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はてなキーワード: コンクールとは

2024-12-11

ともだちが全アになった

まず、タイトルの内容について訂正がある。

「ともだち」ではなく「悪しからず思っていたが友人を名乗るにはいまいち交流が足りない他人」、「全ア」ではなく「初めての彼氏に浮かれてTPOをわきまえず痛いイチャつき方をしてしまう女オタクである。あの子は私に何か思うところがあるわけでもないし、エッセイ漫画を描いているわけでもない。「ともだち」の痛々しさを記している増田ではなく、自身の見苦しさを書いた日記であることを事前にばらしておく。

スペックうpという心づもりで、私とあの子とあの子彼氏について。

まず、私と彼らは勉学真っ盛りといった様子の冬の高校3年生だ。私についての説明は以下に書くことで伝わると思ったので省略する。

の子美術部の同期だ。とても可愛い子だと思っていたが、彼氏ができてからは私の見る目が変わってしまい、魚のような口もエラの張った輪郭も垢抜けない制服アレンジもどうにも受け付けない。ただ、絵が年齢に見合わないほど上手で、声が愛くるしいことだけは認めるしかなかった。

の子彼氏は、この先一生磨かれないであろう原石とでもいうような顔つきで、清潔感は感じないが不細工と切り捨てるにも難しい容姿だった。それよりも中身が気色悪い男で、学タブで前のめりになりながらアイド◯マスターの曲を聞き、鼻息荒く女の肋骨大根をすりおろすゲームに勤しむ、常識の欠落したポルノ中毒(こいつの上着ポケットからは際どいBL文庫本が出てくる)のオタク男だった。そんなオタク女とオタク男が付き合った。まぁ納得である

もちろん私に友人らしい友人はいない。私は女版チー牛というか、ほんの少し言葉を交わした全ての人に恋lv.1みたいな感情を抱いてしまうので、あの子彼氏ができたと気づいた時はショックだった。唯一の友達候補を嫌いな男に取られたことも、当たり前だが私になんの報告もなかったということも私の心に影を落とした。ただ、これはBSS一言で片付くような苦悩ではなかった。

一ヶ月前、あの子彼氏距離感が急に縮まった。一線を超えでもしたんだろう。あの子廊下で男と話しているだけでも頭を掻きむしって逃げたくなるというのに、同じ教室休み時間のたびにバックハグだとか見つめ合って指を絡ませるだとかのハレンチ行為をされてはたまったものではない。あまりに恥ずかしげもなく毎日のように学校デートをするさまは、もちろんのことクラスで浮き、大っぴらに悪口を言うものはいないが誰しも彼らから目を逸らすようになった。元から誰と付き合っているわけでもないのに、1年間半保健室登校をやっていたというだけで誰しもから目を逸らされている私はいっそう苦しくなった。クラスメイトにカテゴライズさせると、私は彼らと同じ枠なのである。たまったものではない。

彼らのイチャつきが激化してしばらくした頃、くじ引き式の席替えがあった。ご想像のとおり彼らは隣同士の席を手に入れ、私はそのすぐ後ろに配置された。今日も男があの子の腹を揉んだ手からプリントを受け取っている。男があの子を膝に乗せているのを目に入れたくなくてうつ伏せで寝たふりを決め込んだところで、摂取しなくては摂取しなくてはと宣いあの子頭皮匂いを嗅ぐ男と、きゃあと笑うあの子の声は耳に入ってくる。ああっあっあっと絶頂するかのような声をあげて男が彼女ストールを嗅いでいる。同じひざ掛けにくるまって左右に揺れている。あの子の前歯が飛び出た口に手荒れした指で触れている。私が一体何をしたというのか。あまりグロテスクだ。

絵に真摯に向き合いコンクールにも優勝する、誰より尊敬していて友達になりたかったあの子が、品性下劣な男に巻き込まれて鼻つまみ物にされるのが耐えられないといえば一見まともらしい。しかしそれ以上に嫌悪嫉妬が勝り、行動に結びつかない物騒な単語脳裏によぎることが増えた。保健室登校時代もこんな精神状態をしていた。確かに私の精神は参っていたが、前の席のバカップルが痛くて見苦しいので学校を休ませてくださいなどと言えるはずもなく、帰りのSHが終わったら真っ先にカバンを引っ掴んで早歩きで家に帰ることしかできない。

帰宅して空気の籠もった子供部屋に転がり込んだあとは、ハード同人音声を求めて浪費を続けた。18歳になったばかりだが、私もポルノ中毒に違いなかった。

2024-12-10

典型的リア充既婚者の休日生活

7:00 起床 閑静な住宅街を犬(ブランド犬)の散歩→近所に(○○さんの旦那さんカッコいいという噂)

8:00 美人妻の美味しい朝食を家族で食べる→(高級旅館の朝食の出来栄え

10:00 コストコイケアショッピング

12:00 一等地レストランランチ

13:00 イオンシネマ映画鑑賞

15:00 三男のリトルリーグ試合観戦

16:00 長女のピアノコンクール鑑賞

18:00 カフェで妻とまったり

19:00 家族に得意料理ステーキ)を振舞う→家族全員から大絶賛

20:00 家族マリオカート大会Wii U

22:00 テラスで妻と酒飲み 

24:00 ダブルベッドで就寝

2024-12-07

anond:20241207180905

本質的に、知識の量や質 自体よりも、その知識を柔軟に、状況に応じて再構成し、適用する能力の方が遥かに重要なので、

表層的なデータを整理もしないで目的も無しに詰め込むよりは、もういっそ興味あること楽しいことだけ詰め込むで良いと思うよ

幸いなことに日本先進国通貨も強いからそれでも生きてける

 

自分の暗記力が不当な評価を受けている気がするなら、世の中には暗記コンクールみたいなのもある。それに出てみるのもいいんじゃないだろうか

語学でとりあえず通じる以上を目指すなら、単語力って無視できないと思うので、ネイティブでも知らない言葉を知ってる僕私とかもいいんじゃないか?

2024-12-03

[]

一方的に発表できる個展はするが」

正式に裁きを受けるコンペやコンクールは身の程知るのが怖いから出ず…」

馴れ合いの中で自分が才能あるア~チストだと錯覚していく…」

2024-12-01

anond:20241130082718

ダンスコンクールに参加するといった趣味活動金銭的日程的に支援する会社に勤める、みたいな働き方改革の話ではなかった

2024-11-26

anond:20241126192239

フェドとか、キエフとか、やっと見つけたコンクールコンディションのレア物だったら、コレクターならそれこそ抱えて寝るくらいの愛着はあるやろー

2024-11-21

anond:20241121004956

仕事で伝わる程度の絵(10代半ばのまあまあ上手い子くらい)になりたいなら

お茶美(美術予備校)が出してる一般向け初心者用の美術教本『ロジカルデッサンシリーズ買って勉強しな

鉛筆と紙でちゃんと手を動かせって意味だぞ、読むだけじゃ駄目だ

継続しろよ、スポーツと同じで描き続けないとすぐ力が落ちる(特に大人から始めた奴は)

 

増田の到達したい「上手い」のレベルが明確に書かれていないから、これくらいしか言えん

ちなみに俺のレベルは、幼稚園の頃からコンクールは常に金賞か最高賞、学校で一番上手い枠を経て藝大(説得力根拠として書いておく)

2024-11-15

百合好き女オタク人生絶望した話

私は百合好きの女オタクで、自分でも百合作品を描いてXやpixiv最近だとBlueskyやXfolio)に投稿している。私は昔から男に興味を持てず、ずっと肩身の狭さや生きづらさを感じてきた。

子供の頃

私は子供の頃から女の子を描くのが好きで、毎日のようにコピー用紙オリジナル衣装女の子を描いてたのを覚えている。たまに母や妹を描いてプレゼントしたりしていた。その頃は絵が下手で、必ず片目をウィンクさせてホームベースみたいな輪郭を気に入って描いていた(そして最近、昔プレゼントした絵を妹から見せられて下手すぎて悶絶した)。

そして小学校高学年になって、なぜか今更プリキュアにハマる。子供の頃から逆張り気質があったようで、みんなが好きなものを好きなのはダサいプリキュアが好きなんて子供っぽいと子供のくせに思っていた。でも高学年になったら一周回って恥ずかしくなくなったのだ。そしてそのとき、初めて二次創作し始める。高学年とはいえ小学生なのでプリキュアキャラのしょうもないわちゃわちゃを描いたゴミ漫画だったが、この頃から自分百合好きは始まったのだと思う。

地獄中学

そして中学生に上がり、美術部に入ったのだがそこは地獄だった。美術部には大きく分けて二種類の人間がいる。真剣に絵を描きたい子たち、そしてただ騒ぎたいだけのオタク女(腐女子)。私は前者だったが、うちの学校美術部は数人を除きほぼ後者だったのだ。私や他の真面目な生徒が真剣デッサンしたりコンクールイラストを描いてる中、腐女子たちはノート二次元イケメンキャラを描いてぎゃあぎゃあ大騒ぎ。クラスオタクグループにも腐女子や夢女子はいれど、百合好きはいなかったので孤独だった。オタク以外の女子K-POPアイドルジャニーズに夢中で、“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くできない、そんな空気があった。当時の私はこれがすごく辛かった。中学生になっても男に興味が持てず、昔からずっと可愛い女の子が好きだったからだ。昔は一緒に自由帳で女の子の絵を描いていたあの子も、いつしかキャラの絵ばかりようになっていた。保健の授業では、異性に興味を持つことが成長の証かのように教えられる。じゃあ私は成長してないってこと?と聞きたくなった。

そして今

今はSNSを通じて百合が好きな女性と繋がることができたので、孤独感は大分薄れた。でも、創作関連のサイトを見ていると同人女性はBL、男女、夢のいずれかに当てはまるという決めつけを感じてモヤっとしてしまう。やっぱり自分みたいに男に興味のない女は居場所がないのか…。子供の頃は男の子だと戦隊モノ仮面ライダーみたいなカッコイイ男が好きで、女の子だとプリキュアディズニープリンセスみたいな可愛くてキレイ女性が好きで、同性を好きなのがむしろ普通なのに、思春期になったらそれが逆転して男は可愛い女性が、女性はカッコイイ男を好きになってしまう。こう考えると生殖本能本来好きなものが歪められているように感じるのは私だけだろうか?

それと私みたいに“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くなれない空気迎合して、本当は大して男が好きじゃないのに、男が好きなふりをしているという女性も多いんじゃないかと思う。そういう人には、別に男が嫌いでもいいんだよと言いたい。私は自分人生に男は必要ないと思ってるし、それをおかしいとも思わない。

女性のための百合

同時に、百合というジャンルは男が性欲を満たすための道具ではなく、女性のためのものであってほしいと思ってる。最近SNSでも少しずつ百合作品投稿する女性が増えてきているのを感じる。でも、まだまだ「百合男性向け」というイメージは根強くて、性的なシーンを求めるコメントが付くこともある。実際、男作家女性キャラに男の性欲を投影したり、場合によっては男性器も生やして男女の恋愛セックスの真似事をさせている作品も多い。私が描きたいのは、女の子同士の純粋愛情や絆なのに…(もちろん性的百合を好きなレズビアンの方のことは否定しない)。

これから希望

最近は、SNSで「私も実は百合が好きでした」という告白を見かけることが増えた。そういう投稿を見るたびに、心の中でそっと手を振りたくなる。きっと私と同じように、周りに合わせて自分気持ちを隠してきた人たちなんだと思う。

これからは、もっと女性による女性のための百合作品が増えていってほしい。恋愛だけじゃなく、友情姉妹愛など、女性同士の絆を描いた作品ももっと見たい。そして何より「男が好きじゃない」という理由自分を責める必要なんてないということを、もっと多くの女性に知ってほしい。私は今でも可愛い女の子を描くことが大好きだ。そして、それは間違ったことじゃないと胸を張って言える。これは、あの頃の私に教えてあげたかった言葉でもある。

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

2024-11-09

倭姫宮和歌はそろそろ現実に目を向けて欲しい

一時名を馳せた(?)雅な名字を名乗る自称女性倭姫宮和歌」、今度は「司法試験に受かった」とかのたまう滅裂な展開に呆れてこのエントリを書いている。

結論だけはっきり言えば、彼女というか彼は承認欲求モンスター化してしまっている自分見直して、一旦SNSから足を洗った方がいい。

彼女の華々しい経歴(誤りがあれば指摘歓迎):

(垢名およびID変更前のMAU名義のものも同一人物と見なし、【MAU】と頭に付けて区別)

・中高で吹奏楽部所属コロナ禍が重なる

ジュニア打楽器コンクールで1位(金賞)

・【MAU2023年4月に藝大に現役合格。なので2004年まれ

ウィーン国立音大留学している名うてのサックス奏者

イギリスGTVを取得

現在日本一時帰国

・先の選挙で名簿に名前が無かったということでプチバズり

・令和6年司法試験合格←NEW!!

以下経歴ほか投稿突っ込み

※バズの発端となったクレカや、インタビューで添付された画像については一旦ノーコメント。それっぽい画像はいくらでも作れるだろうからそこから攻めるのは難しそう。記事msnアーカイブが残っているので参照

そもそもすっげぇ暇そう。鳴物入りで留学して束の間の休息にしては長く帰国しすぎでは?藝大生ってそんな遊び散らかすほど暇じゃないと思うんだけど

・暇そうだが6月に行われた藝大サックス専攻生のバンドにはオンステージしていない(ポスター名前がないし、MAUらしき人の顔写真もない)。ちょうど帰国期間と重なっている上にあんだけバズったら集客効果も高そうだが…

音楽関連は正直誰でも話せるようなふんわりした話題ばかりで、演奏動画演奏会の告知がない。バズり散らかした音楽家のくせして自分を売り込む気がないのは不自然。顔や手を見せないようにすればいくらでも演奏動画は出せるのに。

・管打楽器コンクールの受賞者として名前が出てこない。(「from:https://www.jmecps.or.jp "倭姫宮"」あるいは和歌でググっても出てこない)ただしこれは倭姫宮=MAU仮定した上でのものなので少し弱い

サックス自体写真はあげているので一応所持はしているはず。

英国グローバルタレントビザを取得したと6月ポスト。この取得には英国承認した機関からの推薦が主として必要とされるため、相当に名の知れた存在であることが伺える

・またツイートでは"Tier1 Global Talent visa"と表記しているが、実際には"Tier1(exceptional talent)"←おそらくこれを指しており、この区分は調べたところでは2020年廃止されている。

現在のTier1に当たるものはGlobal Talent Visaである。つまり投稿にある"Tier1 global〜"は新旧名称を無理矢理くっつけたようなもの。実際に取得している人間であれば既に名称が変わっていることを知っているだろうし、分かりやすくするため(=誰に対して?)合体して書いた、としても腑に落ちない。

そもそもウィーン国立音大留学?しているのにどういう経緯でイギリス就労ビザを取る必要があるんだろう?有識者回答求む。

輪島市中学校訪問し、メッセージカードをもらったとのこと(ポストは削除済みか)。バズってた珍しい名前の人!といったような反応があったらしい(子どもや親が誰かしら投稿しそうなものだが…真偽不明)。またメッセージカードの宛先、つまり倭姫宮と書かれているべき部分は写さなかった。

他にも色々突っ込みたい所は重箱の隅レベルだと掘れば掘るほど出てくるのだが…

 

そして今回の司法試験

ありえなくないか選挙の件といい、いくらなんでも設定や出来事を盛りすぎ。

だいたい設定の通りなら院行ける期間ない(MAU設定を抜きにしてもイギリス留学から一時帰国中の話だったじゃん…)上に、法科大学院出身者じゃないか受験資格満たしてないし…

仮に予備試験合格者なら珍しい名前に藝大の現役生ということも相まって相当デカニュースになるはず。

 

なお合格者名簿はすでに新聞紙に載っている。すでに倭姫宮でサーチして0件であることを確認されている方がいたが、設定上「倭姬󠄁宮」(姫が旧字体)なのでまだ弱いかも。「和歌」まで検索して(さすがに引っかからないと思うが…)載ってないやんけ!とリプして欲しかった(他力)。

追記:ここまで書いておいて調べませんでは格好がつかないので中国新聞デジタル契約して検索してきた(3000円、いい商売してるが昔は無料だったらしい)。やはり、「倭」の一字さえも引っ掛からなかった。「和歌」は引っかかるが、明らかに他の方の名字だったのでここでは言及しない。

 

バズりの快感が忘れられないのはもう分かったから、せめて嘘をつくのをやめろ。って言ってしまったら名前のものが嘘だろうから、彼のアイデンティティ喪失だよなぁ…どうすんだよこれ。変な取り巻きやチン騎士も沸いてるし…

追記:結局鍵垢作って引きこもることにしたようだ。見た時は10ちょっと(多分全員ネカマ欲情しているチン騎士だろう)のフォロワーしかおらず、見るも無惨な状態だった。虚しくなるだけだから辞めればいいのに。

 

 

一番最悪だけど妥当真相は、藝大は受かってなくて今までの全部想像イギリスウィーンには旅行に行っただけ…というくらいのオチか。さすがにそれだと救いがなさすぎる。

でもあれだけ注目されながら顔出し不要演奏音源すら出さなかったのは…やはりそういうことなのかなぁと邪推してしまう。

 

論拠の弱い部分などは指摘いただけると助かる。

最後に繰り返すが倭姫宮もといMAU氏は倭姫宮を演じることから脱して、素直に自分人生を生きて欲しい。戻れなくなる瀬戸際にいる自覚を持って欲しい。

2024-11-06

FINAL FANTASY史上最も重要な曲10

1.オープニング・テーマ シリーズ全般

まずはこれを挙げておくべきであろう。

2.ザナルカンドにて FINAL FANTASYX

聴けば様々な物語登場人物達の心情を思い出し号泣必須の超名曲

3.悠久の風 FINAL FANTASY

何年経っても色あせない、いや、時が経てば経つほど泣けるというのか。

素晴らしきメロディーライン、物悲しき8Bitの音源、何度聴いても心をかき乱される名曲

4.ビッグブリッジの死闘 FINAL FANTASYV

作曲者植松氏のロックミュージックへの想いが詰まっているのだろうか?

もちろんギルガメッシュというキャラクターの魅力も相まってファンの多い1曲である

5.片翼の天使 FINAL FANTASYVII

言わずと知れたセフィロス戦のBGM

高校時代エレクトーンコンクール演奏したが余りにも下手すぎて当時の先生に超怒られたという個人的な思い出がある。

6.仲間を求めて FINAL FANTASYVI

完全に個人的エピソードとなってしまい非常に申し訳ないが、中学生時代下校時にかかる音楽採用して欲しいと提案し、

見事採用され全校生徒に毎日聴かせていた・・・

7.Fisherman's Horizon FINAL FANTASY

いまだに忘れられないメロディーライン。曲全体の構成も素晴らしく、心を揺さぶ名曲

8.新しき世界 FINAL FANTASYV

転調を上手く組み込むなど曲そのものも素晴らしいが、不安希望など複雑に入り混じるキャラクター達の心情をこれまでかと表現している名曲

9.愛のテーマ FINAL FANTASY

どうやら最近音楽教科書掲載されたらしい。

やはり植松氏は哀愁漂う世界観を演出する曲作り天才なのではと思わずはいられない。

10.ティナのテーマ FINAL FANTASY

フィールド上のBGMだったので覚えている人も多いだろう。

最後どの曲を入れるか大変悩んだ上で、敢えて選ばせて頂いた。

あの暗く混沌とした世界観と、ティナというミステリアスキャラクター表現している非常に素晴らしい1曲と言える。

さて、FFシリーズ名曲の宝庫である

これを機に是非過去作品含めFFサウンドを聴き返して頂ける人が増えれば、という思いで書かせて頂いた。

プレリュードなど、選択したい曲はまだまだある。

是非、あなたお気に入りも教えて頂きたい。

ちなみにこちらの増田も書いているので興味のある方は是非。

https://anond.hatelabo.jp/20241102140715

2024-11-03

ちょっと待って!俺以外のSpotifyではDiscover Weeklyが機能してるの?!

一時期懐かしアニソン聞きまくってたら「おっ、こいつアニメオタクだろwwwウマ娘キャラソンでも聞かせとくかwwww」って状態になったんだけど?

毎週ひたすら拒否り続けて少しは減ってきたと思っても、「お前確かキャラソン好きだったよなwwwまたウマ娘キャラソン出てたから入れといたわwww」ってやってくるんだけど?

バーちゃん家でたまたま最初に出てきたお菓子が延々とそのあとも出続ける状態なんだけど?

まーくんはこれだしたらいつも美味しそうに食べるねえ・・・」って、そりゃよっぽど嫌いなものじゃなかったら出されたものは食うし美味いって言うよ。

でもそれは俺のバーチャンだから許してた話であって、Spotifyに「でもお前ウマ娘キャラソン入れたら毎回1番までは聞くじゃんwww」とか言われてもさ、そりゃお前出された曲は1番ぐらいまで聞いてから判断するのが礼儀からやってんだよ。

でも最後はいつも「やっぱウマ娘ラブライブは俺に合わねえな・・・」って非表示に入れてるのになんでずっと出し続けてくるんだよ。

「ゆーてかわいい系が苦手なだけでカッコイイ系ならウマ娘キャラソンも好きだろwww」みたいな感じでとにかく何でも試そうとするんじゃねえよ。

マジで機能してねえから

つうか俺が好きなのは最新のじゃなくて懐かし枠なんだけどなんで毎クールごとに「今季の新作アニメ主題歌でてたから入れといたぞwwww」みたいな顔して手当たり次第に進めてくるんだよ。

またコンクールも何曲も聞かせてきたけど現状でダンダダしか刺さったのねーよ。

いい加減コイツは俺の好みを理解して欲しいんだが?

皆はこの無間地獄になってないってマジ?

俺だけなのこの酷い状況?

2024-10-20

7時起床昨日妻が作った野菜スープウインナーで朝食。

食用チキントマト煮込み作る。

キャベツ半玉を切って鍋に入れる。

包丁まな板洗う。

モモ肉2枚をはさみで切りながら鍋に入れる。このとき使い捨て手袋を使うようになって、楽になった。

コンソメ2個、バター10グラムカットトマト1パック入れて蓋して弱火で1時間。途中で一回かき混ぜる。

仕上げにマジックソルト

今日は娘のピアノコンクールがある。妻に来るかと言われたけど断る。

昼飯の時間までスト6。

もう上達もしない。勝率40%でLP打ち止め。明らかに受けるストレスのほうが多いが惰性でやる。勝つまでやって勝ったら一旦終わる。

昼飯はチキン煮込みと野菜スープの残り。

チキン煮込みは食べるときに溶けるチーズ乗せる。

ホームセンターで有孔ボード買う。

帰って部屋の模様替え。

有孔ボードを壁に着けて推しグッズレイアウトする。

有孔ボードキーホルダーレイアウトにいいけど、フックが一つ100するからコスパ悪そう。

妻の用意した晩飯すませてから近所を散歩。半袖だと寒くてウインドブレーカー羽織った。

2024-10-11

まーた身内や親が学者とか大企業研究の子供が科学コンクール的なもの入賞して囃し立てられてるわ。

 

あいつらアイデアはあっても周囲に知識のある大人がいなくて日の目を見ない子供のこと笑ってそうだよな、ざまあつって

 

きっと入賞経験大学入試で実績として評価されて有利になるんやろうな

ガチャ極まってるわ

2024-10-07

人生に逆転ボタンがあると信じてる」←俺、コレらしい

子供の頃、俺は学校イジメられていた。

早生まれ喘息持ち、体格はクラスで一番のチビ、両親は自分学歴を鼻にかけるスノッブでその性格まで受け継いでしまったテンプレのような苛められっ子だ。

でも俺は勉強が出来た。小学生の頃は。

勉強が出来たかちょっといい私立中学に入り、勉強なんて楽勝と思ってたから退学直前まで全然勉強しなかった。

なんとか高校卒業したけど大学までのエスカレーターに乗る狭い門はくぐれず、大学受験では見事に惨敗

浪人は駄目だと言われて内心でFラン馬鹿にしていた大学に入った。

俺が選んだ学部情報系で、それは「これからIT時代だ。ブラックから避けるべきと言ってる奴は今に見ていろ」という理由からだった。

でも俺はそこでも「Fラン如き俺なら楽勝」と勉強せずに同じ失敗を繰り返し、ゲームが好きだから情報系に入っただけの連中とつるんでどん底まで落ちた。

今度は大学卒業することも出来ず、それでも就職だけはしないといけないのでとにかく数撃ちゃ当たるで人売りSIER世界へ。

ブラック企業なのは間違いなかったが、大学中退した奴が速攻で会社をやめたらイメージが最悪すぎるので必死に食らいついた。

そしてお決まりメンヘラコースへ。

壊れてしまったSIERとして頭数合わせの案件グルグルと回される人生が始まった。

そんな中、俺はどこかで「プログラマーになる才能の壁か。でも俺は子供の頃から作文が得意で学校代表して読書感想文コンクールに送られたこともあるんだ(なお、参加賞で終わった)。ラノベぐらいなら俺が本気を出せば書けるだろ」とロクに書いてもいないラノベがある日突然売れまくって人生大逆転を夢見ていた。

こんなのは妄想だと自分でも気づいているが、この妄想を手放せば俺は人生に何の希望も見出せなくなる。

ぶっちゃけ、「ロクに何も書いてないやつが突然作家として売れてしまう」なんてのは、「FXカジノワンチャンすればワンチャンあるかも知れない」よりも可能性の低い現実逃避だ。

そして定期的にその現実を思い出して「俺、何のために生きてるんだろう」となる夜があるなう

ふと人生を振り返って見ると小学生の頃は「俺は勉強が出来る!今に見ていろ!」大学では「これからITだ!今に見ていろ!」そして社会人になってからは「俺はラノベ作家になりゅ!今にみていろ!」とどこまでもどこまでも逆転ボタンをいつか押してやるぞと言って特に何もするでもなく怠惰に日々を過ごしてきた。

酷いな。

なんなんだこの人生は。

2024-09-19

幼稚園児との合法セックス小学生までしか出来ないんだよね

人生ってのは、決まった時期までに課題クリアしなければ二度と達成できないことがあるよね。

それはコンクールみたいなある種の『日本ダービー的なモノ』にとどまらず、タイトルにも書いたような『ごくごく個人的ではあるけど達成期限があるモノ』でもあるわけで。

俺は別にロリコンじゃないか法律倫理を踏み越えて幼稚園児とセックスしたいわけじゃないし、なんならネットで人気のJKJDですら変に若い女は面倒だから関わりたくないと思ってる。

たとえば「誰かは小学生の頃に幼稚園児と合法的セックスしたことがあるけど、お前はもう一生そういう機会がないんだよね」みたいに言われても別に悔しいとか羨ましいとかはないんだよ。

本当にタイトル自体はたとえでしかない。

でもなんか上手い具合に思いつかなくてさ、それでも漠然と「俺は若いうちにしか出来なかったことをちゃんと達成できずに生きてしまったんじゃないか」っていう不安が。

その若さってのは何も少年時代だけじゃなくて、「身体若いうちに3轍で麻雀打って妖精さんを見るような経験ぐらいはしておいた方が見識が広まったのでは?今はもう26時の深夜番組さえ見てる最中に寝るからなあ・・・」程度のものでさえもあるわけよ。

こういったことについて後悔しても何の意味もないのは分かってるけど、漠然とした不安として一生つきまとうよね。

でも取捨選択から仕方ないと思う。

中学生のうちに初体験を済ませたものは、大学初体験を済ませることは不可能なように、何かをやったことがある人生は何かをやったことがない人生には戻れないわけでさ。

極端な例を上げれば「麻薬を使ったことがない人生」と「麻薬を使ったことがある人生」はやっぱ社会に対する認識がどこかで違ってくるでしょ?薬やったぐらいで世界がそんな変わるのかぶっちゃけ知らんけど、電気グルーヴを指さして無遠慮に容疑者扱いするような態度を取りにくくなる程度の変化はあると思うわけよ。

まあつまり人生って本当に不可逆だなと。

2024-09-17

万博の石の休憩所見てると思い出す

数年前に旅行先で偶然見かけた建築学生コンクールかねた展示会。

強風で目の前で作品が倒れて、親子連れに当たった。お母さんにかすっただけで大怪我はしなかったけど、運が良かっただけで危なかった。

あれどうなったんだろうと後で調べたら、なんか最終的に賞取ってたんで唖然とした。

観客に中に入ってもらう、くぐってもらうって作品が、固定が甘くて倒れて実際人に当たってるのに受賞するんだと。

事故ってもそれは減点にはならないんだねえ。

人の命と斬新さと天秤にかけて斬新さを取っちゃう業界なのかな。石が落ちてもなんかの賞取っちゃうんじゃないのかね。

石の休憩所みると、あの時倒れた赤い木組みの作品を思い出す。

見た直後に増田書いた覚えがあるから、どっかに残ってると思う。

2024-09-15

anond:20240915114124

まあ、コンクール学校試験評価基準がそうなりがちなことは、別にいいんじゃない

でも、それ以外の場で奏者を評価をするのに、その物差しはどうなんだろう?

例えば、パガニーニヴィエニャフスキーはバリバリ弾けるくせに、モーツァルトが苦手なプロとか珍しくないんだよね。

そういう現実一つ取っても、色々思うところがあるわ。

2024-09-04

anond:20240904083938

楽器経験だけど、高校でやってた球技社会人サークルでも続けている俺からすると

吹奏楽を「続けられる環境」は本当にあると言えるのだろうかという気持ちになる

メジャー球技だと、開放されている公営施設を借りて5,6人のネットで集めた初めましての人と週2時間だけやる、みたいな続け方ができるけど

吹奏楽だとそれできますか??と考えてしま

 

あとは、コンクールじゃない定期演奏会地元イベントですらなんかハードル高そう

そういうイベントなんて一切出たくないけどのんきに気ままに楽器演奏していたい人に居場所はあるのだろうか

働き始めたらみんな忙しいんだから、そのぐらいの温度感の人の方が多いんじゃないか

と思いました

吹奏楽部員のほとんどが高校限りで楽器辞める本当の理由

朝日新聞記事出してはてブトレンドになってたが、記事コメント的外れなので、卒業大学一般吹奏楽複数渡り歩いた増田が「大半が高校卒業後に辞めちゃう本当の理由」を解説しておくよ。

1.まず、「続けられる環境」はある

ほとんどの大学には吹奏楽部やオーケストラがあるし、大学の数以上に一般吹奏楽団があちこちにある。首都圏東京神奈川県千葉埼玉)には300以上の一般吹奏楽団が活動している。

これらの一般吹奏楽団は初心者お断り殆どだが、逆に言えば「元吹奏楽部で楽器保有」なら引く手数多なのだ楽器保有は若干ハードルがあるように見えるが、高卒まで続けるような管楽器部員殆どクリアしてる。(クリア出来ない部員は途中でいなくなる)

また一般吹奏楽団で吹奏楽コンクールに出るのは全体の3割くらいしかなく、7割はコンクールに出ずに年1の定期演奏会と数回の地元イベントに出る程度の団体が大半なので、「コンクールスポ根みたいなのが嫌だ」という人でも受け入れられる土壌はある。中には「地元強豪校の1軍OBOGまたは音大芸大在学または卒業」という厳しい入団条件があるところもあるが、レアな部類だ。

から環境がない」は誤りなのだ

2.高校で辞めちゃう真の理由

2つある。

高校生活の中で成功体験が得られず続ける意欲が無くなった

技術面で上達出来ず、吹奏楽コンクールメンバー(最大55名)に最後まで選ばれなかったとか、ずっと三軍メンバーで本番は野球応援定期演奏会アンコールしか吹かせてもらえなかったとか、トランペットだったけど3年間メロディは吹かせてもらえず、ずっとサポートパート万年3rdというスラングがある)だった…などというような人。

一見酷い扱いに見えるが、野球部に入ったけどずっと球拾いで試合は客席から応援団として参加、というのと同じと思えばよい。

(余談だが、甲子園アルプス席は「野球部の2軍以下」て「吹奏楽部の2軍以下」の集まりというケースが多い。それと「コンクールよりも甲子園優先はけしからん」という指摘は的外れ。何故なら彼女らはコンクールメンバー落選組だから。もちろん例外はある)

そういう部員は、高校卒業とともに部活ジャンルから離れる。吹奏楽でも野球でも。成功体験が得られずトラウマしかならなかった環境を忘れるために。

②嫌な人間関係ゼロクリアする

先述の一般吹奏楽団は、実は「何処かの学校のOBOGバンド母体orOBOGが多い」という特徴を有するところが大半だ。場合によっては指導者がその学校と掛け持ち指導のケースもある。

まり一般吹奏楽団に行くと、吹奏楽時代に会った嫌な先輩、同期、指導者と再会どころか、一緒になってしま可能性が高いのだ。

幸い「嫌な相手」がその楽団にいなくても、「嫌な相手」とつながりのある人が楽団に居る可能性が極めて高いし、コンクール吹奏楽連盟主催の合同演奏会などでその「嫌な相手」とばったり再会してしま可能性も高い。相手別に嫌な思いはあまりないので気軽に「今度飲みに行こう」とか言ってくるし誘っても来るが、こちらとしては吐き気しかしない。

なら高校在学中に辞めれば良かったのでは?と思うかもしれないが、学校という集団生活の中で途中退部してしまうと「負け犬」として学校カーストの下に追いやられるので、相当な覚悟が要る。

しか卒業してしまえば「もう楽器辞めました」となっても誰からも笑われないしカーストの下にも追いやられない。だから高校卒業と共にゼロクリアしてしまうのだ。

増田が言いたいのは「環境が無いから辞める、というのはただの建前」という1点だ。理由の建前と本音根本的に違うという意味では転職活動と似ていると思う。

追記

増田都市部の強豪校だけの話してるだろ」という的外れな指摘があるので補足するよ

成功体験がない」の説明を端折りすぎたのがよくなかった。具体的にはこういうのも含む

それは「コンクール地区予選(県大会の下)止まりかつダメ金すら経験がない弱小校」の部員大学一般楽団でこのレベルの元吹奏楽部員を見ることはかなり少ない。「私は弱小校でした〜」と言うような人でも、実はB部門支部大会(つまりB部門最上大会)まで経験あり、ってパターンばかりだ。

B部門(奏者30名以下)とは言っても実際は「A部門は上位大会に推薦される学校事実上固定状態からB部門に出てるが、部員は50名以上居るのでオーディションがある」ケースが少なくなく、十分「上澄み」の域に居ると言えるだろう。

ただし、本当の弱小校でも演奏会ソロもらってそれなりに出来た経験がある人だけはこの話に当てはまらない。演奏会成功体験になってるからだ。

それすら得られなかった「万年3rd」のような人は、大学進学とともに別ジャンルへ消えていく。

もちろん、成功体験が多分にあっても、高校卒業区切りとして楽器から離れる人が大多数だろうし、増田もそういう人をたくさん見てるが、「続けたかったが環境がないから辞めた」って人は多くは見ない。広義では人間関係環境の一つと言えるから、「環境がないから辞めた」の中には「人間関係に疲れて辞めた」が多分にいるのかも知れないし、捏造に定評がある朝日新聞のことだから人間関係」を「環境」に置き換えてるのかも知れない。

2024-09-03

anond:20240903014406

ピアノ水泳

水泳習っておけば運動音痴でも夏の体育で5が取れるから変に卑屈にならなくて済む。

ピアノは良いぞ。必然的クラシックに触れるから音楽消費にも厚みが出る。家に置くのは電子ピアノで良いし、変にコンクール狂いにしない(親がならない)ようにだけ気をつけとけ。

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