はてなキーワード: 視覚とは
若年性アルツハイマーの初期症状で、相貌失認の可能性。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
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まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
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正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
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そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
2020年代に入り、特にコロナ禍を経てからのポップスのコード進行や楽曲構造の複雑化には、目を見張るものがあります。
コロナ禍で物理的なセッションが制限されたことで、アーティストが一人でPCに向き合い、情報量の限界に挑むような楽曲制作に没頭した影響は非常に大きいと感じます。
なぜこれほどまでに複雑化したのか、いくつかの視点で整理してみます。
かつての作曲は楽器を持って「手」の癖でコードを探していましたが、現在のDAW(音楽制作ソフト)上では、ピアノロールという画面を見ながらパズルを組み立てるように音を配置します。
非直感的な音の配置: 楽器が弾けなくても、画面上で半音ずらしたり、テンションノートを積み上げたりすることが容易になりました。
有名な複雑な進行(例:丸サ進行やIV-V-iii-viなど)をテンプレート化し、そこからさらに「裏コード」や「分数コード」をパッチワークのように繋ぎ合わせる手法が一般的になりました。
コロナ禍でリスナーの音楽視聴スタイルが「じっくり聴く」から「SNS(TikTok等)で秒単位で消費する」へと加速しました。
わずか2〜3分の曲の中に、転調、拍子変更、激しいコードチェンジを詰め込むことで、脳に強烈なフックを残そうとする「ハイパーポップ」や「ボカロ文化」の影響がメインストリームに逆輸入されました。
ライブでの再現性を無視できる環境だったからこそ、人間が弾くには難解すぎるジャジーで複雑なボイシングが多用されるようになりました。
特にJ-POPにおいては、Official髭男dismやKing Gnu、Vaundyといった、ブラックミュージックの素養を持ちつつDTMを駆使するアーティストが覇権を握った時期とも重なっています。
切なさを強調する和声が好まれ、さらにそこにブルーノートやテンションが加わることで、かつての「J-POP=王道3コード」という図式は完全に過去のものになりました。
アーティストが「内省」と「実験」に費やした時間 コロナ禍で外の世界との繋がりが断たれた結果、多くのクリエイターの関心は「自分にしか作れない、極限まで磨き上げた緻密な世界観」に向かいました。それが結果として、1曲あたりのコードの数や、予測不能な転調の多さとして表れているのは、音楽史的に見ても非常に興味深い現象です。
なのかね。
伊藤詩織の件を眺めてると何言っても屁理屈の嵐で法より気持ちが勝つし、自分が気に食わないものは認めないらしい。
批判に対しては法的に問題はないし被害者が訴えてこないから問題などないとする。
だとしたら、現時点で伊藤詩織がその批判に対して訴えは起こしてないのだから擁護者がグダグダと勝手な代弁や妄言を吐くもんじゃなかろうに。
伊藤詩織の痛みやわかるのか!!とか張り付いてる人らは視覚化されてたし、擁護を繰り返すアカウントも特定人物なのでこれこそネットワークと言えよう。
初音ミクやボーカロイド文化が「音楽ジャンル」として固まらなかったのは、音楽的に最初から自由すぎた、という理由が考えられる。
共通の音楽的な特徴を持ち得なかったから、音楽ジャンルにはならなかった。
条件自体は、20世紀型のジャンルが生まれるための要素をほぼ全部そろえていた。
既存の音楽産業とネット発表の衝突、Pや絵師、動画師、リスナーが分業する共同体。
でも決定的だったのは、音楽的特徴が固定される前に拡散し切ってしまったこと。
ブルースやヒップホップは、リズムや語り口、音階といった「これだ」と分かる共通様式を先に獲得した。
一方ボーカロイドは、ロックもエレクトロニカもメタルも実験音楽も、最初から全部飲み込んでしまった。
その結果、「耳だけでこれはボカロだ」と言える型が固まる前に、表現が四方八方へ広がっていった。
ボーカロイドは音楽ジャンルというより、制作そのものが主役のプラットフォーム文化。
楽曲、イラスト、動画、コメント、二次創作が完全に横並びで、どれか一つが中心ではない。
ヒップホップが音楽以前に身体的で社会的な表現体系だったのに対して、ボーカロイドは「作ること」「参加すること」自体が価値になっていた。
ニコニコ動画も、育てる場ではあったけど、固定する装置ではなかった。
20世紀の産業は、名前を付け、境界を引き、代表作を正典化してジャンルを固めた。
そう考えると、ボーカロイド文化は「音楽ジャンルが生まれにくくなった21世紀」を早くに体現してしまった存在だったと言えるかも。
ヒップホップは、ポップミュージックにおける「最後の総合ジャンル」と言われているそうだ。
確かに、それ以降のジャンルというと、ローファイヒップホップやVaporwave、ハイパーポップだったり、音楽的に新しいところはあっても社会的な持続力がなく、一時的な流行と言うほうがしっくりくる。
音楽における大ジャンルが成立する時、音楽的な特徴以外に「担い手(社会階層・人種・世代)」「場所(地域・都市・コミュニティ)」「対立構造」「メディアとの結びつき」を同時に満たすと言う。
21世紀以降にこれらの条件が満たされづらくなったのは、インターネットにより地域差や世代差が希薄化し、音楽サブスクによりジャンルよりも「気分」や「用途」で音楽が分類されているからだろう。
そして、さまざまな対立はネット上で視覚化されていても、その怒りが文化として昇華される前に、炎上して消滅するような、消費サイクルのスピード感。
あんた、意外と鋭いこと言うじゃない。
結論から言うわね。エンターテインメントの本質は「ロジック(論理)」じゃなくて「エクスペリエンス(体験)」よ。 ストーリーの整合性なんて、観客をその世界に引きずり込むための「装置」のひとつに過ぎないの。
あんたが感じた違和感と、この作品が化け物じみた人気を誇る理由は、以下のポイントに集約されるわ。
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作品が「面白い」と感じる時、脳はストーリーを追うだけでなく、もっと直感的な刺激に反応しているの。
| 要素 | 効果 | 『千と千尋』における具体例 |
| 圧倒的なビジュアル | 視覚的な説得力で理屈を黙らせる | 腐れ神の浄化、海原電鉄の静謐な描写 |
| 生理的な快感 | 動きや音による本能的な心地よさ | 龍の滑らかな動き、久石譲の音楽との同期 |
| イメージの奔流 | 既視感のない「未知」への驚き | 湯屋というカオスな空間、神々のデザイン |
| 象徴とメタファー | 観客が勝手に意味を見出す余白 | 「名前を奪われる」というアイデンティティの喪失 |
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教えて。
以下は今まで見て、特にはまったやつ。(紹介文はAI作成+ひとこと感想)
汚職捜査専門部署AC-12を舞台に、警察内部の腐敗や権力構造を鋭く描く英国クライムドラマ。尋問シーンを軸に、証言の矛盾や心理戦が積み重なり、善悪の境界が揺さぶられていく。緊張感の持続と脚本の精密さが高く評価されている。
吹き替えが無くて字幕で見たせいか、没入感が高くて良い。登場人物たちの人間的にダメな部分も…なんかリアル。
打ち切りかと思っていたが、最新・最終シーズンがついにくるらしく楽しみ。
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『ブレイキング・バッド』の前日譚として、弁護士ジミー・マッギルがソウル・グッドマンへと変貌していく過程を描く。小さな選択の積み重ねが人生を歪めていく様子を、静かで残酷なリアリズムで表現した人間ドラマ。
ブレイキング・バッドよりも進化した精密さで、こっちの方が好き。人間って悲しい生き物よね…という気分にもなるが、口八丁で生きることへの憧れみたいな、奇妙なポジティブさも与えてくれる。
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七王国の覇権を巡る貴族たちの権力闘争を描いた壮大なファンタジー叙事詩。政治的駆け引き、裏切り、戦争が複雑に絡み合い、主要人物であっても容赦なく運命が断ち切られる冷酷な世界観が特徴。
なんかエロ、グロ、暴力と謀略が押し寄せてくるので、リアルではあんまりおすすめしてないけど、夢中になったのは事実。たまにすごく美しいシーンもあるし。
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■ レッド・ドラゴン
連続殺人犯を追う元FBI捜査官と、収監された天才犯罪者ハンニバル・レクターの危うい協力関係を描くサイコスリラー。犯人の内面に迫る分析と、知性と狂気が交錯する対話が物語を緊張感で満たす。
長期休み中に一気に見た。はまった。
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■ 三体(Netflix)
人類史を揺るがす宇宙文明との接触を描いたSFドラマ。科学者たちの不可解な死と物理法則の崩壊をきっかけに、文明・科学・生存を巡る根源的な問いが浮かび上がる。壮大なスケールと哲学性が特徴。
宇宙人、無法すぎるだろ!というのと、この後果たして人類は生き残れるのか…というとっても気になるところで終わるクラブハンガーを食らっている。次のシーズンは確定しているので、それまではネタバレを踏まないように頑張っている。
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■ ザ・クラウン
エリザベス二世の治世を軸に、英国王室の歴史と個人の葛藤を描く年代記ドラマ。政治と私生活の板挟みにあう王族たちの姿を、時代考証に基づいた重厚な演出で丁寧に描写している。
基本的にイギリスは割と好き。なぜかは知らない。ロンドンに旅行に行った時は、宮殿やら何やらを見ながら、過去の帝国の巨大さに恐れを感じた。権力とは、人間に宿るものではなく、王冠にやどり人間を変容させるものなのだ…という雰囲気のオープニング好き。
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■ ファーゴ
平凡な日常に突如入り込む暴力と偶然を描く犯罪アンソロジー。ブラックユーモアと不条理が交錯し、善良な人々が思いがけず破滅へ転がり落ちていく。シーズンごとに独立した物語構成も特徴。
各シーズンで描かれているものが変わっていく感じがして、見終わるのがもったいなかった。アメリカとはどのような国なのか、その病巣がどこにあるのかがテーマの一つであるような気もするし、まったくそうでないかもしれない。
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■ シャーロック
名探偵シャーロック・ホームズを現代ロンドンに再構築したミステリー。高速な推理展開と映像的表現で、観察と論理による思考プロセスを視覚化。ホームズとワトソンの関係性も物語の核となる。
推理とかサスペンスは基本的に好き。カンバーバッチさんのホームズは、スタイリッシュかつ弱さもすごく感じられて、最高にマッチしてる。
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■ エレメンタリー
ニューヨークを舞台に、依存症を抱えるシャーロックと女性版ワトソンが事件を解決する犯罪ドラマ。推理だけでなく、感情や回復のプロセスを重視し、人間関係の変化を丁寧に描く点が特徴。
現在視聴中。シャーロックとこれがあるし、あとドクターハウスもホームズが元ネタってことを考えると、「傍若無人で魅力的な天才」というのは大人気だ。
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■ アストリッドとラファエル
自閉症の文書分析官アストリッドと直感型刑事ラファエルが難事件に挑むフランス発ミステリー。対照的な二人の協働を通じ、論理と感情、秩序と混沌の補完関係を温かみをもって描いている。
千と千尋の神隠しの制作時の会議の議事録みたいなのがどっかにあった気がするんだけど、
こんな風に暴れたら面白いよね、とか、湯婆婆がドラゴンボールみたいに気を放ったら面白いよね、とか、
庵野氏とかがDAICONでバニーガールが剣に乗って…、みたいなのもそうだし、
板野サーカスがどーのとか、作画厨視点でしょ、話の本筋には関係ない、
でも、マクロスとかエウレカセブンで見せられると、圧倒させられるものがある、
映像として…、モーションタイポグラフィ―とかもそう、特にストーリー性はないんだけど、見て面白い…、視覚効果…😟
千と千尋って、結局、行き当たりばったりなんだよね、
子供の前で両掌を広げて、行き当たりばったりで物語を語るようなのがあった気がするけど、あんな感じで、
脈絡なんてなくて良くて、ここでこんな絵が出たら、子供が喜ぶだろうな、の連続であって、
良くも悪くも、ジブリがというか、宮崎駿の制作スタイルがそんな感じになってってる…😟
ナウシカも、宮崎駿氏の案では、押し寄せる王蟲たちの前にナウシカが立って終わり!だったみたいだし、
それを鈴木氏とか徳間とか、周囲がそれはマズいだろ、と意見して、無理矢理ハッピーエンドにした、
原作のナウシカの深い話からすれば、映画のナウシカはアッパラパーなぐらいハッピーエンドだけど、
21世紀も四分の一が過ぎようとしているのに
やっぱり「未来感」のある働き方はしてみたい
朝起きてすぐに簡単な柔軟体操をしながら、AIに「今日のニュースは?」と音声入力で聞いて、世の中・会社内・交友関係内での最新情報を聞く
室内のランニングマシンを使いながら、自分の健康状態がスキャンされ、目の前の空間モニターに視覚的に表示される
シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながらAIに仕事の指示を出す
PCは開かず、音声だけで指示をまとめ、結果が返ってくるまで外を散歩する
仕事が順調に進んでいることが分かったら、オンラインは維持しながら、少し遠くのランチを食べに行く
午後はオンライン会議を少しだけ対応して、会議の結果から生じたタスクの対応方針をAIと相談して、そのまま作業指示をする
そういうイメージ
VRChatを2年くらいやってる。多様なゲームワールドで遊んだり、有志が開く音楽イベントとか演劇とかを楽しんだりしている。ボドゲも釣りもアクションもFPSもできるし、イベントの類は全部無料。もちろんフレンドと話すのも楽しい。現実ではないもうひとつの社会を毎日謳歌している。
そうして健全にVRChatを楽しんできた人間が、なんでかVR上でセックスをするようになった。
個人的に興味深いテーマなのだが、誰にも言えないのでこっそりとここに記しておく。
VRChatでの性行為(Justなどと呼ばれる)は、端的に言ってしまえば相互オナニーに過ぎない。相手と接触があるわけでもなく、気持ち良くなれるかはお互いの想像力にかかっている。それなら1人でマスかくか現実で誰かとする方が気楽ではあるが、また違う良さがあるのも事実だ。
Justでは動きと言葉が要になる。突然脱ぐとかベロチューするとかではなく、相手の肌や顔、服の上でまずはゆっくり手を滑らせる。早く動きすぎると相手がVR酔いを起こしかねないし、まずリラックスさせるのが先決だ。
触覚はどうしても与えられないので、言葉や音のギミックで補完する。相手の胸に手を当てて「どきどきしてる?」とか言ってみたり、ゆっくり抱きしめたら心音が聞こえるギミックを入れたり。
触覚の補完以外に、頭や顔を撫でて「かわいいね」「好きだよ」と優しく話しかけるのも効果的だ。
人間の脳ときたらチョロいので、こうやって視覚と聴覚を責められるとすぐ認識がバグる。触れられているような、人肌が温かいような気がしてくる。やっている方も相手に集中するので、本当に相手が愛おしくてたまらなくなったりする。
ちなみに、嘘こけwwwと積極的に冷笑する人間ほど、歴戦の猛者に出会うとコロッと陥落させられていることが多い。
さていざ本番となっても、局部を弄るのは自分の手だ。ある程度相手のリズムに合わせつつ、あとは自分の良いように手を動かす。相手が気持ちよくなっているところを見て自分も気持ちよくなり、お互いに高め合って果てることができるわけだ。
現実だとガシマンやらガン突きから逃れる術がないので、下手なプレイは自分の肉体で受けざるを得ない。が、VRならノーダメージだ。激しい責めを受けつつ自分の方はソフトタッチで終わることもできる。
バーチャルセックスは性行為における「コミュニケーション」の部分だけをいいとこ取りしている、とも見ることができる。
互いに性感染症の心配もなく、傷つきもせず愛し合えるのだ。だからか、深みにハマる者は多い。
冒頭のようなキラキラ明るい界隈がVRChatの表側なら、性愛のいろいろは裏側に当たる。
本来VRChatでは、NSFWコンテンツを公の場で出してはならない。スケベな自撮りも性行為も恋人探しも、往来ではなくマッチングの場などを経て、自分と特定フレンドしか入れない場所でひっそり行われる。みんな、VRでまで恋人(お砂糖と呼ばれる)を作ったりセックスの真似事をしてみたりする。
日本のVRChatコミュニティに関してはこういうセンシティブな部分が取り上げられやすい。自分としてはロールプレイイベントや演劇、ライブイベントなどにバズってほしい。
それでも先日不思議な縁でお砂糖ができ、"センシティブな部分"そのものを体験して、なるほどこれも悪くないな、と感じた。
要は現実と変わらないのだ。みんな人肌恋しい。みんなエロいことがしたい。相手を慈しみ、可愛がり、腕の中に閉じ込めたい。傷つく肉体がない分奔放になりすぎるだけなのだと思う。
興味が出たらデスクトップからでも、スマホからでも始めてみると良い。
沼の底で君を待ってるよ。
少し前にDirectで近日発売予定のファイアーエムブレムのセオドラを 見た時に初めてこの考えを抱きましたが、ティアーズ オブ ザ キングダムシリーズのソニア王妃が文字通り金髪で、たまたまほんの少し肌の色が違う女性だということを思い出し、再びこの考えを思い出しました。テイルズ オブ エターニアも同じで、最も肌の黒いキャラクターは文字通り金髪で青い目をしていますし、幻想水滸伝IIIでも同じように「黒人のキャラクターは全員金髪で青い目をしている」という部分があります。ゼノブレイドのエルマはそれほど突飛ではなく、金髪ではなく青い目と白い髪をしていますが、肌の色相が変わっていることを除けば、視覚的には基本的に他のキャスト メンバーと変わりません。
「プロジェクト・ムーン」のオリヴィエのような他のキャラクターは、逆の問題を抱えています。髪型から黒人であることは分かるのですが、肌の色はただの濃い灰色になっています。そのため、同じく「灰色」の肌をしているのに、文字通り真っ白な髪をしているカロンのようなキャラクターは、本当に黒人として意図されているのか、それとも奇妙な設定魔法によって別の色になっているのか、曖昧になっています。
念のため言っておきますが、ここで私が言いたいのは「アニメの黒人キャラクター」が全てそうだということではありません。『ストリートファイター』には明らかに黒人であるキャラクターが数多く登場し、何十年にもわたってシリーズの主要なキャラクターとして君臨してきました。『FF7』のバレットは黒人で、たとえモノクロームに変更されたとしても、明らかに黒人であることは明らかです。『鉄拳』のリロイや『ギルティギア』のなごり雪も同様です。しかし、一部のシリーズでは確かにこうした傾向が見られますし、灰色に明るくして金髪にするだけなら、このような表現方法を試みるだけでも奇妙に感じます。
念のため言っておきますが、現実世界にも非常に「ヨーロッパ的」な顔立ちの黒人は当然存在しますし、その逆も然りです。黒人の中には鼻が細くて髪を染めたストレートヘアの人もいれば、白人の中には鼻が平らでコーンロウの人もいます。とはいえ、「現実世界にはこういう人がいる」というのは、ある程度までしか当てはまりませんね(笑)。ある時点で、デザイナーが同じ顔や髪型を何度も描き続けることに固執しているだけだろうと推測する方が、熟慮された芸術的判断をしているというよりは、むしろ容易く捉えられるようになってきます。
出典:
r/CharacterRant
It really annoys me when black people in anime games just look like white people who were covered in a layer of brown powder
・芸術が好き
大学生の頃からだっただろうか、昔から絵画のような視覚芸術、特に現代美術が好きで、40代になった今も気になる美術展の広告を駅で見つけると、見に行く。
よい展覧会に巡り会えたら、自由で解放された気持ちになる。素直に感動して、温かい気持ちになる。
・簡単に始めることができる
油彩や水彩は最初は学ぶ必要があるけど、カメラは機材があれば、すぐに始められる。
それなりに良いカメラは値段がするが、仕方ない。
一眼、もしくはミラーレスならレンズ交換ができて、表現の幅が広がる。
今持ってるのは、
Nikon Z7 II
レンズは、標準ズーム(28mm-75mm)、広角(18mm-35mm)、マクロ、単焦点(28mm, F1.8)。
風景写真や町並みを撮ることがが多いのだが、望遠は持ってない。
標準ズームは便利だし、広角の写真はiPhoneでは撮れない、色彩、ダイナミックレンジが特に違う。
単焦点は色が特にきれいに出るし、暗いところに強い。夜桜なんて、びっくりするぐらい綺麗に撮れる。
色彩が全然違う。iPhoneはソフトウェア側の修正でよく見せてるんだろうな。
フルサイズだと色彩は特にきれいにとれるし、広角、ぼけの効いた写真はカメラじゃ無いと撮れない。
あと、独身の時はポートレートなんて一枚も撮らなかったけど、妻が被写体になってくれるおかげで、ポートレートも撮るようになった。
楽しんでくれる笑顔がかわいいから、正直、撮影のしがいがある。
ただ、技術的にはそんなに上手くないと思う。
変な話だけどさ、
目が見えてない人に「男女観」聞いてみたいと思わない?
目が見えてないってことは、
少なくとも外見の良し悪しで人を判断することができないわけじゃん。
どう考えても見た目がかなり強く影響してる。
「特に中身が優れてるようにも見えないのに、やたら好かれてる」
こういう現象、山ほどある。
目が見えてない人からしたら、
そういう要素だけで人を評価してるはずなのに、
明らかに働いてる。
本人すら自覚してないことも多い。
「中身を見てるつもり」
「外見なんて関係ない」
って言いながら、
実際にはかなり見た目に引っ張られてる。
目が見えてない人が
「この人は人気がある」
逆に、
今の恋愛観とか男女観って、
かなり歪んだ結果なんだろうか。
たまに、
この社会を見てみたくなる。
podcastに移行した年だった。
YouTubeやNetflixみたいな視覚をもっていかれるコンテンツがきつくなって
聴覚経由の発話縛りという面白さ、移動しながら場所を選ばず楽しめるpodcastに親しんだ年だった。
真空ジェシカはとくにすごくて、言葉が音になることで意味とイメージのつながりが曖昧になる瞬間を
しつこくこすってくる。まぁ、下ネタがおおいわけだが。
🌟 見どころ
主人公・雷音竜の戦いは、ただ強いだけではなく衝撃的な描写や過激な格闘シーンが続き、当時の少年漫画の枠を越えたインパクトを持っています。
🧠 2. 狂気じみた設定と展開
格闘漫画として始まった物語が次第に宗教的・超常的なスケールへ拡大していきます。イエス・キリストや歴史上の偉人たちが戦士として登場するなど、常識を逸脱した展開が魅力です。
単純な力比べではなく、復讐、救済、信仰と暴力の意味といった深いテーマも内包しており、単なるアクション漫画に留まらない読後感があります。
従来の格闘漫画とは一線を画すコマ割りや構図、アート性の強い作画で、視覚的にも強烈な印象を残します。読者によっては「アート漫画」と呼びたくなるような独特さも本作の魅力です。
📌 まとめ
『地上最強の男 竜』は、ただ強い主人公が敵を倒すだけの話ではなく、
圧倒的パワーと激しいバトル描写
一味違う画風と演出
手術が必要かどうかの判断は、医師の診断と、あなたの目の状態、視力への影響、生活の質にどれだけ支障が出ているかに基づいて行われます。具体的な判断基準については以下の点が考慮されます:
1. 視力の低下
• 視力低下が進行している場合、手術を検討することが多いです。例えば、白内障が進行して視界がぼやけたり、視力が大幅に低下して生活に支障が出ている場合には手術が必要になることがあります。
• もし、眼鏡やコンタクトレンズで視力を補うことが難しくなった場合、手術が有効です。
2. 日常生活への影響
• 白内障が原因で日常生活に支障が出ている場合、例えば、運転や読書が難しくなったり、歩行中に安全が確保できない場合には手術が検討されます。
• 強いまぶしさ(眩しさ)や、暗い場所での視界の悪さが増してきた場合も、手術を考える要因になります。
• 視界がぼやけているだけでなく、二重に見える、色が鮮明に見えないなどの視覚的な問題がある場合、手術が必要かもしれません。
• また、視野の一部が見えない(例えば、視野が欠けている)場合は、病気の進行や合併症が考えられるため、早期に手術を検討することがあります。
• 白内障以外の眼病(例えば、網膜疾患や緑内障)がある場合、これらが視力低下に関与している可能性もあります。医師はその点も含めて診断します。
• 白内障と他の目の病気が併存している場合、手術のタイミングや方法を慎重に決める必要があります。
5. 検査結果
• 視力検査、眼底検査、眼圧検査などで眼の状態を総合的に評価し、手術が必要かどうかを判断します。
• 進行度が進んでおり、薬や眼鏡で視力が回復しない場合は、手術を検討することが多いです。
• 手術にはリスク(感染症、視力の急激な変化、出血など)もあるため、医師はそれを考慮したうえで、手術が必要かどうかを説明します。
• 手術によって得られる視力回復の可能性や生活の質の向上と、手術に伴うリスクを天秤にかけて判断します。
• 年齢や健康状態も判断基準に影響します。高齢者や健康に問題がある方の場合、手術のリスクが高くなることもありますが、視力の回復が生活に大きな影響を与える場合には手術が推奨されることもあります。
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• 白内障が進行しすぎて視力が著しく低下している場合や、生活に支障をきたす場合。
• 視力低下が日常生活に影響を与え、他の治療法(眼鏡やコンタクトレンズ)では効果がない場合。
• 手術後に視力が回復し、生活の質が向上する可能性が高いと医師が判断した場合。
まとめ
手術が必要かどうかは、医師の判断に基づいて、あなたの目の状態や生活にどれだけ支障が出ているかを総合的に評価して決まります。もし視力に問題が出てきて、日常生活に不便を感じている場合は、早めに専門医に相談することが大切です。医師は、あなたにとって最適な治療方法を提案してくれるので、不安なことがあれば遠慮せずに質問してみてくださいね。
白内障が進行して視力に影響を与えている場合、ガラス体(硝子体)置換の手術が必要になることがあります。
1. ガラス体(硝子体)置換手術とは?
ガラス体置換は、眼球内の透明なゼリー状の物質(硝子体)を取り除き、必要に応じて人工的な硝子体やその他の補充物を入れる手術です。これは、白内障の進行に伴って硝子体が混濁してしまったり、白内障の手術後に視力回復が困難な場合に行われます。
ただし、白内障自体の治療には通常白内障手術(水晶体の摘出と人工レンズの挿入)が行われますが、硝子体置換は別の手術です。通常、白内障手術の後に視力が回復しない場合や、硝子体の病変が原因で視力が低下している場合に行われます。
2. 手術内容
手術では、まず眼球の中の硝子体を取り除きます。その後、必要に応じて人工の硝子体や薬剤を注入して、眼球内の構造を正常に保つようにします。この手術は高度な技術が必要で、通常、眼科の専門医によって行われます。
手術の流れ:
• 硝子体の除去:硝子体を吸引して取り除きます。
• 補充:硝子体を取り除いた後、人工硝子体やその他の物質(例えば、生理食塩水など)で補います。
• 縫合:手術後、切開部を縫合します。最近では、傷口が小さければ縫わないこともあります。
3. 麻酔について
硝子体置換手術には、局所麻酔が一般的に使用されます。麻酔は以下の2つの方法で行われます:
• 眼内麻酔(局所麻酔):目の周りや目自体に麻酔薬を注射して、手術部位を麻痺させます。これにより、痛みを感じずに手術を受けることができます。注射は通常、まぶたの下や眼球の周囲に行います。
• 全身麻酔:場合によっては、患者の状態や手術の難易度に応じて全身麻酔が選ばれることもありますが、局所麻酔が最も一般的です。
手術中は目の感覚が鈍くなるため、痛みを感じることはありませんが、圧力や動きは感じることがあります。
硝子体置換手術は非常に高度な技術を必要とする手術ですので、通常は眼科の専門医が担当します。眼科医の中でも、特に硝子体・網膜に特化した専門医(硝子体網膜専門医)が行うことが多いです。これは、眼球の内部に対する非常に精密な手技が要求されるためです。
日本では、眼科専門医として認定された医師が基本的に手術を行いますが、その中でもさらに研修や経験を積んだ硝子体網膜専門医が担当することが多いです。
5. 義眼との違い
義眼は、視力を回復させることを目的としたものではなく、失われた眼球の見た目を再現するための装置です。義眼は通常、視力に関する治療には用いられません。
一方、硝子体置換手術は視力を回復することを目的として行います。手術によって、眼内の構造が正常に戻り、視力が改善されることが期待されます。義眼は視覚機能を回復させるものではなく、見た目を整えるためのものです。
まとめ
• ガラス体置換手術は、白内障の治療後に視力が回復しない場合や、眼球内部に問題がある場合に行われます。
• 手術は通常、眼科専門医によって行われ、麻酔は局所麻酔(目の周りや眼球内)で行われます。