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はてなキーワード: 物差しとは

2024-12-07

anond:20241207225538

相手を選ばず恋愛するだけならイージーではあるが

殴り殺されたり経済DV食らったり不倫されたりニートになられたり痴漢少女買春に手を出されたりしないかなど

危険要素がないか吟味していわゆる「まともな男恋愛」を得ようとするとグッと難易度増すんよ

「一発ヤれるだけの難易度」は男の物差ししかない

2024-12-06

anond:20241204182650

文学部卒としては院に進学する人がいることがとても嬉しい。

文系学問特に文学部就職に不利だとか役に立たないだとか言われるが、そもそも文学を役に立つかどうかという物差しで測ることそれ自体ナンセンスだろう。

長い歴史のなかで生まれたたくさんの書物を読み、多様な価値観を得られるところが文学部だ。誰に報われなくて良い、という考え方を得ることができたことを、どうか誇ってほしい。

大学先生が「学問をするということは人生を棒に振っても良いと思えるということだ」というようなことを仰っていたので、苦しい道かもしれないがどうか学問を続けてほしい。

応援している。

2024-12-01

もういい加減自身の内側に物差しを持ち、それに従って良いはず

無責任他人の言うことにいちいち傷ついて臆していないで、堂々と進めばいい

2024-11-28

anond:20241128165628

好きになった女性以外のことを、そういう目で見て、評価したこといか分からんわ。男の性欲なんて特にどうでもいいしな。

10人いたら何人はこうで…なんて、変に分類する意味分からん。人を、自分物差しに当てはめたいと思ったことない。

気になるのは、やっぱ、好きになった人のことだけだよ。

2024-11-17

クリスマスみたいなイベントごとに乗るかどうかというのは、社会性や協調性といった「一緒に生活するうえでの無難さ」をはかる物差しみたいなものなんですわ

おれは本質的には興味ないけど、興味関心のあるフリをするのは上手いから、こういうテストは難なくパスすることができるけどね

2024-11-16

anond:20241116204813

ま、そういう事だよね、女性エロファンタジー物差し評価するんじゃあなく、現実存在するヒトとして向き合うことよな

2024-11-09

お金ないお金ない」と騒ぐ人はなんでお金がないのか?その要因の一つとして買うものに対する費用対効果を正しく判断できないということがある。例えばコンビニで150円ペットボトル飲料を見て「高いなドラッグストアなら88円だな」「別にコンビニなら普通」「他の店に買いに行く暇がないから150円でも助かる」みたいにその人に対して費用対効果が合ってれば節約云々はあるけど合理的ではある。ちなみに私はコンビニではスイーツアメリカンドッグしか買いません。

100均一は確かに安く感じる、けど普通に300〜1000円ぐらいの商品も混じってるし、買ったけどすぐに壊れたり結局使わなかったり。これはあくまでも一例だけど、自分にとっての費用対効果がズレているかもだし使うことではなく買うことが目的になってる可能性がある。

自覚している費用対効果と本当の費用対効果物差し📏のズレが貧乏まっしぐらの一つの要因かもしれない。

「それを買う必要が本当にあるの?」

限定品だろうがセール間中であろうが買わなければ100%割引になる。買う前に家族や友人に聞いたり何日か買うのを待ってみたり費用対効果のズレた物差し📏を調整してみるのも必要かもしれない、お金無尽蔵ならなんでも買えるがお金持ちほど安いものはあまり買わない、高くても長持ちする品質の高いものを買ってる。

いから買う高いから買わないではなく費用対効果自分にとって必要でその商品の値段にちゃんと納得してるのか?それを出来なければ貧乏まっしぐらだよ。

2024-11-03

暴力

暴力は誰にでも平等で、公平で、物差し的に正しい。強い奴が偉くて正しくて基準。やっと気付いたの?遅せえよ 

2024-10-22

anond:20241020011915

頭の良さ馬鹿にしてんのか。なるわけねぇだろ。周りを全て自分物差しで測るな。

世界が全員貴殿の言う頭が良かろうがの内に収まる低い程度であれば

ここまで発展していない。普通にボケすぎ。

2024-10-21

管理職に求められるもの

について書こうとしたら桜井政博完璧動画を挙げていたのでもうこれを見て終わりにしよう

上は下なり、下は上なり 【仕事姿勢

https://www.youtube.com/watch?v=5VtKIWJ8VY0




蛇足だけど俺がもともと言おうとしていたこと。

俺が100人いるのが最強のチーム←これ、馬鹿妄想です

同じ職域でプレーヤープレイングマネージャーマネージャーと順調に狭い世界の中を渡ってきた管理職ありがちな勘違い

自分経験能力を過信して「俺と同じことが出来るやつが集まったらそれが最強のチームなのに・・・」と意味不明な苦悩を抱え込みだしたら完全にアウト。

その職域で最もメジャースキルについては一番長くやってる自分が一番得意ということは確かにあるけど、それだけで人を見て「俺と同じことが出来ないから駄目」とやっていくと誰もついていかなくなる。

長くやってるからこそ出にくいアイディアや、職域の外にある固有スキルとかをちゃんと活かしていけないならチームでやるメリットが薄れる。

というか、管理職にいる人間プレーヤー目線だけで部下を評価しているのがそもそも間違い。

チーム全体の雰囲気作りや、数字は出にくいけど組織必要とされてる業務の貢献などの、全体を俯瞰してようやく全容が見えてくる仕事ちゃん物差しに加えていけないと駄目。

そうしたらとてもじゃないけど「同じタイプ人間だけで構成された部隊が最高である」とは言えないことに気付けるはず。

弱みを見せないくせに甘えるのが一番NG

不機嫌な態度で部下をコントロールしようとしたり、威圧的オーラを出しながら頼み事をしたりすると部下の気持ちドンドン離れていく。

単に自分ウォーターフォール中間地点にいるだけであっても、多くの仕事自分が部下に頼む側となる。

定型業務淡々と割り振るだけですまない仕事の分配について、ついつい「なんで俺がここでストレスを抱えなきゃいけないの?理不尽じゃない?」と不機嫌になることもあると思う。

でもそこで自分ストレス安易に「こんな仕事が来たよ!本当に許せないよね!俺は忙しいからやってよ!暇でしょ!?」なんてやってたら部下からの信頼はあっという間に無くなる。

要は頼み方一つなんだけど、「こんな仕事が来ちゃいました・・・ごめんなさい・・・上に現場のことをちゃんと見てもらえるように努力しきれませんでした・・・本当に申し訳ないのですが手伝って頂けないでしょうか?」ぐらいに弱気にいった方がまだ部下からの印象はいいよ。

上司からの泣き落としとか断れ無さすぎて最悪ではあるんだけど、どうせ上司から振られる仕事って断れないもんなんだから、せめて相手側に「申し訳無そうな空気」ぐらいは貰っておきたいと考えるもんでしょ?

虚勢を張って「強いボス」をアピールするのが自分仕事だと勘違いしてる管理職がいるけど、これはよくある間違い。

あくまで腰は低く対応しつつ、譲れないところはガンとして譲らない」ってスタイル確立していくのがひとまずの理想形。

今の時代に横柄な態度を取って相手威圧しても、そんなのは風邪気味で不機嫌になってる子どもみたいなモノとしか扱われないからね。

妥協するべきものを共有しろ

ある程度上の立場になって仕事をやっていると否が応でも見えてくるのが「絶対的リソース不足」。

全ての項目を完璧にするのなんて絶対不可能なんてのは下っ端のうちから見えていたけど、偉くなるほどにそれがどこまで絶望的に足りてないかが見えてくる。

その足りてなさについて下は全然見えてないから上の方から共有していかないと駄目。

でもそこでちゃん妥協点を共有しないと「そこで手を抜いちゃ駄目でしょ。なんでわからないの?」って話を何度でもする必要がある。

漠然自分の中にある「コレはここまで妥協できる。こっちはこの辺まで妥協できる」ってラインを部下に共有できないなら、それは管理しているとは言えないと思う。

管理って最終的にはリソース配分に対して行うものであって、そこにおいて重要なのは「何をどこまでサボったら赤点になってしまうか」という情報なんだよね。

これを自分の頭の中にある複雑な「俺様専用経験方程式」みたいのだけで全部やろうとしてもそれは部下には伝わらない。

入ったばかりの新人はともかく3年以上いた人間なら皆理解できるレベルまで複雑を落とした「妥協点の方程式」を作り出して、それを積極的に共有していくのが管理職仕事

あとはもう桜井さん動画で語られてるな。

つーかこの内容でもだいぶ被ってるわ。

2024-10-09

anond:20241006211836

失敗なんかいつでも起こる。

そのつもりで生きていくのさ。

他人物差しを使って自分人生をはからないように

2024-10-05

東大生駒場祭(学祭)で東方コスプレしてBad Apple!!再現をして盛り上がっているユーチューブを見た

東大生オタ充してるのってなんか凄い嫉妬とやるせない怒りというか悔しさみたいなものを感じた。

官僚になったり商社外資上場企業に行ったり起業したり研究者になったり、そういうのにもある程度の嫉妬は感じるがそういうのはいいんだよ

やっぱり優秀な人間が頑張って職について今後の日本を発展させていったりしてくれるんだろうなとも思うし。

たださ、東大がそういう大衆領域に入り込んで荒らすなよ、お前らが本気で入り込んでくるとその優秀さを使って文化を乗っ取っていくから嫌なんだよ

優秀さって物差しでのゲーム勝手に始めて美味しいところを持っていく下品卑怯な事しなくても東大だったらもっと良い思いいくらでもできるだろ

みたいな事を感じながら東大京大だらけになった任天堂の話を思い出す。

2024-10-01

anond:20240930175536

大多数の凡人は自由意志をはく奪して管理された方が生産性高まるよな

どんな物差しで測るかによって変わる話なのに一面的評価しないのが間違ってるんだよ

2024-09-30

二  三四郎東京で驚いたものはたくさんある。第一電車ちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。次に丸の内で驚いた。もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった。しかもどこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引っ込んでいる、古い蔵が半分とりくずされて心細く前の方に残っている。すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。  三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。  この劇烈な活動のものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分今日までの生活現実世界に毫も接触していないことになる。洞が峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分世界現実世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。  三四郎東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫も気がつかなかった。――明治思想西洋歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。  三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人でふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受け取った最初のものである。見るといろいろ書いてある。まず今年は豊作でめでたいというところから始まって、からだを大事にしなくってはいけないという注意があって、東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田の政さんの従弟に当る人が大学校卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。この欄外にはそのほか二、三件ある。作の青馬が急病で死んだんで、作は大弱りである三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから家内で食べてしまった、等である。  三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。母にはすまないが、こんなものを読んでいる暇はないとまで考えた。それにもかかわらず繰り返して二へん読んだ。要するに自分がもし現実世界接触しているならば、今のところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかに汽車の中で乗り合わした女がいる。あれは現実世界稲妻である接触したというには、あまりに短くってかつあまりに鋭すぎた。――三四郎は母の言いつけどおり野々宮宗八を尋ねることにした。  あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町の門からはいった。往来は埃が二寸も積もっていて、その上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。とっつきの戸をあたってみたら錠が下りている。裏へ回ってもだめであった。しまいに横へ出た。念のためと思って押してみたら、うまいあいあいた。廊下の四つ角に小使が一人居眠りをしていた。来意を通じると、しばらくのあいだは、正気回復するために、上野の森をながめていたが、突然「おいでかもしれません」と言って奥へはいって行った。すこぶる閑静である。やがてまた出て来た。 「おいででやす。おはいんなさい」と友だちみたように言う。小使にくっついて行くと四つ角を曲がって和土の廊下を下へ降りた。世界が急に暗くなる。炎天で目がくらんだ時のようであったがしばらくすると瞳がようやくおちついて、あたりが見えるようになった。穴倉だから比較涼しい。左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のある相である。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。背はすこぶる高い。やせているところが暑さに釣り合っている。頭と背中を一直線に前の方へ延ばしてお辞儀をした。 「こっちへ」と言ったまま、顔を部屋の中へ入れてしまった。三四郎は戸の前まで来て部屋の中をのぞいた。すると野々宮君はもう椅子へ腰をかけている。もう一ぺん「こっちへ」と言った。こっちへと言うところに台がある。四角な棒を四本立てて、その上を板で張ったものである三四郎は台の上へ腰をかけて初対面の挨拶をする。それからなにぶんよろしく願いますと言った。野々宮君はただはあ、はあと言って聞いている。その様子がいくぶんか汽車の中で水蜜桃を食った男に似ている。ひととおり口上を述べた三四郎はもう何も言う事がなくなってしまった。野々宮君もはあ、はあ言わなくなった。  部屋の中を見回すとまん中に大きな長い樫のテーブルが置いてある。その上にはなんだかこみいった、太い針金だらけの器械が乗っかって、そのわきに大きなガラスの鉢に水が入れてある。そのほかにやすりとナイフと襟飾りが一つ落ちている。最後に向こうのすみを見ると、三尺ぐらいの花崗石の台の上に、福神漬の缶ほどな複雑な器械が乗せてある。三四郎はこの缶の横っ腹にあいている二つの穴に目をつけた。穴が蟒蛇の目玉のように光っている。野々宮君は笑いながら光るでしょうと言った。そうして、こういう説明をしてくれた。 「昼間のうちに、あんな準備をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなもののぞくのです。そうして光線の圧力試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」  三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。  その時野々宮君は三四郎に、「のぞいてごらんなさい」と勧めた。三四郎おもしろ半分、石の台の二、三間手前にある望遠鏡そばへ行って右の目をあてがったが、なんにも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く。「いっこう見えません」と答えると、「うんまだ蓋が取らずにあった」と言いながら、椅子を立って望遠鏡の先にかぶせてあるものを除けてくれた。  見ると、ただ輪郭ぼんやりした明るいなかに物差しの度盛りがある。下に2の字が出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と言うと、「いまに動きます」と言いながら向こうへ回って何かしているようであった。  やがて度盛りが明るいなかで動きだした。2が消えた。あとから3が出る。そのあとから4が出る。5が出る。とうとう10まで出た。すると度盛りがまた逆に動きだした。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に1まで来てとまった。野々宮君はまた「どうです」と言う。三四郎は驚いて、望遠鏡から目を放してしまった。度盛りの意味を聞く気にもならない。  丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。暑いけれども深い息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築ガラス窓が燃えるように輝いている。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太い欅の幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ。  非常に静かである電車の音もしない。赤門の前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川を回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。電車さえ通さないという大学はよほど社会と離れている。  たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素服装をして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。しか望遠鏡の中の度盛りがいくら動いたって現実世界交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯現実世界接触する気がないのかもしれない。要するにこの静かな空気を呼吸するから、おのずからあいう気分にもなれるのだろう。自分もいっそのこと気を散らさずに、生きた世の中と関係のない生涯を送ってみようかしらん。  三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるか心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。  活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したかである。――現実世界はどうも自分必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。

anond:20240930171147

2024-09-29

恋愛経験」を他人物差しで測られてしまう怖さ

恋愛経験ない奴はカス、みたいな投稿見たけど

恋愛経験」そのものの具体性や再現性って多分無いというか

まりにも多様な価値観を孕んだ話だと思っていて

だのにそれを勝手に「無い」と断定し他人卑下する行為

それこそ唾棄すべき暴力的言葉に見えたりする。

片思いしかしたことのない、好きな人から恋愛相談ばかり受けてきた中年手前の顔真っ赤な反応投稿ナリ。

2024-09-25

anond:20240925081028

倫理的っていうのは何が正しいという普遍的かつ絶対的物差しがないと言えない

でもそれを認めちゃうと「そんなの当たり前だろ!!」と何かの倫理ゴリ押しする根拠自体が吹っ飛ぶのだった

anond:20240924213850

かつて枝野党首になってすぐの立憲民主党公募採用政策集のSOGIの項目に「女装男性から女性スペースを守る」って入れて大問題になったけど、

https://tgjp.jp/%E7%AB%8B%E6%86%B2%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%B3%AA%E5%95%8F/

これって寛容さゼロフェミたちがそういう公募をして党もそれをまんま採用したわけだから寛容でない自称リベラルが党の内外に浸透してるのはわかる。

倫理的っていうのは何が正しいという普遍的かつ絶対的物差しがないと言えないので、そんなもん要求すること自体おかしいが。

2024-09-23

可愛い服を着る資格がない

中高生のころ逆張ってファッション無頓着でいた反動なのか、今すごく服に惹かれている。……特に、若年層ターゲットジャンルに。

サブカル系かわいい地雷系もいいし、水色界隈とかも好き。サブカルジャージ特に好き。シルエットの大きいものを着て四角くなった胴体からスッと足が伸びてゴツいスニーカーに繋がるのが本当に可愛いY2Kかわいいし、子供の頃を思い出す。ちょっと令和な感じに味付けされた感じがまたかわいくて、懐かしいだけじゃない良さがある。フレンチガーリーも好き。これは若年層に限らないかもしれないが、ロリィタも大好きだ。

でも、私は着るべきではない。

自分はいいやと思ってるうちに、気づいたらアラサーになってしまった。「アラサー 服装」で検索すると、自分琴線にはかすりもしない服ばかりが出てくる。

れいめと評される、私はもう弁えてますからとでも言いたげでシンプルコンパクト服装。そこにリボンフリルはなく、あっても申し訳程度だ。色合いもくすんだものばかりで、そういう路線好きな人には悪いが私にはつまらない。十分の一もときめかない。しか世間的には、そういう形になることを期待される世代だ。そういう世代になってしまった。

それでも好きに年齢は関係ない、好きに着たらいい。そうだね。そうかもしれない

でも、あなたはくしゃくしゃの頭にノーメイクボロボロの肌の女にも同じことが言えるか?

世代に限らず、身だしなみに気を使うひと達はちゃんと日頃からセルフケアをしている。愛する服に相応しいものであろうとしている。輝く自分でいることを諦めない。

私にはそんなことできない。なんとか生きていようとするだけで疲れて、これ以上日々のタスクを増やすなんて考えられない。それでも就活中は多少気を遣おうと寝癖も直してナチュラルメイク勉強したりしていたが、どうすれば人間らしい見た目になれるかあれこれ悩むほど疲弊してちっとも楽しくなかった。あれを出かける度にやるなんて耐えられない。

結局のところ、無頓着でいるのは楽なのだ。やはり身なりを整えてる人の多いところにいたりすると肩身の狭さは感じずにいられないのだが、それでもとりあえず梳かしてまとめただけの頭・保湿も追いついてないすっぴん適当な服の三種の神器が揃うことで、自動で「そういう人」のラベルけが人々の脳内で行われる。

これが服だけ整っているとそうはいかない。しばしば起こるノーメイクアクシーズ貶しがその例で、ガチャガチャした人体に整った服を纏っている人間は身の程知らずと罵られるかもっと素敵になれるという名目で己にかけるコストを増やそうと提案されるかだ。

結局うつくしい服というのは、それでも自分は着たいと主張できる強くたくましい心の持ち主と自分を労ることを怠らずにいられる豊かな心の持ち主だけに許されている。自分のような半端者は一生無地で白黒のTシャツパンツに身を押しこめて生きるのだ。

からこの話はおしまい。この気持ちは一生外に出すことも無く、いつかトップページから流れて埋もれるこの文章とともに、ネットの海に閉じ込めておこう。

最後に、これが今踏み出すことを戸惑っている人達への呪いになっていたら本当に申し訳ない。私以外はみんな美しい。どうかあなたたちはこんな風にならず、どんなあなたでも存在を許して生きていて欲しい。

追記

書いてすぐ付いた反応にちょっと返して、そのまま放置している間になんだかすごく見られていたようで驚いた。

優しい意見も厳しい意見も色々ある。ありがとうございます時間はかかると思うけど、ゆっくり目を通していきたい。流石に返信までは量が多すぎて出来ないと思うけど……

それからシンプル服装好きな人、本当にすみません。ああいうのが本当に好きで着ている人がいるのもわかっているし、結局のところ自分がそういう嫌な気持ちを抱いているのって「そのようになれという圧力」であって着ている人たちにはなんの罪もないのだが、やっぱり書き方に変な悪意があったと思う。こちらの推敲不足です。

万一知り合いにバレたら嫌なので自分容姿にはあんまり言及してなかったけど、正直顔にもコンプレックスはある。詳しく書くと本当にバレそうなくらい、色々。少なくとも二重ではない。それに男みたいな骨格してるのも嫌だし、こうして書き出すとそもそもけっこう自分自身のことが好きじゃないっぽい。

小学校の頃くらいまで遡るとけっこう自分の服も好きな物好きなように着ていたな。紫が好きなので上下とも紫にしちゃって笑われたりしてた。

多分中学生くらいから地味なの着るようになったと思うんだけど、その辺ってみんなが他人から見た自分について意識しだしてた記憶がある。ダイエットとか、体毛とか、こういうの似合う似合わない、うちの制服ダサい……その流れで増田ちゃんは○○だよねって勝手物差しを向けられるのも今思うとすごく嫌だった。こんなに前から自分って他人の目を感じてたんだ。今から見ると中学生なんて何着ててもかわいいのにね。

まあ変な話は置いておいて、拙い文章に目を通してくれた人も最初だけ読んだ人もありがとうございました。これが何かあなたの足しになったなら幸いです。不快にさせてしまっていたらごめんなさい。美味しいものでも食べて、こんな増田のことは忘れて過ごして

2024-09-20

そういえば友達が教えてくれたこ

風邪を引いたら生姜大量のミルクティーを飲む(宝美ちゃん

youtubeは「ようつべ」と打てば出てくる(えりのちゃん

柔軟剤と洗剤は別の用途晴海ちゃん

眼鏡拭きを忘れたら服で拭けばいい(晴海ちゃん

豆乳鍋には鮭を入れる(里紗ちゃん

ポテトチップスを箸で食べる(里紗ちゃん

納豆キムチを入れる(双葉ちゃん

・「こんばんわ」ではなく「こんばんは」(瑞紀ちゃん

エバンゲリオンではなくエヴァンゲリオン

エヴァンゲリオンロボットではない

二宮和也姿勢矯正しようとして服の中に物差しを入れていたことがある(瑞紀ちゃん

2024-09-15

anond:20240915114124

まあ、コンクール学校試験評価基準がそうなりがちなことは、別にいいんじゃない

でも、それ以外の場で奏者を評価をするのに、その物差しはどうなんだろう?

例えば、パガニーニヴィエニャフスキーはバリバリ弾けるくせに、モーツァルトが苦手なプロとか珍しくないんだよね。

そういう現実一つ取っても、色々思うところがあるわ。

anond:20240914091807

羅列されているものは正しいけど、並べ方が違う。50点。

重要なのは

 ・タコツボ化によりハイコンテキストとなったもの

これね。

ここがあらゆるブーム世代ギャップの基本となる。

わかりやすいのは「漫画アニメの目の大きさ」辺りかな。

1 少しずつ大きくなる

2 ある所までデカくなるとバランスが保てなくなっていく

3 突然小さくなり始める

4 十分小さくなったらまた大きくなり始める

このループを繰り返している。

流行と言えるもの構成するあらゆる要素がこういった「少しずつ味付けが濃くなる→バランスが崩れだした所で急激なシュリンクが起きる→また少しずつ強くなっていく」の繰り返しだよ。

それぞれの要素においてバラバラにこれらが起きているから全体を見ると漠然とした「時代ごとの流行り」に見えるんだけど、部分部分を取り出していくと再現性のあるループ構造になってる。

それがなぜ「前世のものはダサイ」に繋がるかと言うと、シュリンクしたあとの世界から見た肥大化した状態には強い異常さを覚えるから

バランスが崩れたら一気にシュリンクするといったけど、このバランスが崩れたって状態は「ブームに従って強くすることのプラスマイナスで、マイナスの方が大きくなった」という意味バランスであり、トータルでみたバランスブームを抜きにすればとっくに崩れたあとなの。

それと同時に、強くなっていく過程から余りに大きく遡ってると今度は弱すぎて違和感を覚えることもある。

たとえば、今は激辛ブームでどんどん激辛料理スコビルが強くなってるけど、これで激辛を食べ慣れてない人がいきなり最新のヤバイのを食べたらヤバイことになってるけど、この状態新規参入も見込みにくいかトータルバランスではマイナスに傾きつつある。

そこで中途半端マイルド方面に行っても「激辛ファンからさえ見向きもされなくなるから、どっかで「味とのバランスを両立させた激辛」みたいな感じで軟着陸なビッグクランチを起こすんだろうなってことは分かるでしょ?

もしもこのループが終わった後の世代が今の基準激辛を食べたら「辛すぎて味がしないだけじゃん。馬鹿なの?」みたいになるわけだけど、この「なんでここまで強くする必要があったの?」が世代ギャップなのよ。

でも同時に、このループがまだ終わらずに激辛が強くなり続ける流れがあったなら、その次世代からしたら今の激辛なんて「この程度で激辛だったの?全然感じないけど、意味ある?」ってなるだろうね。

まり肥大化が続いてようがリセットされようが、結局は「ハイコンテクスト化の加速と急激な縮小」のループを原因としてギャップは生まれるってこと。

でもこれが大きく大きく時代が離れていくと、どっかの段階で今のループ状態とちょうど重なりあうぐらいの時期になる事がある。

それが「リバイバルブーム」って奴の正体なんだよね。

まあでも全体として同時並行で色んな流行があるから、やっぱ古いものってのはどっか今の時代から見ると浮いちゃうんだけど、その浮きっぷりが強烈になると物差しを飛び越えて「そういうもの」として受け入れられたりするわけな。

「ちょうど良い」と「そういうもの」の両方が重なった絶妙な趣が、「凄い古いものだと何故か大丈夫」の正体だったりするわけよね。

2024-09-09

anond:20240909140932

元増田みたいに完全グローバル目線ゲームの人気を語ってることもそうだけど、逆に日本人和ゲーより洋ゲーの方が多く知ってるほうが問題なのよ、俺も持ってるのはティアキンだけだけどスターフィールド以外全部知ってはいるしね

ファミ通みたいなニュースサイトとか、個人が作ったツイッターにあるオススメsteamゲームリストとか、ゲーム情報源がみんな国産海外産がごっちゃになってて物量的に海外割合が多いし

ディスボード登録されてるような開かれたゲーマー向けディスコード鯖でも、洋ゲーばっかり遊ばれてるの見る

steam国産ゲームまとめてるのって5chの専門スレにあるGoogleスプレッドシートしかたこと無い


質でいったら今も昔も日本ゲームの方がいいんだから

日本独自の展開の仕方、コミュニティ文化によって

日本人が作り、日本人プレイし、日本人ブーストさせる、それが海外勢の目に留まって海外のやり方で海外にも広まるっていう

日本ゲームが人気になる基盤の部分が、

グローバリズム的な考えや海外のと国産のを公平に宣伝しよう共有しようっていう流れによって崩れてるのが今


日本vs特定の国ですら人口比で不利なのに、

日本vs海外って見方だともう当然いくら日本ゲームが盛んに作られたりプレイされたりしてようと、物量的に敵うわけないでしょ

ガラパゴス的な観念のままグローバル的な物差しを持ち出すから日本ゲームが元気ないように見えるし、

似たような感覚バカが増えるほど実際に日本ゲーム文化が廃れるんだよ

2024-08-31

デブは食いすぎてるだけ。食い足りない分は水でも飲んでろ」がマジでその通り過ぎた。それに気づいて3年したら体脂肪率30%(日によって28~32%)→20%(18~22)になったわ

3年前にあすけんの女に食ってるもの伝えたら「毎日1000キロカロリー多く食ってますね。点数は10点です」と言われて「は?なんやコイツ?」と思ってたんだが、言われるままに食う量減らしても別に問題なかったからまあその通りだったっちゅーこっちゃな。

俺の中に漠然と「男は毎食ハンバーグ定食で丁度いいぐらいだし、運動してる人はそこからおやつラーメン大盛り加えると丁度いい」みたいな感覚があって、それが「食いすぎ」を測る物差しになってた。

少なくとも学生時代はそれで問題なかったんだけど、30ぐらいからブクブク身体デカくなっていって、健康診断でも呼びつけられるようになったんよね。

それで医者に「お前、食いすぎ。痩せろ」って言われてさ、じゃあフットサルジム後のラーメンプロテインバーにでもしとくかぐらいに考えてたの。

だってメシってはお腹を一杯にするためのものなんだって育て方されてたし、適切な摂取カロリーは俺の体が一番良く知ってるとオヤジや友人も言ってたから。

痩せやすい人、太りやすい人、ギャル曽根みたいな異次元の生き物、そういう個体差を考えたら自分満腹中枢が一番信用できると。

でもさ、やっぱ直感じゃなくて科学の力が必要なんだよな。

人間中年になるとドンドン壊れていくんだわ。

俺は生物学とかよくしらんけど、生存競争的な奴の中で「中年以降の連中は生殖活動をするための身体から、産まれてきた子供を守るために肉盾になるための身体に変化した方が種として生き残りやすい」みたいなのがあったんだと思う。

遺伝子からコイツもうジジイから少ない食料でも生きていけるような身体にしようぜ。だってもう精子も腐ってるじゃん?新陳代謝下げてけ」と命じられるままに俺の体は食っても太らないスポーツ青年からデブ天才へと組み替えられていった。

それは俺だけの話じゃなくて、皆そうなんだよな。

体重あたりの基礎代謝係数みたいなのをググったら、成長期と中年で倍ぐらい違うんだわ。

子供が小さい体にバクバク詰め込んでどんどん筋肉つける横で、ジジイ筋肉作るのもサボってひたすら脂肪を溜め込んでいくように人類最初から作られている。

それを科学はとっくに明らかにしてくれてたけど、俺は仕様通りにバグっていく自分の腹具合を信じ続けてみるみるうちに太鼓腹のデブオヤジだ。

1000キロカロリー減らすっていうのはハンバーグ定食1個分減らすってことだよ。

途方もなく聞こえる。

ご飯にして2合だ。

無理だろと思った。

でも調べていくと、なんか俺食いすぎてるなって漠然と分かってきた。

ご飯パン意識的に半分にすると結構減らせるんだわ。

たとえば朝ご飯にしょっぱいパンと甘いパンを両方食ってたのを片方だけにするとか、半分は残しておいて明日食べるとか、そういうのを積み重ねていくと、確かに1000キロ減らせたんだよ。

なんでそんなに減らせたのかっていうと、最初からそんなに食う必要がなかったからとしか言えんね。

「大盛り無料なら大盛りにしないと損」

「特盛でも料金変わらないなら絶対特盛」

ラーメン食うならチャーハン餃子必須

「揚げ物食うならビール必須

人工甘味料健康に悪い」

「箸を置くのは限界が来た時」

相撲部屋台所にでも貼ってありそうなデブによるデブのためのデブの誓いを俺はずっと守っていた。

子供の頃に親から食いっぷりを褒められたときにでも産まれた「とにかく食わなければいけない」という謎の強迫観念、それに男社会馬鹿生き様を煽るスローガン、呪われていたと言ってもいい。

あすけんの女が課してくるカロリー制限は確かに厳しい。

「これしか食えないの?」って気持ちには今でもなる。

でも同時に「これだけしか食わなくてもいいんだ」という福音でもある。

「腹一杯まで食わなきゃいけない」っていう謎の焦りが俺の食生活にずっとつきまとっていた。

満腹になる前に食うことをやめたり、カロリーを気にして選択肢を変えたりするのは、ストレス自分の体を破壊する自傷行為とさえ感じていた。

でも、逆だったんだわ。

俺は男社会で生きるうちにいつからか「腹いっぱい食うことは絶対に正しい」っていうハライッパイ教に入信させられていた。

俺の中にある無数のクソデブスローガンも、カルト教団ハライッパイ教によって刷り込まれものだったんだろう。

俺は洗脳されていたんだよ。

でも、目の前に具体的な数字として「貴方摂取カロリーオーバーしてます毎日1000キロオーバーしてます」と毎日見せられることで、正気に戻れた。

デブは食いすぎてるだけ、俺はこれをカルト教団デブシネ教が唱える教義であり、奴らはKKKの如き凶暴さでデブ社会から排除したくてしょうがない異常者なんだと思っていた。

違うんだよ。

俺達デブが、狂っていただけなんだ。

世の中のデブが全員そうなのかは分からないけど、「食いすぎてるから少しは減らしたら?」と言われてキョトンとしたり怒り出すようなデブはさ、狂ってるんだよ。

俺は狂っていたんだ。

大抵のデブは、食いすぎてるだけだ。

食いすぎてるからデブなんだし、食いすぎるってのは別にそんなに幸せなことじゃなくて、ハライッパイにならなきゃ駄目だっていう強迫観念に突き動かされた不幸な生き方なんだ。

イカレた中年満腹中枢を満たす目的で飯を食うなんてのは、スタミナを消化するために退屈しながらスマホゲームを遊ぶように無意味なんだ。

腹にスペースがあったら埋めなきゃいけないなんて考える必要はない。

必要カロリー科学的に把握していればいいことであって、ぶっ壊れた身体感覚なんぞを信じても地獄に落ちるだけだ。

デブという無限地獄、食えば食うほどに胃が膨らみ、消化機能破壊しながら必死に満腹を求めていく自傷行為

そんなのは辞めろ。

カロリー管理して、腹が減ったら水を飲め。

大抵のデブはな、食いすぎてるし、水を飲まなすぎるんだ。

コーラを飲んでも糖分の分解に水を使うから結局喉が乾くんだ。

水を飲むんだよ。

2024-08-27

キュウリの美味さにこの夏は捗った増田スマタッ土かははツナの子に様宇野吏ウュ器(回文

おはようございます

なんか8月入っちゃってからあっと言う間にもう8月わっちゃいそうな勢いなんだけど。

あっと言う間によ。

とはいえどうすることもできないので粛々と夏を過ごすばかりなんだけど。

でも今年は暑さしのぎに本当にキュウリを囓りまくりまくりすてぃーよ。

たぶん1日256本とか囓ってたかもな新記録。

前代未聞の新記録だわ。

キュウリってさ栄養がないといわれている水分ばかりだけど

あの皮の緑の部分に緑黄色野菜の成分を期待してもいいのかしら?

あの緑の部分は相当な緑なので微かな栄養を感じてもいいのだけど

実際はどうなのかしら?

信じて食べるのがきっと栄養学的にも効くような気がするから

信じて食べるしかないわよね。

あの緑の部分を信じてそこの緑の部分を最大限に身体に得る栄養マックスに!

今日朝寄ったマーケット

マックスライドオンタイムがかかって流れていたので

まさに気分はマックス

絶対にあの緑の部分を信じて食べるっきゃないのよ。

るっきゃないのよ!

そう「るっきゃない」と言われれば「るっきゃある」って言われたときに困るけど

たぶん「るっきゃない」わ。

あとキュウリの手軽さに、

刻んで食べなくても私の好むニューヨークスタイル

片手で持ち歩きながら食べられると言う、

もちろん両手で持ってキュウリを食べながら持ち歩き食べてもいいのよ。

でもそうしちゃったら

きゅうり好きな人だと思われるので片手で食べるのがお手軽でオススメだわ。

あとゲームやりながらにも最適なことにも発見

昔の人が食べた鉄火巻きとかサンドイッチとかゲームをしながら手で摘まんで食べながらっていうスタイルあるじゃない。

まさしくあのサンドイッチの具の中身がキュウリだって言うことにも賛成を覚えてしまうわ。

キュウリってだからから理に適っていたのよゲーム的にも。

まあキュウリ食べたからと言ってゲームの運びが上手くなるかどうかはまた別だけれどね。

あと今まで意識してなかったけれど

野菜の立派さもキュウリって如実に分かるのよねって私でもそんなに野菜の目利きは銀次ほどないにしろ

立派で美味しそうなきゅうり仕入れているマーケットのお店はだいたい野菜が活きがいいような気がするわ。

間違いない気がするし、

鮮魚精肉のコーナーも活気が溢れているかもしれないわ。

結構からキュウリってマーケットの活きの良さの判定をするための指標である目安の物差しだと思う。

私の住んでいる一番近くのマーケットがもう閉店して久しいんだけど

私はそこが一番近いマーケットから

そうねちょうどケンケンパで行けるような16歩の距離で行けるぐらい近かったんだけど

今思ったらそこが一番野菜もお惣菜もなんかやる気が無かったもう閉店が決まっている時点で失っていたのかも知れないやる気が無かったのよ。

からよそのマーケットに行くようになって、

え?ここのお店のお野菜生き生きしてない?

え?ここのお店の鮮魚新鮮変わりダネもあって楽しくない?

え?ここのお店のお惣菜ものすごく美味しそうじゃない?

って具合なの。

一番近かった閉店したマーケット

今思ったらお惣菜も美味しくなかったことを他所と比べて知ったところよ。

いつ買ってもパサパサのから揚げとか。

十把一から揚げなんていう言葉もあるけど

惣菜から揚げもマーケットの良し悪しを決める一つの物語になると思うわストーリーがあるのよきっと。

から

今年の夏はキュウリを囓りまくったとは言え

それゆえに世界を感じざるを得なかった気がして

私はとにかくなにか大きなことを得て感じたような気がするのよ。

から

夏が終わるまでにキュウリの囓り収めもしておかなくちゃって思ったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドしました。

美味しさ間違いなしのパンチある充実したハムタマサンドよ!

でもさ

よくよく考えてみたら、

逆にプレーンキュウリだけのシンプルサンドイッチってお目に掛けたことがないわ。

あれはきっとやっぱりファンタジーサンドイッチなのかも知れないけれど

鉄火巻きは実在するから

しかしたらあるところには存在しているのかも知れないキュウリサンドイッチ

本当にキュウリけが挟まったやつ。

ファンタジーだわ。

デトックスウォーター

キュウリウォーラーね。

お馴染みピーラーで薄く削いだキュウリを水に浸してこしらえておけばもうそれは立派なキュウリウォーラーよ。

もちろんキュウリの最大効果を得るにはそのまま囓った方がいいのは百もいや256も承知よね。

そんなことを思いながら作って飲むキュウリウォーラーは一塩。

いやこれはもちろん塩を一つまみいれてもいいわよっていうアドバイスでもあると思うわ。

水分補給はしっかりとね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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