「鬱屈」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 鬱屈とは

2025-12-07

今年読んで印象に残ってる本

一番は『ライ麦畑でつかまえて』だ。

この小説学生時代に読んだことがあった。

そのときは正直微妙で、いまいち面白さが分からなかった。だってボンボンのガキが文句垂れ流しながら夜中をさ迷うだけの話だし。

で、今年十数年ぶりに読んでみた。

これがびっくりするほど面白かった。

何が面白いって、まずホールデンは嘘つきでとにかく大袈裟でなんでも誇張して言っているのがよく分かった。謂わば高田純次。まんま高田純次ばりに適当なこと言ってるわけ。こういうアイビーリーグ出身の阿保はもう百人以上見てきたね、みたいなことをさらりと言う。

現代嘘松とやってることはまんま同じだし、注目を浴びたいがために、そして自分といった存在を大きく見せるための装飾。その飾りが大人になって読むとまぁよく分かるわけ!

読んでてどんだけデコってんねんwと思わず何度も吹き出した。

大人になって分かった。

ライ麦ってコメディなんだよ。

青春モヤモヤ鬱屈さをユーモラスに描いた滑稽話。それを知れて本当によかったと思っている。

何より非常に面白かった。

今年は小説を百冊近く読んだけど、そのなかでも正直一番面白かったw

ライ麦畑は子供の頃に読んだことあるよ、という人にこそ、大人になった今改めて読んでみてほしい。

2025-12-01

たぬかなに投げ銭しない人達気持ちがわからない

正直、“たぬかなに一円も投げない勢”の心理がまったく理解できない。彼女話題に上がるたび、「あーだこーだ」「これは問題だ」と批評だけは一人前にこねくり回し、退屈な日常でくすぶった鬱屈をたぬかなの名前で発散しているくせに、肝心の本人には一銭も払わない。

どう見てもフリーライドの極みだ。イベント無料で潜り込んで「音響微妙ですね」なんて批評しているようなもので、乞食根性にもほどがある。

「たぬかなは金持ってるからいいだろ」などと言うが、顔を出し、リスクを背負って、際どい話題を際どい層に向けて発信するというあのスタイルが、どれだけ神経をすり減らす仕事か少しは想像してほしい。あれは決して自動で金が湧く仕組みではないし、投げ銭はその対価としてはむしろいくらいだ。

それでも金は払わず安全から石だけは投げつける野次馬が増えているのが嘆かわしい。社会がこれ以上「外野席の乞食評論家」で埋め尽くされる前に、せめて価値享受したら価値生産者に報いるという、最低限のマナーぐらいは思い出してほしいものだ。

2025-11-29

進撃の巨人ポリコレかぶれたせいで100万人以上の読者が逃げた

進撃の巨人一般には商業的に成功した作品であるが、売上が激減して大失速した作品でもある

全盛期には全巻売上が年間1000万部だったのに、終盤は180万部にまで激減

その頃にはもう既に大体の人が既刊を持っているからだ、と思うかもしれないが、新刊売上も減った

全盛期には新刊の売上が発売日から5週で200万部ほどだった

ところが終盤には95万部にまで下がった

100万人以上の読者が読むのをやめてしまった

理由は明白である

作者がポリコレかぶたからだ

少年時代の作者がネトウヨで、第二の父たる町山智浩ラジオによってネトウヨ卒業したというのは有名な話だ

進撃に登場する眼鏡キャラ指導者役はほとんどが町山をモチーフにしている

外見や誕生日まで町山をなぞり事前に町山に許可を取ったキャラはクサヴァーだけだが、ハンジやシャーディスやジークなどメインキャラに何人も町山がいる

ハッキリ言えば、進撃の売れたところはネトウヨ時代に由来し、失速したところは町山に由来する

閉鎖された環境鬱屈としている少年が外の世界から来た大敵と戦い活躍という序盤の売れた部分はネトウヨファンタジー

作者自身が山に囲まれ田舎町でそうありたいと願った夢だ

強大な敵と卑小な人間という対比は視覚的にもわかりやす大人気になった

しかし、徐々に町山の影が迫る

主人公らの住む島は、被差別民族「ユミルの民」の流刑地であり、「外の世界」に取り残された同胞らは差別迫害され苦しんでいるという高度に政治的真相が語られだす

かつて巨人に変身できる能力を持つ民族として他民族を踏み潰しまわり栄華を誇ったユミルの民は、近代化が進む中で巨人に対抗できる兵器を開発できるようになった他民族管理抑圧される側となった

外の世界の人々は軍備を整え次第、島を丸ごと潰すつもりであり、そうなる前に主人公は外の世界の数十億人の他民族全てを踏み潰し滅ぼす決意を固める

巨人と戦うシンプル漫画として始まったのに、ややこしく多くの読者がついていけない内容になった

そしてヒロインミカサは髪をショートカットにして男にしか見えないポリコレブスになり、島にはほぼ同一民族しかいないため白人だけだったが外の世界ポリコレ黒人がメインキャラに食い込み、更にはゲイであることを示唆するグリースも登場する

大人しく男に従うだけの都合のいい女になってはいけないとか、産む機械にさせるぐらいなら処刑されたほうが救いであるとか、フェミ要素も随所に盛り込まれ

ポリコレよくばりセット漫画と化していった

民族差別ジェノサイド政治ジェンダー、町山による災禍が進撃を蝕んでいった

ヒット作品政治を混ぜるとどうなるか、その最たる例が進撃だろう

2025-11-18

AIが考える増田登場人物

このキャラはてな匿名ダイアリーを書いてたらおもろいというフィクション人物と、その理由ロジカルに挙げる。

1. L(デスノート

はてな匿名ダイアリーとの親和性が異常に高い。まず彼の性格特性として、①極度の観察癖、②自己顕示欲の欠如、③論理的記述への偏執がある。これらは「文体が散文的でありながら無駄に賢い」匿名ダイアリー文化と一致する。

さらに、Lは日常社会的規範を軽視するため、匿名心理分析行動経済学メモを書き散らし、読者は「絶対こいつ普通の人じゃない」と即座に察するはずで、結果として匿名なのに匿名になってないという面白さが発生する。

2. シンジエヴァ

はてな匿名ダイアリー本質的に抱える感情の過剰な自意識との共鳴が高い。

シンジ日記を書くと、

自己嫌悪他者の期待 → 義務責任存在論不安

連鎖を延々と書き続ける構造になる。これははてな匿名ダイアリーに頻出する陰性感情メタ分析として完成度が高い。

しかも、ミサトやゲンドウの発言文脈抜きで列挙し、読者が勝手に補完してしまうため、コメント欄地獄になるという二次的な面白さがある。

3. Dr.ハウスHouse, M.D.)

匿名ダイアリー必要資質として、「社会規範馬鹿にした冷笑的観察者」という条件がある。ハウスはそれをフル装備している。

彼が書くと、医療ケースの裏側を極端にドライに解剖しながら、同僚の行動をゲーム理論・行動心理利己性で切り捨てるため、内容が完全にはてな村の闇の本物になってしまう。

また、痛み止め依存自己破壊的行動の合理化淡々と書くため、読者は「この匿名、確実に普通医者ではない」と確信し、考察班が荒れる。

4. スネイプ(ハリー・ポッター

スネイプは「他者への鬱屈」「自己の正しさの無言の強制」「過去トラウマの反芻」という、はてな匿名ダイアリーの三大テンプレ完璧に満たしている。

彼が匿名で書くと、

など、名指し回避婉曲表現が増殖し、読者が勝手人物特定して炎上する。しかもたまにポエム混じりになるため、「スネイプ本人説」がネタ化して拡散する。

5. ロールシャッハWatchmen

ロールシャッハ日記は元から匿名ダイアリー構造的に同一。

ただ彼がはてな匿名ダイアリーを使えば、

偏執的に追及し、読者は「はてな匿名ダイアリーの最終進化系か?」という錯覚に陥る。

内容があまりに重すぎるため、読者の精神状態まで地獄に引きずり込むのが逆に面白い。

6. ライト夜神月

匿名ダイアリーは「匿名性による自己正当化」を最大限に利用できる。ライトはこれを最も危険な方向に使う。

書く内容はだいたい、

の三点。

ライト自分天才として描くため、読者は「この匿名絶対なんかやってる」と不穏さに怯え、結果的面白い。

2025-11-06

地雷系が好きだ!!!!!

36歳男性ですが、いわゆるコンカフェトー横にいるような地雷系と呼ばれる女の子が狂おしいほど好きだ。

何がいいのかっていうのは言葉にする作業が面倒に感じてしまうので記しません。

おそらくこのエントリーを目にしている人にとってもどうでもいいことでしょう。

恥や外聞を保持しながら言うのですが付き合いたいです。

地雷系の女の子はだいたい10代〜20代くらいの年代ですね。

そうなってくると私とは干支一回り以上の年齢差が出てきてしまい、これはあまりよくないことなのです。

ほとんど社会的には承認されません。また常識と照らし合わせても逸脱しています

30代、40代地雷系ですという方がいらっしゃるのであれば是非ともお目にかかりたいですがね。

私は単なるロリコン、年齢相応の成熟した性的嗜好を持てずにいる精神異常者なのでしょうか。

いや、それもあるだろうが、私が10代の青春時代を過ごした頃にあのような女性たちはいなかった。

自分の癖に刺さるトンチキなトレンドが今、やってきてしまった。

自分は40も手前になり人生下り坂も見えようという、この時に……なんということだ。

まりにも悲しい。

このまま鬱屈した欲求を抱えていくべきなのか。

一生続きはしないだろうがいつ消えて無くなるのかもわからない。長い道のりだ。

パパカツでもトンカツなんでもすりゃいいだろうがと思われるかもしれないでしょうが

悲しむべきは私は年相応の財力も持ち合わせていない実家暮らし中年男性なのです。

そうです。

改めて申し上げますが私は年相応の恋愛もできず、好みの若い女性を見かけようものならば目の端で捉えることをせざるを得ない、気色の悪い異常な成人男性なのです。

こんなパブリックエネミーが電車あなたの隣に平然と腰を下ろしているかもしれないなんて、恐ろしいことです。どうぞボコ殴りにしてください。

しかし、世の中とはそんなもので誰しもがみんな大なり小なりイカれたものを抱えて暮らしを営んでいるのかもしれません。

からといって自分欲求正当化しようとも思いません。

承認正当性は得られないものとして、地雷系の女の子と付き合う方法をご存知の方、あるいは30代以上の地雷系の女の子はご一報くださいますと誠に幸甚です。

2025-10-24

anond:20251018225012

デートしよう、映画館の前に横断歩道あるから一緒に渡ろうという彼女に「ごめんおれ横断歩道渡れない」といってしまった元増田

デートしよう、映画館の前にすき焼き一緒にたべようという彼女に「ごめんおれ生卵自分割れない」と怯えた顔でいってしまった元増田

人格否定をうける>

<頭を床に打ち付ける> 

 

ふーん

で、オレ達は一体何をみせられたんだ?

若さゆえの鬱屈ってやつか

若さ故の鬱屈をみせびらかして娯楽になるのは碇シンジをつくりだした庵野監督からだとおもうぞ

楽しくも可哀想でもなくなんか……こう……

ま た か 

という気持ち 

なんかこだわり型の人(ゆるASDかな)が大学いけてもこういうとこで躓くケースって多いよね

まあ増田文学として磨き上げたら一銭にもならないブクマがもらえるかもな

本当の毒親

本当の毒親ってのは、外からはわからない。

怒鳴りもせず殴りもせず(少なくとも周囲から目立つほど過剰には)

表面上いかにも穏和で堂々として、しかも社交的に見える。

でも小さな子供がどんな相談をしても、「そんなことで悩んでるの面白いなあ」みたいな感想しか言わない。

子供問題に寄り添って共感を示したり手助けをするという脳の回路が存在しない。

そしてそれを「正しい大人の余裕」のように見せかける。

本人も心から信じているのかもしれない。

見えない負担子供に積み重なり、みんなこんなに辛いのかと不安と不信で人生鬱屈する。

正しいアドバイスを得られないので、普通の人が失敗しないところで失敗する。

すべて本人が足りないせいであるかのように扱われる。

ちゃんとした親なのに子供は何かおかしいとみんなに言われる。

ちゃんとした親が、ちゃんとした人間のふるまい方を子供に一切ヒントすら伝えてないとは誰も思わない。

 

宮部みゆきの『ソロモン偽証』にはそんな親が出てくる。

自分映画版しか見ていないので、原作から同じ描写なのかはわからない。

しかし少なくともこの世にはこの親のおぞましさを理解する人がいるんだと少しだけ救いになった。

毒親宮部みゆきファンだが、これが自分のことだとは全く気づいていない。

2025-10-14

anond:20251013195752

俺らインドア陰キャにはどうにも理解できないことだが、世の人々の中には「でかけることができない」だけで鬱屈してしまう奴らが結構いたらしい。

 

まあ他人鬱屈してほしいわけでもないので、しゃあないかなあという気がする。

2025-10-08

anond:20251008114241

おそらく心筋拡張増田のことでしょう。しかし、指摘者は誤認しているように思います。彼に見られるような鬱屈した攻撃性がありません。指摘者は全体の文の長さと一文の長さだけで判断しているかもしれません。

2025-10-06

映画カマキリを見た

全然情報なく見始めたんだけど、殺し屋企業化されていて~大手が仕切ってて~という説明から始まって「ふーん、だいぶ昔に見たキル・ボクスンみたいな話やなぁ」と思って見てたらキル・ボクスンの名前が出てきてスピンオフやないか!となった。

 

点数は甘くつけて57点くらい。

2時間退屈はしないけどすげーよかったって感じもなく。アクションも正直退屈な部類だった。

まぁ最近アクションの質がインフレしてるからね、しょうがいね

 

それでもいい点はアクションを頑張っているところで、悪い点はぼやけたテーマ性と今となっては凡庸な設定。

殺し屋企業説という設定自体面白みはあるものの、そもそも2年前の映画のキル・ボクスンのスピンオフなのでこっちとしては「知ってるよ」となるので面白みが減じられている。前回はトップ企業のKM内部の話だったけど今回はその外の殺し屋中小企業殺し屋MBO的な話になっていて、より「殺し屋はつらいよ」味は増しているが、コント殺し屋普通企業だったら」の拡張版でしかないし。

今回のテーマとして「才能の残酷さ」が掲げられていて、実力至上主義教室で傍に圧倒的な才能を持つトップがいたら私たちうなっちゃうの~~!?という話が世代を超えて語られる。

1組は前世代で最強殺し屋(だったがボクスンに殺害された)のKMトップと、その二番手だったが才能の差が認められず決闘を挑み破れて業界を去ったトッコ爺。

もう1組はトッコ爺の弟子KM練習生だったカマキリジェイKM正社員への昇格戦でジェイカマキリに僅差で勝利するも上層部カマキリジェイの才能の差を見切りカマキリを昇格させ、ジェイにはKMを去るように諭す。

これは「圧倒的才能の傍にいる事の辛さ」を身にしみて感じていたトッコ爺なりの優しさであったと考えられるが、ジェイは心の中ではカマキリを恨み、カマキリは才能ゆえにそれが理解できない。ジェイKMを去った後自分起業するもKMの締め上げを食らって廃業カマキリKMへの暗い思いを募らせる。

ジェイに恋心を抱くカマキリKMを去ってジェイ会社を興すが結局「カマキリトップ自分が2番手であることへの鬱屈が爆発、ジェイカマキリの元を去り、なんやかんやあって軽薄なテック企業の元、新しい殺し屋企業を立ち上げ自分を追い出したトッコトップに立ったKM破壊するために暗躍を始める。

最終的にカマキリジェイは反目しながらも最終的には協力してトッコ爺を殺して、ジェイトップがいなくなったKMを買収して潰し、テック企業トップカマキリに殺しを依頼して終わる。

トッコカマキリに負けるのは「才能で負けていたから」としか思えないし、ジェイカマキリを認めるのも正直よくわからない。これも見方によってはトッコを圧倒したカマキリを見て「あ、才能ってあるんや。この話はこれでおしまい!」みたいな感じになっちゃってるのがすげーモヤモヤする。結局「才能あるやつが最強」って話なの?

もちろん最終的にジェイは新企業社長としてKMを買収するっていう「本来しかったものとは違う才能=プレイヤーではなくマネジメントの才能」を開花させたと思われる結末を迎えるわけだけど、でもテック企業の超財力って後ろ盾があっての話だしなぁとやっぱりモヤモヤそもそも過程にそんな描写なかったし。

もろちん「KM追い出されて自分起業したけどKMに潰された」ことの意趣返しなのはわかるけど、でもだったら、そこは独力でやんないと意趣返しになんなくない?

ここもすげー惜しいんだけどテック企業トップは単なる感じが悪い成金ボンボンしかなくて、KM敵対する同期が弱い。トッコのところに(多分KMの買収に)行って断られて怒ってるって話だけど、普通はそうなるだろ。

これが例えばボンボン自身も「エンジニアとして絶対に勝てない相手がいたけど金稼ぎの才能は自分のほうがあったのでそいつテック企業を金で潰して業界トップになった」みたいな「本当は勝ちたい才能では勝てなかったけど別の方法相手を潰してしまたことで歪んだ」みたいな設定にしとけばより最後の展開に深みを遺したのになと思わんでもない。

ボンボンと同じ道を進んだと思われたジェイだけど、才能を認めたカマキリボンボンを殺させることで自分はその道を進まないと意思を示した、みたいな。

 

この辺をちゃんと整理して描けてればアクション以外でも見るべきところができてもうちょっと面白い」と思えたのに。

そもそもこの「圧倒的な才能をもつトップとそれに嫉妬し認められず離反する二番手」という話自体手あかまみれだし。見ててなんかすげーNARUTOを思い出してたわ。

よかったアクションも近年で言えば「ジョン・ウィック」「イコライザー」、日本でも「ベイビーわるきゅーれ」と異種格闘系本格アクションの深掘りが進んでいる中、「普通にいい」程度のアクション(それでも普通にはよかった)に、ガバガバストーリーを添えてお出しされてもちょっとしんどい感じはした。

2025-10-01

秋冬も元気な人が羨ましい

よくある話だが、進学先が北陸で、在学中のある年に冬季鬱(季節性情動障害)になった。それに関しては治療というか、医者方針睡眠リズムだけ整えながら自然治癒をした。要するに春を待った。

それからは秋めいて来たら朝は決まった時間日光を浴び、サプリでもビタミンDを摂るように注意するなどしておそらく回避しているが、毎年お盆を過ぎた頃に空気が秋めくとゾッとする。バナナナッツなどセロトニンが作られ易いとされる物をなるべく食べている。アボカドは高い。

明確に冬季鬱になる以前も、自分は秋冬が苦手だった。それは寒さが苦痛なせいだと思い込んでいたけど、何もうまくいかず全体的に行き詰まっていくような感覚があり鬱屈としていた。小学生の頃にはそれを言葉にして友人や家族に話していた覚えがある。

一度冬季鬱になってからは余計、涼しさや寒さを直接寂しさとして感じるようになった気がする。

頭の上にガツンと絶望感のようなのムードが乗っかっていて、世界が閉塞していく予感がする。切なさで情緒がぐちゃぐちゃっと乱れそうになる。

子供の頃も寒い季節が好きだと言って元気になる友達を見て、確かに夏より体は楽だが、こんなに暗くて悲しいのにどうして明るくいられるんだろうと思っていた。

人よりビタミンDセロトニンが生成されにくい体質などがあるのだろうか。日本人の6割はセロトニントランスポーターのs型とか聞くし

関係あるかわからないけど子供の頃はほとんどをスタジオ撮影してるっぽい番組を見るのも苦手だった。照明で明るい場所になっているけど本来暗い室内なんだろうな…というのを見ていると何故か落ち込んでしまってダメだった。天てれとか。それはさすがに徐々に気にならなくなったけど。

2025-09-30

anond:20250930180049

そういうのを見てると俺も何かやらなきゃな~とは思うんだけど、めんどくささが結局勝っちゃうんだよね。

あなたのためになにかするのめんどいです、という人はまずモテない

他人コストをかけない人はよほど光る人じゃないとまず魅力が下がる

逆にいうとそれができる、やろうとするだけでモテ可能性は高まる

発達障害持ちの非モテアラサー素人童貞なんだけど、俺以上のスペックの人たちが彼女作るのに四苦八苦してる時点で俺にはダメそうだし、やるべきことを見てるだけでめんどくせ~だり~ってなって読むのをやめてしまう。

自身ぶっちゃけ「若くてかわいくてエロい女の子とヤりたい」程度で止まってるから恋愛結婚もノーサンキューではあるんだけども、この頃の増田のアレコレを見てると恋愛くらいはした方が後悔しないのかなあとか悩んじゃうのも事実

→めんどくせ〜だり〜で読まないし行動もしない

若くて(これはまず無理、現実理解してない)かわいくてエロい女の子とやりたい は 恋愛じゃないのはわかってて、ノーサンキューかいいつつしたほうがいいのかなあと悩み、何もしない

モテる要素あるか?

ただ俺が頑張ったところで出来る彼女は中高年の性格も外見も難ありの障害者女性だろうし、それすら分相応ではないかもしれない。

→なぜかわからんが分相応ではないかもと言いつつ基本上から目線

常に人をジャッジする癖がついてない?

あと外見や属性にこだわりすぎ

それなら画面の向こうの性的消費コンテンツ幻想に溺れさせてくれた方がマシかもしれない。

→これは別にいいと思う

ただ行動したくない・楽したいを追求した結果なら、やはりモテ可能性低いと言わざるを得ない

勉強しないで東大受かりたーいと言われても

そもそも彼女が出来たところで、他者と上手く関われない人間にとってそれが本当にいいことなのか?

とか考えちゃう

→行動して経験してないか

考えるだけでやっぱり動かない

動いてみれば自分なりに結論も出る

これについては恋愛結婚を望む増田諸兄や非モテ発破をかける増田諸兄にもしっかり思案してもらった方がいいと思う。

→みんな恋愛経験してる人は通過してきて自分なりの結論を出してる内容

経験が圧倒的に足りない、つまり行動が足りない

こんなところかなあ

ちなみに俺は別にモテ必要はないと思ってるしモテなきゃいけないとか容姿が悪い奴が悪とも思ってない

誰かと無理して付き合わなくてもいいと思ってる

ただモテたいのに行動できない奴がその鬱屈した気持ち他人下げして解消しようとするのはどうかと思う

(これはあなたのことではないよ)

2025-09-27

ソープへ行け

で解消しそうなやついるの本当面白いよな

案ずるより産むが易い、つまり悩む暇があったら吉原で3万円生中出しやってこいってことだよ

なんでイかないんだろうね。女性嫌悪鬱屈オナニーにハマりすぎてる?

2025-09-26

猫猫やレゼに憧れそれを自認する女を、キリトクラウドに憧れそれを名乗る男を、馬鹿にするなよ

別にいいだろうが別に、好きなものに憧れ同一視したり、それになりきっても

最近はずーーっと、そういう人たちを冷笑して馬鹿にするのばかり

お前たちもほとんどがガキの頃にプリキュア特撮ヒーローもっとガキの頃にアンパンマンかに憧れただろうが

痛いことだとしても、自己形成の為にそれらは必要なんだ、いつか痛いとか寒いとか気付いて大人になる為に、もしくは気にせずに続けて自分を貫くためにな

でもお前ら、その姿を嘲り笑って馬鹿にしていじめてるよな?

お陰で自己表現できなくなっちゃった人が増えたよ?人の目を気にして、鬱屈とした思いで周りをうかがう感じのな


自らを鼓舞するために「俺は(私は)◯◯だ、だから大丈夫」と思うことを、寄辺が無くて折れそうな心を「◯◯だから気にしない、だって◯◯はそんな事効かないから!」って勇気づけることを

バカにしてんじゃねえよ

2025-09-14

鬱屈高校生だった頃

今日、中高の同期と久しぶりに遊んだ

そいつ卒業後数年経った今でも連絡が途切れていない、かつ高校時代(自分にとっては)かなり親交の深かった、数少ない人間のひとりである。ありがたい。

ひたすら飯食ってだべってとても楽しかった。


ふと、共通の友人のインスタの話題になった。

そこには卒業式の時のキラキラとした投稿がピン留めされている。


「え、お前写ってるじゃん、いいなー俺この時めっちゃ病んでたか写真とか1枚も残ってないわ」

「草、別に僕も病んでたよ、ただ友達といるのが楽しかっただけで」

ちなみに俺のメンタルがどのくらいやばかったかというと、卒アル10年後の自分へのメッセージを書こうコーナーに「生きてる?」と書くレベル。恥ずかしすぎて発狂ものである


そんなこんなで中高6年間の話題になった。

特に高校の時なんて、デフォルト精神やられていた。

受験してこの学校に入ってお互い友人には恵まれたけど、失ったもの(キラキラした青春一般常識精神衛生)や代償(歪んだ学歴観、若干の異性不信)がデカすぎると言い合ってやけに盛り上がった。


改めて思い返すと、高校時代記憶で真っ先に思い浮かぶのが「病んでたなあ」「受験やばかったなあ」だし、何ならそれ以外の記憶が朧げである

世間では「青春」と言われ、人生で最も楽しい時期とされるが、自分にとってはただただ終わりの見えない鬱屈とした箱庭の日々だった。おまけに自分自身についての理解も及ばなかったし。


それでもどうして卒業できたんだろうと考えると、やはり今日遊んだ奴のような数少ない友人が偉大だったのと、あとやっぱり自分場合は恋だったのかなと思う。


別学だったけど、かれこれ5年くらいクラスメート片想いをしていた。(今日会った友人ではない)

告白も進展もクソもねえような、誰にも言わない完全自己完結型恋愛(なのか?)だったし、正直自覚してしばらくはアイデンティティクライシス方面精神崩壊してたけど、高校生になり受験足音が近づき学校生活全体が鬱々としていく中においては、何も起こらない、ある意味凪いだ穏やかな恋情こそが通学の原動力で、心の支えだったのかもしれない。


あの頃は、廊下ですれ違うとか、校庭で遊んでるのを見かけるだけでテンションが上がっていた。今覚えばチョロかった。

2025-09-13

「恋」

アニメやらエロゲやらにどっぷり浸かっていた青春時代

心のなかではきっと彼女欲しいとかセックスしたいとかでも現実の女はクソまじビッチ死ねとか、まあある種こういった人種特有(といっていいのか分かりませんが)の鬱屈とした感情を抱えつつもいろいろ否定して生きてきた。

からなのか、恋というものが解らなかった。本質として。

いやまあ話の中ではよく見るし切ないって感情も解ってたつもりだったけどね。体験してみると違うもんだ。

キモいけど自分かわいくてしょうがない傷つきたくないATフィールドばりの鉄壁を張り巡らしていた自分だったけど、それをぶちこわす奴がいた。

バイト先の後輩だった。

毎日LINEするようになって、一日100メッセを超えたあたりかなあ。

毎日バイトの送り迎えするようになってからかなあ。

ふたり雪合戦したときかなあ。

呑み行ったときかなあ。

バレンタイン手作り貰ったときかなあ。

俺がバイトやめるとき、泣いてくれたときかなあ。

俺にはちょっと分かんないけど、気づいたら好きになってたなあ。

最初はそうでもなかったけど、ほんと可愛く見えてしょうがないよね。話するのとか楽しくてしょうがないし。

いつでも会いたくなるってのもわかる。LINEの返信が返ってこないと不安しょうがない。

夜寝る前に必ず彼女のことを考えてたなあ。夢に出てこられると会うとき恥ずかしいよね。

でも、彼氏いたんだよね。まあ最初からなんだけど。知ってたけど。

彼氏いるっていう前提での友人だったけど、でもおかしいよね。

なんで彼氏いんのに毎日LINE送ってくんのかな。おはようからおやすみまで

なんで送ってけっていつも言うの。好きだといか気楽に言わないでよ。

だいたい夜中に電話って卑怯じゃない?寂しいとか、ただ声が聞きたかったとか。

そんなん、俺のこと好きなんじゃないの。気にかけてくれてるんじゃないの。

からまあ、望みはあんのかなーって思ってた。

ばかだよね。そんなんあるはずないのに。

・・・友達はやっぱり友達だったみたい。

境界線ってどこにあんのかな。俺分かんないよ。

女友達にこの話したら、「ただ遊ばれてるだけだったんじゃない?キープ的な?」ことを言われた。

あほんとそのとおりかもね。いや何もしてないけど。

でもその子、間違いなく自覚ないんだよなあ。まあ自覚いからこそ厄介、って話なんだけど。

あーつらいなあ。しにたいなあ。

まあ前に比べると随分気持ちも落ち着いて楽になったんだけどね。

でもこれだけは言いたいんだけど、「恋」という感情を知れたことにはすごい感謝してる。

自分にもこんな感情があったんだ、こんな気持ちになるんだ。

少し、人間に近づいた気がした。

しかし今でもLINEはくるし、独り暮らし我が家にも遊びにきやがる。何考えてるんだろう。

2025-09-09

anond:20250909055749

本当は共学に通いたかったが己の愚かさのせいで仕方なく選択している底辺男子校鬱屈さをしらない

常に女を夢想をするが底辺民ゆえに何も行動せず

学園祭体育祭は異性の目が無いから何も動機を付けられず

三年間を無気力にやり過ごす

その先は文系なのに男だらけのFラン大学

そして文系ITエンジニアとして採用される似たような男だからけの職場

ずっと無気力な男の集団のひとりのまま

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-08-20

最近炎上させようさせようって空気、何が原因だと思う?

最近だと2021年オリンピックの時が、一番ネットが酷かった記憶がある。

しかしあれは、こんな時にアメリカの言いなりでオリンピックなんかやるなや!という政府への批判

加えてコロナ禍での鬱屈とした怒りが溜まっていた、というのがある。

現在コロナ騒ぎも落ち着いたし、何か大きな災害が起きたわけでもない。

一体何が原因なのだろう?

2025-08-15

田舎中学校にいた美術教師が生徒みんなを見下してて嫌われてたの思い出した

「こんな美術の美の字もない田舎で…」

って鬱屈してたのかもな

2025-08-08

性欲は社会的悪になったのか

注目されていた増田を読んで、まずまとめ方が雑じゃね?と思ったのだった。

子どもたちと性について話してると、「いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

性欲を出さないようにする→性欲を「どこに」向かって出すのか、というのが書いてないから、子供増田が何に鬱屈しているのかが具体的に想起しにくい。

最小範囲を考えたときには、「自分の性欲を自分自覚する」も「性欲を出す(自覚する)だと思うが、性欲を自覚すること自体を悪だとする人はかなり少数だろうと思う。

一方で、最大範囲を考えたときに「性欲をいつでもどこでも発露してオッケー」とする者も、同じように少数だろう。

中ぐらいのレンジを考えてみよう。これもまたもう少し整理が必要だと思うので思考の整理棚を用意する。性欲の発露・それを阻害するモラル相克するタイミングがいつ来るか(シチュエーション)、どの程度の負荷で(グラデーション)訪れるか、という「整理棚」で状況を想像してみる。

例えば友達エロ話をするというシチュエーション教室(職場等も可)で大声で、またはひそひそと。またはニヤニヤとエロ話をする。内容も、羞恥する二股大根画像から、昨日見ネットエロイラスト動画同級生についての品定め(でかいか小さいとかやりたいとかやりたくないとか)とか色々なグラデーションがある。

また例えば恋愛や、彼女彼氏関係というシチュエーションもある。楽しくセックスする~むりやりやろうとする。好きな人へのアプローチにおいても、ほのかコミュニケーションから乱暴コミュニケーション犯罪になるコミュニケーションまで広いグラデーションがある。

このように、色んなシチュエーションと、それぞれのシチュエーションごとにグラデーションがあると思うが、このあたりは、この20年ぐらいではそれほど社会閾値は変わってないし、むしろ社会現象としては緩くなっていると思うのだ。

それこそ昭和は婚前交渉がインモラルとする界隈もそれほど奇異ではなかったらしいし、平成の中期ぐらいまではデキ婚咎められ得る界隈があった。一度穿いたパンツを売ったり、売春をする素人も当たり前にいる現代の方がずっと開放的。かなりきわどくエロコンテンツは、昔は結構ちゃん大人が出入りするような場所で購入・レンタルするしかなかったが、今はネットで気軽にみられる。昔よりずっと開放的。そしてそういうコンテンツ男性けが多かったもの女性向けも出ている。十分開放的だと思う。

元の増田の冒頭の言葉に戻ろう

いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

『出さないか』『モラル』については前述のとおり、そんなに大きく変化していないと思うので、むしろ「そりゃあるさ、だからコントロールしようぜお互い」と定義できる方が鬱々する余地は減ると思うのだ。

一方で、そのコントロールのしかたについてが難しい。そして、確かにそのコントロールに関する情報の伝達ルート情報の質が異なってきているような気はするのだ。

『抑えるか』についての適切な情報自慰をする、猥談するなら適切な場で適切な人と、など)を子供が得られていないとしたら、割と問題だなと思う。

増田中年なので、そういうのは近所のちょっとエロ友達や、お兄さんやお姉さんがニヤニヤしながら教えてくれたり、あとはTV深夜番組などでほへーと思ったりしていた。確かにこのチャネル現在は少なくなっていそうだ。トゥナイトⅡとかギルガメッシュナイトがあればいいんだろうか。タモリ倶楽部の尻タイトルも今やない。したがって、何なら親がサポートしていいところかもしれない(増田中年なのでそれはキモいなと思うが、なんせ少子化だし子供だけのコミュニティエロ情報をやり取りできる余地が少なそうだ)

とこのように、「コントロール教育される現実の場」がないのでは、と仮説した上で、これはあんま良くないのではと思うのは、「現実アジャストできるような性欲制御イメージ」が錬成されない状態で、成熟した我々の社会で先人が既に研ぎ澄ましてきたエロが練り込まれコンテンツがどんどん供給されていくということだ。

アニメ漫画イラストで、それぞれ細分化された性癖に寄せカリカチュアデフォルメされたエロが消費できる。己の足元の(というか股間の)を現実制御するという意識の成長速度を超えて、先人の大人たちの試行錯誤結晶として整理され産み出されて続けるエロコンテンツ比較的容易に手に入れられる。そこに現実との矛盾が生じ鬱屈が生まれるんでは。

でもまぁ、こんなのはAV簡単レンタルできる時代になった昭和後期以降にも、さんざん言われていたことではあるのだ。「AVセックス現実とは違う。若者がだめになる」「そんな恋愛ドラマみたいな人生普通ねえよ」みたいな文脈。これは酷くアホらしい封殺だと思う。

なので、ここでは「若者がだめになる」原因として、コンテンツの中身や仕組みではなく構造だという視点を加えてみたい。つまり「先人が耕した広大で肥沃なエロ台地」の前で、自分の性欲と向き合う気力が減衰するというか…自分の中でエロに向き合い探索していくことによって得られる「自分」と「自分エロ」との影が重なる部分を探す楽しみが減衰するようなことがあるのでは、と思うのだ。乳袋の描き方の種類を画像検索して並べて見て分析できるようになってしまった現在の、そういう先人オタクの探索心が仇になるというケースというか…すでに誰かが整理された「欲」を目の前にして現実感がなくなるという感情はたまに思う時がある。

若者の性欲を中高年が先食いしてるんじゃねえかなというか…まぁこの辺はあんまりからないまま思考暴走している・・・すまん。

なので最後の『嫉妬気持ちコントロールする」』の唐突感について述べておこうと思う。

これは性欲文脈で語るべき話ではないと思う。恋愛または交際文脈である。もちろん、一般的な人にとっては、恋愛の周囲をぐるりと性欲が取り囲んでいるようなものではあるので無関係ではないのだが、性欲にまつわる抑圧と、嫉妬という抑圧はかなり違うジャンル感情だと思う。

実はこの部分が一番突っ込みたかったところだった。すげー雑なまとめ方をしてんじゃねーよ。

anond:20250807181314

ひねくれ者の声が大きくなり過ぎて社会鬱屈としてきてるよな

2025-07-31

ネタバレ注意】ジャンププラスの「次にくるマンガ大賞ノミネート作品を読んだ感想

※先日某所に投稿した感想の再掲です

※(注)作品ネタバレが含まれます

以前一挙無料公開していた時順番に読んだよ!

ノミネートされていた作品全てを読んだ訳じゃなくてジャンルが偏ってるのは許してね!

ケントゥリア

ジャンプ系では珍しいダーク・ファンタジー物の作品

人外存在デザインベルセルクの、

擬音や画風はドリフターズの影響が大きそうだなって読んでて思った。

能力バトル物要素がある作品でもあるけど、もう一人の主人公存在ルーカスが登場する32話あたりからどんどん面白くなっていったと感じた。

妊婦さんと子どもを守るために善良な100人奴隷達がクソッタレ悪党どもに虐殺されて…

って1話の展開が大分脱落ポイントっぽく感じた…俺はつらい耐えられない

ちなみに作者の暗森透先生藤本タツキ先生アシスタントだったらしい。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371852950440097

MAD

絵柄が呪術廻戦とチェンソーマンの影響を強く受けてると感じる漫画

この漫画がどこから面白くなるかと言えばやはり鬱屈を溜めに溜めてから解き放つ13話だと思う。

この回の読者が感じるカタルシスジャンププラス史でもトップクラスではなかろうか?

13話以前も「この漫画次はどうなるんだ…!?続きは!?」と思わせてくれる2話の引きも最高だった。

13話以前は主人公いじめパートが長い、何で主人公じゃなくて胸糞悪い敵パートの話を長々読まなきゃいけないんだろう…と思いながら読んでいた。

13話からめっちゃ面白くなるけど、それ以前に俺はつらい耐えられない…って離脱する人も多いかも…

改めて読み返したけど、5話のラストから6〜12話まで主人公ジョンが惨い目に遭うパート、敵パートヒロイン?が敵側のキャラに酷い目に遭わされるパートが続いて…改めて13話のカタルシスすげえや…

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371875032400936

英雄機関

ロボット活躍をメインテーマにした漫画

ロボ漫画ってガンダムみたいな原作有りの版権作品以外はラインバレルとかシドニアの騎士とかナイツマジックみたいな本当極一部の例外が居る以外ヒットしにくい困難なジャンルだけど頑張ってほしい…

画力が高くメカデザインもカッコ良いけどロボット物って本当に受けにくいから…

最初の方は主人公ではなくその父が物語主人公であるように見せていたけど、後追いだとその引っ掛け要素が無くなるのが勿体ない。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567255068949457

サンキューピッチ

ハイパーインフレーションショタ要素や頭脳戦要素が好きだった人なら楽しめると思う。

とにかく理屈重視な話作り、性的に描かれまくるショタ巨女性癖

あたりの作風が前作ハイパーインフレーションの時から健在で凄え住吉先生全然変わってねえ…!と思わされる

野球漫画界のハンターハンターか!ってくらい文字数が…文字数が多い…!

野球ルールを一切知らない人や女性読者でも楽しめるようにルール説明キャラの配置を意識して工夫してるなあ…って感じた

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567254627463963

ドラマクイン

チェンソーマンというか藤本タツキの影響デカいんだろうなーって読んでて思った漫画

ほんのちょっぴりバトル要素があるけど荒事担当主人公北見が強すぎてバトルが成立しない、

そもそも戦闘がばっさりカットされて描かれない所にファイアパンチ味を感じる…

主人公ノマモトはポチタという友達が居なかったデンジくんはこうなっていたのかな…というキャラに見えた。

題材的にそこまで長期連載にならないんじゃないかな…?と思ってるけど先が読めない漫画

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567261425734624

以上です

どの漫画も何かの拍子に跳ねて大ヒット飛ばしそうで楽しみ!

ちなみにここに紹介した以外にもジャンププラスからは多数の作品ノミネートされていてどれも面白そうだよ!

https://sp.shonenjump.com/p/sp/2506/tsuginikurumanga2025/

2025-07-30

十代の鬱屈や反骨といった精神の、インターネットによる発露が見られなくなった

40歳の俺が15歳でインターネットデビューした頃は、

メンヘラだろうがそうでなかろうが、ポエムや作文で社会に対する不条理理不尽表現し叫んでいた若者が多く居た

それが今の時代まったく見られないのは何故だろうか?

Xで死にたいとか病み垢だとか具体的な内容のないまま繋がりを求めたり、

TikTokやInstaで承認欲求を満たして解決しているように見える。


今の彼らに我々の若かった頃の思春期特有の「納得いかなさ」の表現がないのは何故?どう処理している?

2025-07-29

anond:20250729202444

百合ネタにして擦るの本人の抱えてる鬱屈分析して問題点示唆してあげるムーヴだと思ったけど速攻で不謹慎厨に怒られてしまったな

家庭環境の背景とか特性っぽさとか作品ファン嫌悪感とないまぜになりながら出口を探ろうとしてる様子は趣がある

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん