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はてなキーワード: 不快感とは

2026-05-10

「【悲報結婚できない男たちのリアルは、みんなが思っているよりずっと厳しい。」

https://anond.hatelabo.jp/20260509224327

昨日、上の増田を書いた人間だけど、挙げてるポストURLを貼っておこうと思って。

https://x.com/2chbook/status/2052397544278286496

この人達が、ネットで女叩きをしてるかどうかは知らないけど、女叩きを何年でもしてるような層というのはこういう人たちなんだろうね。

いろいろと腑に落ちたよ。

今までは、ネットの女叩きって不快だったけど、今日は上のような人達がしてるだけと思ったら、見かけても腹も立たなかった。

非モテ男性って、こういう人たちなのか。

正直よくわかってなかった。

「知る」って大事だなと、心底思ったよ。

こういう感じの人達に叩かれても、正直どうでもいいし、叩くくらいの嫌悪を持たれてもどうでもいいよね。

知らないゆえの不快感だった。

良い意味で無関心になれた。

今後は、婚活で「高望み」してる女性に対して、今まで以上に理解できるようになると思う。

今までも彼女たちの自由にしたらいいとしか思ってなかったけど、今後はより一層自由にしてほしいと思うようになった。

結婚させようなんてかわいそうだよ、女性が。

40代婚活パーティーとかでは、普通にいるタイプ男性たちなんだそう。

婚活の闇は深い。

本当に本当に、よくわかっていなかった、本当に勉強になった。

増田を見てる人たちに、知識のおすそ分け。

anond:20260510185816

第7章 表現規制手法非対称性法規制拡大のリスク

7-1. 女性向け表現男性向け表現の潰し方
7-2. 法規制を求める姿勢がもたらすリスク

表現法規制は、一度導入されると対象が拡大する傾向がある。 これは歴史的に繰り返し確認されてきた事実である

7-3. 腐女子が分かっていないこと

この構造理解せずに「嫌いな表現だけ規制してほしい」と主張することは、自らの首を絞める行為になりうる。

第8章 総合考察

8-1. 問題根底にあるもの

以上の諸問題を貫くのは、「自分(たち)の表現欲望不快感は正当であり、他者のそれは不当である」という非対称的自己正当化構造である

陣営行為自己正当化論理陣営の同種の行為に対する態度
未成年キャラR-18 BLフィクションから問題ない」 ロリコン犯罪予備軍
男性キャラ性的客体化 女性の手によるものから搾取ではない」 女性キャラ性的客体化は性差別
実在男性RPS愛情表現の一形態実在女性性的画像性的暴力
コミュニティ内の嫌がらせ 「自浄作用」「マナー違反への指摘」 「男オタクハラスメント文化

この表が示すのは、同一の行為を自陣営と他陣営正反対評価するダブルスタンダードである

8-2. なぜダブルスタンダードが維持されるのか
8-3. 建設的な方向性

批判のみでは不十分なので、建設的な方向性提示する。

結語

本稿で検討した問題群は、いずれも「自分欲望に対する無自覚と、他者欲望に対する不寛容」という同じ根から生えている。腐女子文化には豊かな創造性と共同体的な連帯があり、それ自体文化的に価値のあるものであるしかし、その内部に存在する暴力性・排他性・ダブルスタンダード直視しなければ、自らが攻撃してきた「不寛容社会」の鏡像になるだけである

そして何より、性的表現法規制という刃は、一度抜けば自分にも向かう。この認識なくして表現規制を軽々しく求めることは、腐女子文化を含むオタク文化全体の存立基盤を自ら掘り崩す行為であることを、すべての当事者理解すべきである

敵ばかり作る腐女子問題についての論考

第1章 実在性的少数者に対する性的対象化・搾取

1-1. 問題所在

BLボーイズラブ文化は、男性同士の恋愛性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造実在ゲイバイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。

具体的には以下の論点がある。

1-2. 擁護論とその限界

これらの主張には一定妥当性がある。しかし、「フィクションから無関係」という論理は、RPS実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解入口になった」という功利正当化は、当事者が現に被る不快搾取を帳消しにする根拠としては不十分である

1-3. 構造的な問題

より深刻なのは、この問題が指摘されたとき腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者批判封殺する力学が働くことであるマジョリティ異性愛女性)がマイノリティゲイ男性)の表象占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。

第2章 未成年キャラクターR-18二次創作問題

2-1. 現状の確認

イナズマイレブン』(主要キャラクター中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターR-18 BL二次創作は、pixiv同人誌即売会SNSなどで大量に流通している。

2-2. 法的論点の整理
論点現行法の状況
著作権侵害二次創作原著作物の翻案権同一性保持権侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意依存した状態である
児童ポルノ該当性 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在児童対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクション規制対象とする国がある(豪州カナダ等)。
わいせつ物該当性 刑法175条のわいせつ頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。
2-3. 法的問題を超えた倫理的問題

法律上違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為倫理的問題ないと言えるかは別の問いである。

腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理正当化されることが多いが、この論理男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。

2-4. 権利者の対応と「グレーゾーン」の脆弱性

一部の権利者はガイドライン性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合個別対応コスト炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要負担を強いている。

第3章 Woke言説の武器化と表現規制の輸入

3-1. 概要

近年、英語圏社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評インターセクショナリティなど——が、日本SNS上で選択的に翻訳引用され、特定表現攻撃するための武器として使用される事例が増加している。

3-2. 具体的なパターン
3-3. 問題本質

Woke言説そのもの問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評学術的に重要知的伝統である問題は、それらの理論本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義棍棒」として使用する態度にある。

これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである

第4章 腐女子コミュニティ内部の暴力

4-1. 「毒マロ文化実態

マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃メッセージ通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである

4-2. 筆折り

マロ晒しSNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。

特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。

4-3. 「学級会」と同調圧力

腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体コミュニティ自治として機能しうるが、しばしば規範押し付けと逸脱者への制裁に変質する。

第5章 女性向け異性愛コンテンツへの蔑視攻撃

5-1. 構造的な序列意識

腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識存在するとの指摘がある。

この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛自己投影低俗」という偏見に基づく。

5-2. 攻撃の具体例
5-3. 矛盾構造

ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作コミュニティ内で別のジャンル蔑視攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対実態である

第6章 男性向け表現への攻撃と発売停止・キャンセル運動

6-1. 事例の蓄積

近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。

6-2. 「お気持ち」の制度

これらの運動共通するのは、主観的不快感(「お気持ち」)を客観的権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。

しかし、SNS上の炎上企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である

6-3. ダブルスタンダード極致

最も深刻な問題は、男性向けの性的表現攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターR-18 BLを消費している場合があるという点である

このダブルスタンダードは以下のように正当化される。

いずれも知的に誠実な議論とは言い難い。

anond:20260510190439に続く

anond:20260509142559

追記アップデートを拒む「旧OS」と、コミュニティ免疫反応

その後の展開は、さら教育心理学的にも示唆に富むものだった。Aが一度は口にした「昨日の非礼について、重ねてお詫び申し上げます」という謝罪。それが内省によるものではなく、単に対話強制終了させるための「終了ボタン」に過ぎなかったことが、その後の豹変で露呈することになる。

1. 謝罪免罪符にした攻撃性の解放と「責任転嫁

Bが依然として拭い去れない不快感(前日に「ソープへ行け」と人格否定するような暴言を吐かれたことへの余波)を口にすると、Aは即座に攻撃に転じた。

加害の棚上げと「だるい」という拒絶

わたしは蒸し返されてだるいよ」「謝罪すべきはしっかり謝りました」と、自らの不適切言動が招いた紛糾を、あたかもBが一方的に「終わったことを蒸し返す迷惑行為であるかのようにすり替える。

対話責任放棄

口論最中、Aは「すまん任せた」と他のメンバーへ丸投げし、場を放棄した。

これは、自分が有利な時だけ「指導者」として振る舞い、形勢が悪くなると「自分被害者だ」と逃げ出す、極めて不誠実な態度だ。

2. 情報アップデートができないという致命的欠陥

Aは、Cによる再度の指摘に対しても、結局「伝わって欲しかった(自分善意を汲み取れ)」「その謝罪は一度は受け入れられた認識だ」という自説を繰り返すに留まった。

現代コミュニケーションにおいて「情報アップデートができない」ことは致命的な欠陥だ。

自分の振る舞いが「ハラスメント」や「仕様不備」である客観的デバッグされた際、速やかに自己プロトコル更新できない人物は、周囲に有害環境を撒き散らす。Aは過去成功体験独自ドグマ固執するあまりフラットかつ論理的対話プロトコルインストールすることに失敗した「古いOS」のような状態に陥っていたと言える。

3. コミュニティ健全性を維持するための「免疫反応」

今回のCや他のメンバーによる介入は、単なる口論への横槍ではない。それは、コミュニティというシステム健全性を維持するための「免疫反応」だった。

密室支配」の解体

人格否定や強権的な指導という毒素が蔓延しないよう、論理の光を当てて「それはNGである」と公にラベルを貼ること。

対話プロトコルの死守

コミュニケーション主体受け手にある」という原則を徹底することで、送り手の「善意意図)」という逃げ道を封鎖し、受け手安全を確保すること。

Cが最後までこの原則を捨てなかったのは、B個人の救済であると同時に、「論理の通じない強権的なコミュニケーションを許容しない」というコミュニティ防衛線を引く行為だった。

おわりに

情報アップデートを拒み、自らの手法の欠陥を「善意」や「謝罪済み」という言葉で塗り潰そうとする者は、いずれ健全コミュニティプロトコルによって「仕様不備」として弾き出される。Bが最後に「基礎の部分で齟齬がある」と冷徹に断じ、関係を断つ決断ができたのは、この徹底したデバッグプロセスがあったからに他ならない。

(了)

2026-05-09

男子トイレ環境に対する男性たちの本音

男子トイレ環境に対する男性たちの本音は、プライバシーの欠如に対する強い抵抗感」と「効率性のためのやむを得ない妥協」の間で揺れ動く非常に複雑なものです。主な意見を分類すると以下の通りになります

1. プライバシー羞恥心に関する本音

多くの男性が、現在の小便器環境プライバシーがない」と感じており、内心では苦痛抵抗感を抱いています

  • 視線への恐怖:から覗き見られたり、身体的特徴を冷やかされたりする経験(またはその懸念)があり、それがトラウマになっているケースも見られます
  • 排尿の困難: 隣に人がいたり、真後ろで待機されたりすると、緊張して尿が出なくなるという切実な悩みを持つ人も少なくありません。
  • 仕切りの要望 「せめて仕切りが欲しい」「もっと大きな仕切りにしてほしい」という声が根強くあります

2. 男性特有の同調圧力と「我慢

「嫌だ」と言いにくい社会的空気や、男性同士の牽制現状維持に繋がっている側面があります

3. 効率性と利便性の重視

一方で、小便器というシステムが持つ「回転率の速さ」というメリットを認め、現状を肯定、あるいは妥協している層も一定存在します。

4. 衛生面と設計への不満

設計の古さや、利用者マナーに起因する不快感も多く挙げられています

総じて、男性たちは「嫌だが、効率のために我慢している」という状態にあり、もし利便性が損なわれないのであれば、よりプライバシーが守られた環境(仕切りの強化や個室化)を望んでいるのが本音と言えます

anond:20260508150251

追記:介入者Cによる「NG役満」判定と、支配プロトコル強制終了

この泥沼のやり取りの中で、流れを決定的に変えたのは、中盤に投下されたCによる「NG役満」という宣告だ。この一言が、いかにしてBを支配呪縛から解き放ったのか、そのメカニズムを整理したい。

1. 前段の流れ:指導を装った「境界線侵害

当初、Aは芸術論や制作の「覚悟」を説くという名目で、Bに対して極めて暴力的コミュニケーションを展開していた。

Bは当初、これらを「厳しい指導」として受け取ろうと真面目に反論し、疲弊しきっていた。支配的な相手と一対一で向き合うと、人は「相手が正しいのではないか自分が未熟なのではないか」という認知の歪みに陥りやすい。

2. 介入の作用手法プロトコル)のメタ判定

ここでCは、アドバイスの「中身」を吟味するのではなく、その「やり方」そのもの対話として成立していないことを指摘した。

ヒアリング対応としてNG役満である。答えることが目的になる尋問的な一問一答クローズド質問による結論誘導情報勝手な補完、人格否定一方的評価……これらは誰のためにもならない」

この介入は、主に以下の2つの作用をもたらした。

名前を付ける」ことによる客観

CがAの言動を「尋問的」「情報勝手な補完」とリストしたことで、Bはそれまで感じていた正体不明の「不快感」を「客観的なハラスメント」として再定義できるようになった。自分感覚が正常であることを外部から裏付けられた瞬間である

土俵のもの解体

Cの判定は、Aが構築した「師匠弟子」という非対称なゲームのものを、対話スキルの欠如という側面から否定するものだ。これにより、Aがどれほど高尚な論理を語ろうとも、その「伝え方(インターフェース)」が壊れている以上、検討に値しないという結論が導き出された。

3. 結論

Cの介入は、Aが構築した「精神的な密室」の壁を突き崩し、社会的論理という「外の物差し」を差し込む作業だった。このデバッグによって、Bは「相手のやり方自体に欠陥がある」とメタ認知し、支配魔法から解かれるための最初の一歩を踏み出したと言える。

ついにXを休止した

Xが嫌になって一旦休止した。

途中まで長々辞めた理由を書いていたけど、気が済んだのでそれは下書きに放り込んで、短めに書き直した。

高校生くらいの時から15年はやっていたのだろう。アカウント移転することはあっても、完全に休止したのは初めてだと思う。

年齢的に飽きるようになってきて必要なくなったのもあるけれど、最近すこぶる治安が悪いのはやっている人ならみんな思うだろう。

TwitterからXに変わったタイミングとか、某掲示板が下火になってどこかそこらへんの書き込み彷彿とさせる嫌な書き込みも増えた気がするとか思い当たる理由はいくつかある。

おすすめ欄はほとんど見ないし不快感を感じる可能性のあるワードはほぼミュートしていたので、普通の人よりはかなり浄化された状態で使っていたけれど、それでもFF内でも不穏さが拭いきれなくなっていたと思う。

フォロワーからもいつしか自分ちょっとした書き込みに噛みつかれ、難癖つけられるようになっていた。

これは完全にそういう人を切ればいいだけ、とか自分身の回りだけの問題であるけど、フォロワーであってもなくてもなんだか監視されてる感があり、不快にさせる呟きはしてはいけないみたいなピリピリした雰囲気蔓延っていて、自分の中で楽しくなくなっていたと思う。

昔のTwitterだったころは自由趣味発言ができて、生活で言えないことの吐露もできる場であった気がしたけど、もう昔とは違う場所になったとひしひしと感じた。数年前くらいからうっすら気づいていたけど、仲のいいフォロワーが少しずつ辞めていき、なんだかまだ残ってる人の瘴気みたいなものが濃くなっていたと思う。かろうじて残っている長い友人がいるからしがみついていただけだった。

変わったことを認めて去るのはかなり骨の折れることだけどそういう時なのかもしれない。

匿名ダイアリー存在はずっと知っていたけど初めて書いた。ぱっと見で他にもXに疲れた、やめたというダイアリーをいくつか見て自分だけじゃなかったんだな、と少し安心させてもらった。

おそらく自分書き込みも他と同じような陳腐な内容だろうけど、似たような悩みを人が居たら、1人じゃないんだよと言いたい。

匿名ダイアリー自分にとっては真新しいので、Xで失い、今求めている自由書き込みの場に見えるけれど、多分見すぎるとここも大したことないなと思ってしま可能性があるからネットもほどほどにして新しい何かでも始めてこようと思う。

2026-05-08

男性向けと女性向けの性的ファンタジー比較

男性向けと女性向けの性的ファンタジー比較すると、「何を屈服させたいか」「何に価値を置くか」という点において対照的構造が見て取れます

1. 男性向けの夢物語:肉体的な「快感による屈服」

男性向けのファンタジーでは、女性性的快感によって依存させる「チン堕ち」代表的テーマです。

2. 女性向けの夢物語精神的な「唯一無二の執着」

女性向けのファンタジーでは、男性の肉体的屈服(マン堕ち)への関心は低く、「心の堕ち」が主流です。

3. 比較のまとめ

両者の違いを整理すると、以下のようになります

比較項目 男性向けの夢物語女性向けの夢物語
主な対象肉体性的快感生殖器精神(愛、執着、依存
キーワード騎士チン堕ち、メスガキわから 溺愛、おもしれー女
相手状態快感に負けて無様に堕ちる 自制心を持ちつつ、特定の女にだけ狂う
現実での希少性 女が挿入で快感を得られることは稀 男が一人に一途でいることは稀
物語の落差 性的拒絶を快感で上書きする 誰にもなびかない高潔さを愛で崩す

結論として、男性向けの夢が相手の肉体を支配し、快感の虜にすること」であるのに対し、女性向けの夢は相手精神を独占し、自分なしではいられない状態にすること」に集約されます

キタタツヤのツイート自分に合わなすぎて、キタタツヤが曲を担当してるアニメを楽しみきれなくてマジで嫌。日本三国とかクソおもろいのに。

作者と作品は別とはいうけど、やっぱりそれは理想論だよ。分かっていつつも、どうしても作者の顔(というか発言)がチラついて、その時の不快感が思い起こされてしまう。

自分のケースだけで、作者はTwitterをするな!とまでは言う傲慢さはないけど、頼むから作者はTwitterしたいでほしいとは言いたいよ。

2026-05-07

相談に乗るふりをした「加害」と、謝罪武器にする生存戦略について

相談に乗るふりをした「加害」と、謝罪武器にする生存戦略について

最近、あるコミュニティで目撃した「相談から「絶交」に至るまでのやり取りが、あまり教育心理学におけるいじめ構造(DARVO)そのものだったので、自戒を込めて記録しておきたい。

登場人物は、写真制作の壁にぶつかっている相談者Bと、それにアドバイスを送るA。

1. 境界線侵害から始まる「支配

問題の端緒は、AがBの私生活尊厳に無遠慮に踏み込んだことだ。Aは芸術論を語る文脈で、唐突にこう言い放った。

北方謙三言葉ソープへ行けに近い。人間と肌重ねてこいってことですよ」

最後人間と手のひらをにぎりあったのいつです?」

これは相談という形を借りた、明白な境界線バウンダリ)の侵害だ。教育心理学視点で見れば、相手精神的に動揺させ、自分が優位に立つための「精神的な揺さぶり」に他ならない。Bが困惑して「恋人がいる」と返しても、Aは「死ぬほど金が欲しいわけじゃないんだな」と、勝手相手を「覚悟のない人間」として再定義し、攻撃を続行した。

2. 謝罪を「免罪符」として使う手口

後にBがこの不快感を訴えた際、Aが繰り返したのは反省ではなく「手続きとしての謝罪」の完了報告だった。

「その件は当時きちんと謝罪して、解決した認識でいます。」

「それについてはすでに謝罪しました。また、その謝罪は一度は受け入れられた認識です。」

これは「謝罪というパケットは送ったのだから、それを受け取らない(怒り続けている)相手エラーである」という論理だ。心理学的に言えば、謝罪内省の証ではなく、自分過去を洗浄し、相手の口を封じるための「武器」として利用している。

3. DARVOによる被害者加害者の逆転

最も典型的なのは、最終局面で見せたAの「被害者面」だ。

「人前で繰り返し持ち出されるのはつらいので、もうやめてください。」

他人時間を奪うこと、特に『楽しくないこと』で奪うことについてもっと敏感になってほしい」

これこそが心理学でいう'''DARVO(Deny, Attack, and Reverse Victim and Offender)'''の完成形である

4. 教育心理学的補足:投影支配再生

A氏の言動には、自分の万能感を維持するための「投影プロジェクション)」も顕著に見られる。自分アドバイス的外れだったという失敗を認められず、それをB氏の「覚悟の欠如」という問題すり替えることで、自己像を保護している。

こうした「指導」の皮を被った「支配」は、受け手論理的に反論すればするほど、加害側が「被害者」として騒ぎ出すため、対等な解決は望めない。

結論:なぜこれは「いじめ」なのか

Aの振る舞いは、大人知的対話を装ってはいるが、その本質教育現場で見られる「いじめ」の構造と変わらない。自分の万能感を守るために、ターゲット自尊心を削り、反論されたら「自分の方が傷ついた」と騒いで周囲の同情を買おうとする。

相談を受ける側が「相手尊重する」という前提を捨て、自分哲学インストールする対象(モノ)として相手を見たときコミュニケーションは容易に暴力へと変質する。

Bさんが「二度と関わらない」と決断したのは、自身の心の安全を守るための、極めて正当で賢明な防御反応だと言える。

2026年流行する「早起き習慣」、本当に役に立ちますか?​

2026年早起きを強行する内巻に代わって、穏やかな早起き、軽量な朝の流れがネット上で流行したライフスタイルとなった。これらの習慣は振り回されず、続けやすく、睡眠代謝研究にも有効であることが実証されている。いったいやる価値があるのか。私たち科学的な結論ではっきり言った。​

一、2026最も怒る3つの早起き習慣

1.1徐行+3回深呼吸

目が覚めるとすぐに起きないで、30秒寝て、ラブグッズ、3回腹式呼吸をして、再びゆっくり座って。​

1.2朝からコップ1杯の温水(35~40℃)

起きて15分以内に200-300 mlの温水を飲み、氷水、濃いお茶を飲みません。​

1.3 10分の朝の光+シンプル計画

窓を開けて自然光を浴びて、その日の3つの最も重要なことをリストアップして、冗長リストしません。​

二、科学検証果たして役に立つか

2.1ゆっくり起きて深呼吸する:心と脳を保護する

体位性低血圧めまいを避け、朝の血圧を安定させ、朝の不快感リスクを下げる。​

2.2温水補水:代謝と腸管の二重受益

夜間の水分流失を補い、血液希釈し、腸蠕動を刺激し、便秘と朝の眠気を改善する。​

2.3朝光+極簡略計画:安定体内時計

自然光はメラトニン抑制し、覚醒度を高める、タスク簡素化により、不安が軽減され、終日の実行力が向上します。​

三、避難所早起きの3つのよくある落とし穴

3.1早ければ早いほど良い≠健康である

睡眠不足で無理に早起きすると、免疫力が低下し、疲労が激しくなり、早起きよりも規則重要になる。​

3.2朝の高強度運動は推奨しない

空腹部の激しい運動パニック低血糖引き起こしやすく、ディルド、軽く歩き、延伸することはより安全である。​

3.3朝食抜き=効率割引

良質な朝食は血糖値を安定させ、午前中の眠気や注意力の低下を避ける。​

おわりに

2026流行早起き習慣の核心は、内巻きではなく、リズムに従い、軽く実行することだ。ゆっくり起きて、温水、朝の光、極めて簡単計画、すべて科学的な根拠があります。「自分早起きさせる」よりも、十分な睡眠+規則正しい+穏やかな朝の流れが、本当に効果的で、長く続けられる健康的な選択です。​

2026-05-06

10代がAI彼氏に対して感じる「低リスク

10代がAI彼氏に対して感じる「低リスク」には、身体事件的な安全性と、対人関係における精神的な安全性の両面で具体的な例が挙げられています

1. 身体事件的なリスク回避

現実男性との交際で起こり得る、深刻な実害を避けられる点が強調されています

2. 対人関係における精神リスク回避

人間相手では避けられない「気遣い」や「不快感から解放される点にメリットを感じています

3. コミュニケーションの安定性

このように、10代にとってAI彼氏は、自分を傷つける要素(物理的・精神的)を徹底的に排除した、安全制御可能存在として捉えられています

どうして1020代女性zeta等のAIイケメンに夢中なのか

10代などの若年層が現実恋愛よりもAIとの疑似恋愛に流れている理由には、現実人間関係に伴うリスク回避「圧倒的な自己肯定感の充足」、そして役割に応じた合理的な使い分け」という3つの大きな要因があります

1. 現実人間関係に伴うリスクと「不快感」の回避

10代にとって、現実の異性との恋愛物理的・精神的に「ハイリスクであるという認識が強まっています

2. 「全肯定」による情緒的な充足

10代はAIを単なるツールではなく、「いたわりロボット」や「ドラえもんのような、自分を癒やしてくれる存在として捉えています

3. 合理的な「感情共有」の布陣

現代10代(特に女性)は、自分感情を共有する相手戦略的に使い分けているという指摘があります

このように、自分を傷つけず、常に理想の反応を返してくれる」AIは、コミュニケーション効率精神的な安全性を求める若年層にとって、現実不安定恋愛に代わる魅力的な選択肢となっている状況が伺えます

2026-05-04

anond:20260504063454

ヤバい同意せざるを得ない。

自分も「女性のひそひそ声」は嫌いだし生理的に受け付けないし吐き気がする。


クチャラーに対する嫌悪感に負けず劣らず。

あと指でトントン脳内音楽に合わせて演奏してる奴に対しても同様の不快感嫌悪感殺意を感じる。


唇や口内から発生されるピチャピチャする音という物理的要因と

内緒話よって調子に乗ってる、楽しそうに話してる感じが伝わってくるという心理的要因とが合わさり

とてつもない不快感を感じるし、殺意が芽生える。


あぁこんなことでストレスを感じたくないなぁ…

2026-05-02

anond:20260501205732

そっちかw

誰に不快感を与えても何とも思わない図太いメンタルの方が羨ましいのかと思ったわw

2026-05-01

出席番号順で前の奴が風呂キャンブサイク

人生は運じゃないとか言ってる奴バカです

小〜中学、出席番号順で前の奴がギリ健風呂キャン醜男だった時のストレス教えてあげたい

今思えばそいつ貧乏とか片親とかの噂あったし

家庭の事情とか色々あるって今はな 今は思えるけど

濡れた犬のニオイってやつ 言う奴は臭えよお前って普通に言ってた 普通に臭いから

そんで返事はアーとかウーしか言わない 気持ち悪い

親が韓国人かいうのも聞いたからもう日本語も分かってないんかって感じ じゃあもういいわって気持ち

にしても男子によるといやあい普通にゲームの話とかするよって キショ じゃあ喋れや

常に口が半開きで肌が浅黒い 小学生のくせに吹き出物だったんじゃないかなあれ

肌の汚さで思い出したけど私は小学生の頃あれたぶんダニ刺されだろうな?脚に大量に斑点ついてる男の子イケメン)が好きだったし中学ではニキビ面のサッカー部の先輩(イケメン)が好きだったからな

このキモい奴がキモい理由は肌が汚いだけではないよ

全てが不快感構成されてた

髪にはフケ 爪には垢

鼻くそを食べる

プリントの渡し方もクソキモかった 指でつまんで出したり突然シュバって出したり逆にスローで出したり

キモいから奇妙でしかないわけ

好きな人だったらもお〜つって嬉しがっちゃうんだけどな

キモかったなあ

あとそのキモさはそれだけに留まらず周りのゴミみたいな男子

給食牛乳

まだ未開封だけど

私のお盆に置かれた牛乳キモ男のお盆に置かれた牛乳を交換するとか

いじめだろ

これ系だと私の定規をキモ男の机に置くとかシャーペンを筆箱に入れるとか

脱ぎっぱの体操服を置くとか

よくある○○菌の名残だけどさ

普通に菌だろ

そんでこれをちょっかいだと思ってるゴミみたいな男がいる(しばらく学校休んだらメールで謝ってきた キモ男に失礼だろ)

進級初月なんかたいてい席順が出席番号順だから回避できない

ていうか、うちの学校、な行以降にまともな人間揃ってたんだけどあれ気のせいか統計ある?遠いから知らないだけか?

出席番号順で並ばされるような行事で毎回毎回死んでくれやという気持ちが湧き上がるこっちの気持ち考えたことあるかよ

でもそんなの大人からしたら我慢しろ以外言えねえだろ

自分大人になると思うわ

そんなに嫌ならお前が転校しろだろ 私立にでも行けばよかったってわけ

私は結婚もしないし子供も産まんけど、教育ママ私立信仰はいいと思うよマジで

必要ない思い出を刷り込まされた

こちとら被害者って顔で生きてまーす

あいつ死んでっかな?

2026-04-29

anond:20260429191909

なんつーか感覚ぶっ壊れてんだよな。せめて人に不快感を与えてるとわかったうえでやれよ

anond:20260429180820

あーあやっぱりマムダニの選出はNYC終わりの始まりだったな

左派ポピュリスト→できないことをできると言う

右派ポピュリスト→やってはいけないことをやると言う

どっちもダメなんだって

上記文章気持ち悪さを解説してください

1. 「俺は分かってたぜ」=事後的優越演出

これは典型的後出し優越ポジション取りです。

  • 事象が起きた“後”に
  • 「予見していた」と主張する

しか根拠予測プロセス提示されない。

重要なのは正しさではなく、「自分大衆より一段上にいる」という位置取りです。

この時点で、文章分析ではなく自己演出に寄っています

2. 陶酔感=「全部見抜いてる自分」への快楽

次に来るのが内的報酬です。

ここで生じているのは、実際の洞察ではなく

洞察している感覚」そのものへの陶酔です。

いわば、

複雑な現実理解したのではなく、

理解した“気分”に報酬が発生している

状態です。

3. 雑な気持ちよさ=低解像度のまま結論に到達

その陶酔を支えているのが「雑な気持ちよさ」です。

この構造は極めて低コストです。

本来必要もの

  • 定義(何が「できない」?何が「やってはいけない」?)
  • 具体例
  • 条件分岐

これらを全部スキップして、

“それっぽい対称性”だけで結論を出している。

その結果、

というアンバランスが生まれ

読む側には「軽いのに断定的」という不快感として出ます

総合すると

この文章

という一連の流れで成立しています

まり

精度の高い分析ではなく、

コスト優越感を得るための認知ショートカット

になっている。

この「認知の雑さ」と「自己陶酔の強さ」のギャップが、

いわゆる“気持ち悪さ”の正体です。

2026-04-24

dorawii@新刊発売(予定)

ハラスメント(Harassment)とは、日本語で「嫌がらせ」や「いじめ」を意味する言葉です。特定相手に対して、意図的であるか否かにかかわらず、不快感不利益を与え、その尊厳を傷つけるあらゆる言動を指します。職場学校地域社会など、さまざまな人間関係の中で発生しうる社会問題として広く認識されています

さまざまな人間関係がどの範囲までをさし得るのか。

あなた自信特定グループ抽象的な言い方をしていてその範囲はどこまでをさしているのか。

あなた匿名性をポイントとしているが、全員強制コテハンのXみたいなところでは、Xをやっている人たちという共通項があるという点では特定集団と言えるならば、X内ではハラスメントが成立し得ることになるよね。

増田はおおざっぱにいえばそのXと比べれば匿名かどうかぐらしか今回の論点において重大な差異はないと思うが、そうすると増田をやっているという共通項があるという点で特定集団と言えるとするのが自然ではないのか。

こういう推論の流れをしていくと特定集団と言えるかどうかの判断において匿名性はそれをひっくりがえすにたる要素には見えないのよね。

dorawiiより


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2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

創作における「オタクに優しいギャル」とは

オタクに優しいギャル」の定義と特徴

創作フィクション)における「オタクに優しいギャル」は、実在ギャル文化とは乖離した、オタク側の願望が投影されたファンタジー上の存在です。

創作における問題点

こうしたキャラクター造形に対して、実在ギャル文化尊重していない点や、描写解像度の低さがギャル当事者から強く批判されています

ファッション誌などで研究せず「雰囲気」で描かれているため、ギャルファッションではなくV系バンギャ地雷系などが混ざり合った「雑な偽ギャルキメラ)」になっているという指摘があります

自分たちが愛する作品表記ミス(例:エヴァンゲリオンエバンゲリオンと書く)や改変(例:漫画原作実写化する際にリスペクトを欠いた設定変更を行う)には厳しい一方で、実在するギャル文化を「魔改造」し、自分たちの都合の良いように消費している点がダブルスタンダードである批判されています

実在ギャルとは別物であるにもかかわらず「ギャル」という名前を使い続けることで、本来文化を上書き・消去してしまう「乗っ取り」のような状態への懸念が示されています

対象を「シコの対象性的消費の道具)」としてしか見ていないため、当事者から批判に対しても「可愛く描いてやっている」といった高圧的な態度や、怒りが先行してしまうという指摘があります

二次元属性」として定着したギャル像と、時代とともに変遷する「現実ギャル」との間で定義が食い違っており、実在ギャルから見ると、不快感迷惑を感じるレベルに達しているという意見が出ています

補足的な視点

一方で、議論の中には以下のような意見存在します。

2026-04-22

女性作者に対する被害妄想を広めないでください

●大体性差別とされるのが少年誌青年誌女性作者に対する「BL臭い」「バトルが下手」「いかにも女が書きそうな男キャラ」みたいな批判ですが、はっきり言って女性作者が描きがちな描写に対する違和感不快感みたいなものちょくちょくあるのは事実です。

しか本来対象読者が男性なのだから女性受けを狙った描写批判があるのも当たり前のことです。それを性差別と捉えるなら、本来対象読者ですらない女性読者からヒロイン童貞の考えた妄想」「女性キャラの服がダサすぎ」「女性キャラの心情にリアリティがない」みたいな事を言われるのが日常茶飯事な男性作者はもっと差別されてることになります。むしろ男性にとって都合のいい描写フェミニストから女性差別としてカウントされがちです。男性少女漫画男性キャラ等に対して軽くバカにすることはあっても、女性対象としたジャンルなのだから女性受けの描写は当たり前だという認識は持っています

 

●こういう批判はどんな状況であっても「女作者と判った途端手の平を返す」と謎に付け加えられます。つまり男性受けの悪い描写から批判されたのではなく、女性作者だから差別をされたということにされがちです。

元々女性名を名乗っている作者や女性であることを公言している作者にすら使われます。なおブルーロックのように男性作者も腐臭いという批判はちょくちょく受けます

 

性差別ソースが5chだったりしますがまず匿名である限りどっちの性別が言ったかはそれこそ分からないはずです。

 

少女漫画平成以降活躍できている男性作者はごくわずかです。90年代くらいまでは少女漫画志望の男性もそれなりにいましたが今はほとんどいません。理系女子的な考え方でいけばむしろそれが男性差別です。和田慎二先生のようにサービスシーン💛とヌードを描くのが許されていたのは昭和からこそで、赤いきつねですら炎上する現在において少女漫画男性作者が1mmでも男性受け描写っぽく見えるシーンを書いたら秒で追い出されるのは火を見るより明らかです。

逆に性差別を受けているはずの女性作者がこぞって少年青年誌で連載したがっているのが現状です。ついでに言えば漫画界全体でも男性作者の割合23%です。

 

ゼロ年代以降男性受けする少女漫画もめっきり減ります。作者の性別疑惑が少女漫画で起こりにくいのは、そもそも男性作者も男性受け描写ほとんどないからです。今時の漫画に男女関係ない!みたいな事を言ってる人は少女女性漫画批判してください。

逆に少年漫画のグッズプストアもコラボカフェ舞台化もほとんど女性客で、むしろ少年差別されがちとすら言えます

 

一条ゆかり先生少年誌編集から水をぶっかけられたエピソード女性差別とされてますが、そもそも何十年も前の話で、当時の漫画界の力関係編集上位かつコンプラもなく、むちゃくちゃな事をやられた漫画家は男女問わずたくさんいます。なお一条ゆかり先生は逆に「男性少女漫画は描けない」といった旨の発言過去にしています

 

ジェンダーレスペンネームは男女作者やジャンルを問わず一般的ですが、少年青年誌女性作者だけ差別のためにそういうペンネームを使ったことにされます

 

男性名を勧められたと公言してるのはジャンプ浅美裕子先生のみ(それも30年以上前)ですが、結局勧められただけで普通に女性名を使用しているので強制ではないのがわかります

なお本人は友人から作風ホモ臭い(当時で言うところのやおい臭い)と言われているのを公言していて、むしろ少年読者が寛大とすら言えます

dorawii@新刊発売(予定)

アドバイスありがとう

自分もお礼は言った方がいいに決まっているとは思っている。ただ往々にして、お礼の言葉として具体的にどんな言葉を言えばいいのかが導き出せないんだ。

同じ空間にいるなかで親切にしてもらったときにそのたびにありがとう一言を言う分にはなにもおかしなことはないと思う。

ただこれが文字のやり取りだと、何に対してもありがとう一言を言っているとそれが発覚した場合機械的に書いているだけな白々しい感じがするように感じる。

知恵袋で何件も回答がついている質問があってその回答すべてに返信で「回答ありがとうございます!」とコピペしているのを見るとやっぱり微妙な気分になっている人が多いんじゃないかと感じてしまう。

増田も何件もトラバがつき得る、そういうことが可視化され得る場になっている。

一方で自分はこういう何かをしてもらったという場面においては基本的情緒があっさりしているというか淡泊というか、感謝以外に特に言語化できる思いが浮かんでこないことが多い。

それでもお礼を述べるならそのお礼の文面はテンプレート化されていないものでなければならない、言い換えればもしそれを他のやり取りで流用したら会話として成立していなくなるような、個別化されたものであるべきだと思う。

そういう方法としては単純には「ありがとう」のような言葉以外は相手の言っていることをほとんど反復しているだけという方法が考えられるが、これもキャバ嬢とかだとうまいらしいが、そうでなければ簡単に見透かされてしまうだろう。

とはいえ思ってもいないことを無理に作文してひねり出してもお礼なんてしない方がましだったというような不快感を与えかねないだけだと思う。

以上のようなことを日ごろ思っているので何かしてもらっても様子見という判断選択しがちなのが現状。


dorawiiより


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2026-04-21

多様性と、人権を重んじるリベラル

私は多様性が嫌いだ。

そして人間なら多様性は嫌いだと信じている。

自分の中に差別的思想はあるだろうか。私はある。

そこそこ強めの男尊女卑内面化されている。

男は強く在るべきだし、成長すべきだ。

基本責任を引き受けるべきは男で、逃げることはある一定の年齢を超えれば許されない。

不幸なことがあってもそこから立ち直るべきだろう。

甘えた態度を続ける男は、場合によっては生きる価値がないとすら思う。

一方で女は違う。

別に弱くてもいいし、幼くてもいい。決断をしたくないならそれでいいし、いい歳してその調子でもまあ悪くないだろう。

社会もそれを容認してるようだし、それを望んでいる節もある。

この人男だったら今よりニ、三段階社会的に不利な立場にいただろうなと感じる人もそこそこ見る。

それがいいのか悪いのかは分からない。

周りにいる女性のそういう様子を見る度、可哀そうだなと思う。

結構馬鹿にした話だと思うのだが、それを恥ずかしげもなく享受している感じもある。

自分で書いてて余りにも馬鹿にしているなと思うが特にこの考え方を変えるべきだとも思わない。

弱さ全開な所は可愛い

が、一方でこの思考社会開陳してはならない。

十分な能力があるにも関わらず、性別理由ギャップを作るのは本当にくだらない。

営業仕事をしていると、女性社員が出向くと客先でまともな対応をされないケースがある。

その時は、男の自分が代わりに向かう。なんてカス社会だと思う。

強い侮辱を感じるし、当の女性社員がそれを笑って話したり頼んだりしにくるのもきつい。

本当は能力があるのにこれで不当に自信を奪われて委縮するようになったら最悪だ。

その手の話は二度と起こしたくない。

から男尊女卑思想蔓延っている社会カスだ。

私の考えを堂々と言っていい世界は、今よりずっと悪い所だ。

頭に侮辱的な言葉が浮かんだら、必ず言わないようにキャンセルしている。

それがなくてならない姿だと思う。

私は幼い頃から中学生くらいまで、知的障害を持った叔母と同居してきた。

分かりやすさのため敢えてこの表現を使うが、大体犬と同じくらいの知性だ。

意味のある言葉は話せないし、所構わず大声をあげる。怒った時は手加減がないから強めの暴力が飛んでくる。

そんな叔母に対して、特に何も思わない。

当たり前に傍にいたし、そういうものだと思っている。

叔母に意思がないではない。

彼女には彼女なりの優しさがあるし、怒りや悲しみも感じている。

実家で飼っている犬のことは特に好きみたいで、楽しそうに撫でていることもある。

そんな叔母が、障害があるからという理由差別されるとやはり許せないと思う。

ある時祖母は、自分母親法事に(つまり私の曾祖母祖母叔父、叔母、母の四人で向かった。

その時障害があるやつを何故連れてきたと言われたことがあるらしい。

祖母は会をぶち壊して途中で帰ってきた。

それは正しい行為だ。少なくとも私にとっては。

一方で叔母と同じ状態他人を見ると、反射的に嫌だなと思う。

多くの障害者はやっぱり普通とは言動が違う。

ふと視界に入って、反射的にネガティブ感情が出てくることがある。

そしてそれは絶対に表に出してはならない。

障害者に向かって露骨に顔をしかめる。ヘイトを当たり前のようにぶつける。殺してしまえとすら言う。

そんな社会は嫌だ。自分感情とは別にやるべきことがあり、それを実行すべきだ。

あるべき理想社会がる。一方で、自分直感にとって最も快適な社会がある。

この二つは差が大きい。全人類、心の中に偏見があるはずだ。

そして自分想像していたより、その偏見が大きかったこともあるはずだ。

社会的に許されない、でも思わず表に出したくなるような強い衝動を伴う不快感

特別出来事理由が無くとも、なんとなくでそれは育っている。

それは正しくない感情のはずだ。

何故ならその感情に素直に従った行動は、筋が通っていなかったり、自分過去の苦しみを加害者として再演したりするからだ。

多様性に向き合うなら、そこには必ず葛藤がある。

自分は嫌だ、これを認めたくないと感じながらも、認めなくてはならないもの存在する。

これは苦しい。自分にとっての理想社会は有り得ないと認めることも、自分が思う不正義を放置することも、自分が無茶な論理押し付けようとしていたことに気が付くことも、どれも苦しい。

それでも葛藤と向き合っていくからこそ、多様性という言葉は重い。

この葛藤に、果たして何人向き合っているだろうか。

多様性を重んじる。言葉は立派だ。

この言葉実践することはとてつもなく立派な行為だ。

言行一致しているか

素直に他人排除しようとしたり、かつて排除されていた体験を用いて他人攻撃したり、そもそも苦しんでいる他人を認めず存在を無かったことにしてないだろうか。

Twitter交流があった弁護士の知人がいた。

政治人権について強い関心があったようで、パワポケ二次創作で繋がった相手だったが時折そんな話をしていた。

この前久しぶりに彼のアカウントを見に行く「女性性犯罪を行うキチガイストーカー死刑になりますように」とつぶやいていた。

https://x.com/kyoto_spiders/status/2037488161270661540?s=46

キチガイ』何故使った?

多様性という言葉が何故生まれたか

一つは、これまで見過ごされていた苦しみに気が付けるように、という願いがあったと思う。

性自認宗教国籍だけでなく沢山の困難を個人は抱える。

精神障害は、特に辛さが見えづらい。見た目には分かりやすい変化がない場合もある。

一見忘れられてしまいそうになることを繋ぎとめる。これも人権について考えるでも重要な要素のはずだ。

それを自分で表明しておきながら、あの無様な姿。

まりに情けないが彼個人だけの問題ではない。

リベラル自称する人間でそういったやつはいくらでもいる。

多様性なんてどうでもいいと言う奴は論ずるに値しない。

ただ多様性を謳いながらその実全く興味を持ててないやつ、そのことに自覚もない奴は別の醜悪さを孕んでいる。

ましてやそんな人間社会的に立派そうな立ち位置にいることもある。

下手すれば何が良いかいかすら決めようとしている。

自覚無しに人を区別する権力者など、差別主義者より性質が悪い。

それを指摘されても聞く耳を持たない

リベラル自称する人間にありがちだ。

俺はああはなりたくない。

辛くて苦しくても、俺たちは悩み続けなければならないはずだ。

その上で他人を踏みつけたとしても。

自分にある暴力性は自覚しながらやっていくべきだ。

それでもなお決意をもって踏み込む必要がある。そうでないと社会は変わらない。

私は発達障害がある。

高校生くらいまで社会常識やコミュニケーション微塵も理解できず、ずっと孤立してきた。

他人の振る舞いを観察し、ある程度型にはまれるようになってきた今で、時折とてつもない見落としがある。

仕事についてなんとかやれているのは、運よく素晴らしい友人に出会たからだ。

失敗を許容し、解決策を提示し、黙って機会をくれる人間がいたからここにいる。

彼らは多様性意識していたからこうなったのか。それは違う。

もっと根本的に、自分と言う人間を舐めずにそのままぶつかってきてくれたからだ。

今の自分にそれが出来るかは分からない。彼らほど誠実には出来ないかもしれない。

働き出してみると、自分と似たような特性を持った人間出会う。

おそらく今日までコミュニケーション様式を変えずに来た。

彼らが、社会的に尊重される時が来るだろうか。多分ないだろう。

彼らに人権はない。キモい可哀想じゃない。だからわざわざ考慮しようという人がいない。

から、共に仕事をする時はどうすれば周りが納得するのかや、どうすれば仕事が終わるかを話すようにしている。

彼らはお礼を言わないし声もはデカいまたは聞こえない。不要独り言もめちゃめちゃ多いがこちらの態度は変えない。

多分昔の自分もそうだったから。

正直彼らは不快だ。だから嫌われるんだろう。

今の社会で見られる『尊重』の枠に入ったらどうなるだろう。

障害から変わらなくていいという論理に飲み込まれ、裏でヘイトを溜めながらいつか底が抜けた時に、盛大に排除されるだろうか。そうなるくらいなら、過剰に叩かれながらも自分を変えなければと思い至る可能性がある現状の方が、まだ不幸になる人は少ないのかもしれない。

今日死ぬことと明日死ぬことのどちらが不幸かは分からない。

人権を重んじたことを言いたい方々は役に立たない。興味がないから。

結局抽象的な理想を掲げる奴らは役に立たない。

インターネットで偉そうなことを言う人間も役に立たない。

そんなことより隣にいる人間に声をかけられる人間の方がよほど社会のためになる。

嫌な奴に声をかけて、背景を知ったら嫌えなくなってくる回数が増えるほど、多様性身体の中に作られてくる。

不愉快でたまらないけれど、社会自分も、それで少しずつ良くなるのだと信じている。

弱いことは悪ではないけど弱く在り続けることは悪だ。

昔はコンテンツを見て涙を流す人のことが全く理解出来なかった。

最近泣きはしないけど、ちゃんと感動したり涙腺が刺激されたりするようになった。

嬉しい。絶対楽しめない物だと思っていたから。もっと普通になりたい。

映画を見て泣ける人は羨ましい。そこまで豊かに何かを感じる事は苦手だ。

でもいつかそうなれる気もする。

そういう部分に自分の成長を感じるし、時間が経つことでポジティブなことが増えていくと信じられる。

自分にも他人にも期待して生きていきたい。

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