はてなキーワード: 主催者とは
先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。
きっかけはTwitterで「公募でエッセイを募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつのテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。
限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイを執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジーの献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。
自分の文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイやブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名で掲載することも可能」と応募要項に書かれていたことから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)
文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。
見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前の最後に「他」と書かれていただけ。
たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身の名前をアピールしたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。
この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイートを拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身のアカウントで引用ツイートした。
告知画像に自分の名前が載っていないのに「このアンソロジーに寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。
企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートはリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。
リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像に名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントをひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。
一方私のアカウントは、日常をツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント。
それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントにリツイートされることはなかった。その間も万単位のフォロワーがいる、名前の掲載されたアカウントばかりが企画アカウントにリツイートされていた。
動けば動くほど、恥ずかしかった。
文学フリマ当日、アンソロジーは完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんとツイートは見れなかった。
文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。
自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ。
おや、と思いつつもエッセイ自体が面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。
そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイは自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。
あまり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後の文章は以下の通りだった。
"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"
ああ、なるほど。
企画主催者が自分の好きな著名人に文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。
本をパラパラとめくると、企画主催者がお金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督、写真家、小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。
一方自分の掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置に掲載されており、名前のみの掲載だった。
恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。
私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイターに文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。
企画主催者が公募でエッセイを募集したのは、本のボリュームを出したかったからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちからの募集ではなかったのだ。企画主催者は特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。
公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人の自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイターの自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。
別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。
せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。
「このテーマで文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐なものに見えてしまって以降この本を読めていない。
テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。
所詮趣味の同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202207/sp/0015506723.shtml
斎藤知事は事件後、これまで参加した会議や行事の主催者などの確認を秘書課に指示。教会関連の催しに出席した形跡はなく、祝電も送っていなかったという。「政治活動での(教会との)交流もない」と話した。
どうせ鈴木エイトやらが斎藤のことも這いずり回って調べたに決まってるので、まだ出てないということは上記のコメントは信憑性が高い。
もし証拠があったら既にその辺が勝ち誇って大騒ぎしてるはず。
https://ffwpu.jp/news/5873.html
兵庫県知事選挙(10月31日告示、11月17日投開票)に関連し、一部SNSで「統一教会は斎藤元彦氏(前兵庫県知事)を支持している」などとする誤った情報が流れていますが、当法人が斎藤氏を支持している事実は一切ありません。
なお、当法人の教会員が街頭演説で同知事選に言及している動画が一部SNSに掲載されていますが、これはマスメディアの報道姿勢の問題点を指摘する趣旨で言及したものです。同教会員個人が、知事選に立候補している斎藤氏への支持を表明しているものではありません。
統一協会の言うことなんか信用できるか!という手合いも居るだろうが、じゃあ「我々は安倍さんと自民党を支持してました」っていう言葉も信用しないの?どちらも同じ統一協会の発言ですよ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240919/k10014585671000.html
兵庫県の斎藤知事がパワハラの疑いなどで告発された問題で、県議会の各会派などが提出した知事の不信任決議案は全会一致で可決されました。
"統一協会に支配された"はずの自民党が、同じく"統一協会がバックに着いている"はずの斎藤元彦の不信任案に賛成する不思議。
ここまででも既にファクトチェック完了!デマ!とバッサリやって良いレベルだが、
未だにこの説を流布しているはてブやXユーザーが開陳する「根拠」も確認しておく。
兵庫県知事選 「告発はクーデター」説バズり“パワハラ知事”斎藤元彦氏、逆転か
https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20241114-187005/
アンチ斎藤が「ほらやっぱり統一協会が斎藤を支持してるじゃないか!」と根拠の一つにしている世界日報の記事。
全文無料なので読めば分かるが、立花孝志のポストをダシにマスゴミガー!と吠えてるだけのクソ記事である。
最大限好意的に読んでも、マスコミに苛められてる斎藤可哀想!SNSを駆使してマスゴミぶっ壊せ!という応援メッセージ。1ミリも事実がない感想文でしかない。
これが何かの「証拠」になると思ってるなら、この記事を書いた記者と同レベルの脳ミソをしているに違いない。
https://x.com/SuspendedNyorai/status/1855234264859803772?t=NPebEwdPs_EUlhwa9myHsA&s=19
世界日報と合わせて「統一協会がバックにいる証拠だ!」とアンチ斎藤が嬉々としてリポストしている動画。
それ以上でも以下でもない。
もし動画の範囲外で「協会みんなで斎藤を応援しましょう!」的な言及が有ったなら話は別だが、
反統一協会アンチ斎藤が拡散する動画なのに、そういう肝心要の部分が入ってないなんてことが普通あるか?
一番困ったのがこれ。とにかくソースが無い。
N国の濱田議員が統一協会を擁護する国会質問をしたという批判は過去有ったが、立花本人ではない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/chidaism.com/news/20241111-01/
この記事が事実であれば、立花本人が関係を認めたということになる。
このライターの信用度については本筋ではないので言及しない。参考として、同ライターが書かれた他記事をいくつか紹介しておく。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/chidaism/n/n9260989c624a
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/chidaism/n/ne2534bc8f8a7
個人的には、今回の選挙で立花孝志はそこまで影響力があったのか?という疑問がある。
彼は所詮選挙ショービズで金を稼ぐパフォーマーであり、斎藤は二の次で自分を効率よく世に売り込むためのダシとしてしか見ていなかったように思う。
無事再選した結果、よほどのことが無ければこの先4年斎藤は選挙と無縁になる。立花にとって斎藤の利用価値はもう無くなったと思われる。
理由はひとえに斎藤県政で自分が困らなかったからである。積極的に現状維持を選択した。
2人自殺したというが、その原因が分からないまま選挙に突入したので投票するに当たって考慮に入れなかった。
ちなみに、失職直後の駅立ちをしている斎藤元彦を冷やかしで見に行ったことがある。
当時はまだ「斎藤現象」前で、本当に一人でぽつねんと駅の前に立ち黙ってお辞儀を繰り返しており、
誰も斎藤に興味を持たずスルーしていた。今となっては信じられないが本当だ。
その様子を見たとき、この男は狂人なのかストレスで壊れたのかなとしか思わなかったし、もちろん再選するようには全く見えなかった。
たった1ヶ月でここまで世論が逆転するとは思わなかったね。
先日10月19日、両国国技館で行われた「Red Bull Home Ground APAC Qualifier」というeスポーツイベントで、先着順で購入した枡席最前列のチケットを持って会場に行ったら座席が1列丸ごと存在しなかった。その列のチケットを持った者たちは開演ギリギリまで待機させられ、結果枡席最後列の案内となった。スタッフから「列を間違えて発券してしまったので本来はこの席」と説明があった。
その日枡席のチケットは20000円(グッズ付き)もしくは12000円で販売されていたが、枡席後列は学生見切れ席として4000円で販売されており、それより後ろの最後列が本来の席というのはおかしい。代替席としてはダウングレードもいいとこだ。
イベントが半分以上過ぎた開場7時間後、謝罪の紙面と本来の最後列チケットとやらを持ってスタッフがやってきた。紙面を一部抜粋すると「皆様への本件に関するご連絡については、弊社にて関係各所と詳細を調整中でございます。」と書かれている。要するに未定だ、返金すら。調整とやらの結果はメールで来るらしいが、3日経った今も音沙汰は無い。
ちなみに、公式SNSはこの件についてダンマリだ。2日目となる20日の当該チケットを持った者への公式発表も無い。比較的客層が若いこともあって、この件について声を上げる被害者も少ない。少なくとも44枠ぶんの被害者がいたはずなのに。このまま事は大きく取り沙汰されず、なあなあで静かにチケット代のみの返金が行われるのか?
8月にうたプリで似た問題が起きた際のはてブを、私もいつか読んでいた。あの時は野次馬だったが、もう一度読み返すと「運営を攻める役割を背負わされるのしんどい」という文に共感して涙が出そうだった。被害者だけ文句を言え!という言葉はここ数日何度も見た。先着順で最前列を取るほど楽しみにしていたイベントに対し声を上げ、ましてや出るとこ出るなんてエネルギーは……。うたプリで起きた時に関わっていたイベント管理会社にキョードー横浜があるが、今回の件で関わっていたイベント管理会社はキョードー東京だ。もちろん、どの企業や運営に原因があるのかまだ分からないにせよ、いま大きな問題にならなければまた同じ事が起き悲しむ人が出るんじゃないかと思うと、声を上げずにはいられない。
向こうは謝罪と返金以上は出来ないことは分かってる。ただ多くの人に知ってもらうことで、再発防止策を重くとってほしいと願うばかり。
分かる限りの運営側
Red Bull Home Ground 2024 APAC Qualifier 事務局
【追記】
ローソンチケットのメールアドレスで、主催者(事務局)からのお知らせという形で謝罪文が届いた。
メールの内容と文は無断転載禁止と書かれている。ので結果だけ書く(これも書いたらまずいのかもしれない。とことん内側で済ませようとしていると思ってしまう。消えてたら察してくれ)
結果は、チケット購入代金の全額を返金ということになった。グッズ付き枡席はグッズ代8000円を除いた金額を返金。
書き方的に、手数料含むの返金だろう。
正直、交通費(自分は新幹線代往復3万円ほど)とまでは言わないが、待機が発生したことで開演前に物販や数量限定の列に並べなかったり、あの日のイベントは帰ってこないという気持ちを汲んで欲しいと期待していたが…これに関しては納得することにする。
反応してくださった皆さん、ありがとうございました。
全くの余談だが、今回チケットを購入するにあたり席代に加え手数料が先行サービス料2200円+システム利用料880円+電子チケットサービス料440円が加算されている。ので、自分は通常枡席なので計15,520円の返金になるだろう。手数料高いな!
あれ奇妙だよね
まあなんやかんやでそうなったんだと思うんだけど
芸能人とかそういう感じなんだっけ?
黎明期は違和感なかったんだけどね、ギャンブルだから「売れなかったらそいつの責任」くらいリスク負わなきゃできなかった
じゃあ個人事業主なのなんでだろ?というのは疑問
まあ個人の納得感はあるかもしれない、会社になったら自分のスパチャなんかを新人のMVとかに使われる可能性もあるわけだし
でも会社側から見たら、自社のIPが全員個人事業主っていうの、建付けとして恐ろしいなって気もする
だから新しいことやろうとしてるのかもしれないけど、てかこの建付けで上場できるんだな
UUUMができたならできるか、いやUUUMは野良のYoutuber引っ張ってこれるけどVはできないしな、やっぱムズくねこの建付け
そういえば去年までの大型箱企画はどうだったんだろう
こんこよ曰く「最近ライバー主体の大型箱企画のノウハウが溜まった」らしいから、最近そういうのが多いのはそういうことかもしれん
てかあれらの大型箱企画がライバー主催と考えると、主催者めっちゃ頑張ってるね
こんこよは元々つよつよだろうけど
水都くらわんか花火大会ってなに?っていう人いそうなので説明しておくと、大阪の枚方・高槻方面で開催されてる地方の花火大会。今年は9月15日(日)開催。
前身のなんとか花火大会も含めれば十数年の歴史があるらしい……けど、それはどうでもよくて。一昨年初めて行ったら音楽含めてとてもいい感じだったので、妻と二人で夏の思い出にということで有料席 * 2を買って見に行ってきたんだ。無料席もあるんだけど、場所とりとか一昨年色々大変だったから今年は多少お金出して楽しようと。
ロケーションとか音楽は凄く良かった。晴れた河川敷で、どこか郷愁を感じさせる音楽が流れてて、夏ももう終わりだな……って感じさせられるものだった。花火も思わずスマホで動画撮ってしまうくらいには綺麗だった。でも、席に座って花火を待つ3時間くらいの間、主催者の男性(40半ばくらい?)が30分おきに金せびってくるのが本当に嫌だった。花火大会運営するのも大変だろうから、募金のお願いするのは構わないと思う。問題はその言い方で。
具体的に言うと「皆さんが募金してくれないと来年は花火大会がなくなるかもしれません。それでいいんですか?子供たちに恥ずかしくないんですか?」て感じの脅迫めいた言い方。既に募金を済ませていた自分たちみたいな人たちに一言「すでに募金を済ませた方はありがとうございます」の一言もなし。よほどお金が足りないらしく「無料席の人。このままでいいんですか?来年お祭りなくなりますよ?今からでも有料席を買いましょう」とか、すごい高圧的な言い方をしてくる。それなら最初から無料席を限定しておけばいいのにと思うし、だいたい有料席にいる自分たちにも延々とそれをいうのはどうなんだって感じ。これが30分おきに続くものだから、夫婦揃ってげんなりで、付近の人も「なんで俺たちお金払って、説教されなあかんの?」ってぼやいてた。
地元愛と子どもへの愛が強いのは伝わってくるんだけど、地域の未来・子どもの未来のためにお金出して当然ってのをすごく全面に出してくる。さらには「もし来年花火大会が開催されなかったら、引っ越さなければいけないかもしれません。子どもたちのためにもそれは避けたいです」とか、何故か自分の子どもを盾にした金せびりまでやってくる始末。
色々イベントには参加してきたけど、主催者がここまでひどいのは初めてだったのでほんと堪えた。言い添えておくと、主催者の金せびりとスピーチ「以外」は総じて良かった。スタッフも親切だったし、女性の方が募金のアナウンスするときはちゃんとした言い方で好感もてた。でも、なんで主催者はあんなに客に不愉快な言い方をできるんだろうかとほんとに不思議になった。他のスタッフはまともな言い方できてること考えると、あんまり当日スピーチについて連携取れてなかったんだろうか。ともかく、来年もこんなんだったらかなわないので、フィードバックにはややきつめのことを書いて送ったけどどうなることか。来年はせめてあの人が表に出てこないといいなあ。
最近Xでダーティーハリーがコカされたことでおっさん映画ユーザーがキレ散らかしているのが映画ファンの間で盛り上がっている。
ただ、こういうおっさんユーザーはX上でいきり立っているだけの場合が多いし、そこまで多数派ではない。
とは言え、映画が何十年も息の長い趣味領域である以上、おっさん自体の数は多いのだ。
おっさんが危険なフェーズになる時は、映画系のオフ会に現れる時である。
映画系のオフ会がどういう事をするのかというと50人くらいの老若男女がでかい会議室みたいな所に集まって
主催者が事前に設定したテーマ、例えば「マーベル映画」とか「スターウォーズ」とか複数決めてテーブルごとに時間を区切って何回か話す。
参加費(3000〜4000円)が払えれば誰も行けるのでいろんな人間が現れる。当然そこには面倒臭いおっさんが入り込む余地が存在するのだ。
大概2種類いるんだが、一つはダーティーハリーの時のように自分の心棒する作品をコカされるとムキになるタイプ
個別に語っていこうと思う。
オフ会で癇癪起こすレベルでキレるヤバい奴は流石に見た事はないが、子持ちなら子供よりも歳の差ある若い参加者にムキになって知識爆撃をするおっさんは結構多い。
大抵自分が若い時に見ていたであろう作品を悪意なくとも貶されるわけでもなく疑問を呈されるだけでスイッチが入る。そうなったら他の参加者が喋る機会を一歳与えずに
独壇場が始まる。そうなると他の参加者が喋る機会がなくなるので、空気が明らかに悪くなる。しかもオタク知識の羅列なので聞いていて全く面白くないのだ。
ムキになっていない時でも自分の得意ジャンルで喋り続ける場合もあり、若い参加者は遠慮がちなので沈黙してしまう。そうして見切りをつけられる。
ちなみに、このタイプのおっさんがオフ会の後の飲み会に現れると大抵会計で揉める。
一度オッサン同士で酒代割り勘に入れるか入れないで殴り合い一歩手前になって最悪な雰囲気になったことがある。
不特定多数が集まるイベントなのでしょうがないのだが、女目当ての出会い厨が入り込む事がある。
街コンでオフ会の存在を知ってそのまま街コンのノリでオフ会に現れるチャラい奴と、青春を謳歌しそこねたオッサンがいる。
前者は若い奴でコイツらはコイツらで有害なのだが今回は省略する。後者は痛い行動パターンをとる事が多い。
タチの悪いの事に、こういうおっさんは自分はまだ若いか、ブラッドピットか勘違いしている。
なので若い女性参加者を舐め回すような目で遠くから眺め、女性が集まるテーマに行く。そして自分がいかに映画に詳しいかでアピールする。
そこでドンびかれることも多いのだが、おっさんは何もわかっていないので彼女らのXアカウントをフォローする所からスタートし
オフ会が終わってから暫くしてDMでデートを誘ったり気色悪い文面を送ってブロックされる運命が待っている。
運営側からすると会が終わってから事案が起こるのでその場で注意できないのも面倒臭い。
正直、こういう手合いが現れると口コミ(常連参加者は大抵LINEグループでヤバい参加者の情報を共有している)で
警戒されるようになって、そのオフ会ではハブられる運命を辿るか女性参加者が来なくなるのでそのうちオッサンは
ネットでまた新しい映画オフ会を探して参加するのである。変にポジティブなのでまた同じことを繰り返してオフ会を地獄にしていく。
稀に本当に映画狂いのコミュ強なオッサンがいるが、奇跡な存在だと思う。
しかもどちらのタイプでも自分が悪い奴だと思ってないので絡まれるとより面倒。
アンソロの主催をすることになったので、すっきりした気持ちで挑むための愚痴吐き&厄落とし。
私…週一ワンドロ運営をしている
主催…普段は別ジャンルにいる。ワンドロに参加してくれたことがない
オンリー開催決定までの流れ
Twitterにて
私「別ジャンルの周年記念イベントいいなー。と思ったら自ジャンルもn周年だ」
私「n周年なの去年だったわ」
↓
2ヶ月後
↓
5ヶ月後
開催一週間前
↓
開催前日
Aさんが主催の依頼でオンリー内で使用できるアバターを配布する。
↓
開催
当日
主催の頒布物…ネットプリント(ハガキ一枚)(告知で使ったものと同じもの)、
自ジャンル初のオンリーで、前例を作ってくれたことに対する感謝はある。けど、人に必要以上の労力を割かせておいて、自分は何?数ヵ月何をしていたの?と、聞きたいけど、聞けない。そんな仲じゃないし。失礼だし。
書店は、太客を以下に確保するかが重要であるため、「広島から新幹線に乗って来ました」というようなお客は、イベント主催者の満足感は生まれるが、利益的には意味が無い。
こういうときに「どこからどこへ」を除いた文章を書いちゃう人、想定している居場所を特別だと思い込んでいるんだよね。だからたとえば「青森の書店のイベントで「「広島から新幹線に乗って来ました」というようなお客は、イベント主催者の満足感は生まれるが、利益的には意味が無い。」」とは書かない。
増田がどこに住んでいるかはあえて推測しないが(みんなだいたい言わなくてもわかるよね?こういう特別意識持ってる県民)、少なくとも増田が住んでいるところは広島より上と思っている。
出版社が主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。
まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。
なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。
しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。
個人でも電子書籍で漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。
それなのに、私はどうしても作家や作品を軽んじるような、漫画業界の価値観のアップデートできてなさを感じてしまうのです。
漫画賞のポータルサイト・マンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります。
試しにこのサイトで適当な漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社の高慢な態度を感じませんか?
豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/
応募者を「キミ」と呼んでいます。年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。
冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います。
繰り返しになりますが、出版社はビジネスとして自社商品の作り手を募集しています。
たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実のビジネスの場です。
協業相手の候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。
連載を目指し、担当編集者がマンツーマンで指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/
もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。
ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者と新人作家であっても立場は対等であるべきです。
2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社の社員でもなければ、先生と生徒でもありません。
その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地を公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています。
それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。
タイトルに簡単に言えば「趣味的な本屋の販売量だけでは、現在のシステムを維持出来ず書籍文化が崩壊するから」という事になる。
これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなものが蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。
一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。
と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。
上客、太客だから。
書店の顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしまう病人である。つまりワイら。
そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ。
「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者の顧客は、あえて意識的にリアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。
確かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから。
客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。
日本の書店は委託販売という仕組みであり返品が自由、在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般の食品スーパーで利益率目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。
そのため、一冊売る程度では全然儲からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである。
が、当然ながら、人件費は固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニで郵便はがきを売る・宅急便のサービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージしやすいだろうか。
さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である。増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットとリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。
それが「新刊」である。新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。
習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである。
そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだ。ネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ。
これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ
またイベントを開くと
しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。
が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。
さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。
本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから。指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベントで顧客をゲットと繰り返したら、そのイベントの指向が自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ。
大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである。
出版社や書店がフェアやイベントに消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ。
これはそう。
でも、Amazonの一番早い便でも半日後であることに比べると、本屋の店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット。
ん?電子書籍? んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける? まぁそれはそう。
Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。
Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。
それから、大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります。
新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。
パターン配本の批判が強まり、出版社が指定した配本が行われるようになった。
が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。
そこで現在、取次は出版社や書店に積極的にデータを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である。
これによって、中小の出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。
この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。
結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。
ただ、最近は買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。
これはもう間違い無い。
一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売り業者は普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。
利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売り価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者の利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。
統計に寄れば、書店の販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから、人件費、運送費、配達比、様々なリスク費用、システム費用などを支払って利益になる訳がない。
取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店が商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである。
儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データドリブン経営を行うシステムの提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。
この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通のスピードを上げろと言うのは無理だ。物流のコストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。
そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。
取次は多くの書店の親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから。純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。
そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。
まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。
日本の統計も、アメリカ・ヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍の市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。
また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍の販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。
電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの。電子書籍が印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。
具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章は特定の書店を念頭に置いたものではない)
勝手にどこかの書店を想定して、事実の説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?
おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造も理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。
趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。
同時に出版社の多くも吹っ飛びます。こちらは中堅どころまで存在できなくなる。
Amazon・ヨドバシ・紀伊國屋も維持できなくなります。特にAmazonは取次を通さないイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。
もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。
出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。
それは、そう。
2年前に閉校した埼玉県鴻巣市の市立小学校の旧校舎で、民間事業者が13~15日、女性タレントら延べ120人余りが参加する制服・浴衣の撮影イベントを開く。
近隣住民らは「少し前まで子供たちが学んでいた校舎での性的な興行と言え、ふさわしくない」と反対しているが、旧校舎を貸し出す市は「法令上、貸し出しを拒否する理由がない」と説明している。
会場になるのは2021年度末に閉校した市立笠原小学校。主催する事業者は旧校舎を有償で市から借りた。
この事業者は昨年、埼玉県営公園のプールで水着撮影会を企画し、過度な露出の水着撮影をしていると指摘された事業者のうちの1社。
主催者のサイトによると、今回のイベントで水着撮影はないという。
市は旧校舎の有効活用のため、一般の法人・団体・個人に有償で貸し出している。貸し出しにあたっては「公序良俗に反しない」「宗教的・政治的な利用はできない」などの規定がある。
市によると、5月に貸し出しの申請を受けた時点で、県営公園のプールでの撮影会を企画した事業者であると認識していた。
そのうえで貸し出しの是非を検討し、今回は水着撮影はないことなどから「表現の自由」の範囲内と判断した。
東京都立川市でも1月に旧校舎を会場とした制服撮影会を実施し、その際にトラブルはなかったとの前例も踏まえたと説明している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/548d18f7e92abfcd937b7027e93f3e68bf4e4738
近代麻雀の撮影会は18禁のはずが中学生の参加許可してたり本音と建前が激しいのだがAV女優揃えてるので健全な撮影会では今回も終わらないだろう
なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題の解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダーに還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダーに還元するため、『被害者/加害者』という二元論に陥っている」
ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミはミサンドリー(男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミ=ミサンドリストという理解は、決して正確ではない。
ツイフェミの言動が過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。
ツイフェミが攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラルな男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモやイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男に出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者がボランティアの接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。
フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性がフェミニズムの言葉を簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。
なぜ彼女たちは、女性を搾取するヤクザやホスト、DV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。
最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手だから」である。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回しや専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。
そのため、フェミニズムに親和的なリベラル男子は、ツイフェミの言葉を理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミからの被害に遭いやすい。
2020年4月22日、馳浩元文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法人代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書で謝罪することを求めた。
この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相を厳重注意する意向を示した。
女性支援に取り組んでいる男性の政治家や社会起業家、ジェンダー平等を目指した政策提言や署名キャンペーンを行う男性の社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。
彼らの言動や事業の一部を恣意的に切り取って、「差別に無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。
燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。
しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別に無自覚な男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである。
ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。
著名なフェミニストによる記事がウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。
普段は「女性はこうあるべき」という性規範を否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。
ポルノや性産業を批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性の性的なまなざしに迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。
そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権や相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。
賞金総額93億円のEsports World Cup(EWC)が7/3からサウジアラビアで開催中。
今、最後の出場権をかけた最終予選(Last Chance Qualifier:LCQ)がサウジアラビアで行われている。
8/2の0時からはストリートファイター6のLCQが行われているが、ここでのモラルが問題になっている。
ストリートファイター6のLCQには149人がエントリーしていたが50名近い人間がDisqualified(DQ)になっている。
Disqualifiedはスポーツ大会用語では様々な規定違反での「失格」という意味で使われているが、
e-sports界隈では「ドタキャン」の意味でつかわれることが多い。
簡単に言ってしまえば、エントリーはしたが当日会場に来ていなかったので「失格」になったということ。
LCQはトーナメント方式となっており、当然だが「全員参加する前提」で試合が組まれている。
3分の1近い参加者がDQになったことにより、初日は一試合もせずに通過してしまうような参加者も出ており、
既に本戦出場を決めているプロゲーマーのOil King選手も
Join for the EWC LCQ this time is free, and then I saw that many "well-known" good players were not shown up(DQ).I am really tired of this kind of thing. If you know very early that you can't participate , why not tell the organizer, this makes the bracket very unfair, I hate it
(今回のEWC LCQは無料で参加できるのに、「有名な」上手いプレイヤーがたくさん出てこないのを見て(DQ)、こういうのは本当にうんざりです。参加できないことがかなり早い段階でわかっている場合は、主催者に伝えてみてはいかがでしょうか。これではブラケットが非常に不公平になります。私はそれが嫌いです。)
出ないのがわかってるんなら早く主催に伝えろ。大会が不公平になる。
と警鐘を鳴らしている。
現状、ほとんどの大会が大会参加費は無料となっており、誰でもエントリーできるようになっており
これはまだ格闘ゲームで安定して大きな金を稼げる人間が多くないことや
なのに多くの"国外"大会で「とりあえずエントリーしておいて当日に参加しない」という行為が横行している。
勝てなければ丸々赤字になる。なので大会直前に「やっぱ自信ないからやーめたw」となるのだろう。
だが、こういうことが増えれば参加費の徴収やDQした場合のペナルティが課される可能性は非常に高くなる。
こうなると既にファンとスポンサーがついていて湯水のごとく金が使えるおじさんはともかく、
今回のLCQのDQには日本のプロ選手も少なくない数含まれていた。
中にはLCQが行われている時間に自宅で他ゲー配信して遊んでいたプロまでいる。
Vtuber 事務所の所属 Vtuber の契約解除が度々あるんだけどさ。
リスナーは「気持ち持ちの整理もつかないけど」のように返す訳だが。
それもそのはず、放送予定の予約枠が入ってる日に、何の前触れもなく解除通告がシェアされる。
火種は実はずっと前から燻っていたのか/それとも取り返せないほど重い罪を犯したのかは分からない。
しかし バーチャルYoutuber は独立した一つの人格だ。
少なくともリスナーはそう思ってるし、運営もキャラクターとして打ち出している。
一般社員ならば、労働の権利が大事にされてるから1ヶ月前の通告が必要になる。
Vtuber は通常、個人事業主の専属マネジメント契約とかなので、そこまで労働権が大切にされてない。
しかし死んだバーチャル・キャラクターは使い回せないので、アイデンティティは捨てさせられる。
あるVtuber事務所所属の海外タレントは、契約解除に食い下がっていた。
英語の Virtual は「仮想の」と訳されてるが、これは実は誤訳で「事実上の」「実際の」という意味だ。
実際のタレントのアイデンティティは、ここまで簡単に消え去らない。