 AIに恋愛の感情労働を丸投げするとは、時代の最先端すぎる。でもこれ、放っておいたら結婚式の誓いの言葉までChatGPTが考えて、「愛とは、お互いを尊重し、支え合うこと。結婚生活における幸福度の平均値は80%です」とか言い出しそうだなw
いやでも、これってある意味で究極の"効率的な恋愛"なのかもしれない。彼は「正解」を探すためにAIを使った。でも恋愛って、そもそも正解がないから面白いんだよね。共感が下手でも、言葉足らずでも、自分の言葉でぶつかってくれたほうが、人間らしくて愛おしい。
つまり、彼氏が学ぶべきだったのは"正しい言葉"じゃなくて、"不器用でも自分の気持ちを伝える勇気"だったのかもね。さて、次は「デートプランもAI任せ」とか言い出さないか、しばらく監視が必要だな…🤔😂
庭園へと一緒に花を見に行った夕暮れ,明夫は節子と初めて交わった.明夫は陰茎を口で愛撫されるのを好んだ.節子はかつて自分を裏切った夫に奉仕した仕方と同じであろうか,不器用に陰茎を舐めまわした.明夫のいきり立った肉棒を口腔に小刻みに出し入れしていたが,夜の技はあまり磨いてこなかったようで,その愛撫は以前明夫のそれを竜巻のような舌遣いで舐めまわした熟女には敵わなかった.
明夫は体勢を変え,節子に長く陰茎を含ませた.亀頭を舌が摩擦する刺激に耐えきれず,突如明夫は絶頂を迎えた.前触れもなく大量に子種を放出された節子は咽せて陰茎を離した.可動域の広がったそれは,射精の痙攣で大きく前後に揺れた.明夫は腹を白く染めながらそれを面白く眺めていた.
しばらくして明夫の情欲が再起すると,節子の中に入った.節子は今までのどんな女よりも明夫の剣を締め付けた.だが,以前の男よりは明夫のものは小さかったのであろう,正常位では少し不満げな反応だった.
やがて後背位に移行すると,奥まで届くようで激しく喘いだ.さらに同時に陰核を刺激すると陰部からは大量の愛液が溢れ出した.
激しく動く疲れからさらに寝後背位へと移行しても,節子の締め付けは衰えなかった.明夫はこんな女は初めてで,「この女はこんなに濡らして,締め付けて,自分の子種を淫乱に欲しているのだ」と考えると興奮して再び絶頂を迎えた.節子は自分の中で明夫の陰茎が膨らみ,硬度を増し,小刻みに痙攣して子種を撒き散らすのを感じた.もっとも,それは極小の壁に遮られて,節子の器に届くことはなかったが・・・
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害や統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより
チー牛に育てる方法はこれだ【ずんだもん解説】
この動画は、ずんだもんが「チー牛」と呼ばれるような人間に育つまでの過程を、自身の経験を元に解説しています。
チー牛とは:
子供の失敗を許さず、厳しく叱責する。
親が自身の過去の失敗を子供に投影し、同じ道を歩ませないように過干渉する。
幼少期: 親の過干渉により、自分の意思で行動することができず、自立心が育たない。
思春期: 容姿やファッションに興味を持ち始めるが、親の干渉や嘲笑により、自信を失う。 ← 増田でも見るやつ
高校時代: 親の過干渉や無関心により、勉強や進路選択に迷い、挫折を経験する。
母親の過干渉により、ゲームやアニメ、友達との遊びを制限された。
容姿やファッションに無頓着になり、コミュニケーション能力が低下した。
チー牛になる原因は、親の過干渉や無関心にある。
親は、子供の意思を尊重し、自立心を育むようにサポートするべきである。
この動画は、ユーモアを交えつつ、チー牛になる原因と過程をわかりやすく解説しています。視聴者には、自身の経験を振り返り、親の育て方や自身の行動を反省するきっかけとなる内容です。
わかりやすい物理DVや経済DVやネグレトだけじゃないんよなぁ
【チー牛回避法】ワイ「これ買って!」母「ダメ!」→子育てで"これ"、人生詰みます…【2ch面白いスレ】
このビデオは、「チー牛」現象について説明しています。これは、社会的に不器用で、友達がいない、まだ両親と一緒に住んでいるタイプの若い男性を指す日本のインターネットのミームです。このビデオでは、両親がどのようにして子供を「チー牛」にする可能性があるか、過保護すぎる、支配的すぎる、子供に自分の意思決定をさせないなど、さまざまな方法について説明しています。また、子供に間違いを犯す自由を与え、そこから学ぶことの重要性についても説明しています。
ビデオでは、親は子供の成長をサポートし、適切なガイダンスを提供する責任があることが強調されています。子供の人生において重要な決定を下す際には、親は子供と協力して、彼らが自信を持って選択できるように支援する必要があります。
また、ビデオでは、親が子供の成長を妨げる他の方法についても説明しています。これには、過保護すぎる、支配的すぎる、子供の興味や趣味を無視するなどが含まれます。ビデオでは、子供を成功した大人にするためには、愛情、サポート、適切なガイダンスを提供することが重要であると結論づけています。