はてなキーワード: 天神とは
客の食べ残しの再提供
4店舗全店で客が残した料理をいったん回収し、別の客に提供していた[8]。
「天ぷら」は揚げ直して出すこともあり「アユの塩焼き」は焼き直し「アユのおどり揚げ」は二度揚げしていた。わさびは、形が崩れて下げられてきたものをわさび醤油として出し直し、刺し身は盛り直していた。刺し身のツマはパート従業員が洗い、造り場(調理場)に導入していた。料亭経営を取り仕切っていた当時の湯木正徳前社長の指示で2007年11月の営業休止前まで常態化していたとされる[9]。 従業員はこれらの使い回しの料理について「下座の客に出すことが多かったように思う」と話している [10]。使い回しが発覚した後に湯木佐知子社長は「食べ残し」と呼ばず「手付かずのお料理」と呼ぶようにマスコミに要望した。
事後説明及び廃業までの経過
当初、船場吉兆側は一連の偽装を「パートの女性らの独断によるもの」としていた[11]が、2007年11月14日、売場責任者だったパートの女性ら4人が記者会見し、「店長(湯木尚二取締役)から1か月期限を延ばして売るように直接指示を受けて賞味期限のラベルを張り替えていた」と語り[11]、偽装問題発覚後の10月31日夜、「全責任はパート女性にある」とする会社作成の「事故報告書」に署名・押印を尚二に求められ、パート女性が拒否すると「それは言い訳や」と怒鳴った上、翌日も期限切れ商品を販売した理由を紙に書くよう迫られたと一連の経緯及び船場𠮷兆経営陣の関与を明らかにした。パート女性は押し問答の末、1時間半後に署名せずに帰宅している。
一方、尚二はこれらの証言内容を否定[11]。更に2007年11月16日の大阪府警による家宅捜索・強制捜査でもパート女性従業員の証言や仕入業者の証言を改めて全面否定した。しかし、店の在庫や仕入れの数の報告が大阪の本社に毎日ファクシミリで店舗から送られていたことが農林水産省の調べにより判明するように船場吉兆側の主張に矛盾が生じるに至って、12月10日女将の湯木佐知子ら取締役が会見を開いて経営陣の関与を認めた。佐知子が長男の喜久郎に返答内容を小声で指示し、喜久郎がそれをオウムよろしく繰り返すさまがマイクですべて拾われてしまうといった内容だった[12]。その可笑しさは、東京スポーツ主催の「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で特別賞を受賞するほどであった。
2008年1月16日、大阪地方裁判所に民事再生法適用を申請。これを受けて裁判所は保全命令を出した。負債総額は、金融機関への債務が約6億、損害保証債務が約2億の計・約8億円であり、新社長に就任した湯木佐知子以外の役員は全員が引責辞任した[13]。1月21日、大阪地裁より民事再生手続の開始決定を受けて佐知子新社長が会見を開いて一連の経緯について再度謝罪し、同席した料理人らより佐知子新社長就任について説明を行った。本店を22日に営業再開する一方、心斎橋店及び天神店の運営から撤退、再生計画は2008年8月5日までに提出するとして[14]、一度は再建の道を歩むかに見えた。
2008年5月、「客の食べ残した料理の使い回し」を10年以上も前から行っていたことが発覚して以降、予約のキャンセルが相次ぎ、客が発覚前の半分、末期には3分の1程度に減少。資金繰りに窮し、グループ内外の支援を受けることもできなかったことから、2008年5月28日、大阪市保健所に飲食店の廃業届を提出し、経営破綻。大阪地裁に民事再生手続の廃止を申し立てた[15]。6月23日、破産手続開始決定。
ワロタ 嫌すぎる
普通の旅行好きが考える1泊2日の博多観光ってどんな感じだろう、と考えてみた。
まず1日目
とりあえずここだとはおもう。
空港もしくは博多駅から天神まで行って太宰府天満宮だと思う。大宰府到着は12時くらいかなあ。
だいたい3~4時間くらい滞在したらいいんじゃないだろうか。すると15時くらいになるんじゃないか。
なので有名な櫛田神社に行く。
神社だな。と満足する
適当にどこかで食べてください。もつ鍋が食べたい?ウエストでいいんじゃないですかね。うどんも食えますよ。
次に2日目
えっ?博多じゃなくね?
おわり。
これでいいんじゃないかな。
・メインストーリーを読みたいだけなのににデイリー任務や伝説任務やるの必須
・アイテムを自動で拾わないから戦闘後にひたすら拾うボタン連打
・どこ行っても「このステージはレベル25から開放です」みたいなのが並ぶ
・山登りが遅い
・ダッシュするとスタミナが切れる
・泳いでる時にスタミナ切れたら溺れる
とにかく何から何まで窮屈。
緩いのは女のパンチラガードぐらい。
つうか女がいちいちタイツ越しの尻を見せてくるのが痴女すぎてバカゲー感が酷い。
「順番通りに火をつけよう」みたいな対象年齢5歳なフィールドギミックをいちいちやらされたりするのダルすぎ。
洗練されてなさすぎるだろ。
アラサーの頃にデートとかしてた相手がいて、それまで誰かと付き合うなんて考えたこともなかったんだけど、意外と自分も恋とかするんだなって思ってたんだ。
でもそいつ、実は奥さんと子供がいて、ある日奥さんから「うちの夫がご迷惑を」ってお電話がかかってきたんだな。
この時、100対0で奥さんの言い分を信じて、毎週デートしてた相手のことは全く信じなかった自分を
さっきまで好きだと思ってた相手を一切信じず、突然電話してきた自称奥さんの方を信じるなんておかしいんじゃないか、
人としてどうなんだ? どうせ次の人のことも信じないんだから、もう誰も好きにならないほうがいい。
と思って、
いや、嘘ついてた奴を信じなかったことに罪悪感を感じる必要って全くなくない???????
もし自称奥さんが頭のぶっ飛んだストーカーで、あいつに本当に奥さんも子供もいなかったなら、信じなかったわたしが悪いが、
そうではなかったんだから、信じなかったのは別に問題なくない???????
お花見がてら近所の天神様の賽銭箱に10円突っ込んできたせいだろうか。
急に、十年来のもやもやがぶっ飛んでった。
少し歩くと混雑を回避できる。わかる範囲で追加の案を出してみる。
七条駅までは1km程度だし街中なのでブラブラ歩けるだろうし、京阪の準急なら座れることも。
ここも徒歩は1kmほどなので15分くらいで着く。四条通はビルばかりなので京都っぽさは感じないだろうけど。
叡電も観光のピーク時は結構混んでいるが、始発なので待てば座れる。
バス一択。ピーク時には直通の往復便も出るので他の観光地に行くよりは比較的マシ。
七条まで歩いて京阪で祇園四条まで出るのが比較的わかりやすい。
歩きたくないなら市バス206 or 86系統で祇園バス停下車かな。
歩くのが嫌なら同バス停で204/205系統に乗り換えもあるにはあるが、700mほどなので歩ける距離だろう。
七条まで歩いて京阪で出町柳まで出て、そこから歩くのがわかりやすいし、これが表参道。
市バス50系統立命館大学前まで出て、59系統に乗り換えて御室仁和寺で下車。
東山方面は七条まで歩いて京阪が比較的空いてるし、鉄道なのでわかりやすいだろう。
ここには書いてないが、三条京阪からは観光地へのバスもそれなりに出ているので乗り換えも可能。
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
同僚が「どさんこのチャーハンが美味しいよ」と言っていたのを思い出し、博多めん街道へ向かった
博多めん街道は博多駅の筑紫口側近くの博多デイトスの2階にあるが、筑紫口側からデイトスに入ると混雑しがちなお土産フロアを通り抜けてからでないと博多めん街道には行けない
博多めん街道は直接に新幹線改札とつながっているため、お土産買って、ラーメン食って新幹線乗ってくださいよという導線なのだと思うが、なかなかにたどり着くのに面倒な場所だ
なんならお土産フロアの奥には飲み屋フロアがあるため、博多デイトスのみでお土産買う→飲む→〆のラーメン食う→新幹線乗るが完結するよう作られたアホな場所だ
お目当ての博多川端どさんこは客が並んでおらず、すっと入れて、窓際の二人席に案内された
チャーハンは油でテカリながらもパラパラとしており、ネギ、玉ねぎ、卵、ニンジン、くず肉(チャーシュー?)、ピンク色の細長い物(かまぼこ?)が入っているように見えた
ネギと玉ねぎが両方入っているのは珍しいかもなと思いつつ、口に運ぶと両方が入っている意味が分かった
薄く切られていて強く火の入っているネギが甘みと香りを担い、大き目に切られて火の通り過ぎていない玉ねぎがサクサクという食感と少しの辛さを出している
玉ねぎの分量も多く、一口を入れると絶対に米のつぶれる感触と玉ねぎのサクッとした食感を同時に味わえる配分になっている
パラパラでかつ油分のうま味も多く、こてっとしている分を玉ねぎの少しの辛みで補っている
たしかに美味いなとか、半チャーハンでなくチャーハンにすればよかったと思いながら食っていたら、視線横の窓の向うに急に子供の後頭部が現れて驚いた
視線的に正面にチャーハン、左手に調味料、壁、女児の頭という並びに急になった
外で待つことになった客用のベンチに子供が後ろ手に急に飛び乗ったらしい
そんなこともあるかと思ったが、続いて味噌ラーメンを食っていた際も男児が急にベンチに飛び乗っていたので、旅先で歩き疲れた子供はベンチを見つけたらとにかく急に座る習性があるのかもしれない
子どもでなくても、混んでいる際は人の後頭部を観ながら食うことになるので、今回の席は結構な外れ席だと思った
味噌ラーメンは美味しかったが個人的には塩分が強く感じ、次に来る際は塩ラーメンかちゃんぽん+チャーハンにしようかなと思った
帰りの電車で向かいに座った大学生たちがイスラエル留学が白紙になった話をしていた
僕はそもそもイスラエルって留学先に選べたんだと思いながら、やっぱ本を買いに博多駅に行くのが面倒だから、天神のジュンク堂が蔵書大幅アップで移転しないかなとか考えていた
新宿東宝ビルの横(通称・トー横)のように、若者が集団でたむろするスポットの略称。
「トー横キッズ」と同様、「○○キッズ」の形式で用いられることが多い。
・ドン横…(ドンよこ)名古屋市中区錦三丁目のドンキホーテ栄本店の横
・警固界隈(けごかいわい)…福岡市中央区天神の警固公園(けごこうえん)周辺
用例
6月9日はロックの日とか言う癖にポップスばかりかけるラジオなんなの
流石は我が国が誇るセルフクンニ軟体開発女学院で残党を全て排除するために普段はトー横ビブ横ドン横グリ下警固に潜伏している高度に訓練された第92セルフクンニ特殊空挺部隊を載せたオスプレイが学院屋上のヘリポートから飛び立ち上空から生き残りが発見されるたび隊員の一人が空挺降下し確実に仕留めていく
ふと隣のエスカレーターで移動している大柄の男性の耳元に白い輪のようなものが見えた
エアポッドかなと思ったが耳の穴ではなく、周りについており、明らかに結んだひも状のものだった
よく見ると、マスクの紐を結んで短くしているらしく、私から見えた左側だけでなく、右側も結んでいた
大き目サイズのマスクを買ったけど、紐も長かったから結んで調整して使っているのだろう
明らかになんやそれ感が耳元にあると思うのだけど、本人にはそれを気にしない胆力があるのだろうかと思った
その後、西鉄で大宰府へ行き、九州国立博物館でアール・ヌーヴォーのガラス展示を見てきた
九州国立博物館は山の斜面にあるからか、駅側から行くと、すごく長いエスカレーターを乗ったあと、動く床でさらに移動する
GW明けの朝だからか人もおらず、自分一人のためだけにエスカレーターも動く床も動いていて、電気代!となった
一人で薄暗い筒の中を移動しているうちに、産道をイメージし、胎内巡りの現代版みたいだなと思いつつ、ウィンウィン動く床を歩いた
展示を見て、エスカレーターで降り、歩き、移動する床に乗り、エスカレーターで降り、参道を歩き、そばを食べ、西鉄に乗り、二日市で乗り換え、天神に戻ってきて、地下鉄の階段を歩いているとき、
大学入るので出てきた4月、わら天神(増田んちの近く、多分)で電信柱やバス停、標識のポールを息子の嫁とみなして次々と罵倒しまくってるおばさん見てドン引きしたのがはじまり。ひとしきり罵倒したら次のポールへうつってったの忘れられない。
夜中にクソ長商店街・三条会をチャリで走ってたら一軒一軒の店のシャッターを「帰ったで! 帰ったでぇ!!」といいながらどんどんたたき歩く人がいたり。(あの感じは酔客ではない。ポールおばさんと同じ行動)
まじでいろんな狂人を見た。
就職で一回地元かえったが、いろいろあって3年前から久しぶりにまた京都に住んでる。
引越してきて一発目に乗った市バスで、運転士の真後ろの席に(当時はぎりコロナ前で塞いでなかった)雨傘さしてのってるじいさんがいて「おっ、やってるね!」くらいの、めちゃくちゃ懐かしい気持ちになった。
暖簾くぐったらならんでた懐かしい人たちみたいな。
増田が言ってた野生の車掌系はめちゃくちゃいる。嵐電だけで野生の運転士3人くらい観測してるし。なんなら帷子ノ辻では駅務にはげんでる人まで見たことある。
そして、私の家の斜め前には、窓開けて気持ちいい季節になると、ほぼ毎日爆音でアダルトビデオ見てる人が住んでる。
酷いときは早朝の6時半くらいから見てる時ある。(昼も深夜も見てることあるので多分くっちゃくちゃの生活時間っぽい)
冬は窓閉めててきこえないので、アダルトビデオの喘ぎ声がきこえるようになると「夏だな…」とか思う。
見てるビデオ同じだなってのもだんだんわかってきた(喘ぎ声が同じだから。局地的なソムリエみたくなってて最悪)
ここに書いてるやつなんでほんの一部だし、地元にいないタイプの狂人ばっかで凄みがある。
たぶん京都市内どこ行ってもこんな感じで、狂人多い、今回趣旨から外れるからかかないけどいけず多い、観光客鬼多いで、いいところほぼないよ。
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そして慌てて読み直したら脱字がおおくて恥ずかしくなる。(それこそ京都線に揺られつつスマホで書いてたので)
とりあえず気づいたとこはなおした。気にするとこそこじゃないなと思いつつも…。
あくまで住んでる実感にともなうシンプルな感想程度のもので、顕名記事でもないですし真に受けないでください。基本、いろんな人が共生する京都でいいと思ってます。
誰もかれもが好きに過ごして外出して当然だし、その結果として見かけた中で「うおっ」と思わされる人が地元※比多いなと感じた、それを書いただけの文章なので…。
※地元という言葉のニュアンスからすると京都より田舎に感じられるかもですが、むしろ人口はうわまわってます。こう書くと都市が限られちゃうけど…
ただ一点、これはまったく書けてなくて申し訳なかったところですが(いや書きなぐりだし謝らなくてもいいと思うが)
住みづらいのは地元に比べて変わった人が多く感じるからよりも(1パーセント)、行政のお粗末さ・オーバーツーリズム・土着の方の人柄(まとめて99パーセント)
そういう部分がずーーーーーーっと大きいです。
狂人って口が悪かったけど、そこはもうニュアンスで…私も増田なんかやって堂々と上記のようなこと書いてる時点で立派な狂人ですし。
というわけで最後に。
最新で観測した5月の「きょうの狂人」は「犬やないけど! 犬やないけどマーキングやあっはっははははああ」と叫びながら三条通を歩いていたおじさんです。
マーキングはじまったら大変なので走って通り過ぎた。