はてなキーワード: 浮世離れとは
専業主婦は忙しいとか子供がいたら自分の時間がないとかなんとか騒いでるけど、そもそも子供を持つことが趣味みたいなもんだからずっと趣味のことやってるのと変わらないだろ
今の社会では子供を持つか持たないかは大抵の場合自分の意思で選択できるんだから
ほとんどの人間は働かないと生きていけないから働いているわけで、働かなくても子育て=趣味に専念できる特権階級の奴が私たち大変なのとかアピールしても大多数の労働者からは白い目で見られるだけ
社会のために子育てしてるんだ子どもがいないと誰が社会を維持するんだとかいうわけわからんことを言ってる奴もいるけど、持続可能な社会のために子供を産んだわけじゃないだろ
携帯キャリア各社が繰り返す投資失敗もそうだけれど,養分としての定期客を抱えていると,キャッシュが勝手に積み上がるから,あまり考えずに流行ものに参入して失敗するケースが多いのね….流行事業への安易な多角化は専門知識が積み上がりにくいので,戦略失敗の定番ネタでして… https://t.co/21l4Pdetgt— Yuta Kashino (@yutakashino) December 2, 2024
ケータイキャリアはビジネスというか、地主みたいな存在なのでなにも考えなくてもお金が入ってくる。
お金が余ってると外聞が悪いのでなにかに投資をしようとするが、地主のボンボンがリクルートのイケイケ兄ちゃんとうまくいくはずもないのと一緒でかならず失敗する。「ドコモとか au って何兆円もの利益が毎年でるけど、あれってどうなってるんだろう」と不思議だが、実際は周りに迷惑をかけながら失敗して消えているだけだ。地主のボンボンなので工夫したり努力したりはできない(見たこともやったこともない)ので、帰結としてはそうなる。
「自分のお金で損してるんだからいいじゃないか」というかもしれない。たしかにムダ遣いされてるのはお金なんだけどそれはつまり労働資本だ。労働はたとえば「父親が家族と過ごす時間」などを削って発生している。労働のムダ遣いは「無為に自由や時間を奪う」という観点で殺人に等しいくらい悪いことだ。ムダだとわかってる労働資本の投下は社会悪であり許される道理はない。
もちろん「成功することだけやれ」というのは現実的ではないのだが、いっぽうでは「かならず失敗することを何回も繰り返す」というのも現実感が薄いというか浮世離れした話なのでできない方がよいと思う。
そんなルールなんてつくれないだろうけど、せめて、「地主のボンボン周りに迷惑をかけながら同じ失敗をする様子」に名前がついて欲しい。「ブラック企業」や「マタハラ」みたいに、社会悪は名前がつくと逃げられなくなる。キャッチーなよい名前を考えてください。
好きだった。
大好きだった。人生三度目の恋。
あなたが連絡をくれない間も、私はあなたのことをエゴサしたり、考えたり、相談したり。ずっとずっと考えていた。
でもあなたには彼女がいるし、酔っ払っ時にしか連絡は来ない。私の撮る写真が好きとかほざいておきながら、私が綺麗な写真を撮って送っても、あなたは私に何もくれなかった。
いわゆる、大切にされていない、というよくある状況だった。
私の職業はデザイナーで、その能力を使ってあなたはこれから一緒に仕事がしたかったみたいだけど、もうおしまい。片思いしている限り、私の能力に頼られると、あなたに好かれたいがためについつい過剰にサービスをしたくなる。それは後に必ず搾取に繋がると、デザイナーの先輩から聞いた。
私は来月26歳になる。
あなたは私より7つも年上だけど、かなり浮世離れしていて、私の恋とか結婚のことなんか微塵も考えていない。男の人には、女が年齢で変化する考えや体のことをどれだけ気にしているかわかっていない場合が多いが、あなたもそうだった。いや、世間の男の人よりわかっていない。
最後に会った時に、いくら言ってもあなたは全くピンときていないみたいだった。
だから、やっぱりこの別れは正しい。
仕事のことなら会ってくれるかと思って、夜の山下公園に呼び出した。仕事についてなのに夜の山下公園に呼び出すなんて変なのに、あなたは全く疑っていなかった。鈍いよ。
毎回あなたに会えるのが楽しみで、遅刻をしたことがなかった私が、初めて30分以上遅刻した。足取りが重くて仕方がなかった。私にイライラしてほしかった。なんでもいいから感情を抱いて欲しかった。
夜の山下公園は、暗い洞窟の中で鉱石がきらきらと光っているかのように、夜景が美しい。神奈川生まれの私には、定番のデートスポットだった。
一番、綺麗な景色だと思ってる。
だから、大好きだったあなたとの、別れにはふさわしいと思った。
今後、あなたがどこの誰とどんな夜景を見ようと、必ず私を思い出すだろう。
雨のちらつく、11月の夜の山下公園。これ以上に寂しく、美しい景色など二度と無い。
そう告げた時、海に浮かぶ橋の近くを通っていた電飾を施した観光船が、きらきらと光りながら遠くへと消えた。
あなたは私がいなくなるとわかって、極端な選択だとか、寂しいなど言っていたが、それは一時的な感情に過ぎないだろう。
だからその喪失感を永遠にしてやろう思って、この美しい景色を、最後の舞台に選んだのだ。
この世は舞台、人は皆役者。シェイクスピアだってそう言ってる。
だから大好きなあなたに別れを告げる、演技をした。演出をした。私は役者であり、演出家なのだ。
これでいい、これがいい。今までの不平等で散々苦しめられた気持ちが、やっと成仏できた。
傷つけられた分、傷つけた。そうでないと、私の身が持たなかった。
家に着いてから惜しむようなラインや、インスタへの急なフォローバックなどがあったが、全て無視してブロックした。
今更、遅すぎる。
山下公園の綺麗な夜景を見ながら、あなたは抱きしめてもくれなかった。
行かないで、とも言ってくれなかった。
その程度だった私への気持ちを、もっともっと倍増させるように、苦しむように、美しい別れを演出したのだ。
この失恋を、私はここに残しておく。そのうち創作物として世に出すから、あなたは私より上手く創作するなよ。どうせできないだろうけど。
もう今生では二度と会うことのない人の幸せなど祈らない。
どうしてもと言うのなら、あの世で語らおう。
落ち続けているらしい。
そんな夫について、少し書き記したい。
朝はコーヒーをいれてくれる。
昼はお米を炊いてくれる。
夜は日によって違う。
頼めばたこ焼きも作ってくれる。
食事が終われば、洗い物をしてくれる。
しかし、私は夫の粗ばかりに目が行く。
私が家事を全て担っていたときは、夕食に切り干し大根やポテトサラダを作っていた。
まあ、それは私が作ればいい。
夫は掃除をしない。
私自身もマメな方ではないし、週に数回の掃除程度私がやればいい。
洗濯機を回すのは私だ。
洗濯が終われば、一緒に干してくれる。
乾いた洗濯物は畳まない。
本を読んでお昼寝。
未だ実行されぬままである。
Tシャツが多すぎてタンスの全ての段が開きっぱなしになっているのが当たり前。
といった具合だ。
なぜ私物の片付けすらしないのか。
本当に疲れた。
勝手に片付ければいいと思うだろう。
そして、段ボールに入ったままの物も、
捨てたくも売りたくもない大切な物らしい。
大切な物をぞんざいな扱いをすることは気にならないのか問うと機嫌が悪くなる。
夫は滅多に機嫌を悪くしないため、
不機嫌になられると無性に謝りたくなる。
夫と話していると、気にするこちらが悪いという気持ちにさせられる。
変な説得力があるのだ。
「やらなきゃいけない」という先入観を捨てた方が楽じゃないか、と思ってしまうのだ。
では、畳まないことに慣れればwin-winだ。
こういったやり取りは、夫が在職中から繰り返していた。
無職のくせに、私の言うことを聞かない。
と思ってしまう。
私が譲歩すべきことだと思っていたような気がする。
私よりも多く生活費を出してくれている。
無職のくせに。
私が生活費の大部分を受け持つことになったら…。
夫のことは間違いなく好きだ。
好きで一緒にいる。
夫は、私が好きになった「どこか浮世離れ感のある、優しくてかっこいい彼」のままなのだ。
つまり、屁理屈をこねて家事もろくにできない、書類選考で落ちまくる無職なのだ。
彼はずっと変わらない。
変わったのは、私が彼を見る目だ。
いや、変わってない。気がついただけだ。
だって、私もきっと変わらない。
家事は「やらなきゃいけない」の意識から脱却できないし、文句を言いつつ現状を変えるほどの努力だってできないだろう。
正直、夫が無職でいることに不満はない。
BLがまだ生まれておらずjuneのころはたしかに浮世離れしたネタがおおかった
強姦からのストックホルム症候群(を極度に美化)とか
近親相姦でDV(を極度)とか
そういうネチョっとしたネタが多かったから腐女子からみても少しキモかったわな
そんななかで俺が好きだったハッピーハリウッド系BL小説は潮流にながされて早めに筆を折ってた
俺はあの人で触手とトレイン(人間ムカデ)とローズアナルを知ったんだよ(主人公CPだけは乱交に参加しそうでしないとこも好き)
あなたの時代が来てますよって叫びたいけど生きてるかすらわからん
推しが結婚するのはもう何回目かわからないけど、今回は過去の推し達の結婚と違う感情が生まれたので記録。
もともと青春のすべてを捧げて誰よりも愛していた推しがいた。その人が結婚した時現実逃避したくて別の推しができた。神推しの結婚をなんとか消化している間に2番目の推したちもちょこちょこ結婚したけど、最初の例があったからショックは受けなかった。
その後私生活でも色々あり、コロナ禍も重なって生きるのが苦しくなった。
そんな心境に寄り添うようなコンテンツを出してくれていたのが今回結婚した推し。
価値観や感性が変わっていて、浮世離れという言葉がとても似合う。考え方や言葉選びも好きだし、パフォーマンスも技術が伴った世界観で見ていて楽しかった。
それでいてシチュエーションによってはかわいくなったりかっこよくなったりと変化も激しくいつでも新しい姿を見せてくれた。
そんな推しが結婚した。正直この世界の誰も予想してなかったと思う。一報を聞いたときはびっくりしたけど、こんな時代に心穏やかに過ごせる相手ができてよかった。と思った。
でもそのあと相手を聞いて足元がガラガラと音を立てて崩れていく感覚になった。文字通り失神しかけた。
お相手とは約15歳の年齢差があった。それだけならまあよくある話か、と思えたかもしれない。ただ、初めてお相手と共演したのがお相手が未成年(高校生くらい?)のときだったのが本当に無理だった。
前日まで好きだった人の結婚なのに、気持ち悪いという感想しか出なかった。未成年のときから知っている人に手を出す感覚が本当に理解できなくてただただ吐き気を催すくらい気持ち悪かった。
結婚後数ヶ月経ったが、未だに推し関連のコンテンツは見られない。パフォーマンスは見られるかと思ったがやはり気持ち悪さが勝るので申込みもやめた。周囲の人は私が推しにガチ恋だったからショックをうけてるんだろうとおもっているが実際は違う。気持ち悪くて見られないから見ないし何も聞かないのだ。共通の推しで知り合ったフォロワーも多いのでポストが流れてくるがありとあらゆる関連ワードをミュートワードに設定している。
好きだった人をミュートワードに設定する未来なんて想定してなかった。
ガチ恋していた推しの結婚のショックは時間が経つとともになんとか消化できた。でも、気持ち悪いと思ってしまったその感情はもう消えることはないし、この先一生見るたびに思い出すんだろうなと思う。
みつ
@tonomistu
蓮舫は街頭演説で双子が幼かった時に靴紐を結ぶのを待ってあげられなかった、その三分を待てなかったとの後悔を吐露し子育て中の親のゆとりを作りたいと訴えた。鈴木涼美は朝日新聞で蓮舫は「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と書いているがどれ程蓮舫の訴えを聴いたのか疑問。
泥臭い生活=貧乏暇無しで結婚ましてや出産なんて到底望めない生活、だよ!!!
そういう層からしたら育児の苦労話なんて、高級車を買ったらメンテが大変でつれえわーと自虐風自慢しているのと同じだし、
子育て中の親のゆとりを作りたいだなんて言われたらますます搾取されるんじゃないかと警戒するわ
蓮舫の訴えを聴いていたらそれこそそう言われても仕方がないだろうに
なんで聴いていないと決め付けるのか
忙しくて結婚も出産もままならない人達が多くいるだろう場所で本当にそんな話をしたなら
「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と言われるのは妥当だと思う。
はっきり言ってセンス無さすぎ
これを難癖だと思えるのはおかしいよ
東京の女性の多くが小池百合子を支持する理由をちゃんと考えた方がいいよ!!
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html 民主政の終わり
これを見た感想なんだけど、
”投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。”
これがなんか、政治には正解があってそれに近い政策の人を選ぶことが正しい選挙って思っているように聞こえる。
だけど、「自分と同じ部族の属する人」はその部族の支持を集めることが近道なんだから、「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」になるんだと思う。
例えば女性の政治家なら女性のための政治を掲げるし、エンジニアならデジタル化を推進するし、若い候補者なら若者のための政治を掲げると思う。「私はあなたの困っていることをわかっています」っていうのはやはり投票したくなる魅力だと思う。
石丸氏も「今までの高齢者福祉や古い政治を新しい若者のための政治にしたい」と考える若者には「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」に見えているはず。
いろんな人にいろんな生活があって誰かにとっていい政策でも誰かにとって不利益な政策になってしまうから、自分と同じ部族に属する人は自分たちの利益を実現してくれる人になると思う。
そういう政策をとらないとその政治家は裏切り者として支持者から見限られるから。
だから自分たちと同じ部族の人に投票するってのは、幼稚なことじゃなくて自分たちの気持ちを代弁して自分たちの困っていることを解消してくれる人を選ぶ民主主義として真っ当なことなんじゃないかと思う。
"自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。"
っていうのもなんか浮世離れした、生活に困ってない人のいうことなんじゃないかなとおもう。20代の時はそう思っていたかもしれないけど40代になると生活って自分と家族の周りのことなんだなと世界が狭くなった。
自分の努力で何とかできるのってその範囲だもの。たまに国家天下のことを話してもやっぱり自分の身の回りのことを考えることに戻ってしまう。変わったのは自分と違う人たちもその人たちの生活があると実感したことだけ。
自分の手に余るもの手の届かないものをあきらめて自分の手に届くものに注力していると、若者には利己的で偏狭なつまらない大人に映るんじゃないかと思う。
目の前の大人たちに「自分たちの生活だけじゃなくて社会全体のことも考えよう」と思わなくなった。代わりに「あなたたちにはあなたたちの生活がある」と言えるようになった。
自分たちのことで精いっぱいの人たちが、自分たちと同じ属性の人を選挙で選んで、自分たちの気持ちを代弁してくれる政治を期待すること、そしていろんな人たちの相反する利益を調整できるのが民主主義なんじゃないかと思う。
ほんま関東の話題って、贅沢で浮世離れしてる感じするよな。ワイもニュースとか見てると、なんでそんなとこにお金使うんやって思うこと多いわ。イチョウの木の件もそうやけど、蓮舫さんとか小池さんとかが目立つってことは、まあ都知事選とか影響あるんかもしれんな、知らんけど。
それにしたって、神宮のイチョウの木を守るとか言うても、木一本でそこまで激論になるんかって感じやわ。ワイも詳しいことはわからんけど、東京ってほんま色んな意味で特別やな。
日本橋の景観問題とか首都高の地下化に3200億円とか、ほんま気ぃ遠なるわ。金持ちの遊び感覚なんかって思ったりもするな、知らんけど。
築地市場の移転問題も長いこと続いとったけど、結局どうなったんやろな。ワイもあんまり追えてへんかったけど、そんなことに大金かけるよりもっと先にやるべきことあるやろって思うわ。
一方で東大がカネないって言うのもまた皮肉やな。国立大学やから東京都と関係ない言うても、なんかちょっと寂しい感じするなぁ。知らんけど、なんか色んなとこでお金の使い方に疑問感じる今日この頃やわ。
お疲れ様です
たらこ視点で注目する視点(バイアス)から一応論理的に考えるとこうなります
ってそういう考え方もあるよって紹介って感覚で別に逆張りじゃないんだよ
最近の発言聞くと怪しいけど自分の視点はかなり浮世離れしてるし普通ではないってとこにも自覚的だけど
それ信じるかはお前らの勝手だけどなって感じ
今0.5秒で思いついたのはー
辺りかな~。
曖昧にしてるおかげで成立しているから残業代出せないってことなんかねー。
つまる所、業態そのものが労働基準法に違反してるってことやな。
子供を育てるなんて仕事、浮世離れしてるぐらいじゃないとストレスで心を病むし、教員は社会から逸脱した存在であるべきなんやな~~