はてなキーワード: メフィストとは
ヴァイマールの宮廷楽長を辞任したリストは、ラーティボール公ホーエンローエに招聘され、公の弟グスタフを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品はさらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻を強制されたものであり無効であるとする判決を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻が有効であると述べる証人が新たに現れ、婚姻を妨害する動きが出てきた。というのも、ラーティボール公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌの結婚が無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようである(リストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマのパトロンを見出し、ローマに腰を落ち着けて宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールからの要請で宮廷楽団の指導役として復帰し、さらに70年代からはピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師とコンサート、夏はヴァイマールの宮廷楽団の指揮、冬はローマで作曲とピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活を死ぬ日まで送ることになった。晩年のリストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記(翻訳あり)を見るとリストの生活ぶりが良く分かる。
晩年のリストの代表作である。出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。
この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリのエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しかも印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。
第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。
1863年にリストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活が死ぬまで続くが、リストのことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマに引っ越したリストを教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコが小鳥に説教する様子を描く絵だったか詩だったかをモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやすい作風である。
第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコ(アッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかいう伝説をモチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。
両曲とも1865年にリスト自身がブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。
ニコライ・デミジェンコ(Hyperion/Helios)のCDにソナタ、スケルツォとマーチと一緒になって入っていて、よく聴く。
元々はヴァイマール時代にオルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACHの主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階のBACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧を披露する曲であり、重苦しい感じはない。
面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperion/ソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。
長女ブランディーヌの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政」時代の首相エミール・オリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロルの編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴの連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、明らかにショパンのマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~
実はハワード全集しか聞いたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。
5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版/1885年作曲)
反則だが、リストの無調音楽の代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声が崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである(1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィスト・ワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リストの精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリストの前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である。
いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタのCDにカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィスト・ワルツ全集(Teldec)に入っている。
初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンやチェロのための編曲もある。
ヴェネツィア所在だったワーグナーを訪問した1882年に作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアとナポリと対比すると良い作品。
不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDにカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリ(SONY/ソナタのCD)が好きなのでよく聴く。
なお、ワーグナーの死を悼む作品もリストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニのCDに入っている)、後者は敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。
7. 村の居酒屋での踊り――メフィスト・ワルツ第1番(1862年出版)
前期の曲と思いきや、実は後期の作曲(作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩「ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウストは女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリンの調弦を模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落に成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである。
有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリ(SONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得。自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーのデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ(激怒)
いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。要望があれば参考文献などを追補するやつも書く(大した内容じゃないが)。
追記:
前期のブコメに「愛の夢が落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢は優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲の歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話。
「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストのエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。
子どもの頃から手のかかるヤツだったのは間違いない。でも、ここまでは来れた。一応は一人で生きている。
本筋だけど、昨日の土曜日の出来事で、ちょっと思ったことがある。昨日、とある増田日記を読んで、自分も書いてみようと思った。
今朝起こったことなんだが、その時は自宅の山の近くを散歩してた。田舎の道路だ。
うちは田舎なのだが、近年、イオン系列のスーパーマーケットとか分譲地とかニュータウンみたいなやつが進出してきてる。
その分譲地の前を通った時だ。当方と同じ、40代半ばの男が道路を歩いていた。焼酎学校の同級生だった。高校も一緒だった。黒いジャージ姿だったかな。
顔はまあまあで、中肉中背だけど精悍な感じがする。性格とかキャラはよく覚えてない。どっちかと言うと自信家だった。昔から雰囲気は変わってない。
曾祖父の時代から地元の名士である。先祖大体、この市町で公務員勤めをしている。もちろんアイツも地方公務員。高校を出る時に公務員試験に合格して、クラスメイトからは「あいつコネじゃね?」とか言われてたけど、自分は違うと思った。確かに苗字は相当珍しいけど、でもあいつが性根が腐ってるとか、そういうやつじゃないのは知ってる。
それでさ、自分がいつもそのニュータウンの前を通る時、幼稚園くらいの女の子が兄妹とかと遊んでる。3人くらいで。その時も、いた。やはり姉妹3人で水遊びとかしてた。
その子達は、月に何度か散歩中に見かける。姉妹仲よさそうに遊んでる。お互いに存在は認識してる……くらいかな。いや、やはり向こうは俺を認識すらしてないと思う。子どもだし。
さっきの道路の場面に戻るけど。その同級生がさ、その女児が遊んでる分譲地の、住宅の端っこあたりを通ったのだ。俺もすぐ近くにいる。すると、その女児がさ、「こんにちはー!」って大きい声でその同級生に挨拶をしてた。
駆け寄り気味な感じだった。同級生も、「こんちは~」って感じで挨拶を返してた。よくない癖だとは思ったけど、その女児の顔を見た。そしたら、満面の笑みだった。俺は、女の子でも女性でも熟女でも、こんな眩しい笑顔を向けられたことはない。
あんな5才くらいの幼い子でもさ、「アルファオス」というと悪い言い方になるけど、そういうのがわかるんだよな。いい男性の区別がつくのだ。この年代でも。増田で言うところの、『強者男性』というやつだ。
あー、ちょっと気が滅入ったわ。5才ほどの子にすらモテるってことは、きっと若い子にもモテるんだろ? あいつは。正直、羨ましいわ。自分も、一度でいいから女の子にモテてみたい。
こんなこと思ってもしょうがないけど、男だったらやっぱり、女の子にモテたいって思うじゃん。俺も、仕事でいい成果とか出せたら、女性が寄ってきたりするのかな。だったら、頑張りたいな。
俺のところにも、メフィストフェレスが来てほしい。
『ファウスト』っていう作品があるんだが、ドイツにファウストっていう黒魔術の怪しいおっさんが住んでいて……悪魔メフィストと出会って、死後の魂の服従を交換条件として、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を交わすのだ。
それで、ファウストはグレートヒェンという町娘と恋をして、子供を身籠らせて、それで……なんかもういろいろあって、スゲー紆余曲折を体験して、最後は満足して逝くのだ(「時よとまれ お前は美しい」)。
魂は悪魔に引き渡される約束だったけど……以下ネタバレなので省略する。
日曜日に、こんなぼやきをしたくなる程度には、衝撃的な出来事だった。
子どもにだって、自分にとっていいモノもいいヒトもわかるんだよなって感じて、思うところがあった。
お目汚しをすまない。ちょっと思ってみただけだ。
・7話位までみた
・歳を取ってない前作主人公、新鮮
けっこうちょいちょい出てくるからおおってなった
穏やかな声の安心感すご
見た目は年取ってないけど喋り方は
相応に「大人」感になってて新たな萌の扉を
開きかけた
・新悪魔くんのような
萌えを感じられなくなる
これが加齢
・世が世ならCV石田彰みてえな主人公とニコイチっぺえ悪魔でてきたな
目茶苦茶楽しかったろうな…
・ストーリーが今風でgoodやった
10話以降みた
・デレるのが…デレるのが遅い…!
・兄妹で違う時の流れを生きたから子供のときのまま見た目変わらない兄に
胸に沁み入るものがあった
・今更だけど悪魔君親子の時代による子供キャラのデフォルメの仕方の違い、いい…ってなった
・oh…ハンガーフック…
・bumがみんなかっこよかった サックスかっこいい
まず最初に、シナリオ面のネタバレは一切含まないので安心してほしい。
真・女神転生5にはラスボスより強い、いわゆる裏ボスが何体かいる。
終盤のあるボスを撃破すると挑めるようになるシヴァがその1体だ。
解放後試しに挑んでみて、即フルボッコされたナホビノの皆さんも多いんじゃないかな?
自分もその一人で、ようやくさっきリベンジできたのでその攻略メモを残しておく。
Lv97破壊神、氷属性弱点、HPはおそらく50000程度(難易度ノーマルの場合)。
真・女神転生5はレベル差によるダメージ増減が激しいので、おそらくここに到達した段階の70前後、
そしてゲームクリアレベルとなるであろう80前後では到底相手にならない。
福音書をフル活用して主人公をLv99にしておくのはもちろんのこと、
魔導書で仲魔も全員Lv99に持っていくことが望ましい。
シヴァは自分1体しかいない場合に味方全体に約350ダメージ(味方Lv99、ノーマル難易度)+防御力最低まで落とす万能全体攻撃「ターンダヴァ」を使用し、
HP2000程度なのでLv99のパーティならこいつらを蹴散らすのは楽だが、
全滅させるとターンダヴァがまた飛んでくるし、防御力最低の状態だとターンダヴァが600ダメージ近くなるので、
Lv99と言えど死んでしまう可能性が高いので迂闊に全体攻撃で倒してしまうのはおススメできない。
なので、セクシーダンスで魅了される可能性のあるダーキニーだけを倒し、
物理攻撃とマハタルンダしか仕掛けてこないガネーシャを無傷で残しておくのが安定パターン。
シヴァとガネーシャだけならLv99のパーティにとって、致命的な攻撃はそうそう飛んでこない。
物理無効の仲魔がいるとガネーシャの攻撃をBLOCKしてシヴァの行動が1回で済むことが多いのでおススメ。
(物理反射はガネーシャを殺す可能性があるのでおススメできない)
ダーキニーとガネーシャ以外では女神パールヴァティ、邪龍ヒュドラ、鬼女ドゥルガー。
パールヴァティとヒュドラはメディラマを使いシヴァのHPを25000(!)も回復させてしまうため、
呼ばれたら即座に潰すこと。もちろんガネーシャは生かしておくために全体攻撃厳禁。
氷結プレロマ・氷結ギガプレロマ・アイスエイジを継承させた魔人トランぺッターをメインアタッカーに据え、
サポート役として一度に敵攻撃防御を2段階落とせるファイナルヌードがとラスタキャンディが強力な鬼女クレオパトラ(写し身で延長強化継承)、
物理無効と多彩な属性技と貫通チャージ持ちの魔王メフィスト(写し身で破魔耐性or無効必須)を採用した。
主人公は万能プレロマ+至高の魔弾によるサブアタッカー兼メディアラハン役。
こちら攻撃2段強化+相手防御2段弱化の状態でもトランぺッターのアイスエイジで3000前後、
至高の魔弾で1200(クリティカルで2500)前後しか入らず、
かなりの長期戦になるけれども、とにかく「ガネーシャを殺さないで単体攻撃中心で攻める」を意識すれば、
『風立ちぬ』はシン・エヴァンゲリオンのアナザーストーリーだと気づいた。
以下、エヴァのネタバレは無いが風立ちぬのネタバレはあるので注意。
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1つめは飛行機技術者、堀越二郎の人生。彼は零戦を作ったが、別に妻は結核になってないし、子供も6人いる。
2つめは小説『風立ちぬ』。妻が結核になる話。ただしアニメと違って夫は妻に寄り添ってる。
3つめは宮崎駿の人生。飛行機作り=アニメ作り。妻をほっぽって飛行機作りに熱中する堀越二郎=家庭を顧みない宮崎駿。膨大な予算で国民を飢えさせながら飛行機作りする堀越二郎=ジブリのアニメーターの創造性を犠牲にして自分の作品作りの為に才能を搾り取る宮崎駿。人殺しの道具を作る堀越二郎=アニメに熱中する人間を生み出した宮崎駿。
戯曲『ファウスト』の主人公は、大学で博士号を取ったファウスト博士で、ファウストはあらゆる学問を学んで知識をつけるが「知識だけあっても、あらゆる人生経験を積んだ訳じゃない」と思い悩む。
そこに悪魔のメフィストがやってきて「お前にこの世のありとあらゆる経験を積ませてやる。その代わり死んだら魂を貰うよ」と持ちかけてくる。
メフィストと契約したファウストはさっそくグレートヒェンという少女に恋をして、彼女と付き合う。その後いろいろあって彼女のお母さんを毒殺し、お兄さんを刺殺し、妊娠した彼女を捨てて、その結果彼女は発狂して自分の赤ん坊を殺してしまい死刑になる。
その後ファウストは違う美女を探しに異世界に行って大活躍し、現実世界に戻ってきても大活躍し、散々好き放題やった末に一生を終える。
ファウストは死後、天国と地獄の中間地点『煉獄』につき、メフィストに「約束通り魂貰うよ」と言われるが、そこにファウストによって散々な目にあった少女グレートヒェンがやってきて、彼女の祈りでファウストは救済される。
『ファウスト』を要約すると、悪魔に魂を売った男が好き放題して最後は地獄に落ちそうになるが、理解ある彼女さんのお陰で天国行けましたという話。
『風立ちぬ』のラストシーンでは、地獄のような光景が向こう側に見える綺麗な丘で、堀越二郎がカプローニさん(堀越二郎をたぶらかした男)、そして美穂子(堀越二郎に人生を振り回された少女)と対話する。
魂を取りにきた悪魔と、そこから救いに来てくれた聖女。これは『ファウスト』のラストシーンと重なっている。
しかし宮崎駿が当初考えていた風立ちぬのラストは、より踏み込んだものだったらしい。
『ファウスト』ではグレートヒェンの祈りでファウストが救われるが、風立ちぬの真ラストでは、菜穂子が「来て」と言った後にカプローニさんが「その前にちょっと話でもしていかないか。美味いワインがあるんだ」と言って堀越二郎を地獄が広がる丘の向こうに連れて行く。これが当初の案で、ギリギリになって修正されたと語られている。
要するに「は?お前何救われようとしてんの?お前も地獄に落ちるんだよ」エンドだ。
この非情な展開を庵野秀明演じる堀越二郎に味合わせるストーリーを考えたのが、庵野秀明の師匠である宮崎駿だ。
庵野秀明は創作に魂を捧げた代償として、地獄に落ちるはずだった。
「どこにいても必ず迎えに行く」と約束されても、宮崎駿にガッチリ肩を組まれて「違う違う、お前が行くのはこっちだぞ?」と地獄に引きずり下ろされるはずだった。
(多少ネタバレ含みつつ紹介します。内容の記憶違いもあるかも)
既にあらゆるブログで言及されているように舞城小説の中に「殺され続ける女の子」のモチーフは多い。
普通の高校生達と、ほぼ木記ちゃんみたいな女の子が主役の短編『ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート』はその筆頭だが、
誰も死なない少年少女の青春もの(小学生の子供達の話よ!?)ぽい体裁で、良くまああんなに落ち込むラストにするな。
苦しく後味が悪く恐ろしく、超面白い。(短編集『キミトピア』に収録されてるよ!)
やはり似た話の連作『淵の王』の3編目、中村悟堂くんの話には突然「ロミオメール」というワードが出てきて流石に笑った。
トラバの指摘通り、舞城のミステリは全くロジカルではなく、メタかつ重複する世界の中でひたすらカオスに陥って行くものが多い。
『九十九十九』が傑作すぎる。
イドより何倍もカオスでメタメタ(そもそも作家、清涼院流水の小説内のキャラクタを使ったトリビュート作だし)で大爆笑カレーでとにかくぶっ飛んでいるけどラストは泣けたり。イド10話好きな人にぜひ。(長いし重い)
カオスさは低めでさらっと読めるのは名探偵ルンババの出てくる『世界は密室で出来ている』。
自分が何者かわからない名探偵主人公、『獣の樹』はヒロインが駄目で好き。
・鳴瓢(および殺人鬼)
昔の講談社のミステリ枠を読めば大体酒井戸(や聖井戸)みたいな主人公だが、少ないけどもちろん鳴瓢みたいなのもいる。
SFでもミステリでも無くて、普通の暴力と性行為と性暴力の出てくる純文学短編、
で、同時に(IDINVADEDの)「殺人鬼」の存在と行為についても結構語っていると思う。
イド2話の富久田のつぶやきみたいな台詞は完全にこの話を思い出しましたね。
「人それぞれのイド(殺意の世界)=人それぞれの鼻クソご飯」である。
あと、短編集(短編集ばかりです舞城)『短編五芒星』の中の『バーベル・ザ・バーバリアン』の主人公は刑事で、色々あって病んで荒んでかなり鳴瓢的な感じにいくのだが、最後に語る「俺の心が冷えたきっかけ」が意外なところにあり、かつピュアなメッセージとなっていてしみじみ良い。
・富久田
富久田のようなデフォルメされたアクの強いキャラ、いそうでいなかった気がする…
が、頭の穴というモチーフはもちろん、超名作『好き好き大好き超愛してる』収録の『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』ですね。(文庫の好き好き大好きには収録されていないらしい…)
穴あきボーイとユニコーン娘が出会ったらまあそうなるよね、というカオス青春SF?
あと、強迫神経症(何かに取り憑かれる)みたいな部分が出てくるのは『短編五芒星』の
http://anond.hatelabo.jp/20140501214714
これの話題が出ていたので、今思い出せるものを書き連ねてみる。
これ以外にも「読みたい」ってやつで、続き出てねーなーと思い出したものがあったら教えてくんちぇ。
近年ではなろう発の小説もバンバン打ち切られてるんで拾いきれません。
2016/06……8巻
2015/7……6巻
アニメは1巻を12話に引き伸ばすというスーパープレイ。短編集を間に挟んだけど、本編は2年お預け。
2015/12……4巻
2015/06……11巻
えっ……もう2年出てないの。クライマックス間近なのに。
2015/05……3巻
コミカライズ始まったし、それがうまく行けばなんとかなるのかな。
2007/03……3巻
太田が悪い。『傷物語』の特典小説でちょっと出てきたらしい。希望はある。
2008/12……『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』
メフィストに載ってたっけ? こちらも特典小説に出てきたらしい。希望はある。
2014/04…… (9) 破滅の星 (上)
最近出たと思ったけど、もう3年前……。
2016/08……12巻
2016/03……1巻
http://over-lap.co.jp/bunko/arcadiagarden/
2007/08……2巻
2005/01……メドゥーサ4巻
「メドゥーサ編」までは完結しているけど、続きがあってほしい。
2013/07……2巻
「つづく」で続かない。このラノ文庫は虫の息。
2015/09……3巻
水着回やって続きは未定? 『A/Bエクストリーム』って何年前?
2013/06……11巻
あんスタで忙しいんだよきっと。
音沙汰なし。絶望的。
2012/03……4巻
一応区切りの部分だが、不完全燃焼。著者はもう何も書いてない?
2007/10……7巻
まー、もう書かんのだろうね。アニメ化後に刊行止まるケース多すぎ。
2009/2……666 6巻
もはや完結したと思え。
2004/10……6巻
完結したんだ。そうなんだ。
2012/01……龍盤七朝 DRAGONBUSTER 02
2005/01……ミナミノミナミノ
合掌。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00NI96I9W/
おもしろかった。
アンドロイドのソフト面を調律する職業という発想は珍しいし、主人公とアンドロイドの少女たちの関わりも見ていて楽しかった。
ただ、伏線や展開が機械的というか、頭で考えて書いたんだなということが伝わってきてしまって残念だった。
伏線の張り方は効果的だし、展開もきちんと山場や緩急があって読んでいて楽しかったが、そのほとんどに対して「ああ、この話はあとあと重要になってきそうだな」だとか「このエピソードはこういう効果を出すために入れたんだな」ということがはっきりとわかってしまい、なんというか……のめり込んで映画を見ている最中にNG集だとかオフショットだとかが挟まれたような、ちょっと冷めたような気分になってしまった。
そういう意味では、話の作り方やら伏線の張り方がうまいかというと下手くそであったと思う。
それからここからはこの作品自体の良し悪しではなくて編集さんや出版社に対しての話になるが、星海社が全力で肯定して新人賞から出した作品がこれだとしたら、「は?」という感じである。
もちろん冒頭に書いた通りこの本はおもしろかった。ど素人や発展途上の作家志望が書いた支離滅裂な話と比べたら桁違いのクオリティだった(というか、出版されているのだからその点は当然である)。しかし、それがあの、常に野心的な姿勢の星海社から、しかも新人賞から出されたと思うと微妙……とてつもなく微妙なのである。
正直これまで新人賞から出版されてきたものはどれも微妙だった。どれもこれも面白いが、「面白いだけ」。新人賞座談会での評価を読んだ際のワクワクを毎回裏切られている。普通に面白いだけの無難な作品。あまりにどれもこれもがそうなので、座談会での編集者たちの発言がビッグマウスすぎてハードルを上げてしまっているのでは……と可哀想にもなってくる。しかし、メフィストやファウストや講談社BOXで同じような発言がされていたときは確かに面白い作品と出会えていたのである。ハードルが上げられているせいだけではないのではないだろうか……。
このまま凡庸に面白いだけの作品を出していくのでは、星海社は完全に新人賞応募作品に指をさしてゲラゲラ笑う座談会を開くだけのクソみたいな出版社になっていってしまうのではないかと思う。頑張ってほしい。また、肉にまで刃が届くような面白い作品を送り出してほしい、絶対に。
元記事の人のずれっぷりはどこから来るのかなあ。
「ところが今では「現代書かれたパズラー型ミステリ」はすべて新本格と呼ばれてるんですね、これが。」とかどこの誰が誰をさしてそう言っているんだろう・・・とか思うけど。
新本格ムーブメントの流れをくんで登場した作家が主に新本格作家と呼ばれているとおもうけど、そうじゃないのかな。
ひとつ前の記事でもこんなとんちんかんなこと言ってるし、そういうお仕事のひとなんですかね?
新本格の作品を評してよく「キャラが立っていない」「キャラが描けていない」と言われていたのに、メフィストの発掘した作家はその逆を行ったことになるのも面白い。