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2025-02-14

anond:20250214200100

ギターメロディ引いてるからわかるやろ

俺はベースドラムいまいちわからん

クラシックで言うと、ピアノヴァイオリンティンパニーとフルートトランペット以外わからんのと同じ感じ

2025-02-06

13歳の息子へのメッセージ

本稿は、13歳になった君にこれから人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである

観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生選択肢を狭めないためである

具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策模索して欲しい。

もちろんお父さんも協力は惜しまない。

目標の話

人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段道筋」は自然と定まる。

歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものからである

ポイントは、まず「自分想像する理想未来目標ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)

ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算分析論理的思考精緻に組み立てていくものである

多くの人は与えられた「手段から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要から働く。なんとなく環境に悪そうだからビニール袋」を使うのをやめてみる。などである勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。

電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシューから入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的姿勢である

そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的一面的一時的見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。

受験就職、大きな買い物、仕事恋愛結婚など人生重要決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。

その際、ひとつ注意すべきなのは人間物理感覚時間的感覚記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計データに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。

先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢である

人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害戦争など自分では回避制御できないことも起きる。

『良いことばかりは続かない』という覚悟必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。

おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。

人間関係の話

成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。

成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応「奇跡」を起こす。

重要なのは奇跡自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。

人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。

『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる学校には「校風」、会社には「社風」がある。

自身意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。

気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書金持ちかどうかとは関係がないという点である会社社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間存在するという現実認識しておいた方が良い。

出会人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分コントロールできる。付き合う人や、身を置く場所環境自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかし場所コミュニティには近づかないこと。

たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。

エントロピー増大の法則熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間森羅万象すべてに当てはまる普遍法則とされる。水に拡散したインク自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプシャッフルするのは容易だが、偶然きれいカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大であるエントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である

人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。

井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナ大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。

もう一度言う。『人は環境によって作られる』

お金仕事の話

お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味お金重要である

その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。

金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。

お金を稼ぐときには、ギャンブル宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事計画を立ててはいけない。

怪しげな儲け話も同様である。誰かからうまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。

かに成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力必要になる。

100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分努力でなんとかなるということを理解すること。

近い将来、君は世の中に無数にある仕事事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人から感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。

野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツ芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。

しかし、投資ギャンブルで稼いでも誰から感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。

お金を「貯める」ことも同様に大切である

人間欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊QOL(Quality of Life生活の質)が低下する。

この課題に対する古来より解決策はただひとつ収入から天引き」することである給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。

天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人イスラムメソポタミア文明華僑日本本多静六という人物明治造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課組織必要費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである

人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものである自動車も同じ。毎日飲むお茶毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求お金がある限り続く。それが人間本質なので努力気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。

そのために最も有効方法が「天引きである人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである

天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。

次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。

高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。

高級車も普通車も、飛行機エコノミークラスビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値デザインなど)を認めることは人間文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。

その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間心理的欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来機能目的」を基準にして価値判断するとぶれない。

基本的日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的事象別にして)無くなってから買っても不自由することはない。

経営学における重要概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である

特売だからとか念のためにとかい理由安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってからのものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である

それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法こちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。

あらゆる在庫管理するためには「整理整頓」が重要である身の回りのもの整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。

整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的ものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO公文書管理規則生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。

ちなみに、このような「一生使える知識技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの方法知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。

金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業組織など存在しないことを考えれば、出納管理必須Permalink | 記事への反応(0) | 21:00

2025-01-28

SMAPといえば

草彅剛が演じるヴァイオリン職人ストラディバリウスの塗装を再現するために以前舐めたときの味を頼りに塗材探しに奔走して自分赤ちゃんのうんちをペロペロしてた

2025-01-27

音楽生成AI使用中間まとめ Suno vs Udio

どんくらい使い込んだか

※Udioは最初に貰える無料クレジットがSunoより多く100クレジット。また生成時間を選べて、30秒なら2クレジット、2分10秒なら4クレジット。30秒でプロンプト実験していたので生成回数はもっと多い。

正直、サブスク1か月分のクレジット使ってみても、Sunoの実力を引き出せたとは言い難い。曖昧表現が出たら評価保留中だと思って欲しい。(Udioに至ってはサブスク契約すらしていない)

とりまここまで使って感じたことをまとめておく。

以下具体的な例

日本語の歌もの全般:Suno勝ち

Sunoは日本語歌詞ニュアンスを上手にくみ取って曲調に反映してくれる。

Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz,

みたいな頭の悪そうなプロプンプトから名曲が生まれ得る。Trendを漁ってるとそういう歌がたまにある。(もちろんがっつりプロンプト書いた方が確実)

プロンプトなしで歌詞だけでもいい感じ仕上がることも↓日本語歌詞だけの例

https://suno.com/song/66144ae8-3d8d-47b0-951a-9c8c3512be1b

語彙力には自信あるけど音楽用語は何も分からねえって人は挑戦してみて欲しい。Youtube音楽生成とは関係ない動画を見ていた時に、偶然Sunoで生成したと思しき歌が流れてきたのだが、投稿者怨念絶望希望がこもった歌詞が良くて思わず聞き入った(その人はDTMとかはしていない。動画の中でネタにするためにAIで作った曲らしい)。

癒やし系、アンビエント:Udio勝ち

UdioはSunoに比べてクセが強く、プロンプトを理解できないとアンビエントに寄る傾向がある。Sunoで上手くいったプロンプトをそのまま突っ込むと、謎アンビエントが生成される確率が高い。(UdioはUIこそSunoに似ているが最適なプロンプトの形式が異なる)

どうやらUdioが映画劇伴プロモーション動画に強い影響のようで、空間的に広がりのあるボヤっとした仕上がりになりがち。逆にいえばリバーブを強めにかける癒し系の曲はかなり得意と言える。

Sunoでも癒やし系が作れなくもないのだが、プロンプトを無視して後半いきなり盛り上がったり、クソ重いバスドラを突っ込んだりすることがあり、当たりはずれが大きい。Baby Sleep MusicやLullabyとプロンプトに入れて生成していたら、いきなり盛り上がり始めることが多かったんで「赤ちゃんが!寝てるって!言ってるでしょうが!!」とキレたくなった。(2、3曲は上手くいったんだけど)※

※サブスククレジットを使い切ったあたりで上手く曲調をコントロールする方法が分かったので、このあたりは後でまた検証してみるつもり

和風の曲:たぶんUdio勝ち

日本映画劇伴学習しているのか、かなりリアル和楽器の音が生成される。この三味線とか琴とかを知らない人に聞かせたら、AIとは判別できないレベル。(ただAIと知って聞くとわずかに違和感がなくもない)

一方Sunoは癒やし系と同じで当たり外れが大きい。一聴すると「まあまあよくできた和風の曲だな…」と感じるのだが、次第におかしメロディーが混じってくる。特に尺八ソロは分かりやすい。日本人なら「尺八はこういうフレーズにならんやろ」と気づけるレベル。(尺八を安定させるテクニックもあるが、それでもまだ外れが多い)

和風の曲はUdio勝ちと書いたが、例外として演歌は別。Sunoでは演歌らしい演歌を生成できるが、Udioは演歌とは似ても似つかない音楽が生成される。これはUdioの得意ジャンルが偏っていることに起因していて、次のややマイナージャンルが苦手という評価に繋がる。

Kawaii Popなどややマイナージャンル:Suno勝ち

Kawaii Popとは:日本Kawaii要素を取り入れたポップス

他にもKawaii_future_bassとかあるらしい。

https://dic.pixiv.net/a/Kawaii_future_bass

試しに冬をイメージしたKawaii Pop作ってみた結果、Sunoではそれっぽい曲が生成されたが、Udioでは謎アンビエントになった。プロンプトが理解できてないパターンである

いかにも日本人が好きそうなやつ:Suno圧勝

幅広いジャンルカバーするSunoが強く、ジャンル名の前にJapaneseと入れるだけで日本人がすきそうな曲調になる。

Udioだと日本要素を取り入れた曲であっても、どこか日本人に馴染みのない感覚が付きまとう(先述の和風の曲のこと。音質はすごくいいのだが…)。私は基礎的な音楽理論しか分からんので、感覚的に「日本人の好みじゃない」としか言いようがない。Sunoに比べて日本ポップスをあまり学習していないからだと思われる。

これがSunoの場合同人音楽まで学習してるらしく、doujinと入れるだけでいかにも同人音楽っぽいのが出来上がる。(東方Projectっぽいやつ)

機能性:Suno勝ち

これは先行者のSunoに軍配が上がる。Sunoは生成中であっても再生開始できるので、結果を聞きながらプロンプトを改良することもできる。

Udioは生成完了しないと聞けず、少なくとも30秒分が終わるまで待たないといけない。文章だけだとそんなもんかって感じだが、実際にやってみると待機時間がじれったい。

Sunoを使った後にUdioに戻ったら、この機能の快適さを痛感した。

音質、ボーカル:Udio圧勝

これはUdioが圧倒的に強い。特に人の声はAIとは分からいくらいにリアル特に洋楽とかは英語なのもあいまって素人自分には変なところが分からない。

Sunoもリアルな人の声ではあるものの、イヤホンでじっくり聞くと合成音声っぽい違和感がまだ残っている。それからピアノヴァイオリンなど目立ちやす花形楽器の音質の悪さが目立つ。最初から最後までクリアな音質を保つのが難しく、一部こもったような音になる。Sunoは静かなインストを生成すると高確率ピアノを挿入してくるので、インストを作ってる間は「またこもったピアノが聞こえてくるよ…」と音質もこもこピアノに悩まされた。

総評

SunoがUdioの音質を手に入れれば最強。

Udioがベータを卒表して(不具合修正機能性アップ)、Sunoみたいに幅広いジャンル対応すれば最強。

互いの長所がお互いの短所になっていて、どちらかを選べば選べなかった方が気になるという状況。Sunoは音楽において最も重要な音質で負けているが、Udioはまだベータで全体的に不安定な印象がある。

だが、Sunoの方が先行者だけあって使いやすく、簡単にそれっぽい曲を作れる。音楽生成AI初心者にすすめるなら、現時点ではSuno勝ちといったところ。

2024-12-13

フルート奏者って美人が多いのはどうして?

オーケストラ演奏会に行くたびに思う。

ちなみにヴァイオリンヴィオラは半々(おっさん除く)。

フルート奏者って美人が多いのはどうして?

オーケストラ演奏会に行くたびに思う。

ちなみにヴァイオリンヴィオラは半々(おっさん除く)。

フランツ・リストピアノ名曲重要曲7選(後期)

 anond:20241212222723の続きである

 ヴァイマール宮廷楽長を辞任したリストは、ラテボル公に招聘され、公の弟グスタフ・ホーエンローエを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品さらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻強制されたものであり無効であるとする枢機卿会議の決定を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻有効であると述べる証人が新たに現れ風向きが変わってしまう。というのも、ラテボル公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌ結婚無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようであるリストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマパトロン見出しローマに腰を落ち着け宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールから要請宮廷楽団指導役として復帰し、さら70年代からピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師コンサート、夏はヴァイマール宮廷楽団の指揮、冬はローマ作曲ピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活死ぬ日まで送ることになった。晩年リストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記翻訳あり)を見るとリスト生活ぶりが良く分かる。

1. 巡礼の年 第三年 S.163(1883年出版

 晩年リスト代表である出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。

 この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しか印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。

 第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。

2. 二つの伝説」(1865/66年出版

 1863年リストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活死ぬまで続くが、リストことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマ引っ越しリスト教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコ小鳥説教する様子を描く絵だったか詩だったかモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやす作風である

 第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコアッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかい伝説モチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。

 両曲とも1865年リスト自身ブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。

 ニコライ・デミジェンコHyperion/Helios)のCDソナタスケルツォマーチと一緒になって入っていて、よく聴く

3. BACH主題による幻想曲フーガ1870年出版

 元々はヴァイマール時代オルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACH主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階BACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧披露する曲であり、重苦しい感じはない。

 面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperionソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。(追記ハワード全集演奏も彼のヴィルトゥオーゾっぷりを味わえるものだったと思う。しかしアムランやラ・サールと比べると分が悪いか

4. クリスマスツリー S.186(1882年出版

 長女ブランディーの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政時代首相エミールオリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロル編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴ連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、後者は明らかにショパンマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~

 実はハワード全集しかいたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。

5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版1885年作曲

 反則だが、リストの無調音楽代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィストワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リスト精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリスト前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である

 いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタCDカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィストワルツ全集(Teldec)に入っている。

6. 悲しみのゴンドラ1886年出版

 初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンチェロのための編曲もある。

 ヴェネツィア所在だったワーグナー訪問した1882年作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアナポリと対比すると良い作品

 不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリSONYソナタCD)が好きなのでよく聴く

 なお、ワーグナーの死を悼む作品リストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニCDに入っている)、後者敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。

7. 村の居酒屋での踊り――メフィストワルツ第1番(1862年出版

 前期の曲と思いきや、実は後期の作曲作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウスト女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリン調弦模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである

 有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリSONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ激怒

 いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。

 (※その後超絶技巧七選も作ってみました。超絶技巧すぎてかえって推薦音源が少なくなったかも→anond:20241213224533

追記

 前期のブコメに「愛の夢落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話

 「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

2024-11-29

地方公立に行って後悔している - 子供はできるだけ学費の高い学校に行かせたい

炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。

(前編)

私は小中高と地方公立を出て、浪人して都内医学部卒業している。

東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータ話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。

まず医学部では「親が医者なのは当たり前で、教授講師と話す時も、世間話最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。

ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化である。「マグル」は家系医者がいない学生が、自虐的苦笑いしながら使う単語だ。

しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。

出身高校ほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。

蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったかSAPIX鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。

私のように地方公立から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。

大学生お金がかかる。私も美容や服飾、外食旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死時間お金に変えた。

学費家賃生活費などは親持ちだったが、その他は自分バイト代で賄うように言われていた。

けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ禁止」される方が普通だ。特に家庭教師OKでも、高卒フリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。

そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。

この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。

こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。

限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。

当然、金額理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。

ここまでの話だけ聞くと、「地方出身庶民階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。

実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間ほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである普通暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。

尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日面白かった。

地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。

まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。

要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである

(中編)

私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。

先祖代々続く大病院家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親医者ではないので「半純血」だ。

金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味生活に困ったことはないと思う。

「全身脱毛費用自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。

そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。

よって親の学歴自分大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。

わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノヴァイオリン新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。

しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。

校内のヒエラルキートップにいたのは、我が家クローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカ卑猥言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。

一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。

外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。

まれからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。

ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。

何か作業をする時、見るから効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやす説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。

何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。

クラスナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。

その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。

「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう

たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言拡散された。

子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。

自分性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。

たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか

別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。

万事がそういった雰囲気だった。

まり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校テストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。

何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。

お金学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。

そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。

そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗差別的感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。

よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。

やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。

体力面の自信のなさからほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。

(後編)

立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員民度も低かった。

病院があるのは中途半端田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルゴシップしかない。

都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。

数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝他人悪口や噂話、そして「女性職員容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。

百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。

「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情ストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。

彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。

立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。

気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。

救急車がタダだから生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシー無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。

特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババアジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。

バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。

一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。

特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。

これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみませんちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばいからだ。

根本的な問題は、学歴収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。

きっとこれは、一生分かり合えない感覚なのだろう。

病院の同僚医師たちも、私立医学部卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。

地方にいた頃の私のように——。

医者政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。

しかし、ことの本質はそう単純なものではないように思える。

実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。

それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。

同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。

公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別偏見選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。

免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層人間存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか

からこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供絶対私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。

「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生もの財産だ。

社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。

しかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。

もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。

一生温室で、綺麗な世界だけ見ていられるように、可能な限り守ってあげたいと思う。

2024-11-08

そういえば増田ってヴァイオリンとか楽器使いはいないな

ホルンとかヴァイオリンと使えるぜって人いないな

2024-10-12

anond:20241012130719

無知ワイはヴァイオリンすごいとか言ってる人自体であったことないやで…😟

藝大出身ヴァイオリン奏者を全く良いと思わなくなった話

といっても、首席卒業クラスの上澄みレベルdisるつもりはない。

あくまアマチュア自分教室先生とか、最近だったら主に配信とかでお目にかかれる、いうなれば「量産型卒業生のお話

自分が習っている先生は3人目(社会人向けレッスン)だけど、幼少から高校まで習ってた1人目と2人目は藝大卒の人。

これが原体験にあって、かつ藝大卒自称する配信者の演奏を見た感じ、ホントにこの学校出身の人って、根本が驚くほど似通っているというか、弾き方に共通点がある。

とにかく


この弾き方のメリットは、普通の人から見たらわかりやすく上手に見えて、すごい!という評価をもらえることだろう。

そして大抵の場合はそれでいいじゃん、いやそれが大事じゃんになると思う。

から自分がこれから書くデメリットは、正直かなり逆張り自覚はある。

でも自分美学というか美意識に沿わないのだから仕方ない。

ということで、上掲の弾き方の問題点を挙げると


もちろん上に書いた弾き方を出発点にして、表現の繊細さを極めるのは不可能じゃないと思うし、それを実現できている人もいるにはいる。

でも、何をどう聴かせたいのか?という根本部分を置き去りにして、最初からやたらと正確さと音の大きさだけを是とする価値観を主軸にするのは、表現として不自然過ぎるでしょっていう。

何より表現を突き詰める過程で、このままでは伝えたいことが伝わらない→伝わるよう正確に弾こう、いや弾けなきゃ気が済まない!というのが本来の上達の流れなわけで、
そういう順序も踏まえずにいきなり正確に弾け!とか、習う方からしたらなぜそんなに厳しくツッコむのか理解できないので、苦痛しかない。

結果、こういう超面倒な技術習得ありきのプロセスに過剰適応できた人しか生き残れないし、そういうタイプの人が、後から細やかな表現を磨くのは並大抵のことじゃないというのは、この学校出身の人の演奏の多くが、
音程だけはやたら正確だけど、それ以外はインパクトだけの大味な表現だったり、細やかさを実現していてもどこかわざとらしい(≒不自然さが抜けてない)音になっていることで証明されていると感じてしまう。

ちなみに自分はそういう価値観に嫌気が差したことや、何より身体に対する負担が大きすぎてこのままでは先がないと判断したことで、より古典的な弾き方に回帰し、音大受験レベルの曲をさらいつつ楽しくやっている。

即ち

  • 弓と手と腕の重さだけで弾く(近代化される以前の、大昔の弓の弾き方)
  • 指板に指が付くことはあっても、弦は指板に付けない(近代化される以前の、大昔の弦の押さえ方)
  • 最初から出したい音をイメージし、そのイメージに沿う音をできるだけ細やかに追求する(イメージできるようになるまで練習しない)

その結果、今は自分の弾き方に近い音を出してる人が多い、桐朋出身ヴァイオリン奏者をいいなーと思うようになった(習ってる先生桐朋出身じゃありません、念の為)。

なお桐朋出身ソリストで、サイトウ・キネン・オーケストラコンミスも務めた故・潮田益子氏は生前

「(桐朋創設者の)齋藤(秀雄)先生から教わったことは、世界中のどこに行っても通用した」

とおっしゃっていて、桐朋すげーと思ったものだ。

というわけで、藝大のヴァイオリンがなんであんなにすごいと思われているのか、意味がわからないという話でした。

2024-09-22

anond:20240921174729

キャラ勝手に動くというか、漫画絵コンテサクサク書ける瞬間とか、明らかにゾーンに入ってる気がするんだよな

よくわからんけど、ゾーンに入るぐらい集中してると、キャラ勝手に動いてるように錯覚する、コマが次々に埋まってくんだよね

でも、自分場合、何にもない状態からコマが埋まるみたいなことはなくて、

一度、脚本みたいなものを描いて、少なくともセリフだけでも並んでいるような文章を書いてからだと絵コンテコマが埋まる

というか、その脚本みたいなのも、ゾーンに入らないと勝手登場人物が喋ってくれない

あと、どっかで我に返ってしまうと、大した人生経験もないし、友人知人も少ないのに、こんな会話をするものだろうか、みたいに考えてしまうので、

そうならないように、妄想をひたすらブーストして最後まで行くしかない、個人的には長距離水泳してる気分に近い

ギター演奏でもプロゾーンに入るらしいけど、過集中?というか、ゾーンに入って冷静にならないのが大事なんだよね

冷静になると恥ずかしくなったり、常識にとらわれるようになってしまうから

から舞台に上がる前に酒を飲むようになってアル中になるとかドラッグにハマる人の気持ち分からんでもないという…😟

舞台に上がると演奏能力は良くて50%、普通に10%とかありうるから…

そのへんとか、ヴァイオリニストだと、「あがり」を克服する―ヴァイオリンを楽に弾きこなすために、という本が詳しかったと思う

とにかくテンションを上げて、ゾーンに入る

個人的には無音がいい、プログラミングとか特に無音でないと自分作業できない

あと、文章を書く場合は、もっといい言い回しがあったはず、とか、同義語の辞典とか見ると、そこで思考が止まってしまうから

ゴミみたいな文体だろうが、稚拙だろうが、拙かろうが、ガリガリ最後まで書いていってしまって、

文でも絵でも録音した音でもそうだけど、時間を少し置いてから、一番いいのは一度寝てから、再度読み返したり、聴き返したりすると、

他人視点で冷静にジャッジできるようになるんだよね

そのとき、何でこんなゴミを作ってしまったんだ、と思うことも多いけど、プロでもそれは普通にあることなので、ゴミはバッサリ捨てる、

良い所があるんじゃないか修正すれば良くなるんじゃないか、と思ったら、それで継続する、みたいにやっていく

ゾーンに入ってるときは、ガリガリ作業が進むと同時に、間違った方向にもガリガリ進んでいってしまうことがよくある…😟

2024-09-15

チャールダーシュ舐めんなって話

ネットで見かけた、「自称音大ヴァイオリン卒という人が言ってた話ではあるんだけど。

彼曰く

チャールダーシュ自由度が高く奏者がいくらでもアレンジできる曲で、実際余興として弾かれるケースが圧倒的に多い時点で本格的なクラシックじゃないので、それを以て奏者のクラシック演奏能力は測れない」

だそうだ。

いや、チャールダーシュロマ音楽リスペクトした作品であって、それはそれでどう弾くかは入念な考察必要なわけで、自由度が高いなんて解釈は雑もいいところ。

だいたい、それだったらジャンルを同じくするスペイン交響曲チゴイネルワイゼンだって、本格的なクラシックじゃないという話になるんじゃねーの?

と思ったら、その2つは難易度的な観点(チャールダーシュのほうが遥かに簡単かつ、上の2曲は音大受験レベルの難しさ)から、本格的クラシックなんだそうな。意味わかんねー。

とはいえ現実には、プロほどチャールダーシュを悪い意味で余興的なスタンスで弾くことが非常に多くて、そうやって弾かれたチャールダーシュは、残念ながらどれもこれもセンス的に微妙過ぎたり。

まあでも「それを以て奏者のクラシック演奏能力は測れない」んだったら、好き勝手に弾いていいってことなんでしょうね、どうにもがっかりですわ。

音大しかヴァイオリンとなると、それこそ音大入るまでに比喩でも誇張でもなく、文字通り「百万回さらってきた」人たち。

その時点で誰もがその場所に立てるものじゃないどころか、それを生き抜いてきただけでとんでもなく凄いと思う。

からあんまりそういう立ち位置の人をdisることはしたくないんだけど…それにしたってあまりレベルが低すぎないか???

アレか?音大クラシックを本格的かそうじゃないかを、曲の難易度だけで選別するのが教育なんですかね??実に芸術的で頭が下がりますね。

そんなんだったら音大なんて行かなくて良かったって心底思うし、悪いけど「音大なんか行くもんじゃない」って周りに言いふらすことにさせてもらうわ。

2024-08-24

ライブ美術館に行ってきた

普段まり音楽を聴かない。ライブとか聞きに行くこともない

でも、いつか行きたくなった時に好きなアーティストが死んでたり解散してたりしたら困るな、じゃぁ行ける時に行っておこう

と、何故だか急に思い立ち某シンガーソングライターライブチケットを予約していた。

 有休をとり、新幹線チケットを買い、会場に向かう・・・のではなく途中で美術館に寄り道をする。

原田マハ小説を読んだ影響で国立西洋美術館に行ってみたいと思っていた。ライブの開演は夕方だし、せっかく有給とるんだからそれぐらいやらんと勿体ないな。

上野駅に降り立ち、上野駅周辺図をみてビビる

これが東京か!盛りだくさんの文化施設の内、国立西洋美術館なんて、ほんの一角ではないか都民め良い暮らししやがって。

毒づきながら美術館に向かう。

平日なんだから空いてるだろと思っていたが、そうか夏休みか。老若男女いっぱいいた。おのれ。チケット売り場は結構並んでる。

中身もこんだけ混んでたら嫌だなぁと入館前からゲンナリする。

企画展チケット(常設展も入れる)を購入し、企画展の会場に向かう。やはり混んでいる。そして企画展の内容は残念ながら自分にはあまり興味が無いものだった。

かと言って素通りは損した気になる。写真撮影OKらしいのでいくつか撮っておく。常設展に向かう。

再度ビビる。これが500円?で企画展込みだと1700円?価格設定おかしくない?

チケット常設展だけにすればよかったかな。まぁ、その場合は「これが500円なら、企画展とやらはどんだけすごいんだ?」と気になって仕方なかっただろうから結果オーライだろう

とりあえず、松方コレクション(美術館を作った偉い奴のコレクション)とあるものを注意深く見る方針で回っていく。あとはモネ

普通に写真撮影OKで驚く。え?美術館ってそうだったっけ?でもいちいち撮影していたらキリがないので気になるものだけ撮っていく。

別に美術に造詣が深いわけでもなく、鑑賞のポイントなんてさっぱりわからない。

意外と最近買ったものが多いんだなぁとか、寄託作品写真撮影不可の作品に「貸主の度量が狭いのかな」とかしょうもないことを考えつつ見て回る。

モネルノワールデカい点描の絵が良かったです。僕にはとてもできない。感想は以上。

 美術館を後にして、時計をみる。思ったより時間が経っていない。普段であればまだまだ机に向かって仕事をしている時間だ。

ものすごく一日が長く感じる。これが美術効能なのか?すごいぜ松方。

同僚は普通に働いている時間である。若干の罪悪感を抱えつつ本日メインの目的であるライブ会場に向かう

 途中、コンビニパンなど食いつつ開場時間に会場にたどり着く。物販コーナーでCDが売っている。なんか直筆サインだかの特典があるらしい。

物を増やしたくない思いと、記念や特典は欲しいなという葛藤で割と迷った末、スルーして着席。あとでまた悩めばいいだろう。開演を待つ。

当該アーティストファン層が良くわからなかったので、ものすごく自分が浮いていたり、逆にものすごく馴染んでいたら(自分と同じオッサンばっかりだったら)

嫌だなぁと思っていたので、お客さんを見渡してみる。いろんな人がいて安心する。まぁよく考えたら平日の夜にオッサンは集まらんか。

 定刻となり、無事に開演。知ってる曲、知らない曲、色々歌ってくださる。ありがてぇ。やっぱ生で聴く歌は良いな

あとコントラバスヴァイオリンピアノの皆様がみんなカッコいい。

でも、やっぱ知ってる曲の方が楽しめるんだから漏れなくしっかり予習すべきだったなぁと少し後悔する。

あっという間に時間が流れ、最後の曲が終わる。

アーティストの皆さま退場。

拍手

拍手

拍手鳴り止まない。手拍子に代わる。

皆様再登場。アンコールに応えてくださるそうだ。この茶番必要?まぁ嬉しいけど。

結局、その後3曲くらい歌ってくれた。気前良いな。

今度こそライブは終わり、席を立つ。物販コーナーでCDを買うかもう一度迷う。

自分の隣に座っていたおねーさんが迷うそぶりもなく会場を後にするの見て、決断力に嫉妬する。

結局、買わずに会場を出て駅に向かう。

アーティスト本人がその場でサインを書いてくれる形式だったら多分買ってたと思う。

そのまま駅に向かい新幹線に乗る。車中ではついさっき生で聴いた曲をイヤホンで聞いていた。これはこれで良いな。そんな感じで帰宅

当該アーティストを好きなのは間違いないがファンを名乗る資格は無いと思っているので、これからは有資格者となるべく努力していきたい

 何が言いたいかと言うと、たまには芸術好きを気取ってみるのも面白いですよという話。

2024-04-12

シドレミで始まる曲ばかり集めたい(随時更新

歌いだし、もしくはサビの最初の部分が「ラシドレミ」で始まる曲をできるだけたくさん知りたいです。

調は何でもよいです(※)。ラシドレミの後に続くメロディは問いません。

音が重なるのは各2回まではセーフとします(ラシドドレレミとか)。

対象は歌メロですが、器楽インスト)の主旋律でもOKです。

該当する曲があったらぜひ教えて下さい!!

 

短調の12345であれば調はなんでもよいです。つまりレミファソラやドレミ♭ファソでもOK

イントロやリフなどは対象外(初恋村下孝蔵、長い夜/松山千春などは選外)。

 

シドレミで始まる曲の例

古い曲ばっかりでごめん

皆様の反応から

先行研究より

ラシドレミから始まるメロディ - えつの音楽ブログ

2024-04-06

音の伸ばしをカウントで取るなよ

そんなことより、裏拍をジャストキャッチする訓練しろよ。

てか、裏拍取れない人は一般的リズム音痴と言われるが、逆に言えばそういう分類が成り立つ程度に、
ほとんどの人は裏拍の感覚を生まれつき持ってるんだから、それを伸ばすべき。

そのほうがアンサンブルとかセッションでも合いやすいし、歌も楽器も上達しやすい。

こんなことを書いたのは、ヴァイオリンを筆頭に一部の楽器は、伸ばしの音符が来るたびに
かい音符に分割して「カウントを取る」ことで適正な長さを確保するのがセオリーになってしまっているから。

そういう杓子定規で融通が効かず、かつ歌や他の楽器と違うことやられると迷惑からやめてほしいんだわ。

いつまで経っても合わない上に、しまいにはリズムゼロのお前に合わせてあげて、鈍重でダサいサウンドが出来上がるとか勘弁。

ヴァイオリンなんかはオケでもストリングスでも最大多数だから周囲から黙認されているように見えるけど、実際のところお前ら以外は納得してないからな?

2024-03-07

東北被災した方々の経験は宝であるべき――福島支援してきたCANDLE JUNEが見た能登半島地震 #知り続ける

CANDLE JUN」やとずっと思ってた。本名井筒順。



元妻は女優広末涼子。実父はヴァイオリン製作家の井筒信一。 全身にタトゥーを入れ、右耳には鹿角ピアスをしている。長野県出身

2024-01-04

anond:20240104105029

効果があったという話なら全ての習い事は習った分の効果は得られたと思う。

習字絵画ピアノヴァイオリンスイミング

大人になって生活の糧になるものがあったか?という問いならそれは一つもない。

習ったもの文化需要するための下地はできたと思っている、それが人生の役に立つものかどうかというのは判断がつかない。

2023-12-25

クラシック系の音楽専門学校って日本にないの?

自分の音をどう稼ぎに変えるかを専門的に教えてくれそうな学校って、ヴァイオリンとかのクラシック系の楽器向けにはなさそうなのが残念。

エレキベースドラムキーボードといったポピュラー系の楽器だと、完全プロ志向専門学校はあるっぽいんだけど。

ちなみにクラシック音楽専門学校世界最高峰ジュリアードとかコンセルヴァトワールとか、ああいうのね。

音大があるじゃないか」というけど、音大あくまでUniversityであってCollegeではないので、そんな就職予備校まがいのことを求めるのは根本的にお門違い。

実際、ほぼ全ての有名どころの音大ソリスト志向表現を高めることに特化していて、卒業した後でどう食うかは自分で考えろって立場でしょ。

同時に、卒業生全員がソリストで食えるわけじゃないというか、ほとんどがアンサンブルメンバー指導者として食いつないでいる現状があると。

このギャップにより、音大は今も昔も数年に一度レベル天才を除けば「入るまでも少なからず大変、でも出た後はもっと大変」とか「お金持ちのお嬢様の嫁入り道具にしかなってない」とか揶揄されるわけで。

もちろん同窓・同門のつながりで仕事を貰う、人脈という意味で有名な音大を出るメリットは計り知れないと思う。

でも逆に言えばそれくらいしか音楽で食っていく目的音大に行くメリットがなさそうなのがなんとも。

あとは芸大の別科か桐朋ソリストディプロマがあるくらいだけど、これはもうガチソリスト志向の中の、本当に上手い人じゃないと入れないので、それ以外の音楽お仕事対応しているとは言い難い。

まあ別に音大がUniversityであることを堅持して潰れようが知ったことではないけど、もう少しソリスト志向以外にも対応した、Collegeになるような学校があってもいいのでは?と思ってしまう。

伴奏ピアノとか、オケ室内楽とか、そういう他人との共同作業前提の団体競技ソロとは別の奥深い世界があるというか、それはそれできちんとした教育必要なわけで。

(音大の授業だけでは全く足りないレベル)

もしそういう学校ソリストの才能を見出されたとしても、卒業後に音大に中途編入する仕組みがあれば、大きな問題にはならなさそうだし。

2023-12-01

anond:20231201114440

3歳から中学卒業までピアノヴァイオリンやらされてたけど音楽は大嫌いなんだよな。

聞くのは良いけど。

ギターでもやってみるか。

2023-11-03

ウェイ!な弟は彼女ができない

小学校ピアノヴァイオリン中学校では吹奏楽部高校では弓道部大学と院はバイオ系の研究室所属しながら地元市民交響楽団でも活動していた。

初めて彼女が出来たのは中学生の時で部活の先輩だった。向こうから告白されて付き合った。相手中学卒業して高校に進学した時に別れた。

次の彼女高校生の部活同級生中学吹奏楽同級生に誘われ弓道部に入った。女子が多く男子が少なかったからか向こうから告白されて付き合った。

学部生の時に所属していた研究室女子が多かったからか研究室の後輩に告白されたが前述の彼女と付き合っていたので断った。

修士課程の時に先に社会人になった彼女に振られ、そのタイミング楽団大学から告白されて付き合い、卒業してから結婚した。

一方で俺と顔や体格がほぼ同じ弟は彼女がいない。小学校ではサッカー野球、中高は野球部、大学では派手なインカレサークルに入り、現在総合商社に勤務している。

高校生の時にはヴィレヴァンで買ったゴツゴツのネックレス香水をつけて坊主頭ギャツビーでツンツンにして男女数人で夏祭りに行ったり、大学でも派手そうな男女数人で旅行に行ったり、現在合コンなんかに行ってるようだが彼女ができず「女はマジで理想高すぎんだよ」と言っている。

明らかに弟は俺よりもスクールカーストコミュ力で優っているはずなのに、それ以上の男がいるコミュニティの中で勝負をしてしまっているかなのだろうか。

2023-10-26

anond:20231025110856

流し読みしたけどお前ほぼ俺案件で動悸がしたよ

私の場合ダンスじゃなくてヴァイオリン合唱団スケート小説を書くことが小学生の頃にやってみたいことだった。10代に勉強ばっかりで自分のやりたいこと何一つできなくて同じくらいの年齢の時に絶望してたなぁ。その頃書いた小説ネットにあげたら運良くバズってちょっとだけ人生が明るくなって、今大人になってから働いて稼いだ金であの頃やりたかったスケートを習ってるよ。最近クロス滑走ができるようになって感動した。もちろん小説も書き続けてる。後悔するんじゃなくてなんか行動してみ。楽しくなるぞ。

2023-09-29

先生、お願いだから音楽を教えてください

歌が一番わかり易いのだが、音に込める感情の起伏や細やかさといった表現レベルと、音程発声といった技術レベルは正比例していることが多い。

これはまあ当たり前で、表現を突き詰めるために高度な技法があるわけだし、表現の高みを目指すモチベーションこそが、実力を高める原動力になるのだから

したがって技法の身につけ方も、まず最初に「あるべき理想」を思い、恋い焦がれ、それを実現するために技術を身に着けていく。

音程の正確さだったら、そのフレーズ理想を思い描き、そこにマッチする音をはめ込んでいくことで正確さを実現するわけだ。

そのとき練習意識は「自分の出したい音のために、ちゃんと音符がハマらないと気が済まない。だから頑張る」という感じ。

そしてこれは歌に限らず楽器もそうで、一番の好例はエレキギターベースギターだろう。

音程精緻さという観点で見ると荒削りではあるんだけど、でも圧倒される音/痺れる音を実現するのに十分ハマった音程なわけで。

しかし、このアプローチが全く当てはまらない楽器も世の中に存在するのだ。

その最たるものヴァイオリンで、次点吹奏楽の、特にコンクール偏重環境管楽器を学んだ人達かな。

どういうことかというと、

「そんな微妙過ぎる表現で、音程けがそこまで正確に合うはずないんだけどな…」

と感じる演奏が極端に多いのだ。

ちなみに微妙というのは大味or貧弱だけでなく、指導されるがまま演奏してるのが見え見えな、悪い意味指導者の劣化コピー的なわざとらしい表現も含む。

これは、「表現よりも先に正確さだ!」という方針で、そもそも表現とは?音楽とは?みたいな話を学習者が理解できないうちに、指導から一方的に芸を仕込まれた結果である

具体的には、フレーズの中の音譜を1個ずつ取り上げては「高い」「低い」あるいは「フォルテフォルテ!」という具合だ。

こういう、学習者の自発的音楽へのモチベを引き出さないどころかガン無視するような指導は、習う方からしたら苦痛しかない。

そして上達するために必須の条件というか適性が、この練習苦痛に耐えることになってしまう。

この時点で多数の脱落者が出ることは確定である

脱落しなかったとしても、表現技法アンバランスな、「普通の下手」よりも聴くに耐えない演奏をする、雑魚奏者を量産する可能性が高い。

音楽を習うのに、音楽を後回しにするんだから当然の結果だろう。

しかも、あるべき表現というセンスの涵養を後回しにしてしまう結果、何かの曲の演奏を完成させるにも試行錯誤の回数だけが桁違いに。

(逆にどう表現したいかが先に定まっていれば、そのために必要試行のものシンプルなのだ。)

この傾向は曲が難しくなればなるほど加速度的に大きくなるため、最終的には百万回さらう体力・精神力要求されるようになる。

こういう指導幸せになれる人は、最初から表現モチベーション燃え燃え、あるいは練習の早い段階でモチベに火が付き、それを最後まで絶やさず続けられた人だけである

飲み込みが早い/要領がいいのも必要条件ではあるが、それだけだと「自分のやりたいことはコレジャナイ」という思いを秘めたたまプロとして食うしかないという、これまた苦しい人生が待っている。

というわけで、ごく一部のモチベーション超人かつ強靭な体力気力の持ち主しか楽しい音楽人生を送れない構造なのだ

とはいえ、少なくともヴァイオリンについてはもう少し本人も周囲も幸せになるような育成をして欲しいと思う次第である

幼少に初めたヴァイオリンで自らの雑魚演奏に苦しみ、大人になって再入門後に長い年月を経て、ようやく憧れだった結構難しい曲(音大入試レベル)を心底楽しく学んでいる筆者の、ささやかな願いだったり。

2023-09-15

楽器業界から去ることにした

仕事管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。

気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。

この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。

大抵は店頭接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校音楽先生パシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。

因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハ看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署地位は低い。

管楽器などというものピアノヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。

などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。

私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。

当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死楽器を直しまくるしかない。

客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである

その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。

そうやってたくさんの楽器からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。

さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。

一般的楽器店にしろ全国に点在する工房しろ、とにかく労働環境が悪い。

数行前に薄利と書いたが、性質ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。

単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラセクハラ蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らし余儀なくされたなんてパターンもある。

そのため専門学校卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間20代のうちに業界を去る。

私の同級生たちももはや私が最後の一人だ。

20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。

私は頭が良くないので、自分管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。

なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。

営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニアイス買ってお昼寝できる。

楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである

たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。

修理部門に異動になった理由何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。

でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。

担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。

それに思うように手が動かない。

10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。

今の会社労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。

転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえあんまりだ。

今の会社転職してきた理由は、ダブルリード経験を積みたかたから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。

ダブルリード経験は積めなかったが、営業経験は積めた。

入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。

管楽器の修理をやろうとする人間陰キャが多い。陽キャ音大に行く。音大ヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口やばいヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。

しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。

この業界には40代50代になっても高校とき吹奏楽コンクール全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。

しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。

私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。

泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。

修理を今更やる気になれない。ダブルリード経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。

異動から2週間で無理になった。すぐに転職活動を始めた。

営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業アファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。

平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒女性採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。

おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAX写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。

それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。

育成前提で業界経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。

悲しすぎる。今の会社業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。

そういえば新卒ときの月給は12万だった。地方。総支給ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。

つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。

結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。

そんなことより明日休みなので阪神優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間お金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから

でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。

訳の分からない文章いくら書いたところで何にもならないな。

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