はてなキーワード: 名曲とは
出崎監督の手掛けた昭和版持ち上げて、今やってるベルサイユのばらの映画版けなしてるおじさん(もう初老かも)嫌い。
薄っぺらでキラキラした作画がむず痒いって、元の50年前の少女漫画忠実に再現してるだけじゃん。リスペクトだよ、それに絵柄は限りなく連載終盤の絵に近づけてるよ。
主線が黒太で劇画調止め絵で顎が長いあしたのジョー絵が見たければ、昭和アニメのDVD擦り切れるまで見てろって話だよ。
歴史群像劇のはずなのに、ペラペラの恋愛モノにされていたっていう意見ね、お前原作読んでないだろ感。
歴史の渦の中で翻弄されつつも愛に生きたマリーアントワネットとオスカルがメインの少女漫画だよ、大河ドラマだって恋愛やるだろアホか。
無糖のエスプレッソみたいな非情ドキュメンタリー風が見たいなら、昭和アニメの終盤だけVHSで見てろ。
曲がペラペラで軽い、平成のアニソンだ、重厚なクラッシックがいいとか言ってるおじさんは、澤野弘之の名前を目の前の薄い板で検索しようね?
気に入らないのは感性が錆びついてる可能性がありますね。二度と関わってるアニメや映画の音楽を褒めるなよ。
薔薇は美しく散るが名曲なのは事実だけど、それ使うわけないじゃん。昭和アニメのリファインじゃなくて、原作のアニメ化なんだから。ミュージカル仕立てで場面スキップが受け入れられないってのは意見としてわかるけどね。
2時間もあって歌ばかり、あれがないこれがない原作に対する侮辱だとかいうおじさん、君たちの言ってる名場面ほとんどアニオリだよ後半の。原作読んでないし原作を愚弄してるのはあなたたちの方でしょうが。
ていうか40話もあってアニオリ入れ過ぎでマリー・アントワネットの断頭台までダイジェストだった昭和版こそどうなの?監督交代があったとは言えそれでも後半20話もあるじゃん。
オスカルは男の中で頑張って実力で黙らせた!部下の前で涙を流しながら理想を語るような女々しい女じゃない!とかもう笑うしかない。女々しいとか言ってしまう古いジェンダー観云々もそうなんだけど、まずは原作読んでこい。心の自由説く場面は原作通りだから。クサイとか言う感想は、金八とか学園熱血ドラマで感動したことがない者だけが言っていいです。
いやまじでなんでそこまで原作まるっと無視の二次創作昭和アニメをそこまで崇拝してんの?時々(無意識だと思うけど)原作まで巻き込んで中傷してるじゃん。こわ。
原作昭和アニメヅカ映画版全部好きな、普通のファンがたくさんいるの知ってるけど、昭和アニメだけを持ち上げてる人って怖い。★1レビューのあとに「TVアニメシリーズを見てほしい」で締めてるおじさん、あばたのことです。
ところどころ今でも人気な名曲あるよなぁ
音楽用語はよくしらんけど連続ジャンプミスって点数溶かすシーンが完璧に音ハマってて「こんな都合のいい曲よく見つけたねー」と思ったらアニメ用に0から作ったのかよ。
面白すぎるだろ。
何が面白いってその前後がガッツリクラシックの有名曲なのにミケ太郎だけ別のやってる所。
こういう一人だけ王道を外して変わった曲入れる所とかピアノやバイオリンのコンクールで我が強くて目立ちたがりな子によくありがちだなあと。
教える側が相手のやる気引き出すために「他の子がやってない曲だよ。君だけ目立っちゃうね~~~」みたいにちょっと変なの持ってくる感じで。
色々納得したわ。
4話5話が本当に当たり回でそれまでは貯めって感じが強かったんだなあ。
3話溜めてから加速するのは今の世の中のスピードではその前に切られちゃうよ。
昔は6話ぐらいまでは溜めで良かったんだけどなあ。
今日の天気:雪
東京はもう一週間近く雪だ。
ネットでは即品切れのRTX10090だが、某クローズドSNSの情報交換チャンクでアキバでの店頭販売の情報を見つけたので参戦することにした。
電気街口を出たところではいつもの様に氷河期世代ホームレス達が「アイアムルーザー♪」などと米津玄師やあいみょんのような往年の名曲を歌って物乞いをしている。
除雪された雪の壁に隠れてたちんぼメイドたちがかまくらリフレに誘う裏メイド通りを切り抜け、目的の店へ。
しかし店には既に人だかりができパニック状態でロシア人が店員に罵声を浴びせていた。中には石を投げ出すやつまで出てくる始末。
北海道北部が昨年から日露共同汎用AI開発特区になってからこの手の連中が増えている。
遠巻きに見ているとネオ民族派らしきデブがロシア人に掴みかかり「お前の股間のモスクワにも大穴を開けてやる!」と叫びながら隣の有料老人ホームへと突っ込んでいった。
すると途端に鳴り渡る警報!施設内から屈強なセキュリティが現れ警告を発しながらもクンフーの妙技によって即座に気絶させる。
するとどこからかパトカーのサイレンが鳴り、群衆は散り散りに逃げ、店員も慌てて店の中に戻る。
やはりRTX10000番台の入荷自体はあったのだろう。現状西アメリカ独立国製の密輸品でなければ監視のしづらい店頭に並ぶことは考えづらい。
寒すぎるのもあって一旦VRカフェに退避し、VRChat3.0でケモミミチャイナ姿の上長に買えそうな旨を報告。
日が落ちてから先程の店に向かうともう警察もいなくなっていたので、入店。
入荷情報を掴んでいることをほのめかしつつ、相場の2倍近い額を提示。どうせ利用料に上乗せするだけなので強気に行くと、店員が裏から箱を持ち出してきた。
なんとそれはRTX5090の美品!
タートルシェルズ体制が始まる以前の、台湾製チップをふんだんに使えたグローバル経済を象徴するような一品で、低消費電力化や小型化に舵を切ったそれ以降のモデルよりも性能では上だ。
ニンテンドーWのPC経由モードでも使用できるかを店員に確認すると、足がつかないよう秘匿仮想通貨決済で購入し施設へ戻る。
職場のゲーミング居宅療養施設「思い切って高級老人ホームに入所したら最高の老後が待っていた件」に向かうと、積もった雪が七色のライトアップを透過して輝いていた。
報告のためす所長室へ向かうと、白髪交じりで小太りの所長がVRグラスをつけたままニャンニャン言っていたので、さっさと翔太さんの部屋へ向かう。
3900号室の翔太さんは20代の頃に配信者として成功し、その頃の動画収入が未だに振り込まれるので、こうしていつも金に糸目をつけず脱法的な高性能ゲーミングマシンを所望する。
PCの蓋を開け5090をセットし、ケーブルをベッドのモニターに接続すると、無事映像が出力された。(加齢黄斑変性で片目が見えないため、VR機器は使用していない)
彼が少女の姿を借りて生まれ変わったアローラ地方への冒険に出られたことを確認すると、「また1時間後に来ますね」と声をかけ退出する。
翔太さんは残念そうに唸ったが、こればかりはしょうがない。
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00
Zガンダムの評価は多岐に渡り、音楽もその一つですが、Zガンダムの失敗の原因が三枝成章氏の音楽が駄作だったせいであると断定することはできません。
Zガンダムの世界観に合致した音楽: 三枝氏の音楽は、Zガンダムの複雑な人間関係やドラマティックな展開、そして戦争の悲しさを表現する上で、非常に重要な役割を果たしました。
印象的なBGM: 「Ζ・刻を越えて」「水の星へ愛を込めて」など、現在でも多くの人に愛される名曲を生み出しました。
マンネリ化: 前作のBGMと似た曲が多く、新鮮味に欠けるという意見もあります。
時代とのずれ: 80年代中盤の作品ということもあり、現代の感覚からすると古臭く感じる部分もあるかもしれません。
Zガンダムの評価は、音楽以外にも、ストーリー展開、キャラクター描写、作画など、様々な要素によって左右されます。
ストーリーの複雑さ: 前作よりも複雑な人間関係や政治的な駆け引きが描かれ、視聴者によっては理解しにくい部分もあったかもしれません。
キャラクターの多さ: 多くのキャラクターが登場し、それぞれのドラマが描かれる一方で、 focus が散漫になったという意見もあります。
作画の不安定さ: 制作スケジュールが厳しかったこともあり、作画のクオリティが安定しない部分もありました。
Zガンダムの評価は、音楽だけでなく、様々な要素によって総合的に判断されるべきです。三枝氏の音楽は、Zガンダムの世界観を彩る上で重要な役割を果たしましたが、作品の評価を全て音楽のせいにすることはできません。
※Udioは最初に貰える無料クレジットがSunoより多く100クレジット。また生成時間を選べて、30秒なら2クレジット、2分10秒なら4クレジット。30秒でプロンプト実験していたので生成回数はもっと多い。
正直、サブスク1か月分のクレジット使ってみても、Sunoの実力を引き出せたとは言い難い。曖昧な表現が出たら評価保留中だと思って欲しい。(Udioに至ってはサブスク契約すらしていない)
以下具体的な例
Sunoは日本語歌詞のニュアンスを上手にくみ取って曲調に反映してくれる。
Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz, Jazz,
みたいな頭の悪そうなプロプンプトから名曲が生まれ得る。Trendを漁ってるとそういう歌がたまにある。(もちろんがっつりプロンプト書いた方が確実)
プロンプトなしで歌詞だけでもいい感じ仕上がることも↓日本語歌詞だけの例
https://suno.com/song/66144ae8-3d8d-47b0-951a-9c8c3512be1b
語彙力には自信あるけど音楽用語は何も分からねえって人は挑戦してみて欲しい。Youtubeで音楽生成とは関係ない動画を見ていた時に、偶然Sunoで生成したと思しき歌が流れてきたのだが、投稿者の怨念、絶望と希望がこもった歌詞が良くて思わず聞き入った(その人はDTMとかはしていない。動画の中でネタにするためにAIで作った曲らしい)。
UdioはSunoに比べてクセが強く、プロンプトを理解できないとアンビエントに寄る傾向がある。Sunoで上手くいったプロンプトをそのまま突っ込むと、謎アンビエントが生成される確率が高い。(UdioはUIこそSunoに似ているが最適なプロンプトの形式が異なる)
どうやらUdioが映画劇伴やプロモーション動画に強い影響のようで、空間的に広がりのあるボヤっとした仕上がりになりがち。逆にいえばリバーブを強めにかける癒し系の曲はかなり得意と言える。
Sunoでも癒やし系が作れなくもないのだが、プロンプトを無視して後半いきなり盛り上がったり、クソ重いバスドラを突っ込んだりすることがあり、当たりはずれが大きい。Baby Sleep MusicやLullabyとプロンプトに入れて生成していたら、いきなり盛り上がり始めることが多かったんで「赤ちゃんが!寝てるって!言ってるでしょうが!!」とキレたくなった。(2、3曲は上手くいったんだけど)※
※サブスク分クレジットを使い切ったあたりで上手く曲調をコントロールする方法が分かったので、このあたりは後でまた検証してみるつもり
日本の映画劇伴も学習しているのか、かなりリアルな和楽器の音が生成される。この三味線とか琴とかを知らない人に聞かせたら、AIとは判別できないレベル。(ただAIと知って聞くとわずかに違和感がなくもない)
一方Sunoは癒やし系と同じで当たり外れが大きい。一聴すると「まあまあよくできた和風の曲だな…」と感じるのだが、次第におかしなメロディーが混じってくる。特に尺八のソロは分かりやすい。日本人なら「尺八はこういうフレーズにならんやろ」と気づけるレベル。(尺八を安定させるテクニックもあるが、それでもまだ外れが多い)
和風の曲はUdio勝ちと書いたが、例外として演歌は別。Sunoでは演歌らしい演歌を生成できるが、Udioは演歌とは似ても似つかない音楽が生成される。これはUdioの得意ジャンルが偏っていることに起因していて、次のややマイナージャンルが苦手という評価に繋がる。
Kawaii Popとは:日本のKawaii要素を取り入れたポップス
他にもKawaii_future_bassとかあるらしい。
https://dic.pixiv.net/a/Kawaii_future_bass
試しに冬をイメージしたKawaii Popを作ってみた結果、Sunoではそれっぽい曲が生成されたが、Udioでは謎アンビエントになった。プロンプトが理解できてないパターンである。
幅広いジャンルをカバーするSunoが強く、ジャンル名の前にJapaneseと入れるだけで日本人がすきそうな曲調になる。
Udioだと日本要素を取り入れた曲であっても、どこか日本人に馴染みのない感覚が付きまとう(先述の和風の曲のこと。音質はすごくいいのだが…)。私は基礎的な音楽理論しか分からんので、感覚的に「日本人の好みじゃない」としか言いようがない。Sunoに比べて日本のポップスをあまり学習していないからだと思われる。
これがSunoの場合は同人音楽まで学習してるらしく、doujinと入れるだけでいかにも同人音楽っぽいのが出来上がる。(東方Projectっぽいやつ)
これは先行者のSunoに軍配が上がる。Sunoは生成中であっても再生開始できるので、結果を聞きながらプロンプトを改良することもできる。
Udioは生成完了しないと聞けず、少なくとも30秒分が終わるまで待たないといけない。文章だけだとそんなもんかって感じだが、実際にやってみると待機時間がじれったい。
Sunoを使った後にUdioに戻ったら、この機能の快適さを痛感した。
これはUdioが圧倒的に強い。特に人の声はAIとは分からないくらいにリアル。特に洋楽とかは英語なのもあいまって素人の自分には変なところが分からない。
Sunoもリアルな人の声ではあるものの、イヤホンでじっくり聞くと合成音声っぽい違和感がまだ残っている。それからピアノやヴァイオリンなど目立ちやすい花形楽器の音質の悪さが目立つ。最初から最後までクリアな音質を保つのが難しく、一部こもったような音になる。Sunoは静かなインストを生成すると高確率でピアノを挿入してくるので、インストを作ってる間は「またこもったピアノが聞こえてくるよ…」と音質もこもこピアノに悩まされた。
SunoがUdioの音質を手に入れれば最強。
Udioがベータを卒表して(不具合修正・機能性アップ)、Sunoみたいに幅広いジャンルに対応すれば最強。
互いの長所がお互いの短所になっていて、どちらかを選べば選べなかった方が気になるという状況。Sunoは音楽において最も重要な音質で負けているが、Udioはまだベータで全体的に不安定な印象がある。
だが、Sunoの方が先行者だけあって使いやすく、簡単にそれっぽい曲を作れる。音楽生成AI初心者にすすめるなら、現時点ではSuno勝ちといったところ。
事前に抜いとけ(セリフ)
おイタしたり 不倫しちゃったり
挟むだけですぅ〜っと変な気なくなる(不思議だね)
一瞬で全てを手放すリスク
その前に10分のURAWAZA
タマノナカヲカラニスルギシキ カゾクノタメニヤルギシキ Fu!
邪念が出る前に抜きゃイイジャン
どいつもこいつも 危機感がない
抜きゃいいじゃん抜きゃいいじゃん(チェックインして)
なぜ抜かない? 抜くべきじゃん(出かける前に)
また邪念が出たら 部屋もどり抜きゃいいじゃん!
抜くって大事だね
(セリフ)
みなさん抜いていきましょう 審査員のみなさん抜いてますか? それが心配で
抜かなくて溜まるから変なこと起こすんですよ
みんないなくなるの嫌だよ
それはみじめなことなの?
イイ女と遊ぶ方がイケてるの?
一度抜くだけで食や街に集中できる(Fu〜Wu〜)
そりゃ羨ましいけど仕事なくなるんだったら
抜きゃいいじゃん!抜きゃいいじゃん!(ツマサキノバシ)
何度でも(Fu!)
ナゼ抜かない? 意地張んな!(モノノジュップン)
けど今夜は僕もハメ外してみようかな・・・(全て終わるぜ?)
やっぱ抜くっしょ
自分で脱いちゃえ〜
(セリフ)
抜け!抜け!抜きゃいいんだよ!
抜けばそんな気起こんないんだよ!
先に出しちゃえよ!
意地張んな!
KENZENでいこうよ抜いてけよ
名曲だ
紅白見てたけど現在進行形の演歌の扱いは水森かおりと三山ひろしによる“ドミノ&けん玉BGM”である。氷川きよしの『白雲の城』は2003年、石川さゆりの『能登半島』は1977年の曲で、あくまで往年の名曲枠。そこに特別な意味が込められていたとしても、演歌に「その年のヒット曲」としての在り方を求める人はもう誰もいないのか......。
いや、私は今こそ演歌に期待したい。今日の邦楽シーンには才能ありまくりのクリエイターがプロアマ問わず溢れていて、YouTubeをぶらついていても「うわ、この曲いいな」と驚くことが本当に増えた。私はそういう人たちが作った“新しい演歌”を聞きたいし、それは割と好意的に大衆に受け入れられるんじゃないかと思う。昨今の若者は意外とサブスクで昔の曲を聞いている。『津軽海峡冬景色』や『夜桜お七』、『舟唄』に出会いその良さにびっくりしている若者は結構いる。
ぶっちゃけ最近の演歌は淀んだドブ川のようなもので本当につまらない。固定化したファンにのみ向けた、どこかで聞いた事のあるようなありふれたメロディーと歌詞を手癖で繋ぎ合わせました的な、クリエイティブの欠片も感じられない駄曲の数々。演歌業界はこのままだと確実に死ぬ。業界全体があくまでエスタブが細々とでも食っていける程度の現状維持を望むのであれば勝手に死ねば良いのだが、私はまだ諦めきれないでいる。この世界のある側面、それもポップスが表現出来ないような部分を演歌はまだ歌い上げられると思っている。
演歌、頑張れ!
若い頃洋楽好きとして生きていた身からするとB`zが昔ダサかったというのは若干?となる。
確かに小室サウンドやビーイング系ってダサいなというイメージはあったけど、B`zに関してはそもそもの楽曲クオリティが高くやや異質だった。
デビュー当初こそ肩の張ったスーツで、サウンドもギターはあんまりフューチャーされてなくてユーロビート風なアレンジだったが、稲葉の歌唱法や楽曲のセンスなどはいかにも洋楽的でもあった。
またこの時期はまだ90年代で、B`zの第一期という感じがする。
そんな中、自分がハッキリとB`zを格が違うと感じたのはウルトラソウルを聞いたときだった。
最初聞いた時はこれはもう戦隊モノの主題歌じゃないかと思ったんだけど、それは悪い意味ではなくてとにかくインパクトがすごすぎて驚愕したのを覚えてる。
ウールトラッソウル!ハイッ!に関してはもう日本人なら誰でも気持ちよくなってしまう琴線に触れる要素にあふれていて、B`zここに極まれしという感動すらあった。
ちなみに自分が最もB`zがダサいと思ったのは稲葉が短パンを履き出した時期で、いやあまりにもガンズに影響受けすぎだろと引いたのを記憶してる。
B`zもそんな感じだし、あの頃のムードというのは洋楽好きといっても日本のミュージシャンに興味がまったくないというほど分断していなかったと思う。
それは小室サウンド主流の時代ではあったけど、同時にバンドブームの生き残りが幅を効かせていた時代でもあり、
奥田民生、ミスチル、ジュディマリから開放されたYUKIなど彼らは売れに売れていて、洋楽好きにもリーチしまくっていた。
特に奥田民生はソロになってからパフィーのプロデュースなんかもしてたし時代を一番うまく捉えてたのかもしれない。
お前は洋楽好きといってもどうせあんま聞いてなかったんだろと言われるかもしれないが、
自分自身はグランジ~ブリットポップ系などバンド系からそのルーツを辿っていくような聞き方をしていて
自身でもバンドやったりもしてたし完全に洋楽志向、カラオケにみんなで行っても誰も歌う歌がないよね、みたいな感じだった。
強いて言えば洋楽的でありながら、はっぴいえんど的日本語ロックの系譜を継ぐサニーデイ・サービスあたりの下北・高円寺サウンドは受け入れやすい空気はあった。
そんな中である意味扱いが難しいというか、割と賛否分かれる形に一番なりやすかったのがフリッパーズ・ギター解散後のオザケンと小山田だったかもしれない。
フリッパーズは渋谷系と呼ばれることになる、洋楽の割とディープなとこからの要素が詰まりまくっており、しかも汗を感じさせないポップさで女子のハートを掴みまくっていた。
あっという間に解散したがオザケンはその後筒美京平など日本の歌謡曲、日本語詞への傾倒などもあって名曲をいくつも残すことにはなるんだけど、同時にその尖り方が尋常ではないのでフリッパーズの流れで聞いていた層には置いてきぼり感もあった気がする。
一方で小山田は洋楽志向がそのまま延長されていって、海外への活動にシフトしていったりしてどちらかというとこちらのほうが洋楽好き勢には馴染みやすかった。
この二人の方向性の違いはある意味で当時のメジャー音楽の時代感を表してるなあと思わなくもない。
00年代で忘れてはいけないのは宇多田ヒカルなんだけど、デビュー当初はモロにR&Bなサウンドであったこともあって洋楽好きとしては「新しさ」を感じる部分はそこまでなかった気がする。
またテレビなどで天才少女みたいな扱いで紹介されてる事も多くて、とにかくヘビロテされまくっていたので正直、ゴリ押し感も感じていた。
ただ曲の良さや独特なボーカルスタイルが際立っていたのは間違いない。
あまりにも洋楽的(今思えば歌詞はものすごく日本歌謡的なんだけど)なサウンドのせいか、むしろ洋楽好きが聞く日本のミュージシャンとしての割り切りにくさみたいなのもあった。
つまりビーイング系、小室サウンド好きな層にはより本格的な洋楽っぽいアーティストとしてアプローチできた一方で
自分には上辺の洋楽感を取り入れたJ-POPという見え方をしてしまっていて、なにが新しいのかよくわからなかった。(歌い方だけはなんか面白いなと思っていた)
ただ当時はユーロビート的な虚無感のある縦ノリが主流だったので、こういう横乗りな音楽が流行るのは嬉しいなとは思った記憶がある。
個人的に宇多田ヒカルのアーティストとしての唯一無二感を感じ始めたのはtravelingや光あたりでようやくといった感じ。
この辺は洋楽好きとしての偏見が目を曇らせていたんだなと感じたりもするので分断といえばそうも言えなくないか。
あとaikoも洋楽好きにも刺さったアーティストとして忘れてはいけない。楽曲のセンスがある意味宇多田ヒカルよりぐっとディープでもあり、かつ日本語詞が歌謡曲的でちょっと天才的だなと当時思った記憶がある。
椎名林檎はどうかというと、個人的には当時は一番毛嫌いしていた。なんていうかバンド好きの女の子が手当たり次第に洋楽を食い散らかしてますみたいな印象が強くて受け付けなかったのだ。
何年もしてから友達からもっぺんよく聞いてみろと言われて聞いてみたらめっちゃ良かったので、これも洋楽好きの悪いところが思い切り出てしまったパターンだと思う。
今となっては宇多田ヒカル、aiko、椎名林檎の中で一番聞いた回数は東京事変も含めれば椎名林檎が圧倒的に多い。
そんな感じで小室サウンドに代表されるJ-POP、アイドル系とは違った文脈で(もっと書こうと思えばサブカル系の流れもあるんだけど)
ランキング1位の「あなたが癌になった時に最初に知ってほしい事」が挿入し忘れていたので追加(id:ancvさんコメントありがとう!)
順位をひとつ分変えるのがめんどいので0位とさせてもらいますm(_ _)m
最近、ふと思った。日本のお札に浜崎あゆみを肖像として採用すべきではないかと。何故かって?それは、彼女が日本の音楽シーンに与えた影響の大きさと、心に残る名曲の数々があるからだ。
浜崎あゆみと言えば、90年代から2000年代初頭の音楽界の女王。彼女の曲は青春のバイブルで、「SEASONS」や「M」、「Voyage」などは今でもカラオケで盛り上がる鉄板だ。お札に彼女の顔があれば、「トイレに行きたくなるまで歌うぞ!」と財布を開く手が止まらなくなるかもしれない。
さらに、彼女のファッションセンスや独特のスタイルは、今でも多くの人に影響を与えている。お札を見るたびに「私も頑張ろう」と勇気をもらう人もいるはず。まさに、国民のアイドルとしての存在感がある。
もちろん、賛否はあるだろう。「お札にアイドルはふさわしくない」とか「もっと歴史的な人物を選ぶべき」とか。でも、日常に寄り添い、心を豊かにしてくれる存在こそが、今の時代のお札にふさわしいのではないか。
最近、自分がゲームをしないが、YouTubeでゲームのオープニングとか音楽を流して思い出に浸っている。「ゲームと音楽が良い感じに組み合わさってるなぁ」という例を教えてください。
王道で申し訳ないけど、倖田來未のreal emotionが流れるライブ場面はすごいと思う。これよりすごいことが最近は頻繁に起きてるの?
⚪︎アーマードコア3
ほえほえよ、と連呼する謎の歌「Artifical sky」や、スタート画面の「no more cry」は世界観を深めてて、名曲だと思う。ネクサスも、歌、良いよね!後のもアーマードコアは凄そう。