はてなキーワード: ジャッジとは
だから、周囲に、あいつはゲームができるだけでチヤホヤされやがって、ってやっかまれるわけでしょ?😟
就活のときに企業に、婚活のときに異性にチヤホヤされるわけで、結局、受験勉強ができるのと、ゲームができるのと、スポーツができるは何の違いもないよね
単にゲームだよ、ゲームが得意な人ならば、別のことやらせてもできるんじゃない?って潜在能力を期待されてるだけで、
実際にメスを持たせたら駄目でした、という人も当然いるわけだし、
ゲームだけでも、格ゲーだけじゃなくて、シューティングだろうが、RPGだろうが、ジャンルはいくらでもあるわけで、
それぞれのジャンルで輝けば、というか、楽しめばいいだけなんだよ、別に一位にならなくたっていいじゃん、楽しけりゃ
そこで一位にならなければつまらん、というのは、そりゃプロはそうかもしれんけど、凡人には関係ないでしょ、やってて楽しいからやってんの
つくづく思うんだけど、不登校とかの関係者、フリースクールとかの人でよくいるんだけど、受験勉強=悪みたいな人、なんなの?って思ってる
上述から考えりゃ、受験勉強=悪なら、コンピュータゲームも水泳も100m走も悪だわな…😟
受験で偏差値高い高校や大学に行ける人の方が潜在能力高いんじゃないの?っていうのは、単なる社会の偏見でもあって、
つまり、コンピュータゲームが得意な人って、他のことも得意そうだよね、みたいな話とまったく同じであって、
それはそれで、そういう人もいるし、勉強やゲームができるだけで、他のことはできない人だって当然いるだろうし、
いずれにしても、好きで受験勉強やったり、好きでコンピュータゲームやったり、好きでスポーツやってる人たちを勝手にバカにすんなよな、ってこと…😟
なんか競争社会の被害者みたいなの、そりゃ、そうかもしれんけど、そんなこと言ったらコンピュータゲームだって、スポーツだって、
音楽やったって、漫画描いたって、プログラムとかIT系やったって、製造業やったって、農業やったって、
そりゃ、全部競争の要素はあるでしょ、そこから完全に逃れるのは不可能だよ
競争だけで自分で自分を評価するのも良くないし、他人の評価に振り回されるのも良くない
他人は勝手にジャッジしてくるかもしれないけど、そんなのこっちからしたら知ったことかである、基本、楽しいからやってるに決まってんだろ
損切ができない 寝て起きた時にどう思うかが重要
予定だった幸せ こっちの道にいけば
そんぎり
すべて あますことなく きょうじゅしたい おれからしたら サイトみない 損切
止められそうにない 止めたいと思わない
手バナナしたくないのはどれ
くるしむのがやだから そっちのほうがらく にげてるよね
かねをえるよりそっちのほうが いやだからやりたくない
時間がすぎるのをまってるだけ つむのをまってるだけ
得切り
おまけであって 本編はこっち ティッシュ落とす
二分の一で死にます
朝起きたら にぶいち引いたかっておもう
たとえ わかりやすくするためであって
元とたとえが 同じであるかどうか ジャッジしないとだめだから
恐怖 夢 簡単 鈍感 HSP ためえ
右足から歩いたほうがいいのか ええとええと
半生
損切 と区切り
切り捨てたいくつもの輝き
出会わなければよかった
不快を嫌う
逃避 多重人格
目覚まし とりあえず起きる 起きて 部屋ぐるぐる回って 二度寝するか考える
怒りとは 復讐とは
踊らされてる むなしい 虚無
最善の言ってなのか 良な一手なのか マジタクプレイ
遊べればいい 暇潰せればいい 将棋
マジタクでいうと こういうプレイが好きってのがあるよな
おもしろい。
セックスを好まない女性って、普通に男性的な魅力は求めるんですね。
若さや年収、容姿、包容力、気遣いといった、遺伝子を末永く未来へ残すことが出来そうな指標で異性をジャッジする。
それらの指標は現代日本社会における成功に直結しますので、そんなのは間違ってるという話をするつもりはないですし、逆にセックスを求めない男性だって同じようなものだと思います。女性だけを悪しざまに言うつもりはありません。
しかし、ここで一つ大きな問題となるのは、世の男性が年収や容姿、包容力、気遣いといった、女性が求める魅力を磨く動機は、「女にモテたい!」という欲求によるケースが少なくないという事実です。
つまりセックスをする必要がない=「女性にモテなくていいや」と考える男性は、女性の視線を意識して身なりや体型に気を遣う、奢る、紳士的な振る舞いを心掛ける、共感する、金を稼ぐ、女性が嫌いそうな趣味や話題を避けるなどの努力をするモチベーションが、「おれは金と時間を掛けてでも自分に投資して女とセックスしたい!」と願う男性に比べて著しく低いことが予想されます。
それら類の自己研鑽は、少なくない男性にとって、女性にモテるために仕方なく行うものだからです。必要に迫られないのならば全くやりたくない努力なのです。
「なぜ女に生まれただけで化粧しないと変な目で見られたり非常識だという扱いを受けるんですか?」というポストがバズってたけど
それってそんなに重要な事か?
もし化粧の義務がなくなったなら今以上に元々の見た目の良し悪しで格付けされる未来しか見えないんだよね
女に生まれると、小学校低学年や保育園の頃から容姿で格差を付けられるのが現実じゃん
なぜ敢えて化粧「だけ」に文句を言う?脱コルの人達の言う「装飾」もだけどさ。そんなものは何ら本質ではないだろう
問題なのは女に生まれただけで見た目の良し悪しをジャッジされる事であって、化粧は生まれついてのそれを緩和するための対症療法だろ?本質じゃない
実際に女を苦しめているのは小顔やイエベブルベ、出目奥目、中顔面や骨格ストレートといった生まれついてのルックスの部分じゃん
なぜこの手の人は「なぜ女に生まれただけで小顔じゃないと変な目で見られたり劣等種だという扱いを受けるんですか?」とは言わないのだろうか
去年のガールズデイの時に渋谷駅のダヴの広告が話題になった時にも、フェミニズムに興味のなさそうな女性達が広告を批判する一方でフェミ系の人達はほぼスルーだった
日本人の7割が一重なら、上位3割の男女以外は子孫を残す資格がないってのの数値は正しかったんだな
もっとも、現代では一重の遺伝子が性選択によって淘汰されているから、子孫を残せる率はもっと高くなって少子化は改善されそうだな
jela_lin
@jela_lin97260
本当にこれ。街は二重整形の広告だらけ、女向けの雑誌には二重化粧品の紹介がありモデルは全員二重。しかし日本人の7割近くは一重。女は「一重に人権がない」事を身を以て知ってるから、一重の男は選ばない。女をルッキズムで洗脳したのは男なのに、女が男をルッキズムでジャッジするとキレるのなに?
前からずっとモヤってた話。
※1「なろう系小説」は「小説家になろう」に掲載されてる作品の総称でなく、その中でも「チート」によって主人公が苦労せず異世界で栄誉や異性の恋人などを得る物語類型を指す。自分も書き手なので、そうでないものが色々あることは知っているので区別しておきい。その上で「なろう系」も好きなように消費してもいいとおもう。
※2おおまかに「男性」「女性」と区切ってるけど、もちろん反応しない男性も女性もいるとおもう。あくまでざっくりした傾向の話として。
「なろう系嫌悪」と「萌え絵嫌悪」って、たぶん根っこが同じ。前者は表向きは「質が落ちる」とか「文化が痩せる」とか「安易」とかもっともらしい理屈が並ぶ。萌え絵嫌悪には「性的搾取」「性的客体化」といった文句が並ぶ。しかし、どっちも別に誰かの利益を侵害してない。ならさっさと回れ右すればいいのに、どっちも苛立つのだろうかと。そこで、ふと思ったのだが、あの違和感の中心には、しばしば「嫉妬の誤作動」があるんじゃないかと思う。
嫉妬は、相対的剥奪感から生まれる。自分が何かを奪われたわけじゃないのに、他人の快楽や承認が数字で可視化されるせいで、自分の位置が一段下がったように“感じる”。なろう小説ならランキング、RT、いいね。あるいは漫画化やアニメ化までされる。女性なら萌え絵が一般的に認められて本棚でそれが見られること。それはたぶん、他人の幸福をこちらの網膜に直送してくる。人間は情熱の奴隷だから、しばしばそれを無意識に正当化するために「あれは低俗」「浅い」「社会に悪影響」みたいな言葉が、心のざわつきを包むラッピングをしやすい。
起爆条件も似てる。お手軽に消費できること。記号が強く、理解にコストがかからないこと。ファンコミュニティが楽しそうに盛り上がってること。これらは全部、「自分の美意識や努力が相対的に価値を失うかも」という予感を刺激する。で、その予感が痛いから、道徳っぽい語彙で殴ってしまう。
もちろん、作品や絵に対する妥当な批判はあるし、全部を持ち上げろって話ではない。ただ、「ジャンルごと一括りで嫌う」時のトーンって、多くの場合は美学の議論じゃなくて、心の防衛反応。言い換えれば、「自分が選ばれなかった痛み」の誤魔化し。なろう系嫌悪は「作品を読むのはOK」ラインが保たれてるだけましで、特に女性側の「萌え絵嫌悪」は公共の場でちょっと女性的なマスコットキャラが出てきた程度で、防衛反応をむき出しにしてるから性質が悪い。
うがった見方に聞こえるのは承知の上で、それでも一回だけ立ち止まってみるといいかも。「これは嫉妬の誤作動かもしれない」と仮置きしてから、作品や絵そのものの話に戻る。たぶんその方が、余計な敵を作らずに文化批評もできるんじゃないかなと。
付言すると、2010年代の萌え絵批判で、あれこれ「添削」して公共の場にふさわしいように修正する議論があったけど、ぶっちゃけていえば「女性キャラをできるだけ女性として魅力的に見えないように修正する」という作業。女性じゃないから、たぶんだけど、あれは「本来苦労の末に獲得する果実(女性との恋愛やそのさきの行為)を見る人が掠め取っている」ような感覚から来てるんだとおもう。男性はそもそも恋愛において(多くは)ジャッジする立場にいないけど、マチアプとかでもわかるように男性をジャッジできる立場なわけで、そこを迂回して「果実」を掠め取ってるのが不愉快なんだろうなあって(彼女たちがそれを自覚してるかはさておき)。
夫である高橋奎二(プロ野球ヤクルトの選手)は、幼い娘の顔をネットに載せることを反対しているのだが、嫁の元AKB板野は娘の顔をネットに載せている
板野が公開する娘の写真は、娘の顔が正面からド全開になっている写真と、週刊誌のように目線にモザイクの入った写真が一緒に公開される事が少なくない。単に娘のプライバシーの保護のために、顔を隠しているわけではない事が分かる。
そうすると、なぜ板野は娘の顔全開写真と目線モザイク入り写真を両方アップするのかという疑問が生まれる
ネットでは、こっちは写りがいいけどこっちは写りが悪い、でも目以外の頭蓋骨の形とかは綺麗だから目だけモザイクして載せようって感じなんじゃね?と言われている
これがまあ、しんどいよね。真相は板野にしか分からないが、その可能性が十分にあることがしんどい。
娘がネットでブスと言われないために写真選別してモザイク入れてる母親。それは確かに母の愛であり娘を過酷なルッキズム的ジャッジから守ろうとしているのだが、結局母親自身が娘をルッキズムの基準に巻き込んで、ジャッジしているという構図。つらい。しんそい。でも板野は子供服関連のビジネスとかもやってるみたいだから、モデルとして娘を巻き込まざるをえないのだろう。この世はでっかいルッキズム
40後半の男が20そこそこの女にアタックするのが有害だと散々言いふらすにも関わらず、年収200万円も無い女が600~700万円の男にドカドカアタックするのが結婚相談所。
しかも何が恐ろしいかって、200万以下の女が600万の男を「普通。そこそこ。」と思ってるところ。
あいつら600万を高年収なんて1ミリも思ってないからな。「年収の条件は最低限クリア」くらいに言ってんだぜ。
自分より3倍以上稼ぐ相手をジャッジする立場のつもりでいるのよ。マジで何様のつもりなん?女様?
ただ俺が頑張ったところで出来る彼女は中高年の性格も外見も難ありの障害者女性だろうし、それすら分相応ではないかもしれない。
→なぜかわからんが分相応ではないかもと言いつつ基本上から目線
常に人をジャッジする癖がついてない?
あと外見や属性にこだわりすぎ
流石にガイジとつきあえは酷だろう
そもそも彼女が出来たところで、他者と上手く関われない人間にとってそれが本当にいいことなのか?
とか考えちゃう。
考えるだけでやっぱり動かない
これについては恋愛や結婚を望む増田諸兄や非モテに発破をかける増田諸兄にもしっかり思案してもらった方がいいと思う。
なんかズレてるんだよな
そういうのを見てると俺も何かやらなきゃな~とは思うんだけど、めんどくささが結局勝っちゃうんだよね。
→あなたのためになにかするのめんどいです、という人はまずモテない
他人にコストをかけない人はよほど光る人じゃないとまず魅力が下がる
逆にいうとそれができる、やろうとするだけでモテる可能性は高まる
発達障害持ちの非モテアラサー素人童貞なんだけど、俺以上のスペックの人たちが彼女作るのに四苦八苦してる時点で俺にはダメそうだし、やるべきことを見てるだけでめんどくせ~だり~ってなって読むのをやめてしまう。
俺自身はぶっちゃけ「若くてかわいくてエロい女の子とヤりたい」程度で止まってるから、恋愛も結婚もノーサンキューではあるんだけども、この頃の増田のアレコレを見てると恋愛くらいはした方が後悔しないのかなあとか悩んじゃうのも事実。
→めんどくせ〜だり〜で読まないし行動もしない
若くて(これはまず無理、現実を理解してない)かわいくてエロい女の子とやりたい は 恋愛じゃないのはわかってて、ノーサンキューとかいいつつしたほうがいいのかなあと悩み、何もしない
モテる要素あるか?
ただ俺が頑張ったところで出来る彼女は中高年の性格も外見も難ありの障害者女性だろうし、それすら分相応ではないかもしれない。
→なぜかわからんが分相応ではないかもと言いつつ基本上から目線
常に人をジャッジする癖がついてない?
あと外見や属性にこだわりすぎ
それなら画面の向こうの性的消費コンテンツの幻想に溺れさせてくれた方がマシかもしれない。
→これは別にいいと思う
ただ行動したくない・楽したいを追求した結果なら、やはりモテる可能性低いと言わざるを得ない
そもそも彼女が出来たところで、他者と上手く関われない人間にとってそれが本当にいいことなのか?
とか考えちゃう。
考えるだけでやっぱり動かない
これについては恋愛や結婚を望む増田諸兄や非モテに発破をかける増田諸兄にもしっかり思案してもらった方がいいと思う。
→みんな恋愛経験してる人は通過してきて自分なりの結論を出してる内容
こんなところかなあ
ちなみに俺は別にモテる必要はないと思ってるしモテなきゃいけないとか容姿が悪い奴が悪とも思ってない
誰かと無理して付き合わなくてもいいと思ってる
ただモテたいのに行動できない奴がその鬱屈した気持ちを他人下げして解消しようとするのはどうかと思う
(これはあなたのことではないよ)
友達と遊戯王の話をしていた時のことを取り留めもなく書いておく
あくまでも素人の勝手な考察ということでオフィシャルな意見でも文献資料に基づくものでもない
俺の結論としては、遊戯王はデジタルカードとしての側面が最初からあったために一般的なTCGとは隔絶していたんだろうってこと
まず遊戯王ってルールが複雑だと言われるけど、そのおおもとの原因は他TCGが採用していることの多い総合ルールを持たないことにある
総合ルールはいってしまえば全てのルールの下敷きに当たるものであり、ここに書いてある定義や用語、記法に従ってカードは作られる
時に総合ルールでは判断が難しい状況というのはフロアルールなどで解決するし、非常に難解なテキスト同士の処理はジャッジや公式が裁定を出す
この裁定が間違っているかどうかも総合ルールに照らして考える必要があって、総合ルールが裁定に合わせて改訂されることだってある
そういうのが一般TCGのやり方ではあると思うけど、遊戯王は総合ルールという公のルールを持たず、代わりに裁定でカードの挙動を示している
だからときに過去の裁定と符合しなかったりする場面が出てきたりする
この取り組みが良いかどうかは別として、どうしてこういうことができるのかって話
総合ルールを前提にした運用ってのはそもそもプレイヤーにルールの全貌が開示された状態と言っていい
例えば呪文を唱える手順については、場合によっては大変細かく総合ルールに記載されているが、こうするのは呪文の唱え方一つとっても統一した運用をすることで公平な競技ができるようにする意味がある
オレオレルールを通して勝手な処理をさせないようにするってことだ
こういうのはアナログなゲームであるTCGだからこそで、ボードゲームをルーツにしているから全員にルールが開示されていないとダメって思想が根底にあるんだろう
じゃあ遊戯王をみると、裁定という結果は開示されているがその理由や仕組みは明らかになっていない
これは罰則の基準はあってもその基準を誰がどうやって作っているか、どういう法律に基づいた罰なのか明らかにされていないのと大体似ている
総合ルールを持たないことが悪いとは言わないが、それは競技指向がそれほど強くないカードゲームや運営にやる気がない場合に多いとは思う
じゃあ競技性の塊のようなゲームで、コナミのいち柱である遊戯王が、総合ルールを持たない理由ってなんだろう
これって恐らく、遊戯王が元々デジタルカードゲームと並行していたからなんだと思う
当初の遊戯王OCGはゲームボーイから始まり、その付録あるいはメディアミックスの一つがOCGだった
コナミ自体はデジタルゲームの会社だから、紙のTCGという文化となじみがあまりない
つまり現在の遊戯王OCGの源流ってデジタルゲームの派生なんじゃないかな?
例えばマジック・ザ・ギャザリングはアリーナ以前にも多くのデジタルゲームがあったけど、当初は存在していなかったしMOとアリーナくらいしか実績がない
ポケカもデュエマも一応はデジタルカードゲームはあるんだけど、遊戯王に比べるとシリーズといてあまり確立していないし歴史もぶつ切りだ
遊戯王のように長い期間デジタルと紙が並行して作られていたTCGはあまりないように感じる
そこで思うのは、遊戯王はデジタルが核なので総合ルールというゲーム自体をオープンにするというやり方が合わなかったんじゃないかな?
例えばモンハンなどのデジタルゲームで様々なパラメータが開示されていたりダメージ判定などがされているが、それらの計算や基準となるものの正体まで開示されているわけではない
これはユーザーにとって必要な情報と開発運用にとって秘匿すべき情報が分けられているから
でもTCGは書いてあることが全てでありその情報をユーザーが自力で説いて計算することが求められる
なので総合ルールなど詳細で厳密なルールが必要なんだけど、デジタルゲームでそれをするのはゲームそのものの仕様を公開するのと同等だよね
それってデジタルとアナログが混在していた遊戯王では色々問題があったんじゃないんかな
元々が紙のゲームで総合ルールでしっかり定義づけられているか、あるいはシャドバのようにデジタルと紙が分離されているなら別だけど、遊戯王はデジタルと紙がずっと平行しつつアニメもやっていた
なので恐らくだけどデジタルと紙の細かな仕様が完全には一緒ではなく、総合ルールという形に置き換えることが困難だったのかもしれない
デジタルの挙動をアナログゲームに置き換えるには相当時間と労力もかかるから、結果だけをあわせるため、裁定が豊富になったんじゃないかな
っていかなぜ俺を作った
親はなぜうんだ 得するため
この世の説明
人間やれってか
川の石みたいに転がれってか
なにしてもいい
ゲームだったら楽だった
仕事だったら楽だった
まあでも動物の森だったら おれ なにすればいいんだろってなってるかも
マリオだったら まあ 死ぬのが怖いから それを避けるためになんかやるのか
なにしてもいいっていうけど
いーや 死んだら終わりだから どうでもいいだろ
気分が落ちるのは副産物
脱意味化
答えがあると信じてるのは洗脳
前提で
白い世界 いったら なにもしなくなる
結局はなにやってもいいにたどり着く どれも
洗濯めんどい → 負担がでかい → 負担を減らす 全部やらなくていい
昔立てた目標をしぶしぶやってる しぶしぶ やる気ない
タマがぶつかり合う いろんな模様 ようまた会ったな それだけ
神のファーストショットのせい そっから流れるように動いてるだけ
まあやりたいことで来てるかって言われたら まあでも動いてるだけ
正解不正解ないけど 問題はとく やりたいから選んでるだけ 書いてるだけ
間違えるっていうか ただその選択を書きたいだけなんだよな
数十年生きてきて一度も彼女ができたことがないので(ちなみに素人童貞ではない。以前一度だけナンパに成功したことがある)彼女が欲しいのだが、だからといってそのために男磨きをしようという気が全く起きない。
理由としては女という傲慢と欺瞞と理不尽と不条理の集合体に媚びることに対して強い抵抗感がある。もっと俯瞰で言うと生物界の「メスがオスを選ぶ」という基本構造にすら腹が立つ。男だけマッチングアプリの使用料を払うことにもムカつくし、美容院に行ったり服を買うくらいならその金で風俗行った方が良いと考えてしまう。要するに女体は好きだが女の醜悪な内面を嫌悪している。
また万が一、億が一の確率で彼女ができたとしても女のユーモアセンス皆無のつまらない会話に付き合わされたりディズニー接待するのも苦痛でたまらない。あと女を口説くときって多かれ少なかれ自分を偽るじゃん?つまり本来のリラックスした自分を付き合っている間は見せられないわけで、ちょっと気が抜けて素の自分を見せようもんなら蛙化とか言って冷めやがる。常時女が男をジャッジしているという構図も許せない。
結局彼女が欲しいと言いながら都合のいいセックスパートナーが欲しいだけなんだろうな。それは自分でもわかってる。けど女に対する軽蔑と憎悪と嫉妬(女は人生イージーモードだし)が常に心の奥底に渦巻いているから今後も絶対に心から理解し合える彼女ができることなど到底不可能なのだろう。というわけで鶯谷行ってきまーす