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2024-06-06

文化資本気になってディスタンクシオンちょっと読んだ。

元増田anond:20240531060924

ディスタンクシオンってなにさ

ディスタンクシオン文化資本元増田の源流にあるブルデュー著作ディスタンクシオンを直訳すると「区別」になるらしいが、フランス語の語義では「他から区別された」→「特に優れた」→「卓越した」と派生し「卓越化」を訳語としている。訳者石井洋二郎先生東京大学名誉教授。凄い。

結局「文化資本」って何?

元増田ではwikipedia3分類を紹介していた。

しか上記内容だけでは、理解が欠けているらしい。

文化資本が家庭環境学校教育の両方によって形成されるものであること

これを念頭に置いた上で、初めて文化資本を捉えることができる。

文化資本再生産が有利に働く

元増田が話す通り、これが本質文化資本に恵まれれば「強くてニューゲーム」になる。ここで学校教育機関が登場する。学校は相対文化資本学歴資本に転換していくもの。そして教育は家庭環境による文化資本の差を拡大する可能性を秘めている。これは上にも下にも働く作用する。学校教育機関である故に「身分振り分け効果」を見えざる機能としている。

学歴とは、文化資本証明であり本質主義である

学歴資本を手に入れた人間は、最終的に〇〇大卒という肩書きを手に入れ、社会的承認を得ることになる。社会的承認文化資本を所有している証明でもある。これを持たない人間は、なんらかのパフォーマンスによって、自分が所有する文化資本価値証明する必要がある。これは貴族比喩される。貴族は「貴族であるから貴族」。日本ならば、天皇は「天皇であるから天皇である文化資本パフォーマンス要求されることなく、それが本質であること。これを「本質主義」とブルデューは呼んだ。

客体化された形態文化資本を考えると「東京」の話が腑に落ちる

東京文化資本に富んでいる」これを疑問視する意見、あるいは否定的意見が目立った。先に本質主義の話をした。客体的に東京=優れていると考える人が多いことは、本質的に東京文化資本証明している。

これらを捉えれば「東京」とは客体化された形態文化資本を持っており、文化資本に富んでいることが東京本質である

美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」でも合ってるかもしれない

元増田記載で目立ったものだったので考えたい。

ディスタンクシオンの第1章では美的思考について長く語られている。「趣味美的思考は人々を区別するものでもある。これが文化的階級に繋がってくるし、諸階級間を隔てる最も超えにくい障害ひとつ」と物凄く端的にまとめた。で、問題なのは美術館に行くことが身体化された形態文化資本につながること。これを考えてしまうと、あながち使い方として正しいのかもしれない。もちろん社会資本としていってんだろと感じなくもないが。

2024-06-01

文化」と「文化資本」を混同するな警察です

ここで散々議論されている「東京文化資本田舎より優れているか問題」ですが、問の立て方から既に分断が起きています

その分断とは「文化資本」を単なる「文化」の意味で使っている人と、ピエール・ブルデューのいう「文化資本」の意味で使っている人たちの分断です。

言葉定義として正しいのは後者です。

前者はいわゆる一般的に浸透した意味での「ロリコン」や「蛙化現象」と同じように、言葉本来意味を調べずに、なんとなく雰囲気で喋っているタイプの人たちです。

ブルデューのいう文化資本は、①家庭における②学歴社会的地位経済資本再生産に結びつきやすものを指すので、東京田舎うんぬんの話は文化資本とは関係ありません。

前者のような人たちに正しい言葉意味を教えるのはほぼ不可能なので、後者のみなさんは諦めましょう。彼らは文化資本に恵まれなかったのです。

anond:20240531060924

ブルデュー説明する文化資本引用するのであれば、社会資本定義ブルデューから引用するべきで、美術館などは社会資本には含まれないのでは?

美術館社会資本に含めるのは経済学の方で、意味美術館と言う物が存在します以上の意味は無さそう。

自分wikipedia読んだだけだが

2024-05-31

https://anond.hatelabo.jp/20240531060924

ブルデューの『ディスタンクシオン』が4年ほど前にEテレ100分de名著解説されてたのを足がかりに理解してた

ハコモノ美術館とかの)へのアクセス難度みたいな使われ方してるの変よな

「蛙化現象」の意味みたいに歪んでしまうんかな

2024-05-30

anond:20240530161309

からだが、それを含めてブルデューが一通り語っている(そもそもそれを論じるために持ち出されたのが文化資本概念)から、まずそれを読まれては

東京文化資本」vs「地方文化資本」という完全に間違ったフレームワークを止めるとこから始めようぜ

https://anond.hatelabo.jp/20240530065636

はてな民がこれ毎回完全に間違えてるのを訂正しても一向に直らないんだけどさ

文化資本ってのは基本的に「個人」の資本なわけ

今どきのはてな民ブルデューも読まないとかマウント取るつもりはないけど、ググればわかることですよね?AIに聞くのでもいいけどさ

文化資本というのは次の三つのタイプがある。

Objectified:楽器絵画、本など、物理的な実体があるもの物理的な資本

Institutionalized:学歴などシステム担保するもの制度化された資本

Embodied:能力センス言葉の使い方など、ハビトゥス身体化された資本

だが結局どれもそれが最終的に「個人」に紐づいて継承され再生産され格差を生み出しっていうところが一番の論点なわけ。

「東京」vs「地方」みたいなまとめブログネタみたいな糞みたいな解像度の話を何回やっても意味価値もない。

関西に負けてる?いや東京日本一だ?馬鹿か。

東京世界ランクなんかよりまず気にするべきはお前の世界ランクだ。

いや本気で学術的にやれば多少は意味はあるかもしれんが、お前らが目の前のレスバに食いつくのは

自分の置かれている現状から目をそらすために使ってるに過ぎないかしょうもない

実際に東京/地方で実際にお前やお前の子供は何にアクセス可能で何を継承して何を保有していて何の能力を身につけたい/身につけさせたいのか?

そのディテールこそが重要なんだよ。

そんな話はしたくない?

なら文化資本というフレームワークはお前には不要から出鱈目を書くのはやめとけ。

2024-05-03

anond:20240503115520

おれもちょっとググった程度の知識しかいから詳しいなら教えてほしいぐらいなんだけどさ。

ブルデューのいう「文化資本」って単に高い社会的地位の獲得に寄与するのは、親の経済資本よりも親や家庭が持つ資本としての諸文化(①知識言語、振る舞いなどの身体化された様態,②絵画書物、道具などの客体化された様態,③学歴資格などの制度化された様態)だよねってことであって、

文化には優劣があって、文化価値保証するのはその文化享受するコストの高さです、ってのは全然別の話だと思うんだよね。

個人的にそう価値付けるのは自由だけど、おれは文化にそう単純に優劣がつけられるとは思わないし、話がごっちゃになってない?

anond:20240503095519

まあなんと資本主義的な考え方だこと。

君は諸芸文化を生きたコミュニティに参入するためチケットぐらいにしか考えてないわけね。

ブルデューの言った文化資本も意味合いは似てるけど、最終成果物を単なる「社会的地位」としてるか「より高次の文化」と捉えてるかが異なるね。

「1000円で見られて参入障壁も希少価値も低いか文化としては安い」は全然同意できないけど。正直意味わからん

2024-03-27

anond:20240327142044

これは全く同意見。この枠組みは、ブルデューの言うハビトゥスに近いものがあると感じてる。彼らが、友人と議論し、切磋琢磨する過程で身につけたものと、全く同じものは、独学で身につけられないだろうが、しかし、技術的に近いものは身につけられるはず。そう思い、自分も、身につけたい「常識」を毎日勉強してる。大学勉強もそれに含まれる。ある意味、彼らと同じような「正規教育過程」を経てないので、その分、なおさらがんばらなければいけないと思っている。

余談になるが、自分のいた研究室教授は、超自然的な直感で、実験前に実験結果の数値を予想していた。実験すると、たしかにそうなる。他の助教やPhDの理解を超越していた。あれは一種天賦の才に近いところがあったと思う。

2024-02-25

anond:20240224172257

ブルデューが言ってたでしょ

パリ美術館がいっぱいあってパリの人は凄いって

日本東京もそれと同じだよ

2023-09-07

anond:20230906161729

ブルデュー学ぶとこんなことを言えるようになるのか!

カッコイイ!

ブルデューすごい!

そこにシビれるあこがれるゥ!

2023-09-06

anond:20230906102659

大学とき指導教員の専門が社会学だったんだけど、なんか個人的には哲学にも造詣が深い社会学者(その先生もそうだった)はまともな社会学者なイメージがあるわ

昔(それこそブルデューとかの時代)の社会学者は哲学者でもある人が多いから、なんか哲学に詳しいと昔ながらの社会学をやってる人なんだなと思えるのかもしれん

anond:20230906102659

バカが。ブルデューも知らんの?

増田自身社会学価値毀損に加担している。

ブコメでも苦言が出てるから読んで出直してこい。

Fondriest 「アカデミズムから放逐」(笑)ブルデューも知らんの?https://tinyurl.com/yfdnu3ah幼稚な学問イメージで一つの学を全否定できると考えるバカ戯言社会学人文学がこの手のバカに敵視されることがその必要性証明

2023-03-05

anond:20230304232910

まず、妻の学力の低さが子供遺伝することは無いと言って良いと思う。

この辺は優生思想とかで調べればわかると思うが、

子供学力遺伝ではなく、生活環境による影響が大きいのを理解してほしい。

そして、その生活環境を整えられるかが難しいのだが、

18世紀フランス社会学者ブルデュー提唱した「文化資本」を意識してほしい。

例えば小学生の子供が夕方学校から帰ってきて、宿題を終わらせたとしよう。

晩御飯を食べ、お風呂へ入り、寝るまで1〜2時間時間が空いた時、何をするだろうか。

クソみたいなテレビ番組を見るのか、クソみたいなYoutuber動画を見るのか。

そうではなく、本を読んだり、楽器演奏することを子供選択できる家庭環境を作ってほしい。

テレビなんか見てないで本を読め」、「Switchやってないでピアノ練習しろ

なんて言っても、もちろんなんの意味もない。

母親アパレルに興味があるんだったら、図書館で借りてきた世界ファッションビジュアルブックなんかを一緒にパラパラ見るだけで子供は本好きになる。

まり親も一緒に楽しむことが大切なのである

読書楽器演奏にこだわらなくても良い。

話題テクノロジー、例えばChatGPTやMidjourneyを一緒にいじってみるのも良いだろう。

家庭内でそういった雰囲気を作るのは母親だけではなくもちろん父親役割も大切である

2020-12-11

anond:20201211083327

一点気になった。

動物園にしても、そう表現はしても公立中やその公立中で動物のように振る舞う人をそのままにしておこうという人はいなくて改善必要は皆一致してるんだよ。

大元中学受験増田に対するブックマーク見てもこれやこれに類すること言ってる人ほとんどいなくね?

かに一段階奥にある格差構造なんだけどさ。100分de名著ブルデュー文化資本ネタもそうだが、近くの格差について無頓着過ぎね?

追記

生活保守的に自分の子供は入れるのは人間だし構わんよ。ただそれを表明するのって格差構造を強化する言論じゃね?

2020-10-26

anond:20201026003439

凄まじく同感する。

大学で学んだ中で一番感動したのはブルデューの「文化資本」の概念だったし、文化資本がある時の勉強効率が頭おかしいということを大学でよく学んだ。

自分インターネットから文化資本を掠め取ってギリギリ生きてきたけど、今のインターネットが同じ役割を果たせるのかは疑問なのもそう思う。

今はあまりにも情報が溢れすぎていてとてもつらい。

2020-10-07

anond:20201006155439

悲しくなるなあ。

俺もこんな感じだったわ。

地方貧困家庭出身だと、高偏差値大学はつらい。

文化資本、だよな。

ブルデューもド田舎出身だったしな…

2020-07-26

anond:20200726142412

最近だとブルデュー理論説明した本が勉強になったよ

一部で変な評価されて気の毒だったけど

確か後半でオタク文化の話をしてたやつ

2020-07-23

anond:20200722102412

北田最初に示したのは操作定義なんかではなく、「2章議論の復習」(北田 2017:262)だよ。

2章を読めばわかるけど、アニメ趣味選択したことアニメきっかけでできた友達がいるの偏相関係数比較的高い。

そのことから「友人関係の連関が密接」(ibid:100)と考えるのは飛躍しすぎではない。

また、趣味の組み合わせでカイ二乗検定を行った結果「アニメ×マンガ」「アニメ×ゲーム」で正の関係があったこから(ibid:101)、マンガ二次創作に興味がある≒アニメ二次創作に興味があるとしたことにも飛躍はない。

勿論完全には重ならないのも確かなんだけどね。

ただ、趣味で繋がる人間関係がどんな感じなのか肌でわかってないという意見には賛同できない。

北田がなぜこの調査を行ったかと言えば「ブルデュー理論濫用」(ibid:13)のカウンターであり、「「ブルデュー以降の、新しい文化社会学方法基準」を提示しうる教科書」(ibid:17)として出版されたわけで、何か具体的な仮説を元に調査されたわけではない。

からこそこの本はインタビューのような質的調査とは異なる視点からアプローチをかけている。

ここらへんは文化社会学の「文脈」って奴だけど、昔の研究実践者たちの言説のみを重視してたけど、近年の研究では逆に批判の的になる(例えば、辻 泉・岡部 大介・伊藤 瑞子編,宮台 真司監,2014,『オタク想像力リミット: <歴史空間交流>から問う 』筑摩書房)。

この本も同じで、実践者たちの直感なんてあやふやもの(例えば増田がいった「オタクの本質」ってなに?)だけに頼らなくても良くない?ということが言いたいんだと思う。

何かおかしいんじゃないの?ってあら探しで読むより、こういう仮説も立てられるかもねって視点で見た方がよっぽど面白いし、増田のためにもなるよ。

東園子の論文も読もうと思ってるんだったらなおさら

共通してる部分結構あるから、なんかすごい納得するよ。

同意するかはまた違う話だけど。

2019-12-31

文化資本」がどうとか言ってる人たちは自分ちゃんブルデュー著作読んだことあるのかな?

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