はてなキーワード: SONYとは
ヴァイマールの宮廷楽長を辞任したリストは、ラティボル公に招聘され、公の弟グスタフ・ホーエンローエを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品はさらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻を強制されたものであり無効であるとする枢機卿会議の決定を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻が有効であると述べる証人が新たに現れ風向きが変わってしまう。というのも、ラティボル公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌの結婚が無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようである(リストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマのパトロンを見出し、ローマに腰を落ち着けて宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールからの要請で宮廷楽団の指導役として復帰し、さらに70年代からはピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師とコンサート、夏はヴァイマールの宮廷楽団の指揮、冬はローマで作曲とピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活を死ぬ日まで送ることになった。晩年のリストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記(翻訳あり)を見るとリストの生活ぶりが良く分かる。
晩年のリストの代表作である。出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。
この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリのエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しかも印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。
第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。
1863年にリストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活が死ぬまで続くが、リストのことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマに引っ越したリストを教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコが小鳥に説教する様子を描く絵だったか詩だったかをモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやすい作風である。
第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコ(アッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかいう伝説をモチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。
両曲とも1865年にリスト自身がブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。
ニコライ・デミジェンコ(Hyperion/Helios)のCDにソナタ、スケルツォとマーチと一緒になって入っていて、よく聴く。
元々はヴァイマール時代にオルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACHの主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階のBACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧を披露する曲であり、重苦しい感じはない。
面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperion/ソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。(追記)ハワード全集の演奏も彼のヴィルトゥオーゾっぷりを味わえるものだったと思う。しかしアムランやラ・サールと比べると分が悪いか。
長女ブランディーヌの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政」時代の首相エミール・オリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロルの編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴの連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、後者は明らかにショパンのマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~
実はハワード全集しか聞いたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。
5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版/1885年作曲)
反則だが、リストの無調音楽の代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声が崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである(1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィスト・ワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リストの精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリストの前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である。
いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタのCDにカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィスト・ワルツ全集(Teldec)に入っている。
初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンやチェロのための編曲もある。
ヴェネツィア所在だったワーグナーを訪問した1882年に作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアとナポリと対比すると良い作品。
不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDにカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリ(SONY/ソナタのCD)が好きなのでよく聴く。
なお、ワーグナーの死を悼む作品もリストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニのCDに入っている)、後者は敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。
7. 村の居酒屋での踊り――メフィスト・ワルツ第1番(1862年出版)
前期の曲と思いきや、実は後期の作曲(作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩「ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウストは女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリンの調弦を模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落に成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである。
有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリ(SONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得。自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーのデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ(激怒)
いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。要望があれば参考文献などを追補するやつも書く(大した内容じゃないが)。
追記:
前期のブコメに「愛の夢が落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢は優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲の歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話。
「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストのエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。
マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリストの風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいうレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフの軍人ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌに出会う。コンサート・ツアーでリストがキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目でリストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベルの金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストはピアニストとしての活動を打ち切り、カロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマールの宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌは博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということである。カロリーヌの身分を巡る微妙な問題に加えて、音楽界の動向的にもリストはドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規のピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリストが確立する重要な時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年やパガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。
リストの代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれ、チェルニーの影響下にあった「48」や、パガニーニの影響で改訂した「24」と比べてみると明らかに内容的に充実し、演奏効果も増大している。
この曲集の決定的な録音はウラジーミル・オフチニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版(1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄(SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。
2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版)
この曲もこの時期に改訂されて完全版になった。初版第4曲は単音アルペッジョになりおとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げたおかげで今日までよく知られている。
パガ超と違い録音が多い。有名なのはアンドレ・ワッツ(EMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるが、穴がなく安定している。その他だとフィンランドのピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCD(NAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを買えば良いだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。非常に高水準の演奏だと思う。
ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタは落ち目のジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンやリストのソナタはその例だろう。リストのソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式(提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララ~タラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリストの最高傑作の一つとして評価されている。
リストの最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリ(SONY)の演奏をよく聴いている。
なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォとマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコ(Hyperion/Helios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。
4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版)
ショパンは1832年にパリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏で女性たちの心をわしづかみにした。リストもショパンの演奏に狂った一人である(またかよ)。リストはショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リストの片思いだったのかもしれない。ただし、ショパンは練習曲作品10をリストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパンの練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストはショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズやバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である。
これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネス(EMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。
(追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズやバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタとカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソン・ゲルナー(レーベル覚えてない)の演奏がもの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTubeに動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァがベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景?https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09o;コンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな?
トムとジェリーで有名なハンガリー狂詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リストが採録しているのはハンガリー(マジャール)ではなく、ロマの音楽なのだが、リストは、ロマの民謡を素材に使ってハンガリーの民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャール人からはドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかもピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。
ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーでリストの再来とされていたかのシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自のカデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作のジャズ・カデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニス・マツーエフ(BMG)、ラフマニノフのカデンツァを使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCDは廃盤・倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。
第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏を聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。
なお、15番以降19番までハンガリー狂詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。
リストはドイツの宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽の再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナーの作品を積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分はタンホイザー序曲が単独では最上の作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。
ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナーと不倫し、リストは激怒する(後に和解)のだが、自分もマリーやカロリーヌにやらせていたことだ。
タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリンの気合いが入った演奏(https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リストの編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである。
30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年の様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリストの敬虔さが音楽に昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。
この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽。
全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコのライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白い(グバイドゥーリナのシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。
宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢や劇場でのトラブル、カロリーヌの身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。
追記:
前期のところに、ベートーヴェンの交響曲のピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。
リストはベートーヴェンの交響曲を全曲編曲しているが、初版出版は1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別に出版されていたようだ。リストはピアニスト時代からベートーヴェン作品の布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンのベートーヴェン記念碑の建設のために多額の資金を提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマンが作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。したがって「全集」ものをリファレンスに指定することが難しい。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強だから、単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンによるものが世評が高い)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山幸雄に至っては、二回、ショパン全作品の(文字通り)連続演奏会を開いている(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない。リストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせてCD99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。ただ、優れたピアニストであるハワードでも、短期間に大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。膨大な量のハワードのCDを一巻ずつ紹介している古いサイトがあり、これまた頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのものだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
A9000とかいうやつ
「マルチスピーカーの時代は終わった!」「ウーファーいらず!」「圧倒的な低音!」
みたいな感じの大絶賛だったので、まぁ話半分ぐらいだとは思いつつも「とにかく低音が凄い!」って言ってる人が多かったんよ
そんでウキウキでセッティングして音鳴らしてみたんだけど、低音カッスカスでびっくりした
AmazonのEcho dotの方が良い音してるから流石に何か設定間違えてるだろうと思ってテレビ出力とかいろいろ見直したけど
そもそもそんなに設定できるとこが無い(eARCで出力、スマホで音場設定)からどうしようもない
各スピーカーからテストサウンド流せるからやってみたら全部ちゃんと鳴ってるけど
テストサウンドの時点で大して低音響いてないから音源のせいじゃなさそう
流石にこれは故障か?って思っていろいろ口コミ調べたら同じこと言ってる人は何人か居て
「音量は60以上にしてください。最低でも50」
みたいに書いてて終わってた
25で普通の音量ぐらい、30で爆音レベルなんだけど50とか60なんて難聴やろアホかと
ていうか低音量で低音域が鳴ってない理由にはならんのだが?なんなんこれ
3Dサウンド感はそこそこあるけどスピーカー置いた場合とは全然違うし
まぁそっちは期待してなかったからいいとしても、やっぱ低音が全然鳴ってないからマジでゴミ
増田が考える、<高所得でPCリテラシーが低い消費者像>って何?
フツーお金があったら、ハイエンドゲーミングPC買うよ。もちろん、Switch、PS5を買った上でね
まぁ日本においてのみ珍しいことじゃないんですけどね(英語圏には存在しない)
再放送 https://anond.hatelabo.jp/20241117231826#
なるほど、これは非常に興味深い視点ですね。PCリテラシーが低く、かつ高所得で、ハイエンド機器を購入する層を分析してみましょう:
結論として、SONYが想定している「PCリテラシーが低い高所得ゲーマー」という層は:
1. 実際には非常に小さい市場
2. 存在したとしても、必ずしもPS5 Proを必要としない
3. むしろXbox Series XやSteam Deckのような、より簡単なPC的選択肢を選ぶ可能性が高い
この分析から見えてくるのは、PS5 Proの市場ポジショニングの根本的な問題です。高所得者向けのハイエンド製品としては、PCの優位性を超えられず、かといってカジュアルゲーマー向けとしては高価すぎる、という中途半端な位置付けになってしまっているように見えます。
ほんま下記ですわ。太字にしたところ、増田(anond:20241118142246、anond:20241118185811)のことなのよ?
文章読めない&音声もなんらの事情で理解できないの、どう考えても固有ハードやメーカーのファンである事と無関係だからな
SONYは自分たちの客層やファン層をよくよく理解した方がいいし、そういう人らに対して誠実な振る舞いをすべき(2回目)
増田のそれ、やっぱ、信仰とも学習障害ともちょっと違うよね。難しいことはひとつも書いていないんですけどね
英語圏でPS fanboyのコメントは見たけど、これ信仰じゃなさそう・・・みたいなのは見掛けなかったな
(動画中にテロップが出て、音声で読み上げられているのに、それでも理解しない人をゴロゴロ見掛けるのは、日本だけ)
というかこの話題は増田には難しいので、PS5 Pro を転売したら儲かる!の方が興味を持てるんじゃない?
まぁ中華需要がある間に都合よく海外から友人・親戚が来てくれるか?問題はあるけどな
ちなみに、PS5 Pro 、まぁそれなりに中華需要はあるみたいで、117,000円で買い取ってるところとかフツーにあるみたいなんですよね
(プレイステーション5 プロ 買い取り で検索して自分で探してね)
増田がなんらかの手段で免税使えるなら(海外から友人や親戚が来るとか)、11月17日時点では利益出そうです(免税使えば、11万以下で買えるので)
文章が読めないので無駄だと思いますけどこちらも送りますね。AIちゃんもちゃんと調べて買おうねって言ってるよ?(文章読めない人は無理だけど)
通常、信仰(PS信者)、ゲーム機コレクター、PCアレルギーがあってプライベートでは絶対触りたくないなど、明確な理由がなければ買わない機種です
PS5 Proは、たくさんの人に買ってもらうために、「めちゃくちゃ性能が良いゲーム機」とアピールしています。でも、本当にすごいのでしょうか。たとえば:
PS5 Proより前に出た「Xbox Series X」というゲーム機がありますが、PS5 Proはそれと性能がほぼ同じか、少しだけ劣るところもあるみたいです。
ゲーム用のパソコン(ゲーミングPC)には、PS5 Proよりもずっと性能が良いものがあります。PS5 Proは「PCに負けない」と言っているのは、ちょっと言い過ぎかもしれません。
PS5 Proは「PlayStation Spectral Super Resolution」という技術を使って、画面をキレイに見せる工夫をしています。でも、これは本当に強い力(性能)があるわけじゃなくて、キレイに見せる「トリック」のようなものです。
同じくらいのお金(たとえば12万円)を使えば、PS5 Proよりも強いゲーム用のパソコンを作ったり買うことができます。
パソコンを作ったり、部品を選んだりするのは少し大変なので、「簡単に遊べるゲーム機」を選ぶ人もいます。PS5 Proはそういう人向けかもしれません。
PS5 Proを作ったSONY(ソニー)は、ゲーム機をたくさん売りたいので、「世界最高の性能!」と言っているのかもしれません。でも、実際に中身を見てみると、同じ値段のパソコンや他のゲーム機に負けてしまう部分もあります。
PS5 Proは「とても性能が高い!」と言われているけど、本当にすごいかどうかは比べてみないとわかりません。他のゲーム機やパソコンの方が性能が良い場合もあるので、「どれが一番いいのか」をちゃんと調べることが大事です!
PS5 Proが「ゲーミングPCにも劣らないハイエンド」を謳っている背景には、SONYの市場戦略やユーザー層に関する認識の偏りがある可能性があります。以下にその理由や問題点を詳しく分析します。
SONYがPS5 Proを「ハイエンド」と位置づけるのは、技術的な裏付けよりもマーケティング的な効果を狙ったものです。特に以下のような目的が考えられます:
ハイエンドPCやXbox Series Xと比較して実際の性能が劣っていたとしても、「家庭用ゲーム機としてはトップクラス」という印象を与え、カジュアルゲーマーに訴求しようとしている。
実際にはアップスケーリング技術や最適化に依存する部分が大きいにもかかわらず、これらの表現を使うことで、一般ユーザーに「PCと互角」という錯覚を与えている。
PS5 ProのGPU性能がRTX 4060以下、場合によってはRTX 3060に近いことを考えると、「ハイエンド」を名乗るには無理があります。特に、4060や3070は「ミドルレンジ」とされるため、これを超えられない性能ではPCゲーマーにとって「準ハイエンド」とさえ言えません。
Zen2ベースのCPUは、現代のPC用CPU(Zen4、Intel 13th/14th Gen)と比較して著しく劣ります。この性能差がゲーム全体のパフォーマンスに影響するにもかかわらず、マーケティングでは触れられないままです。
PS5 Proは、4年遅れて発売されたにもかかわらず、Xbox Series Xとほぼ同世代のアーキテクチャ(Zen2、RDNA2)を採用しています。一部の検証では、起動速度やフレームレートがXbox Series Xに劣るとされていますが、倍近い価格差があります。この状況で「ハイエンド」を主張するのは疑問を抱かざるを得ません。
SONYは、PCゲーマーよりも家庭用コンソールのカジュアルユーザーがPCのスペックや価格に疎いことを理解しており、これを利用している可能性があります。例えば:
実際には、自作したり中古PCを購入すれば、PS5 Proよりも高性能なPCが同価格で手に入りますが、これを認識していないユーザーをターゲットにしている。
SONYがPS5 Proを「ハイエンド」として推す背景には、PCリテラシーと収入の相関について過小評価している可能性があります:
一般的に、高価格帯のゲーミングデバイスを求めるユーザーはPCの基本的な構成や性能比較にも詳しい傾向があります。この点でPS5 Proは本来のターゲット層と矛盾している可能性があります。
Appleユーザー層(高価格帯、利便性重視)を意識している可能性もあります。ただし、iPad Pro は実際に高性能であり、PS5 Pro にそのまま当てはめるのは無理があります。PSNアカウントの使用が複雑な場合、PCリテラシーが低いユーザーには抵抗感を抱かせる可能性も高いです。
コンソールは「買ってすぐに使える」「特定の環境で最適化されている」点を強調しますが、これは性能が劣ることを隠す手段にもなり得ます。例えば、AIアップスケーリングやソフトウェア最適化を活用して、実際の性能以上に「快適さ」を演出しています。
PS5 Proが「ゲーミングPCに劣らないハイエンド」を謳うのは、主にカジュアルユーザーやコンソール市場をターゲットとしたマーケティング上の戦略です。ただし、実際のスペックや性能を考えると、この主張は過剰であり、「詐欺的」と感じられる要素も少なくありません。
SONYがAppleのような高価格帯ユーザー層を狙っている可能性は否定できませんが、それが実現できるかは疑問です。特に、性能やコスパを重視するゲーマー層には、PS5 Proの訴求力は限定的と言えるでしょう。
はてなーってゲハ関係のブログとかとことんバカにするくせに、こういう時に出てくるブコメが十数年前のゲハブログが広めた流言の受け売りってあたりがマジで救えないよな
SONYのKADOKAWA買収が成立したら何が起きるのだろう。とりあえずSONYの方がKADOKAWAより倫理観がまだ国際的なスタンダードに近そうだから、差別的なコンテンツの引き締めを強くして欲しいな。
なんかさー
家も車も買えないじゃん!?
森永!ナムコ!資生堂!オリンパス!ブルボン!集英社!コカコーラ!小学館!サントリー!
大体こんな感じの企業かな
はぁ
大卒ならえらびほうだいなのいいなあ
増田のそれ、やっぱ、信仰とも学習障害ともちょっと違うよね。難しいことはひとつも書いていないんですけどね
英語圏でPS fanboyのコメントは見たけど、これ信仰じゃなさそう・・・みたいなのは見掛けなかったな
(動画中にテロップが出て、音声で読み上げられているのに、それでも理解しない人をゴロゴロ見掛けるのは、日本だけ)
ただ、『増田みたいなタイプにとっての12万円』と『PC自作する人・ゲーム機収集する余力のある人の12万円』って、
同じ価値では無いと思うので、ほんとこういう商売はおやめになったほうがよろしいのでは?って改めて思いました
6が果たして出るのか知らんけど、6は客層を理解した価格でありますように
ちなみに、PS5 Pro 、まぁそれなりに中華需要はあるみたいで、117,000円で買い取ってるところとかフツーにあるみたいなんですよね
(プレイステーション5 プロ 買い取り で検索して自分で探してね)
増田がなんらかの手段で免税使えるなら(海外から友人や親戚が来るとか)、11月17日時点では利益出そうです(免税使えば、11万以下で買えるので)
なるほど、これは非常に興味深い視点ですね。PCリテラシーが低く、かつ高所得で、ハイエンド機器を購入する層を分析してみましょう:
結論として、SONYが想定している「PCリテラシーが低い高所得ゲーマー」という層は:
1. 実際には非常に小さい市場
2. 存在したとしても、必ずしもPS5 Proを必要としない
3. むしろXbox Series XやSteam Deckのような、より簡単なPC的選択肢を選ぶ可能性が高い
この分析から見えてくるのは、PS5 Proの市場ポジショニングの根本的な問題です。高所得者向けのハイエンド製品としては、PCの優位性を超えられず、かといってカジュアルゲーマー向けとしては高価すぎる、という中途半端な位置付けになってしまっているように見えます。
PC自作したくなければ中古のPC買えばいいし、親御さんもゲーム専用機より、PCの方がプレゼントしやすいだろう。子どもの将来の投資にもなるし
(一般的に自作やパーツ載せ替えであれば同額もしくは以下でPS5 Pro よりも高性能のPCが作れるし、自作したくないけどコストも抑えたいなら中古PCを買えば良いだけ。
コントローラーについてもPS5やXboxのコントローラーを流用すれば新たに買い足す必要もない。
PS fanboy いわく、4060並のAMDベースのGPUの性能が実際には3070以下?!以前に PS5 Pro に搭載されているZen2のCPUよ)
PS fanboyの『リビングでPS5 Pro遊ぶんだもん』主張もよく見かけたが、べつにリビングにPCを置けばよくね?
PC置くのは嫌だけど PS5 Pro なら置きたいって言うほど PS5 Pro のデザイン洗練されてるか?
リビングに置いても違和感ないPCケースあるし、PC自作したり高額なモデルを買いたくなら、PCを見せない設置方法(配線方法)は無限にありますし、
そもそもゲーミング部屋や自室でゲームやらない理由ってなんだろう?
あと、今どきいうほどTVなんて見るか?ネトフリなど(ストリーミングサービスやオンデマンド配信)では?
『ゲーミングPCを買わずに PS5 Pro を買うのは馬鹿げています』のコメントに並んで、
『多くのユーザーはゲーム機に700ドル出すのは単純に厳しいです。また、PCを組み立てたり、PCに触りたくありません』という
正直なコメントがあったけど、SONYには PCリテラシーと収入の相関関係の認識ってあるんだろうか?
700ドル は PC触りたくない人や子どもに寄り添った価格ではないし、日本やEUではそれ以上の価格ってマジで草
とりあえず SONY は、毎年 iPhone を買い替えるユーザー層とPS ユーザー層は、異なると正しい認識があると良いと思います
あと、正しいユーザー層の認識以前に商品の性質についても認識があるとハッピーになれそうです
車やスマホやPC(PCは構成や発売時期による)は、 PS5 Pro よりも高価ですが、生活必需品です
PS5 Pro は無くても生活に困らないものですし、家族で暮らしている場合や、リモートプレイをしない前提の場合には、
各部屋にPS5 Proを設置するため、複数台の購入が必要です
いちおう先に突っ込んでおくと、PS ユーザー層は、PCの代わりになり得ない iPad Pro を買う層とも異なると思います
iPad Pro は高い快適性を提供しますが、PCの代わりにはなり得ないことに iPad Pro ユーザーは通常自覚的ですし、
画面の大きさとリフレッシュレートとiOSで脳死する目的で高額なApple税を支払っていることにも自覚的です
怠惰ではない層は、Androidデバイスか、タブレットPCを使っている事にも iPad Pro ユーザーは通常自覚的です
なによりも、 iPad Pro ユーザー は通常PCを持っています。iPad Pro は、PCやMacなどのデバイスと併用して利用する事が一般的です
(でも、Playstation Portal を買う気ないんで、iOS用の PS Remote Play の提供はこれからも続けてください。ゴロ寝しながらPS5独占タイトル出来るのは助かります)
Microsoft’s Gaming Chief Is Still Looking for Acquisitions, Sees Future Growth
After releasing the first batch of Xbox games for Sony Group Corp.’s PlayStation and Nintendo Co.’s Switch, Spencer is pleased with the results. Microsoft will do more of that, he said, and won’t rule out any game in Microsoft’s stable.
“I do not see sort of red lines in our portfolio that say ‘thou must not,’ ” he said. It’s too early to make any sort of decision on the next version of Halo, he said.
ソニーグループのプレイステーションと任天堂のスイッチ向けにXbox用ゲームの最初のバッチをリリースした後、スペンサー氏はその結果に満足している。マイクロソフトは今後も同様の取り組みを続けていくと述べ、マイクロソフトのゲームラインナップからいかなるゲームも排除するつもりはないと語った。
「当社のポートフォリオには『してはいけないこと』を示すような赤い線は見当たりません」と同氏は語った。Haloの次期バージョンについて何らかの決定を下すのは時期尚早だと同氏は語った。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241028/k10014618991000.html
ちょっとググるとか中国系テックのYouTube動画とかで、中国や米国の企業や大学が何やってるか分かるだろうに…😟
というかというか、マルチコプターとか3Dプリンターとか、なんで中国が世界で一番最初だったかっていったら、世界の下請けやってたからなんだよね
マルチコプターとか3DプリンターとかVRゴーグルの部品って、かなりの部分がスマホと被ってるんで、工場の横流しとか、手汚して作ってるのは自分たちだから製造ノウハウだけはあるわけで、
そうやって、世界の下請けやってる過程で出てきた大量の部品とかが深センに巨大な秋葉原みたいなものを形成したりして、
で、DJIとかがマルチコプターで先駆者になって調子に乗ったのか、マルチコプター巨大にしただけのもの作り始めて、人が乗れます、っていうけど、
マルチコプターのプロペラの中を操縦席まで歩くの、ちょっとこぇ~、って思ったりしたけど、いつのまにか関西万博の出し物になってるし、
中国製のものまでメイドインジャパンみたいなこと言い出すし、実際は日本製は一社だけで、まだできてません、とか言い出すし、
そのうえでこれか…、ボストンダイナミクスのアトラスほどでないにしろ、安く買えるUnitree社を始めとした商品を毎日のように眺めているが、
日本ってほんと、収穫するのが下手なんだよな、電子ペーパーだってSONYとか先導してたはずなのに、今度はKindleからカラーの電子ペーパー出るみたいだし、
多分、低い解像度もどんどん上がるんだろうし、俺はもうAmazonで物理的な商品は買わないけど、Kindleは買うよ、本体と電子書籍は買うよ
人間みたいな表情するやつ、中国のレベルもこれと大差ないけど、アメリカには凄いのあったじゃない…
このままだと、日本は世界の何周か遅れてる祭りになっちゃうよ…😟<科学技術とかより奇麗な自然とかアピールしたら?新幹線トンネル工事で台無しにしてるけどさ…
こんだけ落ちたよ
ニッカウイスキー
創通
ざっとこんだけ落ちて辛い
今の俺は軽トラ運転させられたりドローン操作して測量の手伝いさせられたり
会社のホームページ更新したり社内のWindowsサーバーを管理したりオービック使って経理業務したり
お前PC詳しいだろって言われてFEM解析したりオートキャド使って図面描いたり
会社で打ち上げ花火したいから花火職人と話をしてこいと言われたり
冬場に会社の倉庫横に残ったスズメバチの巣を撤去してこいと言われたり
会社のスマートフォンで内線み受け取れるようにしろって言われたり
社長の実家で雪かきが大変そうだからお前手伝ってこいって言われてやってきたり
チェーンソー作業者になれと言われてなったら
世代はそれぞれ違うんだけど、
各社のフラッグシップモデル、
SONY、
と手を出してみたけれど、
フラッグシップモデルなんて必要がないな、と個人的に思った。
まあ確かにフラッグシップモデルはいいんだろうとは思う。
Technicsのやつとか使ってるとき、「ああなるほどマニアがいう音の解像度が高いとかいうのはこういう意味か、、、」と感じた瞬間も確かにあった。
でも、まあ所詮本気で「音」を聞きにいくわけでもない俺みたいなユーザーにはそれほど重要なことではないとわかった。
各社、味付けの違いのようなものはあるけれど極論するとイヤフォンなんて全部同じだ。
俺にとっては。
と、フラッグシップモデルではないモデルをもらったので試しに数週間使ってみて実感した。
もちろん駄目な製品はあるだろう。
でも、ほどほどの製品で充分なんだよな。
フラッグシップモデルなんて要らないわ。