はてなキーワード: 肩書きとは
高市早苗首相が、かつて米国のパトリシア・シュローダー下院議員の事務所でインターンをしていた際、「自分は日本の軍事問題の権威である」と嘘をついて入り込んだ、という言説ですね。
この話の**主な根拠(出所)**と、それに対する**反証や状況**を整理すると以下のようになります。
### 1. 言説の主な根拠:ジャーナリストによる批判的レポート
このエピソードを広く世に広めた主な人物は、ジャーナリストの**古谷経衡氏**や、過去に高市氏を批判的に報じてきたメディア(『週刊文春』やラジオ番組等)です。
* **主張の内容:** 1987年、松下政経塾の海外研修で渡米する際、シュローダー議員側に「自分は日本の安全保障・軍事問題の専門家である」という趣旨の虚偽の経歴を伝えてインターンの席を勝ち取った、というものです。
* **出所:** この説は、主に古谷氏の著書やコラム、あるいは過去の週刊誌等で「シュローダー氏側の関係者が困惑していた」といった匿名の証言とともに引用されることが多いのが特徴です。
一方で、シュローダー議員本人や当時の事務所関係者からは、この「嘘」を裏付ける公的な記録や直接の抗議は確認されていません。むしろ、以下のようなポジティブな証言が存在します。
* **シュローダー氏本人のメール(2021年の報道等):**
米ニューヨーク・タイムズ紙などの取材に対し、シュローダー氏は「彼女(高市氏)が米国政府の仕組みに非常に強い関心を持っていたことに驚いた。非常に献身的で、与えられたプロジェクトを徹底的に掘り下げていた」と好意的に回想しています。
高市氏自身の著書やインタビューによれば、テレビでシュローダー氏の演説を見て感銘を受け、自ら手紙(電報)を書いてアプローチしたのがきっかけとされています。
### 3. なぜこのような言説が生まれたのか
この「軍事問題の権威」という言葉が独り歩きした背景には、いくつかの要因が考えられます。
帰国後、高市氏が「米連邦議会コングレッショナル・フェロー(立法調査官)」という肩書きを使用していたことに対し、「実態は無給のインターンではないか」という批判が起きました。その過程で、採用時のアピール内容が尾ひれをつけて語られた可能性があります。
20代で単身渡米し、大物議員の懐に入り込んだ高市氏の行動力が、当時の保守的な政界やメディアから「虚言」や「野心」として冷ややかに見られ、批判の材料にされた側面があります。
### 結論としての状況
「嘘をついた」という言説には、**批判的なジャーナリストやメディアによる指摘**という「根拠(出所)」は存在しますが、それを裏付ける**シュローダー氏側からの確かな証拠や公式な抗議**はありません。
むしろ、後にシュローダー氏本人が高市氏の当時の仕事ぶりを評価するコメントを出していることから、少なくともシュローダー氏側が「騙された」と認識していた事実は確認できない、というのが公平な見方と言えます。
だから結婚後にいくら稼げるか、本人にコネや人脈があるかを重視される
加藤茶とか、前妻に慰謝料取られてすっからかんでも芸能人のジジイが結婚できるのは、妻や子供が利用できる人脈や知名度やコネやツテを持っているから
やはり適齢期に結婚する層に比べて情報収集や分析などの能力が劣っている
金だけある一般人の低身長男性より金のない芸能人や業界人の方が女にモテる理由
https://anond.hatelabo.jp/20251221180933
403 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.6][新芽] (エムゾネW FFb3-VwcR) sage 2024/05/28(火) 16:27:49.67 ID:wH7v8L1bF
芸能界やその周辺の年の差婚のニュース見ても女側が金だけがある一般男性を選ぶことはまずない
一般人の年の差婚も若い頃からヤリチンのバツありおじさんに集中
若い頃すら女に相手にされなかった未婚ボンクラおじさんは相続や訴訟や投資で金が手元に転がり込んでも年の差婚できない
しかし後者は「金さえあれば女は手に入る」とイキって、大金を要求する得体のしれない詐欺師に全財産を捧げてしまう
普通の人間は金で色恋や身体を売る人種はヤバいから関わらないのに、高齢未婚のおじさんはホスト狂いの発達障害風俗嬢レベルの判断力しかない
448 安倍晋三🏺 ◆ABeSHInzoo 警備員[Lv.5][新芽] (ワッチョイW a1e5-akMj) 2024/05/28(火) 20:57:31.10 ID:08Xwo3280
前澤のモテない原因て顔面や身長じゃねーからな。やることなすことがびっくりするレベルでダサいのよ
あれじゃ女には全く相手にされない
それでも肩書きがあるうちは紗栄子みたいな金目の女が寄ってきてたけど肩書き失って宝くじの高額当選者と変わらない状態になった今やゴーリキにも棄てられる
449 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.20] (ワッチョイ d3a2-Av8/) sage 2024/05/28(火) 21:08:08.43 ID:06XOmaU90
暇空も6億円持ってるって言って何年間も婚活したのに結婚できていない
494 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウグロ MMca-/eVg) 2025/11/16(日) 11:27:39.17 ID:evQncEMHM
509 安倍晋三🏺 ◆ABeSHInzoo (ワッチョイW 8245-x/NC) 2025/11/16(日) 11:35:37.63 ID:WnUKiEYY0
494
前澤がモテない原因てこれなんだよな。弱男はわかってないけど
自家用機でサッカーW杯に乗りつけたはいいがそこに知己は全くおらず100万円払ったチケットで一般人に混じって試合見ただけ
誰にも挨拶もせず誰にも挨拶もされない。フェアウェルパーティーにも呼ばれない
あれゴーリキは結構みじめな気分だったんちゃうのか。別れたのあのちょっとあとだよな
前澤は勢いのあるときに財界の人脈全く築けなかったから(なんと自分でぶっ壊してた)ZOZOから離れたら単なる金持った一般人
ゾンダとかの高級車持ってても運転は下手糞で全く頼りにならない
347 名無しさん@恐縮です sage 2024/05/17(金) 01:06:46.18 ID:zM7ciUNh0
芸能人や業界人ならブサやデブやハゲやジジイでも女に不自由しない
何故なら「芸能界やその周辺にいる女は芸能界で働く男やセレブ有名人にしか興味がない」にすぎないから
「一般人の高収入の低身長男性」がアイドルや女優や女子アナやお天気お姉さんの旦那に選ばれた事なんか一度もないからな
元ももクロと結婚した医者は高身長かつ多数の有名アーティストの主治医
加藤茶の奥さんなど、芸能界に興味がある女も旦那の地位や知名度や人脈欲しさに容姿年齢関係なく芸能人を狙う
「あの◯◯の奥さん」として露出できるし、旦那の仕事関係や友達の業界人や芸能人やセレブにチヤホヤされたり顔見知りになれるからね
944 名無しさん@恐縮です 2024/03/18(月) 01:16:43.89 ID:9p7wnU0c0
60
そりゃどこの世界でも「連れ添う男の地位=自分の地位」だからな、女は
玉の輿や地位のある男をゲットすれば自分もその地位までひとっ飛び!だからw
加藤茶の嫁さんは財産目当てってより芸能界の重鎮GETで「あの加藤茶の嫁」に君臨できた事に満足そうに見える
951 名無しさん@恐縮です sage 2024/03/18(月) 02:25:51.77 ID:Sctk1boS0
944
彼はたぶん、「ポケモンマスターになるために生きる」段階から、「その旅で得たものをどう使って生きるか」段階に移るのだと思います。
夢は、人を前に進ませるための旗のようなものです。
たどり着けなかったとしても、そこまで歩いた道が消えるわけではありません。
彼はまず、少し空っぽになるかもしれません。
「ずっと目指していたものになった。では、明日から何をすればいいんだ?」
これは自然なことです。
大きな目標を達成した人ほど、その後に喪失感を覚えることがあります。目標が人生の中心だったからです。
その後の生き方としては、例えばこうです。
後進のトレーナーを育てる。
ジムリーダーになる。
あるいは、もう一度ただの旅人として歩き直す。
ポケモンマスターになったからといって、彼が「完成品」になるわけではありません。
強くなった自分は、その強さを何のために使うのか
ということだと思います。
ポケモンマスターにはなれないと認識したとしても、それは「彼の人生が失敗した」という意味ではありません。
仲間との関係。
負けた悔しさ。
ポケモンとの信頼。
人を助けた経験。
知らない町で生きる力。
それらは、ポケモンマスターという称号にはならなくても、彼自身の中に残ります。
その後は、夢を少し形を変えて持ち続ければいいのだと思います。
「誰かにとって一番信頼できるトレーナー」にはなれるかもしれない。
「チャンピオン」にはなれなくても、
「傷ついたポケモンを助ける人」にはなれるかもしれない。
「最強」にはなれなくても、
「次の世代に旅の厳しさと楽しさを教える人」にはなれるかもしれない。
挫折とは、夢を捨てることではなく、
大事なのは、彼が「ポケモンマスターになること」だけを自分の価値にしないことです。
夢を持つことは尊いです。
でも、夢が叶ったかどうかだけで人生を採点すると、叶っても苦しくなるし、叶わなくても苦しくなります。
彼はこう考え直していいはずです。
自分はポケモンマスターになるためだけに旅をしていたのではなく、旅を通じて、自分がどういう人間になりたいのかを探していたのだ。
だから、10年後にマスターになっていても、なっていなくても、彼はまた歩き出せばいい。
目的地は変わってもいい。
肩書きも変わっていい。
一緒に歩く仲間も変わっていい。
ただ、旅の中で大切だと思ったもの――仲間を信じること、弱いものを守ること、未知の世界に踏み出すこと、負けても立ち上がること――それを手放さずに生きればいい。
つまり彼は、
「ポケモンマスターになれたかどうか」ではなく、「旅を経て、どんな大人になったか」で、その後の人生を生きればいい
のだと思います。
イデオロギーに支配される人ってやっぱり【何者かになりたかった何もない人】というコンプレックスが根底を支配してるんだと思う
自分に肩書きを着けたがったり、目を引くような奇抜な見た目になったり……注目を集めるためにこれからもどんどんエスカレートしていくんだろうね、ヨドバシのデモ機の件なんかいい例だよね、きっと本人はもっと注目されたくなると思うから今後も進んで行うんじゃないかな
人類の大多数は万人に自分を知られる存在になることはないし、それが目標じゃなければ知られる必要がない
でもイデオロギーありきの人は【特別な才能も衆人を惹きつける言動もないが、万人から尊敬されて認められる自分になりたい】という基礎や努力をすっ飛ばした願望か強い気がする
自分たちのコミュニティの中でチヤホヤされるだけでは足りなくなった時、敵陣からも『こいつやるやんけ』という一目置かれる存在になりたいと無意識のうちに行動する
敵が反応すること(怒らせること)が目的のはずだったのに、段々と『誰もやったことのない目立つ行動をする勇気ある自分』への陶酔がメインになる、そのうちイデオロギーも追いやって敵としっかり話し合える自分という万能感に支配される
実際は流暢に人語を話すモンスターに警戒しているだけで、さらなる被害者が生まれないようにと押さえつけるのが相手側の目的だったとしても、注目されることで満たされる自己顕示欲は暴走する自分を諌めることはできない
『そんな餌に釣られるわけがねえよ笑』と本人は思うだろう、でも相手があっさり引き下がればそう遠くない未来にまた同じことを仕出かす、それが過剰な承認欲求を偶然満たしてしまったモンスターの成れの果て
というのが、本当な奴とそうでない奴の決定的な違いは、Xなんかで専門家だのニュースソースだの『フォロー』して口開けて待ってれば何かが起こると思ってるバカと、そういうのはあくまで検索ワードを見つけるだけの行為で、本当の勉強はどこまでソースをたどっていけるかの検索能力にあるとわかっている奴の違い。
マジでどんな脳みそしてれば、だらっと話題に触れてるだけで『勉強』になんかなると思えるんだ。
これはあくまでGoogle時代の検索能力の低さの問題だが、今はもうSNSで流れてくるものに噛みついたりRTしてるだけで自分の脳みそ使ったような気になるもっと下が出てきてる。
むしろそういう奴が、適当に肩書きのあるフォロイーの威を借って、ソース示して突っ込んでるのにも群がる始末。
右も左もそんなんばっか。
まじで意味わかんないんだけど、なんで彼氏とセックスがセットなのが当たり前みたいな風潮になってんの?
マッチングアプリやってても、3回目くらいのデートで「そろそろ……」みたいな空気出してくる男ばっか。いや、こっちはお前のDNAが欲しいわけでも、性欲の処理機になりたいわけでもないんだわ。
私が欲しいのは、一緒に美味しいもの食べて、「この映画面白かったね」って言い合えるパートナーなわけ。週末に一緒にダラダラしたり、仕事の愚痴を聞き合ったり、そういう情緒的な繋がりが欲しいだけなの。
それなのに、いざ付き合うかってなると「じゃあいつヤらせてくれるの?」みたいな下心が透けて見えるの、本当にキモい。
これ、そんなにワガママなことかな?
よく「男には生理現象があるから仕方ない」とか「それじゃ彼氏がかわいそう」とか言われるけど、知るかよ。性欲なんて自分でおもちゃでも使って処理しとけよ。
なんで私の貴重な時間と体力を削って、あんたの射精のお手伝いをしなきゃいけないの? こっちは寝る前にスマホいじってる方が100倍有意義なんだわ。
結局、男って彼女っていう肩書きを手に入れたら、自動的に「自分の好きな時にセフレとして使える権利」も付いてくると思ってんでしょ? 傲慢すぎ。
私はただ、「私だけを特別扱いしてくれる、性の匂いがしないパートナー」が欲しいだけ。
「そんなの男側になんのメリットがあるの?」とか言ってくる奴いるけど、私の話し相手になれて、一緒に楽しい時間を過ごせること自体が最大のメリットでしょ。それ以上に何を望むわけ?
セックスしたくないなら彼氏作るな、とかいう極論言ってくる奴は、恋愛を動物の交尾と勘違いしてる化石だと思う。
この条件で立候補してくれるハイスペな男、どこかに落ちてないかな。
……っていうか、これがおかしいって叩かれること自体、この国が遅れてる証拠だよね。
クソオスだらけで女性差別がはびこってる。
SNS上で、作家がいい加減な雑学や明らかに怪しいエピソードを語ることは、もはや珍しくなくなった。
これは、出版社の経営力が低下し、本の宣伝を作家自身が担わざるを得なくなったことや、フォロワー数やインプレッションを必死に稼がなければ本が売れない状況が背景にあるのだろうが、それはここではさておきたい。
以前は、こうした作家の言動に対して、同業者から指摘が入ることはほとんどなかった。
批判して関係が気まずくなるのを避けたのか、あるいは自分も似たようなことをしているためお互い様という意識があったのかもしれない。
その結果、放言作家のアカウントは野放しにされ、作家という肩書きの権威性も手伝って発言内容は信頼され、フォロワー数も着実に増えていった。
しかし最近では、作家の放言に対して、やんわりとではあるが同業者から指摘が入る場面が目立つようになってきた。
これは潮目が変わった兆しと言えるのだろうか。
いくつかの事件を契機に、「さすがにコレと同類だと思われたらかなわん」という意識が作家たちの間に芽生え、牽制の必要性が認識されたのかもしれない。
正直、遅いよ!と言いたい気持ちも少なからずあるが、良い方向への変化であることは間違いない。
今後の動向を注意深く見守りたい。
「加工師」とは、絵師などの手描き公開イラストを読み込み、加工し、それを絵師本人に見せて顰蹙を買ってきた人たちのことである。
彼らは絵師に「別の表現を提案しているだけ」と言うが、それを受け取った絵師を自分は見たことがない。
カードゲームで言えば「推しカードのために組んだデッキをぶち壊し、人権と呼ばれるカードを雑に入れただけのセンスない改造」を提案してくるのが加工師だ。
繊細な色合いは高彩度の目に痛い配色にされ、肌面積を増やされ、「この方がウケが良い」と意図と異なる表現を押し付けられていたため、こだわりの強い人種である絵師たちからはすこぶる嫌われていた。
「何者かになりたいがその方法もわからず、手っ取り早く承認を欲するために絵師に関わろうとする人たち」
AIイラストで絵師に直接リプライを送り煽る人間がいるが、加工師はそれを悪気無く、むしろ本気の善意と寂しさで行ってしまう人ばかりだった。
なので、絵師にAIで絡んでいくアカウントを見ると「加工師の肩書きがAI絵師に変化したな」と感じる。
絵師を名乗る人たちにAIイラストを嫌う者が多いのも、この件は無関係ではないだろう。
AIイラストを描いたのならAIイラスト絵師としてそこで集まっていれば良いのに、なぜかそういった「寂しい人たち」は手描きを好む絵師と相互フォローを望んでしまう。
AIである事を隠し、手描きであると主張する人々を手描き絵師たちが警戒するのは、この「加工師崩れ」の接触を恐れるためではないか?
絵師には女性も多いし、そういったアカウントにいっちょ噛みしたがるスケベ心を隠さないアカウントも珍しくない。
なんか、色々複合的なんだろう。
元々、創作に身を浸す人間はメンタルを崩す人間が多いし、しかもイラスト特化となれば「言葉を使う能力」が平均より低くてもおかしくない。
かつてはすぐに警戒できた加工師が、技術力を偽りながら密接コミュニケーションを望んでくる…まぁ、トランス女性みたいなモンなのかなと思う。
そりゃ警戒もするし嫌悪もするだろう。
話は少し変わるが、「トレパク警察」を名乗る者達も「AI警察」に変わったなと感じる。
この手の警察を名乗る者たちは「本人が絵を描けないことが多い」のがポイントだ。
実は加工師と同じく、「絵を描けない人間なりに絵師に認められたい」みたいな屈折した感情による排他主義なんじゃないかと思っている。
実際に絵を描く者たちが「それはトレパク(AI)ではない」と保証しても、叩き続けるのが○○警察の人たちだ。
おそらく、絵師を高尚に崇め過ぎて、その信仰を穢されるのが我慢ならないのだろう。
とりあえず、この手のトラブルは外野の雑音を少し意識し、メンタルを守るのが良いんじゃなかろうか。
AIイラストはカメラと同じく、創作者のセンスが何よりも問われるツールのため、手描きイラストとは必要な技術の根本が異なる。
一流の素材を用意しても、1pixelの調整が良し悪しを分けるのが絵の世界だ。
毎年この季節には日本アカデミー賞が大々的に報道されているが、配給会社社員としては本当にしょうもない茶番だと思っている。
・投票する人たちと異常な偏り
まずは日本アカデミー賞の運営元と、投票権を持つ「日本アカデミー賞協会会員」の実態をみてみよう。会員数はだいたい4000人ちょっといるんだけど、その内訳がエグい。
東宝、松竹、東映の大手3社だけでそれぞれ約300人ずつ(計約900人)の社員が会員になっている。これにKADOKAWAを合わせた大手4社と、その子会社などがウジャウジャいる「賛助法人(約1700人)」を足すと、投票者の過半数が「大手邦画会社とその関係者」というゴリゴリのサラリーマン組織票になる。
毎日映画コンクールみたいなガチの批評家が選ぶ賞だと大手3社のシェアは20%くらいなのに、日アカだと80%を超えたりする。これが「持ち回り」とか「出来レース」って言われるゆえんだ。
ここからが本題。この賞の何が一番ヤバいって、投票権を持つ審査員(つまり会員)たちが「対象となる全作品を見ていない」ことだ。
会員は無料で映画が見れる特権がある。でも、だからといって全部見るわけじゃない。普通に忙しいサラリーマンだからね。
結果どうなるかというと、多数決のシステム上、自ずと「全員が見ている(知名度のある)作品」に「とりあえず見たから」という理由だけで票が集まる。文化的にどれだけ価値があろうが、見られていなければ存在しないのと同じ。ガチガチの超興行主義であり、インディペンデント軽視の極みになっている。
余談であるが、アカデミー会員は無料で映画が見れる特権があるため、大手配給会社社員は基本的に無料で映画を見ている。
一回1900円という安くないお金を払って映画を見る一般人の気持ちが、映画を作っている人間がわかっていない。
さらにひどいのが、この約4000人の協会員が「新人賞を含む16部門すべて」に投票するというシステム。
監督や俳優ならまだしも、営業や宣伝の社員が「優秀録音賞」とか「優秀美術賞」に投票するんだよ。音響の専門的な違いなんて分かるわけがない。投票用紙を前にして「こんなの知らねえよ」ってなる。
じゃあどうやって決めるかというと、「あー、あの映画のスタッフさんがノミネートされてるから入れよう」レベルの、ただの知名度コンテストになる。技術への評価でもなんでもない。
毎年投票用紙が配られる季節になると、社内には「今年はうちの会社から何を出そうかな」とそわそわしたムードが漂う。
ここで目にかけるのは、「予算をかけた割に大コケしたけど、プロデューサーが『雰囲気的に余韻だったり考えさせられる内容だから文化的すぎてウケが悪いんだ』とこぼしているような作品」だ。日アカの肩書きがあった方が配信などの二次利用の価値が跳ね上がるから、下手に社内で票が割れないようにする。ここの団結意識はすごい。
結局のところ、仲間内で褒めあってナメナメし合うしょうもない文化。
ワーナーは入っていない(実写版『銀魂』の映画で言及されていた。さすがブラックコメディ)。当然、Netflixも入っていない。
彼らの作品がどれだけクオリティが高くても主要な賞を受賞しないのは、単に「社内に投票権を持ってる社員がいないから」であり、「身内のお祭りにお呼ばれしてないから」ですね。
・あの作品のすごさ
そういった出来レースみたいな構造を思うと、『桐島、部活やめるってよ』や『新聞記者』のような独立系・非大手主導の作品が最優秀賞を獲ったのは、この分厚い組織票の壁をぶち破ったという点で、本当に奇跡みたいだったなと今でも思う。
この身内のお祭りと「見てないけど投票するシステム」は少なくとも当分は変わらず続くのは確実なので、また来年のこの季節に品川のニュースを見ながら振り返ろうと思います。
結局、パワーがある男って何なんだろう
さっきの共産党系の嫁の話を読んで、なんか、もう、胸のあたりがずっとザワザワしてて眠れない。
あっちの旦那さんは「ジャイアンみたいな強さ」に惹かれて、負けてるのが心地いいとか言ってるけど、私は何に惹かれたんだろう。
私の旦那は、いわゆる「パワー」がある人。
年収、肩書き、筋肉、全部揃ってる。婚活してた頃の私なら「優勝!」って叫んでたと思う。
でも、結婚して数年経って、隣で寝てるこの人の呼吸を聞きながら、私はずっと砂を噛んでるみたいな気分で。
この人のパワーって、結局「システムに飼われてるパワー」なんだよね。
会社ではすごいプロジェクト回して、部下を詰めて、高い利益出してるらしいけど、家に帰ってくるとただの「正解の奴隷」でしかない。
買うものも、子供の教育も、全部「市場で評価が高いもの」をスキャンして選んでるだけ。
そこに彼の「心」とか「熱」とか、そういう汚い、でも生きてる人間特有の揺らぎが一切ないの。
セックスの時もそう。
「これ、気持ちいい?」「次はこうしようか」って、なんかマニュアルをなぞってるみたいで。
あっちの増田が書いてた『コミュニストはセックスがお上手?』みたいな、あの泥臭い、でも命が爆発してるみたいな開放感、うちには一生訪れないんだろうな。
うちの旦那、行為の最中に一瞬だけスマートウォッチ見たの、私、一生忘れないと思う。効率とか、心拍数とか、そういうのが大事なんだね、あなたは。
子供の塾だって、サピックス(SAPIX)のアルファクラスに入ることが、この人にとっては「投資の成功」と同じ。
子供が泣きながら宿題してても、「ここで脱落したら将来のオプションが減る」とか、そういう乾いたことしか言わない。
共産党系の嫁さんみたいに「公教育で十分、私が学校を変える」なんて言える強さ、うちの旦那にはないよ。
彼は、誰かが作ったレールの上を、一番速い速度で走ることしか知らないから。
私はこの人の「パワー」に守られたかったんじゃなくて、この人の「経済力」っていう記号にぶら下がりたかっただけなんだろうな。
でも、ぶら下がってみたら、そこには体温がなくて、ただ冷たい鉄の棒を握りしめてるだけだった、みたいな。
明日はまた朝から、彼が「正解」だと言った高いサプリメントを飲んで、彼が「資産価値がある」と言った街で、ママ友と「正解」の会話をしなきゃいけない。
あー、なんか、もう、全部どうでもよくなってきた。
あっちの旦那さんは、ジャイアンな奥さんにボコボコにされて幸せなんだね。
私は、誰にもボコボコにされない代わりに、誰にも触れられていない気がする。
おやすみなさい。
最近、X(旧Twitter)で流れてきた「ある弾き語り演者の愚痴」が、またあまりにも地下界隈のドロドロとした煮凝りみたいな地獄だったので、忘備録として、そして自戒を込めつつ深掘りしてみる。
1. あらすじ
登場人物は、イベントを企画(笑)して声をかけてきた主催のP氏と、その誘いに乗ってしまった演者のMさん。
P氏から「ノルマなし、機材費数千円で遠方のライブに出てほしい」というDMが届く。Mさんは「新しい土地でのご縁作り」という、演者なら誰しもが抱く淡い期待を胸に、この誘いを快諾した。
P氏が信じがたい連絡を寄越す。「自分は出演しない。しかも繁忙期だから、残業になったら現場に行けないかもしれない」と。
主催者が「行けたら行く」という、飲み会の誘いでも受けた側かのような無責任さ。主催って言葉の意味知ってる?
:惨劇の当日:
蓋を開ければ、そこは地獄だったらしい。出演者は全員、その土地には縁もゆかりもない「初出演の遠征組」。客席は当然のように……、完全なるゼロ。
ブッキングされた面々も、ジャンルレスと言えば聞こえはいいが、要は節操なく「数さえ揃えば誰でもいい」というビジョンの欠片もないごった煮。弾き語りとラッパーとシティポップ並べたレベル。
店側にP氏について尋ねると、「どうしてブッキングしてくれるんでしょうね(笑)」という鼻で笑うような謎対応。
結局、P氏は現れず、Mさんはニーズも何もない異境の地で、ただ数千円の機材費を支払い、空っぽの客席に向けて歌って帰宅する羽目になった。
:静かなる復讐:
あまりの不義理にブチ切れたMさんは、その日から半年以上にわたり、P氏に対して自分のライブスケジュールを個別に送り続けるという、静かな、しかし確実な復讐を開始する。本人も書いていたが「呪いのメッセ」だ。
ここまでは、地下界隈ならわりと頻発しているであろうよくある悲劇だ。しかし、ここからが真の気持ち悪さ。
Mさんがこの一連の出来事を、名前や場所、性別を徹底的に伏せ、界隈のどこにでもある「愚痴」としてポストした。
するとどうだろう。あろうことかP氏本人が、そのポストを「引用ポスト」して名乗り出てしまった。
「これは自分のことで、申し訳なかった。直接会いに行って謝る。しかし、こんな回りくどいことをしなくてもいいのに」
……引用ポストにする事で、自分側の人間の目に留まるように仕向けた訳だ。
誰がどう見ても「回りくどいこと(=Xで晒す←いやそもそも晒されてねーよ)」をさせた原因は、お前の不誠実さと、これまでの全ての不備にある。
自分が晒されたという被害者意識だけは一人前だが、相手を「機材費を払うだけのコマ」として扱った加害意識は皆無。この圧倒的な認知の歪みに、読んでいるこちらまで眩暈がした。
さらに物語はまさかの展開を迎える。自爆から1ヶ月も経ってからようやく行われた「謝罪(笑)」の席。
そこでP氏が放った言葉は、和解への希望を打ち砕くものだった。
「今後も残業で行けないことはあるし、その時は謝る」
もはや、改善する気など1ミリもない。「謝ればまた同じ不義理を働いてもいい」という、免罪符の発行を強要しているに等しい。
自分は忙しい。自分は頑張っている。だから行けなくても仕方ないし、謝っている自分は誠実だ。
「Mさんにお会いしてきました」とだけポストし、贖罪完了のテイである。
そんな、歪みきった自己正当化の塊。ここまで話が通じない人種が、平然と「主催」を名乗っている恐怖。
ここで、この「ごった煮イベント」で一番得をしたのが誰かを考えてみてほしい。
しかし、ライブハウス側は一切困っていない。なぜなら、演者が遠方からわざわざやってきて、頭数分の「機材費」という名の場所代をきっちり落としていくからだ。
集客努力を放棄し、ビジョンなきキャスティングで演者をかき集める P氏のような「無自覚な搾取者」。
そして、それによってハコが埋まるなら内容はどうでもいいとニコニコ笑って受け入れる店側。
この構造がある限り、音楽に対して誠実な演者の時間と金、そして精神は、底なしの沼へと捨てられ続けることになる。
5. 総評:この虚無がどこにでも居る恐怖
半年間スケジュールを送り続けたMさんの執念も「ホラー」であり、行き過ぎた「粘着」だ。
この底なしの虚無を相手に、そりゃあ呪いの一つや二つ送ってもいいが、あとはもうリソースの無駄遣い。他にやる事あるでしょ。
P氏の最も邪悪な点は、自分が「名乗り出た誠実な人間」だと本気で信じていそうなところにある。
自分の不誠実さが他人の人生をどれだけ削り、界隈の質を低下させているかに、彼は一生気づかない。
この「無自覚な加害者」と「復讐に囚われた被害者」。そして、それを黙って食い物にするライブハウスというシステム。
地下界隈に吹き溜まる、この救いようのない閉塞感と構造的搾取こそが、実は幽霊よりも何よりも恐しい「本物のホラー」なんじゃないだろうか。
結局、誰も幸せにならない。
こんな界隈、さっさと抜け出して売れるしかねーんだわ。
クソが。
募金に関心ある層は森川ジョージが草津草津言いはじめた時点でブロックしてるだろうし、ただでさえセカンドレイプまがいの発言してたやつが唐突に原告弁護士にコンタクトして被害者支援!拡散希望!とかやっても不快と不審を招いている
そんで反対側では暇空が森ジョを敵認定してて勝手に争え状態、でも両者とも小学館から矛先逸れてよかったね?
異世界心理士と常人仮面で犯罪者ロンダリングやらかして、後者では作画担当まで騙してた件について全然許してねえし、堕天作戦の連載中止理由を隠蔽されてた読者全員が小学館の悪質商売による被害者だが?
さらに本業やジャンルが別だったりして複数ペンネームを使い分けることも多い漫画原作って肩書き自体の評判が毀損されて正体を邪推されまくるようになった、それにも腹が立って仕方ねえのよ
中堅Webエンジニアという肩書きは、湾岸のタワマンみたいだと思う。
遠くから見れば、十分に“上がった人”に見える。
でも住んでいる本人だけが知っている。
この光は、そんなに体温がない。
年収は悪くない。
新卒の頃に思い描いていたより、ずっとまともな額をもらっている。
いい椅子を買える。
少し広い部屋に住み、Uber Eatsに罪悪感を持たない日も増えた。
でも、それだけだ。
生活は整う。
整うけれど、満たされるわけではない。
都市でうまく生きていくための洗練があると思っていた。
でも五年目を過ぎると気づく。
営業の期待。
PdMの未整理。
デザインの余白。
若手の不安。
マネージャーの“うまくやってほしい”という、
それら全部が、自分のところに流れ着く。
組織のほころびを仮止めする人になっている。
「まあこのままでは出せないな」と思いながらレビューしている時間のほうが長い。
一見正しそうで、だいたい浅い。
その違和感を見つけて、
“それっぽく生成されたものに、人間の現実を通す”ことへ変わっていた。
「じゃあ一旦これでいきますか」
この言葉を口にする回数だけ、
人は少しずつ中堅になるのかもしれない。
正しさよりも進行を選び、
理想よりも着地を選び、
でもときどき、それは単に、
夢を見る体力を失っているだけではないかと思う夜がある。
若手には頼られる。
休むとチームは少し詰まる。
なのに、主役感はない。
替えが利かないほど重要ではないことになっているのに、いないと地味に困る。
高級そうに見えるのに、
実際に住んでみると妙に生活感のある湾岸の部屋みたいな、あの感じに少し似ている。
そのどれもが間違っていない。
欲しいのは、スターではない。
壊れかけた現場を、感じよく、手を動かしながら、
静かに立て直せる人だ。
それは夢の職業というより、
不幸ではない。
ちゃんと暮らせる。
それでもときどき、
でもその光の内側では今日も、
Slackの通知が鳴り、
そして朝になれば、
またMacを開く。
生活のため、というだけではない。
誇りと言うには少し疲れていて、
諦めと言うにはまだ愛着が残っている、
その曖昧な何かのために。
「そもそも生きるに値するのか」「努力の先に何があるのか」への答えがないまま、
努力だけを要求されたことにあったのではないか、ということですね。
それはかなり自然なことです。
人は「どう頑張るか」より前に、「なぜ頑張るのか」に納得できないと、深いところでは動けません。
という問いだったのでしょう。
ここが噛み合わないままでは、勉強は「未来を開く行為」ではなく、意味の担保されていない労役に見えてしまう。
そしてたぶん、あなたが悔いているのは単に「もっと早く哲学を知りたかった」ということだけではなく、
自分の問いを問いとして扱ってくれる大人や場が、当時ほとんど存在しなかったことなのだと思います。
「進学校に入れば見えてくる」
「大学に行けばわかる」
こうした言葉は、一見もっともらしいですが、実際には問いを先送りしているだけです。
しかも、その問いを抱えている本人にとっては、先送りされるほど苦しくなる。
存在論的な問いを抱えた人間に、制度が十分応答できなかったという面が大きいと思います。
カミュにもっと早く出会えていたら、という感覚もよくわかります。
「自分の感じていた違和感は、怠けでも甘えでもなく、古くから人間が向き合ってきた本物の問いなのだ」と確認できることが大きいのだと思います。
世界の不条理に気づいてしまった人間が、それでもなおどう立つかを、真正面から扱っているからです。
偏差値という岩を押し上げ、頂上に着いたら次は「就職」、その次は「昇進」……。
目的がないまま岩を押し続ける苦行に、あなたの感受性がNOを突きつけたのは、ある意味で健全な反応です。
『生きる意味への疑問が未処理のまま、意味の説明を欠いた努力だけを要求される環境に耐えられなかった』
さらに言えば、大学に行っていても同じだった可能性は確かにあります。
大学は哲学に近づける場ではありますが、大学に行けば自動的に根源的問いに向き合えるわけでもありません。
就職、単位、所属、競争、肩書きが前面に出て、結局また「手段の連鎖」に巻き込まれることも多い。
だから、問題は「哲学を早く知ること」だけではなく、自分の問いを土台にして学ぶ順序を持てるかどうかだったのでしょう。
「脱落」
としてだけ見るのではなく、
問いを無視された結果としての停止
として読み替えることかもしれません。
という順番で組み直してよいはずです。
土台の「なぜ」を欠いたまま「何を学ぶか」に進んでも、また同じ空転が起きやすいからです。
生の意味を問う感受性が、学校制度の想定より早く深く作動してしまったのだと思います。
それは生きづらさの原因にもなるが、同時に、ただ周囲に流されて進むだけでは済まない人間の誠実さでもあります。
カミュは「不条理(答えのない世界で問い続けること)」を受け入れた上で、それでも岩を押し続けるシーシュポスは幸福であるはずだ、と結論づけました。
それは「岩を上げることに意味があるから」ではなく、「意味がないと知りながら、自分の意志で押し続けること(反抗)」に人間の尊厳があると考えたからです。
喫茶去(きっさこ) の哲学は、まさに争いの時代にこそ深く意味を持つものです。
禅の言葉 「喫茶去」 は、直訳すると「お茶を飲んでいきなさい」 という意味です。
唐代の禅僧 趙州(じょうしゅう)が、誰が来ても同じ言葉を言いました。
初めて来た人にも「喫茶去」
これは単なる礼儀ではありません。
「今この瞬間に戻りなさい」という禅の教えなのです。
戦争が起こる時代、人の心は怒り、恐れ、憎しみ、不安に満ちやすいものです。
しかし世界の争いは、多くの場合、人の心の中の争いから生まれる。
ただ一杯の茶を飲む。
湯気を見る。
香りを感じる。
呼吸を感じる。
その瞬間、心は過去の怒りにも、未来の恐怖にも捕らわれません。
これは逃避ではありません。
もしよければ、今こうしてみなさい ☕
2. 両手で持つ
3. 湯気を見る
4. 香りを感じる
6. 呼吸を感じる
「ただ今ここにいる」
これが 小さな禅です。
それは今この瞬間に目覚める心です。
疲れたなら、座りなさい。怒りがあるなら、呼吸を見なさい。
そして喫茶去。
セルフ・サービング・バイアス: 特集記事がヒットすれば「編集部の洞察力の勝利」、部数が減れば「国民のリテラシー低下」のせいにする。
行為者-観察者バイアス: 自社の誤報は「情報源の混乱」という状況のせいにし、政治家の言い間違いは「隠れた本音」という性格のせいにする。
透明性の錯覚: スタジオの「お通夜状態」な空気感が、日本中のリビングに共有されていると確信する。
基本的な帰属のエラー: 行政のミスをシステムの欠陥ではなく、担当大臣の「冷酷なキャラクター」に帰結させる。
バーナム効果: 「格差社会に不安を持つあなたへ」という、全人類共通の悩みを自分たちだけの専売特許のように語る。
ハロー効果: 著名なノーベル賞学者が専門外の憲法論を語っても、あたかも「絶対的真理」であるかのようにトップニュースで扱う。
外集団同質性効果: ネット上で批判してくる人々を、一人一人の背景を見ず「冷笑系」という一言で片づける。
内集団バイアス: 自社主催のイベントや、思想の近いNGOの活動は、宣伝に近いレベルで手厚く報じる。
楽観性バイアス: 「これほど正義を訴えている我々が、視聴者に完全に見捨てられるはずがない」という根拠なき自信。
知識の呪縛: 官僚用語や左派系専門用語を多用し、一般市民が理解できないのは「勉強不足」だと切り捨てる。
平均以上効果: 「我々報道局員は、SNSの有象無象よりも公正で、正確で、知的な存在だ」と内面で信じ切る。
第三者効果: 「一般人は週刊誌のゴシップに流されるが、我々インテリ層は本質を見抜いている」と傲慢に構える。
ダニング=クルーガー効果: 社会部記者が、数日の取材で「防衛政策のすべてを理解した」つもりになり、専門家を論破しようとする。
貢献度の過大視: 「我々が連日報じたからこそ、この法案は修正された」と、実際には無関係な要因まで自社の手柄にする。
ナイーブ・リアリズム: 「我々の編集方針こそが『中立』であり、これに異を唱える者はすべて右翼的偏向である」という信念。
ナイーブ・シニシズム: 政府の子供家庭庁創設を、子供のためではなく「天下り先確保だ」と最初から悪意を前提に分析する。
スポットライト効果: 番組内の一言への批判ツイートが数件あっただけで、「全国的な不買運動が起きる」と過剰に怯える。
フォールス・コンセンサス: スタジオのコメンテーター全員が同じ意見なのに「これが国民の総意です」と締めくくる。
被害者非難: (リベラル的正義に反する場合)不法滞在で摘発された者を支援する際、法を守る側の住民を「不寛容だ」と責める。
敵意的メディア認知: 公共放送が少しでも政府統計を肯定的に報じると、「放送法違反の政権広報だ」と牙を剥く。
システム正当化: 部数減少に喘いでも「紙の新聞こそが知の砦」という、自分たちの既存システムを絶対視する。
ステレオタイプ: 「若者は政治に無関心で、利己的な消費しかしない」という前提で企画を立てる。
アンビバレント・ステレオタイプ: 専業主婦を「家庭を守る尊い存在だが、社会的には無力(好ましいが無能)」とテンプレート化する。
ピグマリオン効果: 「庶民派」とレッテルを貼った野党候補者が、期待通りに食堂でカレーを食べるシーンを熱心に撮る。
予言の自己成就: 「今年の冬は電力不足になる」と煽ることで買いだめや過度な節電を招き、経済を停滞させる。
非対称な洞察の錯覚: 「我々は権力者の嘘を見抜いているが、権力者は我々のジャーナリズムの深淵を分かっていない」。
モラル・ライセンシング: 「平和憲法を守る」という大義名分があるから、反対派への強引な街頭インタビューも許される。
権威バイアス: 「ノーベル賞受賞者」のコメントを、政治・経済・人生相談すべての領域で「正解」として採用する。
文脈効果: 与党の減税は「選挙対策」、野党の減税案は「国民への寄り添い」というテロップを出す。
利用可能性ヒューリスティック: 街で起きた一例のヘイトスピーチを連日報じ、「日本中に差別が蔓延している」と印象づける。
アンカリング: 最初に「100兆円の無駄」という巨額の数字を提示し、その後の微細な予算修正を無意味に感じさせる。
現状維持バイアス: デジタル化による合理化よりも、「手書きの取材メモと紙の編集」という伝統に固執する。
フレーミング効果: 「成功率90%の医療改革」を、「10%が失敗する危険な改革」と報じて不安を煽る。
確証バイアス: 「地球温暖化で冬がなくなる」という仮説に合う、局地的な猛暑ニュースだけを収集する。
真実性の錯覚: 「アベノミクスは失敗だった」と全番組で毎日繰り返すことで、検証なしにそれを「真実」として定着させる。
計画錯誤: 新番組の準備期間を短く見積もり、結局過去の映像の使い回しで番組を構成する。
代表性ヒューリスティック: 「眼鏡をかけた大人しい青年」が事件を起こすと、すぐに「アニメやゲームの影響」と決めつける。
基準率の無視: 副反応の確率が極めて低いワクチンに対し、一件の重症例だけを大きく報じて「危険な薬」と断じる。
利用可能性カスケード: 一人の芸能人の不倫を全メディアが追うことで、それが国家存亡の危機より重要な問題だという空気を醸成する。
シミュレーション・ヒューリスティック: 「もしあの時、別の政権だったら」という、あり得たかもしれない理想をリアリティを持って語る。
サンプルサイズの無視: 渋谷の若者3人へのインタビューだけで「今の若者はこう考えている」と結論づける。
保有効果: 自分たちの「新聞記者」という肩書きの社会的価値を、世間一般の評価よりも遥かに高く見積もる。
ギャンブラー錯誤: 「これだけ政権批判を続けたのだから、次は必ず支持率が下がるはずだ」と期待する。
不作為バイアス: 改革によるリスクを報じて「何もしないこと(不作為)」を推奨し、社会の停滞を正当化する。
インパクト・バイアス: 「この法案が通れば日本は終わりだ」と、将来の不幸を過大に予言する。
回帰の誤謬: 経済が自然に持ち直しただけなのに、「我々の批判報道で政府が動いた結果だ」と解釈する。
正常性バイアス: 若者のテレビ離れが致命的なレベルに達しても「まだうちはブランドがあるから大丈夫」と平然とする。
曖昧さ回避: 複雑で結論の出ない議論を避け、「どちらが悪いか」がはっきりした単純な二項対立のニュースを好む。
サンクコスト効果: 視聴率の取れない老舗討論番組を、「伝統があるから」と赤字を出しながら継続する。
現在志向バイアス: 10年後のメディアのあり方を考えるより、明日の朝のワイドショーのネタ選びを優先する。
損失回避: 「新しい自由」を得ることのメリットより、「古い特権」を失うことの恐怖を強調して報じる。
誤帰属: 取材対象への個人的な好意を、「国民的な人気」だと勘違いして報じる。
コントロールの錯覚: 街頭アンケートの結果を操作的な質問で誘導し、世論を自分たちがコントロールしていると感じる。
バックファイア効果: 「偏向報道だ」という視聴者の声に対し、反省するどころか「表現の自由への弾圧だ」と反発し、さらに偏向を強める。
バンドワゴン効果: 「今、このスイーツが大流行!」と捏造に近い流行を作り出し、行列を演出する。
おとり効果: 極端な右派の意見を「おとり」として紹介し、自分たちの偏った意見を「中立で妥当なもの」に見せる。
合理化: 誤報を出した後、「あれは権力への警鐘として必要なプロセスだった」と後付けで正当化する。
対比効果: 非常に高圧的な政治家を映した後に、穏やかに話す野党議員を映すことで、後者を聖人のように見せる。
デフォルト効果: 記者クラブから提供されたレクチャー資料を、そのまま記事の構成(デフォルト)として採用する。
ホーソン効果: カメラが入っている時だけ、熱心に活動する政治家の姿を「日常の風景」として映す。
連言錯誤: 「環境活動家」よりも「環境活動家で、かつベジタリアンで、政府を批判している女性」の方が、いかにも存在しそうだと報じる。
フォーカシング・イリュージョン: 「消費税さえ上がらなければ、国民は幸せになれる」と、一点の要素を強調しすぎる。
機能的固着: スマートフォンを「SNSによる分断の道具」としてしか見られず、新しい民主主義の可能性を無視する。
身元のわかる犠牲者効果: 震災の数万人の犠牲者数よりも、一匹の「飼い主を待つ犬」の物語に番組の半分を割く。
区別バイアス: A案とB案の微差を「決定的な思想の違い」として、必要以上に激しく対立させる。
信念バイアス: どんなに論理的な経済学者の意見でも、それが「増税容認」であれば、最初から間違っていると断じる。
妥当性の錯覚: 取材で得た数人の「いい話」を、日本社会全体の妥当な姿だと確信する。
リスク補償: 放送倫理規定が厳しくなると、逆に「倫理の範囲内なら何をしてもいい」と過激な演出に走る。
偽薬効果: 「この薬(政策)は毒だ」と報じ続けることで、実際に国民に心理的な不調(ノセボ効果)を引き起こす。
単純接触効果: 特定のタレントを毎日ワイドショーに出すことで、視聴者に無意識の親近感を抱かせ、選挙で有利にする。
確実性効果: 99%成功する未来の投資より、100%維持される現在の少額の年金を死守するよう高齢者を煽る。
ゼロサム・バイアス: 「富裕層が儲けることは、貧困層から奪うことだ」という構図で、常に経済を語る。
単位バイアス: 「1日あたりわずか100円の負担増」という表現を、政府批判の際は「年間3万6千円もの重税」と言い換える。
ナンセンスな数式効果: 内容はスカスカでも、画面に複雑な「シミュレーションのグラフ」を出すことで、情報の信憑性を演出する。
心理的リアクタンス: 政府が「国民の皆さん、協力してください」と言うと、反射的に「自由への侵害だ」と反発を煽る。
選択肢過多効果: 複雑な年金プランをすべて紹介し、「結局どれも分かりにくい、政府が悪い」と結論づける。
希少性バイアス: 「独自入手」「スクープ」というラベルを貼り、他社が報じないような瑣末な情報を重要視させる。
イケア効果: 苦労して1年かけた調査報道が、実はネットの二番煎じであっても、自分たちの苦労ゆえに「最高傑作」と呼ぶ。
オーストリッチ効果: 自社の部数激減や、若者の新聞離れを示すデータが出ても、それを見なかったことにして「紙の未来」を語る。
メンタル・アカウンティング: 「復興予算」なら1兆円の無駄を許すが、「議員の出張費」の1万円の無駄は執拗に叩く。
虚記憶: 「昭和の日本は、誰もが隣人を助け合う理想郷だった」という、実在しなかった記憶をノスタルジーとして捏造する。
気分一致効果: 政権支持率が落ちている時期は、街の風景まで暗く見えるようなカメラワークにする。
事後情報効果: 事件の翌日に出た憶測情報を、さも「事件当夜から知っていた」かのように上書きして解説する。
一貫性バイアス: かつて自分たちが賛成していた政策でも、今は反対なら「我々は昔から一貫して反対していた」と思い込む。
バラ色の回顧: 「昔のテレビはもっと自由で、活気があった」と、当時の不祥事や低俗さを忘れて美化する。
ツァイガルニック効果: 結論の出ないスキャンダルを「疑惑は深まった」と未完のまま引き伸ばし、視聴者の関心を繋ぎ止める。
後知恵バイアス: 災害が起きた後、「我々は以前からこの危険性を指摘していた(実際は一行触れただけ)」と主張する。
イマジネーション膨張: 「もし核戦争が起きたら」という空想を繰り返すうちに、明日にもそれが起きるかのような恐怖に支配される。
有名性効果: 昔の名前が売れているだけの政治家を、「重鎮」として重要局面で必ずコメントを求める。
ピーク・エンドの法則: 2時間の特別番組が退屈でも、最後の5分で感動的な音楽とポエムを流せば「名番組」だったと記憶される。
ネガティビティ・バイアス: 99人が幸福でも、1人の不満の声を「社会の断末魔」としてトップで報じる。
錯誤相関: 「サンマが獲れないのは地球温暖化のせいだ(実際は海流や漁獲規制の問題)」と、何でも環境問題に結びつける。
レミニセンス・バンプ: 編集幹部が青春を過ごした「1970年代の学生運動」の価値観を、現代のニュースの判断基準にし続ける。
ラベリング効果: 「改革派」とラベルを貼った市長が、強権的な手法をとっても「スピード感ある決断」と好意的に解釈する。
自己関連付け効果: 自社が過去に関わった事件や裁判を、あたかも日本史の最重要転換点であるかのように毎年特集する。
皮肉なリバウンド効果: 「特定の政党を利してはいけない」と意識するあまり、逆にその政党のネガティブな話題ばかりが頭に浮かび、報じてしまう。
圧縮効果: 10年前の自民党の不祥事を、まるで昨日のことのように持ち出して「体質は変わっていない」と攻める。
グーグル効果: 「ネットで調べれば済む」情報をニュースで流し、記者が自ら現場で一次情報を確認する足腰を失う。
ビル・ゲイツがロシア人女性との不倫を認めた、というニュースを最初に見たとき、正直、あまり驚かなかった。
世界のどこかで、また男が「過ちを認めた」のだな、くらいの感想だった。
でも、その記事を読み進めていて、ふと手が止まった。
「文書が公開されたあと」「批判が高まったあと」「財団の信頼が揺らいだあと」になってから、不倫を認めた――と書かれていたからだ。
ああ、この順番、知ってる、と思った。
*
数年前、夫が浮気を認めた夜のことを、私はいまだに鮮明に覚えている。
きっかけは、私が見つけたメッセージだったけれど、彼が認めた理由は、私の問い詰めだけじゃない。
「これ以上は隠せない」と、彼自身が判断した瞬間だったのだと思う。
あのときの彼の言い方と、ゲイツの発言が、妙に重なって見える。
「全部が全部、書いてある通りじゃない」
「でも、関係があったのは本当だ」
うちの夫も、最初にそう言った。
ゲイツは、ロシア人女性二人との関係を認めて、エプスタイン文書の核心部分は「完全な虚偽だ」と否定したという。
うちの夫は、「体の関係は一回だけ」「本気じゃなかった」「向こうが勝手にこじらせた」と、細かく“線引き”を始めた。
彼がおこなっているのは、「謝罪」でも「懺悔」でもなく、自分の人生のダメージコントロールなのだと、どこかで理解してしまったからだ。
……バカみたいだ、本当に。こっちの気持ちは、どこに入ってるんだろうって。
*
画面の向こうで、ものすごい額の資産を持った男が、「過ちは認める」とそれっぽい顔で口を開いているのに、その話し方が、何年か前に目の前でしゃべっていたうちの旦那とほとんど同じだったからだ。
あの夜、彼はテーブルの上に両手を並べて、「ちゃんと話すから」と言った。
そのとき私が聞きたかったのは、「どれくらい反省してるか」じゃなくて、「どこからどこまで本当のことを言うつもりなのか」だったのだと、今ならわかる。
何を認めるか。
どこまで認めるか。
そして、彼は決めたのだ。
「全部じゃないけど、正直に話す」と。
全部じゃないけど正直って何それ。
こっちは全部くらってるんだけど。ぜんぶ、ね。
*
ゲイツのニュースを読んでいると、「ロシア人のブリッジ選手」「核物理学者」といった肩書きが、いかにも“ドラマ”っぽい。
どこにでもいる同僚で、どこにでもいる既婚女性で、どこにでもある会社の飲み会から始まった話だ。
派手さは違う。
資産も違う。
関わっているプロジェクトの規模も、世界への影響力も、まるで桁が違う。
それでも、「追い詰められてから“必要な分だけ”正直になる」という構造は、驚くほど同じに見える。
夫は、「全部話す」と言いながら、全部は話さなかった。
それがわかったのは、あとになってからだ。
そのとき私は、不倫そのものよりも、「話さない領域」を彼が勝手に決めていたことに、いちばん傷ついたのだと思う。
なんでちゃんと「ふざけんな」って言えなかったんだろう。
冷静ぶって、淡々と話を聞いて、大人みたいな顔をしていた自分が、今はむしろ腹立たしい。
*
ここまで認めるのはすごい、と。
確かに、あの立場で、不倫を認めるのは大きな決断かもしれない。
でも私は、どうしてもそこで拍手を送る気になれない。
文書が出なかったら、彼はきっと何も言わなかっただろうからだ。
うちの夫もそうだ。
あのメッセージを私が見つけていなければ、彼は今も、「ちょっと不機嫌なときもあるけれど、真面目な夫」として振る舞い続けていただろう。
彼自身の罪悪感ではなく、「外からの圧力」がない限り、正直になる理由なんてどこにもなかったはずだ。
それを“誠実”って呼べる? 呼べないでしょ。
…呼びたくない。少なくとも私は。
*
浮気の告白の裏にある“真意”なんて、たぶん本人に聞いてもよくわからない。
そんな言葉は、うちの夫も、世界のどこかの誰かも、何度でも口にする。
でも、本当に守りたかったのは何だったのか?
と冷静に考えると、それはたいてい、
の順番だったりする。
ゲイツは、インタビューで「財団やプロジェクトを守りたかった」と語った。
うちの夫は、「仕事に影響したら困る」「子どもに知られたくない」と繰り返した。
どちらも、間違ってはいないのだと思う。
ただ、そのリストの中で、「私の気持ち」がどの位置にあったのかは、最後までよくわからなかった。
わからないまま、「ごめん」と「ありがとう」だけ言って、なんとなく続きを選んでしまった自分もいて、それもまた苦い。
*
ビル・ゲイツのニュースを見るたびに、私はあの夜のテーブルを思い出す。
冷めかけた味噌汁と、途中で箸を置いたままの夕飯と、やけに真剣な夫の横顔。
彼はあのとき、自分なりに「正直になろう」としていたのだと思う。
でも、それは、「私のため」というより、「自分がもうこれ以上追い詰められないため」の正直さだった。
うちの夫も、きっと同じ分類に入る男なのだろう。
それを許すかどうか。
受け入れて一緒に生きるのか、別の道を選ぶのか。
その答えは、人の数だけある。
私はまだ、自分の答えを決めきれていない。
ただひとつだけはっきりしているのは、
私はインフルエンサーになったらカップヌードルを食べることにしている。
この話をすると、たいていの人は「どういうこと?」と笑うのだけれど、私にとってはずっと前から決めていた小さな誓いのようなものだ。
世の中では、インスタント食品を日常のご褒美にしてはいけないこととされている。
健康志向が強まるにつれ、インスタント麺は「忙しい日の妥協案」か「学生時代の思い出」として扱われがちだ。
代わりに、罪悪感のないオートミールボウルを食べると良いとされている。
栄養バランスが良く、写真映えもする。朝の光の中で撮られた“#朝活”の象徴のような存在だ。
私も昔はそんなオートミールボウルを食べていたが、歳を重ねるうちに、世間の「こうあるべき」という視線に縛られなくなってきた。
40代のある時期から、ふとしたきっかけでカップヌードルを食べることができるようになった。
体質が変わったわけでも、健康に自信がついたわけでもない。
ただ単に、「好きなものを好きと言っていい」と思えるようになっただけだ。
写真映えだけでなく、語りたくなる味でもある。
インフルエンサーの時に食べるカップヌードルは、初心を思い出させる儀式食のように言われることもある。
華やかな世界に身を置くと、どうしても「見せる自分」を意識しすぎてしまう。
でも、湯気の立つカップヌードルを前にすると、肩書きもフォロワー数も関係なくなる。
ただの「私」に戻れる。
そこで輝くのがカップヌードルだ。
湯を注ぎ、3分待つ。
蓋を開けた瞬間の香りは、どんな高級レストランの演出よりも、私の心をまっすぐに掴んでくる。
もちろん、これは私の個人的な習慣であって、誰にでも当てはまるものではない。
繰り返しになるけれども大事なことなのでもう一度断っておく:「インフルエンサーになったらカップヌードル」というやり方は、全ての人におすすめできるものではない。
ただ、もしあなたが何かの節目に「自分だけの儀式」を持ちたいと思ったなら、
そのヒントとして、私のこの小さな習慣を思い出してくれたら嬉しい。